今こそ科学者が社会的責任を果たさなければならない時だ
立命館大学名誉教授
1940年東京都生まれ。64年東京大学工学部原子力工学科卒業。69年同大学大学院工学系研究科原子力工学専門課程博士課程修了。工学博士。東大医学部・放射線健康管理学教室助手、立命館大学経済学部教授、国際関係学部教授などを歴任。2011年退任し名誉教授。08年より立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長。著書に『原発と環境』、『戦争と科学者』など。
50年前から原発の危険性を訴え続けている孤高の科学者がいる。放射線防護学が専門の安斎育郎立命館大学名誉教授だ。
東日本大震災から12年にあたる今年、岸田政権は原発の再稼働を一層進めるとともに、60年を超えた原発の運用期間をさらに延長することに加え、歴代政権が否定してきた原子炉の新増設まで打ち出している。それはあたかも12年前のあの恐ろしい事故を忘れてしまったかのようだ。
原発事故や地震、津波でどのような被害があったかを記憶にとどめるため、これまで被災地内の各地にさまざまな展示施設が建設されてきた。特に原発事故の被害が集中した福島県では、国が53億円をかけて2年半前にオープンさせた「東日本大震災・原子力災害伝承館」を含め、国土交通省が管轄する震災伝承ネットワーク協議会に登録されている施設だけでも10か所にのぼる。もちろん記憶の伝承は大切だが、そこで何を伝え、何を後世に残すかは大きな課題だ。
双葉郡楢葉町にある室町時代から続く浄土宗の宝鏡寺の境内に建つ伝言館は、去年暮れに亡くなった早川篤雄住職が私費を投じて作ったものだ。原発の問題点を指摘する展示が並ぶこの施設は、震災伝承ネットワーク協議会には登録されていない。
福島第二原発1号炉の設置許可が出た1970年代前半に、原発のことを知りたいと早川住職から声をかけられて以降、住職と二人三脚で原発政策の問題点を訴え続けてきたのが、放射線防護学が専門の安斎育郎氏だ。境内にある原発悔恨・伝言の碑には、半世紀にわたり原発の危険性を訴えてきたにもかかわらず、12年前の事故を防ぐことができなかったことへの早川住職と安斎氏の激しい悔しさが刻まれている。
安斎氏は、東大原子力工学科1期生でありながら、学びを進めるうちに原発の危険性に気づき、日本の原発政策に疑問を持つようになったという。大きな転機となったのが、1972年12月に日本学術会議の第一回原子力問題シンポジウムで、まだ30歳代前半だった安斎氏が行った基調講演だった。そこで安斎氏があげた6項目の問題点は、自主性が保たれているか、経済優先となっていないか、地域開発に抵触しないかなど、今にも通じる重要なポイントばかりだ。なかでも安全性については、今回の事故でも問題となった緊急炉心冷却装置の欠点が安斎氏によってすでに50年前に指摘されていたのだ。
政府の原発政策に批判的な立場をとったために、政府からは反原発の研究者として目を付けられ、その後の研究活動が厳しく制限されるようになったという。しかしその一方で、原子力工学や放射線防護学の専門家として早川住職をはじめ原発立地予定地の住民らと話し合う機会を持つようになり、そこで自分は鍛えられてきたと安斎氏は語る。
2011年の原発事故後は仲間とともに「福島プロジェクト」を立ち上げ、福島に通い続け放射線防護の立場から調査や相談にのっている。82歳になった今も信念を貫き、少しでも事態を改善させるための活動を続ける安斎氏と、先月楢葉町の伝言館を訪れた社会学者の宮台真司、ジャーナリストの迫田朋子が議論した。