国がパンデミックに襲われた時、政府が行う感染症対策の多くは休業要請や外出制限など国民に大きな犠牲を強いるものとなる。自ずとその対策の根拠となる科学的データの公開が不可欠だ。国民に多大な犠牲を強いる以上、そこに透明性が求められることは論をまたないだろう。政府が科学的な根拠もなく思いつきで打ち出した感染症対策で国民を振り回すようなことはあってはならない。
第10回のディスクロージャーでは感染症に関する政府の情報公開の問題を取り上げ、新たに立ち上がる感染症対策の研究機関や政府の意思決定における情報公開のあり方を議論した。
今国会では新たに2つの感染症対策の組織が設立されることが決まった。1つが9月1日に内閣官房内に設置される内閣感染症危機管理統括庁、もう1つが2025年度に創設予定の国立健康危機管理研究機構、いわゆる「日本版CDC」だ。後者はもともと感染研として知られる国立感染症研究所と国立医療研究センターの2組織を統合し、法人格を政府100%出資の特殊法人に改組したもので、そこに政治の意思決定の根拠となる科学的なデータが蓄積、研究されることになる。
現行法の下では感染研は厚労省傘下の行政機関で、そこで扱われる文書はすべて公文書管理法の定めに従うことが前提となっている。当然、それは情報公開法の対象でもある。しかし、感染研についてはこれまでも研究データがファイル管理簿に記載されていないなど、公文書管理や情報公開面で多くの問題が指摘されてきた。ところが今回の法改正で、感染研が新たに特殊法人化されると、公文書管理や情報公開が以前にも増して後退する懸念がある。特殊法人は行政機関に比べて公文書管理法上の基準が甘いため、本来あるべき研究データの情報公開を請求しても、文書自体が不存在とされてしまう可能性がより大きくなるからだ。
なぜ感染研は国民に犠牲を強いる根拠となる研究データや判断基準の元となった情報の公開に後ろ向きなのか。情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子氏は、感染研はできるだけ情報を出さないことで組織の権威を維持しようとしているのではないかと指摘する。実際、感染研を含む日本の公的研究機関の多くは欧米諸国のカウンターパートと比べるとはるかに少ない人員と予算しか持たない貧弱な組織の場合が多い。そのため査読論文の数も比べものにならないほど少ない。自分たちの科学的な蓄積に自信がなく、広く公開して検証されるとさまざまな問題点を指摘される可能性が高いが、それでも権威を持って国民に命令を発しなければならなくなった時、その組織は情報を閉じることによって何とか権威を維持しようとする。しかし、いかなる意思決定も、根拠となる科学的データが公開されその正当性が検証されていなければ、国民の不信感を生むことは避けられない。
日本の感染症対策では研究機関の情報公開が不十分だったことに加え、政権内部の意思決定のプロセスにも問題が多くあった。安倍政権時にはコロナ対応を実質的に決定していたとされる「連絡会議」での議論が記録に残っていないことが問題となったが、結局、国民の生活に多大な影響を与えた全国一斉休校措置は、その根拠も決定に至る議論の過程も明らかになっていない。とりたてて根拠もなく単に首相の思いつきで実施された措置だった可能性が否定できないのは残念なことだ。
今回、法改正によって感染症に対応する新たな体制が作られることになるが、公文書管理や情報公開が前進しない限り、より理に適った対策を取ることも、また国民の信頼を得ることもできないだろう。われわれは新たな体制で情報公開が後退しないよう、厳しい監視の目を向け続ける必要があるのではないか。
情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子氏とジャーナリストの神保哲生が議論した。