沖縄密約をすっぱ抜いた西山太吉氏がわれわれに残した宿題
ジャーナリスト
1961年東京都生まれ。大学在学中の83年に『優しいサヨクのための嬉遊曲』で作家デビュー。84年東京外国語大学外国語学部ロシア語学科卒業。2003年より現職。10年より芥川賞選考委員。野間文芸新人賞、泉鏡花文学賞、伊藤整文学賞など多数受賞。22年紫綬褒章を受章。代表作に『無限カノン3部作』、『カタストロフ・マニア』、『パンとサーカス』など。
『パンとサーカス』は作家・島田雅彦氏が2020年7月から21年8月にかけて東京新聞朝刊に連載していた小説で、それを一冊にまとめた単行本が今年3月に講談社より刊行されていた。
ところがその後、7月8日に安倍晋三元首相が銃撃によって殺害される事件が起きると、『パンとサーカス』が俄然注目されるようになった。この小説が、日本の現状、とりわけアメリカの傀儡として堕落を極めている日本の政治の現状に不満を持った若者たちが、要人を標的とする連続テロを起こす物語となっていたからだ。
これはあくまで警察発表なので100%正確かどうかわからないが、安倍首相を狙った山上徹也容疑者の直接の動機は、統一教会に対する怨念だったとされている。それはそうだったのかもしれない。そして、母親が統一教会に取り込まれた結果、家庭が崩壊し、奈良県有数の進学校で優秀な成績を修めていた山上容疑者は、大学進学を諦めなければならなかった。結果的にその後、自衛隊に勤務した後、アルバイトや派遣社員として様々な職を転々とする中で、山上容疑者は教団や安倍氏に対する恨みを募らせていったとみられている。それは、上級国民はアメリカに媚びさえ売っておけばあとは甘い汁を吸い放題なのに対し、下級国民はいつまでたっても生活苦から抜け出すことすらできないという現在の日本の社会に対する、激しい怨嗟の念でもあったとは言えないだろうか。
小説の中で島田氏は、登場人物たちに腐った政官財の指導者たちを厳しく批判させているが、同時にそれを甘受している無知で無関心な一般市民も彼らと同罪であるとして、これを厳しく糾弾させている。「彼らの沈黙の同意によって、腐敗政治がいつまでも続いたのです」(主人公の一人・火箱空也の裁判における最終陳述)と島田氏は記す。
元来、『パンとサーカス』は2世紀のローマの風刺詩人ユウェナリスがその詩の中で、当時のローマ市民がパン(食べ物)とサーカス(娯楽)を与えられて満足し、政治に無関心になった結果、政治が腐敗していったさまを揶揄するために用いた表現だ。そして今、世界は再びそのような状況に陥っていると島田氏は言う。
実際、今の世界では、とりあえず市民に最低限の食料と目先を楽しませる娯楽さえ与えておけば、それで十分だろうとでも言いたげな政治が、日本だけでなく世界の多くの国々で行われている。しかし、そこでいう娯楽とは、ローマ時代のようなコロッセオにおける壮大な決闘や競馬とは異なり、戦争、犯罪、天災、疫病など、市民の不安や興奮、恐怖、感動を呼ぶ出来事がすべて娯楽になり得る。少なくとも政治はそれをそのように利用しようとする。
世直し小説『パンとサーカス』で島田氏が発したかったメッセージとは何だったのか。自分の小説の後をなぞるかのように、実際に要人の暗殺が起きたこと、その後、もっぱら統一教会や統一教会と関係のある個々の政治家が槍玉にあがり、事件の背後にある日本の政治や社会の根本的かつ構造的な問題にまでメディア報道も市民の関心も及んでいないこと、などについて、島田氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。