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アフガニスタンで捕まって

(第491回 放送日 2010年09月11日 PART1:38分/PART2:60分)
ゲスト:常岡 浩介氏(ジャーナリスト)

 

 今春アフガニスタン北部のクンドゥズ州で取材中に武装勢力に誘拐され、5か月間の拘束の後9月4日に解放されたジャーナリストの常岡浩介氏が6日、無事帰国した。
 拘束中の生活について常岡氏は、彼を誘拐した武装勢力ヒズビ・イスラミの支配地域の民家に留め置かれ、粗食ながら毎日三度の食事は与えられ、手荒な扱いを受けることもなかったと語る。
 当初、タリバンに拘束されているとの報道もあったが、常岡氏は今回彼を拘束した勢力が、武装勢力ヒズビ・イスラミの一派であることはまちがいないという。それは、拘束当初、彼ら自身がヒズビ・イスラミであることを全く隠そうとはしなかったからだ。しかし、4月18日に日本大使館と電話で話した際、常岡氏は武装勢力側から「自分はタリバンに拘束されていると言え」と命じられたという。常岡氏はその際、日本語で自分を拘束しているのがタリバンではないことは伝えたというが、それ以来、兵士たちは自分達はタリバンだと主張するようになったと言う。
 常岡氏の見立てでは、今回の事件は、ヒズビ・イスラミの一勢力が、タリバンを名乗ることで日本政府から身代金を獲得する魂胆だったが、それがうまくいかなかったために、自分は釈放されたのだろうということだ。
 常岡氏はまた、氏の誘拐事件を首謀したラティーフ司令官はカルザイ大統領の側近の一人であるワヒドゥッラー・サバーウーン氏と昵懇の関係にあることを指摘した上で、自らの身分を偽って外国人を誘拐し、身代金をせしめようとするこの事件を、カルザイ政権の腐敗の象徴的な意味を持つものと指摘する。
 常岡氏によると、アメリカを後ろ盾とするカルザイ政権は、汚職の蔓延や治安維持の失敗などで統治能力を喪失しており、既にアフガニスタン全域の8~9割はタリバンの支配下にあるという。首都のカブールでさえ、大統領府や中心部は辛うじてカルザイ軍が掌握しているが、数キロはずれると、そこは既にタリバンの支配地域になっているという。
 実際に常岡氏自身も、拘束中いくつかの民家を転々をする中で、ヒズビ・イスラミの支配地域の住民の大半が、実際はタリバンを支持していることに驚いたという。その地域ではヒズビ・イスラミとタリバンは戦闘状態にあったからだ。
 アフガニスタンの人々がタリバンを支持する最大の理由は、カルザイ政権が侵略者であるアメリカ軍と協力していることにあると常岡氏は言う。そして、タリバンこそが唯一、異教徒の侵略者であるアメリカ軍を撃退する力を持っていると思われていることが、アフガニスタンの人々の広範なタリバン支持の根底にあるというのだ。
 無事生還したとはいえ、5ヶ月間も生死の境をさまようような経験をした常岡氏ではあるが、彼を拘束したヒズビ・イスラミもかなりいい加減な計画に基づいて誘拐を実行していたようだ。当初は身分を明かしておきながら、途中から急に自分達はタリバンだなどと言い出すあたりもやや滑稽だが、6月14日、「72時間以内に身代金を払わなければ殺害する」との最後通告を日本大使館に伝える電話の相手は、実際には日本大使館員ではなく毎日新聞の記者だった。要するに、最後通牒を伝える電話が、間違い電話になっていたということのようだ。
 武装勢力側のドタバタぶりが最も顕著に表れたのが、常岡氏がまだ拘束中の9月3日に、ツイッターで「i am still alive, but in jail.here is archi in kunduz. in the jail of commander lativ.」と英語でつぶやいた「事件」だった。日本では、拘束されているはずの常岡氏がつぶやけるはずもないので、その真贋が論争になったりしたが、実際は常岡氏を監視している兵士が新型の携帯電話を入手したので、その兵士にツイッターの使い方を教えてあげるふりをして、常岡氏がツイートしたものだったという。ヒズビ・イスラミの兵士たちは、英語は「ABCも読めない」(常岡氏)し、そもそもツイッターが何であるかも理解していなかったので、人質の常岡氏が監視役の目の前で、世界に向けて重要な情報を発信していることが全くわからなかったそうだ。
 アフガン情勢について常岡氏は、明らかにアフガン全土で人心を掌握しているタリバンが、アフガニスタンを支配することになるのは時間の問題であり、アメリカはタリバンには勝てないだろうという。
 00年にイスラム教に改宗、5度目となるアフガン取材中拘束にあった常岡氏に、拘束生活とアフガニスタンの現状を聞いた。

クジラ肉裁判から見えてきたもの

(第492回 放送日 2010年09月18日 PART1:53分 PART2:48分)
ゲスト:星川 淳氏(グリーンピース・ジャパン事務局長)

 

 「この裁判では日本の民主主義の質が問われている」。国際環境保護団体グリーンピースのクミ・ナイドゥ事務局長は、グリーンピース日本支部の職員が、調査捕鯨船乗組員による鯨肉の横領を告発する目的で、倉庫から鯨肉を持ち去った「鯨肉窃盗事件」の判決を前にこう語り、裁判の不当性を訴えた。しかし、6日、青森地裁は単純な窃盗事件として執行猶予付きの有罪判決を言い渡した。
 ナイドゥ事務局長が声を大にして訴える点は、そもそもこの裁判は捕鯨という国策を争点とする裁判であるがために、裁判自体が不公正なのではないかという疑問だ。
 「なぜ総額で5万円ほどの鯨肉の窃盗事件に、75人の捜査員が早朝乗り込んできて、事務所や職員の自宅を家宅捜査する必要があるのか」と繰り返しナイドゥ氏は首を捻る。実際に強制捜査に入った75人の捜査員の半分以上は、警視庁公安部の警察官だった。
 日本が政府の方針として続けている調査捕鯨が、国際的にもまた国内でも、大きく意見の分かれる問題であることは論を俟たない。また、グリーンピースという環境団体が、日本の捕鯨に反対する運動を展開してきたことも周知の事実だ。しかし、仮にそうだとしても、だからといってこの裁判がいい加減なものであったり、不公正なものであっていいはずはない。いやむしろ、そのような意見の分かれる問題だからこそ、司法はより慎重に公正を期す必要があった。
 グリーンピースの職員が運送会社の倉庫に侵入し、捕鯨船から送られる途中の鯨肉を無断で持ち出したことが、窃盗とされたが、その目的が鯨肉の横流しの告発にあったことは明らかだ。鯨肉を持ち出した直後にグリーンピースは記者会見を開き、その事実を公表しているし、その後、東京地検に鯨肉の横領を告発し、持ち出した鯨肉も証拠品として提出している。
 裁判では自ずと、別の犯罪を告発する目的で、犯罪行為の証拠を押さえるために倉庫から物品を持ち出すことが、果たして「単純な窃盗」という犯罪行為として罪に問われるべきなのかが、争われた。
 グリーンピース・ジャパン事務局長の星川淳氏は、この裁判では調査捕鯨という税金を投入して行われている、いわば公共事業で得られた鯨肉が、私的に流用されるという「鯨肉横流し疑惑」と、その告発のために倉庫に入り横流しが疑われる鯨肉を入手した「窃盗疑惑」の2つの行為を天秤にかけた場合、どちらを裁くことがより公共の利益に資するのかが、問われるべきだと主張する。実際、被告たちも公判でそのような主張を展開したが、裁判所はその2つを全く別の独立した事件として扱い、前者は「ろくに捜査もせずに」(星川氏)不起訴、後者は被疑者を26日間も勾留した上に大量の捜査員を動員して強制捜査まで行い、起訴・有罪の判断を下した。
 星川氏は問う。社会に不正や犯罪行為の存在が疑われる時、市民がその証拠を押さえる所まで行うことは逸脱した行為なのか。そうしたことは全て警察にまかせるべきなのか。「ではグリーンピースが通報すれば警察や検察は動いたのか」。
 星川氏は青森地検の取り調べの中で、検察官から「捜査機関さえ令状がなければできないことをNGOの分際でやったのは絶対に許せない」と言われたことを明らかにし、公僕であるべき警察や検察が、自分たちが、国民の上にいると勘違いしているのではないかと感じたという。政府も司法機関も、国が税金を使って行っている調査捕鯨に対して最大限厳しくあるべきであるのに、まったく逆のことが起きていると憤る。つまり、調査捕鯨という公共事業の中で行われている不正には非常に甘く、その不正を告発しようとした市民の行為には断固たる対応を取っているというのだ。
 また、判決では、グリーンピースが、検察に提出する前に証拠品である鯨肉を記者会見で公表した行為が、窃盗にあたると判断されている。同じ行為を行った場合でも、もっぱら検察に訴える目的であれば許され、それをメディアや社会に訴えると「不法領得」となり違法となるという裁判所の判断に、星川氏は疑問を呈する。警察や検察にとってはその方が好都合かもしれないが、善悪の判断の全てを警察や検察、そして司法に委ねる社会が、健全な社会と言えるのか。
 このように裁判の論点は多岐にわたるが、とは言え、この事件の背後に激しく意見が分かれる捕鯨をめぐる立場の対立があり、グリーンピースが反捕鯨団体であるという事実が、さまざまな形で裁判にも世論にも影響をしていることは無視できない。
 しかし、意外にも星川氏はグリーンピース・ジャパンは、捕鯨や鯨肉を食べることが文化であり、それが尊重されるべきものであることは認めていると言う。国際捕鯨委員会(IWC)でも、デンマークなどの先住民族に対して沿岸捕鯨を認めている。グリーンピースの主張は、実質的な商業捕鯨の疑いがかけられている、意図も目的も不明確な南極海での調査捕鯨はやめるべきというもので、もし日本が南極海の調査捕鯨を中止するのであれば、現在も日本が行っている沿岸捕鯨は尊重できると、星川氏は説明する。
 検察や裁判所の判断に疑問が投げかけられる事件が相次ぐ中、良くも悪しくもこの事件は、いろいろな意味で、今日の日本の司法の現状を映し出す鏡となった。と同時に、より大きな意味で日本の社会や民主主義がどうあるべきかを考えるためのヒントが、たくさん詰まっているのではないか。
 そもそもこの事件は単純な窃盗事件として裁かれるべきだったのか。捕鯨をめぐる対立を背景とするこの事件は、検察や裁判所によって公正な取り扱いを受けていたのか。あえて火中の栗を拾う形で5年前にグリーンピース・ジャパンの事務局長に就任し、今年11月に退任して屋久島に戻る星川氏と、グリーンピースという国際環境団体の日本支部のトップの立場から見た鯨肉窃盗事件裁判の顛末、日本の調査捕鯨問題、そして日本の民主主義の現状を議論した。

緊急特番・特捜検察は即刻廃止せよ

(第493回 放送日 2010年09月25日 PART1:56分 PART2:55分)
ゲスト:魚住昭氏(ジャーナリスト)、落合洋司氏(弁護士、元検事)

 

 ここ数年来、折に触れ問題視されてきた特捜検察による強引かつ恣意的な事件捜査が、ついに大きな社会問題となってしまった。
 最高検は21日、郵便不正事件で主任検事をつとめた大阪地検特捜部の前田恒彦検事を、証拠改ざんの容疑で逮捕した。厚労省の村木厚子元局長が無罪を勝ち取ったあの事件で検察は、早い段階で村木さんの無実を知りながら、証拠を改ざんしてまで無理矢理有罪にしようとしていた疑いが持たれているのだ。
 かねてからこの番組では、検察、特に特捜部の担当した事件の問題点、とりわけ検察が自ら描いたシナリオを無理矢理押しつけていく、人を人とも思わないような強引な捜査や、メディアと検察が一体となって事件を作り上げていく手法が、司法の正義をも揺るがしかねない重大な危険性をはらんでいることを指摘してきた。社会正義の体現者たる司法の正義が揺らぐことは、社会正義そのものが揺らぐことを意味するからだ。
 今回の「証拠改ざん」がもし事実だとすれば、これは検察にとって致命的なダメージとなる。多くの市民が、「検察が証拠を捏造するようでは、この先何を信じていいか分からない」との不安な思いを持っているはずだ。この際、徹底的に膿を出すべきだろう。しかし、その際に注意しなければならないことがいくつかある。それは、この事件が、前田恒彦という1人の検事固有の問題なのか、またこれは証拠の改ざんという個別の問題なのか、それとも特捜検察のあり方そのもの、そして引いては社会全体がこれまで特捜という存在とどう向き合ってきたかといった、本質的な問いに他ならない。
 1980年代に共同通信記者として検察を担当し、その後フリージャーナリストとして長年にわたり検察問題を取材してきたジャーナリストの魚住昭氏は、この事件はあくまで氷山の一角であり、前田検事は特捜検察の中では決して特別な存在ではないと話す。特捜が扱ってきた事件のほとんどが事実関係に首を傾げざる部分が多いもので、特捜はこれまでも自らシナリオを描いた上で、自白しない限りいつまでも拘留が認められる人質司法の手法などを駆使して、事実上多くの事件をでっち上げてきたというわけだ。
 元検事で自ら特捜の経験も持ち、現在、朝鮮総連本部をめぐる詐欺事件の公判で被告である緒方重威元公安調査庁長官の主任弁護人として前田検事と法廷で対峙してきた落合洋司弁護士は、特捜部の機能そのものに元々無理があると指摘する。検察本来の役割は、公判を担当する過程で、事件捜査を行った警察の捜査のあり方をチェックするところにある。しかし、特捜検察だけは独自の判断で事件に着手でき、自ら捜査、逮捕まで行う権限を持っている。検察の一部門である特捜が起訴した事件を、検察自身がチェックできるはずがない。特捜捜査だけは無理な捜査を行っていても、それがノーチェックでまかり通ってしまう構造的な問題があるというのだ。
 しかも、結果的に、それだけ強大な権限を与えられた特捜部では、特捜が動く以上は少しでも大きな事件にしたいという「ゆがんだ功名心」が働く。それが暴力的な取り調べで被告の人格を破壊して抵抗する気力を失わせたり、嘘の証言を脅し取ったりするような強引な取り調べや、今回のように証拠を改ざんしてまで「大物」を有罪にしようとする原因となっているというわけだ。
 そのような構造的な問題がある以上、検察の特捜部は廃止し、検察は検察本来の機能である警察のチェックや公判の維持に専念すべきではないかと魚住、落合両氏は言う。
 確かに問題がここまで大きくなった以上、この際検察、とりわけ特捜部制度は廃止も含めて根本から見直す必要があるだろう。しかし、その上で、もう一つ忘れてはならない大きな問題がある。それは、これまで裁判所は何をやってきたのかということだ。検察の捜査に重大な問題があったとすれば、なぜ裁判所はそのような問題のある捜査を容認してきたのか。特捜の捜査手法の問題は、特捜事件の裁判では毎回と言っていいほど被告側が主張していることだ。にもかかわらず、裁判所は検察の捜査のあり方を認め、そうした強引な捜査によって得られた供述の任意性、つまりその証言が無理矢理言わされたものではなく、自らの意思で語ったものであると認定し、検察のシナリオ通りに事件を認定してきた。その裁判所の姿勢が、特捜検事をして、多少強引なことをやっても、裁判所は大目に見てくれると思わせていたことは否めない。
 そして、決して忘れてはならないのが、メディアの問題だ。今回は検察の記者クラブに加盟する大手メディアまでもが、掌を返したように一斉に検察批判に転じているようだが、過去の特捜事件では彼らが、検察と一体となって検察側のシナリオを報じ、これを喧伝してきたのではないのか。検察問題の重要な一端がメディア問題であり記者クラブ問題なのだ。そして、特捜検察はそうしたメディア報道が醸成する世論の後押しを受けることで、自分たちが作り上げた事件の構図を既成事実化してきた。裁判所もそうした世論や空気の影響を受けた可能性は十分にあるし、実際に裁判官がメディア報道が裁判を歪めていると批判している判決もある。
 しかも、記者クラブメディアは懲りることを知らない。彼らはここに来て、前田検事を捜査している最高検の幹部や捜査担当者しか知り得ない情報を、次々と報道している。従来と全く同じ手法だ。検事が事件の証拠を改ざんしたかもしれないというショッキングな事件であっても、推定無罪の原則は揺らぐべきではない。どうもメディアは自分たちが問題の一部であることが、分かっていないようだ。
 今回の問題が、本質的には特捜検察の構造的な問題に端を発するとはいえ、歪んだ特捜の権限に集るメディアとそれに操作される世論、そして、そうしたことに抗えない裁判所の全てを巻き込んだ日本全体の問題であったことは忘れてはならないだろう。
 今週は緊急特番として魚住、落合両氏と、検察と特捜部の成り立ちを振り返りながら、特捜問題の本質とは何か、そして今変えなければならないことは何なのかを議論した。

船長の逮捕・釈放は中国の進路を誤らせる大失策

(第494回 放送日 2010年10月02日 PART1:47分 PART2:33分)
ゲスト:清水 美和氏(東京新聞論説主幹)

 

 尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した事件で、船長を逮捕・勾留した日本に、中国は強く反発した。船長を釈放したことでとりあえず中国の報復は収束しつつあるようだが、中国の国内事情を最もよく知る一人である東京新聞論説主幹の清水美和氏は、今回日本政府がとった行動は日中関係のみならず、今後の中国の国内政治や外交姿勢に大きな、そして恐らくネガティブな影響を及ぼすだろうと、その責任の重大さを強調する。今回の一連の出来事は、単なる日本外交の一失態として済まされる問題ではないと言うのだ。
 もともと尖閣諸島が日本固有の領土であることは国際法上疑いのないところではあるが、日中両国が領有権の主張しているため、日中間ではこれを「棚上げ」、つまり領有権問題は無理に決着させないまま、共同開発などの経済的関係を深める高度に政治的な手法が採られてきた。これは尖閣諸島を実効支配する日本にとっては有利な取り決めとも言えた。棚上げされている限り、日本の実効支配が続くことを意味するからだ。
 ここで言う棚上げとは、互いに軍事力や過剰な警察権などを行使せず、何か問題が起きれば実効支配する日本側は取り締まりは行うが、仮に中国人が逮捕されたとしても、外交上の配慮からすぐに強制送還することで、日本の国内法で処罰まではしないというものだった。対中強硬派だった小泉政権でさえも、中国人活動家が尖閣諸島に上陸した際、彼らを強制送還することで、国内法で処罰まではしていない。
 しかし、今回日本がこれまでの「棚上げ」を返上し、船長を刑事訴追する意思を明確に示した。これに危機感を覚えた中国は、これを日本の政策転換と受け止め、必ずしも事の重大さを理解していない日本側にとっては「過敏」とも思える報復に打って出てきた。
 89年の天安門事件を現地で取材、香港特派員、北京特派員、中国総局長を務めてきた清水氏は、今回の日本政府の対応は、日本が外交上の権威や尖閣諸島の実効支配という優位な立場を失ったことにとどまらない可能性が高いと言う。今回、形の上では日本がけんかを仕掛け、それに報復した中国に対して最終的に船長の釈放という形で屈服する形になった。これにより、今後ますます大国化していく中国の進路を誤らせる重大な契機を日本が作ってしまった懸念があると言うのだ。これを機に、中国の共産党内や中国国内に、今や強国となった中国はより強硬な対外路線をとった方が、より多くの国益を得ることができると主張する勢力が台頭してくる可能性が大きいからだ。
 現在中国は、南シナ海で領有権をめぐりASEAN各国と対立するなど、これまでにない強硬外交を展開し始めている。ただし中国国内にはこうした強硬路線を諫める勢力もあり、胡錦濤国家主席は必ずしも強硬外交一辺倒の立場ではなかった。しかし、今回の事件で、中国が強く出れば日本のような大国でさえ屈服させることができるという誤ったメッセージを、日本は中国政府や中国国民に見せつけることになった。このことが、アジアの軍事大国となり、経済成長を遂げ、これまでにない高揚感のただなかにある中国を、国力や軍事力を存分に使ってやっていけば良いという方向に向かわせることになったのではないかと、清水氏は懸念する。
 一党独裁の中国共産党は一枚岩と見られることが多いが、実際は歴史的にも党内闘争が激しく、胡錦涛政権の権力基盤も盤石とは言えない。今回、胡錦涛政権が、日本から売られた喧嘩を買い、激しい報復に出なければ、政権の権力基盤を揺るがしかねないほど、領土問題は一般の中国人にとっても、中国共産党にとっても、そのアイデンティティに関わる重大な問題だと清水氏は言う。
 胡錦涛政権は06年に、それまで5年間中断していた首相の訪中を受け入れ、その後日中共同声明を発表、尖閣諸島の領有権問題を棚上げにして東シナ海の共同開発で合意をするなど、対日外交の進展に前向きに取り組んでいた。しかし、この東シナ海の共同開発合意をピークに、中国国内で胡錦涛政権が日本に対して弱腰であることへの猛烈な反発が起き、一党独裁の中国共産党の最高指導者である胡錦濤氏をもってしても、対日強硬論を抑えることができなかったと清水氏は話す。
 こうした中国の複雑な国内事情を、菅政権はまったく分析できていないのではないかと、清水氏は指摘する。前述した中国の国内事情を考えれば、今、日本が国内法の拡大適用という形で領土問題をエスカレートさせれば、中国から猛烈な反発が起きることは、少しでも中国の政治を知るものにとっては常識だった。「政治主導」のために官僚から必要な情報が上がってきておらず、中国を少しでも知る人なら当たり前にわかることを踏まえないまま、政治決定が行われた可能性が高いと、清水氏は言う。
 たとえば、12日深夜に戴秉国(たいへいこく)国務委員が、丹羽駐中日本大使を呼び出したことに対して、仙石官房長官は深夜に大使を呼び出すとは失礼であるとして、「日本政府としては遺憾だ」と話している。しかし、戴秉国氏は胡錦濤氏の側近中の側近だ。彼が出てきたことには非常に重要な政治的な意味が込められており、中国もこの問題を決着させるために真剣であることを示そうとしたと考えるのが妥当だと清水氏は言う。また、中国では深夜、他の用事を気にしない時刻に相手に会うことは、親密さの表れだという文化がある。その程度の基本的な情報さえ、官房長官に上がっていなかったのではないかと清水氏は推測する。
 また、今回の事件発生直後には、他にも、中国から問題を大きくさせないための数々のシグナルが送られてきていたと清水氏は言う。しかし、日本はそのシグナルを受け止められる知中派が政権内にいないため、それを全て見落としてしまった。結果的に中国はそれを日本の政策転換と受け止め、船長の拘留が延長されたのを境に、激しい報復に出てきたということになる。
 今回の日本政府がとった行動が、中国からはどう受け止められていたのか、また、なぜ中国があそこまで強硬な姿勢をとったのかなどを、中国の政治事情や国内事情に詳しいジャーナリストの清水氏に聞いた。

巨人、逝く 小室直樹が残した足跡

(第495回 放送日 2010年10月09日 PART1:78分 PART1:29分)
ゲスト:橋爪大三郎氏(東京工業大学教授、社会学者)

 

 「近代とは何であるか」を問い続けた稀代の学者小室直樹氏が、先月4日、この世を去った。大学など研究機関に属さず、「在野」の研究者としてわれわれ一般市民に向けて語り続けた小室氏の功績は、余人をもってしても代えがたい。また、小室氏は、マル激の司会者宮台真司が最も大きな影響を受けた学者でもある。そこで今回マル激では、追悼特別番組として、小室氏のもとで学んだ社会学者の橋爪大三郎東京工業大学教授と宮台真司の両名とともに、小室氏の追悼特別番組をお送りする。
 橋爪、宮台両氏が師と仰ぐ小室直樹氏とは、いったい何者だったのか。一般には、1980年に出版した『ソビエト帝国の崩壊』でソ連崩壊を10年以上も前から正確に予測したことや、ロッキード事件で世間の大バッシングを浴びた田中角栄元首相を一貫して擁護する論陣を張ったことが広く知られている。
 しかし、小室氏を語る上で特筆すべきことは、非常に多岐にわたる学問を修めていることだと、橋爪、宮台両氏は言う。京都大学で物理学と数学を学んだ後、大阪大学大学院で経済学を学び、フルブライト留学生として渡米して当時の第一線の研究者のもとで、計量経済学、心理学、社会学を学び、帰国後は東京大学大学院で法学博士号を取得している。これらすべての学識を集めて、分析を行った。
 小室氏をここまで学問へと突き動かしたものは、小室氏が12歳で迎えた敗戦があると、橋爪氏は話す。敗戦時、まだ若い小室氏が「世界がガラガラと崩れたような感覚」を覚え、その後、敗戦の屈辱を噛みしめながら、近代の基本原則を熟知する以外に欧米諸国に対する捲土重来を果たせる手段はないと考えたことが、小室氏をもっぱら学問の道へと向かわせたという。
 小室氏は一貫して田中角栄を訴追した特捜検察や裁判所を批判したが、そこには高級官僚たちが「主人であるはずの市民を甘く見ている」ことへの怒りがあったと橋爪氏は言う。汗水垂らして働き、日本を支えている市民に民主主義を理解させ、ツールとしてその使い方を伝えることが、小室氏の仕事だった。「社会の構造への怒りを、学問で解決」(宮台氏)しようとした人生だった。
 小室氏の軌跡を辿りながら、いま起きている検察事件を小室氏はどう見るかを、小室氏の薫陶を受けた橋爪、宮台両氏とともに議論した。

なぜ今、生物多様性なのか

(第496回 放送日 2010年10月16日 PART1:58分 PART2:54分)
ゲスト:井田 徹治氏(共同通信科学部編集委員)

 

 ひとたび超えてしまったら二度と元には戻らない、生物多様性の「転換点」(tipping point)が明日にも、迫っているかもしれない。
 生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が18日から、名古屋市で始まる。この会議は国連が主催する大規模な国際環境会議としては昨年12月のコペンハーゲンのCOP15以来のもので、日本で開かれる会議としては、京都議定書が採択された1997年のCOP3京都会議以来最大のものとなる。
 しかし、地球温暖化会議と比べて、今回の生物多様性会議はメディア報道も低調で、一般市民の関心も必ずしも高いとは言えない。その背景には、そもそも生物多様性とは何なのか、またなぜそれを世界の国々が一堂に会して話し合わなければならないほど重要なのかが、十分に理解されていない面がありそうだ。
 そこで今週のマル激は、「生物多様性とは何か」の著者で科学ジャーナリストの井田徹治氏とともに、生物多様性の意味と、その重要性について考えた。
 たとえば、森林を伐採して農地を開拓した場合、われわれは木材を売り、農地から作物を得ることで経済的な利益を得る。しかし、森林を破壊すると、単に自然が破壊されるだけでなく、その下で生息する微生物や動植物など様々な生物が失われ、それらが作り上げている生態系そのものが破壊される。そして、たとえ後に植林をしたとしても、一度壊れたこの生態系は二度と元には戻らない。
 われわれ人類はほんの20年ほど前まで、そこで破壊された生態系の本当の価値を理解することができていなかった。井田氏は、環境破壊が悪いと言われていても、それが不可逆的な生態系の破壊に及ぶことまで、われわれ人類の知識や理解が及んでいなかったため、対応が不十分だったと話す。つまり、いったん森林を破壊すると、再び植林をするだけでは、不十分である可能性が高いというのだ。また、同じく森林破壊を例に取るならば、木材の売却や跡地利用から得られる価値よりも、元の生態系から得られる「生態系サービス」の価値の方が遙かにに大きいことも、次第に分かってきたという。
 1992年にブラジルのリオで開催された国連地球サミットで、後に京都議定書につながる気候変動枠組み条約と共に生物多様性条約が採択され、「生物多様性」という概念が共有されるようになった。その結果、人類は目先の利益のために、実は大きな損害を自らに課していることが、次第に明らかになってきたと井田氏は言う。  自然の恵みの経済的価値を客観的に評価する取り組みも始まっている。たとえば、08年のCOP9の議長国ドイツが中心となって世界中の研究や論文をまとめた「生態系と生物多様性の経済学(TEEB)」の中間報告などでは、マングローブ林の保護や植樹のためのコストは、堤防の維持費用の節約になっているとした。値段をつけることに反対をする意見もあるが、大切なことは、これまで生態系サービスの価値がきちんと評価されていなかったことであり、それが生態系の破壊が進んだ原因のひとつになったと井田氏は話す。
 今年5月、生物多様性条約事務局などがまとめた報告書は、現在地球の生物多様性は「転換点(tipping point)」にさしかかっていると警告している。tipping pointとは、生物多様性への影響がある段階を超えると、再び元に戻ることが不可能で、不可逆的、かつ急激な崩壊が始まる地点のことをいう。井田氏は、個別にはすでにそのような現象が起きている事例が現れているという。たとえば、暫減を続けてきたカナダのタラがある日突然いなくなり、92年に商業捕獲を一時停止した。当時は数年捕獲を控えれば元に戻るだろうと考えられていたが、一向に回復せず、03年に無期限の捕獲禁止となったままだ。このような現象が、生態系のさまざまな部分で起きていると見られ、それが世界的に広がる可能性が懸念されていると井田氏は話す。
 しかし、そうした問題に対して、今回のCOP10で実効性のある合意に漕ぎ着けることは容易ではないと井田氏は言う。それは、地球温暖化の議論と同様に、生態系を利用し破壊してきた先進国と、今になって生態系を守れと言われては、発展の機会を奪われてしまうと主張する途上国の間の対立が、生物多様性問題でも先鋭化しているからだ。
 特に、生物多様性問題の中の重大な課題となるABS(遺伝資源へのアクセスと利益配分)に関する国際ルール作りは、これも地球温暖化と同様に、もっとも遺伝資源の利用で利益をあげているアメリカが、そもそもこの条約を批准していない。
 一方、海によって外界と隔絶されている日本は、世界に34ある生物多様性の「ホットスポット」の一つだ。それは、日本には豊かで貴重な生態系がある一方で、その多くが危機に瀕していることを意味する。井田氏は、途上国は生物多様性の貴重さを自覚していないとよく言うが、日本人もそのことを知らないと指摘する。
 地球上では有史以来5回、生物多様性の大崩壊がおき、そのたびに地球上の生物はそれを乗り越えて繁栄をしてきた。そのおかげで今、われわれ人類は存在する。井田氏は、現在進行中の生物多様性の急激な崩壊は、既に地球にとっては6度目の大崩壊となっているという。そして、今回の大崩壊と過去5回のそれとの最大の違いは、過去のそれが隕石の落下などの不可避な自然現象が原因だったのに対し、今起きている大崩壊は人類が人為的に起こしているものであるという点だろう。そして、人為的に起こしているものだからこそ、われわれには選択肢がある。
 今われわれはどのような選択をすべきなのか、井田氏とともに議論した。

データで見る日本経済の本当の病状

(第497回 放送日 2010年10月23日 PART1:73分 PART2:38分)
ゲスト:藻谷 浩介氏(日本政策投資銀行参事役)

 経済学者でもない、金融機関の地域振興担当者が書いた本がバカ売れに売れているという。日本政策投資銀行の藻谷浩介氏が書いた『デフレの正体』だ。
 藻谷氏の論点は明解だ。日本経済に影響を与える因子は数多あるが、少なくとも戦後一貫して日本経済に最も大きな影響を与えたファクターは、団塊の世代の動向だった。団塊の世代と団塊ジュニアの2つの大きな山が明らかにいびつな「人口の波」を形成している。そして、その波の動きが他のすべての要因を飲み込むほど激しい影響を日本経済に与えてきたこと、そしてこれからますます激しい影響を与えることを、データが雄弁に語っている。だからこそ、あらゆる経済対策はまず、その「人口の波」をいかに乗り切るかに主眼を置いたものでなければ、効果は期待できないというものだ。
 藻谷氏は日本経済について、実際のデータを読まず、現場を見ない人によって、不正確な指摘が行われている場合が多いと言う。そもそも診断が間違っているのだから、当然、処方箋も的外れなものになる。「人を減らして労働生産性を上げる」、「経済成長を達成する」、「ものづくり技術の革新」など、一見もっともらしい主張は、誤診からくる的外れな処方箋だとして、藻谷氏はこれらを一蹴する。
 誤診の典型として、藻谷氏は莫大な人口と安い労働力を持つ中国の経済成長が、日本の脅威となっているとする「中国脅威論」をあげる。これもデータを見れば一目瞭然だが、中国の経済成長によって日本の高級品を求める中国人富裕層人口が増え、日本からの輸出が増えたため、日本の対中貿易黒字は増加した。日中の経済関係は、中国が栄えれば栄えるほど、より日本が儲かる構造になっているのだ。そのため、中国の台頭は恐れることでも妬むべきものでもなく、むしろ日本はありとあらゆる手段を使って、中国でモノを売れる平和な関係を維持し、これからも億単位で増える中国の富裕層が欲しがる、ブランド力を持った商品を作ることに注力することが賢明だと、藻谷氏は言う。
 同じことが、韓国やシンガポールについても言える。また、アメリカ、イギリス、ドイツに対しても、日本は貿易黒字国である。
 しかし、一方で、日本が常に貿易赤字を抱える国がある。それがフランスとイタリアとスイスだと言う。日本はブランド力でこれらの国々が持つ超一流ブランドに勝つことができていない。つまり日本が目指すべき道は、中国などの新興国の安売り攻勢にコストカットで立ち向かうのではなく、新興国が富めば富むほどより多くの人に欲しがられる、シャネルやフェラーリやロレックスに匹敵するブランド力のある商品を開発することにある。藻谷氏は日本は「高級品ばかり売る宝石屋」だと言う。
 予断を持たずにデータを見ることが重要と説く藻谷氏が指摘する日本の大問題が、まさにこれから激動が始まる「人口の波」だ。1945~50年の5年間に、約1100万人の日本人が生まれた。いわゆる「団塊の世代」だ。日本経済の転機は、ほぼ例外なくこの世代の人々の行動によって引き起こされてきたことが、データから見て取れる。この世代が就労年齢に達し労働人口が一気に増えたことで高度経済成長が起き、この世代が家を持つ年齢に達した頃に住宅バブルが起きる。
 そして、昨今の日本の経済停滞も、この人口の波の移動によって引き起こされていると藻谷氏は説く。02年~06年の戦後最長の好景気で日本は輸出を大幅に増やし、それによって高齢富裕層の個人所得は増加した。しかし、老後の不安を抱える高齢者は、積極的な消費は行わない。そのため輸出は増加するが、内需が一向に拡大しない。それが、大半の日本人が景気拡大の恩恵に浴することができない理由だったと藻谷氏は言う。
 消費が落ち込んでいるにもかかわらず過剰な生産が続くと、在庫が増え価格競争が激しくなる。その結果、商品やサービスの価格は下がる。そう考えると、今起きているのはデフレではなく「ミクロ経済学上の値崩れ」ではないか、これが、藻谷氏の主張する『デフレの正体』だ。
 景気の循環をも飲み込む「人口の波」は、今後も深刻な問題を引き起こし続ける。一番の問題は、今まさに団塊の世代が就労年齢を過ぎ、労働人口が急激に減ること。そして、それが近い将来、一斉に要介護年齢に達することだ。団塊世代の大半が要介護年齢に達する頃に、今度は団塊ジュニア世代が引退の年齢を迎え始める。その2つの大きな山を、それより遙かに少ない労働人口が支えていかなければならない。これが今日の日本経済が抱える最大の課題だと、藻谷氏は言う。
 そうした試練を乗り越えるための秘策として藻谷氏は、高齢者から若者への所得移転、女性の就労や経営参加の推進、外国人観光客や短期定住者の招来の3つをあげるが、果たして日本はそれを実現できるのだろうか。
 今週は藻谷氏をゲストに招き、宮台真司のピンチヒッターで登場の小幡績慶応義塾大学大学院准教授とともに、データから見た日本経済の実状とその処方箋を議論した。

5金スペシャル・マル激500回放送記念イベント
ただ今、一合目通過

(第498回 放送日 2010年10月30日  PART1:63分 PART2:62分)

 

 5週目の金曜日に特別企画を無料放送でお届けする「5金スペシャル」。今回は、マル激トーク・オン・ディマンドの放送が500回目を迎えるのを記念し、国会前の憲政記念館で神保・宮台両キャスターによる公開生放送を行った。
 ビデオジャーナリストの神保哲生が「100年かけてジャーナリズムの金字塔を建てる」と宣言して始まったビデオニュース・ドットコムの看板番組として、マル激トーク・オン・ディマンドは2001年2月16日に第1回を放送して以来、その時々のニュースに深く関わるさまざまな問題を、独自の視点から分析・検証してきた。このたび10年の節目を迎えるにあたり、100年計画の10年目ということで、「ただ今、1合目通過」をタイトルとした。
 マル激が放送を開始した01年は、アメリカでブッシュ政権の誕生、そして9月の同時テロなどがあり、日本では小泉内閣が発足するなど、この後の時代に大きく影響する出来事が相次いだ年だった。それから10年、ブッシュの戦争、小泉改革、失われた10年+10年、中国の台頭、インターネット、日米の政権交代などを経験する中で、マル激は「メディア」「政治」「アメリカ」「中国」「検察」「沖縄」「憲法」「正義」「権力」「格差」などをテーマに、毎週多彩なゲストとともに番組をお届けしてきた。
 500回記念番組では、まず、そもそもなぜこのような番組を始めたのか、マル激の原点とは何だったのかを考えた。また、その後マル激が歩んできた10年を振り返りながら、世界や日本の政治、経済、社会、メディアがどう様変わりしてきたのかを議論した。そして、それを受けて、この次の10年日本や世界はどう変わっていくのか。そうした中におけるマル激の役割とは何なのかを、10年目を迎えた神保・宮台のコンビが語り合った。

オバマの民主党は何に敗れたのか

(第499回 放送日 2010年11月06日 PART1:71分)
ゲスト:中山 俊宏氏(青山学院大学国際政治経済学部教授)

 

 Yes, we can!を合言葉に、2年前、あれだけ人々を熱狂させたオバマ大統領率いる民主党が、2日に投開票が行われたアメリカの中間選挙で、大敗を喫した。4000万人とも言われる無保険者を救う医療保険制度改革や、金融の暴走を防ぐための金融規制改革などの大きな成果を上げたにもかかわらず、オバマの支持率は下落し続け、民主党は議会下院の過半数をも失ってしまった。なぜオバマの言葉はここまで輝きを失ってしまったのか。
 青山学院大学の中山俊宏教授は民主党大敗の最たる原因を、10%に届こうかという高い失業率の下で、オバマ政権が雇用状況を改善できなかったことにあると指摘する。雇用不安を抱える多くのアメリカ人にとっては、オバマ政権が取り組んだ国民皆保険制度や核なき世界などの大きな政策は、いずれも優先順位の高い問題とはならなかった。
 しかし、オバマの不人気には、更に深刻な背景があると中山氏は言う。それは、オバマが歴史的な使命感を持って推進した数々の政策が、結果的に多くのアメリカ人が持つ伝統的な価値感情を逆なでする結果となったことだ。アメリカの「原風景」とも言うべき「大草原の小さな家」的な保守思想は、自助精神が非常に旺盛で、政府、特に連邦政府が自分たちの生活に介入してくることを極端に嫌い、それに不安を感じる。その不安がティーパーティーなどの社会運動につながったと中山氏は見る。
 例えば、オバマが推進した医療保険制度改革法では、国民皆保険によって無保険者が救済される一方で、保険に入りたくない人や医療を受けたくない人の権利が侵害されると感じる人がいる。それは自分の生活圏に連邦政府が介入することであると同時に、保険に税金が投入され、「大きな政府」になるのではないかという保守派の不安を刺激するというのだ。税金を投入してGMや金融機関を救済する判断も、大量の財政出動による景気刺激策も、いずれも「大きな政府」の文脈で受け止められた。
 大統領選でオバマは「保守のアメリカもリベラルのアメリカもない。あるのはアメリカ合衆国、それだけだ」という大きなメッセージを掲げ、共和党の穏健派保守の取り込みに成功した。保守とリベラルの対立が深まるアメリカで、オバマ自身は自分が両者の「橋渡し」役を担えると自負していたかもしれない。しかし、いざ政権の座につくと、7870億ドルの大型景気刺激策やGMの国有化、医療保険制度改革など、「大きな政府」を彷彿とさせる法案を、上下両院を支配する民主党の数の論理で次々と通していった。そうした「大きな政府へ邁進」する政策に対する保守派の反感と不安が、オバマの予想を遙かに上回るほど大きかったというのが、中山氏の見立てだ。中山氏はまた、アメリカに染みついた「国が生活領域に入ってくることへの反感や不安」に対して、オバマは自身の言葉による説得の力を過信していたのかもしれないと指摘する。
 しかし、実際には他の誰が大統領になったとしても、雇用状況を改善できるかどうかは疑問だ。しかし、オバマが推進した政策が、保守派の不安を刺激するものだったために、本来は同床異夢の保守陣営が、反オバマの一点で結集することが可能となった。それが今回の共和党の大躍進、民主党の大敗につながったと中山氏は話す。
 人気絶頂からわずか2年でアメリカの凋落の象徴へと転落したオバマ政権の失敗とは何だったかを検証し、2年後の大統領選挙への課題を中山氏とともに考えた。また、この選挙結果がアメリカの国内外の政策、とりわけ対日政策に与える影響も議論した。

マル激の10年で日本と世界はどう変わったか

(第500回 放送日 2010年11月13日  PART1:61分 PART2:95分)

 

 ジャーナリスト神保哲生と社会学者宮台真司が司会を務める『マル激トーク・オン・ディマンド』が、01年の放送開始から500回目の放送を迎えた。
 第1回の放送で菅直人現首相(当時民主党幹事長)が電話出演し、「国民主導で国のカタチを変えていきたい」と抱負を述べていたり、早くも2002年の段階で検察の暴走に警鐘を鳴らすなど、今振り返ると感慨深い番組は数多い。
 初期マル激は、「メディアが機能不全に陥っている」という神保・宮台両名の現状認識のもと、記者クラブ問題などメディア自身の問題が主要なテーマとなった。01年9月の同時多発テロ以降は、テロ事件直後から「アメリカは無罪なのか」という論陣を張り、大手メディアでは報じないオルタナティブな視点から世界や日本のあり方を問う役割を担ってきた。また、先述の検察問題をはじめ、天皇制、同性愛など大手メディアがタブー視してきたテーマを、専門家や当事者を交えて存分に議論し発信してきた。
 しかし、500回を経る間にメディアや政治、社会、そして国際情勢は大きく変化し、かつて確固たる権威として君臨した自民党、特捜検察、大手メディア、アメリカは急速に影響力を失いつつある。また、日本社会にはまだまだ課題が山積していることは、500回のマル激が明らかにしている。それが、一度や二度の政権交代や景気回復程度で簡単に乗り越えられるようなものではないことも、明らかになった。そうした状況の下で、マル激は今、新たな役割を演じる必要性を感じ始めている。それは単にオルタナティブな視点を提供し、現行システムの問題点を指摘したり批判するだけではなく、問題解決に向けた行動を市民が起こすための糸口を提供する役割に他ならない。
 500回の節目を迎えた今回のマル激では、この500回の間に、社会の何が変わり、何が変わらなかったのか。また、その中でマル激は何を報じてきたのか。メディア、検察・司法、政治の各テーマから、特に印象に残る回をVTRで振り返った。土井たか子衆院議員(当時)と宮台氏の憲法バトル、実際にスタジオで試食した「食品添加物」の問題を論じた回、番外編として、話題になったアイドル論、オタク入門、今年逝去された政治学者の小室直樹氏のVTRなどもあらためてご紹介する。
 マル激500回を振り返ると共に、現在のわれわれの課題とは何か。そして、その課題を解決していく際に道筋となるキーワード、501回からのマル激が果たす役割について、神保・宮台両司会が議論した。

vol.48(481~490回収録)

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メキシコ湾原油流出事故で見えてきた石油時代の終焉

(第481回 放送日2010年07月03日 PART1:53分 PART2:41分)
ゲスト:柴田 明夫氏(丸紅経済研究所代表)

 BPによるメキシコ湾の原油流出事故が、史上最悪の環境災害になっている。
 4月20日にメキシコ湾のルイジアナ州沖合80キロで発生した海底油田を採掘するプラットフォームの爆破炎上とそれに伴う油井の破損は、事故発生から2カ月が経過した今も、依然として原油の流出が止まらない。
 すでに石油の流出事故としては、1989年のアラスカのプリンスウィリアムズ湾におけるエクソン・バルディーズ号事件を抜いて、史上最大の規模となってしまった。
 周辺の生態系や漁業への被害だけではない。メキシコ湾はハリケーンシーズンを迎えており、このまま流出が続けば漏れた原油がアメリカの東海岸にまで拡散する最悪の事態になりかねない。
 原油漏れを止められない最大の理由は、この海底油田が1500メートルの深海にあるため、従来の対策がことごとく通用しないからだ。これと似た海底油田プラットフォームは、世界には6000基以上も存在する。
 石油問題に詳しい丸紅経済研究所の柴田明夫代表は、今回の事故の背景には、陸上から容易に取り出せる「イージーオイル」の枯渇が始まり、石油需要を満たすためには、海底深くの油田を掘ったり、オイルサンドのように抽出に膨大なコストがかかる「ハードオイル」に依存しなければならなくなっている現実があると指摘する。
 柴田氏によれば、イージーオイルは2010年前後にピークに到達している可能性が高く、これまでと同じような石油需要を満たさなければならないとすれば、ハードオイルへの依存をますます高めざるをえない。その結果、石油の採掘コストが上昇するだけでなく、今回の事故のようなリスクも増すことが予想される。いずれも、石油価格の上昇圧力となる。
 しかも、インドや中国などの新興国の石油需要が急増している。このため人類は2000メートルを超える海底や、不純物が多く混じるため抽出コストがかかるオイルサンドやタールサンドなどのハードオイルへの依存度を高めていくことになる。
 メキシコ湾の事故は、石油時代の終わりの始まりを告げる歴史的な出来事となるのか。それとも人類は、この事故をも乗り越え、飽くなき油田の開発を続けることになるのか。この事故をきっかけに、世界最大の石油消費国アメリカが、石油依存体質から脱却し、再生可能エネルギーにシフトしていく可能性はあるのか。
 人類史における石油の意味を問いつつ、メキシコ湾の原油流出事故の影響を柴田氏と議論した。

選挙特番 この選挙で何が問われているのか

(第482回 放送日 2010年07月10日 PART1:82分 PART2:71分 PART3:76分)
ゲスト(Part1):清水康之氏(自殺対策NPOライフリンク代表)/
(Part2):角谷浩一氏(政治ジャーナリスト)、吉崎達彦氏(双日総研主任エコノミスト)

 参議院選挙が明日投票日を迎える。
 民主党政権の9ヶ月への審判、財政再建と消費税率引き上げの是非等々、この選挙が問うものは多いが、その中でも各党が、経済成長に力点を置いている点が目に付く。貧富の格差問題やワーキングプア問題、年間3万人を越える自殺者問題など、日本が抱える深刻な問題の数々も、経済成長さえ達成できれば自ずと解決されると言わんばかりだ。
 しかし、自殺の防止や家族を自殺で失った遺族のサポートなどを現場の第一線で行ってきたNPOライフリンクの清水康之氏は、毎年3万人の自殺者を出すこの国でまず問われるべき問題は成長戦略ではないはずだと、各党の主張に疑問を呈する。
 もとより、経済成長そのものが悪いわけではない。しかし、清水氏の目には各党の成長戦略が、「経済成長のない時代に入り、せっかく日本が抱える本当の問題が見えてきたのに、それをまた経済成長によって覆い隠そうとしているだけ」と映る。つまり、今日本が抱える問題の多くは、戦後、日本が経済成長を最優先するあまり、置き去りにしてきたさまざまな問題が、経済がなくなった今になって初めて噴出しているのではないかと言うのだ。それは、地域や社会とのあり方であり、人とのつながり方であり、家族との関係であり、そして一人ひとりの人間としての生き方でもあるかもしれない。経済成長による解決では、「また経済成長が無くなったら自殺者が3万人に戻ることになる」と清水氏は言う。
 むしろ、清水氏が考える日本の最大の問題は、われわれの多くが、何か問題があるとわかっていても、それをそのまま放置し、その問題が解決されないまま続いていくことではないかと言う。問題を問題として認識し、それを直視し、対応する。そういう基本的なことができていないことが、多くの問題の根底にあるというのが、自殺対策という人間の生死の根源に関わる現場で奔走してきた清水氏の実感だと言う。
 参議院選挙について清水氏は、06年に自殺対策基本法が成立した背景に、参議院の超党派の議員たちの尽力があったことを例にあげ、「参院の比例区には、必ずしも世の中の多くの人の耳目を引くわけではない問題に地道に取り組んでいる議員が多い。そうした議員を一人でも多く当選させて欲しい」と言う。熾烈な小選挙区制の元で選挙が頻繁に行われる衆院と比べ、参院は任期が6年と長く、しかも比例区では衆院のような人気投票に荷担しなくても、一定数の議員が当選する道が残されている。実はそうした議員の地道な活動が重要だと言うのだ。
 パート1では津田塾大学准教授の萱野稔人と神保哲生が、清水氏と参院選の真の争点について議論した。
 また、パート2では、政治ジャーナリストの角谷浩一氏と双日総研主任エコノミストの吉崎達彦氏をスタジオに招き、政治ジャーナリストとエコノミストの目で見た参院選の争点を聞いた。
 そして、パート3では、パート1とパート2の議論を宮台真司と神保哲生が総括した。

民主党に有権者の怒りと落胆の声は届いているか

(第483回 収録日2010年07月17日 PART1:59分 PART2:41分)
ゲスト:細野 豪志氏(民主党幹事長代理)

 政権交代以来初の国政選挙となる参院選で、有権者は民主党政権にきつい鉄槌を下した。
 党の2人の最高幹部の“政治とカネ”問題、普天間基地移設をめぐる迷走、果たせなかった選挙公約――民主党政権に対する批判や不満は山ほどある。しかし、そうした個別の問題はさしおいて有権者が何よりも不満と怒りを感じているのは、政権交代によって日本が大きく変わり、過去20年の閉塞状態に展望が開けるとの期待が、裏切られたことではないだろうか。
 民主党の細野豪志幹事長代理は、09年総選挙のマニフェストで掲げた公約に「見通しの甘さがあった」ことを率直に認める。税収の落ち込みを予想できなかったこと、歳出の削減が期待したほど実現できなかったことが2つの具体例だ。税収の落ち込みはともかく、歳出は野党時代には容易に削れると考えていた特別会計にはそれほど削る余地が実際にはなかった。
 この結果、衆院マニフェストは「絵に描いた餅になってしまった」と細野氏は言い、その反省から、自らが中心となってとりまとめた今回の参院選マニフェストでは「もっと現実的な政策だけを並べた」とその性格を説明する。
 しかし、その「現実的な」参院選マニフェストには、経済成長や親米路線など、これまでの自民党政権と見まがうばかりの言葉が並び、1年前のマニフェストで民主党が高らかに掲げたはずの「国のカタチを変える」という党としての独自性がまったく見えなくなっているとの批判や落胆が有権者にはある。
 細野氏は、天下りの根絶や地方分権など民主党が当初から掲げてきた旗を降ろしたわけではないが、「10年、20年の長期ビジョンはこれから政務調査会で議論をしていきたい」と述べ、現段階で長期的な国家ビジョンがまだ党全体で共有できていないことを率直に認める。そして、本来そうしたビジョンを構築し実施に移す上で中心的な役割を担うはずだった国家戦略局の設置が遅れただけでなく、その断念にまで追い込まれたことに、政権迷走の根本的な原因の一端があったと細野氏は見る。
 そうは言っても、衆院で圧倒的多数を握る民主党は、衆院の解散が無い限り向こう3年間政権を担当していかなければならない。それなのに、今後の政権運営について細野氏の口から具体的な戦略や戦術は聞こえてこない。それどころか、鳩山政権の8ヶ月のどこに問題があったのかさえきちんと総括されていないのが現状のようだ。
 その点について細野氏は、鳩山政権の失敗を議論していく場を作っていかなければならないだろうと語るだけだ。今後、民主党政権はこれまでの失敗を反省し、失われた信用と信頼を取り戻す手段を探りながら、捻れ国会という政局の現実を乗り切っていかなければならない。それが実情と言える。
 あれだけ期待を集めた政権交代からわずか9ヶ月の間に、有権者にこれほどまでにそっぽを向かれてしまったのはなぜか。果たして民主党にはそれが分かっているのか。
 参院選明けのマル激はこれを見極めようと、民主党の細野豪志幹事長代理に、民主党政権がどこで道を誤り、ここまでの政権運営で何が問題だったのかについて、数々の疑問をストレートにぶつけてみた。

電波の私物化を許すべからず

(第484回 放送日 2010年07月24日 PART1:57分 PART2:48分)
ゲスト:池田 信夫氏(経済学者)

 

 この7月24日で、アナログテレビ放送の終了までちょうど1年となった。2011年のこの日に、アナログテレビ放送は約60年の歴史に幕を閉じる。
 現在、アナログ放送を受信している7000万台ほどのテレビ受像器には、画面隅に「アナログ」の文字が表示され、来年7月でこの放送が見れなくなるとの警告文が頻繁に流れる。片やテレビ各局では来年7月の停波(ブラックアウト)に向けて、デジタル移行キャンペーンのCM放送にいよいよ拍車がかかる。そして、その画面は2011年7月24日をもって消えるのだ。
 どうも放送業界と行政が足並みを揃えて、2011年アナログ停波に向けて遮二無二に突き進んでいるようだ。それにしても現時点でまだおよそ7000万台あり、来年7月の停波時点でも恐らく5000万台ものアナログテレビが無用の長物となるような乱暴な措置を、なぜ政府や放送局は強行しようとするのだろうか。
 「電波利権」「新・電波利権」などの著書があり、放送や通信の問題に詳しい経済学者の池田信夫氏は、政府には来年7月24日までにどうしてもアナログ放送を終了させなければならない、やむにやまれぬ理由があると、その裏事情を説明する。それは地上波デジタル放送のために電波法が改正されたのが2001年の7月24日で、同法に法改正から10年後にアナログ放送は終了することが定められているためだ。だがその文言が法律に盛り込まれた経緯は、放送局と行政と族議員と、そしてなぜか通信事業者までを巻き込んだ、まさに「電波利権」の名にふさわしい国民不在の利権争いだったと池田氏は言う。
 くわしくは番組で見せるが、あらましはこうだ。より高画質で効率の高い放送のデジタル化は時代の要請だとしても、日本のような国土が狭い国では、それを衛星デジタル方式で行う方が遙かにコストも安く、難視聴地域対策にも有効なため、合理的な選択のはずだった。しかし、衛星デジタル方式では地方放送局の存続が困難になる。地方局の大半はキー局の番組を再送信しその分の電波料をキー局から受け取ることで経営が成り立っているからだ。また、地方局は免許取得の際に政治家の口利きが不可欠なことから、ほぼ例外なくバックに有力な政治家がついていて、それを潰すような選択は、特に当時の自民党政権下では不可能だった。
 そこでわざわざ、効率も悪く何十倍ものコストがかかる地上波デジタル方式を2001年から導入したのだ。するとそのコスト負担をめぐり、キー局、旧郵政省、旧大蔵省、そしてその跡地利用をめぐるNTTなどの通信事業者を巻き込んだ、組んず解れつの大談合が繰り広げられることになった。
 結論としては、地デジ開始から10年後には、地上波放送局が現在のアナログ放送で使用している周波数帯を明け渡し、それをNTTなどの通信事業者が利用することを認めることで、地デジの中継局設置コストの1800億円を通信事業者に負担させるというバーターが成立した。既に1800億の支払いも実行されているため、地上波放送局は2011年7月24日には必ず今の周波数を明け渡さなければならない。それが遅れると、既に受け取ってしまった1800億円の返還など、これまでのいい加減な談合話が全て火を噴いてしまう恐れがあるのだという。
 つまり、2011年7月24日にどうしてもアナログ放送を終わらさなければならない理由は、既に地上波放送局は立ち退き料を受け取ってしまっているからということなのだ。なぜそのような立ち退き料が発生するようなことになったのか。それは政府が地方局を存続させるためにあえてキー局にとっては損になる地デジ方式を選択したからであり、その背後には族議員と地方局のズブズブな関係があり、その背後には放送免許をめぐる口利きがあり・・・・。
 これほどまでに日本では、電波が有効に使われていないばかりか、利権の温床となり、消費者利益を無視した中で、一握りの事業者と政治と役所との談合体質の中でその利用方法が決められていると、池田氏は言う。
 だが、電波は利用の仕方次第で、膨大な価値を生み出す可能性を持っている。非効率なまま既得権益として割り当てられた周波数が、モバイル通信などに広く転用されていれば、そこから得られる消費者利益は計り知れない。
 池田氏はそれを阻む談合や癒着体質を断ち切る手段として、全てがオープンになる電波のオークション制度導入を提唱している。しかし問題の核心は、電波が私物化されている実態を当事者のメディアが全くといっていいほど報じないため、国民のほとんどが、自分たちがどれだけの不利益を得ているかを知らされていないことなのである。今のような状態では、議論を始めることすら困難だ。
 アナログ放送停波を1年後に控えた今日、池田氏と現在の電波のあり方と、それがもたらす放送と通信の未来への影響を考えた。

5金スペシャル 「カジノジャック」と「インセプション」に見る米国の今と昔とこれから

(第485回 放送日 2010年07月31日 PART1:48分 PART1:45分)
ゲスト:町山 智浩氏(映画評論家)

 

 5回目の金曜日に普段のマル激とはひと味異なる特別企画を無料放送でお届けする5金スペシャル。今年2回目となる5金は来日中の在米映画評論家・町山智浩氏と映画特集をお届けする。
 今回取り上げた作品は、まず1本目が町山氏イチ押しのドキュメンタリー映画『カジノジャック』。アメリカで伝説のロビイストとして知られるジャック・エイブラモフの栄光と転落を通じて、カネとロビイストに牛耳られたワシントン政治の実情を鋭く暴いた社会派作品で、日本での劇場公開は未定ながら、現在公開中のアメリカでは既に高い評価を得ているという。
 町山氏はエイブラモフ事件を、アメリカの政治が1980年大統領選でのレーガン当選以来、事実上ワシントンを支配してきた共和党保守派による保守革命の終焉を象徴する歴史的なできごとと位置づける。
 しかし、ニューディール時代の大きな政府の腐敗を批判し、綱紀粛正を主張しつつ、規制緩和によって小さな政府を実現することが強い経済と社会を再現すると主張してきたエイブラモフら保守派の重鎮たちが、なぜいとも簡単にその影響力をカネで売るようになってしまったのかについては、より詳細な検証が必要だろう。
 2本目は今日本でも公開中の『インセプション』を取り上げた。レオナルド・ディカプリオ扮するコブが、人の夢の中から企業秘密を盗み出すことを専門とする産業スパイという設定で、人の夢に入り込み秘密を盗み出したり、それを守るために夢の中でガードマンを雇ったりと、ややSF的な設定。  初っ端に映画素人を自認する神保哲生が、SFとは言えあまりに現実味のないストーリー設定に「子供騙しとしか思えない」と酷評したところ、宮台真司、町山智浩の2人が口を揃えて大反論。なぜストーリーを意図的に荒唐無稽にしているかや、「夢の中の夢の中の夢」という概念の奥深さなどを説き、全面的にこの作品を擁護する一幕も。
 今回の5金映画特集は、この2作品を入り口にアメリカ政治の現実とオバマ当選の意味、そして本当の現実とは何か(今、自分が現実だと思っているものが、本当に現実であるという証拠はあるのか)などについて、町山智浩氏と語り合った。

日航ジャンボ機事故はまだ終わらない

(第486回 放送日 2010年08月07日 PART1:59分 PART2:32分)
ゲスト:美谷島 邦子氏(8・12連絡会事務局長)

 

 25年前の1985年8月12日、羽田空港を飛び立った満席の大阪伊丹空港行き日本航空123便ボーイング747は、離陸から12分後に後部左側ドアの異常を知らせる警告灯が点灯。直ちに操縦不能な状態に陥ると、そのまま32分間迷走を繰り返した後、群馬県上野村の高天原山の尾根に激突して炎上した(この場所は後に御巣鷹の尾根と命名された)。この事故で乗客乗員524名のうち、520名が死亡した。単独飛行機事故としてはいまだに史上最悪の惨事だった。
 その520名の中に、日航機事故の被災者家族の会「8・12連絡会」を事務局長として25年間引っ張ってきた美谷島邦子氏の二男で小学校3年生の美谷島健君(当時9才)もいた。健君は、夏休みの水泳教室で25メートルを泳げたことのご褒美として、仲良しの従兄弟たちが住む大阪に向け、生まれて初めての一人旅に旅立ったばかりだった。
 この事故の原因については、運輸省(現国土交通省)に事故調査委員会が設けられ、墜落の7年前の伊丹空港での尻もち事故の際に破損した圧力隔壁の修理に不備があり、それが金属疲労によって悪化したために、飛行中に破裂を起こしたことが、事故の直接の原因だったと結論づける報告書がとりまとめられた。
 しかし、美谷島氏を始めとする多くの遺族たちは、事故から四半世紀が過ぎた今もまだ、事故原因については納得ができていないという。それは、日本では飛行機事故に限らず、公共の交通機関などで大きな事故が発生した際に、原因の究明を最優先させる法的な制度が整備されていないため、事故調が発表した事故原因には数々の疑問点が残っているからだ。
 事故調の調査結果では、圧力隔壁の破損によって後部垂直尾翼の上半分と油圧系統が破損し、操縦が不能になり墜落に至ったと結論づけられている。あくまで修理ミスに第一義的な原因があったという立場だ。しかし、その後ボーイング社は同型機の油圧系統に安全弁をつけるなどの改善を行っている。4つある油圧系統が圧力隔壁の直下で1本化されていることが、機が全くの操縦不能に陥ったことの直接の原因だったとすれば、少なくとも当時のボーイング747には構造上の欠陥があったということになる。多くの遺族たちが事故調の調査結果に納得できず事故原因の再調査を望んでいるのも、そのような疑問点がまだ残ったままになっているからだ。
 また、事故原因を明らかにする上では、制度面でも遺族にとって納得のいかない理由があった。国交省の事故調は法的な強制力を持っていないため、あくまで事故の当事者たちの協力を得られない限り、調査ができない。しかし、その一方で、日本で強制力を持つ事故調査を行うためには、事故の責任者を刑事告訴することで、警察や検察による強制捜査に頼るしかない。日本にはアメリカのような、事故の当事者に刑事免責を与えた上で、原因究明に全面的に協力させる司法取引の制度が存在しない。そのため、仮に当事者が事故調には協力をしたいと考えていても、いつ自分が刑事告訴を受けるかもしれない立場にある以上、刑事裁判で自らを不利な立場に置く可能性のある情報を自ら積極的に出すことは難しい。
 特に、日航123便の事故の場合、航空機を製造したメーカーがアメリカのボーイング社で、尻もち事故の修理を行ったのもボーイング社の技術者だった。そのため、被害者たちが刑事告訴をする場合、ボーイング社の修理担当者もその対象に含める必要があり、そのためにはボーイング社の協力が不可欠だった。しかし、航空機事故で個人が刑事訴追されることなどあり得ないと考えているアメリカの航空機メーカーが、自社の社員を刑事訴追に追い込むような捜査に協力するはずもなく、結果的にこの事故の原因究明の努力は二国間の司法制度の壁にも阻まれることとなった。
 不起訴処分が決まった後、前橋地検の山口悠介検事正は原告の遺族たちに、異例の説明会を開催しているが、その場で山口氏は「検察は航空機の専門家ではないから、本当の事故原因はわからない」、修理ミスを犯したボーイング社職員を嘱託尋問しなかった理由については、「事故原因をぎりぎりまで追及すれば戦争になる」など、驚くような発言を連発している。要するに、現在の司法制度のもとでは、航空機の専門家の集まりである事故調の調査には強制力がなく、強制力のある調査が行える警察や検察には航空機の専門的知識はないために、真の事故原因を究明が困難であること、この事故はボーイング社というアメリカの基幹的な防衛企業が関わる問題であるため、日本政府の力ではこれ以上の原因究明が不可能なことを、捜査にあたった検事自らが、認めているのだ。
 8・12連絡会を立ち上げ、25年間その世話役を務めてきた美谷島邦子氏は、航空機を含む乗り物事故の原因究明のあり方については、いまだに25年前の課題が改善されていないことを残念がる。その後の25年間に数々の乗り物事故が発生しているが、そのたびに本当の意味で被害者や遺族が納得できる原因究明が必ずしも行われていない理由は、25年前に日航機事故の原因究明を阻んだものと同じ理由なのだ。
 しかし、その一方で、美谷島氏は自分たちが25年間地道に行ってきた活動が、いろいろいなところで実を結んでいると感じているとも言う。例えば、この事故の刑事告訴はアメリカから捜査協力を得られないことを主な理由に不起訴処分となったが、その後検察審査会が不起訴不当の議決を行ったため、前橋地方検察局は再度捜査を行った上で、あらためて不起訴処分としている。当時の検察審査会には強制的に起訴をする権限はなかったために、結局この事故は刑事事件とはならず、美谷島氏ら遺族らが強く求めてきた相模湾に落下した垂直尾翼上部の引き上げなどは行われなかった。しかし、今年から法が改正され、検察審査会の議決のみで強制起訴が可能になった。今、日航機事故が検察審査会にかけられていたら、結果は違っていたかもしれない。
 「誰かを刑務所に入れたいと思ったことはない」と美谷島氏は言うが、と同時に、「真の事故原因の究明と再発の防止こそが遺族の共通した願い」であるとも言う。日本が事故調査制度のあり方を根本的に改革しない限り、本当の事故原因を突き止めるために日本では刑事裁判に訴えることが唯一の方法であるとの遺族の思いは強い。
 不幸にも事故が起きてしまった以上、もう元には戻らない。しかし、残されたわれわれにできることは、持てる力の全てを使って事故の原因を突き止め、同じような原因で同じような悲しい思いをしなければならない人を一人でも作らないようにすることのはずだ。しかし、美谷島氏が指摘するように、25年前の事故がわれわれに残した課題を、いまだにわれわれは解決できていない。
 日航機事故から25年目となる8月12日を迎えるにあたり、この事故が残した多くの課題に取り組んできた美谷島氏とともに、この事故を風化させないためにわれわれにできることが何かを考えた。

EV(電気自動車)時代到来の予感は本物か

(第487回 放送日 2010年08月14日 PART1:62分 PART2:36分)
ゲスト:舘内 端氏(自動車評論家、日本EVクラブ代表)

 

 電気自動車(EV)時代の本格到来か。  ここにきてEVが次々と一般ユーザー向け市場に投入され始めている。今年3月に三菱自動車が、量産車としては世界初となるEV『i-MIEV』の一般ユーザー向けの販売を開始し、今年末には日産も『リーフ』の販売を始めるそうだ。2012年にはホンダもEVを発売する計画を明らかにしている。エコカーとしてはやっとハイブリッドカーが普及し、次は充電可能なプラグインハイブリッド車の時代かと思いきや、時代はそれを通り越して、一気に本格的EV時代に突入しそうな気配がする。
 18年前からEVの開発を手掛けてきた自動車評論家の舘内端氏は、欧州や米カリフォルニア州の排出ガス規制の強化や、EVの性能を左右する充電池の高性能化や低価格化によって、確かにEVがここにきて一気に普及する前提が整ってきていることは確かだと言う。
 実際にカリフォルニア州では2012年からZEV(zero emission vehicle=ゼロエミッション車)規制によって一定台数の無公害車(EVまたは燃料電池車)を販売する義務が自動車メーカーに対して課される。また、欧州でも、2012年にはリッターあたり19.4kmに満たない燃費の車を製造したメーカーに対して罰金が課せられるようになるという。そうした中で、走行段階では全く温室効果ガスを排出しないEVの存在価値が、これまでになく高まっていることは紛れもない事実だろう。
 また、走行距離が短い、充電に時間がかかる、充電施設が少ないといったEVにまつわる様々な問題点も、技術的にはほとんど実用可能なレベルまで解決されてきた。特に家庭用電源でも充電が可能になったことで、多くのハードルはクリアされた感がある。
 しかし、それでも舘内氏は、「モノ(EV)は来たが精神がまだついてきていない」と、昨今のEVブームに注文をつける。それは、EVが決して無公害車ではないからだ。
 確かにEVは走行段階ではCO2を排出しないゼロ・エミッション車だが、その動力源となる電気を発電するためには火力発電所で大量のCO2が排出され、原子力発電所で放射性廃棄物を発生させている。EVも決して無公害車とは言えないのだ。
 舘内氏は、真のEV時代が到来するためには、単にEVが現在の自動車にとって替わるのではなく、これまでのような人や物の長距離の移動を前提とする20世紀型のライフスタイル自体が、変わる必要があると言う。走行距離や充電施設の普及が問題になっているうちは、本当の意味でのEV時代など到来しないというのが、日本でいち早くEVの開発に関わってきた舘内氏の主張だ。
 実際にEVに試乗してその実用性を検証するとともに、昨今のEVブームがどれほど本物なのかを、EVの権威である舘内氏と神保哲生、武田徹が議論した。

私のやろうとしたことは間違っていなかった

(第488回 放送日 2010年08月21日 PART1:76分)
ゲスト:鳩山 由紀夫氏(前内閣総理大臣・衆議院議員)

 

 「やり方には至らない点も多々あったが、私がやろうとしたことの理念は間違っていなかったと思う。」
 これが鳩山前首相自身による鳩山政権8ヶ月の総括だ。
 国民の期待を一身に背負って政権の座についた鳩山内閣は、8ヶ月余の短命に終わった。そして、その後を継いだ菅内閣は、昨年の政権交代時に民主党が掲げた旗をことごとく降ろしてしまったかに見える。政治主導にしても然り、国家戦略室にしても然り、新しい公共にしても然りだ。
 しかし、その事に鳩山氏は大いに不満を感じていると言う。
 「政治家が理念を掲げ、国民と一緒になってそれを実現していく。(鳩山政権が)その道筋は付けたと思う。それだけは誰が何と言っても守っていきたい」。鳩山氏はこう語り、民主党が掲げてきた理念をここで降ろすべきではないと主張する。
 その理念とは、鳩山氏が好んで使う「友愛」の言葉に凝縮された「公平・公正・透明」な社会の実現であり、「機会均等」であり、「地域主権」であり、「共生社会」だ。そのような社会を実現するために民主党は政権交代を実現し、またその青写真を作るために「国家戦略室」を設け、政治主導確立法案を提出した。
 ところが、菅政権になって戦われた参議院選挙では、そうした理念が民主党のマニフェストからはことごとく影を潜めた。また、国家戦略室を政権の要に据えた上で、政府の意思決定のあり方や国のカタチを変えていくという当初の壮大な構想も、早々と諦めてしまったように見える。鳩山氏は菅政権のそうした姿勢に対する不満を隠そうとしない。
 実は鳩山政権が掲げた理念は、民主党が1998年に発足した際の結党宣言にほぼそのまま記されているものだ。いわば民主党のDNAと言ってもいい。なぜそれが、今になって出たり引っ込んだりするのか。これに対して鳩山氏は、「われわれはその理念を必ずしも常に党内で十分に確認をしてこなかった。だからそれが党内に浸透していなかったかもしれない」と、反省の弁を述べる。いずれにしても、自らが掲げた理念の正しさには揺るぎない自信を見せる鳩山氏だが、それを実現する手法には数々の問題があったことは率直に認める。
 まず、政権交代前の準備不足だ。総選挙の1ヶ月ほど前から政権移行チームを発足させたが、議員の大半は選挙に駆り出されていたため、十分な議論も準備もままならないまま内閣を発足させることになってしまった。
 そのため、何よりも最初に実現すべきだった国家戦略室の局への格上げ、そのための設置法の作成が遅れた。鳩山氏は、「結果的にそこにいろいろつけ込まれたと思う」と、準備不足が最後まで祟ったことを悔やみ、その隙をついて官僚たちは「束になってかかってきた」とも語り、激しい官僚の抵抗に遭ったことを認める。
 そうした自らの失敗を顧みた上で、「たとえ2、3ヶ月政治の機能が止まったとしても、今からでも政権の仕組みを根本から練り直す作業をやるべきだ」と主張する。
 9月の民主党代表選については、「2~3ヶ月、あるいは1年に2人も3人もトップがかわるのは良いことではない」として、基本的には菅代表を支持する意思を示している。だが一方で、「この政権が果たしてどういう理念を持っているのかが、あまり見えてこない」ことが問題であり、「私はこの代表選が理念のぶつかり合いの中で行われることに期待したいし、そうなる可能性が出てきている」と、菅代表に対する対立候補擁立の可能性に初めて言及した。
 鳩山政権はなぜ自らが掲げた理念を実現できなかったのか。政権の前に立ちはだかったものは何だったのか。鳩山氏とともに鳩山政権の8ヶ月を総括し、その反省を民主党は今後どのように生かしていくべきかを議論した。

デフレ不況と日本銀行の責任

(第489回 放送日 2010年08月28日 PART1:46分 PART2:38分)
ゲスト:田中 秀臣氏(上武大学ビジネス情報学部教授)

 

 一向に抜け出せないデフレ不況に加え、今月に入ってからの急激な円高が進む中、日本銀行に対する風当たりが日に日に強くなっている。
 書店には「日本銀行の大罪」「日銀デフレ」「日銀不況」といったタイトルの著書が所狭しと並び、政治家や評論家も容赦なき日銀批判を浴びせているようだ。
 一体、日銀の何が問題なのか。
 「デフレ不況 日本銀行の大罪」の著者で経済学者の田中秀臣上武大学教授は、過去10年あまりの間日本がデフレ状態にあった主たる責任は日銀にあるとして、日銀の責任を厳しく断罪する。
 田中氏は、昨年11月に政府が「デフレ宣言」を行うまで、日銀は日本がデフレ状態にあることを認めもしなかったと言う。そのため、唯一金融政策を実施することができる日本の中央銀行が、デフレを解消するために、金融緩和などの有効な手段をとらず、そのことが日本のデフレを継続させる結果となったと説く。
 デフレはモノの値段が下がるため一部には歓迎する向きもあるが、その破壊的効果は遙かにインフレを凌ぐ。また、デフレは失業率を高め、円高を招き、経済全体を疲弊させる。そのデフレを放置させた日銀の責任は重いと、田中氏は言う。
 それにしても、なぜ日銀はデフレを認めず、またそれに対する有効な施策をとろうとしないのか。
 日銀法によると、日銀の機能は「物価の安定」と「信用秩序の維持」と定められている。そのため本来はデフレを止めるのは日銀の役割のはずだ。
 田中氏は、現行の日銀法では何をもって「物価の安定」とするかについては、日銀独自の判断に任されているため、日銀は現在の緩やかなデフレ状態を「物価は安定している」と判断し、自らの責任を果たせていると考えている可能性が高いという。
 また、日銀は過去の経緯からインフレに対する警戒心が極度に強いため、緩やかなデフレ状態くらいがちょうどいいと考えているのではないかと田中氏は言う。つまり、田中氏を始めとする多くのエコノミストたちが批判する日本の過去10年あまりのデフレは、実は日銀が意図したものである可能性が高いと言うのだ。インフレターゲット(インフレ目標)論者を自任する田中氏は日銀の政策を「デフレターゲット」とまで酷評する。
 田中氏は日本の金融政策の決定権が日銀に独占されているために、日本はデフレ脱却のための有効な施策をとれていないとして、日銀法の改正を提唱する。それは、現行の日銀法が、先進国の中央銀行の中では異例とも言うべき、目標設定の独立性と手段の独立性の両方を日銀に対して認めているからだ。田中氏は、政府が物価目標(インフレ・ターゲット)を定め、日銀はそれを達成するための手段の独立性のみを認められるような形に日銀法を改正するべきだと主張する。既にみんなの党などが、次の国会で日銀法の改正案を提出する意向を明らかにしているが、大塚耕平金融担当副大臣によると、政府としてはまだ日銀法の改正は考えていないと言うことだ。
 また、経済ジャーナリストの町田徹氏は、日銀法の改正には慎重であるべきだと主張する。それは、政府が設定した目標に日銀が従わなければならなくなれば、放漫財政の政府が登場した時に、日銀は通貨の番人として金融引き締めなどの施策をとれなくなる恐れがあるからだと言う。
 日銀のどこに問題があるのか。また、一連の日銀批判は妥当なものなのか。経済不調における日銀の責任を、日銀批判の急先鋒に立つ田中秀臣氏と議論した。

菅直人と小沢一郎に見る内閣総理大臣の資質とは

(第490回 放送日 2010年09月04日 PART1:57分 PART2:39分)
ゲスト:高野 孟氏(ジャーナリスト)

 

 「挙党態勢」から一転、民主党代表選挙に小沢一郎前幹事長が出馬、菅直人首相との一騎打ちとなった。私党民主党内のコップの中の嵐とはいえ、事実上次の総理を決めるこの対決を、われわれはどう受け止めればいいのか。
 96年の旧民主党立ち上げに尽力し、それ以降も民主党と深い関わりを持つジャーナリストの高野孟氏は、今回の代表選で相まみえる両者の間には政策上「原理の違いではなく戦術の違い」しか存在しないため、政策論争にはならないだろうと言う。ならばこの選挙で問われているものは何か。
 高野氏はこの選挙で問われているものは、政治文化の違いではないかと言う。小沢氏は理念を語れる数少ない政治家であり、「何かを実現してくれそうな期待感」を抱かせるが、それでも小沢氏の政治手法には田中角栄元首相譲りの「政治を動かすのは金と人事」という政治文化が根付いていて、それはそう簡単に変わるものではないだろうと言う。それ故に、小沢氏の目標は、理想を実現するために権力を獲得するのではなく、権力を取ること自体に目的があるのではないかとの疑念がつきまとうと高野氏は言う。
 一方の菅氏は、市民運動出身でクリーンな政治の体現者と見られがちだが、菅氏を良く知る高野氏は、言葉が軽く理論の裏付けのない発言が多いと菅氏を辛口に評価する。また、市民運動出身という肩書とは裏腹に、市民的な政策には必ずしも熱心ではない面があるとも指摘する。
 結局最終的には理念を語れる剛腕政治家ながら、独断専行で政治手法にも疑問が残る「ハイリスク・ハイリターン」の小沢氏に一度日本を託してみたいと思えるかどうかが分かれ目になるという高野氏とともに、小沢一郎、菅直人の両氏が体現している総理大臣の資質とは何かを議論した。

vol.47(471~480回収録)

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交渉の全てを知る守屋元次官が語る
普天間移設問題の深淵

(第471回 収録日2010年04月24日 PART1:46分 PART2:50分)
ゲスト:守屋 武昌氏(元防衛事務次官)

  普天間移設交渉のすべてを知る男が、ついに重い口を開いた。
 鳩山首相が5月末までの決着を約束した普天間移設問題は、依然迷走を続けているが、沖縄とアメリカの双方を満足させられる解決策が事実上あり得ない状況となった今、この問題が政権の屋台骨を根幹から揺るがす事態はもはや避けられそうにない。
 そもそもなぜこのような事態に立ち至ったのかについては、鳩山首相を含む与党民主党の未熟さやブレに非があったことは論を俟たない。
 しかし、自民党政権下で4年余の長きにわたり防衛事務次官を務め、そもそも普天間移設問題の発端となった1995年の沖縄少女暴行事件以来、最前線で沖縄とアメリカ政府との交渉に当たってきた守屋武昌氏は、昨年まで安全保障情報へのアクセスが制約される野党の座にあった民主党が、この問題の複雑さや怖さを理解できていなかったとしても、それを責めることはできないと同情的な立場をとる。それは、「防衛省の天皇」の異名を取るまでに日本の防衛のトップに君臨した守屋氏にさえ、「結局最後まで自分は沖縄に手玉に取られた」と言わしめるほど、この交渉がいかに複雑かつ手強いものだったかを、氏自身が身をもって知っているからに他ならない。
 10年以上も普天間移設交渉に関わってきた守屋氏は、交渉の困難さをしみじみと語るが、中でも驚愕の事実として氏があげるのが、一旦キャンプシュワブ陸上案で決まりかけていた普天間の移設案が、地元沖縄の自治体や経済団体がアメリカ政府を動かすことで、ひっくり返されてしまったことだった。
 守屋氏は当初から、沖縄県内に米軍基地を新設することなど、沖縄県民が許すはずがないとの前提に立ち、普天間の移設先は既存の米軍基地内しかあり得ないと考えていた。そして、嘉手納基地統合案、嘉手納弾薬庫案などを経て、キャンプシュワブ陸上案というものが浮上した。基地の新設にあたらず、しかも海の埋め立てによる環境破壊も伴わないもっとも合理的と思われたこの案で、日本側がほぼ固まりかけていたその時、突如守屋氏の元に、現在の辺野古沖案の元になる、海の埋め立てを前提とする別の案が、アメリカ側と地元沖縄からほぼ同時に提示されたという。
 いくら守屋氏と言えども、地元沖縄と米政府が共に推す案に反対できるはずがない。実はこの案は米軍基地との親交が深い沖縄の自治体や経済団体が、基地の司令官らを説得し、現場の司令官らの要望に応える形で、米政府が正式に推してきた。地元住民との融和を優先する米政府の弱みをついた見事な交渉術だったと守屋氏は苦笑するが、日本政府がベストと考えていたキャンプシュワブ陸上案は、このようにいとも簡単にひっくり返されたのだった。
 こうして、日本政府は困難が伴うことを知りながら、沖縄県の経済団体とアメリカ政府が推す辺野古沖案が、L字案、V字案などの変遷を経て、最終合意案となっていく。
 もともとこの案は埋め立て工事を伴うために、地元の土建業者が潤うという背景があることはわかっていた。しかし、より大きな問題は、この「辺野古沖」案が、いくつもの無理筋を含んでいることだった。そもそもこれでは基地の新設になり、一般の沖縄県民の反発は必至だった。しかも、埋め立てを伴うため、環境団体などの反対運動に拍車がかかるのも目に見えていた。
 基地の新設にあたるこの案を、沖縄の一般市民が歓迎するはずもない。現行案への根強い反対運動と環境破壊への懸念は、当然のことながら、野党時代の民主党議員たちの耳に入ってくる。そして、この問題の怖さも底深さも知らない民主党は、政権獲得を前に「県外」などというナイーブな公約を打ち上げてしまう。
 鳩山政権が抱える難題の解決方法について「沖縄への思いは人一倍強い」と言う守屋氏は、本当の意味で沖縄の人の利益に叶う対応とは何かを今あらためて考えるべきだと言う。
 沖縄には基地で潤う人と基地に苦しむ人がいて、これまでは主に基地で潤う人が沖縄を動かしてきたと守屋氏は言う。しかし、氏の試算では年間6000億円を超えるという公共事業等を通じて彼らに配分してきたお金を、これからは基地で苦しんでいる個人に直接手渡すような政策が必要だと守屋氏はいう。
 その一方で、防衛当局のトップを務めた守屋氏は、安全保障面でこの問題を甘くみてはいけないと警鐘を鳴らす。
 沖縄は東アジアからインド洋に至る、今やグローバル経済の中心とも言うべき大経済圏の中心的な位置にあり、周辺には数々の不安定な要素が存在する。そのどこかで紛争が起き、経済活動が影響を受けるようなことがあれば、世界経済が壊滅的な打撃を受けることは必至だ。95年に普天間返還を決定した当時、北朝鮮の核開発を東アジアにおける最大の脅威と考えていたアメリカは、9・11以降沖縄の地政学的重要性の認識を新たにしている。そのアメリカは、グローバルな安全保障のためにいち早く展開できる海兵隊を一定規模で沖縄に配備することが必要だと考えているし、それは、アジア全域が望むことでもあると守屋氏は言う。
 鳩山政権は泣いても笑っても5月末までには、一見解が存在しないかに見えるこの連立方程式の答えを出さなければならない。その難問を解くカギを、守屋氏との議論の中に探してみた。

5金スペシャル 映画特集
豊かな国日本がかくも不幸せなのはなぜか

(第472回 収録日2010年04月30日 PART1:67分 PART2:68分)
ゲスト:寺脇 研氏(映画評論家、京都造形芸術大学教授)

 5週目の金曜日に特別企画を無料放送でお届けする恒例の5金スペシャル。今回は、映画評論家の寺脇研氏をゲストに迎え、映画特集を生放送でお送りした。
 番組の前半で取り上げたのは、今年の米アカデミー賞で元夫婦監督による対決が話題を集めた『アバター』(ジェームズ・キャメロン監督)と『ハート・ロッカー』(キャスリン・ビグロー監督)。アメリカ在住の映画評論家・町山智浩氏も電話出演で参加し、片や最新3D技術を駆使した戦争アクション、片やドキュメンタリータッチのイラク戦争映画を通じて、そこに描かれる反省的なアメリカのセルフイメージを読み解きながら、傷ついたアメリカがどのように自己回復を図ろうとしているかについて語った。
 後半のテーマは打って変わって今の日本が抱える問題について議論。現在公開中の日本映画『ソラニン』(三木孝浩監督)に見る、日本の若者たちの閉塞感、先の見えない不安感はどこから来るものなのか。韓国映画の『息もできない』(ヤン・イクチュン監督)とメキシコ映画の『闇の列車、光の旅』(キャリー・ジョージ・フクナガ監督)と対比しながら、日本映画の貧しさを通して、社会が豊かになることで失われていくものについて考えてみた。

日本経済の現状とベーシック・インカムという考え方 

(第473回 収録日2010年05月08日 PART1:67分 PART2:38分)
ゲスト:飯田 泰之氏(駒澤大学経済学部准教授)

  先月ワシントンで開催されたG20(20ヶ国地域財務大臣中央銀行総裁会議)で「世界経済の回復は予想以上に進んでいる」という共同声明が採択された。世界各国が金融危機に端を発する世界不況からようやく抜け出そうとしているのに、日本だけは依然として深刻なデフレが続くなど、一人負けの感が日増しに強くなっている。
 マクロ経済学が専門でインフレターゲット論で知られる「リフレ派」の論客として注目を集める飯田泰之駒沢大学経済学部准教授は、日本経済が長期低迷を続ける理由は政策的な失敗だと指摘する。  政府が行う経済政策には主に、生産力を向上させる成長政策、景気を正常化させる安定化政策、最低限度の生活を保障する再分配政策の3つがあり、それらを巧みにポリシーミックスして最善の政策パッケージを探るのが経済政策の成否の鍵を握る。しかし、日本の歴代の政権では3つの内の1つだけが重視されたり、それを実行すべき時期を外してきたりしてきたことが、結果的に有効な経済政策につながらなかったと飯田氏は言う。
 飯田氏は中でもただちに着手すべき経済政策として、安定化政策、とりわけ金融政策をあげる。新たな投資を必要とする成長政策や財源の確保が不可欠な再分配政策にとっては、まず経済状態の安定が前提条件だからだ。したがってデフレを真っ先に解消するために、まずは金融緩和などでインフレ状態を起こすべきだというのが、リフレ派飯田氏の主張だ。
 そうした中で今注目を集め始めているのが、ベーシック・インカムという新しい社会保障の考え方だ。
 ベーシック・インカムとは、すべての国民が最低限以上の生活を送れるように、一定額の現金を無条件で支給する制度のこと。生活保護とは異なり、所得調査も行わず、すべての国民、もしくは日本に住むすべての人が無条件で給付の対象となる。このたび民主党が所得に関係なく実施する子ども手当は、かなりベーシック・インカムに近い考え方だが、これを15歳未満の子どもだけではなく、対象をすべての人に広げたものがベーシック・インカムだ。
 ベーシック・インカムには最低限の生活水準が保障される他にも、社会保障制度の簡素化や行政コストの削減、景気浮揚効果など、さまざまな経済効果があるとされているが、ベーシック・インカムの提唱者として知られる飯田氏によると、今日ベーシック・インカムが注目されるようになった背景には、生活保護のカバー率の低迷があるという。現在、生活保護の有資格者の8割が、何らかの理由から給付を受けていないとみられる。
 確かにベーシック・インカムは貧困対策として社民主義的な立場から主張されることも多いが、しかし、元々この考え方は、ミルトン・フリードマンに代表される新自由主義者が提唱した制度だという。それは、政府がお仕着せで施す社会保障よりも、現金を配りそれを個人の選択で自由に使わせる施策の方が好ましいという自由主義的発想に根ざしているからだ。ベーシック・インカムの提唱者としても知られる飯田氏も、すべての人に市場競争に参加する機会を与えるという理由で、自由主義的な立場からこの制度を支持していると言う。
 しかし、働かなくても政府からお金がもらえることになるベーシック・インカムには、人々の労働意欲を損ねるなどの批判や懸念も多い。飯田氏は、一人あたり月5万円から7万円程度、つまりそれだけで生活するにはぎりぎりで少し足りないくらいの金額に設定するのが好ましいと語るが、何よりも問題は財源だ。仮に国民全員に月7万円を支給した場合、年間80兆円の財源が必要になる。現在の財政状況では望むべくもない。しかし飯田氏は、まず「納税者背番号制」の導入や「負の所得税」などを実施し、10年から30年の時間をかけて段階的にベーシック・インカムを実現させていくことは十分に可能だと主張する。
 ベーシック・インカムに実現可能性はあるのか。21世紀の公正な社会のあり方を私たちはどう考えるのか。今週は日本経済の長期低迷の原因とベーシック・インカムの2つの論点で、アメリカ取材中の神保哲生に代わり武田徹と宮台真司が、飯田氏と議論した。

「新しい公共」で国のカタチはどう変わるのか

(第474回 収録日2010年05月15日 PART1:60分 PART2:60分)
ゲスト:松井 孝治氏(内閣官房副長官)

  党のトップ2人を巻き込んだ政治とカネの問題や、迷走を続ける普天間基地移設問題などで、支持率低下に喘ぐ鳩山政権。しかしこの政権が最重要課題として地道に取り組んできた課題がある。「新しい公共」だ。
 鳩山首相が、昨年10月の所信表明演説や今国会の施政方針演説の中で打ち出した概念で、これまで政府や行政が独占的に担ってきた公共的な機能を、民にまで広げ、何でも政府に頼るのではなく、市民同士が協力し、支え合っていける社会を構築しようというもの。
 鳩山首相のスピーチライターとして、首相の一連の国会演説を起草した松井孝治官房副長官は、国会演説を用意するにあたり、首相自身が一番訴えたいことは何かと問うたところ、迷わずに「新しい公共」と「地域主権」の答えが返ってきたという。
 松井氏は「新しい公共」を、国家よりも社会を重視する「民主党のDNA」とも呼ぶべき基本理念だと説明する。また自身も官僚出身でありながら、一部のキャリア官僚だけが公共を担い、それを議論しうるといった官僚のエリート意識や特権意識には現役時代から疑問を抱いてきたと言う。官僚を頂点とする明治以来の中央集権体制に基づく日本の統治構造を根底から変えたいという思いが、鳩山首相にも松井氏自身にもあると松井氏は言う。
 近代以前には、人々は国家に依存することができなかったために、様々な形で自助の仕組みを構築していた。しかし、近代に入り、とりわけ後発工業国だった日本は、市民を国家に帰属させるために、得てして市民社会から自助機能を奪い、国家が公共的な機能を独占するようになった。つまり「新しい公共」とは、長年「官」が独占してきた「公」の機能を、その本来の持ち主である「民」へ奉還することを意味していると松井氏は説明する。
 また「公」の「民」への奉還には、行政のスリム化というメリットもある。何でもかんでも政府が担うことで肥大化した行政組織から、本来は民が果たすべき「公」の機能を切り離すことで、より効率的な政府に生まれ変わる一助ともなると松井氏は言う。
 では、「民」と一言で言っても、誰が「新しい公共」の担い手となるのか。松井氏は、それはNPOであり、地域社会であり、企業であり、一人ひとりの個人であり、そして政府でもあると答える。これまで政府や行政の中に偏在していた公共領域が、担い手と担い手の間にまたがり、お互い役割を分担し、協力しながら担うのが、松井氏が説く「新しい公共」の姿だ。
 とはいえ、これからの新しい公共の担い手の中心的な存在となることが期待されるのは、NPOなどの市民セクターを置いて他には考えられない。しかし、日本はこれまでこの分野への手当てが明らかに先進国としては後手に回っていた。
 NPO先進国の英米では、政府も顔負けの慈善事業や公益事業を行うNPOの活動を個人や企業から幅広く集められる巨額の寄附金が支えている。個人寄附のみをとっても、米国は20兆円、英国は1.5兆円で、2600 億円という日本のそれを大きく上回る。
 新しい公共のあり方を話し合うために今年1月から首相官邸で定期的に開かれている「新しい公共円卓会議」では、既にNPOへの寄附に対する優遇税制措置の拡充が合意され、政府税調でも2011年度から認定されたNPOに寄付をした個人に対しては、50%の税額控除を認める方針が決定している。
 こうした優遇税制は、税金の使い道を一定の範囲内で個人に委ねるという税制政策の大きな転換を意味している。伝統的に寄附文化の弱い日本で、税制を優遇するだけで本当に寄附が増えるのかという疑問も少なからずある。また制度が悪用されたり、税収が減ることのディメリットも考えられる。しかし、松井氏は多少のハードルやリスクがあったとしても、公益的な活動をする市民セクターを支援することの意義は、それを大きく上回ることを強調する。
 鳩山政権の「新しい公共」は、国のかたちや私たちの社会をどう変えることになるのか。「新しい公共」の思想的背景から具体的事例まで、官房副長官としてこのテーマを担当する松井氏と議論した。

なぜ日本経済の一人負けが続くのか

(第475回 収録日2010年05月22日 PART1:49分 PART1:41分)
ゲスト:野口 悠紀雄氏(早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授)

  08年の金融危機から世界経済が着実に回復へと向かう中、日本だけが取り残されている。経済危機の震源地だったアメリカが、2007年から2011年までの間に3.6%の成長を見込む一方で、日本はその間2.7%ものマイナスの成長となっている。これは他の先進国と比べても特に低く、日本一人負けの様相と言ってもよい。
 かねてより日本経済の構造問題を指摘してきた早稲田大学大学院ファイナンス研究科の野口悠紀雄教授は、この最大の理由は、日本経済が依然として輸出依存型製造業中心の古い構造から抜け出せてないからだと言い切る。
 たしかにリーマンショック後の金融危機における日本企業の傷み方は、アメリカ以上に大きかった。企業利益の落ち込みは、米国企業が3割だったのに対し、日本は7割以上にも及んだ。
 2002年以降の日本の好景気は、アメリカの消費拡大に伴う自動車などの輸出増に大きく依存していた。そして、アメリカの自動車販売の好調ぶりは、経済危機の原因とされたサブプライムローンなどの住宅ローンと密接に関係していた。多くのアメリカ人が、住宅価格が値上がりを続ける中で、住宅を担保にしたローンで自動車を購入していたからだ。これは住宅価格が暴落すれば一気に萎むバブルに過ぎなかったと野口氏は言う。
 経済危機は各国を等しく襲うが、製造業の占める割合が高い日本は、経済危機で輸出が冷え込むと、たちまち設備過剰となる。しかし、製造業の設備過剰は簡単に解消することができないために、日本経済の回復が遅れているのだと野口氏は指摘する。
 一方、危機の震源地のアメリカの回復が早かった理由は、アメリカがすでに産業構造の改革に成功しているためだ。野口氏によれば、アメリカは70年代、80年代に日本の工業製品が大量に入ってきたことで、脱製造業化を余儀なくされた。その過程で貿易摩擦や失業などの痛みは伴ったが、現在は製造業の比率が日本の半分ほどしかない脱工業化経済を達成している。組合が強く政治力のある自動車産業だけは、構造改革に失敗したため、金融危機で致命的な痛手を受けているが、脱工業化の結果生まれてきた金融業やIT産業など世界の先端産業の成長が、アメリカ経済の回復を支えている。製造業を守り、経済構造改革に失敗した日本と、既にそれを完了していたアメリカの差が、ここに来て両国経済の明暗を大きく分けていると野口氏は言う。
 90年代以降、韓国、台湾、中国などの新興国が次々と工業化し、賃金の安いそれらの国と製造業で競争しても勝負にならないことは明らかだった。ちょうど日本から攻め込まれたアメリカが脱工業化を図ったのと同じように、そこで日本は脱工業化・産業構造の転換を図る必要があったが、日本は金融緩和、円安、緊縮財政で輸出依存型の製造業を保護する政策をとった。要するに古い産業構造を延命させたということになる。その間政権の座にあった小泉内閣は、構造改革政権と呼ばれることが多いが、野口氏はこれを言下に否定する。小泉・竹中路線は構造改革などではなく、むしろ旧来の産業構造を守る政策だったと、これを一蹴する。
 日本経済が復活するためには、真の産業構造改革が必要だが、それはまさにアメリカが経験したような、厳しい痛みを伴うと野口氏は言う。日本人が自らの手で痛みの伴う構造転換を図れないのなら、日本は一度廃虚にならなければ、新しいものは生まれない。 そう言う野口氏が提言する、日本経済復活のための処方箋は苛烈だ。しかし、将来世代のためにもいま大転換をしなければ、日本の未来はないと言い切る。
 日本経済が生き返るためには何をすべきか、日本の進むべき道はどこにあるのか、構造改革論の大御所と称される野口氏と議論した。

在沖米海兵隊の抑止力とは何なのか

(第476回 収録日2010年05月29日 PART1:38分 PART2:55分)
ゲスト:孫崎 享氏(元外務省国際情報局長)

  普天間飛行場の移設先として「最低でも県外」を公言してきた鳩山首相が、最後に「辺野古」を選ぶしかなかった理由としてあげた唯一の理由が、「米海兵隊の抑止力」だった。  28日に日米間で合意した共同声明でも「沖縄を含む日本における米軍の堅固な前方のプレゼンスが、日本を防衛し、地域の安定を維持するために必要な抑止力と能力を提供すること」と明記され、米軍が沖縄に駐留することの必要性の根拠を抑止力に求めている。
 しかし、鳩山首相も日米共同声明も、抑止力の中身については、何ら具体的に明らかにしていない。  日米の安全保障問題に詳しく、外務省ではもっぱらインテリジェンス(諜報)畑を歩んできた元外務省国際情報局長の孫崎享氏は、米海兵隊の抑止力論を、「まったく的外れな主張」だとして一蹴する。
 海兵隊は有事の際に真っ先に戦闘地域に派遣される急襲部隊であり、「抑止力とは何ら関係がないというのは軍事の常識」だと孫崎氏は言う。また、鳩山首相が名指しであげた朝鮮半島情勢への対応についても、もともとその役割は在韓米軍が担うべきもので、沖縄に海兵隊を配置する理由になどならない。
 こう論じる孫崎氏は海兵隊のみならず、そもそも在日米軍自体が、今日抑止力を失っているとまで言う。
 軍の抑止力は、核兵器に対する抑止力と通常兵器に対する抑止力に分かれる。しかし孫崎氏によれば、中国の軍事的な台頭によって、もはや米国が中国と一戦を構える意思を失っている以上、在日米軍は核に対する抑止力も通常兵器に対する抑止力も、いずれも提供できていない。仮に尖閣諸島などをめぐり日中間で紛争が生じてもアメリカ軍は動かないだろう。ましてや、米本土を核攻撃する能力を持つ相手に対して、他国をまもる目的でアメリカが核を使用することなどあり得ない。だから孫崎氏は在日米軍の抑止効果は、もはや存在しないも同然だと言うのだ。
 では、なぜアメリカは、抑止効果の無い海兵隊員を沖縄に配置し続け、新たな基地の建設を強硬に求めるのか。孫崎氏は、アメリカの海兵隊が沖縄にいることの最大の理由は、年間6000億円にものぼると言われる日本の米軍駐留費支援にあると言う。いわゆる思いやり予算だ。
 日本は海外に駐留するアメリカ海兵隊の99%を国内に抱え、しかも、在日米軍の駐留経費の75%を思いやり予算として負担している。ドイツの30%と比べてもこの数字は圧倒的に高い。つまり、アメリカは世界のどこの国よりも日本に海兵隊を置いた方が経済的に好都合であるという理由から、地域の抑止力などとは無関係に、単に世界中に海兵隊を派遣するためのホームベースとして、海兵隊の基地を日本に持ち続けたいというのが、アメリカの本音だと孫崎氏は言うのだ。
 こうなると普天間移設をめぐる迷走は、どうやらアメリカの言い分を鵜呑みにした鳩山政権の独り相撲の感が否めない。しかし、それでも孫崎氏は普天間問題はまだ終わっていないと言い切る。なぜなら、期せずして鳩山政権が沖縄県民の反基地感情に火をつけてしまったからだ。今後、辺野古移設計画を進めようにも激しい抵抗や妨害活動に遭い、基地の建設が不可能になる可能性は低くない。
 孫崎氏は、地元の反対が非常に強い場合、アメリカは辺野古への基地建設をごり押しはしないだろうと言う。なぜならば、アメリカは、反基地感情を刺激し過ぎることで、それが嘉手納など、アメリカ軍の海外戦略の生命線にまで飛び火することを最も恐れているからだという。嘉手納などに比べればアメリカにとって普天間問題は小さな問題であり、それが少しこじれたくらいで日米関係が損なわれることもないし、問題が他の基地へと波及することは、アメリカは決して望んでいないからだ。
 8ヶ月前にマル激に出演した際に孫崎氏が持論として展開した「日米関係において日本はすでにアメリカに対して対等以上の関係にある」と考え合わせると、結局今回の普天間移設をめぐる迷走は、交渉巧者のアメリカにしてやられたというだけのことだったのかもしれないという気さえしてくるではないか。
 日本がアメリカを失いたくない以上に、アメリカは日本を失いたくないと主張する孫崎氏と、米海兵隊の抑止力や、それを理由に辺野古への移設に踏み切った鳩山政権の意思決定のあり方などについて議論した。

鳩山政権は何に躓いたのか-新政権の課題

(第477回 収録日2010年06月05日 PART1:73分 PART2:50分 PART3:116分 PART4:46分)
ゲスト:松井孝治氏(内閣官房副長官)、長谷川幸洋氏(東京新聞・中日新聞論説委員)、福山哲郎氏(外務副大臣)、山口二郎氏(北海道大学教授)

 民主党政権発足から8ヶ月余り。社民党の連立政権離脱の激震も収まらないうちに、今度は鳩山首相が辞任、そして小沢幹事長も辞任した。鳩山首相は2日の辞意表明演説で政権交代の成果を訴える一方、それでも「国民に聞く耳を持たれなくなってしまった」原因として、政治とカネの問題と普天間移設問題の二つを挙げた。
 辞任表明の前日、鳩山首相から直接辞意を伝えられたという松井官房副長官は、辞任の理由として特に首相が強調したのが政治とカネの問題だったと明かす。クリーンな政治を目指して自民党を飛び出し、民主党を結党したはずだったのに、自分と小沢幹事長が抱える政治とカネの問題で国民の指弾を受け、党を窮地に立たせている。このままでは民主党も自民党と同じように見られ、政策の実行もままならない。もう一度民主党の原点を取り戻し、党の再生を図るためには、小沢幹事長と共に辞任するしかない。そう述べた鳩山首相は、スピーチライター役の松井氏が用意する演説原稿を持たずに辞意表明の演説に臨んだという。
 確かに政権与党のトップ2人が政治とカネの問題を抱えたことが、政権の求心力にボディブローのように効いていたことはまちがいないが、鳩山政権を退陣に追い込む決定打となったのは、普天間飛行場の移設問題だった。なぜならば、これが政権のガバナンス(統治)能力を問う問題にまで発展してしまったからだ。
 「鳩山首相は普天間問題に関して、日米安保体制をアジアとの信頼関係の中に位置づけてより深化させるという大きなビジョンの中でが県外・国外を模索していた」。松井氏はこう言って首相を弁護する。そもそも先進国が自国の安全保障を他国任せにした上に、駐留基地を永続的に国内に配置させておくのはおかしいというのが首相の持論。戦後初の政権交代を成し遂げた以上、基地問題の解決を一歩でも前に進めるのが使命であるとして、民主党がマニフェストで落とした「県外移設」をあえて個人の思いとして公言したのが「最低でも県外」という言葉だったという。
 しかし、鳩山政権迷走の内実を追いかけた『官邸敗北』の著者で、東京新聞・中日新聞論説委員の長谷川幸洋氏は、マニフェストにないことを首相が公言したことで政権が迷走するのは目に見えていたと言い切る。長谷川氏によれば、政治とは政策という目標を決定し、その実行に至るまでの工程管理であるという。そのプロセスで対立が生じたり、それを調整するのもまた政治だが、マニフェストという党全体で共有されたものから首相が勝手に踏み出してしまえば、最初から内閣としてのゴールが定まらず、迷走するのも当たり前だというのだ。
 しかし松井氏は、最終的に鳩山政権がつまずいた本質的な原因は、マニフェストを忠実に実行することを優先し、政策を遂行するための制度改革を後回しにしたことだと言う。具体的には、当初は民主党政権の鳴り物入りだったはずの国家戦略局が全く機能しなかったことだ。政権交代とは本来ならば、統治構造の変革を可能にするほどインパクトのあるものであるにもかかわらず、民主党議員の多くが、システム変革に関心を持たなかった。
 首相辞任後わずか2日で菅直人氏が新首相に選出されたが、どのような組閣を行うにせよ、鳩山政権の轍を踏まないために、新政権は真っ先に制度改革に着手すべきだと松井氏は提案する。
 今週はまず、首相の片腕として鳩山政権を支えた松井氏を迎え(Part1)、鳩山政権がどこでつまずいたのかを検証した上で、長谷川氏とともにその議論をさらに深めた(Part2)。
 その上で、福山哲郎外務副大臣をゲストに迎え、鳩山政権の政治主導のあり方などについて議論をした。(Part3)
 さらに、結党時以来民主党のブレーンを務める山口二郎北海道大学教授を迎え、今回の鳩山辞任劇のもう一人の主役である小沢氏に焦点を当て、鳩山政権がなぜ破綻したのかを検証した。
 山口氏は、民主党の政権交代には、自民党的な政治のあり方を変えるという命題と、自民党的な手法に訴えてでも自民党を徹底的に潰すという2つの命題が存在しており、その矛盾を、小沢氏を政権与党内に抱えた鳩山首相が乗り越えられなかったことが政権の破綻につながったと指摘する。
 小沢氏が民主党に何をもたらしたのか、ひいては日本の政治においてどのような役割を果たしたのかについて山口氏と議論した。(Part4)

脱・脱官僚のすすめ

(第478回 収録日2010年06月12日 PART1:64分 PART2:28分)
ゲスト:中野 雅至氏(兵庫県立大学大学院准教授)

 菅直人新首相は、就任会見でも国会での所信表明演説でも、これまで民主党が一貫して主張してきた「政治主導」の言葉を一度も使わなかった。いや、むしろ菅首相は、官僚との協力関係や役割分担を強調するなど、一見、新しい政権の下で民主党は脱官僚の旗を降ろしたかに見える。どうやら菅政権にとって鳩山政権からの教訓の中に、官僚との関係修復も含まれていると見て間違いなさそうだ。
 そもそも鳩山政権の8ヶ月間、政治と官僚の関係はどうなっていたのだろうか。元厚生労働省のキャリア官僚で政治と官僚の関係に詳しい、兵庫県立大学の中野雅至准教授は、鳩山政権の8ヶ月間、中途半端な政治主導の結果、大臣、副大臣、政務官の政務三役が官僚を遠ざけて、もともと官僚が行っていた仕事の多くを政治が担おうとした結果、行政の仕事が大幅に滞っていたと指摘する。そして、それは政治家に官僚が抵抗した結果などではなく、政治から官僚に対して明確な指示が出されなかったために、官僚が動けなかったのが実情だったと、中野氏は言う。
 政策の実現には目標を設定し、利害調整を行い、執行するという3つのプロセスがある。政治の最大の役割は政策の目標を明確にすることだが、鳩山政権にはそれができていなかったばかりか、そもそも何を実現したいかがはっきりせず、明確な理念があるかどうかさえ疑わしいと官僚の目には映っていたと中野氏は言う。
 しかも、とりわけ野党時代が長かった民主党には利害調整の経験も浅いため、調整が不十分なまま最後の執行部分だけが官僚に委ねられても、官僚は動きようがなかったというのだ。
 経済界への影響を懸念する経産省の抵抗で、地球温暖化ガス削減の実効性が危ぶまれる内容となった地球温暖化対策基本法も、世界に向けて25%削減を公約した鳩山首相が、法案の作成過程でリーダーシップを発揮すれば、経産省が手を突っ込む余地はなかったはずだと中野氏は言う。少なくとも官僚の目には、この問題でも鳩山政権の対応ぶりは、、25%削減の本気度を疑わざるを得ないようなものと映っていたのだ。
 そもそも、官僚が霞ヶ関文学や修辞学を駆使して法案を骨抜きにしたり、自分達に都合の悪い政策に抵抗しているという物の言いようは、官僚の現場を知る中野氏にとっては無理があるものと映る。国民によって選ばれた政治家が明確に理念と目標を設定すれば、役人が小手先の技術でそれに抵抗することなど容易にできるものではないし、最終的に官僚は政治家である大臣に人事権を握られている。それに、そもそも官僚は本気の政治家に抵抗するだけの度胸も気概も持ち合わせていないと中野氏は笑う。政治が政治本来の役割を果たさない時に、官僚の裁量が必要以上に大きくなるというのが、中野氏の一貫した主張だ。
 自分が望む政策実現のためにそうした官僚バッシングを巧みに利用したのは小泉首相だった。しかし、政権にとって本来は身内である官僚を抵抗勢力と切り捨てて行う改革は、行革型の改革に限られる。無論行革にも一定の意味はあるが、そこからは、今日本がもっとも必要としている新しい価値や方向性は生まれてこない。官僚を叩いていても、今日の日本の問題が解決するわけではない。
 民主党政権の本質は再配分政策にあると見る中野氏は、できるだけ早く意味のない官僚バッシングは卒業し、民主党本来の理念の実現に向かうべきだと提言する。その方向性を明確に打ち出せば、黙っていても官僚はついてくるはずだと。
 官僚バッシングの結果、今官僚たちが何を考えていて、彼らのモチベーションやモラールがどのような状態にあるのか、そして、日本が目指すべき政と官の関係はどうあるべきか。政治家と官僚の最大の違いは覚悟であり決断力だと言い切る中野氏とこうした問題を議論した。

EUはユーロの挫折を乗り越えられるか

(第479回 収録日2010年06月19日 PART1:73分 PART2:48分)
ゲスト:庄司 克宏氏(慶應義塾大学法科大学院教授)

 ギリシャの財政問題に端を発するユーロ危機は、EU(欧州連合)がIMF(国際通貨基金)を巻き込む形で7500億ユーロ(約85兆円)相当の財政支援を行うことで、当面の決着を見た。しかし、今後、スペインやポルトガルなど多額の財政赤字を抱える他のユーロ圏諸国への波及も懸念され、ユーロ危機は依然として予断を許さない状況が続いている。
 そもそも今回のユーロ危機は、通貨を統合し金融政策だけは欧州中央銀行の下に一元化しながら、財政や経済政策はユーロ加盟各国に委ねられているという現在のEUの統治構造の矛盾を浮き彫りにしたものだった。果たしてこれはユーロへの通貨統合の失敗を意味するものなのか。欧州同盟という長く壮大な試みは、この先どこへ向かうのか。
 EU研究の第一人者でEUからEU専門家の証であるジャン・モネ・チェアの称号を授与されている慶應義塾大学の庄司克宏教授は、今回の危機をきっかけにEU内では各国の主権にまで踏み込んだより緊密な統合を図ろうとの機運も生まれてきているが、そのためには条約改正が必要となるため、その実現には高いハードルが存在すると指摘する。EUという構想自体が、一見主権の返上を含む国家の統合を指向したもののように見えながら、実は、加盟国の主権を守るための手段としての経済統合という性格を持って始まったからだと言う。
 EUの母体となる1952年の欧州石炭鉄鉱共同体(ECSC)の設立は、第二次世界大戦の戦後処理として仏独の不戦共同体をつくるという目的で進められたものだった。とりわけ第一次大戦、第二次大戦と立て続けに世界戦争の発端を作ったドイツが、再び戦争を起こさないような体制を作ることが、戦火で荒廃した欧州にとっては喫緊の課題だった。
 その後EEC(欧州経済共同体)、EC(欧州共同体)を経て1993年のEU発足、1999年のユーロへの通貨統合へと進化を繰り返してきた欧州同盟だが、一般にEUに至る経緯は、専ら経済的な統合を進めてきたように見られることが多い。しかし、庄司氏は、EUの歴史は、むしろその時々の政治的課題を解決するための手段として経済的統合を利用してきたものだったと言う。発足時の石炭鉄鋼共同体も、結局は戦争経済を支える産業の共有が目的だったし、経済的に貧しい小国のギリシャが1981年にEC加盟を認められたのも、頻発するクーデターを押さえ込み、民主主義を安定させるという狙いがあったという。
 つまり、EUの経済統合は、一見経済的なメリットを得ることを目的としているように見えながら、実は高度に政治的であり、また安全保障政策の一環でもあったというのだ。
 そのようなEUの歴史の中で、今回のユーロ危機が、大きな挫折となったことは否定できない。ギリシャなどの弱小国のユーロ脱退や、ユーロ危機のツケを回されるドイツのマルク回帰さえ取り沙汰されている。だが庄司氏は、ヨーロッパがEUやユーロという、苦難の末に勝ち取ったツールを簡単に手放すことはないだろうとの見方を示す。
 EUはそもそもヨーロッパ的価値観で世界をリードしたいと考えるヨーロッパ人たちが、米ソ、ひいては中国・インドなど非ヨーロッパ的なる価値に対抗するために作り出した、多分に理念主導型のものだった。CO2の排出権取引市場など、EUやユーロというツールを手にしたからこそ、ヨーロッパが世界で主導権を持つことができている分野は多い。今回の挫折を乗り越えて、ヨーロッパはこれからも環境、科学技術、人権などの分野で世界のリーダーシップをとろうとしてくるだろうと、庄司氏は予想する。
 ユーロ危機であらわになった経済統合の限界などEUが抱える問題、そして東アジア共同体構想をマニフェストに明記した日本の民主党政権がEUの経験から学ぶべきことは何かなどについて、EU専門家の庄司氏と議論した。

まちがいだらけのマニフェスト選挙

(第480回 収録日2010年06月26日 PART1:50分 PART2:42分)
ゲスト:浜 矩子氏(同志社大学大学院ビジネス研究科教授)

  参院選が24日、公示され、各党ともマニフェストを通じて政策を訴えている。また、菅首相がマニフェスト発表会見で消費税率引き上げに言及したために、マニフェストとは別に消費税引き上げの是非が、選挙の主要な争点となっているようだ。
 マニフェストは各政党が重要だと考える政策をまとめたものだが、それは日本や世界の現状をどう認識し、どのような対策を打つべきだと考えているかを示すものにほかならない。各党による今日の日本の診断書であり処方箋である。  各党のマニフェストは一様に、日本の現状について経済の停滞や長期デフレに言及した上で、その処方箋として、「強い経済」や「デフレ克服」、「目標経済成長率」などを提示している。
 しかし、エコノミストの浜矩子同志社大学大学院ビジネス研究科教授は、各党のマニフェストが提案する政策はまちがいだらけだと指摘する。そもそも診断書の部分、つまり世界や日本の現状認識が誤っているからだと言うのだ。
 浜氏は、現在、日本を覆うデフレは需要が供給を下回る通常のデフレとは異なる「ユニクロ型デフレ」とも呼ぶ現象だと言う。これは、グローバル化によって地球規模の安売り競争が起きた結果、モノの値段の低下が人件費を押し下げ、人件費の低下がモノの値段を押し下げるという悪循環を指す。ユニクロ型デフレの下では、経済が成長したとしても、貧富の格差が増し、貧しい人々の生活はますます貧しくなる。貧しくなった人々はますます安い商品に群がらざるを得なくなるため、更にユニクロ型デフレの悪循環の深みにはまっていくのだ。
 浜氏は、こうした状況の下では、政党が経済成長を公約に掲げ、約束通りの経済成長が達成されたとしても、日本企業が中国などの新興国と安売り競争を続ける限り、人件費は下がり続けるし、格差は広がり続け、現在のユニクロ型デフレ状況は変わらないと言う。各党が今の日本経済の最大の問題と位置づけるデフレは、別の問題から生じている、という主張だ。そうならば、その根本問題に手当をしない限り、いつまでたってもデフレは解決しないことになる。
 根本問題への取り組みが結果的に経済成長にもつながるだろうと浜氏は言う。そのためにはまず政治が、経済成長を吹聴するだけでなく、根本問題に対する処方箋を提示しなければならない。では、いたずらに経済成長を謳うのではなく、政治が経済や社会に対して本当にできることは何か。
 浜氏はそこでカギとなるのが地域主権だと説く。まず政府が地域に権限を委譲した上で、地域に住む市民がお互いの顔が見える範囲で自分たちの問題に対する解を見つけそれを実行していく以外に、現在の日本社会が抱える問題を解決する方法は見あたらない。仮にセーフティネットの強化が必要という結論に達したとしても、それは国が一律に行うセーフティネットではなく、地域ごとのニーズを地域自らが考えて実行に移していくことが重要になる。政治にできることがあるとすれば、そうした枠組み作りくらいだろうと浜氏は言う。
 政治が経済や社会を変えることはできない、反対に経済や社会が政治のあり方を決めるのだと主張する浜氏と、各党の参院選マニフェストの問題点、さらにはマニフェストには載っていない参院選の真の争点は何かを議論した。

vol.46(461~470回収録)

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トヨタプリウスのリコールはあれでよかったのか

(第461回 収録日2010年02月13日 PART1:75分 PART2:70分)
ゲスト:廣瀬 久和氏(青山学院大学法学部教授)

  昨年世界一の自動車メーカーの座に着いたばかりのトヨタ自動車が、今週火曜日、日本での最大販売数を誇る最新型プリウスのリコールを発表した。スリップを防ぐためにブレーキに付けられたABS(アンチロック・ブレーキ・システム)の設定に対してユーザーから「効きにくい」「スーッと滑る」などのクレ-ムが相次いだことを受けた措置だという。
 今回のリコールは製品の不具合というよりも、ブレーキを制御するソフトの設定が、一部ユーザーの期待と合致しなかった結果と言った方がより正確との指摘もあるが、トヨタの幹部による「ユーザーのフィーリングの問題」などの発言がトヨタの責任逃れと受け止められたことで、トヨタに対する風当たりが俄然厳しくなり、本来であれば安全上問題がある場合にのみ行う「リコール」という厳しい手段に訴えざるを得なくなってしまったようだ。
 しかし、トヨタのリコール発表に際して、失敗学の権威である工学院大学の畑村洋太郎教授(東京大学名誉教授)と弁護士の郷原信郎氏(ともに国土交通省のリコール検討会メンバー)は緊急の記者会見を開き、そもそも今回の問題は自動車の安全基準に抵触するものではなく、ユーザーよってそれを問題と感じたり感じなかったりするという個々人の感覚に依存する面が大きいため、対象車を全て回収して修理する法的な「リコール」には馴染まないとの見解を発表した。両氏は、リコールが要件としている安全性に関わる不具合や欠陥が無くても、一定数のユーザーからクレームがつけばリコールをするのが当然であるかのような前例が作られると、自動車メーカーに多大な負担がかかり、結果的に自動車メーカーの競争力が損なわれたり、回り回ってその負担がユーザーにかぶせられることへの懸念を表明した。
 しかし、トヨタからリコールの届け出を受理した前原誠司国土交通大臣は、トヨタの豊田章男社長に対して、もっと早くリコールされるべきだったと苦言を呈した上で、国民もリコールに対して悪いイメージを持たずに、企業が製造者責任を積極的に果たそうとしていることの現れであると理解して欲しいと発言している。
 ところが前原発言とは裏腹に、リコール発表を受けた大手メディアの報道は軒並み、品質のトヨタがその最新技術の象徴とも呼ぶべきプリウスの不具合を認めたと一斉に報じるなど、トヨタ、とりわけリコールを行ったという事実に対して手厳しかった。依然として日本ではリコール=欠陥のイメージが、根強く残っていることはまちがいないようだ。
 そのような状況の下での今回のトヨタのリコールは果たして正しい判断だったのだろうか。
 消費者法の専門家で、国内外のリコール制度に詳しい青山学院大学の廣瀬久和教授(東京大学名誉教授)は、今回のプリウス問題だけを個別で見れば、果たしてリコールまでする必要があったかどうかの議論は成り立つかもしれないが、この問題はむしろ昨年秋から米国で広がったトヨタ車の品質をめぐる相次ぐトラブルの延長線上にあると見るべきだと指摘する。暴走事故の原因となったフロアマットにアクセルが引っかかる問題やアクセルペダル部品の不具合など、トヨタでは自動車の安全性の根幹に関わる重大な問題が相次ぎ、そのたびにトヨタの対応はことごとく後手に回った。少なくとも消費者の目にはそう映った。その結果、特にアメリカではトヨタが何かを隠しているのではないかといった不信感が広がってしまったと廣瀬氏は残念がる。そのような矢先に日本でもプリウスのブレーキ問題が浮上し、そこでもトヨタ幹部による「フィーリング」発言など、責任逃れとも受け取れる対応が大きく報じられたため、トヨタに対する不信の念が拡大したと言うのだ。
 今回のトヨタの問題は、個々の技術的な問題というよりも、企業としてのトヨタの対応の仕方が問われている面が多分にあると廣瀬氏は見る。特に透明性や公正さを重んじる米国では、責任逃れや隠蔽はことさらに重大な問題となり、懲罰的賠償責任の対象となる。そのため自動車メーカーは、積極的にリコールを行い、責任を果たす姿勢を見せることが自身にとってもメリットとなる。
 しかし、日本ではリコール=欠陥品と捉える風潮が依然として根強い。つまり日本ではリコールなど責任を全うするための行動を取ると、それがあたかも欠陥や非を認めたかのように受け取られてしまうために、企業は迅速にリコールなどの対応が取りにくくなっている。
 日本でも三菱ふそうタイヤ脱落事故などを機に2000年以降リコールの件数が急増している。リコールはもはや自動車メーカーにとって追い込まれた末の最後の手段ではなく、ユーザーとの協力のもとでより安全な製品を作っていくために積極的に活用する手段となっている。これが世界的な趨勢であり、日本もその流れに沿っている。
 しかし、プリウスのリコールの報じられ方や、一連のトヨタに対する世論の風当たりの強さは、日本にとってのリコール制度が世界的趨勢に反するばかりか、まだ「責任」と「対応」を分離して考えられていないことを如実に物語っている。
 トヨタによるリコールから見えてきた、日本における企業と市民の関係や企業の責任とあり方のあるべき姿を、社会と法制度の観点から廣瀬氏とともに議論した。

「政治とカネ」特集
民主主義のコストと利益誘導政治の境界線はどこに

(第462回 収録日2010年02月20日 PART1:69分 PART2:74分)
ゲスト:富崎 隆氏(駒澤大学法学部准教授)

  小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体の土地取引をめぐる問題は、小沢氏自身が不起訴処分となったことで、とりあえずは収束の方向に向かっているかに見える。しかし、政権の中枢を揺るがした一連の事件が古くて新しい「政治とカネ」の問題をあらためて浮き彫りにした。
 そこで今週のマル激では、政治とカネの問題を、根本から再考してみることにした。
 まず、そもそも政治がカネまみれになる、つまり政治にカネがかかり過ぎたり、大量のカネが政治に注ぎ込まれると、どのような問題が生じるのか。
 計量政治学が専門で海外の政治資金制度に詳しい駒澤大学法学部の富崎隆准教授は、そこには2つのリスクがあると言う。一つは腐敗・汚職の危険性、そしてもう一つは政治への参入障壁だという。汚職や腐敗が民主主義の基盤を壊すことは言うに及ばないが、集めるお金の多寡によって政治参入の可否が決まることもまた、民主主義の平等原則に反する。
 そこで、政治にかけるおカネはどの程度なら適性で、それをどうやってコンロトールするかが、万国共通の課題となる。
 現在日本には、戦後アメリカの政治資金制度に倣って作られた政治資金規正法があるが、富崎氏は、今回の小沢事件を通じて現行の政治資金規正法の2つの問題点が明らかになったと指摘する。
 まず一つ目は、規正法自体が改正を繰り返す中で継ぎ接ぎだらけとなり、政治資金の管理・報告制度が非常に複雑怪奇なものになっているため、法に則って政治資金報告が公開されても、政治家の政治活動やお金の使い方の実態が簡単には見えてこないようになっている点だ。
 小沢氏の事件でも、政治資金が複数の政治団体の間を行き来したことが明らかになっているが、現行制度で政治資金の受け皿となる政治団体を事実上無数に作ることが可能になっていることが、政治資金規正法がザル法と呼ばれる所以の一つとなっている。
 二つ目の問題点として富崎氏は、こうした複雑怪奇な制度のありようが、政治資金の流れに恣意的な解釈を与える余地を与え、それが今回の小沢問題のように検察の介入を招く原因となっていることを挙げる。昨年政権交代が実現し、今後は政権選択が可能な政治状況になった今、政治資金問題も選挙も有権者の自由な選択に任せるものであり、政権とは別の国家機関が政治に介入することは相当に警戒すべきだというのだ。
 同じ理由で富崎氏は、民主党が公約している企業団体献金の禁止についても、否定的な見方を示す。企業や団体など特定の利益集団の献金も個人の献金と同じく、自由な政治活動の一つであり、それを禁止することは政治活動を著しく規制しかねない。また、規制の強化はむしろ脱法的行為を助長し、検察権力の介入の余地をさらに広げることになりかねないというのだ。
 そもそも政治家が特定の利益集団から献金を受け、その集団を代表して政治活動を行うことの何が問題なのか、と富崎氏は逆に問い返す。利益誘導政治は広い意味での代議制民主主義の本質であり、政治学的には利益集約と呼ばれる政治本来の機能の一部でもある。問題はその利益集約が特定の個人や団体のための個別的なものか、より普遍性があるかで妥当かどうかが分かれるのであって、全ての利益誘導を否定してしまっては民主主義そのものが成り立たないではないかと、富崎氏は問う。
 それでは政治とカネの問題の本質とはいったい何なのか。富崎氏は、まず何よりも政治資金の流れを透明化して、市民的なチェックが容易に可能になる状態を作ること。その上で、大前提として民主主義には一定のコストがかかることを踏まえ、自由な政治活動を保障するためにも、一定の政治資金を認め、それがある限度を越えたときに是正を図るような形にすべきだと富崎氏は主張する。そして、その限度がどこにあるかは、市民、つまり有権者が決めるべきだと富崎氏は言う。
 結局、政治とカネの問題は、カネの量が政治の質にどう影響を与えるかという問題であり、それは一概にどの規模が適正であるかは決められないということかもしれない。だからこそ富崎氏も、政治資金規正法は透明化を徹底させることが不可欠だと強調する。
 政治とカネの問題は民主政治の成り立ちと深く結びついている。アメリカでは言論の自由を妨げるとの理由から、政治資金の制限は至って甘い。政治資金を制限し過ぎると、活発な政治活動の妨げとなり、民主主義の弱体化につながる恐れもある。しかし、かといってそこを緩めすぎると、腐敗や汚職がはびこるリスクが増し、その一方で検察や警察が政治に介入する余地を与えることにもつながる。
 日本は今政治とカネの問題をどう考えるべきなのか。政治資金の国際比較なども交えながら、富崎氏と徹底的に議論した。

なぜ今、排出量取引なのか

(第463回 収録日2010年02月27日 PART1:77分 PART2:35分)
ゲスト:大野 輝之氏(東京都環境局理事)

 この4月、東京都が国に先駆けて、CO2の排出量取引制度を立ち上げる。これは2005年にスタートしたEUのETS、アメリカ北東部10州が2009年から実施しているRGGIに次ぐ、世界で3番目の本格的な排出量取引制度となる。一自治体の制度とは言え、東京都は国に置き換えると世界で15位の経済規模を持ち、それはオーストラリアよりも大きい。いよいよ世界は本格的な排出量取引の時代に突入したと言っていいだろう。
 遅ればせながら鳩山政権も、自ら世界に向けて公約した2020年までの温室効果ガスの25%削減を実現するために、その基本政策をまとめた「地球温暖化対策基本法案」を今国会に提出する方針を明らかにし、目下その策定が大詰めを迎えている。しかし、基本法をめぐる議論の過程では、温室効果ガスの排出削減に大きな効果を持つと見られる排出量取引をめぐり、実効性のある制度を導入したい党内の環境政策推進派と、産業界や労働界の意向を代弁して制度導入に後ろ向きな姿勢を取る反対派の間で、激しい駆け引きが今も続いている。当初基本法には排出量取引を意味するキャップ・アンド・トレードの文言が含まれていたが、反対派の巻き返しに遭い、2月26日に発表された素案からはその文言が一旦は削除されている。その後、再度それが復活してはまた消えるといったことが繰り返されてているのが実情だ。ことほど左様にこの問題が揉めるのは、地球温暖化対策としてはこのキャップ・アンド・トレード実現の可否が大きなカギを握ることを、推進派も反対派も熟知しているからに他ならない。
 東京都の排出量取引の制度設計を主導した東京都環境局理事の大野輝之氏は、キャップのない排出量取引は排出量取引ではないと言い切る。そもそも排出量取引という言葉自体に問題があると大野氏は言う。通常これはキャップ・アンド・トレード、つまり排出量の総量規制(キャップ)と、それを満たした事業者と満たせなかった事業者の間でそれを取引するトレードの組み合わせだが、まず何よりも始めにキャップありきの制度であり、そのキャップを効率的に実現するために、トレードが存在するものだ。つまり、キャップ無き排出量取引というのは、主客逆転もいいところで、完全なる換骨奪胎に他ならない。
 国に先駆けて東京都が排出量取引の導入に踏み切る理由について大野氏は、地球環境の存続を考えれば、大量にエネルギーを消費し、好きなだけCO2を排出していいという時代が既に終わり、既にEUが域内排出量取引制度を実施しているほか、他の先進諸国でも取引制度導入に向けた動きが確実に広がってきている中、国の対策を待っていてはこうした流れに乗り遅れてしまうからだと言う。低炭素型社会への移行がすでに避けられない世界的な潮流である以上、排出量取引制度は、東京都の持続的な発展のためにも不可欠だというのが、大野氏の主張だ。
 しかし、排出量取引については、依然として懐疑的な見方も根強い。
 まず、排出量をいくら取り引きしても、売り買いが繰り返されるだけで、排出量は減らないではないかとの指摘がある。しかし、これは単に誤解に基づく議論だと大野氏は言う。キャップによって排出量の総量を抑えることが、キャップ・アンド・トレードの大前提にあるからだ。
 また、排出権の取引が金融化を招き、第二のサブプライムローン問題のようにならないかとの懸念も根強い。これについては、実際に取引が始まることで「排出権」という名の新たな金融商品が生まれることは事実だが、それは株式や債券と同様に、一定の歯止めをかけることで、暴走を防ぐ措置をとればいい。金融商品化することで、市場が排出権の適正値を決めるようになることは、政府などが一方的にそれを決めるよりも好ましいとの見方もある。
 しかし、実際に排出権取引に最も強く反対しているのは、そうした誤解に基づく反対論よりも、そもそもキャップを受け入れたくない業界やその声を代弁する政治家や官僚たちだ。できることなら誰だって重い排出制限など課されたくない。しかし世界全体で2020年までに最低でも25%、2050年までに80%の温室効果ガスを削減できなければ、それよりも遙かに重いコストが人類にのし掛かる可能性を指摘したスターン報告を引くまでもなく、排出量の削減はもはや世界的な潮流であり人類共通の課題でもある。それを前提に、EUは既に排出量市場の整備を進め、世界で主導権を確立しつつある。オバマ政権下の米国や豪州、隣国の韓国も続々と制度の導入に向けて準備を始めている。このままこの潮流に乗り遅れるようなことがあれば、日本がこれまで苦労して蓄積してきた高い省エネ技術の優位性さえも失いかねない。
 大野氏はむしろ削減義務を課すことが技術革新のインセンティブになり、また排出量取引のさまざまなノウハウを獲得することで、市場のルール作りという意味においても、優位な立場にたつことができるはずだと言う。キャップ・アンド・トレードの導入は産業競争力を弱めるどころか、むしろその強化につながるはずだと大野氏は主張する。
 東京都の取り組みを参照しながら、排出量取引の必要性について大野氏とともに議論した。
(今週のマル激トークオンディマンド本編は、神保哲生、萱野稔人(哲学者・津田塾大学准教授)の司会でお送りします。)

PIGS問題は本当に対岸の火事なのか

(第464回 収録日2010年03月06日 PART1:63分 PART2:41分)
ゲスト:井堀 利宏氏(東京大学大学院経済学研究科教授)

  現在国会で審議中の2010年度予算案は、一般会計総額92兆円余り、うち国債発行額が44兆円超と、ともに過去最大規模となった。それに対して税収は1985年以来最低水準の37兆円にとどまる。国債発行額が税収を上回るのは何と1946年以来のことだという。
 国と地方を併せた債務残高が対GDP比で190%(OECDデータ)に達する日本の財政事情は、すでに先進国中最悪の水準にあり、数字上は先のG7でも財政難が懸念されたPIGS諸国(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)をも凌ぐ。特に日本の純債務残高の大きさは突出しており、2010年には対GDP比でイタリアを抜いて日本が世界一になるといわれている。少なくとも数字を見る限り、先頃暴動にまで発展したギリシャの深刻な財政危機も、対岸の火事と暢気に構えてはいられそうにない。
 こうした不安に対して、経済学者で財政学が専門の井堀利宏東京大学大学院教授は、景気が多少悪化しても物価や金融システムが安定している日本では、もともと経済的に立ち遅れているPIGS諸国のように、直ちに危機を迎えるような状況にはないと言う。日本の国債の信用度はまだ十分に高いし、消費税が先進国の最低水準の5%に過ぎない日本にはまだ増税の余地がある。また、国債の国内保有率の高さや1400兆円にも上る家計部門の貯蓄残高の高さなども、PIGS諸国とは条件が異なる。
 しかし、日本には、そうした優位性を打ち消して余りある決定的な悲観材料が、一つあると井堀氏は指摘する。それは、日本の高齢化のスピードが諸外国と比べてケタ違いに速いことだ。実は日本の財政悪化も急激な高齢化に負うところが大きく、その意味で日本の財政状況は相当に厳しいと言わざるを得ない。今後、経済成長も期待できない上に、団塊世代の高齢化で社会保障費が爆発的に増大するとなれば、財政破綻に見舞われる可能性も否定できないと井堀氏は言うのだ。
 もし日本が財政破綻した場合、井堀氏は、かつてアルゼンチンで起きたようなデフォルト(債務不履行)は先進国の日本では起きないとしながらも、国債の信用度が急落し、買い手がいなくなるために金利が急上昇するという。そのため、それまで国債発行で賄っていた予算が新たに組めなくなり、急激な大増税や大胆な歳出カットをせざるを得ない状況に追い込まれる。サービスの低下や年金給付削減に加えて急な大増税ときたら、ギリシャのような社会不安を招きかねない。これが先進国における財政破綻の典型的な事例だと井堀氏は警告する。
 団塊の世代が医療費の中心受給者となる10年後までに、できるだけ早く財政再建に着手し、財政健全化を図る必要があると言う井堀氏は、そのためにはムダの削減だけでは不十分であり、消費税の増税は避けて通れないと言う。
 とはいえ、日本国内では消費税増税に対する異論は根強い。中でも、全消費者から浅く広く税を徴収する消費税には、低所得層の負担が相対的に大きくなる逆進性の問題があるからだ。
 これに対して井堀氏は、一部の商品に対する税率を軽減したり、給付付き控除を導入することで、低所得者に対する逆進性を手当する方法はいくらでもあり、それだけで消費税を導入しない理由にはならないと説く。
 悪化する日本の財政の現状を検証し、財政を再建するために何をしなければならないかを、井堀氏とともに考えた。

マル激スペシャルウィークin沖縄 タブーに挑まずに何のためのメディアか

(第465回 収録日2010年03月09日 PART1:69分)
ゲスト:岡留安則氏(元『噂の真相』編集長)

 タブーなき反権力スキャンダル誌『噂の真相』の休刊から6年。沖縄に居を移した編集長・岡留安則氏は、普天間問題に揺れる沖縄をどう見るか。
(第465回のその他のコンテンツは「特別版 迷走する普天間基地移設問題」に収録しております。)

なぜわれわれは社会の敵を求めるのか

(第466回 収録日2010年03月20日 PART1:42分 PART2:58分)
ゲスト:弘中 惇一郎氏(弁護士)

  ロス疑惑の三浦和義、薬害エイズの安部英、鈴木宗男から加藤紘一、村上正邦、そして武富士の武井保雄から中森明菜、野村沙知代、叶姉妹、堀江貴文、そして今注目を集めている厚生省の村木厚子元局長。いずれも世間を賑わした著名な事件の主人公ばかりだが、この錚々たるメンバーの代理人を務める一人の弁護士がいる。カミソリ弘中との異名をとる弘中惇一郎氏だ。しかも弘中氏は、あたかも検察とメディアがタッグを組み、社会全体からのバッシングに晒された、いわば「社会の敵(パブリック・エネミー)」のような存在となった彼らに、多くの無罪判決や勝訴をもたらしているのだ。
 現在、弘中氏が弁護人を務める人物の一人が、厚労省が絡む郵便制度悪用事件で逮捕・起訴された村木厚子元厚生労働省雇用均等・児童家庭局長である。人望もあり、事務次官候補の呼び声が高かった村木氏は、健康保険福祉部の企画課長だった2004年、実態のない障害者団体に対して郵便割引制度の適用団体と認める偽の証明書を部下に命じてつくらせたとして、虚偽有印公文書作成・同行使の罪に問われている。
 しかし、この公判では、村木氏から指示を受けたとされる部下をはじめ、出廷した証人が次々と捜査段階の供述を覆し、村木氏の事件との関わりを否定するという異例の展開となっている。弘中氏は、村木氏にはそのような不正を働く動機がなく、まことしやかに報じられた政治家からの働きかけも公判で否定されていることを指摘した上で、この事件はそもそも検察が描いた構図に最初から無理があると言い切る。
 そもそも今回の事件は、障害者郵便割引制度を悪用し大量のダイレクトメールを発送して不正な利益を得た企業や団体関係者が逮捕・起訴された郵便法違反事件に端を発する。しかし、郵便法違反ではたかだか罰金刑で終わることを面白くないと見た大阪地検特捜部が、政治家と官僚トップを巻き込み、最初からシナリオありきでつくられた事件ではないかと弘中氏は見る。その背景には東京地検特捜部に対するライバル意識、特捜という看板を掲げるが故に、常に特別な事件をあげなければならないという気負いがあるとも指摘する。
 しかし、「事件をつくる」のは何も検察に限ったことではない。ロス銃撃事件も薬害エイズ事件もメディア報道が先行し、世論が感情的に吹き上がり、それらに後押しされた捜査当局が追随した事件だった。海外を自由に往来し、ブランド品に高級外車などバブルを先取ったような派手な生活を送る三浦氏、血友病の権威であり、特異な話しぶりや振るまいが高圧的に映る安部氏、聖域とされたマスメディア企業の買収に手を染め、社会規範に対する挑発的な言動がエスタブリッシュメントの反感を買った堀江氏。彼らはいずれも、マスコミや世間から容赦のないバッシングを受けつづけた挙げ句に、刑事訴追まで受けるという経過を辿っている。
 特に薬害エイズ事件に関しては、エイズという得体の知れない怖い病気で実際に多くの被害者が出ているという時期に、社会の不安を拭い去るためには、誰かを悪者にして、そこに原因を帰属させることで安心感を得たいという空気が社会全体を覆っていたと弘中氏は言う。
 しかし、現実には血液製剤による薬害エイズ問題は世界各国で起きており、海外では誰一人として臨床医の刑事責任など問われていないと弘中氏は言う。日本で安部氏がマスコミ報道や世間から叩かれて起訴されたのは、まさに人々の不安を静めるためのスケープゴートにされたに過ぎないと弘中氏は主張するのだ。
 しかし、それにしても最近の日本は、社会の共通の敵を見つけることに甚だ熱心のように見える。まずマスメディアがその先導役を務め、どこからか感情のフックを備えたネタを見つけてくる。そして、さんざん祭を盛り上げた上で、最後は真打ち登場とばかりに検察が現れ、悪者を退治して社会正義を貫徹する。それによって社会は溜飲を下げると同時に安堵感を得る。自由人権協会の代表幹事も務めた弘中氏の戦歴は、単に著名な刑事被告人を弁護してきたというだけでなく、著名人でありなおかつ目立つ存在であるが故に、社会が安心を得るための道具に使われた個人の人権を守ってきた歴史でもある。
 その弘中氏は、そうした正義の貫徹にやたらと検察や司直が入ってくる原因として、立法府や政治の機能不全を挙げる。社会の変化に立法システムが対応できず、人々の不全感や不安感が高まる中で、司法が本来の領域を超えて、それを手当する役割まで担うようになっている、あるいはそれを担わざるを得なくなっているというのだ。しかし、本来は立法が果たすべき機能を、逮捕権や公訴権を持った検察や警察が担うようになれば、無理な刑事捜査や人権侵害のリスクを招くことが避けられない。昨今の検察批判は同時に、政治の機能不全にも向けられなければならないということになる。
 「社会の敵」を弁護し、有罪率99.9%といわれる日本の刑事裁判において無罪を勝ち取ることで、検察の行き過ぎをチェックしてきた辣腕弁護士の弘中氏と、検察、司法、メディア、そしてそれらを取り巻く社会状況について議論した。

霞ヶ関文学入門

(第467回 収録日2010年03月27日 PART1:64分 PART2:49分)
ゲスト:岸 博幸氏(慶應義塾大学大学院教授)

  民主党政権が目指す「政治主導」がどうも思わしくない。公務員制度改革関連法案では肝心の天下り規制や人件費の2割削減が先送りされてしまったし、地球温暖化対策基本法案も民主党の選挙公約から大きく後退してしまった。一見政治主導を装いながら、どうも鳩山内閣の政務三役が、霞ヶ関官僚に手玉に取られている感が否めない。
 そこで今週のマル激では、民主党が唱える脱官僚・政治主導が実現できない原因の一つとして、官僚が政治や立法過程をコントロールするために駆使する霞ヶ関の伝統芸とも呼ぶべき「霞ヶ関文学」に注目してみた。
 霞ヶ関文学とは、法案や公文書作成における官僚特有の作文技術のことで、文章表現を微妙に書き換えることで別の意味に解釈できる余地を残したり、中身を骨抜きにするなど、近代統治の基本とも言うべき「言葉」を通じて政治をコントロールする霞ヶ関官僚の伝統芸と言われるもののことだ。
 霞ヶ関文学では、たとえば特殊な用語の挿入や、「てにをは」一つ、句読点の打ち方一つで法律の意味をガラリと変えてしまうことも可能になる。また、特定の用語や表現について世間一般の常識とは全く異なる解釈がなされていても、霞ヶ関ではそれが「常識」であったりする。若手官僚は入省後約10年かけて徹底的にこのノウハウを叩き込まれるというが、明確なマニュアルは存在しない。ペーパーの作成経験を通じて自然と身につけるものだといわれるが、あまりに独特なものであるため、政治家はもちろん、政策に通じた学者でも見抜けないものが多いとも言われる。
 通産官僚として約20年間霞ヶ関文学を駆使し、その後竹中大臣の政策秘書官として、官僚の霞ヶ関文学を見抜く役割を果たしてきた岸博幸慶應義塾大学大学院教授は、そもそも霞ヶ関文学の出発点は日本語を正確に定義して書くという、行政官僚に本来求められるごく当然のスキルに過ぎないと説明する。しかし、法律や大臣の国会答弁の文章を明確に書き過ぎると、自分たちの裁量が狭められたり、官僚が何よりも重んじる省益を損なう内容になる場合に、官僚の持つそのスキルが、本来の趣旨とは異なる目的で使われるようになってしまった。そして、そのような意図的な書き換えを繰り返すうち、法案や大臣の国会答弁で使われる単語や表現の意味が、一般常識とはかけ離れたものになってしまったと言うのだ。
 ほんの一例をあげれば、道路公団や郵政改革でよく耳にする民営化という言葉があるが、「完全民営化」と「完全に民営化」とが、霞ヶ関文学では全く別の物を意味すると言う。「完全民営化」は株式と経営がともに民間企業に譲渡される、文字通りの民営化を指すが、「完全に民営化」になると、法律上3パターンほどあり得る民営化のどれか一つを「完全」に実現すればいいという意味になるというのだ。つまり、「完全に民営化」では、一定の政府の関与が残る民間法人化や特殊法人化でも良いことになるという。しかも驚いたことに、霞ヶ関ではそれが曲解やこじつけではなく、ごくごく当たり前の常識だと言うのだ。
 岸氏が竹中平蔵大臣の補佐官として政府系金融機関改革に取り組んでいたとき、官僚が滑り込ませてきた、この「に」の一文字に気づき、法案を突き返したことが実際にあったという。政府系金融機関が「完全民営化」されることで天下り先を失うのを嫌った官僚が、政治決定の段階では入っていなかった「に」の一文字を、法案の中に潜り込ませてきたのだ。
 他にも、全く同じ文章でも、句読点を打つ場所を変えることで意味が変わったり、単語の後に「等」をつけることで、事実上何でも入れられるようにしてしまうなど、確かに霞ヶ関文学は伝統芸と呼ばれるだけのものはある。
 そして、霞ヶ関文学はそれを熟知した官僚もしくは元官僚にしか見破ることができないが、現在の民主党政権にはそうしたノウハウを熟知した上で官僚を使いこなせる閣僚が少ないため、官僚に取り込まれるか、あるいは無闇に官僚と対立する結果行政の停滞を招くなど、間違った政治主導になっていると、岸氏は苦言を呈する。
 自民党時代の官僚政治を支えてきた霞ヶ関文学の実例を挙げながら、権力の行使において言葉が持つ重要性や、政治主導の実現のために何をすべきかを岸氏とともに議論した。

密約は本当に必要だったのか

(第468回 収録日2010年04月03日 PART1:44分 PART2:53分)
ゲスト:春名 幹男氏(ジャーナリスト・外務省密約有識者委員会委員)

  これこそが政権交代の最大の成果なのかもしれない。  岡田外相は、自らの肝いりで立ち上げた日米密約に関する有識者委員会が、核の持ち込み、朝鮮有事における日本からの米軍の自由出撃、沖縄返還時の現状回復費の肩代わりの3つの密約が、日米間で交わされていたとする検証結果を、3月9日、発表した。
 特に日米安保条約改定時の核の持ち込みと、沖縄返還時の原状回復費の肩代わりの2つの分野では、「広義」との条件付きながらも、過去の自民党政権がその存在を言下に否定してきた密約の存在を政府が正式に認めたことは、戦後史の中でも特筆すべき出来事と言っていいだろう。
 有識者委員会のメンバーとして、密約の検証作業に携わったジャーナリストの春名幹男氏は、核持ち込みの事前協議に対する認識が密約に当たるかどうかをめぐり、委員の間にも意見の相違はあったが、春名氏自身は、これは事実上核の持ち込みを容認するものであり、明確な密約だったとの認識を示した。
 今回の検証作業で新たに発見された引き継ぎ文書などによれば、事前協議に対して日米間の認識に違いがあることは初めから双方とも理解しており、あえてその違いを「お互いに深追いしない」ことが記録されていたという。核兵器の存在を「肯定も否定もしない」アメリカのNDCD (Neither Confirm Nor Deny)政策を知りながら、核の持ち込みついての事前協議の申し入れがないので、核の持ち込みはないと言い切ることが密約そのものであり、日本は国際的には非核三原則を謳いながら、実際は核の寄港や通過は黙認する非核2.5原則だったと春名氏は言う。
 1959年から1960年当時、岸内閣が進める日米安保条約改定交渉をめぐって国内は騒然としていた。国会審議は紛糾し、大規模な「安保反対デモ」が連日国会周辺を取り囲む異常な状況だった。とてもではないが、核兵器を搭載した艦船の日本への寄港を公然と容認できるような政治状況ではなかった。
 また、そもそも日米では核に対する感情や考え方が180度異なっていた。その原点は広島・長崎への原爆投下にあるとの見方を春名氏は示す。日本人の誰もが核の恐怖を脳裏に焼き付けた原爆投下は、米国にとっては戦争を終わらせるだけでなく、兵器としての核の有効性を確認するものだった。それ以後アメリカは、戦後の軍事戦略を核兵器を中心に組み立てていった。
 日本国民の核アレルギーは簡単に取り除けるものではない。しかし、冷戦下において東西両陣営の核開発競争が進む中、日本の安全保障の確実なものにするためには核兵器を戦略の中心に据えるアメリカの加護を受けるしかない。密約はそう判断した当時の政権の苦渋の決断であり、密約そのものは合理的なものだったと春名氏は言う。
 しかし、国会や国民のチェックを受けないばかりか、事実上国民を騙すことになる密約の妥当性を判断するためには、後世まで記録が保存され、それが一定の期間と条件の下で開示されることが不可欠となる。今回の密約騒動も、まずアメリカ側で機密が解除された密約文書が見つかったことがきっかけだった。
 ところが日本側の調査では、密約の証拠を裏付ける重要文書の多くが破棄されるなどして行方不明になっていることが判明した。3月19日の衆院外務委員会では東郷和彦元条約局長が、自らが整理し後任に引き継いだはずの密約ファイルのうち、最も重要な文書のいくつかが消えていることを明らかにしている。また、外務省が大量の文書を破棄していたという情報を東郷氏が証言している。
 外務省は何を隠したかったのか。春名氏によると、情報公開施行前の文書大量破棄は、各省庁でも起きており、外務省に限らないとはいうが、特に外交密約は文書が破棄されてしまえば、真実は永遠に闇の中に葬られてしまう。脱官僚、政治主導を標榜する民主党政権の岡田外相が、外交文書の保存・公開基準を定める省令の制定を急いでいることは評価に値するだろう。
 また、今回の密約調査で、政と官の関係にも問題があったことが明らかになった。高度な政治判断だったはずの外交密約が、いつの間にか官僚の引き継ぎ事項となってしまったために、説明責任を負いたくない官僚が、その証拠を隠滅するというようなことが起きてしまったからだ。仮に密約を認めるとしても、なぜそれが政治家から政治家へと引き継いでいくことができなかったのかは検証を要するはずだ。
 戦後史上初めて明らかになった密約の内容とその妥当性を、委員の1人として実際の検証作業にあたった春名氏とともに議論した。

なぜ日本はデフレを脱することができないのか

(第469回 収録日 2010年04月10日 PART1:71分 PART2:39分)
ゲスト:高橋 洋一氏(政策シンクタンク「政策工房」会長、嘉悦大学教授)

  現在日本が直面する最大の課題を問われれば、迷わずデフレの脱却と答える人が多いのではないか。雇用不安も財政赤字も、その根底には1990年代から始まったとされるデフレがある。しかし、なぜ鳩山政権はこの単純な命題を、一向に実現できないのだろうか。
 元財務官僚で、現在は自ら立ち上げた政策シンクタンク「政策工房」の会長を務める高橋洋一氏は、その原因はもっぱら日銀の無策とそれを放置する鳩山政権にあると言う。日本経済が明らかな需給ギャップを抱えているにもかかわらず、日銀は金融政策という最も基本的な施策を実施しようとしない。そして、鳩山政権はそれを放置している。鳩山首相はどうも、政府は日銀に対してそうした注文を一切つけてはならないものだと官僚から思い込まされているようだと、高橋氏は言う。
 他にも「官僚の書いた作文をそのまま出しただけ」(高橋氏)の成長戦略や、展望もないまま国営回帰を図る郵政改革法案など、ここまで鳩山政権が打ち出してきた政策、とりわけ経済政策には、疑問符がつくものが多い。高橋氏自身は子ども手当や高校無償化など、自民党時代の公共事業を通じた再配分から家計への直接給付の政策転換には一定の評価を与えると言うが、その大前提だったはずの予算の総組み替えも実現できていない。その結果が、戦後最大となる92兆円の予算であり、1946年以来となる国債発行額が税収を上回るという異常事態だった。
 高橋氏は鳩山政権のこうした体たらくを、政治主導が実現できていないために、官僚に手玉に取られている結果だと指摘する。
 そもそも鳩山政権が、総選挙で勝利した直後に「政権移行チーム」を作らなかったことが、ボタンの掛け違いの始まりだったと高橋氏は言う。いざ政権が発足すれば、日常の公務に忙殺されることはわかりきっていた。政権移行チームはそうなる前に、新政権の意思や優先すべき政策を明確に打ち出し、それに協力する意思のある官僚を枢要な地位に就ける意味がある。政権発足後に政務三役で役所に乗り込んでいっても、多勢に無勢で勝負にならないからだ。
 ところが鳩山政権の下、首相官邸を始め各省庁で働く秘書官や補佐官らは、いずれも自民党政権当時のままだ。これでは政権交代の真価は発揮できないし、政治主導など実現できるはずがない。
 もともと民主党はそのような状況に陥らないために、100人以上の国会議員を政府に送り込むことを公約していた。しかし、政権の枠組みを決める場所になる政権移行チームが作られなかったため、そのために必要となる国会法や内閣法の改正準備がまったく進まなかった。その結果が、「古い道具のまま新しいことをしようとする」(高橋氏)ようなことになってしまった。
 政権発足時の準備不足が全ての悪循環を生んでいると指摘する高橋氏は、その解決策として、民主党の若手に比較的多い官僚OBの政府への登用を進言する。彼らなら官僚の手口を熟知しているし、法案作成のノウハウも持っているため、官僚の策略を未然に防げるし、官僚に依存せずに法案の作成が可能になるというのがその理由だ。法案さえ作ることができれば、国会で過半数を持っている連立与党の立場は強い。
 とは言え、これとて小沢一郎幹事長の意向次第で、実現の可能性はおぼつかない。どうやら鳩山政権が抱えるガバナンス欠如の問題は、民主党という組織のガバナンスの欠如に、直接の原因があるのかもしれない。
 デフレを脱するための処方箋から政権運営のあり方まで、鳩山政権発足後の半年間に噴出した諸問題を高橋氏と総ざらいした。

職業政治家には日本は変えられない

(第470回 収録日2010年04月17日 PART1:50分 PART2:34分)
ゲスト:河村 たかし氏(名古屋市長)

  国政時代に度重なる民主党代表選への出馬などで話題を呼んできた河村たかし氏が、今度は名古屋でひと騒動を引き起こしている。昨年4月に歴代最多得票数で当選、市長に就任したかと思えば、市会議員定数と議員報酬の半減案や、市民税の10%減税、市の権限を地域住民に委譲する地域委員会の設立を定める条例案などを立て続けに提出し、市議会と真っ向から対立しているのだ。
 3月24日に閉会した名古屋市議会では、市長が提出した議員の定数と報酬を半減する条例案は73対1で否決された。賛成の一票は河村氏の元秘書だというから、市長の提案への事実上全会一致での拒否表明と言っていい。  かと思えば、こうした議会の対応を不服とする市長は、支援者らとともに議会の解散請求(リコール)に必要な署名集めの意思を表明するなど、こちらもまた全面対決姿勢を強めている。
 そこで今週のマル激は、その河村たかし氏を名古屋市役所に訪ね、自らが「庶民革命」と名づける河村流改革の真意について話を伺った。
 かねてより議員のボランティア化が持論の河村氏は、そもそも議員が税金で身分保障されることに日本の民主主義が成熟しない根本原因があると主張する。議員は身分保障されると長く続けることが目的化し、いつまでも議員を辞めなくなる。新人が当選しにくい状況になるし、二世や三世や国会議員秘書、特定団体の出身者らが議会の多数を占めることになる。市民の政治参加への関心は失われ、投票率も下がる。それをいいことに、議会は民意を反映させるのではなく、自分たちが特権を享受するためのお手盛り予算を通し続けるようになる。つまり議員の職業化が、政治の腐敗を招くというのが、河村氏の主張だ。
 もともと国王のムダ遣いで重税をかけられるのを防ぐためにイギリスで議会が生まれたように、本来、議会の主要な役割は税金の使われ方をチェックすることだ。しかし、自分自身の身分が税金で保障され、特権化した議員は、税金をチェックする議員ではなく、チェックされる国王の側にいると河村氏は批判する。
 また、河村氏は無駄を無くすためには減税がもっとも効果的だと説く。民間企業と違い、競争相手のいない行政には、よりいいものを少しでも安くという競争原理が起こらない。そのため減税で人為的に下降圧力をかけない限り、いつまでたっても無駄は無くならないというのだ。
 しかし、河村氏の庶民市長としての真骨頂は、減税で市民に還元された税金がどう使われるかについての考え方だ。河村氏は、市民の手元に戻ってきた税金が、NPOなどの公益的な事業に使われることを期待しているという。
 政治のボランティア化も市民税還元も、最後は「自分たちの地域は自分たちでつくる」という、河村氏が考える地域主権の理念に結びつく。そして、その根幹を成すのが、地域委員会だという。地域委員会とは名古屋市を小学校区単位に分け、各地域の市民から選挙で選ばれた委員が市から割り当てられた予算を使って地域の運営を行う制度だ。すでに市内8つの地区でモデル事業が実施されているが、これをさらに拡大しようと市長が提出した条例案を議会は否決している。
 地域主権は「国のかたちを変える」と宣言して政権の座に就いた民主党が掲げる、重要な政策理念でもある。そして、民主党国会議員から名古屋市長に転じた河村氏が今、名古屋で直面している壁は、もしかすると今後日本が地方分権を進める際に、避けては通れない壁なのかもしれない。河村市長に名古屋プロジェクトの現状を聞いた。

 

vol.45(451~460回収録)

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シリーズ・民主党政権の課題6 記者クラブ問題の本質

(第451回 収録日2009年11月28日 PART1:50分 PART2:75分)
ゲスト:森 暢平氏(成城大学文芸学部准教授)

   マル激ではこれまで折に触れてきた記者クラブ問題が、民主党政権の下で新たな次元に入ったようだ。
 大手新聞と通信社、テレビ局だけが記者会見に出席する特権を独占し、雑誌、外国報道機関、ネットメディア、フリーランスは徹底的に排除する、日本のマスメディアの閉鎖性や排他性、前時代性の象徴とも言うべき記者クラブの弊害は、今更指摘するまでもないだろう。
 記者会見への特権的・独占的アクセスのみならず、省庁施設内の記者室の無料使用に始まり、光熱費・電話代、アルバイト事務員に至るまで、ありとあらゆる便宜供与を受けることで発生するメディアと政治の癒着。特権を享受する者同士が結ぶ「村の掟」的取材協定や談合取材。発表ものを報じていれば事足りてしまうことからくる、調査報道能力の低下。そして、メディア産業への新規参入企業の排除等々。
 いずれも報道の自由を標榜する日本ではあってはならないものばかりだし、市民社会にとっては百害あって一利もないものばかりでもある。
 しかし、今や世界の笑いものと化しているこの制度を、日本はなぜ未だに解決できないのだろうか。ましてや、記者会見の開放を宣言してきた政党が政権の座についているというのに、である。
 今回のマル激は、元毎日新聞記者で、学究生活に入ってから記者クラブの歴史を研究してきた成城大学文芸学部の森暢平准教授を招き、明治期の帝国議会の出入り記者会や国木田独歩らによる外務省の記者倶楽部に端を発する記者クラブの歴史や背景などを詳しく検証した上で、その構造的な問題を明らかにしてみた。
 森准教授は任意団体であり親睦団体である記者クラブは本来はプライベートなものであるにもかかわらず、取材や記者会見というパブリックな機能まで持つようになったことが、現在の記者クラブ問題の解決を難しくしていると指摘する。要するに、記者クラブは自らが親睦団体であることを理由に、本来ならばオープンであるべき会見の場から非加盟のメディアを閉め出す一方で、プライベートな団体の懇談に過ぎないはずの閣僚や官僚との会合を「記者会見」と呼ぶことで、パブリックな機能を担わせてきたわけだ。その「プライベート」と「パブリック」の混同やご都合主義的使い分けが、今日の記者クラブ問題、引いては記者会見の開放問題の解決を困難にしているというのだ。
 森氏は、当事者意識も改革能力もない記者クラブは官僚組織と同じであり、すでに多くの人に守旧派と見なされているという。情報公開や説明責任が求められる時代において、記者クラブという自らの問題を報じないまま、自分たちを国民の代表と思い込むマスメディアへの信頼は失われつつある。早晩、そうした大文字のジャーナリズムは凋落し、大手メディアも中小メディアや市民メディアも等価なものとして受容されていくようになると森氏は言う。
 しかし、改革できない大手メディアが凋落していくのは大手メディアの勝手だが、それに伴い、これまでわれわれの先人達が長い年月をかけて培ってきたジャーナリズムのノウハウ、とりわけ権力をチェックするノウハウがメディアから消滅してしまう問題は、簡単に看過できないようにも思える。
 しかし、森氏はその問題に対しても、もはや権力監視の機能も、マスメディアの専売特許ではなく、ジャーナリストの他にも、弁護士やNPOなど幅広い市民社会の参加によって、権力は監視されていくことになるべきだと説く。つまり、森氏は、記者会見は「報道を生業とする者」のみならず、誰でも自由に参加できるものにすべきだと主張するのだ。
 シリーズでお届けしている「民主党政権の課題」の6回目となる今回は、マル激本編としては初となる記者クラブ問題を取り上げた。

「事業仕分け」から見えてきたこと

(第452回 収録日2009年12月05日 PART1:50分 PART2:39分)
ゲスト:枝野 幸男氏(衆議院議員)

  公開の場で政府のムダ遣いを洗い出す「事業仕分け」が、11月27日終了した。インターネット中継へのアクセス数は270万回に達し、直接会場へ足を運ぶ傍聴人の数も1万人弱にのぼるなど、国民の関心も予想以上に高かったようだ。
 事業仕分けによって、これまで財務省主計局の密室の中で行われていた税金の使い道の査定が、白日の下にさらされたことの意味は大きい。
 しかし、その一方で、すべての事業の有用性を1時間あまりの議論で断定する手法に対しては、少なからず反発もあった。
 また、今回の事業仕分けが来年度予算の概算要求から選定された事業が評価の対象となったこともあり、仕分けでいくら削れるかという金額の部分にメディアの関心が過度に集まったことも否定できない。
 しかし、今回、統括役として事業仕分け作業を差配した枝野幸男衆議院議員は、事業仕分けの唯一の目的は、その事業に対して納税者の立場で納得できる説明がなされるかどうかを判断することであり、当初から金額を削減することが目標ではなかったと言い切る。事業仕分けで事業の妥当性を判断した結果、結果的に削減額が1兆6千億円(朝日新聞)になったに過ぎないのであって、金額の多寡自体にはそれほど意味はないというのだ。
 むしろ、枝野氏は、今回の事業仕分けの最大の収穫は、日本では予算編成においてこれまで「目的の重要性」しか議論されてこなかったことが、はっきりとしたことだと言う。事業内容を説明に来た省庁の担当者は、その事業の目的がいかに重要で意味のあることかについてはさまざまな方法で説明しようとするが、ほとんどのケースで、その説明は目的の正当化に終始し、その目的を達成する手段の正当性や合理性をきちんと説明できる人が、いなかったというのだ。
 事業仕分けでは、質問にうまく答えられない役人のプレゼンテーション能力の低さも指摘されたが、枝野氏は、問題はプレゼンテーション能力ではなく、そもそも予算を要求する省庁側は目的の重要性しか考えていないため、手段の合理性を問われても、考えたことがないことに答えようがなかったところにその原因があると指摘する。
 目的の重要性にしか目が行かなかったのは、要求省庁の役人に限ったことではない。概算要求を査定する財務省主計局、政治家、メディア、そして枝野氏自身も含めて、これまで予算の使い道に対して目的の重要性と手段の合理性を区別して考えるという発想が欠けていたために、野放図な予算編成を許してきたと枝野氏は語る。
 事業仕分けは、それを議論するプロセスを通じて、手段の正当性や合理性に対する問題意識を誰もが共有できるようになるところに、その本質的な意義があると枝野氏は言う。
 その意味で、今回の事業仕分けが一般に広く公開されたことの意味は大きい。これまで主計局という密室で行われてきた不透明な予算査定を公開の場に引っ張り出し、予算の有効性について議論する場に国民を引き込んでいくことで、初めて事業仕分けはその真価を発揮するというのだ。
 事業仕分けは、民主党が掲げる「市民参加型政治」への第一歩となるか。枝野氏とともに考えた。

09年、就職戦線異状あり

(第453回 収録日2009年12月12日 PART1:67分 PART2:27分)
ゲスト:常見 陽平氏(就職ジャーナリスト)

  リーマンショックに端を発する急激な景気の悪化で、企業の内定取り消しが相次いだ昨年秋以降、就職市場の冷え込みがメディアで報じられている。文部科学省と厚生労働省の調査によると、来春大学卒業予定者の10月1日時点での就職内定率は62.5%で、前年同期より7.4ポイント低下している。これは調査を始めた96年以来最大の下落率だという。実際、企業の新卒採用数も昨年より大幅に減っており、内定がとれず就職活動に苦戦する学生たちの姿から、氷河期の再来と見る向きもある。
 一方で、(株)リクルートの研究機関のリクルートワークス研究所が今年4月に発表した大卒求人倍率調査によると、2010年3月卒業予定の大学生の求人倍率は1.62倍で、前年の2.14倍から大幅に落ち込んだものの、氷河期といわれた1996年の1.08倍や2000年の0.99倍に比べれば、はるかに高いことがわかった。数字上はさほど悪くないにもかかわらず、なぜ就職戦線の厳しさばかりが目に付くのか。
 (株)バンダイで新卒採用を担当した経験を持つ就職ジャーナリストの常見陽平氏は、今起きているのは氷河期の再来ではなく、内定をいくつもとれる学生と一つもとれない学生との二極化であり、そうした内定格差を生み出している「就活格差」だと説明する。求人数はあるが、企業が欲しいと思う人材が極端に少ないため、一部の学生を企業が奪い合う状況になっているというのだ。
 内定格差が生じる原因の一つとして、常見氏は大企業や人気業種に学生の志望が集中することを挙げる。先の大卒者求人倍率に関しても、従業員数1000人以上の大企業では0.55倍となるのに対し、1000人未満の企業では3.63倍であり、常見氏曰く「知っている企業しか知らない」という学生の大企業志向・有名企業志向がそのまま数字に表れているという。
 また、学生自身の能力や資質の差が開いてきているうえに、企業の選考が以前より高度化・厳格化していることも、格差の要因となっている。行動力やコミュニケーション能力といった企業が求めるスキルを高いレベルで持つ学生は限られているため、そこだけに内定が集中してしまうというのだ。
 このことは裏を返せば、企業側に採用格差が生じていることを示している。いい人材を採りたくても、学生に人気のない企業は全く採れない。さらに求める人材像が似通っているために他の企業と競合し合い、最終的には採用力の差によって競り負けてしまうのだという。
 学生側と企業側のこうしたミスマッチを背景に成長してきたのが、就職情報会社などの就活ビジネスだ。数千企業の就活情報を提供するナビサイトや、大規模会場で開催される合同企業説明会などは、今や一大産業の様相を呈している。
 就活の早期化も止まらない。今では、大学3年の4月から就活が始まるのが一般的であり、大学生活の半分は就職活動に充てられるのが当たり前になっている。企業の採用の早期化に歯止めをかける目的で経団連が設けている倫理憲章も形骸化しており、97年に廃止された就職協定の復活を求める声も上がっているが、常見氏は学生の不安が就活の早期化を招いている現状においては意味がないだろうと指摘する。
 人材を供給する大学側の責任も大きい。少子化時代を迎え、生き残りをかけて学生獲得に奔走する大学としては、就職実績を重視せざるを得ないのは仕方ないが、それは単に学生や親のニーズに応えているだけであり、それでは社会で活躍できる人材を送り出すという公共的な役割は果たせていないと常見氏は語る。
 今週は学生の就職活動に詳しい常見氏とともに、現在の就活の実態を検証した上で、年功序列、終身雇用といった日本固有の雇用形態が壊れつつある中で、それでも新卒一括採用を続けることの是非などを議論した。

2009年総集編
2009-2010・政権交代の次に来るもの 

(第454回 収録日2009年12月19日 PART1:83分 PART2:104分)

  恒例の年末マル激ライブ。今年も東京・新宿のライブハウス『ロフト・プラスワン』で、2009年のマル激的総括と来年の展望を神保哲生、宮台真司の2人が議論した。
 09年はなんと言っても憲政史上初といっても過言ではない本格的政権交代の年となったが、それほど大きな変化が感じられないでいる人も多いはずだ。それはなぜか。
 政権は代わったが、それを支える制度も変わっていないし、ましてやそれを支える市民社会のマインドも変わっていないのだから、社会が変わらないのは当たり前だ。
 しかし、大きな変革の兆しはいたるところに見える。事業仕分けは来年度以降の予算編成で大きな威力を発揮する可能性を秘めている。また、むしろ鳩山政権が批判される対象となっている普天間移設問題をめぐるドタバタも、見方によってはアメリカを怒らせることを厭わない政権が戦後初めて日本にできたと見ることもできる。
 とは言え、政権に就くやいなや民主党の弱点が浮き彫りになったこともまちがいない。サブ(政策の中身)には熱心だがロジ(方法論や手順)に弱い民主党の松下政経塾的な体質は、野心的なマニフェストとは裏腹に、それを実現するための具体論に欠けているものが多いことが次々と露わになった。
 また、首相の故人献金問題やその煽りを受けたとみられる記者会見の開放の遅れなど、鳩山政権が抱える懸案は決して少なくない。
 2009年はまた、日本の司法の劣化が大きくクローズアップされた1年でもあった。和歌山カレー事件の最高裁判決や小沢政治献金事件、福島県知事汚職事件、足利事件の再審決定など、不審な点が多い判決や司法の機能不全ぶりが次々と明るみに出た一方で、市民が裁判に参加する裁判員制度がスタートした。この先、日本の司法の長年の課題である取り調べの可視化を実現できるかどうかは、民主党政権の本物度を測る重要なバロメーターになると見ていいだろう。
 ライブマル激はいつも通り予定時間を大幅にオーバーして、終演した。

神保・宮台COP15現地報告:新しいゲームが始まった

(第455回 収録日2009年12月26日 PART1:35分 PART2:81分)
ゲスト:福山哲郎氏(外務副大臣)、飯田哲也氏(環境エネルギー政策研究所所長)

  京都議定書の約束期間が終わる2013年以降の温室効果ガスの削減目標を決めるCOP15(気候変動枠組み条約第15回締約国会議)は、最後まで先進国と途上国の対立が解けず、最終的には非常に内容の乏しい政治合意を何とか捻り出すにとどまった。
 主要メディアは概ね、コペンハーゲン会議の結果をこのように報じているし、事実、合意そのものは、この会議を注視してきた世界の多くの人々を落胆させるに十分なものだったかもしれない。
 しかし、そうした反応とは裏腹に、日本政府交渉団の一員として会議に出席し、最終合意まで実際の交渉の最前線に立ってきた福山哲郎外務副大臣も、環境NGOの立場からCOPをウオッチしてきたNGO環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長も、ともに今回の会議の成果を非常に肯定的に評価している。
 確かに、世界の190を超える国がコペンハーゲンで一堂に会したCOP15では、既に影響が深刻化している地球温暖化と気候変動問題に対処するには、明らかに不十分な合意しか生むことができなかった。京都議定書を引き継ぐ法的拘束力を持った削減目標は一切決めることができなかったし、新たな議定書の策定期限さえ決まっていない。要するに、京都議定書の約束期間が終了する2013年以降、世界はこと温室効果ガスの削減については、事実上何の約束も無い状態に置かれたことになる。
 にもかかわらず、なぜあの会議にそれだけ大きな意味があったのか。
 福山氏は、コペンハーゲン合意によって、京都議定書の最大の欠点だった中国とアメリカを国際協調の枠組みの中に取り込めたことの意義は計り知れないほど大きいと繰り返し強調する。世界の国別の温室効果ガス排出量で一、二位を占める中国とアメリカは、二ヵ国で世界全体の排出量の4割を占める突出した排出量大国だが、にもかかわらず京都議定書はこの二ヵ国に何の削減義務も課していない。京都では途上国扱いだった中国は当初から議定書の対象から外れていたし、アメリカは議定書に署名はしたものの、上院の批准を得ることができず、ブッシュ政権の成立とともに、議定書そのものから離脱してしまった。
 「アメリカ、中国を含む形で合意に達するには、あれしかなかった。あの合意ですら、先進国が一枚岩となって中国との交渉に臨み、オバマ大統領の獅子奮迅の活躍で、ぎりぎりのところで何とか漕ぎ着けたもの。」10時間を超える各国首脳との徹夜の交渉を終えたばかりの福山氏は、やや興奮気味に語る。
 福山氏によると、オバマ大統領が自ら合意文書のテキストを持って各国首脳の間を走り回り、最後は先進国の総意として中国に合意案をつきつけたことで、当初はいかなる合意にも否定的だった中国も、最後は逃げられなくなったと言う。削減義務を負いたくない中国によって終止会議が振り回されたとされる多くのメディア報道とは一線を画す、交渉現場からの生の証言と言っていいだろう。
 逆に言うと、オバマ大統領は、京都議定書から離れているアメリカを新たな枠組みに含めることに議会の承認を得るためには、何としても中国を取り込んだ枠組みの合意が必要だったのだ。 また、先進国と途上国の対立がコペンハーゲン合意の妨げになったとの報道についても、福山氏は異論を呈する。多くの国際交渉と同様に、かつてのCOPの枠組みでは、まずG7と呼ばれる先進国の間にも、アメリカ、EU、日本の3つの勢力の間で少しでも自国に交渉を有利に進めようとする腹の探り合いがあり、更にその上に、先進国とG77と呼ばれる途上国連合の間で、大きな対立があるため、WTOなどの国際交渉は遅々として進まないというのが定番の説明だったし、現実もそれを概ね踏襲していた。
 しかし、今回コペンハーゲンでは、まず途上国の中でも新興国、とりわけ中国の存在があまりにも大きくなり、従来の勢力図が塗り替えられていた。既にアメリカを抜いて世界最大の排出国となっている中国は、G77の親分格として、これまでの地球温暖化への責任を先進国に求める立場を貫いていたが、同じG77の中でも、ほとんど温室効果ガスを排出していない最貧国やツバル、モルジブなど、温暖化の影響で国家存亡の危機にさらされている国などが、排出量の多い新興国も一定の責任を負うべきとの立場に転じたために、途上国陣営内にも断絶が生じていた。
 更に、中国の台頭が先進国(G7)を団結させる効果も生んだという。経済的にも政治的にも大きな力を持つようになった中国を合意の枠組みに取り込むためには、アメリカ、EU、日本の先進国の互いの利害を超えた協調が不可欠になっていたからだ。
 「今回でゲームのルールが変わったのだと思います。それに気づいていない人達は、まだ古いルールを前提として今回の会議を見ているために、正当な評価ができないのだと思う。」福山氏はこう語る。
 合意の内容に多くの不満はあるにせよ、中国、アメリカを含む枠組みを作るためには、あの合意内容以外はあり得なかったし、合意の内容をより踏み込んだものにするのであれば、世界は再び二大排出国の中国とアメリカが外れた枠組みで我慢するしかない。実際に交渉に携わった人達の口からは、ほぼ例外なく、その2つの究極の選択肢からよりベターな方を選ぶことができたとの自負が感じられた。
 NGOの立場から会議をウオッチしてきた飯田氏も、ルールの変更を痛感した一人だ。
 「新しいゲームが始まったのだと思う。古いルールでは国連が法的拘束力のある決定をしてくれれば、各国はそれを持ち帰って『国連が決めたのだから』と言って国内を説得して、国内の法整備をすればよかった。しかし、今回は各国の首脳が集まって合意したものが、実質的な拘束力を持つ。合意文書のテキストではなく、ここで話し合われたことをもとに、これから国際社会が監視の中で世界は1年間走っていくことになる。法的拘束力はないかもしれないが、鳩山さんも含めて、ここで首脳同士話し合った国は、絶対に離脱はできない。それに中国も、つまり途上国側も入っているのが大きい。」飯田氏は、この会議の意義をこう総括する。
 つまり、コペンハーゲンで新しく始まったゲームとは、G7主導で法的拘束力のある合意文書(テキスト)を作成し、その文書で各国を縛っていく従来の国連のコンセンサス(全会一致)方式が、もはや実効性を失い、新たに、世界が温室効果ガスの排出を削減していくことは必要との大枠の合意に基づいて首脳がコペンハーゲンに集い、地球の気温上昇を2度以内に抑えることなどを大枠で合意した上で、あとは各国がそれぞれの判断で国内対策をどれだけ実行できるかを競うゲームだと言うのだ。より大きく温暖化対策を進めたところが、次の会議ではより大きな発言権を持つことになることは言うまでもない。
 そうした見方を前提に日本に目をやると、コペンハーゲンでは過去の日本の首脳に比べると鳩山首相は一定の存在感を示すことができたと言えそうだ。先進国間の話し合いの際も、鳩山首相はオバマ、クリントン、ブラウン、サルコジ、メルケルらと机を囲んで膝詰めで丁々発止の議論に参加していたという。そして、福山氏も飯田氏も、それは鳩山首相が9月に25%削減を発表しているかに他ならないと、口を揃える。
 世界に先んじて野心的な削減目標を打ち出したことで、少なくとも今回の会議で日本は、新しいゲームに参加するパスポートを得た。しかし、実際その後温暖化対策の具体的な中身については、ほとんど議論さえ進んでいないのが実情だ。民主党は排出権取引、再生可能エネルギーの全種全量買い取り制度、炭素税の3つの制度の導入を公約しているが、これまでその面での整備はほとんどまったくといっていいほど進んでいないのが実情だ。交渉の過程で中国から、「日本は25%なんて言ってるが、本当にできるのか」とまで言われ始めているという。既に国際社会は、25%削減の裏付けとなる日本の国内対策がほとんど進んでいないことを、見抜いているのだ。
 2009年最後のマル激は、ビデオニュース開局10周年記念を兼ねて、COP15の会場から、神保・宮台両キャスターが見たCOP15の報告と、そこで2人が見た新しいゲームとはどのようなもので、そのゲームに日本が参加し、勝ち抜くために何が必要になるのかを、極寒のコペンハーゲンで福山氏、飯田氏とともに考えた。

新年映画特集 映画監督・是枝裕和がまだテレビにこだわる理由

(第466回 収録日2010年01月06日 PART1:87分 PART2:73分)
ゲスト:是枝裕和氏(映画監督・テレビディレクター) 

  2010年最初のマル激は、新年特別企画として、ゲストに映画監督の是枝裕和氏を招いて映画特集をお送りする。
 今回取り上げた作品は、現在公開中の新作映画から『戦場でワルツを』『誰がため』『カティンの森』『キャピタリズム~マネーは踊る~』の4本と、是枝氏の最新作『空気人形』。
 新作4本のうち『キャピタリズム』以外は、いずれも戦争をモチーフにした作品だ。アニメーションとドキュメンタリーの融合という斬新な手法で戦争体験を描いた『戦場でワルツを』、第二次世界大戦中に起こった実話をベースに映画化した『誰がため』と『カティンの森』の3作品を通して、映画で戦争を描くことの意味やその手法について議論した。
 マイケル・ムーアの最新作『キャピタリズム』では、ムーア自身がプロパガンダ映画の作り手としての地位を確たるものにすればするほど、その一方で、ドキュメンタリー作家に不可欠な社会との距離を喪失していく現状を、われわれはどう受け止めるべきかを考えた。
 一方、是枝氏の新作『空気人形』では、この映画を通じて何を描きたかったかを、是枝氏自身が語った。
 番組の後半は、特にテレビ草創期の1960年代に、TBSのディレクターとして斬新なドキュメンタリー作品を次々と世に送り出したテレビマンユニオンの創設者萩元晴彦・村木良彦両氏から、直接薫陶を受けたという是枝氏とともに、その精神を完全に喪失したかに見えるテレビの現状と可能性を論じた。

消えゆくマスメディアとその後にくるもの

(第457回 収録日2010年01月16日 PART1:55分 PART2:38分)
ゲスト:佐々木 俊尚氏(ジャーナリスト)

  あれこれといろいろな可能性を考えてみても、どうやらマスメディアはもうどうにもなりそうもない。
 新聞は発行部数と広告収入の落ち込み、テレビは視聴率の低下と番組の画一化、低俗化に拍車がかかり、雑誌は廃刊が相次ぐ。しかも、マスメディアの報じている内容が、ほとんど社会のニーズを満たせなくなっているという感覚は少なからず広がっているようだ。
 成熟した社会にはもはやマス自体が存在しないのだから、いつまでもマスメディアが存在できるはずがないという説明もあるが、それにしても昨年あたりからのマスメディアの衰退ぶりを見るにつけ、いよいよそれが現実のものとなってきたとの感は否めない。
 「2011年 新聞・テレビ消滅」の著者でジャーナリストの佐々木俊尚氏は、マスメディアの崩壊はもはや避けられないと断言する。そして、それは既にマスメディアを支えてきた社会や技術の構造そのものが変わってしまったからに他ならないと言う。
 確かに今日のマスメディア衰退の直接的な原因は、広告収入の落ち込みにある。景気の低迷やインターネットの台頭も、メディアの経営状態には少なからず影響を及ぼしているだろう。しかし、佐々木氏は、新しい技術の到来でこれまで垂直統合によって高い収益を得ていた従来のビジネスモデルが完全に破綻した以上、仮に景気が持ち直したとしても、マスメディアの衰退に歯止めがかかることはないだろうと言うのだ。
 佐々木氏の解説はこうだ。これまで番組や記事などの(コンテンツ)とそれを載せる器(コンテナ)としてのチャンネルや新聞の紙面、そしてそれを運ぶための電波や宅配網などの伝送路(コンベヤ)の全てを押さえていたマスメディアが、新しいメディア構造の中でコンテナ部分をヤフーやグーグルといった新興ネット企業に奪われた段階で、勝負はついた。コンテナを押さえられれば、これまでマスメディアの力を支えていた「希少な伝送路を押さえていることの優位性」が全く意味のないものになってしまうからだ。佐々木氏は「これからのメディアはコンテナを制する者がメディアを制する時代」と解説する。つまり、マスメディアの真の敗因は、従来のメディアの力の源泉とされたコンテンツと伝送路の2つに固執し、コンテナという新しい主戦場に戦線を移動させることができなかった点だと佐々木氏は言うのだ。
 それでもマスメディアにはこれからもコンテンツ制作者(CP)としての一定の価値は残るかもしれない。しかし、いちCPに過ぎない企業が現在のような高コスト構造や大きな図体を維持し続けることが不可能であることは明らかだ。仮に生き残ることができたとしても、そこで生き残ったメディアはもはやマスメディアたり得ない。その意味で、佐々木氏はマスメディアの終焉を断言しているわけだ。
 しかし、マスメディアが消滅した時、マスメディアがこれまで果たしてきた「世論の形成」と「権力の監視」という2つの機能はどうなるのだろうか。この点についても佐々木氏は楽観視しているという。これまでマスメディアが担ってきた世論形成の機能はネットでも十分に担えるし、それを支える新しいサービスも続々と登場している。一方の権力監視についてはそのニーズがあれば、必ずそれを供給する者が現れるのが市場原理だと佐々木氏は言う。
 実際に新しいメディアの息吹はいたるところに見られる。例えば、これまで政治報道は自民党、官僚、マスメディアが三位一体となって世論形成を行ってきたが、今や鳩山首相自らがツイッターを使って有権者と直接やりとりする時代に入っている。マスメディア以外のメディアにも記者会見を開放した省庁では、記者会見のインターネット中継はもとより、フリーのジャーナリストが記者会見をツイッターで中継し、一般の市民がこれにコメントを返して議論が沸騰するようなことまで始まっている。他のあらゆる業界と同様、メディアの世界でも中抜きが始まっているのだ。政治と世論がダイレクトにつながれば、マスメディアがその存在価値を失っていくのは当然のことだった。
 むしろ、佐々木氏が懸念するのは、今のマスメディアが劣化したまま生きながらえてしまう可能性だという。業績不振が続き、赤字状況がしばらく続いたとしても、長年の独占経営によってかなりの内部留保を貯め込んでいるマスメディアは、それを償却していけば、そうは簡単につぶれない。そうなった場合、既得権益の中で守られたオールドメディアが、大きな図体で市場を占拠し続け、それが新しいメディアの登場を妨げることにもなりかねない。
 いずれにしても、2010年はメディアが大きく変わる1年になる予感がする。2011年にはマスメディアが消滅すると断言する佐々木氏と、2010年のメディアの動きと、マスメディアのその後にくるものを議論した。

検察の捜査について、これだけは言っておきたい

(第458回 収録日2010年01月23日 PART1:35分 PART2:56分)
ゲスト:堀江 貴文氏(株式会社ライブドア元代表取締役CEO)

  「検察の暴走だ」、「小沢も説明責任を果たしていない」などとやりあっている間に、民主党小沢幹事長の土地購入をめぐる資金疑惑が、ついに検察による政権与党幹事長の事情聴取にまで至った。ご多分に漏れずマスメディアでは当初から検察寄りの報道が目につくが、今週に入りどこからともなく「検察は本気らしい」との観測が流れ始めると、物言えば唇寂しの空気が日本全体を覆い始めている感すらする。
 ところがそうした中にあって意気軒昂、舌鋒鋭く検察批判を繰り返す男がいる。自身も検察との徹底抗戦を掲げ、法廷闘争を続けているホリエモンこと元ライブドアCEOの堀江貴文氏だ。
 堀江氏は自分自身が検察の手によって不当に犯罪者に仕立て上げられたとの立場から、検察とメディアがタッグを組んで事件を作り上げていく(堀江氏)手法の怖さと危うさを繰り返し訴える。
 また、現在問題にされている捜査の可視化や弁護士の立ち会いなどは必要だが、それだけでは不十分だと堀江氏は指摘し、自身の経験では、検察の力の源泉は任意捜査にあると言う。堀江氏によると、ライブドア事件を立件するために、検察は周囲に広く捜査の手を広げ、堀江氏に不利な供述をした人は罪に問わなかったり、罪を軽減するなど、事実上の司法取引が行われている。それが検察の最大の武器だと堀江氏は言う。事件に巻き込まれる恐怖から、本人が言ってもいないことを聞いたとか、やってもいないことを見たと証言する人が出てくるからだ。
 それにしても、なぜ小沢氏や堀江氏は検察のターゲットとなったのか。堀江氏はその答えとして、自分と小沢氏の間のある共通点をあげる。それは、両者とも自分たちを「嫌いな人間が一定数存在する」こと。小沢氏も堀江氏も既存の秩序の破壊者であり、一定の数の人々の強烈な反発を買うタイプであることは確かかも知れない。検察としては善人面した人よりもそういうタイプを立件した方が、はるかに一罰百戒効果があるというのだ。
 今回の事件で検察が執拗に小沢氏を狙う理由について堀江氏は、はっきりと「民主党が進めようとしている司法制度改革を何としても阻止したいから」と言い切る。それは堀江氏の経験では、民主党の司法制度改革が実現してしまうと、自身に対して行われたような捜査や立件は難しくなるからだ。
 94日間に及ぶ勾留や激しいバッシングを経て至った今日の心情も含め、堀江氏と「小沢対検察」に見る検察問題を議論した。

なぜ普天間問題がこじれるのか

(第459回 収録日 2010年01月30日 PART1:66分 PART2:69分)
ゲスト:鈴木 宗男氏(衆議院外務委員長)

  名護市長選で辺野古への移設受け入れに反対する新人の稲嶺進氏が当選したことで、普天間基地移設問題は更に混迷の度合いを深めている。鳩山首相は5月までに結論を出すとしているが、今のところいろいろな地名が乱れ飛ぶばかりで、具体的な展望は一向に開けてこないかにみえる。
 橋本内閣で沖縄開発庁長官を務め、長年沖縄と深い関わりを持ってきた鈴木宗男衆議院外務委員長は、普天間問題がこじれる理由として、小泉内閣以降の歴代政権が、沖縄の人々の基地に対する複雑な思いが理解できていないことを真っ先にあげる。沖縄の歴史や事情も知らないでたまたまポストについた政治家が、ハコモノ的なバラマキで沖縄の人々の心を切り裂いてきたと鈴木氏。普天間をめぐる鳩山政権の迷走ぶりの元凶も「沖縄の人々の心が理解できていない」ことにあると鈴木氏は言い切る。
 沖縄では基地に対する複雑な思いがある。温暖な気候と豊かな自然を持つ沖縄は本来は基地など無くても十分にやっていける。その意味ではもちろん基地なんて無いに越したことはない。しかし、沖縄にとってもし基地の受け入れがどうしても避けられないことなのであれば、その負担や影響を最小限に抑えるとともに、少しでも沖縄の地域振興に役立つ見返りを得ようと考える。あたかも沖縄は、利権が欲しくてあれこれごねているかのように見られる素地が、ここに出てくる。
 沖縄では、基地に出て行ってもらえる現実的な可能性が見えてくれば、基地反対が優勢になる。しかし、どうせ受け入れなければならないとなった瞬間に、強制的に土地を接収されるくらいなら基地地主になって地代を徴収した方がましだし、どの道基地の負担を受け入れなければならないのなら、少しでも多くの経済振興策を求めようという話になる。これは当然だ。沖縄の中に2つの異なる利害が共存するというよりも、沖縄の人一人ひとりの中にそれが共存すると言ってもいいかもしれない。鳩山政権で沖縄問題を扱っている政治家たちには、それが十分に理解できていないのではないかと、鈴木氏は言うのだ。
 もともと日米間で2006年に合意された現行の辺野古崎移設案にしても、当初は環境への負荷を最小化する目的で海上浮揚型のメガフロート案や杭式桟橋案などが模索されてきた。しかし、それでは高い技術を持つ大手ゼネコンばかりが潤い、地元の土木建設業界に恩恵が落ちてこないとの理由から、最終的にはより環境負荷の高い現行の埋め立て式V字滑走路案になったという経緯がある。V字で2本の滑走路にした方が、埋め立て面積が大きくなるからだ。ことほど左様に沖縄の基地問題は、複雑でデリケートな側面を持っている。単に辺野古の代わりの場所を見つければいいという話ではないのだ。
 その意味で鈴木氏は、名護市長選挙の結果を「斟酌しない」とした平野官房長官の発言には怒りを隠さない。鳩山政権がまずすべきことは「沖縄の声を聞くこと」(鈴木氏)なのに、それとは正反対の方向を向いた発言だと言うのだ。また鳩山内閣の他の閣僚も、普天間移設の経緯や事情も踏まえずに、移設先に関して好き勝手な発言を繰り返していると、同じ与党の議員でありながら、鳩山政権の対応には容赦の無い苦言を呈す。
 しかし、その鈴木氏でも、普天間問題への具体的な解決策を問われると言葉に詰まる。まず沖縄の声を聞いた上で、最後は沖縄に「貢献をお願いする」以外に解決方法はないだろうというのだ。
 普天間移設問題をめぐる歴史的な経緯をふり返り、その解決に向けて今政治が何をしなければならないのかを、鈴木氏とともに議論した。
 また、同じく鈴木氏とは、検察の小沢氏の政治資金規正法違反捜査に関連して、鈴木氏が政府に提出した検察の捜査に関する数々の質問趣意書の内容とその回答についても議論した。
(今週は5金にあたりますが、1月は第一週目の放送をお休みさせていただいたため、通常の編成で放送します。)

日本経済の復活のための処方箋

(第460回 収録日2010年02月06日 PART1:64分 PART2:45分)
ゲスト:池尾 和人氏(慶應義塾大学経済学部教授)

  リーマンショックに端を発する世界同時不況から約1年5ヶ月。日本経済はGDP実質成長率が3四半期連続でプラスとなるなど回復基調の兆しが見られるものの、景気回復の実感は薄く、雇用情勢も失業率5.1%、有効求人倍率0.46倍と依然として厳しい状況が続いている。さらには円高や消費低迷でデフレの進行が止まらず、二番底を懸念する声も根強い。折しも5日、米国株式市場の急落を受けて日経平均株価が1万円を割りそうになるなど、景気動向については予断を許さない状況だ。日本経済はいつになったらこの不況を打破できるのか。
 経済学者で金融論が専門の池尾和人慶應義塾大学教授は、不況には一時的な景気悪化でその経済が本来持っている実力よりも下ぶれしている場合と、そうではなく実力そのものが低下している場合があり、現在の日本の経済不況は明らかに後者だと言い切る。
 2002年以降の日本経済は米国の過剰消費に輸出産業が引っ張られ、実力以上に好調な景気を維持してきたが、リーマンショックを契機に一気に失速した。その後、緩やかに回復してきてはいるが、現在の停滞状況は日本経済の本来の実力を反映しているに過ぎないというのが池尾氏の見立てだ。今後の見通しについても、「質素で退屈で憂鬱な」低成長時代が続くと池尾氏は言う。
 かつてジャパン・アズ・ナンバーワンとまで言われた日本経済は、なぜそこまで力を失ってしまったのか。池尾氏はその問いに対して、一言で言えば日本の経済の仕組みが硬直化し、内外の環境の変化に対応できていないからだと見る。 
 90年前後に起こった冷戦の終結は、ロシアや東欧の自由主義経済への参入や中国の開放政策の成功、インドやその他の新興国の台頭をもたらし、市場経済の規模が一気に拡大した。その結果、グローバル資本主義が成立し、そこに参加する人数もそれまでの10億人から40億人へと一挙に膨れ上がった。当然、グローバル市場における日本経済のウェイトは相対的に低下することになる。  また、世界の工場として躍進を遂げた中国をはじめ、韓国や台湾などの近隣諸国が産業化に成功し、外でつくった製品を輸入した方が安いという経済合理性から、日本の国内向け製造業も大打撃を受ける。
 こうしたドラスティックな環境変化に日本は対応できず、産業構造の転換を図ることをしてこなかったと池尾氏は説明する。加えて、追いつき追い越せというキャッチアップ型の成長時代が終わったにもかかわらず、先進国型の経済成長に不可欠な、独自の技術開発やイノベーションを生み出すための教育や社会の仕組みづくりにも手を付けてこなかった。
 内外の激的な変化に対して何ら手を打たずにいれば、日本経済が弱体化するのも当然だ。そればかりか、日本経済の実力自体が落ちていることを直視せず、不況の原因を一時的な景気悪化と見て、財政出動というカンフル剤の投入を繰り返してきたのがこの20年間だったと池尾氏は言う。すでに長期債務残高は国と地方を併せて816兆円、対GDP比で160%以上にまで膨れ上がり、これ以上の財政出動の余力はない。しかも、そのツケは将来世代に回されるという世代間不公平が生じている。
 今や重篤な病にかかってしまったかのような日本経済だが、果たして打開策はあるのか。池尾氏は、日本経済が抱える最大の問題点は需要構造と供給構造のミスマッチにあると指摘する。しかし需給ギャップというと、その原因は需要側にあると短絡的に考え、慢性的な需要不足に対して慢性的な財政出動を行ってきたのが、これまでの経済政策だった。現在の需給ギャップはむしろ供給サイドに問題があるというのが池尾氏の見方だ。つまり、売れるモノやサービスを提供できるように、人やリソースを配分するという供給構造の大転換が必要だという。そして、その際に生じる痛みを手当することに経済政策の主眼を置くべきだと池尾氏は主張する。
 医療、健康、介護、教育、環境といった分野における生産性を向上させることが日本の経済成長にとっての最優先課題になると説く池尾氏とともに、日本経済の現状と復活のための処方箋を議論した。(本日のマル激本編は経済ジャーナリストの町田徹と宮台真司の司会で、ニュースコメンタリーは神保哲生と宮台真司の司会でお送りします。)

 

vol.44(441~450回収録)

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空腹力が人類を救う

(第441回 収録日2009年09月19日 PART1:66分  PART2:40分)
ゲスト:石原 結實氏(医師・イシハラクリニック院長)

  食欲の秋というが、今週の丸激のテーマは「空腹力」。  「空腹力」とは、文字通り空腹状態に耐える力のこと。その名づけ親である医師の石原結實氏は、今日先進国に住むわれわれを悩ませているあらゆる病気の原因に、単純な「食べ過ぎ問題」があるとの前提に立ち、われわれが健康な生活を取り戻すためには、食べないことに耐える力、すなわち空腹力を鍛えることが不可欠であると主張している、実は知る人ぞ知る断食界のカリスマだ。
 そもそも300万年前に発祥したと言われる人類の歴史は、そのほとんどが飢餓との戦いに費やされてきた。人間は飢餓を乗り越えて生き延びるために、飢餓に対応するありとあらゆる防衛機能を備えるようになった。それがあったからこそ、恐竜を始めとする多くの動物が滅亡する中、今なおわれわれ人類は地球上で生き延びていると言っていい。
 飢餓防衛能力の一つが、例えば皮下脂肪だ。摂取した栄養は人体の機能を維持するために代謝に回されるが、余った分は将来の飢餓に備えて、皮下脂肪そして体内に蓄えられる。
 また、血糖値が下がると人はすぐに空腹を感じ、万難を排してでも何とか食べ物を口に入れようとするが、食べ物を口に入れてからそれが消化されて満腹を感じるまでに1時間ほどのタイムラグがあるために、放っておけば人間は必ず食べ過ぎるように作られている。
 しかも、余分に食べたものはすぐに脂肪になって貯蔵されるが、一方この脂肪が、簡単には燃焼されないようになっている。ダイエットが苦しいのも、それが原因だ。
 いずれも、将来の飢餓に備えるために人間が300万年かけて身につけてきた高度な飢餓防衛能力なのだから、こればかりはしかたがない。
 飢餓にはこれだけ高度な防衛能力を持つ人間なのだが、その一方で、過食に対しては、何ら防衛機能を持っていない。いや、むしろ人間の本能は過食を促す方向に作用するようになっていると言っても過言ではないのだ。
 今日の先進国のように、飢餓の脅威がなくなり、その気になればいくらでも食糧が手に入るようになった今、皮肉にも飢餓ではなく過食が人類の命を脅かすまでになっている。石原氏によれば、現在予備軍も含めて日本に2200万人もいるという糖尿病をはじめ、高血圧、心筋梗塞、脳疾患、ガンに至るまで、全てが食べ過ぎに少なくともその原因の一端があると言う。
 「恐竜もマンモスも皆、大きくなりすぎて滅びた。人間もこのままでは大きくなり続け、最後には滅びる運命にある」と石原氏は言う。
 そこで石原氏が言うように、空腹力を鍛えよ、となる。
 石原氏の提唱する空腹力とは、端的に言えば空腹を我慢する力のことだが、それは何も空腹の苦しみに耐える力をつけろと言っているわけではない。人間は血糖値が下がった時に分泌されるホルモンによって空腹を感じるため、血糖値が上がれば本来は空腹は収まる。しかし、われわれの多くが、幼少時からきちんと食事を摂らなければならないときつく教え込まれているため、実際に食事で胃袋を満たさないと空腹は収まらないものと信じ込んでいる。つまり、空腹力とは、そうした呪縛から自らを解放し、血糖値を正常にコントロールすることで、例えば1日1食か2食で苦痛を感じずに十分やっていけるような力を付けることを意味する。
 空腹力を鍛えれば、例えば、石原氏が提唱するニンジンとリンゴを混ぜたジュースやショウガ入り紅茶で血糖値を上げておくだけで、まったく空腹を感じずいられるようになるのだと石原氏は言う。
 石原氏自身が、朝、昼はニンジン・リンゴジュースを3杯ずつ飲み、合間にショウガ紅茶を飲む他は、1日1食だけで、しかも毎日ジョギングやウエイトリフティングに勤しむ生活を、30年以上続けているそうだ。
 石原氏自身は医師ではあるが、氏のこうした考え方は、東洋医学の発想に基づいている。解剖学を基礎とし、腫瘍や潰瘍など器質的な変化などの目に見える症状を治療の対象とする西洋医学に対し、気の流れなど目に見えないものに働きかけることで生命の本質に迫ろうとするのが東洋医学だと、石原氏は言う。しかし、理論的な裏付けのない東洋医学は医学の世界において主流とは成り得ず、ともすればオカルト扱いを受けたりする。目に見える形で説明できないものは科学ではないと否定されてきたのだ。
 しかし、「空腹力」は、西洋医学的にも証明できると石原氏は言う。また、実際に西洋でも先端医療の世界では、西洋医学の限界を知った医師たちが、東洋医学的な治療を行っているところは多いと言う。
 食欲の秋、現代の過食社会に警鐘を鳴らす「空腹力」について、石原氏とともに考えた。

シリーズ・民主党政権の課題3 温室効果ガスの25%削減は十分可能だ

(第442回 収録日2009年09月26日 PART1:100分 PART2:46分)
ゲスト:飯田 哲也氏(環境エネルギー政策研究所所長)

  「温室効果ガスを2020年までに1990年比で25%削減する」。
 鳩山首相が国連気候変動サミットで表明した国際公約は、世界各国から称賛された。国際舞台で日本の政治家の発言がこれほど高い評価を受けるのは、一体いつ以来のことだろうか。
 長年地球温暖化問題に取り組んできたNPO環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長は、環境分野に限らず、日本が国際政治を前に動かす原動力となったのはおそらく初めてのことであり、日本国民にとっても有意義な出来事だと、これを高く評価する。
 しかし、こうした国際舞台での歓迎ムードとは裏腹に、国内では「現実的でない」「不可能だ」「負担が重過ぎる」と、25%削減目標に対する否定的な発言ばかりが報道されている。なかでも批判の論拠となっているのが、90年比25%削減が実行された場合、「国民負担が一世帯当たり年36万円増加する」という、「経産省試算」なるデータだ。
 しかし、飯田氏はこの数字には悪意に満ちた巧妙なトリックが隠されていると言う。ここで言う「36万円の負担増」とは、この先日本が地球温暖化対策を何も行わなかった場合と25%削減した場合を比べたとき、2020年の時点で家計負担に36万円の差額が出るという話であり、何も各家庭が実際に36万円を負担しなければならないという話ではない。実は、90年比25%減を実現した場合でも、現在(2005年時点)より家計所得は76万円増えるのだ。それを、あたかも今より家計負担が36万円も増えるかのようにメディアを使って印象操作をするのは、温暖化対策をしたくない勢力によるたちの悪い脅迫だと飯田氏は批判する。
 このようなネガティブキャンペーンが横行する中、飯田氏は、25%削減は決して無理な数字でもなければ、過度な負担を国民に強いるようなものではないと説く。むしろ、既に先進国が約束している最低基準でもある25%の削減が、国民にとって重い負担にならないようにするためには、今から様々な対策を行っておく方が賢明ではないかと言うのだ。
 では、25%削減をいかに実現するか。
 そもそも日本のCO2排出量を増加させた最大の原因は石炭火力発電の増加にあると、飯田氏は指摘する。しかも、日本は2023年まで石炭発電所を増やす計画だという。飯田氏は、まずはこれを凍結した上で、短期的には石油や石炭よりCO2の排出が少ない天然ガスにエネルギー源をシフトさせ、中長期的に太陽光や風力などの再生可能エネルギーに転換していくことが、25%削減を実現するための必須条件になるという。
 そして、それを可能にするツールが、環境税(温暖化対策税)、排出量取引、固定価格買取制度の3点セットだが、民主党は先の衆院選のマニフェストでこの3つの実現を公約しているのだ。
 事業者のCO2排出量に応じて課税をする環境税は、削減努力に経済的メリットが生じるため、既に温暖化対策としての有効性が欧州で証明されている。
 新たな金融商品を生むだけと批判されることの多い排出量取引は、最初にキャップ(総量規制)をかけて、総量を抑えることに主眼がある。現在日本が試験運用しているような総量規制を設けないキャップレス・トレードではCO2は減らないことは当然のことと飯田氏は言う。
 そして、25%削減の決定打となることが期待される再生可能エネルギーについては、電力会社に対して全ての再生可能エネルギーを固定価格で買い取ることを義務づける「フィード・イン・タリフ」と呼ばれる制度を実現できるかどうかが、成否を握っていると言っても過言ではない。これは事業者や家庭が風力や太陽光などの再生可能エネルギー発電を独自に行ったとき、その全量を一定の価格で買い取ることを電力会社に義務づける制度で、この価格設定を8年程度で採算があう水準に合わせれば、発電事業に乗り出す事業者や個人が爆発的に増えることが期待できる。ドイツやスペイン、中国など再生可能エネルギー先進国はすべて、この固定価格買取制度によって飛躍的に自然エネルギー市場を拡大させているが、日本では電力会社と経産省の抵抗が強く、未だに固定価格買取制度は実現していない。
 実はこの11月から、政権交代直前に経産省が滑り込みで導入した擬似固定価格買取制度が始まるが、飯田氏はこれもまた「民主党政権が本物のフィード・イン・タリフを導入するのを阻止するために、経産省が投げたくせ玉」に過ぎないと、これを一蹴する。実はこの制度は、太陽光以外の再生可能エネルギーは一切除外した上に、個人のみを対象にした制度となっていて、一旦この制度が導入されてしまうと、対象を他のエネルギーに広げたり、事業者を買い取り対象に含めることが難しくなるように、意図的に設計されていると言うのだ。民主党政権は、まず本物のフィード・イン・タリフ導入の邪魔になるこの制度をストップすべきだと、飯田氏は言う。
 いずれにしても、25%削減を実現するには、この3本柱のうちの一つでも欠けると、実現は難しいだろうと飯田氏は言う。逆に言えば、ドイツなどの成功例を見ても、この3点セットをしっかりと導入することができれば、国民生活に大きな負担を与えることなく、25%削減は十分に可能になると、飯田氏は言い切る。
 25%削減の処方箋と、その実現の前に立ちはだかる抵抗勢力をいかに打ち破るかを、飯田氏と考えた。

シリーズ・民主党政権の課題4 子どもを生みたくなる国に変わるための処方箋

(第443回 収録日2009年10月03日 PART1:85分 PART2:73分)
ゲスト:渥美 由喜氏(東レ経営研究所ダイバーシティ&ワークライフバランス研究部長)

 少子化が今日の日本が直面する最も深刻な問題の一つであることは言を俟たない。国立社会保障・人口問題研究所の見通しでは、現在の出生率がこのまま続けば、日本の人口は中位推計で2050年には9,515万人に、2100年には4,771万人にまで減少するという。
 その間も高齢化が確実に進むことを考えると、現役世代の社会保障負担がどれほど重いものになるかは想像に難くない。そればかりか、天然資源に乏しい日本にとって、人的資源の減少が国力そのものの低下に直結するのも避けられないだろう。
 しかし、日本とほぼ同時期に出生率の低下に見舞われた欧米諸国の多くが、子育て支援など様々な少子化対策によって出生率の回復に成功しているのに対し、日本は依然として先進国中最低水準の出生率に喘いでいる。
 少子化問題に詳しい渥美由喜氏は、自民党政権下では社会保障政策が高齢者対策に著しく偏っていたため、少子化対策に十分な財源が回ってこなかったが、子どもは社会で育てるという考え方を前面に打ち出した民主党が政権についたことで、少子化対策も改善に向かうことが期待できるのではないかと語る。
 民主党はかねてより「チルドレン・ファースト(子ども第一)」を謳い、子育て支援を重視してきた。マニフェストや政策集にも、子ども手当のほか、出産一時金の助成、保育サービスの充実、ワークライフバランスの実現等々、子育て子援や家族支援に関する政策メニューが多く並んでいる。
 なかでも、子ども一人当たり月額2万6千円を中学卒業まで支給する「子ども手当」には、子どもを持つことの最大の不安要因であった経済的負担を軽減する上、これまでの片働き(専業主婦)世帯優遇から共働き世帯支援への明確な政策転換が感じられると、渥美氏はこれを肯定的に評価する。
 しかし、民主党が子ども手当を始めとする子育て支援策を実施したとしても、日本の子育て支援はまだOECD加盟国の平均程度に過ぎない。むしろ、これまでの日本の子育て支援が、先進国としては余りに貧弱すぎたというのが実情なのだ。
 経済的支援についてはある程度必要なメニューが出そろった感があるが、まだまだ日本が抱える課題は多い。特に、保育所の増設や保育サービスの充実、育児休暇の取得率やその延長にあるワークライフバランスの充実など、子育てや仕事、家庭の役割分担といった家族のあり方そのものを、市民一人ひとりがどう捉えるかに課題があると、渥美氏は指摘する。
 実際、日本ではまだ公的な保育サービスが貧弱なため、共働きをしようとすると、無認可の保育所に高いお金を払って子どもを預けなければならない。また、日本はサービス残業を含めるとEU諸国と比べて年間労働時間が突出して長い上、育児休暇の取得率も男性にいたっては1パーセント台だ。制度としては欧米並みに整備された労働基準法や育児休業制度がありながら、その権利を行使できない「空気」の問題にどう対処していくかは、大きな課題として残る。いくら経済的な子育て支援を充実させても、これではワークライフバランスなど画に描いた餅になってしまう。
 渥美氏と、子育て支援からワークライフバランス、そして、一見少子化とは無関係に見える婚外子差別の撤廃や選択的夫婦別姓にいたるまで、民主党の少子化対策の中身を徹底的に検証し、その課題を考えた。

河野太郎の自民党復活計画

(第444回 収録日2009年10月10日 PART1:73分 PART2:36分)
ゲスト:河野 太郎氏(衆議院議員)

  先の総選挙で壊滅的な敗北を喫した自民党は、果たして復活できるのか。そして、それを可能にするためには、自民党はどのような理念を持った政党に生まれ変わる必要があるのか。  総選挙後に実施された自民党総裁選は、谷垣禎一元財務大臣が大差で勝利した。今回のマル激ゲストの河野太郎氏は世代交代と脱派閥を訴え、党を舞台裏から支配する長老達に容赦の無い批判を浴びせたものの、結果的に党の長老の支持を受けた谷垣氏に大敗した。
 その河野氏は、「小さな政府」こそが自民党の採るべき路線であり、日本復活の路線だと自信を持って言い切る。小泉改革についても、構造改革路線そのものは間違っていなかったが、セーフティネットが不十分なまま再配分を廃止したことで、その負の側面が一気に吹き出したと位置づけている。
 河野氏の主張は明確だが、小泉改革の痛みを記憶する人々、特に地域の疲弊に苦しむ人々にとっては、なかなか受け入れがたいことかもしれない。しかし、河野氏はあえて厳しいことを言わなければ、日本はこのまま衰退の道を辿るだけだという。現実を直視せず、従来の図式で乗り切ろうという選択肢は今の日本にはもうない。いずれ民主党政権で「大きな政府」の歪みが生じてきたとき、自民党の出番がやってくる。それまでに党改革を断行し、自民党を全く新しい政党に作り変えるのだと河野氏は意気込む。
 冷戦下の高度成長期には、自由主義と資本主義、そして日米同盟の3つを堅持するだけで自民党のアイデンティティは十分維持が可能だった。ところが、20世紀後半になると、冷戦や高度成長といった前提条件が崩れたために、自明だった自民党の路線が見えにくくなってしまった。そして最後に残った自民党のアイデンティティが、「政権与党であることだけになってしまった」ことが、今回の総選挙での自民党の歴史的な敗北につながったと河野氏は分析する。
 野党に落ち、唯一のアイデンティティだった「政権与党」の地位も失った今、自民党はアイデンティティ・クライシスに陥っているかに見える。依然として、従来の公共事業による再分配を主張する議員も、自民党に少なからず残っている。しかし、河野氏は、小さく無駄のない政府を作り、経済成長を促すために規制緩和を進めなければ、この先日本は、借金に頼らずに国民を養っていけるような国にはなれないと主張する。そして、いずれ民主党政権の「大きな政府」の歪みが生じてきたとき、再び自民党の出番がやってくるというのが、河野氏の見立てだ。
 「リベラル再分配」路線を採る民主党が政権の座に就いた今、「保守政党」の果たすべき役割とは何なのか。次の総裁選に向けて全国行脚を始めたという河野氏をゲストに迎え、「健全な保守」とは何か、そして自民党再生のための処方箋とは何なのかなどを議論した。

「物言う知事」はなぜ抹殺されたのか

(第445回 収録日2009年10月17日 PART1:62分 PART2:28分)
ゲスト:佐藤 栄佐久氏(前福島県知事)

 佐藤栄佐久氏はクリーンさを売りものに福島県知事を5期も務めた名物知事だった。しかし、それと同時に佐藤氏は、国が推進する原子力発電のプルサーマル計画に反対し事実上これを止めてみたり、地方主権を主張してことごとく中央政府に反旗を翻すなど、中央政界や電力、ゼネコンなどの有力企業にとっては、まったくもって邪魔な存在だった。
 その佐藤知事に収賄疑惑が浮上し、5期目の任期半ばで辞職に追い込まれた後、逮捕・起訴された。ダム工事発注をめぐる収賄罪だった。知事は無罪を主張したが、一審は執行猶予付きの有罪判決だった。そして、その控訴審判決が14日、東京高裁で下された。
 今回は一審からやや減刑されたが、依然として懲役2年、執行猶予4年の有罪判決だった。主要メディアもほぼ例外なく「前福島県知事、二審も有罪」の見出しでこのニュースを報じていたので、最近は知事の不祥事が頻発していたこともあり、必ずしも世間の耳目を引く大きなニュースとはならなかったかもしれない。
 しかし、この判決の中身を詳細に見た時に、その内容の異常さに驚かされる人は多いはずだ。判決文からは「無形の賄賂」や「換金の利益」などの驚くような言葉が次々飛び出してくるからだ。判決文は、佐藤前知事が一体何の罪で有罪になったのかが、全くわからないような内容になっているのだ。
 もっとも驚かされるのは、二審では一審で佐藤前知事が弟の土地取引を通じて得ていたと認定されていた賄賂の存在が否定されたにもかかわらず、「無形の賄賂」があったとして、裁判所が有罪判決に踏み切ったことだ。
 元々その賄賂の根拠というのは、佐藤氏の弟が経営する会社が水谷建設に土地を売却した際、その売却額が市価よりも1割ほど高かったので、その差額が佐藤氏に対する賄賂に当たるというものだった。ところが、その建設会社はその後更に高い値段で土地を売却していることがわかり、「市価より高い値段による賄賂」の大前提が崩れてしまったのだ。
 そこで検察は「換金の利益」つまり、仮に正当な値段であったとしても、土地を買い取ってあげたことが「無形の賄賂」の供与にあたると主張し、裁判所もそれを認めた。つまり、取引が正当な価格でなされていたとしても、土地取引そのものが賄賂にあたると認定されたわけだ。
 「セミの抜け殻のような判決」。二審判決についてそう話す佐藤氏は、そもそも事件そのものが検察によってでっち上げられた作り話だと主張し、一審から徹底して無罪を争ってきた。
 他にもこの事件は、そもそもこのダム事業が一般競争入札案件であるにもかかわらず、佐藤氏の「天の声」を認定していたり、弟の土地取引から得た利益を佐藤氏自身が受け取ったわけではないことを認定しながら、佐藤氏を収賄で有罪としているなど、不可解な点は多い。
 にもかかわらず、「換金の利益」だの「無形の賄賂」だのといった不可思議な論理まで弄して裁判所が佐藤氏を二審でも佐藤氏を有罪としなければならなかった最大の理由は、佐藤氏自身が取り調べ段階で、自白調書に署名をしていることだったにちがいない。
 今回宮台氏のピンチヒッターとしてマル激の司会初登場となった元検事で名城大学教授の郷原信郎氏は、「佐藤氏のような高い地位にあった方が、罪を認めていることの意味はとても重い。自白があるなかで裁判所が無罪を言い渡すことがどれほど難しいか」と、とかく自白偏重主義が指摘される日本の司法の問題点を強調する。
 しかし、佐藤氏はこの点については、苛酷な取り調べによって自白に追い込まれたのではなく、自分を応援してきてくれた人達が検察の厳しい取り調べに苦しめられていることを知り、それをやめさせるために自白調書にサインをしたと言う。また、早い段階で自白をしたおかげで、真実を求めて戦う気力を残したまま、拘置所から出てくることができたと、自白調書に署名をしたこと自体は悔やんでいないと言い切る。
 佐藤氏が原発に反対し、原発銀座とまで呼ばれ10基もの原発を有する福島県で原発が止まってしまったことが、日本の原発政策全体に多大な影響を与えていたことも、今回の事件と関係があるのではないかと疑う声がある。しかし、これについても郷原氏は、「今検察はそれほど高級な論理で動いてはいない」と一笑に付す。
 恐らく、東京地検特捜部はある見込みに基づいて、かなりの予算と時間と人員をかけて捜査に着手したのはよかったが、見込み違いがあったのか、なかなか大物が捕まえられずにいたところを、敵が多く、恐らくたれ込みネタも豊富であろう佐藤氏に白羽の矢がたったのだろうと、郷原氏は見る。「見込み違い」「幹部の保身」「筋の悪いたれ込み情報に振り回された結果」といったところが実情だったのではないかと言うのだ。
 佐藤氏自身は、自分が検察に狙われなければならない理由はわからないとしながらも、1年以上もの長期にわたり、佐藤氏の周辺を検察が捜査しているとの情報はあったと言い、最初から佐藤氏を狙った捜査であった可能性を排除はしていない。しかし、いずれにしても佐藤氏は最後まで無罪を主張して闘う意向を明らかにしている。
 今週はマル激特別版として、郷原信郎氏を司会陣に迎え、今回の判決が露わにした数多くの「なぜ?」とその背後にある日本の刑事司法の病理を佐藤栄佐久前福島県知事と議論した。

シリーズ・民主党政権の課題5 今、自殺対策は政治の出番だ

(第446回 収録日2009年10月24日 PART1:44分 PART2:45分)
ゲスト:清水 康之氏(自殺対策NPO法人ライフリンク代表)

  シリーズでお送りしている民主党政権の課題。5回目となる今回は自殺問題を取り上げた。
 日本の自殺者数は1998年に3万人を超えて以来、11年連続で3万人を超え、自殺率で見るとOECD諸国の中ではハンガリーに次いで2番目に高い。今年は景気低迷の煽りを受け、自殺者の数が上半期だけで1万7千人を超えるなど、このままいけば過去最悪となりかねない。
 政府も決して手をこまねいているわけではない。07年に策定された自殺対策大綱に基づき、政府はさまざまな自殺対策を講じてきてはいる。にもかかわらず、自殺者の数は一向に減る兆しが見えないのだ。
 内閣府の「自殺対策推進会議」のメンバーで04年以来自殺問題に取り組んできたNPO・ライフリンク代表の清水康之氏は、現在の政府の自殺対策は縦割り行政が邪魔になり、ほとんど機能していないと指摘する。
 自殺に至る過程には複数の要因があり、自殺者は平均でも4つの要因を抱えているという。例えば、「事業不振」→「生活苦」→「多重債務」→「うつ病」などを経て自殺に至るという具合だ。しかし、現在の政府の対策は縦割り行政のために、関係機関の間で横の連携が取れていない。そのため、人を自殺に追いやる複数の原因に同時に働きかけることができないでいるというのだ。実際、自殺者の72%は、亡くなる前に専門機関に相談している。にもかかわらず、それを救うことができていないのが、現在の自殺対策の実情だ。
 清水氏は政権交代によって政権の座についた民主党が掲げる「政治主導」が、自殺対策を有効に機能させるきっかけになることに期待を寄せる。政治が主導権を握れば、行政の縦割りの壁を乗り越えた戦略的かつ柔軟な自殺対策が可能になるというのだ。
 また、民主党が政府系金融機関の個人保証の撤廃や連帯保証人制度の廃止をマニフェストで明示したことも、清水氏は高く評価する。個人保証や連帯保証人制度は、中小企業経営者や自営業者の自殺の大きな要因として以前から批判されてきたが、にもかかわらず、この問題は自民党政権下では放置されてきたからだ。
 しかし、民主党のマニフェストや政策集を見る限り、民主党政権の自殺対策は必ずしも明確になっていない。自殺を減らすために現場で奔走する清水氏とともに、民主党政権が「政治主導」で実施すべき自殺対策とは何かを議論した。

ビデオニュース・ドットコム開局10周年記念特別企画
生コールイン これだけは言わせろ!民主党政権への注文 

(第447回 収録日2009年10月31日 PART1:72分 PART2:57分 PART3:88分 PART2:44分)
ゲスト:福山哲郎氏(外務副大臣)、大塚耕平氏(内閣府副大臣)、細野豪志氏(民主党副幹事長)

  恒例となった5回目の金曜日に特別企画を無料放送でお届けする「5金スペシャル」。今回は、ビデオニュース・ドットコム開局10周年を記念して、民主党政権のキーパーソンたちをスタジオに招いて、視聴者参加のコールインをニコニコ動画とのコラボレーションによる生放送でお送りした。
 民主党政権が誕生してから約2ヶ月。民主党は「市民の手に政治を取り戻す」と宣言をして政権の座についた。しかし、ここまで民主党はその約束をきちんと果たしているだろうか。民主党が向かっている方向は間違っていないか。民主党政権の中枢を担う3人の議員は、普段のマル激の視聴者に加え、ニコニコ動画の視聴者という新しい参加者からの厳しい突っ込みに耐えられるか。
 番組最後には神保・宮台の両キャスターが、ビデオニュース・ドットコムの10年を振り返りながら、次の10年に向けた課題や要望を視聴者とともに考えた。

アフガニスタンで日本がすべきこと、やってはいけないこと

(第448回 収録日2009年11月07日 PART1:50分 PART2:42分)
ゲスト:伊勢崎賢治氏(東京外国語大学大学院総合国際学研究科教授)

  来週のオバマ大統領の初来日を前に、鳩山政権は2つの安全保障政策上の懸案を抱えている。海上給油活動のためにインド洋に派遣されている海上自衛隊の撤退問題とそれに代わるアフガニスタン支援策が一つ。もう一つが、普天間基地の県外移設問題だ。いずれも民主党が総選挙前に公約に掲げて政権の座についたため、簡単に旗を降ろすわけにはいかないが、相手のある問題であるため、大統領の来日までに結論は出せそうにない。
 特にインド洋の給油活動からの撤退は、日本側が考えている以上にアメリカにとっては大きな影響があるとの指摘が根強い。NATO軍を中心に編成されているアフガニスタンの対テロ作戦で、NATOに属さない日本が末席ながら作戦に参加していることで、アメリカはNATO諸国に対してより大きな貢献を求める口実を得ることができているという側面があるからだ。
 とは言え、給油活動からの撤退は、民主党が選挙公約としてきた以上、今更撤回することも難しい。となると、給油に代わる新たなアフガニスタンへの貢献策として、果たして日本は何をすべきで、日本に何ができるかが問題となる。
 しかし、アフガニスタンの現状はそれほど容易ではない。日本政府の代表としてアフガニスタンの武装解除に取り組んだ経験を持ち、つい最近もアフガニスタンを訪問してきた伊勢崎賢治・東京外国語大学大学院教授は、国内治安の悪化によってもはやアフガニスタンでは、ほとんどの民生支援は事実上不可能に近い状態になっているという。
 全土に広がる汚職や麻薬資金の流入など、「歴史上類を見ないほどひどい」(伊勢崎氏)腐敗政治が横行する中で、2001年に一度は掃討されたはずのタリバンが息を吹き返し、再び人心を掌握し始めている。既に国土の6~7割を実効支配しているとの情報もある。しかも、火力では圧倒的優位に立つはずの米・NATO軍は市民の間に紛れ込んだタリバンによって長期の消耗戦に引きずり込まれ、外国人兵士の死者数は年を追うごとに急増している状態だ。
 アフガニスタン国内では最近は国連までがテロの対象になる有様で、国連の威信が低下する一方、腐敗政治に嫌気がさした民衆は、他に選択肢がないために、日々タリバン支持へと傾いていると伊勢崎氏は指摘する。  そもそも今日の状況を招いた原因は、民兵を合法化して警察に取りたてた結果、本来は治安を守らなければならないはずの警察が腐敗してしまったことにあると指摘する伊勢崎氏は、現在オバマ政権がこれを同じことをやろうとしていることに懸念を隠さない。
 そうした中で鳩山政権は現在のところ、アフガニスタン支援策として、向こう5年間で約3600億円の資金援助、電力や道路のインフラ整備、警察官の訓練支援に8万人の給与の約半額の負担、ISAF司令部への連絡調整官の派遣などを打ち出している。しかし、資金援助やインフラ整備は日本が以前からやってきたことでもあり、給油活動の代わりになるものではないと伊勢崎氏は言う。
 そして、伊勢崎氏が一番やってはいけないと指摘するのが、現在日本が計画しているアフガン警察への支援だ。訓練目的で8万人の警察官の給与の半分を日本が肩代わりするというものだが、日本の資金が本当にそのような目的で使われることを責任を持って最後まで日本が確認しない限り、その資金は警察の腐敗構造の中に消えていってしまうことは必至だと伊勢崎氏は言う。
 むしろ日本が一番貢献できる分野は、テロとの戦いの名目でアフガンに侵攻したまま抜けられなくなっている米軍と米軍に支えられたカルザイ政権、そしてタリバンとの間の和解の推進ではないかと、伊勢崎氏は言う。依然としてアフガニスタン人の日本に対する国民感情は良好で、日本は欧米諸国に比べてアフガニスタンにいろいろ提案できる立場にある。実際今月末には、ノーベル平和賞受賞者のアハティサーリ・前フィンランド大統領を議長とするアフガン和平会議が東京で開催され、アフガン情勢の打開策が模索される予定だ。
 オバマ大統領の来日を前に、アフガニスタン情勢の最新情報と、そこで日本ができる貢献とは何なのかを、伊勢崎氏と議論した。

ウォーターゲート事件の神話は崩壊したのか

(第449回 収録日2009年11月14日 PART1:47分 PART2:34分)
ゲスト:松沢 成文氏(神奈川県知事)

  「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります。」  これは現在日本で販売されているタバコのラベルに記された警告文だが、タバコによる健康への悪影響が常識となる中、職場や公共交通機関の禁煙が進み、路上喫煙を禁止する条例が全国各地の自治体で施行されるなど、タバコを吸う人の肩身は日々狭くなってきている。全館禁煙のビルの入り口付近には、常にタバコを吸う人の姿が絶えないし、喫煙者をガラス張りの部屋に閉じ込めて、タバコを吸わせている事業所や公共施設も増えてきている。
 そうした中、全国で初めて屋内での喫煙規制にまで踏み込んだ「受動喫煙防止条例」が今年3月、神奈川県で成立した。この条例は、歩きタバコによる事故防止や環境美化などを目的としたこれまでの路上喫煙禁止条例から更に一歩規制を強化するもので、受動喫煙の被害を防ぐ目的で、「公共的施設」内での喫煙にまで規制をかけるというもの。
 ここで言う公共的施設とは、不特定多数の人が集まる場所を指し、公営施設だけでなく民間の施設も含まれる。官公庁や学校、病院や映画館など公共性の高い施設は禁煙、一定規模以上の飲食店や娯楽施設、宿泊施設などは禁煙か完全分煙の措置を講じなければならなくなるため、基本的には神奈川県では、人が多く集まるところではほとんどタバコは吸えなくなったと言ってよさそうだ。しかもこの条例に違反すると、施設の管理者には5万円以下、個人には2万円以下の過料が科せられるという罰則までついた厳しいものだ。
 公共の場での喫煙規制を選挙公約に掲げ、本条例の導入を主導した神奈川県知事の松沢成文氏は、タバコによる健康被害が明らかになった今、タバコを吸わない人が吸う人の煙によって健康を害するのは理不尽であり、受動喫煙から県民の健康を守ることが行政の責務だと主張する。また、日本はたばこ規制枠組み条約に批准しているにもかかわらず、条約で定められた屋内での受動喫煙対策に消極的で、すでに公共空間での喫煙規制が進む海外の大都市と比べても、日本のタバコ対策は遅れているので、国がやらないなら地方から全国的に広げていきたいと抱負を語る。
 タバコは喫煙者自身の健康被害に加え、副流煙や歩行中の事故を含め他人にも被害が及ぶ以上、その是非は全面的に個人の自由に委ねられるべきではなく、政治が一定の役割を演じる責任があるというのが、松沢氏の立場だ。
 嫌煙家にとっては、今回の神奈川県の受動喫煙防止条例は確かにありがたいものかもしれない。なぜなら、これまで個人の判断に任されていたものを、行政が上から規制してくれるからだ。もはや煙を我慢したり、喧嘩になるのを覚悟で、吸うのをやめて欲しいと訴える必要もなくなる。
 しかし、ジャーナリストの斎藤貴男氏は、行政が個人の行動にまで干渉することに対して、公権力による個人の監視・管理の強化につながるだけでなく、それ以上に問題なのは、個人が公権力への依存度を強め、ますます主体性を失っていく風潮を加速しかねないと警鐘を鳴らす。本来ならばコミュニケーションを通じて社会の中で解決すべき問題を安易に行政に委ねてしまえば、ますます我々は自分たちで問題を解決する能力を失ってしまうからだ。
 公共の場での喫煙に対して、政府が規制を加えることは是なのか非なのか。今回はマル激としてはやや異例のスタイルで、行政による喫煙規制の是非をめぐって、喫煙規制条例を推進した神奈川県の松沢成文知事と、自身は喫煙者ではないにもかかわらず嫌煙ファシズムを批判する斎藤貴男氏との議論から、タバコ規制を通じて見えてくる社会のあるべき姿について考えた。

保守政党自民党の再生シナリオ

(第450回 収録日2009年11月21日 PART1:43分 PART2:79分)
ゲスト(PART1):谷垣禎一氏(第24代自民党総裁) ゲスト(PART2):福永文夫氏(獨協大学法学部教授)

  この9月、自民党の第24代総裁に選出された谷垣禎一衆議院議員は、自民党を保守政党として再生させたいと抱負を述べる。しかし、谷垣氏が掲げる「保守政党」とはどのようなものなのか。それを探るべく、マル激は谷垣氏を自民党本部に訪ねた。また、後半は日本の戦後の保守政治を研究している政治学者の福永文夫氏を招き、谷垣総裁が掲げる自民党の保守政党としての再生の課題を議論した。
 先の総選挙での歴史的な大敗により、16年ぶりに総理大臣ではない自民党総裁となった谷垣氏は、55年体制における自民党が果たしてきた役割は主に3つあると語る。一つは憲法9条と日米安保による平和の構築、二つ目は戦後復興と経済成長による国家の繁栄、そしてもう一つが自由体制の維持だ。
 歴代の自民党政権が、日本を自由主義陣営の一員として経済成長を図ることで、歴史上かつて見ないような経済成長を成し遂げてきたことは、紛れもない事実だろう。また、経済成長の果実を、公共事業などを通じて地方に再配分することで国民生活を豊かにすることに成功し、それを地盤に一貫して政権与党の座に就いてきたのが自民党だった。
 しかし、冷戦も高度成長も過去のものとなり、再配分をしようにも、財政は火の車である。自民党政治の必要条件が総崩れとなる中で、2009年自民党は遂に半世紀に及ぶ政権与党としての地位を民主党に明け渡すこととなった。
 谷垣氏は、党の再生のためには、自民党の原点とも呼ぶべき3つの基本路線を再確認した上で、それに加えて「保守政党としての」新たな原則を打ち立てることが必要だと主張する。
 まず、谷垣氏は、再配分政策に舵を切ったかに見える民主党に対して、保守政党としての自民党は「公助の前に自助・共助を重視」し、個人の自立や自由をより重んじる路線をとる意向を明らかにする。また、自分の国に対する大らかな自信と先人の知恵を尊重する態度を重視するのも、保守としての責務になると、谷垣氏は言う。
 更に、「小さな政府」だけでは、地方の疲弊や格差を手当できないとして、小泉構造改革とは一線を画する姿勢を打ち出す。
 果たして自民党は、谷垣氏の考える「保守」の旗の下に、民主党に対抗しうる勢力を糾合することができるのだろうか。
 戦後保守を研究してきた政治学者の福永文夫獨協大学法学部教授は、谷垣氏が考える「保守」は、谷垣氏の出自でもある宏池会の伝統的な流れを汲むものだが、果たしてそれで民主党に対する対抗軸に成り得るかどうかについては疑問を呈する。
 福永氏は民主党も再配分的な政策を多く持ちながら、鳩山代表、小沢幹事長、岡田外相と、いずれも自民党の旧経世会OBがその中枢を占めているのが実情で、その本質においては保守政党としての性格を強く持つという。そのため、伝統的な宏池会路線だけでは、民主党との差別化は難しいだろうと言う。 福永氏は、歴史上保守勢力とは、何ものかに対する対抗勢力であることが前提となるため、まずは民主党の再配分の行き過ぎをチェックするなどして、同じ保守路線の政党でも、再配分のあり方や国権の及ぶ範囲など「度合いの違い」で差異を打ち出していくしかないだろうと言う。
 番組前半で谷垣氏と自民党再生のシナリオを、後半は谷垣氏との議論を引き取る形で、保守政党としての自民党再生の可能性について福永氏と議論した。

vol.43(431~440回収録)

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ミツバチが知っていて人間が知らないこと 

(第431回 収録日2009年07月11日 PART1:65分 PART2:73分)
ゲスト:中村 純氏(玉川大学ミツバチ科学研究センター主任教授)

  今年の春、農作物の花の受粉に使用されるミツバチの不足が全国各地で伝えられた。花粉交配用ミツバチは、特にイチゴやメロンなどのハウス栽培作物に欠かせないため、海外から繁殖のための女王蜂を輸入することで安定供給を図っていたが、輸入の8割を占める豪州産女王蜂に伝染病が発生し、輸入が止まったため需給に混乱が生じたことが、どうやら今回の日本におけるミツバチ不足の直接の原因だったようだ。
 しかし、ミツバチの大量死や減少は、日本だけでなく、世界各地で多発している。特に米国では、蜂群崩壊症候群(CCD)と呼ばれるミツバチが巣箱から突然消えていなくなる現象が3年前から各地で発生し、農業生産に大きな打撃を与えている。
 ミツバチの消滅や大量死の原因には諸説あるが、ミツバチ研究の第一人者である中村純玉川大学ミツバチ科学研究センター主任教授は、全米で起こったCCDについては、人間がミツバチを農業用の資材として酷使したことで、ミツバチに過度なストレスがかかったことに原因があったとの見方を示す。アメリカでは花粉交配用のミツバチは農業生産に欠かせない家畜として、開花の時期に合わせて巣箱ごと全米各地をトラックで長距離移動させられる。しかも、単一作物が植え付けられた広大な農地での受粉作業は、ミツバチにとって栄養バランスの悪い食事以外の何ものでもない。移動の疲れに栄養不足など過重なストレスがかかったミツバチが、ダニ、ウイルス、農薬など既知の外敵への抵抗力を低下させていた可能性も否定できない。実際、アメリカではミツバチの栄養と衛生状態を改善した結果、今年はCCDの発生はほぼ治まっているという。
 ミツバチの大量死が顕著だったアメリカには、そのような特殊な事情があったと見られる一方で、アメリカほどではないものの、やはりミツバチの不足や減少が発生している日本や欧州では、ネオニコチノイド系農薬に原因の一端があるとの見方が有力だ。ネオニコチノイド系農薬は、人体に有害な有機リン系農薬に代わる新種の農薬として開発され、近年その使用が急激に増えている。人体への影響はないが、昆虫の神経系に打撃を与える特徴を持つとされる。欧州ではネオニコチノイド系農薬を使用した農地の周辺でミツバチの大量死が報告されたため、現在フランスやオランダなどでは全面禁止され、EU全体でも禁止の方向に向かっているという。
 日本ではカメムシ被害によってコメの等級が下がることを避けるために、稲田でネオニコチノイド系の農薬が広範に利用されるようになっている。カメムシ被害に遭った稲は、コメに微少な斑点がつく。しかし、食味上何の影響もない斑点米の僅かな混入でコメの価値が下がってしまうことを避けるためにネオニコチノイド系農薬が大量に使われ、ミツバチを含む生態系に多大なストレスを与えている現状は、果たして合理的と言えるだろうか。また、科学的には人体には影響しないとされるネオニコチノイドでも、一定量を超えて使用されれば、影響があるとの指摘もある。
 このように世界的なミツバチの大量死は、単純な因果関係で説明できないが、一つはっきりしていることは、農業が産業化し、ハウス栽培などでミツバチを工場の機械の一つのように扱うようになったことと無関係ではないことだ。アメリカでのミツバチの酷使はもとより、ネオニコチノイドについても、ミツバチの受粉期は農薬の散布を避けるなどの小さな工夫で、ミツバチへの影響を最小限に抑えられる可能性はある。昨今のミツバチ大量死は、農業においても生産性と効率のみを追求するあまり、ミツバチを農業資材としか見なくなった人間が、その程度の配慮さえできないまでに利己的になっていた現実を、訴えかけている。
 またネオニコチノイドも、「人体に影響がない」との能書きで近年一気に利用が広がっているが、仮に人体への影響がないことが100%本当であったとしても、それだけで大量使用することは、生態系の他の生物のことを全く無視しているとの誹りは免れない。それがミツバチに打撃を与え、更にそれが農業生産に影響を与えることで、結果的に回り回って人間に大きな不利益をもたらしていることになる。  社会性動物であるミツバチは、女王蜂を中心に一つのコロニーを形成し、コロニー内では数千から数万の働き蜂が、それぞれ明確に決められた自分の役割分担を果たす。ミツバチはまた、高度なコミュニケーション能力を持ち、例えば8の字ダンスは良い蜜の在り処を他の蜂に伝える伝達手段なのだという。人間はそのような高度に進化したミツバチさえも、効率的農業生産の道具としてしか見られなくなっているようだ。
 地球の生態系では、被子植物の多くがミツバチの受粉に頼って生きている。互いが互いを必要とする生物相互関係の中でミツバチも植物も進化を遂げ、動的平衡が保たれてきた。その精妙なバランスを身勝手な論理で人間が崩したことが、ミツバチ消滅が起きた真の原因と考えるべきかもしれない。
 しかし、ミツバチの生態の逞しさや複雑さを見ていると、環境に対して開かれているが故に環境の影響を受けやすいミツバチよりも、環境を克服するために環境から自らを隔離し、生態系との相互関係を失ってしまった人間の方が、なぜか脆弱な存在にすら思えてくる。中村氏は、だからこそ人間はミツバチの視座を持つことが大切だと説く。人間を中心に据えるのではなく、他の生き物の立場に立って生態系のあるべき姿を再考すれば、生物多様性の本当の意味が自ずと見えてくるはずだと言うのだ。
 今世界でミツバチに起きていることや、ミツバチの類い希な習性や生態から、我々人間は何を学ぶべきかを、ミツバチ博士とともに考えた。

やっぱり日本にも保守政党が必要だ

(第432回 収録日2009年07月18日 PART1:61分 PART2:37分)
ゲスト:杉田 敦氏(法政大学法学部教授)

  自民党政権が、いよいよ土壇場を迎えているようだ。  東京都議選の惨敗で、このままでは次期衆院選での敗北が必至という状況を迎えながら、自民党内ではいまなお内輪揉めが続き、窮余の一策さえ打ち出せないでいる。そこにはもはや、半世紀にわたり日本を治めてきた長期政権政党の姿は見いだせない。
 しかし、より深刻なのは、自民党が自らの政党としてのアイデンティティを見失っているかに見えることだ。この期に及んでも、党内から聞こえてくる声は、誰の方がより人気があるかといった表層的な議論ばかりだ。政権交代のチャンスをうかがう民主党は政策面、とりわけ安全保障政策面での党内不一致が取り沙汰されることが多いが、自民党に至っては伝統的保守政党なのか、小泉改革に代表される新自由主義政党なのか、はたまた何か別の物なのかさえ、定かではなくなってしまっている。これではもはや政党の体を成していないと言っても過言ではないだろう。
 1955年の保守合同で保守勢力としての歩みを始めた自民党だが、そもそも自民党が政治的な意味で保守政党だったと言えるかどうかは再考を要する。再配分を主張する勢力は政治学的にはリベラルもしくは社民勢力と呼ばれ、保守の対局に位置づけられるが、政治学者の杉田敦法政大学法学部教授は、自民党は自らが政治基盤を置く農村への再配分を主軸とした政策を実行してきた政党であることから、世界でも特殊な「再配分保守」という位置づけになるという。
 戦後直後の日本はまだ農村社会であり、自民党は農村に政治的基盤を置き、農村開発を通じて再配分を行うことで国民の広汎な支持を獲得してきた。その後、高度経済成長とともに、自民党は池田内閣の所得倍増計画に見られるような、市場重視の伝統的保守主義に軸足を移していくが、市場経済がもたらす利益は公共事業によって農村に還元するという再配分政策だけはその後も続いた。政治思想的には伝統的保守を標榜しながら、実際は再配分政党であり続けたことが、自民党の特色だった。
 しかし、農産物の自由化や大型店舗法改正などアメリカからの規制緩和要求が強まる中で、農村の疲弊は避けられないものとなる。その後1990年代の低成長時代に入ると、そもそも地方に最配分するための財源が底をつき始め、自民党型再配分政治の統治モデルがいよいよ立ち行かなくなる。
 そこに颯爽と登場したのが、自民党をぶっ壊すをスローガンとする小泉元首相だった。国民の高い支持に支えられた小泉政権は、自民党の伝統的な利益再配分政治を一掃し、新自由主義へと舵を切った。それが功を奏し、自民党は少なくとも一時的に農村政党から都市政党への脱皮に成功したかに見えた。しかし、小泉政権の新自由主義的政策は、それまでの再配分で「一億総中流」と言われるほど所得の平準化が進んでいた日本で所得格差を急拡大させ、公的補助の削減によってセーフティネットからこぼれ落ちる困窮層を急拡大させた。小泉政権以後の自民党政権では、改革の負の面が一気に吹き出し、構造改革路線も立ち行かなくなる。しかし、かといって今更農村政党に戻ることもできず、自民党は政策的には「八つ裂き状態」(杉田氏)に陥ってしまう。
 その間隙をついて、それまで必ずしも方向性が定まっていなかった民主党は、小沢一郎代表のもと、再配分に主眼を置いたリベラル政党としての方向性を固めていく。また、農家の戸別所得補償制度などを主張することで、小泉改革の下で自民党が置き去りにした農村票を丸々奪うことに成功する。  しかし、自民党が迷走するのも無理からぬ面があった。保守というからには保守すべき対象が問われる。冷戦下の保守勢力が保守すべき対象は日米同盟であり、自由主義経済であることは自明だった。しかし、今日の日本の保守勢力が保守すべき対象が何であるかについてコンセンサスを得ることは、決して容易ではない。
 来る総選挙の結果、民主党政権が誕生した場合、日本では事実上初めてのリベラル政権の誕生ということになる。人間の理性を過度に信じ、正しい政策を行えば必ず社会は良くなると過信する傾向があるリベラル政権には、対抗勢力として、伝統や慣習の中に蓄積された叡知を信頼する保守政党が必要だ。自民党が保守政党として再興し、民主党政権の暴走をチェックするとともに、有権者に別の選択肢を提示することは、日本の議会制民主主義の安定のためにはどうしても不可欠だ。
 政権交代がいよいよ現実味を帯びてきた今、日本の保守政党に求められる条件とは何かを、杉田氏と考えた。

密約問題が示す無法地帯と化した日本外交の現実

(第433回 収録日2009年07月25日 PART1:84分 PART2:50分)
ゲスト:河辺 一郎氏(愛知大学現代中国学部教授)

 戦後の日本外交を象徴すると言っても過言ではない、核兵器の持ち込みをめぐる日米間の密約が、皮肉にも日本外交の実態を白日の下に晒し始めている。
 60年の日米安保改定時に、核兵器を搭載した米艦船の寄港や領海通過を日本が容認したとされる「密約」は、過去にライシャワー元駐日大使の証言や機密指定が解かれ公表された米公文書資料によって、その存在が何度となく取りざたされてきた。しかし、このたび村田良平元外務次官らが密約の存在を正式に認めたことで、密約の存在を否定し、非核三原則を国是として掲げてきた日本政府の外交政策の正当性が、いよいよ問われる事態を迎えている。なんと言っても日本は、唯一の被爆国として戦後一貫して核兵器に反対し、核軍縮に努めることを国内外に向けて高らかに謳ってきた国だ。にもかかわらず、その国が実は自国への核兵器の持ち込みを容認し、しかもその事実を50年間も隠し続けていたということになるからだ。
 日本政府は依然として、密約の存在も、核持ち込みの有無も言下に否定するばかりで、半世紀もの間、その存在を否定し続けてきた理由を説明しようとしない。そのため日本では、米軍の核持ち込みが容認されているという現実の上に立って、これからの安全保障を議論することすら、できないでいる。
 国益を守るためには、自国民や他の国に対して外交交渉のすべてを明らかにできない場合もあり得るだろう。その意味では、密約そのものを全面的に否定すべきではないかもしれない。ただし、それは一定の期間を経た後に、必ず事実が明らかにされ、その正当性が検証されることが大前提となる。この期に及んでも、密約の存在すら認められない日本政府や外務省の立場を見ると、そもそもこの密約が真に国益を守る目的で秘密にされてきたかどうかすら、怪しくなってくる。
 日本外交をウォッチしてきた愛知大学の河辺一郎教授は、日本は外交の舞台で核軍縮に関してイニシアチブをとったこともなければ、国連の核兵器に反対する議決に対しても、率先して反対もしくは棄権をしてきたのが現実だという。安全保障政策においてアメリカの核の傘に依存する日本にとって、核軍縮はもはや外交上の大きな関心事ではなかったのだ。むしろ、核の傘を提供してくれているアメリカの意向を慮ることこそが、日本外交にとっては唯一無二の重要課題であり、こと外交に関する限り、それ以外のことは真剣に考える必要すらなかった。
 つまりアメリカの核の傘に守られているからこそ、そしてそれが密約という形で担保されているからこそ、日本は表面上は非核三原則や核廃絶や平和主義を訴えることができたが、実際にその真贋が問われる外交交渉や国連決議の場では、実は日本外交は何度も馬脚を現していたということになる。知らぬは日本人ばかりなりということか。
 河辺氏は、日本の外務省が事実上法を超越した存在として、国会のチェックすら及ばない状態にあることに、日本外交が国民から乖離したり、暴走したりする原因があるとの見方を示すが、その一方で、その責任は外務省だけはなく、外交政策のチェックや検証を怠ってきた外交の専門家やジャーナリストにもあると指摘する。
 来る総選挙で民主党が勝利し、政権交代が実現した時、日本のチェック無き外交の病理を断ち切る千載一遇のチャンスがめぐってくる。しかし、今のところ外交政策や外務省のあり方が選挙の争点になる気配は全く見られない。残念ながらこれが今の日本の実情のようだ。
 今回は密約問題を入口に日本外交が抱える問題を河辺氏と議論した。また、国連の専門家でもある河辺氏に、民主党の国連中心主義への評価を聞いた。

5金スペシャル
自民党の難点・民主党の難点 

(第434回 収録日2009年08月01日 PART1:103分 PART2:56分)

  5週目の金曜日に特別企画を無料放送でお届けする5金スペシャル。今回は、久々の神保哲生・宮台真司による二人マル激。今日の日本が抱える諸問題を解説したベストセラー『日本の難点』と、民主党の政策を徹底分析した『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか?』の両著者による、その名も「自民党の難点・民主党の難点」をお送りする。
 7月31日に自民党がマニフェストを発表し、自民・民主の二大政党の政権公約が出揃った。しかし、どんなにマニフェストと睨めっこをしていても、両党の正体は一向に見えてこないと、神保、宮台ともに、両党のマニフェストを一蹴。マニフェストではわからないこの選挙の本当の争点を、過去の番組映像を交えつつ、独自の視点から徹底討論した。
 戦後半世紀に渡り日本の政治権力を独占してきた自民党の力の源泉は、農村を権力の基盤としながら、経済成長を図り、その果実としての富を公共事業を通じて農村に還元させる再配分政治にあった。その再配分政治をより上手く回すために綿密に練られた権力構造が、野中尚人学習院大学法学部教授【2008年09月27日、第391回放送「自民党システムの終焉」】が指摘する、「自民党システム」だった。しかし、それは自民党の権力基盤を内側から瓦解させる時限装置でもあった。日本の工業化を進めた結果、自民党は自らの権力基盤である農村を弱体化させていったからだ。
 伝統的な農村依存型ではもはや権力の維持が困難であることを悟った自民党は、小泉首相の登場によって、これまで自民党システムを支えてきた農村を切り捨て、都市浮動票を獲得することで一時的に新自由主義政党として党を再生させるという、窮余の一策に打って出る。
 その結果、小泉政権誕生以降、自民党は急速に農村の支持基盤を失い、人気をベースとする都市無党派層に支えられた都市型政党に変質した。それを裏付けるデータ分析を提供してくれたのが、森裕城同志社大学法学部教授【2007年08月03日、第331回放送「データから見えてくる『やっぱり自民党は終わっていた』」】だった。そして、森氏の分析は、自民党が失った農村地盤に、そっくりそのまま小沢民主党が収まっている様も明らかにした。
 しかし、小泉改革は格差の拡大という深刻な問題を引き起こし、小泉路線を引き継いだ安倍晋三首相以降の自民党は、従来の支持母体を失った上に、都市無党派層にもそっぽを向かれ、方向性を失ったまま迷走を続けることになる。
 今回のマニフェスト発表会見で麻生首相は、市場原理主義との決別を宣言し、自民党旧来の再配分路線への回帰を打ち出したが、宮台はこの路線には無理があるとの厳しい評価を下す。グローバル化の傷を深く負った今日の日本では、誰が政権についたとしても一定の再配分は不可欠だが、同じ再配分でも「既得権益を温存したままの再配分か、既得権益を引き剥した上での再配分か」が、現在の日本の路線の分かれ目になると宮台は言う。今回の自民党のマニフェストに、既得権益との決別が明示的に打ち出されてないことが、現在の自民党の正体を露わにしているというのだ。
 自民党は保守政党としてのアイデンティティを再構築し、自分たちが保守すべき価値とは何であるかを明確にした上で、党勢の回復を図らない限り、自民党の真の復活は期待できないと、宮台は言う。【2009年07月18日、第432回放送「やっぱり日本にも保守政党が必要だ」、ゲスト:杉田敦(法政大学法学部教授)】
 一方の民主党はオープン、フェアネス、セーフティネット、包摂性などをキーワードに、リベラル政党としてのアイデンティティを固めつつあるかに見える。しかし、その路線や立ち位置が明確に有権者に伝わっているかと言えば、疑問が残る。【2009年03月17日、第413回放送「今あえて民主党の政権構想を再検証する」、ゲスト:飯尾潤(政策研究大学院大学教授)】
 ダイヤモンド・オンラインに寄稿した連載記事【ダイヤモンド・オンライン「民主党政権ができると何がどう変わるのか?」】の中で神保は、民主党が打ち出している子ども手当、公立高校の実質無償化、農業の戸別所得補償、選択的夫婦別姓などを引き合いに出した上で、民主党がリベラルな再配分政党であることは明白であるにもかかわらず、民主党は、恐らく旗幟を鮮明にすることで支持率が下がることを意識して、自らの路線を明確にすることを意図的に避けているように見えると、こちらもまた民主党のマニフェストへの不満を隠さない。
 「マニフェストを単なるきれいごとにしてしまうと、いざ政権をとって本当に改革の痛みが出てきたときに、民主党を支持した人たちがそっぽを向いてしまうリスクが高まる」と神保は指摘する。また、民主党は一定の理念に基づいて再配分を行っているにもかかわらず、子ども手当など目立つ政策だけが一人歩きすることで、これが単なるバラマキとしてしか受け止められないリスクも冒すことになる。
 「民主党は、多少不人気になっても、自分たちの路線がまかせる政治から引き受ける政治への路線転換であり、市民側にその覚悟を求めるものであることを伝える必要がある」と、神保は注文をつける。
 これまで大勢の識者とともに自民党と民主党の政治をさまざまな角度から検証してきた神保・宮台両キャスターが、マニフェストやマスメディア報道からは見えてこない、来る総選挙の真の争点を、徹底的に議論した。

今の霞ヶ関では日本をパンデミックから守れない

(第435回 収録日2009年08月08日 PART1:65分 PART2:38分)
ゲスト:木村 盛世氏(医師・厚生労働省医系技官)

  この冬もし豚インフルエンザが再び日本を襲った場合、日本はただでは済まないかもしれない。なぜならば、日本は感染症に対する体制が全く整っていないからだ。いや、この春の感染拡大で、日本には体制が整っていないことが明らかになっていながら、それに気づかなかったり、それを修復しようとしていないからだと言った方が、より正確かもしれない。
 今年の春メキシコで発生した豚インフルエンザは、またたく間に世界中に広がり、最終的な感染者数は既に13万人を超えた。日本では4月に最初の症例が報告されて以来、7月24日時点で4986人の感染が確認されており、これはアメリカ、メキシコ、カナダ、チリ、イギリス、オーストラリアに次ぐ世界で7番目の多さとなった。問題は、日本は早くから水際作戦を展開し、空港での徹底した検疫を実施した上に、多くの大学や学校を閉鎖し、マスクが日本中で売り切れるほど徹底的に対策を施したにもかかわらず、最終的に世界でも有数の感染者数を出してしまったことだ。
 日本の水際作戦について、医師で厚生労働省の現役検疫官を務める木村盛世氏は、厚労省が実施した検疫強化や水際阻止は、全くのナンセンスだったと一蹴する。アメリカで公衆衛生学を学んだ木村氏は、もともと潜伏期間や発熱の度合いの個人差などを考えると、サーモグラフィーなどを使って感染者のすべてを水際でせき止めることなど、もともと不可能だったと言う。不可能なことに多大な資源を投入するよりも、国内感染が始まった後の対応に力を入れるべきだったと、木村氏は自らが所属する厚労省の対応を厳しく批判する。
 実際、水際作戦は物々しい防護服を身にまとった検疫官が、空港で機内検疫に向かうシーンなどがテレビで放送され、それが逆に国民の不安を必要以上に煽り、学級閉鎖やマスクの品切れなどを招いた。しかも、いざ国内感染が広がり始めると、その後の対応は後手後手の連続で、世界から日本がいかに感染症に対応する体制ができていないかを露呈する結果となったと、木村氏は残念がる。
 日本は感染症対策後進国と言ってはばからない木村氏は、その理由として、厚生労働省の危機意識の希薄さと使命感の欠如を指摘する。実際、アメリカの大学院を卒業後、厚労省に医系技官として入省した木村氏は、これまで繰り返し厚労省の組織の論理の壁にぶつかってきた。問題があると思った時に局長に直談判したり、国際会議に積極的に出席し、海外とのネットワークを強化したりする木村氏の行為は、役所の上司からはことごとく忌み嫌われ、繰り返し「左遷」の憂き目に遭う。現在の羽田空港の検疫官のポストも、「島流しポスト」(木村氏)であり、不祥事を起こしたわけでもないキャリア待遇の医系技官が就くポストとしては、本来はあり得ないものだという。
 しかし、木村氏は「自分が声をあげていかなければ、何も変わらない」と、左遷や嫌がらせ、降格を覚悟で、役所の体質や日本の感染症対策の問題点をこれからも指摘し続けたいと言う。その木村氏の使命感を支えているのは、厚生労働省こそが、国民の健康を守ることができる唯一の政府機関であるとの自負だと言う。
 厚生労働省を変えるために著書「厚生労働省崩壊」を出版し、日本の感染症対策の無策ぶりを指摘する木村氏と、パンデミックに対応するために日本がしなければならないこと、そして霞ヶ関を機能する機関に変えていくために何が必要になるかを議論した。

最高裁国民審査を審査する

(第436回 収録日2009年08月15日 PART1:92分 PART2:42分)
ゲスト:長嶺 超輝氏(司法ライター)

  総選挙前の恒例企画となった最高裁判所裁判官の国民審査特集。前回の国民審査以降の主要な最高裁判決を取り上げ、どの裁判官がどのような判断を下し、どのような意見を述べたかを、詳しく検証する。
 最高裁判所裁判官の国民審査は不信任の総数が投票総数の過半を超えた時に罷免となるが、それ以外は実質的な効力は何も持たない。いろいろな意味で、明らかに形骸化した制度であることは否めない。
 しかし、マル激で繰り返し見てきたように、最高裁の決定がさまざまな形で現在の日本の社会の在り方を規定していることは間違いない。首をかしげたくなる判決を下したり、おかしな意見を述べたり、あるいは批判を恐れずに勇気ある決定を下した裁判官に対しては、われわれはしっかりと意志表示をする必要がある。
 今回の国民審査の対象となる最高裁判所裁判官9名を、本邦メディアでは初めて(?)顔写真付きで一人ひとりのプロフィールを紹介するとともに、2005年の国民審査以降の主要事件として、一票の格差訴訟や和歌山カレー事件、情報公開訴訟、痴漢冤罪事件、催涙スプレー携帯事件における各裁判官の判断と意見を採り上げ、その内容を検証した。
 と、そこまではやるべきことをやってみたのだが、検証の過程で、あり得ないほど国民審査の制度が欠陥に満ちていることが明らかになった。そのような重大な問題が、これまで明らかにならなかったこと自体が、もしかすると国民審査を誰も真剣に受け止めてこなかった証左なのかもしれない。そう思えるほど、決定的な欠陥があるのだ。
 最高裁裁判官の国民審査は、まず裁判官任官後の最初の総選挙で審査にかけられ、その後10年間は審査がない。2度目の審査を受けるのは、最初の審査から最低でも10年以上経過した後になるが、ほぼ例外なく最高裁の裁判官には60歳以上の人が就任している。そして、最高裁裁判官は70歳が定年であるため、ほとんどの最高裁裁判官は、任官直後の総選挙時に一度だけ審査を受け、それ以降は審査を気にせずに悠々と裁判官を務めることになる。
 さて、問題は、その唯一の国民審査では多くの裁判官が任官からそれほど日が経っていないため、審査の判断材料となる主要な裁判にほとんど関わっていない場合が多いことだ。今回も過去4年間で主要な裁判に関わった裁判官の大半は、今回の国民審査の対象になっていない。仮に最高裁の決定に不服があっても、国民審査を通じて特定の裁判官に対してその意志表示をすることが、事実上不可能になっているのが、この制度の実情なのだ。
 また、最高裁は仕組みそのものに、大きな問題を抱えている。これまで数多くの裁判を傍聴し、最高裁をウォッチしてきた司法ライターの長嶺超輝氏によると、最高裁への上告申立て件数は年間数千件~1万件近くにも及ぶという。わずか3つの小法廷に15名のみの裁判官(1名の長官と14名の判事)では、個々の案件を十分に審理することは、そもそも不可能なのだ。驚いたことに、最高裁がそれらを処理するスピードは、年間1万件とすると、1日あたり40件という計算になる。それを3つの小法廷で分担することを考慮に入れても、1つの小法廷で1日に13~14件、1件あたり30~40分に過ぎない。
 30分そこそこで地裁、高裁での審理を全て再検証し、最高裁として独自の判断を下すことなど、あり得るはずがない。そこで、実際には裁判官の補佐役として任命される調査官が、予め膨大な裁判記録を読み、裁判官に争点を説明した上で過去の判例を提示し、選択肢を示すことになる。それが裁判官の判断に決定的な影響を与えるであろうことは、想像に難くない。そもそも最高裁の裁判官は、調査官からあがってきた情報をじっくりと精査する時間すら無いはずだ。
 つまり、早い話が、最高裁の実質的な意思決定は、政治任命を受けた最高裁裁判官ではなく、司法官僚制度の中で人選された調査官によって機械的に下されている可能性が否定できないのだ。これでは、せっかく最高裁という権威のある裁判所を設置して、三権の長の一人として首相待遇の長官と大臣待遇の判事を並べてみても、下級審や過去の判例から外れた大胆な決定など下るはずがない。日本の司法判断が陳腐化し、時代の潮流からずれていると感じる人が多いのも、やむを得ないことなのかもしれない。アメリカなどに比べて日本では最高裁の顔が見えないと言われる所以も、そのあたりにあるのだろうか。 もはや有名無実化した最高裁を改革する術はあるのか。長嶺氏は、次の総選挙で民主党が勝った場合、慣例化した裁判官の人事システムに政治が介入することが突破口になる可能性があるという。
 最高裁判所の裁判官は、憲法上、内閣が任命することとなっているが、実際は最高裁事務総局という密室の中で司法官僚によって決められている。自民党政権下では、内閣は事務総局があげてくるリストを追認するだけだったが、政権交代を果たした民主党には、原理原則に立ち返り、内閣が独自の判断で裁判官を任命することで国民の関心を集めてほしいと、長嶺氏は注文をつける。まずは物議を醸すことで、世論を喚起し、マスメディアがそれを報じることから始めないと変わらないというのだ。それは、国民やメディアの関心の薄さが、最高裁の有名無実化や国民審査の陳腐化を招いてきたからだ。
 さらに、法律自体の違憲審査を行う「憲法裁判所」の創設や、十分な審理を行うために裁判官の人数を増員するなど、司法改革として手をつけるべきことはたくさんある。もしかすると裁判員制度などを導入する前に、日本の司法権力の頂点にある最高裁判所のこのような深刻な問題を改革することの方が、遙かに優先順位の高い問題だったのかもしれない。
 限られた事件の中で、最高裁裁判官の判決内容を検証するとともに、国民審査の欠陥と、そこから見えてくる最高裁や司法全体の問題について、長嶺氏とともに考えた。

権力が移動する時首相官邸で起きていること

(第437回 収録日2009年08月22日 PART1:87分 PART2:47分)
ゲスト:武村 正義氏(元内閣官房長官・蔵相)

  報道などを見る限り、どうやら政権交代は必至の情勢のようだ。そこで今回は、16年前の政権交代の仕掛け人の一人で細川政権と村山政権を内から支えた武村正義氏に、政権交代で権力が移動する時、政権内部で何が起きているかを聞くとともに、権力の甘さも怖さも経験してきた武村氏に、民主党が政権の座に就いたとき、どのような落とし穴が待ち受けているかなどを聞いた。
 1993年の政変で、小沢氏のグループより一足早く自民党を離党し、新党さきがけの党首として細川内閣で官房長官として政権を支えた武村正義氏は、細川政権の功績と失敗に、それぞれ民主党政権への教訓が隠されていると言う。
 まず功績の方は、細川連立政権が自らを「政治改革政権」と位置づけ、その使命を自他ともに明確にしたことにあった。それが功を奏し、細川政権は8つの小党の寄り合い所帯の脆弱な政権であったにもかかわらず、長年の日本政治の課題だった政治改革と選挙制度改革を成し遂げることができた。まずは政権獲得によって得た権力を、政治改革の一点に集中させたからこそ、困難な課題を成し遂げられたということだ。
 しかし、細川連立政権は政治改革の次の課題を考えていなかった。そのために、政治改革関連法案が可決した瞬間に一気に求心力を失ってしまう。94年1月に政治改革法案を成立させた後、2月には深夜に唐突に発表した国民福祉税構想を翌日には撤回するなど、未曾有の混乱ぶりを露呈し、その後首相の政治資金スキャンダルが表面化したことで、細川首相が自ら政権を投げ出し、連立政権は僅か8か月で崩壊してしまう。
 武村氏の民主党政権への教訓は、政権を取ったならば、まずは課題を明確にして力をそこに結集させること、そしてそれと同時に、その後の課題もちゃんと用意しておくこと、ということになろうか。
 武村氏はまた、民主党の「政治主導」構想にも懸念を表する。官僚の力を使わずに政府を回していくことが不可能であることを、官房長官としての、また大蔵大臣としての経験から、痛いほど知っているからだ。
 武村氏は、自身の大臣時代は、官僚がお膳立てしたその日のスケジュールをこなすのが精一杯だったと、当時を振り返る。そのような官僚の手の平の上で政治家が踊るだけの現行制度こそ、民主党が最優先で変えようとしているものだ。しかし、武村氏はそれはそう容易なことではないだろうという。それは、政治家がどんなに勉強をしても、それぞれの分野を何十年も担当してきている官僚の知識に敵うはずがないからだ。政と官は敵対するものではなく、協調しなければならないものだと、武村氏は言う。
 官僚を敵に回すことのリスクもまた計り知れない。警察や検察、国税を含め、政治家のあらゆる情報を握っているのが官僚機構だ。いたずらに官僚を敵に回せば、復権を期す自民党に民主党のスキャンダル情報が流れ、国会で厳しい追及を受けることは必至だ。それは細川政権の結末を見ても明らかだ。武村氏は自民党が下野した場合、手強い野党になるだろうと予想する。
 16年前の政権交代で生まれた細川政権は、功績もあったが、結局8ヶ月の短命に終わってしまった。そして、結果的にそれが「自社さ」といういびつな組み合わせの政権を経て、古い体質のままの自民党の復権を許すことになる。
 細川政権の成功と失敗から民主党は何を学ぶべきか。そもそも政権を取るとは、どういうことなのか。前回の政権交代の仕掛け人でありキーパーソンでもあった武村氏に、自らの経験をもとに、政権交代の期待がかかる民主党への提言と苦言を語ってもらった。

これでもあなたは投票に行きませんか

(第438回 収録日2009年08月28日 PART1:83分 PART2:45分)
ゲスト:森川 友義氏(早稲田大学国際教養学部教授)

 総選挙直前となる今回のマル激は、この選挙で投票に行かないことが、とりわけ若い世代にとってどれだけ損なことかを、世代会計の観点から考えてみた。
 格差問題が取り沙汰されるようになって久しいが、その中でももっとも深刻なものの一つが世代間格差だ。急速な少子高齢化によって、若い世代ほど社会保障負担が重くなる一方で、その受益は年々目減りしている。それを世代別に収支計算をしてみると、現時点から将来にわたって年金や医療、教育など政府から受ける受益と、税金や保険料など政府に支払う負担との収支は、現在65~70歳の世代がプラス1500万円になるのに対し、25~30歳の世代はマイナス2500万円となり、世代間の収支に4000万円もの開きが出るという。高齢世代が払った分より遙かに多くの受益を受ける一方で、若い世代は実際に支払った分さえ取り返せないということになる。
 なぜ、世代間でこれほど不公平な制度が、まかり通っているのか。政治学者で新著「若者は、選挙に行かないせいで、4000万円も損している?!」著者の森川友義早稲田大学国際教養学部教授は、それは若者が選挙に行かないからだと言い切る。
 そもそも20歳代の人口は60歳代の半分から3分の2程度しかない。にもかかわらず20代の投票率は60代の投票率の半分しかない。となると、20代と60代では投票する人の数に3倍もの開きが出ることになる。
 「もしあなたが政治家なら、どっちの声に耳を傾けますか」と、森川氏は問いかける。 
 より多くの票を投じ自らの意思を表明している60代の声が、人口も少なく投票にも行かない20代よりも政策に反映されるのは、民主主義の前提として当然のことだと森川氏は言う。
 実は現在の格差はまだ序の口の可能性が大きい。現在の投票率がそのまま続き、少子高齢化も今のペースで進んだ場合、2050年には70代の投票総数が2000万票を超えるのに対して、20代のそれは300万にまで減少する。20代の利害はほとんどまったくと言っていいほど政治に反映されなくなる可能性も、あり得る状況なのだ。
 既に今の日本は、世界的に見ても高い水準にある社会保障制度を誇る一方で、OECD加盟国で最低水準の子育て支援や教育支援、高い非正規雇用率など、すでに高齢者に有利な制度が目白押しだ。そして、それが今後更に高齢者に手厚い制度に変わる可能性があるというのだ。それはまた、若者には今よりも更に重い負担を強いることを意味する。
 そのような馬鹿げた状況を避けるためには、今回の選挙が一つのカギになると森川氏は言う。森川氏の予想ではこの選挙を境に、若年層と高齢層の投票総数の乖離が一気に広がる可能性が高く、そのトレンドを逆転させるには、この選挙が最後のチャンスになるかもしれないと、森川氏は言うのだ。
 もし、現在のこの状況を不公平でおかしいと考え、そのような政策の転換を望むならば、それを実現する唯一の方法は、若い世代が年寄り世代よりも高い投票率で投票に行き、自分たちの意思を鮮明に表明する以外にない。
 森川氏は、若者が選挙に行かない理由として、政治リテラシーの低さをあげる。政治に関心が無ければ、投票する気にならないのはわからなくはないが、しかし、森川氏の調査では20代の政治リテラシーのレベルは60代、70代とほとんど変わらないと言う。高齢者は政治がわからなくても投票だけするのに対して、若者は「わからない」や「興味がない」ことを理由に投票に行かない。その差が、不公平な社会制度という形で、顕在化しているのだ。
 無関心から来る政治への不参加が生んだものこそが、お任せ民主主義だ。日本では市民の政治参加の度合いが低い分だけ、利益団体や官僚の政治参加を許してしまっている。昨今批判が高まっている官僚主導の政治とは、裏を返せば、市民の怠慢に他ならない。そして、その結果が860兆円の財政赤字であり、一人あたりGDPの世界第19位への転落に他ならないのだ。
 この選挙は、これからも市民が本来果たすべき領域を官僚や利益団体に占領されたまま、将来世代にツケを回し続けることをよしとするのか、お任せ政治をやめて市民が引き受ける政治へと舵を切れるかどうかを問う、最初で最後の選挙になる可能性が高い。これ以上の問題の先送りは、将来世代に対して倫理的に許されないばかりか、もはや問題の解決そのものが不可能になる可能性すらある。それだけ重要な、日本の将来を左右すると言っても過言ではない選挙が、2日後に投票日を迎える。
 これでもあなたは選挙に行きませんか?

シリーズ・民主党政権の課題1・高速道路無料化のすべての疑問に答えます

(第439回 収録日2009年09月05日 PART1:77分 PART2:48分)
ゲスト:山崎 養世氏(シンクタンク山崎養世事務所代表)

  いよいよ民主党政権が始動することとなった。実質的に半世紀ぶりの政権交代でもあるので、課題が山積していることは言うまでもないが、まずは何と言っても民主党が公約に掲げた政策を実現し、日本に真の変化をもたらすことができるかどうかに注目が集まっている。
 そこで選挙明け最初のマル激では、民主党の目玉政策のひとつである高速道路無料化を取り上げ、無料化の元祖提唱者であるシンクタンク代表の山崎養世氏に、高速道路無料化に対するさまざまな疑問を徹底的にぶつけてみた。
 高速道路無料化は、2003年の総選挙から民主党が主張している主要政策だが、依然として財源や渋滞を招くのではないかという懸念、CO2発生の増加による地球環境への影響などを理由に、無料化に反対する声が根強い。
 しかし、山崎氏はこうした批判をいずれも、的外れだと一蹴する。それはこうした批判がいずれも、「前提から間違っている」からだと言うのだ。
 まず、無料化が受益者負担の原則を壊し、ただでさえ火の車状態にある財政をさらに悪化させるのではないかとの懸念には、山崎氏はこう答える。
 既に高速道路ユーザーは年間2兆3千億円の通行料金の他に、ガソリン税などを通じて年間2兆円にのぼる税金を支払っている。無料化に必要な財源は高速道路ユーザーの支払う税金で十分に賄えるため、一般国民の税金が投入されることはない。つまり、無料化こそ受益者負担の原則に戻ることであり、逆にガソリンで税金徴収した上に、高速道路ユーザーからも1キロあたり25円もの高い通行料金を徴収し、その二重取りしたお金で無駄な道路を作り続けている現在の道路システムこそ、受益者負担の原則に反していると山崎氏は言う。
 もともと日本では高速道路は無料だった。東名・名神高速の建設の際、建設に費やした借金の返済のために有料化されたが、返済を終えたら無料に「戻す」約束だった。しかし、1972年に田中角栄首相により料金プール制が導入され、他の路線の建設に回すため永遠に通行料金を取り続けることが可能になってしまった。その時初めて、高速道路は有料が当たり前になったのだ。それ以来、二重取りした財源を道路に注ぎ込み続けた結果、今や日本の道路支出は、英仏独伊の欧州の主要4カ国の合計額に匹敵するほど莫大なものとなっている。日本は教育費や子育て支援費ではそれらの国々の足下にも及ばないにもかかわらず、こと道路だけは世界に冠たる超大国になってしまったのだ。
 山崎氏によると、現在進行している民営化策では新たな借金で道路を作り続けるスキームが残されているため、無駄な道路は作られ続けることが可能だと言う。それをやめさせるには料金収入を断ち切るしかない。つまり、無料化こそが有効な財政再建策になると、山崎氏は説く。
 無料化すると高速道路が渋滞するという懸念も、山崎氏は真っ向から否定する。地方では、高速道路は料金が高過ぎるために、地域の人々はこれを気軽に利用できる状況にはない。そのため、地方を走る高速はほとんどがガラガラで、むしろ周辺の一般道路が混雑しているのが実情だと言う。ならば、高速を無料にして一般道を走っている車を高速道路に乗せることで、高速も一般道も渋滞はなくなる。
 麻生政権の経済対策で高速道路を1000円にした際に高速が大渋滞した問題は、そもそも行楽のピークの道路がもっとも混む時期に値下げを行ったことの影響であり、期間を限定しない無料化であれば、あのような事は起きないと説明する。
 また、環境面から懸念されるCO2排出量の増加についても、混雑する東京の首都高や大阪の阪神高速は無料化の対象から外れるため、交通量が増えることはない。地方では一般道から高速に車が移動するので、より燃費の高い走行が可能になるうえ、一般道の渋滞は解消されるので、むしろCO2は減るはずだと山崎氏は言う。  さまざまな批判や疑問に一つひとつ丁寧に答える山崎氏だが、しかし、そもそもこれらの批判は、大前提が間違っていると山崎氏は言う。
 財政負担についても、高速道路の無料にすることの経済効果は7兆8千億円もあり、道路の無料化による歳入の減少分を埋めて余りあるメリットが期待できる。料金徴収が不要になれば、料金所が不要となるので、出入り口を低コストで容易に増やせるようになる。出口が増えれば、自動車の流れがもっとスムーズで快適なものとなり、高い料金のために無用の長物となっていた高速道路は地域の生活道路に生まれ変わり、多大な経済効果も見込めるという。
 また、環境に対する懸念も、それは現在の内燃式のガソリンエンジン車を前提にした話であり、高速道路の無料化は車のエコ化を前提としなければ、意味のない議論になると山崎氏は言う。
 つまり、高速道路の無料化論は単なる利益や便益の向上を目的としたものではなく、これまでの外需中心の工業化社会から、地域振興、農林水産業の発展、観光、教育の充実など、内需主導のポスト工業化社会へ移行することを前提としているし、それを意図している。現在の体制を前提とした批判は、それ自体に意味が無いというのが、山崎氏の基本的な考え方だ。
 日本がこれから豊かな先進国になっていくためには、工業化の象徴とも言うべき東京一極集中を解消し、人を分散させ、時間と空間にゆとりを持たせることが不可欠であり、そのようなグランドデザインを実現するために高速道路の無料化があると山崎氏はいうのだ。
 山崎氏は、高速道路の無料化を実現する上での最大のハードルは、われわれ国民が無意識の間に受け入れてしまっている誤った「常識」と「想像力の欠如」だとの見方を示す。そもそも高速道路がタダになることは、本来であれば誰にとっても喜ばしいことであるはずだ。にもかかわらず、多くの国民がそれに懸念を表し、反対までするのは、無料化で既得権益を失う道路官僚や道路政治家たちが、それがあたかも悪いことであるかのようなネガティブキャンペーンを張り、マスコミもそれを垂れ流ししてきたことにも一因はある。しかし、多くの国民が自分の頭で考えることをせずに、それを受け入れてしまっていることで、われわれ一人ひとりの中に「そんなことできるはずがない」とか「そんなうまい話があるはずがない」といった「常識の壁」ができてしまっている。それこそが、高速道路無料化の最大のハードルだと山崎氏は言う。
 山崎氏の話は、高速道路の無料化が実現した後の課題となる、石油をベースとする経済体制から太陽をベースとする「太陽経済」への移行へと広がっていった。

シリーズ・民主党政権の課題2・「対等な日米関係」のすすめ

(第440回 収録日2009年09月12日 PART1:51分 PART2:42分)
ゲスト:孫崎 享氏(元外務省国際情報局長)

  民主党は「対等な日米関係」という表現を好んで使う。民主党はマニフェストにもそれを盛り込んでいるし、民主、社民、国民新党の連立合意文書にも「緊密で対等な日米同盟関係」という文言が盛り込まれている。先日物議を醸した鳩山論文でも「対等」が強調されていた。
 しかし、「対等な日米関係」とは何を指しているのか。そもそも現在の日米関係は本当に対等ではないのか。
 日本の安全保障の根幹を成す日米同盟は、これまで何度か変質を繰り返してきた。著書『日米同盟の正体』で日米関係の現状を批判している元外務省国際情報局長の孫崎享氏は、変遷を繰り返した結果、現在の日米同盟は60年の日米安保条約締結当時とは全く異質なものになっていると指摘する。
 日米の同盟関係は、警察予備隊の創設や思いやり予算の導入、日米共同軍事演習の開始など古くから多くの変質を遂げてきたが、孫崎氏はその中でも最も重要な変化が、92~93年の日米安保の再定義と2005年の2+2合意だったとの見方を示す。
 92~93年は、それまで日本に対してさしたる軍事的役割を求めてこなかったアメリカが、日本の自衛隊をどう使うかという発想へ大きく方針転換したと孫崎氏は言う。それまで冷戦体制の下でソ連の脅威への対応に専念してきたアメリカが、新たな脅威として北朝鮮やイラン、イラクといった不安定な国家を念頭に「国際環境を改善するために軍事力を使う」戦略へと切り替えた。
 その結果、日本の米軍基地の役割も変化し、アメリカにとっての自衛隊の位置づけも変わった。日米安保の対象が日本の国防から徐々に拡大され、その対象地域も拡大の一途を辿ることになる。
 また、外務省で情報畑を歩んできた孫崎氏は、ソ連の崩壊後、日本の経済力がアメリカにとって真の脅威となったことも、日米同盟の変質を促す要因となったと言う。アメリカの軍事力にただ乗りしながら、軽武装で経済に専念することで、経済的にアメリカを脅かすまでになった日本の国力を殺ぐために、その頃からアメリカは、自国の国際的な軍事戦略に日本を巻き込むためのさまざまな工作を行うようになった。
 それが実を結んだのが、安保成立当時からの明確な「縛り」だった極東条項を「周辺地域」にまで広げ、事実上日米安保の地理的概念を取っ払うことに成功した97年の日米新ガイドライン合意であり、99年の周辺事態法の成立だった。
 そして、アメリカの日本巻き込み戦略の集大成とも呼ぶべき成果が、05年に両国の外務・防衛大臣(アメリカは国務長官と国防長官)の間で合意された、いわゆる2+2合意「日米同盟:未来のための変革と再編」だった。孫崎氏はこの合意によって、日米同盟は締結当時とは全く異なる代物に変質したと言い切る。それは、元々日本の防衛のために存在したはずの日米安保が、遂には全世界の秩序維持のための協力関係へと変わってしまったからだ。
 2+2合意は、日米安保の根幹を成していた国連憲章の尊重も放棄し、国際安全保障環境を改善するために日米共通の課題に取り組むことが掲げられている。そして作戦、戦略、運用、訓練と全ての分野において細かく定められた規定によって、米軍と自衛隊との部隊レベルでの一体化が既に進んでいるという。
 05年の2+2合意はそれだけ重要な安保政策の転換を意味するものでありながら、国会でもほとんど議論されず、マスコミでもその意味を解説する記事は皆無だったと孫崎氏は言う。日本の安全保障の根幹を成す日米同盟に本質的な変更を加える政策転換が、一握りの外務官僚とその重要性をほとんど理解していない政治家によって実行されていたことになる。
 いずれにしても、日米同盟関係はもはや、「日本がアメリカから守ってもらっている」などという牧歌的な次元を遙かに超えた、世界規模の軍事協力関係にあることだけはまちがいないようだ。
 しかし、それでも多くの日本人が、「日本はアメリカに守ってもらっているのだから、日米関係が対等なはずがない」と感じているとすれば、それはなぜだろうか。孫崎氏は、それは長年に渡るアメリカの「情報戦」の成果だと言う。日本にはアメリカのためになることが日本の国益に資すると信じて疑わない人が多くいるため、アメリカは日本に対して簡単に情報戦を仕掛けられる立場にある。本人が自覚しないまま、結果的にアメリカの情報戦略の片棒を担いでいる日本人がたくさんいるというのだ。
 そもそも日米同盟は、アメリカが日本を守るための軍事力を提供する代わりに、日本は米軍に基地を提供することで、バーターが成立していると孫崎氏は言う。以前にこの番組でケント・カルダー氏が指摘したように、アメリカにとって日本ほど重要な軍事拠点は他になく、アメリカも既に日米同盟からは十分な対価を得ている。日米関係は決して「日本がアメリカに守ってもらっている」だけの関係ではないのだ。
 しかし、元々対等と言ってもいいような互恵関係にありながら、あたかも日本がアメリカに隷属しているかのようなイメージを定着させ、日本をアメリカの意向に従わせるのが情報戦の目的だとすれば、日本は情報戦においては、アメリカに完敗していると言わざるを得ないだろう。今回の選挙で民主党の「対等な日米関係」が国民の支持を集めたことが、そのイメージに対する反発の結果だったとすれば、情報戦がうまくいきすぎたために国民の反発を招いたことになり、皮肉な結果だったとしか言いようがない。
 日米関係の変遷と現状を検証し、民主党の掲げる「対等な日米関係」の意味を孫崎氏と議論した。

 

vol.42(421~430回収録)

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自動車文明の終焉 

(第421回 収録日2009年05月02日 PART1:74分 PART2:26分)
ゲスト:下川 浩一氏(東海学園大学経営学部教授)

  自動車文明発祥の地であるアメリカで、大手自動車メーカーの「ビッグ3」が深刻な経営危機に陥っている。日本でも自動車メーカーが軒並み減産に踏み切るなど、自動車産業の凋落を伝えるニュースが後を絶たない。その一方で自動車産業は、エコカーの開発など、時代の先端産業としての顔を、今なお持ち続けてもいる。「自動車の世紀」と言われた20世紀を経て、今、自動車文明はどこに向かっているのだろうか。
 自動車産業史研究の第一人者で、世界の自動車産業の興亡を長期にわたって分析してきた東海学園大学の下川浩一教授(法政大学名誉教授)は、大量生産・大量消費に支えられた自動車文明はもはや限界を迎え、20世紀を通じて成長してきた自動車文明は、今大きな岐路に差し掛かっていると話す。冷戦後、西側先進国の主要自動車産業は、グローバル化の波に乗って、世界中に市場を拡大していった。しかし、それが今、一転して危機に瀕しているのは、自動車文明自体が終焉を迎えているからだというのだ。
 1920年代のT型フォードに始まった自動車文明は、20世紀文字通り時代の担い手だった。先進国では高速道路や橋など自動車中心のインフラ整備が進み、僅か1世紀の間に自動車産業は経済界の新参者から基幹産業にまで成長した。
 しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いだった自動車文明に最初に翳りが見えたのは、公害が深刻な社会問題となった1970年代だった。また、70年代はオイルショックも自動車産業の未来に影を落とした。自動車を中心に社会を構築することが経済繁栄につながるという短絡的な考え方に対し、東京大学の宇沢弘文教授は『自動車の社会的費用』(1974年)で、道路建設など自動車が発生させる社会的コストがいかに大きいかを指摘しているし、ケンブリッジ大学のエンマ・ロスチャイルド教授は、このままでは自動車産業は今世紀中に終わるとまで予言していたと、下川氏は話す。
 オイルショックと公害の70年代、日本車が燃費効率や排ガス規制技術で大きく競争力をつけたのに対し、アメリカの自動車産業は法規制ぎりぎりの対応で乗り切ることしかできず、日本車に大きく市場シェアを奪われる。また、その一方で、ビッグ3は、次第に本業の自動車製造から金融への依存体質を強めていく。更に、90年代以降アメリカがITバブルや住宅バブルの好況に沸く中で、ビッグ3は燃費効率を無視した大型車を次々と投入していった。
 そして、21世紀に入り、それらが全て裏目に出る。地球温暖化が人類共通の問題として浮上し、原油価格の高騰とも相まって、燃費問題は世界中の消費者の最優先課題となる。しかも、それに金融危機が追い打ちをかけると、燃費効率で日本車の後塵を拝し、金融で儲ける体質にどっぷり漬かっていたビッグ3が、一気に苦境に追い込まれるのは当然の成り行きだった。
 しかし、今アメリカ自動車産業が直面する苦境は、決してビッグ3固有の問題ではない。今後、エネルギーを含めて資源の使用はこれまで以上に制約されることは明らかだ。資源を大量に消費し、高速道路などコストのかかる社会インフラを必要とする現在の自動車産業のままでは、早晩行き詰ることが避けられないと下川氏は言う。
 自動車の利便性は私たちの暮らしを大きく変えた。車を保有することは一つの社会的ステータスであり、自動車は多くの人にとって豊かさのシンボルでもあった。また、自動車関連産業は全就業人口の約8%を雇用するなど、重要な基幹産業であることも間違いない。
 しかし、ガソリンを消費し排気ガスを出すという高い環境負荷、インターネット等の普及で実際に移動しなくても濃密なコミュニケーションが可能になったことなど、自動車を取り巻く環境は大きく変化し、それに呼応して自動車産業も大きな変革を迫られている。
 21世紀の自動車産業はどのようなものになっていくのか。自動車という文明の利器は生き残れるのか。自動車文明論の大家である下川氏とともに、「自動車の世紀」を振り返り、現在自動車が直面している問題と、自動車社会の次に来る社会がどのようなものになるかについて議論した。

北方領土問題は終わっている

(第422回 収録日2009年05月09日 PART1:53分 PART2:46分)
ゲスト:中村 逸郎氏(筑波大学大学院教授)

  昨年5月に大統領の座をメドベージェフ氏に譲り首相に就任したロシアの最高実力者プーチン氏が、11日、首相としては初めて来日する。
 建前上ロシアでは、外交は大統領が担当し、首相は経済問題を担当することになっているため、今回のプーチン氏来日では北方領土問題は議論されないことになっている。しかし、日本政府は最高実力者のプーチン氏の意向が領土問題解決のカギを握ると見て、来日を前に早くも、領土問題をめぐる鞘当てが始まっている。中でも、谷内正太郎元外務次官が毎日新聞とのインタビューの中で「3.5島返還でもいいのではないか」と語ったことが、多くの耳目を集めたことは記憶に新しい。
 しかし、ロシア現代政治の専門家で、留学経験も含めロシアを頻繁に訪れ、ロシアの現地事情に詳しい筑波大学大学院の中村逸郎教授は、今回のプーチン首相の来日で北方領土問題が進展することはないだろうと言い切る。そればかりか中村教授は、ロシア側にとってもはや北方領土問題を解決したり、進展させなければならない動機が存在しないため、日本が一貫して守り通している四島一括返還はおろか、3.5島も二島先行返還も、もはやあり得ない状況になっているとの厳しい見方を示す。北方領土問題は、もはや日ロ間の問題ではなく、日本の国内問題と考えた方がいいと言うのだ。
 日本政府は、歯舞(群島)、国後、色丹、択捉の北方四島は18世紀末から江戸幕府の直轄地であり、1855年の日露和親条約、1905年のポーツマス条約、1951年のサンフランシスコ平和条約などを経た今も、歴史的経緯や国際法上、これが「我が国固有の領土」であることは明らかであると一貫して主張している。そして、日ロ両国は、この領土問題が未解決であるが故に、平和条約を締結していない。当時のソ連がサンフランシスコ平和条約には不参加だったため、日本とロシアは法的には未だに第二次世界大戦を戦っていることになる。
 確かに日本にはさまざまな歴史的経緯から、北方領土の四島一括返還の旗を降ろすことが困難であることは理解できる。古くから日本が領有してきた「我が国固有の領土」という主張も十分正当性があるし、そもそも北方領土を含む千島列島は、スターリン下のソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破棄して不当に占領支配したものであり、現在の実効支配には正当性が無いという主張も、もっともな主張だ。しかし、その一方で、サンフランシスコ平和条約で日本が領有を放棄した「千島列島」の中に北方四島は含まれないとする日本政府の主張が、国際法上、日本政府が期待するほど自明なものではないことも事実だ。また、既に北方四島がソ連、そしてロシアの実効支配下に入って60年が過ぎた今、この問題が、単に四島一括返還という日本の主張を繰り返すだけではどうにもならない問題であることもまた、誰の目にも明らかだ。
 中村氏は1990年代、共産主義が崩壊した直後の混乱期にあったロシアが、日本の経済的な支援に価値を見出していた時代には、二島返還であればロシア側が応じてくる可能性はあったかもしれないと言う。また、実際にそのような兆候も何度か見られた。しかし、その時も日本は四島返還にこだわるあまり、その機を完全に逸してしまった。その時、既に日本では、冷戦下に醸成された四島一括返還のドグマに喚起された世論が、今さら「二島先行返還」などという妥協を容認できる状況ではなかった。その間、「二島先行返還」路線で突っ走った政治家や官僚の多くが、売国奴扱いされ、パージされるというおまけまでついた。今でも四島一括返還の立場を否定するような発言を公の場で行うと、学会はもちろんのこと、一般市民からも厳しい指弾を受ける状態が続いているという。
 そして、今やプーチン氏の強力なリーダーシップの下でエネルギー大国として復活したロシアにとって、日本の経済力はそれほど大きな意味は持たなくなってしまった。そうした中で、長い国境線上に他にも多くの領土問題を抱えるロシアが、国際法上もグレーゾーンにある北方領土問題で妥協する理由など全く見当たらないというのが、現在の客観的状況だと、中村氏は言う。
 中村氏はまた、そもそもロシアとの領土交渉で日本は、ロシアにとっての北方領土問題の重要さを見誤ったのではないかと指摘する。他民族を吸収して膨張してきた帝国であるロシアには、国としての核がなく、周辺こそがロシアの本質である。ロシアにとってはたとえ北方領土といえども、それを手放すことはロシアの本質を手放すことに等しいと、中村氏は言うのだ。
 どうやら、ロシアは最初から北方領土を返す気などさらさら無かったが、日本政府がやたらこの問題にこだわりを持ち、また大々的に世論を動員しているところを見て、これを交渉の材料として使えると判断した可能性もある。日本から様々な支援や妥協を引き出すために、ある時は強硬な姿勢を見せ、またある時は二島なら返す妥協的な素振りを見せてみたりしながら、日本を交渉で手玉にとってきただけかもしれないというのだ。そして、今やそれすらも必要なくなったので、北方領土問題は少なくともロシア側から見ると、もはや交渉の材料としての価値すらも失ってしまったということなのかもしれない。
 むしろ日本の方が、上げた拳のしまい場所を早く見つけることを考える必要があるのかもしれない。今となっては、エネルギー大国ロシアから得るものが多いのは、エネルギー貧国日本の方かもしれないのだ。
 頻繁にロシアを訪れている中村氏は、ロシアでは近年ロシア正教会が力を伸ばし、共産主義下で没収された教会領が次々と教会に返還されたため、今やロシアでは正教会こそが最大の財閥になっていると言う。そして、そのロシア正教会が、最近、国後島と色丹島に教会を建てたそうだ。これはロシア人にとってその土地が聖地となったことを意味する。これはロシアが、もはやこの土地を返す気がまったくないことを明示していると中村氏は言い切る。
 プーチン氏来日を機に、未だに二島だ、3.5島だ、四島だのといった「国内向け」の議論を続ける日本政府と、もはや日本を必要としなくなったロシアの国内事情、そして日本にとって真の国益とは何なのかについて、中村氏と議論した。

「開かれた司法」と逆行する裁判員制度

(第423回 収録日2009年05月16日 PART1:57分 PART2:43分)
ゲスト:田島 泰彦氏(上智大学文学部教授)

  5月21日、ついに裁判員法が施行される。これまでマル激トーク・オン・ディマンドでは、裁判員制度について議論を重ねてきた。その過程で数々の論点が明らかになったが、中でも最大の問題と思われるものが、制度の非公開性だった。ある制度にどんな欠陥があっても、少なくともその情報が公開される仕組みさえできていれば、いずれその欠陥は広く社会の知るところとなり、早晩対策なり改善が行われることが期待できる。しかし、現行の裁判員制度では、広範かつ厳格な守秘義務が裁判員自身と報道機関に課されているため(報道機関側は司法当局との話し合いの結果、自主規制という形はとっているが)、仮に制度に重大な問題があっても、その情報を社会が共有することができない。そのため問題が改善されないまま、永続してしまう仕組みになっているのだ。
 表現の自由やメディア規制を専門とする上智大学文学部の田島泰彦教授は、裁判員制度は守秘義務と報道規制でがんじがらめになっており、本来の目的とされた「市民参加により開かれた司法をつくる」との理念とは完全に逆行していると指摘する。
 裁判員の守秘義務違反は、6か月以下の懲役・50万円以下の罰金という刑事罰の対象となっている。裁判員は事件関係者の個人情報はもちろんのこと、評議の内容や議事進行の公正さを口外することが公判中も、公判終了後も、半永久的に禁じられている。裁判員は自分自身が裁判員となったことを公にすることも禁止されているのだ。
 また、メディアは事件に対する報道が細かく規制されるほか、公判が終了した後も、裁判員に接触することが禁じられている。裁判員は、裁判員として知り得た情報は、基本的に一切誰にも言えないまま、墓場まで持っていかなければならないのが、裁判員制度の守秘義務の実情なのだ。  更に、これは裁判員制度そのものの問題ではないが、公判前整理手続きが非公開であることも、同様の問題をはらんでいる。裁判員という一般市民を公判に強制的に参加させる以上、裁判はできる限り短時間で終わらせる必要がある。最高裁は平均して3日と説明しているが、それを実現するために、刑事裁判では公判前整理手続きと呼ばれる論点の絞り込みが裁判所、検察、弁護人の間で非公開で行われる。しかし、ここで議論された内容については、弁護人は公表することができない。公判前整理手続きで強引かつ不公平な運営が行われたとしても、社会はその事実を知るすべを持たないのだ。
 田島氏は、ここまで厳しい守秘義務を課す背景には、司法当局がこれまで通りの閉鎖的な司法を正当化するために、裁判員制度を利用しているとも考えられると指摘する。一般市民である裁判員を守らなければならないとの口実で、さまざまな守秘義務を課したり、メディアとの接触を制限したりするのは、結局司法当局が本当の意味で開かれた司法など実現する気がないことの反映だと言うのだ。
 裁判員制度開始を目前に控え、裁判員制度と国民の知る権利との間にある大きな矛盾を、田島氏と議論した。

臓器移植法に改正が必要な理由

(第424回 収録日2009年05月23日 PART1:107分 PART2:102分)
ゲスト(PART1):河野太郎氏(衆議院議員)、阿部知子氏(衆議院議員)
ゲスト(PART2):ぬで島次郎氏(東京財団研究員) 

  臓器移植法の改正をめぐり、国会が揺れている。現行法の制限を大幅に緩和する案と、むしろ規制を強化する案とその折衷案などが錯綜し、各党がこの法案については党議拘束をかけない方針を打ち出していることも相俟って、全く見通しがたたない状態に陥っている。日本の国会では珍しいガチンコ状態と言ってもいいだろう。
 1997年に成立した同法には3年後の見直しが定められていたが、施行後約10年間、一度も見直しは行われてこなかった。しかし、この5月にWHO(世界保健機関)の総会で臓器移植のガイドラインが変更され、移植臓器の国内自給が求められるようになるとの観測が飛び交ったことがきっかけで、国内でも臓器移植法の見直し機運が一気に高まった。
 実際は新型インフルエンザへの対応に追われたために、ガイドラインの変更は今年は行われないことになったが、WHOの動向にかかわらず、国会では臓器移植法の審議が来週にも始まろうとしている。
 これまで改正案としてはいずれも議員立法で、臓器移植をより容易にするA案、現行法を踏襲しながら、臓器提供者の対象年齢を15歳から12歳まで引き下げるB案、脳死判定基準をより厳格化するC案の3案が国会に提出されていたが、いずれも過半数の支持を得られる見通しは立っていなかった。そこで今月15日に自民党の根本匠議員、民主党の笠浩史議員らが新たな妥協案としてD案を提出し、衆議院の厚生労働委員会で来週AからDまでの4案の質疑が行われる予定だ。  97年に日本で初めての臓器移植法が法制され、本人の書面での提供意思の表明と家族の同意があれば、日本でも脳死となった人から臓器を取り出して移植を行うことが可能になった。しかし、これまでの12年間での脳死移植は81件しか行われていない。今年4月末現在、12,240人が臓器移植を待っている状態にある。また、現行法では15歳未満の臓器提供は認められていないため、臓器移植を必要とする子どもは、高額の費用を負担して海外で移植を受けるか、ドナーに後遺症が残る危険を冒して生体移植を受けるしかない。
 これらの点を問題視して提案されたのが、年齢制限をなくし、本人の意思表示がなくても家族の同意のみで臓器提供を行うことができると定めたA案だ。A案は本人から生前の意思表示が無かった場合は、臓器提供の意思ありと推定されるため、脳死移植は大幅に増える可能性が大きい。また、A案はあくまで家族の同意が前提となるため、臓器提供者に年齢制限を設けていない。
 しかし、A案では本人があらかじめ臓器提供を拒絶する意思を表明できる上、本人の意思にかかわらず家族は臓器提供を拒否できるため、「どなたにも意思に反したことを強制しない」とA案の提案者で自ら生体肝移植のドナーとなった経験を持つ自民党の河野太郎衆議院議員は説明する。
 一方のC案は、一概に脳死を人の死としない現行法の考えを踏襲した上で、現行の脳死基準をさらに厳格化することで、脳死後も何年も心停止に至らない例も数多くみられるなど、医学的にも脳死を人の死とすることへの疑問に答えようとする立場をとる。
 また、4案の中で唯一生体臓器移植を親族間のみに限定する規制を含む。C案の提案者で社民党の阿部知子氏は、自らの小児科医としての経験に基づき、脳死を一律に人の死としてしまうことにリスクを訴えた上で、その一例として臓器移植以外の医療が十分に施されていない問題を指摘する。
 B案は現行法の年齢制限を15歳から12歳に下げるもので、D案は現行法から年齢制限を削除するというもの。いずれも、国内では移植を受けられない日本人の子どもが、海外で移植を受けている事態にのみ対応した案だ。
 臓器移植は臓器を提供する側と移植を受ける側の立場の、どちらから考えるかによって、180度見え方が変わってしまう性格があるため、非常に判断が難しい。しかし、科学技術政策論の専門家で20年臓器移植法を研究してきたぬで島次郎氏は、まず臓器移植問題と「脳死は人の死か」の死生観をめぐる議論は分けて考える必要があると説く。脳死を人の死とするかどうかについては、まだ決着がついておらず、問題の語られ方もこの20年変わっていないと言う。これはまた臓器移植が進んでいる海外でも決着がついているわけではない。この議論を始めると泥沼にはまってしまうとぬで島氏は言う。
 臓器移植をめぐる真の争点は、日本人の死生観ではなく、死後の臓器の摘出に本人の同意を必須とするかしないかにあり、4案の審議もその点に絞るべきだとぬで島氏は主張する。人権の最も基本である人身の不可侵を守るのが本人同意であり、どういう場合に本人同意を外すことが許容されるべきかを決めることが、臓器移植における本質的な論点であるべきだというわけだ。
 また、ぬで島氏は現行法では、生体移植がまったく規制されていないため、日本の生体移植の件数が海外に比べて非常に多いことが、逆に日本で脳死移植が増えない原因にもなっている可能性があると指摘する。その意味でC案は生体移植を近親者に限定するルールを備えており、この点では合意できる可能性がある。
 ぬで島氏はこの法案では、AからDのどれか一つを選ぶのではなく、条文ごとに受け入れられるものを選んでいく「逐条審議」を行うべきだと主張しているが、日本の国会では慣例により、逐条審議は行われていない。
 今週のマル激では、来週にも本格的に審議入りする臓器移植法改正案の論点を2部構成で徹底的に議論してみた。まずPart1ではA案提出者の自民党河野太郎衆院議員とC案提出者の社民党阿部知子衆院議員をスタジオに招き、両議員が考える現行法の問題点やそれぞれが提案する案のポイントをディベート方式で議論してもらった。(Part1は無料放送中)
 そしてPart2は、ぬで島氏とともに、前半の議論を踏まえて、臓器移植問題の争点をさらに掘り下げた。(ぬで島氏のぬでは木へんに勝)

5金映画スペシャル
C・イーストウッドの描くアメリカ保守主義の再興は本物か

(第425回 収録日2009年05月30日 PART1:71分 PART2:40分 PART3:45分)

  5週目の金曜日に特別企画を無料放送でお届けする「5金スペシャル」。今回は、9か月ぶりの映画特集をお送りする。
 今回取り上げた作品は、新聞記者を主人公とした『消されたヘッドライン』(ケヴィン・マクドナルド監督)、名前の通りブッシュ大統領を描いた『ブッシュ』(オリバー・ストーン監督)、ミッキー・ローク主演の『レスラー』(ダーレン・アロノフスキー監督)、そして、クリント・イーストウッド監督の『チェンジリング』と『グラン・トリノ』の計5本。
 いずれも、アメリカ映画が元気を取り戻しつつある様子が感じられる作品だ。特にクリント・イーストウッド監督の2作品は、ブッシュ政権の迷走で方向性を失いつつあったアメリカの保守主義が、今改めてその方向性を再確認しようとする姿勢が見て取れる。アメリカの保守主義再興の本物度を考えた。
 また、上記の作品の多くが社会問題は「システム」ではなく、「個人」に問題の根源があるという立場に立って、社会問題を描いている点が共通している。単にシステムを変えても、所詮最後は個人個人がしっかりしていなければ、問題は無くならないということのようだ。そのことの意味を日本にも当てはめて考えてみた。

DNA鑑定は誰の利益に資するべきか

(第426回 収録日2009年06月06日 PART1:48分 PART2:43分)
ゲスト:天笠 啓祐氏(ジャーナリスト)

   DNA鑑定を含む科学技術は、もともと誰のためにあり、何のためにそれを刑事捜査に導入するのだろうか。この問いに対する一般的な答えは「真犯人を逮捕するため」となるに違いない。それだけなら、恐らく誰も文句は言わない。しかし、ここで言う「真犯人の逮捕」の中に「犯人ではない人の無実を明らかにするため」が含まれていなければ、それは単なる警察の捜査権限の拡大を意味することになる。
 4歳の女児が殺害された足利事件で、無期懲役が確定し服役中だった菅家利和さんが、DNA再鑑定の結果、無罪であることが確実となり、4日、千葉刑務所から釈放された。
 菅家さんを犯人と断定する上で決定的な役目を果たしたDNA鑑定が、およそ20年の月日を経てその精度を増し、結果的に菅家さんが犯人ではないことを証明した結果だった。 無実の身で17年間刑務所に拘留された菅家さんの心中は察するに余りあるものがあるが、この問題が最新のDNA鑑定技術によって解決されたことで、DNA鑑定万能論とも呼ぶべき空気が蔓延しつつあることには注意が必要だ。
 早くからDNA鑑定に関心を持ち、著書『DNA鑑定―科学の名による冤罪』の中で足利事件が冤罪である可能性を10年以上前から指摘してきたジャーナリストの天笠啓祐氏は、DNA鑑定があくまでDNAの型を調べている「DNA型鑑定」であることを強調する。警察が用いているMCT118と呼ばれるDNA鑑定は、血液型のA型やO型と同じように、DNAの塩基配列の中の、ある特定部分の塩基配列(より厳密にはある特定の配列が繰り返される回数)に基づきDNAを類型し、その一致の是非を調べているに過ぎない。被疑者のDNAが犯人のDNAと一致したと考えるのは、大きな間違いだ。
 また、どんなにDNA型鑑定技術そのものの精度が上がっても、鑑定の対象となるDNAサンプルの採取は人間の手で行われる。その段階での不適切なサンプル処理や、杜撰な証拠管理によって、結果は大きく左右されることになる。そもそも、その段階で証拠のねつ造などが行われてしまう可能性も考え合わせると、DNA鑑定の結果で犯人を断定してしまうような空気には、かなりの注意が必要だ。
 そもそも足利事件では、菅家さんは自白を取られている。釈放後の記者会見で菅家さん自身が、警察の暴力的な取り調べによって自白を強要された事実を明らかにしているが、当時より格段に精度を増したとされるDNA鑑定の結果を突き付けられ、肉体的にも精神的にも追い詰められた状況の下で自白を強要された時に、いったいどれだけの人が最後まで抗うことができるだろうか。
 そうしたことまで考え合わせると、今回の冤罪事件を不確かなDNA鑑定だけの問題に帰結することは、逆に進歩した今日のDNA鑑定技術に過度の信頼性を持たせ、冤罪の再発の原因となる危険性をはらんでいると思えてならない。
 もともと菅家さんの冤罪を招いたDNA鑑定技術について、当時のマスメディアは、それを画期的な技術として持て囃すような報道を繰り返していた。
 天笠氏は、現在のDNA鑑定は、DNAの型の違いを明らかにすることで、ある人の無実を証明するためには有効だが、誰かを犯人と断定するには十分な注意が必要だと警鐘を鳴らす。そうでなくとも日本の取り調べのあり方や刑事訴訟制度上の問題が指摘されている。そうした中にあって、新しいDNA鑑定の技術が、「犯人を見つけるために有効なツール」とメディアや識者に囃される一方で、必ずしも「被疑者の無実を証明するためにも有効なツール」とは受け止められていないところに、現在の刑事制度が抱える本質的な問題の一端が垣間見えると言っては、言い過ぎだろうか。
 アメリカでは、被告にDNA鑑定を受ける権利があり、これまでに200人以上の冤罪が明らかになっているが、その中にはすでに死刑が執行されたケースもあったという。日本では、DNA鑑定のために冤罪が生まれているとすれば、その違いはどこにあるかを、十分考えてみる必要があるだろう。DNA鑑定がもっぱら捜査機関のみに活用され、被告人の利益になっていないとすれば、それはDNA鑑定そのものの問題ではなく、日本の刑事制度そのものの問題である可能性が大きい。
 今回は足利事件の冤罪問題を入り口に、DNA鑑定がどのようなもので、それは一体誰の利益に資するべきものなのかを、天笠氏とともに考えた。

グリーン革命に乗り遅れる日本

(第427回 収録日2009年06月13日 PART1:68分 PART2:57分)
ゲスト:飯田 哲也氏(環境エネルギー政策研究所所長)

   「低炭素革命で世界をリードする」。10日、麻生首相が、日本の温室効果ガスの2020年までの削減目標を05年比で15%減とすることを発表した。麻生首相はこれが野心的な目標と考えたと見えて、「野心的」、「決断」などの言葉を連発したが、世界からは冷ややかな反応しか返ってこなかった。ちょうど国連気候変動枠組み条約の特別作業部会が開かれているボンでは、麻生首相を先のブッシュ大統領に擬した似顔絵とともに、世界の潮流から大きくずれた日本の削減目標を批判するコメントが相次いで出された。
 省エネ世界一などと喧伝している日本だが、実は1990年と比較して温室効果ガスが9.2%も増加している。そのため、「05年比15%削減」を、1990年の排出量と比較した数値にすると「8%削減」としかならない。京都議定書の削減義務は、2013年までに90年比6%削減なので、今回の中期目標はその後8年をかけてもう2%だけ削減する意思を表明したにすぎない。ちなみにIPCCは、地球温暖化を抑えるためには2050年までに世界全体のCO2排出量を1990年比で半減する必要があり、そのためには先進国は2020年までに25~40%削減しなければならないと試算している。40%削減に対して、日本は8%は余りにもかけ離れた数字だった。
 地球温暖化問題に長年取り組んでいるNGO環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏は、今回発表された数字は、「嘘で塗り固めた不作為」であると酷評する。そもそも政府もメディアも05年比の数字を発表しているが、国際的な中期目標は1990年の排出量を基準に決められている。削減努力を「何もやってきていない日本」(飯田氏)にとって、05年比にした方が目標の低さを誤魔化しやすいため、恣意的な数字を出しているに過ぎない。
 しかし、日本の目標がアメリカやEUと比べて遙かに深刻なことは、単にその数値が低いことではないと飯田氏は言う。日本は「ただの数字遊びをしているだけで、削減するための具体的な政策が何もない」ことが、最大の問題だと言うのだ。
 麻生首相は、日本の目標はアメリカの目標値を上回っていると胸を張った。確かにアメリカはブッシュ大統領が京都議定書から離脱して以降、温室効果ガス削減の努力を何もしてこなかったために、数値的には低い目標しか掲げられていない。しかし、オバマ大統領が就任して以来、アメリカは矢継ぎ早にグリーン・ニューディールと呼ばれる施策を打ち、一気に遅れを取り戻している。既にGDPの0.5%を投入するグリーン景気刺激策を09年2月に成立させているほか、再生可能エネルギーの買い取り義務付けやスマート・グリッドなどを盛り込んだ600ページにも及ぶワックスマン・マーキー法が4月に議会に提出されている。
 飯田氏は、アメリカが目標値を実現する具体的な手段を持っているのに対し、日本は政策手段も道筋もないまま、数字だけ出しているに過ぎないと指摘する。言うまでもないが、EUは既に排出量取引市場を創設し、ドイツやスペインを筆頭に、再生可能エネルギーでは世界のトップをひた走っている。どうやら、日本はグリーン革命で完全に世界から取り残されてしまったようだ。
 なぜ、日本はグリーン革命に踏み切ることができないのか。飯田氏は、経済界に地球温暖化についての共通認識がなく、政治もイニシアチブを取れていないことに、原因は尽きると言い切る。特に、発電から送電までを独占し続ける日本の電力会社は、原子力にしがみついたまま、世界のダイナミックな変化に全く対応できていないというのだ。
 しかし、それよりも更に重大な問題を日本は抱えていると飯田氏は言う。それは、日本がEU諸国やオバマ政権のように、世界の最先端で提案された知的蓄積を、自国の政策に活かす仕組みを持っていないことだ。官僚が省益だけを考え、独占企業が自分達の利益だけを考えて、政策を主張する。日本の政策はそれをつぎはぎにしたものでしかないため、国際的な知の蓄積が全く反映されないというのだ。
 世界がグリーン革命に向けて猛スピードで走り始める中、日本はどこまで取り残されてしまったのか。遅れを取り戻すための処方箋はあるのか。飯田氏とともに議論した。

Googleブック・サーチが問う出版の未来

(第428回 収録日 2009年06月20日 1時間22分)
ゲスト:村瀬 拓男氏(弁護士)

 またまたGoogleという黒船が日本の扉を叩いている。街中を写真に収めて回るストリートビューや空から世界中が見えてしまうGoogleアースなど、これまであり得なかった画期的なサービスで物議を醸してきたGoogleが、今度はグーテンベルク以来の出版のあり方を根底から変えようとしている。
 Googleは契約した図書館の蔵書をスキャンしてデータベース化を進め、いずれは世界中の全ての本をデジタル化する方針を明らかにしている。そして、これは紙の著作物の流通で収益をあげてきた出版業界にとって、自らの存在を根底から覆しかねない大問題となっているのだ。
 このサービスは「Googleブック・サーチ」と呼ばれるもので、アメリカでは04年、日本では07年に開始したもの。Googleが契約した図書館(米ハーバード大学図書館など。日本の慶應義塾大学が参加)の蔵書を片っ端からスキャンしてデータベース化したことで、既に利用者は本のページの画像をネット上で見ることができるようになっている。また、本の全文がテキスト化されデータベース化されているため、キーワード検察でその言葉を含む全ての本をリストアップすることも可能になった。本の全文がテキスト化されデータベース化されたことで、一般利用者は欲しい本を手に取ることなくネット上で見つけ、アマゾンなどで購入することができるようになっている。
 しかし、このサービスに対して、05年、米作家協会などが本の権利者の許諾を得ずに全文をスキャンすることは著作権侵害だとして、Googleを提訴した。Googleは米著作権法が定めるフェアユース(公正な利用)に基づいていると主張し、米作家協会らはスキャンは無許可の複製であると主張したが、昨年両者の間で和解が成立し、許諾なしにスキャンした書籍については1作品あたり60ドルをGoogleが支払うことや、このサービスから得られる収益の63%を権利者に支払うこと、版権登録機関の設立費用をGoogleが出すことなどが決まった。
 この和解の成立で、権利者(出版社、著者)は和解案に参加するか離脱するかを迫られることになったのだが、なんとこれが、日本の出版社や著者にも及ぶことが判明し、日本の出版界は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。
 そもそもこの和解は、アメリカで行われた訴訟が集団訴訟(Class Action)という形をとっていたため、そこで得られた和解や判決は原告のみならず、その被害を受けた人全員に効力を持っている。それでも普通であれば自分が関わっていない外国の裁判所の決定になど拘束されないものだが、こと出版に関しては、日本はベルヌ条約という著作権を相互に保護する国際条約に加盟しているため、アメリカで保護が決まった著作権はそれが自動的に日本にも適用されるという。
 そのため、日本の著者や出版社も、和解を拒否したい場合は申請が必要で、一定の期限までにその意思表示がない場合は、和解を受け入れたものとみなされてしまうという。何とも乱暴な話だが、それがGoogleブック検索がまさに「黒船」である所以なのだ。
 出版業界と深い関係を持つ弁護士の村瀬拓男氏は、この和解案は出版業界のあり方を根底から覆すような、本質的な問題提起をしていると説明する。
 今回の和解案では、現在も市販されている本は目録情報や連動広告などのみが表示され、全文をネット上で読めるのは、絶版された本と、市販されていない本に限ることになっている。
 確かに、絶版され、市場で入手できない本がデジタル化されてネット上で読むことが可能になれば、従来、紙の本が持っていた物理的制約から解放される。しかし、紙の本を出版し、それを流通させることでビジネスを成り立たせてきた出版業界にとって、書籍の全文がデジタル化され、ネット上でそれが入手が可能になることは、自分達のレゾンデートルを脅かす大問題となる。なぜならば、Googleブック検索で全文を読むことができるのは、現時点では絶版された本に限られるが、これがいずれは全ての本に拡大していくのは、時間の問題と考えられるからだ。しかも、このサービスによって、利用者にとっては全面的に利便性が高まることになり、また、著者も63%という十分な利益配分を受けることができるため(現行の著者印税は通常10%!)、出版業界の利害のみを理由にして、この流れを一概に否定することも難しい。
 しかし、その一方で、Googleという米国の一企業が世界中の書籍のデジタルデータを独占することへの懸念もある。Googleが私企業であるがゆえに、この事業が未来永劫続く保障はどこにもないからだ。仮に全ての書籍データがデジタル化され、紙の出版が消滅してしまった後に、Googleが何らかの理由で倒産したり、経営上の理由からサービスの廃止を打ち切った場合、人類の英知が蓄積された本が、この世から消えてしまうことさえ、あり得ないとは言い切れない。
 その他にも、日本語はアルファベットに比べ、デジタル化した際の漢字認識の精度に問題がある。著者と編集者が力を合わせた結果として現在の書籍のクオリティがあるが、Googleブック検索では、日本人は間違いだらけのテキストデータで検索を行うことを強いられる可能性もある。
 本の売り上げは年々減少し、雑誌も相次いで休刊している中、時折繰り出すミリオンセラーでなんとか持ちこたえている瀕死の状態にある書籍業界にとって、今回Googleが突き付けた選択はあまりにも重い。今後出版業界はどう変わっていくのか。利用者にとっては一見いいことずくめにも見える書籍のデジタル化に、落とし穴はないのか。村瀬氏とともに議論した。

意味のある政権交代を実現するために 

(第429回 収録日2009年06月27日 PART1:60分 PART2:32分)
ゲスト:山口 二郎氏(北海道大学教授)

 麻生首相は25日、記者会見で解散の時期は「そう遠くない」と述べ、解散総選挙が近いことを仄めかした。早ければ7月2日の衆議院解散も取り沙汰されている。しかし、内閣の支持率は依然として低落傾向が止まらない。雑誌などの選挙予想を見る限り、どうやら政権交代が現実のものとなりつつあるようだ。
 これまでマル激では、民主党の政策を詳細に検証し、政権交代後の政権を展望する企画を何度か行ってきた。今回は日本で事実上半世紀ぶりとなる「政権交代」そのものの意味を考えた。
 1996年の旧民主党結党時から党のブレーンであり、政治学者として政権交代を研究してきた北海道大学の山口二郎教授は、政権交代本来の意味を考えれば、半世紀にわたりそれが無かった日本に、今どのような弊害が生じているかがありありと見えてくると言う。
 もともと日本が採用している議院内閣制は、三権分立ではない。立法府の代表が行政の長を兼ねるため、立法府が強くなりすぎる危険性がある制度だ。しかも、人間や人間の作る組織は必ずまちがいを犯す。権力を手にすれば、いずれ腐敗し、時代への適応力を失っていくことは、歴史が証明している。
 また、一つの勢力が権力の座に長くあると、行政や既得権益を持った団体や事業者との間に癒着関係が生じる。その癒着故に、必要な改革が行えなくなる。
 そうした人間の不完全さや腐敗や堕落から政治を救い、立法府の暴走や閉塞を防ぐために、政権交代は民主主義のシステムにもともとビルトインされた機能だった。
 しかも、日本では裁判所とメディアという、本来は権力の暴走をチェックするはずの機関が、ほとんどまともに機能していない。このような日本固有の問題もあると山口氏は指摘する。
 つまり、早い話が、日本ほど政権交代を必要としている国はないにもかかわらず、それが実質的に半世紀もの間、一度も起きなかったことが、今日本が抱える様々な問題へとつながっているということだ。
 確かに冷戦構造下の日本は、政権交代を必要としていなかったという説に一定の合理性はある。日米同盟、軽武装に経済発展至上主義。これは、戦後、そして冷戦構造下の日本にとって唯一の選択肢でもあったし、また日本人の大半もその選択に異論はなかった。
 16年前に一度、短い政権交代があったが、あれは自民党の一部が離党して野党と手を組んだために起きた、言わば擬似的政権交代であり、有権者が主体的に別の勢力を選んだ本当の意味での政権交代だったとは必ずしも言えない。その証拠に、8勢力による連立政権は理念や政策も共有しておらず、8ヶ月で空中分解してしまった。
 しかし、政権交代は同時に、政策の選択でなければならない。欧米ではこれまで、再分配政策の度合いの多寡で、左右の陣営に勢力が分かれ、政権交代を繰り返してきた。平等を重んじ、貧富の差を縮めるために富の再分配を強調するのが左派で、政府の介入の行き過ぎを警戒し、より市場や個人の自由に任せるのが右派という選択が、概ねどの国にも存在した。
 しかし日本では、自民党が「寛大な保守」(山口氏)という、本来は右派的な立場にありながら、実際には公共事業や補助金を通じた左派的再分配を積極的に行ってきたため、右と左の対立軸が明確にならなかった。しかも、日本では1980年代まで社会党が、社会主義イデオロギーの旗を降ろさなかったため、政権選択の現実的な選択肢になれなかった。自民党は一度は小泉改革で再分配政党の看板を降ろし、新自由主義的保守路線をとったが、それ以後構造改革路線は微妙に修正してきている。
 一方民主党も、当初は政党のアイデンティティが捻れていたと山口氏は言う。当初民主党には社民党的再分配派と自民党以上に新自由主義的な政治家が混在し、それは今も変わっていないが、小沢一郎氏が代表に就任して以来、民主党は新自由主義から再配分へ明確に路線を切り替えたと山口氏は言う。自民党内は、小泉改革の評価をめぐり一枚岩ではないが、基本的には自民党の自由主義路線と民主党の再分配路線の対立軸がある程度はっきりと顕在化したため、次の選挙は、壊れかけた日本の社会経済システムをどのような方法で立て直すかをめぐる路線選択の選挙になったと、山口氏は言う。
 仮に民主党が政権を取ったとしても、民主党が自らの歴史的役割を正確に認識し、それを確実に実行できなければ、政権交代が自己目的化してしまう危険性もあると、山口氏は警鐘を鳴らす。
 また、より大きな問題は下野した後の自民党だ。自民党が野党に落ちた時、政党のアイデンティティを持ち続けることができるかどうか。また、その場合、自民党のパーティ・アイデンティティは中川秀直氏らが主張する構造改革路線なのか、麻生首相や一部の穏健派が主張する安心・安全、中福祉中負担路線になるのか。自民党が党の力を再結集できない場合、今度は民主党による長期独裁の危険性も出てくる。日本の議院内閣制は、本来は立法府の独裁こそ、もっとも警戒しなければならないシステムなのだ。自民党は日本における「健全な保守」とは何であるかの議論、つまり日本において「保守政党が保守しなければならない価値とは何か」の議論から始める必要があるだろう。
 政権交代が現実のものとなった今、政権交代を意味のあるものにするために、アメリカやイギリスの政権交代との比較を交えて、政権交代に我々が何を求めるべきかを、山口氏と議論した。

世論という名の魔物とのつきあい方

(第430回 収録日 2009年07月04日 PART1:61分 PART2:26分)
ゲスト:菅原 琢氏(東京大学特任准教授)

  世論という魔物が、政界はおろか、日本中を跋扈しているようだ。
 支持率の低迷で、自民党内からも公然と退陣を求める声が上がるなど、麻生降ろしが本格化し始めている。もともと国民的人気が高いという理由から、選挙の顔として擁立されたはずの麻生首相だが、今は人気の無さを理由に、首相の座から引きずりおろされようとしている。これも世論らしい。
 かと思うと、宮崎県で圧倒的な人気を誇る元タレントの東国原知事の国政進出をめぐり、自民党の大幹部が右往左往するなど、いつ来てもおかしくない総選挙を控え、政界は「人気がすべて」の様相を呈し始めている。これも世論だそうだ。
 確かに人気は民意を推し量るバロメーターの一つかもしれない。しかし、人気が政治を支配するようになると、何か大切なものが失われるような思いを禁じ得ない。そもそも私たちが「人気」と呼んでいるものに、実態はあるのだろうか。
 人気を測るツールの一つに世論調査というものがある。民主政治を機能させる目的で戦後直後に新聞社によって始められた世論調査は、今や毎月のように頻繁に行われるようになったが、少なくとも当初の世論調査は「輿論(よろん=public opinion)」を知るための手段と考えられており、現在のような単なる「大衆の気分」を意味する「世論(=popular sentiment)」の調査ではなかったと言われる。世論調査を報じる新聞記者たちの間にも、「輿論を聞け、世論には惑わされるな」という意識が共有されていたそうだ。
 しかし、いつしか「輿論」は「世論」に取って代わられ、政治は変質を始める。もともと代議制は、世論の政治への影響を緩和するための間接民主主義としての意味を持つが、人気に振り回されている今のポピュリズム政治は、事実上直接民主制と何ら変わらないものになっている。
 現在の政治はこの世論の動向に敏感に反応し、世論が政策決定にも大きな影響を及ぼすようになっている。政府は長期的には重要であることが分かっていても、短期的に不人気になる政策を実行することがとても難しくなり、外交や死刑制度といった国民の生活に関係する問題も、いわば俗情に媚びた決定を繰り返すようになった。
 世論調査に詳しい政治学者の菅原琢東京大学特任准教授は、そうした傾向の中で、ポピュリズム政治の代名詞と見られることが多い小泉政権こそが、最近ではもっとも世論をうまく利用した政治のお手本だったとの見方を示す。そしてそれは小泉首相が、人気取りをしなかったところに、そもそもの勝因があると言うのだ。
 確かに、日朝会談や郵政選挙など、小泉政権を代表する政策は、必ずしも当時の国民の間で人気の高い政策ではなかった。しかし、小泉首相は次々と大胆な改革を断行することで世論を味方につけ、高い内閣支持率を支えに、さらに次の改革を打ち出すことで、長期にわたり高い国民的人気を維持することに成功した。政策の中身の是非はともかく、小泉政権の高い人気が、結果的に過去の政権が成し遂げられなかった多くの施策の実現を可能にしたことは紛れもない事実と言っていいだろう。
 しかし、その後の自民党政権は、逆に人気ばかりを気にするあまり、思い切った政策を打ち出すことができなくなっている。一時的に人気のある人を首相に据えても、政策的に無策なため、たちまち支持率が低迷し、ますます大胆な政策が打てなくなる悪循環に陥っている。高い人気に後押しされて大きな成果をあげた小泉政権と、人気を気にし過ぎるが故に、大胆な施策を打てない安倍政権以後の政権のあり方は、実に対照的だ。
 一方、財源問題を抱える民主党も、支持率低下を恐れて、消費税は絶対に上げないことを公約するなど、明らかな人気取りに走っている。政権を取るためにはやむを得ない選択との指摘もあるが、小泉政権とそれ以後の政権の対比から、政治は何も学んでいないのだろうか。
 しかし、泣いても笑っても、天下分け目の総選挙は近い。有権者の中にも、世論調査や選挙予想を気にしながら、そろそろお目当ての候補者を見定め始めている人も多いはずだ。また、各党の人気取り合戦の方も、いよいよ熱を帯びてきている。
 政治に限らず、我々の周りには人気投票やランキングであふれかえっている。そうしたものに振り回されないで生きるためには、我々は何を支えに、どのような視座で「人気」というものを考えればいいのだろうか。
 今週は世論調査を入り口に、「輿論」と「世論」の違いや「人気」との付き合い方を議論した。

vol.41(411~420回収録)

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脳ブームは危険がいっぱい

(第411回 収録日2009年02月21日 PART1:63分 PART2:35分)
ゲスト:河野 哲也氏(立教大学文学部教授)

 『「脳にいいこと」だけをやりなさい!』、『脳が冴える15の習慣―記憶・集中・思考力』、『脳を活かす勉強法』、『30日で夢をかなえる脳 自分を変えるなんて簡単だ』、『脳を鍛える大人のDSトレーニング』、『脳内エステ IQサプリDS』等々、脳をテーマにした書籍やゲームが氾濫し、ちょっとした脳ブームの様相を呈しているようだ。脳については、1990年代半ばに『脳内革命』がベストセラーになるなど、これまでも何度か脳がブームになることがあったが、ここに来てわれわれの脳への関心が、新たな次元に入っているかのように見える。
 1990年代、アメリカの連邦議会による「脳の10年」プロジェクトの推進などによって脳科学の研究が進み、人類の脳に対する知見は大きく進んでいる。たとえば、fMRI(機能的核磁気共鳴画像法)の開発でどのような時に脳のどの場所がどう働くかを、脳内の血液が流れる速度を画像にして調べることが可能になった。そうした技術が医療分野でうつ病などの治療に活用されるなど、確かに脳科学の発展自体は利点も多い。
 しかし、人間の行動の原因をすべて脳に求める風潮について、哲学者で『暴走する脳科学』の著者河野哲也立教大学教授は、行き過ぎの感があると警鐘を鳴らす。
 河野氏は、そもそも脳科学が当たり前のように主張している脳の様々な機能についての言説は、実際には科学的根拠に乏しいものが多いと言う。現にOECDは科学的根拠に乏しい脳に関する言説を「神経神話」として、報告書にまとめているが、「人間は脳の10%しか使っていない」、「人間には左脳タイプと右脳タイプがある」、「男と女は異なった脳を持つ」といった、脳に関する「諸説」の多くは、科学的な裏付けがないものが多い。庶民レベルでのいいかげんな言説はご愛敬だとしても、最近はブームに便乗して権威ある学者までが科学的根拠が弱い諸説を流布するようになっているため、やがてそれが教育や司法(犯罪捜査など)に応用されるようになることを、河野氏は懸念する。
 そもそも脳にすべての行動や思考の原因を求める考え方には別の問題もある。たとえば、脳科学技術を生かして作られた「スマートドラッグ」を使用して眠気を取ったり集中力を高めて学習の成果をあげるようなことが行われている。薬などの外部的な刺激によって特定の能力だけを向上させ、記憶力が増したり、頭の回転が速くなればいいこともあるのかもしれない。しかし、そうした効果にどんな弊害を伴うかは十分に検証する必要がある。たとえば、試行錯誤を繰り返しながら時間をかけて得られる経験というものは、人間にとって本当に必要ないものなのか。薬の力を借り、そうした経験を経ずして効率的に得た情報に、同等の価値があるものなのか。そのような薬の服用が横行することで、本来その人間が持つ以上の能力の発揮を求められることが当たり前になれば、結果的にその人間が追い込まれるような事態を想定しなくていいのだろうか。
 河野氏は、「拡張した心」という考え方を提示する。脳科学は脳の働きを解明してきた。しかし、たとえば「怒る」という感情は、単に脳の一部が働いたから作りだされるものだろうか。たとえば不正があったなど、自分の外部のものを要因として、怒りは生まれる。心は、体の内部だけでなく、外部の社会や環境によって決められるものだというのが、「拡張した心」の考え方だ。これに基づけば、自分の脳だけに原因を求めるのではなく、自分の外部の社会や環境に働きかけることも必要になる。河野氏が脳ブームに対して批判的な理由は、この考え方の違いによるものだ。
 今週は昨今の脳ブームの中、脳についての基本的なことを哲学者の河野氏と考えてみた。

なぜ私はグローバル資本主義の罠に気づかなかったのか

(第412回 収録日2009年02月28日 PART1:66分 PART2:35分)
ゲスト:中谷 巌氏(多摩大学教授・ルネッサンスセンター長)

 ある著名な経済学者の「転向」が話題を呼んでいる。細川内閣や小渕内閣で改革の旗振り役を務めてきた中谷巌氏が、昨年12月、自ら「懺悔の書」と呼ぶ『資本主義はなぜ自壊したのか』を出版し、その中で自身が推し進めてきた改革路線の誤りを認めたうえで、グローバル資本主義の暴走を止める必要性を訴え始めたのだ。
 今週はその中谷氏を招き、氏の「転向」の理由を聞いてみた。
 1969年、留学生として渡米した27歳の中谷青年が見たアメリカは、豊かな中流階級が幸せに暮らす希望に溢れる国だった。ハーバード大学でアメリカの最新の経済理論を学んだ中谷氏は、帰国後、日本社会をアメリカのような自由で市場原理が機能する国に改革するために奔走した。アメリカから帰国した中谷氏の目にその頃の日本は、系列や政官業の鉄のトライアングルなど古いしきたりに縛られ閉塞した経済のように映ったという。雁字搦めになった規制を取り払い、アメリカのような市場原理が機能する国に日本を改革することができれば、日本はもっと豊かになれると考えた中谷氏は、細川内閣の「経済改革研究会」や小渕内閣の「経済戦略会議」などに参加し、「アメリカ流構造改革の急先鋒」となった。そして、実際に数々の自由化や規制緩和を実現させた。
 しかし、中谷氏は次第に、改革の負の側面に気づき始める。レーガン政権以降、新自由主義的な政策を推し進めてきたアメリカでは、かつて中谷氏が羨望の眼差しで眺めていた豊かな中間層は消滅し、貧富の差が広がっていった。そして、同様に改革を進めた日本でも非正規労働者が全労働者の3割を超えるなど格差が広がり、かつて一億総中流と呼ばれた社会から安心や安全が失われていった。やがて中谷氏は、市場原理に委ねればすべての問題が解決するという経済学の理論を実際の社会に適用しても、人々は決して幸せになれないことに気がつく。
 そもそも氏が体験した豊かなアメリカは、自由な経済活動によって作られたものではなく、むしろ政府による長年の社会福祉政策や所得再分配政策の生んだ結果だった。にもかかわらず、なぜか中谷氏を含む多くのアメリカ留学経験者はそれを誤解し、新自由主義や市場原理至上主義の信奉者となっていた。
 今日、中谷氏は、豊かなアメリカを蝕み、日本固有の豊かな社会基盤も奪いつつあるグローバル資本主義という「モンスター」を、何とか阻止しなければならないと主張している。そして、そのために、霞ヶ関の中央官僚の数を3分の1に縮小する「霞ヶ関3分の1プロジェクト」の必要性などを訴えている。
 なぜ日本のエリートの多くが、アメリカの豊かさの源泉を誤解し、市場原理主義者となってしまうのか、誤解に基づくものとはいえ、中途半端に改革を推し進めてしまった日本はこれからどうすればいいのか、そして、われわれはこの先グローバル資本主義というモンスターとどう付き合っていけばいいのかなどを、中谷氏とともに議論した。

今あえて民主党の政権構想を再検証する

(第413回 収録日2009年03月07日 PART1:72分 PART2:55分)
ゲスト:飯尾 潤氏(政策研究大学院大学教授)

 民主党の小沢一郎代表の公設秘書が逮捕された。事件の詳しいあらましは未だ定かではないが、報道発表によると西松建設からの政治献金を、同社のOBが代表を務める政治団体からの献金として報告したことによる、政治資金規正法の虚偽記載容疑だという。
 次期総理の座に最も近いと言っても過言ではない最大野党党首の公設秘書が、政治資金がらみで司直の手にかかり、その個人事務所が家宅捜査を受けたことの政治的な影響は計り知れない。小沢氏自身は言うに及ばず、政権交代がかかる総選挙が近いこの時期に最大野党の党首の秘書の逮捕に踏み切った検察も、国民に大きな説明責任を負うことだけは間違いないが、そうしている間も、政局は激しく動き始めている。
 しかし、マル激では今あえて激動の政局から距離を置き、民主党の政権構想、とりわけその主張する政策の中身を、政治学者の飯尾潤氏と検証してみることにした。仮に今回の事件で民主党が致命的に傷つき、政権の座が大きく遠のいた場合でも、民主党が政権の座についた時本来実現されるはずだった政策とはどのようなものだったのかを明らかにしておくことには一定の意味があると考えたからだ。また、民主党の政権構想を解き明かすことで、どのような勢力が民主党が政権の座につくことを歓迎していないかも、より鮮明に見えてくるはずだ。
 あまり広く知られていないのが不思議なくらいだが、民主党の政策はかなり斬新なものが多い。この公約が果たされれば、民主党政権では日本は大きく変わることになる。
 民主党の政権構想をいくつかの短い言葉でまとめると、「よりフェアに」「より透明に」「市民参加」「政治主導」「より手厚い子育て支援とセーフティネット」「地方分権」などのキーワードに総括することができる。中学卒業まで一人当たり一律毎月2万6000円の子ども手当や高等学校の無償化など、子育てや教育に手厚い一方で、納税者背番号と社会保障番号を同時に導入し、年金の未納や税金逃れは容認しない姿勢を見せるなど、フェアネスの名の下にやや強面の顔も持つ。
 しかし、より重要な点は、民主党が戦後の日本の国のかたちを根底から変えようとしている点だ。特に官僚依存体質を根本から改めることや天下りの全面禁止、刑事捜査における取り調べの可視化、選択的夫婦別姓、農業者戸別所得補償、死刑廃止を念頭に置いた終身刑の導入、NPOへの税制優遇措置等々、民主党の主張する政策には既得権益と真っ向から衝突するものも多い。更に、米国依存体質をあらため、国連中心外交へシフトすることや、逆に国連安保理の決議があれば、自衛隊の武力行使も可能にすること、靖国に代わる新たな国民追悼施設の建設など、戦後の日本のタブーに踏み込むものも多い。
 飯尾氏は、政権交代の最大の意味は、過去の政策を否定できることにあると言う。過去のしがらみに雁字搦めになった自民党の長期政権のもとでは、しがらみ故に優先順位付けや切り捨てができず、かといって今の日本にはすべての人の要求を同時に満たすリソースがないために、政治が機能不全状態に陥っているというのだ。そして、民主党が公約に掲げた政策を本当に実現できるかどうかもまた、民主党が過去の政治と決別できるかどうかにかかっている。
 大きな正念場を迎えた民主党とは、日本をどう変えようとしている政党なのか。今回の小沢氏の事件は政権をうかがう民主党にとって良い「試金石」になると評する飯尾氏とともに、民主党の政権構想を今あらためて再検証した。

特捜検察の役割を再考する

(第414回 収録日2009年03月14日 PART1:47分 PART2:44分)
ゲスト:宮本 雅史氏(産経新聞社会部編集委員)

 民主党の小沢代表の公設秘書が逮捕された直後から、総選挙を間近に控えた今の時期に、政治資金規正法の虚偽記載という形式犯で野党党首の秘書をいきなり逮捕する東京地検特捜部の捜査手法に疑問を投げかける声が、方々であがった。小沢氏自身、秘書が逮捕された直後の記者会見で、「政治的にも法律的にも不公正な検察権力、国家権力の行使だ」と語っている。
 実際、国策捜査などという言葉がメディア上でも飛び交い、検察に対する不信感はこれまでになく高まっているようだ。
 また、その一方で、特捜部が強制捜査に乗り出した以上、何か大きな事件がその背後に潜んでいるに違いないとの指摘も根強い。特捜検察があえてこの時期に野党党首の秘書を形式犯だけを理由に逮捕するとは考えにくいからだ。
 しかし、『歪められた正義』、『真実無罪―特捜検察との攻防』などの著書で特捜検察の問題点を指摘してきた産経新聞社会部編集委員の宮本雅史氏は、市民の検察に対する過度の期待が、検察を暴走に駆り立てる危険性をより大きくしていると警鐘を鳴らす。造船疑獄事件やロッキード事件といった大型の疑獄事件を通じて、特捜検察は大事件を解明し、大物政治家を逮捕するのが当たり前のように思われているが、それが検察にとっては耐え難いプレッシャーになっているというのだ。
 逆に言えば、検察が小さな事件を扱うことがあってもいいではないかと宮本氏は言う。「入り口は小さく、出口は大きく(小さな事件から捜査に着手し、最終的には大物を摘発する)」が検察の伝統的な手法だが、小さな入り口から入ったものの、最後まで大物が出てこない場合があってもおかしくはない。必ず大物を捕まえなければならないというプレッシャーがあると、検察が無理矢理事件のシナリオを創作してしまうような危険を犯すことにつながると、宮本氏は危惧する。
 とはいえ、重大な問題もある。もし検察が暴走したときに、それをチェックする機関が今の日本には存在しないということだ。宮本氏は、本来は裁判所が公正な立場で検察の言い分を検証する役割を果たすべきだが、日本の裁判所は検察の調書に依存しているため、その機能を果たせていないという。日本にも検察をチェックする第三者機関が必要だというのが、宮本氏の主張だ。
 数々の疑獄事件を経る中で法律が強化された結果、政治資金はかなりガラス張りになっている。そうした時代の特捜検察の存在意義とは何なのかを、宮本氏と議論した。

どのような政治活動を誰が負担すべきか

(第415回 収録日2009年03月21日 PART1:49分 PART2:43分)
ゲスト:岩井 奉信氏(日本大学法学部教授)

 民主党の小沢代表の公設秘書の逮捕で、また政治とカネの問題が論争を呼んでいる。ここまで俎上に上っている論点は、長らく指摘されてきた政治資金規正法の抜け穴問題と企業献金の是非だ。
 政治資金規正法は48年の施行以来、政治とカネの問題が浮上するたびに改正を繰り返してきたが、それでもまだ抜け道の多いザル法と呼ばれている。特に今回の西松建設疑惑で明らかになった、企業や団体が政治団体を通じて政治家個人に献金を行っている実態は、あまりに広範に行われているため、これを違法としていては、大半の政治家が「クロ」になってしまうと言われるほどだ。
 また、企業から迂回献金を受けていた張本人の小沢氏が、手のひらを返したように企業団体献金の全面禁止を主張し始めたことで、企業献金の是非があらためて議論されている。
 確かに政治資金規正法の抜け穴も企業献金の是非も、議論すべき重要なテーマかもしれない。しかし、政治資金に詳しい日本大学法学部の岩井奉信教授は、日本の政治にはそれ以前の問題があり、その問題を放置したままでは、結局は過去何度も繰り返されてきたような場当たり的な対応を繰り返すことになると指摘する。それは、そもそもなぜ日本では政治家一人一人がそれほどまでにカネを集める必要があるのかということだ。
 日本の国会議員が政治活動を行うためには平均して年間5000万円程度の資金を必要としているが、国から支給されるのは、歳費(議員の給料)と文書通信交通滞在費などを合わせても3500万円にも満たない。最低限の政治活動を続けるためには、残りの1500万円から多い議員では数千万円を、議員一人一人が自力で集めなければならないことになる。
 ある中堅国会議員の場合、4000万円強の年間支出の約3割が人件費、約2割が事務所の維持費に消えている。日本の国会議員は、単に地元の事務所の維持費とそこで働く職員数名の人件費を賄うために、個人や法人から懸命に寄附を集めなければならないのが実情なのだ。当選回数を重ねるごとに政治家の権限が大きくなり、陳情や挨拶先の数も増えるため、職員の数も増える。個人献金の伝統が希薄な日本では、それに呼応するように企業献金への依存度が自ずと増していく。これが日本の国会議員の政治活動の実態だ。
 日本は政党政治を行っているのだから、政治活動に必要な費用は本来は政党が負担すべきものだと岩井氏は言う。また、日本では中央政府の権限が大きいため、本来は県議や市議が対応すべき地元の細々とした陳情を国会議員が受けなければならないことも、地元で多くのスタッフを必要とする原因となっている。地方分権を進めない限り、ここの問題にも解決策は見えてこない。
 政治資金はどんなに規制をしても、ニーズがある限り、抜け穴を見つける人が出てくる。規制強化や企業献金の是非の議論も結構だが、規制と抜け道探しのいたちごっこに終止符を打つためには、現在の日本の政治のあり方を根本から変え直す必要があるのではないかと岩井氏は問う。
 「政治とカネ」をめぐる議論でまだ十分語られていない2つの大きな問い、「そもそもなぜ政治家自身がカネを集めなければならないのか」そして「そのカネは何に使われているのか」、「政治活動を支えるカネは誰がどのような形で負担すべきものなのか」を、岩井氏と議論した。

検察は説明責任を果たしているか

(第416回 収録日2009年03月26日 PART1:70分 PART2:48分)
ゲスト:郷原 信郎氏(桐蔭横浜大学法科大学院教授)

 東京地検は24日、民主党小沢代表の公設秘書を政治資金規正法違反で起訴した。小沢代表は同日の記者会見で「献金を頂いた相手方をそのまま記載するのが規正法の主旨であると理解しており、その認識の差が今日の起訴という事実になったと思う。過去の例を見ても、この種の問題について逮捕、強制捜査、起訴という事例は記憶にない。納得がいかない」と涙を流しながら話し、代表の地位にとどまる意向を表明した。
   元検事で桐蔭横浜大学大学院教授の郷原信郎氏は、起訴内容が政治資金規正法の虚偽記載のみにとどまったことで、特捜の捜査は完全な失敗だったと断じる。政治団体を経由した企業からの政治献金が容認されてきたことは言わば政界の常識であり、政権交代の可能性が大きい総選挙を半年以内に控えた今この時期に、野党の党首の公設秘書を逮捕する容疑としては、あまりにも形式犯すぎるというのが郷原氏の一貫した主張だ。誰もがやっていることだからといって良しとすべきものではないが、政治的な影響の大きさを考えると、いきなりの逮捕では検察の政治性が批判されることは避けられないと、郷原氏は語る。
   郷原氏の見立てでは、今回の逮捕劇では検察の戦略に初歩的な誤算がいくつかあった可能性が大きいと言う。
   まず一点目は政治資金規正法の解釈だ。逮捕直後に捜査関係者の話として、秘書の逮捕によって小沢氏にも監督責任があるかのような話がリーク報道されていたが、長崎地検次席検事として政治資金規正法違反の捜査を指揮した経験を持ち、この法を熟知する郷原氏は、政治資金規正法の条文では「選任および監督」の責任となっているため、監督責任だけでは政治家本人の罪は問えないことを強調する。最初から明らかに無能な人間を会計責任者に任命したことが立証できなければ、今回の場合小沢氏の罪は問えない。特捜部はそれを十分確認しないまま小沢氏の秘書を逮捕してしまった可能性を郷原氏は懸念する。
   また、検察のもう一つの読み違いは世論の動向と小沢氏の反応だった。特捜が政治とカネの問題で政治家の公設秘書を逮捕すれば、世論の囂々たる非難の中、その政治家は辞任せざるを得なくなるのがいつものパターンだった。そうなれば、仮に罪状自体は弱くても、小沢氏の政治力は検察にとっては恐るるに足らないものになるはずだった。ところが、小沢氏が土俵際で踏ん張り、世論も今のところ小沢批判と検察批判が入り交じったものになっていることから、検察の思い通りにことが進まなかった可能性があると郷原氏は言う。
   検察は本来は捜査についての説明責任は負っていない。粛々と捜査を行い、容疑者を有罪に追い込むための証拠を公判で提示すればそれで責任を果たしたことになる。しかし、なぜ今このタイミングで、与野党を問わず広範に行われている献金行為をいきなり摘発し、野党党首の公設秘書を逮捕起訴までする必要があったのかについては、その政治的な影響の大きさを考えると、検察には明らかに説明責任があると郷原氏は言う。人の一生やこの国の運命を左右する局面で、一罰百戒の名のもとに検察が恣意的な摘発をすることが許されてしまえば、検察の権力は立法府のそれを遙かに超えた、極めて強大なものになってしまうからだ。
   元検事の郷原氏と、小沢氏の秘書逮捕をめぐる検察の判断と説明責任について議論した。また、後半は、郷原氏の持論でもある「杓子定規な法令遵守がいかに日本社会の思考停止を招いているか」を、考えた。

金融危機の本質は金融腐敗にあり

(第417回 収録日2009年04月04日 PART1:55分 PART2:61分)
ゲスト:広瀬 隆氏(作家)

  約5兆ドルの財政出動にヘッジファンドとタックスヘイブンの規制の導入等々。4月1日、2日の両日ロンドンで開催された第2回金融サミットで日米欧に新興国を加えた世界20カ国・地域の首脳は、経済危機の拡大を食い止めるために、金融取引に対する踏み込んだ規制を導入することで合意したという。
   金融危機の収束に向けて世界各国が足並みを揃えて動き出したことを好感して、金曜日の各国の株式市場は軒並み続伸、ドルも対円で5ヶ月ぶりに100円台を回復した。
   しかし、『危険な話』の著者で長年世界の金融界の人脈を調査してきた作家の広瀬隆氏は、そのような弥縫策では金融危機の根を絶つことはできないと言い切る。なぜならば、広瀬氏は、今世界を覆っている金融問題の本質は「金融腐敗」にあると確信しているからに他ならない。
   広瀬氏は、現在の金融危機の起源を1970年代の先物取引の解禁に見い出す。先物という実体の無い指標の取引を認めたことで、次々と新たなデリバティブ(金融派生商品)が登場し、実体経済の規模を遙かに上回るマネー経済なる虚構が形成された。そして、それは挙げ句の果てに、昨今問題となっているサブプライムローンの証券化やCDSなどといった投機マネーの暴走を生み出した。
   そして広瀬氏は、先物取引に先鞭をつけたロバート・ルービン元財務長官やその後継者のローレンス・サマーズ氏、そして金融緩和を続けて投機マネーを生んだアラン・グリーンスパン元FRB議長の責任をことさらに強調する。
   特にルービン氏は、シカゴ先物取引市場の理事として先物市場を開拓した後、ゴールドマン・サックス証券で自ら数々のデリバティブ取引に勤しみ、ゴールドマン・サックスの会長まで上り詰めた後、クリントン政権で財務長官の座に就き、グリーンスパンFRB議長との二人三脚で、金融近代化法の制定を実現した。
   この法律によって、大恐慌以来銀行と証券の兼業を禁止してきたグラス・スティーガル法が事実上骨抜きとなり、本来は手堅い資金だったはずの銀行預金が、大挙して投機マネー市場に投入されるようになる。更にルービン氏は、サマーズ氏に長官の座を譲った後、今まさに大量の公的資金が投入され続けているシティグルーブの重役に収まり、そこで「サブプライムローンを売りまくった」(広瀬氏)、現在の金融腐敗の原因のすべてに関わっている存在だと、広瀬氏は言う。しかも、その後アメリカの財務長官の座は、同じくゴールドマン・サックスの会長だったヘンリー・ポールソン氏に引き継がれていった。
   このような腐敗の連鎖を放置している限り、少々ヘッジファンドを規制しても、焼け石に水程度の効果しかないというのが、広瀬氏の一貫した主張だ。
   一方、市民の期待を一手に背負い政権の座についたオバマ大統領は、金融腐敗を正常化することができるのかとの問いに対して広瀬氏は、サマーズ氏がオバマ政権の枢要な経済閣僚(国家経済会議委員長)の座に収まっている上、ガイトナー財務長官も、実はブラックストーン・グループ創始者でレーガン政権の商務長官だったピーター・ピーターソン氏の後ろ盾でニューヨーク連銀総裁に引き上げられた経緯があり、そのような経済人事のオバマ政権では、長年にわたり蓄積した金融腐敗を一掃することはとても難しいのではないかと広瀬氏は言う。
   そして、この金融腐敗が根絶されないかぎり、危機のたびに多少の規制強化などが行われても、投機マネーは必ずやまた行き場を見つけてバブルを形成し、そしてまた金融秩序維持という美名のもとで、一般市民の血税が「金融マフィア」(広瀬氏)によって作られた腐敗の穴を埋めるために注ぎ込まれていくことになるだろうと広瀬氏は言うのだ。
   歴史と人脈を紐解くことで見えてくる金融危機のもう一つの顔を、萱野稔人、神保哲生が、広瀬氏と議論した。

これ以上霞ヶ関の専横を許してはいけない

(第418回 収録日2009年04月11日 PART1:62分 PART2:33分)
ゲスト:江田 憲司氏(衆議院議員)

  3月31日に閣議決定された公務員制度改革関連法案は、にわかには信じられないような内容を含んでいた。官僚人事を政治主導に変えていく決め手になるはずだった新設の内閣人事局長のポストを、内閣官房副長官が兼務することが定められていたのだ。これは、官僚制度をより国民の利益に適ったものに改革していこうという公務員制度改革の本来の趣旨と、真っ向から対立するものだった。
   「『脱官僚』『地域主権』で国民の手に政治を奪還する国民運動体」を主宰する衆議院議員の江田憲司氏は、この法案では公務員制度改革は「最悪の改悪」になってしまうと、危機感を募らせる。内閣官房副長官は霞ヶ関官僚のトップに君臨し、官僚の利益を代表するポストと言っても過言ではない。内閣人事局長は、現在省庁ごとに行われている幹部職員の人事を一元管理し、省益優先の人事を廃し、官邸の意思のもとで幹部官僚の登用を行う重責を担うポストになるはずだった。そのポストを、あろうことか官僚の大ボスである官房副長官が兼務することになれば、官僚の権益保護にその権限が使われることは目に見えている。これでは官僚制度が改革できないばかりか、スーパー官僚的な力を持つことになる官房副長官の下、霞ヶ関官僚はこれまで以上に自分たちの権益確保に走ることが可能になってしまうことが、火を見るよりも明らかだった。
   しかし、それにしてもなぜこのような「最悪の改悪」が閣議決定され、法案として提出されてしまうのか。
   自身が元通産官僚で、橋本内閣で総理秘書官を務めた後、政界に転身した経歴を持つ江田氏は、これを「ひとえに麻生総理の無関心に責任がある」と言う。麻生首相には、堕落した現在の官僚制度が日本の改革を妨害し、空前の無駄な政府を作っているという基本的な問題意識が欠落していると言うのだ。また、与党自民党も、これまで官僚制度に依存して政権維持をしてきた歴史的な経緯ゆえに、官僚制度を抜本的に改革し、政策立案上の実質的な権限を官僚から政治に取り戻すことに対して、そもそもそれほど乗り気ではないと江田氏は言う。
   戦後日本の国家運営は実質的に霞ヶ関の官僚たちが担ってきたと言っても過言ではない。彼らが戦後の焼け野原からの経済復興という国民共通の目標の達成に大きく貢献したことは紛れもない事実だ。しかし、日本が国家目標だった欧米に追いつけ追い越せを達成し、成熟期に入った今、日本には高度成長時代の残滓が様々な改革の前に立ちはだかっている。そして、日本が国としての新たな方向性を模索する中で、強大な行政権限を持つ中央官僚たちは、天下りに代表される既得権益の保持や自身の保身ばかりに奔走し、改革の最大の妨げになっていると江田氏は嘆く。
   ただし、官僚主導から政治主導へ日本を変えていく試みは、政治家が政治を牛耳るような仕組みを作ろうとするものではないと江田氏は言う。国民が選挙で選んだ内閣総理大臣が責任を持って政府を運営できる制度に変えていくことが必要で、そのためには官邸が官僚の「人事と金」をコントロールできなければならない。この度の内閣人事局構想は、その第一歩に過ぎない。政治主導を実現する試みはその第一歩から、官僚の抵抗によって完全に骨抜きにされ、むしろ以前よりも後退させられているというのが、今日の政治の実情であり、麻生政権の実情でもあるのだ。
   今週は、先に閣議決定された公務員制度改革法案の問題点を探るとともに、真に求められる公務員制度改革とはどのようなもので、これからの日本における政治と官僚の関係はどうあるべきかなどを、江田氏とともに考えた。

日本の対北朝鮮政策を再考する

(第419回 収録日2009年04月18日 PART1:54分 PART2:34分)
ゲスト:小此木 政夫氏(慶応義塾大学法学部教授)

  先の北朝鮮「飛翔体」騒動で迎撃態勢を整えるまで過敏に反応した日本政府は、国連における厳しい対北朝鮮非難決議の採択を目指したが、最終的には議長声明という弱い形での非難を辛うじてまとめるのが精一杯だった。しかし、この議長声明に対して北朝鮮政府は14日、日本を名指しで批判した上で、6者会談からの離脱を表明してしまった。そればかりか北朝鮮は更に、「自衛的核抑止力を強化する」と宣言し、07年7月以来停止していた核施設の封印を解いた上で、IAEAの査察チームも国外退去処分にしてしまった。
   既に実戦配備されたノドンミサイルの射程範囲内にある日本にとって、このまま北朝鮮が核開発を続け、やがては日本列島が北朝鮮の核ミサイルの射程圏内に入ることが、現在の安全保障上最大のリスクといっていいだろう。強硬路線一辺倒でやってきた日本の対北朝鮮政策は、果たして拉致、核、ミサイルなど日本が北朝鮮との間に抱える問題の解決に寄与しているのだろうか。
   朝鮮半島研究の第一人者で、慶応義塾大学法学部教授の小此木政夫氏は、北朝鮮は現在、体制の維持をかけてアメリカとの直接交渉を最優先に考えており、今回の改良型テポドン2号の発射も、そして核開発も、いずれもアメリカとの交渉を実現し、これを有利に進めるためのカードとして使っていると指摘する。
   そして、北朝鮮の挑発行為に日本が乗って大騒ぎをすることで、日本とアメリカの間の足並みが乱れてくれた方が、北朝鮮にとってはアメリカと直接交渉をしやすくなるので、日本の騒ぎっぷりを北朝鮮はむしろ歓迎しているはずだとも言う。要するに、日本の強硬路線一辺倒の対北朝鮮外交は、実は日本が北朝鮮の術中にはまり、北朝鮮の手の上で踊らされている面があるのではないかというのだ。
   確かに100年に一度と言われる金融危機や、イラク、イラン、アフガニスタン問題などを抱える中で発足したアメリカのオバマ政権にとって、北朝鮮問題の優先順位は決して高くはない。そのため、この度の北朝鮮による「発射」も、その優先順位を引き上げるための外交カードだった可能性は高い。それがわかりきっているからこそ、オバマ政権は今回の事態に冷静に対応しているように見える。
   問題は、こうした北朝鮮独特の「瀬戸際外交」に対する日本政府の対応だ。2002年9月の小泉電撃訪朝で、北朝鮮による拉致の存在が明らかになると、日本の国民感情は一気に反北朝鮮に振れ、それ以来日本の対北朝鮮外交は基本的には強硬路線一辺倒できた。今回の発射騒動での日本の騒ぎっぷりも、いくら上空をミサイルが飛び越すとは言え、かなり突出していた。
   しかし日本が強硬路線を貫く間、北朝鮮はミサイルの発射実験を繰り返し、遂には核実験まで敢行するなど、日本にとって対北朝鮮問題は一向に改善されないばかりか、むしろ年々状況が悪くなっているようにさえ見える。もちろん拉致問題も政府間では全くといっていいほど進展が見られない。
   北朝鮮が何かしでかすたびに日本は制裁を強化してきたが、既に160ヵ国との国交を持つ北朝鮮は、日本だけがどんなに強硬な制裁を行おうが、それほど効果はあがらなくなっている。現在北朝鮮との貿易は年間8億円程度の取引しか残っていない上、自国民に対して北朝鮮への渡航自粛勧告まで出している今、日本には既に制裁カードもほとんど残っていないのが実情だ。
   しかも、日本にとっては頼みの綱のアメリカが、対北朝鮮外交を微妙に軟化させ始めている。小此木氏は、ブッシュ政権の最初の6年は北朝鮮を悪の枢軸と名指しするなど、日本と歩調を合わせた強硬路線だったが、ブッシュ政権の終盤は、アメリカも政策を転換させていた。にもかかわらず日本は、拉致問題を抱えていることもあり、北朝鮮に対する強硬路線一辺倒から抜け出せないでいる。
   小此木氏は、そろそろ日本政府も日本国民も、国交正常化交渉無くして拉致問題の解決はないという現実を見据える必要があるのではないかと言う。確かに拉致は許せない国家犯罪であり、現在8名が死亡したとしている北朝鮮の説明にも不信な点は多い。しかし、これに対する怒りを単なる強硬路線という形で表出しているだけでは、拉致も、そして日本にとっては安全保障上のより大きな脅威である核やミサイル問題も、一向に解決されないだろうと小此木氏は言う。
   もはや北朝鮮は、生き残ること自体が国家目的となっていると小此木氏は分析する。そして、「生き残り」のための唯一のカードでもある核とミサイルを北朝鮮が自ら手放すことはあり得ない。しかし、北朝鮮が日米と国交を正常化することで体制の維持が保障され、経済復興も始まれば、自ずと拉致問題にも核・ミサイル問題にも、解決の糸口が見えてくるはずだと小此木氏は言う。
   小此木氏とともに、北朝鮮情勢と日本の対北朝鮮政策をあらためて考えた。

和歌山カレー事件はまだ終わっていない

(第420回 収録日2009年04月25日 PART1:68分 PART2:48分)
ゲスト:安田 好弘氏(弁護士・林真須美被告主任弁護人)

  被告人が犯人であることは、「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されている」。
   最高裁判所は4月21日、和歌山カレー事件で一審、二審と死刑判決を受けている林真須美被告に対し、このような表現を使って05年6月の大阪高裁の死刑判決を支持する判断を下し、事実上真須美被告の死刑が確定した。
   1998年7月25日、和歌山県和歌山市郊外の新興住宅地の夏祭りで出されたカレーに猛毒のヒ素が混入し、子どもを含む4人が死亡、63人がヒ素中毒の被害を受けた、いわゆる和歌山カレー事件では、事件発生直後からおびただしい数の報道陣が事件現場周辺に殺到し、集団過熱報道が繰り返された。そしてその過程で浮上した一つの家族にメディア報道は集中し、それを後追いする形で、警察の捜査がその家族に向けられた。それが林真須美被告の一家だった。
   確かに、事件と林家を結びつける状況証拠は多い。真須美被告の夫・健治さんが、元々シロアリ駆除業を営んでいたために、カレーに混入されたとされるヒ素を、林家は少なくともある時点では所持していた。また、夫の健治さんや林家に出入りしていた使用人たちが、繰り返しヒ素中毒と思しき症状で入退院を繰り返し、そのたびに多額の保険金を得ていたことも、カレーに毒を盛った犯人として林家が怪しまれる理由としては十分だった。
   しかし、この裁判では疑わしいと思える状況材料はあれこれ出てきたが、これが真須美被告自身の犯行であると断定すべき確たる証拠は何一つ出てこなかった。また、何よりも、真須美被告には、カレー鍋に大量のヒ素を入れて、大勢の近隣住人を殺害しなければならない理由が見あたらなかった。公判でも、「近所との折り合いが悪かった不仲説」、「かっとなった勢いで入れてしまった激昂説」、「夫らに対して繰り返し殺人未遂を繰り返すうちに感覚が麻痺した感覚麻痺説」などがあげられたが、結局どれも動機の証明にはいたらず、最終的に殺害の動機は不明とされたままの死刑判決だった。そして何よりも真須美被告自身が、逮捕されてから11年間、一貫して犯行を全面否認していた。
   「物的証拠無し」「動機不明」「本人全面否認」の中で争われた裁判だったが、その一方でメディア報道などを通じ「平成の毒婦」とまで呼ばれた真須美被告が犯人であると確信する人は、一般市民の間でも、被害者や被害者遺族の間にも圧倒的に多く、そうした空気の中で裁判所は厳しい判断を迫られていた。
   そして今週最高裁は、物的証拠はなくても「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されている」し、動機は不明でも問題ないとの判断を示した。また、真須美被告が全面否認している点については、それが反省していない証拠であり、厳罰を科す理由となるとするなど、上記の3点に対する疑問をことごとく退けた上で、上告を棄却して、二審の死刑判決を支持した。
   しかし、真須美被告の弁護人を務める安田好弘弁護士は、どう考えても「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されている」とは言えないと、この判断を真っ向から否定し、再審請求などを通じて、今後も法廷闘争を継続していく強い意志を表明している。
   確かに、最高裁が「合理的な疑いを差し挟む余地はない」としている状況証拠を詳しく見ていくと、不審な点がいくらでも浮上してくる。真須美被告が殺人未遂の過去があるとされる根拠となった夫健治さんらに対するヒ素投与事件も、健治さん自身が保険金詐取のために自ら呑んだもので、日本生命の外交員だった真須美さんはその共犯であると主張している。公判ではこの証言は、身内を庇うためのもので信用できないとして一蹴されているが、その論理でいくと、健治さんは自分を殺そうとした妻を庇うために嘘をついていることになる。また、現に健治さんは保険金詐取で有罪判決を受け、4年あまり収監されているのだ。
   その他にも、カレーに使われたヒ素と林家にあったヒ素が一致したとされる鑑定結果や(純粋なヒ素(亜ヒ酸)が一致するのは当たり前なので、これは実際はヒ素に混入していた不純物の内容が一致したことを意味している)、真須美被告がカレー鍋の番をしている時の挙動が不審だったとする証言には疑問点も多く、真須美被告の犯行が推測されるとしている状況証拠さえもが、多くの矛盾をはらんでいると安田氏は主張する。
   もとより、真犯人でも出てこない限り、真須美被告の無実を証明する手立てなどあろうはずもないが、もともと裁判では有罪を主張する検察のシナリオに「合理的な疑い」を挟むことができれば無罪とするのが、「推定無罪」、「疑わしきは被告の利益へ」を糧とする近代法の要諦である。果たしてこれで真須美被告を殺人罪に問うことが本当に正しいことと言えるのか。
   来月21日にはいよいよ裁判員制度が始まる。私たち一般市民が、このような事件の評決(有罪か無罪か)を判断し、しかも死刑かどうかの量刑まで決定しなければならなくなるのだ。安田弁護士は、裁判員制度の下でこの裁判が行われれば、メディア報道によって作られた先入観に強く影響された市民裁判員と、公判前手続きによって厳しく絞り込まれた証拠のみの、ごくごく短期間の審議となるため、弁護側としては為す術がなくなることを懸念すると言う。
   今週は、最高裁によって死刑が確定した和歌山カレー事件で争われた論点をあらためて洗い出した上で、裁判員制度で求められることになる、一般市民の感覚で検察の提出した証拠を見た時に、果たして本当に「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されている」かどうかを検証した。そして、その上で、この判決の持つ意味を、安田弁護士を交えて議論した。

vol.40(401~410回収録)

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後期高齢者医療制度は必要だ

(第401回 収録日2008年12月06日 PART1:71分 PART2:23分)
ゲスト:土居 丈朗氏(慶応義塾大学准教授)

 自民党は2日、「姥捨て山」などと批判されていた後期高齢者医療制度の見直し案を、3月末までにまとめる方針を固めたようだ。
 今年4月に始まった後期高齢者医療制度は、83年から実施されてきた老人保健制度(老健)に代わる新たな高齢者を対象とする医療保険制度で、75歳以上の高齢者の医療費の負担分担などを定めている。しかし、後期高齢者というネーミングの悪さや、保険料が年金から強制的に天引かれることの負担感、そして75歳以上の高齢者だけを切り離すことから、「姥捨て山」などの批判にさらされ、実施から半年も経たないうちに、舛添厚労相が見直しを表明するにいたっていた。
 確かに、後期高齢者医療制度が、対象となる高齢者に対して一定の負担を求める制度であることは間違いない。しかし、日本が世界に誇る「国民皆保険制度」は、いまや存亡の危機に瀕している。一人あたり40歳代の5倍かかると言われる高齢者の医療費を賄うためには、現役世代と高齢者の負担割合を明確に定めると同時に、高齢者の医療費の不必要な高騰を防ぐ仕組みが不可欠だ。これまで日本の医療費は税収を大きく上回るペースで増えており、このままでは時間の問題で日本の皆保険制度は破綻することが目に見えている。そうした中にあって、人口が多い団塊の世代が75歳に達する前に、持続可能な医療保険制度を確立しておくことは、次世代に対する責任でもある。
 財政学の専門家で、財政面から社会保障制度の問題点を指摘している慶応義塾大学経済学部の土居丈朗准教授は、後期高齢者医療制度について、改善の余地はあるとしながらも、その必要性を擁護する。その理由は明快だ。
 まず、既存の老人保健制度が、問題がありすぎる制度だった。これまで75歳以上の高齢者の医療費は、老健制度のもと、患者負担(1割)と医療保険の各保険者からの拠出金と税金によって賄われてきたが、これは高齢者の医療費を事後的に配分する会計の仕組みにすぎず、運営の責任主体さえ存在しない、到底保険制度とは呼べないような代物だった。運営主体が存在しないため、いくら費用がかかろうが、抑制力が働かない。要するに、いくら費用がかかっても、それを単に他へ会計的につけ回していればいいという、いたって野放図な制度が老健だった。それが、高齢者の医療費急増の一因となっていたことは間違いない。
 後期高齢者医療制度は、75歳以上の高齢者を対象にした独立した制度で、それを本人1、現役4、公費5で分担して支えていこうという制度だ。また、運営主体を県単位の広域にすることで、保険料の差を現行の5倍から約2倍にまで縮小している。後期高齢者医療制度は、これまで繰り返し指摘されてきた老健の問題点を、そっくり改善した仕組みであるといえる。
 しかし、長年課題だった老健の欠陥を補うこの制度が今、事前説明の足りなさとプレゼンテーションの悪さ故に、制度の本義が理解されることのないまま、政治的な理由から、見直し論にさらされている。自民党の見直し案は、制度の本質は温存したまま、悪名高かった「後期高齢者」の呼称を「長寿」に変更したり、自己負担率を微調整したりする程度の弥縫策にとどまる模様だが、民主党はいったん制度を廃止し、問題の多い老健制度に戻すことを主張しているのだ。
 もっとも、後期高齢者医療制度が存続しても、日本の社会保障制度が抱える本質的な問題が解決されるわけではない。企業の健保組合が老人加入率の高い国保の負担を肩代わりをしている構造は、後期高齢者医療制度導入後も変わっていないのだ。08年度推計では、勤労者が納めた健保保険料の約45%が高齢者医療への支援で消える。その影響で、約9割の健保組合が赤字に追い込まれており、今年に入ってからも健保組合の解散が相次いでいる。
 高齢者医療の運営方法が決まった今、政治的な理由で不毛な見直し論に陥っている場合ではない。今こそ、負担のつけ回し構造という日本の社会保障制度が抱える本質的な問題を議論しなければならない。最終的には、日本では社会保障の責任をどこまでアメリカのような自己責任に委ねるべきなのか、どこまでを保険料で賄い、どこまでを公費で負担すべきなのかといった、国家像にも関わる社会保障のあり方の本質を問う議論が不可欠となるだろう。
 急激な高齢化に直面する21世紀の日本には、どのような社会保障制度が適しているのか。適している以前に、どのような選択肢があるのか。後期高齢者医療制度の必要性と今後日本がめざすべき社会保障制度を、財政の専門家の土居氏とともに議論した。

WTOと日本の農業政策を再考する

(第402回 収録日2008年12月13日 PART1:73分 PART2:44分)
ゲスト:山下 一仁氏(経済産業研究所上席研究員)

 スイスのレマン湖畔で、日本の農業や食料自給に大きな影響を与える重要な交渉が続いている。WTOのドーハ・ラウンドだ。ドーハ・ラウンドは、関税の大幅引き下げなどをめぐるぎりぎりの交渉がジュネーブのWTO本部で続いているが、早ければ13日にも開かれる見通しだった閣僚会合が、17日以降に延期され、現時点で見通しはたっていない。
 しかし、いずれにしても対立点は絞られてきており、7年に及んだドーハ・ラウンド交渉は、関税の大幅引き下げなど、日本の主張が一顧だにされない、日本にとっては非常に厳しい内容となることが避けられない状況だ。
 農水省でガット室長などの貿易交渉ポストを長年経験してきた山下一仁氏は、コメをはじめとする「重要品目」を関税引き下げの対象から外し、あくまで高い関税で国内市場を守ろうとする日本政府の交渉スタンスを批判する。「重要品目」は高い関税の維持を認めてもらう代わりに、最低輸入義務(ミニマム・アクセス)を受け入れなければならないが、それが結果として必要以上のコメの輸入を拡大させることになり、日本の食料自給率の更なる低下が避けられないとの理由からだ。
 ドーハ・ラウンドが妥結すれば、日本はコメの関税を778%に維持することへの代償として、現在毎年77万トンの最低輸入義務(ミニマム・アクセス)が課せられているコメの輸入を、さらに増やさなければならない。水田の4割を減反して生産量を抑えておきながら輸入量が増えるという、矛盾した結果となるが、多数の高関税品目を持つ日本が関税の引き下げを行えば、そうでなくでも苦境にある日本の農家が大打撃を受けるというのが、政府やJAの主張だ。
 しかし、山下氏は、折からの穀物価格高騰で国際市場でのコメの価格も上昇しており、日本は現在の関税を大幅に引き下げても、輸入米と十分競争していけると主張する。関税引き下げを免除してもらうことの引き替えにミニマムアクセスを受け入れるよりも、競争原理を受け入れた方が、結果的にコメの輸入量が増えないばかりか、将来的にはコメの輸出さえ可能になるというのが、山下氏の主張だ。
 自由貿易の推進を目的に95年に発足したWTOでの決定は、強制力を持つため、加盟国の産業や経済を大きく左右する。農産物や鉱工業品の関税削減などの貿易ルールの合意をめざすドーハ・ラウンドは、今年7月にインドと米国が対立したために決裂したが、9月の金融危機後、自国の産業を守る保護主義への回帰が懸念され、再度合意に向けての調整が行われることとなった。
 日本は工業製品の分野では、自由貿易の恩恵をもっとも受けてきた国の一つであり、WTOにおいても工業製品の分野では一貫して関税の撤廃を推進する立場をとっているが、農業については、コメ市場を守ろうとするあまり、頑なに高い関税を死守する政策に拘泥している。しかし、アメリカやEUが、農家への直接支払いによって国内農業を保護していく政策に転換する中、どうも関税で国内市場を保護する日本の政策は国際社会の中で正当性を失いつつあるようだ。
 もとより工業製品と同じように農業を扱うことはできないが、日本の農業政策は、ともすれば日本の農業を守るというよりも、日本の農協(JA)、そしてそれが代表する兼業農家を守る政策にすり替わっているきらいがある。そして、それを支えているのが、農協、農水省、自民党農水族の「農水鉄のトライアングル」だと、山下氏は説明する。
 現在の日本政府の農業政策は、本気で農業をやろうとする主業(専業)農家のためにも、消費者のためにもなっていないと、農水省の政策を批判し、省を辞職して間もない山下氏とともに、WTO農業交渉から見えてくる日本の農政の問題点を議論した。また、スーザン・ジョージ氏のインタビューなどを通じて、WTOが進めてきた自由貿易の問題点なども再考した。

見えたり、金融資本主義の正体

(第403回 収録日2008年12月20日 PART1:83分 PART2:47分)
ゲスト:小幡 績氏(慶應義塾大学大学院准教授)

 世界中を巻き込みながら今なお進行中の金融危機は、元々米国のサブプライムローン問題に端を発するといわれている。信用力の低い(サブプライム)借り手に対して乱発された住宅ローンが証券化され、無数の金融商品に組み込まれた結果、ローンの焦げ付きが始まると、ちょうどミンチに混じった一片の腐った肉片のごとく、他のすべての肉を腐らせてしまった。こうしてサブプライム・ショックは全世界へと広がっていった。
 しかし、マル激2回目の出演となる慶應義塾大学大学院の小幡績准教授は、サブプライム問題もまた、今世界が資本主義を回していくために不可欠となっているバブルを作りだし、それに大勢が便乗し、そしてそれが弾けるいつものパターンを踏襲しているに過ぎないと言う。
 小幡氏によると、サブプライムローン問題は、「誰も損をしない仕組み」「証券化」など特殊な過程を経てはいるものの、最終的には金融資本が「自己増殖」しバブルを作り出しやがて崩壊するという、これまでのお決まりのバブルの過程をたどっているに過ぎないと指摘する。
 それにしてもサブプライムローンは、関与した人は誰一人として損をしない、一見完璧な仕組みだった。アメリカでは戦後ほぼ一貫して住宅価格が上昇してきた上、移民や低所得者など、これまで住宅を持てなかった人々に住宅を持たせることで、住宅市場の需給関係が供給不足となり、更なる住宅価格の高騰が期待できた。更に、住宅ローン債権を小分けにして証券化することで、元々の住宅ローンの健全さとは無関係な全く別物の新たな金融商品が作られた。こうしてサブプライムローンは、当初の住宅ローンとはおよそ想像がつかないような形にその姿を変え、金融商品として市場で取引を繰り返されることになった。これこそが、「リスクがリスクで無くなる」(小幡氏)マジックだった。
 しかし、そららすべての大前提にあった住宅価格が、06年にピークアウトし、それにつられて、すべてのバブルは崩壊した。誰もが得をするスキームは、一夜にして誰もが損をするスキームに変質してしまった。
 小幡氏は、資本主義の必然的な帰結としての金融資本主義のあり方を根底から問い直すべき時がきていると言う。常に経済成長を求める資本主義は、実体経済の成長が頭打ちだと知ると、実体から乖離した金融資本の価値を増幅させることで、見せかけの経済成長を遂げてきた。
 小幡氏はこのように自己増殖する現在の資本主義を、キャンサーキャピタリズム(癌化した資本主義)と酷評するが、資本主義が癌にかかっているとすれば、我々は次にどのような資本主義を経済モデルの拠り所とすればいいのだろうか。
 未だに世界を震撼させ続ける金融危機とサブプライム問題を再考し、金融資本主義の正体と、今後何を目指すべきなのかを、小幡氏とともに考えた。

2008年総集編 メディア崩壊元年を振り返って

(第404回 収録日2008年12月27日 PART1:59分 PART2:71分 PART3:42分)

 2008年を締めくくるマル激は、東京・新宿のライブハウス『ロフト・プラスワン』で公開収録を行った。昨年に引き続きなぜか男性客が圧倒的に多いのが気になるところだが、満員の熱気の中、神保・宮台が今年一年を振り返った。
 今年6月の秋葉原通り魔殺人事件では東浩紀氏とともに事件の背景でも突っ込んだ議論が交わされたが、メディア関連では、事件現場に居合わせた通行人が撮影した写真やビデオがインターネット上のみならず、マスメディア上にも大量に氾濫した現象をめぐり、議論した。
 アメリカ史上初の黒人大統領を生んだアメリカ大統領選挙では、インターネットを選挙戦の主要なツールとして活用したオバマ氏が、資金面でも他候補を圧倒したことで、インターネットの影響力がマスメディアのそれを上回った史上最初の選挙としての意味を考えた。
 2008年はインターネットの影響力が確実に大きくなる一方で、マスメディアの劣化が目に見えて進んだ一年でもあった。朝日新聞など各紙が「10月26日選挙」と一面トップで報じながら結局選挙は行われなかった「解散騒動」も、マスメディアの凋落ぶりを示す一つの事例となった。2008年はまた、金融危機に端を発する景気の急激な悪化で、テレビ局や新聞社などマスメディアの経営の地盤が、根底から揺らいだ一年でもあった。
 しかし、既存メディアの劣化が急激に進む中、それに取って代わろうとする新たなメディアがなかなか登場してこない問題も、依然として続いている。再販、記者クラブなど既存メディアの既得権益が大きすぎるため、他のメディアが育つような環境が整備されないことが主たる原因だが、この日のマル激では、そのような状況でわれわれはどのメディアとどのように付き合い、またどの情報源を頼りにすべきかなども議論した。
 メディアを切り口にした2008年の総括は3時間にも及んだ。

だから男はみんなできそこないなんだ

(第405回 収録日2009年01月07日 PART1:70分 PART2:47分)
ゲスト:福岡 伸一氏(青山学院大学理工学部教授)

 2009年最初のマル激は、「男はみんなできそこない」という、正月早々穏やかならざる話でスタートする。ゲストは『生物と無生物のあいだ』で昨年1月にマル激に登場してくれた分子生物学者の福岡伸一氏。
 聖書ではアダムの肋骨の欠片からイブが作られたことになっているし、現代にいたっても、多くの国で男女の社会的な上下関係ではいつも男が上位にいる場合が多い。しかし、昨年『できそこないの男たち』を著した福岡氏は、生物学的にはどうみても女が人間の基本仕様であり、男は女を作り変えて(少しできを悪くして)できあがったものであることに、疑いの余地はないと言う。しかも、男は単に遺伝子を運ぶため、つまり女の使い走りをするために、便宜的に作られた動物だと言うのだ。
 これは、生物全体に共通した事実だと福岡氏は言う。たとえばアリマキ(アブラムシ)は、普段はメスしか存在しないが、秋になり気温が下がってくると突如オスを産み、交尾をして、寒い冬を越えるために固い殻に守られた卵を産む。しかし、春が来てその卵から孵るのは、すべてメスだという。つまり明らかにオスは冬を越えるために交尾をする必要性から一時的に作られた「遺伝子の運び屋」でしかないということだ。
 人間の場合もアリマキ同様、女が基本仕様となる。受精後、母胎の中で人間は皆、女としてその命をスタートさせる。しかし、受精後7週間目に、男になる運命の遺伝子を授かった胎児は、女になるはずだった体を無理やり男に作り替える作業が始まるという。
 このときの無理な作り替えの痕跡が、男の体の方々に残っていると福岡氏は言う。また、平均寿命を見ても、がんの罹患率を見ても、男は女よりも弱い。
 福岡氏は、男が社会を支配している理由は、社会は遺伝子を運ぶこと以外に存在意義のない男が自分探しの結果作り出した虚構だからではないかとの考えを示す。生物学的に、女性には「子どもを産む」という自明の存在意義がある一方で、男は女の使い走りであり、遺伝子の交換により多様性を生むことには貢献するが、自明の存在意義はない。その男が自らの存在意義を見いだすために作ったのがこの社会である以上、当然そこでは男が支配的な地位を握ろうとするというのが、福岡氏の分析だ。
 性を決定するSRY遺伝子発見までのドラマや、生物学的に見た男系男子の皇統維持の持つ意味、科学の専門知識に踊らされないために必要な「科学リテラシー」についてなど、男がいかにできそこないであるかを入り口に、福岡氏と議論した。

ブッシュ政権の8年とは何だったのか

(第406回 収録日2009年01月17日 PART1:84分 PART2:50分)
ゲスト:渡部 恒雄氏(東京財団研究員)

 1月20日、ブッシュ政権の8年の任期が終了し、オバマ新大統領が就任する。やり残したもの、手つかずだったもの、食い散らかしたものをすべて引っくるめ、ブッシュ政権の遺産が、そのままオバマ大統領の課題となる。そこで今週のマル激では、ブッシュ政権の8年間とは何だったのか、その変遷と歴史的な意味を、ワシントンのCSIS(戦略国際問題研究所)でブッシュ政権をつぶさにウォッチしてきた渡部恒雄氏とともに考えた。本企画をブッシュ政権への送辞としたい。
 ブッシュ政権はなんとも不幸な出自を背負ってスタートした。現職の副大統領だったゴアと争った2000年11月の大統領選挙はまれに見る大接戦となり、AP通信などが一度はゴア当確を打ちながら、最終的には大票田のフロリダ州にその結果が委ねられることになった。そして、フロリダで票の再集計が繰り返された末、ブッシュ候補の弟が知事を務めるフロリダ州の選挙管理委員会は、ブッシュの勝利を宣言する。しかし、無効票の扱いなどをめぐり、大統領選挙は未曽有の訴訟沙汰となる。最終的には連邦最高裁がフロリダ州の決定を有効と判断し、ゴアが自ら身を引いたため、投票日から一月以上も遅れて、ようやくブッシュの当選が確定した。しかしそれは、アメリカ史上で3人目となる、一般投票の得票数で相手候補を下回った、しかも、弟が知事を務める州の党派性に多分に救われた、正統性で大きなハンデを負った大統領としての船出だった。
 再集計だの裁判だので準備不足の政権が発足してから約8ヶ月後の2001年9月11日、ブッシュ政権にとって、そしてアメリカにとっても、その運命を変えるような大事件が起きる。9.11同時多発テロだ。
 これでフロリダ再集計問題などは一気に吹っ飛び、そこからブッシュ政権は、誰もが予想だにしなかった未知の世界に足を踏み入れていくことになる。9.11が、ブッシュ政権の性格をがらりと変えてしまったと言っても過言ではないだろう。そして、それはまた、政権内部の政治力学も、パウエルらの良識派から、ラムズフェルド、チェイニーといったネオコン陣営へのシフトを加速させていくことにつながっていく。
 アフガン侵攻とそれに続くテロリスト掃討作戦、国論を二分したイラク攻撃とイラク占領の泥沼化、イラク戦争の最大の根拠だった大量破壊兵器疑惑の撤回と、時として人権をも無視した徹底的なテロ対策等々、ブッシュ政権は、テロとの戦いに終始する中で、その一期目を終える。
 2004年11月、ブッシュは僅差で再選を果たすが、イラク情勢は泥沼化。大量破壊兵器も見つからず、正当性を失った戦争の後始末に大勢の若い兵士たちが日々犠牲になるアメリカを、未曽有の激甚台風カトリーナが襲う。死者1500人超、50万都市のニューオーリンズをゴーストタウンにしたカトリーナは、内政よりも戦争を優先させ続けたブッシュ政権一期目の矛盾と欺瞞を一気に噴出させた。そこからブッシュ政権は、坂道を転がり落ちるように失速し始める。2006年の中間選挙で共和党は議会両院の過半数を一気に失い、ブッシュ政権はいよいよレームダック化していく。
 そして2007年、ブッシュ政権で唯一うまく回っていたはずの経済までが、サブプライム・ショックで失速を始める。当初共和党の伝統的な市場万能主義的な立場から介入を躊躇していたブッシュ政権に、ベア・スターンズ、リーマン・ブラザーズなどの金融機関の破綻が追い打ちをかける。大恐慌以来とも言われる金融危機に直面したブッシュ政権は、これまでの主義主張をかなぐり捨て75兆円の公的資金投入による金融機関の救済に舵を切るが、危機はまったく収まる気配を見せない。そうした中、「チェンジ」を掲げる民主党のオバマが、共和党でブッシュ路線の継承を謳うマケイン候補を破って次期大統領に当選する。
 ブッシュの8年間とは何だったのか。この8年間はアメリカ史の中で、どのような意味を持つのか。なぜブッシュ政権はこのような運命を辿ることになったのか。それは避けられないものだったのか。そして、それを踏まえた時、オバマに残された課題とは何なのか。
 希代のアメリカ政治ウォッチャーの渡部氏と、じっくりと議論した。

無法地帯化する霞ヶ関

(第407回 収録日2009年01月24日 PART1:51分 PART2:50分)
ゲスト:高橋 洋一氏(東洋大学教授)

 霞が関の官僚たちは一体何を考えているのだろう。
 先々週の国会では、麻生首相は、既に発効している法律を実質的に書き換えるような政令を閣議決定したことを野党から厳しく追及され、答えに詰まる場面が、繰り返しテレビで放送された。安倍政権下での国家公務員法の改正で、省庁による官僚の再就職の斡旋、すなわち天下りが実質的に禁止され、経過措置として3年間は新設される再就職等監視委員会が承認した場合に限り、天下りが認められることになっていた。しかし、ねじれ国会でこの再就職等監視委員会の人事が進まないのをいいことに、麻生政権はその間首相に天下りを承認する権限を与える政令を作ってしまった。国会で成立した法律の本則に反する行為を、法律よりも下位にある政令で可能にしてしまうというのだ。これは明らかに法律違反であり、「霞ヶ関のクーデター」(仙谷由人衆議院議員)と批判されてもしかたがないほどの暴挙だった。
 安倍政権で公務員制度改革を設計した東洋大学の高橋洋一教授は、これを官僚による露骨な天下り禁止法案の切り崩しと説明する。何とか天下りを続けたい官僚たちが、なりふり構わぬ既得権益の防衛に乗り出した結果だというのだ。
 しかし、官僚の権謀術数を知り尽くしている高橋氏は、「このような露骨なやり方は考えられない」と、官僚が利権維持のために法律違反まで犯すようになったことを嘆く。同じく安倍内閣で行政改革担当大臣として公務員制度改革を断行した渡辺喜美衆議院議員も、この政令の撤回を麻生首相に求めたが受け入れられなかったために、自民党を離党している。
 しかもこの政令には、一旦天下りした公務員OBの再就職を斡旋する、いわゆる「渡り」を容認する条項まで盛り込まれており、官僚たちは麻生政権が迷走を続ける間に、天下りを禁じた改正国家公務員法を完全に骨抜きにするばかりか、どさくさに紛れて、これまで法律で認められていなかった行為までも政令に押し込んでしまったようだ。
 それにしても、なぜ官僚はここまで露骨に権益擁護に乗り出さなければならないのか。これまでも官僚は、官僚にしかわからないような独特な霞ヶ関用語を法案の条文や大臣談話に滑り込ませることで、政治家の決定を骨抜きにするなどして、政治を巧みにコントロールしてきた。しかし、今回の政令のような露骨な手法は、これまで例をみない。
 また、仮に民主党が政権の座についても、霞ヶ関をコントロールできなければ、有効な施策を打つことはできない。若い議員が多く、官僚の手練手管を熟知していない民主党に、官僚支配を打ち破ることができるのか。高橋氏は民主党が政権についた時、今回の政令作成に関わった官僚たちを厳しく処分できるかどうかが、最初の試金石になるとの考えを示す。
 官僚たちは単に公共心を失ってしまったのか。あるいは、世論の突き上げで少しずつ特権を失い、いよいよここまでやらなければ、自分たちの権益を守れなくなってきているということなのか。今、霞ヶ関で何が起きているのかを、官僚の世界を裏の裏まで知り尽くした高橋氏に聞いた。
(途中、渡辺喜美衆議院議員の電話出演あり)

それでも裁判員制度は必要だ

(第408回 収録日2009年01月31日 PART1:88分 PART2:22分)
ゲスト:河合 幹雄氏(桐蔭横浜大学教授)

 賛成、反対の双方のゲストをそれぞれ招き、2回シリーズでお送りしている裁判員制度の再検証企画。裁判員制度に反対する新潟大学大学院教授の西野喜一氏を招いての第1回目(第398回・08年11月15日放送)に続き、2回目となる今回は、裁判員制度の導入を支持する法社会学者の河合幹雄氏を招いて、なぜ氏がさまざまな問題点が指摘される裁判員制度の導入を支持しているのかを中心に議論した。
 河合氏は、刑事司法という狭い範囲ではなく、日本の民主主義全体のメリットを考えたときに、裁判員制度は必要との考えを示す。氏は、現在の日本の最大の問題は、市民一人一人が社会を支えているという自覚に欠けていることであるとの考えを示した上で、裁判員制度の導入によって、市民が否が応でも社会参加を強いられれば、それはひいては日本の民主主義の成長に寄与するだろうという考え方を示す。
 指摘されている裁判員制度の様々な問題点について河合氏は、かなりの部分が運用次第のため、それほど懸念には値しないとの考えを示す。例えば、裁判員制度を導入すると、情緒に流された判決が出やすくなるため、これまでの判例を無視した重罰化の流れが進むのではないかとの懸念については、日本人の気質として、普段はいい加減そうに見える人でも、裁判員に選ばれれば非常に真面目に取り組むので心配はないだろうと言う。そのため、とんでもない判決が出るよりも、むしろ旧来の制度よりも無罪が多くなる「弊害」を懸念すべきだと言う。
 また、透明性を欠いた公判前整理手続や、厳しい守秘義務については、裁判員制度の対象となる殺人事件などは年間で約3000件あるが、被告人が犯行を否認し事実が争われる事件は少ないことを指摘した上で、事実が争われない裁判では、公判前整理手続は重要とならないとの見方を示す。また、裁判員に課せられた厳しい守秘義務についても、詳細が決められていないため、これも運用次第では問題になり得るが、それほど懸念には値しないとの立場を取る。しかし、もしも本当に問題があれば、裁判員は守秘義務を破ってでも民主主義のために声をあげるべきと河合氏は語る。
 河合氏は、裁判員の感情に影響を与える可能性のある被害者の裁判への参加制度には問題があるとの考えを示す。総論で導入に賛成の河合氏から見ても、各論レベルでは裁判員制度にはまだかなり改善の余地は残されているようだ。また、運用次第でやってみなければわからないという部分がかなり多いことも見えてきた。
 それでも裁判員制度は必要との立場を取る河合氏に、制度導入の経緯も含め、ここまで明らかになった裁判員制度の問題点をぶつけた。

世界の魚を食い尽くす日本人の胃袋

(第409回 収録日2009年02月07日 PART1:61分 PART2:30分)
ゲスト:井田 徹治氏(共同通信科学部編集委員)

 日本政府は1月30日、マグロ漁の国際的な漁獲規制が強化されたことを受け、国内のマグロはえ縄漁船の数を1~2割減らす方針を明らかにした。乱獲によるマグロの資源枯渇という事態を受け、昨年11月の大西洋まぐろ類保存国際委員会(ICCAT)、12月の中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)と、相次いでマグロの漁獲量の削減が国際的に決まっていた。
 巷では、こうしたニュースを受けて、いずれ日本人が大好きなマグロが食べられなくなる日が近づいているかのような不安を煽る言説が、メディアを中心に流布されている。確かに、マグロのみならず、世界の漁業資源は急速に枯渇に向かっているし、これまでのように好きな魚がふんだんに手に入らなくなる可能性も、日に日に高まっているのは事実だ。しかし、メディアが報じていないもう一つの重大な問題がある。それは、われわれ日本人こそが、世界の漁業資源を食い尽くしている張本人であるという紛れもない事実だ。
 今、マグロの中で最も枯渇が懸念されているのは高級魚のクロマグロとミナミマグロだが、現在世界に流通するクロマグロの何と8割、ミナミマグロにいたってはそのほぼ10割を日本が消費している。メバチマグロやビンナガマグロ、キハダマグロなどを含めたマグロ全体でも、世界人口の60分の1に過ぎない1億2千万人の日本が、世界の年間漁獲量の3割を消費しているのが実情だ。
 これはマグロに限ったことではない。日本は全世界で消費されるウナギの7割、たこの3分の2、いかの3分の1を消費するいずれも世界最大の消費国だ。魚全般で見ても、03年の世界の一人当たりの水産物消費量が年間約16kgであるのに対し、日本人は毎年一人当たり約65kgもの魚を消費している。消費量の総量では日本の10倍以上の人口を抱え、急速に豊かになる中国に世界一の座を譲ってはいるが、国民一人当たりでは、モルジブやアイスランドなど消費量が極端に少ない国を除けば、日本は文句無しに世界一のシーフード消費大国なのだ。マグロの漁獲制限に見られるような世界的な潮流は、早い話が、日本人の胃袋が人類共有の資源である魚を食い尽くしてしまうのを、黙って見ているわけにはいかないとの問題意識から生じていると言っても、決して過言ではないのだ。
 もちろんそのような基本的な情報がメディアに流れないのも重大な問題だが、多くの日本人は自分たちこそが、世界中の漁業資源を食い尽くしている張本人であることを知らずに、日々スーパーマーケットや回転寿司で魚の消費を続けていることになる。
 地球環境の視点から漁業問題を長年取材してきた共同通信科学部編集委員の井田徹治氏は、基本的には商業ベースの乱獲に問題があることを指摘すると同時に、かつて庶民にとって貴重品だったトロやウナギ、エビといった高級食材が、今やスーパーや回転寿司で安値で売られるようになっていることに対して、何の疑問も感じずにそれを受け入れ、欲しいままにそれを享受してきたわれわれ日本人の消費者としての感覚にも問題があると語る。
 言うまでもなく漁業資源は、貴重な地球の天然資源だ。持続性を超えて消費をすれば、時間の問題で資源は枯渇する。もともと魚は、そのような商業ベースの大量生産・大量消費に耐えうる資源ではなかったのだ。しかし、魚を獲ってくれば高く売れる状態が続いたため、乱獲にも、そして大量消費にも歯止めがかかることはついぞなかった。そして、いよいよ外部から強制的に制限を受けるところまで事態が悪化してしまったというのが、今日のマグロ規制の意味するところなのだ。
 今日、資源枯渇と漁業規制に挟まれて、魚が獲れなくなった日本は、大量の魚類を海外から輸入するようになっている。既に魚類の自給率も5割台まで落ち込んでいる。しかも、輸入クロマグロでは半分以上が、畜養と呼ばれる、海外で養殖されたマグロが占めるようになっている。しかし、産卵前の稚魚や幼魚を大量に捕獲して育てる畜養は、環境負荷も高いことに加え、安全性にも疑問符が付けられている。
 現状では、外的な規制が次第に厳しくなるのを座して待つか、もしくは消費者の自覚に期待するかのいずれかしかないが、情報が十分に公開されていない中では、消費者が賢明な選択をするのも難しい。そうした中にあって、井田氏は消費者の助けとなる好ましい動きも出てきているとして、海のエコラベルとも呼ぶべきMSC(海洋管理協議会)の認証マークを紹介する。これは、資源の枯渇を招くような捕獲方法を用いたり、環境に大きな負荷をかけていないことを証明する国際的な証明書で、日本でも徐々にではあるが、普及が始まっているという。
 今週は井田氏とともに、マグロ規制が示している日本人の異常とも言える現在の魚の消費のあり方と、それが招いた世界の漁業資源の現状、そして、そうした状況とわれわれは今後どうつきあっていけばいいのかなどを、考え直してみた。

雇用問題の本丸は正社員の既得権益にあり

(第410回 収録日2009年02月14日 PART1:53分 PART2:36分)
ゲスト:城 繁幸氏(Joe’s Labo代表)

 経済危機の波がいよいよ日本にも押し寄せ、大手、中小を問わず企業ではリストラの嵐が吹き荒れている。特に非正規労働者への影響が大きく、業界団体の試算では今年3月末までに失業する製造業の非正規労働者の数は40万人にのぼるとさえ言われる。過去の不況時にも、企業は新規採用の抑制や早期退職制度などで人件費の抑制を図ってきたが、2004年以降派遣法の規制緩和によって非正規労働者が急増したため、企業が不況対策として非正規雇用の削減を真っ先に行うようになった。その結果、派遣社員や期間工などが真っ先に不況の犠牲者になり、今やそれが社会問題化している。
 巷では派遣法の緩和を問題視する向きが強く、少なくとも製造業派遣は禁止すべしとの声が高まっている。しかし、企業人事の専門家で『若者はなぜ3年で辞めるのか』の著者でもある城繁幸氏は、雇用問題の本質は正社員の既得権益化にあり、派遣の規制強化では何ら問題の解決にはならないと主張する。
 実際、日本企業の正社員は非常に手厚く保護されており、非正規労働者との格差はあまりに大きい。しかもほとんどの企業が、正社員の雇用条件には手を付けることができていない。こと正社員に関する限り、日本では高度成長期の残滓とも呼ぶべき年功序列や終身雇用の亡霊が、まだ生きているのだ。そのため、例えば海外では営業成績次第では当たり前に行われている降格や減給はまず不可能で、不祥事でも起こさない限り賃下げもできないし、制度上は可能になっているはずの解雇も、実質的にはほとんど不可能になっている。
 このように正社員の権益だけが過度に保護される一方で、非正規は賃金も半分以下で雇われ、しかも使い捨てにされている。昨今の不況下で非正規労働者が大量に放り出されている背景には、業績不振に陥った企業が人件費を削減しようと思っても、正社員の雇用や賃金にはほとんど手を付けられないという現実があるからだと、城氏は指摘する。正社員と非正規労働者の格差が固定される上、いつ切られてもおかしくない非正規労働者は単純作業しか教えてもらえないため、何年働いてもキャリアを積むことができないという悪循環まで起きている。
 実際にこのような手厚い既得権益の保護は、正社員、とりわけ若い正社員にとっても、決して幸せな結果をもたらしていない。30代後半~40代以降の中高年正社員の賃金がいたずらに高いため、現在の20代~30代前半の正社員の賃金は低く抑えられ、彼らの賃金が20年後に現在の40代の正社員の水準まであがっていく可能性はほとんど無い。しかも、若い正社員たちは、合理化による人員の削減や非熟練非正規労働者を大勢抱えた現場にあって、彼ら自身も苛酷な労働を強いられている場合が多い。つまり、正社員の既得権益とは、より正確に言うと、中高年正社員の既得権益のことであり、それを守るために、若い正社員や非正規労働者たちが、苛酷な目に遭っているというのだ。
 城氏は、日本企業が競争力を持つためには、正社員の既得権益にメスを入れ、年功序列・終身雇用といった「昭和型」の雇用体系と決別し、日本独自の成果主義を導入する必要があると主張する。しかし、正社員の既得権益化を問題にすることは、日本では半ばタブーになっている。労働組合が正社員の権利を守ることを優先しているため、組合をバックに持つ民主党や社民党などの野党は、派遣や非正規雇用問題は声高に主張するが、正社員の既得権益についてはほとんど語ろうとしない。また、メディアも、大手メディア自身が最も優遇された正社員と苛酷な条件で酷使される非正規労働者を抱えるところがほとんどで、この問題を取り上げられる立場にはいないと、城氏は語る。そんな理由から、正社員はいまや日本の最もディープな聖域になりつつある。
 正社員と非正規労働者の格差を解消するためには、現在の正社員の既得権益化した待遇を見直すことが不可欠となる。非正規の待遇を正社員並に引き上げることは現実的ではないし、それをやれば日本の企業のほとんどが国際競争力を完全に失うことになる。賃金差是正のためには年功序列を壊し、成果主義を導入した上で、複数のキャリアパスを用意することが必要だと城氏は語る。つまり、キャリアアップしてどんどん上に上がりたい人にはそういうキャリアパスを、賃金はそれほど伸びなくてもいいので、仕事はほどほどにして、趣味や自分の時間を大切にしたい人にはそういうキャリアパスがあっていいはずだと言うのだ。
 しかし、日本において企業が、長年、共同体としての役割を果たしてきたことも事実だ。年功序列・終身雇用のもとで、企業が単なる株主のための利潤追求団体以上の役割を果たしてきた企業のシステムを明日からいきなり崩して成果主義に移行した場合、どのような影響が出るのだろうか。成果主義の導入によって急激に所得が減る人に対しては、暫定的に国が所得の減額分の一部を補填するくらいの思い切った措置が必要になると城氏は説くが、そもそもそれは可能なのだろうか。
 今週は城氏とともに、派遣切りの裏に潜む正社員の既得権益の実態と、未だに「昭和型」から脱却できない日本的雇用の問題点、そしてそれを改善するための方策などを議論した。その上で、日本の文化に適した成果主義とはどのようなものなのかを考えてみた。