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人口減少という歴史の必然と向き合うために

(第691回 放送日 2014年7月12日 PART1:58分 PART2:42分)
ゲスト:鬼頭宏氏(上智大学経済学部教授)

 少子高齢化と人口減少という、世界の先進国に共通する問題で最も先頭を走る日本。安倍政権は6月24日に出した「骨太の方針」で50 年後に1億人程度の人口を維持することを目標に掲げている。しかし、歴史人口学が専門の鬼頭宏上智大学教授は、先進国における人口減少は歴史の必然であるとして、これは避けられないものとして向き合うことの必要性を説く。
 鬼頭氏は一つの文明が限界を迎える時、その社会は調整局面に入り、調整の一環として人口減少が起きるとして、日本にも縄文時代以降3度の人口減少期があったことを指摘する。最初の人口減少期となった縄文時代後期には、気候変動などによりそれまでの採集・狩猟生活が限界を迎えたために一時的に人口が大きく減少している。しかし、その後稲作が導入され、日本は再び人口増加に転ずる。他にも、日本では室町末期から鎌倉前期と江戸末期にそれぞれ人口減少期を経験しているが、いずれもそれまで社会を支えていたシステムが限界を迎え、新たなシステムに切り替わるまでの間の調整の一環として人口が減少したのだという。
 歴史的な文脈で見ると、眼下の人口減少は日本にとっては4度目の人口減少局面ということになる。確かに政府の施策の基礎となる国立社会保障・人口問題研究所の推計でも、出生率が現在の状態から大きな改善が見られなければ、約50年後の2060年には日本の人口は現在の1億2000万から8674万人に、2110年には3906万人まで減少するものと予想されており、減少の幅は決して小さくはない。
 では、今回の人口減少の背景にある文明の限界とは何を指しているのだろうか。鬼頭氏は日本を含む先進国の人口減少は実は1970年代から始まっていたと指摘する。医学の進歩や平均寿命の延びなどもあり、実際に日本の人口が減少に転じたのはここ数年のことだが、1970年代には既に合計特殊出生率が人口維持の前提となる2.0を割り込んでいた。そしてそれはローマクラブによる「成長の限界」やレイチェル・カーソンの「沈黙の春」など経済成長や物質文明の限界を示唆する各種の報告や、74年に開かれた国連による第3回世界人口会議などともほぼ同じ時期に起きている。また、第4次中東戦争やオイルショックなども重なったことで、20世紀の物質文明の限界を世界の多くの人が感じた時代だったと鬼頭氏は言う。
 現在の調整局面を経て、次の時代の文明がどのようなものになるかは今のところ誰にもわからない。また、目下の人口減少がどの程度続くかもはっきりしたことはわからない。しかし、仮にマクロな視点で見たときの人口減少が歴史的な必然であったとしても、人口が減ることによって社会に様々なマイナスの影響が出ることは避けられない。政策面では人口減少のペースを少しでも和らげる施策や、その影響を最小限に抑えるための手立ては必要だ。
 人口減少の原因となっている少子化には(1)子どもの生存率上昇(2)将来の不確実性と国民の意識(3)変らない社会構造という「3つの必然」があると鬼頭氏は指摘する。乳幼児の死亡率が高ければ、跡取りとしても労働力という意味でも親は子どもを多めに作ろうとするという。しかし、子どもが死ぬ心配がなくなると、言葉は悪いが「スペア」を作っておく必要性が低下する。それが1)の子どもの生存率の上昇が少子化の原因となる由縁だが、1)を政策的に変えることは難しいとしても、2)と3)、すなわち将来不安の払拭や子どもを産み育てるための社会制度の充実などは、政策レベルでできることがまだいくらでも残っている。いや、日本はそこにあまりにも無策だったのではないか。
 先進国が人口減少という難題を抱える一方で、世界の人口は今や70億を超え、将来的には100億まで増えることが予想されている。地球が養える人口の限界が80億人と言われる中、先進国で深刻化する少子化と人口爆発を続ける途上国の格差の問題を、われわれはどう捉えればいいのだろうか。日本は人口急減社会に耐え、新たな文明システムの軸を見つけることができるのか。人口問題を入り口に世界や日本が置かれた現状と、これからなすべきことなどを、歴史人口学に詳しいゲストの鬼頭宏氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

ブラジルサッカー惨敗に見る「世界の危機」

(第692回 放送日 2014年07月19日 PART1:1時間3分 PART2:1時間)
ゲスト:今福龍太氏(東京外国語大学大学院教授)

 7月13日に閉幕したサッカーのワールドカップ・ブラジル大会は高い身体能力を備えた選手を揃えたドイツが、高度に統制された戦術のもとで全員が精力的に走り回る合理主義サッカーで世界の頂点に立った。しかし、今大会で最も多くの耳目を引いたのは、何と言ってもホスト国で「サッカー王国」の名を欲しいままにしてきたブラジルが、準決勝でドイツに7-1という歴史的なスコアで敗れた「ミネイロンの悲劇」だった。
 4年に一度開催されるW杯では、各国が様々な新戦術を引っさげて登場してくる。古くは74年大会を席巻したオランダの「トータル・フットボール」、82年大会では強固な守備をベースとしたイタリアの「カテナチオ」、最近では前回2010年大会で高度な個人技に裏打ちされたパスサッカーで優勝したスペインの「ティキ・タカ」などが、その後の4年間の世界サッカーを方向付ける戦術として各国に広まっていった。今回ドイツが圧倒的な強さを見せたことで、今後はドイツ的な合理主義サッカー、高度統制サッカーが主流となり、王国ブラジルが誇るラテン的な偶然性と即興性に溢れた美しいサッカーは衰退してしまうとの見方も出始めている。
 今大会の結果について、サッカーの専門家たちの間ではさまざまな意見、さまざまな見方があるだろう。しかし、文化人類学者として長年ブラジルやラテンアメリカを研究してきた東京外国語大学大学院の今福龍太教授は、今大会、ブラジルが大敗しドイツが優勝したことについて、これは単にブラジルサッカーの危機を超えた「サッカーの危機」、ひいては「世界の危機」を反映するできごとだと評する。
 ドイツは徹底したデータの集積、そしてそれに基づいた科学的な分析に基づく統率の取れた戦術によって、他チームを圧倒した。それはサッカーというゲームの意味を度外視し、単純により多く得点するための最適解を求めた結果だった。ドイツはブラジル戦で点差が開いた状況においてもなおブラジルDFのミスにつけ込むなど、とことんまで得点を狙いにいき7得点を挙げた。サッカーは得点を競う競技である以上、少しでも多くの点を取ろうとすることは当然だが、今福氏はドイツや今大会で優勝候補のスペインに大勝するなどして健闘が目立ったオランダのような、手段を選ばずに貧欲に得点を狙いにいくようなプレーはブラジルサッカーではあり得ないことだという。ブラジルでは得点を挙げたチームは、次は相手にスペースを与えながら敵の攻撃を受け流すサッカーに転じて相手の出方を楽しむようなリズムを双方のチームが共有しながら試合が進行していく。そして自分たちの得点以上の美しいゴールが生まれると、今度は自分たちが攻撃に転じて更により美しいゴールを目指すことで、ブラジルのサッカーは発展してきた。ブラジルのサッカーでは単純に多くの点を取ることよりも、想像力溢れるプレーや美しいゴールの方により重きが置かれていると言っても過言ではないほどだと今福氏は言う。
 今回のドイツはサッカーの大きな魅力である「偶然性」や「即興性」「美しさ」のような数字に表れない価値観を排除し、もっぱらより多くの得点を挙げることのためにデータを集積し、研究を重ね、戦術を練り、統率の取れたチームを編成した。その結果、世界を制することに成功はしたが、そのサッカーは魅力に欠け、ブラジルが大事にしてきた「フチボウ」(フットボールのブラジル発音)とは似て非なるものとなってしまった。そして、そのドイツサッカーが世界を制したことで、これからのサッカーがドイツ流の合理性を徹底追求した無味乾燥な点取りゲームになってしまうことを今福氏は強く懸念しているという。
 現代サッカーは高度に科学化、情報化しつつある。試合を観戦しているだけでは分からないが、選手のプレーは逐一モニターされ、どういう動きをしてきたかがデータ化され蓄積されている。選手の走行距離やパスの回数まで自動的にカウントされるICチップを埋め込んだスパイクすら開発されているという。そして監督、コーチ、選手自身の判断ではなく、あくまでもデータに基づいた戦術が組み立てられ、選手交代のタイミングすらデータ分析の結果に基づいて行われるようになりつつある。そこにはもはや人間の感性が有機的に作用しあう「偶然性」などが介在する余地はない。むしろそうした不確定なものを徹底的に排除することこそが、勝利への最適解であるという考え方が主流になりつつある。これをとことん突き詰めていけば、リモコンで指令を受けたサイボーグ同士が戦っているのと、さして変わらないようなものになってしまう。正にサッカーの危機である。
 そして、ドイツの勝利至上主義の背景に、勝利することによって得られる莫大な経済的利益があることは言うまでもない。勝つことで得られるマネーが年々膨張してきたことがより一層サッカーの情報化、データ化を促し、選手の個性は消し去られ、チームは選手を単なる駒のひとつとして戦術にはめ込んでひたすら得点を目指すというスパイラルに陥っていく。実際ブラジルでは若く才能溢れる選手が10代のうちから財力のあるヨーロッパの競合チームにスカウトされ、そこで勝利至上主義的なサッカーに適応することを強いられることが多くなっているために、幼少時から彼らが育んできたブラジル的なサッカーの才能がある段階から伸ばせなくなっている面があると、今福氏は言う。
 今回のワールドカップで顕在化した「合理性」対「偶然性」の価値対立は、実際はサッカーの枠を遙かに超え、今日われわれの社会生活の至るところで衝突している価値対立と共通していると今福氏は言う。その価値の衝突に自覚的にならない限り、われわれは今大会でドイツが見せた「合理主義」を無批判によいものとして受け入れ、その対価としてブラジルのサッカーに見られるような「別の大切なもの」を無自覚に捨て去っている場合が多いのではないか。そしてブラジルサッカーと同様に、その「別の大切なもの」こそが、むしろわれわれが何に代えても守っていかなければならないものの場合が多いのではないか。
 今回ブラジルでは自国でのワールドカップ開催に反対するデモや抗議行動が各地で起きた。サッカー王国ブラジルでのワールドカップ開催に反対運動が起きたことに違和感を覚えた方もいたかもしれない。しかし、今福氏はあのデモはワールドカップがFIFA(国際サッカー連盟)や大手スポンサーにお金で買われてしまったことに抗議するデモだった面が大きいと指摘する。自分たちがこよなく愛するサッカーをカネで売り渡してなるものかというブラジル市民の意思表示だったというのだ。
 しかし、「ミネイロンの悲劇」を受けて、ブラジル国内ではドイツやオランダに倣い、より合理性で科学的なサッカーを目指すべきだという意見が既に出始めているという。今後のことは予断を許さないが、ブラジルでは過去にもそのような論争が何度かあり、最後は自分たちのサッカーを守ろうという結論に落ち着いてきたという。
 効率、スピード、コンビニエンス、収益性といった一見合理的に見える価値を無批判に受け入れるあまり、われわれは自分たちの人生からも、そしてわれわれの社会からも、知らず知らずのうちに偶然性という「別の大切なもの」を消し去ってはいないか。そしてそれは果たして本当に私たちの生活を豊かにすることにつながっているのか。いや、そもそも豊かさとは何なのか。ワールドカップ・ブラジル大会に投影された今日のわれわれの生きにくい世界の縮図を、ゲストの今福龍太氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

川内原発再稼働の前に知っておくべきこと

(第693回 放送日 2014年07月26日 PART1:1時間3分 PART2:36分)
ゲスト:井野博満氏(東京大学名誉教授)

 九州電力川内原発の再稼働に向けた動きが加速している。
 原子力規制委員会は川内原発1号機、2号機の審査を終えて、7月16日に事実上の審査のパスを認める「審査書案」を公表した。8月15日までパブリックコメントを募った上で正式に審査書が確定し、地元の同意が得られれば再稼動が可能になるという流れだ。
 電力各社は電力需給の逼迫と燃料費の高騰などを理由に原発の再稼働を目論んでいるが、審査書案の公表を受けて会見した原子力規制委員会の田中俊一委員長は、「原発再稼働の判断についてはコミットしない」と述べている。規制委はあくまで規制基準を満たしているかどうかを科学的な見地から判断するだけで、再稼働の判断は政府が行うものという立場だか、一方で安倍首相は規制委の決定を尊重して再稼働を行うとしており、再稼働の責任をお互いになすりつけているかのような印象は拭えない。
 しかし、われわれにとっては何をおいてもまず、今回の規制委による審査で、原発の安全性は十分に確保されたかどうかを十二分に検証する必要がある。5人の委員からなる原子力規制委員会は当初から委員の中立性に疑問が呈されていたが、今年の9月にはさらに元原子力学会会長の田中知氏が委員に就くことが決まるなど、原子力関係業界との接点が指摘される。また、委員の下で実際の審査業務に携わる原子力規制庁の職員も、福島第一原発事故の元凶の一つとして厳しく指弾された旧原子力安全・保安院からの横滑り組がほとんどだ。
 今回公表された審査書案は400ページ以上に及び、原発施設の設計の在り方から実際の施工上の対応、電源の安全確保対策、重大事故の想定や緊急時の要員確保まで記述されていて、一見するとあらゆる事態を想定しているかに見える。しかし、東京大学名誉教授で原子力施設に詳しいゲストの井野博満氏は 今回の審査書案では過酷事故への対策が不十分であると指摘する。
 原発事故の対応で必要なことは、いかに原子炉を安全に「停める、冷やす、閉じ込める」かが鍵となるが、規制基準が想定している過酷事故のケースはいずれもひとつのトラブルが中心に考えられていて、それと並行して起きる可能性のあるトラブルが十分に考慮されていないと井野氏はいう。
 例えば冷却機能を喪失したケースでは、確かにそれをカバーするための対応は何重にも用意されているが、そのどれもが電力が問題なく供給されていて、対応に要する人員は常に確保されていることが前提になっているという。地震や津波で施設が損傷を受けた上に、全電源喪失に見舞われた時、何が起きるかを思い知らされた福島の教訓はどこへ行ったのだろうか。また、電源に関しても規制基準ではさまざま定められてはいるが、これも主に単一のトラブル回避が想定されているため複合的な要因が同時発生した場合に機能するかどうか疑わしいと井野氏は言う。
 さらに井野氏は今回の川内原発の場合、規制基準や審査書案を見るだけでは分からない問題もあるという。川内原発では、仮に冷却機能が失われて炉心損傷が起きても、その段階で事態の進行を押さえ込む防護機能が十分ではなく、次に生じるメルトスルーにどう対応するかという対策しか想定されていないという。つまり川内原発では重大事故の際には冷却機能を維持する対策が不十分なため、その時点での対応を諦め、その次の事態に対処することになっていて、その対応を原子力規制委員会も容認しているという。このような事実は専門家が読んで初めてわかることで、一般の人が規制基準や審査書案をいくら読んでも、知ることが出来ない。
 安倍首相が誇る世界最高水準の規制基準に関しても井野氏は「従来の安全基準に地震や津波対策が加わったものに過ぎず、これでは再稼働を前提に基準が作られていると言わざるを得ない」と厳しい評価を下す。福島事故で安全神話が崩れ、重大事故や過酷事故が起こりうるとの前提に立った原子力行政が目指されたはずだった。事故後に策定された新しい規制基準は、各数値などはより厳格になっているものの、いずれも従来の安全基準の手直しに過ぎず、既存の原発でもクリアできることが前提になっているため、とても安倍首相が誇るような「世界最高水準」のレベルにはなっていないと井野氏は酷評する。
 現在、日本の原発は全て停止している。しかし、そもそもその再稼働を誰がどういった権限で判断するのかという法的枠組みを日本は持っていない。そのため安全基準への適合の可否のみを審査しているはずの原子力規制委員会の判断が、事実上、再稼働にお墨付きを与える格好になっている。このままでは総無責任体制の下で原発だけが回り出すことになり、万が一の事故の際にもその対応が甚だ心配だ。少なくとも安倍首相は「規制委の意見を尊重して」などと逃げずに、「私の責任において再稼働します」と言えないのであれば、再稼働などすべきではないだろう。
 既に多方面から指摘されているように、現行の安全基準は周辺住民にとっては最も重要と言っていい、事故の際の避難計画が評価の対象からすっぽり抜け落ちてしまっている。仮に立地自治体によって作成された避難計画が現実離れした代物であっても、現行の制度ではそれを評価して適正化する組織が存在しない。とりあえず防災避難計画の作成が義務づけられているだけで、その内容は問われていないというのが実情だ。これでは安全神話に寄りかかった再稼働と言わざるを得ない。
 川内原発再稼働に向けた動きと今回公表された原子力規制委員会による審査書案を参照しながら、原発の規制の在り方、規制基準の問題点、原子力規制委員会や立地自治体の役割と責任などについて、ゲストの井野博満氏とともにジャーナリストの青木理と社会学者の宮台真司が議論した。

アベノミクスが露わにした日本経済の病理

(第694回 放送日 2014年08月02日 PART1:41分 PART2:50分)
ゲスト:早川英男氏(元日本銀行理事・富士通総研エグゼクティブフェロー)

 政府は7月25日、消費者物価が前年の同じ月と比べて3.3%上昇していると発表した。ただし、物価の上昇自体は13カ月連続しているが、電気代などエネルギー価格の上昇率が若干低下してきたため、4月以降の消費税増税の影響を差し引くと純粋な伸び率は鈍ってきているという。安倍政権は2年間で物価上昇率2%というインフレターゲットを設定してこの1年半余り、アベノミクスと呼ばれる経済政策を実施してきたが、その効果はどれほどのものだったのだろうか。
 そもそもアベノミクスは、デフレ脱却を目指してまず第一の矢として実施された「異次元金融緩和政策」によって市場に資金を大量に供給し、2%のインフレ目標を定めることで市場をはじめ国民の期待感を刺激する一方、第二の矢の財政出動で公共投資を大幅に増やして景気を下支えしながら、第三の矢の成長戦略によって、日本経済を成長路線にいわば体質改善することを目指すという触れ込みだった。
 2012年に安倍政権が発足した時点で、日本の景気はすでに回復局面に差し掛かっており、たまたまアベノミクスがそのタイミングと重なった可能性は否定できないが、元日本銀行の理事で、金融政策に詳しいゲストの早川英男氏は、物価の下落が止まり、デフレから脱却しつつあるというのは間違いないと分析する。ただし、現在の物価上昇は、原材料価格の高騰や、商品・サービスの価格上昇、そして消費税増税など、明らかにコストプッシュ型の物価上昇であって、景気回復の結果、賃金が上がって物価が上昇するという自立的な経済成長とは異なると指摘する。
 たしかに物価の上昇に関しては異次元金融緩和が一定の効果をあげているようだ。しかし、リフレ派が主張するような、物価が上昇すれば全てがバラ色になるということは無いと早川氏は釘を刺す。しかも異次元金融緩和を一体どこまで続けるのか、物価が2%上昇したらやめるのか、果たしてやめられるのかという問題も大きいという。日銀の大量購入によって日本の国債は現在辛うじて低金利を維持できているが、日銀が金融緩和をやめたとたんに、国債の金利が上昇し、借金まみれの日本の財政を直撃することになると早川氏は分析する。
 では、どうすれば日本経済を健全な成長軌道に乗せることができるのか。アベノミクスが第3の矢と位置づける成長戦略が当然ながらその鍵になるが、早川氏はそもそも潜在成長率がかなり低下している日本経済を成長軌道に乗せるのは並大抵のことではないと警鐘を鳴らす。潜在成長率とは、文字通り経済成長の余地、余力のことだが、現在の日本のGDPが2008年のリーマンショック前と同じ規模であるにもかかわらず、失業率は改善されている。これは働ける人がフルに働いた状態で、ようやく失業率が高かった当時のGDPに並んでいるということであり、労働人口の減少を加味してもなお労働生産性がほとんど改善されておらず、潜在成長率が著しく低下していると推計できるという。
 経済が成長するためには、労働力を増やすか、投入する資本を増やすか、生産性を高めるかのいずれかを実現する必要がある。しかし早川氏によれば、日本は少子高齢化に伴う労働力の減少に見舞われ、民間の資本ストックの伸びも前年比1%程度まで低下していて、労働力と資本増強による成長は困難であることに加え、労働生産性を高めることで成長する道も厳しい状況にあるという。
 近年の日本経済の生産性を支えてきたのは民生用電子部品などを扱う電気産業だが、現在は国際的に見ても日本メーカーの凋落は明らかで、相当にその生産性を落としているという。とすると、もはや日本には成長の余力がほとんど残っていない可能性がある。アベノミクスの公共投資で一時的に潤っている土建業界は、最も労働生産性の低い産業であることを考えると、ここまでアベノミクスがやってきたことは全くのピント外れだった可能性が否定できない。本来は成長や生産性向上の余地のある部門に資金を集中投入することが成長戦略上不可欠であるにもかかわらず、もっとも非効率的な部門に巨額の公共投資を続けることは、まるで砂漠に水をまき続けているに等しい。そこから経済成長などが期待できようはずがない。
 確かに物価の下落は止まっている。しかしこれは内需が中心の景気回復傾向に過ぎず、膨大な財政赤字や労働力の減少、労働市場の逼迫など供給面での制約は強まる一方だ。しかも日本の潜在成長率はほぼゼロに等しい。これでアベノミクスがうまくいっていると評価するのは、あまりにも楽観的過ぎる。それでも早川氏は戦略的に資本や人材を投入すべき分野は、改訂版の成長戦略で示された医療改革分野や女性の労働関係分野などまだ残されているという。こうした分野にこそ、より効果的な成長戦略が必要であり、相応の資本を投入すべきだろう。
 このまま見せかけの景気回復に踊らされ、財政赤字は膨大に積み上がったまま、物価の上昇率が2%に到達し、金融緩和政策をやめる局面に直面した場合、本当の意味でのインフレが発生してしまいかねないと早川氏はいう。確かに国債価格が下落したからといって日本経済が即死するわけではないが、財政事情の悪化はより深刻化し、必要な改革が行われないまま日本全体がズルズルと「静かなる危機」に突入していくというシナリオは十分に考えられるというのだ。
 アベノミクスで日本経済はどう変わったのか。そしてこの先、どうなっていくのか。金融政策や成長戦略を参照しながら、アベノミクスによって明らかになってきた日本経済の今後についてゲストの早川英男氏とともに、経済学者の小幡績と社会学者の宮台真司が議論した。

天下の愚策リニア新幹線に待った!

(第695回 放送日 2014年08月09日 PART1:47分 PART2:52分)
ゲスト:橋山禮治郎氏(千葉商科大学大学院客員教授)

 皆さんはこの秋にも総工費が9兆円を超えるリニア新幹線の建設工事が始まることをご存じだろうか。ではその中身についてはどうか?
 JR東海は現在、2027年の完成を目指して東京・名古屋間を40分で結ぶことになるリニア中央新幹線の建設計画を進めている。建設費用は5兆4300億円。最終的には2045年に東京・大阪間を67分で結び、トータルの建設費用は9兆300億円にも達する前代未聞の超巨大事業だ。
 超伝導が発する磁力で浮いたまま疾走する夢の乗り物、リニアモーターカーの最高時速は500キロ。現在新幹線で約1時間40分かかる東京・名古屋間を40分で、新幹線で約2時間30分かかる東京・大阪間は67分で結ばれるという。確かに「時速500キロの世界最速」や「名古屋は東京の通勤圏に」などは喧伝されているが、プロジェクトの中身やその問題点は必ずしも十分に周知されてきたとは言えなそうだ。
 公共政策や大規模事業に詳しい千葉商科大学客員教授の橋山禮治郎氏は、今回のリニア中央新幹線計画は民間企業が実施するプロジェクトという位置づけのため、外野はとやかく言うなといわんばかりの進め方できているが、鉄道というものの公共性ゆえに、もし事業が失敗すれば、多くの市民が多大な影響を受けることは避けられないと指摘する。また、原発と同様、リニアプロジェクトには元々国が深く関与してきたことから、事業が失敗に終わった場合、政府がこれを何もせずに放置するということは考えにくい。多かれ少なかれ、国民にツケが回ってくる可能性のある超大型事業が、国民不在のまま進んでいることに橋山氏は強い違和感を覚えると言う。
 橋山氏は公共政策の成否は、目的の妥当性や経済合理性、そして環境適合性や技術的な信頼性によって決まるが、リニア中央新幹線は、いずれの要素にも疑問符がつくと言う。夢の超音速旅客機コンコルドは「マッハの旅客機」などとそのスピードが大きく喧伝されたが、高額な運賃や騒音問題を克服できなかったために姿を消していて、それと同じような末路を辿る可能性が高いのではないかと橋山氏は言うのだ。
 リニア中央新幹線計画では、まず、経済的な見通しに大きな疑問符がつく。橋山氏の試算では、JR東海や、事実上計画を認可した政府の交通政策審議会の試算によるリニア中央新幹線の利用客数は、あまりにも非現実的で楽観的な見通しに基づいているという。
 そもそもリニア新幹線は既存の東海道新幹線と競合する。東海道新幹線はJR東海にとっては唯一といってもいいドル箱路線だ。仮に新幹線からの乗り換えがあったとしても、その分新幹線の利用客が減ってしまえば、JR東海にとっては大きな利益は期待できないばかりか、大きな損失をもたらす可能性すらある。しかし、審議会やJR東海の見通しでは、現在の輸送需要が将来的に大きく拡大することを前提に、リニアも東海道新幹線も両方が採算が取れるとの試算を打ち出しているのだ。
 さらに環境に対する影響も懸念されている。高速度を出すためにできるだけ直線で結ぶことになるリニア新幹線は、東京・名古屋間の87%が地下を通り、南アルプスを貫通することになる。現在、山梨県には約42キロのリニアの実験線が既に完成しているが、実験線の周辺では、山肌を貫くトンネル工事によって地下水脈が分断され、予期しない場所での大量の出水や、生活用水や河川、沢の水涸れなどの問題が各地で報告されている。今後、南アルプスの山間をぶち抜く工事が進む中で、未曾有の水問題に直面する可能性は否定できない。更に、工事の途中で思わぬ大水脈にぶち当たり、黒部第四ダム工事に匹敵するような出水との闘いを強いられる可能性すら否定できないと橋山氏は言う。
 この事業は当然、環境アセスメントの対象だが、橋山氏は環境アセスメントによる評価は不十分で、環境への影響に対する手当ては十分になされていないと厳しく批判する。ほかにもリニアの運行によって余計に必要となる電力の問題や、トンネル工事に伴う膨大な残土の処理問題なども、十分に中身が検討されたとは言えないと橋山氏はいう。
 このように事業そのものにも問題は山積しているが、しかしそれ以前のそもそも論として、21世紀の日本の経済や社会の現状や、これからのわれわれのライフスタイルを考えた時、10兆円もの費用と高い環境負荷をかけて、時速500キロで走るリニアを建設し、東京と名古屋を40分で結んだとして、そのことにどれほどの意味があるのだろうか。
 確かに10兆円の大型事業によって、ゼネコンを始めとする経済界は多いに潤うのかもしれない。しかし、そのような土建国家モデルのまま、この先も日本は進むつもりなのだろうか。1980年に大平内閣の下で田園都市国家構想の構築に関わった橋山氏は、一度大型事業が計画されたら最後、それが止まらない日本の体質に、政治の責任を指摘する。官僚が一度計画された公共事業を止められないのと同様に、生存のために大型事業を必要としている重厚長大産業が支える経済界も、一度走り出したら止まらない性格を持つ。しかし、それを止めるのが最後にそのツケを払うことになる国民の監視の目であり、それを行動に移すことができる政治のリーダーシップではないかと言うのだ。
 このプロジェクトは着工に必須となる環境影響評価が今、大詰めを迎えていて、既に環境相や国土交通相による意見書がJR東海側には伝達されている。このままいけば、今秋にも工事着工の予定だというが、今ならまだ間に合う。事業内容の合理性を今あらためて再検証し、国民的な議論に付した上で結論を出すべきではないだろうか。
 ゲストの橋山禮治郎氏とともに、天下の大愚策になりかねないリニア新幹線の事業内容を今、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が再検証した上で、時速500キロで移動が可能になることの意味をあらためて考えた。

誰がために甲子園はある

(第696回 放送日 2014年08月16日 PART1:57分 PART2:40分)
ゲスト:中島大輔氏(スポーツライター)

 未曾有の記録を相次いで打ち破りアメリカ・メジャーリーグに渡った、日本球界の至宝とも言うべきニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手が、先月、肘の靱帯の部分断裂で戦列を離脱した。今週はテキサス・レンジャーズのダルビッシュ有投手までが肘痛で故障者リスト入りをするなど、日本の期待を一手に背負ってメジャー入りした投手の故障が相次いでいる。ここ何年かの間だけでも、松坂大輔、和田毅、藤川球児といった日本を代表する大投手たちがメジャーリーグ入りしてほどなく、肘の故障で「トミージョン手術」と呼ばれる靱帯の移植手術を受けている。
 なぜこうまで日本を代表する投手たちがメジャーリーグに渡ったとたんに、次々と大きな肘の怪我に見舞われるのか。その真相は誰にもわからないが、一つだけ、彼らに一様に共通することがある。それはいずれの投手も高校時代から尋常ではないほど肘を酷使し続けてきたということだ。アメリカのスポーツメディア界では今や、日本の投手たちは誰もが肘を酷使してきているので、大枚を叩いてスカウトするには値しないのではないかといった議論が、真剣に交わされている。
 現在、高校球児の祭典、夏の甲子園が真っ盛りだ。NHKが1回戦から全試合を生中継し、ニュースでも大きく取り上げられるので、否が応でも世の中の関心は高い。夏の甲子園はもはや日本の夏の風物詩と言ってもいいだろう。
 しかし、こうした華やかな大会の陰で、特に大会の過密日程からくるピッチャーへの過重な負担が一部で懸念されている。「一部で」、というのには理由がある。もはや甲子園があまりにも巨大なイベントとなっているため、スポーツジャーナリズムの世界でもそのあり方を大っぴらに批判することが難しくなっているからだと、今週のゲストでフリーのスポーツライターの中島大輔氏は指摘する。
 しかし、実際に甲子園では大会を勝ち進んでいくと、投手の連投は当たり前になっている。2006年夏に「ハンカチ王子」としてアイドル級の人気が出た早稲田実業高校の斎藤佑樹投手は、優勝までの全7試合で948球もの球数を投げている。さらに遡ると、1991年夏、準優勝の沖縄水産高校の大野倫投手などは6試合で773球という連投がたたって、肘を疲労骨折し、肘が曲がったままの痛々しい状態で閉会式にのぞんでいた姿が印象に残っている。どうしても勝たなければならないというプレッシャーがかかれば、エースの2連投、3連投はむしろ当然のこととして受け入れられてるのが、甲子園の実情なのだ。
 横浜DeNAベイスターズのチームドクターを務める、横浜南共済病院の山﨑哲也医師によると、人間の肘は野球のボールを1球全力で投げるごとに、靭帯に微細な断裂が生じるほどの負担がかかっている。だからこそ、一日に投げる投球数を制限して肘の負担を減らすと同時に、痛んだ肘の靱帯が回復するまでの間、肘を休める必要があると指摘する。
 1日150球を超える球数を投げた上に、準決勝、決勝となると、2連投、3連投が当たり前という現在の甲子園のあり方は、選手の肉体への負担という意味もおいても、将来プロで活躍する可能性を持った有望な選手に高校生の段階で傷をつけてしまうという意味においても、大きな問題があると言わねばならない。
 アメリカのメジャーリーグでは、投手に1試合あたり100球の制限を設けている球団がほとんどだ。また、練習でも投手が投げていい球数を厳しく制限している。これも、肘への負担に関する科学的なデータに基づいた措置だが、日本からメジャー渡った投手の多くは、思い存分投げ込みをさせてもらえないとして、このやり方に不満をこぼす人が多いほどだ。
 日本でも小学生のリトルリーグや中学生のリーグでは一人が1日に投げてよい球数の制限が一律に設けられるようになった。また、試合で投げた場合、次に投げられるまでに挟まなければならない休みの日数や、1週間に投げてもよい球数なども細かく決められるようになっているという。
 しかし、なぜか高校野球ではこれがなかなか進まない。中島氏が言うように、そもそもこの問題をオープンに議論することすら難しい状態にあると言うのだから、進まないのも当然だ。
 甲子園があれだけ大きな国民的イベントになり、夏の朝日新聞、春の毎日新聞を筆頭にNHKも含めたメディアが丸ごとそこに乗っかる形になった今、高校野球と言えども各校は勝つためにあらゆる努力を惜しまないのは当然だ。テレビのスポットライトが当たる中、選手、全校生徒はもとより、父兄、そして地元をあげての応援を受けたチームとその監督の双肩にかかるプレッシャーは尋常ではないだろう。
 そこに投球制限などが設けられて、次の試合でエースピッチャーが使えないために敗退してしまうようなリスクは、誰も冒したくはない。また、常に甲子園をめぐる感動秘話を探しているメディアにとっては、腕が折れようとも投げ抜く高校球児の熱い心は、感動物語には不可欠な要素になっている。投球制限が設けられた中で淡々とプレーをするような高校野球では、商品としての価値が今より大幅に落ちてしまう。それこそが正に、将来が有望な特定の優良選手に過度の負担を強いている根源的な原因でもあるわけだが、それがあるからこそ甲子園が今日のような国民的な関心事になっているという側面があることも否めない。
 しかし、これは詰まるところ、高野連や大会を協賛する新聞社、そして甲子園ネタで販売部数や視聴率をあげているメディアたちが、高校球児たちの野球にかける熱い心やその将来性を食い物にしている結果だとは言えないだろうか。
 確かに、球数制限や登板の間隔は個人差があるため、一律の基準を設けることにはディメリットもあろう。しかし、明らかに投球過多によって故障する選手が続出している以上、これが喫緊の問題として真剣に議論されていない現状には違和感を超えて、不信感を禁じ得ない。
 個人差があるから規制をしないというのは、たくさん球数を投げでも大丈夫な選手がいるのだから、それで怪我をしてしまう選手には、故障を甘受してもらいましょうと言っているに等しい。高野連側がよく言い訳に使う「全ての選手がプロ野球を目指しているわけではない」という主張も、それではプロに行かない選手の肉体は損傷しても構わないと言っているに等しいではないか。高校生はどんなに腕が痛くても、自分から「もう投げられません」とは決して言わないと、多くの指導者たちが証言する。高校生は放っておけば、体を壊すまで、いや壊してでも、まだ投げ続けてしまうものなのだ。それを止めるのが、大人の仕事ではないのか。高校生の熱い純粋な思いを逆手にとって、大人がビジネスをしてどうする。とりあえずそろばん勘定は横におき、ここはメディアがしっかりと問題を指摘し、高野連を始めとする大人たちが、しっかりとした判断を下さなければならない場面ではないか。
 こうなると甲子園を「夏の風物詩」と楽しんでばかりもいられない。過密日程の甲子園大会と、相次ぐ日本人ピッチャーの故障の問題、甲子園という一大イベントとメディアの問題など、いったい誰のための野球か、誰のための甲子園なのかを、ゲストの中島大輔氏と共に、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

なぜエボラ出血熱は治療薬が無いのか

(第697回 放送日 2014年08月23日 PART1:1時間 PART2:55分
ゲスト:堀田佳男氏(ジャーナリスト)

 西アフリカでエボラウイルスが猛威を振るっている。
 WHO=世界保健機関によると、8月18日までに約2500人が感染し、既に1300人以上が死亡しているという。感染者数、死者の数いずれも過去最悪だ。エボラウイルスは感染者の体液が傷口などに触れない限り感染はしないとされ、空気感染もないことから、ウイルス自体の感染力はそれほど強くはない。にもかかわらず、医師の数も圧倒的に不足しており、依然として流行は拡大し続けている状況にある。
 しかし、エボラ出血熱が最初に流行したのは1976年、38年前のことだ。ウイルスも発見されている。にもかかわらず、なぜ未だにエボラ出血熱の治療薬が存在しないのだろうか。確かに致死率は高い恐ろしい病気だが、逆に致死率が高いからこそ、とうの昔に治療薬が開発されていてよかったはずではないか。
 「ひと言で言えば、エボラはペイしない病気だからだ。」ジャーナリストで抗ウイルス薬の研究開発に詳しいゲストの堀田佳男氏はこう語り、エボラウイルスの治療薬の研究開発が進まない背景に、医薬品業界の大人の事情があると指摘する。
 元々、抗ウイルス薬と呼ばれる種類の治療薬は、研究が難しく、治療薬を開発しようというインセンティブが働きにくい分野だといわれているが、ウイルス疾患では、いまや世界中の約3400万人が感染しているといわれるエイズは、ウイルスの存在が確認された1981年以降、治療薬の研究開発が盛んに行われてきた。感染が確認された時期は、エボラより遅いにもかかわらず、エイズ治療薬の開発が進んだのは、堀田氏によると、まさにその感染者数が大きく影響しているという。治療薬を研究開発する製薬会社にとって、感染者数は顧客数と同じ意味を持ち、エイズはつまり市場規模が大きい疾病だったというわけだ。さらにエイズは先進国、特にアメリカ国内で感染が広がったことで、先進国の間で研究に対する関心が高まった。
 今回のエボラの流行は史上最悪の規模だが、それを含めてもここまでの感染者数はせいぜい5000人程度にとどまる。死者の数は累積で3000人ほどだ。しかも流行地域は、現在までのところアフリカにとどまっている。全世界で感染者3400万人、年間死者数170万人のエイズとは、確かに市場規模が違う。新薬の開発に1000億円単位のコストがかかると言われる昨今、アフリカ人5000人だけを対象とするだけでは開発費が回収できないことは誰の目にも明らかだ。
 堀田氏によると、新薬の開発にかけるコストは膨大で、さらに長期間にわたった研究が必要とされることから、製薬会社の研究開発は自ずと売れる薬に偏重してしまうのだという。日本では新薬の開発に9年から17年もの期間が必要とされていて、新規の薬効成分の発見からスタートして、新薬として承認され、販売されるまでにかかるコストは、約1千億円とも言われている。しかも、最終的に承認を得て販売に漕ぎ着けられる新薬は2万7000~8000分の1の確率しかない。つまりほとんどの新薬研究は販売にまで至らないのが普通で、文字通り万に一つの確率で商品化に至った場合、その販売でこれまでに失敗をした開発プロジェクトのコストまで回収しなければならない。エボラのように致死率も高く恐ろしい病気の治療薬の開発が放置される背景には、製薬会社の研究開発が大きな需要が見込まれる疾病の研究に集中せざるを得ない、このような裏事情があるのだという。
 しかし、人の命を救う医薬品の開発という、非常に公共的な行為が、もっぱら製薬業界の市場原理に委ねられていていいのかという疑問は残る。儲かりそうもないというだけの理由で、今回のエボラのようなケースや、罹患者が少ない難病治療の研究がほとんど進まないまま放置されていいとは思えない。
 需要の少ない分野の薬剤は「オーファン・ドラッグ」と呼ばれているが、1980年代にアメリカでは、患者数の少ない疾病の治療に関して、オーファン・ドラッグの研究開発費の一部を公費で負担する制度が導入されている。患者数が少ないものの重篤な疾患で医療上の必要性が高いなどの要件のもとで、公的な支援を行うというもので、実は日本にも似た制度はある。しかし、日本ではそれに回される予算は、年間50億円程度に過ぎず、「1つの新薬の開発に1000億円」という製薬業界の市場原理と比べるといかにも心細い内容だ。
 国境なき医師団に、西アフリカにおけるエボラ出血熱大流行の現状などを聞いた上で、40年も前から流行を繰り返しているエボラが未だに死に至る恐ろしい病気であり続けている理由の背景にある医薬業界の市場原理の実態や、研究開発のシステムとその課題などについて、ゲストの堀田佳男氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
カシミール、パレスチナ、世界の紛争の根っこにあるもの

(第698回 放送日2014年08月30日 PART1:1時間 PART2:49分
ゲスト:伊勢崎賢治氏(東京外国語大学大学院教授)

 5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。今回の5金では世界で起きている武力紛争について、関連映画を参照しながら考えた。
 インド、パキスタンの国境付近に位置するカシミール地方は、1947年にインドとパキスタンがイギリスから独立して以来、常に二国間の紛争の種だった。カシミールは住民の大半こそイスラム教徒だが、10以上の言語が存在し、中央アジア、特にアフガニスタンとの地域的な共通性を持っているなど、多様な文化が混在している地域だ。現在のカシミール紛争は、この地を治めていたヒンドゥー教徒の藩王(マハラジャ)が、独立に際してインド、パキスタンのいずれに属するかを明確にせず中途半端な状態にあったところ、イスラム教徒のパシュトゥーン人勢力に侵攻を受け、あわててインド側に帰属することと引き換えに武力による保護を求めたことが発端となっている。その後、カシミールはインド、パキスタンの独立後も3次にわたる印パ戦争の舞台となり、局地的な武力衝突も後を絶たない。最近ではイスラム原理主義勢力がカシミールのパキスタン側に入り、自爆テロなども起きるようになってしまった。
 世界の紛争地で武装解除などの任務に携わり、カシミールも度々訪れている東京外国語大学大学院教授の伊勢崎賢治氏は、カシミールは現代テロの起源であると言う。特に1990年前後から、カシミール紛争に乗じてイスラム過激派がこの地に浸透し、それまでこの地域では見られなかった自爆テロが起きるなど、紛争が聖戦として捉えられるようになってきたと解説する。インドは陸軍の半分をカシミールに投入し、治安組織や現地警察勢力も加えると地域住民の実に5分の1にも相当する90万人の軍・警察・治安関係者によって、地域の安定を維持している状態だという。
 ここで取り上げた映画『アルターフ 復讐の名のもとに』は、カシミールが舞台のインド映画だが、登場人物の背景を、カシミール情勢に照らして考えていくとまた違った見方が出来る作品だ。暴漢に家族を殺されたイスラム教徒の主人公は、事件の捜査を担当したヒンズー教徒の警察署長に引き取られて育てられていたが、ある日、その養父が自分の家族を殺した覆面の男だったことが分かり、復讐を誓ってテロを計画するという物語だが、そこにもカシミール情勢の複雑さが垣間見える。インド映画特有の踊りと音楽が取り入れられたアクション作品だが、登場人物の出自や立場をカシミール情勢と重ねて考えることで、また違った見方ができる作品でもある。
 今回の5金スペシャルで取り上げたもう1つの映画は、パレスチナ人ラッパーの活動を取り上げたドキュメンタリー映画『自由と壁とヒップホップ』だ。パレスチナ人ヒップホップグループ「DAM」が、パレスチナ特有の困難や制約の中で活動する姿を追ったこの作品は、イスラエルとの対立構図だけではなく、パレスチナ人同士にも存在する互いの遠慮や差別、世代間の考え方の違いなどパレスチナ社会が抱える問題が描かれている。パレスチナ情勢は現在も短期間の停戦をはさみながら、イスラエル軍による空爆や、パレスチナ過激派によるテロが繰り返されているが、もはやユダヤ教とイスラム教の宗教対立という視点からだけでは捉えきれない複雑さが存在し、カシミールと同様に解決の糸口を見出すことが困難になっている。
 その他、世界にはカシミールやパレスチナのような地域紛争が無数にある。冷戦が終わり、より豊かな世界が実現するはずだった21世紀になっても、紛争は一向に減らないばかりか、ますます増え続けている。なぜ紛争はなくならないのか。冷戦というイデオロギー対立が終結した今、世界の紛争の根本にあるものは何なのか。ゲストの伊勢崎賢治氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

災害と原発・自分の身を守るための避難を考える

(第699回 放送日 2014年09月06日 PART1:54分 PART2:58分)
ゲスト:関谷直也氏(東京大学大学院特任准教授)

 福島の反省は活かされているのか。今回は避難について考えてみたい。
 8月20日に広島市を襲った豪雨と土砂災害は多くの犠牲者を出した。広島市による避難指示の遅れが批判を受けているようだが、仮に土砂災害が発生する前に避難勧告が出ていたとしても、深夜の豪雨の中で避難が現実的に可能だったかと言えば、疑問が残る。その一方で、今回被災した地域は過去にもたびたび土砂災害が発生したという。地域住民の間では、そこが警戒を要する危険な区域であるという認識が必ずしも高くなかったことが報道されているが、中には雨が強くなることを予想して、あらかじめ自宅の2階に避難していて危うく難を逃れた人や、家の中の崖とは反対側の部屋に移動して助かった人も多かったという。防災における自治体の責任は重大だが、それと同時に、それぞれ個々人が危機意識を持ち、自分の身を守るために自分にできることは自分でやるという姿勢も必要だろう。
 一方、原発の状況に目をやると、安倍政権は原発の再稼動に向けた準備を着々と進め、既に原子力規制委員会は九州電力川内原子力発電所の再稼動にお墨付きを与えている。同意が必要となる立地自治体の鹿児島県や薩摩川内市も、「安全性が確認されれば」という前提つきながら、停滞する地元経済への好影響という期待感もあって再稼動にはいたって前向きなようだ。
 しかし、原発再稼働の前に立ちはだかるのが避難計画だ。福島原発事故の教訓として、避難計画の策定が義務づけられる対象自治体が、以前の原発から10キロ圏から30キロ圏に拡大された。原発の再稼働には立地都道府県と立地自治体の合意だけが必要とされている点は事故以前と変わっていないが、30キロ圏内の自治体も避難計画を作らなければならない。原発から30キロ圏内には多くの自治体が存在し、そのすべてに避難計画の策定が義務づけられているため、今後、川内原発の再稼働のためには周辺避難計画が大きな争点となることが予想されている。
 しかし、原子力規制委員会は原子力施設の技術的な安全性は審査するが、住民の避難計画は審査をしないことを、田中俊一委員長も明言している。周辺自治体による避難計画の策定が原発再稼働の前提となっている上に、福島でも避難計画が機能しなかったことが多くの周辺住民を苦しめたことがわかっているにもかかわらず、避難計画の中身を評価したり審査する仕組みが存在しないのだ。逆に言えば、対象となる自治体が何でもいいからとりあえず避難計画を作りさえすればいい、ということになっているとも言える。
 どうもわれわれは、非常時にも機能する避難計画を作ることが、いたって苦手なようだ。
 福島事故を調査した国会事故調査委員会は、報告書で原子力災害に対する「想定不足」「情報不足」「責任の所在が不明確」などと厳しく批判している。そもそも避難計画が不備だった上、それを無視した避難を行ったことで、20~30キロ圏の住民はライフラインが寸断され、生活に必要な物資が供給されないまま長期屋内退避を強いられた挙句の果てに、「自主避難」という形で被災地域から追い出されてしまった。中には5回も避難所を転々とさせられた住民もいたという。
 こうした福島原発事故の教訓は生きているのだろうか。川内原発の立地する薩摩川内市の避難計画では自動車の乗り合いで避難するための集合場所や避難経路などが記載されているが、実際にそのルートを歩いてみると、海沿いの一本道が避難路に指定されているなど、机上の空論の感が否めない。原発事故が大地震による津波などに起因する可能性が高いのに、海沿いの道を通って避難をしろというのだ。
 災害の際の避難行動や防災計画に詳しい東京大学特任准教授の関谷直也氏は「避難ルートが無いのであれば、新たに道路を造るなど整備するしかない。それが避難行動だ」と指摘するが、残念ながら立地自治体にそこまでの覚悟があるようには見えない。また、特別養護老人ホームの入所者や入院患者らは逃げたくてもそう簡単に動かせない事情を抱えている場合が多く、屋内にとどまっているほうが合理的なケースも考えられるが、待避している期間の食料や水をどうするのか、入所者や患者の世話をする関係者はどうするのかなどの現実的な問題は、いずれも想定されているようには見えない。このような避難計画で、いざというときにわれわれは自らの身を守ることができるのだろうか。
 福島原発事故からまだ3年あまりしか経っていない。にもかかわらず、避難計画もいい加減なままで、われわれは原発の再稼働を許すのだろうか。福島の教訓とは何だったのかを、今あらためてゲストの関谷直也氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

スコットランドの独立が問う新しい国のカタチ

(第700回 放送日 2014年09月13日 PART1:52分 PART2:45分)
ゲスト:宮島喬氏(お茶の水女子大学名誉教授)

 スコットランドで9月18日、大英帝国からの分離独立を決める住民投票が実施される。1年前は反対派が多数を占め、まだ夢物語の感が強かったスコットランドの分離独立運動だが、投票日を1週間後に控えた世論調査では、僅かながら独立賛成派が反対派を上回ったという。ここに来て、スコットランドという新しい国が誕生する可能性が、俄然現実味を帯びてきている。
 スコットランドは1707年にイギリスと議会を統合して以来300年以上にわたって大英帝国の一員として近代史の中心を歩んできたが、主にケルト民族から成るスコットランドでは、アングロサクソン民族のイギリスに支配されてきたとの思いが根強い。とはいえ、スコットランドは18世紀後半からの産業革命以降、造船などの重工業が栄え、戦後はイギリス労働党の「ゆりかごから墓場まで」で知られる手厚い社会保障の恩恵にも浴してきた。
 お茶の水女子大学名誉教授で、特にヨーロッパ社会を研究しているゲストの宮島喬氏は、サッチャー政権の成立以降、イギリスの中央政府が労働党政権から保守党政権に代わったことで、労働党が多数を占めるスコットランドでは不満がたまっていたと解説する。スコットランドは1999年に約300年ぶりに独自の議会を復活させ、大幅に自治権の拡大を勝ち取るなど、イギリスからは徐々に距離を置き始めていた。その後、独立を問う住民投票の実施を公約したスコットランド国民党(SNP)が、スコットランド議会で過半数を獲得し、イギリス政府も住民投票を認めたために、いよいよ独立を問う住民投票が現実のものとなった。
 しかし、今回のスコットランドの独立の動きを、単なるイギリスからの分離・独立運動として理解すべきではないと、宮島氏は言う。ヨーロッパがEUによって統合される中、スコットランドは既ににEUにオブザーバーとして参加するほか、イギリス政府の頭越しに、EUから産業育成や地域活性化の補助金を受け取っているという。スコットランドの独立には、EUという、イギリスという一国家よりも大きな枠組みの存在が前提にあり、独立後、EUに加盟すれば、独立前とそう変わらない日常が送れるのではないかという見込みと期待がスコットランドにはある。
 これに対して英国中央政府は当然反対の立場だ。スコットランドの人口約520万人はイギリス全体の約8.5%を占め、GDPも約8%にのぼる。確かに大国ではないが、低迷を続けるイギリスにとっては、その分だけ国の縮小を意味する。スコットランドの独立推進派は、独立後も通貨として英国ポンドを使用すると主張しているが、イギリス側はこれを認めない方針を仄めかしたり、EUへの加盟を認めないなど、独立を阻止するためには脅しとも取れる強硬な姿勢さえ見せている。
 またEUも複雑な立場にある。EU内にはスコットランドの他にも、スペインのカタルーニャ地方やバスク地方、ベルギーは南部と北部など、国家からの分離・独立を要求している地域が多く存在する。スコットランドの独立が認められ、独立国としてすんなりとEUへの加盟が認められるようなことがあれば、そうした地域の独立の動きにも拍車がかかることは目に見えている。
 しかし、元々現在の国境線は、列強支配から冷戦構造に至る政治力学の下での産物という側面が多分にあり、世界には自分たちがより強い国に力で統合されているという被害者意識を持っている。しかし、同時にスコットランドのように、強い国の一部になっておくことで、他の国からの支配から逃れられたり、強い国の経済力の恩恵に浴することができる時代も長く続いていた、しかし、冷戦が終わると同時にグローバル化が進み、人、カネ、物の移動がより自由になればなる一方で、強い国が社会保障などの面で自分たちの面倒を見るだけの力がなくなってきた今、大国の傘下で被支配民族の座に甘んじ続けることのメリットが小さくなってきたことも事実だ。
 宮島氏は独立運動が起きている地域では、地域内で支持される政治勢力が、中央では少数派となり、自分たちの意志が通りにくくなっていることへの不満があると指摘する。また、EUな自由貿易圏などのより大きな枠組みがあれば、大きな国家から離脱することのディメリットも最小限に抑えられる可能性が高くなってきた。それがEU圏のみならず、カナダのケベックやインドのカシミールなどでも独立機運が高まっている背景にあると見ることもできそうだ。
 一方、現実的な独立運動に繋がるかどうかまだ未知数ではあるが、沖縄はまさに自分たちの主張と中央政府の政策の矛盾に晒されている典型的な地域と見ることができる。宮島氏は、分離独立運動で重要になるのが地域の交渉力だという。「日本の地域は、まだ国家への忠誠と自らのアイデンティティに引き裂かれているが、欧州では、地域が国家と交渉し、契約するという意識が強い」と言う。絶えず、中央に異議申し立てを行い、条件を提示し、交渉するという姿勢を地方は、見せ続ける必要があるという。
 スコットランドの独立運動が問題提起している既存の国家という枠組みの限界をわれわれはどう考えればいいのか。冷戦が終わり、グローバル化が進む中、国家というものの持つ意味や役割はどう変わるのか。ゲストの宮島喬氏とともにジャーナリストの神保哲生と宮台真司が議論した。

 

vol.68(681~690回収録)

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新国立競技場は本当に必要なのか

(第681回 放送日 2014年5月3日 PART1:58分 PART2:54分)
ゲスト:森山高至氏(建築家・建築エコノミスト)

 東京のど真ん中にまるで宇宙からUFOが舞い降りてきたような風貌の巨大なスタジアムを建造するプロジェクトが、静かに進んでいる。
 これは東京での開催が決まった2020年のオリンピック・パラリンピックのために、東京千駄ヶ谷近くの新宿区霞ヶ丘町にある国立競技場を解体し、そこに新たなスタジアムを建てようというもの。国立競技場を運営する日本スポーツ振興センター(JSC)が、オリンピックを招致する過程で、東京大会の目玉の一つとしてぶち上げたもので、デザインコンペを経てイラク出身のイギリス人建築家ザハ・ハディド氏のデザインを採用することが決定している。
 ところが、まだ招致の段階でアドバルーンのように、しかも拙速にぶち上げた計画だったこともあり、いざ建設しようかという段階にきて、さまざまな問題が噴出している。
 まず、当初1500億円と見積もられていた建設費が一時は3000億円に膨れあがり、それがまた1700億円に縮むなど、そもそも計画の中身自体がデタラメなのではないかといった懸念が生じている。今年7月には現在の競技場の解体工事が始まるというのに、4月末の段階で新競技場の仕様や費用がまだ固まっていないという有様だ。当然、費用の方も最終的にどうなるかわかったものではない。
 しかも、そのデザインがまた奇抜さを極めている。コンペの結果選ばれた「脱構築」で有名なハディド氏のデザインは流線型のUFOが突如として舞い降りてきたかのような風貌で、東京大会の組織委員会会長でもある森喜朗元首相をして、「生のカキをドロッと出した感じのデザイン」と言わしめるような、かなり近未来的なデザインとなっている。
 また、デザインの奇抜さもさることながら、スタジアムの規模が現在の競技場と比べてもはるかに巨大になる点も懸念材料となっている。新スタジアムの屋根の高さは、現在の国立競技場の照明塔の56メートルを遙かに超える約70メートルに及ぶほか、デザインでは現在樹木が植わっている競技場周囲のエリアも丸ごとスタジアムの中に取り込まれている。神宮球場や千駄ヶ谷側からスタジアム方面を見ると、目の前に巨大な壁がそびえ立っているような状態になることが予想されている。
 そもそも「神宮の杜」として親しまれてきた国立競技場周辺は神宮外苑の風致地区に指定されていて、近隣に明治神宮を始め、聖徳記念絵画館、新宿御苑など歴史的な施設も多く、これまで建築家たちが苦心しながら景観を維持してきた地域だった。そこにこのような巨大で近未来的な建造物が建てば、神宮外苑の景観が根本から変わってしまうことは明らかだ。
 このプロジェクトに対してはまず、著名な建築家らから反対の声が上がった。建築家の槙文彦氏が日本建築家協会の機関誌に建設に反対する論文を寄稿したのを皮切りに、多くの建築家や学者らが反対の声を挙げ始めていた。しかし、今後五輪関連の取材で不利になることを恐れたかどうかは定かではないが、今のところマスメディアは総じてこの新国立競技場問題を熱心に取り上げていないため、少なくとも現時点でこの問題が国民的な関心事になっているとは言えない状態にある。
 プロジェクトに反対する建築家の一人でゲストの森山高至氏は、計画の中身もさることながら、プロジェクトの進め方やこのデザインに決まった経緯などに根本的な問題があると指摘する。そもそもなぜ景観の問題などが事前に十分に議論されないまま、このような保存されるべき価値のある地区に巨大なスタジアムを建設する計画が進んでいるのか。国を挙げた五輪招致のかけ声の前に、実際の計画の中身の妥当性などが精査されないまま計画だけが進んでいることが問題だと森山氏は言う。
 さらに今回の競技場新設に便乗するかのように、東京都は神宮外苑地区全体の再開発を目論んでいるのではないかという疑いが出てきている。東京都は独自にその地域の環境アセスメント(環境影響度調査)を行っているが、その調査対象に指定されたエリアは競技場の建設予定エリアを大きく越え、外苑の絵画館周辺から青山通りに至るまでの外苑地域全体がアセスの対象となっている。競技場建設に便乗して、周辺一帯の再開発を目論んでいる疑いがあると森山氏は言う。五輪招致という国をあげての大プロジェクトの陰で、意味不明の利権漁りが続々と起きているようにも見える。
 森山氏はそもそも国立競技場を建て直す必要があるのか、と疑問を呈する。五輪開催に際して新しい競技場が必要になる根拠として、観客8万人を収容できることと、陸上のサブトラックが備わっていなければならないことの2点があげられているが、その程度であれば現行の施設を改修し、競技場内の空きスペースを利用することで十分対応が可能だと森山氏は言う。それが可能であれば、コスト面でも新築の半分以下の費用で済む上に、外苑地区の景観を壊す心配もなくなる。
 五輪招致のお祭り騒ぎの陰で静かに進んでいた新国立競技場建設問題とは何か。そもそも新国立競技場は本当に必要なのか。住民参加のないまま無意味な開発プロジェクトが進んでいく現状に対して、われわれは何ができるのか。ゲストの森山高至氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

TPPの背後にある新自由主義とどう向き合うか

(第682回 放送日 2014年05月10日 PART1:1時間4分 PART2:56分)
ゲスト:萩原伸次郎氏(横浜国立大学名誉教授)

 アメリカは一体日本をどうしたいのだろうか。
   TPPの日米協議が難航し、久々の日米貿易摩擦らしきものが表面化している。日米間の貿易摩擦が激化した80年~90年代のそれと比べるべくもないほど静かなものだが、今回は交渉の内容が基本的に非公開とされ外野は黙って静かに状況を見守るしかない中で、近年になく日本の経済や社会制度にまで踏み込んだ交渉が行われているようだ。
   マスメディアは日本が聖域とした5品目の取り扱いや関税の税率など個別分野にばかり注目する傾向があるが、そうした報道からは過去の日米構造協議や日米包括協議などの日米交渉において、日本の社会や市民生活が大きな質的変化を強いられたことへの認識は微塵も感じられない。結果的に、仮にTPPが目指す関税の原則全面撤廃が行われた時、日本の社会がどう変質するかについては、まだ十分に検証されたとは言えないのではないか。
   TPPとは環太平洋地域諸国による自由貿易体制の構築を目指す国際的な枠組みのことであり、自由貿易を標榜している以上、関税や非関税障壁の撤廃を原則とした統一の自由化ルールを前提としている。とはいえ、日米両国のGDPがTPP交渉に参加する全12カ国のGDPの8割を占めていることから、TPPは実質的に日米自由貿易協定の色彩が濃い。
   戦後の日本の復興そして経済成長は、特に貿易面で製品の輸出に負うところが多かった。しかし、1970年代以降、日本が経済大国に成長する間、アメリカ経済は苦境に陥り、日本の経常黒字、とりわけ対米貿易赤字が日米間の大きな懸案となった。1981年にアメリカでレーガン政権が誕生し、1930年代のニューディール政策から続いてきたケインジアン的な再配分政策から、レーガノミクスと呼ばれる新自由主義的な政策への転換を図ると、貿易交渉におけるアメリカの対日要求も次第に日本に対して新自由主義政策への転換を求めるようなものに変質していった。日本でアメリカ製の商品が売れないのは、単に関税のような目に見える障壁だけではなく、日本独特の商習慣や消費習慣、ひいては独特のライフスタイルといった非関税障壁にその原因があり、貿易不均衡を解消するためには日本はそれを変えなければならないという主張だった。しかもアメリカは、そうした日本の伝統的な商習慣や社会制度が、日本の消費者利益に適っていないという論理を展開した。
   アメリカの通商政策や国際貿易問題に詳しい横浜国立大学の萩原伸次郎名誉教授は、「TPPは第3の構造改革」になると指摘する。TPPは単に関税などの貿易障壁の撤廃を求めるだけにとどまらず、自由貿易に代表される新自由主義的な価値観やそれを前提とした経済・社会制度の変質まで迫るものになる可能性が高いからだ。橋本政権の「行財政改革」と「日本版金融ビッグバン」を第一、小泉構造改革を第二の構造改革とした時、TPPが三番目の、そして日本の構造改革の総仕上げの意味を持つものになる。
   経済成長を遂げ、貿易黒字を貯め込むようになった日本は、1980年代以降、中曽根政権の土光臨調や前川リポートなどを通じて構造改革を進めてきた。1980年代以降の日本の大きな制度改革の背後には、決まってアメリカの要請があった。1990年代に入ると、アメリカから毎年年次改革要望書なる書面が届くようになり、日本の改革はほぼその要望書に沿って行われてきたといっても過言ではない。
   こうして見ていくと、70年から80年代に日本の経済的台頭を許したアメリカは、日本の経常黒字や消費者利益といった正義をかざしながら、自国利益を追求するために厳しく、そして着実に日本を新自由主義陣営に引き込み、アメリカ製の商品が買われやすい状況を作ろうと努めてきた。しかし、にもかかわらず、アメリカ商品は依然として日本では必ずしも売れているとは言えない。無理矢理大店法を撤廃させ、日本中にシャッター通りを作っておきながら、アメリカの大型店舗はほとんど日本に入ってきていない。むしろ、イオンやイトーヨーカドーなどが郊外に大店舗を出すことで、もっぱら漁夫の利を得ている状態に見える。
   しかし、アメリカが自国の利益を追求しようとするのは当たり前のことだ。それに日本がどう対応してきたかに問題がある。やや手遅れの感もあるが、日本がアメリカの要求を呑むなかで自国の「社会的共通資本」を自ら壊してきたことを今改めて再認識し、譲るべきものと守るべきものを峻別できるようにならなければ、やがて日本は日本でなくなってしまいかねない。
   アメリカは日本をどうしたいのか。われわれはアメリカの要求の背後にある新自由主義や自由貿易とどう向き合うべきなのか。それに従っていれば日本は幸せになるのか。日米繊維交渉からTPP問題にいたる日米貿易交渉の歴史を振り返りながら、ゲストの萩原伸次郎氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が日本が得たものと失ったものを議論した。

攻撃されなくても武力を使える国に日本を変えるのか

(第683回 放送日 2014年05月17日 PART1:51分 PART2:52分)
ゲスト:青井未帆氏(学習院大学法科大学院教授)

 安倍首相は5月15日の記者会見で、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈変更の検討に入る意思を表明した。これは首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の同日付の提言を受けたものだった。
 首相のお友達集団を揶揄されるなど、元々首相に近く、もとより集団的自衛権行使に積極的な学者や元官僚らから成る安保法制懇は、従来、日本国憲法の枠内とされてきた自衛のための「必要最小限度」の実力行使の中に集団的自衛権の行使も含まれるという新たな解釈を示し、その行使も認めるべきなどと提言していた。形式的には安倍首相がその提言を受け入れる形をとっているが、そもそも安保法制懇自体が首相の私的アドバイザーの集まりであり、その人選は首相の意に沿って行われている。私的アドバイザー集団が首相の思いを実現するための提言を出したと考えるのが妥当だろう。
 しかし、それにしても戦後の方向性を根底から変えるといっても過言ではない過激な提言が、何の法的根拠もない首相の私的アドバイザーから出され、ただちに首相が記者会見でその受け入れを発表する。そして、首相が選んだ閣僚からなる閣議においてそれが閣議決定されれば、事実上の憲法改正を意味する日本の安全保障の基本的枠組みができてしまうというのは、あまりに安直に過ぎないか。今、日本が、戦後70年かけて脈々と築いてきた平和国家としての「戦後実績」の方向性を根底から変えようとしていることは、厳しく認識しておく必要があるだろう。
 ただし、正当な手続きに則り憲法を改正するのならまだわかる。しかし、今回の「解釈改憲」と銘打った事実上の改憲は、解釈改憲という姑息な「裏口入学」を使っているが故に、国会や国民が参加する余地がほとんどない。しかも、十分なチェックが入らないために、今どうしても憲法解釈を変えなければならない理由やその政策意図がはっきりしないところが問題なのだ。
 会見で安倍総理はパネルを使いながら、「在外邦人を移送する米艦艇の警護」や「PKO活動中のNPOらに対する駆け付け警護」のケースを例に取り、「このような場合でも、日本人自身が攻撃を受けていなければ、日本人が乗っているこの米国の船を、日本の自衛隊は守ることができない」「一緒に平和構築のために自衛隊とともに汗を流している他国の部隊から『救助してもらいたい』と連絡を受けても、日本の自衛隊は彼を見捨てるしかない。これが現実なんです」などと、身振り手振りを加えながら憲法解釈の変更の必要性を訴えた。用意されたパネルにも、米国艦船に日本人の老人や子どもが乗っている絵が描かれるなど、明らかに解釈改憲への理解を国民の情緒に訴えることで得ようとしていることは明らかだった。
 しかし、学習院大学教授で憲法学者の青井未帆氏は首相が示した米艦艇の警護や駆け付け警護が、果たして集団的自衛権の行使と言えるものなのかについて疑問を呈する。日本人が乗船している艦艇が他国からの攻撃を受ければ、それがどこの国の船であっても日本は武力を用いてもそれを守る権利がある。集団的自衛権を持ち出すまでもなく、個別的自衛権の範囲内で十分対応できるものだ。
 そもそも、自国が攻撃を受けた場合にのみ武力行使を認める個別的自衛権に対して、集団的自衛権とは「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」と定義される。これは日本が戦後一貫して守ってきた専守防衛の考え方とは根本的に異なる。自国が攻撃を受けた場合にのみ最小限度の武力の使用を認める専守防衛は、日本国憲法第9条によって武力行使が基本的に禁じられている中での、最低限の自衛権と解釈されてきた。そして、具体的には日本における自衛権の発動には(1)我が国に対する急迫不正の侵害があること(2)これを排除するために他の適当な手段がないこと(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、という3要件が課せられてきた。
 ところが今回、自衛のための「必要最小限度」の中に集団的自衛権の行使も含まれるという斬新な解釈が有識者から出され、首相がそれを受け入れる意思を発表してしまった。これによって武力行使の条件も変わり、事実上日本の武力行使には歯止めがなくなってしまったことになる。首相は実際には個別的自衛権でも対応できるような事例を引き合いに出しながら、わざわざ挿絵まで用意して情緒的な言葉を駆使し、個別・集団の一線を越える必要性を訴える。しかし、それは憲法解釈の変更さえ認めてもらえれば、実際には安倍政権としてはその程度のことしかやる意思はありませんという意思表示なのか、それとも、あえて些細な事例を出すことで、実際に日本が武力を使って何でもできるようになるという事実を覆い隠そうとしているのか、その真意は定かではない。
 青井氏は首相会見における解釈改憲の意思表明によって、日本には安全保障政策の枠を大きく超えた新たな危機的局面が生まれつつあるのではないかと警鐘を鳴らす。これまで日本の立憲主義を支えてきた、政府内部における内閣法制局の法解釈とその権威性が地に墜ち、従来のような固定化した静態的(スタティック)な法解釈に代わって、法解釈の多元性や複数の解釈を認めようという動態的(ダイナミック)な法秩序が出現する兆候が感じられると青井氏はいう。その善し悪しは議論のあるところだが、そのような変化が避けられないのであれば、われわれはこうした新たな事態に対応するため、国会や裁判所の機能強化を含む、これまでとは異なる法秩序安定化のメカニズムを急いで構築する必要があるのではないかと青井氏は指摘する。
 従来の法解釈でも十分に対応できる事例を引きながら、憲法解釈の変更に並々ならぬ強い意思表示をして見せる安倍首相の真意は誰にもわからない。しかし、その真意が何であろうが、その影響は安全保障分野にとどまらず、われわれの生活全般に及ぶ可能性がある。安全保障政策は国家の根幹を成すものと言われて久しいが、それ故にそこにおける政治文化の変更は当然、他の国民生活のあらゆる分野に波及していく。その事の影響もわれわれはしっかりと見極めなければならないだろう。
 個別的自衛権か集団的自衛権かの矮小化された議論を超え、これから日本はどうするべきなのか、安倍首相の考える方向性で日本は本当にいいのかなどを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司がゲストの青井未帆氏とともに議論した。

これでは取り調べの可視化が進むわけがない

(第684回 放送日 2014年05月24日 PART1:55分 PART2:44分)
ゲスト:周防正行氏(映画監督)

 海外から「中世」とまで揶揄される日本の刑事司法制度の改革が、遅々として進みそうにない。
 検察の無理な捜査や人権を無視した長期の勾留が指摘された遠隔操作ウイルス事件は、被告の全面自供によって、事件そのものは全く新たな段階に入っている。しかし、今回のように警察や検察が白羽の矢を立てた被疑者が結果的に真犯人だったとしても、不当な刑事手続きが許されるわけではない。仮に今回は警察・検察の見立てが当っていたとしても、次はその見立てが間違っているかもしれない。そして、問題のある捜査によって無実の人間が犯人に仕立て上げられる危険性があることに全く変わりはない。
 日本の刑事制度が「中世」とまで批判されるのは、端的に言えば冤罪を防ぐためのチェック機能が余りに弱いからだ。起訴前の23日間の長期勾留とその間代用監獄という劣悪な環境下に置かれての時間無制限の取り調べ。弁護士も立ち会えず録音・録画もされていない密室の取り調べでは、被疑者が実際に話した内容と大きく異なる供述調書が作成され、それにサインを求められる。サインをすれば釈放されるが、しなければずっと勾留が続くという人質司法だ。そしてその間マスメディアを通じた捜査情報や嘘情報のリーク等々によって、既に被疑者の社会的な地位や信用は地に墜ちる。本来であれば被疑者に有利な証言をしてくれるはずの証人たちも、被疑者を犯人扱いするリーク報道を見て次々と証言を翻してしまう。
 そして、ごく希に、それでも被疑者が無実を訴え続ける気力を持ち続けることができた場合、起訴前の23日間勾留が終わった後も証拠隠滅の恐れがあるなどの理由で勾留され続け、しかも裁判では起訴された事件の99.98%が有罪になるという現実が待っている。下手に無実を訴え続けると、反省が見られないなどの理由で刑罰がより重くなるなど、一旦日本の刑事司法制度の標的になると、実際に犯行を行っていてもいなくても、罪を認めてしまった方が遙かに被疑者にメリットがあるというあり得ないような人権を無視した制度がまかり通っている。そして、このような制度の欠陥をあざ笑うかのように、特に近年になって冤罪事件が相次いでいるという現実がある。
 ところが、この刑事制度を何とかしなければとの理由で組織された有識者会議『法制審議会・新時代の刑事司法制度特別部会』では、実質的な改革の議論が遅々として進んでいない。先月部会の事務局を務める法務省から出された「試案」によると、刑事事件全体の2%程度に過ぎない裁判員裁判事件のみを録音録画の対象とし、しかも検察官の判断でいつでも録画を中止できるなどという、常識外れの提案が真剣に議論されているという。そもそもこの特別部会は、現厚労事務次官の村木厚子氏を誤って起訴した郵便不正事件で、事件を担当した大阪地検特捜部の検事が証拠をねつ造して逮捕・起訴されるという衝撃的な事件を受けて、刑事司法制度を根本から改革する必要があるとの認識の下に設置されたものだった。
 しかし、その特別部会は、委員25人中、17人が法曹・法務関係者からなり、実際の委員ではないものの会議に出席している「幹事」や「関係官」なる役職まで含めると総勢42人のうち31人が法曹・法務関係者、さらに警察関係者も含めると35人を占めるという、いわば法曹ムラの住人が圧倒的多数を占めているものだ。中でも特に警察関係者や検察関係者が多いため、可視化や証拠開示によって実際に影響を受けることになる利害当事者自身が、新しいルールの決定に関与し、それを主導するという、あり得ないような利益相反に陥っているのだ。
 法曹界の部外者という圧倒的少数派の一人として特別部会の委員を務める映画監督の周防正行氏は、痴漢えん罪事件を描いた2007年の映画「それでもボクはやってない」で、日本の刑事司法制度の常軌を逸した後進性や閉鎖性を厳しくあぶり出している。その周防氏や同じく特別部会の委員を務める村木厚子氏ら5人が、取り調べの可視化などを求めて意見書を提出しているが、如何せん特別部会内では法曹界や法曹出身者、警察・検察関係者らが圧倒的多数を占めているため、現在の捜査手法や考え方を変えることに消極的な議論しか出てこないと周防氏は言う。
 捜査当局が独占している関係証拠の全面開示に関しても、周防氏は「部会では『事前に被告人に証拠を全面開示すると、全てに矛盾のない言い訳をするからダメだ』という信じがたい理由で却下された」という。常識的に考えると全ての証拠に矛盾のない供述が出来れば、それはイコール無実の証明になるはずだが、日本の刑事司法においてはそのような常識は通用しない。周防氏によると、そもそも現在の刑事司法制度に問題があるという認識がない人たちが有識者会議の多数を占めているため、とてもではないが実効性のある改革案が出てくることが期待できる状況にはないという。
 これまで日本では、近代司法の大前提である推定無罪の原則が確立されておらず、「疑わしきは罰せよ」という推定有罪の前提で刑事司法が運用されてきたと言っていいだろう。しかしこれは、「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜を罰するなかれ」ではなく、「100人の真犯人を罰せれば1人の無辜を罰するくらいはやむを得ない」という考えをわれわれ自身が受け入れてきたことになる。周防氏は、正に法曹界の刑事関係者はそう考えているようだと言うが、それをわれわれ市民やマスメディアも容認してきたことは否めない。実際に周防氏は今回の特別部会の関係者から「それは分かりますが、それでも真犯人は逃すことは出来ないんです」との言葉を返されたことがあると証言する。
 周防氏は警察・検察がこれまでの捜査の方法を変えたくないがために、可視化や証拠開示に反対しているとの見方を示すが、逆の見方をすれば新しい捜査方法を取り入れようとしないために、いつまで経っても可視化が進まないということも言える。
 民主主義制度のもとでは、刑事事件の捜査こそが統治権力における暴力的な権力が最も顕著に現れる場となる。そこで統治権力の横暴を自在に許しているということは、われわれ日本人がいかに統治権力の暴走リスクに無頓着であるかの証左と言っても過言ではない。そして、このことは刑事司法にとどまらず、他の分野でもわれわれが基本的人権をどう守り、統治権力をいかにして監視しているかの反映となる。言わずもがなだが、社会にとって警察や司法制度がきちんと機能することが重要だからこそ、公正な制度を構築する必要があるのだ。
 これだけ問題が表面化していながら、なぜ日本の刑事制度改革は進まないのか。その結果、われわれの社会はどのような影響を受けているのかなどを、ゲストの周防正行氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
映画は歴史的悲劇をどう描いたのか

(第685回 放送日 2014年05月31日 PART1:1時間16分 PART2:1時間1分)
ゲスト:倉沢愛子氏(慶應義塾大学名誉教授)
吉田未穂氏(シネマアフリカ代表)

5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。今回の5金では世界で起きた虐殺の悲劇を描いた映画を取り上げる。
 最初に取り上げたのは、いま話題のドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』。この映画ではインドネシアで1965年に起きた「9.30事件」の虐殺当事者が登場する。
 「9.30事件」とは、クーデター未遂事件に端を発し、その後3年間にも及ぶ共産主義者の大虐殺を指す。あるクーデター未遂事件をきっかけに共産主義に寛容だった当時のスカルノ大統領が失脚し、代わって実権を握り第2代大統領の座に就くスハルト少将(当時)の下で、民兵組織や一般市民による凄惨な共産主義者への迫害が行われた。少なくても50万人、一説によると300万人もの共産主義者やその疑いをかけられた市民が虐殺されたとされる。当時インドネシアには350万人もの党員を抱える合法的なインドネシア共産党があったが、共産主義者は神を信じない輩として、イスラム教徒が多数を占めるインドネシアではそれを殺害することが正当化されていた。
 映画『アクト・オブ・キリング』にはその虐殺を直接に行った民兵組織やならず者たち自らが登場し、当時の虐殺の様子を誇らしげに証言する。ジョシュア・オッペンハイマー監督が彼らに当時の様子を再現するような映画を製作してみてはどうかと提案し、実際に撮影が進行していく様子をドキュメンタリーとしてカメラにおさめていったのがこの作品だ。
 当初、映画の前半では自ら1000人の共産主義者を殺したと胸を張るアンワル・コンゴらに虐殺や拷問に対する罪の意識は微塵も見られない。しかし、映画で虐殺や拷問のシーンを撮影するうちに、彼らの中にも被害者の視座が芽生えてくる。そして、映画の終盤でこれまで撮影した映画のシーンを見直す場面では、映画の前半では考えられなかったような驚くべき反応を彼らが見せるようになる。
 虐殺があったのは1965年。ほぼ50年前の話だ。しかし、インドネシアの歴史や社会情勢に詳しい慶應大学名誉教授の倉沢愛子氏は現在のインドネシア国内でも、依然として1965年の虐殺は正当化されているという。「当時の殺人者全員がとは言わないが、ほとんどの虐殺当事者は、自分が行った蛮行をまったく悔いていない」と話す。
 映画では、アンワルらがインドネシア国営放送に出演するシーンが登場するが、番組のアナウンサーは彼らの虐殺を咎めるどころか、むしろ賛美するかのように応対する。倉沢氏は「インドネシア国内では共産主義者というレッテルを貼られることが何よりも恐ろしいことと考えられている」と解説する。インドネシアでは現在も共産主義者の虐殺を容認したスハルト政権を支えた政治家や官僚らが権力の中枢に大勢残っているため、虐殺の批判や総括は難しいのだと言う。
 また倉沢氏は、当時日本政府もこうした虐殺を知っていたが、知らないふりをして経済的な関係強化のみに傾注していったという対応を批判する。それが虐殺を裏で操っていたとされるスハルト体制を経済的に助けることに繋がり、日本も虐殺や弾圧を支えていたことになるに等しいという。ドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』を通して見える悲劇の実相やインドネシア社会の現状などをゲストの倉沢愛子氏とともに議論した。
 続いて取り上げたのは1994年のルワンダ虐殺を描いた『100DAYS』(邦題:ルワンダ虐殺の100日)。この5月は1994年のルワンダ虐殺からちょうど20年目にあたる。1994年4月6日にルワンダのハビャリマナ大統領が乗った飛行機が撃墜されたのをきっかけに、ルワンダで多数派のフツ族が、少数派のツチ族と穏健派フツ族を手当たり次第に鉈などで殺戮した虐殺事件では約100日間で80万とも、100万とも言われる市民が市民の手によって殺害されたという。
 ルワンダ虐殺を扱った映画は『ルワンダの涙』、『ホテル・ルワンダ』、『四月の残像』などが有名だが、シネマアフリカ代表でアフリカの映画事情などに詳しいゲストの吉田未穂氏は、『100DAYS』こそが、こうしたルワンダ虐殺映画の原型となった作品で、ルワンダ人のプロデューサーが犠牲者の視点から悲劇を描いたものだと言う。映画では、国際社会がいかに無力だったか、頼りにしたキリスト教の教会、神父がいかに犠牲者らを欺いていたかが描き出される。しかし、表現のトーンはあくまでも淡々としていて、それがかえって欧米からみるとセンセーショナルな虐殺の悲劇が、ルワンダ人にとっては当たり前の史実であるという認識の差、受け取り方の温度差を突きつけてくる。
 吉田氏は現在のルワンダ社会は20年前の悲劇を少しずつだが総括しつつあり、女性の社会進出も目覚ましく、首都のキガリには高層タワービルやショッピングモールなども建ちはじめているという。ただ、映画で虐殺者側の視点からあの悲劇を取り上げた作品も出始めているとは言え、インドネシアのケースと同様に、当時の虐殺の当事者がルワンダ社会の中枢に多く残っている今、虐殺のような歴史的な悲劇を総括することは容易ではない。
 今回の5金スペシャルでは、第1部で『アクト・オブ・キリング』を通してインドネシアの「9.30事件」から現在までの実相を、そして第2部では『100DAYS』から見えてくるルワンダ虐殺を取り上げて、それぞれのゲストともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

年金制度に対する根本的な疑問とその解

(第686回 放送日 2014年06月7日 PART1:50分 PART2:46分)
ゲスト:駒村康平氏(慶應義塾大学経済学部教授)

 ロシアによるクリミアの編入に世界が衝撃を受けている。大国が軍事力にものを言わせて小国から領土を分捕るような古典的な力の政治は第二次大戦以来、世界が経験してこなかったものだったからだ。半世紀に及ぶイデオロギー対立を前提とする冷戦と、その後の混沌たるポスト冷戦の時代を経て、世界は再び古い力の政治の時代に舞い戻ろうとしているのか。それともこれはこれまでとは全く異なる新しい世界秩序の始まりなのか。もしそうだとすると、対立の中身は資源なのか、それとも何か別の新しいものなのか。
 2月下旬にウクライナで起きた政変は親ロシアのヤヌコビッチ政権を転覆させ、よりEU寄りの新政権の樹立に向かうかに見えた。 ところがロシアはウクライナの政変そのものに介入するのではなく、実を取りに出た。ロシア人の安全確保という大義名分の下、クリミア半島に軍を派遣し、クリミア自治州をウクライナから離脱させるという力技に打って出たのだ。
 この事態にEU諸国やアメリカなどはロシアによる事実上のクリミア併合であるとして厳しく反発し、さまざまな制裁を行っているが、効果を上げているようには見えない。クリミアのためにロシアと本気で一戦交える気など誰にもないことが明らかだからだ。
 しかし、それにしてもロシアはなぜいきなり力による領土の編入などという思い切った施策に打って出たのだろうか。ロシア問題に詳しい慶應義塾大学准教授の廣瀬陽子氏はクリミア半島にある軍港セバストポリがロシアにとって戦略上非常に重要な意味を持っていたことを強調する。ロシアの領土沿岸部はほとんどが寒冷地であるため、不凍港で黒海経由でアジアやアフリカへの玄関口となるセバストポリはロシアの安全保障上の生命線とも言っていいほどの重要な戦略的意味を持つ。ウクライナに親EU政権が成立し、クリミアにNATO軍の基地ができるような事態をロシアが恐れても不思議はない。
 ロシアが自国の利益を守ろうとするのは当然のことかもしれない。しかし、時は既に冷戦の時代ではない。仮にロシアとEUやアメリカが対立しているとすれば、それは何を根拠とする対立ということになるのだろうか。
 今回のクリミア問題には、国際政治の古くて新しい論争の要素もあると廣瀬氏は指摘する。クリミアはロシア系住民が6割を占める親ロシア地域だ。ロシアとウクライナのどちらかを選ばなければならない住民投票を行えば住民の多数がロシアを選ぶ可能性が高い。実際に、このたび行われた住民投票でも、反ロシア陣営のボイコットなどもあり、投票結果は9割以上がロシア側につくことを選択している。そして、民族自決は国際政治の大原則の一つでもある。しかし、その一方で安倍首相がハーグで「力を背景とする現状変更は認められない」と語ったように、現状維持も国際政治の大原則の一つだ。今回ロシアはクリミア問題では民族自決をその正当性の柱に据えているのに対し、日本を含むアメリカ陣営が現状維持を主張する構図になっている。クリミアの住民投票の正当性はさておき、もし住民の大半がロシアへの編入を真に望んでいるのであれば、単に現状変更だけを理由にそれを妨げることに絶対的な正義があるとは限らないのも事実なのだ。
 今回、宮台真司氏に代わって司会役を務めた国際政治学者の山本達也氏は、「従来の秩序や考え方とは異質の何かがすでに生まれているのではないか」として、その一つの可能性としてあらゆる国で「国家を維持することが難しくなっている」点をあげた。大国意識だの帝国主義的拡張といった大層なものではなく、ロシアをロシアとして維持するためにはクリミアを手放すことができないというのだ。現にクリミア情勢を受けてプーチン大統領の支持率は急騰しているという。
 ロシアによるクリミア編入は国際政治の歴史的な文脈の中でどのような意味を持つのか。これが今後の国際政治の流れの一つの源流を作る可能性はあるのか。そうした中で日本は何を考えなければならないのかなどについてゲストの廣瀬陽子氏、国際政治学者の山本達也氏とともに、ジャーナリストの神保哲生が議論した。

ドイツ・エネルギー倫理委員会報告と日本の原発政策

(第687回 放送日 2014年06月14日 PART1:57分 PART2:51分
ゲスト:山脇直司氏(哲学者・東京大学名誉教授)

 安倍政権が示した原子力規制委員会の人事が6月11日に国会で承認された。5人の原子力規制委員のうち2人の委員を任期切れに伴って交代させる人事だが、その一人田中知氏は一昨年まで原子力推進団体の理事として報酬を得ていたうえに、東京電力系の財団からも4年半にわたって報酬を受けていたという。元々2年前の原子力規制委員会の発足時にも委員の人事をめぐり利益相反が問題視されたが、原発再稼働を目指す安倍政権の下で原子力ムラ復権へ向けた動きがいよいよ露骨になってきている。
 原子力規制委員会は福島原発事故を受けて、原発の安全性を抜本的に見直す目的で新たに組織された国の機関だった。そしてそれは、原子力行政、とりわけその監視機能が原子力の利害当事者である原子力ムラによって則られた結果、あのような未曾有の大事故を未然に防ぐことができなかったという反省の上に立ったものだったはずだ。その規制委に再び原子力の利害当事者を登用するようなことは、そもそも規制委設置法の欠格条項に抵触する疑いがあるばかりか、日本の原子力政策の正当性を根底から揺るがすことは避けられない。
 なぜわれわれ日本人はあれだけの大事故を経験した後もなお、正当性を獲得するために必要となる適正な手続きを取ることができないのだろうか。
 ドイツの脱原発政策については、いろいろな評価があるかもしれない。日本とは条件が異なる面も多い。しかし、少なくとも福島原発事故後のエネルギー政策を決定するためにドイツが採用した「手続き」は日本とは雲泥の差があるもので、お手本にすべき点が多い。
 福島原発事故の後ドイツは技術面のみならず、倫理面からも原発の妥当性を有識者による公開の会議の場で徹底的に議論した上で、最後はメルケル首相の政治的決断によって2022年までの脱原発という決定を下した。中でもメルケル首相が設置した「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」はドイツのエネルギー政策に正当性を与える上でとても重要な役割を果たした。
 この委員会はドイツのエネルギー政策のあるべき形を倫理面から議論するために組織されたもので、哲学や倫理学の専門家の他、宗教家、社会学者、歴史学者、政治家などから構成されている。原子力の専門家やエネルギー業界の利害当事者は含まれていない。委員会は3・11後の2011年4月4日に設置され、5月28日に報告書を取りまとめている。
 その報告書は(1)原子力発電所の安全性が高くても事故は起こりうる。(2)事故が起きると他のどんなエネルギー源よりも危険である。(3)次の世代に廃棄物処理などを残すことは倫理的問題がある。(4)原子力より安全なエネルギー源が存在する。(5)地球温暖化問題もあるので化石燃料を代替として使うことは解決策ではない。(6)再エネ普及とエネルギー効率化政策で原子力を段階的にゼロにしていくことは将来の経済のためにも大きなチャンスとなる、と内容的には至極真っ当なものだが、そこで重要なのが、この委員会がエネルギー政策の決定に倫理的な検討を盛り込んだことにある。
 哲学者で公共倫理の観点から日本の原発問題に対して発言を続けてきた東京大学の山脇直司名誉教授は「当初、脱原発に関して揺らいでいたメルケル首相は、日本ほどのハイテク先進国で福島原発事故が起きたことを目の当たりにして、そのリスクの大きさを再認識した」と話す。報告書は「原子力エネルギーの利用やその終結、そして他のエネルギー生産による代替についての決定は、すべて社会における価値決定にもとづくものであり、これは技術的側面や経済的側面よりも先行する」としていることからも明らかなように、人間の健康や地球環境といった倫理的な価値を技術や経済よりもより優先して考慮されるべきリスクとして提示し、その上で技術や経済的なリスクを吟味して「包括的なリスク評価」の結果として上記のような結論に到達している。
 山脇氏は委員会では、原子力によるリスクは予想も計量も不可能で、技術的・経済的なメリットを考慮に入れたとしても、両者を比較衡量の上そのリスクを相対化することはできないという、いわゆる絶対的拒否が結論の背景にあると解説する。実際、委員会では、公聴会などを通じて原発関係者や科学者らの意見も考慮に入れた上で、最終的な結論に到達していることが見て取れる。
 一方、事故の当事国だった日本はどうか。端から原子力行政の利害当事者を排除できないまま発足した原子力規制委員会の人事は言うに及ばず、汚染水が漏れ続ける中での野田政権による冷温停止状態発言と事故収束宣言、そして安倍政権は臆面もなく原発輸出のトップセールスを続け、事故原因の検証すら不十分との指摘がある中で原発を日本の「ベースロード電源」と位置付けるエネルギー基本計画まで閣議決定してしまった。一体、日本ではどこでそのような結論を出せるだけの議論が行われたというのだろうか。
 これは昨今の集団的自衛権をめぐる議論にも言えることかもしれないが、残念ながら今の日本には重要な政策を決定する際に、倫理や宗教、歴史的な視点まで包含した「熟議」を行い、曲がりなりにも国民的なコンセンサスを得た上で政策を決定していく能力が決定的に欠落しているのではないか。
 山脇氏は日本に公共哲学が根付かない一因として、高等教育のあり方の問題を指摘する。哲学は大学では文学部の一専攻課程に過ぎず、それがすべての学問の前提や基礎をなす学問であるという認識が全く定着していない。経済も科学技術も政治も、それを議論したり研究するためには、その前提となる価値の議論が不可欠だが、日本では「公共」や「倫理」といった価値をすっ飛ばして学問的な知識だけが一人歩きをしているため、いざ原発事故のような有事が勃発しても、然るべき対応を議論する際に倫理的な視点を含めるだけの下地ができていないというのだ。
 2011年に出されたドイツの「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」報告書を参照しながら、倫理的な原子力エネルギーの評価やリスクの認知、比較衡量の考え方と倫理的な対立、公共哲学の役割と機能、倫理本来の在り方などについて、ゲストの山脇直司氏と共にジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

アドラーによる素晴らしい人生を送るためのヒント

(第688回 放送日2014年06月21日 PART1:1時間14分 PART2:49分
ゲスト:岸見一郎氏(哲学者)

 4月にお送りした「あなたが変われないのは実は変わりたくないから?!」に続く岸見一郎氏によるアドラー心理学入門の第2弾。  
 日本でもアドラー心理学は確実に認知されつつあるようだ。アドラー研究の第一人者で哲学者の岸見一郎氏がアドラー心理学の論点を分かりやすく解説している著書『嫌われる勇気』はついに発行部数が30万部を突破し、アマゾンの2014年上半期和書総合部門の第一位に輝いたという。
 アドラー心理学は、現在の自分の存在理由を過去に求める、フロイトなどの精神分析とは一線を画し、いまの自分はこの先の目的のために存在し、かつ行動するという「目的論」の立場を取ることが大きな特徴だ。そのために明確にトラウマを否定し、今自分はどうするのかに集中する。悲しい過去というものは自分が過去のあるできごとに悲しいという評価を与えた結果に過ぎず、今の自分の状態や行動を説明する際にそのような過去を引っ張り出しても何の解決にもならないからだ。
 今回は4月の第1回目の番組での議論を受けて、「課題の分離」というテーマを中心に岸見氏に聞いた。
 アドラーによれば、あらゆる対人関係のトラブルは、他人の課題に土足で踏み込むことから生じるという。適正な人間関係を構築して維持していくためには、自分と他人の領域を峻別する、「課題の分離」という考え方を十分に理解して実践していく必要があると岸見氏は言う。「課題の分離」とは端的に言えば何が誰の課題なのかを明確にするということ。親子関係を例に取ると、勉強をしようとしない子どもに対して「勉強して欲しい」と考えるのはあくまでも親の考えであり、都合である。実際に勉強するのは子どもであるし、しないことで結果を引き受けることになるのも子ども自身であることから、これは子どもの課題に他ならない。子どもの課題であるはずの「勉強をする」という行為を親が「しなさい」とか、「あなたのためを思って言っている」などと介入するのは課題の分離ができていない結果だ。「課題の分離」には、最終的な結末を引き受けるのは誰かという視点が必要で、宿題をしないことで生じる結末を引き受けるのは子どもであり、親がそれを強いたところで、子どもが自分の人生を生きることにはならない。しかも、親に言われて勉強をしているようでは、親に褒められることや親を満足させることが勉強の目的になってしまい、それはむしろ子どもの自立を妨げることになりかねない。
 そもそも「あなたのためを思って言っている」という発想自体が、アドラーが「縦の関係」と呼んでいる上下関係の存在を前提としている。親は賢明だが子どもは未熟で愚かであるという前提だ。そして、アドラー心理学は前提として他者からの承認を求めることを否定し、他人との関係では、縦よりも横の人間関係こそ望ましいとしている。他者からの承認を得ようとする人は、他者の期待を満たそうとして行動するようになり、それが果たされないと不安を感じたり、逆に相手を恨んだりしがちだ。昨今流行のソーシャルメディアで相互承認行為を強要されるような疲れを感じたりするのはそうした一例と言えるかもしれない。また縦の関係とは主従、先輩後輩の関係であり、一方が従属することで責任を放棄し、もう一方は他人の領域に踏み込むことが当たり前だと思ってしまう状態に陥りやすい。こうした関係は結局、責任を誰が引き受けるのかが曖昧になり、誰の課題なのかを意識することもしない、極めて不合理な関係になってしまう。対人関係を縦の関係と捉えて他人を低く見ているからこそ、課題を分離せず、不必要な介入を行い、それが正しいと錯覚してしまう。そうなると、もはや自由な関係性は望むべくもなく、誰の人生を生きているのかさえ分からなくなってしまうのだ。  
 では、横の関係を実現するのはどうしたらいいのか。岸見氏は、課題を分離した上で、相手を評価しないことだと説明する。また岸見氏は「同じではないけれど対等である意識を持つことが重要」と指摘する。親子関係では、親は子どもと同じではない。年齢が違うし、経験の蓄積も、社会的な立場も違う。しかしそれは優劣の問題ではなく、単に「同じではない」に過ぎないという。それが同じではないが対等な人間関係を基にした「共同体意識」にも繋がっていくと説く。  
 アドラー心理学のいう「課題の分離」とは何か。人は対等な関係をどうやって構築すれば良いのか。その先にある「共同体意識」とは何か。アドラー心理学の目指す自由と幸せに生きる考え方について、ゲストの岸見一郎氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

安倍政権は日本をどうしたいのか

(第689回 放送日 2014年06月28日 PART1:1時間11分 PART2:55分)
ゲスト:中野晃一氏(上智大学国際教養学部教授)

 6月22日に閉幕した通常国会では改正法案を含めると100本の法律が可決している。その中には医療や介護制度を大きく変える法律や、電力市場の自由化に関するもの、教育委員会を事実上首長の下に置く教育関連の法律など、ありとあらゆる法律が含まれている。政府が提出した法案の97.5%が成立していることからもわかるように、政治の舞台では弱小の上に内輪揉めを繰り返す野党がほとんど何の抵抗もできない中、安倍政権並びに自民党のやりたい放題がまかり通っている状態だ。
 しかし、今国会で可決した一連の法案の中身を見ると安倍政権の基本路線は明確だ。まずは、財政負担を減らすための切り捨て。特に弱者の切り捨ての比重が大きい。そして民主党政権下で一部切り崩されかけた官僚支配の再強化。その上で、自民党や与党の票田や支持母体となっている既得権益にはほとんど手をつけずに温存するというもの。
 切り捨ての一例としては、今国会で成立した介護の主体の一部を国から市町村に移管するいわゆる地域医療・介護総合推進法に盛り込まれた介護保険法の改正がある。これは、当初は財源をつけて介護保険の一部を地方へ移管する形をとるものの、早い話が介護保険料を取っていても介護コストの急騰に国庫が耐えられなくなったために、それを地方に押しつけると同時に、自己負担比率を引き上げるというもの。
 そもそも介護は家庭ではなく社会の問題であるという理念でスタートしたはずの介護保険制度だが、結局、政府が期待したほど「介護の社会化」は進まず、国庫負担ばかりが増え、今回の事実上の切り捨てとなった。安倍首相はこの法案審議の中の答弁で、「自助」の必要性を訴えているが、これは国にお金がないから、まずは地域でやってもらい、それがダメならあとは自分たちで何とかしてくれという「切り捨て」の論理に他ならない。
 一方、教育の分野では、いじめ事件への対応のまずさから批判の矢面に立たされた教育委員会制度を首長の下に置くことで、むしろ地域の自主性を摘んでしまう方向性が打ち出されている。一見、首長の元でより地域性が発揮できるようにも聞こえるが、教育委員会の問題に詳しい千葉大学名誉教授の新藤宗幸氏によると、これまでも教育委員長や教育長は事実上、首長が任命するに等しい状態にあり、「今回の制度改正はそれを制度化したに過ぎない」と言う。その一方で新藤氏は、教育の問題は一部のエリート教員によって構成されている教育委員会事務局が地方の教育行政全般を仕切っていることにあるが、今回の法改正ではそこにはまったく手をつけていないと批判する。結局、教育委員会事務局を温存した上で、教育委員会の自主性を弱めることで、かえって中央統制を強化する内容になっている。
 安倍政権になって最も顕著な変更が行われたのが、エネルギー政策の分野だった。エネルギー・原子力関連分野では、今国会で2016年をメドに電力の小売りを自由化する電力自由化関連法が成立した。しかし、エネルギー政策に詳しい元経産官僚の古賀茂明氏によると、既存の電力会社間で自由競争が起きないような談合が行われているため、自由化といっても地域独占の巨大な電力会社に、新興の弱小PPSが挑む構図となり、本当の意味での市場競争はなかなか期待できそうにないという。しかも、小売りに参入するための前提となる送電網は、依然として既存の電力会社が支配しているため、自由化後もどの程度公正な市場競争が期待できるかは多いに疑問が残る内容となっている。実態としては電力会社の既得権が根底から脅かされない範囲での自由化というところに落ち着きそうだ。
 その一方で、安倍政権が新たに制定したエネルギー基本計画で原発を「重要なベースロード電源」としたことを受けて、原発ムラの復権がいたるところに見受けられる。原子力損害賠償支援機構法の改正では、原子力災害の賠償に備えて、国などが国債などの資金を拠出して設けられていたはずの原子力損害賠償支援機構に、本来は電力会社が負担すべき原子炉廃炉の費用まで担わせるという内容の法改正が行われている。古賀氏は、「廃炉費用を電力会社に負担させれば、それが電気代に上乗せされ、原発を抱える電力会社の経営が成り立たなくなる可能性がある。国がエネルギー基本計画で原子力エネルギーを重要なベースロード電源と位置付けた以上、廃炉費用は国が負担して当然という論理がまかり通っている」と指摘する。
 しかし、何と言っても安倍政権の方向性を決定づける極めつけは、今週自民党が公明党との間で合意に達したとされる集団的自衛権の行使容認だろう。これも最終段階で制約条件ばかりがメディアで取り上げられたために全体像が見えにくくなっているが、どんな国内向けの子供だましの議論でごまかそうが、戦後の日本で一貫して武力行使の明確な歯止めとして機能してきた、「自国が武力攻撃を受けない限り武力行使はできない」という専守防衛の一線が破られたことに変わりはない。今後他国、とりわけアメリカ政府から第三国に対する武力行使への協力や参加を求められた時、時の政府に交渉によってそれを断ることができるとはとても思えない。
 今さら軍事大国を目指そうというわけではないが、とにかく戦後の日本を縛ってきた平和主義憲法の軛から何とかして日本を解き放ちたい。解き放ってどうしようというところまで考えているとも思えないが、とにかくそれを解き放つこと自体に意味があると言わんばかりの、事実上の憲法の改正が、早ければ7月1日に閣議決定という形で行われようとしている。正規の憲法改正手続きを踏まずに事実上憲法を変更する行為は、クーデターの誹りを免れないほど重大な意味を持つものだが、今の政権にも与党にも、その自覚があるようには見えないのはなぜだろうか。
 以上のことから浮かび上がってくる、安倍政権が目指す日本の姿とは一体どのようなものになるのだろうか。その帰結が最終的にわれわれにどのような形でのしかかってくることになるのか。欧米の政治制度にも詳しい政治学者の中野晃一氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

戦後レジームからもっとも脱却できていないのは安倍総理、あなた自身です

(第690回 放送日 2014年07月05日 PART1:1時間2分 PART2:1時間)
ゲスト:白井聡氏(文化学園大学助教)

 やっぱり安倍さん自身が戦後レジームから抜けられてなかった。
 安倍政権によって行われた集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更は、通常2つの理由で強い批判にさらされている。
 それはまず、そもそも今そのようなことを行わなければならない切迫した必要性も正当性もない中で、単に安倍晋三首相個人の情念や思い入れに引きずられてこのような大それた事が行われているのではないかという、「反知性主義」としての批判が一つ。そして、もう一つが、平和憲法として世界に知られる日本国憲法の要諦でもある憲法第9条の解釈の変更は事実上の憲法改正に相当することは明白で、それを私的な有識者懇談会に提言させ、友党公明党との「ぎりぎりの交渉」なる茶番劇の末に閣議決定だけで強行してしまうことは、明らかに憲法を蔑ろにすると同時に民主プロセスを破壊する行為であり、立憲主義に反するのではないかという批判だ。
 それらの批判はいずれも正鵠を得ていて重要なものだ。しかし、それとは別の次元であまり指摘されていないより重要な点がもう一つあるように思えてならない。それは戦後レジームからの脱却を掲げていたはずの総理にとって、このような行動が正当化できているのかということだ。
 戦後レジームからの脱却という場合の戦後レジームとは、恐らくこんな意味だろう。総力戦に負けた日本はアメリカ軍による国土占領の屈辱を受け、武力行使を放棄する条文を含む屈辱的な憲法までのまされた上に、日米安保条約なるもので未来永劫アメリカの属国として生きていく道を強いられた。また、特に近年になって、社会制度面からもアメリカ的な制度を押しつけられ、日本の伝統的な社会制度が崩壊の淵にある。
 となると、そこから脱却するために次に来るフレーズは明らかなはずだ。今こそ日本はそのような戦後レジームから脱却し、自らの意思で独自の憲法を制定し、日米安保条約を破棄しアメリカへの軍事力への依存を減らすとともに、アメリカと対立・緊張関係にあるロシアや中国と友好的な関係を樹立し、アメリカ一辺倒の偏った外交からより均衡の取れた外交へとシフトしなければならない。(また戦後のアメリカ主導の世界秩序を代表するブレトン・ウッズ体制、すなわちGATTやIMF・世銀、そしてWTOに代表される自由貿易体制からの脱却云々にまでここで触れるのはあえてやめておこう。何と言っても日本がその体制の最大の受益者だったのだから。)
 ところが、今回行われた解釈改憲はどうだ。首相が自ら指さしながら示したポンチ絵には、日本人を救助したアメリカの艦船が描かれている。どこかの国で有事が起き、避難する日本人を乗せた米軍の艦船が攻撃された時、それを守ることができるようにするためには、集団的自衛権の行使が必要だと安倍首相は繰り返し強調する。
 集団的自衛権というのは自国が攻撃された時に反撃する権利を意味する個別的自衛権に対し、自国が攻撃されていない場合でも武力を行使する権利のことを意味する言葉だが、そこでいう他国がアメリカのことを念頭に置いていることは明らかだ。とすると、今回の解釈改憲というのは、早い話が今よりももっとアメリカに貢献するために日本は憲法まで変えようとしていることを、首相が率先して喧伝していることになる。しかもそれを、首相があれだけこだわりを見せ、自民党が党是にまで謳っている憲法改正という正攻法ではなく、まるで裏口入学でもするかのような憲法解釈の変更の閣議決定という姑息な手段によって実現するのだという。そこに見えてくるのは、アメリカを助けるためには憲法を蔑ろにすることも裏口を使うことも何でもできてしまう日本の無様な姿以外の何ものでもないのではないか。これが安倍総理が「戦後レジームからの脱却」と大見得を切ったものの正体だったのか。
 『永続敗戦論』の著者で、戦後の対米従属問題や政治思想に詳しい文化学園大学助教の白井聡氏は、現在の日本の閉塞状態を「敗戦レジーム」なるものに永続的に隷属することから起きているものだと説く。「敗戦レジーム」とは、総力戦に敗れた日本は本来であればドイツと同様に、それまでの国家体制は政治も経済も社会もすべて木っ端微塵にされ、既得権益など何一つ残っていないない状態からの再スタートを余儀なくされなければならなかったはずだった。しかし、日本を占領統治したアメリカは対ソ連の冷戦シフトを優先するために、あえて天皇制を含む日本の旧国家体制の温存を図ったために、A級戦犯などほんの一部の例外を除き、日本を絶望の淵に追いやる戦争に導いた各界の指導者たちが、平然と戦後の日本の要職に復帰することが許されてしまった。そして、それもこれもすべてアメリカの意向、アメリカの都合だった。そして、その旧レジームの担い手たちに対する唯一絶対の条件が、アメリカの意向に逆らわないということになるのは、当然のことだった。
 今日本を動かしている指導層の大半は、その時に「敗戦レジーム」を受け入れることで権力を手に入にした人たちの子や孫たちである。自民党に至っては、議員の4割以上が、そして先の総裁選挙の全候補者が2世、3世議員だったが、それは決して偶然の現象ではない。また、今回の集団的自衛権の解釈改憲を主導した外務省も外交官2世3世が多いことで知られる。彼らは実益面もさることながら、彼ら自身のメンタリティや行動原理の深淵に最初から「敗戦レジーム」が埋め込まれており、自分たちにとってもっとも合理的に行動することが、「敗戦レジーム」を強化するにつながるが、無論彼ら自身にそのような自覚はない。
 白井氏は続ける。この「敗戦レジーム」を永続させるシステムが残る限り、日本は本当の意味での独立を勝ち取ることはできないし、真に日本のことを思う政治家が現れたとしても、多勢に無勢の状態では敗戦レジームの担い手たちによって足を引っ張られ、失脚させられることが目に見えている。それは、そういう政治家こそが、敗戦レジームの担い手たちにとっては最も大きな脅威となるからだ。
 幸か不幸か「敗戦レジーム」はある時期、空前の経済的繁栄をもたらした。アメリカにとって日本を経済的に富ませることが、日本の共産化を防ぐ最善の手段だったこともあるが、日本人の多くが、実は戦後レジームの矛盾に薄々気づきながら、経済的は豊かさと引き替えに、それを見て見ぬふりことを覚えてしまった。しかし、冷戦が終わり、「敗戦レジーム」が前提としてきた外部環境は既に根底から崩れている。アメリカは自らの国益をむき出しにして日本と対峙するようになったばかりか、今や軍事同盟関係にある日本よりも、その日本と緊張関係にある中国を重視し始めているようにさえみえる。しかし、日本では「敗戦レジーム」の担い手たちが依然として大手を振って歩き、「敗戦レジーム」の行動原理から抜けることができそうにない。
 今問われていることは、われわれはこれから先も問題から目を背け、「敗戦レジーム」を継続するのか。問題を正視するということは、今あらためて日本が総力戦に敗れたという事実と向き合い、それを認めた上で、アメリカから属国扱いされることと引き替えに、免罪されてきた他国との様々な懸案に自主的に取り組んでいくことが求められる。敗戦レジームに慣れきってしまったわれわれ日本人にとって、恐らくそれは辛く痛みの伴う行為になるだろう。しかし、「敗戦レジーム」を続ける限り、日本に未来はない。
 「敗戦レジーム」のもう一つの特徴は、誰も責任を取らない体制だ。そしてそれは政治家に限らず、われわれ市民の側についても言えることだ。われわれの多くが、国や自治体や共同体の意思決定に一切参加もせずに、一部の人間に汚れ仕事を押しつけておきながら、何か問題があると文句を垂れるという態度を取ってきた。悪弊を変えることは容易ではないが、少なくとも手の届くところから意思決定に参加することが、変化への第一歩となる可能性を秘めているのではないか。
 「敗戦レジーム」脱却のための処方箋をゲストの白井聡氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.67(671~680回収録)

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北方領土問題解決の千載一遇のチャンスを逃すな

(第671回 放送日 2014年2月22日 PART1:43分 PART2:42分)
ゲスト:東郷和彦氏(京都産業大学教授・元外務省欧亜局長)

 安倍首相は、2月7日の冬季オリンピック開会式に出席するためロシアのソチを訪れ、翌8日、プーチン大統領と首脳会談を行った。プーチン政権が進める同性愛規制などに対して、人権上の懸念から主だった欧米諸国の首脳が軒並み開会式を欠席したのを尻目に、安倍首相は五輪外交の機会を逃さなかった。それは日露関係が非常に重要な局面を迎えているからだった。
 日露関係は詰まるところ北方領土問題をどう決着させるのかにかかっている。その一点が解決できないために、日本とロシアは未だに第二次世界大戦後の平和条約を結ぶことさえできていない。そして、それが戦後70年近くにわたり、日本とロシアという東アジアの2つの隣国の関係を進展させる上での決定的な足かせとなってきた。
 実はロシアは2000年代に入って、中国、ノルウェーなど周辺国との国境を積極的に画定してきた。2月18日にはバルト三国のエストニアと国境を画定させて、残る大きな領土紛争は日本との北方領土を残すばかりとなっている。更にロシアのプーチン大統領は日本に対して「原則引き分けで領土交渉をやりましょう」とまで発言している。
 一方の安倍首相も、向こう3年は大きな国政選挙が予定されない中で、領土問題のような腰を据えて取り組むべき政治課題に手をつけられる立場にある。外務省で一貫してロシアを担当してきた東郷和彦京都産業大学教授は「この機会を逃すと北方領土は二度と返ってこないかもしれない。これが最後のチャンスになるのではないか」と、日露関係が千載一遇の、そして最後のチャンスを迎えていると指摘する。
 歴史的に見ると北方領土といわれている4島(択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島)は、1855年の日魯通好条約締結以降、1945年のポツダム宣言受諾まで約90年間日本が統治してきた。しかし、同年2月のヤルタ会談でルーズベルト、チャーチルと対日参戦を約束したスターリンの下、日ソ不可侵条約を破ってソ連軍が満州に侵入。9月5日頃までに北方4島も支配下に治める。その後、サンフランシスコ講話条約で、日本は国際社会に対して公式に樺太と千島列島の放棄を宣言している。ところが旧ソ連がサンフランシスコ条約に調印しなかったため、現在までのところ北方4島の領有権は国際法上日本とロシアのどちらも有していないながら、一貫してロシアが実効支配をしているという状態にある。
 日本には、不可侵条約を破って対日参戦をし、日本のポツダム宣言受諾後も侵攻を続け、満州で民間人を相手に殺戮や強姦などの蛮行を繰り返した上に60万人の日本人をシベリアに抑留したソ連に対する特殊な感情もある。更に日本は少なくとも1956年以降、一貫して北方4島は日本の領土であるとの立場を貫き続け、積極的にそのような広報活動もしてきているために、国民の多くも政府のその立場を支持している。4島一括返還以外の立場を日本が取ることに抵抗が多いのは言うまでもない。
 しかしその一方で、過去70年近くもロシアの実効支配下にあり、4島にはひとりも日本人がいないまま、この先もそれが続くとなると、日本への返還は事実上不可能になってしまうことは想像に難くない。加えて、ロシアは2007年からクリル開発計画と称して5千億円規模の予算を投じて北方4島の開発に取り組んでいる。これらの事情を考慮すると、今、より現実的な解決策を探らない限り、北方領土が日本に戻ってくる見込みは事実上消滅してしまうと言っても過言ではないだろう。
 東郷氏は北方領土問題は2島+α(歯舞、色丹の2島返還と残る国後、択捉の2島についても何らかの将来につながる合意)が落としどころになるだろうと指摘する。「まず1954年の日ソ共同宣言に従って歯舞、色丹を返してもらう。残る択捉と国後は日本、ロシア双方が関わる特別共同経済特区のような仕組みを作った上で、今後も交渉を続けていく」というのが東郷氏の提案だ。これならロシアも乗れる可能性が高いと東郷氏は言う。4島一括返還にこだわり、何も手にできないまま、結果的に両国関係を進展させないこれまでの道を選ぶのか、4島一括返還にこだわらず、まず2島の返還を実現するとともに、とにかく北方4島に日本人が住めるようにすることで、その後の2島の帰属にも可能性を残していくのかのいずれかの選択になるのであれば、これがベストな選択ではないかと東郷氏は言う。
 日露両国が北方領土問題を解決させ、友好的な隣人として新しい関係の構築に成功すれば、東アジア情勢はもとより国際的にも大きな意味を持つ。しかも、その時はこれまで両国間の対立の象徴だった北方領土が、友好と経済協力関係のシンボルとして機能することになる。
 果たして北方領土問題に決着をつけ、日露関係を大きく前進させることができるかどうかは、両国の問題であると同時に、日本国内の問題としての面が多分にある。東郷氏は、これまで日露関係が前進の兆しを見せるたびに、ある時はアメリカから、またあるときは日本国内の勢力から横やりが入り、期待が幻滅に終わるような苦い経験を繰り返してきたという。
 日露両国は、そして日本はこの千載一遇の機会をものにすることができるのか。北方領土問題と日露関係改善の前途に横たわる課題とその克服の見通しを、ゲストの東郷和彦氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

ディオバン事件と利益相反という日本の病理

(第672回 放送日 2014年03月01日 PART1:69分 PART2:46分)
ゲスト:谷本哲也氏(内科医・東京大学医科学研究所客員研究員)

 東京地検特捜部が2月19日に製薬会社のノバルティスファーマや京都府立医大に対して家宅捜索に入った。表向きの容疑は薬事法で禁じられている医薬品の誇大広告ということだが、この事件は期せずして9.3兆円産業と言われる医薬品をめぐり、業界と大学・研究機関の間の根深い癒着構造を白日の下に晒すことになった。
 京都府立医大をはじめ慈恵医大など5大学の研究チームは臨床試験の結果、降圧剤バルサルタン(商品名ディオバン)には血圧を下げるだけでなく、他の降圧剤に比べて脳卒中を予防する効果が確認されたとする論文を発表していた。しかし、研究データに不自然な点が指摘され、より詳しく調査が行われた結果、この研究には何と薬の販売元のノバルティスファーマの社員が、身分を隠して関わっていたことが明らかになり、自社にとって都合の良い結果が出るようにデータを不正に操作したのではないかという疑いが出てきているというのだ。
 しかし、京都府立医大らの研究結果は国際的に評価の高い高級医学論文誌「ランセット」にその研究結果が掲載されたために、大きな広告効果があったとみられている。
 内科医で医療ガバナンスの問題に詳しいゲストの谷本哲也氏は「今回の問題は、海外論文誌を巻き込んだ新しいタイプの問題だ」と指摘する。多額の寄付を行っている大学や研究機関に自社の薬の臨床研究を依頼し、その結果を高級医学誌に掲載することで、国際的に薬効を宣伝し、販売広告にもつなげるという仕組みで、製造元のノバルティスファーマはディオバンで累計1兆円以上という莫大な売上げを手にしている。
 薬事法は医薬品の許認可については厳しい基準が設けられているが、認可後の臨床研究についてはほとんど規制がないため、仮に今回の事件で薬事法違反が確定したとしても、課される罰金は200万円の科料に過ぎないという。医療関係者の性善説に立った薬事法は元来、悪意を持って臨床研究を薬の販売促進に使う行為を想定していないのだと、谷本氏は言う。ディオバンの高血圧治療薬としての効果は既に認可を受けているため、仮に今回、販促目的でプラスαの薬効を謳うために論文の捏造が行われたことが明らかになったとしても違法性が問われない可能性もあるのだという。
 しかし、それにしてもある商品の販売元の社員が、身分を隠して研究に関わり、データにも直接タッチしていたというような、あからさまな利益相反が放置されているとすれば、日本の臨床研究そのものの信頼性が問われることになりかねない。なぜ医療研究において利益相反や利益供与の問題が、ここまで軽く見られてしまうのだろうか。
 谷本氏は日本の臨床研究に対する国の補助・支援が弱いことを理由の一つとして挙げる。日本では公的資金が当てにできないため、大学や研究機関は企業から助成を受け入れざるをえない状況になっている現状を指摘する。事実、今回研究の不正が判明した5つの大学すべてにノバルティスファーマから多額の寄付が行われていたことが明らかになっている。
 製薬業界から医師や医療機関に提供される資金は明らかになっているものだけでも年間4,410億円に上り、2013年度の国の科学研究費予算2,381億円を大きく上回る。この資金が、学会、勉強会、シンポジウムの運営費や宿泊費、交通費、そして原稿料などの形で医療機関や医師個人に提供されている。このような構造が、現在の製薬業界と医療の間の利益相反の根底にある。
 谷本氏は、こうした日本の現状を前に、現在、日本の臨床研究論文が次第に世界から相手にされなくなり始めていると警鐘を鳴らす。日本の医療界は元々基礎研究が重視される傾向があり、臨床研究の水準が低い。そこに今回の論文ねつ造事件が起きたことで、日本の研究の信用性について海外から疑念を持たれはじめているというのだ。
 しかし、こうした資金が、最終的にはすべて一般市民が支払う医療費から出ているものであることを忘れてはならない。国民皆保険によって医療機関の窓口での負担は軽減されているように見えるが、保険がカバーしている医療費の約4割は税金で賄われている。その金額は年間38兆円余りにも上る。薬剤費だけでも年間8兆円以上もの税金が投入されているのだ。
 今回の臨床研究論文の不正は、医薬品業界に限ったことではない。日本には同様の利益相反が容認され、放置されている分野が多数存在する。癒着構造の下で不当な利益が貪れる一方で、その穴埋めに使われているのがユーザーの負担であり、税金でもあるのだ。
 病気を治したり患者の命を救うことが最優先される医療には、医師の処方の権利は侵されるべきではないという不文律があるため、安易な規制は難しい面がある。しかし、であればこそ腐敗や癒着を極力排除するために、利益相反をガラス張りにする制度や患者自身が費用とメリットを比較衡量する制度が必要ではないのか。
 今や日本の至るところに巣くう利益相反の罠を、われわれはどう考え、これにどう対応すべきか。まずは医療の現場からゲストの谷本哲也氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が考えた。

原発事故で露呈した、敗戦から何も学んでいなかった日本

(第673回 放送日 2014年03月08日 PART1:60分 PART2:24分)
ゲスト:船橋洋一氏(ジャーナリスト・日本再建イニシアチブ理事長)

 東日本大震災、そして福島第一原子力発電所のメルトダウン事故から3年が経とうとしている。被災地の復興においても日本が抱える様々な病理や課題が次々と露わになっているが、とりわけ原発事故については、事故原因の結論も得られていないし、事故現場の収束さえままならぬ状態であるにもかかわらず、もっぱら原発再稼働の是非に政権の関心が集まるという異常な状態にある。
 福島原発事故独立検証委員会、いわゆる民間事故調のプログラムディレクターとして事故原因の調査に取り組んできた元朝日新聞主筆でジャーナリストの船橋洋一氏は、あの原発事故を太平洋戦争の敗戦に続く「第二の敗戦」と捉え、その原因や再発防止により真剣に取り組む必要があると主張する。
 あの事故は津波によって原発がすべての電源を失ったために、原子炉を冷やすことができなくなり、メルトダウン、メルトスルーに至ったと説明されている。原因がもっぱら津波だったかどうかについては議論があるところだが、いずれにしても万が一の時に原子炉を冷やせるより強固な設備を完備しておけば、今回のような事故は起こらないという前提に立ち、新たな安全基準などが作られている。
 確かにハード面での不備は修正されなければならない。しかし、本当にそれだけでいいのだろうか。今回の事故がここまで甚大な被害をもたらすに至った背景には、単に電源のバックアップに不備があったということではないのではないか。
 実際、全電源喪失に至った後に福島第一発電所や東電本社、そして首相官邸などで起きたことをつぶさに再検証してみると、事故がここまで大きくなった原因は単に電源というハードウエアの問題だけではなく、現場と事故の対応に当たる政府関係者や東電関係者の間の致命的なコミュニケーションミスや、いざというときに取捨選択を決断できるリーダーシップの不在など、数々のヒューマンエラーが介在していたことが明らかである。むしろ、われわれが最も真摯に反省しなければならない点は、ハード面での不備ではなく、日頃からの危機に対する意識や優先順位を決めて損切りを決断するリーダーの養成だったのではないかと、船橋氏は言うのだ。実は同様の問題が、国会事故調の黒川清委員長による英文の最終報告書で指摘されている。
 ところがわれわれの目は、そうした問題にほとんど向いていない。また、実際にそうした反省に立って、対策が取られている形跡も見られない。特に安倍政権は、より厳しい安全基準を設定したのだから、原子力規制委員会の審査にパスした原発は再稼働することが当たり前であるとの立場を取っている。元々、原子力規制委の前身で、今回の事故で全く役立たずの烙印を押された原子力安全・保安院は、1999年のJCO臨界事故の反省を受けて作られた組織のはずだった。それが今回の事故ではまるで機能しなかった。ところが今回もまた、福島原発事故の教訓が十分に活かされないまま、組織の改編と安全基準のマニュアルの変更が行われただけで、事故の反省は終わってしまいそうな様相を呈している。この現状を、われわれはどう受け止めたらいいのだろうか。
 船橋氏は今回の原発事故に、先の大戦での失敗と同じ構造があったと指摘する。原発の過酷事故は直ちに国家的危機となる。その自覚もないまま、安全対策をおろそかにして絶対安全神話なるものに寄りかかり、最後は何とかなるだろうという楽観シナリオに基づいて原発依存に突入した様は、勝算もないままアメリカとの戦争に突入した時といろいろな面で酷似しているというのだ。
 そもそも日本社会には異質なものを排除して、同質の価値観だけで物事を進めていく「空気の支配」という特性があることが指摘されて久しい。それは全体の秩序を維持し、一つの共通の目標に向かって邁進する上では武器となり得るが、何か問題があったときにそれを言い出すことを難しくさせる。それが誰も「撤退」を言い出せない空気が支配する文化を作っている。日本中が安全神話の下で原発推進に邁進する空気の支配の下で誰かが異論を唱えれば、単に排除されるだけだ。原発についても、一部の良識ある関係者の間では危機意識があったが、それを言い出すことができなかったと答えた人が多くいたことが、船橋氏の調査でも明らかになっているという。
 では、福島の事故を無駄にしないために今、われわれに何ができるだろうか。船橋氏は何よりも事故の原因究明をより厳密かつ詳細に行い、事故と事故対応における失敗の責任の所在を明らかにすることが何よりも重要だと主張する。そこを曖昧にしたまま組織や仕組みをいじってみても、本当の意味で事故の教訓が活かされることはあり得ない。そして、それはわれわれが第三の敗戦に向けて邁進する道を選んだことを意味する。
 われわれはなぜあれだけ酷い目にあっても、その原因と真摯に向き合い反省することができないのか。東日本大震災、福島原発事故から3年が経過したいま、事故に至る経過と事故への対応、そして事故後の原因究明や新たに作成された安全基準などから見えてくるわれわれ日本人の弱点について、先の戦争の反省と絡めながら、ゲストの船橋洋一氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

誰も知らない裁判所の悲しい実態

(第674回 放送日 2014年03月15日 PART1:1時間6分 PART2:45分)
ゲスト:瀬木比呂志氏(元裁判官・明治大学法科大学院教授)

 マル激では放送開始以来何度となく、警察、検察の問題、とりわけその捜査、取り調べの手法が公正な裁判の妨げになっている問題を取り上げてきた。この問題はあまりにも繰り返し表面化するため、もはやわれわれにとってはそれがライフワークの一つになっている感すらある。
 しかし、この10余年、途中に何度も重量級の不祥事に見舞われながら、警察も検察もその体質はほとんど変わっていないようにみえる。そして司法の堕落、腐敗の一番根っこに鎮座するご本尊が裁判所だ。警察や検察がどんな無茶なことをしようとも、裁判所がそれを裁判で証拠採用しなければ何の意味もなくなる。例えば、海外では当たり前になっていることだが、裁判所が、一定期間以上の拘留後の自白の任意性を認めない判断を下せば、その瞬間に人質司法は終焉する。どんなに大きな世論の逆風に見舞われても、依然として警察や検察が人質司法や無茶な捜査を続けられる最大の理由は、裁判所がそれを裁判で認めてくれるからに他ならない。その意味では司法問題の最大の責任者にして戦犯は裁判所なのだ。
 その裁判所の内情はあまりにもひどい状況になっているようだ。元裁判官で最高裁事務総局や最高裁調査官の経歴を持ち、2012年に退官して現在は明治大学法科大学院教授を務める瀬木比呂志氏は、裁判官の世界は事実上陸の孤島のような外界から閉ざされた状態にあり、その閉鎖性の中で、あり得ないような基準がまかり通っていると言う。それは最高裁事務総局による一極統制の下、事なかれ主義、長いものに巻かれろ主義、上の意向しか気にしないヒラメ裁判官の増殖などあらゆる弊害を生み、正義の貫徹や市民への奉仕といった裁判所本来の機能とは程遠いものになっていると言うのだ。
 瀬木氏は、現在の司法界は、最高裁を頂点とする権力ピラミッドによる内部統制が極めて効果的に運用されていると指摘する。本来、個々の裁判所、裁判官個々人には階級の上下はないはずだが、司法官僚とも称される最高裁事務総局が人事と昇級の権限を握っていることから、ほとんどの裁判官、裁判所は否応なく上を見て行動するしかない状態だという。さらに事務総局は30名ほどの裁判官を調査官として抱えていて、最高裁の公判以外にも各地の裁判、判決を細かく分析し、内部の会合などを通じてことあるごとに最高裁の意向を下命している。まさに事務総局による司法支配体制だ。そしてこの司法官僚による内部統制には、歴代の最高裁長官が関わり、現在の仕組みが揺るぎないものに形作られてきたという。
 しかも、裁判官が自身の良心に従って、例えば国家賠償訴訟や行政訴訟で市民側の肩を持つような判決を出そうものなら、露骨な報復人事が行われるという。そのような実態を知ってか知らずにかわからないが、マスコミも報道しないし、三権分立の名の下で国会でもそれが問題になることはない。瀬木氏は全員とまでは言わないが、大半の裁判官はそのような基準の下で裁判官を務めているという。現行の制度のままでは、端から公正な裁判を期待することが難しい状況にあるということなのだ。
 瀬木氏は「法曹一元化によって人材の流動化を図ることが先決だ」と言う。法曹一元化とは弁護士などから多様な人材を裁判官として任用する仕組みのことだが、硬直化した司法行政体制を打破するには、まずは人事を通じて現在の硬直性、閉鎖性に風穴を開けるしかないと瀬木氏は言う。
 そんな裁判所だから、実は裁判員制度導入の背後にもあり得ないような裁判所の腐った事情があったと瀬木氏は言う。この3月末に退任が決まった竹﨑博允最高裁長官が生みの親とも言われ、画期的な司法改革の実例と囃される裁判員制度は、市民参加により裁判に市民の目線を反映させようという表向きの理由とは別に、それをきっかけに裁判所内における刑事系裁判官の復権を目論む思惑があったという。それまで裁判所内部では民事系の裁判官が権勢を誇っていて、刑事系は肩身の狭い思いをしていたのだという。実際に裁判員制度の導入が決まった前後から、刑事系裁判官が最高裁判事をはじめ、重要部局に就任するケースが増え、目論見通り復権が実現したと瀬木氏はいう。裁判員制度の中に制度上不可解な部分が少なからずあったのも、この制度の本来の意図が別のところにあったからだったことのようだ。
 裁判所が変わらなければ日本の司法は変わらない。いや、一国における正義の最終的な体現者たる裁判所が、このような堕落した体質のままでは、日本全体がダメになってしまう。日本問題の最深部にある裁判所の問題をわれわれはどう考え、何をすべきなのか。歴代最高裁長官の功罪や裁判官の質の低下、そしてそれらを報じないメディアの問題なども交えて、ゲストの瀬木比呂志氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

遠隔操作ウイルス事件の犯人はデジタル・フォレンジックに精通している

(第675回 放送日 2014年03月22日 PART1:44分 PART2:44分)
ゲスト:杉浦隆幸氏(ネットエージェント(株)代表取締役社長)

 3月13日に開かれた遠隔操作ウイルス事件の第3回公判で、検察側の証人として出廷した警察庁情報通信局情報技術解析課の岡田智明技官が証人台に立った。岡田氏は被告の片山祐輔氏の元勤務先のパソコンに遠隔操作ウイルスの断片が見つかったことを解説した上で、片山氏以外の人間がこれをここに残すことは「非常に困難」との意見を開陳することで、弁護側の、片山氏のパソコンが何者かによって乗っ取られていたとする主張を否定した。
 しかしである。そもそもこの事件の真犯人は一切の足跡を残さずに他人のパソコンに侵入し4人の人間を誤認逮捕せしめた情報セキュリティのプロのはず。岡田証人の言う「非常に困難」が、誰にとって非常に困難なのかが問題だ。確かに一般の人間にとってそれは非常に困難かもしれない。しかし、「非常に困難」でも「不可能」ではないのであれば、この事件の真犯人にとってそれは十分に可能なことだったかもしれない。
 先月始まった遠隔操作ウイルス事件の裁判は、検察側が片山氏の勤務先のパソコンから遠隔操作ウイルスの痕跡が見つかったとする解析結果を公表した。これを受けて検察側は、それが片山氏がウイルスを作成していた証拠だと指摘する一方で、弁護側はそれはむしろ氏のパソコンが遠隔操作されていた可能性を示唆するものだと主張するなど、同じ証拠に対して検察側、弁護側双方が180度異なる解釈を主張するといった異例の事態を招いている。
 刑事裁判である以上、最後は裁判官が片山氏を犯人と考える十分な証拠が示されたと考えるかどうかの判断にかかってくることは言うまでもない。しかし、遠隔操作ウイルス事件のような高度のコンピュータ・セキュリティの知識が求められる裁判が、一般の刑事裁判の方法で特に専門的な知識を持ち合わせていない裁判官によって果たして公正に裁けるかどうかについては、セキュリティの知識がある人ほど一抹の不安を覚えている。
 それもそのはずだ。ここまで検察側の証人として登場した警察の分析官や民間セキュリティ会社の技術者が示したような「片山さんが犯人と考えることが合理的」とする議論は、情報セキュリティ、とりわけデジタル・フォレンジックの専門家から見ると、穴だらけの議論になっているという。
 デジタル・フォレンジック(デジタル解析)とはサイバー犯罪において捜査に必要なデータ、電子的記録などを収集、解析して、証拠としての妥当性を評価、検証する技術などのことだが、まさにそのデジタル・フォレンジックが専門の企業「ネットエージェント」の杉浦隆幸社長は、業界内でも上位のセキュリティ技術やIT技術を持つ技術者であれば、検察が「片山さんが犯人と考えることが合理的」と主張する証拠の数々は、外部からの遠隔操作によって比較的簡単に埋め込むことができると指摘する。つまり、ここまで検察が示しているようなレベルの証拠であれば、真犯人が片山さんのパソコンにそれを植え付けることは十分可能だと言うのだ。
 フォレンジックは証拠を見つける技術だが、その知識があれば、本来そこにはなかった証拠を作り出すことも、後から分からないような形でこれを消すことも可能になると杉浦氏は言う。そして、今回の真犯人は一定レベルのデジタルフォレンジックの知識を持っていると杉浦氏は断言するのだ。一連の遠隔操作ウイルス事件で真犯人が2013年1月にメディア関係者などに対して送り付けてきた「延長戦メール」の中にあったクイズの2問目に、デジタル・フォレンジックの代表的な技術であるデータ復元の過程が含まれていたからだ。杉浦氏はこれをもって、犯人に一定のデジタル・フォレンジック、もしくはそれを無効化させるアンチ・フォレンジックの知識や経験があるとみてまちがいないだろうと言う。
 今、警察はフォレンジックの技術や知識を使って、片山氏の犯人性を証明しようとしている。しかし、もし犯人が警察と同等か、もしくはそれ以上のフォレンジックの能力を有していれば、警察が犯人を特定することができないばかりか、警察に別の人間が犯人であるかのように信じ込ませることも可能になってしまうのだ。
 そもそもそれだけ高度な専門性が求められる裁判を、一般の裁判官が正当に裁けるのかについても、多いに疑問が残る。公判における検察官と検察側の証人として呼ばれた警察の捜査担当者のやりとりを見ていると、裁判官が専門的な知識に欠けるのをいいことに、検察はIT技術や情報セキュリティの入門的な説明の合間に、片山氏が犯人であることを前提としたかのような意見をさりげなく忍び込ませているのが目につく。それを聞いた裁判官が「それは証人の意見ということですね」のような確認も行っていないところを見ると、技術の素人である裁判官を騙す検察の作戦は、少なくともここまでは功を奏している可能性がある。
 ところで、デジタル証拠も科学的証拠の一つだが、裁判に科学的証拠が持ち込まれると、おかしなことが起きる場合が多い。この公判では検察側がデジタル解析の結果、片山氏の元勤務先のパソコンから遠隔操作ウイルス事件の痕跡が見つかったと主張した途端、もし弁護側が片山氏のパソコンが何者かによって遠隔操作されていたというのであれば、弁護側がそれを証明しなければならない立場に追い込まれている。足利事件におけるDNA鑑定の結果や、和歌山カレー事件における「SPring-8」を使った化学分析でも同様の問題が起きているではないか。つまり、科学的証拠という、それ自体の重さを裁判官や一般社会が正確に評価できないものが公判に持ち込まれた瞬間に、無罪性の挙証責任が弁護側に移るという逆転現象が起きてしまうのだ。これは、科学的証拠が持ち込まれた瞬間に近代司法の要諦たる推定無罪が効力を失っていると言っているに等しい。
 幼稚園や航空会社などへの脅迫メール事件として始まった一連の遠隔操作ウイルス事件は、高度な知識や技術を有する犯人によってわれわれがいつ身に覚えのない罪を着せられてもおかしくない世界に生きていることを露わにした。そして、それはサイバー犯罪対策課などを設置してサイバー捜査の能力を拡充している警察についても言えることなのだ。
 もし今回の裁判で、専門家が見たらとても犯人性が証明されたとは言えないような証拠しか提示されなかったにもかかわらず片山氏が有罪になれば、それはもはや科学的証拠が、近代司法の枠を超えてしまったことを意味する。遠隔操作ウイルス事件を参照しつつ、デジタル犯罪の裁き方はどうあるべきかなどを、ゲストの杉浦隆幸氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

ロシアのクリミア編入に見る新しい国際秩序

(第676回 放送日 2014年03月29日 PART1:40分 PART2:1時間5分)
ゲスト:廣瀬陽子氏(慶應義塾大学総合政策学部准教授)

 ロシアによるクリミアの編入に世界が衝撃を受けている。大国が軍事力にものを言わせて小国から領土を分捕るような古典的な力の政治は第二次大戦以来、世界が経験してこなかったものだったからだ。半世紀に及ぶイデオロギー対立を前提とする冷戦と、その後の混沌たるポスト冷戦の時代を経て、世界は再び古い力の政治の時代に舞い戻ろうとしているのか。それともこれはこれまでとは全く異なる新しい世界秩序の始まりなのか。もしそうだとすると、対立の中身は資源なのか、それとも何か別の新しいものなのか。
 2月下旬にウクライナで起きた政変は親ロシアのヤヌコビッチ政権を転覆させ、よりEU寄りの新政権の樹立に向かうかに見えた。 ところがロシアはウクライナの政変そのものに介入するのではなく、実を取りに出た。ロシア人の安全確保という大義名分の下、クリミア半島に軍を派遣し、クリミア自治州をウクライナから離脱させるという力技に打って出たのだ。
 この事態にEU諸国やアメリカなどはロシアによる事実上のクリミア併合であるとして厳しく反発し、さまざまな制裁を行っているが、効果を上げているようには見えない。クリミアのためにロシアと本気で一戦交える気など誰にもないことが明らかだからだ。
 しかし、それにしてもロシアはなぜいきなり力による領土の編入などという思い切った施策に打って出たのだろうか。ロシア問題に詳しい慶應義塾大学准教授の廣瀬陽子氏はクリミア半島にある軍港セバストポリがロシアにとって戦略上非常に重要な意味を持っていたことを強調する。ロシアの領土沿岸部はほとんどが寒冷地であるため、不凍港で黒海経由でアジアやアフリカへの玄関口となるセバストポリはロシアの安全保障上の生命線とも言っていいほどの重要な戦略的意味を持つ。ウクライナに親EU政権が成立し、クリミアにNATO軍の基地ができるような事態をロシアが恐れても不思議はない。
 ロシアが自国の利益を守ろうとするのは当然のことかもしれない。しかし、時は既に冷戦の時代ではない。仮にロシアとEUやアメリカが対立しているとすれば、それは何を根拠とする対立ということになるのだろうか。
 今回のクリミア問題には、国際政治の古くて新しい論争の要素もあると廣瀬氏は指摘する。クリミアはロシア系住民が6割を占める親ロシア地域だ。ロシアとウクライナのどちらかを選ばなければならない住民投票を行えば住民の多数がロシアを選ぶ可能性が高い。実際に、このたび行われた住民投票でも、反ロシア陣営のボイコットなどもあり、投票結果は9割以上がロシア側につくことを選択している。そして、民族自決は国際政治の大原則の一つでもある。しかし、その一方で安倍首相がハーグで「力を背景とする現状変更は認められない」と語ったように、現状維持も国際政治の大原則の一つだ。今回ロシアはクリミア問題では民族自決をその正当性の柱に据えているのに対し、日本を含むアメリカ陣営が現状維持を主張する構図になっている。クリミアの住民投票の正当性はさておき、もし住民の大半がロシアへの編入を真に望んでいるのであれば、単に現状変更だけを理由にそれを妨げることに絶対的な正義があるとは限らないのも事実なのだ。
 今回、宮台真司氏に代わって司会役を務めた国際政治学者の山本達也氏は、「従来の秩序や考え方とは異質の何かがすでに生まれているのではないか」として、その一つの可能性としてあらゆる国で「国家を維持することが難しくなっている」点をあげた。大国意識だの帝国主義的拡張といった大層なものではなく、ロシアをロシアとして維持するためにはクリミアを手放すことができないというのだ。現にクリミア情勢を受けてプーチン大統領の支持率は急騰しているという。
 ロシアによるクリミア編入は国際政治の歴史的な文脈の中でどのような意味を持つのか。これが今後の国際政治の流れの一つの源流を作る可能性はあるのか。そうした中で日本は何を考えなければならないのかなどについてゲストの廣瀬陽子氏、国際政治学者の山本達也氏とともに、ジャーナリストの神保哲生が議論した。

消費増税では日本の財政は救えない

(第677回 放送日 2014年04月05日 PART1:59分 PART2:51分
ゲスト:小黒一正氏(法政大学経済学部准教授)

 そもそも何のための増税なのだろうか。
 4月1日から消費税率が8%に引き上げられた。僅か3%ポイントというが、6割の増税である。
 今回の増税の大義名分は「日本の社会保障を守るための安定的な財源確保」とされ、社会保障の膨張で危機的な状況にある日本の財政を再建するためには、どうしても消費増税が不可欠であると説明されている。われわれの年金や医療保険を守るためにはやむを得ないと考え、厳しい経済状況の下で増税の苦難を甘受している人も多いにちがいない。
 しかし、法政大学准教授で財政問題に詳しいゲストの小黒一正氏は、今回の消費増税では財政再建は達成できないし、社会保障も守れないと断言する。
 仮に日本がアベノミクスでデフレから脱却し成長軌道に乗ることができたとしても、現在の日本の財政構造は社会保障関連の義務的経費が、増税による税収の増額分を上回るペースで増えているため、今回程度の増税では到底財政再建など夢のまた夢だというのだ。
 小黒氏によると消費税を1%上げるごとに2.7兆円程度の増収が見込まれる。しかし、少子高齢化が進む中、社会保障関連費は毎年3兆円ペースで増え続けている。消費税1%の増収分はわずか1年で相殺されてしまう計算になる。今回は3%の増税だから、3年ほどで食いつぶす計算になるが、これでは社会保障関連費を賄うだけのために、3年後から毎年1%ずつ消費税を上げないと追いつかないことになる。しかも1%の増税では、辛うじて社会保障関係費の増加分を補うだけで、予算全体の不足分を解消して、貯まっている借金の元本を減らすなどとても無理な状況だ。
 現在でも日本の一般会計予算が、50兆円規模の赤字で辛うじて運営されていることを考えると、仮に日本のGDP総額約500兆円が年2%ずつ成長して税収が増えたとしても、公債依存度50%、累積債務残高1,000兆円以上という惨憺たる財政の現状は全く変わらないことになる。アベノミクスでデフレから脱却し経済が成長軌道に乗れば、日本にも明るい未来への道筋が開けてくるかのような話が流布されているが、それは全くの誤解であり、安倍首相がどんなに力説しようが、また日本経済がどんなに成長軌道に乗ろうが、今後消費税は上げつつけなければならないというのが実情だと、小黒氏は言う。
 それでは、日本が財政破綻を避けるためには、一体どこまで消費税を上げないといけないのか。小黒氏は、現在の財政構造では、毎年の歳入と歳出を同じ規模にして赤字を無くすという最低限の現状維持だけでも、「25%から30%の消費税が必要になるだろう」と試算する。しかもこれだけ消費税を上げても累積債務1,000兆円のうち、その利払いをかろうじてカバーするだけで、元本は丸々残ったままなのだ。
 財政を再建するには、税収を増やして歳出を抑える以外に有効な手立てはない。しかも、ここまで財政状況が悪化したら、5年、10年ではなく、20年、50年の時間をかけて改善していくほかない。数パーセントの消費税率の引き上げや成長戦略だけでは全く焼け石に水だ。まずは年金や医療を含む社会保障制度を抜本的に見直すなどして、歳出を大幅に削減することが急務だが、今の政府にそれを実行する意欲も能力も、そしてその気概も、とても期待できそうにない。また、そもそも国民にその痛みを受け入れられる用意があるとも到底思えない。
 今回の消費増税で日本の社会保障を守ることができるのか。財政再建は可能なのか。財政の実態を参照しながら、ゲストの小黒一正氏とともに、歳出削減の先にある社会保障制度改革の必要性やアベノミクスの効果と副作用、今後の消費税の在り方などについて、経済学者の小幡績氏と社会学者の宮台真司が議論した。

小保方問題にすり替わってしまったSTAP細胞騒動の核心部分

(第678回 放送日2014年04月12日 PART1:1時間5分 PART2:33分
ゲスト:八代嘉美氏(京都大学iPS細胞研究所特定准教授)

 事実であることが確認されれば、人類にとって歴史的な快挙となり得るSTAP細胞をめぐる論争が、奇妙な展開を見せている。端的に言えば、STAP細胞問題が小保方問題にすり替わってしまったようだ。
 STAP細胞は刺激惹起性多能性獲得細胞(=Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency cell)の英語表記の頭文字を取ったもので、リンパ球などの体細胞を酸性溶液に浸すだけで細胞の機能が初期化され、生物を構成する様々な器官が生成されるという、正に画期的なものとして紹介された。それが事実だとすれば将来、再生医療や難病治療などに新たな道を拓く可能性が期待されるからだ。
 科学誌「Nature」の2014年1月30日号に掲載されたその論文が、これまでの細胞生物学の常識を覆すようなあまりにも衝撃的な内容だったこともあり、STAP細胞そのものもさることながら、日本国内ではその論文の筆頭執筆者だった30歳の女性研究者小保方晴子氏個人にメディアの関心が集中した。
 また、その間その論文は世界的にピアレビューに晒され、多くの疑問が呈されるようになった。
 中でもとりわけ問題視されたのが、小保方氏が執筆した論文部分の写真データに、操作や差し替えがあったとの疑惑が指摘された点だった。
 STAP細胞は本当にあったのか、小保方氏は悪意を持って不正を働いたのか等々、メディア報道が過熱する中、小保方氏の所属する理化学研究所が独自の調査を行い、小保方氏に不正や捏造があったする調査結果を4月1日に発表した。
 そして今週水曜(4月9日)、小保方氏は2ヶ月あまりの沈黙を破り、氏の不正を認定した理研の調査結果に不服申し立てをすることを発表するための記者会見を開催した。平日の午後1時という時間帯にもかかわらず、テレビ局各局が他の番組を中断してまで一斉に生中継をするほど注目度の高いものとなったこの会見で、小保方氏は自らの未熟さと不勉強さを侘びたものの、論文の不備は単純なミスの結果であり、自分に悪意はないことを繰り返し強調した。また、小保方氏はその会見で何度も、STAP細胞は間違いなく存在すると断言した。
 確かに話題性に富んだニュースではあろう。メディアの多くが「割烹着」「ピンクの壁」「リケジョ」などと小保方氏個人にクローズアップしたくなるのもわからなくはない。また、理研が小保方氏の不正を認定したことで、小保方氏だけが悪者にされている現状に違和感を持っている人も多いに違いない。
 そこはメディア報道のあり方や社会と科学の関わり方、そして科学コミュニケーションのあり方など、多くの課題があるだろう。また、理研という税金で運営されている組織のあり方や、科学倫理教育のあり方についても、これを機に議論を深めていく必要があるだろう。
 しかし、それらは何れも副次的な問題だ。この問題は日本を代表する政府系の研究所の研究者が中心となって、科学史に金字塔を打ち立てることになるかもしれない画期的な発見の発表を世界有数の科学雑誌上で世界に向けて行った。しかし、論文に数々の不備、それも本来であれば科学論文にはあってはならないレベルの初歩的な不備が見つかり、もしかすると世紀の大発見がただの勘違いだったかもしれないというところにある。要するに、今回の問題の核心は一にも二にもSTAP細胞の発見は事実だったのかどうかにあるはずだ。
 京都大学iPS研究所の特定准教授で、万能細胞の研究に詳しいゲストの八代嘉美氏は今回は研究のデータを操作している以上、「科学的に見て論文の信頼性は落ちている」と指摘。科学では論文以外に事実を確認する方法はない以上、STAP細胞の存在自体が信頼できないものになっていると語る。
 データの操作そのものは許されないとしても、もしSTAP細胞の発見が事実であれば、小保方氏の功績は揺るがないかのような指摘があるが、八代氏は論文によってSTAP細胞の存在が科学的に証明されていないとすれば、小保方氏はSTAP細胞が存在するという仮説を説いたに過ぎないということになり、そこに一定の功績を認めることにも疑問を呈する。
 八代氏はまた、外的な刺激を与えれば細胞が初期化するという仮説は以前から存在し、それを実現したとする論文も何度か発表されてきたが、いずれも再現性が確認できずに否定されているという。
 とは言え、今ではあたり前になっている定説の多くも、常識破りの仮説から実証に至った例が少なからず存在することも事実だ。ガリレオの地動説も当時は神をも冒涜する大暴論だった。小保方論文の科学的信頼性が揺らいだことで、現時点ではSTAP細胞はあるともないとも言えない、仮説の域を出ないかつての状態に戻ってしまったというが、もしその存在を実証できればそれが世紀の大発見であることは間違いない。
 八代氏は今回の騒動の結果、時間とお金をかけてあらためてその可能性を探ってみようと考える研究者が出てくるモチベーションは下がってしまったのではないかと言うが、例え仮説とは言え、今回の論文で小保方氏らが示した可能性が次の研究や発見に繋がる可能性に期待したい思いを持つ人も少なくはないだろう。
 小保方問題にすり替わってしまった感のあるSTAP細胞問題の本質とは何かを、ゲストの八代嘉美氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

武器輸出解禁で日本が失うものとは

(第679回 放送日 2014年04月19日 PART1:53分 PART2:46分)
ゲスト:加藤朗氏(桜美林大学リベラルアーツ学群教授)

 平和主義を国是に掲げる日本が製造した武器が、戦争に使われるようなことがあってはならない。そんな考えから日本は国外に武器を輸出しないという基本方針を1967年以来守ってきた。
 安倍政権は「武器輸出三原則」と呼ばれるその方針を破棄し、武器輸出を可能にする政策への転換を4月1日に閣議決定した。
 武器輸出三原則は1967年に佐藤政権が主に共産圏や紛争国に武器を輸出しない方針を表明し、76年には三木政権が基本的にどこの国に対しても武器輸出は慎むとの方針に格上げして以来、約半世紀にわたり日本が守ってきた一線であり、非核三原則と並び日本の戦後平和主義を象徴する政策でもあった。
 しかし安倍政権は日本を取り巻く安全保障環境の変化を理由に、国会の議論を経ずに閣議決定という形で、重大な政策変更を強行してしまった。
 政府は政策変更のメリットとして、米国をはじめとする友好国と最先端の武器の開発プロジェクトへの参加が可能になることで、高いレベルの技術共有が可能になると説明している。また、これまで地雷除去装置のような人道目的で使われる装置も、法律上は武器として扱われるため、友好国に輸出することができなかったが、それも可能になると、そのメリットを主張する。
 しかし、いかなるメリットがあろうとも、まず日本で作られた武器が戦争に使われて、殺傷される人が出る可能性が生まれることは、戦後政策の大きな転換となることはまちがいない。仮に日本が、紛争当事国への日本製武器の直接の輸出を控えたとしても、政府がメリットとして強調する武器の共同開発プロジェクトに日本が参加すれば、その武器が実際に戦場で使われる可能性は非常に高い。その結果として日本が失うものが何なのかを、政府は十分に精査できているのだろうか。
 しかも、政府が強調するメリットそのものが、どうも怪しいという指摘が根強い。国際的な武器取引や安全保障問題に詳しい桜美林大学教授の加藤朗氏は、今回の政策転換で武器輸出を解禁したところで、そもそも日本の防衛産業には国際的な武器市場での価格競争力がないため、日本の武器が世界で広く流通するような状況にはないと語る。また、共同開発に参加をしても、最先端技術の部分はブラックボックス化されていて、日本にそのノウハウが落ちてくると考えるのは安易過ぎると加藤氏は指摘する。
 また、武器輸出三原則はあくまで基本方針だったために、弾力的な運用がなされてきた経緯があり、今無理にそれを変更する必要性が感じられないと加藤氏は言う。日本は過去にもアメリカに防衛技術を供与したり、インドネシアに巡視艇を輸出するなど、例外を設けて限定的ながら武器の輸出を行ってきた経緯もある。
 どうも武器産業がそれほど潤うわけでもなければ、共同プロジェクトの参加によって最先端の技術やノウハウが日本に落ちてくることも、それほど期待できそうにない。しかも、これまで通りの弾力的な運用で、共同プロジェクトへの参加や特定の国に特定の武器を輸出することは十分に可能だったとの指摘もある。では、なぜ今わざわざ国是として大切にしてきた、平和主義の象徴とも言うべき基本方針を、破棄する必要があったのだろうか。
 加藤氏は、正に武器輸出三原則が「非核三原則とともに平和憲法を具現化する外交上の宣言政策」(加藤氏)だったからこそ、安倍政権にとってそれを破棄することに意味があったのではないかとの見方を示す。つまり、実質的な効果やメリット云々よりも、日本が「武器も輸出できる普通の国」になったことを世界に知らしめるアナウンスメント効果に今回の政策転換の真意があるのではないかと言うのだ。そこに安倍政権が目指す「戦後レジュームからの脱却」という隠れた真意があるのではないかと言うのだ。
 しかし、安倍政権はその政策変更やアナウンスメント効果が、かえって中国や近隣諸国を刺激して、さらなる緊張の拡大や軍拡へと繋がる可能性を精査した上での政策変更だったのだろうか。単に首相自身や政権中枢の「思い」や「見栄」を優先した結果の、向こう見ずな政策だとすれば、日本にとってそのコストは余りにも大きいと言わねばならない。
 国会の議論を経ずして行われた武器輸出三原則の破棄が、日本の国際社会における立場をどう変えるのか。政策変更に本当にそれだけのメリットがあるのか。それによって日本が失うものとは何なのか。ゲストの加藤朗氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

あなたが変われないのは実は変わりたくないから?!

(第680回 放送日 2014年04月26日 PART1:58分 PART2:54分)
ゲスト:岸見一郎氏(哲学者)

 アドラー心理学をご存じだろうか。オーストリアの心理学者アルフレッド・アドラーが20世紀初頭に創始した心理学の一体系で、海外では同時代に生きたフロイト、ユングと並ぶ心理学界の三大巨頭と呼ばれることが多いアドラーだが、なぜかこれまで日本ではあまり広く知られてこなかった。ところが今、このアドラー心理学を取り扱った『嫌われる勇気』という本が、発行部数にして20万部を超える大人気だと言う。なぜ今、日本でアドラーが受けるのか。
 総務省のアンケートによると、今日本ではLINE, Twitter, Facebookなど何らかのソーシャルメデイアを利用している人は57.1%にも達しているという。ソーシャルメディアはネットを通じて物理的に離れている人たちと常時繋がることを可能にしてくれる便利なツールだが、逆に四六時中繋がり続ける中で、うっかり発した一言や、一度でも「いいね!」をクリックしなかった程度のことで人間関係に亀裂が生じるなど、常に対人関係で緊張感を強いられるような状況を生んでいることも事実だろう。要するに、今われわれの多くが、常に嫌われないように気をつけていなければならない状態に置かれることから生じている「SNS疲れ」の中で、「別に嫌われてもいいじゃないか」と言い切るこの本が多くの人を惹きつけているようなのだ。
 この本の著者で日本におけるアドラー心理学研究の第一人者でもある哲学者の岸見一郎氏は、アドラー心理学の第一の特徴として、フロイトなどが説く人の今がトラウマなど過去の経験によって規定されるとするとする「原因論」ではなく、個々人がその経験に与える意味や目的によって自らを決定するとする「目的論」をあげる。「人が変わりたいと思っても変われないのは、変わらないことが目的になっているからだ」とアドラー心理学は説く。「変わりたい、変わりたい」と言いながら変われないのは実は自分は本当は変わりたくないからだと分析し、それは変わらないことに自分でも自覚しない何らかの目的やメリットを感じているからなのだと結論づける。
 そのため目的論に基づくアドラー心理学ではフロイトが主張する「トラウマ」を明確に否定する。われわれは現在の状態や行動の理由を当たり前のように過去の経験に求めるが、アドラー心理学では「過去は変えられないのだから」(岸見氏)、どんなに過去の経験を分析してみても、今、自分が抱える問題の本質的な解決にはつながらない。それよりも過去の経験に自分がどんな意味を与えているかを直視し、そこを手当てすることの方が、問題の解決にはより有効だという考え方だ。
 「人間の悩みはすべて対人関係」と言い切るアドラー心理学では、キーワードとして「勇気」や「自由」という言葉がよく出てくる。例えば、変わりたいけど変われないと思っている人に対して、実は自分は変わることによって生じる現状の変更が恐いから、本心では絶対に変わらないと決心していることを認識させた上で、「現状の変更に向き合う勇気」を、嫌われることを恐れて恋人や友人との関係を変えられないで悩んでいる人に対しては、「嫌われてもいいじゃないかと思える勇気」を持つようなカウンセリングが行われると岸見氏は言う。そして、嫌われる勇気を持てて初めて人は自由になれるとアドラー心理学は説く。
 とかく生きづらいと言われる昨今、もしかするとわれわれは知らず知らずのうちに自らの手で自分の自由を縛っていたのかもしれない。5月病など新年度疲れが出始めそうな今、勇気を持てば人は変われるし、勇気を持てば人はもっと自由になれると説くアドラー心理学の入門編を、岸見一郎氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司がお届けする。

 

vol.66(661~670回収録)

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「減反廃止」で日本の農業は生き残れるか

(第661回 放送日 2013年12月14日 PART1:67分 PART2:34分)
ゲスト:安藤 光義氏(東京大学大学院農学生命科学研究科准教授)

  政府は12月10日に決定した「農林水産業・地域の活力創造プラン」で、「減反政策の廃止」を打ち出したとされる。安倍首相は9日の会見で、「40年以上続いてきた米の生産調整を見直し、いわゆる減反の廃止を決定した。減反の廃止など絶対に自民党できないと言われてきた。これを私たちはやったのだ」と長年の課題だったコメ農政の大転換に胸を張ってみせた。政権の意向を受けたものかどうかは定かではないが、確かに11月下旬頃から大手メディアもこぞって「減反廃止」を大々的に報じている。しかし、専門家や農業関係者からは、今回政府が決定した内容は実際には、安倍首相が誇ってみせたような「減反政策の廃止」とはほど遠い内容ではないかとの指摘が聞こえてくる。
 減反政策というのは、コメの値崩れを防ぐために、転作に対して補助金を出すなどして、コメの生産を管理することである。しかし農政問題に詳しいゲストの安藤光義氏によると、今回、政府が決定した内容では、実際にはこれまで通り転作奨励の補助金は続けられる。いや、むしろ項目によっては新設・増額さえされている。また、これまで政府が行ってきたコメの生産数量目標の管理も、これまで通り政府が行うという。唯一の違いは、これまで都道府県別に割り当てていた生産数量目標を廃止し、政府は国全体の生産目標だけを公表することになった点だという。
 民主党政権時代に鳴り物入りで創設した戸別所得補償制度は5年後の廃止が決まったものの、全体としては従来の補助金農政と変わらない、それどころか項目によっては補助金が増額されている分、農政全体の予算規模は膨らむ可能性すら指摘されているのが、今回の決定の実態なのだ。
 日本のコメ農政は戦後一貫してコメ自給率100%を掲げて進められてきた。1970年代に入ると需要の頭打ちや豊作などもあってコメの供給過剰が表面化し、政府がその需給管理に本格的に乗り出すことになった。政府は毎年の米価を決めて、コメを全量買い上げる一方、コメ農家に対しては、麦や大豆などへの転作を奨励してコメ生産を抑制することで補助金がつく仕組みを設けて全体の供給量を管理するいわゆる減反政策がスタートした。
 安藤氏は減反政策は当初うまく機能していたと評価する。しかし、その後、日本人のコメの消費量は年々減少し、コメ余りが深刻化すると同時に、ブランド米などの自主流通米が拡大したために、今や250万ヘクタールある日本の水田の4割にあたる100万ヘクタールが、減反の対象となってしまった。転作による生産調整も転作率が4割を超えるところが多く、減反という名の補助金によって米価を買い支える日本の農政の基本モデルはもはや限界を迎えていると安藤氏は指摘する。そして更に日本人のコメ離れとTPPなどによる市場からの圧力が加わることは必至な情勢なのだ。かといって、日本の財政の現状を考えると、これ以上のコメを買い支えるだけの財源などどこにもないことも論を待たない。
 なんだかんだ言っても減反はやめられない。一方で、減反による米価の買い支えももはや限界を迎えている。しかも、これ以上買い支える財源もない。安藤氏は、もう少し早ければ減反をやめるという選択肢もあったかもしれないが、もはやそれも難しいという。そのような袋小路にあって、相変わらず抜本的な政策転換を図ることができなかったというのが、今回安倍首相が胸を張り、マスコミ各社が大々的に「減反廃止」と報じた新しい農業政策のもう一つの現実なのだ。
 「日本から4割の水田が消えた時の景色を想像できますか」と安藤氏が指摘するように、日本にとって水田が持つ意味は単なるコメを作る耕作地以上の意味を持つ。今、われわれにはどのような選択肢が残されているのか。それでもこのような弥縫策を続けた場合の最悪のシナリオとはどのようなものなのか。ゲストの安藤光義氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

アベノミクス、この1年の成果と課題

(第662回 放送日 2013年12月21日 PART1:47分 PART2:39分)
ゲスト:熊野 英生氏(第一生命経済研究所首席エコノミスト)

  アベノミクスを旗印に政権の座についた安倍政権が発足して1年が経つ。
 安倍首相は、昨年9月に自民党総裁の座に返り咲くと、デフレ脱却のために日銀による大幅な金融緩和を実施し、2%のインフレターゲットを中心とする一連の経済政策を掲げて総選挙に臨んだ。タイミングが景気の底堅さが見えていた時期とも重なったこともあり、アベノミクス、とりわけインフレターゲット論は、市場に好感を持って迎えられ、以後、市場は円安、株高の相場が続いている。ひとまずアベノミクスはスタート段階では成功を収めたかに見える。ゲストの熊野英生氏も「アベノミクスがロケットスタートを切ったことは事実」と一定の効果を認めるが、その後の公共事業中心の政策には財政健全化への懸念がつきまとい、同時に、本来は消費税増税とセットであったはずの社会保障改革論議が棚ざらしにされているなど、懸念すべき点は多いと指摘する。
 もともと安倍首相はアベノミクスは3本の矢から成ると説明している。1本目は金融緩和によってマネーの供給量を増やすこと、2本目が公共投資による景気の刺激、そして3本目が規制緩和などによる経済成長の実現だ。ひとまず1本目は実現し、2本目も国土強靭化基本法を可決し大型の補正予算を組むなど、着実に実行する方向にある。しかし、本丸とも言うべき3本目の矢については、今のところほとんど中身のある政策が見えてこない。
 折しも16日に発表された日銀の企業短期経済観測調査、いわゆる日銀短観は、企業の業況判断が大幅に改善されるなど、景気回復の着実な進展を示している。今回は中小企業でも景気判断に改善が見られるのが特徴とされているが、日本経済の自律的回復の条件となる企業の設備投資への意欲が十分に回復しているところまでは至っていないようだ。また、なにより、個人所得に依然として下降傾向が続き、個人消費も改善には至っていない。
 一方、18日に公表された11月の日本の貿易統計では、17ヶ月連続の輸入超過、つまり赤字の状態が続いている。熊野氏によると、貿易収支だけではなく、所得移転やサービスなどの輸出入を含んだ経常収支に関しても「数年前には考えられなかった年間での赤字を懸念する声がエコノミストの間でも出てきている」という。事実、月次の数値では既に赤字だった月も出始めている。こうして見ると、ここまでアベノミクスがもたらした経済回復への期待感には、一定の成果は認められるものの、今後、過度な円安に触れかねないリスクや、それがもたらすマイナスなどには依然として注意が必要なようだ。そもそも、肝心な成長分野育成なども、財政出動頼みという従来型の経済政策の域を出ていない。
 来年4月には消費税が8%に引き上げられる。こうした状況の中で、アベノミクスは日本経済をデフレから救い出し、持続的な成長軌道に乗せることができるのか。また、アベノミクスの副作用について、われわれはどの程度懸念をする必要があるのだろうか。ゲストの熊野英生氏と共に、この1年のアベノミクスの成果と課題を、経済学者の小幡績氏と社会学者の宮台真司が議論した。

恒例年末神保・宮台トークライブ
感情の政治に負けないための処方箋

(第663回 放送日 2013年12月28日 PART1:78分 PART2:39分)

  自らを経済再生内閣などと呼んでいたはずの安倍政権が、参院選に勝利するや否や、一気に何でもあり政権の素性を露呈し始めた。昨年12月に安倍政権が発足した時、今年7月の参院選まではアベノミクスなどの経済政策重視の仮面を被り、その本性を現すのは参院選後になるだろうと予想されてはいたが、早速、選挙公約にも所信表明演説にも含まれていなかった特定秘密保護法案を突如提出したかと思うと、その可決をごり押しするなど、悲観的な予想がまさに最悪な形で的中してしまった。
 一方、安倍政権の下では、生活保護法の改正や国土強靱化基本法など、アベノミクスや特定秘密保護法の喧噪にまみれて、日本の国のカタチを変えるほど重大な法律や制度が、ほとんど議論もされないまま幾つも成立している。
 その一例が生活保護法の改正だ。今や日本はアメリカと並んで先進国の中で最も貧困率が高い国の一つになっている。にもかかわらず、日本は公的な生活支援を受ける上でのハードルが最も高い国でもある。ピューリサーチの国際意識調査でも、貧困世帯を政府が助ける必要があると答えた人の割合は日本が世界で群を抜いて低かったが、実際に今日本で起きていることはそれを裏付けてしまっている。そして、公的支援の中でも最後の命綱と呼ぶべき生活保護受給のハードルを更に上げるような法改正が、さしたる議論もないまま行われ、メディアもその意味を熱心に説明しようとしない。主権者たる国民不在のまま、日本という国のカタチが変わってしまっているのだ。
 確かに自公政権は正当な選挙で政権の座についているが、昨年の衆院選も今年の参院選もいずれも実際に両党が獲得した票数は野党の得票総数よりも少なく、過半数を割っている。いずれの選挙も投票率が6割未満だったことと併せて考えると、現政権に投票した人の数は全体の4分の1に過ぎない。要するに、野党が分裂しているがために、4分の1の得票で過半数の議席を得ているに過ぎないのだ。そのような政治勢力が日本という国のカタチを変えてしまうような重大な決定を次々と下していることになる。
 ところが市民社会はそのような悲惨な状況を目の当たりにしながら、それを一向に変えることができない。野党は相変わらず内部分裂を繰り返す体たらくだし、メディアも有効な手立てが打てていない。
 アベノミクスで日銀が円をジャブジャブ刷ってくれたおかげで、一部で景気のいい話も出てきているようだが、この生きづらさはそう簡単には変わりそうもない。
 今年の年末恒例マル激ライブは、そんな生きづらい時代を生き抜くためのキーワードとして、コミュニティと行動の内発化をテーマに議論をしてみた。アベちゃんや2倍返しといった感情の政治に負けないようにするために、自分の価値基準が正しいことを確認できるホームベースを大事にすることと、見返りや打算抜きで行動をとってみることの意味などを、神保哲生と宮台真司が議論した。

2014年、底の抜けた日本を生き抜く

(第664回 放送日 2013年03月30日 PART1:56分 PART2:63分)
ゲスト:東 浩紀氏(哲学者)

  今年最初のマル激は、哲学者の東浩紀さんをお呼びして、生きにくい2014年の日本をどう生き抜けばいいかを考えてみることにした。
 ゲストの東氏は昨年2013年を、「1990年代に始まった改革指向の時代が終わり、変わらなくて良いのだ、変われないのは仕方ないのだということになってしまった年」と位置づける。その無力感や徒労感は、東日本大震災や福島第一原発事故のような国難に直面しても、そう簡単に変わることはなかった。
 東氏自身は福島の風化を食い止めるために、2013年に『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』と『福島第一原発観光地化計画』という2冊の本を上梓し、今、チェルノブイリや福島で起きていることを「観光」という切り口から伝えようとしている。しかし、東氏自身の見通しは暗い。日本全体が福島に同情しているのは確かだが、それならば何とかしようという動きにつながっていないのだ。幾多もの挫折を繰り返す中で日本人の多くが、自分の手に余るものや自分にとって不都合なことから目を背ける癖を身につけてしまったのかもしれない。
 日本人が全体的に劣化していると東氏は指摘する。かつて知識人や指導者たちが当たり前のように伝承してきた教養やバーチュー(美徳)といった感覚が、日本から抜け落ちてしまった結果、社会が「底が抜けた状態」になっている。かつて日本には「立派な大人」が身近にいて、その規範としての役割を果たしていた。しかし、そのような大人と知り合う機会が失われた現代においては、そもそも教養とは何か、立派な人物とは何かといった、人間が社会で生き抜く上で最も基本的な考えを共有することすら難しくなってしまった。
 そこまで劣化してしまった社会を立て直すのは決して容易ではない。しかし、改革に失敗した日本が底が抜けた状態のまま漂流を続ければ、そう遠くない将来、市場から手痛いノーを突きつけられることが避けられない。そうならないようにするためには、またそうなった時に社会がおかしな方向に向かないようにするためには、われわれ一人一人で自分たちの手の届く範囲でできることからはじめ、それを大きなうねりにしていく以外に方法が考えられない。政治だの経済だのといった大きな話では、もうどうにもならないところまで日本は来ているというのが、東氏の見立てだ。
 2014年を、単なる長期低落傾向の延長とせずに、何か将来への希望を持てる1年にするために、今、われわれに何ができるかを、ゲストの東浩紀さんとともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

これから日中関係はどこへ向かうのか

(第665回 放送日 2014年01月11日 PART1:72分 PART2:44分)
ゲスト:富坂 聰氏(ジャーナリスト)

  2013年も押し迫った12月26日、突如として安倍首相が靖国神社に参拝した。首相としては2006年の小泉首相以来、7年ぶりの靖国参拝だった。
 前回の首相在任期間に靖国への参拝を果たせなかったことを「痛恨の極み」と悔いていた安倍首相だが、予想通り中国や韓国が激しくこれに反発したばかりでなく、今回はアメリカやEU、ロシアなどからも批判や懸念を表明する声があがった。これは安倍政権としても想定外だったようだ。年明け早々、実弟の岸信夫外務副大臣や腹心の谷内正太郎NSC(国家安全保障会議)局長をアメリカに派遣するなど、後処理に追われている。
 靖国参拝によって、日中間の正当性をめぐる外交ゲームはパワーバランスを変えたかもしれないと指摘するのが、ゲストで中国事情に詳しいジャーナリストの富坂聰さんだ。
 経済発展を実現し軍事力の増強を続ける中国は、法や秩序を蔑ろにしたまま周辺への膨脹をも辞さない危険な国として国際的には警戒されている。尖閣を含む両国間の問題を日本にとって有利な形で解決するためには、そのような国際世論に訴えることが最大の戦略であり、最強の武器だった。富坂氏は昨年11月に中国が防空識別圏を一方的に設定したことで、国際社会の中国への評価はさらに悪化しており、「対中関係を日本有利に運ぶことが可能になりつつあった」と言う。しかし、そんな矢先の靖国参拝によって、国際社会の日本に対する評価は厳しいものになってしまった。一国の首相が自らの心情を優先するあまり、国際政治上の損得を無視してとった行動によって、日本は大きな国際政治上の利益を失った。まずはそのことをしっかりと認識する必要がある。「安倍首相は中国が仕掛けた罠にまんまと嵌まってしまった」と残念がる。
 それにしても、2012年に野田政権が尖閣諸島を国有化して以降、日中関係は新たな、そして日本が過去経験していないレベルの鬩ぎ合いに入ったように見える。中国の習近平政権は対日強硬姿勢を隠そうともせず、軍事力による威嚇、示威行為をあからさまに行うようになっている。しかし、今回の安倍首相による靖国参拝は、ここまでの中国側の強硬路線を正当化し、国際社会まで中国側に肩入れしかねない格好の材料を、わざわざ日本側から提供したことに他ならならないと、富坂氏は指摘する。
 更に厄介なことに、習近平政権の対日強硬姿勢はもともと反日感情が強い中国国民の支持を集めていることだ。これだけ日中関係が悪化していても中国国内で反日デモなどが起きていないのは、中国の公民の多くが習近平なら日本には厳しく対応してくれるだろうという期待感があるためだと富坂氏は言う。習近平政権は国内事情からも対日強硬路線を維持せざるを得ないようだ。
 そうこうしている間にも、尖閣周辺海域には毎日のように中国船が出没し、領海侵犯も日常化している。昨年1月には中国フリゲート艦による日本艦艇へのレーダー照射事件が起きている。その後も一歩間違えば武力衝突がいつ起きてもおかしくない緊迫した状態が続いてきている。しかも日中間には不測の事態を避けるためのホットライン、緊急連絡回路が確保されていない。同じく関係が悪化している韓国との間には、現場レベルのホットラインを通じて毎日1日40~50回ものやり取りがあるという。短期の改善が望めないまでも、要らぬ衝突を避けるための対話の回路を設置することは特に日本にとって重要なのではないか。
 もはや日中・日韓問題にとどまらず、国際社会の関心事となってしまった首相の靖国参拝問題を、われわれはどう考えればいいのか。安倍首相の靖国参拝を受けて、日中間には衝突を避け関係を改善する手立てはあるのか。中国国内の政治・経済事情を考慮に入れつつ、今後の日中関係の行方について、ゲストの富坂氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

働き方を変えれば日本は変わる

(第666回 放送日 2014年01月18日 PART1:45分 PART2:42分)
ゲスト:渥美 由喜氏(東レ経営研究所ダイバーシティ&ワークライフバランス研究部長)

2014年、マル激は、これから日本が変わっていくための「ツボ」になると思われるポイントを折に触れて取り上げていきたい。
 その一環として、今週は働き方について。
 安倍首相は経済政策の一環として女性の社会進出を「成長戦略の中核」に据え、社会のあらゆる分野で、2020年までに指導的地位に女性が占める割合を30%以上にする目標を掲げている。日本はこれから強烈な人口減少社会に突入する。そうした社会情勢の中で持続可能な経済成長を果たすための一つの処方箋として、「ダイバーシティ」や「ワークライフバランス」という考え方にあらためて注目が集まっている。
 マル激ではお馴染みの「イクメン」として知られる東レ経営研究所の渥美由喜氏は、安倍首相の女性重視政策を予期していなかった。嬉しい誤算を歓迎しているが、ダイバーシティやワークライフバランスが重要なのは、単に労働力として女性の力が必要だからではないことは言うまでもない。女性は言うに及ばずだが、むしろ男性こそそれを必要としていると渥美氏は言う。
 ダイバーシティとは「多様性」などと訳され、社会や企業が女性や障害者、高齢者、外国人、非正規雇用の労働者など多様な人材を広く受け入れ積極的にこれを活用していくことを指す。ワークライフバランスは「仕事と生活の調和」という意味だが、渥美氏によると、ダイバーシティやワークライフバランスを積極的に推進している企業の方が明らかに業績も優れているし、成長性も高い。過去5年間の業績においてダイバーシティやワークライフバランスの推進に取り組んでいない企業が業績を約3割落としているのに対して、積極的に取り組んでいる企業は約1割業績をアップさせている。また女性役員の管理職の割合が高い企業やダイバーシティを重視している企業は法令遵守、コンプライアンスの面でも企業不祥事が起きにくい風土を構築できている傾向にあると言う。
 しかし、日本では依然として長時間労働が美徳とされ、定時であがったり、有給休暇や産休をきちんと消化する社員は、仮に管理能力に優れていたり、営業成績が良かったとしても、社内的に評価されなかったり、同僚から疎まれたりする空気は依然として根強い。
 さらに日本では女性労働者が結婚・出産・子育ての年齢に差し掛かると仕事を辞めざるを得なくなるという構造的な問題も抱えている。渥美氏はこの理由をたくさん働けば所得があがるのが当たり前だった「高度経済成長期の成功体験」からいまだに脱しきれないからだと分析する。労働者の側にも立身出世の意識が依然として強く、これが組織内でも長時間労働をよしとする風土につながっているというのだ。さらに日本の経済成長を下支えしてきた家庭の役割、つまり結婚や出産を機に女性は専業主婦となり、外で働くのは男性という役割がうまく回っているように見えたため、社会の制度、ライフスタイルとして固定化してしまったという。
 日本の男性労働者の育児休暇取得率はわずか1.89%に止まり、一部上場企業の女性役員数は1.2%程度に過ぎない。子育てや教育における政府などの公的支出の対GDP比の割合はOECD加盟国で最低レベルだ。
 しかし、好むと好まないにかかわらず、今後日本はこうした取り組みを推進していかざるを得なくなるだろうと渥美氏は言う。これまでワークライフバランスと言えば、男性が積極的に育児に関わることがポイントだったが、今後、猛スピードで高齢化が進む中、介護の負担をいかに分担していくかが日本社会全体の大きな課題になることは必至だ。そうした状況の中で、仕事だけをしていれば立派とされるようなこれまでの男性像がもはや通用しないことは明らかだ。
 渥美氏はこれからの働き方のモデルとして、「仕事人、家庭人、地域人」の一人3役がこなせているかどうかが問われるようになる。そしてその相乗効果は、これからの働き方や社会のあり方にも大きな影響を与えるだろうと言う。
 われわれはこれからどんな「働き方」を模索すればいいのか。それはわれわれの社会や政治、経済にどのような影響を与えていくことになるのか。ゲストの渥美由喜氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

細川・小泉連合の日本政治史的意味を考える

(第667回 放送日 2014年01月25日 PART1:73分 PART2:50分
ゲスト:中野晃一氏(上智大学国際教養学部教授)

  細川・小泉両元首相の2ショットにわれわれは何を見るのか。
 ともに七十路を超えた彼らが声高に連呼する「即時原発ゼロ」のメッセージを、「引退した老人の戯言」と一蹴する向きもあろう。また、原発に反対する候補が複数出たことで、脱原発陣営の票割れを懸念する声もある。
 しかし、すでに政治の世界では十分すぎるほど功成り名遂げた2人の総理経験者が、あえてここで都知事選に打って出ることの意味は何なのか。
 3・11に国の存亡を左右するほどの大事故を経験しながら、これまで原発は国政選挙の争点にすらならなかった。それは有権者にとって他により重要な関心事があったからなのか、それとも、誰がなっても原発を止めることなどできるはずがないという諦めからくるものなのか。今の東京には原発よりも優先課題があるはずだという意見もあろう。しかし、小泉氏の後押しを受けた細川氏が明確に原発ゼロを謳って都知事選に出馬したことで、好むとこのまざるとに関わらず、原発が初めて主要選挙の争点となったことだけはまちがいない。
 ゲストで政治学者の中野晃一上智大学教授も、細川・小泉連合のインパクトが「閉塞していた政治的な言論空間を広げる可能性がある」と期待を寄せる一人だ。90年代以降の長い政治的閉塞の時代を経て、大きな期待を背負って登場した民主党政権が惨めな挫折に終わったことで、有権者の間にもはや政治には何も期待できないとの思いが蔓延していた。そこにアベノミクスを引っさげて安倍首相が登場した。実は自民党の支持率は民主党に大敗した09年の衆院選の時点からほとんど回復していない。また、安倍氏自身の自民党内の支持基盤も実際は非常に脆弱だ。しかし、野党が四分五裂状態にある上に有権者の間で民主党政権失敗の後遺症が尾を引き、また、アベノミクスによって長年日本を苦しませてきたデフレ脱却に光明が見えたことで、高い支持率を得た安倍政権は一見向かうところ敵なしのように振る舞うことが可能だった。
 しかし、昨年末頃から都知事選で安倍氏を後継者に指命した小泉元首相が脱原発を訴え始め、安倍首相を名指して政策転換を迫るようになった。この呼びかけに安倍政権が下した答えは、原発を今後も日本の重要なベース電源と位置づけ、再稼働を進めることを謳った新しいエネルギー基本計画だった。既得権益や岩盤規制を、全く切り崩すことができなかったのだ。
 小泉氏にしてみれば、安倍首相への不満が募っていた。自らが身を賭してぶっ壊したはずの古い自民党とその支持基盤の再結集を図り、その政治資産を秘密保護法や靖国参拝に消費した。脱原発への政策転換によって日本を大きく変えるチャンスを与えられながら、一向に改革を進められない安倍政権はもはや支えるべき対象ではなかったのだろう。
 脱原発を掲げた小泉元首相の細川支持によって、野党陣営はもとより、自民党内にも一つの対立軸が形成された可能性が高い。細川氏が正式に出馬を表明した翌日の1月23日、脱原発を主張する河野太郎衆院議員が代表世話人を務める自民党のエネルギー政策議員連盟は、原発の新増設を認めないことや核燃料サイクルからの撤退を求める提言を発表している。
 もちろん、今回の都知事選が原発ゼロのワンイシュー選挙となった場合のリスクについてもわれわれは留意しておかなければならない。東京には防災対策、バリアフリーを含めたインフラ整備、高齢化対策、子育て支援など、取り組まなければならない問題が山積していることも確かだ。しかし、こうした施策は誰が知事になったとしても取り組まなければならない問題であり、各候補とも推進を約束しているが、原発については候補者間の温度差が明快だ。
 この都知事選が、細川氏が提唱する脱原発を通じた省エネ・再エネ化を進め、高度成長期以来の成長一辺倒を志向する社会から、より成熟した豊かを求める社会へと転換する契機となるのかどうかはわからない。しかし、都知事選の結果がどうあろうとも、有権者の間でやや諦めにも似た後ろ向きの姿勢が蔓延していた日本の政治に、新しい息吹が吹き込まれたことだけは間違いないだろう。むしろ問題は、七十路を超え既に引退をしていたはずの2人にしか、それをもたらすことができなかったことなのかもしれない。
 安倍政権の政治基盤の脆弱さを露呈した細川・小泉連合の持つ政治的な意味と、それが今後の日本の政治、社会へ与える影響などについて中野氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
政治権力による放送の私物化を許してはならない

(第668回 放送日2014年02月01日 PART1:58分 PART2:68分
ゲスト:永田 浩三氏(武蔵大学社会学部教授・ 元NHKプロデューサー)

  5回目の金曜日に特別企画を無料放送する5金スペシャル。今回はNHK新会長の発言問題を取り上げる。2001年の「ETV番組改編問題」の渦中にいた元NHKプロデューサーの永田浩三氏(現在は武蔵大学社会学部教授)をゲストに迎えて、なぜ時の政権による放送局への介入がそれほど重大な問題なのかを議論した。
 安倍政権が送り込んできた新しい経営委員らの後押しを受けてNHKの新会長に就任した籾井勝人氏は、その就任記者会見の場で従軍慰安婦や靖国、秘密保護法などに対する持論を披歴した。確かに、籾井氏の歴史認識については初歩的な誤解や誤認も多く、NHKの会長としての資質に疑問が呈されるのは避けられないかもしれない。
 しかし、籾井発言を単なる「NHK会長の歴史認識のあり方」の問題として位置づけるのは、事の本質を欠いている。籾井氏は歴史認識以外にも重要な発言をしている。「政府が右というのに左というわけにはいかない」と発言しているのだ。これはNHKは政府の意向に沿った放送をせざるを得ないとの考えを表明したものに他ならない。
 NHK会長はNHK経営委員会が任命し、経営委員は内閣が国会の同意を得て任命する。予算は国会の承認を必要とし、法律に基づいて徴収される受信料で運営されている。だからといって、NHKがその時々の政治権力の意向に左右されていいはずがない。そこにこの問題の本質がある。
 そもそも籾井新会長の就任会見で従軍慰安婦問題が議題にあがったのには伏線がある。NHKは2001年、当時官房副長官だった安倍晋三氏(現首相)ら自民党の国会議員から従軍慰安婦を扱った番組について「中立公正な立場から放送する」ことを求められ、その意向を受けた役員が制作現場に直接介入し、正規の社内手続きを経ていったんは放送が決まっていた番組の内容を大幅に改編させられる事態を経験している。番組内容が当初の説明とあまりにもかけ離れていたことに対し、取材に協力した市民団体がNHKと関連制作会社に損害賠償を求める裁判を起こした。そして、その裁判の過程で、介入の事実が明らかになっていたのだ。
 当時、その番組のプロデューサーだった永田氏は「安倍氏らはNHK幹部から放送内容の克明な説明を受けた上で、『公正中立な放送をしろ』と言ったことは認めている」ことを指摘した上で、NHKの幹部らが政治家の意見を圧力と受け止め、部下である永田氏らにそれに従うよう命じていたことは明らかだと、当時を振り返る。
   ところが第2次安倍政権は、ETV番組改変事件から教訓を学ぶどころか、あからさまな放送への政治介入を始めた。NHK会長を選出する経営委員会に安倍首相の応援団を自認する委員らを送り込み、続投の意向を見せていた松本正之前会長を引きずり降ろしたうえで、代わりに送り込まれてきた新会長が籾井氏だった。松本前会長については、NHKの「リベラルすぎる」報道姿勢をトップの松本氏が放置しているとして、安倍氏周辺では不満の声が上がっていたという。
 確かに、思想的に右であろうが左であろうが、NHK会長に極端に偏った思想の持ち主がつくこと自体はあまり好ましいことではないかもしれないが、それは今回の問題の本質ではない。むしろ、それ以前の問題として、時の政権が事実上NHKの会長人事に介入するばかりか、予算を人質にとって放送内容に口出しをすることを可能にしている現在の放送法にこそ問題の本質がある。この先、さまざまな政権が誕生するだろうが、そのたびにNHKの報道内容が右に左にとぶれていていいはずがない。
 NHKに限ったことではない。日本では放送免許を政府が認可する仕組みとなっている。先進国では異例なことだ。理由は簡単だ。放送の重要な役割の一つが、時の権力をチェックすることにあるが、時の権力から免許をいただく立場にある放送局にそれができるはずがない。
 われわれはETV事件や今回の政治介入に限らず、過去に繰り返しその弊害が表面化しているにもかかわらず、近代国家としてはあまりにも初歩的な欠陥をいつまでたっても解決できていない。放送局自身も政府に従属的な立場を強いられながらも、その分さまざまな特権を享受していることや、新聞とテレビが系列化している日本では新聞自身が放送について利害当事者となっているために、新聞が放送行政の問題点を中立的な立場から報道できなくなっていることなどが背景にある。もちろん、世論に強い影響力を持つメディアに対する支配的な立場を手放したくない時の権力が、あの手この手を使ってこの構造を守ろうとしてきたことは言うまでもない。
 しかし、メディア、とりわけNHKを語るときに引き合いに出される「公共性」が、時の政府の意向に左右されていいはずはない。メディアや放送が代表している公共性とは、極めて大きなものでなければならないはずだ。
 行政への特権的なアクセスを認められた記者クラブに対する政府施設の無料貸し出し、多くの先進国が禁止、もしくは厳しい制限をかけている新聞と放送の資本相乗りを認めるクロスオーナーシップ、本来は独禁法で禁止されている販売店に対する販売価格の強制を認める再販価格維持制度と、国有地の格安払い下げ等々、これまで政府はメディアをアメとムチで巧みに操ってきた。そして、われわれ市民はそうした特別扱いを公共性の名のもとに容認してきた。しかし、であるならば、われわれには放送局がきちんと公共責任を果たせるような法律や制度を求める責任があるのではないだろうか。
 日本が公共放送のお手本とするイギリスのBBCでは、政治介入を防ぐための手立てが多重的に講じられている。フォークランド紛争の際に、サッチャー政権からイギリス軍を「我が軍」と呼ぶように求められてもそれをはねつけ、あくまで「イギリス軍」と呼び続けたBBCは、NHKと同様にBBCトラストと呼ばれる経営委員会によって運営されている。このBBCトラストの委員は大臣の助言のもと女王が任命するが、その過程では公募制を取り、委員になる人物の能力や資格の明確化や選任プロセスの文書化と透明化、選任プロセスへの外部監査など厳しい外部チェックを受けることで、党派性や偏りを排除し、適性に疑問のある委員の選出を防ぐような手立てがとられている。同じ経営委員会でも、時の政権の意向に沿う形で密室の中で意味不明の基準に基づいて委員が選ばれている日本との違いはあまりに顕著だ。
 実はイギリスでBBCトラストの委員の公共性、中立性、そして適性を外部的に審査する公職任命コミッショナーはBBCトラストの委員のみならず、政府のあらゆる審議会や委員会の委員の人選も監査の対象としている。日本ではほとんどすべての政府系の委員会や審議会が、時の政権や官僚の御用委員会と化していることは今更指摘するまでもないが、この問題もまた、NHKの経営委員会問題とも根っこは同じなのだ。
 2001年のETV番組改編事件を見るまでもなく、これまで放送局はことごとく権力の介入に甘んじてきた。権力にとっては世論を左右する放送に対する影響力はあまりに美味しい権限だ。制度がそれを可能にする以上、そうならない方が不思議と言っていいだろう。しかし、ここにきて安倍政権がこれまで以上に露骨な形で放送への介入を行ってくれたおかげで、国民の公共的な利益を守る立場にあるはずの放送が、実は時の権力に完全に隷属してしまっている実態が、期せずして明らかになった。この際、イギリスの公職任命コミッショナー制度などを参考に、放送行政のあり方、引いては委員会、審議会のあり方を抜本的に見直すべき時がきているのではないだろうか。
 NHKに代表される時の政治権力とわれわれが守るべき公共性との関係などについて、ゲストの永田浩三氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

利権の復活を目論む詐術を見抜け

(第669回 放送日 2014年02月08日 PART1:56分 PART2:51分)
ゲスト:古賀 茂明氏(元経産官僚・古賀茂明政策ラボ代表)

  2月9日に投開票を控えた東京都知事選で、原発が争点としてふさわしいかどうかをめぐりさまざまな意見が交わされている。そもそも原発がない東京で原発が選挙の争点になるのはおかしいという意見がある一方で、電力の最大の消費地である東京がそのエネルギー源をどうすべきかが争点になるのは当然との意見もある。元経産官僚で政治と官僚機構の関係に詳しい古賀茂明氏は、一度は壊れかけた利権が安倍政権の下で続々と復活を遂げていることを指摘した上で、日本を代表する利権である原発の是非は、日本の政治が再び既得権益に蹂躙される利権政治に戻るかどうかがかかっているという意味で、重要な争点になるという。
 日本が福島第一原発の事故を真摯に受け止め、原因や問題点を十分に精査した上で、原発再稼働のメリットとリスクを厳しく比較衡量し、中立的な立場から再稼働を論じているのであれば、まだわかる。しかし、実際は「世界一厳しい安全基準」や「原子力規制委の独立性」といった、おおよそ現実とかけ離れた嘘で国民を騙し、無理矢理再稼働に持って行こうとしているのが現実だと古賀氏は言う。
 どうやら原発そのものをどうこうする以前に、日本の利権構造を根底から変えていかない限り問題は解決しそうにない。ところが安倍政権になってから、予算や規制で既得権を守る一部の政治家とそれを表面上補佐するように装いながら天下り先の確保に走る行政官僚、そしてその利権にぶら下がる利権団体と産業界という巨大な利権共同体が軒並み復活してきていると古賀氏は指摘する。
 古賀氏によれば、安倍政権はその利権構造を守るために国民を誘導したり欺く手口が、より高度になってきている。かつては霞ヶ関文学と呼ばれる官僚詐術的な言葉が国民の代表である国会をいかに操縦するかがポイントだった。ところが現在は、官僚と政治家が協力して、非常に高度な世論誘導をやるようになっているというのだ。
 巧みに世論を誘導しながら裏では既得権益や利権を温存し、しかも自分たちが改革派であるかのように装うことを可能にするほどまでに高度化した権力の「詐術」にわれわれはどう立ち向かえばいいのか。このまま騙され続けた場合、それは日本の将来にどのような結果をもたらすのか。われわれはどうすればその詐術に騙されなくなるのか。ゲストの古賀茂明氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

自民党が原発をやめられない理由

(第670回 放送日 2014年02月15日 PART1:45分 PART2:43分)
ゲスト:河野 太郎氏(衆議院議員)

  安倍政権は一体全体どんな展望があって、再び原発推進に舵を切ろうとしているのだろうか。
 東京都知事選で自民党が推す舛添要一氏が脱原発を主張していた宇都宮・細川両候補に勝利したことで、安倍政権は懸案だった原発再稼働へ向けて動き出した。事実上原発推進を謳ったエネルギー基本計画の策定作業も、速やかに進めるという。
 当初、政府は2030年代末までに原発ゼロを謳った民主党政権のエネルギー基本計画を破棄し、原発を重要なベース電源と位置づけた新たなエネルギー基本計画を1月中に閣議決定する予定だった。しかし、原発ゼロを掲げる小泉純一郎元首相の後押しを受けた細川護煕元首相の都知事選出馬で、にわかに原発問題が注目を集め始めたと見るや、選挙後まで閣議決定を先延ばしにしてまで、原発が都知事選の争点となることを避けてきた経緯がある。
 選挙から一夜明けた10日の予算委員会で早速、安倍首相はエネルギーの「ベストミックス」を目指したエネルギー基本計画の策定を進める意向を示した。ベストミックスというのは経産省が考え出した霞ヶ関文学で、要するにこれからも原発を継続することの意思表明に他ならない。
 政権中枢を含め原発推進が主流を占める自民党内にあって、一貫して脱原発を提唱し続けている衆議院議員の河野太郎氏は、そもそも現在のエネルギー基本計画の原案では、自民党の選挙公約に違反していることを指摘する。自民党は政権に返り咲いた2012年の衆院選で原発をあくまで「過渡期の電源」と位置づけ、できるだけそれを減らしていくことを約束していた。今になって原発を「重要なベース電源」とするのは公約違反になるというわけだ。
 河野氏が代表を務める自民党脱原発派のエネルギー政策議員連盟は、政府のエネルギー基本計画の原案に対抗する形で、原発の新増設・更新は行わず、核燃料サイクルも廃止して「40年廃炉」を徹底することで緩やかに脱原発を実現するための提言を策定し、政府と自民党に提出している。
 しかし、河野氏は自民党内では実際に脱原発の声をあげられる議員の数は党所属国会議員409人中せいぜい50人前後ではないか。電力会社やその関連会社、電気事業連合会と経団連、そして電力会社に依存する企業群や関連団体などから成る「原子力ムラ」は、脱原発を主張する議員に対して、激しいロビー活動を仕掛けている。多くの若手議員から、「原子力村から脅された」となどの相談を受けているが、本心では原発をやめるべきだと考えている議員の多くが、こうしたロビー活動のために身動きが取れなくなっている実態があると指摘する。
 原子力ムラは政治家にとって命綱となる選挙を、物心両面で支えている。パーティ券の購入や政治献金などを通じた政治活動の支援も、電力会社本体はもとより、関連会社、下請け、関連団体などを通じて、幅広く行っている。原発の再稼働を容認しないと発言した途端に、議員の集票や資金集めに支障が出てくるといっても過言ではないほどの影響力があると河野氏は言う。特にやる気のある新人や若手議員は選挙での支持基盤が脆弱なため、電力会社から「次の選挙では支援しない」と言われれば、政治生命の危機に陥るような議員が大勢いるのが実情だというのだ。
 そのような与党内の党内事情と同時に、もう一つ日本が原発をやめられない明確な理由があると河野氏は指摘する。使用済み核燃料の最終処分場を持たず、また核兵器を持たない日本は、原発から出るプルトニウムなどの核のゴミを処理する方法がない。そのため、日本の原発政策は一度発電に使った使用済み核燃料を再処理して再び燃料として再利用する「核燃料サイクル」と呼ばれる遠大な計画がその根底にある。それがないと、日本の原発政策は経済的にも国際的にも正当化できなくなってしまうのだ。
 ところが実際には核燃料サイクル事業は高速増殖炉「もんじゅ」の相次ぐ事故やトラブルで何兆円もの国費を投入しながら、まったく動いていないばかりか、2050年までは実現できないとの見通しを政府自身が出す体たらくにある。
 問題は日本が核燃料サイクル事業を放棄した瞬間に、電力会社が資産として計上している膨大な量の使用済み核燃料がすべてゴミになってしまい、電力会社の経営状況が悪化してしまうことだ。東京電力などは債務超過に陥り、経営が破綻してしまう。
 また、中間貯蔵を条件に青森県六ヵ所村に保管してある使用済核燃料も、燃料の再処理をしないのであれば、各電力会社がそれぞれ自分の出したゴミを引き取らなければならなくなってしまう。元々、そういう条件で青森県に置かせて貰っているのだ。しかし、日本中の原発に併設された使用済み核燃料プールは、既に70%以上が満杯状態にあり、どこもそれを引き取るだけの余裕はない。また、原発の近くに使用済み核燃料を保管することのリスクがいかに大きいかは、今回福島第一原発事故の際に、稼働していなかった4号機がどうなったかを見れば明らかだ。
 河野氏が指摘するように、日本が原発をやめられない理由は実は非常に単純明快だが、問題は日本という国にこの問題を解決するガバナビリティ、つまり自らを統治する能力がないようなのだ。民主党政権もこの2つの問題に明確な解を出せなかったために、脱原発を目指しながら、最終的に策定した計画は「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」のようなやや意味不明なものになってしまった。民主党よりも更に物心両面で原子力ムラへの依存度の高い自民党では、「やめたければ原発をやめられる国」になれる見込みが、ほとんど持てそうもないと言っていいだろう。
 河野氏が率いるエネルギー政策議員連盟は今回政府と自民党に提出した提言のなかで、最終処分場問題の解決には明解な答えを出せる状態にないことを前提に、(1)核燃料サイクルを廃止し使用済み核燃料はゴミとして扱う、(2)それが理由で経営が悪化する電力会社に対しては国が送電網を買い上げることで公的支援を注入する(そうすることで自動的に発送電分離が進む)、(3)各原発が六ヵ所村から引き取った使用済み核燃料は最終処分場問題が解決するまでの間、サイト内にドライキャスク(乾式)貯蔵法によって保管することで、地震や津波などで使用済み燃料プールが損傷して大惨事が起きるような危険な状態を回避すること、などを政府に申し入れている。
 現在政府が公表している新しいエネルギー基本計画はあくまで原案であり、自民党内や国会での議論はこれからだ。河野氏は選挙公約に違反している部分については、党内議論の過程で徹底的に反対し、変えさせていきたいと抱負を述べるが、果たして自民党にそれを受け入れる能力があるか。注目したい。
 本心で原発を推進したいのならいざ知らず、実はやめたいのにやめられないのだとしたら、やめられる状態を作っていくしかない。なぜ自民党は原発をやめられないのか、どんな党内事情があるのか、やめるためにはどうすればいいのかなどを、ゲストの河野太郎氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.65(651~660回収録)

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そろそろ異常気象の原因を真剣に考えてみないか

(第651回 放送日 2013年10月05日 PART1:72分 PART2:51分)
ゲスト:江守 正多氏(国立環境研究所気候変動リスク評価研究室長)

  今や常に世界中のどこかが、熱波や干ばつ、豪雨や洪水、台風、などに見舞われている。世界の気候がいよいよおかしくなっているように思えてならない。
 ご多分に漏れず日本でも、猛暑による熱中症で大勢の人が救急搬送されるのが当たり前になった。その一方で、熱帯のスコールと見紛うばかりのゲリラ豪雨が日常化、竜巻が観測されるようになった。天気予報でよく耳にしてきた「観測史上最高の~」という言い回しは、「これまでに経験したことのない~」に取って代わられつつあり、異常気象が異常でなくなってきている。
 世界に目を転じると、異常気象は更に大きな被害をもたらしている。今年は欧州・ロシアが大雨と洪水被害に見舞われ、ドイツ、チェコなどではそれぞれ2万人が避難を強いられた。アメリカでは昨年10月にハリケーン「サンディ」が東海岸一帯を襲い、ニューヨークでは高潮による洪水、それに伴う停電などで40人以上が死亡して被害総額190億ドルもの損害を出した。
 被害自体は大きく報道されるが、なぜか異常気象の原因に触れる報道や議論は少ない。国立環境研究所気候変動リスク評価研究室長の江守正多氏によると、そもそも気候の変化とは、大気や海流の変動といった「内部変動」と、自然由来の太陽活動の変動や火山の噴火活動である「自然起源の外部要因」、そして人為的な活動による温室効果ガスの排出や開発による陸地面の変化、ダム建設による水流の変化など「人間活動起源の外部要因」が影響し合って生じている。近年の異常気象は、これらの要因の中でも「人間活動起源の外部要因」が大きく影響している可能性が高いという。
 9月27日に公表されたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第5次評価報告書も「気候システムの温暖化については疑う余地がなく、人間活動が20世紀半ば以降に観測された温暖化の主要な要因であった可能性が極めて高い」と、人間活動に由来する外部要因が地球環境に与える影響の深刻さを指摘した。
 異常気象がこれだけ私たちの日常生活に大きな影響を与えているにもかかわらず、議論がその原因に至らないのはなぜか。それは温暖化をめぐる議論はなかなか冷静な議論が難しいからだと江守氏は指摘する。
 そもそも地球温暖化自体は100年あるいはそれ以上にわたる長期のスパンで影響が顕在化する問題だが、人々が数年先の事を考えて行動する余裕すらなくなってきている昨今、100年先の事まで心配するのは容易ではない。しかも、その問題に真剣に対応しようとすれば、ライフスタイルを変えたり経済活動に対する制約を受け入れるなど、大きな痛みを甘受しなければならない。そして、更に厄介なことに、世界中の科学者たちの英知を結集させたIPCCでも、地球温暖化が人間由来であることは95%の確率でしか断言できていない。まだ5%の確率で人間由来ではない可能性が残されていると、IPCC自身が認めているのだ。
 そのような状況であるが故に、地球温暖化をめぐる議論は、科学的な根拠のない感情的な議論に陥ったり、もっぱら経済効率を優先する立場だけを主張してみたり、あるいは環境保護を絶対視する議論が交錯し、神学論争に終始してしまうことが多いと江守氏は言う。
 しかし、神学論争をしている間にも、大気中の二酸化炭素濃度は増え続け、過去80万年で最も高い水準に達している。地球温暖化はある均衡点を超えた段階(tipping point)から突如として激しい 気候の変動が起きるclimate surprise(気候サプライズ)の存在は、以前から指摘されてきた。昨今の異常気象の頻発はいよいよ地球がそのtipping pointに近づいていることを示唆しているのではないのか。
 今あらためて、われわれは地球温暖化の問題をどう捉えればいいのか。ゲストの江守正多氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

小沢一郎に次の一手はあるか

(第652回 放送日 2013年10月12日 PART1:71分 PART2:78分)
ゲスト:小沢 一郎氏(衆議院議員・生活の党代表)

  10月15日から始まる臨時国会で、秋の政治シーズンが幕を開ける。来春の消費税増税や福島第一原発の汚染水問題への対応はもとより、日本版NSC(国家安全保障会議)の設置法や特定秘密保護法案の審議、そして集団的自衛権の行使を可能にする解釈改憲等々、日本の将来を左右すると言っても過言ではない重大な案件が目白押しだ。しかし、先の参院選で大敗を喫した民主党を筆頭に野党は精彩を欠き、今ひとつ盛り上がりが感じられないのも否めない。
 過去20年あまり、良きにつけ悪しきにつけ、常に日本の政治を動かしてきた小沢一郎氏は、現在のこの政治状況をどう見ているのだろうか。
 ある時は自民党幹事長として欲しいままの権勢を誇り、またある時は連立与党を率いて自民党を権力の座から引きずり下ろした。さらには、ねじれ国会の下で自民党の連立パートナーとして政権を翻弄したかと思えば民主党に転じ、同党による戦後初の本格的政権交代の立役者となるなど、この四半世紀、日本の政治の表舞台には常に小沢氏がいた。
 その小沢氏が今、政治家人生最大の試練を迎えている。
 首相就任を目前に秘書が逮捕され、党首降板を余儀なくされた。その上、自身も不透明な検察審査会の議決によって強制起訴を受け、一時的とはいえ刑事被告人の立場に甘んじることとなった。その間、民主党の政権運営は混乱を極め、党は小沢氏を守るどころかその排除に廻った。結果的に小沢氏は同志とともに党を割る道を選ぶ。そうして迎えた2つの国政選挙で、小沢氏は同志の大半を失い、今や僅か9人の議員のみを抱える小政党の党首の座に甘んじている身だ。
 その間、小沢氏が見切りをつけた自民党は確実に議席を増やし、今や自公政権は捻れを解消して、衆参両院の過半数を制するまでに党勢を回復している。
 小沢氏が暴れ回ったこの20年はいったい何だったのか。そして、果たして小沢氏に次の一手はあるのか。  今回がマル激初登場となる小沢氏は、将来について驚くほどに楽観的な見方を示した。09年の総選挙で自分たちの投票によって政権交代を成し遂げた経験を一度味わった日本の有権者たちは、現政権に満足できなければ、必ずやその力を再び行使するだろうと言う。今は有権者の間に民主党政権に対する幻滅の記憶が鮮明な上に、野党が四分五裂状態にあるため、とても政権交代が可能には感じられないかもしれないが、きちんとした受け皿さえ作れば、再び政権交代は可能になると、小沢氏は自信たっぷりに言い切るのだ。  そして、民意を無視した集団的自衛権の行使や憲法改正などを推し進める自民党政権が相手なら、その受け皿作りは十分に可能だとも言う。
 しかし、小沢氏は自分がその旗振り役を演じることには否定的だ。自分が前面に出ると、まとまる話もまとまらなくなるかからだと、満面の笑顔を浮かべながら言うのだ。果たしてこれは小沢氏の本音なのか。
 小沢氏は日本的なコンセンサス型意思決定方式とは一線を画し、政治家自身が自分の責任においてはっきりとした意思決定をする政治手法が日本では嫌われることは十分に承知していると言う。小沢氏が再び日本の政治の檜舞台に立つ日は来るのか。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、小沢氏と議論した。

誰がためにオリンピックはある

(第653回 放送日 2013年10月19日 PART1:71分 PART2:55分)
ゲスト:小川 勝氏(スポーツライター)

  2020年に東京で約半世紀ぶりにオリンピックが開催される。安倍首相が東電福島第一原発事故の汚染水について「アンダーコントロール」と大見得を切って東京招致を成功させた政府は、早速「2020年オリンピック・パラリンピック東京大会推進室」を設置し、国を挙げてこれを盛り上げていく姿勢を見せている。
 オリンピックといえばまず、メダルが期待される競技や日の丸を背負って活躍する選手がもたらす感動への期待が膨らむところだが、わが国での開催となると、競技以外の面でも少し考えなければならないことがありそうだ。
 東京オリンピック招致委員会は東京大会の開催に約3,412億円の予算を見込んでいる。このうち約4分の1にあたる790億円をテレビ放映権料から、協賛企業からのスポンサーフィーで約1,155億円と、総予算の約6割が企業からの出資となる。
 著書『オリンピックと商業主義』の著者でオリンピックの実態に詳しいスポーツライターの小川勝氏は、オリンピックが回を重ねるごとに企業スポンサーへの依存度を高め、もはやオリンピックがスポンサー収入や放映権料抜きには運営できなくなっている実態を指摘する。
 実際、公式スポンサーが導入された76年のモントリオール大会以降、オリンピックの規模は膨らみ続け、その間大会の予算もモントリオール大会の約4,161億円からロンドン大会の約1兆1,350億円と3倍近くに増え、参加国と参加人数も92国・地域―6,043人から204国・地域―約1万500人へとほぼ倍増している。
 19世紀末にクーベルタン男爵がオリンピックを提唱して以来、ナチスドイツによる国威発揚の道具となったベルリン大会や、冷戦の陰で東西のボイコット合戦に発展したモスクワ、ロサンゼルス大会など様々な変遷を経て、今日オリンピックは世界最大のイベントであると同時に、世界的大企業にとって世界最強のマーケティングツールとしての不動の地位を築いたかに見える。そして、それだけ世界が注目する大舞台となったからこそ、そこで繰り広げられるドラマが多くの人に感動を与えるのも事実だろう。
 もちろん商業マネーの力があったからこそ、自力では地球の裏側まで選手を派遣する経済力の無い国の選手たちがオリンピックに参加できるようになった。その資金がアスリートや競技団体を潤して競技のレベル向上やスポーツの振興に役立ってきたことも事実だ。IOCが各国のオリンピック委員会や国際競技連盟に支払う分配金を通じて、世界のスポーツの発展に大きく寄与してきたことはまちがいない。
 しかし、その一方で、大きく膨らんだ商業マネーはしばしば競技の現場やアスリートに過重な負担を強いる。オリンピックの開催時期がアメリカやヨーロッパのメジャースポーツのシーズンを避けるために北半球での猛暑の時期に追いやられたり、大国のテレビ中継に都合のいい時間に合わせるために競技のスケジュールが選手にとっては過酷な時間帯に設定されるなど、商業マネーの負の側面はこれまでにも多く指摘されてきた。しかも、近年、さらに大会規模が膨らんだ結果、企業スポンサーへの依存度はますます増している。そして、企業への依存度が増せば増すほど、大会の運営もアスリート自身も、より大きく企業側の都合や意向に振り回されることは避けられない。 
 華やかな五輪報道の陰でそうした舞台裏の事情はあまり報じられることがない。そのため、ともすればわれわれはもっぱらアスリートの活躍ぶりに熱狂し感動することに終始してしまいがちだが、アスリートたちにとっては、金額が大きくなればなるほど重圧は増してくる。期待されながらメダルを逃したトップアスリートたちは、一様に「すみません」とうなだれるが、彼らはいったい誰に対して何を謝っているのだろうか。誰のためのオリンピックなのかを問い直す必要もあるのではないか。
 1964年、初のアジアでの開催となった東京オリンピックは、先の大戦からの日本の復興と経済成長を象徴づける大会となった。2020年の東京大会では、われわれは世界にどのような価値を発信しようとしているのか。いたずらに商業主義に流されるだけでなく、何か意味のある「祭典」にするために、今われわれに何が必要なのかを、ゲストの小川氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

公文書管理ができない国に秘密権限を与えていいのか

(第654回 放送日 2013年10月26日 PART1:56分 PART2:61分)
ゲスト:瀬畑 源氏(都留文科大学非常勤講師)

  政府は昨日(10月25日)、「特定秘密保護法案」を閣議決定し、衆議院に提出した。安倍政権は本法案をNSC設置法案と並ぶ最重要法案と位置づけ、12月6日まで開かれる今国会中の成立を本気で目指しているようだ。
 特定秘密保護法案とは、安全保障上特に重要とされる機密情報を漏らした公務員を罰することを主目的としているが、何らかの形で機密情報を入手した一般市民も処罰の対象となることから、国民の知る権利を制限する恐れがあるとして、一部から厳しい批判に遭っている。
 同法案の最大の問題点は、秘密の基準が不透明なために、時の政府によってこれが恣意的に運用されたり、政府にとって都合の悪い情報を隠すために濫用されるリスクへの手当てが明らかに不十分なことだ。
 秘密指定の濫用を防ぐためには、どのような情報であれば秘密に指定することが許されるかを定めた明確な基準が規定されていることと、事後にその基準が守られているかをチェックする仕組みが担保されていることが不可欠となる。後でばれないことが分かっていれば、時の統治権力が秘密権限を濫用し、自分たちにとって都合の悪い情報を隠蔽しようとすることは避けられない。
 今回閣議決定された法案では、特定秘密に指定できる情報の基準は別途定めることになっているため、基準の妥当性についてはその策定を待つしかない。しかし、いずれにしても、どれだけしっかりとした基準が作られても、それが守られているかどうかを確認する手段がなければ、意味がない。そこでカギとなるのが公文書管理法との兼ね合いだ。
 行政が保有する文書は基本的にすべて2011年4月に施行された公文書管理法のもとで、すべてファイル化され、保存されなければならないことになっている。しかし、特定秘密保護法によって保護される「特定秘密」は、保護期間中はこの法律の縛りを免除されることになる。そして、本来であれば、その保護期間が切れた段階で、直ちに公文書として登録され保存されることになる。その段階で、秘密指定の権限が濫用されていないかどうかの確認が、初めて可能となるわけだ。
 問題は、今回の特定秘密保護法案では、一旦秘密に指定された文書が、秘密解除後にきちんと公文書管理法に基づいて公開されることを法律が担保しているかどうかだ。秘密にされ、存在すら伏せられていた文書が、公文書として公開されることなくそのまま廃棄されてしまえば、秘密は闇から闇へと葬られることが可能となる。そのような便利な制度を、時の権力が濫用しないわけがない。
 都留文科大学非常勤講師で公文書管理法に詳しいゲストの瀬畑源氏は、公文書管理法では公文書を廃棄する際には内閣総理大臣の許可が必要になるため、秘密指定を受けた文書が廃棄される場合も同様の基準が適用されるはずだと言う。しかし、元々存在すら伏せられていた文書がそのまま廃棄されても、誰にもわからないことから、濫用のリスクが否定できないことも指摘する。
 そもそも特定秘密保護法案では、秘密指定の延長が事実上無限に可能となっている。30年を超えるものについては内閣の承認が必要との条件はついているが、秘密指定された情報の存否すら明らかにしないとの方針なので、秘密指定が延長された事実も、われわれは知ることができない。
 また、現実問題として首相が廃棄する文書の内容の一つひとつを把握できるはずがない。となると、秘密指定を受けた文書が公文書として保存されないまま廃棄される可能性は排除できない。
 これは秘密保護法の問題であると同時に、日本の公文書管理のあり方そのものに問題の本質がある。民主政治の根幹にも関わる公文書管理の問題をこれまで放置してきたことのつけが、秘密保護法案の登場で、突如として大きく顕在化したとみることもできる。
 そもそも情報は誰のものなのか。なぜ欧米では常識となっている公文書管理法が2011年まで日本にはなかったのか。官僚はなぜ情報を私物化しようとするのか。
 日本政府の公文書管理の現状を見ると、政府がどうしても特定秘密保護法案を欲しがるか真意が透けて見える。そのような政府に、公文書の存在すらも秘密にする権限を与えて本当に大丈夫なのか。日本の民主主義は秘密を民主的に管理できるところまで成熟しているのか。ゲストの瀬畑源氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

食品表示の偽装はなぜ問題なのか

(第655回 放送日 2013年11月02日 PART1:56分 PART2:44分)
ゲスト:中村 啓一氏(元農水省食品表示Gメン)

  阪急阪神ホテルズによるメニューの表示偽装問題がメディアを賑わしている。確かに「フレッシュジュース」、「信州そば」、「手作りチョコ」などの表記からわれわれが受ける印象と商品の実態に大きな開きがあったことは問題かもしれない。偽装は不当な利益を貪る行為の誹りは免れないし、食品表示に対する消費者の信頼を揺るがしかねない。
 しかし、今回の偽装問題は過去にあった賞味期限切れの食材や無認可の化学加工剤を使っていたケースのような、食の安全に直接関わる問題ではない。言うなればブランドの偽装だ。それが、ここまで大きく消費者の関心を引く背景には、食品表示全般に対する根深い不信感があるのではないか。
 かつて農林水産省の食品表示Gメンとして数々の食品偽装を監視・摘発してきたゲストの中村啓一氏は、一連のメニュー偽装は、法律に基づく食品表示の偽装とはやや次元が異なるとの考えを示す。JAS法などに基づく食品表示のルールは、消費者に食の安全性などに関する判断材料を提供するためのもので、対面販売やレストランのメニューの表示のような、グルメ的嗜好を満たすものとは異なる。
 例えば、一度冷凍したマグロを解凍して「鮮魚」として売る行為は偽装に当たるのか、信州そばとは長野県産のそば粉を使っているという意味なのか等々、メニュー表示については不明瞭な部分も多く、法律によってどこから先が違法になるのかが、明確に定められているわけではない。
 しかし、中村氏はどんな形であれ食品表示の偽装が、本物を生産・製造している生産者に損害を与えるという意味では許されるべきではないと言う。食品偽装は、偽装をする事業者が不当な利益を得る一方で、消費者を騙す行為だが、同時に、偽装ではない本物のブランド品を製造する生産者にも損害を与える点が見落とされがちだ。消費者のグルメ的嗜好を欺くメニュー偽装の場合も、消費者に対する裏切りであると同時に、本物のフレッシュジュースや信州そばの生産者にとっては、偽物を本物のように扱われたためにブランドに傷が付いたり、本物が売れなくなったりしたら大きな損害となる。
 中村氏によると、食品表示に対する消費者の意識は2001年に国産牛の感染が確認されたBSE問題が大きな契機だったという。それまでは食材の産地などは、例えば松阪牛、黒毛和牛などといったあくまでも高級そうなブランドイメージとして認識されていたが、BSE問題をきっかけにして食品表示が「食の安全」とリンクして考えられるようになったのだそうだ。
 その後、雪印食品による牛肉偽装事件や、全農チキンフーズによる鶏肉産地偽装事件、ミートホープによる牛ミンチ偽装事件、不二家による賞味期限や製造日の偽装問題、「一色うなぎ」を騙ったうなぎの産地偽装事件、事故米不正流通事件など食品表示の偽装問題が相次ぎ、消費者の食品表示に対する不信感が高まった。
 食品の偽装が発覚すると、偽装をした企業や小売店は信用を失い業績が悪化する。多くの場合、倒産したり、店をたたむことになるが、それだけのリスクを冒してでも偽装は後を絶たない。なぜ食品表示の偽装はなくならないのか。中村氏は3つの原因を指摘する。まず取引先からの単価削減要求を飲まざるを得ないケースで、これは高価値のブランド産地食品などを原価の安い食品で代替させたり、製造原価を抑えるために賞味期限の切れた食材をあえて使用したりするという。次いで無理をしてでも商品数をそろえて納期に間に合わせなければならないケースでは食品の産地などを偽装して商品数の帳尻を合わせるなどの不正が行われやすい。そして3つ目は最初から偽装による不正利益を目的とするケースで、うなぎの産地偽装や事故米不正流通事件などはこれに相当する。偽装は必ずしも最初から悪質なものばかりではないということのようだが、中村氏によると、最初はやむにやまれぬ理由で偽装をしてしまった場合でも、その後、「旨味を知って、より悪質になっていったケースも多い」そうだ。
 今年6月に食品衛生法やJAS法、健康増進法などにバラバラに規定されていた食品表示を一つの法体系に束ねた食品表示法が成立し、2年間の猶予期間を経て2015年までに施行されることになっている。一連のメニュー偽装で明らかになったグルメ嗜好な消費者の利益を守ることももちろん重要だが、新しい食品表示法を真に食品の安全に寄与するものにしていくための議論は急務だ。そのためには、どのような情報開示を法律で規定すべきなのか、消費者側に求められる姿勢とはどのようなものか、消費者が本当に必要な情報を得られるシステムとはどのようなものなのか。食品偽装の実情を知り尽くしたゲストの中村啓一氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

われわれは遠隔操作ウイルス事件を正しく裁けるか

(第656回 放送日 2013年11月09日 PART1:84分 PART2:58分)
ゲスト:松浦 幹太氏(東京大学生産技術研究所准教授)

  昨年の6月から9月にかけて、掲示版や自治体のウェブサイトなどに殺人を予告する書き込みなどが行われた事件では、逮捕された4人の被疑者のパソコンがIPアドレスを辿って遠隔操作されていたことが後に明らかになり、誤認逮捕だったことがわかった。その後、犯人と思しき人物から報道機関などに犯行の謎解きを意図するかのようなメールが相次いで届き、警察はほどなく一連の事件の真犯人として、片山祐輔氏を逮捕する。ところが、片山氏は犯行を全面的に否認し、片山氏の使用していたパソコンからも遠隔操作ウイルスが見つかったことで、果たして片山氏が本当に犯人なのか、それとも片山氏もまた誤認逮捕された4人と同様に遠隔操作の被害者だったのかが、大きな関心を呼んでいる。
 この事件は「遠隔操作ウイルス事件」と呼ばれ、来年早々にも公判が始まる予定だが、公判では片山氏が犯人であるか否かをめぐって、高度なコンピュータ・プログラミングやネットセキュリティに関する証拠が提出され、争われることになる。誤認逮捕された4人については、彼らのパソコンから遠隔操作ウイルスが見つかったことで、彼らが実は被害者だったことが証明された。ところが、片山氏の場合、遠隔操作ウイルスが見つかったことが、氏が犯人だったことの証拠とされているのだ。
 今回の事件では犯人と思しき人物から届いた一連のメールに書かれていた行動と、片山氏が実際にとった行動が逐一一致していた。従来の常識からすれば、これだけ行動が一致すれば、片山氏が犯人であることに疑いの余地はないところだが、片山氏のパソコンが乗っ取られていたとすれば、がらりと話は変わってくる。真犯人は乗っ取った片山氏のパソコンを通じて片山氏の行動を逐一察知することで、あたかも片山氏が犯人であるかのようなストーリーを仕立て上げることも可能だからだ。
 恐らく公判では、情報セキュリティの専門家らが証人に立ち、片山氏のパソコンから見つかった遠隔操作ウイルスが、片山氏自身が作成したものなのか、それとも何者かが片山氏のパソコンを乗っ取っていたことの証拠なのかが大きな争点となるだろう。もし片山氏のパソコンが乗っ取られていたことが証明されれば、その犯人は片山氏の行動に合わせてその他の状況証拠を仕込むことが可能だったことも裏付けられるからだ。
 しかし、いざ裁判となった時、情報コンピュータプログラミングやセキュリティの専門家らの証言を、果たして裁判官が正しく理解し、正当な裁きをすることができるのだろうか。専門的な知識を持たない人間が、理解不足ゆえに犯人ではない人間を犯人だと断定してしまったり、あるいはその逆のことが起きる恐れはないのだろうか。
 これはコンピュータ犯罪に限ったことではない。DNA鑑定や高度な測定器などを用いた鑑定技術が刑事司法にも導入され、犯人を特定する能力は飛躍的に上がっている。しかし、仮に鑑定そのものが正確無比であっても、鑑定される証拠の採取やその評価は人間が行うことになる。そもそも何を鑑定すべきかの判断も人間が決めていることなのだ。
 ところが、一旦、高度技術を用いた鑑定が行われると、公判で鑑定の結果に抗うのが難しくなる傾向があることは否めない。それは裁判官や裁判員はもとより、弁護側や検察官までもが、鑑定に用いられた技術の意味を十分正確に理解できていないことに起因する面があるからだ。
 既に死刑が確定している和歌山カレー事件では、事件から15年が経った今、唯一の物証とされたヒ素の鑑定結果に重大な疑問が呈されている。鑑定に用いられた大型放射光施設SPring-8の解析結果は正確だったかもしれないが、そこから得られたデータの評価方法に不備があった可能性が指摘されている。それを受けて和歌山カレー事件は、現在再審請求中だ。
 事実関係を正確に理解するためには高度なコンピュータ技術の知識が不可欠となる遠隔操作ウイルス事件も、同様のリスクを孕んでいないだろうか。高度な知識を持つ技術者のみが理解できるデータや言語を用いて片山氏の犯人性の是非について一定の決着が見られたとしても、果たしてそれを裁判官が正しく理解し、判断できるだろうか。仮にその判断が間違っていたり、おかしかった場合、メディアはそれを正しく指摘できるだろうか。これはコンピュータ技術への関心の有無に関わりなく、犯人ではない人間を犯人にしてしまうかどうかが懸かった、民主主義にとってはもっとも基本的な問題なのだ。
 東大生産技術研究所准教授で、情報セキュリティの専門家であるゲストの松浦幹太氏は「サイバー空間もリアル世界と同じで、ひとつの事柄だけで物事を判断できるわけではない。実世界では様々な情報を総合して判断が下される。サイバー空間でもそれは同じだ」と話し、デジタルな証拠も、従来の物証と同じく犯罪を構成するひとつの要素に過ぎないことを十分に踏まえる必要性を訴える。
 遠隔操作ウイルス事件に代表される高度技術の関与する犯罪や裁判とわれわれがどう向き合うべきか、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司がゲストの松浦幹太氏と議論した。

安倍政権は危険な火遊びをしていないか

(第657回 放送日 2013年11月16日 PART1:47分 PART2:38分
ゲスト:柳澤 協二氏(国際地政学研究所理事長)

  特定秘密保護法、日本版NSC、そして集団的自衛権のための解釈改憲と、安倍政権になって以来、日本外交の根幹に関わる政策変更が立て続けに行われようとしている。いずれも、国会などで十分な議論を経たとはとても言えない状態で強い拙速感があるが、与党が両院の過半数を占める以上、実現の可能性が非常に高くなっているのが実情だ。
 しかし、安倍政権はそのことの意味を正確に理解できているのだろうか。
 政府は、中国などの周辺国の脅威が増しているため、アメリカとの連携を一層緊密にする必要があると主張し、一連の政策変更の正当性を主張しているようだが、元防衛研究所所長で第1次安倍内閣で内閣官房副長官補を務めたゲストの柳澤協二氏は、いずれの政策変更も日本の安全保障に寄与するとは思えないと、その必要性を疑問視する。さらに柳澤氏は、NSC設置に加えて、特定秘密保護法や集団的自衛権の容認などを通じて、安倍政権が何を目指しているかが分からないと、その動機を訝しがる。
 今回は宮台真司氏に代わってコメントした東京外国語大学大学院教授の伊勢崎賢治氏も、アフガニスタンの武装解除を現地で指揮した経験から、集団的自衛権の容認を目指す安倍政権の姿勢は「日本は経済大国なのに戦争をしない国という国際的な評価を覆すことになる」として強い懸念を示す。世界の経済大国は、ほとんどが戦争によってその地位と富を手に入れてきた。日本は戦後、平和憲法の下で、アメリカに国防を任せるという特殊な事情によってではあるが経済繁栄を果たしてきた。諸外国はこうした日本の歴史を肯定的に評価しているというのだ。イラクに自衛隊が派遣された際も日本だからこそ信頼された面も大きいという。
 結局のところ安倍政権は歴史に名を残す何かをやりたいといった功名心や、日本が普通に武力行使をできる国にしたいという単純な動機から、憲法改正や集団的自衛権の行使を目指し、それを可能にするためのツールとして、日本版NSCや特定秘密保護法の制定を目論んでいるとしか思えない。
 安倍政権は日本をどこに連れて行こうとしているのか。彼らはそのことの意味やメリットとディメリットを十分に比較衡量した上で政策判断を下しているのか。戦後のレジュームチェンジを目指す安倍政権が、まさに戦後日本が築いてきた平和国家としてのブランドを投げ捨てることになるかも知れないリスクについて、柳澤協二氏、伊勢崎賢治氏とともにジャーナリストの神保哲生が議論した。

その食品の中身を知ってますか?

(第658回 放送日2013年11月23日 PART1:54分 PART2:46分
ゲスト:小薮 浩二郎氏(食品評論家) 

  ブラックタイガーが車エビと表記されていたり、冷凍モノをフレッシュと表記するなどいわゆる「メニュー偽装」が大きく取り上げられ、一部ではホテル会社社長の引責辞任にまで発展している。そして、いよいよ政府が対応に乗り出すという。
 政府は「食品表示等問題関係府省庁等会議」なる会議を発足させ、すでにホテル、百貨店、旅館などの各業界団体に対し、再発防止策の策定を要請しているという。さらに菅義偉内閣官房長官も「政府が一丸となって取り組む姿勢を示すことで、各社の自主的な取り組みを一層促進することを狙っている」などと、今回の問題に対する政府の見解を述べた。
 法律で求められていないとは言え、メニューの偽装は消費者に対する裏切り行為であり、許されるべきではない。それに、長年本物のブランドの価値を守ってきた生産者の努力を踏みにじる行為でもある。それが発覚した以上は何らかの対応が必要なのはわからなくはない。
 しかし、それにしても昨今の騒ぎようは、食品表示の現実を考えると、少々バランスを欠いているとの思いを禁じ得ない。
 現行の食品表示制度の下では、合法的な表示があっても、実際にはその食品に何が含まれているかがさっぱりわからないのが現実なのだ。
 一般に売られている食品、食材は食品衛生法などの法律によって原則としてその食品等に関する情報を表示しなければならないとされていて、基準に合う表示のない食品等を販売したり、販売のために陳列したり、また営業上使用することはできないことになっている。食品表示は、消費者が食品の正確な情報を入手する上で重要な情報を提供している。誰しも自分が食べる食品が何から作られて、どんなものが含まれているのかは大いに気になるところだろう。なかでも食品添加物は化学合成された物質を含むものも多く、長期的な摂取が健康にもたらす影響を気にする消費者も多いはずだ。
 しかし、現行の食品表示制度は、食品の中身、とりわけどのような添加物が使われているかについての情報を、消費者に提供できているとは到底言えない内容だ。長年食品添加物の研究開発に携わってきたゲストの小薮浩二郎氏は「日本の食品行政は消費者よりも業界に目が向いている」ために、食品表示制度が消費者が本当に必要とする情報を提供できていないと指摘する。
 現在の法律では食品添加物は原則物質名で表示することになっているが、例外として「乳化剤」などの一括表示が認められていて、具体的な食品添加物の名称が分からなくなっていると小薮氏は言う。ちなみに乳化剤というのは「グリセリン脂肪酸エステル」「ソルビタン脂肪酸エステル」「ショ糖脂肪酸エステル」など指定添加物(合成化合物)では10数品目の化学物質の総称なのだが、それぞれが更に数種類の物質を含んでいて総数ははるかに多くなる。そしてそれを複数使用していても、一言「乳化剤」と表示すればいいのだそうだ。
 かつては「天然添加物」と「合成添加物」に類別されていた添加物が、いつの間にか「天然香料」、「一般飲食物添加物」、「既存添加物」、「指定添加物」のように、一般の消費者には意味が理解できないような内容に変更されていたそうだ。
 他にも本来、保存料を添加した場合はそれを表記することになっているが、その添加物に栄養強化目的の機能があれば、表示が免除されるなど、どうも食品表示の実態は、一般の消費者が期待しているものと、ずいぶんと乖離したものになっているように思えてならない。
 政府は食品添加物の安全性は確認されているという立場を取っているが、医薬品などと異なり、食品添加物には治験などヒトでの臨床試験が義務づけられているわけではない。ほとんどの食品添加物の安全性はマウス実験で確認されているのみで、メーカーが申請して指定を受けるという仕組みになっている。小籔氏によると一度指定されれば指定後の人体への影響などの追跡調査などはまず行われないうえに、使用する際の添加物の純度に関する基準も無く、化学的な不純物がどれだけ含まれているのかは事実上よく分からない状態だという。
 添加物が広範、かつ大量に使われている現在、その内容を細かくかつ正確に表示することは現実的ではないかもしれない。しかし、一方で、食品添加物が大量に使われるようになった背景に、表示義務が甘いという側面があったことは否めない。
 小薮氏は消費者がもう少し食品表示に対する知識をつける必要性を強調する。われわれはビタミンという表示をみると体によさそうなイメージを持ってしまいがちだが、加工食品に使われているビタミンはコストのかかる天然由来のものはほとんどなく、化学合成されたものがほとんどだと言う。果たしてわれわれはそのことをどれだけ意識していただろうか。
 小籔氏は添加物が気になる消費者は食品表示の意味やその抜け穴の実態を知ると同時に、必ずと言ってもいいほど多くの添加物が多く含まれる加工食品を極力避けるような食生活を心がけるべきだろうと話す。
 メニュー偽装で騒ぐのもいいが、そもそも偽装されていない食品の表示は正確で妥当なのか。われわれは食品表示の意味をどれほど理解できているか。ゲストの小薮浩二郎氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
秘密保護法が露わにした日本の未熟な民主主義とアメリカへの隷属

(第659回 放送日 2013年11月30日 PART1:104分 PART2:47分)

  5回目の金曜日に特別企画を無料放送する恒例の5金スペシャル。特定秘密保護法案の国会審議が佳境を迎えるなかでお送りする今回は、法案をめぐる一連の議論が露わにした日本の課題を再考した上で、国家機密にまつわる映画を通して秘密法制と民主主義の関係を議論した。
 秘密保護法案については、秘密指定権限が明確に決められていないことからくる濫用のリスクや外部チェック不在の問題など多くの課題が指摘されている。秘密法制は一旦施行されてしまえば濫用や問題点が外から見えなくなる特性があるため、制度設計には十分過ぎるほどの慎重さが求められるのは言うまでもない。しかし、安倍政権は11月26日に特定秘密保護法案の衆院通過を強行し、参院では僅か1週間あまりの審議で何が何でも同法案を12月6日の会期末までに成立させるつもりのようだ。
 政府が保有する情報の中で、国の安全保障に関わる情報の中にはどうしても一定期間秘密にしなければならないものがある事は理解できる。また、法律によって明確に秘密が定義されていないために政府が裁量で自由に秘密指定をしている現状も、決して望ましい状態とは言えない。特定秘密保護法はやり方次第では、政府が秘密に指定できる権限を明確に定義することで、保護されるべき秘密は保護しつつも、これまでのような無節操な秘密指定権限の濫用を防ぐ効果が期待できる、市民社会にとっても歓迎すべき法制度になるはずのものだった。
 ところが、政府から出てきた法案はまったく逆行していた。政府の秘密指定権限を事実上無制限に拡大し、しかも権限の濫用を外部からチェックする機能も盛り込まれていない。民主主義の国としては到底受け入れられない恥ずかしい内容の法案だった。
 「秘密保護法制が必要だ」となった時、政府に任せておくとなぜこのようにあり得ないような法案ができあがってしまうのだろうか。日本には保護されるべき秘密は確実に保護した上で、秘密指定権限の濫用を避けるための最小化措置や外部監査機能をしっかりと盛り込んだ法律を作るだけの民主主義国としての実力がないということなのだろうか。
 国民に主権がある日本では、政府が保有する情報は基本的にはすべて国民のものだ。しかし、日本にはそもそも政府が保有する公文書を厳正に管理して、国民の求めに応じて適宜情報公開する仕組みが十分に整っていない。公文書管理法や情報公開法などが一応は存在するが、いずれも不十分な内容だ。また、憲法で表現の自由が保障されているが、これまでジャーナリズムを担ってきたマスメディアは記者クラブや再販など政府から様々な制度的特権を享受する中で、十分に国民の知る権利を行使してきたとは言いがたい。そうした民主主義のツールの一つひとつをお座なりにしてきたことのつけが、今回の秘密保護法制の議論で吹き出しているようにも見える。
 番組前半では、ここまでビデオニュースが行ってきた取材、関係者へのインタビュー、講演の映像を交えながら、特定秘密保護法案の仕組みや問題点などを改めて再確認した。
 そして番組後半では、映画『密約 外務省機密漏洩事件』に描かれた沖縄返還をめぐる日米密約問題と、国家機密だったアメリカの対ベトナム政策の報告書がニューヨークタイムズにすっぱ抜かれた「ペンタゴン・ペーパー事件」を題材としたアメリカ映画『The Pentagon Papers』を取り上げ、国家秘密が暴かれた後の日米両国の反応の違いなどを議論した。
 ペンタゴンペーパーの内容が報じられ、ベトナム戦争の実態や政府の嘘が露呈したアメリカでは、歴代政権の対ベトナム政策が批判に晒され、インドシナからの撤退へとつながっていった。機密文書の公開という国益を損ねかねない行動が、「国益」の意味を変えてしまったからだった。一方、日本では毎日新聞の西山太吉記者が国家的な陰謀と言っても過言ではない日米密約の存在を暴いたにもかかわらず、西山氏の取材手法ばかりに批判が集中し、政府が国民を欺いていたという事実はほとんど問題とならなかった。この違いはどこから来るものなのか。
 秘密保護法制をめぐる一連の議論を通じて見えてきた日本の政治と社会の現状を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
 今週は5金(その月の5回目の金曜日)に当たるため、恒例通り特別番組を無料で放送します。ニュース・コメンタリーはお休みします。

TPPの知財分野も国民の知る権利に関わる重要な問題

(第660回 放送日 2013年12月07日 PART1:48分 PART2:40分)
ゲスト:福井 健策氏(弁護士)

  国内では国民の知る権利を脅かす特定秘密保護法案が、多くの反対を押し切る形で強行に可決・成立したばかりだが、もう一つ国民の知る権利に関わる重要な交渉が、法案可決の翌日からシンガポールで行われている。12月7日からシンガポールで開かれるTPPの閣僚会合だ。
 日本ではTPPといえばとかく農業分野が取り上げられることが多いが、弁護士で知的財産権や著作権が専門の福井健策氏は、知財分野こそがTPPの本丸だと指摘する。特にTPP妥結に強い意欲を持つアメリカにとって知財は、農産物や自動車分野を遙かに凌ぐ12兆円もの市場規模持つドル箱分野だからだ。
 TPPの交渉が進むにつれ知財分野への関心は徐々に高まってきていた。そうした中で、11月13日にウィキリークスが、知的財産権分野における交渉の中身を露わにする秘密文書を公表した。TPP交渉は秘密保持のもとで進められているので、なかなかその実態がつかめないが、今回流出した文書は8月のブルネイ会合時点のもので、知財分野での交渉項目とその過程、各国の態度などが記されている。TPP知財交渉は最も調整が難航していると伝えられている分野で、その動向をつかむ上でも今回の流出文書は重要な判断材料になる。
 ウィキリークスが明らかにした知財分野の交渉の現状を見ると、予想通り知財大国のアメリカがかなりの無理難題を主張、他の国がこれに是々非々で対応する形となっているようだ。著作権の保護期間延長や著作権侵害の非親告罪化をはじめ、キャッシュなど電子的な一時的記録も複製権に含める、短いフレーズの音や匂いにも商標権を与えるなどは、アメリカの他にも支持する国があり、アメリカの要求に沿った形で妥結する可能性が高いと福井氏は言う。
 特に日本に影響が大きいものとしては、著作権侵害の非親告罪化があげられる。著作権違反が親告罪とされている日本では、著作権侵害は権利者が訴え出ることが必要だが、非親告罪化すれば、権利者からの訴えがなくても当局による取り締まりが可能になる。これが実施されてしまうと、権利者が一定程度まで容認している日本のコミケ文化などの二次利用文化は軒並みつぶれてしまうことが危惧されてもいる。
 また、現状ではアメリカが孤立した形になっている真正品の並行輸入禁止や法定損害賠償金・懲罰的賠償金の導入などあり得ないようなアメリカの要求についても、今後農業やその他の分野とのバーター取引などによって通ってしまう可能性もあるので注意が必要だと福井氏は言う。
 ウィキリークスの編集長を務めるジュリアン・アサンジ氏は「TPPによる知的財産保護の枠組みは個人の自由と表現の自由を踏みにじるものだ。あなた方が読む時、書くとき、出版する時、考える時、聴く時、踊る時、歌う時あるいは発明する時……TPPはあなたをターゲットにする」と発言している。今後長きにわたりわれわれの言論や表現の自由を縛る可能性が十分にある法律や制度の交渉が、密室で行われ、われわれはその実態も進捗も知ることができないでいる。
 11月にウィキリークスが公表した知財交渉の秘密文書は何を示しているのか、日本にとって知財分野において守るべき国益とは何なのか、今後の交渉の見通しはどうなのかなどを、ゲストの福井健策氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.64(641~650回収録)

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日本の右翼はどこへ行ったのか

(第641回 放送日 2013年07月27日 PART1:76分 PART2:62分)
ゲスト:鈴木 邦男氏(一水会顧問)

  安倍自民党が参院選に勝利し、公明党との連立ながら自民党としては2007年以来となる衆参両院での過半数支配を回復した。文字通り、自民党のカムバックだ。内外の論調としては安倍政権の経済政策「アベノミクス」が信任されたとの受け止め方が大勢を占める一方で、今後の日本の右傾化を警戒する向きも多い。現政権の政策に反対する人たちを「左翼」と呼び、憲法改正を叫んで憚らない安倍首相自身の相次ぐ国家主義的言動もさることながら、安倍政権を支持する層の中に強い右翼的な傾向が見られるからだ。
 しかし、ゲストで右翼団体「一水会」顧問の鈴木邦男氏は安倍氏を支持する団体の中でも、反韓デモを繰り返すなどの行動が目に付く在特会(在日特権を許さない市民の会)などの団体は右翼ではないと一蹴する。「右翼は排外主義は取らない。かつて日本の右翼が孫文を支援したことからもそれは明らかだ」「日本人だろうが、外国人だろうが、義のために行動するのが右翼だ」と鈴木氏は言う。
 そもそも日本は本当に右傾化しているのだろうか。確かに今の日本は経済格差が広がり、若者の多くが雇用不安を抱える中で、現状への不満が鬱積している。更に、社会保障制度のゆがみや財政赤字問題など将来に向けた展望もなかなか開けない状態にあるのは確かだ。こうした不満のはけ口が弱者に向けられ、排外主義への共感に結びついている。真の意味での右翼が活動を活発化させているわけではない、と鈴木氏は言う。
 しかし、現状に不満を持つ人がソーシャルメディアなどを使って感情に訴えるような情報を発信すると、多くの賛同者が集まる。投稿した本人もまるで自分の主張が信認を得たかのような錯覚に陥り、更に投稿をエスカレートさせる。このような負の連鎖がネット上で拡大し、あたかも日本全体で右翼運動が活発化しているかのようなのような誤解を生んでいると、鈴木氏は指摘する。
 右翼とは何か。保守思想とは。鈴木氏は「右翼は喜怒哀楽の感情を超えて義のために行動する」と言うが、その右翼はどこに行ったのか。右翼思想や保守思想、愛国や憂国の理念とはどのようなものなのか。長年にわたり日本の右翼運動を率いてきたゲストの鈴木邦男氏とともに、哲学者の萱野稔人、社会学者の宮台真司が議論した。(本日の司会は出張中の神保哲生に代わり萱野稔人が担当します。)

ネット選挙解禁で見えてきた日本の政治の本当の問題

(第642回 放送日 2013年08月03日 PART1:48分 PART2:50分)
ゲスト:西田 亮介氏(立命館大学大学院特別招聘准教授)

 「ネット選挙が実現すれば政治は変わる」といったバラ色幻想は捨てなければならなそうだ。  先の参議院選挙はインターネットを使った選挙運動、いわゆるネット選挙が解禁されてから初の国政選挙だった。選挙期間中、各政党・候補者らは解禁の利点を取り込むべく、ホームページやブログで日々の選挙活動を掲載し、フェイスブックやツイッター、ラインなどのソーシャルネットワークを使って情報を発信するなど、ネット上でも活発な選挙運動が展開されていた。ネット選挙は、総じて政治への関心が低いと言われる若年層の政治参加が進むとか、政党・候補者と有権者間の双方向の議論が進むことで政治の質が大きく変わることなどが期待されていた。
 確かにネット選挙にいち早く対応してきた自民党がネット選挙戦でも優位に立っていたことは間違いない。しかし、結論としては、今回の選挙を見る限り、ネット選挙が選挙や政治の質を変えるということはなかった。
 立命館大学大学院特別招聘准教授でネット選挙に詳しいゲストの西田亮介氏は、各政党や候補はネット選挙が解禁される以前に選挙で行われていたことと同じことをネット上でやるだけだったと指摘する。要するにネットという新しいツールを手にしたものの、結局はネット上で政党名や候補者名を連呼したり、旧態依然たる街頭演説の動画をアップロードしたり、演説が予定される場所をツイートしたりするなどが「ネット選挙運動」の大半を占め、ネット特有の双方向性やソーシャル機能を活かした選挙運動というものはほとんど見られなかったというのだ。
 そもそも「ネット選挙解禁で政治が変わる、というのは過剰な期待だ」と西田氏は釘を刺す。日本の選挙には依然として古色蒼然たる公職選挙法による理不尽かつ過剰な規制が多く、選挙期間中に候補者が有権者とまともな政策論争を交わすことはほとんど不可能に近い。また、いざ議員に選ばれても国会で党議拘束がかかるため、各政党の公認候補は政党の公式な選挙公約を代弁し続けるしかない。そのような制度のもとでは有権者側にも政策論争を交わす習慣が根付いていないし、候補者側にもあえてネットを通じた双方向の政策論議を活発化させる動機は働きにくい。これらをネット導入だけで改革できるというのは楽観的に過ぎるというわけだ。
 今回の選挙で大がかりなネット対策を実施した自民党も、ネット上では政党や候補者のPRに徹し、むしろ政策の中身は議論しないという旧来型の選挙活動を展開した。原発問題やTPPのような論争の対象になり兼ねない微妙な政策については、むしろ議論を沈静化させる目的でネットを利用していた。今回の選挙戦を見る限り、「ネット解禁で政策主導の選挙を」というのは夢物語に過ぎないと言わざるを得ない。
 しかし、今回ネット選挙が解禁されたことで、「政治の透明化が進んだことは評価すべき点だ」と西田氏は強調する。過去の選挙運動と異なり、今回の選挙で各政党や候補がどこでどのような発言をしていたかは、すべてネット上のログ(履歴)に残る。とかく不透明な部分が多かった政治の実態がネット選挙の解禁によって透明度を増した結果、選挙後も政治に関心を持ち続ける一般市民が増える効果は期待できるだろう。
 他の法律や制度を残したままネットだけを解禁したとしても、当然その効果は限られる。米大統領選に見られるようなネットを通じた双方向で多様な選挙戦は、日本ではそう簡単には実現しそうにない。しかし、ネット選挙の解禁によって、少なくとも日本の選挙制度や公職選挙法の異常さが浮き彫りになる効果はありそうだ。
 参院選でのネット選挙活動の分析を通じて、今回のネット選挙で明らかになった日本の政治文化や政治への市民参加の本質的な問題点を、ゲストの西田亮介氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

TPPについて今、真剣に考えておかなければならないこと

(第643回 放送日 2013年08月10日 PART1:62分 PART2:63分)
ゲスト:高安 雄一氏(大東文化大学経済学部教授)

 政府が推し進める施策に反対し、これを阻止しようと真剣に考えているならば、反対の根拠をよほどしっかりしたものにしておく必要がある。いい加減な反対論はいとも簡単に論破され、反対運動は腰砕けに終わってしまうだろう。たとえ民主主義といえども、人材、資金、情報の三大リソースを独占的に抱える政府に太刀打ちするのは、それほど大変なことなのだ。
政府が推し進めるTPPへの反対運動も、下手をするとその轍を踏む恐れがある。なぜならが、昨今、ネット上などで「TPPの問題点」として指摘されていることのかなりの部分が、実はまったく根拠のないデマだったり、明らかな誤解や理解不足に基づいているからだ、と指摘するのが、今週のゲストで韓国経済が専門の高安雄一大東文化大学教授だ。
 高安氏は巷でTPPの問題点として指摘されているISDS条項やラチェット条項などのいわゆる「毒素条項」について、流布されている批判のかなりの部分が、事実に基づかないまったく間違った誤情報だと言う。こうした毒素条項は、アメリカが過去に結んできたNAFTA(北米自由貿易協定)や米韓FTA(自由貿易協定)などの協定に含まれていることから、TPPにも同様の条文が入ることが予想されている。しかし、日本ではそうした条文の解釈が、米韓FTA交渉の過程で韓国の野党が政治的な理由から、ためにする議論をする目的で引っ張り出した、何の根拠もない解釈をそのまま流用されていると、高安氏は言うのだ。
 NAFTAや米韓FTAを根拠にTPPを批判をするのであれば、「まず参照する貿易交渉の条文をきちんと読むことが大事だ」と高安氏は言う。高安氏によると、米韓FTAをめぐる交渉の過程で、韓国では野党と一部のマスコミが反米的な立場から声高に反対論を展開したが、その際に使われた不正確な条文の解釈に対し、韓国政府は逐一その間違いを正し、反論を政府のホームページに掲載してきたという。その600ページにも及ぶ反論をしっかりと読めば、これまで米韓FTAやTPPに関して言われてきた問題点の多くが、「気を引く反対論だけが引用されていて、それに対する回答や反論部分が抜け落ちている」ものであることは容易に理解できるはずだと、高安氏は言う。
 TPPに代表される自由貿易協定には、毒素条項などの個別の条文をめぐる議論を超えた、より深い次元で、真剣に議論し意見集約を図らなければならない重大な論点がいくつかある。それは、例えば、仮に自由貿易で経済全体が成長したとしても、その恩恵を享受できる人が一部のセクターに限られるために、国内で経済格差が広がる可能性がある問題だったり、数としては自由貿易によって不幸になる人の方が多くなる可能性があることも含まれるだろう。また、経済的にはプラスが多いとされる自由貿易が、社会全体にもたらす様々な影響をわれわれは受容する用意が本当にできているのかどうかという議論も必要だ。関税をゼロにし、国家間のヒト、モノ、カネの流れを自由にした時、社会はどのように変質するのか。そこで失う社会的共通資本の価値は、GDPをベースとした損得勘定の中には含まれていない。
 それは例えば、NAFTAによってメキシコの国としてのGDPの伸びは加速したが、その一方でメキシコ国内で小規模農家の離農・廃業が相次ぎ、失業率も上昇したことが参考になるかもしれない。NAFTAの実施によってメキシコの農村社会は大きく変質し、行き場を失った離農者が大量にアメリカに流入した結果、アメリカの不法移民問題や移民排斥問題が深刻化する結果を招いた。アメリカ政府が移民問題に対応するためのコストは、アメリカがNAFTAから受けた恩恵の数値には当然含まれていない。自由貿易の評価は単にGDP成長率のような無機質な指標だけでなく、より長期的な時間軸の上で、多面的に行う必要があるのではないか。
 しかし、そのためにも、まずは現在多くの批判が集まっているTPPの毒素条項などに関する誤謬を排し、TPPの中身を正しく理解する必要がある。TPP の毒素条項に対する誤解を正した上で、その向こうにある本来議論しなければならないTPPをめぐる本当の争点とは何なのかを、ゲストの高安氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

オリバー・ストーンが語る「アメリカ暗黒の歴史」

(第644回 放送日 2013年03月30日 PART1:64分 PART2:46分)
ゲスト:春名 幹男氏(ジャーナリスト)

  毎年この時期になると、広島、長崎への原爆投下に関する新たな事実が判明し、68年前たってもなお、原爆については明らかになっていないことがたくさん残っていることを痛感させられる。
 しかし、今年の8月は例年とはやや違う展開があった。アメリカの戦争への関与を批判する作品を作り続けてきたアメリカの映画監督オリバー・ストーンが、アメリカの原爆投下にまつわる「嘘」を厳しく批判するドキュメンタリー映画「もうひとつのアメリカ史」を制作し、8月6日に広島、そして9日には長崎の原爆祈念式典にそれぞれ参列したのだ。
 ストーン氏が歴史家のピーター・カズニックと共同で制作した「もうひとつのアメリカ史」という歴史ドキュメンタリーは、いわばアメリカの暗黒の歴史を描いている。そして、その中でも彼が最も今回の来日で強調したことは、アメリカが日本に原爆を落とした本当の理由は、定説となっている日本に早期の降伏を促すためではなく、あくまでソ連を牽制する目的だったということだった。
 「原爆を落とさなくても日本の降伏はソ連の参戦で確定的だった。しかし、アメリカは旧ソビエトの南下を防ぐためあえて原爆を落としたのだ」とストーン氏は言う。
 ストーン氏はアメリカが原爆投下に至る過程が、1944年の民主党大会に始まったと指摘している。ルーズベルト大統領の死後、大統領に就任することになるミズーリ州選出の上院議員ハリー・トルーマンを副大統領候補に選んだこの党大会が、結果的に「歴史の分水嶺」になったとストーン氏は語る。
 この党大会では当初、ルーズベルト政権で2期副大統領を務めていたヘンリー・ウォレスが副大統領候補に指名されることが確実視されていた。しかし、ウォレスが再度副大統領に選ばれれば、病状が深刻な状態に陥っていたルーズベルト大統領が任期中に死亡した場合、ソ連に対して友好的な姿勢を公言していたウォレスが大統領になってしまう。それだけは避けたいと考えたアメリカ政界の保守派たちは、当時無名の上院議員だったトルーマンを担ぎ、熾烈な多数派工作でウォレス再選の阻止に成功したのだという。
 ルーズベルトの死後、大統領に昇格したトルーマンは、自分を副大統領に押し立ててくれた保守派の重鎮たちを重用した。日本への原爆投下は、バーンズ国務長官ら反共色の強いトルーマンの取り巻きたちの強い意向によって強行された、もっぱらソ連への牽制を目的としたものだったというのが、ストーン氏が原爆投下の起源を44年の民主党大会に見出す理由なのだ。
 ストーン氏らが原爆にこだわる理由は、単にその非人道性にあるわけではない。それは、原爆をめぐる嘘や欺瞞が、現在アメリカが抱える問題をほとんどに反映されていると彼らが感じているからだ。そして、冷戦の終結でソ連という対外的な脅威の対象を失ったアメリカは、テロとの戦いを口実にサイバー戦争でも覇権を握ろうと躍起になっている。
 ストーン氏らが8月12日に外国特派員協会で行った講演を参照しながら、彼らの歴史観が描くアメリカのもう一つの歴史を検証し、深々とそのアメリカと一蓮托生の関係に嵌っていくことの意味をゲストの春名氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

エジプトの騒乱に見る近代の終わりの始まり

(第645回 放送日 2013年08月24日 PART1:52分 PART2:57分)
ゲスト:山本 達也氏(清泉女子大学准教授)

  エジプトの反政府デモは、治安部隊が武力鎮圧に出たことで、死者の数が700人とも900人とも言われる最悪の事態となってしまった。アラブの春で一度は民主的な政権の樹立に成功したはずのエジプトが、なぜこのような事態に陥ってしまったのか。
 2010年にチュニジア「ジャスミン革命」に端を発した「アラブの春」は、ほどなくエジプトに波及し、2011年2月に30年続いたムバラク大統領による独裁政権が崩壊した。民主的な選挙でモルシ政権が樹立されたが、好転しない暮らしぶりに不満を募らせた一部の市民が反政府デモに起ち上がり、軍部が7月3日に憲法を停止しモルシ大統領を解任。これに反発したモルシ支持派が抗議デモ、治安部隊と衝突を繰り返している。
 エジプト国民の不満はどこにあるのか。中東情勢に詳しい国際政治学者の山本達也氏は、石油資源の枯渇によって原油輸出が減少したために、国民の生活を支えていた政府援助が途絶えてしまったことが大きな要因だと指摘する。エジプトは原油輸出で得た外貨を貧困層向けの食料補助金に回していた。これによって人々の生活は維持されていたのだが、原油生産がピークを過ぎて減少に転じたことに加えて、人口が急増して国内消費が増加した結果、原油の輸出が困難になり、福祉政策に充当する外貨が不足して民衆の生活が困窮してきたという。つまり生活の不安定化が騒乱の根底にあるというのだ。そしてこうした背景の上に、アラブ社会、イスラム世界、アフリカの事情が絡み合っているのが実相だと解説する。
 さらに山本氏は今回のエジプトの騒乱に「近代国家が今後直面するであろう問題」を見い出す。エジプトでは政権に対する長年の不満がフェイスブックなどのSNSを動員のツールとして噴き出し、抗議デモによって政権を追い落とすことに成功した。市民が不満を表明すれば政治を変えられるという成功体験の味を覚えてしまったのだ。しかし、これは近代国家システムを支えている代議制の否定であり、引いては民主主義の否定をも意味する。
 一方で、エジプトでは市民の不満の元となっている経済情勢が、好転する見通しが立たない。特に、エジプトは僅かなコストで大量の石油を採掘できた時代が終わり、今後原油輸出からの収入が期待できなくなった上に、近年の騒乱によって第二の収入の柱だった観光収入も激減している。これではどんな政権ができても、たちまち市民の不安が爆発し、デモを繰り返すことになりかねないと山本氏は言う。
 しかし、このジレンマはエジプトに限ったことではない。低いエネルギーコストを前提に構築されている現在の世界の秩序の中にあって、エネルギーコストの上昇は先進国にとっても成長の大きな足枷となる。一方で、先進国においてもSNSなどの普及で、市民が政府に対する批判や不満の表明を容易に行えるようになった。このような状況の下で、既存の近代国家の様々なシステムを今後も維持していけるかどうかが問われるのはエジプトばかりでなく、日本を含む他の国々も同じだと山本氏は分析する。
 古代文明発祥の地でもあるエジプトの現在の騒乱の意味するところは何なのか。既存の民主的統治システムは低成長とSNSが合わさった今の時代に、有効な政治を行うことが可能なのか。エジプトの騒乱から見えてくる問題についてゲストの山本達也氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
霊魂と肉体: あの世とこの世を分かつもの

(第646回 放送日 2013年08月31日PART1:39分 PART2:44分)
ゲスト:矢作 直樹氏(東大病院救急部・集中治療部部長)

  5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。今回のテーマは「憑依(ひょうい)」。
 8月はお盆にお墓参りや迎え火、送り火などで、ご先祖様に思いをめぐらす時期だ。また、8月の6日、9日は広島、長崎の原爆の日、15日は終戦記念日、そして12日は500人以上が犠牲になった日航機墜落事故の日でもある。このように「生と死」を意識する機会の多い8月の5金スペシャルは、人の生と死についてこれまでとはやや異なる視点から考えてみたい。
 東大病院の救急救命医として大勢の生死の狭間にある患者を診てきた矢作氏は、「人には見える部分と見えない部分がある」と言う。実際にわれわれが見たり触れたりすることができる肉体と、目には見えないが恐らく肉体よりも大きな存在である霊体のことだ。霊や魂などの領域は、一般には心霊や超常現象などと呼ばれ、非科学的なものとして一蹴されることが多い。しかし、自身が医師でもある矢作氏は、人間の霊性の理解なくして人間を正しく理解することはできないと言い切る。
 われわれはとても限られているものだけを見ている可能性がある。目に見える現象部分に働きかける西洋医学や科学には一定の意味はあるが、それだけでは根本的な治癒には至らない場合多いのではないかと、矢作氏は問いかける。矢作氏自身が、西洋医学とは別にスピリチュアルヒーリングを行っている理由もそこにあるという。
 矢作氏は救急救命医として勤務する中で、実際に別人の霊に乗り移られた患者を何人も診てきたという。搬送されてきた患者に、医学的な疾患だけではない何かが憑いた状態になっていることが多いと言うのだ。「憑依かどうかは見れば大体分かる」と言う矢作氏は、霊魂や霊性というものは一種の波動のようなものであり、目に見えないけれども、確実にそこに在るものだと解説する。そして憑依は、他者の霊と別の人間の波動が一致した時に起こるものだという。
 人間とは何なのか。あの世とこの世の境目とは。生、死、そして霊とは。普段はあまり考える機会のないこうしたテーマを、ゲストの矢作とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

東電に任せてる場合ですか

(第647回 放送日 2013年09月07日 PART1:69分 PART2:52分
ゲスト:田中 三彦氏(元国会事故調委員・科学ジャーナリスト)

  今日のテーマは福島第一原発の汚染水問題と4号機問題、そして日本のみならず地球全体の未来に大きな影響を及ぼしかねないその2つの問題を、これだけ失態が続く東京電力にこのまま委ねていて本当にいいのだろうかを考えたい。
 今回、露呈した汚染水の漏出は早くから懸念されていた。事故を起こした福島第一原発は、当時の野田首相が宣言した「冷温停止状態」にあるとされているが、現在も大量の冷却水を循環させてメルトスルーした核燃料と貯蔵燃料を冷却し続けることで辛うじて小康状態を保っているに過ぎない。東京電力はホースの総距離が4キロにも及ぶ建て付けの循環冷却のシステムを何とか作り上げたが、循環の過程で原子炉建屋の地下のコンクリートの隙間などから大量の地下水が流れ込んでいるため、毎日300~400トンの汚染水が新たに発生する状態が続いている。循環システムとは名ばかりで、核燃料を冷やした汚染水が、地下水との間を水が自由に行き来している状態なのだ。
 東電の計画では2020年の初頭には核燃料の取り出しを行うことになっているが、これはまったく根拠のない希望的なものと言っていい。元国会事故調委員の田中三彦氏も、最低30年は冷やし続けなければならないだろうとの見方を示す。30年間、毎日400トンの汚染水を出し続けるとどうなるか。原発敷地内に林立する1000トンの汚染水タンクは3日に1つのペースで増えていくのだ。
 原子力規制委員会の田中俊一委員長は2日の外国特派員協会の会見で、「汚染水は基準値以下にピュリファイ(浄化)して、海に放出せざるを得ないのではないか」との見解を示している。しかし、田中氏はこの発言を問題視する。海洋に投棄する計画はその主体である東電でさえまだ言及していない。地元の漁業関係者などが、容認するはずがないからだ。規制委は本来、東電がそのような計画を持ち出してきた時、その妥当性や安全性を検証すべき立場にあるはずだ。それを、東電がそのような計画を発表もしないうちに、規制する側の委員長が、最初からそれを容認する発言をしてしまった。「これではまるで東電の意向の代弁者ではないか」と田中氏は言う。
 政府は「凍土遮水壁方式」なる方法で地下水の流れ込みを遮断する計画を明らかにしているが、地下水の流れ込みが無くなれば、今度は逆に原発からの汚染水が地下水層に流出する恐れが出てくる。今は地下水が流れ込んできているおかげで、冷却に使われた汚染水が地下水層に入り込まず、それがそのまま海に流れていく事態が回避できているとの指摘もある。場当たり的に何をやっても、結局はいたちごっこに過ぎないのではないかとの懸念はぬぐえない。
 汚染水問題に加えて、福島第一原発には更に重大な問題が残されている。地震と水素爆発で建屋がズタズタに破壊された4号機の使用済み核燃料プールの問題だ。震災とその後の爆発で大きなダメージを受けた4号機の建屋5階の燃料貯蔵プールには、現在1533本の燃料体が残されたままだ。今、ここで再び大きな地震によって建屋が倒壊したり、プールが損傷を受けて、冷却水が失われたりすれば、最悪の場合使用済み燃料に再臨界が起きて、福島はおろか東日本の広範囲に甚大な放射能被害をもたらす可能性が排除できない。
 このまま損傷を受けた建屋の5階に1500本を超える燃料体を放置するわけにはいないのは事実だが、実はそれをクレーンによって運び出す作業が11月から東電の手で始まることになっている。これを東電に任せていていいのかと問われた原子力規制委の田中委員長は、新たにクレーンを設置してあるので、従来の核燃料の取り出しと大きな違いはないとの認識を示している。
 しかし、これに対しても田中氏は、そこら中に破損した建屋や機械の残骸やガレキが残る中で、1533体もの核燃料を安全に取り出すことが「従来通りの作業のはずがない」と指摘する。そして、もしクレーンが核燃料を落下させ、核燃料が飛び出したりするようなことになれば、全く収拾がつかない最悪の事態もあり得ると言う。
 どうやらわれわれは、日本のみならず、地球自体の命運を東京電力という、これまでたびたび失態を繰り返し、情報の隠蔽などでも繰り返し問題になっている事実上の破綻企業に、委ねてしまっているようなのだが、本当にこれでいいのだろうか。
 汚染水問題の実状や4号機の問題に潜むリスクを改めて再評価した上で、今後の福島第一原発への対応や原子力行政の在り方などについて、ゲストの田中三彦氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

解釈改憲で集団的自衛権は行使できない

(第648回 放送日2013年09月14日 PART1:53分 PART2:68分
ゲスト:阪田 雅裕氏(元内閣法制局長官)

  安倍政権は日本が集団的自衛権を行使できるよう憲法第9条の解釈を変更したい意向を明確に打ち出している。憲法を改正するのではなく、何とか解釈の変更によってこれを行使できるようにしたいというのだ。
 安倍首相は第一次安倍政権下の2007年に「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」、通称、安保法制懇を立ち上げて、集団的自衛権に関する研究を指示した。これを受けて同懇談会は、集団的自衛権を容認すべきとの報告書をとりまとめたが、その時は首相の突然の辞任によって、解釈改憲の野望は頓挫していた。
 しかし、首相に返り咲いた安倍氏は、あきらめていなかった。かねてから集団的自衛権の行使に前向きな発言を繰り返してきた元駐フランス大使の小松一郎氏を内閣法制局長官に抜擢した。そのうえ首相の意向を反映した有識者を集めた懇談会を立ち上げて、解釈改憲による集団的自衛権の行使についての議論を進めるよう指示するなど、今回はどうやら本気のようだ。
 集団的自衛権については、内閣における法の番人たる内閣法制局が一貫して、現行の憲法は集団的自衛権の行使は認められないとの解釈を明確に打ち出していた。集団的自衛権とは同盟国などに対する武力攻撃を、自国に対するものと見なして反撃する権利を指すものだが、ゲストの元内閣法制局長官の阪田雅裕氏は、歴代の内閣で議論が積み重ねられてきた結果、現行の憲法、とりわけ9条第2項によって、これは認められないとの結論に達していると説明する。
 何とかしてこの解釈を変えたい安倍首相は当面、有識者会議に対して、公海における米艦艇の防護やPKO活動における武器使用など、限定的な集団的自衛権の行使が可能かどうかを検討するよう指示している。これは一見、非常に限定的かつ控えめなものに見えるが、阪田氏は限定的にせよ一旦、集団的自衛権の行使が認められれば、その時から日本は自衛権の行使、つまり武力の使用について、少なくとも憲法上の制約はもはや存在しなくなると指摘する。これは日本が自衛権を行使できるのは日本自身が外敵の侵略を受けた場合に限るとしてきた「個別的自衛権」の範疇を大きく超えることを意味する。
 阪田氏の主張は一貫している。現行の憲法では集団的自衛権が行使できないことは明白だ。だから、時の政権がどうしても集団的自衛権を行使できるようにしたいのであれば、憲法解釈の変更などという姑息な手段を使わずに、堂々と憲法の改正を国民に問うべきだ。それができないから、無理な解釈改憲で憲法を歪めるというようなことはすべきではない、という。
 「政権を批判する意図はない。私自身は従来の内閣法制局の立場を繰り返しているに過ぎない」と穏やかな口調で淡々と語る阪田氏とともに、日本が解釈改憲によって集団的自衛権の行使を可能にすることの意味を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

私が原発再稼働に反対する理由

(第649回 放送日 2013年09月21日 PART1:36分 PART2:34分)
ゲスト:泉田 裕彦氏(新潟県知事)

  9月16日に関西電力大飯原発4号機が定期点検のために停止し、日本は昨年5月以来となる稼働中原発がゼロの状態になった。
 しかし、安倍政権は原子力規制委員会が示した新規制基準に適合すれば、止まっている原発を順次再稼働する方針を明確に示しており、規制委員会には既に4つの電力会社から6つの原発の再稼働申請があがっている。福島第一原発事故の事後処理にも七転八倒しながら試行錯誤のただ中にあり、そもそもメルトダウンに至った真の原因もはっきりとしない中、日本は今、原発再稼働の是非に対する決断を迫られているのだ。
 そうした中にあって、地元の原発の再稼働に明確に反対し、頑として譲らない姿勢を見せている首長がいる。新潟県の泉田裕彦知事だ。
 泉田氏は、原子力規制委員会が示した新規制基準では「福島原発事故の教訓が活かされているのか疑わしい」とこれを厳しく批判した上で、県内にある東京電力柏崎刈羽原発の再稼働に、より厳しい安全基準の適用を求めて譲らない姿勢を見せている。
 これにはそれなりの理由がある。泉田氏は知事として遭遇した2004年の新潟中越地震や07年の新潟中越沖地震の経験を踏まえて、東京電力に対して当時の安全基準では義務づけられていなかった免震重要棟の設置を求めた。今回の事故で福島第一原発に免震重要棟が設置されていたのはその成果だった。
 「東日本大震災で免震重要棟がなければ、もしかすると東京には人が住めなくなっていたかも知れない。それを防いだという自負はある」と泉田氏は話す。
 今回特に泉田氏が強く求めているものの中には、実現可能な避難計画の作成と、強い地震にも耐えうる原子炉と一体化したフィルターベントの設置などが含まれているが。フィルターベントの問題は07年の新潟中越沖地震の際に柏崎刈羽原発3号機が火災を起こした経験に基づく。避難計画は新潟県が今年3月に僅か400人で実際に計画に基づいた訓練を行ってみたところ、周辺の道路が大渋滞してスムーズに避難ができなかったという実体験に基づいている。柏崎刈羽原発は5キロ圏だけで約2万人が在住しているという。
 「県民の命と財産を護るのが知事の仕事」と語り、自分はそのために必要になる当たり前のことをやっているだけだと言う泉田氏だが、これらの問題点を原子力規制委員会に質して、防災指針の策定に地元自治体の意見を取り入れる仕組み作りを要請したところ、規制委からは「新規制基準に直接関係ない」との回答が返ってきたという。
 いみじくも原発立地自治体の長として明確に再稼働に反対の意思を表明していた東海村の村上達也村長が、今週退任し、孤軍奮闘になった感のある泉田氏を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が新潟県庁に訪ね、再稼働問題に揺れる原発政策のあり方を議論した。

誰のための県民健康管理調査なのか

(第650回 放送日 2013年09月28日 PART1:61分 PART2:47分)
ゲスト:日野 行介氏(毎日新聞東京社会部記者)

  福島第一原発の事故で放射性物質が広範囲に拡散したことを受けて、福島県では人体への影響を調べる県民健康管理調査を2011年の6月から実施してきた。
 さる8月20日には、子どもへの甲状腺検査の結果、新たに6人から甲状腺がんが見つかり、甲状腺ガンと診断された人の数は合計で18人となった。悪性疑いの症例を含めると、既に44人が甲状腺がんかその疑いのある疾病に該当するという。
 通常、子どもの甲状腺がんの罹患率は100万人に1人ないし2人と言われている。これまでに福島県の甲状腺1次検査を受診した子どもは21万3千人あまりであることを考えると、甲状腺がんの認定者数18人は桁外れに多いと言わざるを得ない。しかも、疑い例の数を考慮すると罹患数は今後も増えることが予想される。しかし、県民健康管理調査の結果を評価する検討会は、頑なに福島原発事故との関連性を認めようとしない。
 県民健康管理調査は、福島第一原発事故による被ばく実態の調査と、県民の健康状態の把握、県民の不安解消を目的に2011年6月から全福島県民を対象に開始された。甲状腺検査は、放射能被ばくの実態把握と継続的な経過観察のため、2011年現在で18歳以下だった子どもを対象に行っている詳細調査の一つだ。
 しかし、この県民健康管理調査は当初から様々な問題を指摘されてきた。検査については放射線レベルの設定値や検査手法、検査項目の妥当性が度々疑問視され、調査を評価する検討会についても、偏ったメンバー構成や不透明な運営による不信感がメディアのみならず、福島県民の間にも広がっていた。
 その不信を決定的にしたのが、検討会が事前に秘密会なる意見すりあわせの場を設けた上で、福島県の描くシナリオに沿った運営を行っているという毎日新聞のスクープ記事だった。この問題を報道した毎日新聞の日野行介記者は「検討会は県民に対して大丈夫です、という情報を届けることが主眼で、安全安心の結論がまず先にあり、そのための情報のコントロールをどうするか、がすべての出発点だった」と、検討会のそもそもの在り方を厳しく批判する。
 福島原発事故は3基の原発がほぼ同時にメルトダウンし、大量の放射能が外部に流出するという、未曾有の原子力災害だ。そして、不幸にも被曝をしてしまった福島県内と周辺の人々にとって、被曝が自分や家族の健康に与える影響は何にも増して深刻かつ重要な情報であることは言うまでもない。
 しかし、この県民健康管理調査は、当初からその目的の中に「不安の解消」が含まれていたことからもわかるように、事実を正確に記録し、それを被害者に誠実に伝え、不幸にも被曝してしまった場合、その健康への影響を最低限に抑えるために必要な措置を取るための重要な機会を提供するはずだった。
 しかし、なぜか福島県も、またその検査を主導した有識者たちからなる検討会も、調査が明らかにする情報をコントロールし、悪い情報を隠蔽することに奔走してきた。秘密のリハーサルまで開いて何とか事故の影響を小さく見せ、被害の実態が外から見えないように彼らを駆り立てるものは一体何なのか。
 この問題を取材してきた日野氏は、県職員や県立医大の医療関係者など健康管理調査を実施している当事者たちが、真に県民の健康に関心があるのか疑わしいとまで言う。われわれは原発事故以降、できる限り真実を隠蔽し、情報をコントロールしようとする姿勢を至るところで目撃してきた。これは決して福島県の県民健康調査特有の現象ではなさそうだ。 
 権力を手にしたその瞬間からまず情報を隠そうとするのが人間の常だとするならば、われわれはそれにどのように立ち向かえばいいのか。毎日新聞の日野記者とともに、県民健康調査から見えてくる、利益相反に甘く情報公開に後ろ向きな日本の実情を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

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日本の農業は本当にそんなに弱いのか

(第631回 放送日 2013年05月18日 PART1:71分 PART2:66分)
ゲスト:昆 吉則氏(雑誌『農業経営者』編集長)

  日本のTPP参加をめぐり、国内における論争の最大の争点となっているのが、農業の扱いだ。巷の議論では、日本の農業は競争力がないので、TPP参加によって関税が撤廃されることになれば壊滅的な打撃を受けることは必至というところだろうか。農水省などは日本がTPPに参加した場合、最大で約3兆円の打撃を受けることになるという試算まで公表している。日本の農業生産額が年間約8兆円であることを考えれば、確かにこれは壊滅的な打撃以外の何ものでもない。
 それにしても、日本の農業は本当にそんなに弱いのか。
 農業の現場を数多く取材し、農政問題にも詳しい雑誌『農業経営者』の昆吉則編集長は、日本人の農業に対する考え方の根底に戦後一貫して言われてきた「農家は弱者である」という先入観があり、農業には常に保護が必要とのイメージがつきまとうが、それは必ずしも現実を反映していないと、データを示しながら指摘する。むしろ問題は、農家が弱者であるという前提があってこそ成立するさまざまな利権があるために、それを維持する目的で一部の農家を弱い状態のまま維持し、保護を続ける本末転倒の政策がずっと続いているというのだ。
 例えば、農水省が5年おきに実施している調査「農業センサス」の2010年版によると、日本の農家の約60%が、年間販売額100万円以下の、いわゆる零細な農家であるとされている。確かにこれでは保護が必要だと言いたくもなるデータだが、昆氏が同じデータを基に販売額ベースで再計算してみると、100万円以下の農家の売り上げは全体の6%程度に過ぎず、逆に年間1000万円以上売り上げている農家の売り上げが全販売額の6割を占めていることがわかったという。つまり、一見6割の農家のために保護策が実施されているかのように見えて、その実は市場の6%の売り上げしか占めていない生産者のために、様々な保護策がとられているのが、今日の日本の農政の実態だと昆氏は言うのだ。
 なぜ日本の農政はこのように歪められてしまったのか。昆氏は「農業問題は、すなわち農業関係者問題である」と喝破する。日本の総農家戸数は約252万8千戸(2010年現在)だが、そのうち、農業を主たる生業としている生業農家は約36万戸に過ぎない。これに対して農業に関係する中央・地方の公務員や団体職員の数を足し合わせると38万5千人以上にも上るという。まじめに農業を行っている農家よりも、農業が弱いから保護しなければならないというフィクションを捏造した上で、自分たちが作り出した農業利権に群がる関係者の数の方が多いというのが、日本の農業の実情なのだ。彼らは日本の農業が保護や助成の対象となり続けるためにも、これからも日本の農業が弱いものであり続けてくれなければ困るのだ。
 それでも昆氏はTPPという黒船に直面した今こそ、日本の農業にとって千載一遇のチャンスであると語る。日本は政治的な理由、とりわけ選挙での農業票の存在ゆえに、自らの力で農業利権にメスを入れることが長らくできなかった。そのため、まじめに農業を行おうとしている主業農家や経営の合理化や大規模化を通じて競争力のある農業ビジネスを営もうとしている若い農業従事者たちに、これまで十分にチャンスを与えることができない面が少なからずあった。しかし、TPPという外圧に瀕した今、そのようなことは言っていられなくなった。今こそ、後継者のいない農家から農耕地を借り受けたり、作業を請け負ったりしながら生業農家が規模を拡大させ、作業の効率化を図ることで、海外と競争していける農業を育てていくことが可能になっていると、昆氏は言う。
 十把一絡げに「農業は弱い」で括ってきたわれわれの農業に対する誤謬を排し、その背後にある農政の病理や日本の農業の本当の実情、そして実力について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、ゲストの昆氏と議論した。

社会のセーフティネットをどうする

(第632回 放送日 2013年05月25日 PART1:65分 PART2:44分)
ゲスト:森川 清氏(弁護士)

   われわれは社会のセーフティネットをどうすべきか。
 先週政府は生活保護法改正案を閣議決定し、今国会で法改正に向けた審議が始まる。しかし、法改正の中身を見る限り、生活保護費の不正受給防止など、締め付け側に主眼を置いた改正のように見える。
 確かに、生活保護の受給者数が215万人と過去最多を更新し、財政負担も3.8兆円にのぼる中、野放図に生活保護費をばらまく余裕はない。不正の防止も必要だろう。しかし、生活保護は社会の最後のセーフティネットだ。今われわれに必要なのは、最後のセーフティネットにこれだけ多くの人が頼らざるを得ない状況をどう改善するか、一時的にセーフティネットに救われた人たちをいかに社会復帰させていくかなど、セーフティネットをどうするかの本質的な議論ではないか。
 昨年来、名の知れた芸能人の親族が生活保護費を受給していたことが発覚してメディアで大きく報じられたことで、国民は生活保護制度への不信感を募らせ、受給者に対してもより厳しい目線を投げかけるようになっているのはわかる。
 しかし、生活保護費全体のうち不正受給が占める割合は0.4%程度だ。その一方で、日本の生活保護制度は世界でも類を見ないほど捕捉率、つまり政府や自治体が把握できている生活保護を必要としている世帯の比率が低く、本当に生活保護費の支援が必要な困窮者の2割程度しか生活保護を受けられていないのが実情なのだ。また生活保護の申請手続きの窓口となる市町村の担当部署では、あれこれ理由を付けて事実上申請を受け付けない「水際作戦」が日常化しているという。生活保護を受けられなかった困窮者が餓死したり、自殺したりするケースも相次いで報告されている。生活保護制度自体が根底から揺らいでいるのだ。
 弁護士で、生活困窮者の支援活動に取り組んでいるゲストの森川清氏は「今回の改正によって受給申請のハードルがより高くなる」とまずは改正案の問題点を指摘する。今回の改正案では、生活保護を申請する際にこれまで以上にさまざまな書類が求められるようになるが、現行法の下でも水際作戦の一貫で「申請書を渡さない」「書類を受け取らない」などの行為が横行する中、更に提出しなければならない書類が多くなれば、より生活保護を申請しにくくなることは想像に難くない。森川氏は違法な「水際作戦」を助長しかねないと危惧する。
 また、森川氏は近親者による扶養義務の強化にも懸念を持つ。日本では民法上、直系血族や同居の親族、兄弟姉妹、夫婦に互いの扶養義務を規定している。ただ現行の生活保護制度の下では、この規定は厳格には運用されていない。生活困窮者にはそれぞれに複雑な家庭の事情があることを勘案しての対応だ。これが今回の改正案では、近親者による扶養が義務化され、申請者本人だけでなく、近親者の収入や資産状況なども調査される可能性があるという。ますます生活困窮者はサービスの申請をためらうだろう。また、これに合わせて自治体などの調査権限強化につながりかねないことも懸念されるという。
 生活困窮者向けの対策には、入りやすく(利用が容易)、出やすい(自立につながる)制度が必要だ。しかし、今の日本の支援体制は、利用しにくく、利用してもなかなか自立につながらないという課題を抱えている。そのため今回の法改正にあたり、生活保護法とセットで生活困窮者自立支援法案というものが提案されている。自立を促す制度は重要だが、森川氏は生活保護制度にこれだけの不備がある中では、自立を支援する制度も効果が期待できないばかりか、生活保護を受けにくくするための隠れ蓑に使われかねないことが危惧されるという。
 保護が必要な人にはサービスは行き渡らず、国民は一部の不正に目くじらを立てて、行政は権限強化を狙うと同時に費用を削減しようとばかりする。こういう状況にあって日本のセーフティネットはどうなってしまうのか。持続可能な社会が必要としているのはどのような理念と施策なのか。生活保護法改正案の問題点から見えてくるわれわれ自身の問題、社会が抱える矛盾などについて、ゲストの森川清氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
今、アフリカ映画が熱い

(第633回 放送日 2013年06月01日 PART1:45分 PART2:45分)
ゲスト:吉田 未穂氏(シネマアフリカ代表)

  5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。5金ではこれまで何度となく映画を特集してきたが、今回は初めてアフリカ映画を取り上げる。
 奇しくも6月1日から3日までの3日間、横浜でアフリカ開発会議(TICAD)が開かれている。1993年に日本政府の肝いりでスタートしたこの会議は、その後も5年毎に日本で開催されており、今回で5回目だ。安倍首相はアフリカ各国の首脳が勢揃いした開会式で、政府開発援助(ODA)約1.4兆円を含む最大で3兆円超の官民支援を表明するなど、54カ国10億人規模のアフリカ市場を意識して、日本の関与を強める構えだ。そこで今回の5金では、アフリカ映画を日本に紹介する市民団体「シネマアフリカ」代表でアフリカに造詣が深い吉田未穂氏とともに、アフリカ映画から見える「今のアフリカ」を考える。
 まず取り上げたのはナイジェリア映画の『恋するケータイ in ラゴス』(原題:PHONE SWAP)。ナイジェリアはいまや世界有数の映画国家になりつつある。制作本数だけでみると年間2400本を超えて既に世界ナンバーワンとも言われている。そんな活況を前に関係者はナイジェリア映画界のことを、ハリウッドをもじった「ノリウッド(Nollywood)」と呼ぶほどだ。『恋するケータイin ラゴス』では、男女二人が携帯電話を取り違えるという設定のもとで、ナイジェリアの都市部と地方の格差・落差が浮き彫りになるコメディ映画だ。われわれはアフリカを考える時、ある種のステレオタイプな状況を思い浮かべがちだ。貧困や虐殺、環境破壊などいずれも現在進行形の問題だが、アフリカはそれだけではない。ナイジェリアの首都ラゴスの中心部には高層ビルが建ち、空港は近代的な機能を備えている。街ゆく人はおしゃれに着飾り、スーツに身を包んだビジネスパーソンも行き交う。この作品は当たり前のことだが、われわれには、なかなか馴染みのないアフリカの現実を映している。
 次に取り上げたのは『アフリカ・パラダイス』(原題:AFRICA PARADIS)。アフリカとヨーロッパの立場をそっくり入れ替えた世界が描かれる作品だ。時は2033年。「アフリカ合衆国」が世界一の超大国となり、ヨーロッパは没落してフランスの失業率は60%以上に達し、人々はアフリカへの移住を夢見ている。一方、裕福なアフリカでは白人はずるくて怠け者だという悪評が定着していて、ヨーロッパからの移民政策をめぐっては容認派と反対派が対立する。作品で白人が直面する困難は、現在のアフリカが抱える悩みそのものだ。現状では、知識階級に属するアフリカ人も国内では働き口がなく、かといって国外に出ても活路は乏しく劣悪な立場に甘んじるしかない。日本国内のアフリカン事情にも詳しい吉田氏は「日本にもそんなアフリカ人が沢山暮らしている」と話す。また、アフリカ映画は複雑で難しいテーマでも、コメディタッチで明るいトーンで描かれる作品が多いという。吉田氏はアフリカの人々は自分たちのあまりにも長く辛い苦渋に対して、「笑うしかなかった」という背景があると指摘する。
 われわれはアフリカを考える時、知らず知らずのうちに、アフリカは常に弱者であり、それを「支援してあげている」という上からの目線や態度で受け止める傾向がある。そのため、西洋諸国の描くアフリカは、どうしてもそのようなものに陥りがちだ。そして、自分たちが作り上げた先入観やステレオタイプによって、更にそのイメージが固定化していく。アフリカ人の手で作られた映画には、ありのままのアフリカが描かれているかもしれない。映画を通じて見えてくる肌感覚のアフリカについて、ゲストの吉田氏とともにジャーナリストの神保哲生と宮台真司が議論した。

これがTPP交渉の内幕だ

(第634回 放送日 2013年06月08日 PART1:47分 PART2:59分)
ゲスト:内田聖子氏(NPO法人・アジア太平洋資料センター事務局長)

  TPP交渉は秘密協議だ。だから、会議の内容は外部からはうかがい知れない。ましてや、まだ交渉への参加を正式に認められていない日本は、ここまでの交渉で合意に達している内容すら教えてもらうことができない。
 しかし、その交渉にアメリカのNGOの一員として参加した日本人がいる。アジア太平洋資料センターの内田聖子氏だ。内田氏はアメリカのNPO法人「パブリック・シチズン」の一員として、TPP交渉の場となったシンガポール会議とペルー会議にステークホールダー(利害当事者)の立場で参加してきたという。内田氏が見たTPP交渉の実態を聞いた。
 内田氏はTPP交渉について、「協議は事実上、米多国籍企業によるバーゲニング(交渉)の場となっている」と話す。会合にはステークホルダーと呼ばれる企業・団体が大挙して押し寄せ、会場に企業ブースなどを設けては、各国の交渉担当者と情報交換し、時にはその尻をたたいて企業側の利益を実現させようとしている。一般的にTPPは国家間の貿易協定と理解されているが、その実情は政府がエージェントとなって企業間の利害の調整を図る契約交渉の場と化しているという。
 さらに、内田氏は、日本と米国の事前協議が全く不可解だという。TPPに加わるためには既に参加している各国の同意が必要なため、日本では米国との事前協議もこれを満たすためのものと理解されているが、内田氏は「実態は全く違い、日本はTPP交渉への参加という足下を見られて、事前協議で不利な交渉を強いられている」と指摘する。
 さらに、日米両政府は事前協議の合意を受けてそれぞれ合意文書なるものを公表しているが、日本版の文書と米国版とは全く違う代物だという。日本版では、農業分野など両国にセンシティブな分野が存在することを確認したなどと、例外無き完全自由化ではないことが強調されているが、米国版には農業分野のことなどは記述されていない。その一方で、今後取り組むべき日本側の非関税障壁として具体的に「保険」「知的財産権」「政府調達」などが列挙されている。米国側の合意文書を見る限り、日本は事前協議において様々な分野で大幅な譲歩を余儀なくされたと判断せざるを得ない。しかもこの事前協議はTPP交渉と並行して今後も続けられていく可能性が高い。これでは事前協議という生やさしいものではなく、TPPを隠れ蓑にした日米貿易交渉そのものではないのか。
 どうもTPPというものの実態は、これまでわれわれが政府などから知らされてきたものとは大きく違うようだ。しかし、それでも日本はこのままTPPに参加するのか。事実を正確に知らされないまま、参加だけが既成事実化しているような現状で、日本は本当に大丈夫なのか。ベールに包まれたTPP交渉の実態を解き明かしながら、多国籍企業の暗躍、日米並行協議の危険性、自由貿易の行き着く先などについて、ゲストの内田聖子氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

止まらない八ッ場、止まらないニッポン

(第635回 放送日 2013年06月15日 PART1:53分 PART2:57分)
ゲスト:中澤 秀雄氏(中央大学法学部教授)

  民主党政権が高らかに「中止」を掲げながら結局は実現しなかった群馬県の八ッ場ダムの本体関連工事の入札が、5月17日、あまり大きく注目されることもなく公告された。7月には業者を選定し、年内にも着工する予定だという。
 八ッ場ダムは民主党政権下で無駄な公共事業の代表例に位置づけられ、民主党のスローガンだった「コンクリートから人へ」の象徴だった。前原誠司国交大臣は一度は八ッ場ダムの建設中止を宣言したが、地元からの強い反対に遭いほどなくそれを撤回。八ッ場ダムの建設工事の継続は民主党政権下の2011年に決定されていた。
 しかし、とは言え、60年以上も前に計画されながら、地元の強い反対運動に遭い、国が反対派を切り崩しながらようやく事業決定に漕ぎ着けた頃にはもう、当初の目的だった利水や治水などの需要はほぼ消滅していた。今回の工事再開の決定は、ダムが必要だからではなく、ここまで話がこじれてしまった以上、無駄であろうが何だろうが、もはやダムを作る以外に選択肢がないという状態に追い込まれた結果だった。
 しかしそれにしても日本という国は、国が一旦やると決めた事業は、何があってもやり遂げられるようになっている。それが今だに変わらない。山本リンダの歌ではないが、止めようにも、どうにも止まらないのだ。長良川河口堰もそうだったし、諫早の干拓事業もそうだった。ある意味で原発もそうだ。
 本来必要のないところに堤高131メートル、幅336メートルのコンクリートの壁がそびえ立ち、自然や遺跡など文化遺産も豊かな吾妻渓谷がダム湖の底に沈む時、総額で5000億円超の税金が浪費され、とてつもない生態系の破壊が起きる。しかし、それがわかっていても、八ッ場ダムの工事は今また再開されようとしている。
 ダム計画が地域社会をずたずたに切り裂いてきた様を子どもの頃から見てきた地元「やまきぼし旅館」の五代目主人樋田省三さんは、「計画に当たっちゃったら、もう、残念でしたと言うしかない。絶対撤回しないから。彼ら(国)は」と、あきらめ顔で語る。樋田さんの旅館もダムの水没予定地にあるが、ダムができるのかできないのか、移転させられるのかどうなのかが決まらないために、建物の改修さえ行えない状態が今も続いているという。
 大規模公共事業が地域社会に与える影響を研究している中央大学教授の中澤秀雄氏は「国側の担当者は2,3年で代わるが住民は一生逃げられない。結局、国策に疲れて受け入れざるを得なくなった」と八ッ場ダム問題の背景を指摘する。
 しかし、それにしてもなぜ日本の公共事業は、その正当性や妥当性を失った後も、止まらないのだろうか。国策だの国家意思だのと言われるが、それは一体誰が決めているものなのか。
 ダムのような大規模公共事業の計画を立てるのは霞ヶ関の中央官僚だ。彼らは霞ヶ関の役所の中で鉛筆を舐めながら、日本全体の水需要などを計算して、彼らなりに良かれと思った事業を提案する。そして国が持つあらゆる手段を使って、それを実現しようとする。それを実現することが彼らの仕事であり、そしてまたそれが日本の国益に適っていると彼らは考える。そして、国は政治学者ホッブスが怪物リバイアサンに喩えるほど強大な権力を持つ。それが駆使されれば、どんなに地元の反対があろうが、どんなに馬鹿げた事業であろうが、最後は押し切られることは必至だ。そしてそれは誰にとっても不幸なことでもある。
 中澤教授は「国」対「地元」の構図が続く限り、その勝負は見えている。国がリバイアサンとしての力をフルに発揮してその意思を貫徹しようとすることは避けられないが、公共事業の主体を国から地方に移管すれば、国が地元の意思を踏みにじってまで事業を無理矢理実現するようなことは起きにくくなるだろうと言う。問題は今その権限を持つ中央官僚と、公共事業推進の自民党政権で、そのような権限の移譲が起きるとは考えにくいことだ。
 中澤氏は「地方には地方の知恵がある。まずは政策決定の課程に地域の意見をどう組み込んでいくか、その仕組み作りが重要だ」と話す。中澤氏が関わった新潟県の旧・巻町(現在は新潟市と合併)での原発建設をめぐる住民投票では、7人の地域住民がキーパーソンになって準備して住民投票を実現した結果、原発建設の阻止に繋がっていったという。
 しかし、日本では巻町のような事例はまだ少ない。なぜ、国策は一旦走り出したら止まらないのか。われわれは、一体いつまで亡霊のような国家意思に振り回され続けるのか。八ッ場ダム問題と原発立地地域の矛盾を取り上げながら、ゲストの中澤秀雄氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

たかがアベノミクス、されどアベノミクス

(第636回 放送日 2013年06月22日 PART1:54分 PART2:50分)
ゲスト:櫻川 昌哉氏(慶應大学経済学部教授)

 自民党は20日、参院選に向けた公約集を発表したが、看板のアベノミクスの実績を最前面に打ち出しているのが目につく内容となっている。
 確かに安倍政権の誕生後、日経平均株価は約36%、ドル円相場も約13%の円安が実現し、日本経済は11年ぶりに復活の兆しを見せている。慶応大学教授で金融・財政論が専門の櫻川昌哉氏は「偶然の要因にも恵まれたが、アベノミクスの滑り出しは上々だ」と、ひとまずアベノミクスは市場の期待感を醸成することには成功していると分析する。
 しかし、アベノミクスの最終的な評価を下すのはまだ時期尚早だと、櫻川氏は言う。ここまでは安倍政権並びにその意向を受けた黒田日銀による金融緩和への強い決意を、市場は歓迎したように見える。しかし、櫻川氏はアベノミクスの真価は二本目の矢である「財政政策」、第三の矢である「成長戦略」によって決まると言う。本来、大胆な金融緩和に対しては強い財政規律が求められるが、今週発表になった自民党の選挙公約や先の13兆の補正予算に見られるように、安倍政権は金融緩和とセットで積極的な財政出動の政策路線を選択しているように見える。「日銀による大幅な金融緩和策と積極的な財政出動というポリシーミックスでは、どのみちバブルが起きるだろう」と櫻川氏は指摘する。
 櫻川氏はアベノミクスの成否を握るカギは、金融緩和によって市中に投入された資金が、銀行を通じて企業の設備投資などに回るかどうかだという。「いまの日本の銀行には土地担保融資以外の資金投資のノウハウはない」ため、銀行融資による資金調達には限界がある。むしろ今日本が改革すべきは、株式市場を通じて資金が回るような仕組みを整備することだというのだ。
 海外では銀行融資よりもファンドによる直接投資が盛んだ。担保と引き替えにお金を貸す銀行の融資と比べて、ファンドマネージャーたちは資金を投入するだけではなく、豊富なノウハウを元に投資先企業にコンサルティングを行い、経営の効率化を求める。邦銀にはここまでの機能も能力もない。しかし、その一方で日本の企業はファンドそのものを嫌悪し、社外の者から経営に口出しされることも好まない風土が根強い。相も変わらず日本中が、同じ日に株主総会を開くようなことをまだやっている。株式市場改革や金融市場を改革することで、アベノミクスによって市中に投入された資金が、成長を促す方向に回っていくことが必要だが、政治の世界でもメディアでもそういう提案はほとんど聞かれない。結局最後は政府や政治の問題ではなく、民間企業がこれをどう活かすかに掛かっていると言ってもいいだろう。
 90年代のバブル崩壊以来、日本の金融システムと企業風土はほとんど変わっていない。変えようとする試みが何度かあったが、そのたびに日本の大手企業や大手マスコミはそれを批判し排除してきた。中には株主の権利を主張する投資家が、「国策捜査」の標的にされることもあった。日本のその部分が変わらないままでは、どんな経済政策を採用しても、最終的にはそれが成長を生み出す方向に作用することは難しいだろうと櫻川氏は言う。
 アベノミクスの効果はどこまで持続するのか。大幅金融緩和と積極財政運営の行き着く先はどこか。日本経済、長期停滞の要因はどこにあるのか。日本の経済政策の検証や経済学者による論争の背景、経済学が持つ特異性などについて、ゲストの櫻川昌哉氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

護憲的改憲のススメ

(第637回 放送日 2013年06月29日 PART1:44分 PART2:55分
ゲスト:小林 節氏(慶応大学法学部教授・弁護士)

  日本はこの7月、憲法改正を公約に掲げる政権与党に対して、衆参両院の過半数を与えるかどうかが問われる国政選挙を迎えようとしている。安倍首相自身も今週の記者会見で堂々と憲法改正を訴えているが、これに対して特に大きな反発は見られない。かつて閣僚が「憲法改正」を口にしただけで辞任に追い込まれた頃と比べると、まさに隔世の感がある。
 憲法の改正については米軍の占領下で制定されたという事実やその後の歴史的な経緯もあり、いやがうえでも多くの政治的文脈がつきまとう。しかし、主権者である国民が真に憲法の改正を望んでいるのであれば、それを否定する理由はない。それを否定すること自体が憲法の精神に反すると言うこともできるだろう。
 「すわ憲法改正か」という事態を迎えるにあたり、改憲に対するアレルギーが強かった時代に肩身の狭い思いをしながら憲法改正を主張してきたいわゆる改憲派にとっては、ようやく長年の夢が叶おうかという状況に歓喜しているかと思いきや、どうも事はそう簡単ではないようだ。長年、代表的な改憲論者として知られてきた慶応大学小林節教授も、現在自民党が進めようとしている憲法改正は改憲ではなく壊憲、つまり憲法を破壊する行為だとして、これに真っ向から異を唱えている。
 小林氏は自民党の憲法改正草案は、そもそも憲法が何であるかが理解されないまま書かれていると、これを一蹴する。それは、安倍政権が他の条文に先んじて改正をもくろむ憲法96条の改正案にしても然り、憲法を通じて国や国旗を敬ったり、人権に公の秩序を害しない限りなどの条件が付けられていたり、家族が仲良くしなければならないなどの道徳的な義務が国民に課せられていたり、自民党案は、政府が国民に何かを命じるものになっている。憲法は国民が政府を縛るためのものという立憲主義の基本中の基本が理解されていない、と小林氏は指摘する。
 しかし自らを「護憲的改憲派」と位置づける小林氏は、今回の自民党の提案によって、憲法改正に対する国民的な論議が提起された点は評価する。自民党案そのものは論外としても、やはり現行憲法は手直しが必要な部分が少なからずあると考えているからだ。
 特に憲法9条に関しては、現在のように拡大解釈を続けることで、現状と憲法の条文の間に大きな乖離が生じてしまっている状態を放置すべきではないと、小林氏は言う。具体的には現行の9条が、「侵略戦争を否定する一方で、自衛のための武力行使までも禁じているわけではないことは国際法の観点からも明らか」であることから、まず自衛隊をはっきりと「自衛軍」と位置づけた上で、むしろそれに国連決議など海外派遣の際の厳しい条件を課すことが、平和憲法の精神を全うする上でより適切だと小林氏は語る。
 改めて指摘するまでもなく、憲法は他の法律と異なり、国民からの政府への命令である。立憲主義の日本では国民自らが憲法について考え、権力による運用を監視していく責務がある。今回の改憲論議に落とし穴はないか、日本人の民度は自分たちの憲法を書けるところまで達しているのかなどを、護憲的改憲派の論客・小林節氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

われわれはビッグデータの暴走を制御できるのか

(第638回 放送日2013年07月06日 PART1:64分 PART2:76分
ゲスト:菅原 出氏(国際政治アナリスト)

  元CIA職員のエドワード・スノーデン氏が内部告発したアメリカ政府による諜報活動の実態は、世界に「そこまでやるのか」の驚きをもたらすと同時に、まさにビッグデータ時代にどのような情報収集が可能になってしまったかを如実に示すものとなった。
 スノーデン氏が持ち出した極秘データの全貌はまだ明らかになっていないが、6月6日以降、英紙ガーディアンなどを通じて出てきた情報を総合すると、アメリカ国防総省内の情報機関NSA(国家安全保障局)が米通信大手ベライゾン社などから国内外の電話の通話記録を入手していたほか、グーグル、ヤフー、フェイスブック、マイクロソフトなどのインターネット事業者に対してもユーザーのログデータの提供を求めていたという。
 米政府はいずれの活動も、米国内に潜むスパイやテロリストの容疑者を監視することが目的であり、外国情報活動監視法(Foreign Intelligence Surveillance Act=FISA)に基づき外国情報活動 監視裁判所(Foreign Intelligence Surveillance Court=FISC)と呼ばれる秘密裁判所の令状に基づいているため、法的には問題がないと主張している。
 しかし、今回明らかになった「プリズム」などの情報収集・市民監視システムは、国家による個人情報の収集管理が秘密裏に進められている点などが、ジョージ・オーウェルの未来小説『1984年』に登場する支配者ビッグ・ブラザーを彷彿とさせる。コンピュータ技術や通信技術が急速に進歩したことで、膨大なデータや通話記録を丸ごと収集・保存し、それを瞬時に分類・分析することが可能になった。
 そうした技術がテロの防止や犯罪の取り締まりに有効に活用されること自体は歓迎すべきことかもしれないが、大量に集められた個人のデータが悪用・濫用されるリスクはきちんと管理されているのだろうか。個人のプライバシー侵害に対するリスクの管理や、伝統的に護られてきた通信の秘密などの権利は、ビッグデータ時代にも保障されているのだろうか。更に言うならば、高度な専門性を要求される最先端の技術分野において、市民社会にその安全性を確認する能力が備わっているのだろうか。
 日々何気なく使っているSNSサービスには学歴や生年月日、趣味や旅行記録、家族写真などの個人情報が溢れているが、仮に公開範囲を限定したところで、サーバーには着々と情報が蓄積されている。グーグルドライブやドロップボックスを倉庫代わりに利用している人も多いだろう。また、普段、何気なくインターネットを利用していても、インターネット上のサービスプロバイダーには全ユーザーの閲覧履歴が蓄積されている。実際、アマゾンなどで最前面に出てくる「おすすめ商品」は、その分析の成果に他ならない。あらためて思い返せば、旅行の予約、本の購入、好きな食べ物、気になるニュース、行きたい場所の地図等々、われわれは自分の人生に関するほぼすべての足跡を自ら進んでネット上に残している場合が多いのではないか。そして今回、政府がそれを一網打尽に集めることが可能であり、実際にそのようなことが行われていることが、スノーデン氏の告発によって明らかになったのではないか。
 ビッグデータやクラウド時代を迎え、インターネットや情報通信はますます利便性を高めている。しかし、その一方で、そこに落とし穴はないのか。われわれは無批判に技術の恩恵に浴しているだけで、本当に大丈夫なのか。伝統的なリバイアサン的統治権力が、ビッグデータなどの新しい武器を手にした時、市民社会はこれに太刀打ちできるのか。真の敵はどこにいるのか。アメリカの諜報活動に詳しい菅原出氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

この選挙は何を私たちに問うているのか

(第639回 放送日 2013年07月13日 PART1:46分 PART2:49分)
ゲスト:小林 良彰氏(慶応大学法学部教授)

  どうも選挙に盛り上がりが感じられない。本来であれば、憲政史上初めて憲法改正を公約に掲げた政権党が審判を受ける選挙であり、長年日本の政治にとって足枷だった衆参の捻じれが解消されるかどうかも問われている、重大な選挙のはずなのに、だ。
 世論調査などでも、高い支持率に支えられた政権与党の有利が伝えられている。ある意味、無風選挙なのかもしれない。
 しかし、それで本当にいいのか。
 計量政治学が専門で、有権者の投票行動の分析に詳しいゲストの小林良彰慶応大学教授は「今回与党は手堅く組織票を固める戦術で動いており、非常に静かな選挙戦だ」と指摘する。特に風が吹いていない今回の選挙では、タレントなどに頼るのではなく、自分たちの支持母体をしっかりと固めた方が有利だということのようだ。
 結局、過去の選挙結果をみてみると、その時々の景気動向が選挙結果を大きく左右しているのがわかる。2006年以降、日本の政治がなかなか安定せず、政権のトップが毎年のようにすげ替えられていたことと、その間、日本の景気がずっと振るわなかったことは、決して偶然の一致ではない。  しかし、果たしてそれだけでいいのか。小林氏は有権者はとかく景気や経済状況など目先の「生活争点」に目が奪われがちだと指摘する。実際は生活争点には政党間でさほど大きな対立がない。どの党も景気は良い方がいいに決まっている。
 むしろ重要なのは、明確に賛否が分かれる政策「社会争点」の方だ。それは、例えば憲法改正や外交政策、エネルギー政策など、確かに賛否が明確に分かれる政策でもある。目先の景気ばかりに有権者の目が奪われると、本当に有権者の選択が大きく物を言う「社会争点」が見えにくくなる。今回の参院選がまさにそんな選挙だと小林氏は言う。
 例えば与党自民党は、憲法改正を選挙公約に掲げている。そして、自民党憲法案に含まれる義務規定や人権に対する制約などの問題点は、この番組でも度々報じてきた通りだ。エネルギー政策においても原発再稼働を認めるのか、この先も原発に依存するのか、明確な賛否の分岐点がある。しかし、今回の参院選ではこれら重要な社会争点は生活争点の陰に隠れ、大きな議論の対象になっていない。 
 景気がいいことに気を良くして、安易に政権与党に白紙委任状を手渡せば、選挙後これらの社会争点が表面化してくることは必至だ。白紙委任状を受け取った勢力が、自分たちのやりたいようになるのは当然だろう。その時になって、現政権の経済政策を評価しただけであって、憲法改正まで認めたわけではないと泣き言を言ってもはじまらないのだ。既に与党は衆院で325議席を持ち、3分の2以上の勢力を保有している。これで参院も与党が過半数を握れば、民意があらゆる政策を与党のペースで決めることを認めたということになる。
 このままの静かな選挙でいいのか。小林氏は、静かな選挙をまねいているのは、野党にも大きな責任があると苦言を呈する。野党が憲法や原発などの重要な社会争点で、与党との間で明確な対立軸を打ち出せてないからだ。しかし、どこが政権の座につこうが、選挙後は憲法改正をはじめ、社会保障制度改革や原発、財政再建、そして規制緩和などに取り組まなければならない。今、そうした社会争点について各政党の主張を聞かれて、きちんと答えられる人がどれほどいるだろうか。
 われわれは今回の参院選で何を選ぼうとしているのか。自らの投票行動が、この先の日本にどんな結果をもたらすかを、真剣に検討しただろうか。まかり間違ってても、気がついた時は手遅れだったというような事態だけは避けなければならない。この選挙が何を私たちに問うているかを、ゲストの小林良彰氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

なぜ原発が選挙の争点にならないのか

(第640回 放送日 2013年07月20 PART1:59分 PART2:57分)
ゲスト:武田 徹氏(ジャーナリスト)

  参議院通常選挙が21日に投票日を迎えるが、特に目立った政策論争もなく、ほぼ無風のなかで与党の優勢が伝えられている。各党とも公約を並べ懸命に支持を訴えてはいるが、なぜかどれも有権者に大きくは響いていないように見える。特に原発の問題は、有権者にとって社会保障や景気対策と比べて、遙かに優先順位の低い問題になっていることが、慶応大学の小林良彰教授の調査で明らかになっている。
 原発が選挙戦の争点になっていないことを見透かしたように、電力各社は今週相次いで原発の再稼働を申請しているが、日本はまだこれから原発をどうするかについての選択はしていない。民主党政権の下で、2030年代末までの原発ゼロを目指すことが一旦は決定したが、その後安倍政権になってその政策は白紙撤回されている。しかし、自民党は今回の選挙で、「安全と判断された原発の再稼働については、地元自治体の理解が得られるよう最大限の努力する」と当面の方針を示しているだけで、これから原発をどうしていくかについての明確な道筋は示していない。ちなみに、2012年12月の衆院選における自民党の公約は、「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立を目指す」だった。
 そもそも景気のような「生活争点」については、どの党も景気がいいことが望ましいのが当たり前なため、選挙の争点にはなり難いはずだ。各党の政策にも明確な対立軸は見られない。むしろ原発政策のような「社会争点」こそが、「原発推進」と「脱原発」のような形で対立軸が明確になり、有権者にとっては政党を選ぶ判断材料になりやすい。にもかかわらず、原発が選挙の争点にならないのはなぜか。
 ジャーナリストで原発をめぐるメディアや世論の動向に詳しい武田徹氏は、原発が選挙の争点にならない理由として、原発論争が「絶対推進」と「絶対反対」の二項対立の図式に陥った結果、どちらも実際にはあり得ない選択肢しか提示できなくなっていることをあげる。結果的に、原発に対して明確な意思表示をしていない自民党が有利に選挙戦を進め、他のほぼすべての政党が明確に原発に反対しながら、いずれも自民党の後塵を拝する形になっている。「このままでは、原発をどうするのか議論が深まらないまま、“何となく原発大国”への道が復活してしまう」最悪のシナリオになりかねないと武田氏は現状を危惧する。
 武田氏はこの両者のかみ合わない議論の不毛さを、囚人のジレンマに喩えて解説する。囚人のジレンマとは、2人の人間が捕まった時、相手が先に自分を裏切るのではないかと疑心暗鬼に陥り、結局両方とも我先にと自白をしてしまうことを言う。双方が相手を信じ、どちらも最後まで自白をしなければ、2人とも無罪放免になるのに、という設定だ。最良の結果を望むなら、お互いが協力解を導き出すだろうという相互信頼が不可欠だ。そうなれば、推進側はこれまで固執してきた安全神話を捨て、より踏み込んだ安全対策や情報公開ができるようになるかもしれないし、反対派の方もただちにすべての原発を止めることを求めるのではなく、原発を漸減していく中で代替エネルギーに移行していくような妥協が成立できるはずだ。
 しかし、現実の原発をめぐる対立では根深い相互不信の結果、お互いにとって一番避けたい事態に陥っているのではないかと武田氏は言う。それはつまり、反対派が全ての原発の即時停止を求め、そこには一切妥協の余地がない姿勢で反対運動に邁進するのに対し、推進派は反対派につけ込まれないようにするために、不毛な安全神話を掲げながら、十分な安全対策を取らないまま、原発推進の道を突っ走るというものだ。
 福島の事故で、日本は原発の「残余のリスク」の大きさを十分に思い知ったはずだ。また、地震大国日本にとって、原発が更にリスクの高いものであることにも、異論を差し挟む余地はないはずだ。できるならば原発はないに越したことはないと思う人が日本人の大半を占めることも、各種世論調査からわかっている。
 しかし、同時にこれまで国策として推進してきた原発をゼロにするためには、それに依存する地元経済の問題や、代替エネルギー源をどうするのか、再生可能エネルギーへの移行期間に電気代の高騰をいかにして防ぐか、国際協調や対米関係など、多くの解決しなければならない難問が横たわっている。そうした問題への解決策を何一つ提示せずに、単に脱原発を叫んでいるだけでは、原発ゼロなど到底実現できないばかりか、下手をすると原発推進に手を貸すことにさえなりかねない。
 原発が選挙の争点にならない最大の理由は、原発の賛成、反対で議論が止まったまま、そうした数々の具体的な問題にどう対処していくかまで議論が至っていないところにあるのではないか。福島原発事故をきっかけに脱原発に舵を切ったドイツは原発の残余のリスクを科学的視点からだけではなく、倫理・哲学的な面からも徹底的に議論して合意形成をはかってきた。そして、何よりもドイツでは1990年代から電力の自由化を進め、それと並行して再生可能エネルギーを推進してきた。ドイツが脱原発に舵を切れたのは、単に原発反対の世論に押されたのではなく、脱原発を選ぶことで実際に生じる様々な問題に対する解決策が見えたからだったのだ。
 われわれは原発をめぐる不毛な二項対立の構図を残したまま、「なんとなく原発大国」への道を選んでしまうのか。今回の選挙では原発について現実的な脱原発のシナリオを提示している政党や候補者はいないのか。われわれはそれをきちんと見極めた上で投票する用意があるか。ゲストの武田徹氏とともに、ジャーナリストの神保哲生を社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.62(621~630回収録)

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「だから復興が進まない」でいいのか

(第621回 放送日 2013年03月09日 PART1:48分 PART2:71分)
ゲスト:戸羽 太氏(陸前高田市長)

あの震災から2年が経つ。未曾有の大災害に見舞われた被災地はいまどうなっているのか。節目のこの時期にメディアの報道も増えてはいるが、実際に被災地の復興はいったいどこまで進んでいるのか。今週のマル激は、ジャーナリストの神保哲生が2年前の震災直後に取材した岩手県陸前高田市を社会学者の宮台真司とともに再訪し、現地からの特別番組をお送りする。
 陸前高田市は17mを超す巨大津波に襲われ人口の約9%にあたる1700人以上の市民と市街地のほぼ全域を失った。その時点で就任から1ヶ月も経たない新人市長だった陸前高田市の戸羽太氏は当時の様子をこう話す。「津波が退く時、がれきと一緒に流されていく人たちが沢山いた。市役所屋上に避難できた我々から、ほんの10~15m先のところなのに、どうすることもできなかった。ただ『頑張れ』と声をかけることしかできなかった。絶対に忘れられない光景です」。
 それから2年。現在の陸前高田市は市内全域につもったがれきの撤去こそ進んだが、その後にガランとした広大な更地が放置されたままになっている。商店も住居も何一つ戻ってきていない。復興などまったく手つかずの状態だ。その間、被災住民は仮設住宅での暮らしを余儀なくされ、商店も営業再開のメドはたっていない。
 なぜこれほどまでに復興が進まないのか。戸羽氏は「復興、復興」とかけ声だけは盛んな政府や行政の本気度に疑問を呈する。そもそも現在の復興計画は阪神淡路大震災の教訓を元に作られた復興特措法に沿って行われている。しかし、これは地震のみを想定したもので、これだけ広範囲に津波の被害が及ぶ災害は想定外だ。同じ場所に建物を建て直すことができる地震と比べ、津波の被害を受けた地域は、高台への移転や土地のかさ上げなどが必要となる。復興特措法が想定していない問題には、ことごとく許認可行政の壁が立ちはだかる。例えば、高台移転のために新たに山林を切りひらいて宅地を造成する場合、通常の開発行為と見なされ、承認に大臣の決裁を必要となるため、半年も待たされるという。戸羽市長は「地震と津波の被害が全然違うものであることが理解されるまでに2年かかった。」「口では『被災地に寄り添う』などと言っているが、果たしてこれが被災地のことを考えた復興なのか」と憤る。そして「千年に一度の大災害であるならば、そこからの復興もまた千年に一度の特別な体制で進めて欲しい」と訴える。
 人間味が感じられない縦割り行政や許認可行政の壁もさることながら、戸羽氏はこのような緊急時に「おれが責任を取る」として介入してこなかった政治の責任も厳しく批判する。法律にその規定がない以上行政官僚が「官僚的な」対応しかできないのはある意味では当然のこと。そこに政治本来の役割があるはずだが、「民主党政権では最後までそれがなかった」と戸羽氏は言う。戸羽氏はまた、安倍政権になってからここまでは政治が積極的に関与する姿勢を見せていることを歓迎しつつも、「もし安倍政権でも復興が進まなかったら、いよいよわれわれは絶望するしかない」と、危機感を募らせる。
 戸羽氏の危機感の背後には、被災地を覆い始めている半ば諦めにも似た無力感と、あたかも被災地の存在を忘れたかのように振る舞い始めている被災地の外の日本社会の姿がある。そもそも政治が動かなかった責任の一端は、われわれ市民にある。先の総選挙でも被災地の復興は選挙の争点にならなかった。われわれ日本人はある程度時間が経てば、同じ国の中で未曾有の災害に遭遇して困っている人たちのことを平気で忘れてしまうような国民になってしまったのだろうか。  戸羽市長は市街地が全壊したためにゼロからの街作りをしなければならなくなったことを奇貨として、今後、陸前高田を障害者も高齢者も誰もが同じように暮らせるバリアフリーな福祉都市として再興していきたいとの抱負を語る。「復旧で同じ街を作り直すのではなく、自分たちの知恵で新しい街を創り出すための復興にしたい」という。従来のような街づくりでは、今後地方都市が生き残っていくのは難しい。悪夢のような震災からの復興を機に、本当の夢のある、特色を持った新しい街を創り出そうというのだ。
 震災から2年経った今もなぜ陸前高田は更地のままなのか。何が復興の足を引っ張っているのか。街が全壊した陸前高田は再び甦ることができるのか。その際の足かせとなっているものは何か。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、プレハブの陸前高田仮市庁舎で戸羽市長に訊いた。

福島原発は今どうなっているのか

(第622回 放送日 2013年03月16日 PART1:46分 PART2:46分)
ゲスト:田中 三彦氏(元国会事故調委員・科学ジャーナリスト)

 あの原発事故から2年。メディアは軒並み震災2周年企画を打ち上げ、ニュースは15万を超える福島から避難した人々の帰還計画を伝えている。しかし、最悪のレベル7事故を起こした福島第一原発は今どんな状況にあるのか。大量の放射能漏れ事故に至った原因は究明されたのか。
福島原発事故を調査した国会事故調は、昨年の7月に優に600ページを超える分厚い報告書をまとめた。「福島原子力発電所事故は終わっていない」という書き出しで始まる報告書は、「当時の政府、規制当局、そして事業者は原子力のシビアアクシデント(過酷事故)における心の準備や、各自の地位に伴う責任の重さへの理解、そして、それを果たす覚悟はあったのか」と厳しく問うている。そしてその委員を務め、自らも福島第一原発4号炉を設計・施工した経験を持つ科学ジャーナリストの田中三彦氏も「福島原発事故は終わっていない」と強調する。
現在福島第一原発の1~3号機は、いずれも高温によって核燃料が溶融するメルトダウンを起こし、それが圧力容器を突き破り外部に出てくるメルトスルーを起こした状態にある。放射線量が高いために核燃料に近づくこともできず、メルトスルーをした核燃料が今どのにどのような状態でなっているかは誰にもわからない状態だ。ただ、核燃料の状態や正確な場所はわからないものの、とにかく格納容器に大量の水を送り込めば、何とか辛うじて核燃料を冷やることはできている。そして、セシウムを取り除きながら暫定的に冷却水を循環させる循環冷却システムもどうにか稼働している。
しかし、圧力容器もその外側にある格納容器もいずれも穴の開いた状態にあるため、核燃料が露出している状態にあることには変わりがない。そして更にやっかいなことに、おそらく原子炉建屋地下のコンクリートの裂け目から地下水が侵入しているとみられ、循環冷却システムの水とは別に毎日400トンもの汚染水がタンクに溜まり続けている。今や福島第一原発の敷地内は汚染水を貯蔵したタンクが敷き詰められた状態になっているという。
とりあえず大量の水を送り込むことで辛うじて核燃料を冷却できているが、その循環冷却システムとて長いホースを地面に這わせる状態で何とか動いているのが現状で、ホースから水が漏れ出すような事態も報告されている。そしてまた、万が一もう一度大きな地震や津波に襲われれば、使用済み核燃料プールに大量の核燃料が保存されている4号機も含め、現在の「小康状態」が維持できるかどうかさえ定かではない。
事故から丸2年、野田首相による事故収束宣言からはや1年4ヶ月が経つが、福島第一原発は依然として薄氷を踏むような状態が続いているのだ。
事故の原因についても、まだ十分に究明されたとは言い難い。福島原発事故は予想を超える大津波がその元凶であると考えられているし、事実、津波は発電所の各所に甚大な損害を与えたことは間違いない。しかし、田中氏は津波だけであのような過酷な事故に至ったかについて疑問を呈する。その原因を探るため、去年2月、国会事故調は福島第一原発1号機建屋への立ち入り調査を東京電力に要請したが、「建屋内部は真っ暗」との説明を受け断念していた。ところが実は調査に十分な明るさはあったことが後に判明する。田中氏は「1号機建屋4階には事故の原因究明につながる何かがある。」と訝る。
福島原発の核燃料の冷却は少なくともまだ今後10数年は必要だといわれている。その間、汚染水は出続け、事故原因の究明も不十分なまま日本は原発の再稼働に向けて動き出しているように見える。メルトスルーした原子炉の地下から核燃料を取り出し、真の廃炉を実現するまでには、あとどれだけの月日を要するのか。それまで周辺自治体に住民を帰還させて本当に大丈夫なのか。溜まり続ける使用済み核燃料の最終処分はどうするのか。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、元国会事故調委員の田中三彦氏とともにあえて福島原発の現状と課題を議論した。

TPP対米交渉に死角はないか

(第623回 放送日 2013年03月23日 PART1:62分 PART2:46分)
ゲスト:馬田 啓一氏(杏林大学総合政策学部教授)

 安倍首相が3月15日、TPP交渉への参加を表明し、いよいよ日本は原則として「例外なき関税の撤廃」を条件とする多国間経済協定の締結に向けた本格的な交渉に突入する。安倍首相は日米首脳会談で「聖域無き関税撤廃が前提ではないことが確認できた」というが、それはあくまでそれが交渉参加の条件ではないことが確認されたに過ぎない。いざ蓋を開けてみたらどんな合意内容になるのか、また、どの程度例外が認められるような状況なのかは、今のところまったく未知数だ。
 TPP交渉は交渉への参加が認められた国のみが内容を知ることができる秘密会合であることから、まだ参加が正式に認められたわけではない日本には、実際の協議の中身がどうなっているかは正確にはわからない。そのために参加をめぐり国論を二分する事態にもなっているが、ここまでリークされた情報などから、やはりアメリカが交渉の中心にいることは間違いなさそうだ。そうなると、結局は対米交渉の成否が、日本にとってTPP参加の影響を決定的に左右することになると見ていいだろう。
 TPPは、もともと「P4」と呼ばれるブルネイ、シンガポール、チリ、ニュージーランドの4カ国で2006年にスタートした多国間自由貿易協定だったが、2009年のアメリカの交渉参加を機に太平洋地域全体を巻き込む大きな貿易圏の形成へと向かい始めた。通商交渉に詳しいゲストの馬田啓一氏は「アメリカはTPPを入り口にアジア太平洋地域全体を包含する自由貿易圏の形成」を目指していて、究極的にはその枠組みに中国を引き込むことにアメリカの真意があることは明らかだと指摘する。つまり、TPP交渉でアメリカがどこまで例外を認めるかは、後で中国が協定に参加することを想定した上で、譲れるものと譲れないものを判断した結果になるということだ。
 アメリカとの自由貿易交渉としては、1990年代のNAFTA(北米自由貿易協定)でカナダとメキシコが、また昨年発効した米韓FTAでは韓国が、一足先にアメリカとのFTAを経験している。その内容を見ると、例えば韓国では「主権を売り渡した」とまで酷評されているISDS条項(国家と投資家の間の紛争解決手続)でも、米企業が勝訴しているケースは非常に少ないと馬田氏は言う。また、米企業が勝訴するのとほぼ同じくらいの割合でカナダやメキシコ企業が勝訴しているケースもあり、「日本が提訴されるケースにばかり注目が集まるが、日本企業が海外進出する点を考えるとむしろ日本にとって必要な条項だ」と馬田氏は言う。
 確かにアメリカは交渉巧者で手強い相手であることはまちがいない。しかし馬田氏はTPPが多国間交渉であることから、アメリカとの二国間交渉の場合に比べて日本にも勝機はあると指摘する。大国のアメリカが無理難題を押しつけようとしてきたら、日本が他の11ヶ国と連携してアメリカに太刀打ちするような交渉術が必要になるということだ。また、アメリカのオバマ大統領はできれば年内中、遅くとも中間選挙の年となる来年の春までにはTPPの交渉をまとめなければならないという国内政治的な事情もある。そのあたりの「家庭の事情」を逆手にとり、日本が交渉のまとめ役を買って出ながら、巧みに自分たちの主張を合意案に滑り込ませていくようなしたたかな交渉が果たして日本にできるかどうかが問われることになると馬田氏は言う。
 TPP交渉参加に向けて動き出した日本に落とし穴はないのか。アメリカ、オーストラリアを含む11ヶ国の思惑が渦巻く交渉の場で、日本は国益を守ることができるのか。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、NAFTA、米韓FTAなどの過去の対米FTA交渉をウオッチしてきた馬田啓一氏と議論した。

5金スペシャル われわれの「食」はどこに向かうのか

(第624回 放送日 2013年03月30日 PART1:64分 PART2:46分)

 5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。TPP交渉参加を機に食をめぐる議論が盛んになりつつある。そこで今回の5金では「食」に関するドキュメンタリー作品を特集してお送りする。
 まず取り上げたのは、日本でも近日公開予定の映画『世界が食べられなくなる日』。フランスのドキュメンタリー映画で、遺伝子組み換えと原子力がテーマだ。映画の制作中に福島原発事故に直面した監督のジャン=ポール・ジョー氏は「二つのテクノロジーは私にとって不可分のものとなった」と話す。そして「この二つのテクノロジーは不透明さと嘘によってわれわれに押しつけられた。二つとも人類にとって制御不能で不可逆的な影響を与える」と警告する。この作品で紹介されている、2年間にマウスに遺伝子組み換え作物を与え続けた結果、何が起きたのか。遺伝子組み換えと原発がこれから先、人類にどのような危機をもたらすのかを考えた。
 次に取り上げた作品は『フード・インク』。われわれが普段から口にしている食べ物の裏側、つまり、どこで、誰が、どのようにして製造・栽培・飼育しているか、が嫌になるほど分かる作品だ。いまや高度に工業化された食産業について、われわれは実はほとんど何も知らされていない。スパーマーケットに並ぶ色とりどりの生鮮食料品やスナック、飲料品などはどこで作られていて、その背後にはどのような構造があるのか。貿易自由化によって効率の良い遺伝子組み換えの輸入作物に席巻され、窮地に立たされている農家や多国籍食品会社に支配されている畜産家など、その影響は国家間の経済格差や貧困問題、飢餓の仕組みにまで及ぶ。
 このほか欧州の漁業問題や流通問題を取り上げている『ありあまるごちそう』、山形県固有の在来作物種をめぐる『よみがえりのレシピ』など、食から世界が見えてくる作品について、監督・関係者へのインタビューなども交えてジャーナリストの神保哲生と宮台真司が議論した。

「一人一票」で日本はこう変わる

(第625回 放送日 2013年04月06日 PART1:96分 PART2:29分)
ゲスト:升永 英俊氏(弁護士)

 やはり日本は民主主義国家ではないのだろうか。  繰り返し違憲の烙印を押されながらこれまで放置されてきた「一票の格差」問題が、ここにきてようやく慌ただしく動き始めた。先の衆議院選挙の無効を申し立てた16の裁判の判決が出そろい、2件の「違憲・無効」判決を筆頭に、全ての高裁判決で「違憲」または「違憲状態」が確認された。
 違憲判決のラッシュ、とりわけ無効判決に危機感を覚えたのだろう。政府・与党は「0増5減」の区割り変更によって何とか一票の格差を2倍未満に抑え込み危機を乗り越えるつもりのようだが、そんなものは何の解決にもなっていない。0増5減では2011年の違憲判決で最高裁が求めている一人別枠方式はまったく手つかずだし、そもそも最初から1.998倍の格差がついた制度変更が許されるという発想自体が、憲法や民主政治の精神を根本から冒涜している。
 いきおい、既に2つの弁護士グループが、今夏の参院選挙、そして次の衆院選挙で「差し止め」や「無効」を求める訴訟を準備している。恐らく違憲・無効判決が出るのは必至だろう。
 「一人一票実現国民会議」の発起人で数々の選挙無効裁判の原告でもある升永英俊弁護士は、日本では議員1人当たりの人口格差が20万人以上もあるのに対して、例えばアメリカのペンシルバニア州ではたったの1人であることを指摘した上で、日本では民主主義の基本が理解されていないと嘆く。
 また升永氏は、昨年の総選挙に対して起こされた16の裁判のうち、選挙における人口比例原則を確認した福岡高裁の判決に最も注目しているという。福岡高裁では判決は「違憲状態」にとどまったが、「投票の平等」が定義されている。これこそが憲法が謳う法の前の平等だと升永氏は言う。
 その上で、升永氏は今夏の参院選挙と2016年の参院選挙、そして次期衆院選挙で、全選挙区で一斉に選挙無効裁判を起こす考えだという。これまでの一票の格差裁判は公選法の規定に基づき、特定の選挙区のみで訴訟が提訴されてきたため、選挙全体を無効とする判決を出すことが難しかった。裁判所はそのあたりの事情を考慮に入れ、違憲ながらも選挙自体は無効としない事情判決を繰り返し出してきた。しかし、もし無効訴訟が全選挙区で一斉に提起されれば、事情判決を出す理由が無くなるはずだと升永氏は言う。
 「一票の格差」は民主主義の基本原則に反する一方で、われわれの日々の生活にも大きな影響を及ぼしている。計量政治学が専門の小林良彰慶應大学教授は、「少ない人口で選出された過剰代表議員(多くは地方部選出)の公約や発言が、現実の政策に反映されやすくなっている」ことを指摘する。また、一票の格差問題に詳しい和田淳一郎横浜市立大教授も、一票の価値が軽い都市部の有権者の利益が軽視されることで、日本経済全体が非効率になっていると指摘する。
 「一票の格差」とはわれわれ有権者の投票権に対する明確な差別であり、2倍未満ならいいという類の話ではない。また、これを放置しておくと政治が歪められ、経済的にも損失を被るなど、百害あって一理もない。そもそも日本人の多くは、現在の日本の一票の格差が、他の先進国と比べた時にどれだけ突出して大きいかさえ知らない。日本で投票権の平等を実現することは革命に等しいと語る「一人一票実現国民会議」発起人の升永氏とともに、一票の格差問題をジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が徹底的に議論した。

幹事長、民主党政権大丈夫ですか

(第626回 放送日 2013年04月13日 PART1:66分 PART2:52分)
ゲスト:武貞 秀士氏(東北アジア国際戦略研究所客員研究員)

 ミサイルを倉庫から出し入れしてみたり、発射台を上に向けてみたり、また下げてみたり。人口にして2400万人、一人あたりGDPが年間1000ドル(約10万円)あまりの国に、世界中が翻弄されまくっている。
北朝鮮は本気でミサイルを発射するのか。一体全体北朝鮮は何がしたいのか。なぜ世界はこうも簡単に北朝鮮に翻弄されてしまうのか。
 金正恩が朝鮮労働党の第一書記に就任してから4月11日でちょうど丸1年が経過した。依然として強硬姿勢を崩さない北朝鮮だが、核実験に成功し、その後昨年末にミサイルの発射にも成功して以来、今年に入ってますます過激な動きを見せている。2月には3回目の核実験を実施したのに続いて、先月は朝鮮戦争休戦協定の白紙化を宣言し、韓国との不可侵合意すら破棄し、そして今月はミサイル発射を仄めかすなど、一見するとまるで戦争準備とも受け取れる動きまで見せている。国連安保理制裁決議も今のところ、北朝鮮を押しとどめる役には立っていない。
 しかし、これまで北朝鮮は瀬戸際外交が得意な国とされ、ミサイルを撃つそぶりを見せながら相手から譲歩を引き出していくことにかけては、秀でていたかもしれないが、ここでミサイルを撃ってしまっては、北朝鮮には何の得にもならないようにも思える。
 一体全体、北朝鮮の狙いは何なのか。
 朝鮮半島情勢に詳しいゲストの武貞秀士氏(東北アジア国際戦略研究所・客員研究員)はわれわれは北朝鮮の真意を見誤り続けてきたと指摘する。北朝鮮は「体制の保証」を求めて核開発を行い、軍事力による示威行為を繰り返してきたと見られているが、武貞氏は「北朝鮮の言う『体制』とは、朝鮮半島全体、すなわち韓国との統一を含めた『体制』」を意味する」と分析する。この点を日本政府はもちろん、アメリカも周辺各国も理解できていなかった。それが結果的に、世界中が北朝鮮に振り回されることとなり、挙げ句の果てに気がつけば北朝鮮は核兵器もミサイルも保有する、もはや無視はできない国になってしまった。
 対外交渉においても、十分に計算されたメッセージを的確に発することで、相手国の裏をかき、結果自らに有利になる展開に持ち込んできたと武貞氏は言う。どうやら、北朝鮮情勢をここまで緊迫させた原因の少なくとも一旦は、われわれの側に北朝鮮に対する大いなる誤解があるようだ。
 われわれの多くが、「大飢饉による何万人もの餓死者」を出し、「多くの国民は瓦屋根の家にも住めない」ような北朝鮮が、高度な情報集積と優秀な人材が必要となる核・ミサイル開発など出来るはずもない、しばらく放っておけば国家は内部から崩壊するだろう、とたかをくくってきた。むしろ北朝鮮の現体制崩壊後の日本への影響を真剣に心配するような言説まであった。しかし現実は見事に裏切られ、遂に核による抑止力を手にした北朝鮮は、いまや沖縄の在日米軍基地を射程におさめるミサイル開発にも成功しつつあると言われている。これからはそれらの軍事力を背景に、ますます世界を翻弄し続ける可能性が十分にある。
 北朝鮮のここ一連の攻勢は、金正恩なくしては語れないと武貞氏は言う。30歳にして大国アメリカをも手玉に取る金正恩とは一体何者なのか。一説によると海外留学なども経験してきたこれまでの経歴から、イデオロギーには拘泥せず、たとえ西側のものでも取り入れていく人物であるという。特にバスケットボールを愛好していて、先日、NBAの元スター選手、デニス・ロッドマンを平壌に招待したのは外交的な意図と同時に本人の好みも多分にあったと見られている。そして、そうした一見個人的な趣味と見られるような動きの中にも、対米メッセージを織り込んで、周到に計算された交渉術を見ることが出来るという。国内的には、祖父である故・金日成氏を彷彿とさせるスタイルを意識的に取り入れて、自らのカリスマ性を高めるような行為を随所で見せている。
 過大評価は避けなければならないが、どうやら世界が北朝鮮にここまで振り回されるに至った原因の一端は、われわれが北朝鮮という国を過小評価し、甘く見てきたところにあったことは認めざるを得ないかもしれない。しかし、われわれは何を見誤ってきたのか。また、なぜそのような見誤りが生じたのか。そして最高指導者・金正恩とはいったい何者なのか。
 北朝鮮の最新の動向を追いつつ、その背景を探りながら、そこから見えてくる対北朝鮮政策における失敗や、金正恩の人物像について、2年間の韓国での教員生活から帰国したばかりの武貞秀士氏を交えながら、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

「共通番号制」から離脱する権利を認めよ

(第627回 放送日 2013年04月20日 PART1:68分)
ゲスト:醍醐 聰氏(東京大学名誉教授)

 国民一人一人に番号を付ける「共通番号制」の法案審議が衆院内閣委員会で進められている。これは納税者情報を正確に把握することを目的としたもので、今回の法案化の動きは、旧社会保険庁の年金不祥事、特に「消えた年金問題」を契機に、年金情報を含む個人情報の一元管理の必要性が叫ばれたことに端を発する。民主党政権下で「社会保障と税の一体改革」の中に盛り込まれた「マイナンバー」を、政権に復帰した自民・公明の与党が修正を加えて「共通番号」として提案してきたものである。
 国民を番号で管理するという発想は、1970年の「事務処理用統一個人コード構想」、いわゆる「国民総背番号制」にさかのぼる。そして、その後も類似の制度が政府によって検討、提言、提案されてきたが、いつの時代も「権力サイドによるプライバシーの侵害」「国家による国民管理」に対する懸念が払拭できず、頓挫してきた。今回もその懸念に変わりはない。しかも、社会環境は40年前とは一変している。パソコン、スマートフォンが普及し、インターネット環境も整備が進んだ結果、流通する情報量は爆発的に増え、しかもそれを処理する能力も飛躍的に向上している。どれだけ情報セキュリティに気を配っても、あらゆる個人情報が一つの番号に紐付けられることのリスクは、かつて無いほどに高まっている。とかく利便性が強調されがちだが、本当に共通番号を導入することによって得られる利便性は、そのリスクを上回ると言えるのか。
 たしかに現在でも個人は特定の番号に紐付けられている。クレジットカードしかり、運転免許証しかり、住基ネットしかり、だ。しかし、東大名誉教授で納税者番号制度に詳しい醍醐聰氏は「今回の制度は、従来からの縦方向の情報管理を横から串刺しにして横断的な一元管理を可能にするもの」と、共通番号制の問題点を指摘する。縦割りによってかろうじて保たれてきたファイアウォールが事実上無くなることで、情報流出の際のダメージは取り返しのつかないことになる恐れがある。
 その上で一番の問題は「われわれの側に制度を利用するかどうか決める選択権が保証されているかどうか疑わしい」ことだという。コンピュータ技術の進歩で、いやがおうにも個人情報の管理が容易になってしまった今日、各人が自分自身の情報をどう管理するかを決める「自己決定権」が保証されることが重要だ。そのためには制度への参加とともに、システムからの離脱権が保証されていなければならない。しかし、法案の条文上、そこがどうも曖昧だ。そして法案が成立したら、事実上、自動的に全国民に番号が与えられることになり、番号がなければ今後、様々な行政サービスを受けられなくなることもあり得るという。醍醐氏は、「こうした権利の制約は憲法違反の疑いすらある。今後、集団訴訟などの動きが出てくることも期待したい」と話す。
 また醍醐氏は、法案では、行政事務にとどまらず、民間へのシステム開放も想定されている点にも警戒が必要だと指摘する。一つの番号にあらゆる個人情報が紐付けされるシステムを民間事業者が利用するとなると、個人的な趣味や日常的な行動が特定の番号に蓄積されていくことにもつながりかねない。いまやネットでは当たり前になってきた「レコメンド機能(おすすめ機能)」が実生活上に入り込んでくることも考えられ、それは必ずしも良いことばかりではないようだ。むしろ逆に特定の情報から閉め出されたり、事業者に不利になるようなことが隠されたりすることにつながるという。
 法案には近年とみに増えてきている国会軽視の側面もみえる。法案に具体的なことを書き込まず、詳細は「別に政令で定める」となっている点だ。政令の発布には国会の議決や審議を必要としない。枠組みだけ先に作ってしまって、後から都合の良い中身を役所だけで考えましょうというのでは、あまりにも無責任で危険過ぎる。また、しきりと喧伝される行政事務の簡素化や効率化も、初期投資が2000~3000億円、その後もシステム維持に毎年200億円規模が必要との試算もある。これで本当に費用対効果に見合ったメリットがあるのか。新手のIT公共事業ではないのか。
 そもそも共通番号は誰のためのものなのか。番号による国民の管理について、海外での事例なども交えながら、ゲストの醍醐聰氏とともに、ジャーナリストの青木理と社会学者の宮台真司が議論した。

やはり和歌山カレー事件は冤罪だったのか

(第628回 放送日2013年04月27日 PART1:72分)
ゲスト:安田 好弘氏(弁護士・林眞須美死刑囚主任弁護人)

 和歌山カレー事件で新たな事実が明らかになった。もしかすると、これは決定的な新証拠になるかもしれない。
 夏祭りの炊き出しで出されたカレーに猛毒のヒ素が混入し、4人の死者と63人の負傷者を出した「和歌山カレー事件」は、林眞須美被告が否認・黙秘を続ける中、2009年4月に最高裁で死刑が確定している。今回、その死刑判決の重要な判断材料の一つだった「亜ヒ酸の鑑定」において、新たな事実が明らかになったのだ。
 今回問題となっている証拠は、犯行に使われたとみられる紙コップに付着していたヒ素(亜ヒ酸)と、林氏宅で見つかったヒ素とが同じ組成のものだったとする鑑定結果。林真須美氏の夫の健治さんがシロアリ駆除の仕事をしていたことから、林氏の自宅には普段からヒ素が保管されていたという。この鑑定結果は林真須美氏を有罪とする上で最も重要な証拠の一つだった。
 亜ヒ酸の鑑定については、当時最先端の大規模研究施設「SPring-8(スプリング・エイト)」を使った鑑定によって、科学な裏付けがなされたと考えられてきたが、今回、それを否定する新たな検証論文が京都大学の河合潤教授によって発表された。河合教授が『X線分析の進歩44号』に発表した論文によると、カレーにヒ素を混入するために使われたとされる紙コップに付着していたヒ素と林さん宅にあったヒ素をより詳細に検証した結果、両者の間には明らかに異なる不純物が見つかったという。河合教授は両者を「別のものであったと結論できる」としている。
この事件はもともと物証に乏しく、犯行に至った動機も解明されていない。林氏の弁護人を務める安田好弘弁護士によると、主な間接証拠も詳細に検討していくと必ずしも信頼性の高いものばかりではないという。安田氏はこの事件は最初から警察による事件の見立てに間違いがあったのではないかと言う。そして、メディアによるセンセーショナルな報道などもあって、捜査当局もそれを修正できないまま殺人事件として突っ走ってしまったとの見方を示す。
 安田弁護士は最高裁判決の直後から林氏の裁判の再審を求めているが、今回明らかになったヒ素鑑定の結果を追加した再審補充書を早速提出したという。確かに、今回明らかになった新事実を前にすると、最高裁が判決で述べているような「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に(林さんが犯人であることは)証明されている」と言えるのかどうかは明らかに疑わしくなっているように見える。しかし、日本では再審の壁はとても厚い。日本の司法界の構造として、裁判官が検察の訴えを退けてまで無罪判決を下すのには相当な重圧がかかるからだ。
 今回の新事実を、司法はどう判断するのか。事件の新事実をもとに、再審の問題、司法の裏側などについて、ゲストの安田好弘弁護士とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

世界は日本国憲法をどう見ているのか

(第629回 放送日 2013年05月03日 PART1:67分 PART2:69分)
ゲスト:ジャン・ユンカーマン氏(映画監督・ジャーナリスト)

 憲法改正を目指す政権の下で5月3日、日本は66回目の憲法記念日を迎えた。
 世論調査などの結果を見ても、憲法改正への抵抗感は明らかに弱まってきているようだ。安倍首相はまず、憲法改正のために衆参両院の3分の2以上の賛成を求めている第96条の国会発議の要件を引き下げ、過半数の賛成で可能にする改正の意向を示している。しかし、言うまでもなく安倍首相、そして自民党の目指す憲法改正の最終目標は第96条ではない。自民党は既に、基本的人権条項などを削除した独自の日本国憲法改正草案を発表しているし、戦争放棄を謳う憲法第9条の改正が自民党の長年の念願であることも周知の事実である。
 日本国憲法の「平和条項」は1947年の施行当時は画期的なものだった。世界中を巻き込んだ悲惨な戦争の直後に、戦争の当事国だった日本が平和条項を含む憲法を持ったことの意味は、その後に新たな憲法を制定する国々や独立する国々の憲法にも大きな影響を及ぼした。日本に続いて憲法に平和条項を盛り込む国が相次ぎ、今では世界の約200カ国のうち150カ国の憲法に何らかの平和条項があるという。
 その日本が今、憲法第9条を改正した場合、国際的にはどのような意味を持つのか。
 『映画 日本国憲法』の中でジョン・ダワー氏やノーム・チョムスキー氏ら世界の知識人12人のインタービューをしたジャン・ユンカーマン監督は「日本国憲法、特に憲法9条は国際的に日本の平和に対する姿勢の現れとして見られている。だから日本の憲法改正論議は国内問題ではなく、国際的な問題だ」と話す。その先駆けとなった日本が平和条項を改正すれば、それは日本の国際的な信用を損ねるのみならず、日本に倣って平和憲法を作った国々にも大きな落胆をもたらすだろう。ユンカーマン氏は、今日の日本の政治家たちにその視点が欠けていることに大きな危惧を抱くという。
 改憲論者の多くは、現在の日本国憲法は占領下でアメリカから押し付けられた憲法だから、改正をして独自の憲法を作らなければならないと主張する。しかし、現実はわれわれ日本人が自ら進んでこの憲法を受け入れ、寄り添い、その理念を懸命に護ってきた。ユンカーマン監督の映画に登場する識者たちも、日本がこの憲法が謳う崇高な理念を体現できるかどうかに、世界中が注目していると語る。
 また、アメリカの核の傘に護られながら、憲法9条を掲げるのは一国平和主義ではないかとの指摘もある。しかし、『映画 日本国憲法』の中でジョン・ダワー氏は「なぜ日本はもっと自信を持ってアメリカに向かって自己主張をしないのか」と苦言を呈する。せっかく憲法の中で崇高な理念を掲げながら、アメリカに対する精神的な隷属から抜け出せないことこそが、戦後の日本の悲劇であり、またそれが昨今の浅薄な改憲論議の根底にあるのではないかと言うのだ。
 いま日本は憲法を変えるべき時なのか。変えるとすれば、どのような改正が求められるのか。われわれは憲法を変えても大丈夫なのか。改正した憲法によってわれわれはどんな社会を実現しようとしているのか。『映画 日本国憲法』を通じて「世界の目」という視点から日本国憲法に焦点を当てたジャン・ユンカーマン氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

放射能に分断されるコミュニティの現実

(第630回 放送日 2013年05月11日 PART1:69分 PART2:69分)
ゲスト:山下 祐介氏(首都大学東京都市教養学部准教授)、市村 高志氏(とみおか子ども未来ネットワーク代表)

 「速やかに避難住民の帰還を実現させたい」
 これは2011年12月16日、当時の野田佳彦首相が福島第一原発事故の収束宣言を行った際の記者会見での一節だ。そして、それ以降政府は、避難地域の住民の帰還に向けた歩みを加速させてきた。
昨年以降、国は11の自治体に出されていた放射線量別の3種類の避難区域を、年間被曝量が20ミリシーベルト以下、50ミリシーベルト以下、そしてそれ以上の3つの区域に新たに再編し、20ミリシーベルト以下の区域を「避難指示解除準備区域」に指定した上で、基本的に立ち入り制限を解除した。野田前首相の言葉通り、「帰還」の実現に向けていよいよ舵を切ったようだ。
 しかし、福島の現実は「帰還」にはほど遠い。放射線量にもばらつきがあり、除染も一向に進んでいない。立ち入りが自由になったと言っても、下水、浄水などのインフラもないし、警察や消防機能も復旧していないため、住民たちは自分たちで防犯パトロールを行わなければならない。
そして、被災地では更に困った問題が持ち上がっている。帰還が可能な区域とそうでない区域への再編が、新たなコミュニティの分断を生んでしまっているのだ。
 町内に帰還が可能な区域とそうでない区域を抱え込んだ自治体の一つが、福島県富岡町だ。町は全域があの福島第一原発から20キロ圏内に含まれ、これまでは警戒区域として立ち入りが全面的に制限される「全町避難」の自治体の一つだ。事故から2年以上が経過した今も、町民は日本全国47都道府県に分散したまま避難生活を強いられ、町役場も郡山市郊外に仮のプレハブ庁舎を設け、かろうじてその機能を維持している状態だ。
 その富岡町が昨年末に行った町民へのアンケートでは、町に帰らないと答えた人の比率が4割に達し、帰りたいと答えた人の15%を大きく上回った。富岡町職員の菅野利行氏は「帰れ帰れと言っても、実際には何も進んでいない。帰れるような状態にはない」と、町民の置かれた苦しい立場を代弁する。  東京で避難生活を続ける富岡町民の市村高志氏は「自分たちが住んでいた町が今どういう状況に置かれているかも分からない。町民として何を信じて判断すればいいのか何の手がかりもない」と話す。国や東電が進める帰還スキームは、どのような考えに基づいて進められていて、被災地をどのように復旧させていくのかがまったく分からない中で、帰るか帰らないかだけを問われても、答えようがないと言うのだ。
 被災地の支援活動を続けている社会学者で首都大学東京准教授の山下祐介氏も国・行政の姿勢に疑問を呈する。「皆さんの復興は国がやりますと言っておきながら、結局は自治体や住民自らがやらないといけない状況になっている」と指摘する。
 そのような先が見えない状況が続くなか、富岡町では「帰りたいけど帰れない。戻りたいけど戻らないという町民が増えてきている。戻りたい住民と戻らない住民の分断も見られる」とこれまで分散されながらも辛うじて絆を保ってきた町が、ここにきていよいよ空中分解する恐れが出てきていることを市村氏は危惧する。
 放射能が分断したコミュニティをどう再生するのか。汚染された土地にさっさと見切りをつけて、新しい地で生活を再建することが正解なのか。戻りたい人だけ戻ればいいのか。そのような土地に共同体を再構築することが本当に可能なのか。そのような状況の下でも、国は被災地に帰れというのか。富岡町民の市村高志氏と被災者支援を続ける山下祐介准教授を迎えて、ジャーナリストの神保哲生を社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.61(611~620回収録)

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恒例年末神保・宮台トークライブ 日本病はなぜ治らないのか

(第611回 放送日 2012年12月29日 PART1:78分/PART2:63分)

 

 2012年は1年を通じて世界の主要国で国政選挙があり、多くの国で政権交代や首脳の交代が起きるなど、国際政治の舞台では大きな変革の年となった。
  フランスでは新自由主義路線のサルコジが敗れ社会党のオーランド政権が成立。ロシアではプーチンの権力専横に国民は承認を与えた。中国では習近平が、韓国では初の女性大統領となる朴槿恵政権が誕生し、アメリカではオバマ大統領が辛くも再選を果たした。
  そして日本でも年末の総選挙で民主党が惨敗、自民党が3年ぶりに政権の座に返り咲くなど、確かに政治的には出入りの激しい一年となった。
 しかし、多くの国で指導者や体制が変わった割には、大きな政策や路線変更があったという話はあまり聞こえてこない。政権や体制が変わっても、各国ともに経済停滞と財政難に喘ぐなか、政策的な選択肢が細っているようだ。
 日本でも安倍新首相が唱える金融緩和を中心とする「アベノミクス」に内外の関心が集まっているが、少子高齢化とそれを支える社会保障の立て直し、そしてそれと表裏一体の関係にある財政再建が喫緊の課題であることに変わりはない。また、東日本大震災の被災地の復興の遅れや、福島第一原発の事故の処理も、待ったなしの状態が続いている。
 安倍政権の誕生に道を開いた先の総選挙では、有権者の関心は目先の景気や雇用の問題に集中し、原発、財政再建などの大きな問題は二の次だったことが、メディアの出口調査などで明らかになっている。
 われわれ有権者は目先の問題にしか関心を持てないのか。長期的には損であっても、短期的に得になる選択をしてしまうのは、やむを得ないことなのか。
 泣いても笑っても日本はこれから未曾有の超高齢化社会に突入する。産業構造も社会構造ももはや右肩上がりの高度経済成長モデルが通用しなくなっていることは明らかだ。大きな構造の転換を図らなければこの難局を乗り越えられないことがわかっていても、日本はなかなか変わることができないでいる。選挙では現状維持を望む高齢層の人口が若年層の倍近くもあり、しかもその世代は投票率も高いため、選挙力学上は政治が高齢層の既得権益に切り込むことは容易ではない。マスメディアも本質的な問題には一向に切り込もうとしない。読者や視聴者にとって耳の痛い話は、スポンサーも歓迎しないし、視聴率や売り上げにも貢献しないからだ。
 問題の所在が明らかで、その処方箋もあるが、痛みが伴う改革ができないことは、世界の他の国々も似たり寄ったりかもしれない。もしかするとこれは民主主義の宿命、あるいは大きな欠点なのかもしれない。しかし、日本は世界に先駆けてその状態に突入し、それがもう20年以上も続いている。この「日本病」をわれわれはどうすれば克服できるのか。これは日本から少し遅れて同じような病に感染しつつある世界各国が注目しているところでもある。
 そこで、恒例となった今年の年末マル激ライブでは、日本病の背後にある構造とその克服のためにわれわれ一人ひとりが何を考えなければならないかを、神保哲生と宮台真司が議論した。 

2013年、テーマは愛

(第612回 放送日 2013年01月05日  PART1:68分/PART2:69分)
ゲスト:小幡 績氏(慶應大学准教授)、萱野 稔人氏(津田塾大学准教授)

 

 2013年最初のマル激は萱野稔人、小幡績両氏を招き今年の展望を議論した。
 昨年は世界の主要国の多くがレジュームチェンジを迎えた年だった。日本でも12月26日、安倍「危機突破内閣」が誕生し、「物価上昇2%(インフレターゲット)」の公約実現に向けて動き出した。先の総選挙では有権者の圧倒的多数が、景気や雇用の問題を原発やその他の社会政策に優先して投票したことが、世論調査などによって明らかになっているが、どうやら2013年も出だしから経済問題が世の中の大きな関心事になりそうだ。
 安倍政権が直ちに大型補正予算を組み、金融緩和への強いコミットメントを示すことで、少なくとも2013年初頭の株価や為替は安倍政権に好意的に反応しそうだ。しかし、安倍首相が掲げるインタゲ政策が、どの程度景気回復に功を奏するかはわからない。大いに期待する声がある一方で、安倍政権の経済政策に規制緩和や痛みの伴う構造改革などが見当たらないところから、財政出動と金融を柱とするアベノミクスだけでは実体経済面での効果を疑問視する向きもある。
 束の間の好況感に支えられた高支持率のまま7月の参院選に突入し、参議院でも自公で過半数を押さえた暁に出てくるものはどんな理念や政策なのか。
 小幡氏は安倍首相には運も味方していると言う。実は世界的に景気は回復してきており、日本だけが乗り遅れていた状態にあった。安倍首相の一連の発言がレバレッジ(てこ)になった面はあるが、実際のところ最近の株価の上昇傾向や円安の流れは、アベノミックスと根本的にはあまり関係ないのだという。
 2013年、われわれが目先の株価や為替レートなどに踊らされずにしっかりとウォッチしていかなければならないことが2つある。一つ目は、束の間の好況感の背後で実体経済がどうなっているのか、特に小幡氏が指摘する「雇用」が回復しているかどうかだ。そしてもう一つは、夏の参院選後に出てくるであろう憲法改正や集団的自衛権問題、自衛隊の国防軍化、教育改革といった安倍政権が目指す真のレジュームチェンジの中身がどのようなものになるのかを見極めることだ。
 政策変更自体は決して悪いことではない。なかなか物事が動かなかった日本にあって、大胆な政策変更は歓迎すべき面もある。しかし、その大前提はあえて重要な政策を変更することの目的とその対価をわれわれ一人ひとりがきちんと理解することだ。レジュームチェンジの真の目的は何なのか。それはわれわれを本当に今よりも幸せにするのか。そこに愛はあるのか。今年はそんなことを考えていきたい。
 経済学者の小幡績氏、哲学者の萱野稔人氏とともに、2013年の日本の針路を、神保哲生と宮台真司が議論した。

サルでもわかるアベノミクス入門

(第613回 放送日 2013年01月12日  PART1:66分 PART2:62分)
ゲスト:高橋 洋一氏(嘉悦大学教授)

 

 アベノミクスが動き始めた。「インフレターゲット」を定め、そこまで「無制限の金融緩和」を行うことを「日銀とアコード(政策協定)」することで、人為的に物価を押し上げ、日本をデフレから救い出すという至ってシンプルな論理だが、少なくともここまでのところは市場はこれを円安・株高をもって歓迎しているように見える。
 しかし、依然として多くのエコノミストや識者たちが、アベノミクス、とりわけインフレターゲット(インタゲ)政策には懸念を表明している。本当におカネを刷るすだけで物価が上がり、物価があがれば景気が回復するのか。どうすれば物価は上がるのか。本当に日本では2%のインフレは実現可能なのか。制御不能なインフレに陥る恐れはないのか。財政規律は維持できるのか等々。
 しかし、今週のゲストで安倍内閣の政策ブレーンでもある嘉悦大学教授の高橋洋一氏はアベノミクス、とりわけインタゲ政策については、「日本以外の国がみんなやっていることをやるだけの話」と、一連の懸念や批判を一笑に付す。日本はこれまでも十分な金融緩和をやってきたのに効果がなかったではないかとの主張に対しても、いくら通貨の供給量を増やしても20年かけてチョロチョロと小出しに供給量を増やすだけでは効果があがるはずがないと、これも一蹴する。「要はアクセルの踏み方の問題だ」として言い、半年で50兆円規模の資金供給を行えば「効果は出る」と言い切る。財政規律の崩壊や過度なインフレへの懸念についても、インフレによって名目GDPが成長するのだからそのような心配はないと語り、インフレターゲットが実現すればプライマリーバランス(基礎的財政収支)さえ回復が可能と説く。
 果たしてそうだろうか。しかし、おカネをジャブジャブ刷れば景気がよくなり、リスクや副作用もないという話は、どうしても素人には話がうますぎるように思えてならない。また、もしそんなに簡単にデフレから脱却できるのなら、なぜこれまで20年もの長きにわたり日本はデフレに苦しみながらのたうち回る必要があったのか、とも、思えてしまう。
 そこで今回は、日本におけるインタゲの言い出しっぺであると言っても過言ではない高橋氏に、なぜおカネを刷るだけで景気がよくなり経済成長が期待できるのかを、素人にもわかるイロハのレベルから解説してもらうことにした。
 果たして、前回の番組でインタゲに懐疑的だった宮台、萱野の両氏は、高橋氏の解説に納得するだろうか。   

水の話

(第614回 放送日 2013年01月19日 PART1:68分 PART2:58分)
ゲスト:橋本 淳司氏(ジャーナリスト)

 

 今年は水についていろいろな側面から考えてみたい。
 第一回目となる今回は、世界と日本の水問題の入門編をお送りする。
 地球上には70億の人口を養うのに十分な水資源がある。にもかかわらず世界各地で渇水や水不足、それを原因とする飢餓や衛生状態の悪化といった問題は後を絶たない。水資源は、あるところにはあるが無いところには無いという著しい偏在の問題を抱えていて、これが国際的な紛争や水資源争奪の原因となっている。急速に近代化が進む中国では増加している水需要をまかなうために、国際河川の上流部に大規模ダムを造って水を自国に引き込もうと躍起になっているが、関係国との摩擦が生じている。シンガポールはマレーシアからパイプラインを引いて水を輸入する一方で、水ビジネスを手がける国策会社を立ち上げて水の安全保障に取り組んでいる。サウジアラビア系の民間企業がナイル川の上流域で大規模な水プラントを建設して水利権を確保したが、それに反対する地元住民と武力衝突にまで発展しているケースもある。
 翻って日本の水資源はどうか。「日本は温暖湿潤な気候で降水量も多く水資源に恵まれている」。ほとんどの人はそう考えているのではないか。しかし水資源問題に詳しいジャーナリストの橋本淳司氏は「日本は決して水資源に恵まれているわけではない」と話す。
 年間の降水量こそ世界の平均を上回るが、国民一人当たりの水資源でみると、世界平均の半分程度に過ぎない。日本は雨はそこそこ降るが、急峻な地形であるがゆえに、降った水を貯めておくことが難しい。そのため、輸入食料を生産するために使われた「バーチャルウォーター」も計算に入れると、実は日本は水の輸入国だという。よく日本の食糧自給率が問題になるが、仮に日本が食糧自給率を本気で上げようと思っても、実は現在の日本の食生活を支えるだけの水資源が日本にはない。現在の水資源量のままでは、食糧自給率は頑張っても60%が限界なのだと、橋本氏は言う。
 しかし、そうした事情をよそに水をめぐるビジネスは活発だ。飲料メーカーは良質な水源から原価ほぼゼロの地下水をくみ上げて流通させるのに忙しい。消費者も安全な水を求めて水道水を敬遠し、ガソリンよりも高価な水を買っていく。また日本には地下水を管理保全するための基本法がないのをいいことに、外資系企業と組んで日本の水を海外に売り込む動きもあるという。日本では一旦土地を所有すれば、その下を流れる地下水の採掘権も付いてくると考えられている。そのため行きすぎた水資源の開発や利用を規制する手立てがなく、水源地を抱える地方自治体が各々の事情に合わせて条例や要項などを策定して対応しているのが現実だ。
 また、日本では公共サービスとして考えられてきた水道事業を、近年は民間に委託する動きも出てきている。世界には水関連事業をトータルで手がけて年間1兆円超の莫大な売上をあげている、通称「ウォーターバロン(水男爵)」と呼ばれる巨大企業が存在しているが、料金値上げや水道利用の差し止めなどをめぐって利用者としばしば衝突しているという。そしてそのウォーターバロン傘下の企業がすでに日本でも水道事業を受託し始めている。行政官庁が合理化・効率化の動きを促している面もあるが、そもそも水道事業が民営化に馴染むのか不明だ。
 水は命の源泉である。生命の維持はもちろん、われわれが健康で衛生的な生活を送ることができるのも十分な水資源があってこそだ。しかし、われわれはこれまで水に対して十分な関心を払ってきただろうか。日本ではいつも目の前を水が流れているために、これまでわれわれは少々水という物に対して無頓着過ぎたのではないか。
 ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、水資源問題に詳しい橋本氏と議論した。 

金融緩和で日本経済は復活するか

(第615回 放送日 2013年01月26日  PART1:1時間15分 PART2:1時間38分)
ゲスト:黒田 勲氏(医師・日本ヒューマンファクター研究所長)

 尼崎のJR宝塚線脱線事故から3週間が過ぎた。しかしこれと前後して、東京・足立区の竹の塚駅踏切の事故や相次ぐ航空機や管制関連のミスなど、事故の連鎖はとどまるところを知らないかに見える。なぜここに来て急に事故が増えているのか。
 40年以上にわたり航空機や列車事故の調査に関わってきた医師の黒田勲氏は、その原因をヒューマンエラーが不可避であることを前提とした安全システムを組めていないことにあると指摘する。ミスを最小化する努力を常に怠らないのは当然としても、人間は必ずミスを犯す。その大前提の上に立ち、ミスがあっても重大事故に至らないようなシステムを構築しなければならないところを、ミスを犯さないようにすることばかりに過度のエネルギーを割く余り、真に安全なシステムが構築できていないというのだ。そしてその姿勢は、事故の後に原因追求よりも責任追求を優先する態度にも如実に顕れているという。
 いみじくも信楽鉄道事故からちょうど14年目にあたるこの日、黒田氏とともに技術立国と呼ばれて久しい日本が、その成長の過程で置き忘れてきた「何か」について考えた。他、JR宝塚線事故報道のあり方、少女監禁事件についてなど。

再エネはどこまで行けそうか

(第616回 放送日2013年02月02日 PART1:47分 PART2:90分)
ゲスト:大林 ミカ氏(公益財団法人自然エネルギー財団ディレクター)、萱野 稔人氏(津田塾大学国際関係学科准教授) 

  原発事故によってエネルギー源を原発に依存することのリスクが広く認識され、ようやく昨年7月に固定価格買取制度(FIT=Feed-in Tariff)が導入されるなど、政府も再生可能エネルギーの推進に本腰を入れ始めているように見える。再エネ推進のカギを握るとされるFITの導入から半年あまり経った今、再エネはどの程度普及したのだろうか。
 FITは電力会社に対して、風力や太陽光発電、地熱発電など再生可能な自然エネルギーによって発電された電気を個人や事業者から一定の期間固定価格で買い取ることを義務づける制度。電力会社はその分の費用を、電気料金に上乗せして徴収することになる。電気を利用するすべての人が、月々の電気料金への賦課金という形で、再生可能エネルギーの普及にかかる費用を負担していることになる。再エネの普及が進めば進むほど、少なくとも当面の電気料金は高くなるという、一般のユーザーにとっては痛し痒しの制度という側面も持つが、地球温暖化を加速させる化石燃料や事故が起きれば大変な惨事を招く原子力に変わる新しい自然エネルギーへの期待は大きい。
 制度開始から半年、その枠組みは一見うまく機能しているように見える。1kwhあたり42円という高い買い取り価格が設定された太陽光発電を筆頭に、再エネの総発電量は順調に伸びてきているようだ。しかし、新たに政権の座に返り咲いた安倍政権は、民主党政権時代の「革新的エネルギー・環境戦略」はゼロベースで見直し、原発の新規建設についてもエネルギー情勢を踏まえ時間をかけて腰を据えて検討するなど、民主党政権下で一旦は明確になった脱原発・再エネ推進路線を事実上白紙撤回している。現に、茂木経産相が太陽光の買い取り価格の引き下げの意向を明らかにしている。
 再エネの買い取り価格を高く設定すれば、その分事業者の参入が進み、再エネのシェアは増えることが期待できる。しかし、高い買い取り価格で発電量が増えれば、その分電気料金への上乗せ額も膨らんでいく。その点が必ずしも十分に理解されないまま高い買い取り価格で再エネの推進が進めば、電気代の高騰を嫌がる一般市民から、再エネ推進に対する異論が出始めることも予想される。
 どうやら重要なのは、なぜ再エネを推進すべきなのかという基本的な論点を再確認することにありそうだ。これは、例えば30年後われわれはどのような世界に暮らしているのか、またどのような世界を望んでいるのかなどの問いにもつながる。そして、再エネの推進によって、ぞれぞれどのようなメリットと対価が生じるのか。それを市民一人ひとりが理解した上で、どこまで再エネを増やすべきか、どこまでの負担なら耐えられるのかを判断する必要があるだろう。
 日本に再エネは根付くのか。原発事故を受けて、今日本が考えるべきエネルギーの未来ビジョンとはどのようなものなのか。再エネの固定価格買取制度スタートから半年。ここまでの成果と見えてきた課題、そして日本のエネルギー社会のこれからについて、自然エネルギー財団の大林ミカ氏と哲学者の萱野稔人氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

体罰は愛のムチなのか?

(第617回 放送日 2013年02月09日 PART1:50分 PART2:59分
ゲスト:斎藤 環氏(精神科医)

  昨年12月の大阪市立高校バスケットボール部キャプテンの自殺をきっかけに、体罰をめぐる論争が巻き起こっている。自殺した男子生徒が残した遺書には、コーチを務める教員の体罰に対する悩みが綴られていたという。
 男子生徒の自殺の原因がコーチの体罰にあったかどうかは、はっきりとしないところがある。しかし、キャプテンである彼が、他の部員の前でコーチから繰り返し殴られることが、この生徒に大きな精神的ダメージを与えていたことは想像に難くない。
 そこで今週は精神科医の斎藤環氏に、体罰の背後にある精神構造や、体罰をふるう側の教員とこれを受ける側の生徒にどのような精神的な影響があるかなどを聞いた。
 斎藤氏は学校という閉鎖的な空間の中では「共同体的な密室性が成立し、別のルールで動いて当然という空気がそこを支配しがちになる」と指摘した上で、このような固定化された集団の中では「体罰やDV(ドメスティックバイオレンス)など暴力的な関係性を作られると、それが一種の絆のように感じてしまう傾向がある」と説く。暴力を振るう側は「これはお前のためだ。愛のムチなのだ」といって自己を正当化し、振るわれる側は「悪いのは自分なのだ」とその責任を背負って、暴力を振るう側を擁護し、絆を維持しようとする。集団の密室性が暴力を温存して、時には連鎖してしまうというのだ。
 斎藤氏はまた、体罰は教育基本法で明確に禁止されているため、建前上は一切行われていないことになっている点を問題視する。建前と実態が乖離し実態の把握が困難になると、その影響を予想することができない。その意味でも体罰は容認してはならないと斎藤氏は断ずる。
 体罰のどこが問題なのか。体罰と懲罰の境界はどこにあるのか。精神科医の斎藤環氏とともに、哲学者の萱野稔人と社会学者の宮台真司が議論した。

だから日本のスポーツは遅れている

(第618回 放送日 2013年02月16日 PART1:60分 PART2:52分)
ゲスト:玉木 正之氏(スポーツ評論家)

  日本のスポーツがどこかおかしい。
 生徒の自殺の原因となったとされる大阪・桜宮高校バスケットボール部の体罰問題に続いて、今度は女子柔道のナショナルチームでも暴力的な指導が問題となっているが、実はこれらの問題が表面化する以前から日本のスポーツをめぐる環境には問題が多い。
 多くのスポーツシーンで依然として「気合い」「根性」などといった精神論が幅を利かせ、指導者や先輩が威圧的な態度で選手を萎縮させて管理する手法が横行している。その方法である程度までは上達するかもしれないが、選手はスポーツの本質とも言うべき「PLAY(楽しむ)」ことを忘れ、何のために練習しているのかすら分からなくなる。
 日本のスポーツ界が旧態依然たる前時代的な態勢から抜け出ることができない理由について、ゲストでスポーツ評論家の玉木正之氏は日本の指導者の言語技術の乏しさを指摘する。日本の指導者には、例えば言葉を使って選手のやる気を引き出したり、「なぜその練習が必要なのか」を説明することができてない人が多いと言うのだ。
 今回問題が発覚した柔道界にはまさにこの指摘が当てはまると玉木氏は言う。日本のお家芸として一度は世界に冠たる地位を築いたものの、その傲りから競技の国際化に乗り遅れ、ルールの改正でも国際舞台で強い発言権を発揮できなかった。国際的な舞台で自らの考えの正当性を主張し、交渉する能力がまるで備わっていなかったことが原因だと玉木氏は言う。結果的に今や日本の柔道は競技人口でもフランスを下回るようになってしまった。
 また、玉木氏は特定の競技や特定のチームに肩入れする今日の日本のメディアのあり方についても、「スポーツ界全体の発展を阻害している」と厳しく批判する。高校野球や箱根駅伝のように特定の競技にメディアが肩入れすることで、その競技に過度の注目が集まることの弊害は大きい。例えば、日本では将来を嘱望される長距離選手のほとんどが箱根を目指すが、それが日本の男子に世界クラスのマラソンランナーが育たない原因となっているとの見方は根強い。まだ身体ができあがっていない高校生の段階で、夏の甲子園で連戦連投を強いられる高校球児にも同じことが指摘されている。
 日本のスポーツはなぜ後進性から抜け出ることができないのか。国際化に成功したスポーツとそれができないスポーツとでは、どこが違うのか。日本のスポーツ界が抱える問題点と、スポーツ本来のあるべき姿について、ジャーナリストの神保哲生と哲学者の萱野稔人氏が、ゲストの玉木正之氏と議論した。

「経済成長」という呪縛からの解放

(第619回 放送日 2013年02月23日 PART1:60分 PART2:57分
ゲスト:水野 和夫氏(埼玉大学大学院経済科学研究科客員教授)

  ビデオニュースでは多くの識者からアベノミクスへの評価を聞いてきた。全面的に支持する識者もあった一方で、批判的な識者もいた。しかし、アベノミクスに否定的な考えをする識者の大半は、アベノミクスでは日本を現在のデフレから救い出し、再び成長軌道に乗せることはできないだろうという意味で、否定的だった。
 しかし、今週のマル激のゲストはエコノミストでありながら、そうした識者らとはやや趣を異にする。日本に限らず先進国のデフレは構造的なものであり、われわれはもはやそこから脱することができないことを前提に、「成長を目指さない経済戦略」を描かなければならないとゲストの水野和夫氏は説くのだ。
 日本の株価がリーマンショック以前の水準にまで戻り、為替市場では円安の流れが続いている。安倍政権が掲げる経済政策「アベノミクス」はひとまず市場の期待感を引き出したようだ。日銀とタッグを組んで「大胆な金融緩和」を実施して物価上昇を実現し、「国土強靱化」と称する公共事業で景気を刺激するとともに、「成長戦略」によって日本経済を新たな拡大成長路線に乗せようというのが「3本の矢」と形容される安倍政権の経済政策の中身ということのようだが、水野氏は成長を目指す経済戦略自体が間違っているとの立場を取る。そもそも日本のように経済的な成熟を実現した国は、経済がグローバル化した今日にあって、これ以上成長し続けること自体が不可能な構造の中にいることをまず受け入れなければならないのだと水野氏は言うのだ。そして、それでも無理矢理に成長を図ろうとするアベノミクスは、「金融株式市場でバブルを起こすだけ」と水野氏は批判する。
 話は資本主義の起源にまで遡る。キリスト教が金利を容認して以降、いわゆる大航海時代を経て大英帝国のパックス・ブリタニカ、その後のアメリカによるパックス・アメリカーナなどの資本主義は常に列強国の覇権主義とともにあった。列強は覇権国家の軍事力を後ろ盾に新大陸や植民地などの新しいフロンティアから資源をただ同然で手に入れ、そこに付加価値を乗せた製品を販売・輸出することで資本を増大させてきた。その結果、世界でも西洋のほんの一握りの国が世界の冨を独占し、自国の経済を成長させ、目映いばかりの繁栄を享受する現在の経済秩序が形成された。日本も1960年~70年代の高度経済成長によって先進国の仲間入りを果たし、経済成長クラブの一員となった。
 しかし、先進国はもはやこれ以上豊かになる必要性がないレベルまで富み、世界経済も飽和状態を迎えている。水野氏は「開発や支配権の拡大に下支えされた経済成長は今後は難しい」とした上で、此度のアルジェリアのテロ事件で明らかになったように、既に先進国の開発の手はアフリカの砂漠の真ん中にまで及んでいることを指摘する。また、中国では急速に近代化が進み、GDPは既に世界第2位を占め、インドやブラジルなどの新興国も成長経済モデルを踏襲して台頭してきたが、既に世界にはそれらの国々の需要を満たすだけの資源や市場が存在しない。20世紀に日本を含めた先進国が豊かになる上での大前提だった「ただ同然の石油」も今や当時の何十倍、何百倍に高騰している。結果的に新興国でさえも、低成長経済への転換を迫られ始めているというのだ。
 もはや人類は地球の果てまで開発をし尽くし、地球上には夢の未開地=フロンティアが存在しない。常に先進国の成長の大前提だった搾取の対象を、既にわれわれはしゃぶり尽くしてしまったというわけだ。そのような状況の下で、相も変わらぬ成長神話にすがりついた政策を無理矢理推し進めれば、当然そのバックラッシュは避けられない。こうした世界経済の潮流の中で、日本はどこへ向かうべきなのか。成長を前提としない資本主義は成ち立つのか。その場合、民主主義はどうなるのか。
 日本のように成長を果たした国は、これ以上の成長を目指さなくても十分豊かになれる、いや、無理に成長を目指そうとするからこそ豊かになれないのだと説く水野氏と、ジャーナリストの神保哲生と哲学者の萱野稔人氏が議論した。

われわれが選んだもの、選ばなかったもの

(第620回 放送日2013年03月02日 PART1:85分 PART2:34分)
ゲスト:山田 健太氏(専修大学文学部教授)

  長らく空席だった公正取引委員会の委員長に内定した元財務次官の杉本和行氏は、2月15日、国会の所信聴取の場で新聞社の再販制度に触れ、「特に今の段階で見直す必要があるは考えていない」との考えを示した。「吠える番犬」を目指し新聞再販の見直しに意欲を燃やしてきた前任の竹島一彦氏との好対照ぶりが際だった。
 日本の新聞社が絶大な恩恵を受けている「新聞再販制度」だが、その存在は余り知られていない。正確には再販価格維持制度と言うが、この制度のおかげで日本の新聞社は販売店に対して定価での販売を強制することができる。自由主義経済体制を標榜する日本では本来、モノの値段は市場原理で決まることになっている。そのため商取引上優越的地位にあるメーカーが定価を決定し、販売店に対してその値段での販売を強いる行為は独占禁止法で禁止されている。しかし、日本では新聞、書籍、雑誌、音楽CDの4品目のみが再販の対象として、例外的にメーカーによる定価販売の強制が許されている。他の商品では独禁法違反となる行為が、この四品目については例外的にその適用を免除されているのだ。やや電力会社の総括原価方式にも似ているが、この制度のおかげで結果的に新聞社は、あらかじめ利益を折り込んだ価格に定価を設定することが可能となっている。その意味では、他の商品ではあり得ないような大きな特権を得ていると言っていいだろう。
 新聞が再販によって特別に法の保護を受けている理由としては、真っ先に公共性があげられる。新聞のように公共性の高い商品を市場原理に晒せば、山間地や離島などで同一価格で新聞が買えなくなってしまったり、公共性の高いジャーナリズムの品質が維持できなくなる恐れがあるということだ。実際、自由競争というものがいかにコストを抑えながら利益を最大化するかの競争であるとすれば、新聞のような一定の公共性を帯びた産業を単純な市場原理のみに隷属させることは、必ずしも合理的ではないと考えられるだろう。
 しかし、である。もし公共性を理由に新聞社に対して再販という他に例を見ないほど手厚い保護を提供するのであれば、当然新聞社の側もその公共性要求に応えなければならないはずだ。少なくとも、再販で得た利益を使って、日本にクロスオーナーシップ(新聞社の放送局への出資)の規制が無いのをいいことに、日本中の放送局に出資をしてそこに自社の社員を天下らせるような行為が横行している現状では、その責任を果たしているとは言えないのではないか。
 また、新聞社が自社の紙面を使って再販を擁護するキャンペーンを張り、本来再販に対しては中立的な立場にあるはずの放送局は、新聞社との資本関係などから再販には一切触れようとしない状態が続いている現状も、再販の正当性を著しく弱めている。結果的に、再販の存在そのものがほとんど社会的に認識されず、特権だけが静かに維持されたまま一向に議論が深まっていないのが実情だ。
 公共的なジャーナリズムを護るためには再販は必要との立場を取るゲストの山田健太専修大教授も、特権を得ている新聞社自身の情報公開やその透明性が足りないと指摘する。新聞社は非上場であるため有価証券報告書の公開が求められていない。そのため経営情報は原則非公開のままで自主的な公開に任されているのみだ。しかし、再販などによって特別な保護を受けている以上、そこで得られた内部留保の使い道については一定の公開義務があって然るべきだろう。
 山田氏は「再販問題は新聞メディアの特権のほんの一例に過ぎない」として、税制上の優遇策や記者クラブ制度などの他の特権も含め、かつて新聞社がメディアの中で支配的な地位を占めていた時代から続く数々の特権については、新たな社会的な合意形成の必要性を訴える。
 かつて「ジャーナリズム」と言えばそのまま新聞を意味する時代が長らく続いた。そしてテレビが登場し、新聞のテレビの2強時代というものも確かに存在した。しかし、今日、インターネットの普及や社会の多様化によって、メディアも多種多様になりつつある。そうした中にあって、かつての古き良き時代の新聞の特権を無条件で延長し続けることは、市民社会のみならず新聞自身にとっても必ずしもプラスにはならないのではないか。
 山田氏は、メディアが細分化・多様化した今だからこそ、政治・経済・社会・事件・スポーツ・芸能を一つのパッケージにして手許に届けてくれる新聞のようなパッケージメディアの役割が重要になると、新聞の役割の重要性を説く。しかし、その大前提として、これまで既存のメディアがどのような特権を享受してきたのか、そしてその責任を果たしているかの検証は避けて通れない。なぜならば、特権はいずれも消費者や納税者として市民が負担しているものであるからに他ならない。その負担の対価として市民社会が何を得ているのか、そしてそれは特権を与え続けるに値するものなのかが議論されないまま、特権のみが静かに温存され続けている現状は、メディアによる権力の濫用の誹りは免れない。
 議論されない「再販」の問題点とメディアの今後についてジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、山田氏と議論した。

vol.60(601~610回収録)

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iPS細胞と放射能問題の社会学的考察

(第601回 放送日 2012年10月20日  PART1:73分/PART2:36分)
ゲスト:粥川 準二氏(ライター)

 

 京大の山中伸弥教授が今年のノーベル賞を受賞したことで、再びiPS細胞に注目が集まっている。人体のどの細胞にも変わることができることから「ヒト人工多能性幹細胞」と名付けられたiPS細胞はこの先、再生医療や難病の克服などに大きな役割を果たすことが期待される一方で、われわれ人類にまた一つ大きな課題を投げかけることとなった。それは究極的には生命倫理の問題に他ならない。
 バイオ技術に詳しいライターの粥川準二氏は、iPS細胞の画期性として、iPS細胞に先立って多機能幹細胞として登場したES細胞が人間の受精卵の胚を壊さなければならなかったのに対し、本人の細胞から作るiPS細胞はその必要がなかった点と、iPS細胞は自身の体細胞を増殖させたものなので、移植などを行った場合に拒絶反応が起きないと予測されている点をあげる。胚を壊さないことから倫理的ハードルが低いとされるiPS細胞ではあるが、粥川氏はES細胞にしてもiPS細胞にしても、いずれも人間の体以外の場所で細胞を培養しているという点で倫理面での議論は避けて通れないと指摘する。
 粥川氏はiPS細胞が今生きている人と同じ遺伝情報をもっている点に注意が必要だと言う。精子や卵子、あるいは脳、神経細胞だったりはいいのか他者や実験動物に移植することは許されるのか。「今どこかで生きている人と同じiPS細胞を使ってなにかをを行うときに、一体どこまでそれは許されるのかは議論が必要」と粥川氏は語る。  人間が人間の命に関わる分野にどの程度まで足を踏み入れることが許されるのかという原理的な議論ももちろん重要だ。しかし、それと同時に、こうした先端医療技術には、社会の格差の問題が投影される点も見逃してはならない。そもそも最先端医療には膨大な費用がかかるため、その恩恵に浴せる人は一部の富裕層に限られる。と同時に、そもそもその研究や開発が社会的弱者の犠牲の上に成り立っている面があることを見逃すべきではない。後に大きなスキャンダルとなった韓国のES細胞研究で、卵子を提供した女性の多くは経済的弱者だった。また、最初のヒール細胞のもとになったのも貧しい黒人女性だった。このように粥川氏はバイオ医療の利益と不利益には不均等な配分の問題があることを厳しく指摘する。
 また、医薬品や治療方法ができた瞬間に、大きなお金の動きが発生することが考えられる点にも粥川氏は警鐘を鳴らす。iPS細胞成功のニュースが報じられる段階で、既に「品質」という言葉が当たり前のように使われている。「人体が現在工業製品、あるいは資源としての質を問われるそういった価値をもった存在になったことを意味している」と言う。
 原発事故に伴う放射線被曝についても粥川氏は、放射線への恐れによってある種の優生学的思想が喚起されることを恐れていると語る。誰しも子どもの健康を願うのは当然のことだが、それが行き過ぎると、障がい者の存在を否定するようなものになる場合がある。現に原発をめぐる論争でも、先天性障害や奇形を話題にすることがややタブー視されている面があるのではないか。
 実際にiPS細胞を使った手術を6例行ったとの爆弾発言でしばらく世間を賑わした森口尚史氏については、その発言内容に全く根拠がなかったことが明らかになりつつあるが、森口氏が当初、自らが行ったとする手術について、「iPSしか治療手段はなかった」としていた点は、バイオ医療がこの先直面する大きな問題提起を含んでいたと見ることができる。ある人が病気を治すために、あるいは生存するために本当にそれ以外に手段がなかった時、医学は倫理面での議論が未決着な技術や、十分な安全性が証明されていない技術を使うことを、頭ごなしに否定できるかという問題だ。
 実際、粥川氏は「幹細胞ツーリズム」なるものが既に存在していて、ES細胞が話題になってからネット上で幹細胞を使う医療行為を行うと謳う医療施設が現れているという。治療方法がないと言われている病気に苦しむ人は、僅かでも治癒の可能性があると言われれば、いかなるリスクを冒してでも、その可能性に賭けてみたくなることは当然あり得る。しかし、十分な根拠がない方法を提供することで、「藁にもすがる患者に藁を差し出すのは間違っているのではないか」と粥川氏は言い、動物実験から臨床試験へと至る過程が透明である必要性を強調する。
 最後にバイオ技術が人類を幸せにできるかとの問いに対し粥川氏は、「利益と不利益の総量と分配、それに関わる人の自律性意志の観点において、今ある選択肢を検討することができれば」との条件つきながら、バイオ技術が人間を幸せにする可能性はあるとの考えを示した。
 バイオ問題をさまざまな側面からウォッチしてきた粥川氏と、iPS細胞か再生医療、出生前診断、そして放射能に至るまで、昨今のバイオ技術、バイオ医療、そして原子核と細胞核の両方を意味する「核」技術をめぐる様々な論点について、ジャーナリストの武田徹と社会学者の宮台真司が社会学的な視点から議論した。

電通支配はこうして原発報道を歪めてきた

(第602回 放送日 2012年10月27日  PART1:64分/PART2:45分)
ゲスト:本間 龍氏(著述家)

 

 最近よく「スポンサーの圧力」という言葉が乱れ飛んでいる。今やそのようなものがあること自体は、誰もが薄々知るところとなったが、それが具体的にどのようなもので、その圧力がどのような形で行使されているについては、意外と知られていない。実態を知らなければ、問題を解消することができない。そこで今回は、スポンサー圧力なるものの実態に光を当ててみたい。  原発事故の後、マスメディアによる事故の報道がおかしいことに多くの人が気づいた。マスメディアはあれだけの大事故が起きた後も安全神話に依拠した報道を続け、後に御用学者と呼ばれるようになった原発安全論者や原発推進論者を起用し続けた。
 また、原発報道に関しては、事故前の報道にも大きな問題があることも、われわれは後に痛いほど知ることとなった。安全神話は言うに及ばず、まったく現実味のない核燃料サイクル事業に兆円単位の税金を注ぎ込んでいた事実、電力会社社員の保養所維持費や広告宣伝費、御用学者を飼い慣らすための大学への寄付金まで電気料金として徴収することが認められていた総括原価方式と呼ばれる料金方式等々、なぜわれわれはこんなことも知らなかっただろうか。不思議なほど原発を巡る腐敗や癒着構造について、メディアは報じてこなかったことが明らかになった。
 原発に関する重要な事実が報じられてこなかった背景には、それが国策であったことや記者クラブ制度と報道機関内部の縄張り争いなど多くの要素がある。しかし、その中でもスポンサー圧力の問題は大きな比重を占めていた。何せ東京電力一社だけで年間260億円、電事連加盟10社で合わせて1000億円が、広告宣伝費として使われてきたのだ。そのすべてを一般消費者が電気料金として負担していたのかと思うと腹立たしい限りだが、そのスポンサーとしてのメディアに対する影響力は群を抜いていた。
 大半のマスメディアが広告宣伝費に依存した経営を行っている以上、この1000億円のパワーは、あらゆる批判や抵抗を無力化して余りあるだけの威力を持つ。
 そして、そのエージェント(代理人)として、スポンサーに成り代わって実際にその影響力を行使しているのが電通を始めとする広告代理店である。
 博報堂に17年間勤務した経験を持つ本間龍氏は、特に業界最大手の電通がクライアント(広告主)の意向を体現するためにいかにメディアに圧力をかけていくかを、実例をあげながら具体的に証言する。それは氏自身もかつて博報堂でやっていたことでもあった。
 本間氏によると、マスメディア業界は電通の支配力が圧倒的で、特にテレビ、とりわけ地方局は電通なしにはやっていけない状態にある。そのため、放送局の営業は電通の担当者からの「要請」は聞かざるを得ない。その関係を利用して、電通の営業マンは自分のクライアントにとって不利益となる情報や報道が出ないように、常にメディアと連絡を密に取り合い、必要に応じて報道に介入できる体制を取っていると本間氏は言う。つまり広告代理店、とりわけ電通の仕事の大きな部分は、単にCMを制作したり、広告主を見つけてくることではなく、広告主を「代理」して広告主の意向をメディアに伝えそれを体現することにあると言うのだ。
 実際、電通1社で4媒体(テレビ、新聞、雑誌、ラジオ)の広告市場のシェアは5割に及ぶ。博報堂を合わせて2社で7割を超えるという異常な業界だ。
 本間氏は、広告主や広告代理店がメディアの報道内容に圧力をかけることが違法になっている国も多いと指摘する。また、通常は利害衝突や情報漏れを避けるために一業種一社ルール(広告代理店は一つの業界で1社しか代理できない)が徹底されているため、電通のようなガリバー代理店は生まれにくいという。その制度があれば、他に代わりのスポンサーを見つけてくることが容易になるので、メディア側も「報道内容に注文をつけるならスポンサーを降りて貰って結構だ」と圧力を突っぱねることができる。ベンツが文句を言うのなら、他の代理店を使ってアウディなりBMWなりを代わりのスポンサーに入れることができるということだ。しかし、力が極度に電通に集中している日本では、あくまで喩えだが「ベンツもアウディもBMWもすべて電通」といった状態にあるため、それがほとんど不可能に近いのだと本間氏は言う。
 また、メディア側にも大いに問題がある。報道内容への代理店やスポンサーの介入を許している背景には、報道機関の中の報道部門と営業部門のズブズブの関係がある。スポンサーがメディアに介入するためには事前に報道内容を知る必要があるが、本来、報道前に報道内容を営業部門が知っていることはあってはならないことのはずだ。また、もし事前に報道内容を知らされているのであれば、営業部門はそれが報道されるまでは守秘義務に縛られていなければならない。これはインサイダー取引にもつながる重要な問題で、事前に報道内容を知り金融商品の取引をすると法に触れるが、報道前情報が代理店やスポンサーには筒抜けというのは明らかに報道倫理上問題がある。
 要するに、代理店側は政治的な理念やら社会的な責務だのをほとんど全く考えることなく、単に億円単位で広告費を払ってくれるスポンサーの意向に忠実に動いているだけだし、メディア側はスポンサー圧力を受けにくいような工夫や努力を十分していないために、現在のような「スポンサー圧力はあって当たり前」の状態が続いているのだと本間氏は言う。
 ずいぶん馬鹿馬鹿しい話だ。一業種一社という利益相反を避けるためには当然あって然るべきルールがあれば、電通のみにこれだけ力が集中することもなく、よって特定のスポンサーの意向(とそれを代言する電通の力)で報道内容が歪められるリスクは大幅に低減する。更に、メディアの側も、これまた当たり前すぎるくらい当たり前な「報道前情報に関する報道部門と他の部門間の壁」をしっかりと設ければ、少なくとも報道内容が報道前にスポンサーや代理店から介入されるリスクは回避できる。そうしたごくごく当たり前のことが行われていないために、日本は今もって「メディアへのスポンサー圧力があって当たり前の国」に成り下がっているというのだ。
 しかし、そこでもまたメディア問題特有の「カギのかかった箱の中のカギ」問題が顔を覗かせる。そうした問題をメディアが報じることはほとんどないため、そもそもそのような問題が生じていることを一般社会は具体的にはほとんど知らない。知らされていないから、政治家や官僚も世論を後押しに制度変更を主張することができない。世論の理解ないところで、あえて電通やメディアを敵に回すような発言をする政治家や官僚、言論人がほとんどいない理由は、今更説明の必要もないだろう。記者クラブ問題やクロスオーナシップ問題、再版問題などと根っこは同じだ。実際、共産党議員などによって、独禁法との絡みで電通の一極集中問題が国会で取り上げられたことはあったが、いつの間にか立ち消えになっている。
 こうなってくるとなんだか身も蓋もない話に見えるが、このような「終わっている」状況にもようやく変化の兆しが見える。インターネットの普及によって、新聞、テレビ対する抜群の支配力を誇っていた電通の力が相対的に落ちてきていると本間氏は言う。また、電通が新聞やテレビ報道を押さえ込んでも、ネット上に情報が出回ってしまい、マスメディアの報道を押さえたことが、かえって逆効果になるような事態も頻繁に起きている。そもそも戦前から活字媒体に強みをもっていた博報堂は、テレビ時代に乗り遅れて、その波に乗った電通の後塵を拝することとなったという。テレビ時代の支配者電通の権勢は、ネット時代にどう変わっていくのか。自ら博報堂の営業マンとしてスポンサーの「代理」をしてきた本間氏と、スポンサー圧力によって報道が歪められる舞台裏を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。 

米大統領選で問われる「オバマのアメリカ」とは

(第603回 放送日 2012年11月03日  PART1:78分 PART2:32分)
ゲスト:松尾 文夫氏(ジャーナリスト)

 

 アメリカは「オバマのアメリカ」にノーをつきつけるのか。
 11月6日、アメリカで大統領選挙が行われる。4年前、「Yes, we can」のスローガンとともに熱狂的な支持に支えられて初のアフリカ系アメリカ人大統領に選出された民主党のバラック・オバマだが、11月初旬の段階で共和党のミット・ロムニーにほぼ互角の戦いを強いられるなど、再選を目指す現職の大統領としては意外なほどの苦戦を強いられている。なぜ、オバマのアメリカは4年間でここまで支持を失ったのか。
 1960年以来アメリカの大統領選挙を取材してきたジャーナリストの松尾文夫氏は、投票日直前にハリケーン「サンディ」がアメリカ東海岸に大きな被害を及ぼしたことで連邦政府の支援の必要性が高まり、結果的にそれがオバマに有利に働くだろうとの理由 で、オバマの勝利を予想する。しかし、もしハリケーンが来なければ、選挙はどちらに転んでもおかしくはなかったという。実際に、最初の討論会で躓いたオバマの再選が、危ういところまで追い詰められていたことはまちがいないようだ。
 たった一つの台風で選挙結果が左右されるのかと思われる向きもあろうが、実は「サンディ」による台風被害とその復興支援における連邦政府への期待は、今回の大統領選挙の争点そのものでもあった。それは「連邦政府の役割とは何か」(松尾氏)という、アメリカが建国以来繰り返し自問自答してきた、アメリカにとっては国の本質を問う論点に他ならなかった。
 08年9月のリーマンショック直後の09年1月に大統領に就任したオバマは、グリーンニューディールなどの公共事業を含む8000億ドルにも及ぶ大型景気対策、破綻したゼネラルモーターズの国有化、サブプライム危機を生んだ野放図な金融取引を規制する金融制度改革、そして4000万人を超える無保険者を救済するための医療保険改革など、いずれも連邦政府の介入による経済立て直し政策を矢継ぎ早に実施した。それぞれの中身の評価はともかく、常識的に考えればこれらはいずれもリーマンショック直後のアメリカには必要不可欠な政策で、オバマ政権にはそれが自分たちが期待された役割であるとの確信もあった。特に国民皆保険を目指した医療保険改革は、歴代の民主党政権が挑戦しながらいずれも挫折してきた大改革であり、オバマの名を歴史に残すと言っていいほどの大きな功績だった。
 ところが、この「オバマ政権の功績」そのものが、オバマ不人気の原因となったというのだから、世の中難しい。1980年のレーガン政権以来、アメリカは基本的に「小さな政府」路線の下で、規制を減らし、政府の介入を控え、市場原理に委ねる政策を実施してきた。その結果、イノベーションや生産性の大幅な向上があったとされる一方で、社会には大きな格差や歪みが生まれていた。そのような大きな所得格差を抱えるアメリカで低所得層や社会の低層を救済するためには、政府は従来の非介入路線を変更し、ある程度規制を強化したり、政府が市場に介入する必要がある。こうしたオバマ政権の政策は「大きな政府」路線への転換と受け止められ、連邦政府の膨脹に対する警戒心が強い保守層を中心に、オバマに対する反発が強まった。特に医療保険改革(ヘルスケア・フォーム)は「オバマ・ケア」と呼ばれ揶揄の対象となった。オバマ政権の功績そのものが、オバマ不人気の原因となった背景にはそのような経緯があった。
 松尾氏は、アメリカには独立以来の根強い連邦政府不信が根付いているという。元々イギリス政府の圧政から独立するために多大な犠牲を払って独立戦争を戦ったアメリカは、その経験から連邦政府というものを根っから信用していないのだという。実際、共和党のロムニー氏はマサチューセッツ州知事時代に、オバマケアとほとんど同じような医療保険改革を州レベルで実現しているが、これは高く評価されているそうだ。連邦政府がやると批判を受け、同じことを州政府がやれば評価される。それがアメリカなのだと松尾氏は言う。
 今回の大統領選挙はアフリカ系アメリカ人のオバマとモルモン教徒のロムニーという、アメリカの非主流派同志の戦いという色彩も持つ。このことについて、松尾氏は「モルモンはアメリカでは既に社会に受け入れられていると思うが、黒人差別は依然として根強い。黒人のオバマが再選されることの意味は大きいだろう」と語る。
 最後に松尾氏は、この大統領選挙では日本のあり方も問われているとの見方を示す。松尾氏は今回の大統領選挙では、3度の討論会を含め、日本の名前があがることが一度もなかったことを指摘した上で、アメリカの中で日本の存在がいよいよ見えないものになっているとの懸念を示す。そして、「それは日本ができることを何もやっていないからだ。」と、対中、対露、対韓関係など戦後日本がアメリカにお任せしたまま棚上げしてきたさまざまな問題を今こそ日本のイニシャチブで解決に取り組むべきであり、そこに向かうことで初めて、日本の存在が改めて再認識されると主張する。
 今回で取材した大統領選挙が14回目となるというアメリカ政治専門家の松尾氏と、この大統領選挙がアメリカとそして日本に何を問うているかを議論した。  

東京新聞が反原発路線を突っ走れる理由

(第604回 収録日2005年5月6日 PAR2012年11月10日 PART1:54分 PART2:37分)
ゲスト:田原 牧氏(東京新聞特別報道部記者)

 

 3・11の原発事故以前から、主要メディアの原発関連の報道には問題が多かった。
 そして、事故の後、われわれは新聞やテレビなどのマスメディアが、原発に関する重要な情報をほとんど報じていなかったことを知る。それは原発の安全性の問題にとどまらず、動く見込みのないまま莫大な税金が注ぎ込まれてきた核燃料サイクル事業や使用済み核燃料の最終処分の問題、総括原価方式を始めとする不公正な競争市場の問題、電気事業者だけで年間1000億円を超える広告費を電気料金につけ回していた問題等々、あげ始めたらきりながないほどだ。
 さすがにあの事故で多少はそれもあらたまるかと思いきや、喉元過ぎれば何とやらなのだろうか、最近ではマスメディア上にはあたかもあの事故が無かったかのような報道が目に付くような気がしてならない。相変わらず「原発ゼロだと電気代が2倍に」などといった詐欺師まがいの脅し文句が見出しに踊ったかと思えば、原発再稼働に際しても、最終的には「再稼働やむなし」の立場からの報道が目立った。本来はあの事故の最大の成果でなければならない原子力規制委員会の不当な設立過程についても、マスメディアの追求はなぜが至って及び腰だ。
 しかし、そうした中にあって、明らかに群を抜いて原発の問題点を厳しく追及し続けている新聞が一紙だけある。それが東京新聞だ。
 最近の見出しだけを見ても、「原子力ムラ支配復活」、「ムラ人事変更なし」、「矛盾だらけ見切り発車」、など、一見反原発市民団体の機関誌と見まがうほど、こと原発については反原発の立場を鮮明に打ち出している。
 東京新聞は中日新聞社が発行する東京のローカル紙で、発行部数も55万部前後と、全国紙に比べればその規模ははるかに小さい。しかし、それでも日本新聞協会に加盟し、記者クラブにも籍を置く、れっきとした「記者クラブメディア」であることには変わりがない。にもかかわらず、なぜ東京新聞だけが反原発路線を突っ走ることが可能なのか。
 同紙の反原発報道の主戦場となっている「こちら特報部」面を担当する特報部デスクの田原牧氏は、東京新聞は本来はどちらかというと「保守的な会社」だが、保守的だからこそ、あのような悲惨な事故の後は、原発問題について批判的な記事を書くことが必要と考えているとして、「世の中が右に行っているのだから真ん中にいる者は左翼といわれる。ある種のそういう感覚を大切にしている会社だ」と語る。要するに、自分たちは特に変わった報道をしているという認識は持っていないが、当たり前のことを普通に報道するだけで、たまたま今の日本では突出した存在になってしまっていると言うのだ。
 また、田原氏によると、東京新聞はもともと3・11の事故以前から、原発問題をタブー視せずに、原発の問題点も積極的に伝えてきたという。事故後の報道もその路線を続けているだけで、何ら特別なことではないというのが田原氏の説明だ。
 しかし、それではなぜ他紙にはそれができないのだろうか。他にも何か秘訣があるに違いない。
 田原氏は「強いて言うならば」と前置きをした上で、東京新聞が持つ「批判精神のDNA」と、主に花柳界のニュースを報じていた前身の都(みやこ)新聞時代から引き継がれてきた、「現場に任せられる緩さ」ではないかと言う。
 「右とか左とかと言うよりは批判精神が働くか働かないか。われわれは原子力ムラに対しても左翼に対しても批判的だと思う。そしてその判断が現場に任されていることではないか」と田原氏は語る。
 そんな田原氏も、昨今メディアに頻発している不祥事や誤報、盗用事件に対する見方は厳しい。いろいろな背景が指摘されているが、田原氏はそれらの事件に一貫して共通することは「基礎的な取材力が落ちていること」と「リスクの伴う取材をしなくなっていること」をあげる。被疑者の写真を取り間違えたりiPS細胞をめぐるあり得ないような虚言にまんまと乗せられてしまったケースなどは、いずれも当然できていなければならない基礎的な取材が全くできていなかったことを示している。個々の記者の基礎的取材力も低下しているし、社も記者に相手の懐に飛び込むようなリスクを伴う取材を認めなくなっていることが、メディア全体の質の低下を招いていると田原氏は語る。
 主要紙の中でただ一つ反原発路線でひた走る東京新聞の田原氏と、昨今のメディア報道について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

検事が事件をでっちあげてしまう本当の事情

(第605回 放送日 2012年11月17日  PART1:78分 PART1:44分)
ゲスト:市川 寛氏(元検事・弁護士)

 

 警察、検察の失態が後を絶たない。見込み捜査に自白の強要、長時間に渡る取り調べと調書のねつ造、あげくの果てには証拠の改ざんに誤認逮捕等々。これらはいずれも、これまでわれわれが警察や検察に抱いていた正義や実直さといったイメージとはかけ離れたような出来事ばかりだ。そしてそのなれの果てが、布川事件から東電OL殺人事件にいたる一連のえん罪だった。
 警察、検察はいったいどうなっているのか。
 検事による証拠改ざん事件など一連の不祥事を受けて、検察庁は取り調べの可視化や専門委員会での研究調査などを盛り込んだ改革に取り組んでいるとされている。
 しかし、改革はお世辞にも進展しているとは言えない。また、証拠改ざん事件でも、特定の個人に詰め腹を切らせることで幕引きを図った印象が強く、腐敗した構造は依然として温存されたままに見える。
 元検事の市川寛氏は、その刑事司法の構造的な問題を自ら体現し、また自らその責めを背負った人物と言っていいだろう。佐賀市農協背任事件の主任検事を務めた市川氏は、まったく中身のない事件であることを知りながら、検察の独自捜査に失敗は許されないという重圧から、取り調べで被疑者に対して「ぶっ殺す」などの暴言を吐き、拷問のような高圧的な取り調べを長時間続けることで、否認する高齢の農協組合長を無理矢理自白に追い込んだ経験を持つ。そして、後に裁判で被疑者の自白の任意性を証明する検察側の証人として法廷に立った市川氏は、検事の身分のまま、違法な取り調べを行った事実を証言したのだった。
 市川氏自身は自白をとるためには手段を選ばないことが求められる検察の世界にあっては、自分は検事失格だと語る。また、法廷でそれを認めることで、その重圧に耐えて職務を全うしている同僚の検事たちを裏切ってしまったとの思いもあるという。しかし、一般の感覚では、事件をでっち上げる過程で市川氏が苦しんだ葛藤と、逡巡の末に法廷でそれを認める行動の方が、遙かに正常に見える。検事という仕事はいつから正常な感覚を持った人間には務まらない職業になってしまったのだろうか。
 現在は検事を退官し、弁護士として活動する市川氏は、自らの検事としての体験を元に、刑事司法の実態と問題点、そしてなぜ検察が調書をでっち上げてまで無理矢理事件を立件しなければならないかについて、検察側の内部事情を赤裸々に語る。その実態は、これまでわれわれが検察に対して抱いていたイメージを根底から覆すものだった。
 現在は弁護士活動のかたわら、自責の念を込めて刑事司法の問題点を研究していると語る市川氏とともに、社会学者の宮台真司とジャーナリストの神保哲生が日本の刑事司法制度が抱える問題の本質とその処方箋を議論した。  

日本病の治し方

(第606回 放送日 2012年11月24日 PART1:87分 PART2:30分)
ゲスト:古賀 茂明氏(大阪府市統合本部特別顧問)

 

 少し前の話になるが、イギリスの高級誌『エコノミスト』(2008年2月21日号)が「JAPAIN」と題する巻頭特集を組んだことがあった。Japan(日本)とpain(苦痛)を掛け合わせた言葉だったが、それ以来「英国病」ならぬ「日本病」の存在は世界にも広く知れ渡ることとなった。
 外国メディアの指摘を待つまでもなく、日本は先進国でも最も早く少子高齢化に直面した。その中で、経済は20年あまり停滞を続けたまま構造改革は進まず、社会も格差や高い自殺率などに喘ぎながら、政治は相も変わらぬ内向きな足の引っ張り合いを続けて無策ぶりを露呈している。結果的に、社会の隅々にまでさまざまな問題が波及し、人心の荒廃も進んでいるように見える。
 問題の中身も所在もわかっている。多くの処方箋も提示されている。にもかかわらず、おのおのが目先の利益や自身の保身、既得権益の護持に汲々とし、改革を実行する意思や勇気が政治にも経済にも社会にも欠如している。そのために、いつまでたっても何も変わらない。何も変わらないまま少しずつ国力は衰え、社会は劣化していく。おそらく「日本病」とはそんな状態のことを言っているのではないか。
 3年前に国民の大きな期待を背負って誕生した民主党政権は、残念ながら大きな幻滅をもって少なくとも一旦はその役割を終えた。民主党政権が機能しなかった背景には、民主党という政治集団自身が抱える問題も多分にあるだろう。しかし、それと同時に、当初民主党政権が未熟ながらも日本病の一部に手を付けようと試みたことで、その病巣が以前よりもくっきりと浮かび上がる結果となった。  日本病の病巣とは何か。経産官僚として公務員改革などに熱心に取り組み、結果的に官僚機構から排除される形となった古賀茂明氏は、国益よりも省益を優先する官僚機構と、それを制御する能力や意思を持たない政治家、そして日本病の本質を国民に正しく伝えられないメディアの劣化を指摘する。
 特に民主党政権が脱官僚なる試みを行ったために、日本の統治機構内における官僚の専横ぶりが自民党政権時と比べてより鮮明に見えてきた。民主党の脱官僚は準備不足、実力不足、覚悟不足の3点セットで無残にも打ち砕かれたが、例えば、福島原発事故後の東京電力の処理を見ても、より国民負担が軽くなる破綻処理が当然為されなければならないところを、結局東電を税金で存続させる結果となった。政治家は官僚や電力業界から「東電を破綻させたら電力供給が止まる」、「金融・債券市場への影響が大きすぎる」、「被害者への補償が不可能になる」といった説明で脅され、メディアは「東電を破綻させないことのコスト」を正しく報じないため、結果的に税金で東電を救済するという「究極のモラルハザード」(古賀氏)が、衆人環視の下で平然と行われてしまった。
 その多くが東大法学部を卒業し難関の公務員上級試験で優秀な成績を修めたはずのエリート官僚だ。彼らが、なぜ日本病を治療できないばかりか、むしろ自分たち自身がその病原体となってしまうのか。政治はなぜこれを正すことができないのか。国民はこの問題にどう関われるのか。退官した今、官僚機構の外からさまざまな改革提言を行う古賀氏とともに、社会学者の宮台真司とジャーナリストの神保哲生が日本病の治し方を考えた。 

何が日本の「原発ゼロ」を阻んでいるのか

(第607回 放送日 2012年09月22日  PART1:70分 PART2:38分)
ゲスト:金子 勝氏 (慶應義塾大学経済学部教授)、武田 徹氏 (ジャーナリスト)

 

 わずか1週間前の9月14日、政府のエネルギー・環境会議は、2030年代の原発ゼロを目標とする明確な政策方針「革新的エネルギー・環境戦略」を決定し、福島第一原発の大事故から1年半を経て、ようやく日本が原発にゼロに向けて動き出すかに見えた。
 ところがその直後から、方々で綻びが見え始めた。14日に決定された「革新的エネルギー・環境戦略」は18日の閣議決定を経て正式な政府方針となる予定だったが、閣議決定は回避された。また、戦略に謳われていた原発の新説・増設を認めない方針についても、枝野経産大臣が建設中の原発についてはこれを容認する方針を表明するなど、原発ゼロを目指すとした政府の本気度が1週間にして怪しくなってきている。
 それにしても、たかが一つの発電方法に過ぎない原発をやめることが、なぜそんなに難しいのか。
 原子力委員会の新大綱策定会議の委員などを務める慶応大学の金子勝経済学部教授は、経済学者の立場から脱原発問題の本質が電力会社の経営問題にあると指摘する。今日、日本にとって原発は1990年代に問題となった金融機関の不良債権と同じような意味合いを持つと金子氏は言う。よしんば原発事故が再び起きなかった起かなかったとしても不良債権は速やかに処理しなければ膨らみ続ける。最終的にそれは国民が税金や電気代をもって負担しなければならない。しかし、今その処理を断行すれば、大半の電力会社は破綻するし、同時にこれまで「原発利権」の形で隠されていた膨大な原発不良債権が表面に出てくる。原発利権や電力利権が日本のエスタブリッシュメントの間にも広く浸透しているため、政府が原発をゼロする方針、つまり不良債権を処理する方針を打ち出した瞬間に、経済界や官界では、そんなことをされてはたまらないと、蜂の巣を突いたような大騒ぎになってしまったというのだ。
 一方、原発をめぐる二項対立の構図を避けるべきと主張してきたジャーナリストの武田徹氏は今回、政府案が切り崩された一因と取りざたされるアメリカ政府の意向について、アメリカは日本が核兵器の保有が可能な状況を作ることで、それを押さえ込めるのはアメリカしかいないという立場を得ることで、アジアの政治的な影響力を保持しようとしているとの説を紹介する。日本が原発をやめ、核燃料サイクルを停止すれば、核兵器に転用するくらいしか価値のない大量のプルトニウムを保有することになってしまう。そのような安全保障にも深く関わる政策転換となると、日本の官界、財界にはアメリカの意向を代弁する人が大量に出てくるのがこれまでの日本の常だった。どうやら今回もご多聞に漏れずそのような事態が起きているようだ。
 世論調査やパブリックコメント等で明らかになった大多数の国民の脱原発への思いと、政府のエネルギー政策の間に大きな乖離があるように感じてしまう背景には、日本の中枢が電力・原発・アメリカといった高度経済成長や冷戦下の論理から抜けだせないでいることが無関係ではないようだ。
 しかし、そんなことを言っていては、日本はこれまでも、そしてこれからも、何の政策転換もできない。そもそも日本が民主主義国と言えるのかさえ疑わしくなってくるではないか。
 政府の原発ゼロはなぜ切り崩されているのか。誰がそれを切り崩しているのか。その切り崩しは誰のためなのか。民意を正しく政治に反映させるために、我々に何ができるのか。金子氏、武田氏をゲストに迎え、長期出張より帰国直後の社会学者の宮台真司とジャーナリストの神保哲生が議論した。 

日銀は日本をデフレから救えるのか

(第608回 放送日 2012年12月08日  PART1:67分 PART2:32分)
ゲスト:北野 一氏(J.P.モルガン証券チーフストラテジスト)

 

 「我が党は3%を目指す。」
 「うちは2%が目標だ。」
 「いや、うちは1%が適正水準だと考える。」  総選挙まで残すところ1週間あまりとなったが、11月30日の主要11政党の党首による討論会では、原発、消費増税の是非などとともに、「インフレターゲット」と呼ばれる政策が論争のテーマとなっていた。
インフレターゲット(通称インタゲ)とは経済政策の一種で、一定の物価上昇(インフレ)率を目標(ターゲット)に据えた上で、その目標を達成するまで中央銀行が金利を下げるなどして金融を緩和するというもの。日銀がインフレターゲット政策を採用すれば、日本経済は今日のデフレ状態から抜け出すことができるとして、自民党やみんなの党などが今回の選挙で公約に掲げたことで注目されるようになった。専門性が高い金融政策が総選挙の一つの争点になるのは、おそらくこれが初めてのことだろう。
  確かに、金利を操作することで物価を安定させるという日銀の中央銀行本来の機能は、ゼロ金利が常態化した今、効力を失っている。それでもインタゲ派は日本がデフレから脱却できないのは日銀が十分な資金を供給していないからだとして、これ以上金利を下げられないのなら、国債を買うなどしてもっと市場に資金を供給せよと、日銀に対して一層の金融緩和を求めている。そこには日銀が資金を供給し続けていけば、いずれ必ず目標とするインフレターゲットに到達することが可能になり、日本はデフレから抜け出すことができるとの前提がある。  普段はあまり注目されない金融政策が選挙の争点になること自体は悪いことではない。しかし、インタゲ派の批判の矛先が、安易なインフレターゲットを受け入れようとしない日銀叩きに向かっている点は、やや注意が必要だ。特に自民党やみんなの党は、政府の言うことを聞こうとしない日銀総裁の人事への介入を示唆したり、日銀の独立性を担保している日銀法の改正にまで言及し始めている。中央銀行が政治にコントロールされ、金融政策が政治権力の具となることが必ずしも好ましい結果を生まないことは、多くの歴史が証明している。
 それに、そもそも日本がデフレから抜け出せないのは、本当に日銀のせいなのだろうか。かつて、日銀が市場に資金を供給すれば物価は上がり、経済を安定的な成長軌道に乗せることができた時代はあった。しかし、今や日銀は当時の3倍もの資金を市場に供給している。にもかかわらず、モノの値段は下がり続け、我々の暮らしぶりは悪くなる一方だ。単に資金供給量を増やすだけで、この問題が本当に解決に向かうのか。
 JPモルガン証券チーフストラテジストの北野一氏は、日銀は既に相当の資金供給を行っており、これ以上金融緩和をして市中に資金を供給しても、それだけでは物価上昇にはつながらない可能性が高いと主張する。実際にデータを見ても、量的緩和の初期には物価上昇に一定の効果が見られたが、ある段階からどんなに資金供給量を増やしても、ほとんど物価があがらなくなっていると北野氏は指摘する。どうも、日銀デフレ犯人説は疑ってかかる必要がありそうだ。
しかし、ではなぜ日本は相変わらずデフレから脱却できないのか。北野氏はその問題を解くカギは、民間企業の経営のあり方にあると説く。グローバル経済の下で外国人投資家を中心に、民間企業の株主たちは今日、日本経済の実力以上のリターンを求めている。株主が要求する利益は、企業にとっては実質的には金利と同じ効果を持つ。金融機関から調達する資金の金利がどんなに下がっても、株主が求める利益が大きければ、企業は実質的に高い金利を払わされているのと同じ状態となる。
  例えば、アメリカではROE(Return on Equity=株主資本利益率)は平均8%程度なので、日本の株式市場の3分の2を占める外国人株主たちも、当然のことのように日本の企業から8%のリターンを期待する。しかし、本来の実力以上の利益を捻り出すためにその企業は、人件費や設備投資などの支出を必要以上にカットしなければならない。その結果、従業員の給料はあがらず、物も売れない状態が続く。デフレである。
  民間部門が益出しのために固く財布の紐を締めているところに、日銀がどんなにジャブジャブと資金を供給しても、それが有効な投資に回ることはない。日本がデフレから逃れるためには、日銀や公共事業などの公的セクターばかりに注目せずに、全国内需要の75%を占める民間セクターにもっと注目するべきだと、北野氏は言う。政府や日銀に「無い物ねだり」をするのではなく、民間で「ある物探し」をした方が建設的なのではないかというのが、北野氏の問題解決に向けた提案ということになる。
  哲学者の萱野稔人と社会学者の宮台真司が、デフレの真の原因と日銀犯人説の真偽、そしてその処方箋を北野氏と議論した。 

最高裁判所がおかしい

(第609回 放送日 2012年12月14日 PART1:64分 PART2:42分)
ゲスト:山田 隆司氏(創価大学法学部准教授)

 

 来る16日の総選挙で各政党は国民に信を問うべく様々な政策を掲げている。しかし、もしかするとこの選挙で問われるもっとも大きな「信」は別のところにあるかもしれない。
それは最高裁に対する「信」だ。単に最高裁判所裁判官の国民審査のことを言っているのではない。実は「違憲状態」のまま行われているこの選挙は、最高裁によって果たしてそれが有効と判断されるかどうかが問われる選挙でもあるのだ。
  最高裁は去年3月、前回2009年の総選挙で生じた2.30倍の「一票の格差」が、有権者の権利を侵害しているとして、具体的な選挙制度の不備を指摘した上で、それが「違憲状態」にあることを認めた。「違憲状態」とはまだ合憲ではあるが、このままでは違憲になるという意味だという。15人の全裁判官が臨んだ大法廷で、13人が「違憲状態」、2人が明確な「違憲」の判断を下していた。そして、野田政権はそのままの状態で、もう一度選挙を行う選択を下した。最高裁に対する明白な挑戦と考えていいだろう。
  野田政権が断行した総選挙に対して弁護士グループから差し止め請求がおこなわれたが、最高裁は選挙を差し止める権限を認める法律が存在しないことを理由にこの請求を退けた。しかし、選挙後に日本中で提起されることが予想される選挙の無効訴訟に対しては、最高裁は自らが下した「違憲状態」の真価を問われることが避けられない。
  元読売新聞記者で現在創価大学の准教授を務める法学者の山田隆司氏は、これまで最高裁はできる限り「違憲判決」については消極的な姿勢を貫いてきたと言う。結果的に過去64年間で最高裁が明確に違憲と判断した事件はわずか8件にとどまっている。これは、三権分立の下で司法は、国民に選挙で選ばれた立法府の行為を否定することに極力謙抑的であるべきであるという、消極司法の考え方がその底流にあるという。しかし、その消極司法の結果、政治は度重なる「違憲状態」の判決にもかかわらず、一票の格差を抜本的に解消しようとしなかった。それを解消することで、自分の議席が脅かされる議員が多いためだ。
  今度ばかりは最高裁は伝家の宝刀を抜くのか。山田氏は国民がどれほどこの問題に関心を寄せるかにカギがあるという。日本では伝統的に司法と国民の間に距離があり、われわれの多くが裁判所のあり方に十分な関心を払ってこなかったのも事実だろう。しかし、自ら「違憲状態」を宣言し、具体的に各都道府県1議席の事前割当が問題であることを指摘する判決を出しながら、それが全く是正されないままおこなわれた選挙を、果たして最高裁は「合憲」と判断できるのか。そのことで最高裁の権威は決定的に傷がつくのではないか。
その意味で、今回の選挙でもっとも重い信を問われているのは他でもない、最高裁なのだ。
これまでわれわれ国民やメディアが監視を怠ってきたために、最高裁を頂点とする日本の司法制度は制度的にも数々の問題を抱えているようだ。15人しかいない最高裁の判事が年間に処理する訴訟の数は1万1千件を超える。平均すると一人当たり800件弱、実際は3つの小法廷にそれを割り振っているため、一人の最高裁判事が年間4000件近くの判決に関与していることになるのだ。年間200日、1日8時間働いたとして、一つの事件に30分も割けない計算になる。これでは判決文はおろか、下級審の判決を読むこともできないではないか。
  当然の帰結として、実際の判決は最高裁判所調査官と呼ばれる司法官僚が牛耳ることになる。また、裁判所は人事も予算も最高裁事務総局と呼ばれるこれまで司法官僚からなる部局に握られている。現行の制度の下で、各裁判所の裁判官は自らの良心にのみ従って独自に判断を下せるようになっているのか。裁判所は法的には情報公開義務もないため、実態がどうなっているのかも外部からはまったくうかがい知ることができないのだ。
  裁判所は法の番人であり、人権の最後の砦でもある。裁判所が機能しなければ、民主主義が正常に機能するはずがない。最高裁をはじめとする日本の裁判所は今どのような問題を抱えているのか。それを解決に向けるためには、われわれ一人一人は何ができるのか。「裁判所に変化の兆しが見える」と語る山田氏と、最高裁判所のいまとこれからについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。 

われわれが選んだもの、選ばなかったもの

(第610回 放送日 2012年12月22日  PART1:74分 PART2:27分)
ゲスト:小林 良彰氏(慶応大学法学部客員教授)

 

 確かに自民党はどの党よりも多くの票を得た。そして有権者は明確に民主党にはノーを突きつけた。
 しかし、それにしても約300議席である。今回の衆院選において小選挙区で43%、比例区で27%の票を得た自民党が、小選挙区で議席率79%にあたる237議席を、比例区と合わせて全体の61%にあたる294議席を獲得した。今回の選挙で自民党が比例区で得た1662万票は、惨敗した前回の衆院選での1881万票よりも約220万票も少なかったにもかかわらずだ。
これを自民党との選挙協力でボーナスポイントがついた公明党と合わせると、小選挙区では44%の得票に対して82%の議席が、比例では39%の得票に対して44%の議席が割り当てられ、全体では67.81%の議席を自公で獲得している。自公合わせて4割前後の得票だったのに対し、議席は衆院の3分の2を超えて まった。
 選挙制度に詳しい計量政治学者の小林良彰慶応大学客員教授は、今回の選挙は民主党に対する「失望投票」だったと分析した上で、しかし同時に、現行の選挙制度の欠陥が顕著に議席配分に反映された選挙だったと指摘する。
もともと小選挙区は、民意が劇的に反映される特徴を持っている。そして、小選挙区制は2大政党制を生み出すとの仮説を元に、50.1%対49.9%でも勝った方に一議席のみが与えられるため、最大で49.99%の死票が出ることは覚悟しなければならないと説明されていた。ところが政治の世界は二大政党制に向かわないばかりか、今回は12もの政党が乱立しての選挙となった。結果的に3割程度の得票でも当選する人が続出した。これはその選挙区では7割が死票となったことになる。投票率を考慮に入れると、選挙区有権者の2割足らずの支持で当選した議員がいる計算になる。
 そうした背景を知ってか知らずか、獲得議席数だけを見れば地滑り的勝利にもかかわらず、自民党の安倍総裁は「自民党が積極的に支持されたわけではない」と繰り返し述べるなどして、党内を戒めている。獲得議席数だけを見て浮かれていると、民主党の二の舞になると言わんばかりだ。
 しかし、それにしても死票が7割も出る制度が正当化できるはずがない。小林氏は6回やっても二大政党制にならないのだから、そろそろその幻想は捨てて、新たな選挙制度を模索すべきだとして、具体的には「定数自動決定式比例代表制」なる新たな選挙制度を提案している。
 また、今回の選挙では、歴史に残る大きな原発事故後の最初の選挙であったにもかかわらず、原発が大きな争点にはならなかった。小林氏は脱原発を望む人の数が過半数を超えていたとしても、有権者の関心がより直近の課題である景気や雇用問題に向いていたために、今回の選挙では原発政策は投票行動を左右する決定的な要因にはならなかったと分析する。それは被災した東北地方や福島を含む原発立地 において、自民党が万遍なく得票を伸ばしたことを見ても明らかだ。
  今回の投票行動を地域別、年齢別、ジェンダー別などで分析した小林良彰氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司がこの選挙の持つ意味を議論した。