日本は難民を受け入れない国から難民を送り返す国になるのか
元入国管理局職員、未来入管フォーラム代表
情報公開をテーマにお送りするディスクロージャー・アンド・ディスカバリー。今回は名古屋入管施設に収容されていたスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが死亡した事件で、彼女の死亡原因を知りたいとする遺族に対して一向に情報公開が進まない理由と、死亡事故や死亡事件に際して行政情報が開示されにくくなっている現行制度の問題点を取り上げる。
ウィシュマさんの死亡に対して遺族が起こした国家賠償請求の裁判では、すったもんだの末、今週になって国がウィシュマさんが映っている収容施設の監視カメラ映像を証拠として提出する意思を名古屋地裁に伝えてきた。しかし実際に証拠提出されるのは、遺族側が求めている295時間分の映像のうち5時間分だけだ。また、遺族らが入管に対して行った情報公開請求に対しても、昨年8月、膨大な量の全面が真っ黒に黒塗りされた文書が開示されただけだった。入管は非開示の理由を「保安上の問題」としているが、実は、現行の法制度の下では、行政機関は個人が特定できる映像や文書は「個人情報」であることを理由に簡単に非開示にできるようになっているところに問題の本質がある。
情報公開法第5条1号に書かれている「個人情報」の範囲は、非常に広い。例外的に公開できる個人情報は、「公開が慣行になっている情報」と「公開することで人の生命を守ることができる情報」、「公務員の職務に関わる情報」の3種類に限定されている。しかも、3つ目の「公務員の職務に関わる情報」というのは公務員の肩書きと職務内容までで、氏名すら公開対象にはなっていない。身内を事故などで失った遺族が、もっぱら真実を知りたいとの思いから情報開示を求めても、個人情報を理由に行政からはほとんど情報は開示されない。これは行政機関が事故の原因などを調査した場合も、その調査結果が遺族にさえ開示されないことにつながる。
情報公開制度というものは、誰に対しても同じ情報が公開される制度でなければならない。相手によって行政の裁量で情報が開示されたりされなかったりすれば、情報公開制度の根幹が揺らぐ。それはつまり、遺族だからという理由で特別に情報が開示されることがないことを意味する。そのため遺族などの当事者や関係者への情報開示については、情報公開法とは別の枠組みで考える必要がある。本人が自分の個人情報を開示するよう求める権利は個人情報保護法に設けられているが、しかし同法に基づく個人情報の開示は「生存する」個人に関する情報に限定されている。つまり現行の法制度の下では、本人が死亡している場合、情報公開法でも個人情報保護法でも個人が特定される情報は開示されないようになっている。ウィシュマさんが映っている収容所内のビデオ映像は、ウイシュマさんという個人が特定されるため、情報公開法では個人情報扱いとなり、個人情報保護法上はウィシュマさん自身が死亡しているので、いずれも現行制度の下では開示の対象とはならないのだ。
個人情報は守られなければならないが、それが結果的に政府にとって不都合な情報を開示しないための隠れ蓑となり、事故や事件の真相究明や当事者の救済を阻んでいるとすれば問題だ。結局、求めている情報が情報公開制度を通じて入手できないことを知った遺族は、刑事告発や国賠請求という裁判に訴えることによって「証拠」という形で情報の開示を求めるしかない。これはウイシュマさんの事件に限ったことではなく、死亡事件や事故、いじめ自殺などが起きるたびに、被害者や遺族と行政機関の間でたびたび表面化する問題だ。
森友学園の公文書改ざんを巡り自殺に追い込まれた赤木俊夫さんの事件も、妻の雅子さんが夫が自殺に追い込まれた原因を知りたい一心で、今最後の手段である刑事裁判に訴えることで何とか情報開示を実現しようとしている。1985年に起きた日航機事故では事故の真相を知りたい一心で遺族たちが日本航空やボーイングの整備担当者などを刑事告発したが、全員不起訴となり情報公開は実現しなかった。
ウィッシュマさんは行政機関の管理下で死亡している。これは厳然たる事実だ。入管の収容施設で何が起き、どんな対応がなされたのかについて、行政が説明責任を負っていることは言うまでもない。もし現行制度の下で説明責任が果たされないのであれば、制度変更や新たな枠組みが必要だ。事件や事故の際に遺族の前に立ちはだかる情報公開の壁の実態と問題点について、情報クリアリングハウス理事長の三木由希子とジャーナリストの神保哲生が議論した。