エネルギーの地産地消目指す
世田谷区長
1955年宮城県生まれ。都立新宿高校定時制中退。教育ジャーナリストを経て96年衆院初当選(社民党)。当選3回(比例東京ブロック)。2009年総務省顧問。11年より現職。著書に『NO!で政治は変えられない―せたがやYES!で区政を変えた8年の軌跡』、共著に『こんな政権なら乗れる』など。
世田谷区の保坂展人区長は、新型コロナウイルスの流行が始まった2020年春、PCR検査を通じて感染源を特定することの重要性を痛感すると同時に、現行の体制では保健所が早晩パンク状態に陥ることを予想した上で、民間の検査機関なども活用しながら独自に高齢者施設などを対象とする「社会的検査」の実施に踏み切った。これは高齢者施設や介護施設などを順次定期的に検査する定期検査と、感染者が出た施設は濃厚接触者に限定せず全入居者と全職員を検査する臨時検査の2本だてからなるもので、「いつでも、どこでも、何度でも」を合言葉とする「世田谷モデル」と呼ばれた。
しかし、保坂区長がこの方針を打ち出した当初、感染症の専門家やマスメディアからの激しい批判に晒されたという。専門家たちは口を揃えて「無症状感染者を検査しても意味が無い」といい、メディアは「そんなことをしていたずらに陽性患者数を増やせば、医療崩壊を引き起こして取り返しがつかないことになる」と騒ぎ立てたという。
それでも世田谷区では社会的検査を続け、今年の7月6日までに定期検査を1万4,135人を対象に、臨時検査を8,694人を対象に実施した結果、122人の陽性患者を割り出している。高齢者施設や介護施設で見つかったこの122人は、もし世田谷区の社会的検査が行われていなければ、高齢者が多く滞在する施設内でクラスターを生じさせ、大惨事を引き起こしていた可能性があった。
昨年春の段階では保健所経由で行われる国主導のPCR検査は、基本的に機械化されていない手作業の検査で、処理のキャパシティが厳しく限定されていた。しかも、当初は後に世田谷区からの働きかけなどによって解禁される「プール方式」の検査も認められていなかった。そのため、「世田谷モデル」のような「いつでも、どこでも、何度でも」を実現できるような大規模な検査を支えることは到底難しかったのだ。その一方で、当時から民間には一度に大量の検体を検査する機械化された設備を持つ機関がいくらでもあったが、感染症は厚労省と国立感染症研究所の専権事項であり、長年にわたりその聖域とされてきたため、そもそも感染症の検査を民間に出すという発想自体が存在しなかった。
安倍首相が記者会見の場で「検査を増やそうと努力をしているが、どこかに目詰まりがあって増えない」と不思議がっていたが、世田谷区が民間の検査機関を利用した結果、検査件数は容易に増やすことができていたのだ。
ワクチン接種を巡っても、世田谷区と東京都、厚労省の間には様々な行き違いが生じている。菅首相の「とにかく打ちまくれ」の号令の下、当初の予定を大幅に超える数のワクチンを職域接種に回してしまったため、元々自治体に回ってくるはずだったワクチンに欠品が出始めているのだ。現時点ではまだ世田谷区では問題は顕在化していないようだが、今後、既に受け付けた予約分の接種を打てなくなる自治体が続出する可能性が出てきている。
コロナ対策は日本の中央と地方の歪な関係をあらためて浮き彫りにした。中央で決めたことを一律に地方に押しつけるやり方が限界に来ているのは明らかだった。そもそも日本は人口当たりの公務員の数が主要先進国の中で最も少ないが、特に日本は国家公務員の数がとびきり少ない。人口あたりの国家公務員数は、中央集権国家の日本の方が、連邦制を敷くアメリカやドイツよりも遙かに少ない。その少ない国家公務員に莫大な権限と財源(税収)が集中しているのが日本なのだ。そして、過去25年にわたり官邸に権限を一極集中させてきた結果、その莫大な権限をほんの一握りの官邸官僚が差配している。
コロナ対策はその体制の限界を示しているのではないか。コロナはまた、世田谷区のように首長が独自のイニシアチブを取り、国と折衝に当たれる自治体と、そうでない自治体で大きな差が出ることをも露わにしている。
今週のマル激では保坂展人区長と、PCR検査の世田谷モデルの経験や、ワクチンで国に振り回された経験などを通じて見えてきた「目詰まり」や「政府の機能不全」の正体について、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。