PCR検査とワクチン「世田谷モデル」から見えてきた日本の目詰まりの正体
世田谷区長
1955年愛知県生まれ。80年京都大学医学部卒業。国立武蔵療養所神経センター(現・国立精神・神経医療研究センター)研究員、ハーバード大学客員研究員、国立精神・神経医療研究センター免疫研究部部長などを経て18年より現職。専門は神経内科学、神経免疫学。著書に『多発性硬化症診療のすべて』、編著に『実験医学増刊 神経免疫 メカニズムと疾患』など。
新型コロナウイルスのオミクロン変異種の感染拡大によるパンデミック第6波が高止まりの様相を呈している。しかし、政府は、まん延防止等重点措置の対象地域は順次拡大しているものの、今のところそれ以上の踏み込んだ施策を実行する構えは見せていない。また、未曾有の感染拡大が続いているにもかかわらず、一般市民の反応も、どこか危機感に欠ける印象を受ける。
これまでに何度となく感染拡大が繰り返されてきたことから、ややコロナ慣れしている面もあるかもしれないが、何といっても当初から「オミクロン株は感染力は強いが重症化しにくい」との言説が広がっていたことが、市民社会の今回の第6波に対する構えに影響していると見ていいのではないか。確かに、感染者の数では「爆発」と言っても過言ではない状態を迎えているにもかかわらず、重症化する患者の数は今のところ第5波のそれを大きく下回っていることは事実だ。とは言え、医療体制が脆弱な日本では、仮にオミクロンの重症化率がデルタの10分の1であっても、感染者数がその10倍を超えれば、前回を上回る医療逼迫が起きるリスクがあることは言うまでもない。
また、「オミクロンは重症化しない」という楽観論が一つ決定的に見落としていることがある。それがコロナ後遺症(Long Covid)の問題だ。日本ではなぜかメディアの関心が感染者数と医療の逼迫状況にばかり集まり、コロナウイルスの感染者が、感染が治癒した後に発症する様々な後遺症に対して、必ずしも十分な注意が払われていないようだが、欧米のコロナ報道では感染者数よりもむしろ後遺症の方に中心が移りつつあるようだ。
日本よりコロナ後遺症の研究が先行している欧米の数万人規模の調査や、昨年行われた世田谷区の大規模な調査によると、コロナ感染者の少なくとも4人に1人が、コロナ感染症の直接の症状が収まり、PCR検査で陰性となった後も、持続的な嗅覚・味覚異常や全身の倦怠感、「ブレインフォグ」と呼ばれる意識障害や記憶障害、頭痛や全身の筋肉痛、関節痛などに悩まされているという。こうした後遺症は大半のケースで概ね1年以内には収まる傾向にあるようだが、中には1年以上も症状が続き、複数の症状を抱えたまま、社会生活の継続が困難になっている事例も少なからず報告されている。
オミクロン株との関連で特に重要な点は、このような後遺症がコロナ感染時には症状が出なかった、いわゆる無症状者にも多く発症していることだ。どの調査を見ても、比率的にはコロナの症状が重いほど後遺症が発症する割合が高くなるのは事実だが、無症状者でも20%~25%には何らかの後遺症が出ていることを、概ねどの調査も指摘している。現下のオミクロン感染爆発を前に、「オミクロンは重症化しにくい」とか「無症状で終わる可能性が高い」が、「コロナ後遺症にはかからない」とは決してイコールではないことだけは今、あらためて肝に銘じておく必要があるだろう。オミクロンを甘く見ていると、後で痛い目に遭う可能性が大きいということだ。
神経内科学や神経免疫学が専門で自身でも100人を超えるコロナ後遺症の患者を診察している国立精神・神経医療研究センターの山村隆特任研究部長は、最新の海外の論文でコロナ後遺症が免疫異常に原因があることはほぼ解明されていると語る。山村氏によると、最近、主要な医学雑誌に掲載された最新の研究論文で、新型コロナウイルスによる嗅覚異常が、ウイルスで壊れた残骸を処理するマクロファージなどの細胞が作りだす炎症物質によって、神経細胞の機能が撹乱されることによって起きていることが明らかになっているという。また、別の研究ではブレインフォグの症状を持つ患者の7割の髄液から、オリゴクローナル・バンドと呼ばれる反応が見られたことから、これらの患者の脳内で強い免疫反応が起きている疑いが濃いことも明らかにされたという。
免疫が作用する仕組みは素人には中々分かり難いところがあるが、要するに体内に侵入してきたコロナウイルスと戦うために発動された自身の免疫細胞が、何らかの理由でウイルスがいなくなった後も作られ続けてしまい、その細胞自身か、その細胞が作り出す何らかの物質が、自分自身の細胞を傷つけることによって発症するのがコロナ後遺症の正体だというのだ。しかも何らかの理由で、自身の細胞を傷つける物質が、脊髄を経由して脳に上がっていることもわかってきたが、その理由についてはまだ証明されていないのが実情だという。
山村氏の診ているコロナ後遺症患者の中にはコロナ自体は無症状だった人も多いというが、コロナ後遺症が免疫異常に起因するとの見立てに基づきステロイド投与を行った結果、効果をあげている事例が多いという。しかし、いずれにしてもまだ、コロナ後遺症の深刻さやその原因、対処法については、医療界の理解も、またメディアや一般社会の認識も、まったく足りていないところが問題だと山村氏は指摘する。
今回のマル激では神経内科や免疫内科が専門の山村隆氏とともにコロナ後遺症の現状を検証した上で、山村氏にコロナ後遺症とその原因に対する最新の知見や今後の見通しなどについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。