1970年大阪府生まれ。94年東北大学工学部卒業。98年同大学院国際文化研究科修了。2005年弁護士登録。12年ライフパートナー法律事務所を設立し代表に就任。専門は過労死・過労自殺などの労働問題や自死遺族の法的支援。自殺対策全国民間ネットワーク幹事、自死遺族支援弁護団事務局長を兼務。現在 、厚生労働省「自殺総合対策の推進に関する有識者会議」委員。著書に『自殺問題と法的支援 法律家による支援と連携のこれから』など。2020年より、松丸正弁護士とともに故赤木俊夫氏の妻・雅子氏の国と佐川宣寿元財務相理財局長を相手どった損害賠償請求訴訟の代理人を務める。
幼稚園児に教育勅語を暗唱させ、新たに申請する小学校の名前を安倍晋三記念小学校と名付け、現職の首相の妻を名誉校長に迎えるなどして話題をさらっていた学校法人森友学園が、豊中市に国有地をただ同然で取得していた疑惑が持ち上がり、国会で追及されるなどして政治問題化したのが、いわゆる森友学園問題だった。
これは交渉の経緯を綴った公文書が改ざんされていたり、すったもんだの末やっと公開された真正の交渉記録も黒塗りだらけだったり、カギを握るとみられる財務省の佐川宣寿元理財局(国有財産を管理する部署)長が証人喚問で刑事訴追の恐れを理由に肝心の部分の証言を拒否するなどしたために、事件の真相、とりわけ公文書の改ざんを指示した最終的な責任者が誰だったのか、例えば、佐川局長に首相官邸、とりわけ当時の菅官房長官(現首相)から改ざんの指示が出ていたのかどうかといった「疑惑」については、依然として闇に包まれたままだ。どうやら佐川氏が真相を墓場まで持って行くと心に決めていることに加え、当時黒川弘務氏の影響力下にあった検察が、真剣に事件を掘り起こそうとしなかったため、今のところこれ以上真相が明らかになる可能性は期待できそうにない。
しかし、交渉過程を隠蔽する目的で行われた文書改ざんの過程で、公文書の改ざんという違法作業を無理矢理強いられた近畿財務局職員の赤木俊夫さんが、それを苦に自殺に追い込まれたという事実は、疑惑でも何でもない、紛れもない事実だ。森友問題はついつい「アベガー」、「スガガー」といった方向に行きがちになるし、実際に彼らの責任が重いことは論を俟たないが、「なぜ赤木さんが自殺に追い込まれなければならなかったのか」や、「どうすれば赤木さんを死なさずに済んだのか」といった論点が、ついつい大きな政治問題の中で見落とされがちになる。
そこで今週のマル激では、赤木さんの自殺の真相を明らかにすべく、国と佐川氏を相手取り損害賠償訴訟を起こしている俊夫さんの妻・雅子さんの代理人を務める生越照幸弁護士をゲストに招き、赤木雅子さんや、俊夫さんの主治医だった精神科医の岩井圭司医師などへのインタビューも交えながら、何が俊夫さんを自殺に追い込んだのかや、どうすれば俊夫さんを死なさずに済んだのかなどを考えた。
元々森友学園との交渉を担当していたわけではなかった赤木俊夫さんが、文書の改ざん作業に駆り出されたのは2017年の2月26日のことだった。安倍首相が国会で「私や妻が関与していれば総理も議員もやめる」と大見得を切った9日後のことだ。
当初俊夫さんは改ざん作業に抵抗し、強く抗議する姿勢を見せたが、財務省本省は俊夫さんの直属の上司なども通じて俊夫さんを説得し、最終的には俊夫さんは改ざん作業に駆り出される。一見、大人数で改ざんが行われる集団に俊夫さんも駆り出されたかのように受け止められがちだが、その実態は俊夫さんだけが改ざん作業を強いられ、上司は俊夫さんに命じるたけで実際の改ざん作業には手を染めていなかった。また俊夫さんは後輩にはこんなことはやらせてはいけないと考え、自分一人で違法行為の汚名を背負った。結果的に俊夫さんが違法行為の「実行犯」となった。
実際の改ざん作業は2月26日から4月13日にかけて約10回にわたり行われ、交渉過程を記録した文書に記されていた安倍昭恵さんやその他の政治家の名前が消された他、そのような政治的な理由から森友学園が厚遇されたと受け止められる表現はことごとく消去された。改ざん、改ざんといっても、要するに政権にとって都合の悪い文章をことごとく消す作業だった。
その間、俊夫さんは会計検査院や検察に対しても嘘の証言をさせられた。また、その間、近畿財務局では人事異動があったが、森友問題に関わった職員は俊夫さん以外は全員が別の部署に異動になったにもかかわらず、改ざん作業を強いられた俊夫さんだけその部署に残された。それ以降、俊夫さんは孤立無援の状態となった。
雅子さんによると、改ざん作業が始まってから(雅子氏は作業の内容が文書の改ざんだったことは自殺の直前まで知らされていない)俊夫氏の精神は「みるみる壊れていった」という。そして3ヶ月後の7月17日、俊夫さんは自宅近くの精神科を訪れ、うつ病と診断される。
この日から自殺する翌年3月まで、ほぼ2週間おきに俊夫氏を診断してきた精神科の岩井圭司医師は最初の見立てで、公務員としてのアイデンティティが強く、遵法精神や規範意識が強い俊夫氏が何か倫理的な葛藤を抱えている可能性が高いと感じたと言う。しかし、俊夫氏から岩井医師に改ざんの事実が明かされることは最後までなかった。ただ、俊夫さんのうつの原因について岩井氏は、「パワハラとか単に仕事が多いというのとは少し違うという印象を受けた」とも言う。
これは後に公開された手記などで明らかになるが、元々自分の手帳に公務員倫理規定を貼り付けて持ち歩くほど正義感や倫理観の強かった俊夫さんは、文書の改ざんをさせられたことをことさらに重く受け止めており、雅子氏には「公務員として許されないことをやってしまった」「内閣が吹っ飛ぶような大変なことをしてしまった」などと話していたという。だが、俊夫氏は文書改ざんの事実は朝日新聞が報道するまで、雅子氏にも打ち明けなかったという。
多くの事件で自死遺族の代理人を務める生越照幸弁護士は、近畿財務局が改ざんの事実を俊夫さん一人に押しつける形になったことをとりわけ問題視する。事の重大性故に誰にも相談できないまま、俊夫さんは追い込まれていった可能性が高い。
岩井氏は、俊夫さんのうつ病のストレサー(ストレス要因)が職場絡みであることは明らかだったので、病欠で職場から引き離すことが重要と考えていたが、近畿財務局側から委託を受けた産業医はそうは考えておらず、早く職場に戻そうとしていた。それも俊夫さんには大きなストレスになっていたと岩井氏は言う。
生越氏は日本では職場うつなどに対応する際、患者を診ている主治医と会社側から雇われている産業医の間で意見を調整する仕組みが存在せず、患者の実際の容体を正確に把握できていない産業医が会社に的外れなアドバイスをすることで、かえって状況を悪くしているケースが多いと指摘する。
さらに岩井氏は、2017年11月病気休暇中だった俊夫氏に検察が接触してきたことが、俊夫さんにとって大きなストレスになったとして、これを問題視する。検察から俊夫さんへの事情聴取に関する問い合わせの是非を尋ねられた岩井氏は、うつ病には不意打ちが一番よくないので、挨拶程度にとどめるよう口を酸っぱくしてお願いしていた。しかし、俊夫さんが病気休暇に入って約4ヶ月目の11月25日、検事は俊夫さんに直接電話をかけ、20分も事情を聞いたという。「20分は挨拶ではない。まさに不意打ちになってしまった。あれだけ言ってあったのに残念でならない」と岩井氏は悔やむ。
組織ぐるみで籠絡させられ、自らの意に反する違法行為を強いられ「実行犯」にされ、ただ一人問題の部署に残される人事が行われた。これは典型的なパワハラ以外の何物でもない。また、組織内で違法行為を目撃した場合、それを通報しても自分が不利な扱いを受けずに済むことを保障する「公益通報者保護法」というものが日本にも存在するはずだが、俊夫さんがこれを利用するためには、財務省本省の通報窓口に話を持ち込まなければならない。本省の理財局長、いや場合によっては更にそれよりも高いところで意思決定された「改ざん」を、役所の一部所に過ぎない通報窓口に持ち込んだ時に、果たして正当な扱いを受けることが期待できると俊夫さんが考えられただろうか。ましてや、検察や警察に持ち込むことは、自分が実行犯でもある俊夫さんにとって、それは「自首」を意味する。
人よりとびきり倫理観や規範意識が強かった俊夫さんは、自らの意思に反して公文書の改ざんという公務員にあるまじき違法行為を強いられ、「自分がもっとも大切にしていたものを汚されてしまった」(岩井医師)。そして、事の性格ゆえに職場でも家庭でも、そして精神科医にさえそのことを相談できず、一人で悩みを抱え、最後は自らの命を絶ってしまった。その間、俊夫氏を支えるべき日本の労働医療のシステムや公益通報などの法制度はあまりに脆弱だったといわざるを得ない。
俊夫さんの場合は特殊な事情もあるが、それでも似たような職場に起因するストレスが原因で、最終的に自殺に追い込まれている人の数は枚挙に暇が無い。また、自殺に至らずとも、重篤なうつ病に悩む人も多い。森友学園問題がこれだけ全国的に注目を浴びる事件になったのなら、俊夫氏を支えきれなかった制度の弱点や欠点を徹底的に見直し、新たな対応を考えることで、俊夫氏と同じような辛い経験をしなければならない人を一人でも減らすことこそが、森友学園問題のもう一つの真相に迫ることにつながるのではないか。
赤木雅子氏代理人であり、自殺対策全国民間ネットワークの幹事や、自死遺族支援弁護団の事務局長を務め、現在 、厚生労働省「自殺総合対策の推進に関する有識者会議」の委員も兼務する生越弁護士と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。