患者を一人の人間として扱う精神医療へ
杏林大学保健学部作業療法学科教授
1964年東京都生まれ。87年国学院大学法学部卒業。2010年新潟医療福祉大学医療福祉学研究科博士後期課程修了。博士(保健学)。第一勧業銀行、精神科病院勤務を経て07年新潟医療福祉大学医療技術学部講師。11年より現職。著書に『精神科医療の隔離・身体拘束』、共著に『病棟から出て地域で暮らしたい―精神科の「社会的入院」問題を検証する』、編著に『変われるのか?病院、地域―精神保健福祉法改正を受けて』など。
先月、精神科病院で5年前に亡くなった40歳の男性に対して、違法な身体拘束による死であるとの判断が最高裁で確定した。精神科病院での身体拘束による死亡は、これまでも訴訟が提起されてきたが、最高裁で違法との判断が確定するのはこれが初めてだ日本の精神科医療は、先進国のなかでも特異な状況にある。
OECDによると、精神病床数としてはアメリカの8万2500、ドイツの10万6000に対して日本には32万もの病床がある。日本の人口1000人あたりの病床数はアメリカの8倍、先進国のなかでも多い部類に属するドイツの2倍になる。平均在院日数も日本は265日ととびぬけて多い。
行われている医療内容も、身体拘束、隔離などの行動制限が多用されるなど、日本は他の先進国とは明らかに様相を異にしている。
この問題を追及してきた杏林大学の長谷川利夫教授が2015年に行った調査では、身体拘束が行われていた245人の患者の平均拘束日数は96日で、最も長い人は1000日を超えていた。他の国でも精神科医療で身体拘束が行われることはあるが、これが著しい人権侵害となることを考慮した上で、やむを得ない最小限の時間に限定されている場合が多く、実際の拘束時間は数時間からせいぜい数十時間が上限となっている。日本の数日単位、ましてや月単位や年単位という長さは、国際水準に照らし合わせると常軌を逸しているといわざるを得ない。
今回、判決が確定した大畠一也さんのケースでは、統合失調症で入院した3日後に隔離され、その後、注射しようとした際に嫌がって抵抗したという理由で、その翌日に興奮や抵抗がないにもかかわらず身体拘束が開始された。そして6日後に拘束を解除した直後に肺動脈血栓塞栓症で亡くなっている。その後、両親が精神科病院を提訴し、一審の金沢地裁で、医師の裁量を認め違法ではないとされたが、二審の名古屋高裁は、身体拘束の開始も継続も違法として病院側に賠償を命じ、逆転勝訴となった。そして10月19日に、最高裁第三小法廷が病院側の上告を退け、高裁判決が確定した。
実は、精神科医療の身体拘束についてビデオニュース・ドットコムでは、2017年3月に『マル激トーク・オン・ディマンド・プラス』で長谷川氏に話を聞き、問題の深刻さを伝えたが、その後、5月にニュージーランドから日本語を教えにきていたケリー・サベジさんが、神奈川県内の精神科病院で10日間の身体拘束の後、肺塞栓症の疑いで亡くなるという事態が起きていた。その事態を受けて長谷川氏は「精神科医療の身体拘束を考える会」を立ち上げ、メディア等に問題の重大さを訴えかける活動を積極的に続けてきた。
サベジさんや大畠さんのご家族にとって、治療のためと思って入院した病院で起きた身内の突然の死は到底受け入れられるものではなく、理解しがたいものだ。精神病棟という密室の中で何が起きていたのか、なぜ愛する家族は死ななければならなかったのか、情報開示も不十分で、病院側と患者や患者の家族の間には大きな壁がたちはだかっている。
しかし、今回の最高裁判断は、これまで精神病棟で当たり前のように身体拘束が行われてきた日本で、僅かながら希望の扉が開かれる結果となった。患者の死亡という特殊な状況の下とは言え、合理的な理由なき身体拘束は違法であるという至極当然の主張がようやく認められたことの意味は決して小さくない。とは言え、無論、まだまだ日本の精神科医療の課題は山積している。いまも「精神科医療の身体拘束を考える会」代表として孤軍奮闘、活動を続けている長谷川氏と、日本の精神科医療の問題点やその背景などについて社会学者・宮台真司とジャーナリスト・迫田朋子が議論した。