政府が進めるデジタル化が、誰のため、何のためのデジタル化なのかを情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子氏とジャーナリストの神保哲生が議論した。
日本はそもそも行政情報のデジタル化が全般的に遅れていることに加え、デジタル化の目的が行政の効率化ばかりに重点が置かれ、行政の透明化を進めるためのデジタル化という考えが弱い。そのため、既にデジタル化された行政情報でも、情報公開請求をするとすべて紙で提供されたり、デジタルコピーの代金が紙のコピーよりも割高になったりするなど、デジタル化による本末転倒なことが多く起きている。政府はデジタル化の重要性を叫ぶが、その目的の中に行政を市民社会に対してよりオープンで透明なものにすることで、市民が情報公開を利用しやすくするという視点が根本から欠けているといわざるを得ない。
2019年にデジタル手続法が成立し、行政手続は原則オンラインで行われることになった。さらに、政府が掲げる「デジタル社会形成のための基本10原則」の最上段に「オープン・透明」が記されている。これを見る限り、政府が進める情報公開のデジタル化は行政をより透明にすることに主眼があるかのような印象を受ける。しかし、驚いたことにここでいう「透明」とはオンラインツールを導入するにあたっての透明性を意味するもので、そこには政府や行政の透明性を高めるという意味合いは含まれていないのだという。オンライン化というデジタル化は今後も推進されていくが、それが自動的により透明性の高い行政の実現につながるわけではない。
今回政府が進めているデジタル化は、2002年に行政手続オンライン化法が成立し、デジタル化が推進されたが、あまりにも使い勝手が悪く、ほとんどデジタル情報が利用されずに大失敗に終わった苦い経験を踏まえ、実際に利用されるデジタル化を目指すというもの。逆に言うと、日本のデジタル化はまだそのレベルの、つまり使い物にならないものしか作れていないという初歩的な課題を抱えている。2002年から始まったデジタル化は、莫大な予算をかけながらほとんど利用されなかったため、何と会計検査院からクレームが付き事実上ゼロからやり直しになった。
三木氏によると、この時行われた行政情報のデジタル化は、利用者が役所ごとに異なるアプリケーションをダウンロードしなければならず、しかも別々にダウンロードしたアプリケーションが相互に干渉してまともに動作しないなど、考えられないレベルの欠陥があった。そのため、紙を使えば5分で済む作業にオンラインでは1時間もかかってしまうような状態で、遂にはほとんど誰も利用しなくなったという。
会計検査院から2009年に、政府のデジタルシステムを停止させるか、もしくは費用対効果に見合った簡素なものに改良するかの二択を求める監査報告が出された時、多くの省庁は前者、つまりシステムを停止させる選択をした。結果的に2002年に始まった行政の第一次デジタル化は2013年には事実上頓挫してしまった。現時点で行政機関でデジタルシステムを採用しているのは事業目的の利用が多い国交省と厚労省に加えて宮内庁、内閣法制局だけだ。
再チャレンジとなる2019年のデジタル手続法に基づく行政情報のデジタル化が、今度どのようなものになっていくのか、実際に使ってもらえるようなシステムを作ることができるのかが注目される。
デジタル化については、行政情報のデジタル化もまだそのような体たらくだが、政治情報のデジタル化にいたっては、さらに目を覆いたくなるような状態が今も続いている。例えば、政党助成金や選挙運動費用の報告書などは公開されているが、「閲覧」しか許されていないため、利用者は閲覧したデータを自分の手で書き写さなければならない。コピーも撮影も許されていないのだ。オンラインで閲覧する場合も、わざわざ印刷やダウンロードができない設定になっている。公開情報であるにもかかわらず、データのコピーもダウンロードも許さず、利用者に人力で書き写させることに一体何の意味があるのだろうか。
社会のデジタル化が声高に叫ばれるが、事ほど左様に行政や政治情報のデジタル化、そしてそのオープン化はお寒い状態のままだ。一体全体誰のための、何のためのデジタル化なのかを今あらためて考える必要があるだろう。