安倍・菅政権のコロナ対策はどこに問題があったのか
東京大学大学院法学政治学研究科教授・内科医
1974年東京都生まれ。2000年東京大学医学部卒業。医学部在学中の1998年司法試験合格。04年東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。東大病院、日本赤十字社医療センター循環器科勤務医、東北大学大学院法学研究科准教授、東京大学大学院法学政治学研究科准教授などを経て、17年より現職。現在、東京都健康長寿医療センター勤務医(循環器内科)も兼務。専門は民法・医事法。著書に『医事法講義』、共著に『生命科学と法の近未来』など。
欧米諸国で新型コロナウイルス感染症が猛威を奮うのをよそ目に、日本では中国や韓国などとともに過去半年の間、世界中が羨み不思議がるほどコロナ感染症の流行が抑えられていた。特に日本がこれといった対策を打っているわけではないにもかかわらず、感染者数はアメリカの100分の1、人口あたりで見てもアメリカやフランスの30分の1から50分の1程度しかコロナの感染は広がらなかった。この事象に対する決定的な説明はまだなされていないが、最初はキスやハグの習慣がないことや手洗い、うがい、マスクを着ける習慣があることなどが取り沙汰されたのを皮切りに、感染者数の欧米との差が広がるにつれ、家の中で靴を脱ぐ習慣があるからとか、BCGの接種率が高いこと、しまいにはネアンデルタール人のDNAの有無まで引き合いに出されるなど、未だに諸説が乱れ飛ぶものの、東アジアの諸国でコロナの感染者数が極端に低く抑えられている本当の理由はわかっていない。理由はわからないが何らかの理由で感染が抑えられているという意味で、科学者たちでさえ「ファクターX」などというミステリアスな表現を使わざるを得なくなっているようだ。
しかし、である。理由は定かでないものの、そのような幸運、いや天運に恵まれながら、その間、日本は一体何をしてきたのだろうかと思わずにはいられない。11月に入り日本でも都市部を中心にコロナの感染者数が増加に転じ始めた。すると、感染者数でも重症者や死者の数でも、半年前のピーク時とさほど変わらないレベルであるにもかかわらず、早くも医療逼迫や医療崩壊の危機が騒がれる事態となっているではないか。欧米の100分の1程度の感染者数で医療が逼迫してしまうほど日本の医療体制が脆弱なのだとすると、もしファクターXの効力が切れ、日本でも今の欧米並の感染爆発が起きたら、日本は一体どうなってしまうのだろうか。
今年3月から4月にかけて最初にコロナの流行が始まった時、日本では専門家会議の尾身副座長が何度もテレビに出てきて、お馴染みのグラフで現在の状況を説明していた。それは、今のペースで感染者が増えつづければ、早晩医療崩壊が起き、本来は助かるはずの命も助からなくなってしまうことを示すグラフだった。そのため、行動制限によって感染者数の上昇カーブをより緩やかなものに抑え込むと同時に、同時進行で医療のキャパシティを強化することで、感染者が増えても容易に医療崩壊が起きなくすることが重要だという趣旨だった。そのような専門家と安倍政権の説明に基づいて実施された小中高等学校の一斉休校や緊急事態宣言に基づく経済活動や移動の制限要請に対して、われわれ日本人は世界が驚くほど従順に、これに従った。あくまで「自粛」なのだからと言って要請に従わない者に対しては、自粛警察なるものまで登場した。
そして半年が過ぎ、国をあげての自粛の甲斐もあって下火になっていた感染者数が、GOTOトラベルなどの施策と相まって再び増加に転じたかと思うと、早くも医療逼迫が叫ばれている。これではまるで、われわれ国民は色々な我慢を強いられたり、辛苦を舐めさせられても、従順に政府の言うことを聞いてきたのに、肝心の政府がその間、本来すべきことをサボっていたために、また話が元の木阿弥になっているとしか思えないではないか。
言うまでもないことだが、一時的にロックダウンをしようが何をしようが、コロナを完全に撲滅するまでロックダウンを継続しない限り、経済活動が再開されればいずれまた感染者数が増加に転じることは最初からわかっていたことだ。しかし、われわれは世界に冠たる自粛や個々人の予防策の実施、そして多分ファクターXなるもののおかげで、半年近くの猶予をもらった。その間、医療のキャパシティが十分に強化されていれば、アメリカの100分の1の感染者が出たくらいのことで医療崩壊を恐れなければならないような事態は避けられたはずだ。
医師でありまた法学者でもある東京大学法科大学院の米村滋人教授は、医療の逼迫を理由に大規模な行動制限措置を導入することには否定的だ。なぜならば、日本の医療逼迫の最大の原因は、日本の医療体制とそれを巡る法制度に問題があるからであり、医療体制が問題を抱えたまま単に行動制限を導入しても、国民に大いなる負担や辛苦を強いる一方で、根本的な問題は何も解決されないからだ。要するに問題の本質に手を付けなければ、単に国民の苦労と時間の浪費が繰り返されることになる可能性が大きいのだ。
実は日本は人口当たりの病床数が群を抜いて世界で一番多い国だ。だから、本来その日本で、この程度の感染者が出ただけで医療が逼迫するなどあり得ないことのはずだ。しかし、病床数は多いが、ICUの数では狭義に定義したICUでは日本はドイツやアメリカの5分の1以下、早晩医療が崩壊してコロナの感染爆発が起きたイタリアよりも少ない。広義に定義したICUを含めても、日本のICUの数は世界の中で決して多い方ではない。
平時には潤沢すぎるほど病床数を抱える日本は、感染症の爆発などが起きた有事には、通常の病床をICUに転換する必要が出てくる。しかし、現在の医療法では都道府県は医療機関に対して病床の転換やICUの設置、感染症患者の受け入れなどをお願いすることしかできないのだと米村氏は指摘する。しかも、日本は欧米と比べると公立の医療機関よりも民間の医療機関が圧倒的に多いため、コロナ患者を受け入れることで従来の患者を失い、結果的に経営が圧迫される可能性がある民間の医療機関は、政府からお願いをされてもコロナ患者を受け入れようとはしないのだと米村氏は言う。
結果的に今日本では、強制はされなくても「義侠心や使命感」(米村氏)からコロナ患者の受け入れを決めた一握りの医療機関にコロナ感染者が集中し、そこだけで「医療の逼迫」や「医療崩壊の危機」が起きているのだと米村氏は言う。政府に医療機関に対してコロナ感染者の受け入れを強制する法的な権限はなく、また民間や地域レベルでそうした受け入れ病院を調整する仕組みもほとんど存在しないために、方々で通常の病床は沢山空いているのに、コロナ患者が必要とする設備を備えたICUなどは実際に不足しているのだ。
コロナの流行が始まった当初、病床の転換が後手に回り、一時的に医療逼迫が起きるというのは無理からぬことかもしれない。しかし、コロナの第一波からもう半年以上が経つ。コロナの登場からはもう一年が経とうかという現段階においても、依然として1日3000人程度の新規感染者しか出ておらず、重症患者はその中のほんの僅かという状態で、世界で最も多くの病床を持つ日本が医療崩壊の淵に瀕している最大の理由が、そのような制度面の不備にあることが、なぜこれまで放置され、ほとんど指摘されてこなかったのだろうか。
医療機関が政府の介入を嫌う理由はわからなくはない。病床の転換のような、ある程度の専門性を要する判断は専門家に任せて欲しいという主張もあり得るだろう。また日本では日本医師会のような政治力のある団体が政府や自民党と伝統的に強い結びつきを持ち、影響力を行使しているのも恐らく事実だろう。しかし、アメリカの100人の1の感染者数で世界一の病床数を誇る日本の医療が崩壊の淵に瀕しているとすれば、今後アメリカの半分、いや10分の1の感染者が出た時に日本でどんな悲劇が起きるかは、想像に難くないはずだ。
ギリギリまでGOTOなどで国民の人気を取っておいて、最後は自粛要請で国民に負担を押しつけるようなことを繰り返すのではなく、手遅れになる前にそろそろ本気で制度面や法律面での体制作りにとりかかるべきではないだろうか。
今週は現役の医師にして法学者でもある米村氏と、これまでの日本のコロナ論議で抜け落ちている重要なポイントを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。