Winny事件に見る日本が停滞し続ける根源的理由
弁護士、元Winny弁護団事務局長
1941年東京都生まれ。65年東京大学法学部卒業。89年ニューヨーク大学修士課程(経営学)修了。92年ニューヨーク大学修士課程(法学)修了。97年米国弁護士登録。NTTアメリカ上席副社長、成蹊大学法学部教授などを経て2009年より現職。著書に『国破れて著作権法あり』、『フェアユースは経済を救う』など。
まさか真犯人が著作権だったとは。
1990年代まで日本はあらゆる経済指標で世界最高水準にあった。国民一人あたりGDPにしても然り。産業競争力にしても然りだ。ところが1997~98年頃を境に、日本は世界から後れを取り始める。それから四半世紀後、日本はほとんどの経済指標で先進国中30位前後の最下位クラスに落ちていた。わずか25年でトップからビリまで落ちるには、何かよほど大きな失敗をやらかしているに違いないと誰もが思うことだろう。しかし、その主要な要因が著作権にあったとは、一体どれだけの人が考えただろうか。
しかし、次のようなデータを突きつけられると、その指摘に反論することはかなり難しい。
まず、日本の転落が始まった1997年~98年というのは世界的にインターネットの普及が始まり、世界でIT革命が一気に始まった時期と重なる。そこでまず、日本がインターネット革命に乗り遅れたのではないかという仮説を立ててみたい。
その上で、今の世界経済を牽引している企業の実態に目を向けると、現在の世界の時価総額トップ企業はいずれもインターネット関連サービスを提供する企業だ。実際、世界のトップ10社のうち7社がアップル、マイクロソフト、アマゾン、アルファベット(旧グーグル)などのネット関連企業だ。もちろんその中に日本企業は一つもない。日本でトップのトヨタは世界の58位に甘んじていて、その時価総額は世界1位のアップルの15分の1しかない。ちなみに1989年には世界の時価総額トップ10のうち、何と7社を日本企業が占めていた。
一方、現在日本で時価総額トップ10の企業を見ると、ネット関連企業は一つも入っていない。そればかりか、日本のトップ10は1位のトヨタを筆頭にメーカーが半分を占め、10社はいずれも1980年以前に創業された古い事業者ばかりだ。
つまり、現在、世界経済を牽引しているのはIT関連企業であり、そこに日本の姿はまったく見られないということ。そして、日本では時代の潮流に合わせた産業構造の改革がまったくといっていいほど進んでいないこと。この2つの事実は受け入れざるを得なさそうだ。
確かに日本でもインターネットは広く利用されている。しかし、それはほとんどの場合、海外の企業が提供しているサービスを利用しているだけで、日本におカネは落ちてこない。しかし、そのことと日本の著作権の解釈にどのような関係があるのだろうか。
アメリカの弁護士資格を持ち、長年にわたり日米の著作権ビジネスをウオッチしてきた城所岩生氏は、日本の前時代的な著作権解釈が日本発のネットサービスの芽をことごとく摘んできたと指摘する。例えば、かつて日本でもYahooやグーグルのような独自の検索サービスを開発しようという試みがあった。しかし、日本はアメリカが早々と導入した著作権の「フェアユース」という解釈を最後まで採用しなかった。そのため検索エンジンのロボットに無数のウェブサイトを読み込ませる必要がある検索サービスを日本で提供するためには、サービス提供者はすべてのウェブサイトの所有者からサイトのデータを読み込む許諾を得なければならなかった。旧来の著作権法の解釈では、検索サービスを提供する目的であっても、無許可でサイトのデータを読み込む行為は著作権侵害に問われる可能性が高いからだ。
フェアユースとは、利用目的に公共性が認められるなど一定の条件を満たす場合、著作権者の許可を得ずに著作物に利用が認められるという考え方だ。著作権者の権利を守ることは重要だが、社会に便益を提供することも重要だ。その両立を図るために導入されたのが、フェアユースという考え方だった。
そもそも著作権というのは著作者の権利を守ることによって、文化の発展を図るために存在する。そのことは、日本の著作権法の第1条にも明記されている。もちろん著作者の権利の保護はとても重要だ。著作者の権利が守られ、正当な報酬が支払われなければ、著作者は著作物を創作する意欲を失ってしまう。これもまた、文化の発展には大きなマイナスとなる。
しかし、著作権の権利を守るために著作権用の解釈を極度に厳しくしてしまうと、社会がその著作物の価値を十分に享受できなくなり、結果的に著作権の究極の目的である文化の発展が妨げられてしまう。アメリカでは、引用部分の全体に占める割合が少ないことや、元の著作物と市場で競合しないことなどの条件を満たす場合、このフェアユースが適用され、旧来の著作権解釈では著作権侵害に当たる行為が許されるようになったことで、様々なネット関連サービスが花開いたと城所氏は語る。
ところが日本はフェアユースを採用しなかったため、旧来の著作権の解釈がことごとくインターネット産業の発展を阻害してきた。Winnyの開発者の金子勇氏が著作権法違反の幇助で逮捕され、村井純氏をもってして「10年に一度の画期的なソフト」と言わしめたWinnyが世界的なプログラムへと開花していく道を閉ざされたことは5月6日のマル激で報じたばかりだが、Winnyの例を見るまでもなく、日本はネット関連の新しいサービスをことごとく著作権法の旧来の解釈で縛ってしまった。例えば、アメリカでは1992年にリバースエンジニアリングがフェアユースとして認められたが、日本がそれを合法化したのはなんと2019年に入ってからだった。画像検索サービスについてもアメリカでは2003年にフェアユースが適用されているのに対し、日本は2010年まで待たなければならなかった。
実は日本でも遅ればせながら2018年に著作権法が改正され、著作物の価値を「享受」することを目的としていなければ、著作権侵害にあたらないことがようやく明文化された。これによってフェアユースに一歩近づいたことは評価すべきだろう。しかし、城所氏はこの法改正ではまだアメリカのフェアユースと同じレベルにはなっていないため、「日本版フェアユース」とは呼べないと指摘する。
それにしても、なぜ日本では旧態依然たる著作権の解釈がこうまで維持され続けたのだろうか。そして未だにフェアユースを完全に導入できないのはなぜなのだろうか。城所氏からその裏事情を聞くと愕然とする。
城所氏によると、著作権の運用を審議する文化庁の文化審議会著作権分科会が、権利者団体の出身者によって過半数が占められているため、日本の著作権の解釈は過度に権利者の保護に偏る傾向があるのだという。実際、分科会のメンバーを見ると、27人のうち少なくとも15人を、日本音楽著作権協会(JASRAC)、日本書籍出版協会、日本レコード協会といった錚々たる権利者団体の代表者が占めている。業界団体に支配された審議会の意向を受け、行政ばかりか検察や裁判所までもが、著作権法の厳格な運用を自ら率先して実践しているのが日本の実態なのだ。ちなみにWinnyで金子氏らを告発したのも権利者団体だった。そこには著作物の利用者は国民であり、著作権法の究極的な目的が権利者の保護ではなく文化の発展にあるのだという視点が欠けているように思えてならない。
ChatGPTの登場でAIが俄然注目されるようになった。ChatGPTがこちらからの問いかけに対し即座に絶妙な回答を返してくるのは、ChatGPTの運営者が予め膨大な量のデータと文章をChatGPTに読み込ませ学習させているからだ。しかし、もしフェアユースが採用されず旧来の著作権法の解釈が維持されれば、サイトの所有者からの許可なくサイト上のデータを読み込ませる行為は著作権侵害に問われる可能性がある。日本は2018年の著作権法の改正で「人の知覚による認識を伴わない利用」については利用が可能となったため、AIの学習はこの中に含まれると考えられ、現時点ではAIの学習はセーフと考えられている。しかし、AIの学習というのはAIが勝手に読み込んでいるのではなく、人が何を読み込ませるかを決めた上でAIに読み込ませているものだ。日本発の画期的なサービスが出てきた時、Winnyの時のように突如として警察・検察や裁判所の時代錯誤の法解釈が顔を出さないか、不安は残る。現に、先月、文化庁が「写真を学習させて映像を作る場合、元の写真を享受することも含まれるので、著作権者の許可が必要」などとして、2018年に改正した著作権法のAIに関する条文を骨抜きにさせかねない動きも見られる。
日本の停滞の少なくとも一要因が時代錯誤の著作権解釈にあったことが否定できない以上、この問題には日本の将来がかかっているといっても過言ではない。日本がフェアユースを認めなかったことで、どれだけのビジネス機会が失われたのか、Web3やAI新時代が到来した今、日本が同じ過ちを繰り返さないためにはどうしたらいいのかなどについて、米国弁護士の城所岩生氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。