世界がこれだけサッカーに熱狂するわけ
日本福祉大学スポーツ科学部教授
1979年千葉県生まれ。2003年国際基督教大学教養学部卒業。同年ダイヤモンド社入社。2007年日本ブラインドサッカー協会事務局長に就任、18年より専務理事を兼務。
自国民が緊急事態宣言下に喘いでいるという時に、世界中から1万を越えるアスリートを集めて華やかなスポーツ大会を開催するというのが、常軌を逸しているとの謗りは免れない。しかし、何があろうともオリンピックをやらないわけにはいかないというのが、現在の日本の政治の現実であり、またそれが実力でもある以上、われわれとしてはその間、できる限り感染症の拡大を防ぐことに努めつつ、むしろ日本政府とIOCの傍若無人ぶりを奇貨として、オリ・パラの市民社会にとっての価値を最大化することに心を注ぐべきだろう。
その意味でオリンピックに続いて開催されるパラリンピックは、これまでわれわれの社会に足りなかったのが何かを再点検し、それを克服する絶好の機会を与えてくれるに違いない。
パラリンピックは1960年のローマ五輪と並行して第1回の大会が開催されたが、日本はその大会には参加しなかったので、日本にとっては64年の東京大会がパラリンピックへの初参加だった。そしてこの夏、日本は再びパラリンピックを主催する機会を得た。
64年の東京大会から今日まで、パラスポーツ(障がい者スポーツ)は目覚ましい発展を遂げてきた。しかし、最高に恵まれた環境の下で強化を図る機会を与えられている多くの五輪競技と比べると、パラスポーツはまだいずれも多くの課題を抱えている。メディアも五輪競技については、試合を生中継したり好プレーを繰り返し報じるなど、純粋にスポーツとしての面白さに焦点を当てているが、パラスポーツに関しては社会的な責任からある程度の時間を割いて報じている感が否めない。2015年にスポーツ庁ができるまで、一般のスポーツが文部科学省の所管だったのに対し、パラスポーツは厚生労働省の管轄下にあったという事実も、日本におけるパラスポーツの位置づけを反映している。
そうした中にあって、日本ブラインドサッカー協会は40人もの専従職員を抱える、パラスポーツの競技団体としては最も成功を収めている団体となっている。
2007年から事務局長として同協会を牽引し、現在は代表理事も兼務する松崎英吾氏は、ブラインドサッカーの認知度が上がっていることを歓迎しつつも、まだまだ日本の市民社会の障がい者スポーツに対する認識は、「かわいそう」や「気の毒」、「大変そう」といった、同情や上から目線で見ている傾向があり、立ち後れていると指摘する。
しかし、一度予断を抜きに観戦すると、多くの人が純粋にスポーツとしてのブラインドサッカーに魅了される。晴眼者に手を引かれながら、やや頼りなさ気にピッチに入ってきた選手たちが、いざ試合が始まると完全なアスリートに変身する。心身ともにトップアスリートとして鍛え抜かれた彼らは、聴覚、嗅覚、触覚など視覚以外のすべての感覚をフル稼働して、音源(鈴のようなもの)の入ったボールの動きや、選手自身や監督、コーラー(ブラインドサッカーでは一定の制約の下で、選手以外に監督とコーラーの2名の晴眼者がピッチ上にいる選手に言葉で指示を出すことが認められている)からのかけ声によって敵、味方の位置を把握し、ドリブルで相手を抜き、味方にパスを繰り出し、最終的にはピッチ上の唯一の晴眼者であるゴールキーパーの裏をかいた鋭いシュートをゴール隅に叩き込む。
2002年に初めて見た日からブラインドサッカーに魅せられたという松崎氏は、代表チームに入るようなブラインドサッカーの選手たちは、類い希な空間認識能力を持っていると語る。誰がどこにどのように立っているかを認識する上で、健常者は視覚情報に頼ってしまうが、実は人間には2つの耳があるため、音源に正対することで聴覚情報から音の発信源の位置や距離をかなり正確に推し量ることができるのだという。つまり、彼らには健常者とは違う意味で、見えているのだ。この面白さが分かってくると、何気なしにみていた一つひとつのプレーのすごさがわかってくる。
実はあらゆるスポーツは厳しい制約を課された条件の下で競技が行われている。ラグビーは前にパスをしてはならないし、サッカーは手を使ってはならない。バレーボールもバスケットボールも然りだ。それでもわれわれはそうしたスポーツの楽しみ方を知っている。いやむしろ、その制約があるからこそ、これらのスポーツは面白いと言っても過言ではないだろう。前にパスができるラグビーや手を使ってもいいサッカーが果たして面白いだろうかということだ。
実はパラスポーツにしても同じことが言える。晴眼者が、目隠しをしてブラインドサッカーを試してみればその意味がわかるだろう。しかし、ことパラスポーツについてわれわれはまだ、選手たちが抱える制約を楽しむということが、あまりうまくできていないように思える。
その原因となっているのが、潜在的差別意識というものだ。2019年に日本ブラインドサッカー協会は大規模なIAT(Implicit Association Test=潜在連合テスト)というものを実施した。これは「自分自身では自分のことをこう思っている」という顕在的態度とは別に、ある方法を用いて(その方法については番組内で詳しく解説している)それぞれの無意識バイアス(潜在的態度)を炙り出すもので、アメリカなどで人種に対する潜在的な偏見意識を炙り出すためによく用いられる調査手法だ。ブラインドサッカー協会が2000人超を対象に行ったIATテストでは、顕在的には自分は障がい者に対してニュートラル(中立的)と考えている人が全体の約6割に達し、障がい者に対して偏見を持っていると自ら認識している人は全体の4割弱だったのに対し、IATによる潜在意識テストの結果、障がい者に偏見を持つ人の割合は85%に達していたことがわかったという。
この調査によって教育や理性、道徳観や倫理観などから障がい者に対して偏見を持ってはいけないと考え、自らもそれを実践しているつもりだった人の大半は、実は心の中に障がい者に対する根強い偏見を持っていることがわかった。また、データをより細かく精査した結果、障がい者に対する偏見は年齢、学歴によって変化するものではなく、障がい者の友人や知人の有無にも影響されないことがわかったという。
松崎氏は頭や言葉で偏見はいけない、差別はよくないと教えられ、自らもそう納得しているつもりでいても、それが実際の行動として反映されるまでには、越えなくてはならないハードルがあると語る。そして、そこでは実体験が大きなカギを握る。例えば、松崎氏が詳しいことは何も知らずに初めてブラインドサッカー合宿を見学に行った時、そのプレーぶりに衝撃を受け、たちまち虜になったという。しかし、もし自分がいろいろ「宿題」、つまりいろいろと事前に勉強をして、ブラインドサッカーに対する特定の構えを作った上で合宿を見学に行っていたら、同じような衝撃を覚えることができたかどうかは疑問だと松崎氏は言うのだ。
日本ブラインドサッカー協会では企業や教育委員会からの要請を受けて、ブラインドサッカーの体験学習会を開催している。そうした体験プログラムの中で実際に目隠しをしてボールを追いかけたり、他の人と手をつないでお互いの位置を確認し合うような体験をするだけで、どんなに多くの言葉を重ねるよりも、目が見えないとはどういうことか、困っている時に助け合うとはどういうことか、そして引いてはダイバーシティ(多様性)とはどういうことなのかを理解してもらえる場合が多いと松崎氏は言う。言葉で理解することはとても重要だが、その次の一歩が更に重要なのだ。誤解を恐れずに言えば、目隠しをすると、年齢、性別、外見、障がいの有無などに対する偏見は、かえって目が見えることによって助長されている面があることにも気づくかもしれない。
今週は五輪開催を目前に控え、ブラインドサッカーを入り口にパラスポーツの魅力、パラリンピック開催の意義や障がい者に対する構えなどについて松崎氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。