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vol.62(621~630回収録)

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「だから復興が進まない」でいいのか

(第621回 放送日 2013年03月09日 PART1:48分 PART2:71分)
ゲスト:戸羽 太氏(陸前高田市長)

あの震災から2年が経つ。未曾有の大災害に見舞われた被災地はいまどうなっているのか。節目のこの時期にメディアの報道も増えてはいるが、実際に被災地の復興はいったいどこまで進んでいるのか。今週のマル激は、ジャーナリストの神保哲生が2年前の震災直後に取材した岩手県陸前高田市を社会学者の宮台真司とともに再訪し、現地からの特別番組をお送りする。
 陸前高田市は17mを超す巨大津波に襲われ人口の約9%にあたる1700人以上の市民と市街地のほぼ全域を失った。その時点で就任から1ヶ月も経たない新人市長だった陸前高田市の戸羽太氏は当時の様子をこう話す。「津波が退く時、がれきと一緒に流されていく人たちが沢山いた。市役所屋上に避難できた我々から、ほんの10~15m先のところなのに、どうすることもできなかった。ただ『頑張れ』と声をかけることしかできなかった。絶対に忘れられない光景です」。
 それから2年。現在の陸前高田市は市内全域につもったがれきの撤去こそ進んだが、その後にガランとした広大な更地が放置されたままになっている。商店も住居も何一つ戻ってきていない。復興などまったく手つかずの状態だ。その間、被災住民は仮設住宅での暮らしを余儀なくされ、商店も営業再開のメドはたっていない。
 なぜこれほどまでに復興が進まないのか。戸羽氏は「復興、復興」とかけ声だけは盛んな政府や行政の本気度に疑問を呈する。そもそも現在の復興計画は阪神淡路大震災の教訓を元に作られた復興特措法に沿って行われている。しかし、これは地震のみを想定したもので、これだけ広範囲に津波の被害が及ぶ災害は想定外だ。同じ場所に建物を建て直すことができる地震と比べ、津波の被害を受けた地域は、高台への移転や土地のかさ上げなどが必要となる。復興特措法が想定していない問題には、ことごとく許認可行政の壁が立ちはだかる。例えば、高台移転のために新たに山林を切りひらいて宅地を造成する場合、通常の開発行為と見なされ、承認に大臣の決裁を必要となるため、半年も待たされるという。戸羽市長は「地震と津波の被害が全然違うものであることが理解されるまでに2年かかった。」「口では『被災地に寄り添う』などと言っているが、果たしてこれが被災地のことを考えた復興なのか」と憤る。そして「千年に一度の大災害であるならば、そこからの復興もまた千年に一度の特別な体制で進めて欲しい」と訴える。
 人間味が感じられない縦割り行政や許認可行政の壁もさることながら、戸羽氏はこのような緊急時に「おれが責任を取る」として介入してこなかった政治の責任も厳しく批判する。法律にその規定がない以上行政官僚が「官僚的な」対応しかできないのはある意味では当然のこと。そこに政治本来の役割があるはずだが、「民主党政権では最後までそれがなかった」と戸羽氏は言う。戸羽氏はまた、安倍政権になってからここまでは政治が積極的に関与する姿勢を見せていることを歓迎しつつも、「もし安倍政権でも復興が進まなかったら、いよいよわれわれは絶望するしかない」と、危機感を募らせる。
 戸羽氏の危機感の背後には、被災地を覆い始めている半ば諦めにも似た無力感と、あたかも被災地の存在を忘れたかのように振る舞い始めている被災地の外の日本社会の姿がある。そもそも政治が動かなかった責任の一端は、われわれ市民にある。先の総選挙でも被災地の復興は選挙の争点にならなかった。われわれ日本人はある程度時間が経てば、同じ国の中で未曾有の災害に遭遇して困っている人たちのことを平気で忘れてしまうような国民になってしまったのだろうか。  戸羽市長は市街地が全壊したためにゼロからの街作りをしなければならなくなったことを奇貨として、今後、陸前高田を障害者も高齢者も誰もが同じように暮らせるバリアフリーな福祉都市として再興していきたいとの抱負を語る。「復旧で同じ街を作り直すのではなく、自分たちの知恵で新しい街を創り出すための復興にしたい」という。従来のような街づくりでは、今後地方都市が生き残っていくのは難しい。悪夢のような震災からの復興を機に、本当の夢のある、特色を持った新しい街を創り出そうというのだ。
 震災から2年経った今もなぜ陸前高田は更地のままなのか。何が復興の足を引っ張っているのか。街が全壊した陸前高田は再び甦ることができるのか。その際の足かせとなっているものは何か。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、プレハブの陸前高田仮市庁舎で戸羽市長に訊いた。

福島原発は今どうなっているのか

(第622回 放送日 2013年03月16日 PART1:46分 PART2:46分)
ゲスト:田中 三彦氏(元国会事故調委員・科学ジャーナリスト)

 あの原発事故から2年。メディアは軒並み震災2周年企画を打ち上げ、ニュースは15万を超える福島から避難した人々の帰還計画を伝えている。しかし、最悪のレベル7事故を起こした福島第一原発は今どんな状況にあるのか。大量の放射能漏れ事故に至った原因は究明されたのか。
福島原発事故を調査した国会事故調は、昨年の7月に優に600ページを超える分厚い報告書をまとめた。「福島原子力発電所事故は終わっていない」という書き出しで始まる報告書は、「当時の政府、規制当局、そして事業者は原子力のシビアアクシデント(過酷事故)における心の準備や、各自の地位に伴う責任の重さへの理解、そして、それを果たす覚悟はあったのか」と厳しく問うている。そしてその委員を務め、自らも福島第一原発4号炉を設計・施工した経験を持つ科学ジャーナリストの田中三彦氏も「福島原発事故は終わっていない」と強調する。
現在福島第一原発の1~3号機は、いずれも高温によって核燃料が溶融するメルトダウンを起こし、それが圧力容器を突き破り外部に出てくるメルトスルーを起こした状態にある。放射線量が高いために核燃料に近づくこともできず、メルトスルーをした核燃料が今どのにどのような状態でなっているかは誰にもわからない状態だ。ただ、核燃料の状態や正確な場所はわからないものの、とにかく格納容器に大量の水を送り込めば、何とか辛うじて核燃料を冷やることはできている。そして、セシウムを取り除きながら暫定的に冷却水を循環させる循環冷却システムもどうにか稼働している。
しかし、圧力容器もその外側にある格納容器もいずれも穴の開いた状態にあるため、核燃料が露出している状態にあることには変わりがない。そして更にやっかいなことに、おそらく原子炉建屋地下のコンクリートの裂け目から地下水が侵入しているとみられ、循環冷却システムの水とは別に毎日400トンもの汚染水がタンクに溜まり続けている。今や福島第一原発の敷地内は汚染水を貯蔵したタンクが敷き詰められた状態になっているという。
とりあえず大量の水を送り込むことで辛うじて核燃料を冷却できているが、その循環冷却システムとて長いホースを地面に這わせる状態で何とか動いているのが現状で、ホースから水が漏れ出すような事態も報告されている。そしてまた、万が一もう一度大きな地震や津波に襲われれば、使用済み核燃料プールに大量の核燃料が保存されている4号機も含め、現在の「小康状態」が維持できるかどうかさえ定かではない。
事故から丸2年、野田首相による事故収束宣言からはや1年4ヶ月が経つが、福島第一原発は依然として薄氷を踏むような状態が続いているのだ。
事故の原因についても、まだ十分に究明されたとは言い難い。福島原発事故は予想を超える大津波がその元凶であると考えられているし、事実、津波は発電所の各所に甚大な損害を与えたことは間違いない。しかし、田中氏は津波だけであのような過酷な事故に至ったかについて疑問を呈する。その原因を探るため、去年2月、国会事故調は福島第一原発1号機建屋への立ち入り調査を東京電力に要請したが、「建屋内部は真っ暗」との説明を受け断念していた。ところが実は調査に十分な明るさはあったことが後に判明する。田中氏は「1号機建屋4階には事故の原因究明につながる何かがある。」と訝る。
福島原発の核燃料の冷却は少なくともまだ今後10数年は必要だといわれている。その間、汚染水は出続け、事故原因の究明も不十分なまま日本は原発の再稼働に向けて動き出しているように見える。メルトスルーした原子炉の地下から核燃料を取り出し、真の廃炉を実現するまでには、あとどれだけの月日を要するのか。それまで周辺自治体に住民を帰還させて本当に大丈夫なのか。溜まり続ける使用済み核燃料の最終処分はどうするのか。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、元国会事故調委員の田中三彦氏とともにあえて福島原発の現状と課題を議論した。

TPP対米交渉に死角はないか

(第623回 放送日 2013年03月23日 PART1:62分 PART2:46分)
ゲスト:馬田 啓一氏(杏林大学総合政策学部教授)

 安倍首相が3月15日、TPP交渉への参加を表明し、いよいよ日本は原則として「例外なき関税の撤廃」を条件とする多国間経済協定の締結に向けた本格的な交渉に突入する。安倍首相は日米首脳会談で「聖域無き関税撤廃が前提ではないことが確認できた」というが、それはあくまでそれが交渉参加の条件ではないことが確認されたに過ぎない。いざ蓋を開けてみたらどんな合意内容になるのか、また、どの程度例外が認められるような状況なのかは、今のところまったく未知数だ。
 TPP交渉は交渉への参加が認められた国のみが内容を知ることができる秘密会合であることから、まだ参加が正式に認められたわけではない日本には、実際の協議の中身がどうなっているかは正確にはわからない。そのために参加をめぐり国論を二分する事態にもなっているが、ここまでリークされた情報などから、やはりアメリカが交渉の中心にいることは間違いなさそうだ。そうなると、結局は対米交渉の成否が、日本にとってTPP参加の影響を決定的に左右することになると見ていいだろう。
 TPPは、もともと「P4」と呼ばれるブルネイ、シンガポール、チリ、ニュージーランドの4カ国で2006年にスタートした多国間自由貿易協定だったが、2009年のアメリカの交渉参加を機に太平洋地域全体を巻き込む大きな貿易圏の形成へと向かい始めた。通商交渉に詳しいゲストの馬田啓一氏は「アメリカはTPPを入り口にアジア太平洋地域全体を包含する自由貿易圏の形成」を目指していて、究極的にはその枠組みに中国を引き込むことにアメリカの真意があることは明らかだと指摘する。つまり、TPP交渉でアメリカがどこまで例外を認めるかは、後で中国が協定に参加することを想定した上で、譲れるものと譲れないものを判断した結果になるということだ。
 アメリカとの自由貿易交渉としては、1990年代のNAFTA(北米自由貿易協定)でカナダとメキシコが、また昨年発効した米韓FTAでは韓国が、一足先にアメリカとのFTAを経験している。その内容を見ると、例えば韓国では「主権を売り渡した」とまで酷評されているISDS条項(国家と投資家の間の紛争解決手続)でも、米企業が勝訴しているケースは非常に少ないと馬田氏は言う。また、米企業が勝訴するのとほぼ同じくらいの割合でカナダやメキシコ企業が勝訴しているケースもあり、「日本が提訴されるケースにばかり注目が集まるが、日本企業が海外進出する点を考えるとむしろ日本にとって必要な条項だ」と馬田氏は言う。
 確かにアメリカは交渉巧者で手強い相手であることはまちがいない。しかし馬田氏はTPPが多国間交渉であることから、アメリカとの二国間交渉の場合に比べて日本にも勝機はあると指摘する。大国のアメリカが無理難題を押しつけようとしてきたら、日本が他の11ヶ国と連携してアメリカに太刀打ちするような交渉術が必要になるということだ。また、アメリカのオバマ大統領はできれば年内中、遅くとも中間選挙の年となる来年の春までにはTPPの交渉をまとめなければならないという国内政治的な事情もある。そのあたりの「家庭の事情」を逆手にとり、日本が交渉のまとめ役を買って出ながら、巧みに自分たちの主張を合意案に滑り込ませていくようなしたたかな交渉が果たして日本にできるかどうかが問われることになると馬田氏は言う。
 TPP交渉参加に向けて動き出した日本に落とし穴はないのか。アメリカ、オーストラリアを含む11ヶ国の思惑が渦巻く交渉の場で、日本は国益を守ることができるのか。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、NAFTA、米韓FTAなどの過去の対米FTA交渉をウオッチしてきた馬田啓一氏と議論した。

5金スペシャル われわれの「食」はどこに向かうのか

(第624回 放送日 2013年03月30日 PART1:64分 PART2:46分)

 5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。TPP交渉参加を機に食をめぐる議論が盛んになりつつある。そこで今回の5金では「食」に関するドキュメンタリー作品を特集してお送りする。
 まず取り上げたのは、日本でも近日公開予定の映画『世界が食べられなくなる日』。フランスのドキュメンタリー映画で、遺伝子組み換えと原子力がテーマだ。映画の制作中に福島原発事故に直面した監督のジャン=ポール・ジョー氏は「二つのテクノロジーは私にとって不可分のものとなった」と話す。そして「この二つのテクノロジーは不透明さと嘘によってわれわれに押しつけられた。二つとも人類にとって制御不能で不可逆的な影響を与える」と警告する。この作品で紹介されている、2年間にマウスに遺伝子組み換え作物を与え続けた結果、何が起きたのか。遺伝子組み換えと原発がこれから先、人類にどのような危機をもたらすのかを考えた。
 次に取り上げた作品は『フード・インク』。われわれが普段から口にしている食べ物の裏側、つまり、どこで、誰が、どのようにして製造・栽培・飼育しているか、が嫌になるほど分かる作品だ。いまや高度に工業化された食産業について、われわれは実はほとんど何も知らされていない。スパーマーケットに並ぶ色とりどりの生鮮食料品やスナック、飲料品などはどこで作られていて、その背後にはどのような構造があるのか。貿易自由化によって効率の良い遺伝子組み換えの輸入作物に席巻され、窮地に立たされている農家や多国籍食品会社に支配されている畜産家など、その影響は国家間の経済格差や貧困問題、飢餓の仕組みにまで及ぶ。
 このほか欧州の漁業問題や流通問題を取り上げている『ありあまるごちそう』、山形県固有の在来作物種をめぐる『よみがえりのレシピ』など、食から世界が見えてくる作品について、監督・関係者へのインタビューなども交えてジャーナリストの神保哲生と宮台真司が議論した。

「一人一票」で日本はこう変わる

(第625回 放送日 2013年04月06日 PART1:96分 PART2:29分)
ゲスト:升永 英俊氏(弁護士)

 やはり日本は民主主義国家ではないのだろうか。  繰り返し違憲の烙印を押されながらこれまで放置されてきた「一票の格差」問題が、ここにきてようやく慌ただしく動き始めた。先の衆議院選挙の無効を申し立てた16の裁判の判決が出そろい、2件の「違憲・無効」判決を筆頭に、全ての高裁判決で「違憲」または「違憲状態」が確認された。
 違憲判決のラッシュ、とりわけ無効判決に危機感を覚えたのだろう。政府・与党は「0増5減」の区割り変更によって何とか一票の格差を2倍未満に抑え込み危機を乗り越えるつもりのようだが、そんなものは何の解決にもなっていない。0増5減では2011年の違憲判決で最高裁が求めている一人別枠方式はまったく手つかずだし、そもそも最初から1.998倍の格差がついた制度変更が許されるという発想自体が、憲法や民主政治の精神を根本から冒涜している。
 いきおい、既に2つの弁護士グループが、今夏の参院選挙、そして次の衆院選挙で「差し止め」や「無効」を求める訴訟を準備している。恐らく違憲・無効判決が出るのは必至だろう。
 「一人一票実現国民会議」の発起人で数々の選挙無効裁判の原告でもある升永英俊弁護士は、日本では議員1人当たりの人口格差が20万人以上もあるのに対して、例えばアメリカのペンシルバニア州ではたったの1人であることを指摘した上で、日本では民主主義の基本が理解されていないと嘆く。
 また升永氏は、昨年の総選挙に対して起こされた16の裁判のうち、選挙における人口比例原則を確認した福岡高裁の判決に最も注目しているという。福岡高裁では判決は「違憲状態」にとどまったが、「投票の平等」が定義されている。これこそが憲法が謳う法の前の平等だと升永氏は言う。
 その上で、升永氏は今夏の参院選挙と2016年の参院選挙、そして次期衆院選挙で、全選挙区で一斉に選挙無効裁判を起こす考えだという。これまでの一票の格差裁判は公選法の規定に基づき、特定の選挙区のみで訴訟が提訴されてきたため、選挙全体を無効とする判決を出すことが難しかった。裁判所はそのあたりの事情を考慮に入れ、違憲ながらも選挙自体は無効としない事情判決を繰り返し出してきた。しかし、もし無効訴訟が全選挙区で一斉に提起されれば、事情判決を出す理由が無くなるはずだと升永氏は言う。
 「一票の格差」は民主主義の基本原則に反する一方で、われわれの日々の生活にも大きな影響を及ぼしている。計量政治学が専門の小林良彰慶應大学教授は、「少ない人口で選出された過剰代表議員(多くは地方部選出)の公約や発言が、現実の政策に反映されやすくなっている」ことを指摘する。また、一票の格差問題に詳しい和田淳一郎横浜市立大教授も、一票の価値が軽い都市部の有権者の利益が軽視されることで、日本経済全体が非効率になっていると指摘する。
 「一票の格差」とはわれわれ有権者の投票権に対する明確な差別であり、2倍未満ならいいという類の話ではない。また、これを放置しておくと政治が歪められ、経済的にも損失を被るなど、百害あって一理もない。そもそも日本人の多くは、現在の日本の一票の格差が、他の先進国と比べた時にどれだけ突出して大きいかさえ知らない。日本で投票権の平等を実現することは革命に等しいと語る「一人一票実現国民会議」発起人の升永氏とともに、一票の格差問題をジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が徹底的に議論した。

幹事長、民主党政権大丈夫ですか

(第626回 放送日 2013年04月13日 PART1:66分 PART2:52分)
ゲスト:武貞 秀士氏(東北アジア国際戦略研究所客員研究員)

 ミサイルを倉庫から出し入れしてみたり、発射台を上に向けてみたり、また下げてみたり。人口にして2400万人、一人あたりGDPが年間1000ドル(約10万円)あまりの国に、世界中が翻弄されまくっている。
北朝鮮は本気でミサイルを発射するのか。一体全体北朝鮮は何がしたいのか。なぜ世界はこうも簡単に北朝鮮に翻弄されてしまうのか。
 金正恩が朝鮮労働党の第一書記に就任してから4月11日でちょうど丸1年が経過した。依然として強硬姿勢を崩さない北朝鮮だが、核実験に成功し、その後昨年末にミサイルの発射にも成功して以来、今年に入ってますます過激な動きを見せている。2月には3回目の核実験を実施したのに続いて、先月は朝鮮戦争休戦協定の白紙化を宣言し、韓国との不可侵合意すら破棄し、そして今月はミサイル発射を仄めかすなど、一見するとまるで戦争準備とも受け取れる動きまで見せている。国連安保理制裁決議も今のところ、北朝鮮を押しとどめる役には立っていない。
 しかし、これまで北朝鮮は瀬戸際外交が得意な国とされ、ミサイルを撃つそぶりを見せながら相手から譲歩を引き出していくことにかけては、秀でていたかもしれないが、ここでミサイルを撃ってしまっては、北朝鮮には何の得にもならないようにも思える。
 一体全体、北朝鮮の狙いは何なのか。
 朝鮮半島情勢に詳しいゲストの武貞秀士氏(東北アジア国際戦略研究所・客員研究員)はわれわれは北朝鮮の真意を見誤り続けてきたと指摘する。北朝鮮は「体制の保証」を求めて核開発を行い、軍事力による示威行為を繰り返してきたと見られているが、武貞氏は「北朝鮮の言う『体制』とは、朝鮮半島全体、すなわち韓国との統一を含めた『体制』」を意味する」と分析する。この点を日本政府はもちろん、アメリカも周辺各国も理解できていなかった。それが結果的に、世界中が北朝鮮に振り回されることとなり、挙げ句の果てに気がつけば北朝鮮は核兵器もミサイルも保有する、もはや無視はできない国になってしまった。
 対外交渉においても、十分に計算されたメッセージを的確に発することで、相手国の裏をかき、結果自らに有利になる展開に持ち込んできたと武貞氏は言う。どうやら、北朝鮮情勢をここまで緊迫させた原因の少なくとも一旦は、われわれの側に北朝鮮に対する大いなる誤解があるようだ。
 われわれの多くが、「大飢饉による何万人もの餓死者」を出し、「多くの国民は瓦屋根の家にも住めない」ような北朝鮮が、高度な情報集積と優秀な人材が必要となる核・ミサイル開発など出来るはずもない、しばらく放っておけば国家は内部から崩壊するだろう、とたかをくくってきた。むしろ北朝鮮の現体制崩壊後の日本への影響を真剣に心配するような言説まであった。しかし現実は見事に裏切られ、遂に核による抑止力を手にした北朝鮮は、いまや沖縄の在日米軍基地を射程におさめるミサイル開発にも成功しつつあると言われている。これからはそれらの軍事力を背景に、ますます世界を翻弄し続ける可能性が十分にある。
 北朝鮮のここ一連の攻勢は、金正恩なくしては語れないと武貞氏は言う。30歳にして大国アメリカをも手玉に取る金正恩とは一体何者なのか。一説によると海外留学なども経験してきたこれまでの経歴から、イデオロギーには拘泥せず、たとえ西側のものでも取り入れていく人物であるという。特にバスケットボールを愛好していて、先日、NBAの元スター選手、デニス・ロッドマンを平壌に招待したのは外交的な意図と同時に本人の好みも多分にあったと見られている。そして、そうした一見個人的な趣味と見られるような動きの中にも、対米メッセージを織り込んで、周到に計算された交渉術を見ることが出来るという。国内的には、祖父である故・金日成氏を彷彿とさせるスタイルを意識的に取り入れて、自らのカリスマ性を高めるような行為を随所で見せている。
 過大評価は避けなければならないが、どうやら世界が北朝鮮にここまで振り回されるに至った原因の一端は、われわれが北朝鮮という国を過小評価し、甘く見てきたところにあったことは認めざるを得ないかもしれない。しかし、われわれは何を見誤ってきたのか。また、なぜそのような見誤りが生じたのか。そして最高指導者・金正恩とはいったい何者なのか。
 北朝鮮の最新の動向を追いつつ、その背景を探りながら、そこから見えてくる対北朝鮮政策における失敗や、金正恩の人物像について、2年間の韓国での教員生活から帰国したばかりの武貞秀士氏を交えながら、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

「共通番号制」から離脱する権利を認めよ

(第627回 放送日 2013年04月20日 PART1:68分)
ゲスト:醍醐 聰氏(東京大学名誉教授)

 国民一人一人に番号を付ける「共通番号制」の法案審議が衆院内閣委員会で進められている。これは納税者情報を正確に把握することを目的としたもので、今回の法案化の動きは、旧社会保険庁の年金不祥事、特に「消えた年金問題」を契機に、年金情報を含む個人情報の一元管理の必要性が叫ばれたことに端を発する。民主党政権下で「社会保障と税の一体改革」の中に盛り込まれた「マイナンバー」を、政権に復帰した自民・公明の与党が修正を加えて「共通番号」として提案してきたものである。
 国民を番号で管理するという発想は、1970年の「事務処理用統一個人コード構想」、いわゆる「国民総背番号制」にさかのぼる。そして、その後も類似の制度が政府によって検討、提言、提案されてきたが、いつの時代も「権力サイドによるプライバシーの侵害」「国家による国民管理」に対する懸念が払拭できず、頓挫してきた。今回もその懸念に変わりはない。しかも、社会環境は40年前とは一変している。パソコン、スマートフォンが普及し、インターネット環境も整備が進んだ結果、流通する情報量は爆発的に増え、しかもそれを処理する能力も飛躍的に向上している。どれだけ情報セキュリティに気を配っても、あらゆる個人情報が一つの番号に紐付けられることのリスクは、かつて無いほどに高まっている。とかく利便性が強調されがちだが、本当に共通番号を導入することによって得られる利便性は、そのリスクを上回ると言えるのか。
 たしかに現在でも個人は特定の番号に紐付けられている。クレジットカードしかり、運転免許証しかり、住基ネットしかり、だ。しかし、東大名誉教授で納税者番号制度に詳しい醍醐聰氏は「今回の制度は、従来からの縦方向の情報管理を横から串刺しにして横断的な一元管理を可能にするもの」と、共通番号制の問題点を指摘する。縦割りによってかろうじて保たれてきたファイアウォールが事実上無くなることで、情報流出の際のダメージは取り返しのつかないことになる恐れがある。
 その上で一番の問題は「われわれの側に制度を利用するかどうか決める選択権が保証されているかどうか疑わしい」ことだという。コンピュータ技術の進歩で、いやがおうにも個人情報の管理が容易になってしまった今日、各人が自分自身の情報をどう管理するかを決める「自己決定権」が保証されることが重要だ。そのためには制度への参加とともに、システムからの離脱権が保証されていなければならない。しかし、法案の条文上、そこがどうも曖昧だ。そして法案が成立したら、事実上、自動的に全国民に番号が与えられることになり、番号がなければ今後、様々な行政サービスを受けられなくなることもあり得るという。醍醐氏は、「こうした権利の制約は憲法違反の疑いすらある。今後、集団訴訟などの動きが出てくることも期待したい」と話す。
 また醍醐氏は、法案では、行政事務にとどまらず、民間へのシステム開放も想定されている点にも警戒が必要だと指摘する。一つの番号にあらゆる個人情報が紐付けされるシステムを民間事業者が利用するとなると、個人的な趣味や日常的な行動が特定の番号に蓄積されていくことにもつながりかねない。いまやネットでは当たり前になってきた「レコメンド機能(おすすめ機能)」が実生活上に入り込んでくることも考えられ、それは必ずしも良いことばかりではないようだ。むしろ逆に特定の情報から閉め出されたり、事業者に不利になるようなことが隠されたりすることにつながるという。
 法案には近年とみに増えてきている国会軽視の側面もみえる。法案に具体的なことを書き込まず、詳細は「別に政令で定める」となっている点だ。政令の発布には国会の議決や審議を必要としない。枠組みだけ先に作ってしまって、後から都合の良い中身を役所だけで考えましょうというのでは、あまりにも無責任で危険過ぎる。また、しきりと喧伝される行政事務の簡素化や効率化も、初期投資が2000~3000億円、その後もシステム維持に毎年200億円規模が必要との試算もある。これで本当に費用対効果に見合ったメリットがあるのか。新手のIT公共事業ではないのか。
 そもそも共通番号は誰のためのものなのか。番号による国民の管理について、海外での事例なども交えながら、ゲストの醍醐聰氏とともに、ジャーナリストの青木理と社会学者の宮台真司が議論した。

やはり和歌山カレー事件は冤罪だったのか

(第628回 放送日2013年04月27日 PART1:72分)
ゲスト:安田 好弘氏(弁護士・林眞須美死刑囚主任弁護人)

 和歌山カレー事件で新たな事実が明らかになった。もしかすると、これは決定的な新証拠になるかもしれない。
 夏祭りの炊き出しで出されたカレーに猛毒のヒ素が混入し、4人の死者と63人の負傷者を出した「和歌山カレー事件」は、林眞須美被告が否認・黙秘を続ける中、2009年4月に最高裁で死刑が確定している。今回、その死刑判決の重要な判断材料の一つだった「亜ヒ酸の鑑定」において、新たな事実が明らかになったのだ。
 今回問題となっている証拠は、犯行に使われたとみられる紙コップに付着していたヒ素(亜ヒ酸)と、林氏宅で見つかったヒ素とが同じ組成のものだったとする鑑定結果。林真須美氏の夫の健治さんがシロアリ駆除の仕事をしていたことから、林氏の自宅には普段からヒ素が保管されていたという。この鑑定結果は林真須美氏を有罪とする上で最も重要な証拠の一つだった。
 亜ヒ酸の鑑定については、当時最先端の大規模研究施設「SPring-8(スプリング・エイト)」を使った鑑定によって、科学な裏付けがなされたと考えられてきたが、今回、それを否定する新たな検証論文が京都大学の河合潤教授によって発表された。河合教授が『X線分析の進歩44号』に発表した論文によると、カレーにヒ素を混入するために使われたとされる紙コップに付着していたヒ素と林さん宅にあったヒ素をより詳細に検証した結果、両者の間には明らかに異なる不純物が見つかったという。河合教授は両者を「別のものであったと結論できる」としている。
この事件はもともと物証に乏しく、犯行に至った動機も解明されていない。林氏の弁護人を務める安田好弘弁護士によると、主な間接証拠も詳細に検討していくと必ずしも信頼性の高いものばかりではないという。安田氏はこの事件は最初から警察による事件の見立てに間違いがあったのではないかと言う。そして、メディアによるセンセーショナルな報道などもあって、捜査当局もそれを修正できないまま殺人事件として突っ走ってしまったとの見方を示す。
 安田弁護士は最高裁判決の直後から林氏の裁判の再審を求めているが、今回明らかになったヒ素鑑定の結果を追加した再審補充書を早速提出したという。確かに、今回明らかになった新事実を前にすると、最高裁が判決で述べているような「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に(林さんが犯人であることは)証明されている」と言えるのかどうかは明らかに疑わしくなっているように見える。しかし、日本では再審の壁はとても厚い。日本の司法界の構造として、裁判官が検察の訴えを退けてまで無罪判決を下すのには相当な重圧がかかるからだ。
 今回の新事実を、司法はどう判断するのか。事件の新事実をもとに、再審の問題、司法の裏側などについて、ゲストの安田好弘弁護士とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

世界は日本国憲法をどう見ているのか

(第629回 放送日 2013年05月03日 PART1:67分 PART2:69分)
ゲスト:ジャン・ユンカーマン氏(映画監督・ジャーナリスト)

 憲法改正を目指す政権の下で5月3日、日本は66回目の憲法記念日を迎えた。
 世論調査などの結果を見ても、憲法改正への抵抗感は明らかに弱まってきているようだ。安倍首相はまず、憲法改正のために衆参両院の3分の2以上の賛成を求めている第96条の国会発議の要件を引き下げ、過半数の賛成で可能にする改正の意向を示している。しかし、言うまでもなく安倍首相、そして自民党の目指す憲法改正の最終目標は第96条ではない。自民党は既に、基本的人権条項などを削除した独自の日本国憲法改正草案を発表しているし、戦争放棄を謳う憲法第9条の改正が自民党の長年の念願であることも周知の事実である。
 日本国憲法の「平和条項」は1947年の施行当時は画期的なものだった。世界中を巻き込んだ悲惨な戦争の直後に、戦争の当事国だった日本が平和条項を含む憲法を持ったことの意味は、その後に新たな憲法を制定する国々や独立する国々の憲法にも大きな影響を及ぼした。日本に続いて憲法に平和条項を盛り込む国が相次ぎ、今では世界の約200カ国のうち150カ国の憲法に何らかの平和条項があるという。
 その日本が今、憲法第9条を改正した場合、国際的にはどのような意味を持つのか。
 『映画 日本国憲法』の中でジョン・ダワー氏やノーム・チョムスキー氏ら世界の知識人12人のインタービューをしたジャン・ユンカーマン監督は「日本国憲法、特に憲法9条は国際的に日本の平和に対する姿勢の現れとして見られている。だから日本の憲法改正論議は国内問題ではなく、国際的な問題だ」と話す。その先駆けとなった日本が平和条項を改正すれば、それは日本の国際的な信用を損ねるのみならず、日本に倣って平和憲法を作った国々にも大きな落胆をもたらすだろう。ユンカーマン氏は、今日の日本の政治家たちにその視点が欠けていることに大きな危惧を抱くという。
 改憲論者の多くは、現在の日本国憲法は占領下でアメリカから押し付けられた憲法だから、改正をして独自の憲法を作らなければならないと主張する。しかし、現実はわれわれ日本人が自ら進んでこの憲法を受け入れ、寄り添い、その理念を懸命に護ってきた。ユンカーマン監督の映画に登場する識者たちも、日本がこの憲法が謳う崇高な理念を体現できるかどうかに、世界中が注目していると語る。
 また、アメリカの核の傘に護られながら、憲法9条を掲げるのは一国平和主義ではないかとの指摘もある。しかし、『映画 日本国憲法』の中でジョン・ダワー氏は「なぜ日本はもっと自信を持ってアメリカに向かって自己主張をしないのか」と苦言を呈する。せっかく憲法の中で崇高な理念を掲げながら、アメリカに対する精神的な隷属から抜け出せないことこそが、戦後の日本の悲劇であり、またそれが昨今の浅薄な改憲論議の根底にあるのではないかと言うのだ。
 いま日本は憲法を変えるべき時なのか。変えるとすれば、どのような改正が求められるのか。われわれは憲法を変えても大丈夫なのか。改正した憲法によってわれわれはどんな社会を実現しようとしているのか。『映画 日本国憲法』を通じて「世界の目」という視点から日本国憲法に焦点を当てたジャン・ユンカーマン氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

放射能に分断されるコミュニティの現実

(第630回 放送日 2013年05月11日 PART1:69分 PART2:69分)
ゲスト:山下 祐介氏(首都大学東京都市教養学部准教授)、市村 高志氏(とみおか子ども未来ネットワーク代表)

 「速やかに避難住民の帰還を実現させたい」
 これは2011年12月16日、当時の野田佳彦首相が福島第一原発事故の収束宣言を行った際の記者会見での一節だ。そして、それ以降政府は、避難地域の住民の帰還に向けた歩みを加速させてきた。
昨年以降、国は11の自治体に出されていた放射線量別の3種類の避難区域を、年間被曝量が20ミリシーベルト以下、50ミリシーベルト以下、そしてそれ以上の3つの区域に新たに再編し、20ミリシーベルト以下の区域を「避難指示解除準備区域」に指定した上で、基本的に立ち入り制限を解除した。野田前首相の言葉通り、「帰還」の実現に向けていよいよ舵を切ったようだ。
 しかし、福島の現実は「帰還」にはほど遠い。放射線量にもばらつきがあり、除染も一向に進んでいない。立ち入りが自由になったと言っても、下水、浄水などのインフラもないし、警察や消防機能も復旧していないため、住民たちは自分たちで防犯パトロールを行わなければならない。
そして、被災地では更に困った問題が持ち上がっている。帰還が可能な区域とそうでない区域への再編が、新たなコミュニティの分断を生んでしまっているのだ。
 町内に帰還が可能な区域とそうでない区域を抱え込んだ自治体の一つが、福島県富岡町だ。町は全域があの福島第一原発から20キロ圏内に含まれ、これまでは警戒区域として立ち入りが全面的に制限される「全町避難」の自治体の一つだ。事故から2年以上が経過した今も、町民は日本全国47都道府県に分散したまま避難生活を強いられ、町役場も郡山市郊外に仮のプレハブ庁舎を設け、かろうじてその機能を維持している状態だ。
 その富岡町が昨年末に行った町民へのアンケートでは、町に帰らないと答えた人の比率が4割に達し、帰りたいと答えた人の15%を大きく上回った。富岡町職員の菅野利行氏は「帰れ帰れと言っても、実際には何も進んでいない。帰れるような状態にはない」と、町民の置かれた苦しい立場を代弁する。  東京で避難生活を続ける富岡町民の市村高志氏は「自分たちが住んでいた町が今どういう状況に置かれているかも分からない。町民として何を信じて判断すればいいのか何の手がかりもない」と話す。国や東電が進める帰還スキームは、どのような考えに基づいて進められていて、被災地をどのように復旧させていくのかがまったく分からない中で、帰るか帰らないかだけを問われても、答えようがないと言うのだ。
 被災地の支援活動を続けている社会学者で首都大学東京准教授の山下祐介氏も国・行政の姿勢に疑問を呈する。「皆さんの復興は国がやりますと言っておきながら、結局は自治体や住民自らがやらないといけない状況になっている」と指摘する。
 そのような先が見えない状況が続くなか、富岡町では「帰りたいけど帰れない。戻りたいけど戻らないという町民が増えてきている。戻りたい住民と戻らない住民の分断も見られる」とこれまで分散されながらも辛うじて絆を保ってきた町が、ここにきていよいよ空中分解する恐れが出てきていることを市村氏は危惧する。
 放射能が分断したコミュニティをどう再生するのか。汚染された土地にさっさと見切りをつけて、新しい地で生活を再建することが正解なのか。戻りたい人だけ戻ればいいのか。そのような土地に共同体を再構築することが本当に可能なのか。そのような状況の下でも、国は被災地に帰れというのか。富岡町民の市村高志氏と被災者支援を続ける山下祐介准教授を迎えて、ジャーナリストの神保哲生を社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.61(611~620回収録)

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恒例年末神保・宮台トークライブ 日本病はなぜ治らないのか

(第611回 放送日 2012年12月29日 PART1:78分/PART2:63分)

 

 2012年は1年を通じて世界の主要国で国政選挙があり、多くの国で政権交代や首脳の交代が起きるなど、国際政治の舞台では大きな変革の年となった。
  フランスでは新自由主義路線のサルコジが敗れ社会党のオーランド政権が成立。ロシアではプーチンの権力専横に国民は承認を与えた。中国では習近平が、韓国では初の女性大統領となる朴槿恵政権が誕生し、アメリカではオバマ大統領が辛くも再選を果たした。
  そして日本でも年末の総選挙で民主党が惨敗、自民党が3年ぶりに政権の座に返り咲くなど、確かに政治的には出入りの激しい一年となった。
 しかし、多くの国で指導者や体制が変わった割には、大きな政策や路線変更があったという話はあまり聞こえてこない。政権や体制が変わっても、各国ともに経済停滞と財政難に喘ぐなか、政策的な選択肢が細っているようだ。
 日本でも安倍新首相が唱える金融緩和を中心とする「アベノミクス」に内外の関心が集まっているが、少子高齢化とそれを支える社会保障の立て直し、そしてそれと表裏一体の関係にある財政再建が喫緊の課題であることに変わりはない。また、東日本大震災の被災地の復興の遅れや、福島第一原発の事故の処理も、待ったなしの状態が続いている。
 安倍政権の誕生に道を開いた先の総選挙では、有権者の関心は目先の景気や雇用の問題に集中し、原発、財政再建などの大きな問題は二の次だったことが、メディアの出口調査などで明らかになっている。
 われわれ有権者は目先の問題にしか関心を持てないのか。長期的には損であっても、短期的に得になる選択をしてしまうのは、やむを得ないことなのか。
 泣いても笑っても日本はこれから未曾有の超高齢化社会に突入する。産業構造も社会構造ももはや右肩上がりの高度経済成長モデルが通用しなくなっていることは明らかだ。大きな構造の転換を図らなければこの難局を乗り越えられないことがわかっていても、日本はなかなか変わることができないでいる。選挙では現状維持を望む高齢層の人口が若年層の倍近くもあり、しかもその世代は投票率も高いため、選挙力学上は政治が高齢層の既得権益に切り込むことは容易ではない。マスメディアも本質的な問題には一向に切り込もうとしない。読者や視聴者にとって耳の痛い話は、スポンサーも歓迎しないし、視聴率や売り上げにも貢献しないからだ。
 問題の所在が明らかで、その処方箋もあるが、痛みが伴う改革ができないことは、世界の他の国々も似たり寄ったりかもしれない。もしかするとこれは民主主義の宿命、あるいは大きな欠点なのかもしれない。しかし、日本は世界に先駆けてその状態に突入し、それがもう20年以上も続いている。この「日本病」をわれわれはどうすれば克服できるのか。これは日本から少し遅れて同じような病に感染しつつある世界各国が注目しているところでもある。
 そこで、恒例となった今年の年末マル激ライブでは、日本病の背後にある構造とその克服のためにわれわれ一人ひとりが何を考えなければならないかを、神保哲生と宮台真司が議論した。 

2013年、テーマは愛

(第612回 放送日 2013年01月05日  PART1:68分/PART2:69分)
ゲスト:小幡 績氏(慶應大学准教授)、萱野 稔人氏(津田塾大学准教授)

 

 2013年最初のマル激は萱野稔人、小幡績両氏を招き今年の展望を議論した。
 昨年は世界の主要国の多くがレジュームチェンジを迎えた年だった。日本でも12月26日、安倍「危機突破内閣」が誕生し、「物価上昇2%(インフレターゲット)」の公約実現に向けて動き出した。先の総選挙では有権者の圧倒的多数が、景気や雇用の問題を原発やその他の社会政策に優先して投票したことが、世論調査などによって明らかになっているが、どうやら2013年も出だしから経済問題が世の中の大きな関心事になりそうだ。
 安倍政権が直ちに大型補正予算を組み、金融緩和への強いコミットメントを示すことで、少なくとも2013年初頭の株価や為替は安倍政権に好意的に反応しそうだ。しかし、安倍首相が掲げるインタゲ政策が、どの程度景気回復に功を奏するかはわからない。大いに期待する声がある一方で、安倍政権の経済政策に規制緩和や痛みの伴う構造改革などが見当たらないところから、財政出動と金融を柱とするアベノミクスだけでは実体経済面での効果を疑問視する向きもある。
 束の間の好況感に支えられた高支持率のまま7月の参院選に突入し、参議院でも自公で過半数を押さえた暁に出てくるものはどんな理念や政策なのか。
 小幡氏は安倍首相には運も味方していると言う。実は世界的に景気は回復してきており、日本だけが乗り遅れていた状態にあった。安倍首相の一連の発言がレバレッジ(てこ)になった面はあるが、実際のところ最近の株価の上昇傾向や円安の流れは、アベノミックスと根本的にはあまり関係ないのだという。
 2013年、われわれが目先の株価や為替レートなどに踊らされずにしっかりとウォッチしていかなければならないことが2つある。一つ目は、束の間の好況感の背後で実体経済がどうなっているのか、特に小幡氏が指摘する「雇用」が回復しているかどうかだ。そしてもう一つは、夏の参院選後に出てくるであろう憲法改正や集団的自衛権問題、自衛隊の国防軍化、教育改革といった安倍政権が目指す真のレジュームチェンジの中身がどのようなものになるのかを見極めることだ。
 政策変更自体は決して悪いことではない。なかなか物事が動かなかった日本にあって、大胆な政策変更は歓迎すべき面もある。しかし、その大前提はあえて重要な政策を変更することの目的とその対価をわれわれ一人ひとりがきちんと理解することだ。レジュームチェンジの真の目的は何なのか。それはわれわれを本当に今よりも幸せにするのか。そこに愛はあるのか。今年はそんなことを考えていきたい。
 経済学者の小幡績氏、哲学者の萱野稔人氏とともに、2013年の日本の針路を、神保哲生と宮台真司が議論した。

サルでもわかるアベノミクス入門

(第613回 放送日 2013年01月12日  PART1:66分 PART2:62分)
ゲスト:高橋 洋一氏(嘉悦大学教授)

 

 アベノミクスが動き始めた。「インフレターゲット」を定め、そこまで「無制限の金融緩和」を行うことを「日銀とアコード(政策協定)」することで、人為的に物価を押し上げ、日本をデフレから救い出すという至ってシンプルな論理だが、少なくともここまでのところは市場はこれを円安・株高をもって歓迎しているように見える。
 しかし、依然として多くのエコノミストや識者たちが、アベノミクス、とりわけインフレターゲット(インタゲ)政策には懸念を表明している。本当におカネを刷るすだけで物価が上がり、物価があがれば景気が回復するのか。どうすれば物価は上がるのか。本当に日本では2%のインフレは実現可能なのか。制御不能なインフレに陥る恐れはないのか。財政規律は維持できるのか等々。
 しかし、今週のゲストで安倍内閣の政策ブレーンでもある嘉悦大学教授の高橋洋一氏はアベノミクス、とりわけインタゲ政策については、「日本以外の国がみんなやっていることをやるだけの話」と、一連の懸念や批判を一笑に付す。日本はこれまでも十分な金融緩和をやってきたのに効果がなかったではないかとの主張に対しても、いくら通貨の供給量を増やしても20年かけてチョロチョロと小出しに供給量を増やすだけでは効果があがるはずがないと、これも一蹴する。「要はアクセルの踏み方の問題だ」として言い、半年で50兆円規模の資金供給を行えば「効果は出る」と言い切る。財政規律の崩壊や過度なインフレへの懸念についても、インフレによって名目GDPが成長するのだからそのような心配はないと語り、インフレターゲットが実現すればプライマリーバランス(基礎的財政収支)さえ回復が可能と説く。
 果たしてそうだろうか。しかし、おカネをジャブジャブ刷れば景気がよくなり、リスクや副作用もないという話は、どうしても素人には話がうますぎるように思えてならない。また、もしそんなに簡単にデフレから脱却できるのなら、なぜこれまで20年もの長きにわたり日本はデフレに苦しみながらのたうち回る必要があったのか、とも、思えてしまう。
 そこで今回は、日本におけるインタゲの言い出しっぺであると言っても過言ではない高橋氏に、なぜおカネを刷るだけで景気がよくなり経済成長が期待できるのかを、素人にもわかるイロハのレベルから解説してもらうことにした。
 果たして、前回の番組でインタゲに懐疑的だった宮台、萱野の両氏は、高橋氏の解説に納得するだろうか。   

水の話

(第614回 放送日 2013年01月19日 PART1:68分 PART2:58分)
ゲスト:橋本 淳司氏(ジャーナリスト)

 

 今年は水についていろいろな側面から考えてみたい。
 第一回目となる今回は、世界と日本の水問題の入門編をお送りする。
 地球上には70億の人口を養うのに十分な水資源がある。にもかかわらず世界各地で渇水や水不足、それを原因とする飢餓や衛生状態の悪化といった問題は後を絶たない。水資源は、あるところにはあるが無いところには無いという著しい偏在の問題を抱えていて、これが国際的な紛争や水資源争奪の原因となっている。急速に近代化が進む中国では増加している水需要をまかなうために、国際河川の上流部に大規模ダムを造って水を自国に引き込もうと躍起になっているが、関係国との摩擦が生じている。シンガポールはマレーシアからパイプラインを引いて水を輸入する一方で、水ビジネスを手がける国策会社を立ち上げて水の安全保障に取り組んでいる。サウジアラビア系の民間企業がナイル川の上流域で大規模な水プラントを建設して水利権を確保したが、それに反対する地元住民と武力衝突にまで発展しているケースもある。
 翻って日本の水資源はどうか。「日本は温暖湿潤な気候で降水量も多く水資源に恵まれている」。ほとんどの人はそう考えているのではないか。しかし水資源問題に詳しいジャーナリストの橋本淳司氏は「日本は決して水資源に恵まれているわけではない」と話す。
 年間の降水量こそ世界の平均を上回るが、国民一人当たりの水資源でみると、世界平均の半分程度に過ぎない。日本は雨はそこそこ降るが、急峻な地形であるがゆえに、降った水を貯めておくことが難しい。そのため、輸入食料を生産するために使われた「バーチャルウォーター」も計算に入れると、実は日本は水の輸入国だという。よく日本の食糧自給率が問題になるが、仮に日本が食糧自給率を本気で上げようと思っても、実は現在の日本の食生活を支えるだけの水資源が日本にはない。現在の水資源量のままでは、食糧自給率は頑張っても60%が限界なのだと、橋本氏は言う。
 しかし、そうした事情をよそに水をめぐるビジネスは活発だ。飲料メーカーは良質な水源から原価ほぼゼロの地下水をくみ上げて流通させるのに忙しい。消費者も安全な水を求めて水道水を敬遠し、ガソリンよりも高価な水を買っていく。また日本には地下水を管理保全するための基本法がないのをいいことに、外資系企業と組んで日本の水を海外に売り込む動きもあるという。日本では一旦土地を所有すれば、その下を流れる地下水の採掘権も付いてくると考えられている。そのため行きすぎた水資源の開発や利用を規制する手立てがなく、水源地を抱える地方自治体が各々の事情に合わせて条例や要項などを策定して対応しているのが現実だ。
 また、日本では公共サービスとして考えられてきた水道事業を、近年は民間に委託する動きも出てきている。世界には水関連事業をトータルで手がけて年間1兆円超の莫大な売上をあげている、通称「ウォーターバロン(水男爵)」と呼ばれる巨大企業が存在しているが、料金値上げや水道利用の差し止めなどをめぐって利用者としばしば衝突しているという。そしてそのウォーターバロン傘下の企業がすでに日本でも水道事業を受託し始めている。行政官庁が合理化・効率化の動きを促している面もあるが、そもそも水道事業が民営化に馴染むのか不明だ。
 水は命の源泉である。生命の維持はもちろん、われわれが健康で衛生的な生活を送ることができるのも十分な水資源があってこそだ。しかし、われわれはこれまで水に対して十分な関心を払ってきただろうか。日本ではいつも目の前を水が流れているために、これまでわれわれは少々水という物に対して無頓着過ぎたのではないか。
 ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、水資源問題に詳しい橋本氏と議論した。 

金融緩和で日本経済は復活するか

(第615回 放送日 2013年01月26日  PART1:1時間15分 PART2:1時間38分)
ゲスト:黒田 勲氏(医師・日本ヒューマンファクター研究所長)

 尼崎のJR宝塚線脱線事故から3週間が過ぎた。しかしこれと前後して、東京・足立区の竹の塚駅踏切の事故や相次ぐ航空機や管制関連のミスなど、事故の連鎖はとどまるところを知らないかに見える。なぜここに来て急に事故が増えているのか。
 40年以上にわたり航空機や列車事故の調査に関わってきた医師の黒田勲氏は、その原因をヒューマンエラーが不可避であることを前提とした安全システムを組めていないことにあると指摘する。ミスを最小化する努力を常に怠らないのは当然としても、人間は必ずミスを犯す。その大前提の上に立ち、ミスがあっても重大事故に至らないようなシステムを構築しなければならないところを、ミスを犯さないようにすることばかりに過度のエネルギーを割く余り、真に安全なシステムが構築できていないというのだ。そしてその姿勢は、事故の後に原因追求よりも責任追求を優先する態度にも如実に顕れているという。
 いみじくも信楽鉄道事故からちょうど14年目にあたるこの日、黒田氏とともに技術立国と呼ばれて久しい日本が、その成長の過程で置き忘れてきた「何か」について考えた。他、JR宝塚線事故報道のあり方、少女監禁事件についてなど。

再エネはどこまで行けそうか

(第616回 放送日2013年02月02日 PART1:47分 PART2:90分)
ゲスト:大林 ミカ氏(公益財団法人自然エネルギー財団ディレクター)、萱野 稔人氏(津田塾大学国際関係学科准教授) 

  原発事故によってエネルギー源を原発に依存することのリスクが広く認識され、ようやく昨年7月に固定価格買取制度(FIT=Feed-in Tariff)が導入されるなど、政府も再生可能エネルギーの推進に本腰を入れ始めているように見える。再エネ推進のカギを握るとされるFITの導入から半年あまり経った今、再エネはどの程度普及したのだろうか。
 FITは電力会社に対して、風力や太陽光発電、地熱発電など再生可能な自然エネルギーによって発電された電気を個人や事業者から一定の期間固定価格で買い取ることを義務づける制度。電力会社はその分の費用を、電気料金に上乗せして徴収することになる。電気を利用するすべての人が、月々の電気料金への賦課金という形で、再生可能エネルギーの普及にかかる費用を負担していることになる。再エネの普及が進めば進むほど、少なくとも当面の電気料金は高くなるという、一般のユーザーにとっては痛し痒しの制度という側面も持つが、地球温暖化を加速させる化石燃料や事故が起きれば大変な惨事を招く原子力に変わる新しい自然エネルギーへの期待は大きい。
 制度開始から半年、その枠組みは一見うまく機能しているように見える。1kwhあたり42円という高い買い取り価格が設定された太陽光発電を筆頭に、再エネの総発電量は順調に伸びてきているようだ。しかし、新たに政権の座に返り咲いた安倍政権は、民主党政権時代の「革新的エネルギー・環境戦略」はゼロベースで見直し、原発の新規建設についてもエネルギー情勢を踏まえ時間をかけて腰を据えて検討するなど、民主党政権下で一旦は明確になった脱原発・再エネ推進路線を事実上白紙撤回している。現に、茂木経産相が太陽光の買い取り価格の引き下げの意向を明らかにしている。
 再エネの買い取り価格を高く設定すれば、その分事業者の参入が進み、再エネのシェアは増えることが期待できる。しかし、高い買い取り価格で発電量が増えれば、その分電気料金への上乗せ額も膨らんでいく。その点が必ずしも十分に理解されないまま高い買い取り価格で再エネの推進が進めば、電気代の高騰を嫌がる一般市民から、再エネ推進に対する異論が出始めることも予想される。
 どうやら重要なのは、なぜ再エネを推進すべきなのかという基本的な論点を再確認することにありそうだ。これは、例えば30年後われわれはどのような世界に暮らしているのか、またどのような世界を望んでいるのかなどの問いにもつながる。そして、再エネの推進によって、ぞれぞれどのようなメリットと対価が生じるのか。それを市民一人ひとりが理解した上で、どこまで再エネを増やすべきか、どこまでの負担なら耐えられるのかを判断する必要があるだろう。
 日本に再エネは根付くのか。原発事故を受けて、今日本が考えるべきエネルギーの未来ビジョンとはどのようなものなのか。再エネの固定価格買取制度スタートから半年。ここまでの成果と見えてきた課題、そして日本のエネルギー社会のこれからについて、自然エネルギー財団の大林ミカ氏と哲学者の萱野稔人氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

体罰は愛のムチなのか?

(第617回 放送日 2013年02月09日 PART1:50分 PART2:59分
ゲスト:斎藤 環氏(精神科医)

  昨年12月の大阪市立高校バスケットボール部キャプテンの自殺をきっかけに、体罰をめぐる論争が巻き起こっている。自殺した男子生徒が残した遺書には、コーチを務める教員の体罰に対する悩みが綴られていたという。
 男子生徒の自殺の原因がコーチの体罰にあったかどうかは、はっきりとしないところがある。しかし、キャプテンである彼が、他の部員の前でコーチから繰り返し殴られることが、この生徒に大きな精神的ダメージを与えていたことは想像に難くない。
 そこで今週は精神科医の斎藤環氏に、体罰の背後にある精神構造や、体罰をふるう側の教員とこれを受ける側の生徒にどのような精神的な影響があるかなどを聞いた。
 斎藤氏は学校という閉鎖的な空間の中では「共同体的な密室性が成立し、別のルールで動いて当然という空気がそこを支配しがちになる」と指摘した上で、このような固定化された集団の中では「体罰やDV(ドメスティックバイオレンス)など暴力的な関係性を作られると、それが一種の絆のように感じてしまう傾向がある」と説く。暴力を振るう側は「これはお前のためだ。愛のムチなのだ」といって自己を正当化し、振るわれる側は「悪いのは自分なのだ」とその責任を背負って、暴力を振るう側を擁護し、絆を維持しようとする。集団の密室性が暴力を温存して、時には連鎖してしまうというのだ。
 斎藤氏はまた、体罰は教育基本法で明確に禁止されているため、建前上は一切行われていないことになっている点を問題視する。建前と実態が乖離し実態の把握が困難になると、その影響を予想することができない。その意味でも体罰は容認してはならないと斎藤氏は断ずる。
 体罰のどこが問題なのか。体罰と懲罰の境界はどこにあるのか。精神科医の斎藤環氏とともに、哲学者の萱野稔人と社会学者の宮台真司が議論した。

だから日本のスポーツは遅れている

(第618回 放送日 2013年02月16日 PART1:60分 PART2:52分)
ゲスト:玉木 正之氏(スポーツ評論家)

  日本のスポーツがどこかおかしい。
 生徒の自殺の原因となったとされる大阪・桜宮高校バスケットボール部の体罰問題に続いて、今度は女子柔道のナショナルチームでも暴力的な指導が問題となっているが、実はこれらの問題が表面化する以前から日本のスポーツをめぐる環境には問題が多い。
 多くのスポーツシーンで依然として「気合い」「根性」などといった精神論が幅を利かせ、指導者や先輩が威圧的な態度で選手を萎縮させて管理する手法が横行している。その方法である程度までは上達するかもしれないが、選手はスポーツの本質とも言うべき「PLAY(楽しむ)」ことを忘れ、何のために練習しているのかすら分からなくなる。
 日本のスポーツ界が旧態依然たる前時代的な態勢から抜け出ることができない理由について、ゲストでスポーツ評論家の玉木正之氏は日本の指導者の言語技術の乏しさを指摘する。日本の指導者には、例えば言葉を使って選手のやる気を引き出したり、「なぜその練習が必要なのか」を説明することができてない人が多いと言うのだ。
 今回問題が発覚した柔道界にはまさにこの指摘が当てはまると玉木氏は言う。日本のお家芸として一度は世界に冠たる地位を築いたものの、その傲りから競技の国際化に乗り遅れ、ルールの改正でも国際舞台で強い発言権を発揮できなかった。国際的な舞台で自らの考えの正当性を主張し、交渉する能力がまるで備わっていなかったことが原因だと玉木氏は言う。結果的に今や日本の柔道は競技人口でもフランスを下回るようになってしまった。
 また、玉木氏は特定の競技や特定のチームに肩入れする今日の日本のメディアのあり方についても、「スポーツ界全体の発展を阻害している」と厳しく批判する。高校野球や箱根駅伝のように特定の競技にメディアが肩入れすることで、その競技に過度の注目が集まることの弊害は大きい。例えば、日本では将来を嘱望される長距離選手のほとんどが箱根を目指すが、それが日本の男子に世界クラスのマラソンランナーが育たない原因となっているとの見方は根強い。まだ身体ができあがっていない高校生の段階で、夏の甲子園で連戦連投を強いられる高校球児にも同じことが指摘されている。
 日本のスポーツはなぜ後進性から抜け出ることができないのか。国際化に成功したスポーツとそれができないスポーツとでは、どこが違うのか。日本のスポーツ界が抱える問題点と、スポーツ本来のあるべき姿について、ジャーナリストの神保哲生と哲学者の萱野稔人氏が、ゲストの玉木正之氏と議論した。

「経済成長」という呪縛からの解放

(第619回 放送日 2013年02月23日 PART1:60分 PART2:57分
ゲスト:水野 和夫氏(埼玉大学大学院経済科学研究科客員教授)

  ビデオニュースでは多くの識者からアベノミクスへの評価を聞いてきた。全面的に支持する識者もあった一方で、批判的な識者もいた。しかし、アベノミクスに否定的な考えをする識者の大半は、アベノミクスでは日本を現在のデフレから救い出し、再び成長軌道に乗せることはできないだろうという意味で、否定的だった。
 しかし、今週のマル激のゲストはエコノミストでありながら、そうした識者らとはやや趣を異にする。日本に限らず先進国のデフレは構造的なものであり、われわれはもはやそこから脱することができないことを前提に、「成長を目指さない経済戦略」を描かなければならないとゲストの水野和夫氏は説くのだ。
 日本の株価がリーマンショック以前の水準にまで戻り、為替市場では円安の流れが続いている。安倍政権が掲げる経済政策「アベノミクス」はひとまず市場の期待感を引き出したようだ。日銀とタッグを組んで「大胆な金融緩和」を実施して物価上昇を実現し、「国土強靱化」と称する公共事業で景気を刺激するとともに、「成長戦略」によって日本経済を新たな拡大成長路線に乗せようというのが「3本の矢」と形容される安倍政権の経済政策の中身ということのようだが、水野氏は成長を目指す経済戦略自体が間違っているとの立場を取る。そもそも日本のように経済的な成熟を実現した国は、経済がグローバル化した今日にあって、これ以上成長し続けること自体が不可能な構造の中にいることをまず受け入れなければならないのだと水野氏は言うのだ。そして、それでも無理矢理に成長を図ろうとするアベノミクスは、「金融株式市場でバブルを起こすだけ」と水野氏は批判する。
 話は資本主義の起源にまで遡る。キリスト教が金利を容認して以降、いわゆる大航海時代を経て大英帝国のパックス・ブリタニカ、その後のアメリカによるパックス・アメリカーナなどの資本主義は常に列強国の覇権主義とともにあった。列強は覇権国家の軍事力を後ろ盾に新大陸や植民地などの新しいフロンティアから資源をただ同然で手に入れ、そこに付加価値を乗せた製品を販売・輸出することで資本を増大させてきた。その結果、世界でも西洋のほんの一握りの国が世界の冨を独占し、自国の経済を成長させ、目映いばかりの繁栄を享受する現在の経済秩序が形成された。日本も1960年~70年代の高度経済成長によって先進国の仲間入りを果たし、経済成長クラブの一員となった。
 しかし、先進国はもはやこれ以上豊かになる必要性がないレベルまで富み、世界経済も飽和状態を迎えている。水野氏は「開発や支配権の拡大に下支えされた経済成長は今後は難しい」とした上で、此度のアルジェリアのテロ事件で明らかになったように、既に先進国の開発の手はアフリカの砂漠の真ん中にまで及んでいることを指摘する。また、中国では急速に近代化が進み、GDPは既に世界第2位を占め、インドやブラジルなどの新興国も成長経済モデルを踏襲して台頭してきたが、既に世界にはそれらの国々の需要を満たすだけの資源や市場が存在しない。20世紀に日本を含めた先進国が豊かになる上での大前提だった「ただ同然の石油」も今や当時の何十倍、何百倍に高騰している。結果的に新興国でさえも、低成長経済への転換を迫られ始めているというのだ。
 もはや人類は地球の果てまで開発をし尽くし、地球上には夢の未開地=フロンティアが存在しない。常に先進国の成長の大前提だった搾取の対象を、既にわれわれはしゃぶり尽くしてしまったというわけだ。そのような状況の下で、相も変わらぬ成長神話にすがりついた政策を無理矢理推し進めれば、当然そのバックラッシュは避けられない。こうした世界経済の潮流の中で、日本はどこへ向かうべきなのか。成長を前提としない資本主義は成ち立つのか。その場合、民主主義はどうなるのか。
 日本のように成長を果たした国は、これ以上の成長を目指さなくても十分豊かになれる、いや、無理に成長を目指そうとするからこそ豊かになれないのだと説く水野氏と、ジャーナリストの神保哲生と哲学者の萱野稔人氏が議論した。

われわれが選んだもの、選ばなかったもの

(第620回 放送日2013年03月02日 PART1:85分 PART2:34分)
ゲスト:山田 健太氏(専修大学文学部教授)

  長らく空席だった公正取引委員会の委員長に内定した元財務次官の杉本和行氏は、2月15日、国会の所信聴取の場で新聞社の再販制度に触れ、「特に今の段階で見直す必要があるは考えていない」との考えを示した。「吠える番犬」を目指し新聞再販の見直しに意欲を燃やしてきた前任の竹島一彦氏との好対照ぶりが際だった。
 日本の新聞社が絶大な恩恵を受けている「新聞再販制度」だが、その存在は余り知られていない。正確には再販価格維持制度と言うが、この制度のおかげで日本の新聞社は販売店に対して定価での販売を強制することができる。自由主義経済体制を標榜する日本では本来、モノの値段は市場原理で決まることになっている。そのため商取引上優越的地位にあるメーカーが定価を決定し、販売店に対してその値段での販売を強いる行為は独占禁止法で禁止されている。しかし、日本では新聞、書籍、雑誌、音楽CDの4品目のみが再販の対象として、例外的にメーカーによる定価販売の強制が許されている。他の商品では独禁法違反となる行為が、この四品目については例外的にその適用を免除されているのだ。やや電力会社の総括原価方式にも似ているが、この制度のおかげで結果的に新聞社は、あらかじめ利益を折り込んだ価格に定価を設定することが可能となっている。その意味では、他の商品ではあり得ないような大きな特権を得ていると言っていいだろう。
 新聞が再販によって特別に法の保護を受けている理由としては、真っ先に公共性があげられる。新聞のように公共性の高い商品を市場原理に晒せば、山間地や離島などで同一価格で新聞が買えなくなってしまったり、公共性の高いジャーナリズムの品質が維持できなくなる恐れがあるということだ。実際、自由競争というものがいかにコストを抑えながら利益を最大化するかの競争であるとすれば、新聞のような一定の公共性を帯びた産業を単純な市場原理のみに隷属させることは、必ずしも合理的ではないと考えられるだろう。
 しかし、である。もし公共性を理由に新聞社に対して再販という他に例を見ないほど手厚い保護を提供するのであれば、当然新聞社の側もその公共性要求に応えなければならないはずだ。少なくとも、再販で得た利益を使って、日本にクロスオーナーシップ(新聞社の放送局への出資)の規制が無いのをいいことに、日本中の放送局に出資をしてそこに自社の社員を天下らせるような行為が横行している現状では、その責任を果たしているとは言えないのではないか。
 また、新聞社が自社の紙面を使って再販を擁護するキャンペーンを張り、本来再販に対しては中立的な立場にあるはずの放送局は、新聞社との資本関係などから再販には一切触れようとしない状態が続いている現状も、再販の正当性を著しく弱めている。結果的に、再販の存在そのものがほとんど社会的に認識されず、特権だけが静かに維持されたまま一向に議論が深まっていないのが実情だ。
 公共的なジャーナリズムを護るためには再販は必要との立場を取るゲストの山田健太専修大教授も、特権を得ている新聞社自身の情報公開やその透明性が足りないと指摘する。新聞社は非上場であるため有価証券報告書の公開が求められていない。そのため経営情報は原則非公開のままで自主的な公開に任されているのみだ。しかし、再販などによって特別な保護を受けている以上、そこで得られた内部留保の使い道については一定の公開義務があって然るべきだろう。
 山田氏は「再販問題は新聞メディアの特権のほんの一例に過ぎない」として、税制上の優遇策や記者クラブ制度などの他の特権も含め、かつて新聞社がメディアの中で支配的な地位を占めていた時代から続く数々の特権については、新たな社会的な合意形成の必要性を訴える。
 かつて「ジャーナリズム」と言えばそのまま新聞を意味する時代が長らく続いた。そしてテレビが登場し、新聞のテレビの2強時代というものも確かに存在した。しかし、今日、インターネットの普及や社会の多様化によって、メディアも多種多様になりつつある。そうした中にあって、かつての古き良き時代の新聞の特権を無条件で延長し続けることは、市民社会のみならず新聞自身にとっても必ずしもプラスにはならないのではないか。
 山田氏は、メディアが細分化・多様化した今だからこそ、政治・経済・社会・事件・スポーツ・芸能を一つのパッケージにして手許に届けてくれる新聞のようなパッケージメディアの役割が重要になると、新聞の役割の重要性を説く。しかし、その大前提として、これまで既存のメディアがどのような特権を享受してきたのか、そしてその責任を果たしているかの検証は避けて通れない。なぜならば、特権はいずれも消費者や納税者として市民が負担しているものであるからに他ならない。その負担の対価として市民社会が何を得ているのか、そしてそれは特権を与え続けるに値するものなのかが議論されないまま、特権のみが静かに温存され続けている現状は、メディアによる権力の濫用の誹りは免れない。
 議論されない「再販」の問題点とメディアの今後についてジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、山田氏と議論した。

vol.60(601~610回収録)

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iPS細胞と放射能問題の社会学的考察

(第601回 放送日 2012年10月20日  PART1:73分/PART2:36分)
ゲスト:粥川 準二氏(ライター)

 

 京大の山中伸弥教授が今年のノーベル賞を受賞したことで、再びiPS細胞に注目が集まっている。人体のどの細胞にも変わることができることから「ヒト人工多能性幹細胞」と名付けられたiPS細胞はこの先、再生医療や難病の克服などに大きな役割を果たすことが期待される一方で、われわれ人類にまた一つ大きな課題を投げかけることとなった。それは究極的には生命倫理の問題に他ならない。
 バイオ技術に詳しいライターの粥川準二氏は、iPS細胞の画期性として、iPS細胞に先立って多機能幹細胞として登場したES細胞が人間の受精卵の胚を壊さなければならなかったのに対し、本人の細胞から作るiPS細胞はその必要がなかった点と、iPS細胞は自身の体細胞を増殖させたものなので、移植などを行った場合に拒絶反応が起きないと予測されている点をあげる。胚を壊さないことから倫理的ハードルが低いとされるiPS細胞ではあるが、粥川氏はES細胞にしてもiPS細胞にしても、いずれも人間の体以外の場所で細胞を培養しているという点で倫理面での議論は避けて通れないと指摘する。
 粥川氏はiPS細胞が今生きている人と同じ遺伝情報をもっている点に注意が必要だと言う。精子や卵子、あるいは脳、神経細胞だったりはいいのか他者や実験動物に移植することは許されるのか。「今どこかで生きている人と同じiPS細胞を使ってなにかをを行うときに、一体どこまでそれは許されるのかは議論が必要」と粥川氏は語る。  人間が人間の命に関わる分野にどの程度まで足を踏み入れることが許されるのかという原理的な議論ももちろん重要だ。しかし、それと同時に、こうした先端医療技術には、社会の格差の問題が投影される点も見逃してはならない。そもそも最先端医療には膨大な費用がかかるため、その恩恵に浴せる人は一部の富裕層に限られる。と同時に、そもそもその研究や開発が社会的弱者の犠牲の上に成り立っている面があることを見逃すべきではない。後に大きなスキャンダルとなった韓国のES細胞研究で、卵子を提供した女性の多くは経済的弱者だった。また、最初のヒール細胞のもとになったのも貧しい黒人女性だった。このように粥川氏はバイオ医療の利益と不利益には不均等な配分の問題があることを厳しく指摘する。
 また、医薬品や治療方法ができた瞬間に、大きなお金の動きが発生することが考えられる点にも粥川氏は警鐘を鳴らす。iPS細胞成功のニュースが報じられる段階で、既に「品質」という言葉が当たり前のように使われている。「人体が現在工業製品、あるいは資源としての質を問われるそういった価値をもった存在になったことを意味している」と言う。
 原発事故に伴う放射線被曝についても粥川氏は、放射線への恐れによってある種の優生学的思想が喚起されることを恐れていると語る。誰しも子どもの健康を願うのは当然のことだが、それが行き過ぎると、障がい者の存在を否定するようなものになる場合がある。現に原発をめぐる論争でも、先天性障害や奇形を話題にすることがややタブー視されている面があるのではないか。
 実際にiPS細胞を使った手術を6例行ったとの爆弾発言でしばらく世間を賑わした森口尚史氏については、その発言内容に全く根拠がなかったことが明らかになりつつあるが、森口氏が当初、自らが行ったとする手術について、「iPSしか治療手段はなかった」としていた点は、バイオ医療がこの先直面する大きな問題提起を含んでいたと見ることができる。ある人が病気を治すために、あるいは生存するために本当にそれ以外に手段がなかった時、医学は倫理面での議論が未決着な技術や、十分な安全性が証明されていない技術を使うことを、頭ごなしに否定できるかという問題だ。
 実際、粥川氏は「幹細胞ツーリズム」なるものが既に存在していて、ES細胞が話題になってからネット上で幹細胞を使う医療行為を行うと謳う医療施設が現れているという。治療方法がないと言われている病気に苦しむ人は、僅かでも治癒の可能性があると言われれば、いかなるリスクを冒してでも、その可能性に賭けてみたくなることは当然あり得る。しかし、十分な根拠がない方法を提供することで、「藁にもすがる患者に藁を差し出すのは間違っているのではないか」と粥川氏は言い、動物実験から臨床試験へと至る過程が透明である必要性を強調する。
 最後にバイオ技術が人類を幸せにできるかとの問いに対し粥川氏は、「利益と不利益の総量と分配、それに関わる人の自律性意志の観点において、今ある選択肢を検討することができれば」との条件つきながら、バイオ技術が人間を幸せにする可能性はあるとの考えを示した。
 バイオ問題をさまざまな側面からウォッチしてきた粥川氏と、iPS細胞か再生医療、出生前診断、そして放射能に至るまで、昨今のバイオ技術、バイオ医療、そして原子核と細胞核の両方を意味する「核」技術をめぐる様々な論点について、ジャーナリストの武田徹と社会学者の宮台真司が社会学的な視点から議論した。

電通支配はこうして原発報道を歪めてきた

(第602回 放送日 2012年10月27日  PART1:64分/PART2:45分)
ゲスト:本間 龍氏(著述家)

 

 最近よく「スポンサーの圧力」という言葉が乱れ飛んでいる。今やそのようなものがあること自体は、誰もが薄々知るところとなったが、それが具体的にどのようなもので、その圧力がどのような形で行使されているについては、意外と知られていない。実態を知らなければ、問題を解消することができない。そこで今回は、スポンサー圧力なるものの実態に光を当ててみたい。  原発事故の後、マスメディアによる事故の報道がおかしいことに多くの人が気づいた。マスメディアはあれだけの大事故が起きた後も安全神話に依拠した報道を続け、後に御用学者と呼ばれるようになった原発安全論者や原発推進論者を起用し続けた。
 また、原発報道に関しては、事故前の報道にも大きな問題があることも、われわれは後に痛いほど知ることとなった。安全神話は言うに及ばず、まったく現実味のない核燃料サイクル事業に兆円単位の税金を注ぎ込んでいた事実、電力会社社員の保養所維持費や広告宣伝費、御用学者を飼い慣らすための大学への寄付金まで電気料金として徴収することが認められていた総括原価方式と呼ばれる料金方式等々、なぜわれわれはこんなことも知らなかっただろうか。不思議なほど原発を巡る腐敗や癒着構造について、メディアは報じてこなかったことが明らかになった。
 原発に関する重要な事実が報じられてこなかった背景には、それが国策であったことや記者クラブ制度と報道機関内部の縄張り争いなど多くの要素がある。しかし、その中でもスポンサー圧力の問題は大きな比重を占めていた。何せ東京電力一社だけで年間260億円、電事連加盟10社で合わせて1000億円が、広告宣伝費として使われてきたのだ。そのすべてを一般消費者が電気料金として負担していたのかと思うと腹立たしい限りだが、そのスポンサーとしてのメディアに対する影響力は群を抜いていた。
 大半のマスメディアが広告宣伝費に依存した経営を行っている以上、この1000億円のパワーは、あらゆる批判や抵抗を無力化して余りあるだけの威力を持つ。
 そして、そのエージェント(代理人)として、スポンサーに成り代わって実際にその影響力を行使しているのが電通を始めとする広告代理店である。
 博報堂に17年間勤務した経験を持つ本間龍氏は、特に業界最大手の電通がクライアント(広告主)の意向を体現するためにいかにメディアに圧力をかけていくかを、実例をあげながら具体的に証言する。それは氏自身もかつて博報堂でやっていたことでもあった。
 本間氏によると、マスメディア業界は電通の支配力が圧倒的で、特にテレビ、とりわけ地方局は電通なしにはやっていけない状態にある。そのため、放送局の営業は電通の担当者からの「要請」は聞かざるを得ない。その関係を利用して、電通の営業マンは自分のクライアントにとって不利益となる情報や報道が出ないように、常にメディアと連絡を密に取り合い、必要に応じて報道に介入できる体制を取っていると本間氏は言う。つまり広告代理店、とりわけ電通の仕事の大きな部分は、単にCMを制作したり、広告主を見つけてくることではなく、広告主を「代理」して広告主の意向をメディアに伝えそれを体現することにあると言うのだ。
 実際、電通1社で4媒体(テレビ、新聞、雑誌、ラジオ)の広告市場のシェアは5割に及ぶ。博報堂を合わせて2社で7割を超えるという異常な業界だ。
 本間氏は、広告主や広告代理店がメディアの報道内容に圧力をかけることが違法になっている国も多いと指摘する。また、通常は利害衝突や情報漏れを避けるために一業種一社ルール(広告代理店は一つの業界で1社しか代理できない)が徹底されているため、電通のようなガリバー代理店は生まれにくいという。その制度があれば、他に代わりのスポンサーを見つけてくることが容易になるので、メディア側も「報道内容に注文をつけるならスポンサーを降りて貰って結構だ」と圧力を突っぱねることができる。ベンツが文句を言うのなら、他の代理店を使ってアウディなりBMWなりを代わりのスポンサーに入れることができるということだ。しかし、力が極度に電通に集中している日本では、あくまで喩えだが「ベンツもアウディもBMWもすべて電通」といった状態にあるため、それがほとんど不可能に近いのだと本間氏は言う。
 また、メディア側にも大いに問題がある。報道内容への代理店やスポンサーの介入を許している背景には、報道機関の中の報道部門と営業部門のズブズブの関係がある。スポンサーがメディアに介入するためには事前に報道内容を知る必要があるが、本来、報道前に報道内容を営業部門が知っていることはあってはならないことのはずだ。また、もし事前に報道内容を知らされているのであれば、営業部門はそれが報道されるまでは守秘義務に縛られていなければならない。これはインサイダー取引にもつながる重要な問題で、事前に報道内容を知り金融商品の取引をすると法に触れるが、報道前情報が代理店やスポンサーには筒抜けというのは明らかに報道倫理上問題がある。
 要するに、代理店側は政治的な理念やら社会的な責務だのをほとんど全く考えることなく、単に億円単位で広告費を払ってくれるスポンサーの意向に忠実に動いているだけだし、メディア側はスポンサー圧力を受けにくいような工夫や努力を十分していないために、現在のような「スポンサー圧力はあって当たり前」の状態が続いているのだと本間氏は言う。
 ずいぶん馬鹿馬鹿しい話だ。一業種一社という利益相反を避けるためには当然あって然るべきルールがあれば、電通のみにこれだけ力が集中することもなく、よって特定のスポンサーの意向(とそれを代言する電通の力)で報道内容が歪められるリスクは大幅に低減する。更に、メディアの側も、これまた当たり前すぎるくらい当たり前な「報道前情報に関する報道部門と他の部門間の壁」をしっかりと設ければ、少なくとも報道内容が報道前にスポンサーや代理店から介入されるリスクは回避できる。そうしたごくごく当たり前のことが行われていないために、日本は今もって「メディアへのスポンサー圧力があって当たり前の国」に成り下がっているというのだ。
 しかし、そこでもまたメディア問題特有の「カギのかかった箱の中のカギ」問題が顔を覗かせる。そうした問題をメディアが報じることはほとんどないため、そもそもそのような問題が生じていることを一般社会は具体的にはほとんど知らない。知らされていないから、政治家や官僚も世論を後押しに制度変更を主張することができない。世論の理解ないところで、あえて電通やメディアを敵に回すような発言をする政治家や官僚、言論人がほとんどいない理由は、今更説明の必要もないだろう。記者クラブ問題やクロスオーナシップ問題、再版問題などと根っこは同じだ。実際、共産党議員などによって、独禁法との絡みで電通の一極集中問題が国会で取り上げられたことはあったが、いつの間にか立ち消えになっている。
 こうなってくるとなんだか身も蓋もない話に見えるが、このような「終わっている」状況にもようやく変化の兆しが見える。インターネットの普及によって、新聞、テレビ対する抜群の支配力を誇っていた電通の力が相対的に落ちてきていると本間氏は言う。また、電通が新聞やテレビ報道を押さえ込んでも、ネット上に情報が出回ってしまい、マスメディアの報道を押さえたことが、かえって逆効果になるような事態も頻繁に起きている。そもそも戦前から活字媒体に強みをもっていた博報堂は、テレビ時代に乗り遅れて、その波に乗った電通の後塵を拝することとなったという。テレビ時代の支配者電通の権勢は、ネット時代にどう変わっていくのか。自ら博報堂の営業マンとしてスポンサーの「代理」をしてきた本間氏と、スポンサー圧力によって報道が歪められる舞台裏を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。 

米大統領選で問われる「オバマのアメリカ」とは

(第603回 放送日 2012年11月03日  PART1:78分 PART2:32分)
ゲスト:松尾 文夫氏(ジャーナリスト)

 

 アメリカは「オバマのアメリカ」にノーをつきつけるのか。
 11月6日、アメリカで大統領選挙が行われる。4年前、「Yes, we can」のスローガンとともに熱狂的な支持に支えられて初のアフリカ系アメリカ人大統領に選出された民主党のバラック・オバマだが、11月初旬の段階で共和党のミット・ロムニーにほぼ互角の戦いを強いられるなど、再選を目指す現職の大統領としては意外なほどの苦戦を強いられている。なぜ、オバマのアメリカは4年間でここまで支持を失ったのか。
 1960年以来アメリカの大統領選挙を取材してきたジャーナリストの松尾文夫氏は、投票日直前にハリケーン「サンディ」がアメリカ東海岸に大きな被害を及ぼしたことで連邦政府の支援の必要性が高まり、結果的にそれがオバマに有利に働くだろうとの理由 で、オバマの勝利を予想する。しかし、もしハリケーンが来なければ、選挙はどちらに転んでもおかしくはなかったという。実際に、最初の討論会で躓いたオバマの再選が、危ういところまで追い詰められていたことはまちがいないようだ。
 たった一つの台風で選挙結果が左右されるのかと思われる向きもあろうが、実は「サンディ」による台風被害とその復興支援における連邦政府への期待は、今回の大統領選挙の争点そのものでもあった。それは「連邦政府の役割とは何か」(松尾氏)という、アメリカが建国以来繰り返し自問自答してきた、アメリカにとっては国の本質を問う論点に他ならなかった。
 08年9月のリーマンショック直後の09年1月に大統領に就任したオバマは、グリーンニューディールなどの公共事業を含む8000億ドルにも及ぶ大型景気対策、破綻したゼネラルモーターズの国有化、サブプライム危機を生んだ野放図な金融取引を規制する金融制度改革、そして4000万人を超える無保険者を救済するための医療保険改革など、いずれも連邦政府の介入による経済立て直し政策を矢継ぎ早に実施した。それぞれの中身の評価はともかく、常識的に考えればこれらはいずれもリーマンショック直後のアメリカには必要不可欠な政策で、オバマ政権にはそれが自分たちが期待された役割であるとの確信もあった。特に国民皆保険を目指した医療保険改革は、歴代の民主党政権が挑戦しながらいずれも挫折してきた大改革であり、オバマの名を歴史に残すと言っていいほどの大きな功績だった。
 ところが、この「オバマ政権の功績」そのものが、オバマ不人気の原因となったというのだから、世の中難しい。1980年のレーガン政権以来、アメリカは基本的に「小さな政府」路線の下で、規制を減らし、政府の介入を控え、市場原理に委ねる政策を実施してきた。その結果、イノベーションや生産性の大幅な向上があったとされる一方で、社会には大きな格差や歪みが生まれていた。そのような大きな所得格差を抱えるアメリカで低所得層や社会の低層を救済するためには、政府は従来の非介入路線を変更し、ある程度規制を強化したり、政府が市場に介入する必要がある。こうしたオバマ政権の政策は「大きな政府」路線への転換と受け止められ、連邦政府の膨脹に対する警戒心が強い保守層を中心に、オバマに対する反発が強まった。特に医療保険改革(ヘルスケア・フォーム)は「オバマ・ケア」と呼ばれ揶揄の対象となった。オバマ政権の功績そのものが、オバマ不人気の原因となった背景にはそのような経緯があった。
 松尾氏は、アメリカには独立以来の根強い連邦政府不信が根付いているという。元々イギリス政府の圧政から独立するために多大な犠牲を払って独立戦争を戦ったアメリカは、その経験から連邦政府というものを根っから信用していないのだという。実際、共和党のロムニー氏はマサチューセッツ州知事時代に、オバマケアとほとんど同じような医療保険改革を州レベルで実現しているが、これは高く評価されているそうだ。連邦政府がやると批判を受け、同じことを州政府がやれば評価される。それがアメリカなのだと松尾氏は言う。
 今回の大統領選挙はアフリカ系アメリカ人のオバマとモルモン教徒のロムニーという、アメリカの非主流派同志の戦いという色彩も持つ。このことについて、松尾氏は「モルモンはアメリカでは既に社会に受け入れられていると思うが、黒人差別は依然として根強い。黒人のオバマが再選されることの意味は大きいだろう」と語る。
 最後に松尾氏は、この大統領選挙では日本のあり方も問われているとの見方を示す。松尾氏は今回の大統領選挙では、3度の討論会を含め、日本の名前があがることが一度もなかったことを指摘した上で、アメリカの中で日本の存在がいよいよ見えないものになっているとの懸念を示す。そして、「それは日本ができることを何もやっていないからだ。」と、対中、対露、対韓関係など戦後日本がアメリカにお任せしたまま棚上げしてきたさまざまな問題を今こそ日本のイニシャチブで解決に取り組むべきであり、そこに向かうことで初めて、日本の存在が改めて再認識されると主張する。
 今回で取材した大統領選挙が14回目となるというアメリカ政治専門家の松尾氏と、この大統領選挙がアメリカとそして日本に何を問うているかを議論した。  

東京新聞が反原発路線を突っ走れる理由

(第604回 収録日2005年5月6日 PAR2012年11月10日 PART1:54分 PART2:37分)
ゲスト:田原 牧氏(東京新聞特別報道部記者)

 

 3・11の原発事故以前から、主要メディアの原発関連の報道には問題が多かった。
 そして、事故の後、われわれは新聞やテレビなどのマスメディアが、原発に関する重要な情報をほとんど報じていなかったことを知る。それは原発の安全性の問題にとどまらず、動く見込みのないまま莫大な税金が注ぎ込まれてきた核燃料サイクル事業や使用済み核燃料の最終処分の問題、総括原価方式を始めとする不公正な競争市場の問題、電気事業者だけで年間1000億円を超える広告費を電気料金につけ回していた問題等々、あげ始めたらきりながないほどだ。
 さすがにあの事故で多少はそれもあらたまるかと思いきや、喉元過ぎれば何とやらなのだろうか、最近ではマスメディア上にはあたかもあの事故が無かったかのような報道が目に付くような気がしてならない。相変わらず「原発ゼロだと電気代が2倍に」などといった詐欺師まがいの脅し文句が見出しに踊ったかと思えば、原発再稼働に際しても、最終的には「再稼働やむなし」の立場からの報道が目立った。本来はあの事故の最大の成果でなければならない原子力規制委員会の不当な設立過程についても、マスメディアの追求はなぜが至って及び腰だ。
 しかし、そうした中にあって、明らかに群を抜いて原発の問題点を厳しく追及し続けている新聞が一紙だけある。それが東京新聞だ。
 最近の見出しだけを見ても、「原子力ムラ支配復活」、「ムラ人事変更なし」、「矛盾だらけ見切り発車」、など、一見反原発市民団体の機関誌と見まがうほど、こと原発については反原発の立場を鮮明に打ち出している。
 東京新聞は中日新聞社が発行する東京のローカル紙で、発行部数も55万部前後と、全国紙に比べればその規模ははるかに小さい。しかし、それでも日本新聞協会に加盟し、記者クラブにも籍を置く、れっきとした「記者クラブメディア」であることには変わりがない。にもかかわらず、なぜ東京新聞だけが反原発路線を突っ走ることが可能なのか。
 同紙の反原発報道の主戦場となっている「こちら特報部」面を担当する特報部デスクの田原牧氏は、東京新聞は本来はどちらかというと「保守的な会社」だが、保守的だからこそ、あのような悲惨な事故の後は、原発問題について批判的な記事を書くことが必要と考えているとして、「世の中が右に行っているのだから真ん中にいる者は左翼といわれる。ある種のそういう感覚を大切にしている会社だ」と語る。要するに、自分たちは特に変わった報道をしているという認識は持っていないが、当たり前のことを普通に報道するだけで、たまたま今の日本では突出した存在になってしまっていると言うのだ。
 また、田原氏によると、東京新聞はもともと3・11の事故以前から、原発問題をタブー視せずに、原発の問題点も積極的に伝えてきたという。事故後の報道もその路線を続けているだけで、何ら特別なことではないというのが田原氏の説明だ。
 しかし、それではなぜ他紙にはそれができないのだろうか。他にも何か秘訣があるに違いない。
 田原氏は「強いて言うならば」と前置きをした上で、東京新聞が持つ「批判精神のDNA」と、主に花柳界のニュースを報じていた前身の都(みやこ)新聞時代から引き継がれてきた、「現場に任せられる緩さ」ではないかと言う。
 「右とか左とかと言うよりは批判精神が働くか働かないか。われわれは原子力ムラに対しても左翼に対しても批判的だと思う。そしてその判断が現場に任されていることではないか」と田原氏は語る。
 そんな田原氏も、昨今メディアに頻発している不祥事や誤報、盗用事件に対する見方は厳しい。いろいろな背景が指摘されているが、田原氏はそれらの事件に一貫して共通することは「基礎的な取材力が落ちていること」と「リスクの伴う取材をしなくなっていること」をあげる。被疑者の写真を取り間違えたりiPS細胞をめぐるあり得ないような虚言にまんまと乗せられてしまったケースなどは、いずれも当然できていなければならない基礎的な取材が全くできていなかったことを示している。個々の記者の基礎的取材力も低下しているし、社も記者に相手の懐に飛び込むようなリスクを伴う取材を認めなくなっていることが、メディア全体の質の低下を招いていると田原氏は語る。
 主要紙の中でただ一つ反原発路線でひた走る東京新聞の田原氏と、昨今のメディア報道について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

検事が事件をでっちあげてしまう本当の事情

(第605回 放送日 2012年11月17日  PART1:78分 PART1:44分)
ゲスト:市川 寛氏(元検事・弁護士)

 

 警察、検察の失態が後を絶たない。見込み捜査に自白の強要、長時間に渡る取り調べと調書のねつ造、あげくの果てには証拠の改ざんに誤認逮捕等々。これらはいずれも、これまでわれわれが警察や検察に抱いていた正義や実直さといったイメージとはかけ離れたような出来事ばかりだ。そしてそのなれの果てが、布川事件から東電OL殺人事件にいたる一連のえん罪だった。
 警察、検察はいったいどうなっているのか。
 検事による証拠改ざん事件など一連の不祥事を受けて、検察庁は取り調べの可視化や専門委員会での研究調査などを盛り込んだ改革に取り組んでいるとされている。
 しかし、改革はお世辞にも進展しているとは言えない。また、証拠改ざん事件でも、特定の個人に詰め腹を切らせることで幕引きを図った印象が強く、腐敗した構造は依然として温存されたままに見える。
 元検事の市川寛氏は、その刑事司法の構造的な問題を自ら体現し、また自らその責めを背負った人物と言っていいだろう。佐賀市農協背任事件の主任検事を務めた市川氏は、まったく中身のない事件であることを知りながら、検察の独自捜査に失敗は許されないという重圧から、取り調べで被疑者に対して「ぶっ殺す」などの暴言を吐き、拷問のような高圧的な取り調べを長時間続けることで、否認する高齢の農協組合長を無理矢理自白に追い込んだ経験を持つ。そして、後に裁判で被疑者の自白の任意性を証明する検察側の証人として法廷に立った市川氏は、検事の身分のまま、違法な取り調べを行った事実を証言したのだった。
 市川氏自身は自白をとるためには手段を選ばないことが求められる検察の世界にあっては、自分は検事失格だと語る。また、法廷でそれを認めることで、その重圧に耐えて職務を全うしている同僚の検事たちを裏切ってしまったとの思いもあるという。しかし、一般の感覚では、事件をでっち上げる過程で市川氏が苦しんだ葛藤と、逡巡の末に法廷でそれを認める行動の方が、遙かに正常に見える。検事という仕事はいつから正常な感覚を持った人間には務まらない職業になってしまったのだろうか。
 現在は検事を退官し、弁護士として活動する市川氏は、自らの検事としての体験を元に、刑事司法の実態と問題点、そしてなぜ検察が調書をでっち上げてまで無理矢理事件を立件しなければならないかについて、検察側の内部事情を赤裸々に語る。その実態は、これまでわれわれが検察に対して抱いていたイメージを根底から覆すものだった。
 現在は弁護士活動のかたわら、自責の念を込めて刑事司法の問題点を研究していると語る市川氏とともに、社会学者の宮台真司とジャーナリストの神保哲生が日本の刑事司法制度が抱える問題の本質とその処方箋を議論した。  

日本病の治し方

(第606回 放送日 2012年11月24日 PART1:87分 PART2:30分)
ゲスト:古賀 茂明氏(大阪府市統合本部特別顧問)

 

 少し前の話になるが、イギリスの高級誌『エコノミスト』(2008年2月21日号)が「JAPAIN」と題する巻頭特集を組んだことがあった。Japan(日本)とpain(苦痛)を掛け合わせた言葉だったが、それ以来「英国病」ならぬ「日本病」の存在は世界にも広く知れ渡ることとなった。
 外国メディアの指摘を待つまでもなく、日本は先進国でも最も早く少子高齢化に直面した。その中で、経済は20年あまり停滞を続けたまま構造改革は進まず、社会も格差や高い自殺率などに喘ぎながら、政治は相も変わらぬ内向きな足の引っ張り合いを続けて無策ぶりを露呈している。結果的に、社会の隅々にまでさまざまな問題が波及し、人心の荒廃も進んでいるように見える。
 問題の中身も所在もわかっている。多くの処方箋も提示されている。にもかかわらず、おのおのが目先の利益や自身の保身、既得権益の護持に汲々とし、改革を実行する意思や勇気が政治にも経済にも社会にも欠如している。そのために、いつまでたっても何も変わらない。何も変わらないまま少しずつ国力は衰え、社会は劣化していく。おそらく「日本病」とはそんな状態のことを言っているのではないか。
 3年前に国民の大きな期待を背負って誕生した民主党政権は、残念ながら大きな幻滅をもって少なくとも一旦はその役割を終えた。民主党政権が機能しなかった背景には、民主党という政治集団自身が抱える問題も多分にあるだろう。しかし、それと同時に、当初民主党政権が未熟ながらも日本病の一部に手を付けようと試みたことで、その病巣が以前よりもくっきりと浮かび上がる結果となった。  日本病の病巣とは何か。経産官僚として公務員改革などに熱心に取り組み、結果的に官僚機構から排除される形となった古賀茂明氏は、国益よりも省益を優先する官僚機構と、それを制御する能力や意思を持たない政治家、そして日本病の本質を国民に正しく伝えられないメディアの劣化を指摘する。
 特に民主党政権が脱官僚なる試みを行ったために、日本の統治機構内における官僚の専横ぶりが自民党政権時と比べてより鮮明に見えてきた。民主党の脱官僚は準備不足、実力不足、覚悟不足の3点セットで無残にも打ち砕かれたが、例えば、福島原発事故後の東京電力の処理を見ても、より国民負担が軽くなる破綻処理が当然為されなければならないところを、結局東電を税金で存続させる結果となった。政治家は官僚や電力業界から「東電を破綻させたら電力供給が止まる」、「金融・債券市場への影響が大きすぎる」、「被害者への補償が不可能になる」といった説明で脅され、メディアは「東電を破綻させないことのコスト」を正しく報じないため、結果的に税金で東電を救済するという「究極のモラルハザード」(古賀氏)が、衆人環視の下で平然と行われてしまった。
 その多くが東大法学部を卒業し難関の公務員上級試験で優秀な成績を修めたはずのエリート官僚だ。彼らが、なぜ日本病を治療できないばかりか、むしろ自分たち自身がその病原体となってしまうのか。政治はなぜこれを正すことができないのか。国民はこの問題にどう関われるのか。退官した今、官僚機構の外からさまざまな改革提言を行う古賀氏とともに、社会学者の宮台真司とジャーナリストの神保哲生が日本病の治し方を考えた。 

何が日本の「原発ゼロ」を阻んでいるのか

(第607回 放送日 2012年09月22日  PART1:70分 PART2:38分)
ゲスト:金子 勝氏 (慶應義塾大学経済学部教授)、武田 徹氏 (ジャーナリスト)

 

 わずか1週間前の9月14日、政府のエネルギー・環境会議は、2030年代の原発ゼロを目標とする明確な政策方針「革新的エネルギー・環境戦略」を決定し、福島第一原発の大事故から1年半を経て、ようやく日本が原発にゼロに向けて動き出すかに見えた。
 ところがその直後から、方々で綻びが見え始めた。14日に決定された「革新的エネルギー・環境戦略」は18日の閣議決定を経て正式な政府方針となる予定だったが、閣議決定は回避された。また、戦略に謳われていた原発の新説・増設を認めない方針についても、枝野経産大臣が建設中の原発についてはこれを容認する方針を表明するなど、原発ゼロを目指すとした政府の本気度が1週間にして怪しくなってきている。
 それにしても、たかが一つの発電方法に過ぎない原発をやめることが、なぜそんなに難しいのか。
 原子力委員会の新大綱策定会議の委員などを務める慶応大学の金子勝経済学部教授は、経済学者の立場から脱原発問題の本質が電力会社の経営問題にあると指摘する。今日、日本にとって原発は1990年代に問題となった金融機関の不良債権と同じような意味合いを持つと金子氏は言う。よしんば原発事故が再び起きなかった起かなかったとしても不良債権は速やかに処理しなければ膨らみ続ける。最終的にそれは国民が税金や電気代をもって負担しなければならない。しかし、今その処理を断行すれば、大半の電力会社は破綻するし、同時にこれまで「原発利権」の形で隠されていた膨大な原発不良債権が表面に出てくる。原発利権や電力利権が日本のエスタブリッシュメントの間にも広く浸透しているため、政府が原発をゼロする方針、つまり不良債権を処理する方針を打ち出した瞬間に、経済界や官界では、そんなことをされてはたまらないと、蜂の巣を突いたような大騒ぎになってしまったというのだ。
 一方、原発をめぐる二項対立の構図を避けるべきと主張してきたジャーナリストの武田徹氏は今回、政府案が切り崩された一因と取りざたされるアメリカ政府の意向について、アメリカは日本が核兵器の保有が可能な状況を作ることで、それを押さえ込めるのはアメリカしかいないという立場を得ることで、アジアの政治的な影響力を保持しようとしているとの説を紹介する。日本が原発をやめ、核燃料サイクルを停止すれば、核兵器に転用するくらいしか価値のない大量のプルトニウムを保有することになってしまう。そのような安全保障にも深く関わる政策転換となると、日本の官界、財界にはアメリカの意向を代弁する人が大量に出てくるのがこれまでの日本の常だった。どうやら今回もご多聞に漏れずそのような事態が起きているようだ。
 世論調査やパブリックコメント等で明らかになった大多数の国民の脱原発への思いと、政府のエネルギー政策の間に大きな乖離があるように感じてしまう背景には、日本の中枢が電力・原発・アメリカといった高度経済成長や冷戦下の論理から抜けだせないでいることが無関係ではないようだ。
 しかし、そんなことを言っていては、日本はこれまでも、そしてこれからも、何の政策転換もできない。そもそも日本が民主主義国と言えるのかさえ疑わしくなってくるではないか。
 政府の原発ゼロはなぜ切り崩されているのか。誰がそれを切り崩しているのか。その切り崩しは誰のためなのか。民意を正しく政治に反映させるために、我々に何ができるのか。金子氏、武田氏をゲストに迎え、長期出張より帰国直後の社会学者の宮台真司とジャーナリストの神保哲生が議論した。 

日銀は日本をデフレから救えるのか

(第608回 放送日 2012年12月08日  PART1:67分 PART2:32分)
ゲスト:北野 一氏(J.P.モルガン証券チーフストラテジスト)

 

 「我が党は3%を目指す。」
 「うちは2%が目標だ。」
 「いや、うちは1%が適正水準だと考える。」  総選挙まで残すところ1週間あまりとなったが、11月30日の主要11政党の党首による討論会では、原発、消費増税の是非などとともに、「インフレターゲット」と呼ばれる政策が論争のテーマとなっていた。
インフレターゲット(通称インタゲ)とは経済政策の一種で、一定の物価上昇(インフレ)率を目標(ターゲット)に据えた上で、その目標を達成するまで中央銀行が金利を下げるなどして金融を緩和するというもの。日銀がインフレターゲット政策を採用すれば、日本経済は今日のデフレ状態から抜け出すことができるとして、自民党やみんなの党などが今回の選挙で公約に掲げたことで注目されるようになった。専門性が高い金融政策が総選挙の一つの争点になるのは、おそらくこれが初めてのことだろう。
  確かに、金利を操作することで物価を安定させるという日銀の中央銀行本来の機能は、ゼロ金利が常態化した今、効力を失っている。それでもインタゲ派は日本がデフレから脱却できないのは日銀が十分な資金を供給していないからだとして、これ以上金利を下げられないのなら、国債を買うなどしてもっと市場に資金を供給せよと、日銀に対して一層の金融緩和を求めている。そこには日銀が資金を供給し続けていけば、いずれ必ず目標とするインフレターゲットに到達することが可能になり、日本はデフレから抜け出すことができるとの前提がある。  普段はあまり注目されない金融政策が選挙の争点になること自体は悪いことではない。しかし、インタゲ派の批判の矛先が、安易なインフレターゲットを受け入れようとしない日銀叩きに向かっている点は、やや注意が必要だ。特に自民党やみんなの党は、政府の言うことを聞こうとしない日銀総裁の人事への介入を示唆したり、日銀の独立性を担保している日銀法の改正にまで言及し始めている。中央銀行が政治にコントロールされ、金融政策が政治権力の具となることが必ずしも好ましい結果を生まないことは、多くの歴史が証明している。
 それに、そもそも日本がデフレから抜け出せないのは、本当に日銀のせいなのだろうか。かつて、日銀が市場に資金を供給すれば物価は上がり、経済を安定的な成長軌道に乗せることができた時代はあった。しかし、今や日銀は当時の3倍もの資金を市場に供給している。にもかかわらず、モノの値段は下がり続け、我々の暮らしぶりは悪くなる一方だ。単に資金供給量を増やすだけで、この問題が本当に解決に向かうのか。
 JPモルガン証券チーフストラテジストの北野一氏は、日銀は既に相当の資金供給を行っており、これ以上金融緩和をして市中に資金を供給しても、それだけでは物価上昇にはつながらない可能性が高いと主張する。実際にデータを見ても、量的緩和の初期には物価上昇に一定の効果が見られたが、ある段階からどんなに資金供給量を増やしても、ほとんど物価があがらなくなっていると北野氏は指摘する。どうも、日銀デフレ犯人説は疑ってかかる必要がありそうだ。
しかし、ではなぜ日本は相変わらずデフレから脱却できないのか。北野氏はその問題を解くカギは、民間企業の経営のあり方にあると説く。グローバル経済の下で外国人投資家を中心に、民間企業の株主たちは今日、日本経済の実力以上のリターンを求めている。株主が要求する利益は、企業にとっては実質的には金利と同じ効果を持つ。金融機関から調達する資金の金利がどんなに下がっても、株主が求める利益が大きければ、企業は実質的に高い金利を払わされているのと同じ状態となる。
  例えば、アメリカではROE(Return on Equity=株主資本利益率)は平均8%程度なので、日本の株式市場の3分の2を占める外国人株主たちも、当然のことのように日本の企業から8%のリターンを期待する。しかし、本来の実力以上の利益を捻り出すためにその企業は、人件費や設備投資などの支出を必要以上にカットしなければならない。その結果、従業員の給料はあがらず、物も売れない状態が続く。デフレである。
  民間部門が益出しのために固く財布の紐を締めているところに、日銀がどんなにジャブジャブと資金を供給しても、それが有効な投資に回ることはない。日本がデフレから逃れるためには、日銀や公共事業などの公的セクターばかりに注目せずに、全国内需要の75%を占める民間セクターにもっと注目するべきだと、北野氏は言う。政府や日銀に「無い物ねだり」をするのではなく、民間で「ある物探し」をした方が建設的なのではないかというのが、北野氏の問題解決に向けた提案ということになる。
  哲学者の萱野稔人と社会学者の宮台真司が、デフレの真の原因と日銀犯人説の真偽、そしてその処方箋を北野氏と議論した。 

最高裁判所がおかしい

(第609回 放送日 2012年12月14日 PART1:64分 PART2:42分)
ゲスト:山田 隆司氏(創価大学法学部准教授)

 

 来る16日の総選挙で各政党は国民に信を問うべく様々な政策を掲げている。しかし、もしかするとこの選挙で問われるもっとも大きな「信」は別のところにあるかもしれない。
それは最高裁に対する「信」だ。単に最高裁判所裁判官の国民審査のことを言っているのではない。実は「違憲状態」のまま行われているこの選挙は、最高裁によって果たしてそれが有効と判断されるかどうかが問われる選挙でもあるのだ。
  最高裁は去年3月、前回2009年の総選挙で生じた2.30倍の「一票の格差」が、有権者の権利を侵害しているとして、具体的な選挙制度の不備を指摘した上で、それが「違憲状態」にあることを認めた。「違憲状態」とはまだ合憲ではあるが、このままでは違憲になるという意味だという。15人の全裁判官が臨んだ大法廷で、13人が「違憲状態」、2人が明確な「違憲」の判断を下していた。そして、野田政権はそのままの状態で、もう一度選挙を行う選択を下した。最高裁に対する明白な挑戦と考えていいだろう。
  野田政権が断行した総選挙に対して弁護士グループから差し止め請求がおこなわれたが、最高裁は選挙を差し止める権限を認める法律が存在しないことを理由にこの請求を退けた。しかし、選挙後に日本中で提起されることが予想される選挙の無効訴訟に対しては、最高裁は自らが下した「違憲状態」の真価を問われることが避けられない。
  元読売新聞記者で現在創価大学の准教授を務める法学者の山田隆司氏は、これまで最高裁はできる限り「違憲判決」については消極的な姿勢を貫いてきたと言う。結果的に過去64年間で最高裁が明確に違憲と判断した事件はわずか8件にとどまっている。これは、三権分立の下で司法は、国民に選挙で選ばれた立法府の行為を否定することに極力謙抑的であるべきであるという、消極司法の考え方がその底流にあるという。しかし、その消極司法の結果、政治は度重なる「違憲状態」の判決にもかかわらず、一票の格差を抜本的に解消しようとしなかった。それを解消することで、自分の議席が脅かされる議員が多いためだ。
  今度ばかりは最高裁は伝家の宝刀を抜くのか。山田氏は国民がどれほどこの問題に関心を寄せるかにカギがあるという。日本では伝統的に司法と国民の間に距離があり、われわれの多くが裁判所のあり方に十分な関心を払ってこなかったのも事実だろう。しかし、自ら「違憲状態」を宣言し、具体的に各都道府県1議席の事前割当が問題であることを指摘する判決を出しながら、それが全く是正されないままおこなわれた選挙を、果たして最高裁は「合憲」と判断できるのか。そのことで最高裁の権威は決定的に傷がつくのではないか。
その意味で、今回の選挙でもっとも重い信を問われているのは他でもない、最高裁なのだ。
これまでわれわれ国民やメディアが監視を怠ってきたために、最高裁を頂点とする日本の司法制度は制度的にも数々の問題を抱えているようだ。15人しかいない最高裁の判事が年間に処理する訴訟の数は1万1千件を超える。平均すると一人当たり800件弱、実際は3つの小法廷にそれを割り振っているため、一人の最高裁判事が年間4000件近くの判決に関与していることになるのだ。年間200日、1日8時間働いたとして、一つの事件に30分も割けない計算になる。これでは判決文はおろか、下級審の判決を読むこともできないではないか。
  当然の帰結として、実際の判決は最高裁判所調査官と呼ばれる司法官僚が牛耳ることになる。また、裁判所は人事も予算も最高裁事務総局と呼ばれるこれまで司法官僚からなる部局に握られている。現行の制度の下で、各裁判所の裁判官は自らの良心にのみ従って独自に判断を下せるようになっているのか。裁判所は法的には情報公開義務もないため、実態がどうなっているのかも外部からはまったくうかがい知ることができないのだ。
  裁判所は法の番人であり、人権の最後の砦でもある。裁判所が機能しなければ、民主主義が正常に機能するはずがない。最高裁をはじめとする日本の裁判所は今どのような問題を抱えているのか。それを解決に向けるためには、われわれ一人一人は何ができるのか。「裁判所に変化の兆しが見える」と語る山田氏と、最高裁判所のいまとこれからについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。 

われわれが選んだもの、選ばなかったもの

(第610回 放送日 2012年12月22日  PART1:74分 PART2:27分)
ゲスト:小林 良彰氏(慶応大学法学部客員教授)

 

 確かに自民党はどの党よりも多くの票を得た。そして有権者は明確に民主党にはノーを突きつけた。
 しかし、それにしても約300議席である。今回の衆院選において小選挙区で43%、比例区で27%の票を得た自民党が、小選挙区で議席率79%にあたる237議席を、比例区と合わせて全体の61%にあたる294議席を獲得した。今回の選挙で自民党が比例区で得た1662万票は、惨敗した前回の衆院選での1881万票よりも約220万票も少なかったにもかかわらずだ。
これを自民党との選挙協力でボーナスポイントがついた公明党と合わせると、小選挙区では44%の得票に対して82%の議席が、比例では39%の得票に対して44%の議席が割り当てられ、全体では67.81%の議席を自公で獲得している。自公合わせて4割前後の得票だったのに対し、議席は衆院の3分の2を超えて まった。
 選挙制度に詳しい計量政治学者の小林良彰慶応大学客員教授は、今回の選挙は民主党に対する「失望投票」だったと分析した上で、しかし同時に、現行の選挙制度の欠陥が顕著に議席配分に反映された選挙だったと指摘する。
もともと小選挙区は、民意が劇的に反映される特徴を持っている。そして、小選挙区制は2大政党制を生み出すとの仮説を元に、50.1%対49.9%でも勝った方に一議席のみが与えられるため、最大で49.99%の死票が出ることは覚悟しなければならないと説明されていた。ところが政治の世界は二大政党制に向かわないばかりか、今回は12もの政党が乱立しての選挙となった。結果的に3割程度の得票でも当選する人が続出した。これはその選挙区では7割が死票となったことになる。投票率を考慮に入れると、選挙区有権者の2割足らずの支持で当選した議員がいる計算になる。
 そうした背景を知ってか知らずか、獲得議席数だけを見れば地滑り的勝利にもかかわらず、自民党の安倍総裁は「自民党が積極的に支持されたわけではない」と繰り返し述べるなどして、党内を戒めている。獲得議席数だけを見て浮かれていると、民主党の二の舞になると言わんばかりだ。
 しかし、それにしても死票が7割も出る制度が正当化できるはずがない。小林氏は6回やっても二大政党制にならないのだから、そろそろその幻想は捨てて、新たな選挙制度を模索すべきだとして、具体的には「定数自動決定式比例代表制」なる新たな選挙制度を提案している。
 また、今回の選挙では、歴史に残る大きな原発事故後の最初の選挙であったにもかかわらず、原発が大きな争点にはならなかった。小林氏は脱原発を望む人の数が過半数を超えていたとしても、有権者の関心がより直近の課題である景気や雇用問題に向いていたために、今回の選挙では原発政策は投票行動を左右する決定的な要因にはならなかったと分析する。それは被災した東北地方や福島を含む原発立地 において、自民党が万遍なく得票を伸ばしたことを見ても明らかだ。
  今回の投票行動を地域別、年齢別、ジェンダー別などで分析した小林良彰氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司がこの選挙の持つ意味を議論した。

vol.59(591~600回収録)

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ベーシック・インカムは社会保障政策の切り札となり得るか

(第591回 放送日 2012年08月11日  PART1:46分 PART2:1時間24分)
ゲスト:山森 亮氏(同志社大学経済学部教授)

 

 子どもひとりにつき無条件で2万6000円を支給するという子ども手当は、政権交代時の民主党の目玉政策の一つだったが、所得制限がないとの理由から世論や自民党の反発を受け、最終的には大幅な減額を余儀なくされた。なぜかわれわれ日本人の多くは、富裕層も含めた無条件の給付というものに抵抗があるようだ。
 しかし、子どものみならず、すべての人に最低限以上の生活を送るために必要な金額を政府が無条件で現金給付する「ベーシック・インカム」政策が、静かな注目を集めている。日本語では基礎所得保障や国民配当などと訳されることが多い。
 とにかく赤ちゃんから老人まですべての人に生まれてから死ぬまで一生涯、無条件で毎月の生活費が支給される。もちろん生活保護のように所得制限や条件もないため、所得調査のような行政の手間もかからない。低所得も高所得でも同じ金額をもらうので、生活保護で指摘されるスティグマ(恥辱感)の問題もない。
 そんなうまい話があろうはずはないと思われる向きもあろうが、実は大阪維新の会が先月5日に公表した維新八策に、このベーシック・インカムという文言が現実の政策として盛り込まれている。加えて、みんなの党や田中康夫氏の新党日本、環境政党「みどりの未来」といった政党はマニフェストでその導入を謳っているのだ。
 折しも8月10日、野田政権は自民、公明などの協力を得て消費税の増税法案を成立させたが、この番組でも繰り返し指摘してきたように、財政再建は重要な課題だとしても日本には格差問題というもう一つ深刻な構造問題があり、逆進性を持つ消費増税ではその問題が解決できないばかりか、むしろ問題を更に深刻化する恐れがある。なぜならば、日本では所得の再分配が十分に機能していないからだ。
 所得の再分配を進めるためには、日本が過去20年間減税を繰り返してきた所得税や法人税、相続税などの見直しが必要となるが、消費税法案でもあれだけ国会で揉みくちゃになったのを見ても明らかなように、今の日本の政治にそのような大幅な税制の改正をする政治力や安定力は当分見込めない。
 そこで今あらためて、ベーシック・インカムに注目が集まっているのだという。
 昨今の生活保護不正受給騒動でも指摘されたように、現行の生活保護政策では本当に所得の補助を必要としている貧困世帯をほとんどカバーできていない。生活保護有資格者の約8割が、恥辱感などを理由に給付を受けていないとの推計もある。現行の生活保護制度の欠陥を埋める意味でベーシック・インカムは貧困や格差、孤独死といった問題の解決には有効かもしれない。しかし、果たしてそれは実現可能な政策なのか。
 ベーシック・インカムに詳しい同志社大学経済学部山森亮教授は、ベーシック・インカムだけですべての問題が解決されるわけではないが、現行の社会保障制度が抱える多くの問題に対して有効とみる。ベーシック・インカム制度が導入されれば、貧困は減り、その影響で犯罪も減るだろう。働かなくても最低限の生活は保障されるため、劣悪な環境の下での労働も改善されるはずだ。無理にいやな仕事に就く必要がなくなるため、ある程度報酬を度外視しても、自分のやりたい仕事を選ぶことができるようになる可能性もある。
 その一方で、どれだけ他の所得があってもベーシックインカムは同額が支給されるので、生活保護や失業保険などで指摘される労働意欲の阻害問題は起きにくい、毎月それだけの現金が市中に回ることで、一定の経済効果も期待できるという。
 また、ベーシックインカムが国民全員に無条件の一律給付であるため、行政コストの削減や行政の裁量の余地を減らすなどの効果も期待できる。再分配論を主張する社民主義のみならず、生活保護の恥辱感やただ乗り問題を嫌う新自由主義者、一切の政府の介入を嫌うリバタリアンの中にもベーシックインカム支持者が広く存在するのはそのためだ。
 とは言え、働かなくても最低限の生活は保障されるため、ベーシックインカムは「働かざる者食うべからず」の考え方とは相容れない。他に所得を得ても給付は減らないから、どうしても働こうという意欲は弱まるだろう。
 また、山森氏が強調するように、ベーシックインカムだけですべての問題が解決されるわけではない。ベーシックインカムの導入に当たっては、様々な社会政策を制度設計しなおす必要があり、政治的にも社会的にも、今の日本にそこまで踏み込んだ改革ができるかは大いに疑問が残る。
 また、当然のことながら、財源問題もある。仮に国民ひとり当たり無条件で毎月8万円を支給した場合、年間約120兆円が必要になる。ベーシックインカムの導入に伴い生活保護費や年金などの不要になる社会保障費分を差し引いても、新たに50兆~60兆は必要だ。日本はもともと租税と社会保障を合わせた国民負担率が低いため、この分を上乗せしてもドイツやフランス並みの負担率に過ぎないとの試算もある。必ずしも全く非現実的な数字とは言えない面はあるが、5兆円あまりの子ども手当の負担すら拒絶した今の日本で、このような追加負担は難しいかもしれない。また、毎月8万円で最低限の生活を保障できるかについても疑問は残る。そもそもベーシックインカムが導入された時、現在の経済規模が維持できるかどうかも疑わしい。
 しかし、かといって今日日本が抱える様々な問題に対して、これといって有効な手立てがないことも事実。これだけすったもんだの末に通した消費増税も、長くて5年、短ければも2年程度でその効果は消えてしまうとの指摘もある。数年後には新たな施策が必要になることは必定な状態だ。
 これまで多くの国で議論はされながら、まだ世界に実例を見ないベーシック・インカムは、日本の社会保障制度改革の切り札となり得るのか。実現の可能性はあるのか。実現する上でどのような障害があるのか。ベーシック・インカム批判論者として知られる哲学者の萱野稔人と社会学者の宮台真司が山森氏と議論した。     

ACTAの次はTPP ここまできている「ネットの自由」をめぐる攻防

(第592回 放送日 2012年08月18日  PART1:1時間25分 PART2:1時間12分)
ゲスト:福井 健策氏(弁護士・ニューヨーク州弁護士)

 

 ロンドン五輪で日本人選手の健闘に国中が沸き上がるさなかの8月3日、国会の参院ではACTA(Anti-Counterfeiting Trade Agreement=「偽造品の取引の防止に関する協定」)と呼ばれる国際条約の批准法案が、ほとんど審議もないまま、賛成217、反対9の大差で、静かに可決されていた。翌日の報道も新聞はせいぜいベタ記事扱い、テレビではそのようなことがあったという事実すらほとんど報じられることがなかった。衆院が可決すれば日本は世界で最初のACTA批准国となる。
 日本とは対照的に、これに先立つ7月4日、欧州議会はこの条約を478対39の大差で否決していた。欧州では今年に入って各地で大規模な抗議デモが起きていたことに加え、ACTAに反対する250万人の署名がEU議会に提出されるなど、ACTAは欧州全体を揺るがすほどの大問題となっていた。
 一方、ACTAに積極的なアメリカでは、ネットの自由に敏感な市民の反対が根強いと見たオバマ政権が、「これは条約ではなく協定なので議会の批准は必要ない」などという特異な見解を示し、法的手続きを無視してまで無理矢理ACTAの実現を図ろうしている。
 日本が五輪のドサクサに紛れて国会を通し、市民からの大反対を受けたEUがこれを否決し、民主的プロセスをすっ飛ばしてまでアメリカが実現しようとしているACTAとは一体何なのか。
 ACTAとは著作権や商標権の侵害に対処するための国際的な枠組みや協力関係の構築を目的とした国際協定のことで、2005年のグレンイーグルズ・サミットで当時の小泉首相が提唱したことに端を発する。既に日、米、豪など9ヶ国が署名を済ませ、それぞれ議会の批准を待つ。6ヶ国が批准をすれば発効することになる。
 ACTAは基本的には模造品や偽造品を取り締まる国際的な仕組みを作ろうというものだが、ネット上の海賊版や著作権侵害もその対象に含まれることから、当初から人権団体やネットユーザーたちの間ではインターネット上の言論の自由を縛る危険性が懸念されていた。実際、ウィキリークスによって公表された当初の条文案にはユーザーのネット回線を強制的に切断する権限をプロバイダーに与える案や、国境警察によるパソコンやiPod内のファイル検閲を認めるものなど、プライバシーやネットの自由を無視したものが多く含まれていたという。また、著作権法違反を著作権者の告発がなくても警察が勝手に取り締まることができる非親告罪とする案や、著作権侵害の損害賠償額を飛躍的に増大させる法定賠償金制度の導入も、繰り返し議論されてきたという。
 著作権法に詳しい弁護士の福井健策氏は、表現の自由の制約に直接つながるような条文の多くが、条約の最終案からは削除されているが、依然として曖昧で難解な表現が多いほか、著作権法違反に刑事罰の導入を求めるなど、既存の著作権の枠組みやネットの自由からは一線を越える内容を多く含んでいることを指摘する。
 しかし、それにしても海外で激しい反対運動に遭遇しているACTAが、日本では大きな抵抗もなく通ってしまうのはなぜだろうか。
 福井氏は現行の日本の著作権法は既にACTAの要求を満たしているととの見方を示す。確かに、ACTAの要求の中で特にEU議会で問題になった著作権侵害に対する刑事罰の導入についても、日本は今国会の著作権法改正で違法ダウンロードに刑事罰の導入を実現している。ACTAが審議された7月31日の参院外交防衛委員会でも、玄葉外相はACTAを批准しても日本は新たな法律を制定する必要がないことを明言している。既に日本にはACTAが要求している以上に厳しい著作権法制が存在するため、「牙を抜かれた」ACTAそのものは日本にとってはもはやそれほど脅威ではないと福井氏は言うのだ。
 しかし、一難去ってまた一難。仮に今回のACTAそのものは日本にとってそれほどの脅威にはならないとしても、福井氏はACTAで削除された条文がそのままTPP(Trans-Pacific Partnership=環太平洋戦略的経済連携協定)に含まれる可能性が高いと警鐘を鳴らす。TPPこそが著作権の分野で「牙のある」国際条約になる可能性が高いというのだ。ACTAの仇をTPPで果たすと言わんばかりだが、実際にネット上ではTPPは「ACTAプラス」とも呼ばれているという。
 日本におけるこれまでのTPPの議論は農業や関税などに集中しているが、福井氏はアメリカの真の狙いは、今や自動車や農業よりも巨大な輸出産業となったコンテンツの分野でアメリカの基準を世界の基準とすることにあるとの見方を示す。日本は特許などの分野では輸出が多いが、著作権の分野では年間5600億円も貿易赤字を抱える世界最大のコンテンツ輸入大国であり貿易赤字国なのだ。
 既にアメリカはTPPの著作権分野で、著作権侵害の非親告罪化や法定賠償金の導入などを主張していることが明らかになっていると福井氏は言う。しかもTPPは著作権以外にも農業から工業、医療までありとあらゆる分野を網羅した包括的協定であるため、著作権の分野だけ抜けるということができない。もしTPPの交渉過程で著作権分野のアメリカの主張が採用されれば、既に十分強化されている日本の著作権法は、更に強化されることになる。つまりネットが今よりも制約の多い、あるいは警察によって取り締まりを受けやすい場となり、コンテンツの利用にもより大きな制約が課されることになる可能性が高いということだ。
 ACTA、そしてTPPと容赦なく立て続けに著作権保護の強化を狙うアメリカと、なぜか当たり前のようにそのアメリカの片棒を担ぐ日本。そして市民が起ち上がり、ネット規制にノーを突きつけたEU。その3つ巴の中で、着実に強化されていく日本のネット規制。著作権の保護とネットの自由は両立するものなのか。今後世界はどちらの方向に舵を切るのか。著作権法の第一人者福井氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。  

原発発祥の地の村長が脱原発に転じた理由

(第593回 放送日 2012年08月25日  PART1:90分 PART2:29分)
ゲスト:村上 達也氏(東海村村長)

 

 日本の原発発祥の地、茨城県東海村の村長が「原発は疫病神」と脱原発を声高に唱えている。日本で最も古くから原子力関連産業の恩恵を受け、村の予算の3分の1、雇用の3分の1を原子力産業から得ている東海村が、である。
 東海村の村上達也村長は、日本で唯一、脱原発を公言する原発立地自治体の長だ。政府に対して村内にある東海第二原発の廃炉を要求するほか、「脱原発をめざす首長会議」の呼びかけ人として、政府に対して脱原発政策の推進を強く求めている。
 しかし、村上氏の脱原発路線は福島第一原発の事故に始まったわけではなかった。村長就任2年が過ぎた1999年、村上氏はJCO臨界事故を経験した。2人の犠牲者と600人を超える被曝者を出すというこの事故の際、村上氏は政府や県からの命令を待たずに、原子力災害では初めて半径350m以内の住民を避難させた。中性子が飛び交う危機的な状況の前で、国や県の対応を待っていては手遅れになると判断したからだ。
 この事故以降、村上氏は原発、とりわけ原子力村のあり方に不信感を抱くようになっていったという。そして2011年3月11日の東日本大震災で、東海村の原発は間一髪で難を逃れた。震度6弱の地震により原子炉は自動停止したが、福島第一と同様に外部電源をすべて喪失し、炉心に水を送る水中ポンプ3台のうち1台が水没してしまった。2日後にようやく外部電源が復旧するまでは、いつ福島の二の舞になってもおかしくない危険な状態が続いたという。
 しかも、こうした危機的な状況は、地震から12日後の3月23日まで、村上村長へは報告されなかった。
 「報告を受けた時は東海村もあと少しで福島の二の舞になったと、背筋が凍る思いだった」と村長は当時を振り返る。村上氏が「日本には原発を保有する資格も能力もない」との結論に到達した瞬間だった。
 村上氏はJCO事故の後、原発の安全神話や監督機関の機能不全など、今となっては言い古された感のある原子力村の問題点を繰り返し指摘してきた。しかし、何ら改善されることがないまま3.11が起き、その後の政府の対応を見ても、事故への対応や情報の公開、住民の保護など政府も原子力村も何も変わっていないことが明らかになったと村上氏は言う。
 しかし、東海村の脱原発の道のりは決して平坦ではない。先述の通り、村の財政や雇用の原発依存度は高い。また、東海第一原発の廃炉作業も、使用済み核燃料の行き場がないために、廃炉作業も中断を余儀なくされている。当初予定していた18年の期間も大幅に超える見通しだという。
 村上氏は、原発に依存しない村作りを進めると同時に、村内にある原子力の研究機関で脱原発のための研究を進め、脱原発自治体の新しい成功モデルを作りたいと抱負を語る。
 原発発祥の地の長ながら脱原発の実現に奔走する村上氏に、ジャーナリストの神保哲生と哲学者の萱野稔人が東海村の今とこれからを聞いた。 

本当の世界を描くために映画を創る

(第594回 放送日 2012年09月01日  PART1:42分 PART2:41分)
ゲスト:園 子温氏(映画監督)、寺脇 研氏(映画評論家)

 

 5週目の金曜日に特別企画を無料放送でお届けする恒例の5金スペシャル。今回は映画監督の園子温監督と映画評論家の寺脇研氏をゲストに迎え、ドキュメンタリーではなく、創作だからこそ真実を描くことのできる劇映画の可能性に着目した映画特集をお送りする。
 まず取り上げたのは園子温監督の最新作『希望の国』。社会学者の宮台真司が番組中に園監督の作品について、「フィクションではあるが、ものすごい取材をベースに作られている」と表現するように、大震災をきっかけとした原子力発電所の事故によって、避難を余儀なくされた被災地の人々の姿を描いたこの作品は、園監督の現地での入念な取材に基づいて作られたものだった。例えば、予告編で描かれている原発から半径20キロ圏内と設定された境界線によって、庭が分断されてしまったというのも、実際の事例だという。「人の声を取材して、そのまま取り入れることにした」と園監督は話す。
 次に取り上げた『戦争と一人の女』(井上淳一監督)は、寺脇氏が初めてプロデュースを手掛けた作品。ちょうどこの日の対談の直前に、クランクアップしたばかりだったという。同作品では、中国から復員した一人の兵士が、戦争中に自ら行った略奪や強姦のトラウマから逃れられず、帰国してからも強姦の罪を繰り返す姿から、単純に善良ではありきれない人間の性を描く。この作品について、「何十年もかけて勉強したすべてをそこにぶちまけてやっている」と寺脇氏は話す。
 二つの作品に共通するのは、災害や戦争など大きく社会を揺るがす事象が発生したときに、報道やドキュメンタリー作品が描ききれない「下部構造」が、劇映画ならではの手法で表現されていることだ。下部構造を描くということは、例えば、原発の是非を問うという上部構造に対し、その被害を受けた人々が、実際にどのように感じていたかということを示すことだと園氏は言う。「希望の国」では、記憶力の問題を抱えながら、「帰りたい」と繰り返し願う女性が登場する。報道を通して映し出される被災地は、原発に反対する人々を中心に描かれ、他方の立場が描かれない傾向があるが、彼女のようにどちらの主張にも属さず、「まぜっかえす」存在が、単純化しきれない現実の状況をより正確に伝える。劇映画ならではの描写である。 同様に、「戦争と一人の女」も、第二次世界大戦を語る局面で避けられがちな、下部構造である「性」について、臆することなく描くことに挑戦している。
 報道やドキュメンタリーだけでは知ることのできない、本当の世界を見せてくれる2本の劇映画の魅力について、社会学者の宮台真司が園氏、寺脇氏と語り合った。 

チンパンジーが教えてくれた-希望こそ人間の証

(第595回 放送日 2012年09月08日  PART1:82分 PART1:63分)
ゲスト:松沢 哲郎氏(京都大学霊長類研究所教授)

 

 「今、目の前にあるものがすべて」のチンパンジーは決して絶望することがない。一方、脳のかなりの部分を見えないもののために使っている人間には、絶望もあるが希望もある。
 「人とは何か」という古の昔よりわれわれ人類が問い続けてきた永遠のテーマに、遺伝子上、人間に一番近いとされるチンパンジー研究の第一人者が、深い洞察に満ちた仮説を提示している。
 京都大学霊長類研究所でチンパンジーの思考や言語能力の研究を続けてきた松沢哲郎教授は、人間とチンパンジーの違いを知ることで、人間の意外な側面が見えてくると語る。人間に最も違いが人間ではないものを深く研究することで、人間ならではの特性がより鮮明に見えてくると言うのだ。
 かつて松沢氏はチンパンジー「アイ」やその子ども「アユム」の実験を通じて、チンパンジーが人間を遙かに凌ぐ記憶力を持つことを示し、世界を驚かせた。しかし、松沢氏の研究はそこにとどまらない。
 チンパンジーは人間の3分の1ほどしか脳の体積はないが、それでも「そこにあるもの」を認識し記憶する能力は人間を遙かに凌ぐと松沢氏はいう。例えば、アユムは一瞬しか表示されない7つの数字を瞬時に記憶することができる。数字を言い当てる正答率は、人間のそれよりも格段に高い。
 ではチンパンジーの3倍もの脳を持つ人間は、その脳を何に使っているのだろうか。松沢氏はチンパンジーの認知が「そこにあるもの」、つまり今、目の前で見えているものに集中しているのに対し、人間は常にそこにないものまで認知しようとしていると言う。例えば、チンパンジーの顔の輪郭だけを描いた絵をチンパンジーと人間に渡した時、チンパンジーはそれを顔の輪郭とは認識できないため、クレヨンを渡すとその輪郭をなぞる行為を繰り返す。しかし人間は、その輪郭の中に元々見えていなかった目や鼻、口といったものを当たり前のように描くことができる。
 松沢氏は、チンパンジーの認知スタイルが、目の前に見えているものがすべてと捉え、それを細かい点にいたるまで観察し記憶することに注がれているのに対し、人間は目の前にあるものの意味や背景といった「そこにはないもの」にまで注がれている点が、両者の大きな相違点ではないかとの仮説を立てる。
 松沢氏は、あるチンパンジーが病気で寝たきり状態になった時、本来は動けなくなった自分の将来を絶望し、元気がなくなるかと思っていたところ、至って陽気に振る舞い続けていたという事例を紹介する。これはチンパンジーが自分の将来を悲観するという「そこにないもの」まで思いを巡らせることがないからではないかと松沢氏は言う。
 あらゆる物事の意味や背景、他との関係性など「そこにないもの」にまで思いを馳せる能力を授かった人間は、実際には存在しないものについてもあれこれ思い悩む。だから後悔もするし絶望もする。しかし、これは人間がもう一つのそこにないものである「希望」を持つ能力を持っていることも意味するのではないかというのが、松沢氏の説だ。
 自然界で生き延びるために、今ここにあるものを鋭く見極める能力が必要だったチンパンジーと、社会で生き抜くために今そこにないものまで想像する能力を授かった人間。人間は想像するからこそ絶望もし、だからこそ希望を持つこともできる。しかし、絶望があるから希望があり、絶望のないところには希望も生まれない。そのような大切なことを、チンパンジーが教えてくれているのではないかと、松沢氏は言う。
 500万年前、チンパンジー属とヒト属に分かれてから、それぞれが独自に進化の道のりを歩み、その過程で生まれた両者の違いから改めて浮かび上がる「人間とは何か」という問い。人間について知りたいと考え哲学を専攻したものの、導かれるようにしてチンパンジー研究にたどり着いたと話す松沢哲郎氏に、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が聞いた。 

イレッサ、アスベスト判決に見られる予防原則の危機

(第596回 放送日 2012年09月15日  PART1:65分 PART2:47分)
ゲスト:鈴木 利廣氏 (弁護士・薬害肝炎全国弁護団代表)

 

 スモン訴訟、クロロキン訴訟、HIV訴訟など数々の重大な薬害を経験してきた日本は、これまで多くの犠牲を払いながら少しずつ、薬害から患者を守るための「予防原則」を積み重ねてきた。しかし、われわれの先人たちの努力が1日にして吹き飛んでしまうような致命的な判決が、今、日本の裁判所によって相次いで下されている。
 5月25日、肺がん治療薬「イレッサ」の重大な副作用の危険を知りながら適切な対応を怠ったとして、死亡した患者の遺族らが国と輸入販売元の製薬会社に対し、計7700万円の損害賠償を求めていた裁判の控訴審で、大阪高裁(渡辺安一裁判長)は、逆転原告敗訴の判決を言い渡した。
 イレッサは広告やメディア報道によって承認前から副作用が少ない「夢の薬」として大きな期待が集まり、発売直後から多くの患者に投与された。しかしイレッサには、副作用として肺の間質(肺胞壁)に炎症をきたす間質性肺炎を発症する危険性があった。裁判で原告は、国と製薬会社がこの副作用の危険性を把握していたにもかかわらず、添付文書などでその周知を怠ったと主張していた。
 実際、イレッサは販売開始された7月から10月までに、128の副作用報告、62の死亡例数があったとされている。承認直後のイレッサの添付文書には、重大な副作用欄に間質性肺炎の記載はあったが、下痢や嘔吐など4つの副作用の4番目に記されたのみで、警告欄などへの表示は無かった。ところが、重篤な副作用の報告が相次いだことを受け、間質性肺炎のリスクが添付書類の冒頭の警告欄に赤字で大きく記載されるようになると、死亡者は急激に減っていった。
 裁判では一審で国の責任は否定されたが、輸入元のアストラゼネカ社の責任は認定していた。しかし、高裁判決は国、製薬会社ともに責任を認めない、原告にとっては厳しいものとなった。
 薬害イレッサ訴訟弁護団の水口真寿美弁護士は判決後の会見で、「日本に正義は無いのか」と問いかけた。
 薬害肝炎全国弁護団代表で薬害問題に詳しい鈴木利廣弁護士は、裁判所の判断の背景には、国の規制の手段が事前規制から事後規制にシフトする流れがあると指摘する。副作用のリスクが「否定できない」段階で国や製薬会社に事前規制を強いることは、経済発展にマイナスになるとの考えのもと、企業の活動の自由を国民の生命・健康より優先させる国の考え方が、裁判所にも影響していると言うのだ。
 しかし、こうした判断はいずれも、日本がこれまで積み上げてきた予防原則を覆すものに他ならない。予防原則とは、人体や環境に重篤かつ不可逆的な影響を与える可能性のある場合、リスクが十分に証明されていない段階でも一定の予防措置を取ることを求める考え方を言う。イレッサの場合、発売直後の副作用のリスクが十分に証明されていない段階でも、その疑いがあることがわかっていた以上、製薬会社には相応の措置を取る責任があり、国はそれを製薬会社に求める責任があるとするのが予防原則的な立場ということになる。
 イレッサ問題の背後には過去の薬害と共通する旧態依然たる問題も横たわっていた。地裁判決の前に、裁判所は一定範囲で原告の主張を認める和解勧告を出していたが、厚生労働省は医学界に働きかけ、「このような形で和解し、国が責任を認めれば、新薬の開発が不可能となる」という趣旨の声明を出させ、国が和解に応じるべきではないとの主張を展開させていたというのだ。こうしたやりとりの存在を明らかにするために、厚労省に対して情報公開請求が行われたが、出てきた文書は真っ黒に塗り潰されたものばかりだった。薬害の温床である「産・官・学の癒着」は依然として解消されていないようだ。
 イレッサの大阪高裁判決が下った5月25日は、神奈川建設アスベスト訴訟で、国と企業の責任を免罪する無罪判決が下された日でもあった。長年にわたる建設作業でアスベストの粉じんを吸い込んだために、肺がん、中皮腫、石綿肺などに罹患した神奈川県在住の被災者が、国と建材メーカーの責任を問うたものだが、ここでも裁判所は国や建材メーカーはアスベスト被害の危険性を十分に察知し得なかったとの判断を下している。
 高度経済成長の頃、数々の公害や薬害の訴訟が提起されたが、裁判所は経済成長を阻害することを避けるような判決を繰り返しながらも、多くの被害者の犠牲と努力の上に予防原則を積み重ねてきた。しかし今また、日本が予防原則を捨て、国や企業を優先する判決が下るようになった背景には何があるのか。弁護士として数々の薬害問題に取り組んできた鈴木氏と、ジャーナリストの神保哲生と哲学者の萱野稔人が議論した。

何が日本の「原発ゼロ」を阻んでいるのか

(第597回 放送日 2012年09月22日 PART1:70分 PART2:38分)
ゲスト:金子 勝氏 (慶應義塾大学経済学部教授)、武田 徹氏 (ジャーナリスト)

 

 わずか1週間前の9月14日、政府のエネルギー・環境会議は、2030年代の原発ゼロを目標とする明確な政策方針「革新的エネルギー・環境戦略」を決定し、福島第一原発の大事故から1年半を経て、ようやく日本が原発にゼロに向けて動き出すかに見えた。
 ところがその直後から、方々で綻びが見え始めた。14日に決定された「革新的エネルギー・環境戦略」は18日の閣議決定を経て正式な政府方針となる予定だったが、閣議決定は回避された。また、戦略に謳われていた原発の新説・増設を認めない方針についても、枝野経産大臣が建設中の原発についてはこれを容認する方針を表明するなど、原発ゼロを目指すとした政府の本気度が1週間にして怪しくなってきている。
 それにしても、たかが一つの発電方法に過ぎない原発をやめることが、なぜそんなに難しいのか。
 原子力委員会の新大綱策定会議の委員などを務める慶応大学の金子勝経済学部教授は、経済学者の立場から脱原発問題の本質が電力会社の経営問題にあると指摘する。今日、日本にとって原発は1990年代に問題となった金融機関の不良債権と同じような意味合いを持つと金子氏は言う。よしんば原発事故が再び起きなかった起かなかったとしても不良債権は速やかに処理しなければ膨らみ続ける。最終的にそれは国民が税金や電気代をもって負担しなければならない。しかし、今その処理を断行すれば、大半の電力会社は破綻するし、同時にこれまで「原発利権」の形で隠されていた膨大な原発不良債権が表面に出てくる。原発利権や電力利権が日本のエスタブリッシュメントの間にも広く浸透しているため、政府が原発をゼロする方針、つまり不良債権を処理する方針を打ち出した瞬間に、経済界や官界では、そんなことをされてはたまらないと、蜂の巣を突いたような大騒ぎになってしまったというのだ。
 一方、原発をめぐる二項対立の構図を避けるべきと主張してきたジャーナリストの武田徹氏は今回、政府案が切り崩された一因と取りざたされるアメリカ政府の意向について、アメリカは日本が核兵器の保有が可能な状況を作ることで、それを押さえ込めるのはアメリカしかいないという立場を得ることで、アジアの政治的な影響力を保持しようとしているとの説を紹介する。日本が原発をやめ、核燃料サイクルを停止すれば、核兵器に転用するくらいしか価値のない大量のプルトニウムを保有することになってしまう。そのような安全保障にも深く関わる政策転換となると、日本の官界、財界にはアメリカの意向を代弁する人が大量に出てくるのがこれまでの日本の常だった。どうやら今回もご多聞に漏れずそのような事態が起きているようだ。
 世論調査やパブリックコメント等で明らかになった大多数の国民の脱原発への思いと、政府のエネルギー政策の間に大きな乖離があるように感じてしまう背景には、日本の中枢が電力・原発・アメリカといった高度経済成長や冷戦下の論理から抜けだせないでいることが無関係ではないようだ。
 しかし、そんなことを言っていては、日本はこれまでも、そしてこれからも、何の政策転換もできない。そもそも日本が民主主義国と言えるのかさえ疑わしくなってくるではないか。
 政府の原発ゼロはなぜ切り崩されているのか。誰がそれを切り崩しているのか。その切り崩しは誰のためなのか。民意を正しく政治に反映させるために、我々に何ができるのか。金子氏、武田氏をゲストに迎え、長期出張より帰国直後の社会学者の宮台真司とジャーナリストの神保哲生が議論した。  

まちがいだらけの被災地復興論

(第598回 放送日 2012年09月29日  PART1:43分 PART2:33分)
ゲスト:山下 祐介氏 (首都大学東京都市教養学部准教授)

 

 東日本大震災と福島第一原発事故から1年半が経つが、依然として避難者は30万人を超えている。福島第一原発事故の被災者も16万人が域外に避難したまま、自宅に戻れない状態が続いているが、どうも被災地の外では、既に震災や原発事故の風化が始まっているように思えてならない。被災地からの報道量も日々減っている。原発事故にいたっては気をつけていなければ、まるで事故などなかったかのように世の中が動いている感さえある。
 政府が中心となって進めている復興計画についても問題がある。限界集落を研究してきた首都大学東京の山下祐介准教授は、かつての限界集落対策のように、国が対象を十把一絡げにして対策を練るような形にすべきではないと主張する。従来の「中央に依存する地方」の構図をそのまま押しつける対策では、被災地の復興は望めないし、仮に表面的な復興を果たしたとしても、多くの問題を内包したものになることが目に見えていると言う。
 山下氏はまず、永田町や全国メディアからよく聞く「復興が遅れている」との批判自体が、的外れだと指摘する。「これだけの事態が起きているのだから、時間がかかるのは当たり前。事態を正確に把握しないまま拙速に結論付けて方向性を決めてしまう方が問題が大きい」と語り、被災者の間にも地域、職業、世代、そして避難の形態などによって多種多様な事情やニーズがある点に留意する必要があることを強調する。本来はこうした要因をきちんと類型化して、それぞれのニーズを踏まえた復興計画を立てる必要があるが、現状ではまだ類型すらできていないのが実情だと言う。
 また、中央政府が作成する復興計画は、仮設住宅に避難している被災者のニーズに偏るきらいがあると山下氏は言う。若い世代の被災者には自力で避難先を見つけ早期に避難所から出て行ってしまった人が相対的に多く、仮設住宅には最後まで避難所から出ることができなかった高齢者が多い。しかし、政府も自治体も日本中に散らばってしまったすべての被災者と連絡を取ることは難しい。これはメディアにとっても同じことが言える。自ずと、政府の対策は被災者がまとまって居住している仮設住宅の被災者のニーズのくみ上げに偏ってしまう。
 特に原発事故の被災者の場合、若い世代や子どもを持つ世代が放射能の影響に対して敏感になるのは当然だ。そうした被災者のニーズをくみ上げ、復興対策に反映させることができない限り、除染などによって線量が相対的に下がっても、帰宅するのは一部の高齢者に限られてしまう。そして、それでは新たな限界集落を作るだけだというのだ。
 原発事故について山下氏は、そもそもなぜ福島に、福島自身は送電を受けることのない原発が置かれていたかを考えなければならないと言う。そこには山下氏が「中心と周辺」と呼ぶ、中央と地方、都市と農村の根深い関係がある。本来は中央のために原発の場所を提供した地方には、経済発展がもたらす中央の富が再分配されることで、相互依存の関係にあるという話だった。しかし、実際は地方は常に騙され続けてきた。そして、その大前提として戦前で言えば「国体」、戦後では「経済発展」という錦の御旗があり、そのために周辺がある程度犠牲になるのはやむを得ないという考え方があった、と山下氏は言う。
 しかし、その大前提は果たして本当に今でも有効なのだろうか。国全体の経済発展のためであれば、周辺の一つや二つが犠牲になるのはやむを得ないという考え方で本当にいいのか。それで日本は中央も地方も本当に幸せになれるのか。
 山下氏はそこで鍵となるのが、中央発ではない、被災地発の復興論だと言う。中央から出てくる復興計画は、必然的に前述の大前提の上に立ったものになる。しかし、地域にはそれぞれの地域固有の事情があり、固有の歴史的な経緯や伝統、そして優先順位というものがある。国がそのすべてをテーラーメードすることは難しい。だとすれば、地方はこの震災を奇貨としてこれまでお座なりにしてきた自治というものを今改めて再考し、自分たちから国に働きかけていくような復興の形を示すことではないかと言う。
 震災は改めて日本の「地方」の役割やその意味を問うた。そして、それは必然的に「国」の役割とは何かを問うものとなる。これまで平然と地方を切り捨ててきた日本が、この震災でその不健全な関係性に気づき、それを脱皮することができるかどうか、そのために何が必要なのかを、山下氏と社会学者の宮台真司とジャーナリストの神保哲生が考えた。

自民党は本当に生まれ変わったのか

(第599回 放送日 2012年10月06日 PART1:58分 PART2:42分)
ゲスト:野中 尚人氏(学習院大学法学部教授)

 

 2009年8月の総選挙で改選前300あった衆院の議席を119まで減らすという結党以来の大敗を喫し、政権の座から滑り落ちた自民党は、谷垣総裁の下での「解党的出直し」を誓った。それから3年、もっぱら民主党政権の自滅のおかげと言っていいのだろう、自民党の支持率が民主党を上回る状態が続き、今この瞬間に総選挙が行われれば、再び自民党が第一党の座につく可能性が高くなっている。
 そうした中、自民党は安倍晋三元首相を新総裁に選び、捲土重来を誓っている。
 確かに、自民党が単独で過半数を取るまではいかないにしても、第一党となれば、自民党が何らかの形で政権の座に返り咲く可能性は非常に高い。
 しかし、3年前の総選挙で日本の有権者は明確に自民党政治にノーを突きつけている。では、果たして自民党は変わったのか。変わったとすれば、どう変わったのか。また、変わっていないとすれば、われわれ有権者は日本がこのまま旧来の自民党政治に戻ることを、本当に善しとするのか。
 自民党政治に詳しい学習院大学教授の野中尚人教授は、自民党は09年の大敗の後、解党的出直しを誓ったが、民主党の敵失のおかげでそのわずか1年後の参院選で「棚ぼた」的に勝利してしまったために、抜本的な変革のチャンスを逸してしまったと残念がる。民主党政権の体たらくを見ているうちに、痛みの伴う改革などしなくても解散総選挙に追い込んで政権復帰できるとの期待が膨らんでしまったからだ。
 しかし、野中氏は政権がどれだけ有効に機能するかは、「野党の時にどれだけイノベーションができるか、それが次のフェーズのクオリティを決定する」と指摘する。
 その意味で、自民党が過去3年間の野党時代に何をやってきたかを改めて検証してみると、党の新しい綱領を作り、新憲法の草案を打ち出したほか、政策として「日本再興」という政策提言を出しているのが目を引く。
 しかし、綱領や憲法草案では、「日本らしさ」「自主憲法制定」「一国平和主義(集団的自衛権の欠如を指すと思われる)からの脱却」「自衛隊の国防軍化」、「自助、共助、公助」「家族の価値」といった党内タカ派の主張が多く並んでいるのが目に付く。また、財政再建は強調するが、その一方で国家強靭化計画などで10年間で220兆円ものインフラ整備を主張するなど、自民党旧来の公共事業推進の姿勢が目に付く。
 過去3年の間に自民党が打ち出してきた理念や政策から「解党的出直し」や「新しい自民党」の片鱗を見てとることはできるだろうか。
 4年前に「自民党システムの終焉」を説いた野中氏は、もともと自民党のアイデンティティは高度経済成長がもたらす富で日本全体を包摂する政党という位置づけだったが、もはやそれが不可能となった今、旧来の自民党システムが復活することはない。しかし、それに変わる新しいアイデンティティを探す中で、自民党が新たなアイデンティティとして保守の旗を立てるという選択肢には一定の合理性はあるのではないか。もはや日本全体を自分の配下に置けない以上、何らかの旗を立てることは必要となる、と野中氏は言う。
 しかし日本の政治が直面する問題は、もう少し深いところにあるのではないか。野中氏が一貫して主張している現在の日本の政治が抱える最大の問題は、政治がまともに機能できないようなシステムになっているにもかかわらず、そのシステムを変えようとする動きが見られないことだ。これではこの先何政権ができようが、政治の停滞は続くことが避けられない。  具体的な問題として、野中氏は1)参議院の力が強すぎるため、ねじれが生じた瞬間に政治が止まってしまう、2)国会に有形無形の複雑なルールや慣習があるため、法案がなかなか通らない、3)政府の国会に対する権限が弱すぎる、の3つをあげる。
 これは日本の民主主義の根幹に関わる問題だが、「今までこのような関係について何の議論もなかったがこれではどうしようもない。なぜ決められない政治なのか。これは誰かが悪いというものではない」と野中氏は語る。
 自民党の現状について、社会学者の宮台真司とジャーナリストの神保哲生が、野中氏と議論した。  

反日デモの背後にある革命の遺伝子を見逃すな

(第600回 放送日 2012年10月13日  PART1:73分 PART2:64分)
ゲスト:興梠 一郎氏(神田外語大学外国語学部教授)

 

 日中関係が72年の国交正常化以来、最悪の状態に陥っている。
 中国は国交正常化40年を祝う式典を中止したほか、今週48年ぶりに東京で開催された世銀・IMFの総会に中央銀行総裁と財務相の出席を見合わせた。中国各地では連日激しい反日デモが発生し、日系の商店や企業が軒並み襲われるという事態にまで発展した。中には中国人までが、日本車に乗っていたというだけで無差別に襲撃されるようなケースまで出ているという。なぜ日中関係はここまで悪化してしまったのか。
 中国の国内事情に詳しい神田外語大学の興梠一郎教授は、今回の反日デモの背景には日中関係の内政化、ナショナリズムの政治利用、日本政府の尖閣諸島国有化の3つの要素があると語る。
 確かに、日中ともに国内政治が不安定な状態にあり、外交やナショナリズムを国内政治目的で使いたいのはお互い様なのだろう。
 日本政府が尖閣諸島の所有権を取得したことをきっかけに、中国政府の攻勢は始まっており、反日デモも一気に拡大している。しかし、そもそも国有化の目的は、石原慎太郎都知事の強い意向で東京都が尖閣諸島を購入する動きがあったため、それを阻止することだった。都が島を所有すれば、石原氏はあえてそこに船着き場などの構造物を建設する可能性が高く、そうなれば中国側を刺激し、尖閣を巡る日中間の係争は更にエスカレートすることが避けられない。日本政府は実効支配している尖閣について、下手に騒がずに静かに現状維持を続けることが日本にとっては最良の策と考え、むしろ事を荒立てるのを避けるための国有化だったわけだが、興梠氏は日本側のその意図が中国に伝わっていないのではないかと語る。
 一方で、興梠氏は尖閣以前から中国国内には不満のガスが充満していたことを重視する。近年中国は経済的には大きな発展をみたが、政治的には共産党の一党独裁政治の下で、経済発展を支える労働力として都市に流れ込んだ農民工と呼ばれる農村出身者たちが、安い賃金と差別的な戸籍制度による生活苦に喘いでおり、その数は中国全土で2億人を超えるという。その不満を民主政のない中国では選挙によって解消することができないため、デモという形態を取らざるを得なかったとみる。
 デモには農民工だけでなく、現在の共産党政府に不満を持ちより大きな自由や民主化を求めるインテリ層や、経済成長を優先する現在の路線を共産主義の堕落と受け止める勢力まで参加しているという。政治運動や表現の自由が制約されている中国では、政府批判や共産党批判は御法度だが、「愛国無罪」の合言葉のもと、デモが反日デモの形をとっている限りは、多少の違法行為は厳しい取り締まりを受けないため、そうした勢力が「反日」の旗の下に結集し、同床異夢の抗議行動を行っているのが、現在の中国の反日デモの実態だと興梠氏は言う。つまり、デモが反日の形を取っている以上、国内の不満分子を抑えるためにも、中国政府は日本に対して強行姿勢に出ざるを得なくなっているというのだ。
 中国政府が行き詰まっているのは、対日関係だけではない。中国はこれからも経済発展を続けたければ、低賃金の労働力は必須だ。これまで通り農民工を安い賃金で働かせ続けなければ、世界の工場としての地位を失ってしまう。しかし、それを続ければ当然、格差も広がる。かといって戸籍制度を廃止し移動の自由を認めれば、大量の人口移動を誘発し、都市のインフラが持たない。何が問題かはわかっているが、体制維持のためには、その解決策を実行することが難しい。そのような矛盾が、自由経済と一党独裁を両立させる中でどうにもならないところまで大きくなってきてしまっているというのだ。
 中国政府が今後も富の再分配を行わず、農民工の低賃金を是正しなかった場合、中国の革命の遺伝子が覚醒する可能性も排除できない。選挙で体制を変えられない中国では、市民の不満がある臨界点に達すれば、それは革命にしか行き場がなくなる、と興梠氏は警鐘を鳴らす。
 その場合の革命は民主革命のようなものではなく、むしろより左回帰をする革命になる可能性が高い、と興梠氏は見る。民主化運動に対しては共産党政権は早い段階でそれを力で押さえ込むことが可能だ。しかし、毛沢東の肖像画を掲げ、共産主義の貫徹を求める運動は弾圧しにくい。今もっとも大きな不満を持っている農民や農民工がより純粋な共産主義を求めて蜂起する可能性は、常に念頭に置いておく必要がある。革命による王朝転覆を繰り返してきた中国には、今も革命の遺伝子が埋め込まれている、と興梠氏は言う。
 反日デモの背後にある中国側の事情とは何か。中国の革命の遺伝子とはどのようなものか。日本はどうすべきか。中国側の一連の強硬策は実は共産党政権がそれだけ国内的に追い詰められている証だと語る興梠氏と、ジャーナリストの神保哲生と哲学者の萱野稔人が議論した。 

vol.58(581~590回収録)

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民主党政権はどこで失敗したのか

(第581回 放送日 2012年06月02日  PART1:93分/PART2:70分)
ゲスト:福山 哲郎氏(参院議員)

 

 2009年の総選挙で300を超える議席を得て政権の座についた民主党だったが、その後、政権に対する世間の評価は厳しい。政治主導に失敗し、官僚に牛耳られているではないかという批判が後を絶たない。それどころか、民主党は約束したことを何も実現できていないという評価が定着してしまった感さえある。民主党政権はどこで失敗したのか。
 鳩山内閣で外務副大臣、菅内閣で内閣官房副長官を務めるなど、これまで民主党政権で中心的役割を果たしてきた福山哲郎参院議員は、普天間基地の移設問題のようないくつかの象徴的な政策の失敗によって有権者の信用を失ったとみる。民主党政権が実際にはいろいろな成果をあげているとの自負はあるが、そうした成果についても有権者に聞く耳をもってもらえなくなってしまったというのだ。
 確かに、公共事業の大幅な削減や子ども手当、高校無償化などは日本にとっては大きな政策転換だった。政権交代の成果と言っていいだろう。しかし、それでも民主党政権が何もできていないように見られてしまうのはなぜなのか。単に象徴的な政策のミスが原因なのか。それとももっと根深い問題があるのか。時の政権が民主党でなければ、より有権者の支持を受けた政権運営は可能だったのか。
 実際、小泉政権の後の政権は、3代の自民党政権も含め、いずれも短命に終わっている。いずれも「何もできなかった政権」との烙印を押されていると言っていいだろう。民主党政権の場合、その未経験さゆえにより稚拙な失政が目立った感は否めないが、先進国の与党で国民の高い支持を受けている政権は皆無に近い。どうも時の政権に対する不満が充満し政権が立ち往生する現象は日本だけの問題ではなさそうだ。
 経済がグローバル化し先進国ではもはや高い経済成長が望めない状況下で、どこの国の政府も不利益の再配分を国民に求めざるを得なくなっている。しかし、国民の信頼と理解を欠いたまま「負の再配分」を推し進めようとすれば、政権は一様に不人気に陥り、結果的に何ら有効な政策を実現できなくなる。問題は、民主党はそのような厳しい状況を認識し、それに対応し得る政策や体制を用意できていたのか、だ。負の再配分という先進国にとっては歴史上初めての困難な経験を有権者に受容してもらうためには、もはや従来の意思決定の方法は通用しない。民主党の最大の失敗は、個別の政策実現のためのロジスティックスの欠如もさることながら、現下の厳しい政治状況に対応するために、有権者参加型の意思決定の方法を用意できていなかったことにあったのではないか。
 確かに民主党固有の問題は多い。しかし、その問題と、先進国に共通した民主主義の本質的な行き詰まりを識別していく必要があるだろう。前者には前者の、後者には後者の異なる対応がそれぞれ必要だと考えられるからだ。
 番組後半は逆風の中、民主党が推し進めようとしている社会的包摂プロジェクトチームの取組みについてと、福山氏自身が民主党内の有志議員と共にまとめた脱原発のためのロードマップを議論した。福山氏は2025年までに原発の全廃を謳った提言をまとめ、これからそれを党の方針とすべく活動を開始する意向だという。脱原発への道筋を具体的に示すためには、全廃の期限の明示が必要だと福山氏は主張するが、今も再稼働問題で揺れる民主党政権に2025年までの原発全廃案を受け入れる素地はあるのか。
 民主党マニフェストの作成に深く関わり、政権交代後も政権内で主要な役職を務めてきた福山氏に、民主党政権のこれまでとこれからのことを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。  

私が日本には原発が必要だと考える理由

(第582回 放送日 2012年06月09日  PART1:71分 PART2:42分)
ゲスト:山名 元氏(京都大学原子炉実験所教授)

 

 6月8日、野田首相は「国民の生活を守るため」に大飯原発3、4号機を再稼働する意向を発表した。しかし、これは総理自身が説明するように、必要性に駆られての再稼働であり、今後日本が原発とどう付き合っていくかについては、有識者会議や政府・国会事故調の結果待ちの状態が続いていることに変わりはない。
 原子力界の重鎮で京都大学原子炉実験所の山名元教授は福島第一原発事故以降も一貫して原発の必要性を説いてきたことで、方々で叩かれたり吊し上げにあってきたと苦笑する。しかし、それでも山名氏は、現在の日本社会における主要なエネルギー源としての原子力の重要性は揺るがないと主張する。
 国内に独自のエネルギー資源を持たない日本にとって、原子力は高い備蓄効果、少ないCO2排出量、地政学的リスクの低さ等の点で化石燃料やその他のエネルギー源と比べて明らかな優位性を持つと山名氏は指摘する。エネルギー安全保障の観点からも、原発は維持されなければならないというのが、山名氏の立場だ。将来的には経済社会構造の転換によって再生可能エネルギーを中心とする脱原発は可能かもしれないが、そうした変化には40年はかかるため、その間の過渡的ベースライン電源としても、原子力は不可欠であるという。
 また、今回の原発事故について山名氏は、これまでの「深層防護」という概念の技術的瑕疵が明らかになったことで、今後、福島と同じような事故の再発は十分に防ぐことができると言う。安全目標を従来の炉心損傷をさせないというものから環境を絶対に汚染しないということに再設定するべきであるとし、それは工学的にもコスト的にも十分実現可能であると主張する。
 しかし、山名氏自身、原子力に対する社会の理解を得ることが困難であることは認める。山名氏は原子力に対する国民的同意を得るためには、1)これから日本がどういう社会を目指すのかという国の方向性、2)原子力の技術的・物理的安全性、3)原子力組織に対する信頼、4)核科学の専門的知と一般市民の感性との間のギャップの4つの問題が解決される必要があると言う。その上で、山名氏は2)については山名氏自身が解を提供できるが、残る3つについて国民の間に依然強い不信感があるのは当然のことだと理解を示す。
 あれだけの事故を経験した上に、その後、情報の隠蔽などが相次いで明らかになった以上、原子力に対して国民が大きな不信感を抱くことは当然だが、その一方で、原発事故以降、原発反対派と推進派の間の感情的な二項対立の下で、原発をめぐる深い議論が行われていないことを、山名氏は残念がる。
 福島第一原発事故後も一貫して原発の必要性を訴えてきた山名氏に、なぜそれでも日本は原発を維持すべきなのかを聞いた。

アメリカはどこへ向かっているのか

(第573回 収放送日 2012年06月16日  PART1:67分 PART2:50分)

 世界中の科学者たちが開発に鎬を削っていた青色発光ダイオード(LED)の発明者中村氏は、日本の司法制度が腐っているために、日本では発明家は育たないと語る。青色LED発明の対価をめぐる裁判で、中村氏はかつて勤務していた日亜化学工業との間で約8億4千万円を氏が受け取ることで和解しているが、その裁判では発明の対価そのものよりも、いかに企業を潰さないようにするかが最優先されたというのが氏の主張だ。「真実が何であるかは二の次だった」と氏は不満を露わにする。
 また、現在アメリカの大学で研究生活を送る中村氏は、自由な開発研究を行うための環境も、日米間には大きな格差があると指摘する。
 日米両国で発明をめぐる裁判を経験した中村氏からみた日本の裁判制度の問題点とは何か。なぜ中小企業の一研究者だった中村氏が大企業の研究チームにもできなかったLEDの発明に成功できたのか。現行制度のままで日本は今後、研究開発の国際競争に生き残っていけるのか。来日中の中村氏とともに考えた。

2001年の番組開始以来12年目に入ったマル激。
 どうもアメリカの様子がおかしい。  4年前、「Yes, You Can」の合い言葉とともに米国民の熱烈な支持を受けて当選を果たし、リーマンショックを招いた金融制度を規制する制度改革や国民皆保険などを成し遂げたオバマ大統領は、今や再選すら危ぶまれるほど不人気に陥っている。
 また、2年前の中間選挙でも、穏健派や良識派の部類に属するベテラン議員らが、過激な主張を掲げる保守系の若手候補に相次いで敗退するなど、アメリカが退っ引きならない方向に向かっているようだ。
 アメリカの政治思想史に詳しい共同通信論説委員長の会田弘継氏は、こうしたアメリカの変化を、20世紀に圧倒的な軍事、経済力によって世界をリードしたアメリカの権勢が衰えを見せたことの裏返しだと指摘する。20世紀は、世界中の人々がアメリカ社会に多くの普遍的価値が体現されていると感じた。それが冷戦後の欧州の統一や中国の台頭などによって、アメリカの力が経済軍事両面で相対的に低下したために、アメリカ社会の普遍性よりも、その特殊性がより強く意識されるようになったのではないかと、会田氏は言う。
 アメリカが普遍的な価値として押し進めた経済のグローバル化は、結果的にアメリカ自身の基礎を掘り崩してしまった。パックスアメリカーナの象徴とも呼ぶべき分厚く豊かな中流階級は無残に崩壊し、不況と高い失業率に喘ぐ中、極端に保守的な主張をするティーパーティーと呼ばれる政治勢力が大きな力を得ている。
 現在のアメリカの保守化現象は、一時的なものなのか。それともアメリカは新たな保守の時代に入ったのか。会田氏は、ティーパーティーのような極端な保守主義はこれからも繰返し発作的に現れるだろうが、それがアメリカ政治の主流となることはないだろうと予想する。ティーパーティー運動は、国際政治経済でのアメリカの相対的地位が低下し、その文化的特殊性も徐々に平準化される中での、リバタリアン的なるものの最後の反撃と見るべきだと主張する。
 会田氏によると、ニクソン政権以降、南部での支持獲得に力を入れてきた共和党は、その過程でリベラルな価値を切り捨てる一方、南部の保守思想に取り込まれていったのだと言う。そして現在の共和党は地域的にも思想的にも「南部化」した地方政党となってしまっていると言うのだ。しかし、氏は、共和党大統領選候補に確定しているロムニー氏はそんな南部化してしまった共和党をもう一度リベラルな国民政党に戻すことができるかもしれない可能性を秘めた候補だと話す。ロムニー氏の中にモルモン教徒として極貧の生活から実業家として身を起こし政治家となった父ジョージ・ロムニー氏の姿が二重写しに見えるのだと言う。父ロムニー氏は公民権運動に積極的に参加し当時共和党の中で最もリベラルな価値を体現した政治家であった。その子であるミット・ロムニー氏もマサチューセッツ州知事時代に皆保険制度を導入するなどその片鱗を見せている。
 しかし、仮に、この流れが一時的なものだったとしても、今、アメリカ社会が大きな転換期を迎えていることはまちがいない。一番の問題はアメリカ自身が、自分たちがこれからどこへ向かおうとしているのかを、見極められていないところかもしれない。
 現在アメリカ社会で起きている変化とその歴史的な意味合いについて、会田弘継氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

震災ガレキを広域処理してはならないこれだけの理由

(第584回 放送日 2012年06月23日  PART1:63分 PART2:76分)
ゲスト:青山 貞一氏(環境総合研究所顧問)

 

 被災地に積み上げられたガレキの山を背景に、被災地の復興のために、みんなでガレキを分かち合いましょうのキャッチコピー。これは環境省が、昨年から総額39億円をかけて進めてきた震災ガレキの広域処理推進キャンペーンの一貫として、今年の春に一部全国紙に掲載した全面見開き広告だ。このガレキの山のイメージはテレビでも繰返し放送され、被災地を助けるためにはある程度のガレキ受け入れはやむなしとする世論の形成に一役買ってきた。
 廃棄物処理に詳しい環境総合研究所顧問の青山貞一氏は、一貫して震災ガレキの広域処理に反対してきた。環境省を中心とした世論誘導を横に置いたとしても、あらゆる公共政策は、常に「必要性」、「妥当性」、「正当性」の3つの観点から検証されなければならいと指摘した上で、今回の広域処理は必要性も妥当性も正当性も無いと青山氏は主張する。
 震災後のガレキは総量数千万トンとも言われ、岩手県や宮城県単独で処理するためには十数年かかるとの試算が政府から出された。まず、青山氏は、その多くが津波で海に流され、また被災地内に仮焼却炉が多数建設されるなどしたため、もはや広域処理の必要性が失われていると言う。実際に被災地を歩いてい見ると、もはや市街地に大量のガレキが積まれたところはほとんど見つからない。新聞広告などが主張している「ガレキが復興の妨げになっている」という理由付けは、もはや現実を反映していない、と青山氏は言う。
 また、環境省は「基準値以下」を強調するが、放射性物質が付着したガレキを日本各地に移動することは汚染をいたずらに拡散し最終処理をより困難にするだけだと言う。
 環境省の安全基準にも疑問がある。環境省のガイドラインでは、1キログラム当たり8,000ベクレル以下であれば普通ゴミとして処分してよいことになっているが、そもそもこの基準は最初から高すぎる上に、ガレキ処分後に起こり得る生体濃縮なども考慮に入れていないと青山氏は言う。
 更に、今回のガレキ広域処理は大手ゼネコンの懐を暖めるばかりで、被災地の支援に必ずしも回っていない。巨額の広告費にものをいわせた世論誘導と情報操作によって、広域処理は環境省版ゼネコン利権を生むだけではないか、と青山氏は言うのだ。  そもそも今回、広域処理を提言した環境省の「災害廃棄物安全評価検討会」は、非公開の秘密会議方式で決定した。青山氏らが議事録の開示を求めたところ、記録を残すこと自体をやめてしまったという。
 マスメディアも39億円にのぼる広域処理推進キャンペーン予算に群がり、ガレキの広域処理にまつわる問題点はマスメデイア上ではほとんど取り上げられなくなっている。
 そもそも必要性がなくなったプロジェクトに3年間で総額1兆円超もの予算が投じられ、それがゼネコンやマスコミにとっても新たな利権となったために、もう誰にも止めらない状態に陥ってしまっていると言うわけだ。
 20日に北九州市が西日本で初めてガレキの受け入れを表明するなど、本格的に動き始めた震災ガレキの広域処理の問題点などについて青山貞一氏を招き、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。    

上半期マル激総まとめ カギは制度ではなく心の習慣に

(第585回 放送日 2012年06月30日  PART1:45分 PART1:65分)

 

 5回目の金曜日に特別企画を無料放送する5金スペシャル。今回は2012年の上半期に放送したマル激の中から重要だと思うテーマを抜き出し、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が更に議論を進めた。
 今回取り上げたテーマは以下の通り。

1、これでいいのか消費増税
●第567回 野口悠紀雄氏(早稲田大学大学院ファイナンス研究科顧問)
消費増税ではDoomsdayは避けられない(2012年02月25日)
●第563回 高橋洋一氏(政策シンクタンク「政策工房」会長・嘉悦大学教授)
だから消費税の増税はまちがっている(2012年01月28日)
●第570回 鈴木亘氏(学習院大学経済学部教授)
年金問題の本質(2012年03月17日)
●第580回 江田憲司氏(衆院議員・みんなの党幹事長)
財務省はいかにして政権を乗っ取ったのか(2012年05月26日)

2、分かち合いの経済を実現するために
●第549回 神野直彦氏(地方財政審議会会長・東京大学名誉教授)
「分かち合い」のための税制改革のすすめ(2011年10月22日)
●第566回 波頭亮氏(経営コンサルタント)
分配社会のすすめ(2012年02月18日)

3、エネルギーデモクラシーのすすめ
●第576回 村岡洋文氏(弘前大学北日本新エネルギー研究所教授)
原発大国から地熱大国へ(2012年04月28日)
●第579回 植田和弘氏(京都大学大学院経済学研究科教授)
エネルギーデモクラシーのすすめ(2012年05月19日)
●第582回 山名元氏(京都大学原子炉実験所教授)
私が日本には原発が必要だと考える理由(2012年06月09日)

4、われわれはなぜ原発を止められなかったのか
●第561回 井戸謙一氏(弁護士・元裁判官)、海渡雄一氏(弁護士)
原発事故の裁判所の責任を問う(2012年01月14日)
●第568回 日隅一雄氏(弁護士・NPJ編集長)
東電・政府は何を隠そうとしたのか(2012年03月03日)

5、不利益配分と民主主義の危機
●第574回 葉千栄氏(東海大学総合教育センター教授・ジャーナリスト)
中国の熾烈な権力闘争にわれわれは何を見るか(2012年04月14日)
●第578回 山田文比古氏(東京外国語大学教授)
大統領選でフランスが選んだものとは(2012年05月12日)
●第583回 会田弘継氏(共同通信社論説委員長兼編集委員室長)
アメリカはどこへ向かっているのか(2012年06月16日)

6、番外編
●第571回 川端幹人氏(ジャーナリスト・『噂の真相』元副編集長)
タブーはこうして作られる(2012年03月24日)
●第562回 篠田謙一氏(国立科学博物館人類史研究グループ長)
われわれはどこから来て、どこへ向かうのか(2012年01月21日)
●第584回 青山貞一氏(環境総合研究所顧問)
震災ガレキを広域処理してはならないこれだけの理由(2012年06月23日)

リオの精神は死んだのか

(第586回 放送日 2012年07月07日 PART1:50分 PART2:31分)
ゲスト:古沢 広祐氏(国学院大学経済学部教授)

 

 20年前のリオ地球サミットの熱気や楽観論は一体どこに行ってしまったのだろう。
 日本が原発の再稼働問題や増税法案をめぐる国会の混乱に揺れる6月下旬、ブラジルのリオデジャネイロで世界中の政府関係者や産業界、市民団体の代表者ら総数4万人以上の人々が集まる一大イベントが開催された。20年前に同地で開催されたリオ地球サミット(国連環境開発会議)にちなんで「リオ+20」(国連持続可能な開発会議、6月20~22日)と呼ばれ、リオサミットやそれ以降に合意された国際的な貧困撲滅や環境保全の取組みの成果などが検証されたほか、将来の目標などが話し合われた。  しかし、20年前の地球サミットの熱気は既に過去のものとなり、さしたる成果がないまま閉幕することとなった。国際NGOなどを中心とした市民の側からは早くも「失敗」だったとの批判が出ている。
 1992年と2012年の両方の会議に参加した国学院大学の古沢広祐教授は、20年前と比べて今回の会議を取り巻く人々の熱気は10分の1に萎んでしまったと語る。1992年の地球サミットでは、半世紀に及ぶ冷戦が終わり、平和を取り戻した世界で人々はようやく環境や人権、途上国の貧困など地球的課題に向き合うことが可能になったというのが、サミットに参加した人々の共通認識だった。会議でも「環境と開発に関するリオ宣言」が採択され「持続可能な開発」というキーワードの下、多くの行動計画がとりまとめられた。また、会議期間中に「気候変動枠組条約」と「生物多様性条約」の署名が開始されるなど、リオ・サミットは人類にとって環境や開発に関する国際的な取組みにおけるターニングポイントとなるはずだった。
 しかし、その後の世界の20年は、明らかにリオで多くの人が期待したようなものにはならなかった。冷戦の終結で軍事費の大幅削減が可能になり、それが「平和の配当」として、貧困や環境問題解決のために使われることが期待された。確かに1998年頃までは軍事費はある程度減少傾向にあったが、その後増加に転じ2011年には1兆7275億ドルに達している。これは冷戦末期を上回る金額だ。
 世界全体のCO2排出量は1990年から2010年の間に50%近く増加している。貧困問題については、東アジアを除き2000年のミレニアム・サミットで合意された「1日1ドル未満で生活する人口の割合を1990年比で半減させる」目標すら達成できていない。
 今回の「リオ+20」では持続可能な開発を実現するための方策として、環境に配慮した生産や消費を奨励する「グリーンエコノミー」の促進や国連の制度改革などが提案されたが、参加国間の対立が根深く、ほとんど具体的な成果は得られなかった。グリーンエコノミーという考え方でさえ、先進国と途上国の間には大きな認識の開きがあることが明らかになった。
 20年前のリオサミットで合意された約束はほとんど実行されず、冷戦が終結しても世界には依然として深い対立が残ったまま、われわれは地球規模の様々な問題に対して有効な手立てを打つことができていない。同時に気候変動や生物多様性問題は深刻の度合いを増し、もはやポイント・オブ・ノーリターン(元には戻ることが不可能な地点)を超えてしまったとの悲観論も聞こえる。貧困問題も解決からほど遠い。
 更に日本には、それ以前の問題が山積し、政府の指導者にも一般市民の間でも、地球規模の問題を真剣に考える余裕すら残っていないようにさえ見える。
 リオの精神は本当に失われてしまったのか。リオ以降、地球では何がかわり何が変わらなかったのか。人類はこのまま地球規模の問題に手をこまねいたまま、破局への道を突き進んでいくのか。国連に代わる新たな合意形成の方法はあり得るのか。「リオ+20」から帰国された古沢氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

大飯原発直下の活断層を直ちに調査せよ

(第587回 放送日 2012年07月14日  PART1:56分 PART2:36分)
ゲスト:渡辺 満久氏(東洋大学社会学部教授)

 

 夏の電力不足への懸念から、野田総理自らが責任を取ると明言した上で今月9日に再びフル稼働状態に入っていた大飯原発3号機の直下に、活断層が存在する疑いが浮上している。なぜ今になってと思われる向きもあろうが、12日には国会議員108人の連名で首相と枝野経産相に、大飯原発敷地内の活断層の再調査の要望書が提出されるなど、現実に事態は広がりを見せている。
 今回のゲストの渡辺満久東洋大学社会学部教授(変動地形学)は、2006年頃から日本各地の原発施設付近の活断層調査を行い、危険なものについては警鐘を鳴らしてきた。そして、先月27日に、有志議員らと大飯原発の施設に実際に入って観察をした結果、現在稼働中の原発の直下に活断層が存在する疑いが非常に高くなったと言う。2日後の29日、枝野経産大臣は、この問題を専門家会議で確認する考えを示しているが、7月3日の会議(「地震・津波に関する意見聴取会」)では、関西電力側が、関係資料が見当たらないとして、検討が次回聴取会へ持ち越されるなど、そもそも現行の原子力行政システムで、この問題にまともに対処できるかどうかさえ、疑わしい状況となっているのだ。
 大飯原発については、3、4号機を建設するための設置許可申請の際に、関電から保安院に提出されたとされる地質調査結果の「スケッチ」の中に明らかに活断層の存在が疑われるデータが含まれていた。しかし、当時の原子力安全・保安院も原子力安全委員会もこれを問題にせず、3、4号機の建設許可は降りてしまった。今回の福島第一原発の事故を受けて、再稼働を前にストレステストやバックチェック審査が行われたが、その審査には問題となった「スケッチ」は提出されていなかったことも、保安院と市民団体(グリーンアクションら)との間の交渉の中で明らかになったと言う。
 要するに審査をする側、すなわち保安院と安全委員会の監視機能も働いていなければ、審査を受ける側、つまり関電からも適切な情報提供が行われていないために、建設段階で活断層の存在が見過ごされたばかりか、今回の事故を受けたバックチェックでもその問題は浮上すらしなかったというのが、実情のようなのだ。
 言うまでもないが、断層とは地層の「ずれ」のことで、プレートがぶつかり合う圧力によって生じる。そのうち比較的最近「ずれ」が生じたと推定される断層を「活断層」と呼び、再びずれが起きる可能性が否定できないものと位置づけられる。現在の原発に関する安全指針では、過去約12.5万年以内にずれがあった断層を、再びずれが起きる可能性がある「活断層」と認定している。
 断層のずれが地震の原因であることはよく知られているが、活断層の真上に建造物があった場合、単に地震の揺れによる破壊では済まされない問題が生じると、渡辺氏は言う。地震による破壊には「揺れ」による破壊と「ずれ」による破壊があり、仮に地震の揺れには耐えられる建造物であっても、それが立つ地盤が上下や左右に「ずれ」てしまえば、建造物へのダメージは単なる揺れよりも遙かに大きくなるというのだ。つまり、例え原子炉が強い揺れに耐えられるよう設計されていたとしても、それが立っている地盤そのものが隆起したり捻れたりすれば、原子炉やその他の原発関連施設が損傷を受けたり破壊される可能性が否定できないのだ。
 しかし、それにしてもなぜよりによって活断層の上に原発が建設されてしまうのだろうか。確かに日本は地震国で活断層は日本中至るところに広がっているのは事実だ。しかし、自らを「反原発派ではない」と語る渡辺氏は、活断層のない場所に原発を建設したければ、それが可能な場所はいくらでも存在すると指摘する。例えば、若狭湾周辺は日本でも最も活断層が多く集中する場所だが、そこが同時に日本の原発の3割近く(50基中14基)が集中する原発銀座であることはよく知られている。これではあたかも活断層が多い場所を選んで原発を建設しているようにさえ見えてくる。実際渡辺氏は、日本のすべての原発のうち、玄海原発を除くほとんど全ての原発が活断層の「上」または付近にあるのが現実だと言う。
 原発行政に不信感をお持ちの向きは、そろそろどこに問題の本質が隠れているかにお気づきのはずだ。日本のほとんどすべての原発が活断層の上に建設されてしまう理由は、渡辺氏が「普通の地質学者が常識的に見れば明らかな活断層」といえる断層が、電力会社の調査では見つからなかったとして報告されていなかったり、報告されていても、それを審査する側の原子力安全保安院、原子力安全委員会側の専門家たちが、それをそのままスルーしているからなのだ。そして、保安院、安全委員会の下でこの問題を審査する「有識者」らからなる専門委員会は、ほぼ例外なく電力会社や原子力産業との間で利益相反問題を抱える委員が多数を占めていたり、実質的に彼らによって牛耳られているのが実情であり、「とにかくいろいろ背負っている人が多すぎる」と渡辺氏は笑う。
 情報隠蔽+御用学者+利益相反=危険な原発。この問題は原発が内包する構造的問題をあまりにもくっきりと浮かび上がらせている教科書的事例であると同時に、その問題が3・11の事故を経験した後も、いまだに続いていることを示唆しているという意味で、われわれはあらためてこれを深刻に受け止める必要があるのではないだろうか。
 しかし、嘆いてばかりもいられない。直下に活断層が存在する可能性高い大飯原発は既に臨界状態でフル稼働している。関電や政府はボーリング調査には何ヶ月もかかるとの理由から今のところ調査には前向きではないようだが、渡辺氏は活断層の存在は1日や2日の調査で十分確認ができると言う。もちろん原発を止めることなく調査はできるのだそうだ。であるならば、一刻も早く大飯の調査を早急に行った上で、信頼できる新しい原子力行政の下で、全国の原発の活断層調査を早急に行う必要があるだろう。衝撃的な事実を淡々と指摘する孤高の地質学者渡辺氏に、ジャーナリストの神保哲生と哲学者の萱野稔人が、原発の活断層問題とその背景にある問題構造を聞いた。 

原発事故の経営責任を問う

(第588回 放送日 2012年07月21日  PART1:61分 PART2:45分)
ゲスト:河合 弘之氏(弁護士・東電株主代表訴訟代理人)

 

 世界を震撼させた福島第一原発のメルトダウン事故から1年4ヶ月が経つ。事故直後から原子力関連の行政機関や東京電力の事故後の対応には批判が集まっていたが、ここに来て国会の事故調が原発事故を「人災」と認定するなど、あの事故が自然災害によるものであったと同時に、防災体制や事故後の対応にも大きな問題があったことが明らかになってきている。
 しかし、そうした指摘にもかかわらず、依然として誰一人として事故の責任を取っていないことに疑問を感じている人も多いのではないか。しかし、そうはさせないと起ち上がった人たちがいる。東京電力の株主の有志たちだ。
 さる3月5日、東京電力の株主42人が、同社の経営陣が地震や津波への安全対策を怠り巨額の損失を生じさせたとして、勝俣恒久会長ら歴代の役員27人を相手取り、計5兆5000億円を東電に賠償するよう求める訴えを東京地裁に起こした。彼らは今回のような事故が予見できる立場にありながら、事故を防ぐための措置をとる義務を怠ったとして、事故の責任を取るよう求めている。
 本訴訟の弁護団の団長を務める河合弘之弁護士は、今回の事故の背景には東京電力の「集団無責任体制という体質がある。それを破壊しないと、また同じようなことをやる」と、請求額としては史上最高額となる株主代表訴訟に踏み切った経緯を説明する。
 「福島では、家を奪われ家族が分断され、不本意に人生を変えられて、地獄にいる。他方東電役員は給料は減ったけど退職金を貰って、嫌なことがあったから海外旅行でもするかとか、東電が大株主の会社に天下りもする。彼らはまだ天国にいる。これでは道理が通らない」と河合氏は語る。
 河合氏は東電経営陣の責任として、数々の義務違反を挙げる。過去に地震や津波のリスクは繰り返し指摘されてきたし、株主総会でもそうした指摘を受けた数々の提案がなされてきた。原発を運営する東電の経営陣は、地震や津波のリスクを十分に知らされ、今回のような事態が起こりうることが十分に予見できる立場にいながら、警告を無視し、効果的な対策を取らなかった。そうした義務違反のために、3・11の事故は防げず、しかも被害がここまで広がってしまったと河合氏は言う。
 実際、河合氏ら弁護団が今回提出した訴状の中には、昨年の3月11日までに、原発の地震・津波リスクについてどれだけの警告が発せられていたのか、またどのような提案が株主総会で行われていたのかなどが、克明に記されている。東電の経営陣がそのうちの一つにでも真摯に対応をしていれば、事故は防げたかもしれないし、また仮に事故そのものは防げなかったとしても、ここまで被害が大きくなることはなかった。だから東電経営陣には明らかに責任があるのだと主張している。
 例えば、2002年7月には三陸から房総沖でマグニチュード8クラスの地震が起きる可能性があることを文科省の委員会が指摘していたし、08年には原子力安全基盤機構から津波の影響で炉心損傷に至る危険性も指摘されていたが、経営陣は何ら有効な対策をとらなかった。また、09年6月には東電の株主から福島第一原発1~3号機の廃炉が提案されているが、経営陣はこの提案にも反対していたことを、原告らは指摘している。
 更に、シビアアクシデント対策や電源喪失対策にも重大な不備があったという。そもそも原発は安全神話を前提としていたため、シビアアクシデントや電源喪失を想定した訓練をほとんどやっていなかった。そのような訓練をすれば、自分たちが作った神話を自ら壊すことになってしまうからだ。同じ理由でフィルター付きベントの設置も見送られたため、結果的に炉心損傷の後、福島第一原発から大量の放射能が周囲に飛散する結果となってしまったと河合氏は語る。
 河合氏はそれらはいずれも電力会社の責任であると同時に、それを無視したり先送りする決定を下した当時の役員の個人責任でもあると指摘し、彼らの経営判断のミスや経営者としての無責任な行動によって、東京電力という会社と、そしてその所有者である株主が大きな損害を受けたとして、彼らに会社に対する損害を償うよう求めている。
 しかし、河合氏は株主代表訴訟が、無責任な行動を許さないための一つの手段に過ぎないことも認めている。昨今の日本では問題のある行動をとっても誰も責任を取らない場合が多すぎる。そしてその際たるものが、誰も責任を取らない体制のまま日本が突き進んできた原発政策だと考える。そして、それを改めさせるためには、株主代表訴訟以外にも民事の損害賠償請求や刑事告訴や原発差し止め訴訟、更に言論活動からデモへの参加にいたるまで、市民一人ひとりが自分にできるあらゆる手段を使って、責任者に責任を取るよう求めていくことが必要だと河合氏は語る。
 浜岡、大間を始め、これまで数々の原発訴訟に携わってきた河合氏と、原発事故における東電の経営責任とは何なのか、更になぜわれわれは事ここに至るまで原発を止めることができなかったのかなど、原発問題から透けて見える日本の現状を、ジャーナリストの斎藤貴男と社会学者の宮台真司が議論した

知らない間にタネが大変な状況になってました

(第589回 放送日 2012年07月28日 PART1:56分 PART2:52分)
ゲスト:野口 勲氏(野口のタネ・野口種苗研究所代表)

 

 埼玉県飯能の山間にちょっと変ったタネ屋がある。野口種苗研究所という立派な名前がついているが、その実は畳10畳ほどの店内に所狭しとタネが置かれただけの小さなタネ屋だ。看板の手塚漫画のキャラクターが異彩を放つ以外は一見ただのタネ屋に見えるが、実はここで売られているタネは普通のタネではない。
 今世界のタネ市場はその大半が多国籍企業の資本下にある大手種苗会社によって支配されていて、世界のトップ3が全世界のタネの5割を支配するまでにグローバル化が進んでいる。そして、大手種苗会社が販売するタネはほぼ100%「F1(一代雑種)」と呼ばれる、農家が独自にタネを採ることができない品種に限られている。
 野口タネ店はこうした流れの中で、それぞれの国、それぞれの地域が歴史とともに育んできた野菜や穀物のタネが次々と失われていく事態に抗うために、F1ではなく、固定種や在来種と呼ばれる地域の伝統的な作物のタネばかりを売る、おそらく日本で唯一の在来種専門のタネ店なのだ。
 言うまでもなくF1と在来種には大きな違いがある。F1は採種が難しく、農家が種苗会社からタネを毎年買うことを前提としているのに対し、在来種は繰り返し採種が可能なため、地域地域に根付いた在来種特有の形質が、農家の手によって独自に引き継がれていく点にある。今市場を席巻しているF1種は、そもそもタネが採れない種だったり、採れたとしても農家にとって不都合な形質が出てしまい、商売にならないものがほとんどなのだ。
 確かにF1は遺伝子配列が限りなく均一に近いため、生産性が高い上に色や形が均一で収穫もほぼ同時期に集中して行うことができるなど、均一の規格が求められる今日の流通制度の下では利点が多い。しかも、その一代に限るが、農家にとって都合のいい形質を確実に得ることができる。
 また、F1はタネを毎年種苗会社から購入しなければならないことが農家にとってはディメリットとなるが、元々タネのコストは農業全体の中では微々たるものだという。そのため農家にとってF1種子は明らかにメリットの多い存在となっている。言うまでもなく種苗会社にとっても、毎年農家に種を売ることができるというメリットがある。1970年代頃までは必ずといっていいほど独自に種を採っていた農家が一気にF1にシフトした背景には、農家にとっても種苗会社にとっても双方にメリットがあるF1の特徴があった。
 一方、在来種は農家が味や風味などの形質を維持してきたが、F1と比べると遺伝子配列に大きな個体差があるため、色や形、大きさが不揃いになったり、成長の速度にもばらつきが出るなど、農家にとっては扱い難い面があることは事実だろう。
 しかし、毎年独自にタネを採れる在来種と異なり、農家にとってF1への依存は種苗会社への依存を意味する。本来であれば土と水と太陽さえあれば、何にも頼らずに独立して食物を作ることができるはずの農業が、多国籍企業や大手種苗会社に頼らなければ何も作ることができない工業型農業に変質してしまうことになる。そして、その過程で、それぞれの国や地域が、歴史とともに育んできた独自の食文化や食との関係もまた、変質を迫られることになる。多国籍企業や大手種苗会社が、世界のぞれぞれの地域の伝統に対応したタネを開発してくれることなど、元々あり得ないからだ。
 F1種によってモノカルチャー化した作物は、特定の病気に対して耐性を持つよう育種されている場合が多い一方で、予期せぬ病気や急激な気候の変動に対して、均質化された作物が一網打尽の被害を受け全滅してしまいかねないリスクも負っている。遺伝子にばらつきがある在来種であれば、たまたま病気や温度変化に対する耐性が強い株がその中に含まれている可能性があり、それが全滅を防ぐ上で重要となる。平時には扱いにくい原因となる在来種の特徴が、有事には逆に利点となる可能性があるのだ。
 しかし、仮に誰かがF1への過度の依存のリスクを認識し、ぜひ在来種を残すことに貢献したと考えたとしても、消費者としてできることはほとんど何もない。そもそも今日市場で売られている野菜は、オーガニックを含めほぼ100%F1種だ。無農薬だの非遺伝子組み換えだのを選択することは可能でも、在来種を市場で買い求めることは、ほぼ不可能な状態にある。
 野口種苗研究所の野口勲代表は、今この瞬間にも在来種が日々この世から姿を消しているという。F1に席巻された今日の農業市場では、在来種のタネの生産はメリットが小さいからだ。「在来種を残していくためには、皆さんにぞれぞれの方法で在来種を育てていただくしかない。どこかに一つでも在来種の遺伝子が残っていれば、いざというときでも何とかなる」と家庭菜園やベランダ飼育も含めた在来種栽培を提唱する。ことタネに関する限り、われわれ消費者はさほど自覚のないまま、大変重要な橋を既に渡ってしまったのかもしれない。
 在来種専門のタネ屋を経営する野口氏に、今タネに何が起きているかを聞いた。

だから日本はまた暴走する

(第590回 放送日 2012年08月04日  PART1:69分 PART2:39分)
ゲスト:片山 杜秀氏(慶應義塾大学法学部准教授)

 

 約70年前、当時5倍以上の経済規模を持つ超大国のアメリカとの無謀な戦争に突入した日本。なぜ日本が勝算もないまま必ずしもその目的さえ明らかとは言えないような無謀な戦争に突入したかについては、その後幾多の検証がなされている。しかし、仮にその「なぜ」が解き明かされたとしても、次はそうならないという保証はどこにもない。
 政治思想史が専門の片山杜秀氏(慶応大学法学部准教授)は、今からほぼ100年前の1914年に開戦した第一次世界大戦に、その後の日本の暴走を解くカギがあると主張する。
 ヨーロッパで始まった第一次世界大戦はアジアにも飛び火し、日本は東アジアにおけるドイツの拠点を攻め落とし、戦勝国となった。しかし、その10年前の日露戦争で、国力に圧倒的に勝るロシアを相手に、夥しい犠牲を出しながらも白兵戦で勝利した。日本にとって第一次世界大戦は、もはやこれからの戦争が白兵戦や精神力の戦いの時代ではなくなっていることを痛感させるに十分だった。つまり、歩兵に代わって航空機や戦車などの新しい兵器が主役を務めることになるこれからの戦争では、長期化する全面戦争を継続するだけの経済力や工業力、そして生産力の如何が勝敗を決める決定的な要素となっていた。命知らずの勇敢な歩兵の精神力だけで戦争に勝てる時代は終わったことを、連合軍の一員として欧州戦線をリアルタイムで視察した日本軍の幹部たちは認めざるを得なかった。
 問題は「持たざる国」が「持てる国」に勝つことがもはや難しいことはわかったが、肝心の日本が「持たざる国」だったことだ。
 片山氏は第一次大戦後の日本の軍部に多大な影響を及ぼした小畑敏四郎、石原莞爾、中柴末純などの軍指導者たちは、いずれも「持たざる国」が「持てる国」に勝てないことを熟知していたと説く。しかし、にもかかわらずなぜ「持たざる国」の日本は、世界で最も「持てる国」のアメリカとの全面戦争などという愚かな選択をしたのか。
 片山氏は日本の政治機構に決定的な問題があったとの見方を示す。例えば、第一次大戦を視察して物量の重要さを熟知した小畑らは、日本は大国との全面戦争に勝ち目はないことを悟り、あくまで劣弱な相手との限定戦争のみを選択する政策を主張した。小畑らが主張した殲滅戦論というのは、おおっぴらにそうは謳っていないものの、実はあくまで劣弱な相手を想定したものに過ぎなかった。これからの戦争は「持たざる国」が「持てる国」とまともに戦っても勝てるはずがない。だから、相手を選び限定的な戦争に殲滅作戦で臨むことで有利な和平交渉に持ち込む。これが小畑らの殲滅戦思想の隠された要諦、つまり密教の部分だったと片山氏は指摘する。
 しかし、日本では軍が政治に関与する度合いは強く制限されていた。そのため軍のこうした知識や認識が政治と共有されることは終ぞなかった。また、軍内部の権力闘争の結果、皇道派の小畑らは統制派に敗れ実権を失ってしまう。その結果、殲滅戦論の密教部分を除いた、ベタの殲滅戦思想のみが統制派によって踏襲されていったと片山氏は言う。
 関東軍の参謀だった石原莞爾らが主導した満州国の建国及びその属国化も、元はといえば「持たざる国」の日本を「持てる国」にするための手段として選択された政策だったと片山氏は言う。石原らは、満州の開発などを通じて日本経済が順調に成長していけば、1970年頃までには日本もアメリカ並の経済力を身につけることが可能になると考え、その頃に日米の最終戦争を想定したという。しかし、言うまでもないが満州への侵攻は国際社会、とりわけソ連との緊張を高め、日本は石原が想定したよりも30年近くも早く日米開戦に突入してしまう。
 『戦陣訓』の著者の一人とされる中柴末純にいたっては、これからの戦争では物量かカギであることを知れば知るほど、そして日本に勝ち目がないことを知れば知るほど、より精神論に傾斜していくという逆説的な動きを見せた。その結果が「生きて虜囚の辱めを受けず」であり、玉砕の美化だった。
 どうもこうして見ていくと、日本が無謀な戦争に突入していった際、少なくとも軍部には、第一次大戦の教訓として「持たざる国」は「持てる国」には勝てないという認識や分析が十分過ぎるほど共有されていたようだ。しかし、その時の日本はその分析を全くといっていいほど政治に活かすことができなかった。活かせなかったばかりか、むしろそれとは正反対の政治行動を取っている。
 それはなぜなのか。片山氏は日本の政治機構のあり方に決定的な特徴、いや欠陥と言うべきかもしれない問題があり、とかく日本人は権力の集中を嫌がる傾向があるのだと言う。普段は権力が分散しているため、なかなか意思決定ができない。誰か強いリーダーが出てくると、先を争うようにそのリーダーの足を引っ張り始める。そのため内輪もめが絶えない。だから政策の継続性を保つことも難しいし、誰が主導するともないままに間違った政策が選択され、それがそのまま実行に移されることも多い。
 日米開戦時に陸軍大将の東条英機が首相と陸軍大臣と参謀総長を兼任したことが、軍部専政の証のように言われることがあるが、片山氏は逆にこのことが、日本の政治制度が戦争という有事にあっても分散した権力がお互いを牽制し合うようになっていたことの証左であると指摘する。
 この一連のエピソードを現在の政治状況に当てはめると、何が見えてくるだろうか。エネルギー資源を「持たざる国」の日本が、明らかに地理的条件の不向きな原発を維持・推進しようとしてきた。そして、あれだけの事故を目の当たりにしながら、「ああでもないこうでもない」論争が続く。政府は当初、夏中に決定する予定だった次代のエネルギー政策の策定を、年末まで延ばす方針だと言う。原発を継続できれば経済大国としての地位が維持できる。「持たざる国」を何とかして「持てる国」に変えていこうとする試みという意味では、これは石原莞爾的なアプローチということになるのだろうか。しかし、石原莞爾は満州の資源開発によって日本を「持てる国」にした先に、「世界最終戦争」と法華経の説くユートピアの実現を夢見ていたという。
 片山氏自身は「背伸びはやめて、静かに着地して静かに生きる」という選択肢を薦めるが、皆さんはどう思われるだろうか。
 第一次世界大戦を基軸に据えた独自の視点で日本が太平洋戦争へ突き進んだ過程を分析してきた片山氏とともに、なぜ日本はダメだとわかっていることを繰り返しやってしまうのか、そして今日の日本が当時と変わった点、変わっていない点は何なのかなどを、哲学者の萱野稔人と社会学者の宮台真司が議論した。

vol.57(571~580回収録)

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タブーはこうして作られる

(第571回 放送日 2012年03月24日  PART1:66分/PART2:62分)
ゲスト:川端 幹人氏(ジャーナリスト・『噂の真相』元副編集長)

 

 どんな国にも触れてはならない話題はある。これを禁忌と呼んだり、タブーと呼んだりする。
 タブーはポリネシア語で聖なるものを意味するtabuに語源があると言われ、本来は触れてはならない聖なるものや、その裏返しの触れてはならない穢れたもののことを指すものだ。
 だから、本来タブーにはタブーたる由縁がある。しかし、日本の場合は本来の定義に当てはまるタブーは必ずしも多いわけではない。むしろ、もっと単純な、そしてやや恥ずかしい理由で、多くのタブーが生み出されているようだ。
 「タブーに挑戦する」をスローガンに数々のタブーに挑戦してきた雑誌『噂の真相』の副編集長として、文字通り数々のタブーに挑戦し、実際に右翼団体の襲撃も経験した川端幹人氏は、日本のタブーには暴力、権力、経済の3つのパターンがあり、これにメディアが屈した時にタブーが生まれていると言う。
 3・11以前は、原発がそんな日本的タブーの典型だった。川端氏は原発は先にあげた3つの類型の中では究極の経済的タブーだったと言う。地域独占を背景に電力会社が持つ絶大な経済力は、メディアもスポンサーも丸ごと飲み込んでいた。しかも、原発には年間1千億円を超える巨大な広告費などの絶大な経済力に加え、国策やエネルギー安全保障や核オプションといった、実態の見えない後ろ盾に支えられていると受け止められている面があり、電力会社側もメディアへの圧力にこれを最大限に利用した。結果として、原発を含む電力会社を批判することは、広告をベースに運営されるメディアにとっては、自殺行為以外の何物でもなかったと川端氏は言う。
 実際、東京電力がスポンサーをしていたテレビ番組を見ると、日テレ系「ズームイン!!SUPER」、「情報ライブ ミヤネ屋」、「news every.」「真相報道バンキシャ!」、TBS系「報道特集&ニュース」、「NEWS23クロス」、「みのもんたの朝ズバッ!」、フジ系「めざましテレビ」、テレ朝系「報道ステーション」、など、その手の問題を扱う可能性のある番組に集中していることがわかるが、それもこれも、1974年以降、電気事業連合会(電事連)の中に設けられた原子力広報専門委員会で練られたメディア戦略に基づいたメディア懐柔策だった。
 その他、電力会社のメディア操縦は、マスコミ関係者に投網をかけるように豪華接待攻勢をかけていたほか、マスコミ関係者の天下りの斡旋まで手を広げていたと川端氏は言う。
 また、電力会社は経済力の延長で、天下りなどを通じて政界、経済産業省、検察、警察との太いパイプも持ち、これもまたメディアに対する睨みを効かせていた。
 要するに原発タブーというのは、本来的な意味でのタブーでも何でもなく、単にメディア関係者が電力マネーによって根こそぎ買収され、それでも言うことを聞かないメディアには、訴訟を含めた強面の圧力をも持ってして押さえ込んだ結果に他ならなかったと、川端氏は言う。
 最近では経済タブーの筆頭にあげられるものが、AKB48に関連した不都合な情報だと言う川端氏は、こうした経済タブーの他にも、ある種の伝統的なタブーに近いと思われているタブーも、その実態はもう少し残念な状態にあるとして、自らを含めたメディアの姿勢を批判する。例えば、皇室や天皇制に関するテーマは多くの場合タブーとして扱われる場合が多い。これは一見、タブーの定義である「触れてはならない聖なるもの」かと思われがちだが、さにあらずと川端氏はこれも一蹴する。日本でメディアが皇室や天皇制を批判することを控える理由は、右翼の街宣攻撃や実際に危害を加えられることを恐れた結果であって、現にメディア上では皇室をタブーとして扱っているメディア関係者の多くが、私的な場や打ち合わせの場では、平然と天皇制を批判したり、皇族を馬鹿にしたような台詞をはいていると、川端氏は指摘する。
 実際、歴史的な経緯を見ても、戦後GHQの占領下では右翼の圧力を気にする必要がなかったために、皇室を揶揄したり批判する本や論説が多く登場した。しかし、1961年に雑誌『中央公論』が掲載した小説を理由に同社の社長宅が右翼青年に襲われ、お手伝いの女性が刺殺される「風流夢譚事件」などをきっかけに、皇族や天皇制を批判したり揶揄したりしたメディアに対する右翼の攻撃が日常化したために、皇室ネタはメディア上ではタブーとして扱われるようになったと川端氏は言う。
 右翼に襲われて怪我をして以来、自分の筆が鈍っていることを感じ、結果的に噂の真相の継続を断念するに至ったという川端氏と、本来はタブーでも何でもないテーマが、広告圧力や暴力による脅威によって封殺されている日本のタブーの現状を議論した。  

5金スペシャル 3・11から1年+3週間-今考えておかなければならないこと

(第572回 放送日 2012年03月31日  PART1:82分 PART2:47分)
ゲスト:津田 大介氏(ジャーナリスト)、萱野 稔人氏(哲学者)

 

 5回目の金曜日に特別企画を無料放送する5金スペシャル。今回はジャーナリストの津田大介氏と哲学者で津田塾大学准教授の萱野稔人氏をゲストに、震災・原発事故から1年あまりが過ぎる中、あえて今、われわれが考えておかなければならないことは何かを議論した。
 震災・原発事故から1周年にあたる3月11日、マスメディアは軒並み震災・原発事故の特集を組み、当時の映像や震災・事故直後に何が起きたのかを、検証する企画を発信した。ところが、それから一夜が過ぎると、マスメディア、特にテレビは前日の放送が嘘のように、震災や原発に触れることをパタッと止めてしまった。
 震災そして原発事故は、様々な形で現在の日本が抱える病理や難問を浮き彫りにした。そしてその問題の多くは、震災よりも遙か以前から、日本が抱えていたにもかかわらず、解決できないまま、ずるずると引きずってきたものだった。
 この災難を奇貨として、われわれはこの病理に立ち向かうことができるのか。それとも、問題を解決できないまま、破綻への道を突き進むのか。
 この災禍を未来へとつなげていくために、今、われわれがやらなければならないことは何なのか。津田、萱野両氏と議論した。  

12年目にして見えてきたこと

(第573回 放送日 2012年04月07日 PART1:71分 PART2:50分)

 

 2001年の番組開始以来12年目に入ったマル激。
 当初のマル激はゲストを呼ばず、神保・宮台の2人がその週のニュースから様々な論点を見付け出して論じるスタイルだった。12年目の節目に、久しぶりにゲスト無しのオリジナルスタイルのマル激をお送りしたい。
 巷では原発の再稼働や消費増税など、一年前に起きたあの震災や原発事故がまるでなかったかのように、ビジネス・アズ・ユージュアル(これまで通りの通常営業)が続いている。実際、今われわれが直面する問題のほとんどすべては、3・11よりずっと以前からわれわれが抱えていた問題であり、また以前から繰り返しマル激でも取り上げてきた問題だった。
 マル激では当初は問題の核心やその背後にある構造を見極めることにエネルギーと時間を費やしてきたが、回を重ねるごとにそれだけでは何も変わらないと痛感するようになった。そして、それ以来、できるだけ手の届くところ(アームズレングス)で取っ掛かりを見つけるよう心がけてきた、つもりだった。しかし、実際は573回目の放送を迎えた今回にいたっても、それができているとはとても思えない。
 むしろ、何が問題かはわかっているのに、そしてその処方箋も数多く提示されているのに、問題は一向に解決されず、事態が改善しないのはなぜなのか、そのための最初の取っ掛かりさえ見つけられないほど、われわれが放置してきた問題はわれわれのシステムにビルトインされ、システムの一部となってしまったのかもしれない。
 おまかせ主義から脱却し、社会の諸問題を自分の問題として捉え、自分にできることからやっていく、民主主義の基本ともいうべき「参加と自治」の姿勢そのものは間違っていないはずだ。しかし、それを実践するための取っ掛かりがなかなか見つからなければ、いい加減いやになってくるのも無理はないだろう。
 しかし、だからといって諦めるわけにはいかない。ゲーム版が壊れてしまっては、ゲームオーバーなのだ。これからのマル激は、これまでマル激が力を注いできたように、問題の本質とその背後にある構造をしっかりと見極めることを継続していくのと同時に、その解決の糸口となる「取っ掛かり」を見つけることを、新たな課題の一つに加えたいと思う。
 これもまた、言うに易し。そう簡単にはいかないかもしれない。多分いかないと思う。しかし、11年前にまだ30代だった神保哲生と40代になりたての宮台真司の2人が、「結構日本やばいよね」、「社会死んでないか」、「世界がおかしい」、「メディア終わってるし」などの問題意識を共有し、そうした問題意識に働きかける手段を模索しようと暗中模索で始めたマル激は、これからも試行錯誤を続けていくしかない。
 今週は12年目の節目を迎えたマル激が、12週年スペシャルと称して、特にテーマを決めず、今の日本と世界、そしてマル激がこれまで11年間かけて議論を続ける中で培ってきた問題意識を、神保哲生と宮台真司が自由に語り合った。  

中国の熾烈な権力闘争にわれわれは何を見るか

(第574回 放送日 2012年04月14日  PART1:68分 PART2:48分)
ゲスト:葉 千栄氏(東海大学総合教育センター教授・ジャーナリスト)

 

 まさに三国志さながらの劇的な権力闘争だった。3月15日中国直轄市重慶トップの薄熙来が突如解任された。4月10日には中国共産党中央委員会政治局委員としての職務も停止され、次世代のリーダーの一人と目されていた大物政治家薄熙来の完全失脚が決定的となった。今や大国となった中国での突然の政変に、世界は息を呑んだ。
 中国は秋の共産党大会で、事実上の国家元首である党総書記に習近平が就任することが確定していると見られ、一般には平穏な権力委譲が行われると考えられていた。ところが、今回の事件はその水面下で、熾烈な権力闘争が繰り広げられていたことが、図らずも露わになった。
 中国政治というと毛沢東や鄧(トウ)小平をはじめとする最高権力者個人が、強力なリーダーシップで国政をコントロールするというイメージがある。しかし、中国政治に詳しい東海大学の葉千栄教授によれば、現在の中国の政治体制は9人の共産党中央委員会政治局常務委員を中心とした集団指導体制をとっており、この9人が政治を支配している。そのため、13億人のトップに君臨するこのポストを巡って、熾烈な権力闘争が繰り広げられているというのだ。そして、今回の薄熙来の失脚劇は林彪の亡命劇や毛沢東婦人江青ら四人組事件に匹敵する、近代中国史における大事件だったと葉氏は評する。
 葉氏は、今回の事件の背景に中国社会の将来像を巡る路線争いがあったと言う。そして、薄熙来の失脚は、彼の掲げたビジョンが権力の中枢部によって明確に否定されたことを意味する。薄は重慶市党委書記長として「唱紅(ツァン・ホン)」や「打黒(ダーヘイ)」と呼ばれる運動を指導し、絶大な人気を誇った。それらの運動は、急速に超大国へと駆け上がった中国社会の裏側で巣くう不正や汚職に対する庶民の憤りを代表するものだった。それは貧しいながらも正義が貫かれていた毛沢東時代へのノスタルジーをかきたて、薄は地方都市の英雄となった。しかし、それは党最高指導部の逆鱗に触れることとなった。温家宝首相は薄煕来が重慶市書記から解任される前日に、「文化大革命のような歴史的悲劇が繰り返される可能性がまだ存在する…これまで長きにわたって、重慶市の歴代の政府と広大な人民大衆は、改革建設事業のために多くの努力を注いできた。それは明らかな成果を生んでも来た。しかし、現在の重慶市(中国共産党)委員会と(重慶市)政府は必ず反省しなければならない」と発言し、激しく薄を批判している。
 薄熙来は失脚したが、急速な経済成長によって生じた様々な歪みに対する国民の不満を背景に、薄が英雄ばりの支持を集める様を目の当たりにした共産党の指導部は、今後、鄧(トウ)小平以来中国が邁進してきた経済成長一辺倒の「先富」路線に一定の見直しを余儀なくされるだろうと葉氏は言う。
 屈指の中国エキスパートである葉氏と、文化大革命以来の粛正ともいわれる薄熙来の失脚劇から見えてくる中国政治のダイナミズムと、そこに日本のわれわれが何を見るべきかを、ジャーナリストの青木理と社会学者の宮台真司が議論した。  

今こそ電力の自由化を進めよう

(第575回 放送日 2012年04月21日  PART1:66分 PART1:63分)
ゲスト:高橋 洋氏(富士通総研経済研究所主任研究員)

 

 政府は先週末、関西電力管区内の需給逼迫を理由に大飯原発の再稼働に踏み切り、地元自治体との交渉を始めた。関電が出してきた需給データによると、この夏最大で20%もの電力が不足する可能性があるという。しかし、何とかして原発を再稼働させたい関電が出してきたデータだけを元に、原発を再稼働させて本当にいいのだろうか。
 実は、政府は電力会社が出してきた需給情報の信憑性を精査する術を持っていないため、電力会社の主張をそのまま受け入れるしかないのだという。ことほど左様に、地域独占体制の下、電力会社はやりたい放題やってきたし、独占がそれを可能にしてきた。しかし、そろそろ地域独占の本当のコストを再考すべき時に来ているのではないか。
 東京電力が企業などの電気料金を4月から平均17%値上げする計画を発表すると、自治体などの大口の需要家の間で、PPS(特定規模電気事業者)と呼ばれる事業者から安価な電力を調達しようという動きが広がった。実は日本の電力市場は「部分自由化」されていることになっている。しかし、PPSの総電力需要に占める割合は僅か1.9%に過ぎない。実際はPPSの参入が可能になってからすでに10年以上が経っている。にもかかわらず、なぜPPSのシェアは一向に増えないのか。
 世界各国の電力市場の動向に詳しい富士通総研経済研究所の高橋洋氏は、日本の電力市場の自由化は先進国の中でも最も遅れていると言う。現在の「部分自由化」も非常に限定的なもので、しかもPPSに対して様々な厳しい制約条件が課されているために、長らく地域独占を享受してきた圧倒的に強大な電力会社との間で競争が生じるような状態とはほど遠い。例えば、電力会社はPPSに対してインバランス料金というものを課すことが認められているため、PPSは電力の需要と供給のギャップを30分単位で均衡させなければならないが、これは規模の小さいPPSにとってはとても大きな負担となっている。
 電力自由化に反対する論者は、自由化をすれば安定供給が脅かされ停電が頻繁に起きると主張する。しかし、高橋氏はそうした主張にはまったく根拠がないと言い切る。海外の事例では、かえって自由化によって電力システムの安定度が高まる場合もあることを示しているからだ。
 現在の日本における電力自由化の最大の欠陥は、発電部門と小売部門が部分的にでも自由化されているのにもかかわらず、送配電部門が開放されず、依然として地域独占の電力会社が保有し続けていることだと高橋氏は言う。電力をユーザーに供給する上で必ず必要になる送配電網が、電力会社によって独占されている限り、新規参入企業は発電部門に参入しても、小売り部門に参入しても、送配電の段階で電力会社によって有形無形の妨害を受けることになる。
 送配電部門を他の分野と分離して、中立的な事業者による運営に切り替えない限り、日本の電力市場に本当の意味での競争は生まれない。よって、世界で最も高いと言われる電気代も下がらないし、電力会社のサービスも向上しない。そして、何よりも、3.11の事故以来再三再四指摘されてきた、情報の隠蔽体質や政治力を駆使した政府への影響力の行使、とりわけ原発の再稼働や推進が止むことはないだろう。
 電力事情をより透明で健全なものに変えていくためにも、そしてユーザーに本当の意味での選択肢を提供するためにも、今こそ電力の自由化、とりわけ発送電の分離を進めるべきではないか。
 政府の有識者会議で発送電分離を強く訴え続けている高橋氏をゲストに迎え、日本の電力システムの問題点とその改革の方途について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。 

原発大国から地熱大国へ

(第576回 放送日 2012年04月28日  PART1:39分 PART2:40分)
ゲスト:村岡 洋文氏(弘前大学北日本新エネルギー研究所教授)

 

 日本は天然資源に乏しい国と言われて久しいが、実は日本には世界有数の天然資源がある。それが地熱だ。環境学者のレスター・ブラウン氏はかつてビデオニュース・ドットコムのインタビューで、活発な火山帯に属し強度の地震が多発する日本には原発は適さない発電方法だが、その裏面として、地熱発電には絶好の条件が揃っていると指摘し、まったくその逆を行く日本のエネルギー政策を訝った。
 実は日本はアメリカ、インドネシアに次いで世界第3位の地熱源を保有する地熱大国なのだ。ところが、実際の地熱発電量を設備容量で見ると、日本は現在世界で第8位に甘んじており、こと地熱発電量では人口が僅か30万余のアイスランドにさえも遅れをとっている状態だ。しかも、地熱のタービン技術に関しては、富士電機、三菱重工、東芝などの日本メーカーが、世界市場を席巻しているにもかかわらずだ。
 なぜ、これほどの資源に恵まれ、世界最先端の技術も有していながら、これまで日本で地熱発電は進まなかったのか。長年、地熱開発研究に携わってきた弘前大学北日本新エネルギー研究所の村岡洋文教授によると、日本で地熱発電が遅れた理由は明らかに国の政策が影響しているという。2度のオイルショックの後、日本でも一時、地熱発電を推進する政策が取られたことがあった。しかし、1997年に地熱は「新エネルギー」から除外され、その後、地熱の技術開発に対する公的支援も完全にストップしてしまう。結果的に、過去約15年の間、日本での地熱研究は完全に停滞してしまった。
 村岡氏はその背景として、景気後退による財政難と同時に、政府による原発推進政策があったとの見方を示す。出力が安定的なためエネルギーのベースロードを担うのに適している地熱は、ベースロードを原発で賄うエネルギー政策を選択した政府にとって、不要かつ邪魔な存在だったというのだ。
 また、日本の地熱源の多くが、開発が禁じられている国立・国定公園内に集中していることも、地熱開発の足かせとなった。
 しかし、今年3月27日、環境省自然環境局通知により、国立・国定公園内の開発制限が緩和され、公園内の地熱発電所の設置が可能になった。また、4月25日には経産省の委員会が、地熱によって発電された電気の買取価格が1.5万kW以上の発電所で1キロワット時あたり27.3円、買取期間も15年とする案が出され、それがそのまま実施される可能性が高まっている。上記の2つの条件が揃えば、日本でも地熱発電が15年ぶりに大ブレークする可能性があると、村岡氏は期待を寄せる。
 地熱発電に対して慎重な姿勢を見せる温泉組合との調整というハードルが残るが、村岡氏は、地熱発電の温泉への影響はほとんど皆無と言ってよく、今後、温泉組合側にも利点のある温泉発電の普及などを通して、この問題も次第に解決されていくとの見通しを示す。
 世界有数の地熱大国である日本で地熱開発が進めば、太陽光や風力のように天候に左右される他の自然エネルギーと異なり、24時間安定的に供給が可能な自前のエネルギー源を持つことができる。村岡氏は日本がその潜在力をフルに活かせば、地熱発電は原発に代わる電源となり得ると言う。
 日本の地熱研究の数少ない権威の一人である村岡氏を迎え、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が地熱発電の可能性について議論した。

神保哲生のチェルノブイリ報告 終わりなき原発事故との戦い

(第577回 放送日 2012年05月05日  74分)

 

 史上初のレベル7原発事故からこの4月で26年目を迎えたチェルノブイリの最新情報を、神保哲生が取材報告する。
 チェルノブイリ原子力発電所では、今も事故を起こした4号機から放射能が漏れ続け、それを押さえ込むための懸命の作業が26年経った今も続いていた。石棺はコンクリートが経年劣化を起こし、放射能が外部に漏れる恐れがあると同時に、巨大な石棺自体に倒壊の恐れが出てきたため、今度は更に巨大なドームで石棺を上から覆う工事が計画されていると言う。
 しかし、爆発炎上した4号機の核燃料は依然として取り出すことができていない。損傷を受けた原子炉から核燃料を取り出し、安全な場所に保管しない限り、本当の意味で原発事故は収束したとは言えないのだ。
 また、チェルノブイリから飛散した放射性物質による健康被害も、26年経って、むしろ原発事故由来の疾病の発生が増えているという。しかも、ウクライナでは事故の4年後から子供の甲状腺ガンの発生が始まったが、驚いたことに事故から26年が経っても、まだガンの発生が年々増え続けているという。
 更に、四半世紀が経っても、食の放射能汚染が収まる気配を見せない。原発周辺の村では、今でも1万ベクレルを超えるキノコや野生動物の肉が発見されているという。
 26年目を迎えたチェルノブイリの今を、神保哲生が現地の取材映像とともに報告する。  

大統領選でフランスが選んだものとは

(第578回 放送日 2012年05月12日 PART1:71分 PART2:46分)
ゲスト:山田 文比古氏(東京外国語大学教授)

 

 フランスの新しい大統領が決まった。10人が立候補した4月22日の第1回投票では過半数を獲得する候補者が出なかったため、5月6日に上位2候補による決選投票が行われた結果、第1回投票でも1位だった社会党のオランド氏が現職のサルコジ大統領の得票を上回り、当選を決めた。フランスでは故ミッテラン大統領以来、17年ぶりの社会党政権の誕生となった。
 大局的に見れば、今回のフランスで起きた政権交代劇は、リーマンショックに端を発する世界金融危機後、先進各国で新自由主義的政策を掲げていた現職ないし政党が敗れたのと同じ構図の中にあると見ることができるだろう。しかし、元駐仏公使で東京外国語大学教授の山田文比古氏は欧州、特にフランスの特殊事情として、もう一つの危機の存在の影響が大きかったことを指摘する。
 フランスは2008年の第1の金融危機については、他の先進諸国と比べると、大きな政策変更や構造改革を行わずに乗り切ることができた。サルコジ大統領の新自由主義政策の下で、企業の社会保障費負担の軽減や年金の支給開始年齢引き上げといった社会のセーフティネットが削られる前に金融危機に見舞われたことで、従来からフランス社会に存在していた分厚い社会保障制度が危機の経済的影響を一部吸収することができたからだ。
 その後、ギリシャの財政問題に端を発する欧州経済危機がフランス社会を襲ったため、二度目の危機でフランスは大きなダメージを受けたと山田氏は指摘する。
 第2の危機の後、ドイツのメルケル首相と緊密な連携をとりながら緊縮政策へと大きく舵を切ったサルコジ政権の評価をめぐっては、フランス国内外で違いがあると山田氏は言う。市場を含む外部の目は、サルコジ政権の構造改革が不十分だったと見る。しかし、今回の大統領選挙を通してフランス国民が示した意思は、構造改革・緊縮財政政策自体への反発だったと山田氏は指摘する。フランス国民が「古き良き時代のフランス社会モデル」への回帰を望み社会党のオランド候補を後押ししたと言うのだ。
 社会党政権の誕生と同時に、今回の大統領選挙では、第1回投票で「極右」「極左」政党候補が大健闘し、合わせて3割を超える票を得て、3位、4位に入った。これらの候補者への支持は、社会党と国民運動連合という左右の2大政党を支持しない社会層の存在を示唆する。特に「極右」と言われるマリアーヌ・ルペンの躍進は、フランスの右派の間で、国家や主権を対外的に強く主張する伝統的ドゴール主義的主張が弱まっていることと関係しており、金融危機などで痛手を受けた反サルコジ派の低学歴若年層などが、こうした「極右」候補の下に結集する傾向があるのだと言う。
 サルゴジ大統領の緊縮政策を批判して政権を奪取したオランド新大統領ではあるが、ほどなく現実路線に転換し緊縮策を進めざるを得なくなるだろうと山田氏は見る。しかし、その一方で、そのような政権運営を行った場合、右派のみならず左派の間でもオランド氏への不満や失望が拡がる可能性もある。いずれにしても、難しい政権運営が待っていると言えそうだ。
 常に米英のアングロサクソン的グローバル化路線とは一線を画してきたフランスが、先の大統領選で何を選択したのかを、社会学者の宮台真司と哲学者の萱野稔人が山田氏とともに考えた。 

エネルギーデモクラシーのすすめ

(第579回 放送日 2012年05月19日 PART1:66分 PART2:33分)
ゲスト:植田 和弘氏(京都大学大学院経済学研究科教授)

 

 今夏に予定されるエネルギー基本計画の見直しを控え、新しい日本のエネルギー政策のあるべき姿を議論している総合資源エネルギー調査会基本問題委員会の議論が大詰めを迎えているが、どうも様子がおかしい。エネルギー政策の大きな枠組みを議論するはずのところが、従来の枠組みの中で電源種別のシェアをいかに微調整するかの議論に終始しているようにしか見えないのだ。
 エネルギー基本計画は日本のエネルギー政策の基本的な枠組みを決めたもので、現行の計画は2010年6月に閣議決定されていたが、2030年にエネルギー需要の50%を原発で賄う目標などが含まれていたことから、先の原発事故を受けて基本問題委員会が組織され、抜本的な見直しが行われていた。
 この委員会の大きな目的は、エネルギーを通した新たな日本の社会像を議論することだった。しかし、委員会は委員長と事務局側によって定量的な議論に押し切られ、その未来像をどう描くか、という議論に踏み込むには至っていない。
 経済学者で、同委員会の委員長代理を務める京都大学大学院の植田和弘教授は、「基本問題委員会の基本問題」を指摘し、現在の委員会の議論への不満を隠さない。
 植田氏は、そもそも日本はエネルギー政策の決め方を議論しなければならなかった。これまでのエネルギー政策の決め方には透明性がなく、市民が議論に参加できるような枠組みも存在していなかったからだ。これはエネルギー政策に限った問題ではないが、とりわけエネルギー政策は原発を続けるかどうか、節電をどこまで求めるかなど、市民生活への影響がとても大きな分野だと言っていい。それだけ自分たちに大きな影響を与える分野の政策に、その当事者である市民が全くと言っていいほど関与できないのはおかしいと植田氏は指摘する。
 基本問題委員会にしても、そもそも委員の構成もあらかじめ経済産業省によって委員長の三村明夫新日鉄会長をはじめとするエネルギー関係の利益代表によって大半が占められているため、植田氏や環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長らが議事進行の進め方や議題の設定方法に異議を申し立てても、多勢に無勢で押し切られてしまっている。
 日本では長らく、電力を大量に消費する重厚長大型の産業の発展こそが豊かさをもたらすという、新興工業国的な発想が支配的だった。実際にそれで高度経済成長を達成することもできた。しかし、経済が成熟期に入り、脱工業化が求められる時代になっても、高度成長の成功体験があまりにも強かったためか、特に官界、財界はその発想から抜けることができないでいる。そのため、次の時代のエネルギーのあり方を議論する基本問題委員会においても、原子力産業の利益代表や重厚長大産業の利益代表らが議論を支配してしまっている状態なのだ。
 産業型の大規模な電力供給システムを構築したことで、産業は安定的な電力を享受できたかもしれないが、一般の市民は、電気というものは、料金さえ払えば無尽蔵に出てくるものとの錯覚を持つようになってしまった。植田氏はそもそも有限な資源であるエネルギーは、宇沢弘文氏が言うところの「社会的共通資本」であることを前提に考えるべきだと言う。有限な資源を公平・公正、かつ安定的に配分するためには、入会地や漁場のように市民が自治的に参加する「コモン・プール」として管理される必要があると植田氏は言うのだ。公共性が高いという理由で電力を国策に委ねると、官僚統制や情報独占が生まれ、その結果、利権が生まれて非効率になるし、市民の側にも電力を自分の問題として受け止めることができないため、例えば節電のような発想が自主的には生まれてこなくなる。
 また、次の時代の電力を考える上では、持続可能性、世代間の公平性、地域の再生の3つの条件を原則とすべきだと植田氏は言う。自ずと、再生可能エネルギーを中心とした小規模分散型ネットワークの構築が柱となるが、そこでもこれまでのように政府や企業に「お任せ」にするのではなく、地域の住民が参加する形で新しい仕組みを構築していくことが重要だと植田氏は強調する。
 原発事故を契機に、日本社会では少しずつではあるが、市民がエネルギー問題を自分の問題として捉えるエネルギーデモクラシーの息吹が見られる。次世代のエネルギー政策の枠組みを議論している総合資源エネルギー調査会基本問題委員会委員長代理の植田氏を迎え、日本がエネルギーデモクラシーを達成するために今何をしなければならないかなどを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。  

財務省はいかにして政権を乗っ取ったのか

(第580回 放送日 2012年05月26日 PART1:52分 PART2:35分)
ゲスト:江田 憲司氏(衆院議員・みんなの党幹事長)

 

 増税に命をかけるとか言っている野田政権は、一体何を考えているんだろう。そのように感じている人は多いのではないだろうか。もしかするとその感覚は野田政権に限ったものではなく、政治全般に対してかなり以前から抱いていたものかもしれない。
 本来であれば民主的なプロセスを通じて有権者であるわれわれが設置した政府であるはずの政権が、なぜかわれわれの方を向いていない。そして、それではどこを向いているかと言えば、どうやらいつも財務省を見ているということのようなのだ。
 国会では5月17日から「社会保障と税の一体改革」なる法案が審議入りしている。しかし、われわれ国民の多くがより関心を持つ社会保障の改革案など、何も出てきていない。早い話が消費税を5%にあげるための増税案を審議しているだけなのだ。それもこれも政治の全体が、財務省の意図に沿って進んでいる。野田政権は財務省が作ったと揶揄されることが多いが、残念ながらそれは本当のようなのだ。
 橋本政権の総理秘書官として財務省と激しく渡り合った経験を持つみんなの党の江田憲司幹事長は、財務省は今国会で消費税増税法案を通過させるために、ありとあらゆる権謀術数を駆使しているという。そして残念なことに、その多くが野田政権の下では功を奏しているという。
 まず、財務省は増税を実現するために、日本経済の危機を演出するのが得意だと江田氏は言う。最近よく耳にする財政危機論や将来世代へのつけ回し論など、多少でも経済を勉強すればその嘘に簡単に気がつくはずの情報でも、財務省は政治家や言論人、マスメディアなどを通じてそれを巧みに流すことで、簡単に世論を操作してしまう。もはや日本全体が財務省のマインドコントロール下にあると言っても過言ではないと江田氏は言うのだ。
 しかし、なぜ一省庁に過ぎない財務省が、そこまで権力を手中に収めることが可能なのか。江田氏は、財務省傘下にある国税庁の査察権の強大さが、十分に理解されていないと指摘する。有力政治家であればあるほど金銭関係で弱みを持つ人が多い。このことが財務官僚に付け入る隙を与えていると江田氏は言う。実際に江田氏はその力によって、本来行われるべき改革が潰されてきた実態を、何度も目撃していると言う。
 さらに、財務省には組織をあげて省益を守るための「裏部隊」があり、他の省庁とは比較にならないほど強い鉄の結束で、政治家やメディアなどに対するロビーイングを行う高い能力もノウハウも、そしてその仕組みも備わっているというのだ。ほとんどの政治家は、こうした硬軟取り合わせた攻撃に抵抗できず、籠絡されてしまう。
 政治主導を掲げて政権交代を果たした民主党だったが、官僚に対する抵抗力の弱さから、民主党政権で官僚の影響力はかえって強まってしまったと江田氏は言う。橋本内閣総理秘書官時代にかつての大蔵省改革に取り組み大蔵官僚らと対決した経験から、財務省にとって野田首相を消費税増税に政治生命を賭けるというまでに思い詰めさせるのは赤子の手をひねるほど容易であっただろうと言う。実社会での経験に乏しいまま国会議員となり総理にまで登りつめた野田氏には省庁のような巨大組織をマネージメントする能力が備わっていない。しかも同様のことが歴代の民主党総理にも言え、それが民主党の最大の欠点となっていると江田氏は分析する。
 しかし、財務省主導の政治というのは、早い話が経理部がすべてを支配している会社のようなもので、既存の社会的配置の中で最適な解を見出すことには優れているかもしれないが、そこから新たな価値やイノベーションは生まれてこない。財務省が政権を乗っ取った状態が続く限り、今まさに日本が求められているものは生まれてこないと江田氏は指摘する。
 最終的には政治が財務省を抑えるしかないが、それを実現するためには、財務省の手口を知り尽くしたスタッフを配置した上で、政治家は国税がどれだけ探ろうが埃一つでないほど身ぎれいにしていなければならないことを強調する。
 今話題の大阪維新の会との選挙協力についても注目されるみんなの党幹事長の江田氏に、財務省支配の実態とその力の源泉、そしてそれを乗り越えるために何が求められているかなどについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。

vol.56(561~570回収録)

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原発事故の裁判所の責任を問う

(第561回 放送日 2012年01月14日  PART1:68分/PART2:60分)
ゲスト:井戸 謙一氏(弁護士・元裁判官)、海渡 雄一氏(弁護士)

 

 「被告は志賀原発2号機を運転してはならない」
 2006年3月24日、金沢地裁の井戸謙一裁判長は、被告北陸電力に対し、地震対策の不備などを理由に、志賀原発2号機の運転停止を命じる判決を下した。しかし、日本で裁判所が原発の停止を命じる判決は、後にも先にもこの判決と2003年1月の高速増殖炉もんじゅの再戻控訴審の2度しかない。それ以外の裁判では裁判所はことごとく原告の申し立てを退け、原発の継続運転を認める判決を下してきた。また、歴史的な判決となったこの2つの裁判でも、その後の上級審で原告は逆転敗訴している、つまり、原告がどんなに危険性を主張しても、日本の裁判所が最終的に原発を止めるべきだと判断したことは、これまで唯の一度もなかったのだ。
 水掛け論になるが、もしこれまでに裁判所が一度でも、原発に「待った」の判断を下していれば、日本の原発政策はまったく違うものになっていたにちがいない。その意味で日本では裁判所こそが、原発政策推進の最大の功労者だったと言っても過言ではないだろう。
 それにしても、なぜ日本の裁判所はそこまで原発を擁護してきたのだろうか。
原発訴訟を数多く担当してきた弁護士の海渡雄一氏は、過去の原発訴訟でいずれも「専門技術的裁量」と呼ばれる裁判所の判断が、原告の前に立ちはだかった壁となったと指摘する。
 専門技術的裁量とは、原発のように高度に専門的な分野では、裁判官は技術的な問題を正確に判断する能力はない。そのため、裁判所は基本的には専門家の助言に基づいて行われている政府の施策を尊重し、そこに手続き上、著しい過誤があった場合にのみ、差し止めを命じることができるというもの。過去の裁判で、原発の耐震性や多重事故の可能性などが争点にのぼっても、裁判所は常にこの専門技術的裁量に逃げ込むことで、原発の本当の危険性を直視することから逃れてきた。
 また、女川原発訴訟の最高裁判決で、原発に関する情報を国や電力会社側が独占しているとの理由から、原発の安全性の立証責任は国や電力会社側にあるとの判断が示されているにもかかわらず、それ以降も裁判所はその判断基準を無視して、常に危険性の証明を原告側に求めてきた。
 要するに、裁判所としては基本的に政府や電力会社の言い分を信じるしかないので、もし原告がどうしても原発が危険だというのであれば、それを具体的に証明して見せるか、もしくは行政の手続きに著しい不正や落ち度があったことのいずれかを証明しない限り、原告には一分の勝ち目もないというのだ。
 その基準が唯一逆転したのが、冒頭で紹介した2006年の志賀原発差し止め訴訟だった。この裁判で裁判長を務めた井戸氏は、原告が提示した原発の耐震性に対する懸念に対して、被告の北陸電力が十分な安全性の証明ができていないとの理由から、原発を止める歴史的な判決を下している。しかし、この訴訟も上級審では原告の逆転敗訴に終わり、結果的に原発訴訟での原告の連敗記録をまた一つ更新してしまった。
 その後弁護士に転じた井戸氏は、過去の原発訴訟で最高裁が原発の停止につながるような判断を政策的な配慮からことごとく避けてきたため、それが下級審にも影響していると指摘する。国策でもある原発政策に、裁判所は介入すべきではないとの立場からなのか、原告が有利に見える場合でも、裁判所は専門技術的裁量だの危険性の立証責任を原告側に課すなどして、最終的には原告の申し立てを退け、原発の運転継続を後押ししてきた。
 その集大成とでも言うべき浜岡原発訴訟では、裁判所自ら原子炉が断層の真上にあることや、近い将来この地域で大規模な地震が起きる可能性が高まっていることを認めておきながら、「抽象的な可能性の域を出ない巨大地震を国の施策上むやみに考慮することはさけなければならない」として、あくまで国の政策に変更を求めることを拒否する姿勢を裁判所は見せている。
 ちなみにこの裁判で原告側が、地震によって2台の非常用ディーゼル発電機が同時に故障する可能性や、複数の冷却用配管が同時に破断する可能性などを指摘したことに対し、中部電力側の証人として出廷した斑目春樹東京大学教授(当時)は、「非常用ディーゼル二個の破断も考えましょう、こう考えましょうと言っていると、設計ができなくなっちゃうんですよ」「ちょっと可能性がある、そういうものを全部組み合わせていったら、ものなんて絶対に造れません」と証言している。そして、その後原子力安全の総責任者である原子力安全委員長に就いた斑目氏のもとで、2011年3月11日、福島の第一原子力発電所でまさに複数の非常用ディーゼルが故障し、複数の冷却用配管の同時破断が起きたことで、メルトダウンに至っているのだ。
 「原発訴訟では原告側の証人を見つけることが常に最も困難な作業だった」と過去の原発訴訟を振り返る海渡氏は、3・11の事故以降、原発訴訟に対する裁判官の態度が変わってきたという。これまで原告が主張するような重大な事故はまず起こらないだろうと高を括っていた裁判官も、福島の惨状を目の当たりにして、ようやく目が覚めたのかもしれない。
 しかし、これまで原発を裁判所が後押ししてきたことの責任は重い。なぜ日本の裁判所は政府の政策を覆すような判決から逃げるのか。歴史的な原発停止判決を下した元判事の井戸氏と数々の原発訴訟の代理人を務めてきた海渡氏と、原発事故の裁判所の責任とは何かを考えた。  

われわれはどこから来て、どこへ向かうのか

(第562回 放送日 2012年01月21日  PART1:59分 PART2:39分)
ゲスト:篠田 謙一氏(国立科学博物館人類史研究グループ長)

 

 われわれ人類は10万年という単位の時間に責任が持てるのだろうか。
 福島第一原発の事故で原発の是非をめぐる議論が活発に交わされるようになったが、原発が存続する限り原発から出る使用済み核燃料は、10万年程度は地下で保管しなければならない。また、原発の副産物プルトニウム239の物理的半減期は2万4000年、核燃料に用いるウラン238にいたっては45億年だ。
 今、こうした万単位、あるいは億単位の時間を議論するわれわれが一体何者なのかを考える上で、今週のマル激ではわれわれ人類の起源に思いを馳せてみることにした。これから10万年の間、放射性物質を地下保管しなければならないことを前提に原発を続けるということは、10万年前のネアンデルタール人が、現代の人類にまで影響が及ぶ行為を選択することと同じだ。少なくともそのスケール感を認識した上で、10万年単位でわれわれ人類がどこから来て、どこに向かっているかを考えてみた。
 10万年前といえば、まだネアンデルタール人がヨーロッパにいた。今の人類よりも脳の体積もずっと小さく、骨格もまだ猿人の名残を残す旧人だ。同時に、アフリカで20万年前頃に登場したとされるわれわれ現生人類の祖先である新人ホモ・サピエンスがアフリカからの脱出を図り始めたのも10万年前頃だったそうだ。700万年から1000万年くらい前に類人猿から枝分かれした人類は、猿人から原人、旧人へと進化を遂げ、この頃ようやく地球上に登場してきたのが新人と呼ばれるホモ・サピエンスだった。現代のわれわれ人類と同等の知能をもったホモ・サピエンスは、おそらく冒険心からか、あるいは環境の変化によってやむなく、出アフリカを選択し、そこから人類は地球上に広がっていった。この時アフリカを脱出したホモ・サピエンスの数は一説によると150人程度だったという。
 実は最近のDNA解析技術の進歩で、DNAを辿っていくと、今地球上に生きている現生人類はすべて15万年~20万年前にアフリカに生まれた「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれる一人の女性の子孫であることが明らかになっているそうだ。細胞のミトコンドリアDNAを辿っていくことで、20万~15万年ほど前にアフリカで生まれた人類は、10万年前頃から各地に広がり始め、そして、おそらく4~3万年前に日本に初めて新人が渡ってきたということだ。
 人類はハプログループと呼ばれる遺伝子パターンの違いからグループ分けをすると、4つのグループに分けられる。これは今われわれが考える人種や民族とは大きく異なる。そして、4つのグループのうち3つはアフリカのみに存在する遺伝子パターンをもったグループで、残りの1つのクラスターの中に、アフリカの一部とアジア、ヨーロッパ人が含まれる。
 更にその遺伝子パターンを細かく分類していくと、日本人は東アジアに多いハプログループD、環太平洋に広がるハプログループB、マンモスハンターの系譜のハプログループA、北方ルートで日本に渡ってきた人たちの系譜であるハプログループN9など、ヨーロッパ人の系統であるハプログループHVなど、概ね20種類くらいのグループに分けられる。つまり、同じような日本人の顔をして日本語を話す同じ日本人同志でも、実際は遺伝子的にはかなりの差異があり、ハプログループDの日本人のDNAはハプログループAの日本人よりもむしろ東アジアの人々のそれに近く、逆にハプログループAの日本人は、DNA的には他の日本人よりもカムチャッカ半島に住むロシアの人々により近いという。
 肌の色や言語といった人間の形質は、その地域の気候や自然、地理的条件によって時間をかけて形成されてくるものだが、人間をDNA的世界観で見直してみると、そこにはまた違った顔があることに気づく。ゲストの篠田謙一国立科学博物館人類史グループ長によると、肌の色や体型、言語といった、これまでわれわれが人間を識別する上でもっとも重視してきた特性の違いは、数千年単位で出てくるものだが、DNA解析によってあらためて人間を万年単位で見直してみると、また違ったものが見えてくるという。
 これはよく言われる日本人が単一民族かどうかについても、新たな視点を提供してくれるかもしれない。実際DNA解析が可能になり人類アフリカ起源説がかなりの精度で証明されるまでは、北京原人やジャワ原人など、それぞれの地域で類人猿から進化した人間がその地域に定住したとされる人類複数起源説が大まじめで唱えられていたという。これがある時代において、人種の差異が絶対的なものであることを強調したい人たちにとっては、非常にありがたい説だったことは想像に難くない。
 しかし、これは逆に考えると、例えば同じ日本人でも分子生物学的にはつまりDNA的世界観に立てば、単一と言えるような共通性は持たないが、そのばらばらな遺伝子をもったわれわれが、長い年月を経て一つの共通の文化を獲得したことの価値も改めて再評価できる。実際は分子生物学的にはバラバラなわれわれ、つまりこれまで思っていたほど画一性が自明ではないわれわれ日本人が、後天的にこのような共通の文化で新しいグループを形成することに成功したと考えると、それがいかに貴重な、そして場合によっては守っていかなければならないものなのかを痛感せずにはいられない。
 いずれにしても今われわれが失ってはならない視点は、言語や文化、ひいては肌の色や体格といった肉体的な特性でさえ、ここ数千年の間に起こった変化にすぎず、現生人類20万年の歴史、あるいは日本人の4万年の歴史からみれば最後の最後に生じた、言うなれば枝葉末節な変化に過ぎないということだろう。
 数万、数十万年のスケールで人類や日本人の起源を研究してきた篠田氏と、人類や日本人がこれまで歩んできた道を探った上で、これから行き先がどうあるべきかを考えた。   

だから消費税の増税はまちがっている

(第563回 放送日 2012年01月28日  PART1:71分 PART2:42分)
ゲスト:高橋 洋一氏(政策シンクタンク「政策工房」会長・嘉悦大学教授)

 

 いよいよ消費税増税が決まってしまいそうだ。野田佳彦首相は今週始まった通常国会冒頭の施政方針演説で、消費税増税の方針を明確に打ち出した。自民党も元々消費税増税を主張していたことから、「与野党協議」という名の国対裏取引によって消費税増税が実現するのは、永田町を見る限りは時間の問題と受け止められているようだ。
 確かに、財政事情や少子高齢化による人口構成の変化などで、何らかの増税は避けられないとの説が幅を利かせている。実際マル激でも、これまでそのような主張を多く紹介してきた。しかし、一見、常識的に見えるこの主張に何か問題はないのかを考えるため、消費税増税の必要性を真っ向から否定している元財務官僚の高橋洋一氏に、なぜ氏が消費税増税が間違っていると主張しているかについて、じっくり話を聞いてみることにした。
 高橋氏が消費税増税に反対する理由は明快だ。
 まず、増税の前にやるべきことが山ほどあるはずなのに、それがまったくできていないこと。社会保険料も10兆円単位で取り損ないがあることがわかっているのに、それも手当をしていないし、ほとんどの法人がまったく税金を払っていない現状もそのままだ。民主党の公約だったはずの納税者番号制度や歳入庁を設立し、消費税インボイスなども導入して、まずは公正・公平な税と社会保険料徴収の仕組みを作ることが先決だと高橋氏は言う。それが改善されるだけで毎年20兆円前後の歳入増となり、消費税増税による増収以上の効果がもたらされる。それに、そもそもそれをやらずに、投網をかけるように全国民に広く徴税をする消費税を上げるのは、不公平この上もない。
 また、同じく増税の前にやるべきこととして、政府の資産売却や天下り特殊法人の整理も手つかずのままだ。そこに毎年血税が注入されるでたらめな歳出構造を放置したまま増税などを行っても、穴の空いたバケツに水を入れるようなものだし、当然、国民の不満は募る一方だ。
 それにも増して優先されるべきこととして、高橋氏は金融政策によって名目成長率をあげるマクロ政策の実施が必須だと言う。名目成長率をあげれば財政収支が改善することは、過去のデータが明確に示している。日本と並びインフレ目標の設定を拒否してきたアメリカが今週2%のインフレターゲットを設定したことを見てもわかるように、金融政策による名目成長率の引き上げは、「ボーリングのヘッドピン」(高橋氏)の位置づけ。これをやればすべての問題が解決するわけではないが、これを外すとストライクは不可能になるという意味で、日本はまだやるべきことを全然できていないと高橋氏は言う。
 しかし、それにしても、もしそこまで明確な解があるならば、なぜ政府や日銀はそれを実行しないのだろうか。これについて高橋氏は日銀にインフレに対する極端な警戒心があることもさることながら、本当の問題は高橋氏の古巣でもある財務省にあるという。インフレターゲットが設定されマクロ政策によって名目成長率が引き上げられると、財政が健全化してしまうかもしれない。「財政が健全化すると財務省は増税ができなくなってしまう」(高橋氏)ため、財務省自身がそれを望んでいないし、それ故に、財務省の手のひらの上にのった状態にある民主党政権では、政治の側からもそういう主張は出てこないというのだ。
 一見一般人には理解しがたい論理だが、あれだけ財政健全化を声高に主張する財務省の真意は、実は財政再建そのものではなく、それを謳うことで実現する「増税」の方にあるのだと言う。それは増税こそが、税の特例措置を与える権限強化を通じて、財務省の省益や財務官僚の私益につながるからに他ならないと高橋氏は言い切る。つまり、今回の消費税引き上げでも財政再建にはほど遠いことが次第に明らかになりつつあるが、それこそが財務省の真意なのであって、そう簡単に財政健全化などされると増税する口実を失ってしまい、財務省にとっては不都合になるというのが、一連の増税論争の根底にある「財務省に乗っ取られた民主党政権」問題の本質だと言うのだ。
 財務省の手口を知り尽くした元財務官僚で、安倍政権下で財務省とガチンコ勝負を戦った高橋氏に、此度の消費税増税論争の根本的問題を聞いた。 

東大話法に騙されるな

(第564回 放送日 2012年02月04日  PART1:60分 PART2:46分)
ゲスト:安冨歩氏(東京大学東洋文化研究所教授)

 

 「東大話法」なるものが話題を呼んでいる。東大話法とは東京大学の安冨歩教授が、その著書「原発危機と東大話法」の中で紹介している概念で、常に自らを傍観者の立場に置き、自分の論理の欠点は巧みにごまかしつつ、論争相手の弱点を徹底的に攻撃することで、明らかに間違った主張や学説をあたかも正しいものであるかのように装い、さらにその主張を通すことを可能にしてしまう、論争の技法であると同時にそれを支える思考方法のことを指す。
 「人体には直ちに影響があるレベルではありません」「原子炉の健全性は保たれています」「爆発することはあり得ない」等々。3・11の原発事故の直後から、われわれは我が耳を疑いたくなるような発言が政府高官や名だたる有名な学者の口から発せられる様を目の当たりにした。あれは何だったのか。
 さらに、人口密度が高い上に地震国であり津波被害とも隣り合わせの日本で、少し考えれば最も適していないことが誰の目にも明白な原子力発電が、なぜこれまで推進されてきたのか。一連の政府高官や学者の言葉や、最も原発に不向きな日本で原発が推進されてきた背後には、いずれもこの東大話法があると安冨氏は言う。今日にいたるまで原子力村が暴走してきた理由、なぜわれわれの多くが原発の安全神話を受け入れてしまっていた理由、そしてわれわれが原発を止めることができなかった理由を考える上で、東大話法は貴重な視座を与えてくれる。
 安冨氏は東大話法の特徴を1)自分の信念ではなく、自分の思考に合わせた思考を採用する、2)自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する、3)都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする、4)都合のいいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す、5)どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す、6)自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する、7)その場で自分が立派な人間だと思われることを言う、8)自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する、など20の項目にまとめ、そのような技法を駆使することで、本来はあり得ない主張がまかり通ってきたと言う。そして、その最たるものが、原発だと言うのだ。
 実際、このような不誠実かつ傍観者的な論理は原発に限ったものではなく、今日、日本のいたるところで見受けられる。しかし、それが東大ではより高度なレベルで幅広く行われているという理由から、安冨氏は自身が東大教授でありながら、あえてこれを東大話法と名付けたそうだ。
 東大話法の最大の問題は、いかなる問題に対しても、あくまで自らを傍観者としての安全な場所に置いた上で、自分という個人が一人の人間としてその問題についてどう思っているのかという根源的な問いから逃げたまま、自分の社会的な立場からのみ物事を考え、そこから発言をしているところにある。そこには人間としての自分は存在しないため、人間としてはあり得ないような論理展開が可能となってしまう。当然、その論理は無責任極まりないものになる。そして、そのような人間としてあり得ないような論理を正当化するためには、その問題点や矛盾点を隠すための高度な隠蔽術が必要になる。そのような理由から、東大話法が編み出され、洗練されていったと安冨氏は言う。
 安冨氏は、東大話法の存在を知り、その手の内を理解することで、東大話法に騙されなくなって欲しいと言う。そうすることで、日頃から違和感を感じながらも、まんまと東大話法の罠に嵌り、おかしな論理を受け入れてしまっている様々な問題について、自分本来の考えをあらためて再確認することが可能になるかもしれない。
 しかし、それにしてもなぜ東大話法なるものが、ここまで跋扈するようになってしまったのだろうか。現在の日本が多くの問題を抱えていることは言うまでもないが、その多くについてわれわれは、必ずといっていいほど「誰かのせい」にしている。そして、その論理を説明するために、実は自分自身に対してまで東大話法を使って自分を納得させてはいないだろうか。東大話法を知ることで、自分もまた無意識のうちにそのような論理を振り回していることにより自覚的、かつ自省的になることも可能になるはずだ。
 東大話法に騙されることなく、「自分の心の声を聞け」と訴える異色の東大教授安冨氏と、東大話法とその背景を議論した。  

リスク社会を生き抜くために

(第565回 放送日 2012年02月11日  PART1:41分 PART1:45分)
ゲスト:斎藤 環氏(爽風会佐々木病院診療部長・精神科医)

 

 昨年3月11日の地震・津波震災と原発事故は、多くの日本人の心に深い傷を残した。それはあまりにもひどい地震・津波被害の惨状やボロボロに壊れた福島第一原子力発電所の映像を目の当たりにした時の衝撃もさることながら、これまであたかも空気のように自分たちの日常を支えていた何かが壊れてしまったことからくる、喪失感や底なしの不安感といったものも含まれるにちがいない。
 精神科医の斎藤環氏は、震災の精神的なショックの広がり方として、環状島モデルを紹介する。これは、実際の震災被害にあった中央と、震災から遙か遠く離れた地域では、人々は比較的冷静に状況を見ることができるのに対し、震災の周辺の人々が大きな精神的負担を感じることで、様々な異常行動を取る場合が多いことを指すのだそうだ。そのため、例えば買い占めや略奪のような災害時によく見られる反社会的な行為は、被災地よりもそこから少し離れた周辺で起きる場合が多いという。
 斎藤氏は、自身が専門とする引きこもりのような症状も、震災直後の被災地では長い間引きこもっていた人たちが引きこもりから抜けだし、地域と一緒になって救援活動や復旧活動を行うことが多いが、しばらくして復旧が進み、日常が戻ってくると、また引きこもってしまう「災害ユートピア」現象も多く見られたと言う。
 一方で、震災後、原発のあり方や放射能に対する対応をめぐって、原発推進・反対陣営の間で激しい誹謗中傷合戦が起きていることについても斎藤氏は、ベックの「非知のパラドクス」を紹介し、明確な答えのない「非知の(わからない)もの」に対して冷静に対処することの難しさを説く。  いずれにしても、この歴史的な大震災が、日本人の心理に大きく影響を及ぼしていることは間違いないだろう。
 好む好まざるに関わらず、既にわれわれが「リスク社会」という人類史上特異な社会環境の中で生きていることが明らかな以上、この際そこでのわれわれ自身の立ち居振る舞いをあらためて冷静に見つめ直してみることは、決して無益ではないだろう。精神科医の斎藤環氏と、リスク社会とどう向き合うべきかを考えた。

リスク社会: ドイツの社会学者ウルリヒ・ベック氏が1986年の著書『Risikogesellschaft -(リスク社会。日本語訳タイトルは『危険社会』)』の中で打ち出した概念。チェルノブイリ原発事故の発生を受け、その無差別的な破壊力が、致命的な環境破壊を増殖させる社会のメカニズムを分析し、現代社会を、富の分配が重要な課題であった産業社会の段階を超えて、危険の分配が重要な課題となる「リスク社会」であると論じた。「近代が発展するにつれ富の社会的生産と平行して危険が社会的に生産されるようになる。貧困社会においては富の分配問題とそれをめぐる争いが存在した。危険社会ではこれに加えて次のような問題とそれをめぐる争いが発生する。つまり科学技術が危険を造り出してしまうという危険の生産の問題、そのような危険に該当するのは何かという危険の定義の問題、そしてこの危険がどのように分配されているかという危険の分配の問題である。」(『危険社会』 p.23)   

分配社会のすすめ

(第566回 放送日 2012年02月18日  PART1:75分 PART2:29分)
ゲスト:波頭 亮氏(経営コンサルタント)

 

 アメリカのリサーチ会社ピュー・リサーチセンターが2007年に世界47カ国を対象に行った世論調査で、「自力で生活できない人を政府が助ける必要はあるか」との問いに対し、日本では38%の人が助ける必要はないと回答したそうだ。これは調査対象となった国の中でもっとも高く、欧州の先進国や中国、韓国などはいずれも10%前後だった。伝統的に政府の介入を嫌うアメリカでさえ、そう答えた人は28%しかいなかったという。
 この調査結果を聞いた経営コンサルタントの波頭亮氏は、日本では「人の心か社会の仕組みのどちらかが明らかに正常でない」と考え、経営コンサルタントの目で日本のどこに問題があるかを分析し、独自の処方箋を考案した。
 それが氏が著書『成熟日本への進路 「成長論」から「分配論」へ』で提案する分配社会のすすめだ。
 波頭氏の主張は明快だ。少子高齢化が進む日本には、もはや大きな経済成長が期待できる条件が残されていない。にもかかわらず、政府は経済成長を目指した的外れな政策を採り続け、結果的に経済がほとんど成長しなかったばかりか、その間、国民所得は増えず、貯蓄率は下がり、貧困層は拡大し続け、結果的に社会不安ばかりを増大させてしまった。それが「困っている人がいても助ける必要はない」と考える人が世界一多い国になってしまった背景だと波頭氏は言う。
 そして、これまでの成長を目指した政策に代わって波頭氏が提唱するのが、公正な分配政策だ。波頭氏は、これからは日本はいたずらに成長を追い求めるのではなく、すべての国民がほどほどに豊かさを享受できる成熟国家を目指すべきだと言う。そしてそれは、現在40%とアメリカに次いで世界最低水準にある税と社会保障の国民負担率を、イギリスやドイツ、フランス並みの50%に引き上げるだけで、十分に実現が可能だと言うのだ。
 経済学者ではない、敏腕経営コンサルタントが提唱する重症日本の処方箋とはどのようなものか。ベーシックインカムの導入まで視野に入れた分配論を展開する波頭氏と、今日本がとるべき針路とは何かを考えた。

消費増税ではDoomsdayは避けられない

(第567回 放送日 2012年02月25日  PART1:55分 PART2:47分)
ゲスト:野口 悠紀雄氏(早稲田大学大学院ファイナンス研究科顧問)

 

 今回は縁起でもないがdoomsdayをテーマに選んだ。原発事故の時もそうだったが、日本の将来についても、考え得る最悪の事態を知っておいた方がいいと思うからだ。より正確に言えば、今回はもう少し前向きに「doomsdayを避けるためにわれわれにはどんな選択肢が残されているか」を考えてみたい。doomsdayとは本来は聖書の黙示録に示されたハルマゲドンのことで、世界の終末を意味するものだが、ここでは日本という国家が破綻する日という意味で使っている。そしてここでいう国家破綻とは、財政破綻のことだ。
 相変わらず何一つ進展が見られない政治の閉塞が続いているが、こと消費増税については、野田政権は何が何でもそれだけは断行するつもりのようだ。そもそも野田政権がそこまでして消費増税にこだわる理由として、首相自身は日本の財政状態が待ったなしの状態にあることを繰り返し指摘している。
 しかし、経済学者の野口悠紀雄氏は、仮にそうまでして5%の消費増税が断行されたとしても、その効果は2年ほどで消えてしまうと言う。首相が増税の理由としている財政再建は、5%の消費増税ではとても実現できないと言うのだ。
 その理由はこうだ。そもそも5%の消費増税によって国庫に12.5兆円の増収があると言われているが、それが大きな間違いだと野口氏は言う。新たに国民が負担することになる5%=12兆5000億円のうち、1%分の2兆5000万円は地方消費税に回り、更に3割が地方交付税交付金として地方自治体に拠出されることが決まっているという。そのため、5%の増税によって新たに国庫に入る税収は、もともと7兆円足らずしかない。しかも、社会保障費の自然増が毎年少なくとも6000~6500億円はあるため、仮に政府の期待通り2014年に3%、2015年に5%の消費増税が実現できたとしても、2年後の2017年には国債発行額は金額も加速度的な増加パターンも、いずれも現在の状態に戻ってしまうと野口氏は説明し、それを裏付ける具体的な試算も明らかにしている。どう見ても消費税の5%増税では、焼け石に水程度にしかならないというのだ。
 野口氏は、もし消費税だけで財政の健全化を実現しようとすると、計算上は最低でも税率を30%にあげる必要があるという。そこで言う財政再建とは、ユーロ加盟国が要求されている財政健全化の水準のことで、具体的には公債依存度が一定程度に保たれ、持続的に増えていかない状況を指す。
 無論、5%の増税でも七転八倒している日本で、30%の消費税など政治的に不可能だし、そもそもそこまでの大増税になれば、経済への影響も莫大となるため、税収が税率と比例しなくなってしまう。また、そこまで高い税率になれば、食品や医薬品などの生活必需品に低減税率を適用する必要が出てくるが、インボイスが制度化されていない現行の消費税制度では、それも実現不可能だ。
 しかし、そう言って、何もしないとどうなるか。仮に5%の消費増税が実施されたとしても、その他の有効な手立てが取られなければ、日本の財政は2027~28年にはdoomsdayつまり、破綻状態に陥ると野口氏はある試算に基づいた予見を示す。それは2027~28年頃には国債の発行額が500兆円を上回ることが予想され、現在日本の国債を購入している金融機関の購入力がそのあたりで限界を迎えるからだと言う。5%の増税では15年後には日本はdoomsdayが避けられないというのが、野口氏の試算だ。
 となると、財政を再建するために残る選択肢は2つしかない。増税以外の何らかの形で増収を図るか、歳出を削減するかだ。野口氏の試算では、税収が毎年2%程度増えるか、歳出を毎年2%程度減らすことができれば、10年後、20年後の公債依存度はほとんど上がらないと言う。経済成長による増収が最も望ましいことは言うまでもないが、それが直ちに期待できない現状では、歳出カットが不可欠になると野口氏は言う。
 野口氏が不可欠な対応として提案するのは、社会保障費の削減だ。現行の制度では、様々な理由から高齢者が過分に年金をもらい過ぎていると野口氏は言う。しかも、そのかなりの部分は、厚生省(現厚労省)の計算間違いに原因があったのだという。まずは給付開始年齢を引き上げるなどして、年金に手をつけ、その上で、現在国が行っている社会保障の中で、公的な施策として行われなければならないものと、そうでないものを改めて見直す必要があると野口氏は言う。
 野口氏は、そもそも年金や医療や介護は受益者がはっきりしているため、原理的には料金徴収が可能であり、公的に行う必然性が見いだせないものが多い。シビルミニマムとしての最低保障は必要だが、それ以上のものについては、公的な補助を再考する必要があると言う。
 ただし、年金については、残念ながらもはや制度が破綻しているため、民営化することは不可能だと言う。しかも、現行の年金制度の積立金は2030年頃には枯渇するため、そこにも多額の公的資金の投入が必要になることは覚悟しておく必要があると警告する。
 doomsdayを回避するためには構造改革、とりわけ歳出構造と産業構造の改革が不可欠と説く野口氏に、話を聞いた。 

東電・政府は何を隠そうとしたのか

(第568回 放送日 2012年03月03日 PART1:60分 PART2:40分)
ゲスト:日隅 一雄氏(弁護士・NPJ編集長)

 

 火事で火が燃えさかる最中、とりあえず出火の原因究明や責任の追及は後回しにして、まず優先されるべきことは人命救助と消火になることはやむを得ない。しかし、起きた事故のスケールがあまりにも大きい場合、その収束に時間がかかるため、いつまでたっても原因究明や責任追及がなされないまま、事故そのものが風化してしまったり、世の中の関心がよそに向いてしまったりするリスクがある。
 福島第一原発の事故も、そんな様相を呈し始めている。昨年の3・11からの1年間は、日本にとってはもっぱら起きてしまったことへの対応に追われる1年だった。しかし、大地震と津波で福島第一原発が全ての電源を喪失し冷却機能を失った時、政府および東京電力がその事態にどのように対応し、その時政府や東電内部で何が起きていたのかが十分に検証されたとは、とても言いがたい。
 今週、民間の事故調査委員会の報告書が発表になった。主要な政府の関係者は事故調のヒヤリングに応じたため、報告書は事故直後の政府内部の動きやその問題点は詳細に指摘している。しかし、肝心の東電が協力を拒否したため、事故直後に東電内部で何が起きていたかについて、報告書ではほとんど何も触れられていない。
 そこについては今後の政府並びに国会の調査委員会の報告に期待するしかないが、今回の民間事故調の報告書が触れていない問題がもう一つある。それは、東電や政府が事故への対応に追われる中、彼らが一体何を国民に伝えてきたかの検証だ。主権者たる国民に真実が伝えられないだけでも十分に大きな問題だが、今回の事故では、それが避難の遅れや不必要な被曝につながる可能性があり、直接命に関わる問題となっている。そこでは、果たしてわれわれはこの政府や電力会社に自分たちの命を預けても大丈夫なのかが問われることになる。
 事故発生直後から東京電力や政府の事故対策本部の記者会見に日参して、政府・東電の嘘を追及してきた弁護士の日隅一雄氏は、政府・東電は事故発生直後から重大な嘘をつき、結果的に多くの国民を騙したばかりか、大勢の国民を不必要な被曝のリスクに晒したと批判する。
 それは、例えば政府・東電内部では事故発生の翌日にはメルトダウン(炉心溶融)の可能性が高いことがわかっていながら、記者会見でそれを認めた審議官を繰り返し交代させてまで、国民に対して炉心の溶融は起きていないと言い続けたところに代表される。あれは、あからさまな嘘だった。
 政府も東電も3月12日の段階で炉心溶融の可能性が高いことがわかっていた。原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官は、12日の会見で炉心溶融の可能性が高いことを認めていた。しかし、政府はこの直後、中村審議官を記者会見の担当から降板させ、マスコミの厳しい追及を前にメルトダウンを完全に否定できなかった2人の後任の審議官も次々と交代させた上で、炉心溶融の可能性を明確に否定して見せる芸当を備えた西山英彦審議官を広報担当に据え、そこからはあくまでメルトダウンはしていないとの立場をとり続けた。
 結局、政府・東電が炉心溶融を認めたのは5月12日で、事故から2ヶ月も経っていた。しかも、懲りない政府・東電は、「炉心溶融」を「燃料の損傷」とまで言い換えて、事故の実態をできるだけ小さく見せるような工作をしている。実際は燃料が溶けているばかりか、それが圧力容器から外に漏れ出す「メルトスルー」が起きていることがわかっていながら、それを「損傷」と言ってのけたのだ。
 もし3月12日の時点で核燃料が外部に溶け出していることがわかっていれば、政府は直ちにより大規模な避難を実施しなければならなかった。溶融した核燃料が、原子炉内の圧力容器や格納容器を突き破り、大規模な水素爆発や水蒸気爆発が起きる可能性が高まっていたからだ。結果的に、事故発生直後はメルトダウンが起きていないことを前提とした避難措置しか取られなかったし、幸いにして、いや偶然、大規模な水蒸気爆発は起きなかったために、この嘘による被害は最小限に抑えられたかに見える。しかし、この嘘によって、どれだけの人が不要な被曝を受けたかは、当時はガイガーカウンターも普及していなかったため、はっきりとはわからない。いずれにしても多くの住民が間一髪の危機的な状況に晒されていたことだけは、今となっては間違いない。今回われわれはとてもラッキーだったようなのだ。
 日隅氏は、政府・東電が嘘をついてまでこうした情報を隠そうとした理由として、それを認めなければならなくなると何十万人にも及ぶ大規模な避難が必要になるが、原発安全神話を前提とした避難態勢しか準備されていない日本では、政府はそれだけの避難を実際に行うことができない。そのため、それこそ政府が責任を問われる事態となる。そうなることがわかっている以上、情報を隠すことで、情報隠しの責を負う方が得策だと考えたのではないかとの見方を示す。特に情報隠しの場合は、隠されたという事実がばれにくいという、例の「鍵のかかった箱の中の鍵」問題があるため、「必要な避難をさせなかった」ことに比べると、逃げ道が多いのだ。
 同じく放射性物質の拡散状況をモニターするSPEEDI(スピーディ=緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報が公開されなかったことについても、政府はあからさまな嘘をついている。最終的にSPEEDIのデータが公開されたのは4月26日だったが、まず事故後5日目の3月15日の段階で、スピーディが故障していたという嘘のリークを読売新聞に書かせている。今となってはこれはSPEEDI情報を非公開としたことが意図的なものだったことを示す重要な証拠となっているが、その時は政府部内の何者かが、後でSPEEDIを公開しなかったことの責任を問われることを恐れて、嘘の情報をリークしたものと見られる。実際はSPEEDIのデータが事故直後から外務省を通じてアメリカ政府には送信されていたことが明らかになっているし、政府の担当部内では事故直後からSPEEDIのデータは共有されていたのだ。
 放射性物質の拡散状況をモニターし予想するSPEEDIのデータが、事故直後に公表されてれば、避難を強いられた原発周辺の住人たちが、わざわざ放射性物質が多く飛散している方向へ向かって避難をするようなことは避けられたはずだ。また、放射性物質が向かってきている地域では、あらかじめ避難をしたり、屋外での活動を控えたりするなどの対応が可能だった。一番肝心な時にSPEEDIは何の役にも立たなかった。そして、それはSPEEDI自体が悪かったのではなく、それを扱う政府部内のまったくもって官僚的な問題だった。
 4月25日に、政府・東電の原発事故対策統合本部の事務局長を務める細野豪志首相補佐官(当時)が、それまでSPEEDIのデータが公表されなかった理由として、「パニックを恐れたもの」との見方を示した上で、謝罪をしている。その後、5月2日には、SPEEDIデータとして、5000部を超える画像データが公表され、それまでどれだけの情報が隠されていたかが明らかになっている。
 他にも、実際には2006年頃から東電内部では、大規模な地震や津波が起きた際の危険性が検討されていたにもかかわらず、今回の震災を「想定外」のものとして、対応が遅れたことへの責任逃れをするなど、どうも「消火と人命救助」が優先されるべき事故直後の段階で、政府・東電内部ではすでに責任逃れのための工作が熱心に行われていたとしか思えない状況がある。
 なぜ政府や東電は嘘をついてまで情報を隠したのか。なぜ重要な局面になると、政府は決まって情報を隠そうするのか。これは単なる責任逃れなのか、それともそこには何か別の行動原理があるのか。末期がんに冒されながら政府・東電の嘘を追及し続けた弁護士にしてインターネット新聞主宰者の日隅氏と考えた。 

これからわれわれは3・11とどう向き合うか

(第569回 放送日 2012年03月10日  PART1:52分 PART2:53分)
ゲスト:本多 雅人氏(真宗大谷派蓮光寺住職)

 

 3月11日の大震災から1年が過ぎようとしている。メディア上では震災1周年特集企画が乱立しているが、復興も原発事故の収束も道半ば。このまま、この大きな節目を境に震災が急速に風化していく気配さえ感じられる。誰でも悲惨なできごとを脳裏から消し去りたいとの思いはあるだろうが、これだけの大きな震災と事故を、単なる過去の悲惨なできごとで終わらせていいはずがない。この震災が、これまでのわれわれのあり方の根幹を問う大切な教訓を多く与えていることだけは、まちがいないからだ。
 この先われわれは3・11といかに向き合うべきかと考えるヒントを求めて、東京亀有の蓮光寺に本多雅人住職を訪ねた。
 真宗大谷派の僧侶として親鸞聖人の教えを説く本多氏は、今回の震災は人知の闇を明らかにしたもので、直接被災したか否かにかかわらず、われわれはこの震災を、人間の無明性(わかったつもりになること)や人知の限界と向き合う機会としなければならないと説く。3・11は近代以降の科学万能主義と経済至上主義の考え方に疑問を投げかけたばかりか、今までそれをよしとしてきた人知のあり方そのものまで深く問われることになった。そして、原発に賛成か反対かを問う以前に、人間そのものが問われ、人間が根本的に抱える無明性の問題にまで深く切り込んでいかないと、この震災が露わにしたわれわれの問題の本質が見えなくなってしまうと考える。
 親鸞聖人の教えに「自力作善(じりきさぜん)」がある。これは、自分が何とかできるとか、自分が何かをわかったつもりになってしまうことを指す言葉で、浄土真宗では誤った態度として戒められている。本多氏はわれわれの多くが自力作善に陥り、本当は何もわかっていないのに、すでにわかったこととして、自分の中に固定化した考えを知らず知らずのうちに作り上げていたのではないか。そして、その「わかっていたつもり」が、今の政治、経済、社会の状態を生み、そしてそれがこの震災によって打ち砕かれた状態にあるのではないかと指摘する。まずは、大震災と原発事故という大惨事を目の当たりにして、何が正しくて何が間違っているのか、何が救いで何が幸せなのかがよくわらからくなって動揺している自分と向き合わなければならないと言う。 本多氏が言う自分と向き合うとは、どういうことなのだろうか。人間はついついわかったようなつもりになり、自分の外に「正義」や「善」を作り出して、それにしがみついてしまう。しかし、その正義も所詮は自分が、あるいは人間が作ったものに過ぎない。それが本当の善なのか、それが本当の正義なのかどうなのか、本当のところは誰にもわからないはずだ。常に「自分は愚かである」という自覚が必要になる。自分が愚かであることを認めた上で、気がつけば自分を正当化することばかりに熱中している人知の愚かさに対して自覚的になることが大切なのだと本多氏は語る。
 これは決して闇雲に人知を捨てろとか、自助努力を一切しなくていいということを意味するものではない。所詮自分は愚かな凡夫に過ぎないのだから、自力や人知だけで突き進むことには自ずと限界があるし、そこには危ない面があるということに、常に自覚的・自省的であれということだ。
 本多氏は繰り返す。「とにかくわかったつもりにならないこと。所詮はご縁が決めることだから」と。そのご縁とは、この世には人知を超えた仏智があり、それはすべてをお見通しの上で「如来の智慧の眼」で私たちを見ている。それは原発や遺伝子組み換えのような科学技術についても言えることだし、物事の善悪の判断基準についても同じだ。愚かな凡夫に帰り、人間が設定した善悪を常に問い直すことで、初めて見えてくる、あるいは聞こえてくるものがあり、そこに新しい世界が開けてくると本多氏は言う。
 これから3・11と向き合っていく上で、日本人の心に広く根ざした親鸞の教えを説く本多氏に、その見方、考え方のヒントをいただいた。

年金問題の本質

(第570回 放送日 2012年03月17日 PART1:68分 PART2:55分)
ゲスト:鈴木 亘氏(学習院大学経済学部教授)

 

 年金が危ない。このままでは早晩破綻することがわかっているのに、誰も手を打とうとしない。野田政権が消費税増税という政治的なコストを払ってまで意欲を見せる「社会保障と税の一体改革」は年金問題の本質にはまったく切り込んでいない。
 年金制度に詳しい学習院大学の鈴木亘教授によれば、本来950兆円ほど積み上がっているはずの年金積立金が、110兆円程度しか残っていない。しかも、年金は保険料を支払う労働人口の減少と受給する高齢者の増加のために、毎年赤字が膨らみ続けている。つまり、今も僅かに残った100兆円あまりの年金積立金を切り崩しながら運営されているため、今後、さらに少子高齢化が進めば、2030年代には積立金が枯渇し、年金が支払えなくなることが確実だと言う。
 現行の年金制度は2004年に「100年安心プラン」などという触れ込みで改変され、国庫負担金も3分の1から2分の1に増額された。それが、あと20年と持たずに破綻が確実な状態にあると言うのだ。
 しかし、さらに問題なのは、今回野田政権が提案している「社会保障と税の一体改革」は、現行の年金制度が抱える根本的な問題には何ら手をつけていないことだ。消費税を増税をして「社会保障と税の一体改革」なるものが断行されたとしても、はやり年金が2030年代には払えなくなることに変わりはない、と鈴木氏は言う。
 年金問題の本質とは何か。鈴木氏は、政府は現行の年金制度を「賦課方式」などという言葉でごまかしているが、もともと賦課方式ではなかった。しかし、1970年代に給付を大盤振る舞いしたために、積立金が切り崩されてしまい、結果的に賦課方式のような形になっているだけだと指摘する。その大盤振る舞いによって生じた800兆の債務を確定させ、それを何らかの形で返済することで、年金を再び本来の積み立て方式に戻すことこそが、年金問題の本質だと言う。
 現在の「疑似賦課方式」では、今後、少ない若者が多くの老人を支えなければならなくなる。その若者たちは、「1人の若者が1人の老人を支える」ぼどの重い負担を強いられた上に、自分たちが年金受給年齢に達した時には、自分たちが払ってきた保険料すら回収することすらできなくなる。年金は破綻が必至な上に、重大な世代間格差問題を抱えている。しかし、年金を従来の積み立て方式に戻すことができれば、人口の動態にかかわらず、自分が支払った保険料は老後、必ず受け取ることができるようになるし、少ない若者が多くの老人を支えなければならないなどという、世代間のアンフェアな分配も解消される。
 鈴木氏は過去の大盤振る舞いのために消えてしまった総額800兆円からの年金積立金の欠損、つまり債務を埋めるためには、債務を年金会計から分離し、100年単位の時間をかけて税金によって補填していく方法しかないだろうと言う。
 しかし、はたして今の政治に800兆の債務を解消して、一旦不作為によって賦課方式に陥ってしまった現在の年金制度を、再度、積み立て方式に戻すなどという大技が期待できるだろうか。800兆の債務を分離し、ぞれを税で返済するという話になれば、当然その大穴を作った厚労省の責任問題も浮上する。また、税方式に移行することになれば、年金の管理が厚労省から財務省に移ってしまうため、厚労省は何が何でもこれに抵抗してくるはずだ。
 ということは、このような提案は、年金を管轄している厚労省からは、何があっても出てくるはずがない。経済財政諮問会議のような形で、厚労省外部からこのような年金改革案があがってくる枠組みを作り、さらに厚労省の徹底抗戦に遭いながらそれを断行するためには、想像を絶するほどの政治力が必要になるだろう。しかし、それができなければ800兆の債務はさらに大きく膨らみ続け、積立金が枯渇した段階で年金が払えないという事態を迎えることになる。
 鈴木氏と、現在の日本の年金制度が抱える本質的な問題は何かを考えた。

vol.55(551~560回収録)

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TPPで食の安全は守れるのか

(第551回 放送日 2011年11月05日  PART1:49分/PART2:30分)
ゲスト:藤田 和芳氏(大地を守る会会長)

 

 野田政権の重大な政治課題となっているTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)が、実際は農業や貿易以外にも多くの分野に影響を及ぼす包括的な経済協定であることが、日に日に明らかになっているが、その中には食の安全基準も含まれる。現在の日本の食の安全基準には遺伝子組み換えの表示義務や狂牛病(BSE)の全頭検査など、国際標準よりも厳しいものが多いが、日本がTPPに参加した場合、これが非関税障壁とみなされ、安全基準の緩和を強いられることになる可能性が高い。
 無農薬・減農薬食材の宅配事業の草分け的な存在である大地を守る会の藤田和芳会長も、それを心配する一人だ。藤田氏は、昨今のTPPをめぐる論争は目先の利益、不利益に振り回され、日本の食の安全保障をどうしていくのかという大きな視点が欠けていると指摘する。
 TPPに参加すると、現行の日本国内の食品安全基準は他の協定加盟国と平準化される。この分野では総じて他国より食品の安全基準が厳しい日本が最も大きな影響を受ける。
 今や日本では当たり前になっている、食品の原産地表示の義務づけや残留農薬基準、遺伝子組換え食品の表示義務、食品添加物規定とその表示義務、牛肉の全頭検査などは、いずれも安全な食品を求める消費者達の努力によって、時間をかけて確立されてきた、いわば日本社会の財産だと藤田氏は言う。しかし、これらの基準が他国のものに平準化されると、消費者は従来の食品を選ぶための基準を失うことになる。それはこうした基準を通じて日本の消費者と生産者との間に築かれてきた信頼関係をも破壊する。
 この問題は農業従事者のみならず、全ての消費者が影響を受ける重大な問題でもあるにもかかわらず、今のTPPをめぐる議論では、こうした安全基準を失う危険性についてほとんど議論がなされていない。そこに藤田氏は危機感を覚えるという。
 食品の安全基準と同時に、食料安全保障も脅威にさらされる。現在の日本のカロリーベースでの食料自給率は40%と先進国中最低水準にあるが、TPPに参加することでそれが14%まで下がる可能性があることを農水省が試算している。今後、世界人口の増加や気候変動などが原因で世界的な食料不足に見舞われた時、14%の自給率で日本は食料安全保障を守れるのか。そのような問題がほとんど議論さえされていない状態で、政府が性急にTPPへの参加を決めようとしていることには大いに問題があると藤田氏は言う。
 食の安全と自由貿易は果たして両立できるのか。生産者、消費者の両方の立場を尊重しながら食の安全をビジネスとして実現させてきたソーシャルビジネスの先駆者である藤田氏と議論した。  

区長になって見えてきたこと

(第552回 収放送日 2011年11月12日  PART1:43分 PART2:47分)
ゲスト:保坂 展人氏(世田谷区長)

 

 福島第一原発で退っ引きならない状況が続くさなかの今年4月、東京の世田谷区に明確に反原発を掲げる候補者が、保守系の候補を破って区長に当選した。教育ジャーナリストから社民党の代議士を3期務めた保坂展人氏だ。地方の大都市並の80万超の人口を抱える世田谷区は保坂氏の就任前、保守系の区政が9期36年続いていた、都内でも最も保守色の強い地域だった。そのような地域で反原発を掲げて当選した保坂氏は、世田谷で市民を巻き込んだ新しいタイプの区政を実現したいと抱負を語る。
 衆院議員を落選浪人中だった保坂氏がこの4月、急遽、区長選に出馬したきっかけは、東日本大震災と福島第一原発事故だった。未曾有の非常事態に直面しながら政府の対応が後手後手に回る中、速やかに支援物資の提供を行ったり避難民を受け入れるなど、国の対応を待たずに独自の対応を行う自治体が相次いでいた。それを東京の杉並区や福島県の南相馬市で目の当たりにした保坂氏は、国政よりも自治体の長の決断が市民生活にはより大きな影響を及ぼしていることを痛感し、区長選への挑戦を決心したという 。
 しかし、保坂氏は区長就任時の区職員への挨拶の場で、これまでの区の方針の95%は継承することを明言している。これは5%は大胆に変えさせてもらうという意思表示でもあるが、あえて5%という控えめな数字を提示したのは、国会議員時代の経験に基づいているという。何かを急激に変えようとしても、かえって強い抵抗に遭い結果的に何も変えられなくなる。既存の政策を活かしながら、5%の改革で住民参加型の自治体を実現したいというのが保坂氏の戦略だと言うが、区長就任半年あまりで、5%改革はどこまで進んでいるだろうか。
 保坂氏の住民参加型区政の片鱗が明らかになったのが、先月、3マイクロシーベルトを超える高い放射線のホットスポットが区内の住宅街で見つかった時だった。これはもともと区内の市民団体が自ら測定したデータが、ツイッターを通じて保坂氏のもとに届けられたものだった。結果的にこの事件は家屋の床下にラジウムが入った瓶が放置されていることが原因だったが、区内にも独自に放射線量を測っている市民や市民団体は多い。その一方で、そうしたデータとは全く無関係に国や都、自治体が独自の測定を行っている。それらのデータを連携させることができれば、より充実した線量マップができるはずだと保坂氏は言う。
 保坂氏の反原発区長としての真価が発揮されるのは、現在保坂氏が模索する「選べる電力」だろう。保坂氏はまだ詳細を明らかにしないが、世界で電力を選べないのは日本だけだと保坂氏は繰り返し発言している。地方自治体でもできる脱原発政策を世田谷から全国の自治体に向けて発信していきたいと言う保坂氏の次の一歩に期待がかかる。
 保守の世田谷に誕生した反原発区長の保坂氏に、市民を巻き込んだ地方政治を実現するための戦略を聞いた。  

メディアが権力に屈する時

(第553回 放送日 2011年11月19日 PART1:72分 PART2:40分)
ゲスト:高田 幸氏(ジャーナリスト)

 

 北海道警察の裏金問題を追及し、数々のジャーナリズム賞を受賞してきた道新のエース・高田昌幸氏が、この6月、北海道新聞を退職した。高田氏は退職の理由をあくまで一身上の都合としているが、一度は警察の不正を徹底的に追及していたはずの道新が、やがて警察と手打ちを行い、攻めの姿勢を失っていったことに対する落胆を、高田氏は隠そうとしない。
 道警裏金事件とは、架空の捜査協力者に対する謝礼を報償費として計上し、それをプールした資金を幹部らが私的に流用していた事件で、その金額は道警だけで少なくとも4億5千万円にのぼるとみられている。捜査を口実に国民の税金を騙し取る、悪質な横領行為に他ならない。当時、北海道以外でも、全国の警察で裏金がプールされていたことが明らかになっていたが、その中でも道新の道警に対する追及は厳しく、2003年11月に裏金問題が発覚してから、道警がその存在を認めるまでの約1年の間、道警の裏金問題は道新の紙面を飾り続けた。その間、道新が裏金問題を扱った記事の数は1000本にのぼると高田氏は言う。
 高田氏はデスクとして、裏金問題の取材班の陣頭指揮に当たっていた。同じ頃、各地で警察の裏金問題が報道されていたが、その多くは警察がその事実を否定し、それ以上メディアによる追及が行われないまま、事件が収束していた。しかし、高田氏を始めとする道新の記者達は、自分たちだけは警察がその事実を認めるまで徹底的に不正を追及し続ける意気込みでこの問題に挑んでいったと高田氏は言う。
 しかし、ある時期を境に、他の地域と同様、道新の報道姿勢も変わっていく。
 そもそも通常の日本の警察報道は、大手マスメディアが記者クラブを通じて警察からの非公式な情報提供を受けることで成り立っている。メディアが警察の不正を追及するのは、異例中の異例と言っていい。道新が警察の裏金問題を追及していた約一年間、道新は警察からのリーク情報をほとんどもらえなくなっていたと高田氏は言う。そして、その中には事件や事故に関する基本的な警察情報も含まれていた。つまり、日本の報道機関は警察から情報をもらえなくなると、報道機関としての基本的な機能を果たしていくことができない欠陥構造があるということになる。
 道新は幹部の人事交代を機に、警察との関係修復に乗り出す。道警の元総務部長が道新を名誉毀損で訴えた裁判の過程で、道新と道警の幹部が36回にもわたり関係修復のための会談を繰り返していた事実が明らかになった。また、高田氏は自身の処遇については多くを語ろうとしないが、未曾有の警察不正を暴き、2004年の日本新聞協会賞以下、ジャーナリズムの賞という賞を総なめにした取材班を率いたエースの高田氏に対して、道新はその後警察とは一切関係のない部署を転々とさせている。退職時の高田氏の役職は本社運動部次長だった。
 警察との関係が修復されるのに呼応して、道新の攻めの報道姿勢は失われていったと高田氏は言う。
 これは警察に限ったことではないが、行政機関の内部にジャーナリズムが取材拠点を持つことは、市民社会が権力を監視する上での大きな財産となり得るものだ。しかし、現実の記者クラブでは、それが権力との癒着を生み、記者の取材力を低下させるなど、本来の目的とは逆に作用している。高田氏はこの問題を改善するためには、記者クラブの取材拠点を維持しつつ、それをより開かれたものにしていく必要があると提言する。  裏金問題をめぐる道新と道警の関係の推移を通じて権力とメディアのあるべき関係を、当事者としてそれをつぶさに見てきた高田氏と考えた。  

ドイツに脱原発ができて日本にはできない理由

(第554回 放送日 2011年11月26日  PART1:31分 PART2:36分)
ゲスト:望月 浩二氏(ドイツ在住環境コンサルタント)

 

 ドイツのメルケル首相は5月30日、2022年末までに国内の原発を廃止する方針を表明した。福島第一原発事故を受けての政策転換だった。
 自身が物理学者でもあるメルケル首相は、もともと原発に積極的だった。ところが、ドイツでは2002年にシュレーダー政権が2034年までの脱原発を決めていた。そこで、メルケル首相は脱原発を容認しながらも、その期限を平均12年延長する措置を2010年にとったばかりだった。そのメルケル首相が福島後の2ヵ月あまりの短期間に脱原発に舵を切った背景には、原発の倫理性を議論する識者会議の提言があった。
 福島第一原発の事故を受けて、国内に17基の原子炉を抱えるドイツの首相としてメルケル首相は、既存の原子炉安全委員会(RSK)に技術的側面から原発の安全性の再検討を求める一方で、社会学者や哲学者、経済学者、聖職者らからなる「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」を新設し、そこにも原発政策の是非についての助言を求めた。「リスク社会論」で有名な社会学者のウルリヒ・ベックなど17人の委員からなる倫理委員会には、原発関連産業の関係者は一人も含まれていなかった。
 日本の原子力委員会や安全保安院にあたるRSKは、ストレステストの結果、ドイツの原発の安全性に問題はなしとする結論を出したが、倫理委員会は「倫理的な理由から早期に脱原発すべき」と提言し、メルケル首相は倫理委員会の提言を採用した。
 倫理委員会の提言の要諦は、メルケル首相が今年6月に連邦議会で行った演説の中で用いた「残余のリスク(ドイツ語:Restrisiko)」という言葉にある。「残余のリスク」とは、技術的に考えうるあらゆる対策を講じても、完全に無くすことのできないリスクを意味し、そのリスクは社会全体でも負い切れないものと倫理委員会もメルケル首相も判断した。この「残余のリスク」が原発に対するドイツ流の倫理観であり、日本と大きく異なるところであると、ドイツ在住の環境コンサルタント望月浩二氏は指摘する。
 一方、事故の当事者である日本では、福島第一原発事故がこれだけ深刻な被害をもたらし、今も原子炉が不安定な状態が続いているにもかかわらず、政策転換の動きは遅々として進んでいない。世論調査では圧倒的多数の国民が脱原発を望んでいることが明らかになっているが、政府内で進んでいるエネルギー政策の検討プロセスでは、脱原発に対する抵抗が根強い。
 なぜ日本ではドイツのような政策転換ができないのか。日本でドイツの政策転換で決定的な役割を果たした倫理委員会のような組織を作ることができないのはなぜなのか。日本では合理的な政策判断ができているのか。世界が注目する中、事故の当事国が、原発維持の政策を打ち出すことになるのか。1977年からドイツに在住し、ドイツの国民性や風土を間近で観察してきた環境コンサルタントの望月氏と議論した。 

暴力団を社会から完全に排除することの意味を考えてみた

(第555回 放送日 2011年12月03日  PART1:67分 PART1:49分)
ゲスト:宮崎 学氏(作家)

 

 今度ばかりは警察は本気で暴力団を壊滅させようとしているのか。
 今年10月1日、東京と沖縄で暴力団排除条例が施行されたことで、全国47の全都道府県で同様の条例が発効した。法律ではなく都道府県ごとの条例とはいえ、警察庁の指導に基づいたほぼ同じ内容になっていることが大きな特徴だが、特筆すべきはこの条例が暴力団のみならず、一般市民まで取り締まりの対象にしている点だ。
 京都・伏見のヤクザである寺村組組長の父を持し、暴力団に詳しい作家の宮崎学氏は、この条例は国民の要望によってできたわけではなく、警察側の主導により広められたことに警鐘を鳴らす。その背景には、警察の捜査能力の低下による刑法犯検挙率の低下に対する焦りと、警察の天下り先の拡大という2つの意図が隠れていると指摘する。
 暴力団排除条例は都道府県によって若干の違いはあるが、基本的には「暴力団を恐れない、暴力団に金を出さない、暴力団を利用しない、暴力団と交際しない」という4つの基本理念から成り、いかなる方法でも一切の暴力団との関わりを断つことを市民に要求し義務付けるものだ。これに違反すれば、勧告、名前の公表などを経て最終的には1年以下の禁固刑が課せられる可能性がある。
 問題はこの条例が想定する「交際」がどの程度のものを指すのか、いたって不明瞭な点だ。この条例の下では、市民は商売上の取引や不動産の賃貸から蕎麦の出前にいたるまで、社会生活や人間関係のあらゆる局面において、暴力団との関係の有無を問われることになる。
 曖昧な表現故に過剰なコンプライアンスを要求される。例えば暴力団の同級生と会うことになるかもしれないクラス会への出席を見合わせるように、本来は条例の対象とならない行為まで控えるようになる「萎縮効果」が懸念される。条例に違反することで「暴力団と関係のある企業」のレッテルを貼られることを恐れる企業が、これまで以上に積極的に警察の天下りを受け入れるようになるだろう、と宮崎氏は予測する。
 一方で、内容が曖昧であるがゆえに拡大解釈も可能になる。暴力団員が自分の住む家も見つけられなくなったり、神社や寺への参拝も拒否されるなど、彼らの基本的な人権が脅かされる可能性がある。また、謝礼をもらって暴力団員の弁護をした弁護士や、暴力団員を取材し、その言い分を書いた記者が条例違反に問われる可能性が排除できない。
 条例の意図する暴力団の排除が、どのような結果をもたらすかについても、考える必要があるだろう。アウトローはいつの時代にも、どんな国にも一定数存在する。今は暴力団という団体がそれをほぼ全面的に引き受けている状態だが、組織的であるがゆえに取り締まりも可能になっている。もし、組織としての暴力団が壊滅した時、日本社会のアウトローたちはマフィア化して、アンダーグラウンドに潜るだろう、と宮崎氏は言う。
 宮崎氏によれば、日本の暴力団の歴史は古く、起源は戦国時代まで遡る。そして時代に合わせて組織や活動の形態を変え、社会から外れた人間の受け皿になるなど、裏社会を支える役割を担ってきた。暴力団の存在によって社会の均衡が保たれていた面があるとすれば、暴力団が消えることで、日本の社会はどのように変質することになるのか。暴力団の内情に詳しい作家の宮崎学氏と議論した。  

内部被曝を避けるために今こそ広島・長崎の教訓を活かそう

(第556回 収放送日 2011年12月10日  PART1:62分 PART2:57分)
ゲスト:肥田 舜太郎氏(医師、全日本民医連顧問)

 

 12月6日、大手食品メーカー明治の粉ミルクから1キロあたり最大30.8ベクレルの放射性セシウムが検出された。前週には福島市のコメからもセシウムが検出されており、福島第一原発事故によって放出された放射性物質による食品の汚染の深刻さがあらためて明らかになっている。
 政府はいずれも基準値を下回るため健康には影響はないと繰り返すが、乳児が摂る粉ミルクやわれわれが毎日食するコメの放射能汚染は、それがたとえ基準値以下であっても、真剣に受け止める必要があるだろう。
 特に、食品の放射線基準については、現在の政府の規制値が内部被曝を無視したものであることを念頭に置く必要がある。放射能に汚染された食品を摂取すれば、放射性物質が体内に入る内部被曝が避けられないからだ。言うまでもないが、体内に放射性物質を取り込めば、それが体外に出るまで長期にわたり放射線の被曝を受けることになる。  自身も広島で被爆した経験を持つ医師の肥田舜太郎氏は、原爆投下直後から広島の被爆者の治療・救援にあたった経験から、福島原発事故でわれわれは内部被曝にもっとも気を付けなければならないと警鐘を鳴らす。
 肥田氏は、広島に原爆が投下された直後こそ、原爆の熱と放射線の直射によって火傷や急性放射線障害を受けた患者の治療に追われたがその後しばらくして、原爆投下後に救援や親類の捜索のために広島や長崎に入ったいわゆる入市者たちの間で、鼻血、下痢、内臓系慢性疾患などの症状を訴える人が続出していることに気がついた。中でも「原爆ぶらぶら病」と呼ばれる、疲れやすく慢性的な倦怠感に見舞われる症状は、放射線の内部被曝が原因と思われるが、どんなに検査しても異常が発見されないため、単なる怠け者であるとみなされ、仕事も続けられず、周囲に理解されないまま多くの患者が苦しんでいたと肥田氏は言う。
 肥田氏が強調する広島、長崎の失敗、そしてその教訓は、直接原爆に被爆しなくても、その後降ってきた放射性物質を体内に取り込むことで、大量の内部被曝者を出してしまったこと。そして内部被曝はその原因が確認できないために、多くの人が長期にわたる原因不明の健康被害に苦しむことになることだと、肥田氏は言う。
 広島、長崎で大量の内部被曝者を出しながら、依然として内部被曝に対する政府や社会の認識が甘い原因として、肥田氏は、戦後、アメリカの圧力によって原爆の被害状況を調査できないような状態を強いられたことを挙げる。アメリカは原爆の被害は機密情報であるとして、患者や医師に対して、それを他人に話したり、論文や写真などの形で記録に残すことを禁じた。さらに、アメリカが設置した調査機関ABCC(原爆傷害調査委員会)は、内部被曝の存在を知りながら、事実を隠蔽し続けたと肥田氏は批判する。
 しかし、米軍の占領下ならいざ知らず、今日にいたっても内部被曝に対する隠蔽体質はあまり変わっていない。そもそも日本の食品の暫定規制値は、原子力を利用する国々が主導するICRP(国際放射線防護委員会)基準に準拠しているため、内部被曝の危険性を軽視、もしくはほとんど無視している。内部被曝の危険性をまともに考慮に入れると、核開発や原発の正当化が難しくなるからだ。
 例えば、チェリノブイリの苦い経験から内部被曝を重視するようになったドイツの放射線防護協会による食品の放射性セシウムの規制値は、乳児・子ども・青少年が4 Bq/kg、成人は8 Bq/kgだが、日本では成人、子供に関係なく200~500 Bq/kgまで容認されている。内部被曝のリスクをまともに考慮に入れると、今の何十倍、あるいは何百倍の厳しい規制が必要になってしまうのだ。
 しかし、肥田氏はどんなに微量であっても放射性物質は病気を誘発する可能性がゼロではない以上、食品の規制値にこれ以下なら安全という数値は存在しないことを常に念頭に置かなければならないとしたうえで、今の政府の基準や検査体制では内部被曝から子供を守れないと主張する。
 実際、福島原発事故の後、肥田氏のもとに鼻血や下痢を訴える人が出ており、内部被曝の初期症状が現れ始めたのではないかと肥田氏は懸念していると言う。既に今年の6月1日付の東京新聞で、福島県内で鼻血や下痢、倦怠感といった症状が見られる子どもが増えていることが報道されているが、政府はその後、特に内部被曝の基準を強化するなどの対策はとっていない。
 自身が広島で被爆し、その後臨床医として長年にわたり多くの内部被曝の患者を見てきた肥田氏に、福島原発事故を抱えたわれわれが、広島、長崎の苦い経験を活かすために今、考えなければならないことなどを聞いた。

やっぱり2011年マスメディアは死んでいた

(第557回 放送日 2011年12月17日  PART1:57分 PART2:43分)
ゲスト:佐々木 俊尚氏(ジャーナリスト)

 

 東日本大震災とそれに端を発する福島第一原子力発電所事故で、一般市民のマスメディアへの不信が高まった。とくに、原発事故の発生直後、政府や東京電力が発するいい加減な情報を、検証することなく垂れ流したり、御用学者を次々と登場させ、事故の深刻さを過小評価させたことで、それは頂点に達した。
 2009年に「2011年、新聞・テレビ消滅」を著したジャーナリストの佐々木俊尚氏は、大震災と原発事故を契機に、新聞・テレビはマスメディアとしての機能を完全に失ったことが明白になったと言う。かつてマスメディアが担ってきた信頼性や普遍性といった表看板は、今や単なるがせネタに成り下がってしまった。
 未曾有の震災を目の当たりにして、マスメディアからの情報だけでは安心できない市民の多くは、ツイッターなどのソーシャルメディアに補完的な役割を求めた。その意味では、震災以降、既存メディアからインターネットへのシフトがより一層加速されたと言えるだろう。
 しかし、佐々木氏はマスメディア凋落の原因は、単にインターネットという新しいメディアが登場したことではなく、報道の質の低下が自身の機能消失を招いたと見る。
 佐々木氏が「2011年、新聞・テレビ消滅」を著した2009年の時点では、まだマスメディアが発する一次情報に対する人々の信頼はある程度厚く、インターネット上を流れる情報はあくまでマスメディアの二番煎じとして受け止められていた。しかし、その後ソーシャルメディアの普及が進み、今年の東日本大震災でマスメディアから発信される情報だけに依存することは、自分や家族の生命にも関わる問題と成り得ることを多くの人が感じ取った。この時、これまでマスメディアが独占的に享受してきた情報発信者としての絶対的な地位は、ほぼ完全に失われたと佐々木氏は言う。
 大震災や原発事故がマスメディアの信頼性を損ねた原因の一つとして、災害が広範囲に及んだために、被災の内容が非常に多様で、必要としている情報も多様だったことを佐々木氏は挙げる。情報の画一性を前提とするマスメディアではこのような多様なニーズには応えられず、多くの人が個別のニーズをツイッターなどのソーシャルメディアで補完せざるを得なかった。
 佐々木氏は、戦後の日本は本当の意味での「死活問題」に直面してこなかったため、マスメディアはニュースをエンターテイメント(娯楽)として報道していればよかった。お決まりの勧善懲悪のストーリーに沿って、善悪のはっきりした事柄を扱っていれば、それで受け手側は満足していた。ところが、原発事故のような死活問題に瀕した時、従来の単純な二項対立図式が通用しなくなってしまったのだと、佐々木氏は言う。
 一方、震災でその存在感を一層大きくしたインターネットは、多様な視点や多様なニーズに対応した情報を得る手段としては一定の市民権を得た。しかし、ユーザ自身が自ら情報をプルしなければならないため、ユーザの知識やリテラシー次第で、受け取る情報の質に大きな差が生じるという特性がある。それが一部の人々が特定の問題に情緒的に煽動されるなどの弊害を生んでいることも事実だ。
 いずれにしても2011年がメディアの歴史的な転換点となる可能性が大きい。メディアの現状と次に来るメディア、そしてそうした新しいメディア環境の下で、われわれはどのようにメディアと付き合っていくべきかなどについて、佐々木氏と議論した。 

恒例年末トークライブ ぼくたちが明るい兆しが見えてきたと考える理由

(第558回 放送日 2011年12月24日  PART1:78分 PART2:65分)

 

 2011年が暮れようとしている。
 昨年は、民主党政権の迷走、沖縄米軍基地問題の泥沼化、検察不祥事、尖閣ビデオやウィキリークスに見られる国家や既存メディアの信頼の失墜といった一連の出来事の中に、国や社会の屋台骨の揺らぎが、もはや崩壊寸前まで来ていることを多くの人が感じ取ったのではないか。
 そして2011年、その屋台骨が本当に崩れてしまった。
 東日本大震災と原発震災とその後の政府のあり方を見るにつけ、それ以前から機能不全に陥っていた日本の政治、経済、社会のシステムが、どれだけ無力かつ無能であるかを今も日々思い知らされている。
 しかし、大震災という悲劇は、多くの人に日本がもう終わっていることを気づかせる貴重な機能を果たした。原発事故を受けて、日々行われている新しいエネルギー政策の策定を話しあう有識者会議も、気がつけば守旧派が何とか原発を継続させようと画策する場に成り下がっている。しかし、この震災を目の当たりにした人々が、こんなことを許すだろうか。今のところマスメディアはこの会議の実態を報じていないので、大きな騒ぎにはなっていない。しかし、これらの会議が答申をあげ、2012年の春から夏にかけて政府は新しいエネルギー政策を構築しなければならない。その時に、この震災がこれまでのやり方が通用しなくなるきっかけとなったかどうかの真価が、そして本当に痛い目にあったわれわれが、本気で政治や社会との関わり方を変える気があるかどうかが問われるにちがいない。
 今年の年末マル激ライブは、震災と原発事故に揺れた1年を振り返り、この悲劇を奇貨として、来年はbusiness as usualを変えるために今われわれが何をしなければならないかを、神保哲生と宮台真司が議論した。 

5金スペシャル 非日常から日常を見つめ直すために

(第559回 放送日 2011年12月29日  PART1:77分 PART2:52分)
ゲスト:寺脇 研氏(映画評論家、京都造形芸術大学教授)

 

 5週目の金曜日に特別企画を無料放送でお届けする恒例の5金スペシャル。2011年最後の放送回となる今回は、こんな1年だったからこそ、映画評論家の寺脇研氏をゲストに、あえて映画特集を組んでみた。
 2011年は東日本大震災と福島第一原発事故で、日本全体が一瞬にして非日常に突き落とされた年だった。幾多の深刻な問題を抱えながら、なんだかんだとごまかしながらこの20年あまり、この日常がいつまでも続くかのようなふりをし続けてきた日本だったが、いよいよ今年の3・11にその時はやってきた。
 震災からの再出発を切るに当たり、今、われわれに求められていることは、これまで当たり前のように行なってきた日常を、「本当にこれでよかったのか」と、あらためて問い直すことだろう。そこで今回はそもそもわれわれの日常にどのような価値があるのかを根本から問う作品を中心に取り上げた。
 番組の前半で取り上げたのは『恋の罪』(園子温監督)、『毎日かあさん』(小林聖太郎監督)、『マイ・バック・ページ』(山下敦弘監督)、『大鹿村騒動記』(阪本順治監督)の邦画4作品。 『恋の罪』では、貞淑だったはずの作家夫人が渋谷円山町で出会った売春婦に洗脳され、転落していく過程で、これまでの退屈な日常が抱える矛盾を問い直していく。『毎日かあさん』、『マイ・バック・ページ』、『大鹿村騒動記』も戦場でのカメラマン生活、学生運動が盛んに行われた60年代後半の時代、村に代々伝わる歌舞伎の舞台といった非日常から夫婦生活やサラリーマン生活の日常を見つめ直す機会を提供してくれる。
 後半では2本の外国映画を取り上げた。『ルルドの泉で』(ジェシカ・ハウスナー監督)は、奇跡を呼び起こすといわれる聖地ルルドを訪ねた車椅子のクリスティーヌに奇跡が起こったことで、周りの人々の彼女に対する視線が憐憫から嫉妬へと変わっていくさまを描いた作品。「奇跡」という非日常的な出来事によって、人々の日常に起こる変化を描いている。彼女に対する周囲の視線とその変化に、自分の感情と似たものを見出す人も多いはずだ。
 一方で、『アジョシ』(イ・ジョンボム監督)は、犯罪組織に拉致された少女を、隣の部屋に住む質屋のおじさんが救い出すという映画。犯罪組織に一人で立ち向かうという極端な非日常から、少女と隣のおじさんという日常の二人の関係が再認識される。
 これまで当たり前だと思ってきた日常を続けてきた結果、今のわれわれが、そして今日の日本がある。再出発を図るためには、まずこれまでの当たり前を見つめ直し、どこがおかしかったのか、どこにごまかしやすり替えがあったのか、どの部分は誠実なものだったのかを、われわれ一人ひとりが、あらためて自問自答することではないか。もはや事ここに至った以上、その過程で見えてきた新しい価値観を一つ二つ、われわれの日常に加えてみることも一考に値しよう。
 非日常から日常を見つめる上でのヒントを与えてくれそうな6本の映画を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が寺脇氏と語り合った。 

2012年を生き抜くために

(第560回 放送日 2012年01月07日 PART1:78分 PART2:90分)
ゲスト:青木 理氏(ジャーナリスト)、萱野 稔人氏(津田塾大学准教授)

 

 2012年最初のマル激は昨年の年頭と同様に、マル激レギュラー陣(宮台真司、萱野稔人、青木理、神保哲生)による今年1年の展望を議論する特別番組をお送りする。
 2011年、日本は3・11の震災と原発事故に明け暮れた1年だった。震災からの復興や原発事故の収束が、引き続き2012年の大きな課題であることに疑いの余地はないが、実は震災や原発事故への対応が露わにしたものは、3・11以前から日本が抱えていた構造的な問題だった。
 2012年、われわれはこの震災と原発事故を奇貨として、20年来この国が無策で通してきた諸問題に対峙することができるかどうかが、まずは2012年の日本の課題になるだろう。
 しかし、仮にわれわれが問題を直視できるようになり、真剣に問題への対応を考えるようになったとしても、2012年は決して明るい展望が開けているわけではない。日本はいよいよ団塊世代が定年を迎え、少子高齢化が本格化する。社会保障負担が増え続ける一方で、世代間格差は広がり、若者はいよいよ将来に希望が持てなくなっている。
 一方、世界に目を向けると、2012年は世界の主要国で軒並み首脳の選挙が控えている。アメリカのオバマ大統領の再選が危ぶまれるように、経済の閉塞によって政治に対する不満が世界規模で充満している。2012年は国際政治にも大きな節目の年となる可能性が高い。
 最悪の震災と原発事故を経験した今、未曾有の高齢化社会に突入する。2012年を生き抜くための糸口を、われわれはどこに見いだせばいいのか。ジャーナリストの青木理、哲学者の萱野稔人とともに、宮台真司、神保哲生が議論した。

vol.54(541~550回収録)

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本当に困っている人を助けるために

(第541回 放送日 2011年08月27日  PART1:55分/PART2:47分)
ゲスト:大野 更紗氏(作家、「困ってるひと」著者)

 

 東日本大震災後に発売された福島県出身の作家大野更紗氏の「困ってるひと」が話題になっている。いわゆる「闘病記」の分野では異例の9刷、11万部を記録。インターネットの連載中から、病気の患者だけでなく、若い学生から高齢者、看護師や介護士、フリーターや障がい者など、幅広い人々の共感を集めている。
 大野氏は学部在学中からNGOのビルマ難民の支援活動に携わり、在日ビルマ難民の支援や民主化運動、人権問題に取り組み、在日ビルマ難民のインタビューや現地の難民キャンプ支援、講演会開催、弁護士・国会議員・ジャーナリストやメディアへの働きかけなど多彩な活動を行ってきた。
 大学院に進学し、ビルマ難民支援活動を続けていた2008年、タイ・チュラロンコン大学での研究留学中に自己免疫疾患系の難病を発症し、緊急帰国。日本国内で診断がつかずに病院を転々とする、いわゆる「医療難民」となった。その後、「皮膚筋炎」と「筋膜炎脂肪織炎症候群」の病名がつき治療を開始、都内の大学病院での入院を経て、現在は通院しながら治療を続ける。痛み止めの薬が効かず、自宅では「昏睡の合間に執筆し、常に痛みを感じている」状態だという。
 難病と闘いながら執筆活動をする大野氏に、震災後の社会的、医療的、経済的弱者が急増する時代の展望や、絶対的な不条理に直面した「困ってるひと」からみた真の援助と自立の可能性、メディアが描く「被災者像」と現実について、評論家の武田徹氏と社会学者の宮台眞司と語ってもらった。

ラウンドテーブル
漂流する日本の“空洞政治”

(第542回 放送日 2011年09月03日  PART1:52分 PART2:65分)
出演:宮台真司、萱野稔人、青木理、神保哲生

 

 野田政権が9月2日、正式に発足した。政権交代から丸2年。当初は国民の熱い期待を集めた民主党政権も、今やマニフェストの実現を断念し、自民党との大連立に前向きな姿勢を見せるなど、その存在意義すら怪しくなってきている。
 民主党政権の挫折の原因は、民主党という政党固有の問題なのか、鳩山、菅首相の個人的な資質にあるのか、それとも日本の政治には一政党や一首相の能力を超えた構造的な問題が内在しているのか。
 そもそも野田首相は2006年の小泉首相以来、5年で7人目の首相となる。短命に終わった過去の民主党の二内閣、そしてその前の自民党の麻生、福田、安倍の三内閣の挫折の原因を探り、必要な修正を施さない限り、野田政権もまたさしたる成果をあげられないまま短命に終わる可能性は大きい。
 そこで今週のマル激トーク・オン・ディマンドは特別番組として、社会学者の宮台真司、哲学者の萱野稔人、ジャーナリストの青木理と神保哲生らレギュラーキャスター陣の4人が、ラウンドテーブル形式で日本の政治のどこに問題があり、今われわれに何ができるかを徹底的に議論した。

崩壊国家ソマリアから考える国家本来の役割とは何か

(第543回 放送日 2011年09月10日  PART1:66分 PART2:53分)
ゲスト:遠藤 貢氏(東京大学大学院教授)

 

 深刻な食料不足のために人口の半分にあたる400万人が飢餓状態に陥っているソマリアの飢饉は、国連食糧農業機関(FAO)が5日、緊急援助がなければ向こう4ヶ月で75万人が餓死する恐れがあると発表するなど、依然として深刻な状態が続いている。飢餓は新たに南部地域にまで拡大しており、毎日100人を越える子どもが命を落としているとFAOはいう。
 今回のソマリアの飢饉は少なくとも3つの複合的な要素に起因すると言われる。まずは、60年ぶりとも言われる大干ばつ。今年は雨期、東アフリカ地域には、ほとんどまったく雨が降らなかった。灌漑システムの完備されていないアフリカでは、農作の大半は雨水に依存している。雨が降らなければ作物は収穫できない。
 そして、国際的な食料価格の高騰。干ばつのために自力で食料が作れなければ、人々は食料を購入するしかないが、世界的に食料価格が高騰していることもあり、ソマリアでは店に食料が置いてあっても、ソマリアの人々の所得ではそれを買うことができない状態にあるという。食料価格高騰の原因については、ソマリアの干ばつに代表される世界各地での気候変動の影響やエタノール燃料需要の高まり、そして株安債券安で行き場を失ったマネーによる投機的な商品取引の横行などが指摘されているが、どうやら食料価格の高騰は一時的なものではなく、恒常的なものとの見方が強くなってきている。
 確かに干ばつと食料価格高騰の2点が重要な要素であることは間違いないだろう。しかし、干ばつが襲ったのはソマリアばかりではない。実際、東アフリカ全域が深刻な干ばつに襲われているし、他にも世界各地で大干ばつに襲われる地域は近年増えているが、だからといって直ちにソマリアのような危機的な状況を生んでいるわけではない。もちろん、食料価格の高騰もソマリアのみならず、世界各国に影響が及ぶ問題だ。
 南部アフリカ研究を専門とする遠藤貢東京大学大学院教授によると、今回のソマリア危機には3つめの要因があり、それがソマリア固有の問題として重要になると指摘する。それは、ソマリアが国家としての体を成していない「崩壊国家」状態にある点だ。国家機能が崩壊しているため、食料難民が出ても援助することができない。援助ができないばかりか、外国から援助を受けるための受け皿となることもできない。更に悪いことに、国家が国土を掌握できていないため、各地に部族や武装勢力が勃興し、国連を始めとする国際的な支援努力の邪魔をしたり、場合によっては危害を加えたりするため、支援物資を届けることもできない。ソマリアの首都モガディシュでは、海外からの援助物資が大量に盗まれ、横流しされていたことも、明らかになっている。
 実際、現時点でソマリアの暫定政府が実効支配できている地域はソマリアのほんの一部に過ぎない。南部の大半はアルシャバーブと呼ばれるイスラム武装勢力の支配下にある一方で、北部のソマリランドやプントランドは勝手に独立宣言を出し、自治政府を樹立してしまっている。国土はあってもそれを実効支配する政府が存在しない状態を遠藤氏は「崩壊国家」と呼ぶが、この状態では飢餓にも対応できないし、海賊が外国船を襲うことを押さえることもできない。
 ところで、現在のソマリアの崩壊国家状態は、一見安定している民主主義国家の日本とは無縁の話のように聞こえるかもしれないが、どうしてどうして、現在の日本の政治・社会状況を考える上で、実は興味深い鏡を提供してくれているかもしれない。
 確かに日本は政府が国土を実効支配できていて、ソマリアのような崩壊国家とは正反対の状態にあるかのように見える。しかし、ソマリアは制度としての政府は崩壊しているが、その中で人間が人と人との関係のみで生活を営み、社会を回している。政府とは無縁に社会が動いている状態と言ってもいいだろう。無論それは、大規模な飢饉などに対してはいたって脆弱となるが、そのような状態が続くことで恩恵を得ている人も大勢いるはずだ。
 翻って現在の日本は、あまりにも社会のシステムが確立しているため、むしろシステムが自立化して、政治が無力化された状態にある。人が自分の意思で何かをやろうとしても、システムがあまりにも硬直化しているために、人の意思で何かを変えることが著しく困難だ。つまり、崩壊国家の正反対にあるが故に、逆にシステムの想定を越えた問題に対応することが非常に難しくなっているとみることができる。それが過去20年にわたる経済政策の失政であったり、原発事故への対応の拙さに象徴されていると言えるのではないか。  ソマリアの問題は人道的な観点から緊急の援助を行い迅速に対応することが肝要だ。しかし、日本はそれを単に「遠いアフリカの地に可哀想な人たちがいる問題」としてとどめておくべきではないのではないだろうか。
 今週のマル激では崩壊国家に詳しい遠藤氏と、中国出張中の宮台真司氏に代わって司会を務める哲学者の萱野稔人津田塾大准教授とともに、今世紀最大の飢饉に喘ぐソマリアの現状を検証した上で、国家の基本機能が崩壊しているソマリアが意味じくも浮き彫りにする「そもそも国会の機能とは何なのか」を議論し、それを現在の日本に投影してみた。  

日本の漁業は2つの危機を乗り越えられるか

(第544回 放送日 2011年09月17日  PART1:50分 PART2:68分)
ゲスト:勝川 俊雄氏(三重大学生物資源学部准教授)

 

 いま、日本の漁業は、2つの大きな危機に瀕している。
 一つ目の危機は言うまでもなく、東日本大震災による目の前の危機だ。
 三陸の漁業が壊滅的なダメージを受けた上に、福島第一原発事故で大量の放射性物質が海に流れだし、魚、貝、海藻などを広範囲に汚染してしまった。漁船や漁港、水産加工施設などが壊滅的な打撃を受けた岩手、宮城、福島の3県では徐々に復旧作業が進んでいるが、将来の日本の水産業をどうするかについてのグランドデザインが描けていないため、補助金はもっぱら漁船や漁港などのインフラ整備に充てられ、水産業全体の復興の兆しがなかなか見えてこない。
 また、放射能汚染については、海洋や魚介類の調査が進んでいないため、今のところどの程度汚染が広がっているかを把握することが困難な状態だ。9月9日に日本原子力研究開発機構が、事故発生以来、海に流出したヨウ素131、セシウム134、セシウム137の総量が、これまでの推定の3倍を超える1万5000テラ・ベクレルにのぼるとの試算を発表しているが、これが今後、汚染された海域で捕獲される魚介類にどのような影響を及ぼすかは、今のところわからない。固唾を飲んで見守るしかない。
 しかし、仮に日本の漁業が今回の地震・津波の被害を克服し、放射能汚染を乗り越えることができたとしても、次なる問題が待ち受けている。それが2つ目の危機とも言うべき、日本漁業の構造的な問題だ。
 日本の漁業は震災前から衰退の一途を辿ってきた。乱獲による資源の減少が進む中で、漁業の売上は減少し、漁業従事者の高齢化も深刻だ。
 日本漁業の再生のための政策提言を行ってきた三重大学の勝川俊雄准教授は、すでに震災前に閉塞状態に陥っていた日本の漁業が、この震災を機に数々の構造問題にメスを入れることができるかどうかが、再生の鍵を握ると指摘する。
 震災で壊滅的な打撃を受けた三陸の漁業は、その復旧過程ですでに構造的な問題を露呈していると勝川氏は言う。例えば、復旧のための補助金は漁協の政治力によってもっぱら漁船や漁港などのインフラ整備に充てられ、水産加工や流通業者には資金が下りてこない。そのため、水産加工の拠点だった宮城県では、加工・流通設備の復旧が進まないために、漁船の復旧で魚の水揚げが始まっても、それを買う加工業者がいない状態にある。それもこれも水産業全体をどうするかについてのグランドデザインが無いためだという。
 勝川氏はまた、旧来の漁業・水産行政のもとでは日本の漁業が乱獲と安売り競争を繰り返す中で自滅してしまうことが必至だと言う。漁協ごとに縄張りを定め、その中で魚を獲りたいだけ獲らせている現在の漁業法の下では、資源が完全に枯渇するまで乱獲はやまない。資源を育てることをしない限り、日本の漁業は利益があがらず、若い人も入ってこない。持続的な漁業を守るためにはこれまでの漁業・水産行政を転換し、漁獲量を制限した上で、資源を育成する体制を整えない限り、日本の漁業を儲かる産業に転換していくことはできない、と勝川氏は主張する。
 魚の放射能汚染の現状を検証した上で、今後、日本の漁業が2つの危機を乗り越えるために必要な改革と、われわれが消費者として考えなければならないことは何かを、勝川氏とともに考えた。(今週は神保哲生、萱野稔人の司会でお送りします。)

ソーシャルメディアがもたらす新しいつながりとは

(第545回 放送日 2011年09月24日  PART1:62分 PART2:61分)
ゲスト:武田 隆氏(エイベック研究所代表取締役)

 

 全世界に7億人のユーザーを抱えると言われるソーシャルメディア最大手「フェイスブック」のマーク・ザッカーバーグCEOは今週、アメリカのシリコンバレーで、フェイスブックに「タイムライン」と呼ばれる日記の機能を新たに搭載することを大々的に発表した。また、ソーシャルメディアの分野ではフェイスブックの後塵を拝する形となった検索最大手のグーグルが、これまで試験的に運用してきた独自のソーシャルメディア・サービス「グーグルプラス」を一般ユーザーに公開するなど、ここに来て、俄然ソーシャルメディア周辺が賑やかになってきた。
 調査会社ニールセンリサーチによると、既に日本ではミクシー、ツイッター、フェイスブックの延利用者数は4000万人にのぼるという。
 「ソーシャルメディア」と呼ばれる以上、何らかの社会性を帯びているはずで、ソーシャルメディアの普及は、われわれの社会におけるコミュニケーションのあり方に、どのような影響を及ぼしているのだろうか。
 ソーシャルメディアを使った企業コミュニティの運営に取り組んできたエイベック研究所代表取締役武田隆氏は自らの経験から、ソーシャルメディアは現代社会が失っている「心温まる関係」を築く場になり得る特質を持っているという。コミュニケーション革命は常に、人と人の距離を縮め、新しい公共圏を創造してきたはずだったが、インターネットの登場によって全世界が至近距離で結ばれたことで実際に登場したものは、無数のスモールワールドでしかなかった。ハーバマスが予言した「システム的世界による生活世界の植民化」が現実のものとなった今、武田氏はソーシャルメディアこそがインターネット本来の機能である「人を人とをつなぐ」機能を果たせると言う。
 ソーシャルメディアがいかに社会の中の人と人をつなげる役割を果たし得るのか。その機能を実際に活かすためにわれわれは何をしなければならないのか。ソーシャルメディアによって、社会のつながり方がどのように変わってくるのか。
 10年余に及ぶ企業コミュニティの運営を通じて、ソーシャルメディアを通じて企業と人、そして人と人をつなぐことに力を注いできた武田氏とともに、ソーシャルメディアの果たしうる機能と現状、そしてその可能性を考えた。
(今週はジャーナリストの武田徹、社会学者の宮台真司両氏の司会でお送りします。) 

5金スペシャル
自分探しを始めたアメリカはどこに向かうのか

(第546回 放送日 2011年10月01日  PART1:48分 PART2:72分)
ゲスト:町山 智浩氏(映画評論家)

 

 今回の5金は久々の映画特集。ゲストに町山智浩氏を迎え、「ウインターズ・ボーン」「アザー・ガイズ」「フェアゲーム」「カンパニーメン」の4本のアメリカ映画を通じて見えてくる、アメリカの今とその向かう先を議論した。
 1本目は宮台氏イチオシのウインターズ・ボーン。アメリカの山岳地帯に今も残るヒルビリーと呼ばれる人々が住む隔絶された部族社会の中で、17歳の少女が家族を守るために、村の掟に背いて姿を消した父を捜し求め、戦い続ける姿を感動的なタッチで描いたもの。叩かれても叩かれても挫けない少女の逞しさに、現在の経済的な逆境に立ち向かうアメリカの意気込みが重なる。  2本目はアザー・ガイズ。一見、刑事モノのドタバタ喜劇のようだが、よく見ると随所に既存の刑事映画の揶揄がちりばめられていたりする。TVの人気お笑い番組「サタデーナイト・ライブ」の名コンビであるアダム・マッケイ監督と主演のウィル・フェレルによる一段上の笑いを誘ってくれる作品だが、悪者には拳銃をぶっ放しておけば事が済んでいたこれまでのアメリカからは、一皮剥けた、あるいは一皮剥けようとしている印象が伝わる。
 3本目はカンパニーメン。日本語に訳せば「会社人間」。アメリカでも10年ほど前から、日本に負けないほど仕事漬けの会社人間が多くなったと言わるようになった。典型的な会社人間だったベン・アフレック演じる37歳の会社人間ボビーが、リーマンショックの煽りを受けて会社をリストラされたことで、これまでの人生の価値観を根本から見直す必要に迫られるという設定。と聞くと、月並みなストーリーに聞こえそうだが、この映画で特筆される点は、その主題の一つが「会社は誰のものか」という問い。日本でも何年か前にしきりとこの議論が交わされたことがあったが、少なくともここ最近までアメリカでは、「会社は株主のもの」がコンセンサスであり常識であるとさえ言われた。しかし、リーマンショックを経てアメリカも、会社が持つ社会的な機能や社員やその家族との関係などを見直す必要に駆られているようだ。  そして4本目のフェアゲームはブッシュ政権下で現実に起きた「プレイム事件」を映画化したもの。プレイム事件とは、ヴァレリー・プレイムという女性がCIAの工作員(エージェント)であることがマスコミに暴露された事件のこと。CIAのエージェントの身分を公開することは、他の工作員の命を危険にさらす恐れがあるため、アメリカでは法律で禁じられている。
 9・11の同時テロ直後、当時のブッシュ政権は同時テロを、悲願だったイラク攻撃の格好の口実にできると考え、イラクのサダム・フセインが大量破壊兵器を保有しているとの情報をしきりと流布した。しかし、プレイムの夫の元外交官ジョー・ウィルソンはそれが事実無根であることを知り、政府批判を始める。そして、チェイニー副大統領のスクーター・リビー首席補佐官やブッシュ大統領のカール・ローブ補佐官らは、その報復としてジョーの妻のバレリーがCIAの工作員であることをマスコミに漏洩し、この夫婦を潰しにかかる。
 禁猟期間が明けた時に標的となる獲物を「フェアゲーム」と呼ぶそうだが、ジョー・ウイルソンとバレリー・プレイムの夫婦が、政府から狙われる標的となったという意味で、このタイトルが付けられているそうだ。
 アメリカは8年間続いたブッシュ政権の下でのテロとの戦争に疲弊し、また映画の主題ともなった無理なイラク攻撃を強行した挙げ句の果てに泥沼にはまり、多くのアメリカ人の若者が命を失った。また経済面では、リーマンショックによって、命綱だった金融部門が痛手を受ける中で、これまでの「ネオコン」路線を修正すべく変革を旗印に掲げるオバマ政権が2008年に誕生した、はずだった。しかし、そのオバマ政権も政権発足から3年経った今、支持率は低迷し、アメリカでは草の根保守のティーパーティ運動が勢いを増している。アメリカの自分探しは、まだしばらく続きそうだ。
 政治、経済、社会の各方面でいま懸命に自分探しをするアメリカの姿を浮き彫りにする4作品を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、映画評論家の町山智浩氏と語り合った。

そしてアメリカは変わったのか

(第547回 放送日 2011年10月08日 PART1:63分 PART2:46分)
ゲスト:渡辺 靖氏(慶應義塾大学環境情報学部教授)

 

 9月に小規模に始まったウォール街のデモは、1万人規模にまで膨らみ、一向に収束の兆しを見せていない。様々な理由から若者を中心に老若男女が全米から金融の中心地に結集している平和的なデモだが、その底流にあるのはそれぞれが持つアメリカの政治、経済、社会の現状に対する不満だ。
 アメリカ研究が専門の渡辺靖慶応大学教授は、デモの直接的な背景には、高い若者の失業率や多国籍企業に牛耳られた経済体制などに対する不満があると分析する。
 実際、アメリカでは失業率が高止まり状態にあり、19歳から25歳の失業率は4割を超えると言われる。1980年から続く「小さな政府」の流れで経済格差は広がり、多国籍企業や富裕層がますます肥える一方で、貧困層の人口が急増している。豊かなアメリカを象徴する、30歳までに庭付きの家に住み、複数の自動車を所有し、子供を全員大学に送れる「分厚い中間層」は、もはや古き良き時代になりつつあると言っていいだろう。
 しかし、そうしたデモや格差や失業率があっても、アメリカの保守化の流れはまだしばらくは止まらないだろうと、渡辺氏は見る。現在の保守化傾向は、大恐慌後の50年続いた左派によるニューディール政策の後、レーガン政権の誕生とともに始まった保守化がまだ続いているもので、オバマ大統領が支持率を下げている理由の一つは、そのリベラルな政策が今のアメリカの潮流と合致していないためだと言うのだ。
 むしろアメリカの保守化の流れは、9・11以降、アメリカ人のセキュリティに対する考え方の変化に如実に現れている。何よりも自由とプライバシーを重んじるはずのアメリカ人が、空港で顔写真の照合や指紋の採取に唯々諾々と従い、図書館での図書の借り出し情報をFBIに収集されても文句一つ言わないのは、テロの脅威を排除するためにはそうした施策が不可欠だと考えているからだ。
 こうして考えていくと、もはや今のアメリカには、最大の魅力だった豊かな中間層も、最大の美徳だった自由を重んじる国民性も失われつつあるようにも見える。
 しかし、渡辺氏は今のアメリカの状況をアメリカ凋落の始まりと見るのは、過ちだろうと言う。これまで歴史上何度となくアメリカ衰退論が語られてきたが、そのたびにアメリカは誰もが予想しなかった形でそれを跳ね返してきた。
 9・11以降、アメリカの何が変わり、何が変わらなかったのか。先週4本のアメリカ映画を通して見た「自分探しするアメリカ」は、これからどこへ向かおうとしているのか。更に、アメリカの復元力を日本も模することはできないのか。気鋭のアメリカウオッチャー渡辺氏と、アメリカの今とこれからを議論した。  

iPS細胞は何がそんなにすごいのか

(第548回 放送日 2011年10月15日  PART1:66分 PART2:48分)
ゲスト:八代 嘉美氏(東京女子医科大学先端生命医科学研究所特任講師)

 

 10月3日にノーベル医学・生理学賞が発表されたが、iPS細胞を開発した京都大学の山中伸弥教授は最後まで最有力候補として名前が挙がっていながら今回は受賞に至らなかった。しかし、山中教授の功績が、医療界のみならず世界の人々の価値観を揺るがすほどの大きな衝撃を与えたことはまちがいない。そもそも、山中教授が開発した「iPS細胞」のどこがそんなにすごいのか。
 iPS細胞は「induced Pluripotent Stem cells」の頭文字を取ったもので、日本語で「人工多能性幹細胞」もしくは「誘導多能性幹細胞」と訳される。「幹細胞」とは、自分と異なる機能を持つ細胞を作り出す能力(分化能)と分化する能力を保ったまま、自分と同じ性質の細胞を増やす能力(自己複製能)の2つを併せ持った細胞のこと。ただし、iPS細胞は胚(受精してから胎児になる前の段階の細胞)を構成する一部の細胞は作り出せないことが、「万能性(あらゆる細胞を作り出せる能力)=omnipotent」ではなく「多能性(万能性よりやや能力範囲が限定される)=pluripotent」と称される所以となっている。要するに、一部の例外を除き、生物のあらゆる臓器や器官を構成する細胞組織を作ることができるのがiPS細胞ということになる。
 生物のあらゆる組織を作ることができるとは、どういうことなのか、また、iPS細胞はどのようにして臓器や器官によって千差万別な組織を作りだすのだろうか。
 iPS細胞や再生医療に詳しい東京女子医科大学先端生命医科学研究所の八代嘉美特任講師によると、細胞と細胞の間には様々な蛋白質や分泌物が存在し、それらが出すシグナルにより、どのような細胞に分化していくかが決まってくる。したがって、培養皿上でiPS細胞にそれらの蛋白質を加え、何を加えたらどういう細胞に分化するかを観察することにより、求める組織を作り出す条件を決定することができる。組織の種類によって作りやすさの難易度は変わるが、現在ではかなり多くの種類の組織がiPS細胞から作り出せるようになっているという。
 iPS細胞を開発した京都大学の山中教授は、もともとES細胞の研究を行っていたが、奈良先端科学技術大学院大学に在籍中に、ES細胞から分化多能性を決定づける4種類の遺伝子を特定することに成功した。そして、その4種類の遺伝子を大人の皮膚の細胞に導入することで、ES細胞と同等の性質を持つiPS細胞を作り出せることを発見した。ES細胞は受精卵の細胞の一部で、ES細胞を作製するには受精卵を取りだし壊さねばならないため、倫理的・宗教的な問題があった。しかし、iPS細胞がそのハードルをクリアしたために、再生医療の限界が一気に広がった。当時、ES細胞と同等の性質を持ちながらES細胞の欠点を克服する方法を世界中の研究者が探す中、ユニークな発想で世界に先駆けてそれを実現した山中教授は天才だったと、八代氏は言う。
 iPS細胞は再生医療に加え、病気の原因解明、新薬の開発などの分野で、その活躍が期待される。再生医療というと、「臓器が作れる」と真っ先に考えてしまうが、それは若干先走った考えで、現段階では「細胞や組織レベルでの再生」への期待が大きいと八代氏は言う。たとえば、糖尿病の患者にインスリンを作る細胞を補充するなどの活用の仕方だ。
 臓器を作るということは、決まった大きさ・形のものを作り出すということなので、三次元的に体内と同様の環境を設定する必要があるが、そのような環境を整えることは現在の技術では難しいと、八代氏は現時点でiPS細胞がただちに「臓器を作れる」とはならない理由を説明する。
 病気の原因解明では、たとえばアルツハイマー病のような変性疾患に対して有効とされる。変性疾患は、遺伝・環境・加齢という3つの要因が複雑に影響し合い発病すると考えられるが、iPS細胞は既に分化が行われた細胞を、その前の状態にリセットする能力を持っているため、変性疾患3要因のうち、環境と加齢という要因を排除できるという。
 しかし、iPS細胞を実際の医療に応用するためには、まだ課題は多い。一つは、iPS細胞の作製にあたって、遺伝子を組み込む際のガン化のリスクをどう低減するか。二つ目は、初期化の問題。生物は細胞が分化される過程で、使わない遺伝子には「カギ」がかけられるようになっており、そのカギを外して何にでもなれる細胞までリセットさせることを初期化という。iPS細胞は、この初期化という作業を通じて作製されるため、作製後、再びそのカギが外れるリスクが高まることが指摘されている。そして三つめは、iPS細胞そのものが持つガンの発現リスクをいかに減らすか。この3つの課題をクリアすることが、iPS細胞を再生医療に適用する上での鍵となると八代氏は言う。
 また、上記のような技術的な課題に加え、iPS細胞のような先端医療には、常に技術が暴走するリスクも伴う。再生医療の技術が向上することで、臓器や四肢の再生が可能になり、事実上の不老不死の実現が現実味を帯びてくると、「そもそも人間とは何か」、「生とは何か」といった根源的な問いが、倫理的・宗教的な立場から出てくることは避けられない。そうした問題に科学は今後どう答えていくのか。
 iPS細胞のすごさとその可能性、そしてそれが投げかける人間や生への根源的な問いについて、八代氏と議論した。

「分かち合い」のための税制改革のすすめ

(第549回 放送日 2011年10月22日 PART1:48分 PART2:69分)
ゲスト:神野 直彦氏(地方財政審議会会長・東京大学名誉教授)

 

 増税論議が喧しい。東日本大震災以前から、膨張の一途を続ける財政赤字にどう対処するかは主要な政治課題だったが、この震災によって復興のための財源が必要になったため、財政・税制改革がより急務な課題として浮上してきた。
 日本の財政状況は、「ワニの口」に例えられるように1990年代以降、歳出と税収の開きが年々広がっている。最近では毎年の予算を見ると、90兆円超の歳出に対して税収が40兆円前後にとどまり、赤字分を公債で埋めている。毎年の予算の半分以上を借金で賄っていることになる。
 そうした中、特に野田政権になって以降は、増税が現実味を帯びつつある。しかし、昨今の増税論議は単に「足りない部分を穴埋めする」ための増税になっている感が否めない。これでは負担を強いられる国民が納得しないのも当然だろう。
 そもそも財政が今日のような極端な歳入不足にに陥った原因は、バブル崩壊以降の相次ぐ減税に直接の原因があったと東京大学名誉教授で財政学の権威である神野直彦氏は指摘する。バブルが崩壊した1990年代以降、政府は景気回復と国際競争力の向上という目的のため所得税と法人税を減税し続け、その一方で、やはり景気対策の名のもとに、公共事業支出を増やした。その結果、税収は急速に落ちていった。日本にとって「失われた10年」というのは「減税の10年」でもあったと神野氏は言う。減税が所得税、法人税、資産税に集中していたため、減税の恩恵を受けたのが富裕層に偏り、それが経済格差が広がる原因にもなった。2000年代に入ってからは公共事業費は削減されたが、その分、高齢化にともなう社会保障費が膨らみ、ワニの口は広がる一方だ。
 日本では所得税・法人税の増税への反発が強いようだが、実は現在の日本の所得税は主な他の先進国(アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデン)と比べると、かなり低い。他国の租税負担率が10%前後(スウェーデンに至っては15%近く)であるのに対し、日本は5%程度に過ぎない。法人税についても、日本は税率が高いと言われ続けてきたが、90年代以降、負担率は年々下がっており、現在は国際水準並み(3%程度)だ。しかも、こうした減税を行ってきたにもかかわらず、景気は依然として回復していない。減税だけでは景気が回復しないことを、われわれは早く認識すべきだと神野氏は言う。
 このように、相対的に所得税が低いことが、日本の税制を富裕層に有利ないびつなものにしているという事実があるにもかかわらず、昨今の増税論議は消費税増税ばかりに論議が集中しているのはなぜか。消費税は所得逆進性があるため、現在の歪んだ所得税制をそのままにして消費税率を上げれば、その歪みは更にひどいものになってしまう。税の再配分機能が更に弱まり、格差がより広がることが避けられないということだ。
 税金は誰でもいやなものだ。その税金を払ってもらうためには、どのような社会を作っていくのかというビジョンや方向性が明示され、それに合意、あるいは合意しなくても、納得していなければならない。しかし、日本はどのような社会を指向すべきかについて国民的な合意が形成されていないため、税制のあるべき姿をめぐっても、コンセンサスを得ることが難しいのだ。
 スウェーデンは所得税も消費税も他国に比べて租税負担率は高いが、高負担・高福祉による「分かち合い」の必要性について国民の同意が得られている。反対に、小さい政府を指向するアメリカは、連邦レベルの消費税もない上、租税負担率も低いが、その分、「自己責任」の原則が徹底されている。
 ひるがえって日本は、どんな社会を目指すのか。アメリカのような「小さな政府+自己責任」路線か、スウェーデンのような「大きな政府+分かち合い」路線か。
 誰もが公平感を共有できる税制を築くためには、依って立つ哲学や思想が必要だ。神野氏は、スウェーデン語の「Omsorg(オムソーリ)」と「Lagom(ラーゴム)」という二つの概念を日本が税制を考える上でのヒントとして提案する。これが日本が今、失ってしまった共同体の相互扶助や社会の絆を再構築する上で重要なカギを握ると神野氏は言うのだ。
 「分かち合いの経済」を提唱する神野氏と、日本が目指すべき社会改革とそれを支える税制のあるべき形を議論した。 

今こそナショナリズムを議論の出発点に

(第550回 放送日 2011年10月29日  PART1:46分 PART2:88分)
ゲスト:萱野 稔人氏(津田塾大学国際関係学科准教授)

 

 大震災からの復興や原発事故を受けたエネルギー政策の転換、国内における経済格差や財政赤字の増加、年金等の将来不安と少子高齢化、そしてTPPや沖縄の基地問題等々、今、日本はかつてないほど重大な問題に直面している。これらの問題はすべて、「日本とは何か」、「われわれとは誰か」、そして「われわれはどういう社会を希求しているのか」といった前提が共有されないかぎり議論さえ成り立たないものだ。その意味でこれらはいずれも「ナショナルな問題」であり、ナショナリズムを前提としなければ、議論さえ成り立たない。しかし、こうした議論にナショナリズムを持ち込むことに対して、総じて日本ではリベラルな言論人を中心に抵抗が強く、結果的に有効な議論ができていないのではないかと、津田塾大学の萱野稔人准教授は指摘する。
 日本では、ナショナリズムという言葉自体に偏狭性や排他性といったネガティブな意味合いが含意される傾向があるため、多くの人がナショナリズムを悪いもの、あるいは危ないものと考える傾向があるようだが、それは間違っていると萱野氏は言う。
 もともとナショナリズムとは、社会人類学者アーネスト・ゲルナーの「一義的には、政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する一つの政治的原理である」のような中立的な原理で、国内の政治や社会問題を議論する際の枠組みであり前提となるものだ。むしろ、ナショナリズムを否定したままでは、ナショナルな枠組みで物事を考えることができなくなるため、上記のような諸問題を解決することが困難になると萱野氏は言う。
 たとえば、ナショナリズムを忌避する傾向が強いリベラルな知識人の多くが、日本における経済格差の広がりを問題視し、その原因となっているグローバル化を批判する。しかし、日本国内の経済格差を広げる原因となったグローバル化は、グローバルなレベルではむしろ新興国と日本の賃金の平準化をもたらすもので、先進国の日本と新興国の所得格差を縮める効果がある。つまり、グローバル化による格差が問題になるのは、格差問題を日本国内のナショナルな視点に限定した場合であって、ナショナリズムの視点がなければ、そもそも格差問題を認識することすらできない。萱野氏がナショナリズム自体を否定しながらこれらの問題に対処することはできないと主張する所以はそこにある。
 確かにナショナリズムは排他性や差別性を持つ傾向があるが、これについても萱野氏は、そのような傾向はそもそもナショナリズムが正常に機能していない時に起きるものであり、ナショナリズムが本来持つ性格ではないと指摘する。ナショナリズムが正常に機能していれば、「国家(政治的単位)」とその行為主体である「われわれ国民」の関係は共有されやすいが、ナショナリズムが機能不全に陥り、それが共有されなくなると、排除する対象を置くことで「われわれ」を定義しようとする傾向が強くなるからだ。
 偏狭で排他的なナショナリズムは問題だが、ナショナリズムは本来、ナショナルな問題を考える上での議論のベースであり議論の枠組みを提供するものだ。そして、であるがゆえに、日本の諸問題の解決には、ナショナリズムが不可欠だと萱野氏は主張する。
 それでは現在の日本の諸問題にナショナリズムはどう答えてくれるのか。今こそナショナリズムの視点が必要と説く萱野氏と日本の諸問題をナショナリズムの視点から議論した。 

vol.53(531~540回収録)

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原発震災を防げなかった本当の理由とは

(第531回 放送日 2011年06月18日 PART1:53分/PART2:53分)
ゲスト:古賀 茂明氏(経済産業省大臣官房付)

 

 この震災、とりわけ原発震災は本当に防げないものだったのだろうか。また、仮に想定外の大地震と大津波によって原子炉の一部が破壊されたとしても、その後の被害がここまで拡大することを防ぐことはできなかったのだろうか。
 3月11日の震災以前から、日本では官僚のあり方がたびたび問題にされてきた。戦後復興から高度成長にかけての「欧米に追いつけ、追い越せ」の時代は、政府の意思決定を官僚に任せておけばよかった。しかし、その後日本が成熟社会への転換を図らなければならない局面を迎えた時、官僚が牛耳る「おまかせ政治」のままでは方向転換ができないと言われて久しい。
 一昨年の政権交代では、民主党が脱官僚を旗印に政権を奪取したが、その後の「政治主導」の迷走によって脱官僚のスローガンは大幅にトーンダウンしてしまった。
 今回の震災とその後の対応、とりわけ東京電力の賠償スキームなどを見る限り、官僚機構の問題点が何も解決されていないことは明らかだ。そうした中、この震災は、これまでわれわれが手をこまねいてきた政治や行政の問題点が、一気に吹き出したものであり、同じような悲劇を繰り返さないためには、国家公務員制度の改革が急務であると公言してはばからない現役官僚がいる。それが経済産業省の古賀茂明氏だ。
 古賀氏は今回の原発震災の背後に、官僚の前例踏襲主義、年功序列、そして天下りといった官僚機構特有の弊害があったことは否定できないと指摘する。専門家から原発の安全基準の脆弱性が指摘されていても、安全基準を強化することは先輩官僚のやってきたことの否定につながるからできない。脱原発は電力の自由化につながるため、無数の天下りポストを提供してくれてきた電力業界に対して、そのようなことを言い出せる官僚などいない。結果的に日本の原子力政策は、十分なチェックが入らないままここまで続けられてきた。そして、その結末が、今回の原発震災ということになる。
 古賀氏の論理は明快だ。政治家は選挙で、一般企業は消費者や株主などから常に厳しいチェックを受けているが、役所は外部からチェックを受けることがない。そのため内向きの論理が働き、優秀な官僚ほど省益のために働くようになる。省の人事を省自身が握っている以上、国民益ではなく省益に尽くした官僚が出世するのも当然のこととなる。そこで言う省益とは、天下りポストの増設であり、予算の拡大でもある。
 天下りを含めて約50年、自分の一生を保証してくれる組織に忠誠を誓い、省益の拡大に尽力すれば、自らの官僚人生は安泰だ。しかし、一方で、一旦これに歯向かえば、破滅的な災いがその人の官僚人生に降りかかる。そのような条件のもとで、一体誰が正論や改革などを訴えようか。
 踏み込んだ改革を訴えたために、大臣官房付なる待ちポストに1年半も留め置かれている古賀氏は、この仕組みの中にいると少しずつ感覚がマヒし「普通ならおかしいと思うことが普通に思えてくる」と話す。そのような仕組みの下では、どんな正論が出てこようが、官僚たちにとってこれだけ旨味のある原発が、止まるはずもなかった。
 脱官僚を訴えて政権の座についた民主党は、個々の政治家の能力の低さと経験の無さ故に、財務省の力を借りなければ予算一つを通すこともできず、結果的に民主党政権はことごとく財務省に取り込まれてしまったと古賀氏は指摘する。その財務省は、経済成長など全く念頭に無く、財政再建の名の下にもっぱら増税の機会を狙っている。今の公務員制度では、真に日本の国民に奉仕する官僚は生まれてこないし、今の民主党政権のままでは、政治主導など夢のまた夢だと古賀氏は言う。
 では、これから日本をよくするためにどのような国家公務員改革をすべきか。それには官僚が国民のために働く仕組み作りが必要となる。内閣人事局による幹部人事の一元管理、幹部職員の身分保障の廃止、民間人の登用など、自民党政権下で公務員制度改革に取り組んできた古賀氏は多くの案を出すが、その要諦は官僚が省のためではなく、国民のために働く仕組みを作ることと、若い人たちが活躍できる仕組みに変えることだと古賀氏は訴える。
 震災発生以前から日本は危機的な状況にあった。財政赤字、長引く経済の停滞、機能不全に陥る政府と1年と持たない政権、少子高齢化に対応できない社会保障等々、日本はいつ政府閉鎖が起きてもおかしくないほど状況は深刻だった。更にその上に、今回の震災の負担がのし掛かってくると古賀氏は危機感を募らせる。
 二度と同じ不幸を繰り返さないために、今われわれが真剣に取り組まなければならないことは何かを、古賀氏と考えた。

正力松太郎はなぜ日本に原発を持ち込んだのか

(第532回 放送日 2011年06月25日  PART1:62分 PART2:30分)
ゲスト:有馬 哲夫氏(早稲田大学社会科学部教授)

 

 「原発の父」と呼ばれる正力松太郎は、独占的な通信網欲しさから原発を日本に持ち込み、田中角栄は利権目的で原発を利用した。こうして日本の原発は、その本来の目的とは乖離した、いわば不純な動機によって増殖を続け、そしていつしかそれは誰も止めることができないものとなっていた。
 正力松太郎に詳しい早稲田大学の有馬哲夫教授によると、読売新聞の社長で日本初の民間放送局日本テレビの社長でもあった正力の真の野望は、マイクロ波通信網と呼ばれる国内通信網の実現だった。これを手にすれば、当時将来有望な市場と目されていた放送・通信事業のインフラを自らの手中に収めることができる。正力はそのための資金としてアメリカからの1000万ドルの借款、それに対する日本政府の承認、そして通信事業に参入するための公衆電気通信の免許が必要だった。
 正力は野望実現のために、当時の吉田茂首相やアメリカとの交渉に奔走した。しかし、正力はほどなく一つの結論にたどりつく。それは、野望を実現するためには自らが最高権力者、すなわち日本の首相になるしかない、というものだった。そして、正力は同じく当時将来が嘱望されていた原子力発電は、そのための強力なカードになると考えた。しかし、正力の関心はあくまでマイクロ波通信網であり、原発そのものは正力にとってはどうでもいい存在だった。
 当初はアメリカも、弱小紙だった読売新聞を大新聞に育て上げた正力のビジネスマンとしての才能や政治的コネクション、そして何よりもそのアンチ共産主義的な思想を評価していたと有馬氏は言う。更にアメリカは、1953年のアイゼンハワーの国連演説以降、核の平和利用を推進し、その恩恵を西側陣営に広げることを対ソ戦略の柱の一つにしていた。アメリカにとって正力は十分に利用価値のある人物だった。
 日本で初の原子力関連予算が成立した翌年の1955年、正力は衆院議員に当選するやいなや、原発の導入を強力に推進する。新人議員ながら既に70歳と高齢だった正力は、限られた時間の中で、自らが首相になるための実績作りを急がなければならなかった。そのために読売新聞や日本テレビを使った大々的な原発推進キャンペーンを次々と打ち、当時第五福竜丸の被爆などで高まりつつあった反米、反原子力の世論の懐柔に奔走した。こうして正力は初代の原子力委員会委員長、同じく初代の科学技術庁長官の座を手にし、権力の階段を着実に登り始めたかに見えた。
 しかし、その頃までにアメリカは正力の権力欲を警戒し、正力から距離を置き始めていたと有馬氏は言う。それでも正力はあきらめず、遂に1957年8月、茨城県東海原発実験炉に日本で初めて原子力の灯がともった。しかし、正力の首相になる夢は叶わず、マイクロ波構想も通信・放送衛星の登場によって、意味のないものとなってしまった。
 夢のエネルギーであるかに思えた原子力発電にも問題が起きる。その年の10月、イギリスのウィンズケールの原子炉で大規模な事故が起こり、原発のリスクが顕在化したのだ。正力が科学技術庁長官並びに原子力委員長を退任した後の1961年、原子力賠償法が成立したが、その内容は事業者負担の上限を定め、それ以上は国が負担するといういびつな二重構造だった。ここにも、民間と言いながら実際は国が保証しているという原発の二重性の欺瞞を見て取ることができる。
 しかし、原発は正力の手を離れた後も著しい成長をみせた。1970年の大阪万博には敦賀原発から電力が送られ、未来のエネルギーとしてもてはやされた。オイルショックも原子力の推進を後押しした。そうした中で登場した田中角栄首相のもとで、1974年、電源三法が制定され、原発は高度経済成長の果実を得ていない過疎地の利権としての地位を得て、更に推進されることになる。
 正力が「首相になるための道具」として日本に原発を導入してから、半世紀がたつ。一人の男の不純な動機で始まった日本の原発は、原発に利権の臭いを嗅ぎ取った希代の政治家田中角栄の手で、やはり本来の目的とは異なる別の動機付けによって推進されるなど、常に二重性の欺瞞に満ちているようだ。  「原発の父」正力松太郎の生きざまを通じて、原発の歴史と今後のエネルギー政策へのヒントを、有馬氏と考えた。(今週の司会は武田徹、宮台真司の両氏です)

スマートグリッドがもたらす「引き受けるエネルギー社会」

(第533回 放送日 2011年07月02日  PART1:55分 PART2:41分)
ゲスト:高橋 洋氏(富士通総研経済研究所主任研究員)

 

 原発は怖いけど、風や太陽に依存する自然エネルギーは安定しないため、経済活動や国民生活が大きく影響を受けることが避けられない。そんな理由から脱原発をためらっている人は多いのではないか。そんな不安や疑問を解消する鍵となるのがスマートグリッドだ。
 スマートグリッドとは通信と電力を融合させることで、多様な電力を効率的かつ安定的に送信することを可能にするシステムと説明される。それが実現すれば、これまでのように大規模な原発や火力発電所のみに頼らずに、誰もがいろいろな形で電気を作るようになっても、安定的に電力を供給することが可能になるという。
 スマートグリッドはまた、単なるエネルギー供給の枠を超え、われわれ市民生活のありかたや国の形へも大きな影響を与えるだろう。スマートグリッドとは何なのか。
 これまでの電力は電力会社が設置した大規模な発電所から一方的に受け取るものだった。ユーザーはスイッチを押せば好きなだけ電気を使うことができた。 これに対してスマートグリッドでは分散と双方向がキーワードになる。まず各家庭は消費量をリアルタイムで知ることができるようになる。消費電力のみえる化だ。その情報をもとに消費量を自ら抑制したり、また供給者側も供給量を調節する。つまり、需要者が供給者に協力することで社会全体の電力の最適化を行う電力の供給システムが、スマートグリッドの要諦と考えていいだろう。
 富士通総研主任研究員の高橋洋氏は、今日スマートグリッドが注目されるようになった背景に「供給の分散化」「需要の自律化」「蓄電池の発達」の3つの技術革新が起きていることを指摘する。なかでも需要者(ユーザー)自身が電力を節約したり売ったりする「自律化」が、とても重要だという。これまで電力会社は消費者に自律性など期待できないと主張してきたが、震災後、多くの人々が自発的に節電を行ったことで、いみじくも消費者の自律性が証明された。
 すでに世界ではスマートグリッドは様々な形で取り入れられている。アメリカでは電力の需要増に対する供給の不足を補うための設備投資を抑える目的で、スマートグリッドの整備に取り組んでいる。通信機能を備えた電力計のスマートメーターを設置し、需要者をコントロールすることで供給不足に対応しようしている。それと同時にオバマ大統領のグリーンニューディールに代表されるようにビジネスチャンスとしての期待も高く、グーグルやIBM、GEなどの企業が参入し、国際規格の確立に動いている。
 一方、ヨーロッパは再生可能エネルギー拡大のためにスマートグリッドの整備を行っている。太陽光や風力などの天候に左右されやすい電力を安定的に制御するために、スマートグリッドは不可欠な仕組みだった。
 ドイツでは再生可能エネルギーの固定買取制度、電力市場の自由化を積極的に行い、現在の消費電力に対する再生可能エネルギーの割合は17%、2020年までに35%を目指している。日本は1%にすぎない。人口の減少、経済成長の状況などから日本のモデルとなるのはヨーロッパであると高橋氏は説くが、スマートグリッドが機能する前提となる電力市場の自由化も、発送電の分離も電力の固定価格買い取り制度も日本ではまだ進んでいない。
 電力は広い市場で取引することが最も効率が良いということをヨーロッパの状況が証明している。島国である日本は他国との連系は困難だ。しかし、国内の10社による分割状態を統合すれば市場は拡大する。そしてそれと同時に発送電の分離を行うべきだと高橋氏は訴える。
 戦後、高度経済成長を遂げる中、地域独占的な電力会社は高品質な電力を絶えず送り続けることで社会に寄与してきた。停電がほとんどおきない日本の送電網は世界に誇るべきものだ。しかし今日、社会は大きく変化し、それとともに社会の基盤となる電力業界も変わらなければならなかった。失われた10年、それは電力業界そのもののことだと高橋氏は言う。見たくないものを見ずにおまかせ社会を続けてきたツケが今回の原発事故として現れた。
 スマートグリッドを通して、これからの電力のあり方、そして社会のあり方について高橋氏と考えた。 

出版記念特別番組
これからのエネルギーとこれからの社会に向けて

(第534回 放送日 2011年07月09日 PART1:58分 PART2:75分)
ゲスト:飯田 哲也氏(環境エネルギー政策研究所所長)、保坂 展人氏(世田谷区長)

 

 エネルギーと社会のあり方は表裏一体の関係にある。こう語る、環境エネルギー政策研究所の飯田哲也氏は原発震災以来、再生可能エネルギー分野の第一人者として俄然注目を集め、超多忙な日々を送っている。原発事故というあまり喜ばしい理由ではなかったが、過去10余年にわたり一貫して再生可能エネルギーの推進に貢献してきた飯田氏の努力が、ようやく実りつつあるようだ。  その飯田氏が、このほどマル激キャスターで社会学者の宮台真司と共著を出した。その名も『原発社会からの離脱 自然エネルギーと共同体自治に向けて』。
 そこで今週のマル激は東京・新宿のライブハウス「ロフトプラスワン」で開催された飯田氏と宮台氏による出版記念のライブトークをマル激スペシャルとしてお送りする。司会はもう一人のマル激キャスター神保哲生が務めた。
 今や押しも押されもせぬ自然エネルギーの第一人者の飯田氏も、かつては自身が命名した「原子力ムラ」の一員だった。その時の経験について飯田氏は、原子力そのものが空洞であることに気づかせてくれたことが、最大の収穫だったと話す。
 その後スウェーデン留学を経て、自然エネルギーへの道を歩むが、飯田氏が見た1990年代初頭のヨーロッパは冷戦の終結からEUの統合へと激しく時代が動く中、電力市場の自由化や炭素税の導入など、矢継ぎ早に自然エネルギーへの舵を切る国が相次いだ時期でもあった。ドイツは自然エネルギー固定価格買取制度の元になる電力供給法を1991年に施行し、スウェーデンのベクショーでは1996年に脱化石燃料宣言が行われる中で、飯田氏はエネルギー政策の転換によって社会が変わる様を目の当たりにしたという。
 エネルギーと社会は密接に関係する。エネルギーの自治を進めることで社会の自治が進むと飯田氏は言う。また、エネルギーの自治は経済の自治にもつながる。秋田県の名産品「あきたこまち」の売り上げが年間約1000億円で、同県の全世帯の光熱費も毎年約1000億円だが、光熱費はすべて東北電力のある仙台へと出て行ってしまう。しかし、もし秋田県内で地域の発電事業が始まり、各家庭でも発電が行われるようになることで、エネルギーの自治が進めば、その1000億は県内で消費され、県の経済を潤すことになる。エネルギーの依存が経済的な依存をも意味する所以がそこにある。
 そうこうしている間に、日本の「失われた10年」は「20年」になり、日本の周回遅れは2周目に入った。もしかすると、この震災は日本がこれまでの依存型の社会から脱却し、新しい自治の社会へと踏み出す最後のチャンスになるかもしれないと飯田氏は言う。
 ライブトークの終盤には、先の世田谷区長選で脱原発を訴えて当選し、初めての脱原発首長となった保坂展人氏が飛び入り参加し、脱原発自治体の可能性について語った。

これで検察は生まれ変われるか

(第535回 放送日 2011年07月16日  PART1:50分 PART2:42分)
ゲスト:郷原 信郎氏(弁護士・名城大学教授)

 

 大阪地検特捜部証拠改ざん事件を受けて、検討されていた検察改革案が8日、笠間治雄検事総長から発表された。特捜部の独自捜査機能の縮小や監察指導部、専門委員会の設置など組織の再編や、捜査のチェック体制の強化や取り調べの可視化などが盛り込まれたが、廃止の声もあった特捜部はひとまず存続することが決まった。
 しかし、検察に対する国民の不信感は根強い。この改革案で検察は生まれ変わり、再び市民の信頼を取り戻すことができるのかを、検察のあり方検討会の委員を務めた郷原信郎氏と考えた。
 今回の改革案は3月31日に出された法務大臣の私的諮問機関「検察の在り方検討会議」の提言を受け、江田五月法相の指示でまとめられたもの。法相から3か月以内に具体策の提示を求められていたため、これまでに決まった案が8日発表された。
 改革案では東京、大阪、名古屋にある特捜部を改変し、これまでの独自捜査重視から財政・経済事件へ重点を移すことを目指している。
 会見で笠間総長は「独自捜査をやる検事が一段上だという意識を改めなければならない。特捜部の原点は財政経済事件」と話した。
 郷原氏は改革案に一定の評価を与えつつも、この改革によって検察の根源的な問題が解決するかどうかは、まだ今後の展開を見守る必要があるとの立場を取る。これまでの検察は独立性が重んじられるあまり、それが自己目的化し、内部だけですべてが決められてしまう特殊な組織になっていたと、郷原氏は言う。
 強盗や放火など社会の外縁で起きる事件については、専門性を持った検察が対応することに問題はなかったが、時代とともに複雑に移り変わる政治や経済・社会に大きな影響を及ぼす事件にかかわる検察が、あまりにも世の中から隔絶されていたことで、世の中の変化に対応できなくなっていたのだ。郵便不正事件から証拠改ざん事件にいたる一連の検察不祥事には、機能不全に陥った検察の問題が凝縮されている。
 しかし、今回の改革によって検察の捜査能力の低下を懸念する声もある。これまで検察が依って立つものだった絶対的な正義が相対化された時、検察官たちはどこからモチベーションを調達してくるかも重要な問題になる。
 検察問題以外にも、日本の刑事司法は多くの問題を内包している。長い拘留期間、代用監獄、推定無罪を無視したマスコミ報道と捜査担当者からマスコミへのリーク、そしてそうした無理な捜査の結果にお墨付きを与える裁判所等々、枚挙にいとまがない。今回の検察改革が日本の刑事司法改革の第一歩となるかを、郷原氏と考えた。 

信用金庫が脱原発宣言をすることの意味

(第536回 放送日 2011年07月23日  PART1:62分 PART2:47分)
ゲスト:吉原 毅氏(城南信用金庫理事長)

 

 菅直人首相は震災発生から「脱原発宣言」までに4ヶ月あまりを要したが、震災の衝撃も覚めやらない4月1日に、堂々と脱原発宣言をやってのけた金融機関がある。日本初の脱原発金融機関として今や全国的に有名になった東京の城南信用金庫だ。同庫のホームページに掲載された宣言「原発に頼らない安心できる社会へ」は瞬く間にツイッターなどで広がり、同時期にウェブサイトに公開された吉原毅理事長のインタビューは8万回以上も再生された。
 経済界では異例の脱原発宣言はなぜ行われたのだろうか。また、脱原発で城南信用金庫に続く金融機関はなぜ現れないのだろうか。
 城南信用金庫は世田谷区や品川区など東京の城南地区を中心に地域金融を展開する信用金庫で、都内に50店舗、神奈川県に35店舗を持ち、店舗数、預貯金額ともに信金としては日本でトップクラスの規模を誇る。数々のユニークな取組みで金融界の異端児と評されることが多いが、3代目理事長の故・小原鐡五郎氏の教えである「裾野金融」「貸すも親切、貸さぬも親切」「カードは麻薬」など「小原鐡学」を社是に、目先の利益を追求せず、人と人とのつながりや地域貢献に主眼を置く、地道な経営でも知られる地域密着型の信用金庫だ。
 なぜそのような地域の金融機関が、脱原発宣言などを行ったのかについて、吉原氏は原発事故の発生以後、誰も責任を取とろうとしない政府や企業の姿勢に強い違和感を持ったことをあげる。どんな企業でも事故が発生したら、謝り、責任をとるはずだが、原発については誰も責任をとらない。政府もマスコミの報道にも違和感を覚え、誰かが発言しなければならないと考えた結果が、この宣言だったという。
 しかし、脱原発を宣言した以上、自らもそれを行動で表さなければなければならない。自分たちに何ができるかを考えた結果、原子力の占める発電量が3割なので、まずは自社の電力消費量を3割節電することを決めた。全店舗でLED照明を導入や冷暖房の設定温度の見直しなどを実施した結果、3割削減は十分可能だったと吉原氏は言う。
 また、ボランティア休暇の導入や社員の被災地ボランティアのサポート、被災した地域の信金の内定取り消し者の採用なども積極的に行っている。
 城南信金では同時に、消費者がソーラーパネルやLED照明、蓄電池など節電のための商品を購入する際の、低金利のローンなど、本業でも脱原発・節電を推進している。
 しかし、城南信金のこのような動きをよそ目に、経団連に代表される日本の経済界は依然として原発推進の立場から抜け出ることができないのはなぜか。
 吉原氏は、表では勇ましく原発推進を謳っている企業や企業人も、個人レベルでは原発が危険であることは十分にわかっているし、おそらく、できることなら原発はやめたいと思っているにちがいないと言う。しかし、大企業ほど地域独占の電力会社との関係は深く、株式や電力債などを通じた実利面でも、多くの企業が電力とは強い利害関係で結びついている。個人的な思いはあっても、経済的、心理的にそう簡単には原発から抜け出せない構造になっているというのだ。
 とは言え,城南信用金庫も、事業として金融業を行っている業界トップクラスのれっきとした金融機関だ。損得勘定抜きで事業は成り立たないはずだ。目先の利益に目が眩みそうになった時、吉原氏は城南信用金庫の中興の祖、故小原鐵五郎氏の教えを改めて肝に銘じるという。小原哲学とは、目先の利益を追い求めるものは、最後には大きな損をするという教えだと、吉原氏は言う。小原氏の「貸すも親切、貸さぬも親切」の教えを守り、バブル期にゴルフ場開発や株式、投資信託など投機性の高いプロジェクトへの融資をあえて行わなかったことが、城南信金がバブル崩壊の痛手を大きく受けずに、今日の地位を気づけている要因になっていると吉原氏は胸を張る。
 実際のところ、今後コミュニティバンクとしての信用金庫が担うべき役割は多い。あの悲惨な原発事故を受け、これからの電力供給は、これまでのような大手の電力会社に全面的に依存する中央依存型から、再生可能エネルギーなどを中心に、地域の比較的小規模な事業者や各家庭が担っていく地域分散型へのシフトが避けられない。この中央から地方分散へのシフトを支えていけるかどうかに、信用金庫の真価が問われることになるだろう。
 吉原氏に、脱原発宣言の経緯やその影響、そしてその背後にある小原哲学などの理念と金融機関が追うべき社会的責任について聞いた。 

5金スペシャル
ブータンと水俣とある物探し社会への挑戦

(第537回 放送日 2011年07月30日  PART1:99分 PART2:60分)
ゲスト:草郷 孝好氏(関西大学社会学部教授)

 

 日本人の生活への満足度を調べた2005年の内閣府の調査によると、今の生活に「満足している」と答えた人の割合は4パーセントにも満たなかったそうだが、その一方で、国民の97%が「幸せ」と答える国がある。「幸せの国」として世界的に注目を集めているブータンだ。
 ブータンはヒマラヤ山脈の麓に位置し、日本の九州ほどの広さの国土(4万平方キロメートル)に東京の練馬区ぐらい(70万人)の人たちが住んでいる。主要な産業は農業でチベット仏教を国教とし、役所での執務や通学時には「ゴ」や「キラ」という伝統衣装を着用しなければならない。一方で険しい国土を生かした水力発電で電力を隣国インドに輸出し、経済成長率6.8パーセント(ブータン政府資料2009年)など高度経済成長国という側面もある。
 ブータンは1976年、第5回非同盟諸国会議で第4代ワンチュク国王が「GNH(Gross National Happiness)の方がGDP(Gross National Product)よりも大切である」と発言して以来、GNHを国是とする国として知られるようになった。2008年に制定された憲法の9条には「ブータン政府の役割は国民が幸福(GNH)を追求できるような環境整備に努めることにある」と記されている。
 GNHが有名なブータンではあるが、決して経済発展を否定しているわけではないと、ブータンを研究している関西大学社会学部の草郷孝好教授は指摘する。経済発展は必要だが、それは国にとっても個人にとっても目的ではない。あくまで生き方の充足が目的であることを明確にした上で、経済発展をその目的に資する形で活かしていくのがブータン流だという。
 実際、草郷氏とブータンGNH研究所などの調査では、ブータン人が考える幸せに必要なものの上位には「お金」「健康」「家族」などが並び、それ自体は日本や他の先進国と変わらない。
 ではなぜ、ブータンの人々は自分たちが幸福だと思えるのか。その中には、伝統や環境、国王に対する愛着などいろいろな要素があるが、最終的にそれは家族や地域とのつながりではないかと草郷氏は語る。同じ調査で、家族関係について、9割以上が「満足している」と答えた。
 ところが、ブータンに負けないような地域の価値を作り出すことに成功している地域が日本にも存在する。経済発展の負の遺産である公害の代名詞となった、あの水俣病の熊本県水俣市だ。1956年から公式に水俣病が確認されてから、半世紀が過ぎ、現在水俣は知る人ぞ知る、日本初の環境モデル都市として生まれ変わっている。公害都市から環境都市へ、行政と市民が二人三脚になってマイナスをプラスに変えてきた1990年以降の水俣市の歴史は、ブータンの共通するものがあるばかりか、今回の被災地復興の手がかりになるのではないかと草郷氏は話す。
 水俣の歴史は福島と重なる。水俣病発生当時、水俣の人々は就職、税収など社会生活の全般で、チッソに依存していた。そのため水俣では水俣病に苦しむ人々とチッソに依存する住民との間で対立が生じ、地域コミュニティは分断されたという。しかし、その後1990年代に住民、行政側それぞれからコミュニティ再生の動きが出始め、1994年当時の水俣市長吉井正澄氏が「もやい直し」を提唱し、それぞれの立場の違いを乗り越え、水俣再生へ取り組んでいくことになった。
 水俣再生の秘訣は、市民が何をしたいのかを行政がつかみ、それをサポートする、「行政参加」だったと草郷氏は言う。従来の「市民参加」は行政がグランドデザインを描き、そこに市民が協力する形だったが、水俣はあくまで住民側の主体性にこだわった。その結果、住民主体のゴミ減量運動や20種類以上のゴミ分別などが行われ、2008年には日本初の環境モデル都市に選ばれた。
 ブータンと水俣に共通している点として、草郷氏は「無い物ねだり」ではなく、「ある物探し」をしたことではないかと言う。
 震災を奇貨として、被災地、そして日本を再び幸せな国に変えていくために、今われわれに何ができるかを、ブータンと水俣の事例をもとに、草郷氏と考えた。 

広島・長崎の教訓を今われわれは活かせているか

(第538回 放送日 2011年08月06日  PART1:53分 PART2:83分)
ゲスト:沢田 昭二氏(名古屋大学名誉教授・原水爆禁止日本協議会代表理事)

 

 原発事故の収束の目処が立たないまま、今日、日本は66回目の広島・長崎の原爆の日を迎えた。
 被爆国の日本が、なぜここまで原発に依存することになったかについて、われわれは説得力のある説明を持たない。しかし、原子爆弾が後にもたらす放射能被曝の恐ろしさを身をもって知る国として、今回の原発事故への対応に、われわれはその経験を活かせているだろうか。また、それができていないとすると、それはなぜなのか。
 自身が66年前の広島で爆心から1.4キロの地点で被爆した経験を持ち、その後、核兵器廃絶運動に参加した名古屋大学の沢田昭二名誉教授は、今、福島で起きていることと、自身も体験した広島で原爆投下後の状態に、強い共通点があると指摘する。
 広島で原子爆弾が爆発した際、その爆風と熱、そして爆発の際に飛び散った放射線によって、多くの人命が失われた。しかし、その後、キノコ雲から広い地域に降り注いだ放射性物質によって、何キロ、あるいは何十キロにもわたって多くの人が低線量被曝や内部被曝をしている。その状況は今の福島の状況と共通点が多いと沢田氏は語る。
 しかし、原爆を投下したアメリカは、原爆の爆風や放射能を直接浴びた近距離初期放射線による外部被曝者のみを原爆の影響の及ぶ範囲と定義し、遠距離の低線量被曝や内部被曝の影響は無視したと沢田氏は言う。広範囲に広がる低線量被曝や内部被曝も考慮に入れなければならなくなると、原爆の一般市民への影響はあまりにも大きくなり、その使用が国際法上も人道上も正当化できなくなるからだ。結果的に原爆の爆発後、キノコ雲から広範囲に降り注いだ放射性物質によって爆心から遠く離れた場所で被曝した人や、原爆が投下された後、救助などのために広島に入り被曝した人たちは、調査の対象ともなっていないため、実態も把握できていないと沢田氏は指摘する。そして、そのことが、原爆症の認定問題でも、後々多くの人を苦しめることになる。要するに、日本政府は66年前の原爆についても、未だにその影響の全体像を把握できていないのだ。
 世界で唯一原爆の被爆経験を持つはずの日本が、原発事故やその後の放射能汚染への対応がいたってお粗末だったことの理由の、少なくとも一端は、そこにあるのかもしれない。日本は66年前に、今の福島と同様の経験をしていたにもかかわらず、その総括ができていないことのツケが、こういう形で回ってきていると、言い換えることも可能かもしれない。
 非人道性や非倫理性を理由に核兵器を批判し、この廃絶を訴える沢田氏は、同じ理由で原発にも反対の立場を取る。仮に原発が効率的に電力を供給する手段であったとしても、一旦事故が起きれば、これだけ広範囲に深刻な被害をもたらす原発は、やはり非人道的なものと断じざるを得ないからだ。
 そして、自身が素粒子を研究する科学者でもある沢田氏は、とりわけ科学者の責任を強調する。原爆を開発したアメリカの科学者たちの多くは、ナチスドイツの前にアメリカが原爆を持たなければ大変なことになると考え、その力をマンハッタン計画の下、ロスアラモス研究所に結集させた。しかし、ドイツが無条件降伏した後、プロジェクトに参加する科学者の多くが原爆開発の中止を訴えたにもかかわらず、アメリカ政府はこれを却下し、様々な戦略上の判断から日本にこれを投下した。ルーズベルト大統領に原爆開発を進言する書簡を出したアインシュタインは、そのことを後世にわたり我が身の恥としたという。
 元々原爆の副産物だった原子力発電についても、1950から60年代にかけて、科学はこれを無限の可能性を秘めた夢のエネルギーと位置づけ、世界中で熱心に研究・開発が進められた。しかし、度重なる事故で原発が当初考えられていたほどいいものではないことがわかったあとも、日本を含む一部の政府はこれを推進し続けた。そして、そこには常に政治の意思と、政治の意を汲んだ御用学者の後押しがあった。
 個々の科学者の意図の如何にかかわらず、科学が常に政治利用されることは歴史が証明している。沢田氏は科学者の責任として、人々を信頼し、常に社会にとって重要な情報を提供することの意義を強調するが、原爆投下から60余年がたった今、われわれはそれができているだろうか。
 原水協の世界大会に参加中の沢田氏を広島に訪ね、広島・長崎の教訓が福島で活かされているかを議論した。

人間は放射線を浴びてはいけない生き物なのです

(第539回 放送日 2011年08月13日  PART1:77分 PART2:20分)
ゲスト:崎山 比早子氏(高木学校メンバー・医学博士)

 

 福島第一原発事故発生直後から、政府関係者や専門家たちの口からは「ただちに影響はない」の言葉が繰り返し発せられた。しかし、これほど不誠実かつ無責任な言葉はない。それを霞が関文学的かつ医学的に翻訳すると、現在の放射線のレベルでは、高い線量の放射線を浴びたことによる皮下出血や脱毛、下血、嘔吐といった急性障害は起きないかもしれないが、弱い放射線への被曝や放射性物質を体の中に取り込むことによる内部被曝によって、数十年後にガンや白血病などの晩発性障害が発症するリスクは十分にある、というものになる。その意味では、極めて不誠実な言い回しながら、彼らは本当のことを言っていた。現在進行形で原発事故を抱える今日の日本にとって、いまわれわれが抱える最大のリスクは、低線量被曝や内部被曝による晩発性障害のリスクといっても過言ではないだろう。
 放射線医学総合研究所に長年勤務し、現在は市民科学者の立場から生涯原発反対を唱えた高木仁三郎氏が創設した高木学校のメンバーでもある医師(医学博士)の崎山比早子氏は、事故発生当初から、こうした不誠実な情報発信のあり方に憤りを感じてきた。特に、科学者や医師たちのいい加減な発言によって、放射線の本当のリスクが見えにくくなり、誤った情報に基づく誤った判断で、多くの市民が命を危険にさらしている状況は看過できなかったと崎山氏は言う。
 確かに、被曝後、何十年も経ってからガンなどの病気が発症する晩発性障害は、因果関係の証明が難しい。がんの発症には、いろいろな原因が複雑に絡み合うからだ。しかし、だからといって、一部の専門家が強調するように、低線量放射能被曝の影響は無視してもよいということにはならない。
 崎山氏は放射線被曝にはしきい値、つまりここまでなら浴びても大丈夫という量は存在しないと理解すべきだと言う。どんなに少量の放射線でも、人間がこれを浴びれば、放射線は人間の体の細胞の、とりわけ遺伝子を破壊する。そして、それによって将来それがガンになる危険性は僅かずつでも確実に増していく。がんの発症が放射線被曝の積算蓄積量に比例することは、国際的な放射線の防護基準を策定している国際放射線防護委員会(ICRP)も含め国際的に広く認められており、学問的にはもはや疑いの余地はほとんどないと崎山氏は言う。
 また、同じ理由から、大人と比べて子供は、細胞分裂が盛んな上に、大人より多くの放射線を吸収してしまう傾向がある。その後の長い人生の中で、他の様々な発がん因子の影響を受けることになる子供は、二重三重に大人よりも放射線に対する感受性が高い。その子供に年間20ミリシーベルトまでを許容量とした政府の決定は、言語道断だと崎山氏は言う。
 にもかかわらず、ある程度の放射線を浴びても「ただちに問題ない」といった発言が、十分な情報や専門的知識を持っているはずの政府関係者や科学者、そしてマスメディアの解説委員等から次々と発せられるのはなぜか。崎山氏は、自分が所属する組織に対する従属や忠誠心を優先するあまり、本来は正しくないことを重々知りながら、そのような発言をしてしまっているのではないかとの見方を示す。
 事故発生後、マスメディアで「ただちに」発言が横行し、政府や専門家に対する不信感が高まったことについて、崎山氏は日本で「市民科学者」が不在であることが問題だと言う。仮に、政府や電力会社から大きな助成金や寄付を受ける大学や研究機関に所属する科学者が政府よりの発言を繰り返したとしても、そのカウンターパートとなる市民科学者が科学的な根拠に基づいて、それに対抗できる情報を発信することができれば、市民は双方からの情報をもとに独自の判断を下すことが可能になる。
 また、そもそも日本は情報発信ができていないばかりか、情報の受信すら正しくできていないと崎山氏は言う。放射線被曝に関係する海外の文献や論文には、必ずといっていいほど広島・長崎の調査データが登場する。しかし、海外では放射線被曝研究の定番となっている広島・長崎のデータが、日本では必ずしも十分に活用されていないというのだ。
 医療の専門家として、国の専門機関である放医研(2001年4月から独法)から高木学校所属の市民科学者に転じた崎山氏と、いまだ政府によって十分に説明されていない放射線被曝の本当のリスクと、それがきちんと説明されない理由やその背後にある市民科学者不在の問題などを議論した。

菅政権に入ってわかったことと、できなかったこと

(第540回 放送日 2011年08月20日  PART1:61分 PART2:67分)
ゲスト:下村 健一氏(内閣審議官)

 

 TBS時代はスター記者として数々のスクープをものにし、フリーに転じてからも常に日の当たるところを歩いてきたジャーナリストの下村健一氏が、昨年10月、何を思ったか、メディアでの確たる地位をすべて投げ捨てて、菅首相の広報担当審議官となった。早い話が政権を陰で支える裏方だ。
 欧米ではジャーナリストが政治家の広報マンになることはある。有名なアメリカCBSテレビのエド・マローも晩年はケネディ政権の広報の仕事をしていたし、今回マードック盗聴スキャンダルで問題になっているニューズ・オブ・ザワールドのコールソン編集長はその後イギリスのキャメロン首相の広報担当になっている。(その人事のためキャメロン首相は政治的に傷ついてもいる。)
 しかし、日本では第一線で活躍している現役のジャーナリストが、政府の、しかも総理大臣の広報を請け負うケースというは寡聞にして知らない。しかも、下村氏が政権入りした昨年10月は、尖閣沖中国船衝突事件の処理のまずさや柳田法務大臣の失言で菅政権の支持率がまさに超特急で急降下する最中にあった。そこに広報担当として飛び込むとは、まさに火中の栗を拾う行為だった。
 それから約10ヶ月、菅首相は退陣の意向を明らかにし、早ければ今月中にも首相官邸の主が代わろうとしている。その下村氏にこの10ヶ月を振り返りながら、政権の中で下村氏ができたこと、そしてできなかったことを語ってもらった。