ストア

DVDストア

放送期間が終了したマル激トーク・オン・ディマンドのバックナンバーを10回分ずつまとめたCD、DVD(パソコン再生専用)を販売しています。

vol.72(721~730回収録)

DVDを購入
CDを購入

5金スペシャル
映画が描くテロとの戦い

(第721回 放送日 2015年1月31日 PART1:54分 PART2:47分)
ゲスト:ピーター・バラカン氏(ブロードキャスター)

 5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。今回の5金では「テロとの戦い」をテーマにした映画を取り上げながら、テロの背後にある貧困や歴史の問題やその対応の是非を議論した。
 今回取り上げた作品は2013年に日本でも公開された、CIA女性分析官がオサマ・ビンラディンを追い詰めていく過程を描いた『ゼロ・ダーク・サーティ』、ジャーナリストの綿井健陽氏がイラク戦争とその後の混乱に翻弄される家族を10年間にわたり追い続けたドキュメンタリー映画『イラク チグリスに浮かぶ平和』、そして『スーパー・サイズ・ミー』で注目されたモーガン・スパーロック監督の『ビンラディンを探せ!~スパーロックがテロ最前線に突撃!』の3本。いずれもテロやテロリストをテーマに、その最前線や狭間で生きる人々を描いた作品だ。
 9・11の同時テロ以前からテロリストの最大の標的となり、テロとの戦いの最前線に立ち続けるアメリカは、今もテロリストの掃討に血道をあげる。その甲斐あってか、9・11以降は大規模なテロの押さえ込みには成功しているように見える。しかし、その一方で、テロとの戦いは、イラクやアフガニスタンの一般市民や、掃討するアメリカ側にも多くの犠牲を生みながら、テロとの戦いは全く出口が見えてこない。同時に、テロとの戦いの当事国では一般市民の犠牲が増えるごとに、イスラム圏ではアメリカや西側諸国への怨念が強まり、それがまた新たなテロリストを生むという悪循環を繰り返している。そして、その悪循環は、遂に中東では「イスラム国」を名乗り、テロ行為を繰り返す擬似武装国家の登場まで許してしまった。
 そして日本も遅ればせながら、イスラム国と戦う有志連合に名を連ね、今回の中東訪問でも安倍首相はISISとの戦う姿勢を明確に打ち出している。
 確かに、先進国の平穏な市民生活を守るためにはテロリストに付け入る隙を見せてはならないだろうし、暴力には力で立ち向かうことが必要な時もあるだろう。しかし、現在のアメリカの「テロとの戦い」を続けることで、本当にテロを根絶することは可能なのか。
 テロの背景にはオスマントルコ崩壊後の欧米諸国による中東地域の理不尽な統治の歴史や、その後の度重なる紛争とその結果生まれている貧困や絶望などが根強く横たわっていると言われる。そのような土壌の上で、アメリカや先進諸国が圧倒的な軍事力に物を言わせた掃討作戦などを強行した結果、イスラム諸国の市民生活が破壊され、一般市民に多くの犠牲者が出れば、それがまた次のテロリストを生んでしまう負のサイクルに陥ることは避けられない。
 われわれはこれからも出口の見えない「テロとの戦い」を続けるのか。そして、日本はそこに全面的にコミットしていく覚悟があるのか。それともテロの背景に目を向け、その解決に本気で踏み出すのか。テロとの戦いを描いた映画から見えてくるさまざまな問題を、ゲストのピーター・バラカン氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

安倍外交で日本が渡ろうとしている橋とは

(第722回 放送日 2015年2月7日 PART1:49分 PART2:35分)
ゲスト:孫崎享氏(元外務省国際情報局長)

 今まさに日本が渡ろうとしている橋は何という橋で、橋の向こうにはどのような世界が広がっているのだろうか。
 武装グループ「イスラム国」(ISIS)による日本人人質事件で、人質が全員殺害されるという最悪の結果に終わったことが、今後の日本外交の針路に大きな影響を与えることになりそうだ。
 安倍政権は元々、「戦後レジームからの脱却」という大きな政策目標の一環として、国際社会における日本の役割を、これまでの人道的貢献に限定されたものから、より軍事面を含んだものに転換していく意向を明確に打ち出してきた。そして、昨年来、武器輸出三原則の緩和や集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更などを着実に実行に移してきている。
 しかし、そうした一連の動きは、少なくともこれまでは日本という一国の枠内の域を出ないものだった。ところが今回、安倍首相がISISと戦う国への2億ドルの支援を約束し、その報復としてISISが日本人の人質の命を奪ったことで、日本は期せずして「テロとの戦い」という世界の表舞台に立つことになった。
 その結果、明確にISISのテロの標的となった日本は今後、アメリカとの連携を強めながらテロとの戦いの最前線に立ち、より大きな役割を担っていくのか、その路線を再考した上で、人道面に限定した中立的な役割に戻るのか、今、日本の選択が世界から注目されている。
 安倍首相が先の中東歴訪で、エジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナを回ったが、これはいずれもアメリカと密接な関係にある国々だ。そしてその歴訪中に、日本がテロとの戦いを支援する意思を宣言したことは、日本が変わりつつあることを印象づけると同時に、日本があくまでアメリカと一蓮托生で生きていく道を選んだことを強烈に印象づける結果となった。
 安倍首相はこれを積極的平和主義と呼んでいる。英語ではPro-active contribution to peaceと訳されている。しかし、積極的平和主義の名の下に日本が渡ろうとしている橋の向こうに、何が待ち受けているかを、われわれは理解できているのだろうか。その覚悟はあるのか。いや、われわれだけではない。安倍首相自身やその路線を邁進する日本の外交担当者たち自身が、それをはっきりと見極めているのだろうか。
 外務官僚として国際情報局長、イラン大使などを歴任し、長年外交の最前線に立ってきた孫崎享氏は、一見、安倍首相のイニシアチブに見える積極的平和主義などの外交路線も、相当部分は外務省の入れ知恵によるものとの見方を示す。外務官僚が戦後レジームの脱却を掲げる安倍首相が好みそうな外交路線を示し、その方向に誘導する上で都合のよい情報だけを上げていけば、大枠で官僚が政治家をコントロールすることは決して難しくない。
 しかし、より大きな問題は、外務省が日本の国益を最優先で考えて外交を行っているとはとても思えないことだと、孫崎氏は言う。外務省内ではアメリカ一辺倒の路線に対して異論を挟むことが難しくなっているというのだ。そしてそれを支えているものは国益はおろか、外務省という一官庁の省益よりもさらに小さい、私益によるものだと孫崎氏は言う。
 安倍首相が自信満々で推し進めている積極的平和主義の行き着く先には何が待っているのか。アメリカと一連託生の道が日本にとって本当に一番幸せな道なのか。その結果、われわれ国民が払わされることになる対価は何なのか。ゲストの孫崎享氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

貧困なる貧困対策から脱するために

(第723回 放送日 2015年2月14日 PART1:58分 PART2:55分)
ゲスト:岩田正美氏(日本女子大学人間社会学部教授)

 安倍政権が2月12日に提出した2015年度予算案では、一般会計の総額は過去最高の96兆3420億円にのぼり、社会保障費も31兆円台にまで膨らんでいる。しかし、世界で有数の格差大国となっている日本にとって最優先課題であるはずの貧困対策は減額されている。
 日本における貧困対策の大半を占める生活保護費は受給者が216万人まで増加しているのに対し、歳出額の方は前年から180億円も減額されている。これは厚生労働省が給付基準を見直して、住居費と冬期の暖房費の支給基準を引き下げたことによるものだが、社会保障費を削減するための象徴として生活保護費をカットしようとの財政当局の思惑が見え隠れし、貧困対策の本来の目的が損なわれているのではないかと、社会保障問題や貧困対策に詳しい日本女子大学教授の岩田正美氏は懸念を表明する。
 実際に住宅費や暖房費分が削られた今年度の生活保護の支給基準についても、岩田氏が副座長を務める厚生労働省の社会保障審議会生活保護基準部会での議論の内容が正確に反映されないまま、政府の独断で変更されていると岩田氏は言う。
 どうも、安倍政権は財政再建を掲げながら必要性が疑わしい公共事業や防衛費の方は増額する一方で、貧困対策、とりわけ生活保護をスケープゴート化しているように見えてならない。
 生活保護費に代表される貧困対策は、財政負担が大きい上に受給者の働く意欲を削ぐなどの批判がある。しかし、岩田氏は、病気や失業によって収入が得られなくなった時、政府が最低限の生活を保障していることは、その社会にとっては重要な意味を持つと言う。最低限の生活さえも保障されないとなると、たまたま日本で生まれたということ以外に、日本の国民でいることの意味が見いだせなくなってしまう。また、社会の中に、憲法25条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を営めない人を一定数抱えることは、社会の連帯を揺るがす不安定要素となる。
 また、生活保護を受けていない人たちの間では、生活保護受給者が税金で生活を支えてもらっていることに対する不公平感があると言われる。しかし、現在の生活保護費の歳出額が年間3兆円弱であるのに対し、日本国民のほとんどが何らかの形で依存している社会保険や年金の国庫負担の総額は30兆円を超えている。生活保護の受給者に限らず、日本人であれば誰もが大なり小なり税金によって日々の生活を支えられていることを、忘れてはならないだろう。
 ところが日本の問題はもう少し厄介なようだ。なぜならば、日本ではそこで言う「最低限度の生活」がどの程度のものになるのかについて、国民的なコンセンサスを得ることができていないのだと岩田氏は言う。有識者の間でさえ、一旦その議論を始めると、「台所の流しの三角コーナーは最低限の生活に必要かどうか」といった各論に嵌まってしまい、合意できる最低限の生活のモデルを作ることが難しいのだという。そのコンセンサスがないために、必要最低限ぎりぎりか、あるいはそれ以下の生活しか支えられないような給付基準が依然として容認され続け、それでも多くの人が不公正感を拭いきれないというような、不幸な状況が続いているのだという。
 しかし、現実には既に日本の貧困率は16.1%という先進国の中では最悪の部類に入るところまで状況は悪化している。日本人の2000万人足らずが貧困状態にあることになる。それに対して、生活保護の受給者は近年増加したといっても依然200万人強にとどまり、生活保護を必要としている人のうち実際に給付を受けている人の率を示す捕捉率も依然として2割前後だと言われている。そもそも政府が貧困世帯の数さえ正確に捕捉できていないというのが日本の貧困対策の実情なのだ。
 現行の生活保護費の給付基準が、最低限の生活を保障していると言えるかどうかについても疑問が残るところに、捕捉率は2割にとどまるという世界でも類を見ないほどの貧困者切り捨て政策をとっていながら、政府はさらなる生活保護の削減に躍起になっている。一番困っている人たちの給付でさえ削られていることを見せられれば、他の社会保障を削ることが正当化しやすくなるからだ。
 岩田氏は貧困対策がもっぱら生活保護に依存しているところに、日本の貧困対策の決定的な欠陥があると言う。海外では世代別にセーフティネットが用意され、それに失業対策や自立支援などの制度が組み合わされて現金給付やサービス給付が行われている国も多い。しかし、日本では全てを「生活保護」のみでカバーしようとするため、財政的な理由から生活保護費の削減が求められるようになり、生きる上で死活問題となる本当に必要な扶助まで削られてしまうことになりかねない。
 岩田氏はまた、「単給」の必要性を強調する。生活保護と一言で呼ばれるが、実際は生活扶助、教育扶助、住宅扶助、医療扶助、介護扶助、出産扶助、生業扶助、葬祭扶助の8つの異なる扶助項目から成り立っている。生活保護という形ですべてを一緒くたにして給付するのではなく、必要としている扶助項目だけを個別に給付することを可能にする制度が「単給」だ。ある時はその中の一つを利用し、また別の時はその中の別の扶助を利用するというような形で「単給」が可能になれば、失業、病気、年齢などによって、本当に助けを必要としている人に対して必要な時に必要な扶助が行われることが期待できると岩田氏は言う。
 先進国でもっとも格差が大きな国になりつつある一方で、財政が次第に危機的な状況を迎えつつある日本において、われわれは社会のセーフティネットをどう構築していくべきなのか。日本人として保障されるべき最低限の生活とはどんなものなのか、それを実現するために今、われわれには何が必要なのか。日本の貧困対策の現状と課題について、ゲストの岩田正美氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

社会を破壊するTPPの著作権条項に注意せよ

(第724回 放送日 2015年2月21日 PART1:57分 PART2:64分)
ゲスト:福井健策氏(弁護士)

 TPP交渉が大筋で合意に達しつつあるようだ。
 TPPと言えば日本では農産物の自由化に大きな関心が集まっているが、マル激では、TPP交渉の21分野の中でも、著作権分野にとりわけ強い関心を持ってきた。著作権分野は貿易額も自動車や農産物を凌ぐほど大きい上に、その影響は日本の社会のあり方を根底から変えてしまうほどのインパクトを持つと考えられるからだ。
 TPPは日米を含む12ヶ国の政府による秘密交渉なので、政府からは一切正式な発表は行われていない。しかし、ウイキリークスが公表した漏洩情報や政府から非公式に漏れ伝わってくる情報、一部報道などを総合すると、TPP交渉は著作権分野では、かねてからアメリカが求めていた著作権期間の70年への延長と、著作権法の非親告罪化で、ほぼ大筋合意に達したとみられている。また、これはまだ確定的な情報ではないが、著作権違反に対する賠償金が大幅に増額されることになる法定・懲罰的賠償制度の導入も、合意に達する可能性が高いことが指摘されている。こと著作権分野ではアメリカの主張が全面的に通っているように見える。
 著作権に詳しい弁護士の福井健策氏は、現在TPPの著作権分野で議論されている論点はいずれも、ディズニーに代表される強力なキラーコンテンツを持つアメリカの著作権強者の権利をさらに強化することになるという。同時に、一般の市民が自由にアクセスできるコンテンツが制約される恐れが強く、表現の自由や知る権利といった民主主義の根本的な理念が損なわれる危険性があると言う。
 特に日本はアメリカと比べて、国内で著作権が緩めに解釈されてきたことで、コミケに代表されるような同人誌やパロディなどの二次創作が花開き、それがクールジャパンと呼ばれるようなコンテンツを生み出す力の源泉にもなってきた。これは原作者が二次創作を黙認していたからこそ可能だった、日本独自の文化と言えるものだった。
 ところが著作権法が非親告罪化されると、原著作者の告発がなくても、第三者による通報や警察独自の摘発が可能になる。その結果、例えばコミケに見られるような二次創作やパロディなどはいずれも無断複製や無断改変として、第三者による通報の対象となる。当局は著作権者の意向とは関係ないところで、こうしたコンテンツの摘発が可能になってしまうのだ。
 もちろん悪質な複製や海賊版の氾濫などは厳しく取り締まる必要がある。しかし、非親告罪化にこれまでグレーゾーンとして黙認されてきた活動まで、誰がいつ通報するかもわからない状態になれば、二次創作の作者たちが萎縮することは間違いない。
 また、より長期的には、今回の合意に基づく著作権制度の改変が、日本社会のあり方を根底から変えてしまう可能性があると、福井氏は言う。非親告罪化や法定賠償金制度や懲罰的賠償の導入は、いずれもアメリカ型の訴訟社会を前提にしているものだ。日本はアメリカのような徹底した契約社会でもなければ、何でも訴訟で決着する訴訟社会でもない。人口1人当たりの弁護士の数をみても日本はアメリカの15分の1に過ぎないと福井氏はいう。しかしTPPによって著作権に関するルールがアメリカ型に変えられてしまうと、日本社会もガチガチの契約社会、訴訟社会と化してしまう可能性が高い。
 果たして政府は、短期的・経済的な利害得失は言うに及ばず、長期的な影響やそれが社会全体及ぼす影響を検討した上で、TPP交渉を行っているのだろうか。1990年代の初頭に、アメリカの圧力に屈する形で合意した日米構造協議とその後に続く年次改革要望書などによって、日本社会がどれだけ大きな変質を強いられたか。そして、その変質が日本にとって本当にいいものだったのかどうかは十分に検証されているのだろうか。
 当時、宮沢政権の官房長官や自民党幹事長として日米合意に尽力した元衆院議員の加藤紘一氏は、以前にマル激に出演した際に、日米協議の結果導入された大規模店舗法改正の影響を過小評価した結果、自らの選挙区内の商店街がシャッター通りと化すことを許したことを、後に強く悔やんだと告白している。
 TPPは各国政府によって秘密裏に交渉が行われ、途中経過も公開されない。しかし、国際条約であるが故に、一旦批准されれば、国内法よりもより強い拘束力を持つ。とりあえずトライしてみて、具合が悪ければ元に戻すというような融通が一切利かないのが、TPPの特徴なのだ。
 著作権の枠を超えて、表現の自由やわれわれの知る権利にも大きく影響を与え、更に社会のあり方を根底から変えてしまう可能性のあるTPPについて、ゲストの福井健策氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

農協改革で日本の農業は再生するのか

(第725回 放送日 2015年2月28日 PART1:44分 PART2:35分)
ゲスト:田代洋一氏(大妻女子大学社会情報学部教授)

 安倍政権が60年ぶりの大改革と位置づける農協の改革案が2月9日、政府・与党と農協の上部団体である全国農業協同組合中央会(全中)の合意によってひとまず決着した。全中の監査権限や指導権限に制限を設けることと引き替えに、農協利権の本丸とも呼ぶべきJAバンクやJA共済などの金融保険事業の大半を占める准組合員の取り扱いの5年間の保留を認めるこの改革案について、安倍首相は「強い農業を創るための改革。農家の所得を増やすための改革」と主張する。
 しかし、今回の改革で農協を解体することが、どこまで日本の農業の再生に繋がるのか、また農協が縮小、もしくは消滅した場合の、地域社会への影響などは未知数だ。
 確かに日本の農業は問題が山積している。1960年には1454万人だった日本の農業就業人口は2010年には261万人にまで減少する中、農業就業者の高齢化が進み、慢性的な後継者不足に悩まされている。TPPで国産農産物に対する保護が撤廃されれば、日本の農業を取り巻く環境はさらに厳しくなることが予想される。国内農業の衰退は食料安全保障上も懸念されるべき問題と言っていいだろう。
 とは言え、農協を解体することが、果たして日本の農業の活性化につながるのか。政府・与党が主張するように、農協機構の最上部に位置する全中の権限の源泉ともいうべき監査権限を制限することで、個々の単位農協にとっては、独自の事業展開が可能になるという理屈はわからなくはない。実際、農協を通じた農産物の取引額は既に全体のおよそ半分にまで減少している。
 しかし、農政の問題に詳しい大妻女子大学教授の田代洋一氏は、監査権限の制限が単位農協を活性化させる効果は期待できないとの見通しを示す。なぜならば、今回の改革案では監査権限が外部の公認会計士に移るだけであり、それ自体が、農家が流通、加工分野や国際市場などに展開していくような経営効果を生むとは考えにくいからだ。
 一方で、米価を維持する上で農協が果たしてきた役割は大きかったと、これまでの農協の存在意義を評価する田代氏は、農協が弱体化することで、これまで地域社会で農協が果たしてきた生活インフラサービスの代替的役割や互助的機能が失われ、それが一層の耕作地放棄や農地荒廃のような事態を生むことが懸念されると言う。
 農協改革は誰のためにあるのか。農協が果たしてきた機能の中で、温存されなければならないものはないのか。安倍政権が進める農政改革と日本の農業の今後について、ゲストの田代洋一氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

東日本大震災4周年特別番組
取り残される被災者を作らないということ

(第726回 放送日 2015年3月7日 PART1:58分 PART2:55分)
ゲスト:長純一氏(石巻市立病院開成仮診療所所長・内科医)

 未曾有の被害をもたらした東日本大震災から、この3月11日で4年が経過する。安倍政権は国土強靭化の掛け声とともに、津波被害地のかさ上げや造成、防潮堤などの公共事業を中心とした防災対策を進めているが、それは最優先されるべき被災者の生活再建につながっているのだろうか。今週のマル激はジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、地震と大津波によって壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市を訪れ、復興の現状について、復興の最前線で被災者の生活再建に尽力する医師とともに特別番組をお送りする。
 東日本大震災によって3275人が死亡し、現在も400人以上が行方不明となっている石巻市では、震災から4年が経過した現在も、住む家を失った被災者12,585人が、応急仮設住宅での生活を余儀なくされている。復興公営住宅の建設が進められているが、当初の予想を大きく上回る数の被災者が、仮設暮らしから抜けられない状態にあり、公営住宅の供給が追いついていないという。
 過疎地を中心とした地域医療に長年取り組み、2012年から石巻市立病院開成仮診療所の所長として仮設住宅で暮らす被災者のケアを続けている内科医の長純一氏は、震災から4年経った今もなお、先の見えない不安などから希望を失っている被災者が多く、健康状態の管理・改善とともに、心の問題をケアしていくことが重要になっていると指摘する。
 阪神淡路大震災でも医療ボランティアとして被災地で活動した経験を持つ長氏によると、被災者の自立は、体力や資力がある者から先に始まって、次第に高齢者、低所得者などいわゆる社会的弱者が取り残されていく傾向にあり、石巻でも震災から4年が経ち、自立が困難な被災者が仮設住宅に取り残され始めているという。被災者支援はこれからが本番だと長氏は言う。
 また、地域によって仮設住宅と道一つ隔てた隣地に自力再建を果たした元被災者の新築住宅が並んでいるところもあり、自立を果たした住民にとっても、仮設暮らしの住民にとっても、心理的な重圧を感じざるをえない状態が生まれている。先に自立を果たした者と仮設に取り残されている者との間に生じる目に見える格差と相互に生まれる罪悪感や妬みなどが、被災者の上に心理的な負担としてのし掛かっているという。
 被災地を訪れるたびに、復興の名の下に何十兆円という単位の公的資金が投入される一方で、その多くはいわゆる箱物に回ってしまい、もっとも支援を必要としているところに肝心な支援が行き届いていないとの印象が拭えないのはなぜだろうか。
 その原因として長氏は、日本の災害復興の枠組みの中に、心の問題や生活再建支援の「スキーム」が整備されていないところに問題があると言う。日本の大規模災害にあたっては医療活動や住民支援は民間やボランティア頼りで、政府内にそれを統括する機関もない。災害が起きると基本的に政府には自衛隊を派遣することくらいしか対策がないのが実情だ。そして、復興政策はインフラや箱物が優先され、医療は民間に任せきりになっている。それが災害大国日本の、現時点での災害復興の実力なのだ。
 この問題は20年前の阪神淡路大震災でも繰り返し指摘されていた。しかし、約20年後、東日本大震災に直面してもなお、基本的な問題は解決されていないことが、明らかになりつつある。更に、災害の現場を民間やボランティアに任せてしまった結果、もっとも肝心な災害対策のノウハウやノウハウを持つ人材が行政内に蓄積されないまま、また次の大災害を迎えてしまった。
 震災から4年、被災地はいま、どのような問題に直面しているのか。現在の復興政策のままでいいのか。被災地の最前線で被災者の生活再建のために奔走する医師の長純一氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

川崎中1殺害事件の教訓とこれから私たちにできること

(第727回 放送日 2015年3月14日 PART1:1時間2分 PART2:45分
ゲスト:土井隆義氏(筑波大学人文社会系教授)

 川崎市で13歳の少年が殺害された事件は、われわれに何を投げかけているのか。
 2月20日に川崎市の河川敷で、市内の中学1年生、上村遼太君の遺体が発見され、27日には主犯格とされる18歳の少年ら3人の未成年が逮捕された。報道では概ね犯行を認めているという。
 その後、遼太君一家が、1年あまり前に島根県の西ノ島から移転してきたばかりだったこと、遼太君は1月から一日も学校に登校していなかったこと、遼太君は今回の加害少年から繰り返し暴行を受け、顔にアザを作っていたこと、遼太君の家が母子家庭で5人の子どもを抱えた母親は日々の仕事に追われ、子どもの異変に気づかなかったこと、などが明らかになっていった。
 13歳の少年が夜な夜な出かけて行くのを、母親はなぜ止めなかったのか。中学1年生が1ヶ月以上にもわたって不登校だったのに、学校は異変に気づかなかったのか。警察はトラブルの存在を知らされていたのに、なぜ何もしなかったのか、等々、屈託無く微笑む遼太少年の愛くるしい写真を見た人は誰もが、何とか事件を防ぐことはできなかったのだろうかと考えるのは無理のないことだろう。
 実際、政治の世界では18歳の加害少年が少年法で守られていることから、少年法の改正に言及するような動きや、2年前に施行されたいじめ防止対策推進法の不備に言及する向きもあるようだ。自民党の稲田朋美政調会長は、「(犯罪が)非常に凶悪化している。犯罪を予防する観点から今の少年法でよいのか、今後課題になるのではないか」と述べている。
 しかし、事はそんなに単純な話ではない。
 犯罪社会学が専門で、子どもの非行問題などに詳しい筑波大学教授の土井隆義氏は、殺害された13歳の遼太君が、なぜ自分に暴力を振るう年上の仲間たちと一緒にいたのかや、今日、少年らがどういうつながりで日々を過ごしていたのかなどを考える必要があると指摘する。土井氏によると、今日の子どもの世界は「フラット化」していて、かつてのような同世代、同じ学校、同じ部活のようなシステム上の枠でグループを形成するのではなく、特定の趣味や遊びを接点にして年齢に関係なくつながる傾向にあると指摘する。また、「フラットな関係」は、従来のようなボスと子分、先輩・後輩のような明確な上下関係ではなく、流動的に上下関係が移動するのだという。ある時はいじめの加害者だった者が、瞬時にいじめられる側に回ってしまうようなことも、日常的にあるそうだ。
 土井氏はまた、遼太君について周辺の人々が口を揃えて「明るくいい子だった」と語っている点にも着目する。島根県の離島に生まれ、9歳で両親が離婚し母子家庭になり、小学六年になって川崎に引っ越してきたばかりだった遼太君は、学校や家庭では懸命にいい子を演じなければならないと感じていたのではないか。そんな遼太君にとって、年上とはいえアニメという共通の趣味を持つ少年たちのグループが、唯一の居場所となっていた可能性が否定できない。
 土井氏によると、子どもは自分の居場所を確保するために状況に応じたキャラを演じる傾向が強くなっているため、大人側から問題を把握することが困難になっているという。親の前では何も問題はないかのようなキャラを演じ、教師や学校に対しても家庭や友人関係はうまくいっている風を装う。子ども同士においても同様だが、LINEなどのソーシャルメディアを使って関係性を維持することが多く、教室では会話もしないが、実はLINEでは大の仲良しなどという、大人側からは理解しにくい状況にもつながっているという。
 1ヶ月以上も不登校だった遼太君に十分な対応を取らなかったとして、学校の責任を問う声があるが、土井氏はこれに疑問を呈する。今日、不登校の子どもは決して少なくない。また、全休までいかなくても、学校に来たり来なかったりの生徒は多く、よしんば登校してきても、一日中保健室で過ごすよう子どもも少なくないというのが、学校現場の実情なのだという。そのような状況の下で、一人一人の生徒のために学校ができることには自ずと限りがある。
 また13歳の息子の異変に気づかず、殺害された日も夜になって遼太君が外出することを許していた母親の責任を問う声についても、シングルマザーで5人の子どもを抱え、昼間は介護の仕事をし、夜はスナックで働いて家計を支えていた母親を、一体誰が批判できるだろうか。
 むしろ、われわれはそのような状況に置かれている家庭が決して少なくないことに着目する必要がある。そして、そうした助けを必要としている家庭を、社会全体で下支えしていく方法を考えなければならないのではないか。日本の貧困率の上昇が指摘されて久しいが、それでもまだ全体の貧困率は16.1%程度にとどまっている。ところが、ひとり親世帯の貧困率は2012年現在で54.6%に達している。ひとり親世帯の半分以上が、貧困に喘いでいるというのだ。これは子どもの問題ではなく、大人の問題であり、社会の問題として受け止める必要があるのではないか。
 今回の教訓として、個々人レベルでも家庭や団体レベルでも、より広く社会に開いた関係性の構築が必要だと指摘するゲストの土井隆義氏とともに、この痛ましい事件でわれわれ一人ひとりが考えなければならないこととは何なのかを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

オウム真理教と地下鉄サリン事件20年目の教訓

(第728回 放送日2015年3月21日 PART1:58分 PART2:1時間
ゲスト:島田裕巳氏(宗教学者)

 オウム真理教事件とは一体何だったのか。地下鉄サリン事件から20年目を迎えた今、われわれはその問いに向かい合うことができるだろうか。
 1995年3月20日午前8時頃、オウム真理教の複数の信者が、首都東京のど真ん中の霞ヶ関駅周辺において、通勤ラッシュで満員の地下鉄車内で猛毒ガスのサリンをまき、13人が死亡、6000人以上が中毒症状などを訴えるという前代未聞の無差別テロ事件を引き起こした。2日後に予定されていた警察による教団施設への一斉捜査を攪乱することが目的だったと見られている。しかし、化学兵器として使われる自家製のサリンの毒性は非常に強く、被害者の中には今もその後遺症に苦しむ人が多い。そして何よりもこの事件は、世界でも例を見ない、都市の真ん中で一般市民の無差別殺戮を目的に化学兵器が使われるという、歴史上初めての化学兵器テロ事件だった。
 その後、新興宗教団体のオウム真理教が警察の一斉捜査を受け、事件そのものはオウムの信者らの犯行であることが明らかになった。しかし、同時にわれわれは、大勢の若者たち、とりわけ一流大学出身のエリート学生たちが、一見、荒唐無稽としか思えないような教祖・麻原彰晃の説法に引き寄せられ、すべてを捨てて教祖に帰依することを厭わない教団の実体を、いやというほど知らされることとなる。
 オウム真理教は麻原彰晃(本名松本智津夫)が1984年頃に設立したオウム神仙の会が前身で、仏教の流れをくむ一方、ヨガの修行や技法などを取り入れて独自に体系化された新興宗教だった。麻原とたびたび対談をした経験を持つ宗教学者の島田裕巳氏は、オウム真理教が信者を獲得していく秘訣は、激しい修行とその修行がもたらす精神的な満足感だったという見方を示す。
 信者らが最初にオウムに関心を持つきっかけとしては、日常への不満や自分の人生を顧みたときの焦りや将来への不安感などが多かったようだが、オウムの修行はこうした人々に達成感や満足感を与えられるような効果を持っていた。軽い気持ちで麻原の書籍を読んだり、友人に誘われて興味本位で修行に参加した人々が、実際の修行を通じてその効果を実感できた。こうした実体験に根ざした教えには強い説得力があったと、島田氏は言う。
 しかし、信者を1万5000人にまで増やし、特に出家制度を取り入れたことで信者らが集団生活を送るようになっていったオウム真理教は、次第に過激な思想を身に纏うようになっていった。最初は、激しい修行で信者の一人が死亡した事故を隠蔽することがきっかけとなり、教義のために殺害を正当化するような理論武装が行われていった。そのために、教祖への絶対的な帰依を求める密教のヴァジラヤーナが用いられた。そしてそれが、坂本弁護士一家殺害事件や松本サリン事件などの複数の殺人事件を経て、ついには地下鉄での無差別殺人事件にまでエスカレートしていったのだった。
 それにしてもなぜオウムがそこまで先鋭化したのか。なぜ1万5000を超える人々が、ハルマゲドンだポアだといった、悪い冗談としか思えないような理屈を謳った教義に引き寄せられていったのか、20年前われわれは、もう少しそれを真剣に問わなければならなかった。オウムは決して社会から隔絶された突飛な事件ではなく、当時の日本社会に内在する矛盾が危険な形で吹き出したものだった可能性が高いからだ。
 しかし、地下鉄サリン事件とその2日後に行われた警察による山梨県上九一色村のオウム施設への一斉捜査の直後から、メディアによるオウムへの激しいバッシングが始まった。そうして社会の中に醸成されたオウムに対する激しい嫌悪感や拒絶感は、オウムの教義やそれが若者を惹きつける原因などを宗教学的な観点から解説することを許さなかった。現に島田氏も、宗教学者としてマスメディアでオウム現象を真面目に解説したために、オウムシンパとしてのレッテルを貼られ、激しいバッシングを受けたばかりか、当時教授を務めていた大学の退任にまで追い込まれていた。元々、金目当ての冠婚葬祭業に成り下がっていた日本の既存の宗教に批判的だった島田氏は、レベルはともあれ一応教義らしきものが存在するオウムは宗教学者として解説に値すると考えていた。しかし、当時の社会の空気感はそれさえも容認できないほどの反オウム一色となっていた。
 あれから20年の月日が流れ、一連のオウム事件の裁判もほぼ終了した今、日本社会はようやくオウム現象とは何だったのかを議論する冷静さを取り戻しつつあるように見える。島田氏はオウム現象について、経済的に豊かになったが何か満足感を得られないでいた日本に蔓延していた、経済を最優先する価値観の行き詰まりが背景にあるとの見方を示す。80年代後半から90年代前半にかけての日本は、終戦の焼け野原からひたすら突っ走ってきた経済至上主義が頭打ちとなる中、それに代わる新たな価値観を見いだすことができないでいた。そのような中で、特にエリート学生らの多くは、人生に充足感を味わえなかったり、不全感に悩まされていた。そこにオウムという、一見荒唐無稽に聞こえるが、実践してみると予想もしなかったような大きな満足感を提供する宗教団体が現れ、たまたまそれを体験した若者たちが次々と入信し、麻原に帰依していった。
 地下鉄サリン事件から20年が経過した今日、あの事件からわれわれはどのような教訓を得ることができるだろうか。オウム事件とは何だったのか。そして現在の日本にあの事件はどんな影響を与えたのか。事件当時、ジャーナリストとして第一線でオウムを取材していた神保哲生による当時の取材映像などを交えながら、ゲストの島田裕巳氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

私が鳩山さんとクリミアを訪問した理由

(第729回 放送日 2015年3月28日 PART1:55分 PART2:51分)
ゲスト:高野 孟氏(ジャーナリスト)

「国賊!」「売国奴!」
 クリミアを訪問した鳩山由紀夫元首相が、メディアから罵詈雑言を浴びる激しいバッシングに遭っている。
 鳩山氏のクリミア訪問については実弟の鳩山邦夫氏までが「宇宙人になった」と酷評するなど、まさに日本ではフルぼっこ状態だが、何が問題だったのかと言えば、要するに「けしからん罪」ということのようだ。
 日本政府はロシアによるクリミアの編入を認めていない。そのクリミアにロシアのビザを取得して入国すれば、ロシアの「力による現状変更」を追認することになり、それは中国との間に尖閣問題を抱える日本にとっても他人事では済まされない。ましてや、元首相が政府の方針に反する行動を取るとは何事か、というわけだ。
 一国のリーダーの退任後の身の処し方についてはいろいろ意見もあろう。小泉純一郎元首相のように公然と政府の原発政策に反旗を翻すケースもあるだろうし、森喜朗元首相のように、政府の意を受けて、対露外交やオリンピックの招致などで政権を援護射撃する場合もあり得るだろう。アメリカのカーター元大統領も、政府とは一線を画した立場から民間外交に奔走したことで知られる。
 しかし、今回の鳩山元首相のクリミア訪問には少なくとも一つ、重要かつ正当な目的があった。そして、それはその訪問自体が正しいことなのかどうかを判断するための情報を得ることだったと言っていいだろう。
 クリミアの現状を知るためには、現在クリミアを実効支配するロシアが発行するビザが必要になる。しかし、ロシアのビザを取得すれば現状を追認することになるからダメだということになると、そもそも「現状」がどうなっているかを知ることが事実上不可能になってしまう。
 鳩山氏は日本で広く報道されているように、クリミアが軍事力によって強制的にロシアに編入され、クリミアの人々は自分たちの意思に反してロシアの支配下に置かれているのかどうかを、実際に現地に入り、自身の目で確かめに行ったのだということだった。
 クリミアのロシア編入に際して、ロシアの後ろ盾を受けたクリミア自治共和国政府は昨年3月にロシアへの編入を問う住民投票を実施し、97%の賛成を得た上で、自主的にロシアへの編入を決めていた。しかし、アメリカやEU諸国は、この投票にはタタール人などの少数民族が参加していなかったほか、投票に参加した人たちも、ロシア系の武装勢力の監視下に置かれていたため、真に民主的な住民投票ではなかったと主張し、その結果を認めていなかった。
 日本政府もまたアメリカに追随する形で、クリミアのロシア編入を「力による現状変更」であり国際法違反であるとの立場を取り、対露制裁に加わっていた。
 今回の鳩山氏のクリミア訪問に同行したジャーナリストの高野孟氏は、これまで日本で伝えられてきたウクライナの政変、とりわけクリミア情勢についての情報は、そのほとんどが欧米、特にアメリカの視点からの情報に限定されていると言う。それはクリミア問題では全面的にロシアが悪であり、ロシアの行為は国際社会では容認できない不法行為だという視点だ。
 しかし、実際に対露制裁に参加している国は、ウクライナに隣接し、ウクライナ情勢から直接の影響を受けるEU諸国の他、アメリカ、カナダ、オーストラリアなど、一部のアメリカの同盟国に限られており、世界がこぞってロシアを批判しているというわけではない。中国は無論のこと、北朝鮮問題を抱え、対米関係で日本と似たような微妙な立場にある韓国も、制裁には加わっていない。
 一方で今回日本が対露制裁に加わったことで、これまで安倍首相自らが積み上げてきたロシアとの友好関係に少なからずひびが入ったことは間違いない。クリミア情勢はこれまで日本が積み上げてきたロシアとの友好関係を危険に晒し、北方領土問題解決の機運に水を差してまで、どうしても日本が対露制裁に加わらなければならないほど緊迫した状態にあるのか。それを確認することが、鳩山氏らのクリミア訪問の目的だった。
 高野氏はそもそもクリミアは歴史的にロシアの領土であり、住民の6割近くをロシア系住民が占めていることから、拙速に行われた住民投票の正当性に多少の疑義があるとしても、クリミアがロシアに帰属すること自体は自然な流れだと考えるべきだと言う。
 むしろ、遙かに深刻なのは、もっぱらアメリカに追随する形で、思考停止をしたまま対露制裁に加わる日本の外交的スタンスと、これに何の疑問も呈さないマスメディアや日本の言論空間だ。
 ロシアとアメリカの間にはもはや冷戦時代のようなイデオロギー上の対立は存在しない。アメリカの一部、とりわけネオコンと呼ばれる原理主義的保守勢力の間では、ロシア異質論が根強いが、アメリカの対ロシア、対ウクライナ政策はむしろ経済利権、エネルギー利権の動機付けによって突き動かされている面が強いと見られる。
 そのような状況の下で、日本が単にアメリカ追随を目的に、対露政策に加わることが、日本にとって得なのか損なのか。いや、損得以前に、そもそもそのような国益判断が行われたかどうかさえ疑わしい。
 クリミア情勢に対する日本の政治的な立場には、日本なりの合理的判断があるのか。そもそも世論の中に異論や少数意見を包摂できない日本に、合理的な外交や合理的な政策判断を下すだけの成熟した民度があるのか。クリミア情勢と鳩山叩きから見えてくる日本外交の問題点や言論空間の貧困さについて、宮台真司氏に代わり司会を務めた国際政治学者の廣瀬陽子氏とジャーナリストの神保哲生が、鳩山元首相に同行してクリミアを訪問したゲストの高野孟氏と考えた。

食品表示の規制緩和に惑わされるな

(第730回 放送日 2015年4月4日 PART1:40分 PART2:49分)
ゲスト:高橋久仁子氏(群馬大学名誉教授)

 この4月1日から食品表示に対する規制が大きく緩和される。
 これまで特定の食品について、例えば「このみかんは花粉症の目や鼻に効きます」や「このお茶は疲れを取ります」のような形で、それが体にどのような好ましい効果をもたらすかを具体的に表示することは認められていなかった。科学的根拠の乏しい表示で、消費者に過度な期待を与えたり消費者の判断を惑わすべきではないと、考えられてきたからだ。
 厳密に言えば現行の制度でも、厚生労働省から「トクホ」(特定保健用食品)の認定を受ければ、ある程度までは食品の効果を謳うことは認められていた。しかし、トクホの認定を受けるためには人間を対象とした臨床実験による効果を証明しなければならないなどハードルが高く、認定までに最低でも2年はかかると言われていた。
 健康食品などで、それが一体何に効くのかわからないようなテレビコマーシャルを目にした人も多いはずだが、トクホの認定を受けていなければ、食品の健康効果を謳うことは基本的に禁止されていた。
 それがこの4月1日からは一定の条件を満たせば、食品メーカー自身が独自に実験を行わなくても、それを裏付ける第三者の論文を添付するだけで、食品の機能を表示することが認められるようになった。
 これは食品の「機能性表示」と呼ばれるもので、2年前に安倍首相がアベノミクスの規制緩和の一環として発表し、この4月の食品表示法の施行に合わせて導入されることになった。本来、食品の表示制度は消費者を保護するためにあるものだが、今回の規制緩和は安倍首相自ら認めるように、主にその経済的効果を狙ったものだ。
 新たに導入される機能性表示制度では、食品メーカーや販売業者などが自らの責任において、食品の機能性を科学的に担保すれば、「○×に効く」「Δ□を緩和する」というような形で、期待される効果を食品のパッケージなどに表示することが可能になる。トクホでは必要とされる独自の臨床試験を行わずに、学術誌などで発表された第三者の論文を転用することができるため、安倍首相が言うように、これまで独自の試験を行うだけの財力のない中小企業にとっては、新たなビジネスチャンスが広がる可能性があると考えられている。
 ただし、「食品メーカーや販売業者などが自らの責任において」とあるように、トクホのような認可制ではなく届け出制となっているこの制度の下では、政府は科学的根拠の有効性については評価を下さないことになっている。つまり、食品メーカーとしては自分が売り出したい商品に含まれる成分について、特定の機能を裏付けてくれる論文を見つけてきて、それを添付して届け出れば、それだけでほぼ自動的にこれまで許されていなかった効能を表示することができるようになる。そして、政府はその表示については責任を負わないという、事実上、食品表示に対する政府の責任を免除する制度なのだ。
 日本にはこれまでも「健康食品」の類が氾濫しているが、それぞれの機能や効能については科学的根拠が乏しいものも多く、また中には過剰に摂取したり、高齢者や既往症のある人が摂取することで重大な健康被害をもたらす恐れのあるものも多く出回っているのが実情だ。消費者庁の消費者事故情報データバンクシステムには、健康食品による健康被害が毎年500件から700件前後報告されている。
 健康食品については、既に現行の表示制度の下でも多くの事故が報告されている中で、機能性表示が解禁になれば、それを真に受けて、新たに健康食品を積極的に利用するようになる人や、より大きな効果を期待して過剰摂取してしまう人が増えることは必至だ。事業者側から見れば、正にそれが新たなビジネスチャンスということになるのだろうが、消費者に「機能性表示」の意味を理解させる努力が明らかに不足している。
 栄養学が専門で食品問題に詳しい群馬大学名誉教授の高橋久仁子氏は、厳しいとされるトクホの認定を受けている食品でさえ、その効果は非常に乏しいものが多いが、消費者はトクホだというだけで盲目的に効能を信じている人が多い状況に警鐘を鳴らす。
 日本に「フードファディズム」の概念を紹介したことで知られる高橋氏によると、トクホ認定の前提となった痩せるお茶などで、その根拠となった論文を取り寄せてみたところ、ほとんど効果がなかったり、ごく僅かな効果を針小棒大な表現で喧伝しているものが少なくなかったという。トクホでもそのような状況の下で、よりハードルが低い機能性表示が解禁されればどうなるかは想像に難くない。
 高橋氏は消費者の自覚に対しても厳しい見方を示す。元来「サプリメント」の意味は「補完」であり、その健康食品を摂ればそれだけで健康が促進されたり症状が緩和されるわけではないと理解されるべきものだ。しかし、メーカー側が「暗示やほのめかし」によって僅かな効果を誇張し、消費者が「それを飲んでいるから大丈夫」とばかりにその「機能性幻想」に依存してしまうことで、本来健康の促進や維持に必要な運動や食生活における節制などを怠るような結果になっているとすれば、まったく本末転倒である。
 われわれ消費者が健康食品に対する機能性幻想を捨てない限り、「暗示やほのめかし」に踊らされ続けることは避けられないだろうと、高橋氏は言う。
 安倍首相の肝入りで始まった機能性表示食品制度とはどういうものなのか。それがわれわれの消費生活にどのような影響を与えるのか。新たな制度の導入に際して、われわれ消費者が考えておかなければならないことは何なのかなどについて、ゲストの高橋久仁子氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.71(711~720回収録)

DVDを購入
CDを購入

アベノミクスの先にある日本の姿とは

(第711回 放送日 2014年11月22日 PART1:59分 PART2:54分)
ゲスト:熊野英生氏(第一生命経済研究所首席エコノミスト)

 安倍首相は来年10月に予定されていた消費税率の引き上げの延期を決定し、その判断について国民の信を問うとして、11月21日に衆議院を解散した。解散後に記者会見で安倍首相は、自らこの解散を「アベノミクス解散」と位置付け、自らが進めてきた経済政策を選挙の争点に据える意向を示している。
 憲法7条を根拠とした今回の解散については、憲法上大きな疑義があり、首相の解散権の濫用に当たるとの指摘がある。また、一票の格差をめぐり、前回12年の総選挙が違憲状態にあると判断した最高裁が根拠とした「一人別枠方式」の撤廃も進んでいない。この選挙が、選挙後の違憲訴訟で「違憲状態」、あるいは「違憲」判決が確実な状況の元で行われる選挙であることは、われわれ有権者としては厳しく肝に銘じておく必要がある。(今週のニュースコメンタリー参照)
 これは残念なことではあるが、しかし、たとえ違憲だろうが何だろうが選挙は実施され、首相がアベノミクスの是非を問うと宣言している以上、この際、アベノミクスをきちんと検証しておくことは不可欠だ。
 安倍首相は首相就任後、直ちに、日本経済が長年苦しんできたデフレからの脱却を目指し、アベノミクス第一の矢として金融緩和を実施した。本来、金融政策は日本銀行の専権事項だが、安倍首相は内閣の任命権を利用して日銀の総裁、副総裁、審議委員らに金融緩和推進論者を据えることで、官邸の意向を金融政策に反映させることに成功した。
 安倍首相の意向を強く受ける形で日銀総裁に就任した元財務相財務官の黒田東彦氏は、その段階で既に日銀が行ってきた金融緩和を大幅に上回る「異次元緩和」で膨大な資金を市場に提供した。いわゆるアベノミクスのアナウンスメント効果は少なくとも一面では功を奏し、株式市場と為替市場がこれに敏感に反応、まずは株高円安が実現した。
 政権誕生時には1ドル80円前後だった為替は、118円前後にまで円安が進み、為替差益によって輸出関連企業を中心に業績が好転した。ただ製品の単価が相対的に下がった結果、それが輸出量の増加にまでつながっていないとの見方が強く、円安だけで景気が好転できるかどうかは、依然不透明な情勢だ。
 一方、円安によってガソリン、食料品などの値段があがり、その一方で、賃金の上昇が見られなかったため、一部の輸出関連産業や株式を持つ富裕層を除いた大半の国民生活はむしろ苦しくなっているとの指摘が根強い。
 経済情勢分析の専門家で、第一生命経済研究所首席エコノミストの熊野英生氏は、アベノミクス第一の矢である異次元緩和に消費マインドを刺激するなど一定の効果があったことを認めた上で、「金融緩和策はいわば短距離ランナーであって、その効果をどうつなげていくかが重要だ。このまま短距離ランナーだけで走り続けるのは困難だ」と語る。特にアベノミクス第三の矢と称される成長戦略、とりわけ規制緩和や持続的に実体経済に働きかけることができる施策の重要性を強調する。
 山口県出身の安倍首相にちなんで毛利元就の「3本の矢」に喩えられるアベノミクスの真意は、第一の矢たる金融政策によって消費者の心理や市況が上向いたところで、第二の矢として公共事業を中心とする機動的な財政出動を行うことで景気を下支えし、最終的には本丸たる第三の矢の成長戦略によって、金融や公共事業に頼らずに経済が自立的に回っていくような状況を作るところにあった。しかし、熊野氏によると、第二の矢の財政出動もあまり効果的な事業に投入されていない上、第三の矢がほとんど実効性のある施策が打ち出されていないという。
 このままでは第一の矢の金融政策一本に頼ったままアベノミクスが続けられることになり、ある段階から金融政策は効果が薄れるばかりか、その弊害が前面に出てくることが避けられないと熊野氏は言う。
 「金融緩和は麻酔のようなもの。いつまでも打っているとどこかで効かなくなる。そして日本経済の病理は現状維持で体質改善が進まないまま、麻酔を打ち続けていると、海外からショックが襲って来た時に経済は立ち直れなくなってしまう」と熊野氏は指摘する。
 一方、第二の矢についても、熊野氏の評価は厳しい。安倍政権は発足直後の2013年1月には公共事業が柱となる総額約13兆円と史上二番目の規模となる補正予算を組み、その後も防災対策を中心とした国土強靭化を推進して10年間で約200兆円の事業費投入を計画しているが、熊野氏によると今年度7-9月期の日本のGDP成長において公共事業が寄与したのは0.1%に過ぎないという。むしろ赤字国債乱発によってさらに悪化した日本の財政状況に対する懸念の方が深刻になりつつある。
 しかも安倍政権が財政再建の一環となる消費税増税を延期する決断を下したことで、日本政府の財政再建に対する本気度に対する内外の信用が揺らぐ可能性が十分にある。
 熊野氏を始めとする良識あるエコノミストが、口を揃えて「アベノミクスの本丸」と指摘する第三の矢の成長戦略については、安倍政権の実績はまったく落第点と言わざるを得ない。岩盤規制を突き崩すといった言葉は踊るが、その実態は、廃止になっていない「減反廃止問題」や解禁になっていない「医薬品ネット販売解禁問題」などを見ても明らかだ。このままではアベノミクスは、短距離ランナーの金融政策だけが息が切れるまでひたすら走り続けることになる可能性が高い。
 金融緩和策によって一時的に株価や為替を下支えしても、実体経済の裏付けが無ければ、いずれまた低迷し始める。その繰り返しによって次第に金融緩和の効果は薄れていく。熊野氏は金融緩和の最大の問題は、その出口を誰も知らないことにあると警告する。今のところ長期国債の金利は抑えられているが、それもいつまで続くかも分からない。アメリカが金融引き締めに舵を切った中で日本だけがいつまで緩和を続けることになるのか。いや、どこかの段階でそれをやめる選択肢が日本にあるのか。
 これまでもっぱらイケイケの金融緩和論者と見られていた日銀の黒田総裁でさえ、日本の財政運営に信用が無くなった場合の市場の反応について「対応が極めて困難になる可能性がある」と述べていることを見ても、異次元金融緩和の副作用は、誰にもわからない、未知の世界なのだ。
 2012年の政権交代以降、株価は上がり、円安によって一息ついている日本企業も多い。安倍首相が記者会見でしきりに強調した、大学生・高校生の就職内定率も確かに上がっている。給料も上がっている業種もあろう。しかしこれらがアベノミクスの成果かどうかはしっかり見極める必要がある。
 一方で、円安による材料費高騰に苦しむ企業もあるし、消費税増税によって実質賃金はむしろ低下している上に、業績好調な企業はほんの一部の輸出関連・大企業に限られているという統計もある。
 首相がアベノミクスを問う選挙を打った以上、野党は対案を出さなければならない。熊野氏は、もともと今回の消費税の税率引き上げは社会福祉予算の充実のためだったことを思い出して欲しいと言う。誰でも増税は嫌いだろうが、消費税の引き上げを伸ばすことでわれわれの社会保障はどうなってもいいのか。野党はそれを問い、あえて消費税を引き上げてでも安心できる社会保障構築の青写真を示すべきではないか、と熊野氏は問う。
 あえて安倍首相自らが打って出た「アベノミクス選挙」の舞台に乗り、日本がこのままアベノミクスを続けることの意味とその対案の可能性を、ゲストの熊野英生氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

マル激的総選挙の争点

(第712回 放送日 2014年11月29日 PART1:56分 PART2:47分)
ゲスト:大沢真理氏(東京大学社会科学研究所教授)

 安倍首相は今回の選挙を自ら「アベノミクスと問う選挙」と位置づけ、野党に対して「対案があるのなら出して見ろ」と言わんばかりの姿勢で選挙に臨む姿勢を打ち出している。
 しかし、言うまでもなく、選挙の争点が何であるかを決めるのは有権者だ。党利党略で憲法上も多いに疑義のある解散総選挙を年末の慌ただしい時期に仕掛けられた上に、その争点まで勝手に決められたのでは、国民はたまらない。
 特に有権者としては、安倍政治について、以下の2点で厳しい検証が必要だ。
 まずは、アベノミクスが本当に日本経済の立て直しに寄与しているのかという問いが一つ。そして、2つめが、2年間の安倍政権の是非を問うべき総選挙の争点が、本当にアベノミクスだけでいいのかという問題だ。
 まず、1点目のアベノミクスの評価については、安倍首相や自民党はアベノミクスが日本経済を正しい方向に導いている根拠として、賃金の上昇や有効求人倍率の高さなどを強調している。しかし、それが国民の実感とはかなりずれていることは、巷間たびたび指摘されているところだ。このずれは何を意味しているのか。
 社会政策が専門の大沢真理東京大学教授は、「安倍政権下で日本の実質賃金は低下し続けている。これは企業側が非正規雇用への転換を進めてきた結果だ」と、アベノミクス効果を真っ向から否定する。安倍政権の経済政策は企業側の論理を優先しているだけで、アベノミクスによって一握りの大企業だけが恩恵を受けているが、国民の大多数は日に日に貧しくなっているというのが現状だと言う。
 大沢氏によると2000年以降、特に小泉政権時と安倍政権時に非正規雇用の比率が大幅に伸びた結果、企業はコストの削減が可能になったかもしれないが、その一方で、貧困率の拡大、とりわけ若者の貧困が深刻な問題として浮上しているという。実際、雇用者の数は増えても、その大半は不安定かつ賃金も安い非正規雇用のため、個々の賃金は減少する結果となっている。そこに、アベノミクスの目玉の一つである「異次元」金融緩和に起因する円安、輸入原料高による物価高の拍車がかかるため、国民の生活は苦しくなる一方だというのだ。
 さらに大沢氏はこの選挙では自民党政権下で着々と進んできた社会保障の「逆機能」が問われなければならないと指摘する。本来であれば所得の再分配機能を果たすべき日本の社会保障制度は、高所得者には優しく低所得者ほど厳しくなるという逆進性を持つと大沢氏は言う。非正規雇用が加入している国民年金や国民健康保険は、所得に関係なく一律に掛け金が決められているため、所得が低い世帯ほど負担率が高くなってしまう。そしてその負担に耐えられない非正規雇用の労働者や低所得者層の中には現実に制度から脱落し、最低限の社会保障すら受けられなくなっている世帯が続出しているのが現状だ。
 結局、安倍政権も過去の自民党政権の大企業や富裕層の優遇政策を踏襲し、尚且つ、法人税減税などによってこれを加速させようとしている。この路線も当然、総選挙で問われるべき重要な争点となる。
 もう一つ、安倍政権の2年間を評価する際に、決して忘れてはならないのが、日本の安全保障政策の大転換だ。安倍政権は歴代の内閣が憲法9条の下では行使ができないとしてきた集団的自衛権の行使に道を拓いてしまった。また、日本が長らく平和国家としての象徴として守ってきた武器輸出三原則を緩和し、日本を武器が輸出できる国に変えてしまった。特に集団的自衛権の解釈改憲では、首相の私的懇談会に新たな憲法解釈を打ち出させ、それを国会に諮らずに閣議決定だけで強行するという、日本が国是としてきた憲法第9条の解釈を変更する手段としては、あまりにも民主的プロセスを無視した方法で、自らの個人的な思いを強行的に推し進めている。
 民主プロセスを無視した強行策という意味では、昨年12月に成立した特定秘密保護法も忘れてはならない。情報公開の点でも、公文書管理の点でも、先進国基準には遠く及ばない日本の政府が、秘密指定する権限だけは世界のどこの国の政府も持たないような無条件、無制限の秘密指定権限を手にしてしまった。野党、国民の反対も根強かったが、このような重要な法案を国会で十分な審議もせずに与党だけで強行採決してしまった。特定秘密保護法は総選挙の4日前の12月10日から施行されることになっている。
 一方で、教育分野においても安倍政権は重要な変更を行っている。いじめ問題への対応のまずさがきっかけだったはずの教育委員会制度の改革では、本来の目的をよそに首長の権限を拡大し、教育に対する政府の介入する余地を大幅に強化してしまった。また、教科書検定でも、新たな選定基準で政府の見解を記述することを求めるなど、事実上、教科書の国定化が行われてしまった。しかも、こうした教育に関する重大な変更は、教科書の選定基準の変更や学習主導要領の運用基準の変更といった、法律の変更を必要としない省令などによって実施されているため、国会の審議もなければ、その根拠が国民に十分に説明されることもない。こうした、民主的手続きの軽視も、安倍政権2年間の大きな特徴と言っていいだろう。
 原子力行政においては、安倍政権下でどうやら原子力ムラが完全復活したようだ。元経産省官僚の古賀茂明氏によると、今年4月に公表された新エネルギー基本計画において原発を重要なベースロード電源として位置づけたことで、福島の除染費用、今後の廃炉費用などそれまでは電力会社の責任で行うことになっていたものをすべて国が面倒を見るような政策になり、法律改正が進んでいるという。コテコテの原発推進派論者を新しい原子力規制委員会の委員に据えるなど、原発は再稼働のみならず、原子力ムラの復権、そしてさらなる強化に向けて、着々と布石が打たれた2年間でもあった。
 他にもメディアに対する政府の介入問題や、相次ぐ冤罪事件を受けて議論を始めながら、結果的に人質司法や密室司法を正当化しただけに終わった刑事司法改革、一向に取り締まりが行われないヘイトスピーチ問題など、安倍政権の2年間では日本の多くの問題が放置されたり、更にそれが悪い方向に進んでいると言わざるを得ない。
 安倍政権の下で日本はいい方向に向かっているのか。政権が唯一の拠り所とするアベノミクスも、このまま推し進めて大丈夫なのか。マル激がこの選挙の、そして2年間の安倍政治の実績の中で特に注目すべきと考えた政策的な論点を、ゲストの大沢真理氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

この選挙で原発政策を問わないでどうする

(第713回 放送日 2014年12月6日 PART1:1時間3分 PART2:36分)
ゲスト:古賀茂明氏(元経産官僚・古賀茂明政策ラボ代表)

 選挙で原発は争点になりにくいと言われて久しい。しかし、此度の総選挙は、2011年の福島第一原発の事故の反省の上に民主党政権が打ち出した「脱原発」のエネルギー政策を、安倍政権が再転換してから最初の選挙となる。
 民主党の野田政権は原発推進勢力からの激しい抵抗に遭いながらも、2012年9月14日、何とか「2030年代に原発稼働ゼロ」を目指す革新的エネルギー・環境戦略を取りまとめ、これをポスト311の日本の新しいエネルギー政策とした。
 しかし、その後政権の座についた自民党の安倍政権は2014年4月11日、原発を「重要なベースロード電源」と位置付ける新たな「エネルギー基本計画」を閣議決定し、安全が確認できた原発から再稼働していく方針を打ち出した。日本のエネルギー政策は脱原発政策から原発活用政策に、再び舵を切ったのだ。
 日本の官僚制度や行政問題に詳しい、元経産官僚の古賀茂明氏は、政府が国のエネルギー政策の基本的な指針となるエネルギー基本計画で原発を「重要」かつ「ベースロード」になる電源と位置づけたことで、電力会社及びその関係者、原子力の研究者などの利害当事者から成るいわゆる「原発村」は完全に復活を遂げたという。
 しかも、今回の復活は3・11以前のように民間主導の復活ではなく、原発を事実上政府が丸抱えして推進していく体制になりつつあると古賀氏は言う。
 原発再稼働に関しても、福島の反省から、原発では絶対に事故は起きないという前提を否定し、事故が起きた場合でも放射性物質の拡散を防ぐと同時に、万が一の場合でも、周辺の住民が安全に避難できる体制を作ることが原発再稼働の最低条件となるはずだった。ところが、避難計画は原発30キロ圏の各自治体が独自に策定するものとされ、その内容については政府も原子力規制委員会も責任を負わないという、福島の事故の惨状を考えた時にとてもあり得ないような方針がまかり通っている。
 今回の総選挙で安倍政権率いる自公連立政権が勝利すれば、その原発政策も有権者の信任を得たことになる。このまま原発村の再興と安全神話の復活を許して、日本は本当に大丈夫なのか。
 総選挙を約1週間後に控えた今、ビデオニュース・ドットコムでは今、あらためて原発政策を問うてみたい。
 その一環として、まずは福島第一原発が今どのような状態にあるのかを、元福島第一原発電所4号機の原子炉圧力容器の設計者で、その後、国会事故調の委員を務めた科学ジャーナリストの田中三彦氏に聞いた。
 また、事故で避難を余儀なくされた原発周辺の自治体の住民の方々の抱える問題と、その問題に現政権がどのように対応しているかについて、首都大学東京准教授の山下祐介氏と、現在も東京で避難生活を送る元福島富岡町在住の市村高志氏(NPO法人とみおか子ども未来ネットワーク理事長)に聞いた。
 われわれは、なぜ原発をやめられないのか。福島の被災者に必要な支援が届かないのはなぜなのか。政治と行政の歪みや官僚制度の弊害、政府と地方の関係など、原発問題を通して見えてくる日本の問題と総選挙の争点について、ゲストの古賀茂明氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

最高裁国民審査でこれだけは言いたい

(第714回 放送日 2014年12月13日 PART1:41分 PART2:50分)
ゲスト:木村草太氏(首都大学東京都市教養学部准教授)

 12月14日には衆院選挙と併せて最高裁判所裁判官の国民審査が実施される。マル激では恒例となった最高裁国民審査特集を今回もお送りする。
 今回の総選挙は自民党が政権に返り咲いた2012年の総選挙から2年しか経っていないため、国民審査の対象となる裁判官も5人にとどまり、評価の対象となる判決や決定の数も限られる。とは言え、その中には一票の格差を巡る判決が2回あるほか、婚外子の相続差別違憲訴訟、沖縄密約文書開示請求訴訟、ヘイトスピーチ賠償訴訟など、日本の針路に関わる重要な判決や決定が含まれる。有権者はそれらの判決に対する各裁判官の立場を念頭においた上で、各裁判官に対する評価を決めることが期待される。
 今回審査の対象となる裁判官は弁護士出身の鬼丸かおる氏と木内道祥氏、元内閣法制局長官の山本庸幸氏、検察出身の池上政幸氏、そして裁判官出身の山崎敏充の5人。5人全員が参加した審理としては今年11月26日に判決が出た参議院の一票の格差裁判がある。この判決では今回の審査対象の5人の立場もくっきりと分かれた。山崎、池上の裁判官出身と検察出身の2人の裁判官が、4.77倍の格差があった2013年7月の参院選を合憲(4.77倍の格差そのものは違憲な状態だが、それを修正するための十分な時間が与えられていたとは言えないとの理由から選挙は合憲と判断)、鬼丸、木内の2人の弁護士出身の裁判官が選挙は違憲だが無効とまではいえない、元内閣法制局長官の山本氏が違憲であり、なおかつ選挙も無効とすべきとの立場をとった。15人の全裁判官が参加する大法廷で下された決定は、山崎、池上氏らを含む11人が違憲状態(=合憲)とするにとどまり、それが最高裁の多数意見となっていた。
 制度としては特定の裁判官に投票数の過半数が☓印をつけない限り裁判官が罷免されることはない。そのため、現実的に国民審査の結果、裁判感が罷免される可能性は皆無に近い。現に毎回☓印をつけられる「不信任率」は全国平均で7.5%前後にとどまる。これが50%を超えなければ罷免されることはないというのがこの制度だ。
 しかし、基地問題や日米安保をめぐる最高裁判決に対する不満が強い沖縄県では不信任率が13%を超えるなど、かなりの地域差があるのも事実だ。また、最近の審査では、一票の価値裁判で合憲の判決を下した裁判官の不信任率が他より相対的に高くなるなど、明らかに国民の厳しい目が最高裁にも注がれるようになっている。
 最高裁判所の裁判官については、任命過程が公開されていないため、どのような過程を経て、そのような理由でそれぞれの裁判官が任命されたのがが、国民からは全く見えないようになっている。しかも、国民審査を受ける裁判官は前回の総選挙以降に任命された裁判官に限られているため、必ずしも多くの審理に関わっていない裁判官を国民は審査しなければならない。次の審査は10年後だが、最高裁の判事はほぼ例外なく60歳以上で任命され、最高裁の定年は70歳であるため、事実上、最高裁の裁判官にとって就任直後の国民審査が国民にとっては唯一の参加機会となる。憲法解釈という重大な権限を持つ最高裁の裁判官に対して、そしてそのような裁判官を任命した内閣に対して、国民が影響力を行使できるのは国民審査しかない。
 過去2年間の主要な最高裁判決を取り上げた上で、審査の対象となる5裁判官の意見を検証しながら、ゲストの木村草太氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

与党圧勝が意味するもの

(第715回 放送日 2014年12月20日 PART1:1時間7分 PART2:1時間3分)
ゲスト:白井聡氏(文化学園大学服装学部助教)

 総選挙は与党の圧勝となった。
 安倍首相はこの選挙をアベノミクスを問う選挙と位置づけ、経済政策を前面に打ち出して選挙戦を戦ったが、打って変わって選挙から一夜明けた12月15日の記者会見では、集団的自衛権や原発再稼働など過去2年間の安倍政権の政策が信任を受けたとして、そうした政策を今後も邁進させていく姿勢を明確に示した。
 アベノミクスと呼ばれる金融緩和と公共事業を組み合わせた政策そのものも多くの課題が指摘されるところだが、この選挙は決して経済政策だけを問う選挙ではなかった。集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更やベースロード電源としての原発の推進、政府の秘密指定権限を大幅に強化する特定秘密保護法、これまで国是として禁じてきた武器輸出の解禁、愛国教育の推進、非正規雇用の拡大に生活保護の縮小、歴史修正主義とヘイトスピーチの容認、TPPへの参加、メディアへの政治介入等々、これらはいずれも過去2年間の間に日本が経験した劇的な政策変更だった。
 そして、有権者全体の25%とはいえ、この選挙でもっとも多くの票を集めた自民党が、公明党とともに衆院の3分の2を超える議席を獲得したことで、結果的にわれわれはこれらの政策に丸ごと信任を与えてしまった。実際、選挙で自信を得た安倍首相は選挙後の会見で憲法改正についても強い意欲を見せている。少なくとも次の国政選挙となる2016年夏の参院選までは、こうした一連の安倍主義的政策が継続され、更に推進されていくことになる。
 「永続敗戦論」の著者で文化学園大学助教の白井聡氏は、今回の選挙で日本はまさに「敗戦レジーム」に正当性を与えてしまったと指摘する。白井氏が指摘する「敗戦レジーム」とは先の戦争の責任者たちが事実上日本の実権を握り続け、アメリカに隷属することへの引き替えとして、日本を支配し続けることを可能にする現在の日本の政治体制を意味する。残念ながら今回の選挙の結果、日本ではまだ当分の間、アメリカへの隷属を続け、市民や地域共同体の自立を妨げ、戦争の責任はおろか、原発事故の責任さえまともに問うことができない体制が続くことになる。
 確かにかなり絶望的な状況ではあるが、明るい兆しもある。それが沖縄だ。沖縄では野党共闘が成立したため、4つの小選挙区の勝者は共産、社民、生活、無所属だった、また、最高裁裁判官の国民審査でも、沖縄の不信任率は全国平均の倍近くに達し、ダントツで一位だった。また、全国的にも、先の11月26日の参議院の一票の格差裁判の判決で、明確に違憲・無効判決を貫いた山本庸幸裁判官の不信任率は他の裁判官よりも大幅に低かった。実に遅々たるペースながら、敗戦レジームからの自立の萌芽は広がってきている。
 今週のマル激では、まずこの選挙でわれわれが信任した安倍政権の政策とは何だったのかをあらためて再確認することで、向こう何年かの間の日本の針路を見極める。その上で、われわれは何を注視していけばいいのか、この敗戦レジームから抜け出すために、われわれは何をしなければならないのか、何ができるのかなどを、ゲストの白井聡氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

恒例年末神保・宮台トークライブ
「この道しかない道」の行き着く先

(第716回 放送日 2014年12月27日 PART1:1時間4分 PART2:1時間12分)

 安倍首相は今回の総選挙を「アベノミクス解散」と位置づけた上で、「この道しかない」と、金融緩和と公共事業を2本柱とする現在の経済政策以外に選択の余地はないことを強調して選挙戦を戦った。
 そして選挙の結果、自公の与党で現有議席を上回る325議席を得たことで、「この道」は信認されたことになった。
 しかし、選挙の大勢が判明した選挙当日深夜の会見で安倍首相は、この選挙によって集団的自衛権の容認や原発の再稼働といった安倍政権による一連の政策が一様に信認を受けたとの見方を示した。
 とはいえ今回の選挙で実際に自民党が小選挙区で獲得した票の総数は有権者全体の25%程度に過ぎない。投票率が史上最低となったことやウイナー・テークス・オールの小選挙区制の特性などで、自民党連立相手の公明党と合わせて3分の2を上回る議席を確保したが、前回に引き続き、自公の総得票数は野党の総得票数よりも少なかった。
 しかし、選挙は選挙だ。少なくとも向こうしらばくの間日本は、安倍首相が望ましいと考える方向に進むことになる。首相が「この道しかない」とする道は果たしてどこに向かっている道なのだろうか。
 安倍政権の政策が信認を受けたことで、今後も金融緩和と公共事業の推進が継続することになったが、その場合財政の規律が保たれるかどうかをめぐり大きな懸念が残った。
 また、集団的自衛権の行使が容認されたことで、今後、日本が自国の防衛に直接関係のない戦争に巻き込まれる恐れが現実のものといなった。このように「この道」の先行きには不安が山積しているが、中でも最も懸念されるのが、言論に対する政府の介入だ。言論の健全ささえ保たれていれば、誤った政策が実行され、それが国益や市民益を損ねたとき、われわれはその事実を知ることができる。しかし、選挙の直前に自民党から各放送局に送付された公平・中立・公正な報道を求める文書とその文書に対する報道各社の反応にもみられるように、「この道」の行く先では報道や言論がかなり不自由になる恐れがある。
 安倍政権の下で強硬可決された秘密保護法制とも相まって、たとえば集団的自衛権が発動され、自衛隊が戦闘地域に赴いたとき、その事実は特定秘密に指定され、国民には知らされない恐れがでてきた。自衛官に殉職者が出た場合にも、同じことが起こる恐れがある。
 この選挙の結果、日本はどこに向かうことになるのか。これからも自分たちが向かっている方向を正しく知ることができるのか。恒例となった年末マル激ライブでは、今回の総選挙の結果がもたらすことになる日本の将来の難題とその対処方法を、神保哲生と宮台真司が議論した。

シリーズ 日本経済、危機の本質(1)
破綻を避けるにはこの道しかない

(第717回 放送日 2015年1月3日 PART1:59分 PART2:52分
ゲスト:小林慶一郎氏(慶應義塾大学経済学部教授)

 首相自らがアベノミクス選挙と位置付けた年末の総選挙に与党が勝利したことで、日本は当分の間、安倍首相の下で金融緩和と公共事業を柱とする経済政策を続けることになった。
 しかし、日本経済、とりわけその財政は、既にのっぴきならない状況にあると言われて久しい。アベノミクスでわれわれは危機を回避できるのか。
 財政問題に詳しい経済学者の小林慶一郎慶應義塾大学教授は、アベノミクスによる金融緩和によって円安が進むことで一時的に輸出関連企業の業績が好転し、目先の景況感が改善する可能性があるが、そのことでかえって痛みを伴う根本的な施策が先延ばしにされる恐れがあるとの懸念を表明する。
 日本の財政は既に危機的状況にあり、仮にアベノミクスが目指す年間2%の経済成長が実現できたとしても、大幅な増税か歳出削減、またはその両方を断行しない限り、もはや破綻を免れることはできないと小林氏は言う。
 2014年度は約96兆円の歳出に対して、歳入はほぼその半分の50兆円で、不足分は国債で穴埋めしている。長年にわたりこのような借金財政を続けてきたために、今年度、日本の債務の残高は1000兆円を突破してしまった。昨年12月には日本の国債の格付けがAa3からA1に1格下げされ、今や日本の国債はG7先進7カ国のなかではイタリアに次いで低くなっている。
 このような財政状況を続けた結果、日銀が国債を買い支え続ければ、円安が進むことで日本の国富が失われ、インフレが制御不能な状態になる恐れが出てくる。一方、日銀が国債の買い支えをやめれば、日本の国債が暴落する危険性が顕在化する。いずれにしても、危機は避けられないと小林氏は言う。
 そのような危機を回避するために日本に残された選択肢は、大幅な増税か歳出の削減しかない。しかし、いかなる政党でもこのような痛みを伴う政策を主張すれば、たちまち選挙で大敗することは必至だ。昨年末の総選挙でも、増税を主張した政党は皆無だった。
 それもそのはずで、2060年までに借金を現在の半分にまで圧縮するために、これを消費税だけで賄おうとすると税率を35%まで引き上げなければならなくなるし、これを歳出カットで対応しようとすれば、毎年の歳出を現在の3分の1程度まで削減しなければならない。少なくとも借金をこれ以上増やさないようにするためには、歳出を半分まで圧縮しなければならないのだ。しかも、日本は今まさに、本格的な少子高齢化と人口減少を迎えようとしている。数字を見る限り、もはや日本の懐具合は2%の消費税率の引き上げをめぐり右往左往していることが許されるような状況ではないというのが実情なのだ。
 いきなり消費税を20%だの35%だのに引き上げることも、社会保障費を一律50%カットすることも、いずれも現実的ではない。だとすると、われわれはどこから手をつければいいのだろうか。日本経済が直面する本質的な問題について、経済学者の小林慶一郎氏とともにジャーナリストの神保哲生と宮台真司が議論した。

日本が日本であり続けるための条件

(第718回 放送日2015年1月10日 PART1:1時間6分 PART2:1時間1分
ゲスト:小熊英二氏(慶應義塾大学総合政策学部教授)

 これから日本社会はどうなっていくのか。年始のマル激は、社会学者で慶應義塾大学教授の小熊英二氏を招いて議論した。
 昨年末の総選挙の結果で自公政権が安定多数を得たことで、安倍政権の掲げる諸政策が当面は継続される見通しだ。その中には金融緩和と公共事業を中心とするアベノミクスと呼ばれる経済政策や集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更、秘密保護法制、原発の再稼働などが含まれる。安倍政権はメディアに対する影響力も強めており、一見、現在の権力基盤は盤石であるかに見える。
 しかし、小熊氏は安倍政権は決して強い政権とは言えないと語る。安倍首相は一見、大きな政策変更を成し遂げているように見えて、実際はそれほど大きなことはできていないというのが、その理由だ。
 原発の再稼働にしても、政権として再稼働の方針を明確に打ち出しながら、一基の原発を再稼働するのにも、これだけの時間がかかっている。新しい安全基準や周辺自治体の反対などを考えると、うまくいっても10基以上の原発を再稼働することは難しいだろうと小熊氏は見通す。
 集団的自衛権の行使についても、言葉が先行しているが、内実としては個別的自衛権の範疇に入るものしか実現できそうにない。
 昨年末の選挙でも自民党は全有権者の25%程度の票しか得ていない。有権者の半数近くが棄権をしたことと、選挙制度の特性で公明党と併せて3分の2の議席を確保しているが、その支持基盤は決して盤石とは言えない。
 小熊氏は現在の安倍政権の政策の大半は別の勢力が政権の座についていても、実施されている可能性が高いものだと指摘する。安倍首相は経済政策を前面に打ち出し、金融緩和や公共事業で株価が維持され、つかの間の好況感が続く間に、個人的な野望とも呼ぶべき戦後レジームからの脱却と言われる施策を一つでも実現したいと思っているように見えるが、今の日本では政治が世論と大きく乖離した政策を実現することは所詮難しいだろうと小熊氏は言う。
 むしろ深刻なことは、自民党の支持基盤が既得権益を維持しようとする特定の業界、いうなればオールド・オールジャパンに偏っているため、現在の政策が続く間は日本の衰退が続くことが避けられないことではないかと小熊氏は言う。
 これからの日本社会の生きる道を考える時、われわれの多くは依然として1960年代から80年代の高度経済成長期を基準に考えてしまう傾向があるが、あの時代こそむしろ特殊な時代だったという視座が必要だと小熊氏は指摘する。世界各国の現状を見てきた小熊氏は少子高齢化や人口減少などを念頭に置くと、もはやジャパン・アズ・ナンバーワンの時代の栄華は望むべくもないが、かといって日本の現状は決して悪くないと言う。世界のどの街を見ても、日本以外に住みたいと思えるところはないからだ。
 しかし、治安の良さ、清潔さ、礼儀正しさ、勤勉さといった「日本らしさ」を支えている社会的共通資本も、ここに来て急速に劣化が進んでいる。現在のようなオールド・ジャパンを優先的に擁護する政策を続ける限り、社会の劣化は止まらない。このままそれを放置すれば、治安の悪化や社会インフラの劣化、ひいては集落を維持できなくなった過疎地域から都市へ流れ込んだ大量の人口がスラムを形成するような、途上国でよく見かける光景が早晩日本で起きてもおかしくはない。
 そのような最悪の事態を食い止め、経済的な豊かさはほどほどでも、分厚さを持った社会を作っていくために、われわれは今何をしなければならないのか。変化のきっかけをどこに求めればいいか。ゲストの小熊英二氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

異物混入問題と危機に瀕する食システム

(第719回 放送日 2015年1月17日 PART1:56分 PART2:49分)
ゲスト:南清貴氏(フードプロデューサー)

 食品への異物混入が相次いでいる。
 特にハンバーガーチェインのマクドナルドでは各地の店舗で人間の歯やビニール片、鉄くずなどの混入が報告され、メディアでも大きく取り上げられている。ビジネス誌などでは企業のガバナンスや品質管理のあり方が問題視されているようだが、果たしてこれはそのような次元の問題なのだろうか。
 一連の異物混入事件について、自らもオーガニック・レストランを手がけた経験を持つフードプロデューサーの南清貴氏は、「混入が騒がれている商品はいずれも食品というより工業製品だ」とした上で、工業製品の製造工程では一定数のエラーが起きることは避けられないことから、異物の混入もそれほど驚くことではないと言う。しかし、より重要かつ本質的な問題は、製造工程でどの程度エラーが起きるかではなく、人間の基本的な営みである食が、工業製品として扱われているところにあるのではないかと、南氏は指摘する。
 飽食の時代と言われて久しい。スーパーマーケットに行けば、世界中の食材が一年中、安価で手に入る。そして、われわれの多くが、それが当たり前のことだと思っている。加工食品にしても然り。コンビニやファストフード店に行けば数百円で、十分にお腹を満たしてくれるだけの食料が手に入る。そのような「豊かさ」こそが、先進国の証であるかのように思われてもいる。しかし、そうした「消費者ニーズ」を満たすために、生産面でもコスト面でも、そして流通面でも、世界の食システムにはもはや限界を超えた負荷が掛かっているとの指摘が出始めている。100円でハンバーガーを提供する世界最大のファストフード・チェインのマクドナルドは、ある意味でその象徴的な存在と言っていいだろう。
 この際、われわれは消費者として、その「100円ハンバーガー」や「290円牛丼」、「300円弁当」を提供するために、コストカットと称してどれだけの工業的な合理化が行われ、それと引き替えに農薬や化学肥料、食品添加物の濫用といった形で食の安全性が犠牲になっているかに目を向けるべき時が来ているのではないだろうか。
 一汁二菜を基本とする日本の伝統的な食文化は栄養バランスに優れ、環境負荷にも配慮された持続性の高いものだった。しかし、高度経済成長を成し遂げた日本人の食生活は1970年頃から一気に西洋化が進み、動物性タンパク質と脂質の摂取量だけが飛躍的に増加した。奇しくも日本に最初にファストフードが紹介されたのも1970年の大阪万博だった。そして翌1971年、日本におけるマクドナルドの第1号店が銀座三越にオープンする。
 また、時を同じくして、外食や加工食品の消費量も飛躍的に増加し、それに呼応するかのように日本の医療費は上昇カーブを描いている。明確な因果関係を立証することは難しいが、どこかでつながっている可能性があるのではないかと南氏は話す。同じく、農地面積あたりの農薬の使用量は先進国の中では日本が群を抜いて多く、また死亡原因の一位が癌である国も世界で日本だけである点も、同じく因果関係の証明は難しいだろうが、懸念すべき問題だ。
 食の問題はいずれも消費者の選択によって支えられている。誰も現在のような食生活を強制されたわけではない。しかし、同時に、正しい選択を下すために必要な情報が十分に提供されているかについては、疑問が残る。大量の広告を出稿している食品産業についてマスメディアは、よほど大きな事件でも起きない限り、批判的な報道は控える傾向が強い。構造的な問題についてはなおさらだ。また、食品の表示義務についても、一括表示やキャリーオーバーなど抜け穴が多すぎる。これもまた絶大な資金力を持つ食品産業によるロビーイングの成果だと見られている。
 一連の異物混入事件の背後で日本の食システムに何が起きているのか。その結果として、異物混入以上に危険なことが起きていないのか。安全健全で持続的な食システムを守るために消費者として何ができるのかなどを、ゲストの南清貴氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

日本は『十字軍』の一員なのか

(第720回 放送日 2015年1月24日 PART1:39分 PART2:38分)
ゲスト:高橋和夫氏(放送大学教授)

 イスラム国が人質となった2人の日本人の殺害を予告する映像を公開した。
 1月20日にYouTube上に公開された映像では、ナイフを手にしたイスラム国の構成員と見られる黒覆面の男が、オレンジ色の装束を着せられた湯川遙菜さん、後藤健二さんの2人を跪かせた上で、日本政府と日本国民に対し、72時間以内に2億ドルが支払われなければ人質の命はないと警告している。また、その映像は2億ドルの根拠として、中東歴訪中だった安倍首相がその直前に発表した「イスラム国と闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度の支援の約束」したことをあげている。それによって日本は明確にイスラム国と敵対する立場を選んだとイスラム国は言う。
 その映像が公開されて以降、日本のメディアは人質問題の報道一色となっている。人命がかかった緊迫した状況下で、日本政府の対中東外交政策を議論するような「そもそも論」には違和感を覚える方もいるかも知れない。しかし、今回の人質問題の意味を正しく理解し、政府のとるべき対応や選択肢を考えるためには、ビデオの冒頭でイスラム国側が指摘している「日本は自らの意思で十字軍に加わった」とする指摘の検証は不可欠だ。日本はイスラム国が十字軍と呼ぶものに本当に加わったのか。加わったとすれば、いつから、そうなったのか。その是非は十分に検討され、国民にも説明されたものだったのかなどを、今あえて問いたい。
 言うまでもなく十字軍というのは、中世に西ヨーロッパのキリスト教諸国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のことで、イスラム側から見れば武力による侵略者であり残忍な略奪者でもあった。そして、今回の「十字軍」という表現はイスラム国が敵対する国々を「イスラムの敵」と位置づけ、勝手にそう呼んでいるに過ぎないかもしれない。おそらく、米英を中心とする諸国との対立を宗教的な対立と位置づけることで、イスラム教集団としての自らの正当性を強めようとの思惑もあるだろう。
 とは言え、そもそも日本はキリスト教国ではないし、中東のイスラム諸国とはいたって良好な関係を維持してきた国だ。とかく外交においては「アメリカのポチ」と揶揄されながら、こと中東外交においてはイスラエル一辺倒のアメリカとは明らかに一線を画した独自の路線を守ってきた。そしてそれは中東からの原油輸入に大きく依存する日本が、1973年のオイルショック以来守ってきた、経済的合理性を念頭においた外交路線でもあった。
 しかし、今回の中東訪問で安倍首相は単に「イスラム国」との対決姿勢を明確にしただけにとどまらず、イスラム諸国と激しい生存競争を繰り広げているイスラエルに寄り添う姿勢を明確に打ち出している。もしここにきて日本が、アメリカと足並みを揃えんがためにその中東外交を大きく転換させようとしているのだとすれば、その是非やプロ・コン(プラスとマイナス)は十分に検討されなければならないはずだ。
 中東情勢や日本の対中東外交に詳しい高橋和夫放送大学教授は、今回の中東訪問における親イスラエル路線の表明はアメリカと足並みを揃えることと同時に、安倍政権がイスラエルに接近するメリットがあると判断していることを反映しているとの見方を示す。武器輸出やカジノ解禁など安倍政権が推進したい政策にはイスラエルや世界のその分野を牛耳るユダヤ資本との連携が不可欠なものが多いことを高橋氏は指摘する。
 高橋氏は日本の中東外交は、単に「イスラム国」との対決を明確に表明するだけにとどまらず、イスラエル対イスラム諸国の対立関係において、よりイスラエル寄りの姿勢にシフトしていると説明する。安倍首相は「イスラム国」の人質ビデオが公開された直後の記者会見を、訪問中だったイスラエルのエルサレムで行い、テロに屈しない意思を明確に表明しているが、それはイスラエル国旗と日の丸が並び立つ前で宣言されている。映像的には日本がイスラエルと手を携えて、イスラエルと敵対するイスラムのテロと対峙していく姿勢を明確に打ち出したと受け取られて当然だった。
 これについてはもう少し配慮のある対応が必要だったと高橋氏は言う。「イスラム国」がイスラムを代表しているわけではないにしても、「日本が十字軍に参加した」ことを理由に起こされた事件のただ中で、「六芒星旗」(イスラエル国旗・六芒星はダビデの星の意味)を前に決意表明をするというのは、もしこれが意図的でなかったのであれば、あまりにも外交センスに欠けるし、意図的だったとすれば、人質問題への悪影響を無視していると言わざるを得ない。高橋氏はあの映像には「イスラム穏健派でも違和感を感じただろう」と言う。
 日本はこれまで中東のイスラム諸国にはとても好かれてきた。中東では相手が日本人と分かれば、誰もが友好的に接してくる。イラク戦争にはアメリカの「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」の要求で自衛隊を派遣しているが、人道支援にとどめ、イスラム諸国とは一度も戦火を交えていない。少なくとも彼らにとってこれまで日本は侵略者ではなかったし、そもそも日本にはイスラム諸国と戦火を交えなければならない理由もメリットもなかった。
 そして日本人はその素朴さゆえに、人間としても中東では好かれているし、信用されていると高橋氏は言う。これは日本にとってはとても大きな資産だ。依然としてエネルギー源で中東からの原油に大きく依存する日本にとって、中東との良好な関係は経済的なメリットも大きいし、欧米とイスラム諸国の対立が激化し、終わりなき宗教戦争の様相を呈する中で、もしかすると中東との関係がよく、非キリスト教国の日本は、その和解の一助となる役割を演じることができる数少ない先進国になり得たかもしれない。
 無論、アメリカは日本にとって重要な同盟国だ。イスラエルとの関係も特定の政策遂行の上では大きなメリットがあるのかもしれない。しかし、それと引き替えに日本がイスラム国との間で長い年月をかけて培ってきた信頼関係や良好な関係が大きく損なわれるとすれば、それこそプロ・コンが十分に検証されなければならないだろうし、国民的なコンセンサスも必要なはずだ。
 イスラム国がイスラム世界を代表しているわけではないとしても、今回の人質事件によって日本の対中東政策は否が応でも世界の注目を浴びることになる。イスラム世界は日本の対応を注視している。
 日本は十字軍に参加したのか。その結果、手にするものと失うものは何なのか。日本が政策変更によって、今回の人質事件のようにイスラムのテロリストの標的となる確率を高めてまで得られるものとは何なのか。今も進行中の人質事件の直接の発端となったとされる今回の首相の中東訪問の意味と日本の対中東外交政策の変遷などを、高橋和夫氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.70(701~710回収録)

DVDを購入
CDを購入

朝日新聞を叩いているだけでいいのか

(第701回 放送日 2014年9月13日 PART1:1時間1分 PART2:48分)
ゲスト:桂敬一氏(元東京大学教授・マスコミ研究家)

 確かに朝日新聞の報道には大いに問題があった。朝日には大いに反省してもらう必要がある。しかし、それにしてもこの朝日叩きは、誤報というミスを犯した報道機関に対する批判を越えた、バッシングの色彩を帯び始めているようにさえ見える。朝日を擁護する必要はないが、それでも報道機関をバッシングすることが、市民社会の利益につながるとは到底思えない。
 朝日新聞社は9月11日、今年5月に報じた、いわゆる「吉田調書」の記事に誤りがあったことを認めてこれを取り消し、謝罪した。朝日の木村伊量社長は謝罪会見の中で、「記者の思いこみとデスクのチェックミス」に原因があったとの見方を示した上で、自らの進退にまで言及している。
 福島第一原発の事故当時、第一原発の所長だった吉田昌郎氏が、職員に対して一時的に近くの線量の低い場所で待機するよう命じていた。しかし、混乱の中でその指示が全員に十分に伝わっていなかった可能性があり、職員のほとんどが福島第二原発まで避難してしまった。独自に吉田調書を入手した朝日は、これをもって、「所長命令に違反 原発撤退」と報じた。しかし、後に吉田調書を入手した他の報道機関などから、職員には命令に違反する意図はなかった可能性があり、所長の指示に反した避難が行われた理由も、単に伝達ミスだった可能性があることが指摘された結果、朝日の報道は「誤報」や「捏造」の批判を受けることとなった。
 記者会見で朝日の編集幹部が明らかにしたところでは、命令違反を犯しているという認識を持っている職員は、ひとりも見つかっていなかったという。だとすれば、確かに確認が不十分なまま、思いこみに基づいて報道をした誹りは免れない。また、そのように決めつけるには、何らかの意図があったのではないかと勘ぐられても、やむを得ないところだろう。しかし、所長の指示に反した避難が行われた原因が、全員に連絡が伝わらなかったためだったのか、意図的に命令に背いた人もいたのかどうかは、朝日が確認できていないというだけで、事実が明確になったわけではない。また、理由はどうであれ、結果的に職員が所長の意図に反する形で避難をしてしまったことも事実なのだ。
 それが「違反」だったのか、単なる「連絡不徹底」だったのかがはっきりとわからないという状況下で、朝日がそれを「命令違反」と報じたことに問題があったのは確かだ。しかし、そのことで記事を全面的に取り消したり、社長が謝罪会見を行い自らの進退にまで言及するというのは、やや過剰反応にも見える。
 朝日新聞は今年8月5日に従軍慰安婦報道をめぐっても、自らの報道を一部取り消すことを発表している。これは朝日にとっては長年喉元に刺さった棘のような問題で、この取り消しに30年以上を要したことには厳しい批判が寄せられた。また、その後も、池上彰氏のコラム掲載拒否問題などが重なり、朝日新聞は社内外から厳しい批判に晒されていた。今回の社長による謝罪会見と記事の取り消し発表は、そうした逆風のさなかで行われたものだった。
 しかし、それにしても報道機関が他の報道機関や政府から、特定の報道をめぐって一斉にバッシングを浴びることが、日本のジャーナリズム、ひいては市民社会の利益につながるとはとても思えない。朝日の叩かれぶりを見て、報道に携わる人々が、僅かな間違いも許されないと考えて萎縮したり、政府のお墨付きを得た無難な発表記事だけを報じるようになれば、結局、損するのはわれわれ市民にほかならない。
 元東京大学教授でメディア研究家の桂敬一氏は、戦前、日本のメディアがこぞって翼賛的な報道を始めた裏には、軍による統制や国家のあり方に対する信念などといった大それたものではなく、単にそうした報道のほうが人気があり、それが売り上げ増につながるという商業的な理由が大きかったと指摘する。反戦を説くより、日本軍の快進撃を報じたほうが新聞は売れたのだ。
 今回の朝日バッシングにも、朝日に対する感情的な嫌悪感のようなものが底流にあることも事実だろうが、それと同時に、「朝日を叩く企画は売れる」(桂氏)という事情が、朝日叩きに拍車をかけている面があることには留意しておく必要があると、桂氏は言う。
 改めて指摘するまでもないが、一連の朝日新聞の報道には問題があった。朝日はこれを猛省する必要がある。また、朝日という組織自体に硬直化や傲りといった組織的な、あるいは構造的な問題が蔓延っていたのではないかとの指摘も、社の内外から起きている。今回、朝日新聞がそうした批判を真摯に受け止め、自らを厳しく改革できなければ、いよいよ市民社会の信頼を失うことになるだろう。
 しかし、報道という行為が。人間が行うものである以上、必ず間違いは起きる。誤報はこれまでも、そしてこれからも必ず起きる。誤報が起きないよう万全を尽くすことが報道機関の責務であるし、万が一誤報があった時は、迅速かつ誠実に対応しなければならないことは言うまでもない。
 果たして朝日がリベラルメディアを標榜する資格があるかどうかについては異論もあるところだが、これだけ多くの記者を抱え、数ある報道機関の中でも屈指の影響力を誇る朝日新聞が、これを機に徹底的に弱体化することで、一番喜ぶのは誰なのかといった側面にも、思いをめぐらせる必要があるのではないか。
 今回の朝日新聞問題をわれわれはどう考えればいいのか。朝日新聞をただ叩くだけでいいのか。ゲストの桂敬一氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

知事選が問う、沖縄のこれから

(第702回 放送日 2014年09月21日 PART1:1時間13分)
ゲスト:松元剛氏(琉球新報編集局次長)

 沖縄で9月20日、名護市の辺野古沖の米軍基地建設に反対する大規模な集会が開催された。今回、マル激ではこの集会を現地で取材した映像を織り交ぜながら、沖縄出張収録の特別編を2週に渡ってお送りする。
 集会では、今年11月に行われる県知事選への立候補を表明した翁長雄志・那覇市長も参加し、「辺野古の海を埋め立てさせてはいけない。絶対に阻止しよう」と、建設に反対の姿勢を明確に表明した。
 沖縄の県紙・琉球新報の松元剛編集局次長は、今回の集会について、仲井真県知事が公約に反して埋め立て工事を承認したことで、これまでとかく分裂しがちだった野党陣営がひとつにまとまることができる素地ができたと指摘する。この日の反対集会には民主党から社民党、社会大衆党から共産党まで幅広い勢力が集まった他、保守陣営からも多数の参加があった。
  また、反対集会の会場となった辺野古の浜には、県内外から5500人が集結したと報じられている。普段はこの手の集会にはあまり参加しない若い世代や家族連れの参加が目立ったことも、今回、反仲井真=辺野古反対に幅広い勢力が集まりつつあることを反映しているとみて良さそうだ。
 このまま11月16日の知事選まで翁長支持で一本化が進めば、安倍政権が既に終わった問題としている辺野古への基地建設に反対の民意が示されることになる可能性が俄然高まる。しかし、他の候補の出馬も取り沙汰されており、最終的に一本化が実現するかどうかについては、不透明な要素も残る。
 しかし、もしも翁長氏が知事に選ばれ、辺野古の基地建設を止めることができた場合、そこから沖縄はどこへ向かうのかという、より重要な問題が残る。
 松元氏は、沖縄では「基地がなければやっていけない」という先入観が、もはや崩れていると指摘する。基地を受け入れる代わりに振興策という名の支援を政府から受け続けるという沖縄のあり方に疑問を持ち始めている人が増えているというのだ。
 きたる知事選は、単に普天間の移設先として辺野古の基地建設を問うにとどまらないかもしれない。沖縄はどのような民意を表すのか。今回の反対集会から見えてきた様々な問題点を、ゲストの松元剛氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

基地問題の先にある沖縄の姿

(第703回 放送日 2014年09月27日 PART1:55分 PART2:46分)
ゲスト:仲村清司氏(作家・沖縄大学客員教授)

 今回お送りする沖縄出張収録の特別編第2弾では、沖縄県知事選挙後の沖縄の課題を、沖縄在住の作家で沖縄大学客員教授の仲村清司氏を交えて議論した。
 沖縄は11月16日の県知事選を前に、米軍普天間基地の名護市辺野古沖への移設問題を巡り、再び大きく揺れている。県外移設を公約して当選した現職の仲井真知事が、昨年12月に辺野古の埋め立て工事を承認したことで、基地建設反対派との対立が激しさを増しているからだ。
 既に3選出馬を表明している仲井真知事は、昨年12月に東京で安倍総理らと会談した後、年間3千億円規模の沖縄振興策と引き換えにそれまでの公約を反故にして、埋め立て工事を承認した。辺野古の基地建設を事実上受け入れたのだ。その後、安倍政権は辺野古沖の基地建設に向けた行政手続を粛々と進めている。
 そうした中、9月20日には辺野古の浜で、基地建設に反対する大規模な市民集会が開かれ、これまでとかく分裂を繰り返してきた野党勢力が反仲井真の旗の下、一つにまとまる機運が盛り上がっている。
 両親が沖縄出身ながら、自身は大阪で生まれ育ったというゲストの仲村氏は、今回の知事選に向けた沖縄県内の動きについて、反対派が一つにまとまる流れが出来つつあると、期待を寄せる。確かに、辺野古の反対集会には、家族連れや同窓生グループなども多く参加しており、従来の組合や団体系が中心となった運動を越えた、新しい潮流が感じられた。
 選挙の結果はわからないが、仮に反対派が選挙に勝利したとしても、ただ基地に反対するのではなく、その先、沖縄をどうするかを考えることが、今の沖縄には必要だと仲村氏は言う。
 これまで沖縄の政治は基地は存在し続けるという前提の上で、すべてが成り立ってきた。その最たる例が、仲井真知事が安倍政権から引き出した3千億円規模の振興策だった。沖縄にとって沖縄の生きる道は、常に中央政府からどれだけのお金を引き出せるかにあった。
 しかし、仲村氏は、4~5年ほど前から、特に若い世代で、政府からお金を貰うことが本土の人の目にどう映っているかを気にする人が増えてきたと感じるという。戦争で大変な惨禍を経験し、その後、米軍による統治に苦しみ、更に在日米軍基地の4分の3を引き受けている沖縄は、政府からカネをもらって当然という空気が長年支配的だったが、それが変わりつつあるというのだ。
 仲村氏は、その理由の一つに、いわゆる沖縄ブームがあるという。沖縄の伝統文化や音楽などが、本土でも広く認知を受けるようになったことで、沖縄のとりわけ若い人たちの間で、もっと沖縄的なものを誇っていいのだという感覚が広く共有されるようになってきたという。特に、昨年末に仲井真知事が安倍政権から、埋め立て承認の引き替えに大型の振興策を引き出したことを受けて、「いい正月になる」と表現したことには、強い反発を感じる市民が多かったと仲村氏はいう。
 あの小さな島に振興策の名目で多額の資金が注ぎ込まれれば、一部の企業や経済団体の懐は肥えるかもしれない。しかし、果たしてそれで沖縄は本当に豊かになれたのだろうか。
 一方で、この先、沖縄がカネと引き替えに基地を受け入れる構図から抜け出すことができるとすれば、そこにはどのような沖縄のビジョンがあり得るのだろうか。基地問題の先にあるこれからの沖縄の可能性を、ゲストの仲村清司氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

イスラーム国の論理とそれを欧米が容認できない理由

(第704回 放送日 2014年10月04日 PART1:1時間22分 PART2:1時間3分)
ゲスト:中田考氏(同志社大学客員教授・イスラーム学者)

 アメリカのオバマ大統領は、9月10日夜の国民向けテレビ演説で、シリアとイラクを中心に勢力を拡大しているイスラーム組織「イスラーム国」に対する攻撃の意思を表明し、国民に理解を求めた。「我々はISIL(イラクとレバントのイスラーム国)を殲滅する」とまで語る大統領の表情には、ノーベル平和賞受賞者の面影は見えなかった。
 ブッシュが始めた戦争を終わらせることが、大統領としての最大の責務だったはずのオバマが、再び戦争へと舵を切らなければならなかったのはなぜか。そこには、単にイスラーム国の勢力拡大が地域を不安定化させるという、地政学的な判断を超えた、より重大な理由があるのではないか。
 イスラーム国は、2000年頃に結成された「タウヒードとジハード団」を前身とする、イスラーム・スンナ派(スンニ派)組織であると言われている。これまで度々名称を変えながら武力闘争を続けてきたが、特にここ1年、急速に勢力を延ばしている。ISISやISILなどとも称されるイスラーム国は、シリア国内で主要都市を次々に支配下に置く一方で、隣国のイラクでも勢力を拡大させ、現在ではシリアとイラクのほぼ半分に迫る地域を実効支配していると言われている。特に最近では、捕虜として捕らえた欧米の記者やジャーナリストの首を切り落とす映像をインターネット上で公開するなど、残虐性が大きく伝えられている。
 この9月に実際にイスラーム国の支配地域に足を踏み入れたイスラーム学者で、同志社大学客員教授の中田考氏によると、欧米を中心とした国際社会に伝えられているイスラーム国の残虐性やテロ行為は、イスラーム法の地域では、ある種の慣習に過ぎず、現地では日常的な行為の一つとして捉えられているという。また中田氏は「テロという概念自体、欧米の価値観によるもので、その理由や背景を覆い隠す一種のレッテル貼りに近い」と指摘する。
 中田氏は、イスラーム法の下では、行為そのものよりも行為の理由が重視され、「造反有理」の考え方が広く受け入れられているという。だからといってイスラーム国による暴力が容認されるわけではないが、彼らの行動を「テロ」の一言で片付け、その理由や背景を一切理解しようとしなければ、西側諸国とイスラーム国間の確執は永遠に解消されることはないだろう。
 アメリカは911以降、「テロとの戦い」を理由にアフガニスタンとイラクに武力攻撃を行い、その後、「民主主義を確立するため」との理由でそれらの国への介入を続けてきた。しかし、世界からテロは一向に根絶されず、アフガニスタンとイラクの両国はもはや主権国家の体を成さないほど不安定な状態に陥ったままだ。そこに「民主主義」や「近代」といった欧米的な価値観とは対極的な価値観を掲げるイスラーム国が台頭してくることは、むしろ自然なことだった。
 イスラームは唯一絶対の神、アッラーフを信仰し、その最大で最後の預言者とされるムハンマドが残したクルーアン(コーラン)の教えに従うという一神教である。中田氏によると、イスラームでは本来、個人は組織を作らず、イスラーム法という共通のコードに従って個人同士がつながっていくという。つまり、イスラームであれば、国籍にかかわらず、同じ価値観によって信徒はつながっていく。主権国家や民主主義、近代といった、欧米諸国が社会の基盤とする概念は意味を持たない。
 欧米諸国にとってイスラーム国は、単に地域の不安定要因であり、暴力的な集団であることが問題なのではなく、その根底にある理念が欧米主導で築かれた現在の世界秩序の脅威になる危険性を秘めているのだ。グローバル化が進み、これまである程度は統治能力を発揮すると考えられていた欧米発祥の民主主義の理念が、世界各地で軒並み機能不全に陥っている今、イスラーム国に賛同する人が欧米の若者の間で増え始めている背景にも、「欧米」対「イスラム」の価値観の衝突の要素を見ることができる。
 しかし、いずれにしても、そのような根深い価値の対立の上に生じている摩擦を、空爆によって鎮めることができるとはとても思えない。まずはイスラーム国側の論理を理解し、どうすれば共存が可能になるかを考える必要があるだろう。
 今週のマル激では、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、自身も大学在学中にイスラム教に改宗している中田氏に、イスラームとは何なのか、イスラーム法の論理をどう捉えればいいのか、そして欧米諸国がイスラーム諸国と共存していくためにはどうすればいいか、などを聞いた。

リベラルに復活の目はあるか

(第705回 放送日 2014年10月11日 PART1:1時間15分 PART2:55分)
ゲスト:中野晃一氏(上智大学国際教養学部教授)

 民主主義の命綱ともいうべき言論を封鎖して、どうしようというのか。
 朝日新聞の従軍慰安婦報道をめぐり、依然として活発な論争が続いている。今週は朝日新聞が設置した第三者委員会が発足し、最初の会合が開かれている。
 この問題については、いろいろな考えや主張があって当然だが、いずれにしても議論を戦わせることはいいことだ。熟議を通じて社会全体として問題への理解が深まるからだ。
 しかし、どうもわれわれ日本人は、民主主義の下でどこまでが許されるかの線引きをすることが、あまり得意ではないのかもしれない。活発な言論は大いに結構だが、それが他者への威嚇や脅迫にまでエスカレートすれば、むしろそれは自ら言論の自由を放棄しているのと同じことになる。
 朝日新聞の従軍慰安婦報道に関わったとされる2人の記者が教鞭をとる2つの大学に対して、何者かが脅迫状を送りつけるという事件が起きていたことが明らかになった。ターゲットにされたのは、帝塚山学院大学と北星学園大学で、いずれも元記者を辞めさせないと、爆弾を仕掛け、学生に危害を加えるといった内容のあからさまな脅迫だった。
 ところがどうも、この事件に対する社会、とりわけ「リベラル」と呼ばれる陣営の反応が、あまり芳しくない。一部で有識者らが抗議の集会などを開いてはいるが、社会全体としてこのような暴挙を許してはならないという機運が、必ずしも盛り上がっていないように見える。実際、今週の国会で安倍首相が朝日新聞の従軍慰安婦報道を批判する答弁を行っているが、元朝日新聞の記者が勤務する2つの大学に対する脅迫事件については、まったく言及がなかった。
 上智大学国際教養学部教授で政治学者の中野晃一氏は、朝日新聞に代表されるリベラルと呼ばれる勢力は、サッチャー・レーガン政権に代表される新自由主義の台頭に呼応する形で、1980年代の中曽根政権以来、弱体の一途を辿ってきたと指摘する。そして、2001年からの小泉政権時に、その弱体化が決定的なものになった。旧社会党勢力は駆逐され、自民党内のリベラル勢力ですら、政治力を失った。組合は正社員の利益団体に成り下がり、メディアの中でも比較的リベラル色が残っていると目されていたNHKは、繰り返しあからさまな政治介入を受けた。そして、今度は朝日新聞が、自爆の側面があったとは言え、権力から厳しい圧力を受けている。
 そのような事態に至った背景として、中野氏は、世界的な潮流と同時に、日本国内のリベラルの堕落があったと指摘する。それは、米の核の傘に守られることを是としながら非核や軍縮を主張していたり、正規雇用者中心の労働組合が貧困に喘ぐ非正規雇用の利益を守ろうとしない姿勢などに代表される、正にリベラルの堕落だった。
 しかし、問題はリベラルを衰退に追いやった勢力が、かつての対抗関係にあった保守主義勢力ではなかったことだ。リーズニング(論理)を重んじるリベラルの言説が説得力を失う一方で台頭してきたのは、感情的な言説で世論を釣ることに長けた歴史修正主義だった。戦下での保守対リベラルの対立構図は、グローバル化された世界では「リーズニング」対「感情」の対立構図に取って代わられ、少なくともここまでは、暢気に「話せば分かる」などと考えてきたリーズニング側の完敗に終わっているように見える。
 今や事態は、大学に対する脅迫事件があっても、社会がこれといって危機感を持たないところまできている。このような現状を変える手立てはあるのか。先人たちが大切に守ってきた言論の自由などの基本的な人権を、このままわれわれはドブに捨てることになるのか。ゲストの中野晃一氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

再エネ固定価格買取制度は失敗したのか

(第706回 放送日 2014年10月18日 PART1:31分 PART2:31分)
ゲスト:植田和弘氏(京都大学大学院経済学研究科教授)

 9月24日に九州電力が、再生可能エネルギーの接続手続を保留すると、唐突に発表した。
 そして、九電に続き、北海道電力、東北電力、四国電力、沖縄電力など合わせて5つの電力会社が相次いで接続手続きの保留を発表したことで、原発や化石燃料を利用する発電に代わる新たな電力源となることが期待される再生可能エネルギー推進の大前提となる「固定価格買い取り制度」が、大きな挫折に直面することとなった。
 太陽光や風力などを利用して発電する再生可能エネルギー(再エネ)は、福島原発事故で原発に依存したエネルギー政策への反省を元に2012年に制定された通称「再生可能エネルギー促進特措法」によって、電力会社が新規参入企業や家庭で発電した電力を買い取ることが義務づけられていた。電力会社しか送電網を保有していないためだ。
 最初に「接続保留」の口火を切った九電の説明によると、九州全域で太陽光発電の発電量が大幅に伸びた結果、既に申し込みが行われた事業者による発電がすべて始まると、計算上、再エネだけで既に九電管内の春と秋の昼間に予想される消費電力を超える量の電力が発電されることになるという。しかし、その大半を占める太陽光発電は天候に左右されやすいため、このままでは電力供給が不安定になってしまうというのが九電側の言い分だ。
 「再生可能エネルギー促進特措法」には、電力供給が不安定になる恐れがある場合は、電力会社は再エネの買い取りを拒絶できるという条文が盛り込まれている。今回の九電など5電力の「保留」の決定は、まだ買い取り拒否には至っていないが、「電力供給が不安定になる恐れ」の条文がその背景にあることはまちがいない。
 固定価格買取制度の根幹を成す再エネの調達価格を決定する有識者会議の委員長を務めた京都大学大学院の植田和弘教授は、今回の事態について固定価格買取制度が破綻をしたとの見方を言下に否定する。むしろ、固定価格買取制度が当初想定した通りに機能し、再エネの発電量が順調に伸びてきたのに対し、それを支えるインフラとなる系統(送電網)の拡充や送電網を電力会社による独占から解放する発送電分離などが、そのスピードに全く追いついていないところに、原因の根幹があると指摘する。
 再エネ、とりわけ太陽光発電の買い取り価格を高く設定しすぎたことが、太陽光の急激な増加に繋がったのではないかとの指摘に対しても、そもそも買い取り価格制度自体は、再エネを急速に普及させるための制度であり、その批判は当たらないと植田氏は言う。
 そして、本来は再エネの増加を予測した上で、それに合わせて系統の拡充や電力会社間の広域連携の整備も同時進行で行われる必要があったにもかかわらず、電力会社も政府もその対応を怠ってきたことのツケが今回まわってきたと指摘する。
 また、今回5電力が接続を保留する措置に出たことについても、変動電源のシェア拡大によって系統が不安定化することを防ぐ手立てとしては、余剰の電源を貯めておくことができる揚水発電や、他の電力会社との間で融通しあう広域連携の拡充など、いろいろな手段が考えられるにもかかわらず、前触れも無く唐突に接続を止めるという措置は性急であり、その妥当性についてもしっかりとした検証が必要との見方を示す。
 原発依存路線を選んだが故に、世界から10年以上遅れているとされる日本の再エネ市場は、固定価格買取制度が導入された2012年以降、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長してきた。しかし、いくら成長したとは言っても、日本における再エネのシェアは依然として3%程度であり、既に20%を超えるドイツやスペインの足下にも及ばない。それだけ大きな変動電源のシェアを抱える国々の系統が、シェアが2割を超える再エネを消化できていることを考えあわせると、植田氏が指摘する通り、日本が系統の整備を怠ってきたことは否めない。
 しかし、理由は何であれ、今回、5つの電力会社が一方的に、接続を停止したことで、固定価格買取制度によってこれまでビジネスとしての採算がほぼ保証されていると考えられてきた再エネ事業に、思わぬリスクが潜んでいることが顕在化してしまったことだけは間違いない。ここでハンドリングを誤ると、これまで順調に伸びてきた再エネ市場の成長に冷や水を浴びせる結果になる恐れが大きい。
 自然から生まれる再生可能エネルギーは、原子力や火力のような環境負荷の高い廃棄物を出さない、つまり廃棄制約に縛られない上に、既存の中央集権的な発電と比べて、地域社会に与える恩恵も大きい。政府が目指す原発に依存しない社会を構築するためにも、再エネの成長は不可欠だ。
 今回の5電力による買い取りの停止によって、日本の再エネ市場の成長に水を差すようなことにならないために、われわれは今何をしなければないのだろうか。あの悲惨な福島第一原発事故の最大の置き土産とも言うべき再生可能エネルギーの成長を支える固定価格買取制度を骨抜きにしないための方策を、ゲストの植田和弘氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

チャイナマネーに買われる香港の民主主義

(第707回 放送日 2014年10月25日 PART1:1時間21分 PART2:52分
ゲスト:遠藤誉氏(東京福祉大学国際交流センター長)

 香港で民主化を求めるデモが続いている。
 今回のデモは8月31日に中国政府が発表した、香港の行政長官選挙の新制度案に反発した市民たちによるもの。現行制度では一部の特定団体に所属する1200人の選挙委員によって行政長官選挙は行われていて、約350万人の有権者には事実上投票権が無い状態が続いてきたが、北京政府は2007年に一人一票の民主的な選挙制度の導入を約束していた。ところが、今回、中国政府が示した新制度案は、投票権こそ全有権者に与えられるものの、候補者は事実上、中国政府の意に沿う者に限られるという、上辺だけの普通選挙に過ぎないものだった。
 香港は1997年に英国から中国に返還されて以来、中国の施政下にあるが、北京政府は返還から50年間は一国二制度を維持し、香港の民主制を守ることを約束していた。しかし、今回の中国政府の対応で、その約束が空約束だったことが明らかになり、反発した学生らが現職行政長官の辞任とともに、民主的な普通選挙の実施を求めて抗議デモが始まった。
 しかし、デモの発生から1ヶ月が過ぎても、香港政府は新制度案は覆すことはできないという立場をとり続けている。
 中国国内情勢に詳しい東京福祉大学国際交流センター長の遠藤誉氏は「中国は50年後の2047年に向けて一国一制度に移行するための準備を着々と進めているに過ぎない」と指摘する。現在の香港は中国の一行政区、日本で言う都道府県のような位置付けにある。いまは資本主義が許されている一行政区を今後33年かけて中国本土の政治体制に移行させようというのが中国側の思惑のようだ。
 中国への返還から17年が経った今日、香港の指導層や経済界は、中国との交易から多大な恩恵を受けていて、もはや香港経済は中国の存在抜きには成り立たない状況にある。遠藤氏はこうした香港の状況について「チャイナマネーが民主主義を買っているに等しい」と指摘する。そして香港が一国一制度から逃れるためには、中国の共産党独裁体制が崩壊する以外にあり得ないとの見通しを示す。
 97年の香港返還当時、英国をはじめとする欧米各国は、中国の共産党一党独裁体制はいずれは崩壊するだろうと、高を括っていたふしがある。それが香港が50年後に中国共産主義の下に組み込まれることを国際社会が容認してしまった背景にある。しかし、返還から17年が過ぎた今、中国の国力はより一層強くなり、国際社会はもはや中国が香港を取り込む準備を始めても、手出しはおろか口出しもできない状態にあるというのが実情なのだ。
 問題はこの問題が香港だけにとどまらない可能性が大きいことだ。チャイナマネーは世界中のあらゆるところに進出しているが、特に台湾が徐々に香港と似たような道を歩み始めている。台湾でも経済界は中国なしには成り立たない状態になりつつあり、中国政府を批判する言論の自主規制が始まっていると遠藤氏はいう。
 しかし、その中国自身も大きな問題を抱えている。指導層や政府高官に蔓延する汚職と、経済成長に伴って拡大している貧富の格差が、もはや危機的状況にあると遠藤氏は言う。ここに来て習近平は汚職の摘発に本腰を入れているが、汚職による公金の横領は50兆円にも及び、毎年2万人が汚職によって逮捕起訴されているという異常な事態を招いている。伝統的に縁故と賄賂によって社会が回ってきた歴史のある中国だが、汚職をこれ以上放置することは国家体制の維持を困難にするほどの重大問題になっていると遠藤氏はいう。
 さらに経済格差の拡大に歯止めがかからないことも国内の不満を高める要因になっている。中国は鄧小平の提唱した富める者から先に富もうという先富政策によってこれまで格差を容認してきたが、今や人口の0.4%の裕福層が国内の約6割の富を独占している状況で、不満を持った貧困層による暴動が中国各地で年間20万件も起きているという。これは毎日500件以上の暴動が中国のどこかで起きているというということだ。
 元々先富政策はいずれはその富を平等に分け合う共富政策に転換することが前提だったが、ここで経済政策を転換し、約3億人の貧困層が豊かさを実感できる状態を作らなければ、現在の共産党一党独裁体制が正当性を維持することは難しいことは中国政府も自覚しているようだ。だからこそ習近平政権は、腐敗撲滅と格差是正を最優先課題に掲げているのだと、遠藤氏は指摘する。
 今回の香港民主化デモとそこから見えてくる中国の動向、そしてその中国とわれわれはどう向き合うべきかなどについて、中国問題の専門家、遠藤誉氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
人工知能が閻魔大王になる日

(第708回 放送日2014年11月01日 PART1:1時間2分 PART2:1時間4分
ゲスト:松尾豊氏(東京大学大学院工学系研究科准教授)

 5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。今回の5金では「人工知能(AI:Artificial Intelligence)」の世界でいま何が起きつつあるのか、そしてそれがわれわれの社会にどういう影響を与えるのかを考えた。
 いま、人工知能の研究・開発がブームを迎えているそうだ。
 「人間の知能を代替するようなコンピューターのプログラム」を意味する人工知能は、1956年にアメリカのダートマス会議で初めて使われて以来、何度かのブームが到来したが、そのたびにその時々のコンピューターの性能の限界ゆえに、研究者たちは新たな壁にぶち当たってきたという。しかし、第3次のAIブームを迎えた今、少なくとも情報の処理能力にかけてはコンピューターの性能が人間の脳を遙かに凌ぐようになったことで、新たな地平が開けてきている。
 人工知能が専門の東京大学大学院の松尾豐准教授によると、人工知能研究において最大の課題は、今も昔も変わらず、コンピューターが自立的に「表現を獲得することが出来るかどうかだ」という、。そして、今、その問題をクリアするブレイクスルーが起きつつあるという。
 人間の脳は電気信号によって刺激が伝達されるという仕組みだが、原理的にはその活動をコンピューターによって代替できない理由はないと松井氏は言う。しかし長らく人工知能には人間の脳が持つ認識・学習という機能が実現できないことが大きな壁だった。しかし、2000年代に入り、「ディープラーニング」と呼ばれるブレークスルーによって、コンピューター自身がビッグデータの情報を認識、整理しながら、個別の概念を抽出して学んでいくことが可能になりつつあるという。
 それはちょうど人間が、膨大なデータの中から、例えば「りんご」とはどのようなものかを学んでいくのと同じように、ネット上に存在する無数のデータの中から、コンピューター自身がリンゴとはどのようなものかを学び取り、その概念を獲得することで、その識別か可能になるというものだ。
 これまでは人間が書いたプログラムを実行することがAIの限界だった。ルンバなどのお掃除ロボットのように、いわば人間が教えたことのみを忠実に実行することが、AIの限界だった。しかし、コンピューターが自ら学ぶディープラーニングが可能になったことで、人間が教えていないこともコンピューター自身が学び取ることが可能になっているというのだ。
 その背景にはIT技術の発達が大きく寄与している。いまやパソコンですらギガバイト、テラバイトのハードディスクを備え、高度なCPUによって、かつては何年もかかった膨大なデータの処理が数秒で可能になった。さらにインターネットの普及で、ネット空間に膨大なデータが共有されるようになり、コンピューターが学ぶための環境が整った。
 現に、グーグルやフェイスブックなどのネット企業は、いち早く人工知能の研究に乗り出し、最先端企業や研究者を次々に買収したり、スカウトしたりしている。彼らの狙いは人工知能によって検索やデータ解析の精度をあげることで、広告収入をあげるところにあるのだろうと松尾氏は言う。
 しかし、いくつか倫理的な問題が議論される必要がある。それは、まずそもそも人工知能の技術を、グーグルやフェイスブックなどの私企業が私物化し、われわれ一般市民の行動が彼らによってコントロールされることになる危険性はないのかという点が一つ。そして、もう一つは、仮にある領域まで発達した人工知能が、企業の私的な利益のためではなく、公共的な目的で使われるようになったとしても、果たしてそれはわれわれを幸せにするのかという点だ。
 人工知能やロボットの発達が人間の様々な活動をサポートする分には大いに歓迎だが、これまで人間が担ってきた仕事や役割にまで侵食するとなると話は違ってくる。また、人工知能が人知を遙かに超えた存在になれば、人間の行動をあらかじめ予想し、それをコントロールすることも可能になるだろう。
 松尾氏は技術的には可能性はあるが、実際にそうなるリスクは低いと見る。なぜならば、仮に人工知能が人間をコントロールすることが可能になったとしても、彼らにそのようなことをするメリットがあることとは思えないからだ。人間をはるかに超える英知を身につけた人工知能が、あえてメリットのない非合理的な行動をとるとは考えにくいというのはわからなくはない。しかし、人間よりも遙かに大きな知恵を身につけているのであればば、人間にはわからないような形で人間をコントロールすることもあり得ない話ではないのではないか。
 また、そもそも学習機能を身につけたとはいえ、その学習機能自体は人間が書いたプログラムに則って実行されている。そのプログラムを書く技術者が、人工知能を通じて世界を支配したいと考えても不思議はない。その時は、その技術者自身が人間の運命を自由に左右できる、閻魔大王のような存在になってしまうのかもしれない。もちろん、グーグルだのフェイスブックだのといった企業が、閻魔大王の力を持ってしまうことも、われわれ一般市民にとっては、あまりありがたいことではないように思える。
 インターネットの普及とIT技術の進歩によって、人工知能研究が新たな次元に突入していることは、間違いなさそうだ。閻魔大王が現れる前に、倫理的な問題も含め、考えるべきことを考えておいた方がよさそうだ。人工知能の研究・開発の歴史や現状を参照しながら、ゲストの松尾豊氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

オバマ大敗の背後で暗躍する企業マネーとスーパーPACの実態

(第709回 放送日 2014年11月08日 PART1:1時間2分 PART2:55分)
ゲスト:渡辺靖氏(慶應義塾大学環境情報学部教授)

 11月4日のアメリカ中間選挙ではオバマ大統領率いる民主党が大敗を喫した。
 今回の中間選挙では上院選、下院選、州知事選の3つの選挙が行われたが、民主党はいずれも大きく議席を減らした上に、上院でも過半数を失い、上下両院で少数党に転落した。オバマ大統領は残された2年の任期で厳しい政権運営を迫られることは必至で、既にレームダック化が取りざたされている。
 2008年に「YES WE CAN」を掲げてアメリカ政治史上初のアフリカ系大統領として熱狂的な支持を集めたオバマ大統領だが、医療制度改革をめぐり議会と対立し、外交面でもウクライナ情勢ではロシアに主導権を握られ、またイスラム国の台頭を許すなど、就任当時の期待とは裏腹にアメリカ国内では大統領としての指導力に大きな幻滅が広がっていることは事実だ。
 実際、選挙直前の支持率は40%台にまで低落し、中間選挙では民主党の候補者たちの多くが、何とかしてオバマと距離を置こうする姿勢が目立った。
 アメリカ研究の専門家で、慶應義塾大学環境情報学部教授の渡辺靖氏は「そもそも大統領選が希望の選挙と言われるのに対して、中間選挙は失望の選挙と言われている」として、アメリカの中間選挙は伝統的に政権党に厳しい審判が下されることが多いことを指摘する。
 しかし、それを考慮に入れても、オバマの不人気ぶりには隔世の感がある。実際に、リーマンショック直後に大統領に就任し、破綻金融機関の国有化などで恐慌化を未然に防ぎ、4000万人とも言われる医療保険を持たない貧困層にオバマケアで健康保険への加入を可能にし、核無き世界を訴えてノーベル平和賞を受賞するなど、日本から見ればオバマの功績は決して小さくないようにも見える。また、アメリカはオバマの就任後、年々失業率を下げ続け、景気も決して悪いわけではない。
 なぜこうまでオバマ離れが進んでしまったのだろうか。
 渡辺氏はオバマの議会と妥協しない頑固な姿勢が政治に閉塞をもたらしたとの指摘や、オバマケアについてもその正当性ばかりを主張して、伝統的に政府支出が肥大化することに懸念を持つ人が多いアメリカの保守層に丁寧な説明を怠ったことなど、オバマの政治家としての能力や資質(Competency)に疑問符がつけられたことが、オバマにとっては痛手だったと指摘する。実際、オバマは大統領というよりも、大学の法学教授のようだとの批判も、まんざら外れてはいないところもあるかもしれない。
 しかし、どうやら原因はそれだけではなさそうだ。
 今回の中間選挙は、史上最高となる約36億7千万ドル(約4163億円)の政治資金が投入された、アメリカ史上もっともお金のかかった(the most expensive)中間選挙だった。実際、テレビコマーシャルだけでも9億ドル(約1042億円)以上が費やされ、その大半が候補者や政党を中傷するネガティブキャンペーンに回ったと見られている。
 そして共和党は数百万回は流れたといわれるテレビCMで徹底的にオバマ大統領の政策をこき下ろし、特にオバマケアは格好のターゲットにされた。テレビのゴールデンタイムで繰り返し、「オバマは嘘つきだ」を連呼するテレビCMが流れているのが、今のアメリカの実態なのだ。
 そして、アメリカでここまで巨額の資金が選挙に注ぎ込まれることになった背後に、2010年1月に下された最高裁の「シチズンズ・ユナイテッド(Citizens United)判決」があった。これはシチズンズ・ユナイテッドと称する保守系の政治団体が、2010年当時大統領候補だったヒラリー・クリントン氏をこき下ろすテレビCMをケーブルテレビで流そうとしたところ、選挙管理委員会からストップがかかり、これを「表現の自由」への制約として訴えていたもの。最高裁は企業にも憲法第一修正条項で保証された表現の自由があり、政治資金への制限はこの表現の自由を制約するものとの判断の上に、事実上企業献金を制限した過去の法律に違憲判決を下したのだった。
 この判決によって、これまで厳しい制約が課せられていた企業・団体からの政治資金の提供が、事実上無制限となった。ただし、青天井となった企業の政治資金の対象は、スーパーPACと呼ばれる候補者自身を支援することができない政治団体に限定されているため、結果的に候補者を支持するテレビCMよりも、相手候補を中傷したり攻撃するテレビCMが急増する結果となった。
 「表現の自由」を根拠に企業に無制限の政治資金提供を認めたアメリカの選挙は、もはや一部の富裕層やグローバル企業がスーパーPACに無尽蔵の資金を注ぎ込み、大量の政治CMで大統領や対立候補を叩く、金券選挙の様相を呈し始めているが、メディアも政治CMの放送料という恩恵を受ける立場にいるため、こうした傾向に必ずしも十分な批判を加えられていない状況だという。
 そのような中で戦われた中間選挙の結果を、単にオバマの指導力不足に起因するものとして片付けてしまっていいのだろうか。これから金権選挙がますます進む中で、アメリカの政治はどのように変質してくるのか。そして、それは日本や世界の他の国にどのような影響を与えることになるのか。
 アメリカ中間選挙の結果を検証しながら、その背後にあるアメリカ政治の変質とその影響について、アメリカウォッチャーの渡辺靖氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

地球温暖化交渉と世界の潮流から取り残される日本

(第710回 放送日 2014年11月15日 PART1:58分 PART2:59分)
ゲスト:山岸尚之氏(WWFジャパン気候変動・エネルギーグループリーダー)

 アメリカのオバマ大統領と中国の習近平国家主席は11月12日、温室効果ガスの削減や非化石燃料への転換などを含む温暖化対策で合意した。これまで頑なに温室効果ガスの削減目標を拒否してきた中国が、長期目標とはいえ、削減の目標値に合意したことは、世界に驚きを持って迎えられた。
 言うまでもないが、中国とアメリカは世界の2大二酸化炭素排出国だ。特に中国は、深刻な大気汚染など環境対策の遅れが目立つ印象が強いが、実際は風力発電では新規導入量、累積発電量ともに群を抜いて世界一を独走し続けており、着実に脱化石化の布石を打ってきている。また、一方のアメリカも、累積の風力発電量では首位の座を中国に譲ったものの、依然として世界第2位をキープしている。
 一切の削減目標を拒否してきた中国と、ブッシュ政権下で京都議定書から離脱し、国連を舞台とするCOP(気候変動枠組み条約締約国会議)からも一定の距離をおいてきたアメリカが、具体的な削減目標を打ち出したことで、2015年に予定されている京都議定書に次ぐ新たな国際的CO2削減の枠組みの実現が、俄かに現実味を帯びてきている。
 国際環境NGOのメンバーとして2006年から継続的にCOP交渉に関わってきた山岸尚之氏は、人類が地球温暖化の影響を受容可能なレベルに抑えるためには、地球の気温の上昇幅を2度以下に抑えられるかどうかがカギになるとされ、それを目指した新たなCO2削減の枠組みが模索されているという。しかし、現実には気温の上昇を2度のtipping point(臨界点)以下に押さえ込むためには、世界は2050年までに二酸化炭素の排出量を現在の4割から7割も削減しなければならないというのが現実だ。気候変動の原因たるCO2の削減を目指して世界が話し合いを始めてから今年のリマ会議で20年目を迎えるが、交渉に膨大なエネルギーが割かれる一方で、世界の温室効果ガスの排出量は着実に増え続けているのが実情だ。そのような状況の下で、次の35~36年でCO2の排出量を最大で7割減らすことは、少なくとも現時点ではあまり現実味がないのも無理からぬことだ。
 しかし、今月発表されたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第5次報告書には、人類がこのまま有効な手を打たないままCO2の排出を続けた時、どのような事態が待ち受けているかが詳細に検討されている。それによると、このままCO2の排出を続けた場合、地球の平均気温は今世紀末に最大で4.8度上昇し、その副作用として最大82センチの海面上昇、熱波の長期化、より極端な豪雨の頻発化などが避けられなくなると予想している。それは洪水や台風、山火事や干ばつといった激しい自然災害の頻発にとどまらず、食料生産の減少や海面上昇などによって居住が不可能になった何百万、あるいは何千前という人々の大量の人口移動など、その影響はわれわれの想像を越えた凄まじいものになるとみられている。
 そのような事態はなんとしても避けなければならない。そうした共通認識の下で、世界は新たなCO2削減の枠組みを懸命に模索しているが、山岸氏はそうした中における日本の存在は日に日に小さくなっていると指摘する。気候変動の国際交渉の場において、世界が温室効果ガス削減に向けて歩み出す第一歩となった歴史的な京都議定書のホスト国としての存在感はもはや見る影も無く、もはや世界の潮流から取り残され始めているというのだ。地球温暖化に対する国民的な議論がほとんど行われず、地球温暖化と言えば依然、懐疑論が幅を利かせているようなお寒い状態では、日本の政治家も官僚も、こうした世界の流れに積極的にコミットできないのはある意味で当然とも言える。
 人類の地球温暖化を阻止するための交渉は成就するのか。米中合意が新たな局面に入った地球温暖化交渉における世界の潮流と日本の実情について、ゲストの山岸尚之氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と国際政治学者の山本達也が議論した。

 

vol.69(691~700回収録)

DVDを購入
CDを購入

人口減少という歴史の必然と向き合うために

(第691回 放送日 2014年7月12日 PART1:58分 PART2:42分)
ゲスト:鬼頭宏氏(上智大学経済学部教授)

 少子高齢化と人口減少という、世界の先進国に共通する問題で最も先頭を走る日本。安倍政権は6月24日に出した「骨太の方針」で50 年後に1億人程度の人口を維持することを目標に掲げている。しかし、歴史人口学が専門の鬼頭宏上智大学教授は、先進国における人口減少は歴史の必然であるとして、これは避けられないものとして向き合うことの必要性を説く。
 鬼頭氏は一つの文明が限界を迎える時、その社会は調整局面に入り、調整の一環として人口減少が起きるとして、日本にも縄文時代以降3度の人口減少期があったことを指摘する。最初の人口減少期となった縄文時代後期には、気候変動などによりそれまでの採集・狩猟生活が限界を迎えたために一時的に人口が大きく減少している。しかし、その後稲作が導入され、日本は再び人口増加に転ずる。他にも、日本では室町末期から鎌倉前期と江戸末期にそれぞれ人口減少期を経験しているが、いずれもそれまで社会を支えていたシステムが限界を迎え、新たなシステムに切り替わるまでの間の調整の一環として人口が減少したのだという。
 歴史的な文脈で見ると、眼下の人口減少は日本にとっては4度目の人口減少局面ということになる。確かに政府の施策の基礎となる国立社会保障・人口問題研究所の推計でも、出生率が現在の状態から大きな改善が見られなければ、約50年後の2060年には日本の人口は現在の1億2000万から8674万人に、2110年には3906万人まで減少するものと予想されており、減少の幅は決して小さくはない。
 では、今回の人口減少の背景にある文明の限界とは何を指しているのだろうか。鬼頭氏は日本を含む先進国の人口減少は実は1970年代から始まっていたと指摘する。医学の進歩や平均寿命の延びなどもあり、実際に日本の人口が減少に転じたのはここ数年のことだが、1970年代には既に合計特殊出生率が人口維持の前提となる2.0を割り込んでいた。そしてそれはローマクラブによる「成長の限界」やレイチェル・カーソンの「沈黙の春」など経済成長や物質文明の限界を示唆する各種の報告や、74年に開かれた国連による第3回世界人口会議などともほぼ同じ時期に起きている。また、第4次中東戦争やオイルショックなども重なったことで、20世紀の物質文明の限界を世界の多くの人が感じた時代だったと鬼頭氏は言う。
 現在の調整局面を経て、次の時代の文明がどのようなものになるかは今のところ誰にもわからない。また、目下の人口減少がどの程度続くかもはっきりしたことはわからない。しかし、仮にマクロな視点で見たときの人口減少が歴史的な必然であったとしても、人口が減ることによって社会に様々なマイナスの影響が出ることは避けられない。政策面では人口減少のペースを少しでも和らげる施策や、その影響を最小限に抑えるための手立ては必要だ。
 人口減少の原因となっている少子化には(1)子どもの生存率上昇(2)将来の不確実性と国民の意識(3)変らない社会構造という「3つの必然」があると鬼頭氏は指摘する。乳幼児の死亡率が高ければ、跡取りとしても労働力という意味でも親は子どもを多めに作ろうとするという。しかし、子どもが死ぬ心配がなくなると、言葉は悪いが「スペア」を作っておく必要性が低下する。それが1)の子どもの生存率の上昇が少子化の原因となる由縁だが、1)を政策的に変えることは難しいとしても、2)と3)、すなわち将来不安の払拭や子どもを産み育てるための社会制度の充実などは、政策レベルでできることがまだいくらでも残っている。いや、日本はそこにあまりにも無策だったのではないか。
 先進国が人口減少という難題を抱える一方で、世界の人口は今や70億を超え、将来的には100億まで増えることが予想されている。地球が養える人口の限界が80億人と言われる中、先進国で深刻化する少子化と人口爆発を続ける途上国の格差の問題を、われわれはどう捉えればいいのだろうか。日本は人口急減社会に耐え、新たな文明システムの軸を見つけることができるのか。人口問題を入り口に世界や日本が置かれた現状と、これからなすべきことなどを、歴史人口学に詳しいゲストの鬼頭宏氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

ブラジルサッカー惨敗に見る「世界の危機」

(第692回 放送日 2014年07月19日 PART1:1時間3分 PART2:1時間)
ゲスト:今福龍太氏(東京外国語大学大学院教授)

 7月13日に閉幕したサッカーのワールドカップ・ブラジル大会は高い身体能力を備えた選手を揃えたドイツが、高度に統制された戦術のもとで全員が精力的に走り回る合理主義サッカーで世界の頂点に立った。しかし、今大会で最も多くの耳目を引いたのは、何と言ってもホスト国で「サッカー王国」の名を欲しいままにしてきたブラジルが、準決勝でドイツに7-1という歴史的なスコアで敗れた「ミネイロンの悲劇」だった。
 4年に一度開催されるW杯では、各国が様々な新戦術を引っさげて登場してくる。古くは74年大会を席巻したオランダの「トータル・フットボール」、82年大会では強固な守備をベースとしたイタリアの「カテナチオ」、最近では前回2010年大会で高度な個人技に裏打ちされたパスサッカーで優勝したスペインの「ティキ・タカ」などが、その後の4年間の世界サッカーを方向付ける戦術として各国に広まっていった。今回ドイツが圧倒的な強さを見せたことで、今後はドイツ的な合理主義サッカー、高度統制サッカーが主流となり、王国ブラジルが誇るラテン的な偶然性と即興性に溢れた美しいサッカーは衰退してしまうとの見方も出始めている。
 今大会の結果について、サッカーの専門家たちの間ではさまざまな意見、さまざまな見方があるだろう。しかし、文化人類学者として長年ブラジルやラテンアメリカを研究してきた東京外国語大学大学院の今福龍太教授は、今大会、ブラジルが大敗しドイツが優勝したことについて、これは単にブラジルサッカーの危機を超えた「サッカーの危機」、ひいては「世界の危機」を反映するできごとだと評する。
 ドイツは徹底したデータの集積、そしてそれに基づいた科学的な分析に基づく統率の取れた戦術によって、他チームを圧倒した。それはサッカーというゲームの意味を度外視し、単純により多く得点するための最適解を求めた結果だった。ドイツはブラジル戦で点差が開いた状況においてもなおブラジルDFのミスにつけ込むなど、とことんまで得点を狙いにいき7得点を挙げた。サッカーは得点を競う競技である以上、少しでも多くの点を取ろうとすることは当然だが、今福氏はドイツや今大会で優勝候補のスペインに大勝するなどして健闘が目立ったオランダのような、手段を選ばずに貧欲に得点を狙いにいくようなプレーはブラジルサッカーではあり得ないことだという。ブラジルでは得点を挙げたチームは、次は相手にスペースを与えながら敵の攻撃を受け流すサッカーに転じて相手の出方を楽しむようなリズムを双方のチームが共有しながら試合が進行していく。そして自分たちの得点以上の美しいゴールが生まれると、今度は自分たちが攻撃に転じて更により美しいゴールを目指すことで、ブラジルのサッカーは発展してきた。ブラジルのサッカーでは単純に多くの点を取ることよりも、想像力溢れるプレーや美しいゴールの方により重きが置かれていると言っても過言ではないほどだと今福氏は言う。
 今回のドイツはサッカーの大きな魅力である「偶然性」や「即興性」「美しさ」のような数字に表れない価値観を排除し、もっぱらより多くの得点を挙げることのためにデータを集積し、研究を重ね、戦術を練り、統率の取れたチームを編成した。その結果、世界を制することに成功はしたが、そのサッカーは魅力に欠け、ブラジルが大事にしてきた「フチボウ」(フットボールのブラジル発音)とは似て非なるものとなってしまった。そして、そのドイツサッカーが世界を制したことで、これからのサッカーがドイツ流の合理性を徹底追求した無味乾燥な点取りゲームになってしまうことを今福氏は強く懸念しているという。
 現代サッカーは高度に科学化、情報化しつつある。試合を観戦しているだけでは分からないが、選手のプレーは逐一モニターされ、どういう動きをしてきたかがデータ化され蓄積されている。選手の走行距離やパスの回数まで自動的にカウントされるICチップを埋め込んだスパイクすら開発されているという。そして監督、コーチ、選手自身の判断ではなく、あくまでもデータに基づいた戦術が組み立てられ、選手交代のタイミングすらデータ分析の結果に基づいて行われるようになりつつある。そこにはもはや人間の感性が有機的に作用しあう「偶然性」などが介在する余地はない。むしろそうした不確定なものを徹底的に排除することこそが、勝利への最適解であるという考え方が主流になりつつある。これをとことん突き詰めていけば、リモコンで指令を受けたサイボーグ同士が戦っているのと、さして変わらないようなものになってしまう。正にサッカーの危機である。
 そして、ドイツの勝利至上主義の背景に、勝利することによって得られる莫大な経済的利益があることは言うまでもない。勝つことで得られるマネーが年々膨張してきたことがより一層サッカーの情報化、データ化を促し、選手の個性は消し去られ、チームは選手を単なる駒のひとつとして戦術にはめ込んでひたすら得点を目指すというスパイラルに陥っていく。実際ブラジルでは若く才能溢れる選手が10代のうちから財力のあるヨーロッパの競合チームにスカウトされ、そこで勝利至上主義的なサッカーに適応することを強いられることが多くなっているために、幼少時から彼らが育んできたブラジル的なサッカーの才能がある段階から伸ばせなくなっている面があると、今福氏は言う。
 今回のワールドカップで顕在化した「合理性」対「偶然性」の価値対立は、実際はサッカーの枠を遙かに超え、今日われわれの社会生活の至るところで衝突している価値対立と共通していると今福氏は言う。その価値の衝突に自覚的にならない限り、われわれは今大会でドイツが見せた「合理主義」を無批判によいものとして受け入れ、その対価としてブラジルのサッカーに見られるような「別の大切なもの」を無自覚に捨て去っている場合が多いのではないか。そしてブラジルサッカーと同様に、その「別の大切なもの」こそが、むしろわれわれが何に代えても守っていかなければならないものの場合が多いのではないか。
 今回ブラジルでは自国でのワールドカップ開催に反対するデモや抗議行動が各地で起きた。サッカー王国ブラジルでのワールドカップ開催に反対運動が起きたことに違和感を覚えた方もいたかもしれない。しかし、今福氏はあのデモはワールドカップがFIFA(国際サッカー連盟)や大手スポンサーにお金で買われてしまったことに抗議するデモだった面が大きいと指摘する。自分たちがこよなく愛するサッカーをカネで売り渡してなるものかというブラジル市民の意思表示だったというのだ。
 しかし、「ミネイロンの悲劇」を受けて、ブラジル国内ではドイツやオランダに倣い、より合理性で科学的なサッカーを目指すべきだという意見が既に出始めているという。今後のことは予断を許さないが、ブラジルでは過去にもそのような論争が何度かあり、最後は自分たちのサッカーを守ろうという結論に落ち着いてきたという。
 効率、スピード、コンビニエンス、収益性といった一見合理的に見える価値を無批判に受け入れるあまり、われわれは自分たちの人生からも、そしてわれわれの社会からも、知らず知らずのうちに偶然性という「別の大切なもの」を消し去ってはいないか。そしてそれは果たして本当に私たちの生活を豊かにすることにつながっているのか。いや、そもそも豊かさとは何なのか。ワールドカップ・ブラジル大会に投影された今日のわれわれの生きにくい世界の縮図を、ゲストの今福龍太氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

川内原発再稼働の前に知っておくべきこと

(第693回 放送日 2014年07月26日 PART1:1時間3分 PART2:36分)
ゲスト:井野博満氏(東京大学名誉教授)

 九州電力川内原発の再稼働に向けた動きが加速している。
 原子力規制委員会は川内原発1号機、2号機の審査を終えて、7月16日に事実上の審査のパスを認める「審査書案」を公表した。8月15日までパブリックコメントを募った上で正式に審査書が確定し、地元の同意が得られれば再稼動が可能になるという流れだ。
 電力各社は電力需給の逼迫と燃料費の高騰などを理由に原発の再稼働を目論んでいるが、審査書案の公表を受けて会見した原子力規制委員会の田中俊一委員長は、「原発再稼働の判断についてはコミットしない」と述べている。規制委はあくまで規制基準を満たしているかどうかを科学的な見地から判断するだけで、再稼働の判断は政府が行うものという立場だか、一方で安倍首相は規制委の決定を尊重して再稼働を行うとしており、再稼働の責任をお互いになすりつけているかのような印象は拭えない。
 しかし、われわれにとっては何をおいてもまず、今回の規制委による審査で、原発の安全性は十分に確保されたかどうかを十二分に検証する必要がある。5人の委員からなる原子力規制委員会は当初から委員の中立性に疑問が呈されていたが、今年の9月にはさらに元原子力学会会長の田中知氏が委員に就くことが決まるなど、原子力関係業界との接点が指摘される。また、委員の下で実際の審査業務に携わる原子力規制庁の職員も、福島第一原発事故の元凶の一つとして厳しく指弾された旧原子力安全・保安院からの横滑り組がほとんどだ。
 今回公表された審査書案は400ページ以上に及び、原発施設の設計の在り方から実際の施工上の対応、電源の安全確保対策、重大事故の想定や緊急時の要員確保まで記述されていて、一見するとあらゆる事態を想定しているかに見える。しかし、東京大学名誉教授で原子力施設に詳しいゲストの井野博満氏は 今回の審査書案では過酷事故への対策が不十分であると指摘する。
 原発事故の対応で必要なことは、いかに原子炉を安全に「停める、冷やす、閉じ込める」かが鍵となるが、規制基準が想定している過酷事故のケースはいずれもひとつのトラブルが中心に考えられていて、それと並行して起きる可能性のあるトラブルが十分に考慮されていないと井野氏はいう。
 例えば冷却機能を喪失したケースでは、確かにそれをカバーするための対応は何重にも用意されているが、そのどれもが電力が問題なく供給されていて、対応に要する人員は常に確保されていることが前提になっているという。地震や津波で施設が損傷を受けた上に、全電源喪失に見舞われた時、何が起きるかを思い知らされた福島の教訓はどこへ行ったのだろうか。また、電源に関しても規制基準ではさまざま定められてはいるが、これも主に単一のトラブル回避が想定されているため複合的な要因が同時発生した場合に機能するかどうか疑わしいと井野氏は言う。
 さらに井野氏は今回の川内原発の場合、規制基準や審査書案を見るだけでは分からない問題もあるという。川内原発では、仮に冷却機能が失われて炉心損傷が起きても、その段階で事態の進行を押さえ込む防護機能が十分ではなく、次に生じるメルトスルーにどう対応するかという対策しか想定されていないという。つまり川内原発では重大事故の際には冷却機能を維持する対策が不十分なため、その時点での対応を諦め、その次の事態に対処することになっていて、その対応を原子力規制委員会も容認しているという。このような事実は専門家が読んで初めてわかることで、一般の人が規制基準や審査書案をいくら読んでも、知ることが出来ない。
 安倍首相が誇る世界最高水準の規制基準に関しても井野氏は「従来の安全基準に地震や津波対策が加わったものに過ぎず、これでは再稼働を前提に基準が作られていると言わざるを得ない」と厳しい評価を下す。福島事故で安全神話が崩れ、重大事故や過酷事故が起こりうるとの前提に立った原子力行政が目指されたはずだった。事故後に策定された新しい規制基準は、各数値などはより厳格になっているものの、いずれも従来の安全基準の手直しに過ぎず、既存の原発でもクリアできることが前提になっているため、とても安倍首相が誇るような「世界最高水準」のレベルにはなっていないと井野氏は酷評する。
 現在、日本の原発は全て停止している。しかし、そもそもその再稼働を誰がどういった権限で判断するのかという法的枠組みを日本は持っていない。そのため安全基準への適合の可否のみを審査しているはずの原子力規制委員会の判断が、事実上、再稼働にお墨付きを与える格好になっている。このままでは総無責任体制の下で原発だけが回り出すことになり、万が一の事故の際にもその対応が甚だ心配だ。少なくとも安倍首相は「規制委の意見を尊重して」などと逃げずに、「私の責任において再稼働します」と言えないのであれば、再稼働などすべきではないだろう。
 既に多方面から指摘されているように、現行の安全基準は周辺住民にとっては最も重要と言っていい、事故の際の避難計画が評価の対象からすっぽり抜け落ちてしまっている。仮に立地自治体によって作成された避難計画が現実離れした代物であっても、現行の制度ではそれを評価して適正化する組織が存在しない。とりあえず防災避難計画の作成が義務づけられているだけで、その内容は問われていないというのが実情だ。これでは安全神話に寄りかかった再稼働と言わざるを得ない。
 川内原発再稼働に向けた動きと今回公表された原子力規制委員会による審査書案を参照しながら、原発の規制の在り方、規制基準の問題点、原子力規制委員会や立地自治体の役割と責任などについて、ゲストの井野博満氏とともにジャーナリストの青木理と社会学者の宮台真司が議論した。

アベノミクスが露わにした日本経済の病理

(第694回 放送日 2014年08月02日 PART1:41分 PART2:50分)
ゲスト:早川英男氏(元日本銀行理事・富士通総研エグゼクティブフェロー)

 政府は7月25日、消費者物価が前年の同じ月と比べて3.3%上昇していると発表した。ただし、物価の上昇自体は13カ月連続しているが、電気代などエネルギー価格の上昇率が若干低下してきたため、4月以降の消費税増税の影響を差し引くと純粋な伸び率は鈍ってきているという。安倍政権は2年間で物価上昇率2%というインフレターゲットを設定してこの1年半余り、アベノミクスと呼ばれる経済政策を実施してきたが、その効果はどれほどのものだったのだろうか。
 そもそもアベノミクスは、デフレ脱却を目指してまず第一の矢として実施された「異次元金融緩和政策」によって市場に資金を大量に供給し、2%のインフレ目標を定めることで市場をはじめ国民の期待感を刺激する一方、第二の矢の財政出動で公共投資を大幅に増やして景気を下支えしながら、第三の矢の成長戦略によって、日本経済を成長路線にいわば体質改善することを目指すという触れ込みだった。
 2012年に安倍政権が発足した時点で、日本の景気はすでに回復局面に差し掛かっており、たまたまアベノミクスがそのタイミングと重なった可能性は否定できないが、元日本銀行の理事で、金融政策に詳しいゲストの早川英男氏は、物価の下落が止まり、デフレから脱却しつつあるというのは間違いないと分析する。ただし、現在の物価上昇は、原材料価格の高騰や、商品・サービスの価格上昇、そして消費税増税など、明らかにコストプッシュ型の物価上昇であって、景気回復の結果、賃金が上がって物価が上昇するという自立的な経済成長とは異なると指摘する。
 たしかに物価の上昇に関しては異次元金融緩和が一定の効果をあげているようだ。しかし、リフレ派が主張するような、物価が上昇すれば全てがバラ色になるということは無いと早川氏は釘を刺す。しかも異次元金融緩和を一体どこまで続けるのか、物価が2%上昇したらやめるのか、果たしてやめられるのかという問題も大きいという。日銀の大量購入によって日本の国債は現在辛うじて低金利を維持できているが、日銀が金融緩和をやめたとたんに、国債の金利が上昇し、借金まみれの日本の財政を直撃することになると早川氏は分析する。
 では、どうすれば日本経済を健全な成長軌道に乗せることができるのか。アベノミクスが第3の矢と位置づける成長戦略が当然ながらその鍵になるが、早川氏はそもそも潜在成長率がかなり低下している日本経済を成長軌道に乗せるのは並大抵のことではないと警鐘を鳴らす。潜在成長率とは、文字通り経済成長の余地、余力のことだが、現在の日本のGDPが2008年のリーマンショック前と同じ規模であるにもかかわらず、失業率は改善されている。これは働ける人がフルに働いた状態で、ようやく失業率が高かった当時のGDPに並んでいるということであり、労働人口の減少を加味してもなお労働生産性がほとんど改善されておらず、潜在成長率が著しく低下していると推計できるという。
 経済が成長するためには、労働力を増やすか、投入する資本を増やすか、生産性を高めるかのいずれかを実現する必要がある。しかし早川氏によれば、日本は少子高齢化に伴う労働力の減少に見舞われ、民間の資本ストックの伸びも前年比1%程度まで低下していて、労働力と資本増強による成長は困難であることに加え、労働生産性を高めることで成長する道も厳しい状況にあるという。
 近年の日本経済の生産性を支えてきたのは民生用電子部品などを扱う電気産業だが、現在は国際的に見ても日本メーカーの凋落は明らかで、相当にその生産性を落としているという。とすると、もはや日本には成長の余力がほとんど残っていない可能性がある。アベノミクスの公共投資で一時的に潤っている土建業界は、最も労働生産性の低い産業であることを考えると、ここまでアベノミクスがやってきたことは全くのピント外れだった可能性が否定できない。本来は成長や生産性向上の余地のある部門に資金を集中投入することが成長戦略上不可欠であるにもかかわらず、もっとも非効率的な部門に巨額の公共投資を続けることは、まるで砂漠に水をまき続けているに等しい。そこから経済成長などが期待できようはずがない。
 確かに物価の下落は止まっている。しかしこれは内需が中心の景気回復傾向に過ぎず、膨大な財政赤字や労働力の減少、労働市場の逼迫など供給面での制約は強まる一方だ。しかも日本の潜在成長率はほぼゼロに等しい。これでアベノミクスがうまくいっていると評価するのは、あまりにも楽観的過ぎる。それでも早川氏は戦略的に資本や人材を投入すべき分野は、改訂版の成長戦略で示された医療改革分野や女性の労働関係分野などまだ残されているという。こうした分野にこそ、より効果的な成長戦略が必要であり、相応の資本を投入すべきだろう。
 このまま見せかけの景気回復に踊らされ、財政赤字は膨大に積み上がったまま、物価の上昇率が2%に到達し、金融緩和政策をやめる局面に直面した場合、本当の意味でのインフレが発生してしまいかねないと早川氏はいう。確かに国債価格が下落したからといって日本経済が即死するわけではないが、財政事情の悪化はより深刻化し、必要な改革が行われないまま日本全体がズルズルと「静かなる危機」に突入していくというシナリオは十分に考えられるというのだ。
 アベノミクスで日本経済はどう変わったのか。そしてこの先、どうなっていくのか。金融政策や成長戦略を参照しながら、アベノミクスによって明らかになってきた日本経済の今後についてゲストの早川英男氏とともに、経済学者の小幡績と社会学者の宮台真司が議論した。

天下の愚策リニア新幹線に待った!

(第695回 放送日 2014年08月09日 PART1:47分 PART2:52分)
ゲスト:橋山禮治郎氏(千葉商科大学大学院客員教授)

 皆さんはこの秋にも総工費が9兆円を超えるリニア新幹線の建設工事が始まることをご存じだろうか。ではその中身についてはどうか?
 JR東海は現在、2027年の完成を目指して東京・名古屋間を40分で結ぶことになるリニア中央新幹線の建設計画を進めている。建設費用は5兆4300億円。最終的には2045年に東京・大阪間を67分で結び、トータルの建設費用は9兆300億円にも達する前代未聞の超巨大事業だ。
 超伝導が発する磁力で浮いたまま疾走する夢の乗り物、リニアモーターカーの最高時速は500キロ。現在新幹線で約1時間40分かかる東京・名古屋間を40分で、新幹線で約2時間30分かかる東京・大阪間は67分で結ばれるという。確かに「時速500キロの世界最速」や「名古屋は東京の通勤圏に」などは喧伝されているが、プロジェクトの中身やその問題点は必ずしも十分に周知されてきたとは言えなそうだ。
 公共政策や大規模事業に詳しい千葉商科大学客員教授の橋山禮治郎氏は、今回のリニア中央新幹線計画は民間企業が実施するプロジェクトという位置づけのため、外野はとやかく言うなといわんばかりの進め方できているが、鉄道というものの公共性ゆえに、もし事業が失敗すれば、多くの市民が多大な影響を受けることは避けられないと指摘する。また、原発と同様、リニアプロジェクトには元々国が深く関与してきたことから、事業が失敗に終わった場合、政府がこれを何もせずに放置するということは考えにくい。多かれ少なかれ、国民にツケが回ってくる可能性のある超大型事業が、国民不在のまま進んでいることに橋山氏は強い違和感を覚えると言う。
 橋山氏は公共政策の成否は、目的の妥当性や経済合理性、そして環境適合性や技術的な信頼性によって決まるが、リニア中央新幹線は、いずれの要素にも疑問符がつくと言う。夢の超音速旅客機コンコルドは「マッハの旅客機」などとそのスピードが大きく喧伝されたが、高額な運賃や騒音問題を克服できなかったために姿を消していて、それと同じような末路を辿る可能性が高いのではないかと橋山氏は言うのだ。
 リニア中央新幹線計画では、まず、経済的な見通しに大きな疑問符がつく。橋山氏の試算では、JR東海や、事実上計画を認可した政府の交通政策審議会の試算によるリニア中央新幹線の利用客数は、あまりにも非現実的で楽観的な見通しに基づいているという。
 そもそもリニア新幹線は既存の東海道新幹線と競合する。東海道新幹線はJR東海にとっては唯一といってもいいドル箱路線だ。仮に新幹線からの乗り換えがあったとしても、その分新幹線の利用客が減ってしまえば、JR東海にとっては大きな利益は期待できないばかりか、大きな損失をもたらす可能性すらある。しかし、審議会やJR東海の見通しでは、現在の輸送需要が将来的に大きく拡大することを前提に、リニアも東海道新幹線も両方が採算が取れるとの試算を打ち出しているのだ。
 さらに環境に対する影響も懸念されている。高速度を出すためにできるだけ直線で結ぶことになるリニア新幹線は、東京・名古屋間の87%が地下を通り、南アルプスを貫通することになる。現在、山梨県には約42キロのリニアの実験線が既に完成しているが、実験線の周辺では、山肌を貫くトンネル工事によって地下水脈が分断され、予期しない場所での大量の出水や、生活用水や河川、沢の水涸れなどの問題が各地で報告されている。今後、南アルプスの山間をぶち抜く工事が進む中で、未曾有の水問題に直面する可能性は否定できない。更に、工事の途中で思わぬ大水脈にぶち当たり、黒部第四ダム工事に匹敵するような出水との闘いを強いられる可能性すら否定できないと橋山氏は言う。
 この事業は当然、環境アセスメントの対象だが、橋山氏は環境アセスメントによる評価は不十分で、環境への影響に対する手当ては十分になされていないと厳しく批判する。ほかにもリニアの運行によって余計に必要となる電力の問題や、トンネル工事に伴う膨大な残土の処理問題なども、十分に中身が検討されたとは言えないと橋山氏はいう。
 このように事業そのものにも問題は山積しているが、しかしそれ以前のそもそも論として、21世紀の日本の経済や社会の現状や、これからのわれわれのライフスタイルを考えた時、10兆円もの費用と高い環境負荷をかけて、時速500キロで走るリニアを建設し、東京と名古屋を40分で結んだとして、そのことにどれほどの意味があるのだろうか。
 確かに10兆円の大型事業によって、ゼネコンを始めとする経済界は多いに潤うのかもしれない。しかし、そのような土建国家モデルのまま、この先も日本は進むつもりなのだろうか。1980年に大平内閣の下で田園都市国家構想の構築に関わった橋山氏は、一度大型事業が計画されたら最後、それが止まらない日本の体質に、政治の責任を指摘する。官僚が一度計画された公共事業を止められないのと同様に、生存のために大型事業を必要としている重厚長大産業が支える経済界も、一度走り出したら止まらない性格を持つ。しかし、それを止めるのが最後にそのツケを払うことになる国民の監視の目であり、それを行動に移すことができる政治のリーダーシップではないかと言うのだ。
 このプロジェクトは着工に必須となる環境影響評価が今、大詰めを迎えていて、既に環境相や国土交通相による意見書がJR東海側には伝達されている。このままいけば、今秋にも工事着工の予定だというが、今ならまだ間に合う。事業内容の合理性を今あらためて再検証し、国民的な議論に付した上で結論を出すべきではないだろうか。
 ゲストの橋山禮治郎氏とともに、天下の大愚策になりかねないリニア新幹線の事業内容を今、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が再検証した上で、時速500キロで移動が可能になることの意味をあらためて考えた。

誰がために甲子園はある

(第696回 放送日 2014年08月16日 PART1:57分 PART2:40分)
ゲスト:中島大輔氏(スポーツライター)

 未曾有の記録を相次いで打ち破りアメリカ・メジャーリーグに渡った、日本球界の至宝とも言うべきニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手が、先月、肘の靱帯の部分断裂で戦列を離脱した。今週はテキサス・レンジャーズのダルビッシュ有投手までが肘痛で故障者リスト入りをするなど、日本の期待を一手に背負ってメジャー入りした投手の故障が相次いでいる。ここ何年かの間だけでも、松坂大輔、和田毅、藤川球児といった日本を代表する大投手たちがメジャーリーグ入りしてほどなく、肘の故障で「トミージョン手術」と呼ばれる靱帯の移植手術を受けている。
 なぜこうまで日本を代表する投手たちがメジャーリーグに渡ったとたんに、次々と大きな肘の怪我に見舞われるのか。その真相は誰にもわからないが、一つだけ、彼らに一様に共通することがある。それはいずれの投手も高校時代から尋常ではないほど肘を酷使し続けてきたということだ。アメリカのスポーツメディア界では今や、日本の投手たちは誰もが肘を酷使してきているので、大枚を叩いてスカウトするには値しないのではないかといった議論が、真剣に交わされている。
 現在、高校球児の祭典、夏の甲子園が真っ盛りだ。NHKが1回戦から全試合を生中継し、ニュースでも大きく取り上げられるので、否が応でも世の中の関心は高い。夏の甲子園はもはや日本の夏の風物詩と言ってもいいだろう。
 しかし、こうした華やかな大会の陰で、特に大会の過密日程からくるピッチャーへの過重な負担が一部で懸念されている。「一部で」、というのには理由がある。もはや甲子園があまりにも巨大なイベントとなっているため、スポーツジャーナリズムの世界でもそのあり方を大っぴらに批判することが難しくなっているからだと、今週のゲストでフリーのスポーツライターの中島大輔氏は指摘する。
 しかし、実際に甲子園では大会を勝ち進んでいくと、投手の連投は当たり前になっている。2006年夏に「ハンカチ王子」としてアイドル級の人気が出た早稲田実業高校の斎藤佑樹投手は、優勝までの全7試合で948球もの球数を投げている。さらに遡ると、1991年夏、準優勝の沖縄水産高校の大野倫投手などは6試合で773球という連投がたたって、肘を疲労骨折し、肘が曲がったままの痛々しい状態で閉会式にのぞんでいた姿が印象に残っている。どうしても勝たなければならないというプレッシャーがかかれば、エースの2連投、3連投はむしろ当然のこととして受け入れられてるのが、甲子園の実情なのだ。
 横浜DeNAベイスターズのチームドクターを務める、横浜南共済病院の山﨑哲也医師によると、人間の肘は野球のボールを1球全力で投げるごとに、靭帯に微細な断裂が生じるほどの負担がかかっている。だからこそ、一日に投げる投球数を制限して肘の負担を減らすと同時に、痛んだ肘の靱帯が回復するまでの間、肘を休める必要があると指摘する。
 1日150球を超える球数を投げた上に、準決勝、決勝となると、2連投、3連投が当たり前という現在の甲子園のあり方は、選手の肉体への負担という意味もおいても、将来プロで活躍する可能性を持った有望な選手に高校生の段階で傷をつけてしまうという意味においても、大きな問題があると言わねばならない。
 アメリカのメジャーリーグでは、投手に1試合あたり100球の制限を設けている球団がほとんどだ。また、練習でも投手が投げていい球数を厳しく制限している。これも、肘への負担に関する科学的なデータに基づいた措置だが、日本からメジャー渡った投手の多くは、思い存分投げ込みをさせてもらえないとして、このやり方に不満をこぼす人が多いほどだ。
 日本でも小学生のリトルリーグや中学生のリーグでは一人が1日に投げてよい球数の制限が一律に設けられるようになった。また、試合で投げた場合、次に投げられるまでに挟まなければならない休みの日数や、1週間に投げてもよい球数なども細かく決められるようになっているという。
 しかし、なぜか高校野球ではこれがなかなか進まない。中島氏が言うように、そもそもこの問題をオープンに議論することすら難しい状態にあると言うのだから、進まないのも当然だ。
 甲子園があれだけ大きな国民的イベントになり、夏の朝日新聞、春の毎日新聞を筆頭にNHKも含めたメディアが丸ごとそこに乗っかる形になった今、高校野球と言えども各校は勝つためにあらゆる努力を惜しまないのは当然だ。テレビのスポットライトが当たる中、選手、全校生徒はもとより、父兄、そして地元をあげての応援を受けたチームとその監督の双肩にかかるプレッシャーは尋常ではないだろう。
 そこに投球制限などが設けられて、次の試合でエースピッチャーが使えないために敗退してしまうようなリスクは、誰も冒したくはない。また、常に甲子園をめぐる感動秘話を探しているメディアにとっては、腕が折れようとも投げ抜く高校球児の熱い心は、感動物語には不可欠な要素になっている。投球制限が設けられた中で淡々とプレーをするような高校野球では、商品としての価値が今より大幅に落ちてしまう。それこそが正に、将来が有望な特定の優良選手に過度の負担を強いている根源的な原因でもあるわけだが、それがあるからこそ甲子園が今日のような国民的な関心事になっているという側面があることも否めない。
 しかし、これは詰まるところ、高野連や大会を協賛する新聞社、そして甲子園ネタで販売部数や視聴率をあげているメディアたちが、高校球児たちの野球にかける熱い心やその将来性を食い物にしている結果だとは言えないだろうか。
 確かに、球数制限や登板の間隔は個人差があるため、一律の基準を設けることにはディメリットもあろう。しかし、明らかに投球過多によって故障する選手が続出している以上、これが喫緊の問題として真剣に議論されていない現状には違和感を超えて、不信感を禁じ得ない。
 個人差があるから規制をしないというのは、たくさん球数を投げでも大丈夫な選手がいるのだから、それで怪我をしてしまう選手には、故障を甘受してもらいましょうと言っているに等しい。高野連側がよく言い訳に使う「全ての選手がプロ野球を目指しているわけではない」という主張も、それではプロに行かない選手の肉体は損傷しても構わないと言っているに等しいではないか。高校生はどんなに腕が痛くても、自分から「もう投げられません」とは決して言わないと、多くの指導者たちが証言する。高校生は放っておけば、体を壊すまで、いや壊してでも、まだ投げ続けてしまうものなのだ。それを止めるのが、大人の仕事ではないのか。高校生の熱い純粋な思いを逆手にとって、大人がビジネスをしてどうする。とりあえずそろばん勘定は横におき、ここはメディアがしっかりと問題を指摘し、高野連を始めとする大人たちが、しっかりとした判断を下さなければならない場面ではないか。
 こうなると甲子園を「夏の風物詩」と楽しんでばかりもいられない。過密日程の甲子園大会と、相次ぐ日本人ピッチャーの故障の問題、甲子園という一大イベントとメディアの問題など、いったい誰のための野球か、誰のための甲子園なのかを、ゲストの中島大輔氏と共に、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

なぜエボラ出血熱は治療薬が無いのか

(第697回 放送日 2014年08月23日 PART1:1時間 PART2:55分
ゲスト:堀田佳男氏(ジャーナリスト)

 西アフリカでエボラウイルスが猛威を振るっている。
 WHO=世界保健機関によると、8月18日までに約2500人が感染し、既に1300人以上が死亡しているという。感染者数、死者の数いずれも過去最悪だ。エボラウイルスは感染者の体液が傷口などに触れない限り感染はしないとされ、空気感染もないことから、ウイルス自体の感染力はそれほど強くはない。にもかかわらず、医師の数も圧倒的に不足しており、依然として流行は拡大し続けている状況にある。
 しかし、エボラ出血熱が最初に流行したのは1976年、38年前のことだ。ウイルスも発見されている。にもかかわらず、なぜ未だにエボラ出血熱の治療薬が存在しないのだろうか。確かに致死率は高い恐ろしい病気だが、逆に致死率が高いからこそ、とうの昔に治療薬が開発されていてよかったはずではないか。
 「ひと言で言えば、エボラはペイしない病気だからだ。」ジャーナリストで抗ウイルス薬の研究開発に詳しいゲストの堀田佳男氏はこう語り、エボラウイルスの治療薬の研究開発が進まない背景に、医薬品業界の大人の事情があると指摘する。
 元々、抗ウイルス薬と呼ばれる種類の治療薬は、研究が難しく、治療薬を開発しようというインセンティブが働きにくい分野だといわれているが、ウイルス疾患では、いまや世界中の約3400万人が感染しているといわれるエイズは、ウイルスの存在が確認された1981年以降、治療薬の研究開発が盛んに行われてきた。感染が確認された時期は、エボラより遅いにもかかわらず、エイズ治療薬の開発が進んだのは、堀田氏によると、まさにその感染者数が大きく影響しているという。治療薬を研究開発する製薬会社にとって、感染者数は顧客数と同じ意味を持ち、エイズはつまり市場規模が大きい疾病だったというわけだ。さらにエイズは先進国、特にアメリカ国内で感染が広がったことで、先進国の間で研究に対する関心が高まった。
 今回のエボラの流行は史上最悪の規模だが、それを含めてもここまでの感染者数はせいぜい5000人程度にとどまる。死者の数は累積で3000人ほどだ。しかも流行地域は、現在までのところアフリカにとどまっている。全世界で感染者3400万人、年間死者数170万人のエイズとは、確かに市場規模が違う。新薬の開発に1000億円単位のコストがかかると言われる昨今、アフリカ人5000人だけを対象とするだけでは開発費が回収できないことは誰の目にも明らかだ。
 堀田氏によると、新薬の開発にかけるコストは膨大で、さらに長期間にわたった研究が必要とされることから、製薬会社の研究開発は自ずと売れる薬に偏重してしまうのだという。日本では新薬の開発に9年から17年もの期間が必要とされていて、新規の薬効成分の発見からスタートして、新薬として承認され、販売されるまでにかかるコストは、約1千億円とも言われている。しかも、最終的に承認を得て販売に漕ぎ着けられる新薬は2万7000~8000分の1の確率しかない。つまりほとんどの新薬研究は販売にまで至らないのが普通で、文字通り万に一つの確率で商品化に至った場合、その販売でこれまでに失敗をした開発プロジェクトのコストまで回収しなければならない。エボラのように致死率も高く恐ろしい病気の治療薬の開発が放置される背景には、製薬会社の研究開発が大きな需要が見込まれる疾病の研究に集中せざるを得ない、このような裏事情があるのだという。
 しかし、人の命を救う医薬品の開発という、非常に公共的な行為が、もっぱら製薬業界の市場原理に委ねられていていいのかという疑問は残る。儲かりそうもないというだけの理由で、今回のエボラのようなケースや、罹患者が少ない難病治療の研究がほとんど進まないまま放置されていいとは思えない。
 需要の少ない分野の薬剤は「オーファン・ドラッグ」と呼ばれているが、1980年代にアメリカでは、患者数の少ない疾病の治療に関して、オーファン・ドラッグの研究開発費の一部を公費で負担する制度が導入されている。患者数が少ないものの重篤な疾患で医療上の必要性が高いなどの要件のもとで、公的な支援を行うというもので、実は日本にも似た制度はある。しかし、日本ではそれに回される予算は、年間50億円程度に過ぎず、「1つの新薬の開発に1000億円」という製薬業界の市場原理と比べるといかにも心細い内容だ。
 国境なき医師団に、西アフリカにおけるエボラ出血熱大流行の現状などを聞いた上で、40年も前から流行を繰り返しているエボラが未だに死に至る恐ろしい病気であり続けている理由の背景にある医薬業界の市場原理の実態や、研究開発のシステムとその課題などについて、ゲストの堀田佳男氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
カシミール、パレスチナ、世界の紛争の根っこにあるもの

(第698回 放送日2014年08月30日 PART1:1時間 PART2:49分
ゲスト:伊勢崎賢治氏(東京外国語大学大学院教授)

 5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。今回の5金では世界で起きている武力紛争について、関連映画を参照しながら考えた。
 インド、パキスタンの国境付近に位置するカシミール地方は、1947年にインドとパキスタンがイギリスから独立して以来、常に二国間の紛争の種だった。カシミールは住民の大半こそイスラム教徒だが、10以上の言語が存在し、中央アジア、特にアフガニスタンとの地域的な共通性を持っているなど、多様な文化が混在している地域だ。現在のカシミール紛争は、この地を治めていたヒンドゥー教徒の藩王(マハラジャ)が、独立に際してインド、パキスタンのいずれに属するかを明確にせず中途半端な状態にあったところ、イスラム教徒のパシュトゥーン人勢力に侵攻を受け、あわててインド側に帰属することと引き換えに武力による保護を求めたことが発端となっている。その後、カシミールはインド、パキスタンの独立後も3次にわたる印パ戦争の舞台となり、局地的な武力衝突も後を絶たない。最近ではイスラム原理主義勢力がカシミールのパキスタン側に入り、自爆テロなども起きるようになってしまった。
 世界の紛争地で武装解除などの任務に携わり、カシミールも度々訪れている東京外国語大学大学院教授の伊勢崎賢治氏は、カシミールは現代テロの起源であると言う。特に1990年前後から、カシミール紛争に乗じてイスラム過激派がこの地に浸透し、それまでこの地域では見られなかった自爆テロが起きるなど、紛争が聖戦として捉えられるようになってきたと解説する。インドは陸軍の半分をカシミールに投入し、治安組織や現地警察勢力も加えると地域住民の実に5分の1にも相当する90万人の軍・警察・治安関係者によって、地域の安定を維持している状態だという。
 ここで取り上げた映画『アルターフ 復讐の名のもとに』は、カシミールが舞台のインド映画だが、登場人物の背景を、カシミール情勢に照らして考えていくとまた違った見方が出来る作品だ。暴漢に家族を殺されたイスラム教徒の主人公は、事件の捜査を担当したヒンズー教徒の警察署長に引き取られて育てられていたが、ある日、その養父が自分の家族を殺した覆面の男だったことが分かり、復讐を誓ってテロを計画するという物語だが、そこにもカシミール情勢の複雑さが垣間見える。インド映画特有の踊りと音楽が取り入れられたアクション作品だが、登場人物の出自や立場をカシミール情勢と重ねて考えることで、また違った見方ができる作品でもある。
 今回の5金スペシャルで取り上げたもう1つの映画は、パレスチナ人ラッパーの活動を取り上げたドキュメンタリー映画『自由と壁とヒップホップ』だ。パレスチナ人ヒップホップグループ「DAM」が、パレスチナ特有の困難や制約の中で活動する姿を追ったこの作品は、イスラエルとの対立構図だけではなく、パレスチナ人同士にも存在する互いの遠慮や差別、世代間の考え方の違いなどパレスチナ社会が抱える問題が描かれている。パレスチナ情勢は現在も短期間の停戦をはさみながら、イスラエル軍による空爆や、パレスチナ過激派によるテロが繰り返されているが、もはやユダヤ教とイスラム教の宗教対立という視点からだけでは捉えきれない複雑さが存在し、カシミールと同様に解決の糸口を見出すことが困難になっている。
 その他、世界にはカシミールやパレスチナのような地域紛争が無数にある。冷戦が終わり、より豊かな世界が実現するはずだった21世紀になっても、紛争は一向に減らないばかりか、ますます増え続けている。なぜ紛争はなくならないのか。冷戦というイデオロギー対立が終結した今、世界の紛争の根本にあるものは何なのか。ゲストの伊勢崎賢治氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

災害と原発・自分の身を守るための避難を考える

(第699回 放送日 2014年09月06日 PART1:54分 PART2:58分)
ゲスト:関谷直也氏(東京大学大学院特任准教授)

 福島の反省は活かされているのか。今回は避難について考えてみたい。
 8月20日に広島市を襲った豪雨と土砂災害は多くの犠牲者を出した。広島市による避難指示の遅れが批判を受けているようだが、仮に土砂災害が発生する前に避難勧告が出ていたとしても、深夜の豪雨の中で避難が現実的に可能だったかと言えば、疑問が残る。その一方で、今回被災した地域は過去にもたびたび土砂災害が発生したという。地域住民の間では、そこが警戒を要する危険な区域であるという認識が必ずしも高くなかったことが報道されているが、中には雨が強くなることを予想して、あらかじめ自宅の2階に避難していて危うく難を逃れた人や、家の中の崖とは反対側の部屋に移動して助かった人も多かったという。防災における自治体の責任は重大だが、それと同時に、それぞれ個々人が危機意識を持ち、自分の身を守るために自分にできることは自分でやるという姿勢も必要だろう。
 一方、原発の状況に目をやると、安倍政権は原発の再稼動に向けた準備を着々と進め、既に原子力規制委員会は九州電力川内原子力発電所の再稼動にお墨付きを与えている。同意が必要となる立地自治体の鹿児島県や薩摩川内市も、「安全性が確認されれば」という前提つきながら、停滞する地元経済への好影響という期待感もあって再稼動にはいたって前向きなようだ。
 しかし、原発再稼働の前に立ちはだかるのが避難計画だ。福島原発事故の教訓として、避難計画の策定が義務づけられる対象自治体が、以前の原発から10キロ圏から30キロ圏に拡大された。原発の再稼働には立地都道府県と立地自治体の合意だけが必要とされている点は事故以前と変わっていないが、30キロ圏内の自治体も避難計画を作らなければならない。原発から30キロ圏内には多くの自治体が存在し、そのすべてに避難計画の策定が義務づけられているため、今後、川内原発の再稼働のためには周辺避難計画が大きな争点となることが予想されている。
 しかし、原子力規制委員会は原子力施設の技術的な安全性は審査するが、住民の避難計画は審査をしないことを、田中俊一委員長も明言している。周辺自治体による避難計画の策定が原発再稼働の前提となっている上に、福島でも避難計画が機能しなかったことが多くの周辺住民を苦しめたことがわかっているにもかかわらず、避難計画の中身を評価したり審査する仕組みが存在しないのだ。逆に言えば、対象となる自治体が何でもいいからとりあえず避難計画を作りさえすればいい、ということになっているとも言える。
 どうもわれわれは、非常時にも機能する避難計画を作ることが、いたって苦手なようだ。
 福島事故を調査した国会事故調査委員会は、報告書で原子力災害に対する「想定不足」「情報不足」「責任の所在が不明確」などと厳しく批判している。そもそも避難計画が不備だった上、それを無視した避難を行ったことで、20~30キロ圏の住民はライフラインが寸断され、生活に必要な物資が供給されないまま長期屋内退避を強いられた挙句の果てに、「自主避難」という形で被災地域から追い出されてしまった。中には5回も避難所を転々とさせられた住民もいたという。
 こうした福島原発事故の教訓は生きているのだろうか。川内原発の立地する薩摩川内市の避難計画では自動車の乗り合いで避難するための集合場所や避難経路などが記載されているが、実際にそのルートを歩いてみると、海沿いの一本道が避難路に指定されているなど、机上の空論の感が否めない。原発事故が大地震による津波などに起因する可能性が高いのに、海沿いの道を通って避難をしろというのだ。
 災害の際の避難行動や防災計画に詳しい東京大学特任准教授の関谷直也氏は「避難ルートが無いのであれば、新たに道路を造るなど整備するしかない。それが避難行動だ」と指摘するが、残念ながら立地自治体にそこまでの覚悟があるようには見えない。また、特別養護老人ホームの入所者や入院患者らは逃げたくてもそう簡単に動かせない事情を抱えている場合が多く、屋内にとどまっているほうが合理的なケースも考えられるが、待避している期間の食料や水をどうするのか、入所者や患者の世話をする関係者はどうするのかなどの現実的な問題は、いずれも想定されているようには見えない。このような避難計画で、いざというときにわれわれは自らの身を守ることができるのだろうか。
 福島原発事故からまだ3年あまりしか経っていない。にもかかわらず、避難計画もいい加減なままで、われわれは原発の再稼働を許すのだろうか。福島の教訓とは何だったのかを、今あらためてゲストの関谷直也氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

スコットランドの独立が問う新しい国のカタチ

(第700回 放送日 2014年09月13日 PART1:52分 PART2:45分)
ゲスト:宮島喬氏(お茶の水女子大学名誉教授)

 スコットランドで9月18日、大英帝国からの分離独立を決める住民投票が実施される。1年前は反対派が多数を占め、まだ夢物語の感が強かったスコットランドの分離独立運動だが、投票日を1週間後に控えた世論調査では、僅かながら独立賛成派が反対派を上回ったという。ここに来て、スコットランドという新しい国が誕生する可能性が、俄然現実味を帯びてきている。
 スコットランドは1707年にイギリスと議会を統合して以来300年以上にわたって大英帝国の一員として近代史の中心を歩んできたが、主にケルト民族から成るスコットランドでは、アングロサクソン民族のイギリスに支配されてきたとの思いが根強い。とはいえ、スコットランドは18世紀後半からの産業革命以降、造船などの重工業が栄え、戦後はイギリス労働党の「ゆりかごから墓場まで」で知られる手厚い社会保障の恩恵にも浴してきた。
 お茶の水女子大学名誉教授で、特にヨーロッパ社会を研究しているゲストの宮島喬氏は、サッチャー政権の成立以降、イギリスの中央政府が労働党政権から保守党政権に代わったことで、労働党が多数を占めるスコットランドでは不満がたまっていたと解説する。スコットランドは1999年に約300年ぶりに独自の議会を復活させ、大幅に自治権の拡大を勝ち取るなど、イギリスからは徐々に距離を置き始めていた。その後、独立を問う住民投票の実施を公約したスコットランド国民党(SNP)が、スコットランド議会で過半数を獲得し、イギリス政府も住民投票を認めたために、いよいよ独立を問う住民投票が現実のものとなった。
 しかし、今回のスコットランドの独立の動きを、単なるイギリスからの分離・独立運動として理解すべきではないと、宮島氏は言う。ヨーロッパがEUによって統合される中、スコットランドは既ににEUにオブザーバーとして参加するほか、イギリス政府の頭越しに、EUから産業育成や地域活性化の補助金を受け取っているという。スコットランドの独立には、EUという、イギリスという一国家よりも大きな枠組みの存在が前提にあり、独立後、EUに加盟すれば、独立前とそう変わらない日常が送れるのではないかという見込みと期待がスコットランドにはある。
 これに対して英国中央政府は当然反対の立場だ。スコットランドの人口約520万人はイギリス全体の約8.5%を占め、GDPも約8%にのぼる。確かに大国ではないが、低迷を続けるイギリスにとっては、その分だけ国の縮小を意味する。スコットランドの独立推進派は、独立後も通貨として英国ポンドを使用すると主張しているが、イギリス側はこれを認めない方針を仄めかしたり、EUへの加盟を認めないなど、独立を阻止するためには脅しとも取れる強硬な姿勢さえ見せている。
 またEUも複雑な立場にある。EU内にはスコットランドの他にも、スペインのカタルーニャ地方やバスク地方、ベルギーは南部と北部など、国家からの分離・独立を要求している地域が多く存在する。スコットランドの独立が認められ、独立国としてすんなりとEUへの加盟が認められるようなことがあれば、そうした地域の独立の動きにも拍車がかかることは目に見えている。
 しかし、元々現在の国境線は、列強支配から冷戦構造に至る政治力学の下での産物という側面が多分にあり、世界には自分たちがより強い国に力で統合されているという被害者意識を持っている。しかし、同時にスコットランドのように、強い国の一部になっておくことで、他の国からの支配から逃れられたり、強い国の経済力の恩恵に浴することができる時代も長く続いていた、しかし、冷戦が終わると同時にグローバル化が進み、人、カネ、物の移動がより自由になればなる一方で、強い国が社会保障などの面で自分たちの面倒を見るだけの力がなくなってきた今、大国の傘下で被支配民族の座に甘んじ続けることのメリットが小さくなってきたことも事実だ。
 宮島氏は独立運動が起きている地域では、地域内で支持される政治勢力が、中央では少数派となり、自分たちの意志が通りにくくなっていることへの不満があると指摘する。また、EUな自由貿易圏などのより大きな枠組みがあれば、大きな国家から離脱することのディメリットも最小限に抑えられる可能性が高くなってきた。それがEU圏のみならず、カナダのケベックやインドのカシミールなどでも独立機運が高まっている背景にあると見ることもできそうだ。
 一方、現実的な独立運動に繋がるかどうかまだ未知数ではあるが、沖縄はまさに自分たちの主張と中央政府の政策の矛盾に晒されている典型的な地域と見ることができる。宮島氏は、分離独立運動で重要になるのが地域の交渉力だという。「日本の地域は、まだ国家への忠誠と自らのアイデンティティに引き裂かれているが、欧州では、地域が国家と交渉し、契約するという意識が強い」と言う。絶えず、中央に異議申し立てを行い、条件を提示し、交渉するという姿勢を地方は、見せ続ける必要があるという。
 スコットランドの独立運動が問題提起している既存の国家という枠組みの限界をわれわれはどう考えればいいのか。冷戦が終わり、グローバル化が進む中、国家というものの持つ意味や役割はどう変わるのか。ゲストの宮島喬氏とともにジャーナリストの神保哲生と宮台真司が議論した。

 

vol.68(681~690回収録)

DVDを購入
CDを購入

新国立競技場は本当に必要なのか

(第681回 放送日 2014年5月3日 PART1:58分 PART2:54分)
ゲスト:森山高至氏(建築家・建築エコノミスト)

 東京のど真ん中にまるで宇宙からUFOが舞い降りてきたような風貌の巨大なスタジアムを建造するプロジェクトが、静かに進んでいる。
 これは東京での開催が決まった2020年のオリンピック・パラリンピックのために、東京千駄ヶ谷近くの新宿区霞ヶ丘町にある国立競技場を解体し、そこに新たなスタジアムを建てようというもの。国立競技場を運営する日本スポーツ振興センター(JSC)が、オリンピックを招致する過程で、東京大会の目玉の一つとしてぶち上げたもので、デザインコンペを経てイラク出身のイギリス人建築家ザハ・ハディド氏のデザインを採用することが決定している。
 ところが、まだ招致の段階でアドバルーンのように、しかも拙速にぶち上げた計画だったこともあり、いざ建設しようかという段階にきて、さまざまな問題が噴出している。
 まず、当初1500億円と見積もられていた建設費が一時は3000億円に膨れあがり、それがまた1700億円に縮むなど、そもそも計画の中身自体がデタラメなのではないかといった懸念が生じている。今年7月には現在の競技場の解体工事が始まるというのに、4月末の段階で新競技場の仕様や費用がまだ固まっていないという有様だ。当然、費用の方も最終的にどうなるかわかったものではない。
 しかも、そのデザインがまた奇抜さを極めている。コンペの結果選ばれた「脱構築」で有名なハディド氏のデザインは流線型のUFOが突如として舞い降りてきたかのような風貌で、東京大会の組織委員会会長でもある森喜朗元首相をして、「生のカキをドロッと出した感じのデザイン」と言わしめるような、かなり近未来的なデザインとなっている。
 また、デザインの奇抜さもさることながら、スタジアムの規模が現在の競技場と比べてもはるかに巨大になる点も懸念材料となっている。新スタジアムの屋根の高さは、現在の国立競技場の照明塔の56メートルを遙かに超える約70メートルに及ぶほか、デザインでは現在樹木が植わっている競技場周囲のエリアも丸ごとスタジアムの中に取り込まれている。神宮球場や千駄ヶ谷側からスタジアム方面を見ると、目の前に巨大な壁がそびえ立っているような状態になることが予想されている。
 そもそも「神宮の杜」として親しまれてきた国立競技場周辺は神宮外苑の風致地区に指定されていて、近隣に明治神宮を始め、聖徳記念絵画館、新宿御苑など歴史的な施設も多く、これまで建築家たちが苦心しながら景観を維持してきた地域だった。そこにこのような巨大で近未来的な建造物が建てば、神宮外苑の景観が根本から変わってしまうことは明らかだ。
 このプロジェクトに対してはまず、著名な建築家らから反対の声が上がった。建築家の槙文彦氏が日本建築家協会の機関誌に建設に反対する論文を寄稿したのを皮切りに、多くの建築家や学者らが反対の声を挙げ始めていた。しかし、今後五輪関連の取材で不利になることを恐れたかどうかは定かではないが、今のところマスメディアは総じてこの新国立競技場問題を熱心に取り上げていないため、少なくとも現時点でこの問題が国民的な関心事になっているとは言えない状態にある。
 プロジェクトに反対する建築家の一人でゲストの森山高至氏は、計画の中身もさることながら、プロジェクトの進め方やこのデザインに決まった経緯などに根本的な問題があると指摘する。そもそもなぜ景観の問題などが事前に十分に議論されないまま、このような保存されるべき価値のある地区に巨大なスタジアムを建設する計画が進んでいるのか。国を挙げた五輪招致のかけ声の前に、実際の計画の中身の妥当性などが精査されないまま計画だけが進んでいることが問題だと森山氏は言う。
 さらに今回の競技場新設に便乗するかのように、東京都は神宮外苑地区全体の再開発を目論んでいるのではないかという疑いが出てきている。東京都は独自にその地域の環境アセスメント(環境影響度調査)を行っているが、その調査対象に指定されたエリアは競技場の建設予定エリアを大きく越え、外苑の絵画館周辺から青山通りに至るまでの外苑地域全体がアセスの対象となっている。競技場建設に便乗して、周辺一帯の再開発を目論んでいる疑いがあると森山氏は言う。五輪招致という国をあげての大プロジェクトの陰で、意味不明の利権漁りが続々と起きているようにも見える。
 森山氏はそもそも国立競技場を建て直す必要があるのか、と疑問を呈する。五輪開催に際して新しい競技場が必要になる根拠として、観客8万人を収容できることと、陸上のサブトラックが備わっていなければならないことの2点があげられているが、その程度であれば現行の施設を改修し、競技場内の空きスペースを利用することで十分対応が可能だと森山氏は言う。それが可能であれば、コスト面でも新築の半分以下の費用で済む上に、外苑地区の景観を壊す心配もなくなる。
 五輪招致のお祭り騒ぎの陰で静かに進んでいた新国立競技場建設問題とは何か。そもそも新国立競技場は本当に必要なのか。住民参加のないまま無意味な開発プロジェクトが進んでいく現状に対して、われわれは何ができるのか。ゲストの森山高至氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

TPPの背後にある新自由主義とどう向き合うか

(第682回 放送日 2014年05月10日 PART1:1時間4分 PART2:56分)
ゲスト:萩原伸次郎氏(横浜国立大学名誉教授)

 アメリカは一体日本をどうしたいのだろうか。
   TPPの日米協議が難航し、久々の日米貿易摩擦らしきものが表面化している。日米間の貿易摩擦が激化した80年~90年代のそれと比べるべくもないほど静かなものだが、今回は交渉の内容が基本的に非公開とされ外野は黙って静かに状況を見守るしかない中で、近年になく日本の経済や社会制度にまで踏み込んだ交渉が行われているようだ。
   マスメディアは日本が聖域とした5品目の取り扱いや関税の税率など個別分野にばかり注目する傾向があるが、そうした報道からは過去の日米構造協議や日米包括協議などの日米交渉において、日本の社会や市民生活が大きな質的変化を強いられたことへの認識は微塵も感じられない。結果的に、仮にTPPが目指す関税の原則全面撤廃が行われた時、日本の社会がどう変質するかについては、まだ十分に検証されたとは言えないのではないか。
   TPPとは環太平洋地域諸国による自由貿易体制の構築を目指す国際的な枠組みのことであり、自由貿易を標榜している以上、関税や非関税障壁の撤廃を原則とした統一の自由化ルールを前提としている。とはいえ、日米両国のGDPがTPP交渉に参加する全12カ国のGDPの8割を占めていることから、TPPは実質的に日米自由貿易協定の色彩が濃い。
   戦後の日本の復興そして経済成長は、特に貿易面で製品の輸出に負うところが多かった。しかし、1970年代以降、日本が経済大国に成長する間、アメリカ経済は苦境に陥り、日本の経常黒字、とりわけ対米貿易赤字が日米間の大きな懸案となった。1981年にアメリカでレーガン政権が誕生し、1930年代のニューディール政策から続いてきたケインジアン的な再配分政策から、レーガノミクスと呼ばれる新自由主義的な政策への転換を図ると、貿易交渉におけるアメリカの対日要求も次第に日本に対して新自由主義政策への転換を求めるようなものに変質していった。日本でアメリカ製の商品が売れないのは、単に関税のような目に見える障壁だけではなく、日本独特の商習慣や消費習慣、ひいては独特のライフスタイルといった非関税障壁にその原因があり、貿易不均衡を解消するためには日本はそれを変えなければならないという主張だった。しかもアメリカは、そうした日本の伝統的な商習慣や社会制度が、日本の消費者利益に適っていないという論理を展開した。
   アメリカの通商政策や国際貿易問題に詳しい横浜国立大学の萩原伸次郎名誉教授は、「TPPは第3の構造改革」になると指摘する。TPPは単に関税などの貿易障壁の撤廃を求めるだけにとどまらず、自由貿易に代表される新自由主義的な価値観やそれを前提とした経済・社会制度の変質まで迫るものになる可能性が高いからだ。橋本政権の「行財政改革」と「日本版金融ビッグバン」を第一、小泉構造改革を第二の構造改革とした時、TPPが三番目の、そして日本の構造改革の総仕上げの意味を持つものになる。
   経済成長を遂げ、貿易黒字を貯め込むようになった日本は、1980年代以降、中曽根政権の土光臨調や前川リポートなどを通じて構造改革を進めてきた。1980年代以降の日本の大きな制度改革の背後には、決まってアメリカの要請があった。1990年代に入ると、アメリカから毎年年次改革要望書なる書面が届くようになり、日本の改革はほぼその要望書に沿って行われてきたといっても過言ではない。
   こうして見ていくと、70年から80年代に日本の経済的台頭を許したアメリカは、日本の経常黒字や消費者利益といった正義をかざしながら、自国利益を追求するために厳しく、そして着実に日本を新自由主義陣営に引き込み、アメリカ製の商品が買われやすい状況を作ろうと努めてきた。しかし、にもかかわらず、アメリカ商品は依然として日本では必ずしも売れているとは言えない。無理矢理大店法を撤廃させ、日本中にシャッター通りを作っておきながら、アメリカの大型店舗はほとんど日本に入ってきていない。むしろ、イオンやイトーヨーカドーなどが郊外に大店舗を出すことで、もっぱら漁夫の利を得ている状態に見える。
   しかし、アメリカが自国の利益を追求しようとするのは当たり前のことだ。それに日本がどう対応してきたかに問題がある。やや手遅れの感もあるが、日本がアメリカの要求を呑むなかで自国の「社会的共通資本」を自ら壊してきたことを今改めて再認識し、譲るべきものと守るべきものを峻別できるようにならなければ、やがて日本は日本でなくなってしまいかねない。
   アメリカは日本をどうしたいのか。われわれはアメリカの要求の背後にある新自由主義や自由貿易とどう向き合うべきなのか。それに従っていれば日本は幸せになるのか。日米繊維交渉からTPP問題にいたる日米貿易交渉の歴史を振り返りながら、ゲストの萩原伸次郎氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が日本が得たものと失ったものを議論した。

攻撃されなくても武力を使える国に日本を変えるのか

(第683回 放送日 2014年05月17日 PART1:51分 PART2:52分)
ゲスト:青井未帆氏(学習院大学法科大学院教授)

 安倍首相は5月15日の記者会見で、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈変更の検討に入る意思を表明した。これは首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の同日付の提言を受けたものだった。
 首相のお友達集団を揶揄されるなど、元々首相に近く、もとより集団的自衛権行使に積極的な学者や元官僚らから成る安保法制懇は、従来、日本国憲法の枠内とされてきた自衛のための「必要最小限度」の実力行使の中に集団的自衛権の行使も含まれるという新たな解釈を示し、その行使も認めるべきなどと提言していた。形式的には安倍首相がその提言を受け入れる形をとっているが、そもそも安保法制懇自体が首相の私的アドバイザーの集まりであり、その人選は首相の意に沿って行われている。私的アドバイザー集団が首相の思いを実現するための提言を出したと考えるのが妥当だろう。
 しかし、それにしても戦後の方向性を根底から変えるといっても過言ではない過激な提言が、何の法的根拠もない首相の私的アドバイザーから出され、ただちに首相が記者会見でその受け入れを発表する。そして、首相が選んだ閣僚からなる閣議においてそれが閣議決定されれば、事実上の憲法改正を意味する日本の安全保障の基本的枠組みができてしまうというのは、あまりに安直に過ぎないか。今、日本が、戦後70年かけて脈々と築いてきた平和国家としての「戦後実績」の方向性を根底から変えようとしていることは、厳しく認識しておく必要があるだろう。
 ただし、正当な手続きに則り憲法を改正するのならまだわかる。しかし、今回の「解釈改憲」と銘打った事実上の改憲は、解釈改憲という姑息な「裏口入学」を使っているが故に、国会や国民が参加する余地がほとんどない。しかも、十分なチェックが入らないために、今どうしても憲法解釈を変えなければならない理由やその政策意図がはっきりしないところが問題なのだ。
 会見で安倍総理はパネルを使いながら、「在外邦人を移送する米艦艇の警護」や「PKO活動中のNPOらに対する駆け付け警護」のケースを例に取り、「このような場合でも、日本人自身が攻撃を受けていなければ、日本人が乗っているこの米国の船を、日本の自衛隊は守ることができない」「一緒に平和構築のために自衛隊とともに汗を流している他国の部隊から『救助してもらいたい』と連絡を受けても、日本の自衛隊は彼を見捨てるしかない。これが現実なんです」などと、身振り手振りを加えながら憲法解釈の変更の必要性を訴えた。用意されたパネルにも、米国艦船に日本人の老人や子どもが乗っている絵が描かれるなど、明らかに解釈改憲への理解を国民の情緒に訴えることで得ようとしていることは明らかだった。
 しかし、学習院大学教授で憲法学者の青井未帆氏は首相が示した米艦艇の警護や駆け付け警護が、果たして集団的自衛権の行使と言えるものなのかについて疑問を呈する。日本人が乗船している艦艇が他国からの攻撃を受ければ、それがどこの国の船であっても日本は武力を用いてもそれを守る権利がある。集団的自衛権を持ち出すまでもなく、個別的自衛権の範囲内で十分対応できるものだ。
 そもそも、自国が攻撃を受けた場合にのみ武力行使を認める個別的自衛権に対して、集団的自衛権とは「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」と定義される。これは日本が戦後一貫して守ってきた専守防衛の考え方とは根本的に異なる。自国が攻撃を受けた場合にのみ最小限度の武力の使用を認める専守防衛は、日本国憲法第9条によって武力行使が基本的に禁じられている中での、最低限の自衛権と解釈されてきた。そして、具体的には日本における自衛権の発動には(1)我が国に対する急迫不正の侵害があること(2)これを排除するために他の適当な手段がないこと(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、という3要件が課せられてきた。
 ところが今回、自衛のための「必要最小限度」の中に集団的自衛権の行使も含まれるという斬新な解釈が有識者から出され、首相がそれを受け入れる意思を発表してしまった。これによって武力行使の条件も変わり、事実上日本の武力行使には歯止めがなくなってしまったことになる。首相は実際には個別的自衛権でも対応できるような事例を引き合いに出しながら、わざわざ挿絵まで用意して情緒的な言葉を駆使し、個別・集団の一線を越える必要性を訴える。しかし、それは憲法解釈の変更さえ認めてもらえれば、実際には安倍政権としてはその程度のことしかやる意思はありませんという意思表示なのか、それとも、あえて些細な事例を出すことで、実際に日本が武力を使って何でもできるようになるという事実を覆い隠そうとしているのか、その真意は定かではない。
 青井氏は首相会見における解釈改憲の意思表明によって、日本には安全保障政策の枠を大きく超えた新たな危機的局面が生まれつつあるのではないかと警鐘を鳴らす。これまで日本の立憲主義を支えてきた、政府内部における内閣法制局の法解釈とその権威性が地に墜ち、従来のような固定化した静態的(スタティック)な法解釈に代わって、法解釈の多元性や複数の解釈を認めようという動態的(ダイナミック)な法秩序が出現する兆候が感じられると青井氏はいう。その善し悪しは議論のあるところだが、そのような変化が避けられないのであれば、われわれはこうした新たな事態に対応するため、国会や裁判所の機能強化を含む、これまでとは異なる法秩序安定化のメカニズムを急いで構築する必要があるのではないかと青井氏は指摘する。
 従来の法解釈でも十分に対応できる事例を引きながら、憲法解釈の変更に並々ならぬ強い意思表示をして見せる安倍首相の真意は誰にもわからない。しかし、その真意が何であろうが、その影響は安全保障分野にとどまらず、われわれの生活全般に及ぶ可能性がある。安全保障政策は国家の根幹を成すものと言われて久しいが、それ故にそこにおける政治文化の変更は当然、他の国民生活のあらゆる分野に波及していく。その事の影響もわれわれはしっかりと見極めなければならないだろう。
 個別的自衛権か集団的自衛権かの矮小化された議論を超え、これから日本はどうするべきなのか、安倍首相の考える方向性で日本は本当にいいのかなどを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司がゲストの青井未帆氏とともに議論した。

これでは取り調べの可視化が進むわけがない

(第684回 放送日 2014年05月24日 PART1:55分 PART2:44分)
ゲスト:周防正行氏(映画監督)

 海外から「中世」とまで揶揄される日本の刑事司法制度の改革が、遅々として進みそうにない。
 検察の無理な捜査や人権を無視した長期の勾留が指摘された遠隔操作ウイルス事件は、被告の全面自供によって、事件そのものは全く新たな段階に入っている。しかし、今回のように警察や検察が白羽の矢を立てた被疑者が結果的に真犯人だったとしても、不当な刑事手続きが許されるわけではない。仮に今回は警察・検察の見立てが当っていたとしても、次はその見立てが間違っているかもしれない。そして、問題のある捜査によって無実の人間が犯人に仕立て上げられる危険性があることに全く変わりはない。
 日本の刑事制度が「中世」とまで批判されるのは、端的に言えば冤罪を防ぐためのチェック機能が余りに弱いからだ。起訴前の23日間の長期勾留とその間代用監獄という劣悪な環境下に置かれての時間無制限の取り調べ。弁護士も立ち会えず録音・録画もされていない密室の取り調べでは、被疑者が実際に話した内容と大きく異なる供述調書が作成され、それにサインを求められる。サインをすれば釈放されるが、しなければずっと勾留が続くという人質司法だ。そしてその間マスメディアを通じた捜査情報や嘘情報のリーク等々によって、既に被疑者の社会的な地位や信用は地に墜ちる。本来であれば被疑者に有利な証言をしてくれるはずの証人たちも、被疑者を犯人扱いするリーク報道を見て次々と証言を翻してしまう。
 そして、ごく希に、それでも被疑者が無実を訴え続ける気力を持ち続けることができた場合、起訴前の23日間勾留が終わった後も証拠隠滅の恐れがあるなどの理由で勾留され続け、しかも裁判では起訴された事件の99.98%が有罪になるという現実が待っている。下手に無実を訴え続けると、反省が見られないなどの理由で刑罰がより重くなるなど、一旦日本の刑事司法制度の標的になると、実際に犯行を行っていてもいなくても、罪を認めてしまった方が遙かに被疑者にメリットがあるというあり得ないような人権を無視した制度がまかり通っている。そして、このような制度の欠陥をあざ笑うかのように、特に近年になって冤罪事件が相次いでいるという現実がある。
 ところが、この刑事制度を何とかしなければとの理由で組織された有識者会議『法制審議会・新時代の刑事司法制度特別部会』では、実質的な改革の議論が遅々として進んでいない。先月部会の事務局を務める法務省から出された「試案」によると、刑事事件全体の2%程度に過ぎない裁判員裁判事件のみを録音録画の対象とし、しかも検察官の判断でいつでも録画を中止できるなどという、常識外れの提案が真剣に議論されているという。そもそもこの特別部会は、現厚労事務次官の村木厚子氏を誤って起訴した郵便不正事件で、事件を担当した大阪地検特捜部の検事が証拠をねつ造して逮捕・起訴されるという衝撃的な事件を受けて、刑事司法制度を根本から改革する必要があるとの認識の下に設置されたものだった。
 しかし、その特別部会は、委員25人中、17人が法曹・法務関係者からなり、実際の委員ではないものの会議に出席している「幹事」や「関係官」なる役職まで含めると総勢42人のうち31人が法曹・法務関係者、さらに警察関係者も含めると35人を占めるという、いわば法曹ムラの住人が圧倒的多数を占めているものだ。中でも特に警察関係者や検察関係者が多いため、可視化や証拠開示によって実際に影響を受けることになる利害当事者自身が、新しいルールの決定に関与し、それを主導するという、あり得ないような利益相反に陥っているのだ。
 法曹界の部外者という圧倒的少数派の一人として特別部会の委員を務める映画監督の周防正行氏は、痴漢えん罪事件を描いた2007年の映画「それでもボクはやってない」で、日本の刑事司法制度の常軌を逸した後進性や閉鎖性を厳しくあぶり出している。その周防氏や同じく特別部会の委員を務める村木厚子氏ら5人が、取り調べの可視化などを求めて意見書を提出しているが、如何せん特別部会内では法曹界や法曹出身者、警察・検察関係者らが圧倒的多数を占めているため、現在の捜査手法や考え方を変えることに消極的な議論しか出てこないと周防氏は言う。
 捜査当局が独占している関係証拠の全面開示に関しても、周防氏は「部会では『事前に被告人に証拠を全面開示すると、全てに矛盾のない言い訳をするからダメだ』という信じがたい理由で却下された」という。常識的に考えると全ての証拠に矛盾のない供述が出来れば、それはイコール無実の証明になるはずだが、日本の刑事司法においてはそのような常識は通用しない。周防氏によると、そもそも現在の刑事司法制度に問題があるという認識がない人たちが有識者会議の多数を占めているため、とてもではないが実効性のある改革案が出てくることが期待できる状況にはないという。
 これまで日本では、近代司法の大前提である推定無罪の原則が確立されておらず、「疑わしきは罰せよ」という推定有罪の前提で刑事司法が運用されてきたと言っていいだろう。しかしこれは、「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜を罰するなかれ」ではなく、「100人の真犯人を罰せれば1人の無辜を罰するくらいはやむを得ない」という考えをわれわれ自身が受け入れてきたことになる。周防氏は、正に法曹界の刑事関係者はそう考えているようだと言うが、それをわれわれ市民やマスメディアも容認してきたことは否めない。実際に周防氏は今回の特別部会の関係者から「それは分かりますが、それでも真犯人は逃すことは出来ないんです」との言葉を返されたことがあると証言する。
 周防氏は警察・検察がこれまでの捜査の方法を変えたくないがために、可視化や証拠開示に反対しているとの見方を示すが、逆の見方をすれば新しい捜査方法を取り入れようとしないために、いつまで経っても可視化が進まないということも言える。
 民主主義制度のもとでは、刑事事件の捜査こそが統治権力における暴力的な権力が最も顕著に現れる場となる。そこで統治権力の横暴を自在に許しているということは、われわれ日本人がいかに統治権力の暴走リスクに無頓着であるかの証左と言っても過言ではない。そして、このことは刑事司法にとどまらず、他の分野でもわれわれが基本的人権をどう守り、統治権力をいかにして監視しているかの反映となる。言わずもがなだが、社会にとって警察や司法制度がきちんと機能することが重要だからこそ、公正な制度を構築する必要があるのだ。
 これだけ問題が表面化していながら、なぜ日本の刑事制度改革は進まないのか。その結果、われわれの社会はどのような影響を受けているのかなどを、ゲストの周防正行氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
映画は歴史的悲劇をどう描いたのか

(第685回 放送日 2014年05月31日 PART1:1時間16分 PART2:1時間1分)
ゲスト:倉沢愛子氏(慶應義塾大学名誉教授)
吉田未穂氏(シネマアフリカ代表)

5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。今回の5金では世界で起きた虐殺の悲劇を描いた映画を取り上げる。
 最初に取り上げたのは、いま話題のドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』。この映画ではインドネシアで1965年に起きた「9.30事件」の虐殺当事者が登場する。
 「9.30事件」とは、クーデター未遂事件に端を発し、その後3年間にも及ぶ共産主義者の大虐殺を指す。あるクーデター未遂事件をきっかけに共産主義に寛容だった当時のスカルノ大統領が失脚し、代わって実権を握り第2代大統領の座に就くスハルト少将(当時)の下で、民兵組織や一般市民による凄惨な共産主義者への迫害が行われた。少なくても50万人、一説によると300万人もの共産主義者やその疑いをかけられた市民が虐殺されたとされる。当時インドネシアには350万人もの党員を抱える合法的なインドネシア共産党があったが、共産主義者は神を信じない輩として、イスラム教徒が多数を占めるインドネシアではそれを殺害することが正当化されていた。
 映画『アクト・オブ・キリング』にはその虐殺を直接に行った民兵組織やならず者たち自らが登場し、当時の虐殺の様子を誇らしげに証言する。ジョシュア・オッペンハイマー監督が彼らに当時の様子を再現するような映画を製作してみてはどうかと提案し、実際に撮影が進行していく様子をドキュメンタリーとしてカメラにおさめていったのがこの作品だ。
 当初、映画の前半では自ら1000人の共産主義者を殺したと胸を張るアンワル・コンゴらに虐殺や拷問に対する罪の意識は微塵も見られない。しかし、映画で虐殺や拷問のシーンを撮影するうちに、彼らの中にも被害者の視座が芽生えてくる。そして、映画の終盤でこれまで撮影した映画のシーンを見直す場面では、映画の前半では考えられなかったような驚くべき反応を彼らが見せるようになる。
 虐殺があったのは1965年。ほぼ50年前の話だ。しかし、インドネシアの歴史や社会情勢に詳しい慶應大学名誉教授の倉沢愛子氏は現在のインドネシア国内でも、依然として1965年の虐殺は正当化されているという。「当時の殺人者全員がとは言わないが、ほとんどの虐殺当事者は、自分が行った蛮行をまったく悔いていない」と話す。
 映画では、アンワルらがインドネシア国営放送に出演するシーンが登場するが、番組のアナウンサーは彼らの虐殺を咎めるどころか、むしろ賛美するかのように応対する。倉沢氏は「インドネシア国内では共産主義者というレッテルを貼られることが何よりも恐ろしいことと考えられている」と解説する。インドネシアでは現在も共産主義者の虐殺を容認したスハルト政権を支えた政治家や官僚らが権力の中枢に大勢残っているため、虐殺の批判や総括は難しいのだと言う。
 また倉沢氏は、当時日本政府もこうした虐殺を知っていたが、知らないふりをして経済的な関係強化のみに傾注していったという対応を批判する。それが虐殺を裏で操っていたとされるスハルト体制を経済的に助けることに繋がり、日本も虐殺や弾圧を支えていたことになるに等しいという。ドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』を通して見える悲劇の実相やインドネシア社会の現状などをゲストの倉沢愛子氏とともに議論した。
 続いて取り上げたのは1994年のルワンダ虐殺を描いた『100DAYS』(邦題:ルワンダ虐殺の100日)。この5月は1994年のルワンダ虐殺からちょうど20年目にあたる。1994年4月6日にルワンダのハビャリマナ大統領が乗った飛行機が撃墜されたのをきっかけに、ルワンダで多数派のフツ族が、少数派のツチ族と穏健派フツ族を手当たり次第に鉈などで殺戮した虐殺事件では約100日間で80万とも、100万とも言われる市民が市民の手によって殺害されたという。
 ルワンダ虐殺を扱った映画は『ルワンダの涙』、『ホテル・ルワンダ』、『四月の残像』などが有名だが、シネマアフリカ代表でアフリカの映画事情などに詳しいゲストの吉田未穂氏は、『100DAYS』こそが、こうしたルワンダ虐殺映画の原型となった作品で、ルワンダ人のプロデューサーが犠牲者の視点から悲劇を描いたものだと言う。映画では、国際社会がいかに無力だったか、頼りにしたキリスト教の教会、神父がいかに犠牲者らを欺いていたかが描き出される。しかし、表現のトーンはあくまでも淡々としていて、それがかえって欧米からみるとセンセーショナルな虐殺の悲劇が、ルワンダ人にとっては当たり前の史実であるという認識の差、受け取り方の温度差を突きつけてくる。
 吉田氏は現在のルワンダ社会は20年前の悲劇を少しずつだが総括しつつあり、女性の社会進出も目覚ましく、首都のキガリには高層タワービルやショッピングモールなども建ちはじめているという。ただ、映画で虐殺者側の視点からあの悲劇を取り上げた作品も出始めているとは言え、インドネシアのケースと同様に、当時の虐殺の当事者がルワンダ社会の中枢に多く残っている今、虐殺のような歴史的な悲劇を総括することは容易ではない。
 今回の5金スペシャルでは、第1部で『アクト・オブ・キリング』を通してインドネシアの「9.30事件」から現在までの実相を、そして第2部では『100DAYS』から見えてくるルワンダ虐殺を取り上げて、それぞれのゲストともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

年金制度に対する根本的な疑問とその解

(第686回 放送日 2014年06月7日 PART1:50分 PART2:46分)
ゲスト:駒村康平氏(慶應義塾大学経済学部教授)

 ロシアによるクリミアの編入に世界が衝撃を受けている。大国が軍事力にものを言わせて小国から領土を分捕るような古典的な力の政治は第二次大戦以来、世界が経験してこなかったものだったからだ。半世紀に及ぶイデオロギー対立を前提とする冷戦と、その後の混沌たるポスト冷戦の時代を経て、世界は再び古い力の政治の時代に舞い戻ろうとしているのか。それともこれはこれまでとは全く異なる新しい世界秩序の始まりなのか。もしそうだとすると、対立の中身は資源なのか、それとも何か別の新しいものなのか。
 2月下旬にウクライナで起きた政変は親ロシアのヤヌコビッチ政権を転覆させ、よりEU寄りの新政権の樹立に向かうかに見えた。 ところがロシアはウクライナの政変そのものに介入するのではなく、実を取りに出た。ロシア人の安全確保という大義名分の下、クリミア半島に軍を派遣し、クリミア自治州をウクライナから離脱させるという力技に打って出たのだ。
 この事態にEU諸国やアメリカなどはロシアによる事実上のクリミア併合であるとして厳しく反発し、さまざまな制裁を行っているが、効果を上げているようには見えない。クリミアのためにロシアと本気で一戦交える気など誰にもないことが明らかだからだ。
 しかし、それにしてもロシアはなぜいきなり力による領土の編入などという思い切った施策に打って出たのだろうか。ロシア問題に詳しい慶應義塾大学准教授の廣瀬陽子氏はクリミア半島にある軍港セバストポリがロシアにとって戦略上非常に重要な意味を持っていたことを強調する。ロシアの領土沿岸部はほとんどが寒冷地であるため、不凍港で黒海経由でアジアやアフリカへの玄関口となるセバストポリはロシアの安全保障上の生命線とも言っていいほどの重要な戦略的意味を持つ。ウクライナに親EU政権が成立し、クリミアにNATO軍の基地ができるような事態をロシアが恐れても不思議はない。
 ロシアが自国の利益を守ろうとするのは当然のことかもしれない。しかし、時は既に冷戦の時代ではない。仮にロシアとEUやアメリカが対立しているとすれば、それは何を根拠とする対立ということになるのだろうか。
 今回のクリミア問題には、国際政治の古くて新しい論争の要素もあると廣瀬氏は指摘する。クリミアはロシア系住民が6割を占める親ロシア地域だ。ロシアとウクライナのどちらかを選ばなければならない住民投票を行えば住民の多数がロシアを選ぶ可能性が高い。実際に、このたび行われた住民投票でも、反ロシア陣営のボイコットなどもあり、投票結果は9割以上がロシア側につくことを選択している。そして、民族自決は国際政治の大原則の一つでもある。しかし、その一方で安倍首相がハーグで「力を背景とする現状変更は認められない」と語ったように、現状維持も国際政治の大原則の一つだ。今回ロシアはクリミア問題では民族自決をその正当性の柱に据えているのに対し、日本を含むアメリカ陣営が現状維持を主張する構図になっている。クリミアの住民投票の正当性はさておき、もし住民の大半がロシアへの編入を真に望んでいるのであれば、単に現状変更だけを理由にそれを妨げることに絶対的な正義があるとは限らないのも事実なのだ。
 今回、宮台真司氏に代わって司会役を務めた国際政治学者の山本達也氏は、「従来の秩序や考え方とは異質の何かがすでに生まれているのではないか」として、その一つの可能性としてあらゆる国で「国家を維持することが難しくなっている」点をあげた。大国意識だの帝国主義的拡張といった大層なものではなく、ロシアをロシアとして維持するためにはクリミアを手放すことができないというのだ。現にクリミア情勢を受けてプーチン大統領の支持率は急騰しているという。
 ロシアによるクリミア編入は国際政治の歴史的な文脈の中でどのような意味を持つのか。これが今後の国際政治の流れの一つの源流を作る可能性はあるのか。そうした中で日本は何を考えなければならないのかなどについてゲストの廣瀬陽子氏、国際政治学者の山本達也氏とともに、ジャーナリストの神保哲生が議論した。

ドイツ・エネルギー倫理委員会報告と日本の原発政策

(第687回 放送日 2014年06月14日 PART1:57分 PART2:51分
ゲスト:山脇直司氏(哲学者・東京大学名誉教授)

 安倍政権が示した原子力規制委員会の人事が6月11日に国会で承認された。5人の原子力規制委員のうち2人の委員を任期切れに伴って交代させる人事だが、その一人田中知氏は一昨年まで原子力推進団体の理事として報酬を得ていたうえに、東京電力系の財団からも4年半にわたって報酬を受けていたという。元々2年前の原子力規制委員会の発足時にも委員の人事をめぐり利益相反が問題視されたが、原発再稼働を目指す安倍政権の下で原子力ムラ復権へ向けた動きがいよいよ露骨になってきている。
 原子力規制委員会は福島原発事故を受けて、原発の安全性を抜本的に見直す目的で新たに組織された国の機関だった。そしてそれは、原子力行政、とりわけその監視機能が原子力の利害当事者である原子力ムラによって則られた結果、あのような未曾有の大事故を未然に防ぐことができなかったという反省の上に立ったものだったはずだ。その規制委に再び原子力の利害当事者を登用するようなことは、そもそも規制委設置法の欠格条項に抵触する疑いがあるばかりか、日本の原子力政策の正当性を根底から揺るがすことは避けられない。
 なぜわれわれ日本人はあれだけの大事故を経験した後もなお、正当性を獲得するために必要となる適正な手続きを取ることができないのだろうか。
 ドイツの脱原発政策については、いろいろな評価があるかもしれない。日本とは条件が異なる面も多い。しかし、少なくとも福島原発事故後のエネルギー政策を決定するためにドイツが採用した「手続き」は日本とは雲泥の差があるもので、お手本にすべき点が多い。
 福島原発事故の後ドイツは技術面のみならず、倫理面からも原発の妥当性を有識者による公開の会議の場で徹底的に議論した上で、最後はメルケル首相の政治的決断によって2022年までの脱原発という決定を下した。中でもメルケル首相が設置した「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」はドイツのエネルギー政策に正当性を与える上でとても重要な役割を果たした。
 この委員会はドイツのエネルギー政策のあるべき形を倫理面から議論するために組織されたもので、哲学や倫理学の専門家の他、宗教家、社会学者、歴史学者、政治家などから構成されている。原子力の専門家やエネルギー業界の利害当事者は含まれていない。委員会は3・11後の2011年4月4日に設置され、5月28日に報告書を取りまとめている。
 その報告書は(1)原子力発電所の安全性が高くても事故は起こりうる。(2)事故が起きると他のどんなエネルギー源よりも危険である。(3)次の世代に廃棄物処理などを残すことは倫理的問題がある。(4)原子力より安全なエネルギー源が存在する。(5)地球温暖化問題もあるので化石燃料を代替として使うことは解決策ではない。(6)再エネ普及とエネルギー効率化政策で原子力を段階的にゼロにしていくことは将来の経済のためにも大きなチャンスとなる、と内容的には至極真っ当なものだが、そこで重要なのが、この委員会がエネルギー政策の決定に倫理的な検討を盛り込んだことにある。
 哲学者で公共倫理の観点から日本の原発問題に対して発言を続けてきた東京大学の山脇直司名誉教授は「当初、脱原発に関して揺らいでいたメルケル首相は、日本ほどのハイテク先進国で福島原発事故が起きたことを目の当たりにして、そのリスクの大きさを再認識した」と話す。報告書は「原子力エネルギーの利用やその終結、そして他のエネルギー生産による代替についての決定は、すべて社会における価値決定にもとづくものであり、これは技術的側面や経済的側面よりも先行する」としていることからも明らかなように、人間の健康や地球環境といった倫理的な価値を技術や経済よりもより優先して考慮されるべきリスクとして提示し、その上で技術や経済的なリスクを吟味して「包括的なリスク評価」の結果として上記のような結論に到達している。
 山脇氏は委員会では、原子力によるリスクは予想も計量も不可能で、技術的・経済的なメリットを考慮に入れたとしても、両者を比較衡量の上そのリスクを相対化することはできないという、いわゆる絶対的拒否が結論の背景にあると解説する。実際、委員会では、公聴会などを通じて原発関係者や科学者らの意見も考慮に入れた上で、最終的な結論に到達していることが見て取れる。
 一方、事故の当事国だった日本はどうか。端から原子力行政の利害当事者を排除できないまま発足した原子力規制委員会の人事は言うに及ばず、汚染水が漏れ続ける中での野田政権による冷温停止状態発言と事故収束宣言、そして安倍政権は臆面もなく原発輸出のトップセールスを続け、事故原因の検証すら不十分との指摘がある中で原発を日本の「ベースロード電源」と位置付けるエネルギー基本計画まで閣議決定してしまった。一体、日本ではどこでそのような結論を出せるだけの議論が行われたというのだろうか。
 これは昨今の集団的自衛権をめぐる議論にも言えることかもしれないが、残念ながら今の日本には重要な政策を決定する際に、倫理や宗教、歴史的な視点まで包含した「熟議」を行い、曲がりなりにも国民的なコンセンサスを得た上で政策を決定していく能力が決定的に欠落しているのではないか。
 山脇氏は日本に公共哲学が根付かない一因として、高等教育のあり方の問題を指摘する。哲学は大学では文学部の一専攻課程に過ぎず、それがすべての学問の前提や基礎をなす学問であるという認識が全く定着していない。経済も科学技術も政治も、それを議論したり研究するためには、その前提となる価値の議論が不可欠だが、日本では「公共」や「倫理」といった価値をすっ飛ばして学問的な知識だけが一人歩きをしているため、いざ原発事故のような有事が勃発しても、然るべき対応を議論する際に倫理的な視点を含めるだけの下地ができていないというのだ。
 2011年に出されたドイツの「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」報告書を参照しながら、倫理的な原子力エネルギーの評価やリスクの認知、比較衡量の考え方と倫理的な対立、公共哲学の役割と機能、倫理本来の在り方などについて、ゲストの山脇直司氏と共にジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

アドラーによる素晴らしい人生を送るためのヒント

(第688回 放送日2014年06月21日 PART1:1時間14分 PART2:49分
ゲスト:岸見一郎氏(哲学者)

 4月にお送りした「あなたが変われないのは実は変わりたくないから?!」に続く岸見一郎氏によるアドラー心理学入門の第2弾。  
 日本でもアドラー心理学は確実に認知されつつあるようだ。アドラー研究の第一人者で哲学者の岸見一郎氏がアドラー心理学の論点を分かりやすく解説している著書『嫌われる勇気』はついに発行部数が30万部を突破し、アマゾンの2014年上半期和書総合部門の第一位に輝いたという。
 アドラー心理学は、現在の自分の存在理由を過去に求める、フロイトなどの精神分析とは一線を画し、いまの自分はこの先の目的のために存在し、かつ行動するという「目的論」の立場を取ることが大きな特徴だ。そのために明確にトラウマを否定し、今自分はどうするのかに集中する。悲しい過去というものは自分が過去のあるできごとに悲しいという評価を与えた結果に過ぎず、今の自分の状態や行動を説明する際にそのような過去を引っ張り出しても何の解決にもならないからだ。
 今回は4月の第1回目の番組での議論を受けて、「課題の分離」というテーマを中心に岸見氏に聞いた。
 アドラーによれば、あらゆる対人関係のトラブルは、他人の課題に土足で踏み込むことから生じるという。適正な人間関係を構築して維持していくためには、自分と他人の領域を峻別する、「課題の分離」という考え方を十分に理解して実践していく必要があると岸見氏は言う。「課題の分離」とは端的に言えば何が誰の課題なのかを明確にするということ。親子関係を例に取ると、勉強をしようとしない子どもに対して「勉強して欲しい」と考えるのはあくまでも親の考えであり、都合である。実際に勉強するのは子どもであるし、しないことで結果を引き受けることになるのも子ども自身であることから、これは子どもの課題に他ならない。子どもの課題であるはずの「勉強をする」という行為を親が「しなさい」とか、「あなたのためを思って言っている」などと介入するのは課題の分離ができていない結果だ。「課題の分離」には、最終的な結末を引き受けるのは誰かという視点が必要で、宿題をしないことで生じる結末を引き受けるのは子どもであり、親がそれを強いたところで、子どもが自分の人生を生きることにはならない。しかも、親に言われて勉強をしているようでは、親に褒められることや親を満足させることが勉強の目的になってしまい、それはむしろ子どもの自立を妨げることになりかねない。
 そもそも「あなたのためを思って言っている」という発想自体が、アドラーが「縦の関係」と呼んでいる上下関係の存在を前提としている。親は賢明だが子どもは未熟で愚かであるという前提だ。そして、アドラー心理学は前提として他者からの承認を求めることを否定し、他人との関係では、縦よりも横の人間関係こそ望ましいとしている。他者からの承認を得ようとする人は、他者の期待を満たそうとして行動するようになり、それが果たされないと不安を感じたり、逆に相手を恨んだりしがちだ。昨今流行のソーシャルメディアで相互承認行為を強要されるような疲れを感じたりするのはそうした一例と言えるかもしれない。また縦の関係とは主従、先輩後輩の関係であり、一方が従属することで責任を放棄し、もう一方は他人の領域に踏み込むことが当たり前だと思ってしまう状態に陥りやすい。こうした関係は結局、責任を誰が引き受けるのかが曖昧になり、誰の課題なのかを意識することもしない、極めて不合理な関係になってしまう。対人関係を縦の関係と捉えて他人を低く見ているからこそ、課題を分離せず、不必要な介入を行い、それが正しいと錯覚してしまう。そうなると、もはや自由な関係性は望むべくもなく、誰の人生を生きているのかさえ分からなくなってしまうのだ。  
 では、横の関係を実現するのはどうしたらいいのか。岸見氏は、課題を分離した上で、相手を評価しないことだと説明する。また岸見氏は「同じではないけれど対等である意識を持つことが重要」と指摘する。親子関係では、親は子どもと同じではない。年齢が違うし、経験の蓄積も、社会的な立場も違う。しかしそれは優劣の問題ではなく、単に「同じではない」に過ぎないという。それが同じではないが対等な人間関係を基にした「共同体意識」にも繋がっていくと説く。  
 アドラー心理学のいう「課題の分離」とは何か。人は対等な関係をどうやって構築すれば良いのか。その先にある「共同体意識」とは何か。アドラー心理学の目指す自由と幸せに生きる考え方について、ゲストの岸見一郎氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

安倍政権は日本をどうしたいのか

(第689回 放送日 2014年06月28日 PART1:1時間11分 PART2:55分)
ゲスト:中野晃一氏(上智大学国際教養学部教授)

 6月22日に閉幕した通常国会では改正法案を含めると100本の法律が可決している。その中には医療や介護制度を大きく変える法律や、電力市場の自由化に関するもの、教育委員会を事実上首長の下に置く教育関連の法律など、ありとあらゆる法律が含まれている。政府が提出した法案の97.5%が成立していることからもわかるように、政治の舞台では弱小の上に内輪揉めを繰り返す野党がほとんど何の抵抗もできない中、安倍政権並びに自民党のやりたい放題がまかり通っている状態だ。
 しかし、今国会で可決した一連の法案の中身を見ると安倍政権の基本路線は明確だ。まずは、財政負担を減らすための切り捨て。特に弱者の切り捨ての比重が大きい。そして民主党政権下で一部切り崩されかけた官僚支配の再強化。その上で、自民党や与党の票田や支持母体となっている既得権益にはほとんど手をつけずに温存するというもの。
 切り捨ての一例としては、今国会で成立した介護の主体の一部を国から市町村に移管するいわゆる地域医療・介護総合推進法に盛り込まれた介護保険法の改正がある。これは、当初は財源をつけて介護保険の一部を地方へ移管する形をとるものの、早い話が介護保険料を取っていても介護コストの急騰に国庫が耐えられなくなったために、それを地方に押しつけると同時に、自己負担比率を引き上げるというもの。
 そもそも介護は家庭ではなく社会の問題であるという理念でスタートしたはずの介護保険制度だが、結局、政府が期待したほど「介護の社会化」は進まず、国庫負担ばかりが増え、今回の事実上の切り捨てとなった。安倍首相はこの法案審議の中の答弁で、「自助」の必要性を訴えているが、これは国にお金がないから、まずは地域でやってもらい、それがダメならあとは自分たちで何とかしてくれという「切り捨て」の論理に他ならない。
 一方、教育の分野では、いじめ事件への対応のまずさから批判の矢面に立たされた教育委員会制度を首長の下に置くことで、むしろ地域の自主性を摘んでしまう方向性が打ち出されている。一見、首長の元でより地域性が発揮できるようにも聞こえるが、教育委員会の問題に詳しい千葉大学名誉教授の新藤宗幸氏によると、これまでも教育委員長や教育長は事実上、首長が任命するに等しい状態にあり、「今回の制度改正はそれを制度化したに過ぎない」と言う。その一方で新藤氏は、教育の問題は一部のエリート教員によって構成されている教育委員会事務局が地方の教育行政全般を仕切っていることにあるが、今回の法改正ではそこにはまったく手をつけていないと批判する。結局、教育委員会事務局を温存した上で、教育委員会の自主性を弱めることで、かえって中央統制を強化する内容になっている。
 安倍政権になって最も顕著な変更が行われたのが、エネルギー政策の分野だった。エネルギー・原子力関連分野では、今国会で2016年をメドに電力の小売りを自由化する電力自由化関連法が成立した。しかし、エネルギー政策に詳しい元経産官僚の古賀茂明氏によると、既存の電力会社間で自由競争が起きないような談合が行われているため、自由化といっても地域独占の巨大な電力会社に、新興の弱小PPSが挑む構図となり、本当の意味での市場競争はなかなか期待できそうにないという。しかも、小売りに参入するための前提となる送電網は、依然として既存の電力会社が支配しているため、自由化後もどの程度公正な市場競争が期待できるかは多いに疑問が残る内容となっている。実態としては電力会社の既得権が根底から脅かされない範囲での自由化というところに落ち着きそうだ。
 その一方で、安倍政権が新たに制定したエネルギー基本計画で原発を「重要なベースロード電源」としたことを受けて、原発ムラの復権がいたるところに見受けられる。原子力損害賠償支援機構法の改正では、原子力災害の賠償に備えて、国などが国債などの資金を拠出して設けられていたはずの原子力損害賠償支援機構に、本来は電力会社が負担すべき原子炉廃炉の費用まで担わせるという内容の法改正が行われている。古賀氏は、「廃炉費用を電力会社に負担させれば、それが電気代に上乗せされ、原発を抱える電力会社の経営が成り立たなくなる可能性がある。国がエネルギー基本計画で原子力エネルギーを重要なベースロード電源と位置付けた以上、廃炉費用は国が負担して当然という論理がまかり通っている」と指摘する。
 しかし、何と言っても安倍政権の方向性を決定づける極めつけは、今週自民党が公明党との間で合意に達したとされる集団的自衛権の行使容認だろう。これも最終段階で制約条件ばかりがメディアで取り上げられたために全体像が見えにくくなっているが、どんな国内向けの子供だましの議論でごまかそうが、戦後の日本で一貫して武力行使の明確な歯止めとして機能してきた、「自国が武力攻撃を受けない限り武力行使はできない」という専守防衛の一線が破られたことに変わりはない。今後他国、とりわけアメリカ政府から第三国に対する武力行使への協力や参加を求められた時、時の政府に交渉によってそれを断ることができるとはとても思えない。
 今さら軍事大国を目指そうというわけではないが、とにかく戦後の日本を縛ってきた平和主義憲法の軛から何とかして日本を解き放ちたい。解き放ってどうしようというところまで考えているとも思えないが、とにかくそれを解き放つこと自体に意味があると言わんばかりの、事実上の憲法の改正が、早ければ7月1日に閣議決定という形で行われようとしている。正規の憲法改正手続きを踏まずに事実上憲法を変更する行為は、クーデターの誹りを免れないほど重大な意味を持つものだが、今の政権にも与党にも、その自覚があるようには見えないのはなぜだろうか。
 以上のことから浮かび上がってくる、安倍政権が目指す日本の姿とは一体どのようなものになるのだろうか。その帰結が最終的にわれわれにどのような形でのしかかってくることになるのか。欧米の政治制度にも詳しい政治学者の中野晃一氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

戦後レジームからもっとも脱却できていないのは安倍総理、あなた自身です

(第690回 放送日 2014年07月05日 PART1:1時間2分 PART2:1時間)
ゲスト:白井聡氏(文化学園大学助教)

 やっぱり安倍さん自身が戦後レジームから抜けられてなかった。
 安倍政権によって行われた集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更は、通常2つの理由で強い批判にさらされている。
 それはまず、そもそも今そのようなことを行わなければならない切迫した必要性も正当性もない中で、単に安倍晋三首相個人の情念や思い入れに引きずられてこのような大それた事が行われているのではないかという、「反知性主義」としての批判が一つ。そして、もう一つが、平和憲法として世界に知られる日本国憲法の要諦でもある憲法第9条の解釈の変更は事実上の憲法改正に相当することは明白で、それを私的な有識者懇談会に提言させ、友党公明党との「ぎりぎりの交渉」なる茶番劇の末に閣議決定だけで強行してしまうことは、明らかに憲法を蔑ろにすると同時に民主プロセスを破壊する行為であり、立憲主義に反するのではないかという批判だ。
 それらの批判はいずれも正鵠を得ていて重要なものだ。しかし、それとは別の次元であまり指摘されていないより重要な点がもう一つあるように思えてならない。それは戦後レジームからの脱却を掲げていたはずの総理にとって、このような行動が正当化できているのかということだ。
 戦後レジームからの脱却という場合の戦後レジームとは、恐らくこんな意味だろう。総力戦に負けた日本はアメリカ軍による国土占領の屈辱を受け、武力行使を放棄する条文を含む屈辱的な憲法までのまされた上に、日米安保条約なるもので未来永劫アメリカの属国として生きていく道を強いられた。また、特に近年になって、社会制度面からもアメリカ的な制度を押しつけられ、日本の伝統的な社会制度が崩壊の淵にある。
 となると、そこから脱却するために次に来るフレーズは明らかなはずだ。今こそ日本はそのような戦後レジームから脱却し、自らの意思で独自の憲法を制定し、日米安保条約を破棄しアメリカへの軍事力への依存を減らすとともに、アメリカと対立・緊張関係にあるロシアや中国と友好的な関係を樹立し、アメリカ一辺倒の偏った外交からより均衡の取れた外交へとシフトしなければならない。(また戦後のアメリカ主導の世界秩序を代表するブレトン・ウッズ体制、すなわちGATTやIMF・世銀、そしてWTOに代表される自由貿易体制からの脱却云々にまでここで触れるのはあえてやめておこう。何と言っても日本がその体制の最大の受益者だったのだから。)
 ところが、今回行われた解釈改憲はどうだ。首相が自ら指さしながら示したポンチ絵には、日本人を救助したアメリカの艦船が描かれている。どこかの国で有事が起き、避難する日本人を乗せた米軍の艦船が攻撃された時、それを守ることができるようにするためには、集団的自衛権の行使が必要だと安倍首相は繰り返し強調する。
 集団的自衛権というのは自国が攻撃された時に反撃する権利を意味する個別的自衛権に対し、自国が攻撃されていない場合でも武力を行使する権利のことを意味する言葉だが、そこでいう他国がアメリカのことを念頭に置いていることは明らかだ。とすると、今回の解釈改憲というのは、早い話が今よりももっとアメリカに貢献するために日本は憲法まで変えようとしていることを、首相が率先して喧伝していることになる。しかもそれを、首相があれだけこだわりを見せ、自民党が党是にまで謳っている憲法改正という正攻法ではなく、まるで裏口入学でもするかのような憲法解釈の変更の閣議決定という姑息な手段によって実現するのだという。そこに見えてくるのは、アメリカを助けるためには憲法を蔑ろにすることも裏口を使うことも何でもできてしまう日本の無様な姿以外の何ものでもないのではないか。これが安倍総理が「戦後レジームからの脱却」と大見得を切ったものの正体だったのか。
 『永続敗戦論』の著者で、戦後の対米従属問題や政治思想に詳しい文化学園大学助教の白井聡氏は、現在の日本の閉塞状態を「敗戦レジーム」なるものに永続的に隷属することから起きているものだと説く。「敗戦レジーム」とは、総力戦に敗れた日本は本来であればドイツと同様に、それまでの国家体制は政治も経済も社会もすべて木っ端微塵にされ、既得権益など何一つ残っていないない状態からの再スタートを余儀なくされなければならなかったはずだった。しかし、日本を占領統治したアメリカは対ソ連の冷戦シフトを優先するために、あえて天皇制を含む日本の旧国家体制の温存を図ったために、A級戦犯などほんの一部の例外を除き、日本を絶望の淵に追いやる戦争に導いた各界の指導者たちが、平然と戦後の日本の要職に復帰することが許されてしまった。そして、それもこれもすべてアメリカの意向、アメリカの都合だった。そして、その旧レジームの担い手たちに対する唯一絶対の条件が、アメリカの意向に逆らわないということになるのは、当然のことだった。
 今日本を動かしている指導層の大半は、その時に「敗戦レジーム」を受け入れることで権力を手に入にした人たちの子や孫たちである。自民党に至っては、議員の4割以上が、そして先の総裁選挙の全候補者が2世、3世議員だったが、それは決して偶然の現象ではない。また、今回の集団的自衛権の解釈改憲を主導した外務省も外交官2世3世が多いことで知られる。彼らは実益面もさることながら、彼ら自身のメンタリティや行動原理の深淵に最初から「敗戦レジーム」が埋め込まれており、自分たちにとってもっとも合理的に行動することが、「敗戦レジーム」を強化するにつながるが、無論彼ら自身にそのような自覚はない。
 白井氏は続ける。この「敗戦レジーム」を永続させるシステムが残る限り、日本は本当の意味での独立を勝ち取ることはできないし、真に日本のことを思う政治家が現れたとしても、多勢に無勢の状態では敗戦レジームの担い手たちによって足を引っ張られ、失脚させられることが目に見えている。それは、そういう政治家こそが、敗戦レジームの担い手たちにとっては最も大きな脅威となるからだ。
 幸か不幸か「敗戦レジーム」はある時期、空前の経済的繁栄をもたらした。アメリカにとって日本を経済的に富ませることが、日本の共産化を防ぐ最善の手段だったこともあるが、日本人の多くが、実は戦後レジームの矛盾に薄々気づきながら、経済的は豊かさと引き替えに、それを見て見ぬふりことを覚えてしまった。しかし、冷戦が終わり、「敗戦レジーム」が前提としてきた外部環境は既に根底から崩れている。アメリカは自らの国益をむき出しにして日本と対峙するようになったばかりか、今や軍事同盟関係にある日本よりも、その日本と緊張関係にある中国を重視し始めているようにさえみえる。しかし、日本では「敗戦レジーム」の担い手たちが依然として大手を振って歩き、「敗戦レジーム」の行動原理から抜けることができそうにない。
 今問われていることは、われわれはこれから先も問題から目を背け、「敗戦レジーム」を継続するのか。問題を正視するということは、今あらためて日本が総力戦に敗れたという事実と向き合い、それを認めた上で、アメリカから属国扱いされることと引き替えに、免罪されてきた他国との様々な懸案に自主的に取り組んでいくことが求められる。敗戦レジームに慣れきってしまったわれわれ日本人にとって、恐らくそれは辛く痛みの伴う行為になるだろう。しかし、「敗戦レジーム」を続ける限り、日本に未来はない。
 「敗戦レジーム」のもう一つの特徴は、誰も責任を取らない体制だ。そしてそれは政治家に限らず、われわれ市民の側についても言えることだ。われわれの多くが、国や自治体や共同体の意思決定に一切参加もせずに、一部の人間に汚れ仕事を押しつけておきながら、何か問題があると文句を垂れるという態度を取ってきた。悪弊を変えることは容易ではないが、少なくとも手の届くところから意思決定に参加することが、変化への第一歩となる可能性を秘めているのではないか。
 「敗戦レジーム」脱却のための処方箋をゲストの白井聡氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.67(671~680回収録)

DVDを購入
CDを購入

北方領土問題解決の千載一遇のチャンスを逃すな

(第671回 放送日 2014年2月22日 PART1:43分 PART2:42分)
ゲスト:東郷和彦氏(京都産業大学教授・元外務省欧亜局長)

 安倍首相は、2月7日の冬季オリンピック開会式に出席するためロシアのソチを訪れ、翌8日、プーチン大統領と首脳会談を行った。プーチン政権が進める同性愛規制などに対して、人権上の懸念から主だった欧米諸国の首脳が軒並み開会式を欠席したのを尻目に、安倍首相は五輪外交の機会を逃さなかった。それは日露関係が非常に重要な局面を迎えているからだった。
 日露関係は詰まるところ北方領土問題をどう決着させるのかにかかっている。その一点が解決できないために、日本とロシアは未だに第二次世界大戦後の平和条約を結ぶことさえできていない。そして、それが戦後70年近くにわたり、日本とロシアという東アジアの2つの隣国の関係を進展させる上での決定的な足かせとなってきた。
 実はロシアは2000年代に入って、中国、ノルウェーなど周辺国との国境を積極的に画定してきた。2月18日にはバルト三国のエストニアと国境を画定させて、残る大きな領土紛争は日本との北方領土を残すばかりとなっている。更にロシアのプーチン大統領は日本に対して「原則引き分けで領土交渉をやりましょう」とまで発言している。
 一方の安倍首相も、向こう3年は大きな国政選挙が予定されない中で、領土問題のような腰を据えて取り組むべき政治課題に手をつけられる立場にある。外務省で一貫してロシアを担当してきた東郷和彦京都産業大学教授は「この機会を逃すと北方領土は二度と返ってこないかもしれない。これが最後のチャンスになるのではないか」と、日露関係が千載一遇の、そして最後のチャンスを迎えていると指摘する。
 歴史的に見ると北方領土といわれている4島(択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島)は、1855年の日魯通好条約締結以降、1945年のポツダム宣言受諾まで約90年間日本が統治してきた。しかし、同年2月のヤルタ会談でルーズベルト、チャーチルと対日参戦を約束したスターリンの下、日ソ不可侵条約を破ってソ連軍が満州に侵入。9月5日頃までに北方4島も支配下に治める。その後、サンフランシスコ講話条約で、日本は国際社会に対して公式に樺太と千島列島の放棄を宣言している。ところが旧ソ連がサンフランシスコ条約に調印しなかったため、現在までのところ北方4島の領有権は国際法上日本とロシアのどちらも有していないながら、一貫してロシアが実効支配をしているという状態にある。
 日本には、不可侵条約を破って対日参戦をし、日本のポツダム宣言受諾後も侵攻を続け、満州で民間人を相手に殺戮や強姦などの蛮行を繰り返した上に60万人の日本人をシベリアに抑留したソ連に対する特殊な感情もある。更に日本は少なくとも1956年以降、一貫して北方4島は日本の領土であるとの立場を貫き続け、積極的にそのような広報活動もしてきているために、国民の多くも政府のその立場を支持している。4島一括返還以外の立場を日本が取ることに抵抗が多いのは言うまでもない。
 しかしその一方で、過去70年近くもロシアの実効支配下にあり、4島にはひとりも日本人がいないまま、この先もそれが続くとなると、日本への返還は事実上不可能になってしまうことは想像に難くない。加えて、ロシアは2007年からクリル開発計画と称して5千億円規模の予算を投じて北方4島の開発に取り組んでいる。これらの事情を考慮すると、今、より現実的な解決策を探らない限り、北方領土が日本に戻ってくる見込みは事実上消滅してしまうと言っても過言ではないだろう。
 東郷氏は北方領土問題は2島+α(歯舞、色丹の2島返還と残る国後、択捉の2島についても何らかの将来につながる合意)が落としどころになるだろうと指摘する。「まず1954年の日ソ共同宣言に従って歯舞、色丹を返してもらう。残る択捉と国後は日本、ロシア双方が関わる特別共同経済特区のような仕組みを作った上で、今後も交渉を続けていく」というのが東郷氏の提案だ。これならロシアも乗れる可能性が高いと東郷氏は言う。4島一括返還にこだわり、何も手にできないまま、結果的に両国関係を進展させないこれまでの道を選ぶのか、4島一括返還にこだわらず、まず2島の返還を実現するとともに、とにかく北方4島に日本人が住めるようにすることで、その後の2島の帰属にも可能性を残していくのかのいずれかの選択になるのであれば、これがベストな選択ではないかと東郷氏は言う。
 日露両国が北方領土問題を解決させ、友好的な隣人として新しい関係の構築に成功すれば、東アジア情勢はもとより国際的にも大きな意味を持つ。しかも、その時はこれまで両国間の対立の象徴だった北方領土が、友好と経済協力関係のシンボルとして機能することになる。
 果たして北方領土問題に決着をつけ、日露関係を大きく前進させることができるかどうかは、両国の問題であると同時に、日本国内の問題としての面が多分にある。東郷氏は、これまで日露関係が前進の兆しを見せるたびに、ある時はアメリカから、またあるときは日本国内の勢力から横やりが入り、期待が幻滅に終わるような苦い経験を繰り返してきたという。
 日露両国は、そして日本はこの千載一遇の機会をものにすることができるのか。北方領土問題と日露関係改善の前途に横たわる課題とその克服の見通しを、ゲストの東郷和彦氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

ディオバン事件と利益相反という日本の病理

(第672回 放送日 2014年03月01日 PART1:69分 PART2:46分)
ゲスト:谷本哲也氏(内科医・東京大学医科学研究所客員研究員)

 東京地検特捜部が2月19日に製薬会社のノバルティスファーマや京都府立医大に対して家宅捜索に入った。表向きの容疑は薬事法で禁じられている医薬品の誇大広告ということだが、この事件は期せずして9.3兆円産業と言われる医薬品をめぐり、業界と大学・研究機関の間の根深い癒着構造を白日の下に晒すことになった。
 京都府立医大をはじめ慈恵医大など5大学の研究チームは臨床試験の結果、降圧剤バルサルタン(商品名ディオバン)には血圧を下げるだけでなく、他の降圧剤に比べて脳卒中を予防する効果が確認されたとする論文を発表していた。しかし、研究データに不自然な点が指摘され、より詳しく調査が行われた結果、この研究には何と薬の販売元のノバルティスファーマの社員が、身分を隠して関わっていたことが明らかになり、自社にとって都合の良い結果が出るようにデータを不正に操作したのではないかという疑いが出てきているというのだ。
 しかし、京都府立医大らの研究結果は国際的に評価の高い高級医学論文誌「ランセット」にその研究結果が掲載されたために、大きな広告効果があったとみられている。
 内科医で医療ガバナンスの問題に詳しいゲストの谷本哲也氏は「今回の問題は、海外論文誌を巻き込んだ新しいタイプの問題だ」と指摘する。多額の寄付を行っている大学や研究機関に自社の薬の臨床研究を依頼し、その結果を高級医学誌に掲載することで、国際的に薬効を宣伝し、販売広告にもつなげるという仕組みで、製造元のノバルティスファーマはディオバンで累計1兆円以上という莫大な売上げを手にしている。
 薬事法は医薬品の許認可については厳しい基準が設けられているが、認可後の臨床研究についてはほとんど規制がないため、仮に今回の事件で薬事法違反が確定したとしても、課される罰金は200万円の科料に過ぎないという。医療関係者の性善説に立った薬事法は元来、悪意を持って臨床研究を薬の販売促進に使う行為を想定していないのだと、谷本氏は言う。ディオバンの高血圧治療薬としての効果は既に認可を受けているため、仮に今回、販促目的でプラスαの薬効を謳うために論文の捏造が行われたことが明らかになったとしても違法性が問われない可能性もあるのだという。
 しかし、それにしてもある商品の販売元の社員が、身分を隠して研究に関わり、データにも直接タッチしていたというような、あからさまな利益相反が放置されているとすれば、日本の臨床研究そのものの信頼性が問われることになりかねない。なぜ医療研究において利益相反や利益供与の問題が、ここまで軽く見られてしまうのだろうか。
 谷本氏は日本の臨床研究に対する国の補助・支援が弱いことを理由の一つとして挙げる。日本では公的資金が当てにできないため、大学や研究機関は企業から助成を受け入れざるをえない状況になっている現状を指摘する。事実、今回研究の不正が判明した5つの大学すべてにノバルティスファーマから多額の寄付が行われていたことが明らかになっている。
 製薬業界から医師や医療機関に提供される資金は明らかになっているものだけでも年間4,410億円に上り、2013年度の国の科学研究費予算2,381億円を大きく上回る。この資金が、学会、勉強会、シンポジウムの運営費や宿泊費、交通費、そして原稿料などの形で医療機関や医師個人に提供されている。このような構造が、現在の製薬業界と医療の間の利益相反の根底にある。
 谷本氏は、こうした日本の現状を前に、現在、日本の臨床研究論文が次第に世界から相手にされなくなり始めていると警鐘を鳴らす。日本の医療界は元々基礎研究が重視される傾向があり、臨床研究の水準が低い。そこに今回の論文ねつ造事件が起きたことで、日本の研究の信用性について海外から疑念を持たれはじめているというのだ。
 しかし、こうした資金が、最終的にはすべて一般市民が支払う医療費から出ているものであることを忘れてはならない。国民皆保険によって医療機関の窓口での負担は軽減されているように見えるが、保険がカバーしている医療費の約4割は税金で賄われている。その金額は年間38兆円余りにも上る。薬剤費だけでも年間8兆円以上もの税金が投入されているのだ。
 今回の臨床研究論文の不正は、医薬品業界に限ったことではない。日本には同様の利益相反が容認され、放置されている分野が多数存在する。癒着構造の下で不当な利益が貪れる一方で、その穴埋めに使われているのがユーザーの負担であり、税金でもあるのだ。
 病気を治したり患者の命を救うことが最優先される医療には、医師の処方の権利は侵されるべきではないという不文律があるため、安易な規制は難しい面がある。しかし、であればこそ腐敗や癒着を極力排除するために、利益相反をガラス張りにする制度や患者自身が費用とメリットを比較衡量する制度が必要ではないのか。
 今や日本の至るところに巣くう利益相反の罠を、われわれはどう考え、これにどう対応すべきか。まずは医療の現場からゲストの谷本哲也氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が考えた。

原発事故で露呈した、敗戦から何も学んでいなかった日本

(第673回 放送日 2014年03月08日 PART1:60分 PART2:24分)
ゲスト:船橋洋一氏(ジャーナリスト・日本再建イニシアチブ理事長)

 東日本大震災、そして福島第一原子力発電所のメルトダウン事故から3年が経とうとしている。被災地の復興においても日本が抱える様々な病理や課題が次々と露わになっているが、とりわけ原発事故については、事故原因の結論も得られていないし、事故現場の収束さえままならぬ状態であるにもかかわらず、もっぱら原発再稼働の是非に政権の関心が集まるという異常な状態にある。
 福島原発事故独立検証委員会、いわゆる民間事故調のプログラムディレクターとして事故原因の調査に取り組んできた元朝日新聞主筆でジャーナリストの船橋洋一氏は、あの原発事故を太平洋戦争の敗戦に続く「第二の敗戦」と捉え、その原因や再発防止により真剣に取り組む必要があると主張する。
 あの事故は津波によって原発がすべての電源を失ったために、原子炉を冷やすことができなくなり、メルトダウン、メルトスルーに至ったと説明されている。原因がもっぱら津波だったかどうかについては議論があるところだが、いずれにしても万が一の時に原子炉を冷やせるより強固な設備を完備しておけば、今回のような事故は起こらないという前提に立ち、新たな安全基準などが作られている。
 確かにハード面での不備は修正されなければならない。しかし、本当にそれだけでいいのだろうか。今回の事故がここまで甚大な被害をもたらすに至った背景には、単に電源のバックアップに不備があったということではないのではないか。
 実際、全電源喪失に至った後に福島第一発電所や東電本社、そして首相官邸などで起きたことをつぶさに再検証してみると、事故がここまで大きくなった原因は単に電源というハードウエアの問題だけではなく、現場と事故の対応に当たる政府関係者や東電関係者の間の致命的なコミュニケーションミスや、いざというときに取捨選択を決断できるリーダーシップの不在など、数々のヒューマンエラーが介在していたことが明らかである。むしろ、われわれが最も真摯に反省しなければならない点は、ハード面での不備ではなく、日頃からの危機に対する意識や優先順位を決めて損切りを決断するリーダーの養成だったのではないかと、船橋氏は言うのだ。実は同様の問題が、国会事故調の黒川清委員長による英文の最終報告書で指摘されている。
 ところがわれわれの目は、そうした問題にほとんど向いていない。また、実際にそうした反省に立って、対策が取られている形跡も見られない。特に安倍政権は、より厳しい安全基準を設定したのだから、原子力規制委員会の審査にパスした原発は再稼働することが当たり前であるとの立場を取っている。元々、原子力規制委の前身で、今回の事故で全く役立たずの烙印を押された原子力安全・保安院は、1999年のJCO臨界事故の反省を受けて作られた組織のはずだった。それが今回の事故ではまるで機能しなかった。ところが今回もまた、福島原発事故の教訓が十分に活かされないまま、組織の改編と安全基準のマニュアルの変更が行われただけで、事故の反省は終わってしまいそうな様相を呈している。この現状を、われわれはどう受け止めたらいいのだろうか。
 船橋氏は今回の原発事故に、先の大戦での失敗と同じ構造があったと指摘する。原発の過酷事故は直ちに国家的危機となる。その自覚もないまま、安全対策をおろそかにして絶対安全神話なるものに寄りかかり、最後は何とかなるだろうという楽観シナリオに基づいて原発依存に突入した様は、勝算もないままアメリカとの戦争に突入した時といろいろな面で酷似しているというのだ。
 そもそも日本社会には異質なものを排除して、同質の価値観だけで物事を進めていく「空気の支配」という特性があることが指摘されて久しい。それは全体の秩序を維持し、一つの共通の目標に向かって邁進する上では武器となり得るが、何か問題があったときにそれを言い出すことを難しくさせる。それが誰も「撤退」を言い出せない空気が支配する文化を作っている。日本中が安全神話の下で原発推進に邁進する空気の支配の下で誰かが異論を唱えれば、単に排除されるだけだ。原発についても、一部の良識ある関係者の間では危機意識があったが、それを言い出すことができなかったと答えた人が多くいたことが、船橋氏の調査でも明らかになっているという。
 では、福島の事故を無駄にしないために今、われわれに何ができるだろうか。船橋氏は何よりも事故の原因究明をより厳密かつ詳細に行い、事故と事故対応における失敗の責任の所在を明らかにすることが何よりも重要だと主張する。そこを曖昧にしたまま組織や仕組みをいじってみても、本当の意味で事故の教訓が活かされることはあり得ない。そして、それはわれわれが第三の敗戦に向けて邁進する道を選んだことを意味する。
 われわれはなぜあれだけ酷い目にあっても、その原因と真摯に向き合い反省することができないのか。東日本大震災、福島原発事故から3年が経過したいま、事故に至る経過と事故への対応、そして事故後の原因究明や新たに作成された安全基準などから見えてくるわれわれ日本人の弱点について、先の戦争の反省と絡めながら、ゲストの船橋洋一氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

誰も知らない裁判所の悲しい実態

(第674回 放送日 2014年03月15日 PART1:1時間6分 PART2:45分)
ゲスト:瀬木比呂志氏(元裁判官・明治大学法科大学院教授)

 マル激では放送開始以来何度となく、警察、検察の問題、とりわけその捜査、取り調べの手法が公正な裁判の妨げになっている問題を取り上げてきた。この問題はあまりにも繰り返し表面化するため、もはやわれわれにとってはそれがライフワークの一つになっている感すらある。
 しかし、この10余年、途中に何度も重量級の不祥事に見舞われながら、警察も検察もその体質はほとんど変わっていないようにみえる。そして司法の堕落、腐敗の一番根っこに鎮座するご本尊が裁判所だ。警察や検察がどんな無茶なことをしようとも、裁判所がそれを裁判で証拠採用しなければ何の意味もなくなる。例えば、海外では当たり前になっていることだが、裁判所が、一定期間以上の拘留後の自白の任意性を認めない判断を下せば、その瞬間に人質司法は終焉する。どんなに大きな世論の逆風に見舞われても、依然として警察や検察が人質司法や無茶な捜査を続けられる最大の理由は、裁判所がそれを裁判で認めてくれるからに他ならない。その意味では司法問題の最大の責任者にして戦犯は裁判所なのだ。
 その裁判所の内情はあまりにもひどい状況になっているようだ。元裁判官で最高裁事務総局や最高裁調査官の経歴を持ち、2012年に退官して現在は明治大学法科大学院教授を務める瀬木比呂志氏は、裁判官の世界は事実上陸の孤島のような外界から閉ざされた状態にあり、その閉鎖性の中で、あり得ないような基準がまかり通っていると言う。それは最高裁事務総局による一極統制の下、事なかれ主義、長いものに巻かれろ主義、上の意向しか気にしないヒラメ裁判官の増殖などあらゆる弊害を生み、正義の貫徹や市民への奉仕といった裁判所本来の機能とは程遠いものになっていると言うのだ。
 瀬木氏は、現在の司法界は、最高裁を頂点とする権力ピラミッドによる内部統制が極めて効果的に運用されていると指摘する。本来、個々の裁判所、裁判官個々人には階級の上下はないはずだが、司法官僚とも称される最高裁事務総局が人事と昇級の権限を握っていることから、ほとんどの裁判官、裁判所は否応なく上を見て行動するしかない状態だという。さらに事務総局は30名ほどの裁判官を調査官として抱えていて、最高裁の公判以外にも各地の裁判、判決を細かく分析し、内部の会合などを通じてことあるごとに最高裁の意向を下命している。まさに事務総局による司法支配体制だ。そしてこの司法官僚による内部統制には、歴代の最高裁長官が関わり、現在の仕組みが揺るぎないものに形作られてきたという。
 しかも、裁判官が自身の良心に従って、例えば国家賠償訴訟や行政訴訟で市民側の肩を持つような判決を出そうものなら、露骨な報復人事が行われるという。そのような実態を知ってか知らずにかわからないが、マスコミも報道しないし、三権分立の名の下で国会でもそれが問題になることはない。瀬木氏は全員とまでは言わないが、大半の裁判官はそのような基準の下で裁判官を務めているという。現行の制度のままでは、端から公正な裁判を期待することが難しい状況にあるということなのだ。
 瀬木氏は「法曹一元化によって人材の流動化を図ることが先決だ」と言う。法曹一元化とは弁護士などから多様な人材を裁判官として任用する仕組みのことだが、硬直化した司法行政体制を打破するには、まずは人事を通じて現在の硬直性、閉鎖性に風穴を開けるしかないと瀬木氏は言う。
 そんな裁判所だから、実は裁判員制度導入の背後にもあり得ないような裁判所の腐った事情があったと瀬木氏は言う。この3月末に退任が決まった竹﨑博允最高裁長官が生みの親とも言われ、画期的な司法改革の実例と囃される裁判員制度は、市民参加により裁判に市民の目線を反映させようという表向きの理由とは別に、それをきっかけに裁判所内における刑事系裁判官の復権を目論む思惑があったという。それまで裁判所内部では民事系の裁判官が権勢を誇っていて、刑事系は肩身の狭い思いをしていたのだという。実際に裁判員制度の導入が決まった前後から、刑事系裁判官が最高裁判事をはじめ、重要部局に就任するケースが増え、目論見通り復権が実現したと瀬木氏はいう。裁判員制度の中に制度上不可解な部分が少なからずあったのも、この制度の本来の意図が別のところにあったからだったことのようだ。
 裁判所が変わらなければ日本の司法は変わらない。いや、一国における正義の最終的な体現者たる裁判所が、このような堕落した体質のままでは、日本全体がダメになってしまう。日本問題の最深部にある裁判所の問題をわれわれはどう考え、何をすべきなのか。歴代最高裁長官の功罪や裁判官の質の低下、そしてそれらを報じないメディアの問題なども交えて、ゲストの瀬木比呂志氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

遠隔操作ウイルス事件の犯人はデジタル・フォレンジックに精通している

(第675回 放送日 2014年03月22日 PART1:44分 PART2:44分)
ゲスト:杉浦隆幸氏(ネットエージェント(株)代表取締役社長)

 3月13日に開かれた遠隔操作ウイルス事件の第3回公判で、検察側の証人として出廷した警察庁情報通信局情報技術解析課の岡田智明技官が証人台に立った。岡田氏は被告の片山祐輔氏の元勤務先のパソコンに遠隔操作ウイルスの断片が見つかったことを解説した上で、片山氏以外の人間がこれをここに残すことは「非常に困難」との意見を開陳することで、弁護側の、片山氏のパソコンが何者かによって乗っ取られていたとする主張を否定した。
 しかしである。そもそもこの事件の真犯人は一切の足跡を残さずに他人のパソコンに侵入し4人の人間を誤認逮捕せしめた情報セキュリティのプロのはず。岡田証人の言う「非常に困難」が、誰にとって非常に困難なのかが問題だ。確かに一般の人間にとってそれは非常に困難かもしれない。しかし、「非常に困難」でも「不可能」ではないのであれば、この事件の真犯人にとってそれは十分に可能なことだったかもしれない。
 先月始まった遠隔操作ウイルス事件の裁判は、検察側が片山氏の勤務先のパソコンから遠隔操作ウイルスの痕跡が見つかったとする解析結果を公表した。これを受けて検察側は、それが片山氏がウイルスを作成していた証拠だと指摘する一方で、弁護側はそれはむしろ氏のパソコンが遠隔操作されていた可能性を示唆するものだと主張するなど、同じ証拠に対して検察側、弁護側双方が180度異なる解釈を主張するといった異例の事態を招いている。
 刑事裁判である以上、最後は裁判官が片山氏を犯人と考える十分な証拠が示されたと考えるかどうかの判断にかかってくることは言うまでもない。しかし、遠隔操作ウイルス事件のような高度のコンピュータ・セキュリティの知識が求められる裁判が、一般の刑事裁判の方法で特に専門的な知識を持ち合わせていない裁判官によって果たして公正に裁けるかどうかについては、セキュリティの知識がある人ほど一抹の不安を覚えている。
 それもそのはずだ。ここまで検察側の証人として登場した警察の分析官や民間セキュリティ会社の技術者が示したような「片山さんが犯人と考えることが合理的」とする議論は、情報セキュリティ、とりわけデジタル・フォレンジックの専門家から見ると、穴だらけの議論になっているという。
 デジタル・フォレンジック(デジタル解析)とはサイバー犯罪において捜査に必要なデータ、電子的記録などを収集、解析して、証拠としての妥当性を評価、検証する技術などのことだが、まさにそのデジタル・フォレンジックが専門の企業「ネットエージェント」の杉浦隆幸社長は、業界内でも上位のセキュリティ技術やIT技術を持つ技術者であれば、検察が「片山さんが犯人と考えることが合理的」と主張する証拠の数々は、外部からの遠隔操作によって比較的簡単に埋め込むことができると指摘する。つまり、ここまで検察が示しているようなレベルの証拠であれば、真犯人が片山さんのパソコンにそれを植え付けることは十分可能だと言うのだ。
 フォレンジックは証拠を見つける技術だが、その知識があれば、本来そこにはなかった証拠を作り出すことも、後から分からないような形でこれを消すことも可能になると杉浦氏は言う。そして、今回の真犯人は一定レベルのデジタルフォレンジックの知識を持っていると杉浦氏は断言するのだ。一連の遠隔操作ウイルス事件で真犯人が2013年1月にメディア関係者などに対して送り付けてきた「延長戦メール」の中にあったクイズの2問目に、デジタル・フォレンジックの代表的な技術であるデータ復元の過程が含まれていたからだ。杉浦氏はこれをもって、犯人に一定のデジタル・フォレンジック、もしくはそれを無効化させるアンチ・フォレンジックの知識や経験があるとみてまちがいないだろうと言う。
 今、警察はフォレンジックの技術や知識を使って、片山氏の犯人性を証明しようとしている。しかし、もし犯人が警察と同等か、もしくはそれ以上のフォレンジックの能力を有していれば、警察が犯人を特定することができないばかりか、警察に別の人間が犯人であるかのように信じ込ませることも可能になってしまうのだ。
 そもそもそれだけ高度な専門性が求められる裁判を、一般の裁判官が正当に裁けるのかについても、多いに疑問が残る。公判における検察官と検察側の証人として呼ばれた警察の捜査担当者のやりとりを見ていると、裁判官が専門的な知識に欠けるのをいいことに、検察はIT技術や情報セキュリティの入門的な説明の合間に、片山氏が犯人であることを前提としたかのような意見をさりげなく忍び込ませているのが目につく。それを聞いた裁判官が「それは証人の意見ということですね」のような確認も行っていないところを見ると、技術の素人である裁判官を騙す検察の作戦は、少なくともここまでは功を奏している可能性がある。
 ところで、デジタル証拠も科学的証拠の一つだが、裁判に科学的証拠が持ち込まれると、おかしなことが起きる場合が多い。この公判では検察側がデジタル解析の結果、片山氏の元勤務先のパソコンから遠隔操作ウイルス事件の痕跡が見つかったと主張した途端、もし弁護側が片山氏のパソコンが何者かによって遠隔操作されていたというのであれば、弁護側がそれを証明しなければならない立場に追い込まれている。足利事件におけるDNA鑑定の結果や、和歌山カレー事件における「SPring-8」を使った化学分析でも同様の問題が起きているではないか。つまり、科学的証拠という、それ自体の重さを裁判官や一般社会が正確に評価できないものが公判に持ち込まれた瞬間に、無罪性の挙証責任が弁護側に移るという逆転現象が起きてしまうのだ。これは、科学的証拠が持ち込まれた瞬間に近代司法の要諦たる推定無罪が効力を失っていると言っているに等しい。
 幼稚園や航空会社などへの脅迫メール事件として始まった一連の遠隔操作ウイルス事件は、高度な知識や技術を有する犯人によってわれわれがいつ身に覚えのない罪を着せられてもおかしくない世界に生きていることを露わにした。そして、それはサイバー犯罪対策課などを設置してサイバー捜査の能力を拡充している警察についても言えることなのだ。
 もし今回の裁判で、専門家が見たらとても犯人性が証明されたとは言えないような証拠しか提示されなかったにもかかわらず片山氏が有罪になれば、それはもはや科学的証拠が、近代司法の枠を超えてしまったことを意味する。遠隔操作ウイルス事件を参照しつつ、デジタル犯罪の裁き方はどうあるべきかなどを、ゲストの杉浦隆幸氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

ロシアのクリミア編入に見る新しい国際秩序

(第676回 放送日 2014年03月29日 PART1:40分 PART2:1時間5分)
ゲスト:廣瀬陽子氏(慶應義塾大学総合政策学部准教授)

 ロシアによるクリミアの編入に世界が衝撃を受けている。大国が軍事力にものを言わせて小国から領土を分捕るような古典的な力の政治は第二次大戦以来、世界が経験してこなかったものだったからだ。半世紀に及ぶイデオロギー対立を前提とする冷戦と、その後の混沌たるポスト冷戦の時代を経て、世界は再び古い力の政治の時代に舞い戻ろうとしているのか。それともこれはこれまでとは全く異なる新しい世界秩序の始まりなのか。もしそうだとすると、対立の中身は資源なのか、それとも何か別の新しいものなのか。
 2月下旬にウクライナで起きた政変は親ロシアのヤヌコビッチ政権を転覆させ、よりEU寄りの新政権の樹立に向かうかに見えた。 ところがロシアはウクライナの政変そのものに介入するのではなく、実を取りに出た。ロシア人の安全確保という大義名分の下、クリミア半島に軍を派遣し、クリミア自治州をウクライナから離脱させるという力技に打って出たのだ。
 この事態にEU諸国やアメリカなどはロシアによる事実上のクリミア併合であるとして厳しく反発し、さまざまな制裁を行っているが、効果を上げているようには見えない。クリミアのためにロシアと本気で一戦交える気など誰にもないことが明らかだからだ。
 しかし、それにしてもロシアはなぜいきなり力による領土の編入などという思い切った施策に打って出たのだろうか。ロシア問題に詳しい慶應義塾大学准教授の廣瀬陽子氏はクリミア半島にある軍港セバストポリがロシアにとって戦略上非常に重要な意味を持っていたことを強調する。ロシアの領土沿岸部はほとんどが寒冷地であるため、不凍港で黒海経由でアジアやアフリカへの玄関口となるセバストポリはロシアの安全保障上の生命線とも言っていいほどの重要な戦略的意味を持つ。ウクライナに親EU政権が成立し、クリミアにNATO軍の基地ができるような事態をロシアが恐れても不思議はない。
 ロシアが自国の利益を守ろうとするのは当然のことかもしれない。しかし、時は既に冷戦の時代ではない。仮にロシアとEUやアメリカが対立しているとすれば、それは何を根拠とする対立ということになるのだろうか。
 今回のクリミア問題には、国際政治の古くて新しい論争の要素もあると廣瀬氏は指摘する。クリミアはロシア系住民が6割を占める親ロシア地域だ。ロシアとウクライナのどちらかを選ばなければならない住民投票を行えば住民の多数がロシアを選ぶ可能性が高い。実際に、このたび行われた住民投票でも、反ロシア陣営のボイコットなどもあり、投票結果は9割以上がロシア側につくことを選択している。そして、民族自決は国際政治の大原則の一つでもある。しかし、その一方で安倍首相がハーグで「力を背景とする現状変更は認められない」と語ったように、現状維持も国際政治の大原則の一つだ。今回ロシアはクリミア問題では民族自決をその正当性の柱に据えているのに対し、日本を含むアメリカ陣営が現状維持を主張する構図になっている。クリミアの住民投票の正当性はさておき、もし住民の大半がロシアへの編入を真に望んでいるのであれば、単に現状変更だけを理由にそれを妨げることに絶対的な正義があるとは限らないのも事実なのだ。
 今回、宮台真司氏に代わって司会役を務めた国際政治学者の山本達也氏は、「従来の秩序や考え方とは異質の何かがすでに生まれているのではないか」として、その一つの可能性としてあらゆる国で「国家を維持することが難しくなっている」点をあげた。大国意識だの帝国主義的拡張といった大層なものではなく、ロシアをロシアとして維持するためにはクリミアを手放すことができないというのだ。現にクリミア情勢を受けてプーチン大統領の支持率は急騰しているという。
 ロシアによるクリミア編入は国際政治の歴史的な文脈の中でどのような意味を持つのか。これが今後の国際政治の流れの一つの源流を作る可能性はあるのか。そうした中で日本は何を考えなければならないのかなどについてゲストの廣瀬陽子氏、国際政治学者の山本達也氏とともに、ジャーナリストの神保哲生が議論した。

消費増税では日本の財政は救えない

(第677回 放送日 2014年04月05日 PART1:59分 PART2:51分
ゲスト:小黒一正氏(法政大学経済学部准教授)

 そもそも何のための増税なのだろうか。
 4月1日から消費税率が8%に引き上げられた。僅か3%ポイントというが、6割の増税である。
 今回の増税の大義名分は「日本の社会保障を守るための安定的な財源確保」とされ、社会保障の膨張で危機的な状況にある日本の財政を再建するためには、どうしても消費増税が不可欠であると説明されている。われわれの年金や医療保険を守るためにはやむを得ないと考え、厳しい経済状況の下で増税の苦難を甘受している人も多いにちがいない。
 しかし、法政大学准教授で財政問題に詳しいゲストの小黒一正氏は、今回の消費増税では財政再建は達成できないし、社会保障も守れないと断言する。
 仮に日本がアベノミクスでデフレから脱却し成長軌道に乗ることができたとしても、現在の日本の財政構造は社会保障関連の義務的経費が、増税による税収の増額分を上回るペースで増えているため、今回程度の増税では到底財政再建など夢のまた夢だというのだ。
 小黒氏によると消費税を1%上げるごとに2.7兆円程度の増収が見込まれる。しかし、少子高齢化が進む中、社会保障関連費は毎年3兆円ペースで増え続けている。消費税1%の増収分はわずか1年で相殺されてしまう計算になる。今回は3%の増税だから、3年ほどで食いつぶす計算になるが、これでは社会保障関連費を賄うだけのために、3年後から毎年1%ずつ消費税を上げないと追いつかないことになる。しかも1%の増税では、辛うじて社会保障関係費の増加分を補うだけで、予算全体の不足分を解消して、貯まっている借金の元本を減らすなどとても無理な状況だ。
 現在でも日本の一般会計予算が、50兆円規模の赤字で辛うじて運営されていることを考えると、仮に日本のGDP総額約500兆円が年2%ずつ成長して税収が増えたとしても、公債依存度50%、累積債務残高1,000兆円以上という惨憺たる財政の現状は全く変わらないことになる。アベノミクスでデフレから脱却し経済が成長軌道に乗れば、日本にも明るい未来への道筋が開けてくるかのような話が流布されているが、それは全くの誤解であり、安倍首相がどんなに力説しようが、また日本経済がどんなに成長軌道に乗ろうが、今後消費税は上げつつけなければならないというのが実情だと、小黒氏は言う。
 それでは、日本が財政破綻を避けるためには、一体どこまで消費税を上げないといけないのか。小黒氏は、現在の財政構造では、毎年の歳入と歳出を同じ規模にして赤字を無くすという最低限の現状維持だけでも、「25%から30%の消費税が必要になるだろう」と試算する。しかもこれだけ消費税を上げても累積債務1,000兆円のうち、その利払いをかろうじてカバーするだけで、元本は丸々残ったままなのだ。
 財政を再建するには、税収を増やして歳出を抑える以外に有効な手立てはない。しかも、ここまで財政状況が悪化したら、5年、10年ではなく、20年、50年の時間をかけて改善していくほかない。数パーセントの消費税率の引き上げや成長戦略だけでは全く焼け石に水だ。まずは年金や医療を含む社会保障制度を抜本的に見直すなどして、歳出を大幅に削減することが急務だが、今の政府にそれを実行する意欲も能力も、そしてその気概も、とても期待できそうにない。また、そもそも国民にその痛みを受け入れられる用意があるとも到底思えない。
 今回の消費増税で日本の社会保障を守ることができるのか。財政再建は可能なのか。財政の実態を参照しながら、ゲストの小黒一正氏とともに、歳出削減の先にある社会保障制度改革の必要性やアベノミクスの効果と副作用、今後の消費税の在り方などについて、経済学者の小幡績氏と社会学者の宮台真司が議論した。

小保方問題にすり替わってしまったSTAP細胞騒動の核心部分

(第678回 放送日2014年04月12日 PART1:1時間5分 PART2:33分
ゲスト:八代嘉美氏(京都大学iPS細胞研究所特定准教授)

 事実であることが確認されれば、人類にとって歴史的な快挙となり得るSTAP細胞をめぐる論争が、奇妙な展開を見せている。端的に言えば、STAP細胞問題が小保方問題にすり替わってしまったようだ。
 STAP細胞は刺激惹起性多能性獲得細胞(=Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency cell)の英語表記の頭文字を取ったもので、リンパ球などの体細胞を酸性溶液に浸すだけで細胞の機能が初期化され、生物を構成する様々な器官が生成されるという、正に画期的なものとして紹介された。それが事実だとすれば将来、再生医療や難病治療などに新たな道を拓く可能性が期待されるからだ。
 科学誌「Nature」の2014年1月30日号に掲載されたその論文が、これまでの細胞生物学の常識を覆すようなあまりにも衝撃的な内容だったこともあり、STAP細胞そのものもさることながら、日本国内ではその論文の筆頭執筆者だった30歳の女性研究者小保方晴子氏個人にメディアの関心が集中した。
 また、その間その論文は世界的にピアレビューに晒され、多くの疑問が呈されるようになった。
 中でもとりわけ問題視されたのが、小保方氏が執筆した論文部分の写真データに、操作や差し替えがあったとの疑惑が指摘された点だった。
 STAP細胞は本当にあったのか、小保方氏は悪意を持って不正を働いたのか等々、メディア報道が過熱する中、小保方氏の所属する理化学研究所が独自の調査を行い、小保方氏に不正や捏造があったする調査結果を4月1日に発表した。
 そして今週水曜(4月9日)、小保方氏は2ヶ月あまりの沈黙を破り、氏の不正を認定した理研の調査結果に不服申し立てをすることを発表するための記者会見を開催した。平日の午後1時という時間帯にもかかわらず、テレビ局各局が他の番組を中断してまで一斉に生中継をするほど注目度の高いものとなったこの会見で、小保方氏は自らの未熟さと不勉強さを侘びたものの、論文の不備は単純なミスの結果であり、自分に悪意はないことを繰り返し強調した。また、小保方氏はその会見で何度も、STAP細胞は間違いなく存在すると断言した。
 確かに話題性に富んだニュースではあろう。メディアの多くが「割烹着」「ピンクの壁」「リケジョ」などと小保方氏個人にクローズアップしたくなるのもわからなくはない。また、理研が小保方氏の不正を認定したことで、小保方氏だけが悪者にされている現状に違和感を持っている人も多いに違いない。
 そこはメディア報道のあり方や社会と科学の関わり方、そして科学コミュニケーションのあり方など、多くの課題があるだろう。また、理研という税金で運営されている組織のあり方や、科学倫理教育のあり方についても、これを機に議論を深めていく必要があるだろう。
 しかし、それらは何れも副次的な問題だ。この問題は日本を代表する政府系の研究所の研究者が中心となって、科学史に金字塔を打ち立てることになるかもしれない画期的な発見の発表を世界有数の科学雑誌上で世界に向けて行った。しかし、論文に数々の不備、それも本来であれば科学論文にはあってはならないレベルの初歩的な不備が見つかり、もしかすると世紀の大発見がただの勘違いだったかもしれないというところにある。要するに、今回の問題の核心は一にも二にもSTAP細胞の発見は事実だったのかどうかにあるはずだ。
 京都大学iPS研究所の特定准教授で、万能細胞の研究に詳しいゲストの八代嘉美氏は今回は研究のデータを操作している以上、「科学的に見て論文の信頼性は落ちている」と指摘。科学では論文以外に事実を確認する方法はない以上、STAP細胞の存在自体が信頼できないものになっていると語る。
 データの操作そのものは許されないとしても、もしSTAP細胞の発見が事実であれば、小保方氏の功績は揺るがないかのような指摘があるが、八代氏は論文によってSTAP細胞の存在が科学的に証明されていないとすれば、小保方氏はSTAP細胞が存在するという仮説を説いたに過ぎないということになり、そこに一定の功績を認めることにも疑問を呈する。
 八代氏はまた、外的な刺激を与えれば細胞が初期化するという仮説は以前から存在し、それを実現したとする論文も何度か発表されてきたが、いずれも再現性が確認できずに否定されているという。
 とは言え、今ではあたり前になっている定説の多くも、常識破りの仮説から実証に至った例が少なからず存在することも事実だ。ガリレオの地動説も当時は神をも冒涜する大暴論だった。小保方論文の科学的信頼性が揺らいだことで、現時点ではSTAP細胞はあるともないとも言えない、仮説の域を出ないかつての状態に戻ってしまったというが、もしその存在を実証できればそれが世紀の大発見であることは間違いない。
 八代氏は今回の騒動の結果、時間とお金をかけてあらためてその可能性を探ってみようと考える研究者が出てくるモチベーションは下がってしまったのではないかと言うが、例え仮説とは言え、今回の論文で小保方氏らが示した可能性が次の研究や発見に繋がる可能性に期待したい思いを持つ人も少なくはないだろう。
 小保方問題にすり替わってしまった感のあるSTAP細胞問題の本質とは何かを、ゲストの八代嘉美氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

武器輸出解禁で日本が失うものとは

(第679回 放送日 2014年04月19日 PART1:53分 PART2:46分)
ゲスト:加藤朗氏(桜美林大学リベラルアーツ学群教授)

 平和主義を国是に掲げる日本が製造した武器が、戦争に使われるようなことがあってはならない。そんな考えから日本は国外に武器を輸出しないという基本方針を1967年以来守ってきた。
 安倍政権は「武器輸出三原則」と呼ばれるその方針を破棄し、武器輸出を可能にする政策への転換を4月1日に閣議決定した。
 武器輸出三原則は1967年に佐藤政権が主に共産圏や紛争国に武器を輸出しない方針を表明し、76年には三木政権が基本的にどこの国に対しても武器輸出は慎むとの方針に格上げして以来、約半世紀にわたり日本が守ってきた一線であり、非核三原則と並び日本の戦後平和主義を象徴する政策でもあった。
 しかし安倍政権は日本を取り巻く安全保障環境の変化を理由に、国会の議論を経ずに閣議決定という形で、重大な政策変更を強行してしまった。
 政府は政策変更のメリットとして、米国をはじめとする友好国と最先端の武器の開発プロジェクトへの参加が可能になることで、高いレベルの技術共有が可能になると説明している。また、これまで地雷除去装置のような人道目的で使われる装置も、法律上は武器として扱われるため、友好国に輸出することができなかったが、それも可能になると、そのメリットを主張する。
 しかし、いかなるメリットがあろうとも、まず日本で作られた武器が戦争に使われて、殺傷される人が出る可能性が生まれることは、戦後政策の大きな転換となることはまちがいない。仮に日本が、紛争当事国への日本製武器の直接の輸出を控えたとしても、政府がメリットとして強調する武器の共同開発プロジェクトに日本が参加すれば、その武器が実際に戦場で使われる可能性は非常に高い。その結果として日本が失うものが何なのかを、政府は十分に精査できているのだろうか。
 しかも、政府が強調するメリットそのものが、どうも怪しいという指摘が根強い。国際的な武器取引や安全保障問題に詳しい桜美林大学教授の加藤朗氏は、今回の政策転換で武器輸出を解禁したところで、そもそも日本の防衛産業には国際的な武器市場での価格競争力がないため、日本の武器が世界で広く流通するような状況にはないと語る。また、共同開発に参加をしても、最先端技術の部分はブラックボックス化されていて、日本にそのノウハウが落ちてくると考えるのは安易過ぎると加藤氏は指摘する。
 また、武器輸出三原則はあくまで基本方針だったために、弾力的な運用がなされてきた経緯があり、今無理にそれを変更する必要性が感じられないと加藤氏は言う。日本は過去にもアメリカに防衛技術を供与したり、インドネシアに巡視艇を輸出するなど、例外を設けて限定的ながら武器の輸出を行ってきた経緯もある。
 どうも武器産業がそれほど潤うわけでもなければ、共同プロジェクトの参加によって最先端の技術やノウハウが日本に落ちてくることも、それほど期待できそうにない。しかも、これまで通りの弾力的な運用で、共同プロジェクトへの参加や特定の国に特定の武器を輸出することは十分に可能だったとの指摘もある。では、なぜ今わざわざ国是として大切にしてきた、平和主義の象徴とも言うべき基本方針を、破棄する必要があったのだろうか。
 加藤氏は、正に武器輸出三原則が「非核三原則とともに平和憲法を具現化する外交上の宣言政策」(加藤氏)だったからこそ、安倍政権にとってそれを破棄することに意味があったのではないかとの見方を示す。つまり、実質的な効果やメリット云々よりも、日本が「武器も輸出できる普通の国」になったことを世界に知らしめるアナウンスメント効果に今回の政策転換の真意があるのではないかと言うのだ。そこに安倍政権が目指す「戦後レジュームからの脱却」という隠れた真意があるのではないかと言うのだ。
 しかし、安倍政権はその政策変更やアナウンスメント効果が、かえって中国や近隣諸国を刺激して、さらなる緊張の拡大や軍拡へと繋がる可能性を精査した上での政策変更だったのだろうか。単に首相自身や政権中枢の「思い」や「見栄」を優先した結果の、向こう見ずな政策だとすれば、日本にとってそのコストは余りにも大きいと言わねばならない。
 国会の議論を経ずして行われた武器輸出三原則の破棄が、日本の国際社会における立場をどう変えるのか。政策変更に本当にそれだけのメリットがあるのか。それによって日本が失うものとは何なのか。ゲストの加藤朗氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

あなたが変われないのは実は変わりたくないから?!

(第680回 放送日 2014年04月26日 PART1:58分 PART2:54分)
ゲスト:岸見一郎氏(哲学者)

 アドラー心理学をご存じだろうか。オーストリアの心理学者アルフレッド・アドラーが20世紀初頭に創始した心理学の一体系で、海外では同時代に生きたフロイト、ユングと並ぶ心理学界の三大巨頭と呼ばれることが多いアドラーだが、なぜかこれまで日本ではあまり広く知られてこなかった。ところが今、このアドラー心理学を取り扱った『嫌われる勇気』という本が、発行部数にして20万部を超える大人気だと言う。なぜ今、日本でアドラーが受けるのか。
 総務省のアンケートによると、今日本ではLINE, Twitter, Facebookなど何らかのソーシャルメデイアを利用している人は57.1%にも達しているという。ソーシャルメディアはネットを通じて物理的に離れている人たちと常時繋がることを可能にしてくれる便利なツールだが、逆に四六時中繋がり続ける中で、うっかり発した一言や、一度でも「いいね!」をクリックしなかった程度のことで人間関係に亀裂が生じるなど、常に対人関係で緊張感を強いられるような状況を生んでいることも事実だろう。要するに、今われわれの多くが、常に嫌われないように気をつけていなければならない状態に置かれることから生じている「SNS疲れ」の中で、「別に嫌われてもいいじゃないか」と言い切るこの本が多くの人を惹きつけているようなのだ。
 この本の著者で日本におけるアドラー心理学研究の第一人者でもある哲学者の岸見一郎氏は、アドラー心理学の第一の特徴として、フロイトなどが説く人の今がトラウマなど過去の経験によって規定されるとするとする「原因論」ではなく、個々人がその経験に与える意味や目的によって自らを決定するとする「目的論」をあげる。「人が変わりたいと思っても変われないのは、変わらないことが目的になっているからだ」とアドラー心理学は説く。「変わりたい、変わりたい」と言いながら変われないのは実は自分は本当は変わりたくないからだと分析し、それは変わらないことに自分でも自覚しない何らかの目的やメリットを感じているからなのだと結論づける。
 そのため目的論に基づくアドラー心理学ではフロイトが主張する「トラウマ」を明確に否定する。われわれは現在の状態や行動の理由を当たり前のように過去の経験に求めるが、アドラー心理学では「過去は変えられないのだから」(岸見氏)、どんなに過去の経験を分析してみても、今、自分が抱える問題の本質的な解決にはつながらない。それよりも過去の経験に自分がどんな意味を与えているかを直視し、そこを手当てすることの方が、問題の解決にはより有効だという考え方だ。
 「人間の悩みはすべて対人関係」と言い切るアドラー心理学では、キーワードとして「勇気」や「自由」という言葉がよく出てくる。例えば、変わりたいけど変われないと思っている人に対して、実は自分は変わることによって生じる現状の変更が恐いから、本心では絶対に変わらないと決心していることを認識させた上で、「現状の変更に向き合う勇気」を、嫌われることを恐れて恋人や友人との関係を変えられないで悩んでいる人に対しては、「嫌われてもいいじゃないかと思える勇気」を持つようなカウンセリングが行われると岸見氏は言う。そして、嫌われる勇気を持てて初めて人は自由になれるとアドラー心理学は説く。
 とかく生きづらいと言われる昨今、もしかするとわれわれは知らず知らずのうちに自らの手で自分の自由を縛っていたのかもしれない。5月病など新年度疲れが出始めそうな今、勇気を持てば人は変われるし、勇気を持てば人はもっと自由になれると説くアドラー心理学の入門編を、岸見一郎氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司がお届けする。

 

vol.66(661~670回収録)

DVDを購入
CDを購入

「減反廃止」で日本の農業は生き残れるか

(第661回 放送日 2013年12月14日 PART1:67分 PART2:34分)
ゲスト:安藤 光義氏(東京大学大学院農学生命科学研究科准教授)

  政府は12月10日に決定した「農林水産業・地域の活力創造プラン」で、「減反政策の廃止」を打ち出したとされる。安倍首相は9日の会見で、「40年以上続いてきた米の生産調整を見直し、いわゆる減反の廃止を決定した。減反の廃止など絶対に自民党できないと言われてきた。これを私たちはやったのだ」と長年の課題だったコメ農政の大転換に胸を張ってみせた。政権の意向を受けたものかどうかは定かではないが、確かに11月下旬頃から大手メディアもこぞって「減反廃止」を大々的に報じている。しかし、専門家や農業関係者からは、今回政府が決定した内容は実際には、安倍首相が誇ってみせたような「減反政策の廃止」とはほど遠い内容ではないかとの指摘が聞こえてくる。
 減反政策というのは、コメの値崩れを防ぐために、転作に対して補助金を出すなどして、コメの生産を管理することである。しかし農政問題に詳しいゲストの安藤光義氏によると、今回、政府が決定した内容では、実際にはこれまで通り転作奨励の補助金は続けられる。いや、むしろ項目によっては新設・増額さえされている。また、これまで政府が行ってきたコメの生産数量目標の管理も、これまで通り政府が行うという。唯一の違いは、これまで都道府県別に割り当てていた生産数量目標を廃止し、政府は国全体の生産目標だけを公表することになった点だという。
 民主党政権時代に鳴り物入りで創設した戸別所得補償制度は5年後の廃止が決まったものの、全体としては従来の補助金農政と変わらない、それどころか項目によっては補助金が増額されている分、農政全体の予算規模は膨らむ可能性すら指摘されているのが、今回の決定の実態なのだ。
 日本のコメ農政は戦後一貫してコメ自給率100%を掲げて進められてきた。1970年代に入ると需要の頭打ちや豊作などもあってコメの供給過剰が表面化し、政府がその需給管理に本格的に乗り出すことになった。政府は毎年の米価を決めて、コメを全量買い上げる一方、コメ農家に対しては、麦や大豆などへの転作を奨励してコメ生産を抑制することで補助金がつく仕組みを設けて全体の供給量を管理するいわゆる減反政策がスタートした。
 安藤氏は減反政策は当初うまく機能していたと評価する。しかし、その後、日本人のコメの消費量は年々減少し、コメ余りが深刻化すると同時に、ブランド米などの自主流通米が拡大したために、今や250万ヘクタールある日本の水田の4割にあたる100万ヘクタールが、減反の対象となってしまった。転作による生産調整も転作率が4割を超えるところが多く、減反という名の補助金によって米価を買い支える日本の農政の基本モデルはもはや限界を迎えていると安藤氏は指摘する。そして更に日本人のコメ離れとTPPなどによる市場からの圧力が加わることは必至な情勢なのだ。かといって、日本の財政の現状を考えると、これ以上のコメを買い支えるだけの財源などどこにもないことも論を待たない。
 なんだかんだ言っても減反はやめられない。一方で、減反による米価の買い支えももはや限界を迎えている。しかも、これ以上買い支える財源もない。安藤氏は、もう少し早ければ減反をやめるという選択肢もあったかもしれないが、もはやそれも難しいという。そのような袋小路にあって、相変わらず抜本的な政策転換を図ることができなかったというのが、今回安倍首相が胸を張り、マスコミ各社が大々的に「減反廃止」と報じた新しい農業政策のもう一つの現実なのだ。
 「日本から4割の水田が消えた時の景色を想像できますか」と安藤氏が指摘するように、日本にとって水田が持つ意味は単なるコメを作る耕作地以上の意味を持つ。今、われわれにはどのような選択肢が残されているのか。それでもこのような弥縫策を続けた場合の最悪のシナリオとはどのようなものなのか。ゲストの安藤光義氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

アベノミクス、この1年の成果と課題

(第662回 放送日 2013年12月21日 PART1:47分 PART2:39分)
ゲスト:熊野 英生氏(第一生命経済研究所首席エコノミスト)

  アベノミクスを旗印に政権の座についた安倍政権が発足して1年が経つ。
 安倍首相は、昨年9月に自民党総裁の座に返り咲くと、デフレ脱却のために日銀による大幅な金融緩和を実施し、2%のインフレターゲットを中心とする一連の経済政策を掲げて総選挙に臨んだ。タイミングが景気の底堅さが見えていた時期とも重なったこともあり、アベノミクス、とりわけインフレターゲット論は、市場に好感を持って迎えられ、以後、市場は円安、株高の相場が続いている。ひとまずアベノミクスはスタート段階では成功を収めたかに見える。ゲストの熊野英生氏も「アベノミクスがロケットスタートを切ったことは事実」と一定の効果を認めるが、その後の公共事業中心の政策には財政健全化への懸念がつきまとい、同時に、本来は消費税増税とセットであったはずの社会保障改革論議が棚ざらしにされているなど、懸念すべき点は多いと指摘する。
 もともと安倍首相はアベノミクスは3本の矢から成ると説明している。1本目は金融緩和によってマネーの供給量を増やすこと、2本目が公共投資による景気の刺激、そして3本目が規制緩和などによる経済成長の実現だ。ひとまず1本目は実現し、2本目も国土強靭化基本法を可決し大型の補正予算を組むなど、着実に実行する方向にある。しかし、本丸とも言うべき3本目の矢については、今のところほとんど中身のある政策が見えてこない。
 折しも16日に発表された日銀の企業短期経済観測調査、いわゆる日銀短観は、企業の業況判断が大幅に改善されるなど、景気回復の着実な進展を示している。今回は中小企業でも景気判断に改善が見られるのが特徴とされているが、日本経済の自律的回復の条件となる企業の設備投資への意欲が十分に回復しているところまでは至っていないようだ。また、なにより、個人所得に依然として下降傾向が続き、個人消費も改善には至っていない。
 一方、18日に公表された11月の日本の貿易統計では、17ヶ月連続の輸入超過、つまり赤字の状態が続いている。熊野氏によると、貿易収支だけではなく、所得移転やサービスなどの輸出入を含んだ経常収支に関しても「数年前には考えられなかった年間での赤字を懸念する声がエコノミストの間でも出てきている」という。事実、月次の数値では既に赤字だった月も出始めている。こうして見ると、ここまでアベノミクスがもたらした経済回復への期待感には、一定の成果は認められるものの、今後、過度な円安に触れかねないリスクや、それがもたらすマイナスなどには依然として注意が必要なようだ。そもそも、肝心な成長分野育成なども、財政出動頼みという従来型の経済政策の域を出ていない。
 来年4月には消費税が8%に引き上げられる。こうした状況の中で、アベノミクスは日本経済をデフレから救い出し、持続的な成長軌道に乗せることができるのか。また、アベノミクスの副作用について、われわれはどの程度懸念をする必要があるのだろうか。ゲストの熊野英生氏と共に、この1年のアベノミクスの成果と課題を、経済学者の小幡績氏と社会学者の宮台真司が議論した。

恒例年末神保・宮台トークライブ
感情の政治に負けないための処方箋

(第663回 放送日 2013年12月28日 PART1:78分 PART2:39分)

  自らを経済再生内閣などと呼んでいたはずの安倍政権が、参院選に勝利するや否や、一気に何でもあり政権の素性を露呈し始めた。昨年12月に安倍政権が発足した時、今年7月の参院選まではアベノミクスなどの経済政策重視の仮面を被り、その本性を現すのは参院選後になるだろうと予想されてはいたが、早速、選挙公約にも所信表明演説にも含まれていなかった特定秘密保護法案を突如提出したかと思うと、その可決をごり押しするなど、悲観的な予想がまさに最悪な形で的中してしまった。
 一方、安倍政権の下では、生活保護法の改正や国土強靱化基本法など、アベノミクスや特定秘密保護法の喧噪にまみれて、日本の国のカタチを変えるほど重大な法律や制度が、ほとんど議論もされないまま幾つも成立している。
 その一例が生活保護法の改正だ。今や日本はアメリカと並んで先進国の中で最も貧困率が高い国の一つになっている。にもかかわらず、日本は公的な生活支援を受ける上でのハードルが最も高い国でもある。ピューリサーチの国際意識調査でも、貧困世帯を政府が助ける必要があると答えた人の割合は日本が世界で群を抜いて低かったが、実際に今日本で起きていることはそれを裏付けてしまっている。そして、公的支援の中でも最後の命綱と呼ぶべき生活保護受給のハードルを更に上げるような法改正が、さしたる議論もないまま行われ、メディアもその意味を熱心に説明しようとしない。主権者たる国民不在のまま、日本という国のカタチが変わってしまっているのだ。
 確かに自公政権は正当な選挙で政権の座についているが、昨年の衆院選も今年の参院選もいずれも実際に両党が獲得した票数は野党の得票総数よりも少なく、過半数を割っている。いずれの選挙も投票率が6割未満だったことと併せて考えると、現政権に投票した人の数は全体の4分の1に過ぎない。要するに、野党が分裂しているがために、4分の1の得票で過半数の議席を得ているに過ぎないのだ。そのような政治勢力が日本という国のカタチを変えてしまうような重大な決定を次々と下していることになる。
 ところが市民社会はそのような悲惨な状況を目の当たりにしながら、それを一向に変えることができない。野党は相変わらず内部分裂を繰り返す体たらくだし、メディアも有効な手立てが打てていない。
 アベノミクスで日銀が円をジャブジャブ刷ってくれたおかげで、一部で景気のいい話も出てきているようだが、この生きづらさはそう簡単には変わりそうもない。
 今年の年末恒例マル激ライブは、そんな生きづらい時代を生き抜くためのキーワードとして、コミュニティと行動の内発化をテーマに議論をしてみた。アベちゃんや2倍返しといった感情の政治に負けないようにするために、自分の価値基準が正しいことを確認できるホームベースを大事にすることと、見返りや打算抜きで行動をとってみることの意味などを、神保哲生と宮台真司が議論した。

2014年、底の抜けた日本を生き抜く

(第664回 放送日 2013年03月30日 PART1:56分 PART2:63分)
ゲスト:東 浩紀氏(哲学者)

  今年最初のマル激は、哲学者の東浩紀さんをお呼びして、生きにくい2014年の日本をどう生き抜けばいいかを考えてみることにした。
 ゲストの東氏は昨年2013年を、「1990年代に始まった改革指向の時代が終わり、変わらなくて良いのだ、変われないのは仕方ないのだということになってしまった年」と位置づける。その無力感や徒労感は、東日本大震災や福島第一原発事故のような国難に直面しても、そう簡単に変わることはなかった。
 東氏自身は福島の風化を食い止めるために、2013年に『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』と『福島第一原発観光地化計画』という2冊の本を上梓し、今、チェルノブイリや福島で起きていることを「観光」という切り口から伝えようとしている。しかし、東氏自身の見通しは暗い。日本全体が福島に同情しているのは確かだが、それならば何とかしようという動きにつながっていないのだ。幾多もの挫折を繰り返す中で日本人の多くが、自分の手に余るものや自分にとって不都合なことから目を背ける癖を身につけてしまったのかもしれない。
 日本人が全体的に劣化していると東氏は指摘する。かつて知識人や指導者たちが当たり前のように伝承してきた教養やバーチュー(美徳)といった感覚が、日本から抜け落ちてしまった結果、社会が「底が抜けた状態」になっている。かつて日本には「立派な大人」が身近にいて、その規範としての役割を果たしていた。しかし、そのような大人と知り合う機会が失われた現代においては、そもそも教養とは何か、立派な人物とは何かといった、人間が社会で生き抜く上で最も基本的な考えを共有することすら難しくなってしまった。
 そこまで劣化してしまった社会を立て直すのは決して容易ではない。しかし、改革に失敗した日本が底が抜けた状態のまま漂流を続ければ、そう遠くない将来、市場から手痛いノーを突きつけられることが避けられない。そうならないようにするためには、またそうなった時に社会がおかしな方向に向かないようにするためには、われわれ一人一人で自分たちの手の届く範囲でできることからはじめ、それを大きなうねりにしていく以外に方法が考えられない。政治だの経済だのといった大きな話では、もうどうにもならないところまで日本は来ているというのが、東氏の見立てだ。
 2014年を、単なる長期低落傾向の延長とせずに、何か将来への希望を持てる1年にするために、今、われわれに何ができるかを、ゲストの東浩紀さんとともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

これから日中関係はどこへ向かうのか

(第665回 放送日 2014年01月11日 PART1:72分 PART2:44分)
ゲスト:富坂 聰氏(ジャーナリスト)

  2013年も押し迫った12月26日、突如として安倍首相が靖国神社に参拝した。首相としては2006年の小泉首相以来、7年ぶりの靖国参拝だった。
 前回の首相在任期間に靖国への参拝を果たせなかったことを「痛恨の極み」と悔いていた安倍首相だが、予想通り中国や韓国が激しくこれに反発したばかりでなく、今回はアメリカやEU、ロシアなどからも批判や懸念を表明する声があがった。これは安倍政権としても想定外だったようだ。年明け早々、実弟の岸信夫外務副大臣や腹心の谷内正太郎NSC(国家安全保障会議)局長をアメリカに派遣するなど、後処理に追われている。
 靖国参拝によって、日中間の正当性をめぐる外交ゲームはパワーバランスを変えたかもしれないと指摘するのが、ゲストで中国事情に詳しいジャーナリストの富坂聰さんだ。
 経済発展を実現し軍事力の増強を続ける中国は、法や秩序を蔑ろにしたまま周辺への膨脹をも辞さない危険な国として国際的には警戒されている。尖閣を含む両国間の問題を日本にとって有利な形で解決するためには、そのような国際世論に訴えることが最大の戦略であり、最強の武器だった。富坂氏は昨年11月に中国が防空識別圏を一方的に設定したことで、国際社会の中国への評価はさらに悪化しており、「対中関係を日本有利に運ぶことが可能になりつつあった」と言う。しかし、そんな矢先の靖国参拝によって、国際社会の日本に対する評価は厳しいものになってしまった。一国の首相が自らの心情を優先するあまり、国際政治上の損得を無視してとった行動によって、日本は大きな国際政治上の利益を失った。まずはそのことをしっかりと認識する必要がある。「安倍首相は中国が仕掛けた罠にまんまと嵌まってしまった」と残念がる。
 それにしても、2012年に野田政権が尖閣諸島を国有化して以降、日中関係は新たな、そして日本が過去経験していないレベルの鬩ぎ合いに入ったように見える。中国の習近平政権は対日強硬姿勢を隠そうともせず、軍事力による威嚇、示威行為をあからさまに行うようになっている。しかし、今回の安倍首相による靖国参拝は、ここまでの中国側の強硬路線を正当化し、国際社会まで中国側に肩入れしかねない格好の材料を、わざわざ日本側から提供したことに他ならならないと、富坂氏は指摘する。
 更に厄介なことに、習近平政権の対日強硬姿勢はもともと反日感情が強い中国国民の支持を集めていることだ。これだけ日中関係が悪化していても中国国内で反日デモなどが起きていないのは、中国の公民の多くが習近平なら日本には厳しく対応してくれるだろうという期待感があるためだと富坂氏は言う。習近平政権は国内事情からも対日強硬路線を維持せざるを得ないようだ。
 そうこうしている間にも、尖閣周辺海域には毎日のように中国船が出没し、領海侵犯も日常化している。昨年1月には中国フリゲート艦による日本艦艇へのレーダー照射事件が起きている。その後も一歩間違えば武力衝突がいつ起きてもおかしくない緊迫した状態が続いてきている。しかも日中間には不測の事態を避けるためのホットライン、緊急連絡回路が確保されていない。同じく関係が悪化している韓国との間には、現場レベルのホットラインを通じて毎日1日40~50回ものやり取りがあるという。短期の改善が望めないまでも、要らぬ衝突を避けるための対話の回路を設置することは特に日本にとって重要なのではないか。
 もはや日中・日韓問題にとどまらず、国際社会の関心事となってしまった首相の靖国参拝問題を、われわれはどう考えればいいのか。安倍首相の靖国参拝を受けて、日中間には衝突を避け関係を改善する手立てはあるのか。中国国内の政治・経済事情を考慮に入れつつ、今後の日中関係の行方について、ゲストの富坂氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

働き方を変えれば日本は変わる

(第666回 放送日 2014年01月18日 PART1:45分 PART2:42分)
ゲスト:渥美 由喜氏(東レ経営研究所ダイバーシティ&ワークライフバランス研究部長)

2014年、マル激は、これから日本が変わっていくための「ツボ」になると思われるポイントを折に触れて取り上げていきたい。
 その一環として、今週は働き方について。
 安倍首相は経済政策の一環として女性の社会進出を「成長戦略の中核」に据え、社会のあらゆる分野で、2020年までに指導的地位に女性が占める割合を30%以上にする目標を掲げている。日本はこれから強烈な人口減少社会に突入する。そうした社会情勢の中で持続可能な経済成長を果たすための一つの処方箋として、「ダイバーシティ」や「ワークライフバランス」という考え方にあらためて注目が集まっている。
 マル激ではお馴染みの「イクメン」として知られる東レ経営研究所の渥美由喜氏は、安倍首相の女性重視政策を予期していなかった。嬉しい誤算を歓迎しているが、ダイバーシティやワークライフバランスが重要なのは、単に労働力として女性の力が必要だからではないことは言うまでもない。女性は言うに及ばずだが、むしろ男性こそそれを必要としていると渥美氏は言う。
 ダイバーシティとは「多様性」などと訳され、社会や企業が女性や障害者、高齢者、外国人、非正規雇用の労働者など多様な人材を広く受け入れ積極的にこれを活用していくことを指す。ワークライフバランスは「仕事と生活の調和」という意味だが、渥美氏によると、ダイバーシティやワークライフバランスを積極的に推進している企業の方が明らかに業績も優れているし、成長性も高い。過去5年間の業績においてダイバーシティやワークライフバランスの推進に取り組んでいない企業が業績を約3割落としているのに対して、積極的に取り組んでいる企業は約1割業績をアップさせている。また女性役員の管理職の割合が高い企業やダイバーシティを重視している企業は法令遵守、コンプライアンスの面でも企業不祥事が起きにくい風土を構築できている傾向にあると言う。
 しかし、日本では依然として長時間労働が美徳とされ、定時であがったり、有給休暇や産休をきちんと消化する社員は、仮に管理能力に優れていたり、営業成績が良かったとしても、社内的に評価されなかったり、同僚から疎まれたりする空気は依然として根強い。
 さらに日本では女性労働者が結婚・出産・子育ての年齢に差し掛かると仕事を辞めざるを得なくなるという構造的な問題も抱えている。渥美氏はこの理由をたくさん働けば所得があがるのが当たり前だった「高度経済成長期の成功体験」からいまだに脱しきれないからだと分析する。労働者の側にも立身出世の意識が依然として強く、これが組織内でも長時間労働をよしとする風土につながっているというのだ。さらに日本の経済成長を下支えしてきた家庭の役割、つまり結婚や出産を機に女性は専業主婦となり、外で働くのは男性という役割がうまく回っているように見えたため、社会の制度、ライフスタイルとして固定化してしまったという。
 日本の男性労働者の育児休暇取得率はわずか1.89%に止まり、一部上場企業の女性役員数は1.2%程度に過ぎない。子育てや教育における政府などの公的支出の対GDP比の割合はOECD加盟国で最低レベルだ。
 しかし、好むと好まないにかかわらず、今後日本はこうした取り組みを推進していかざるを得なくなるだろうと渥美氏は言う。これまでワークライフバランスと言えば、男性が積極的に育児に関わることがポイントだったが、今後、猛スピードで高齢化が進む中、介護の負担をいかに分担していくかが日本社会全体の大きな課題になることは必至だ。そうした状況の中で、仕事だけをしていれば立派とされるようなこれまでの男性像がもはや通用しないことは明らかだ。
 渥美氏はこれからの働き方のモデルとして、「仕事人、家庭人、地域人」の一人3役がこなせているかどうかが問われるようになる。そしてその相乗効果は、これからの働き方や社会のあり方にも大きな影響を与えるだろうと言う。
 われわれはこれからどんな「働き方」を模索すればいいのか。それはわれわれの社会や政治、経済にどのような影響を与えていくことになるのか。ゲストの渥美由喜氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

細川・小泉連合の日本政治史的意味を考える

(第667回 放送日 2014年01月25日 PART1:73分 PART2:50分
ゲスト:中野晃一氏(上智大学国際教養学部教授)

  細川・小泉両元首相の2ショットにわれわれは何を見るのか。
 ともに七十路を超えた彼らが声高に連呼する「即時原発ゼロ」のメッセージを、「引退した老人の戯言」と一蹴する向きもあろう。また、原発に反対する候補が複数出たことで、脱原発陣営の票割れを懸念する声もある。
 しかし、すでに政治の世界では十分すぎるほど功成り名遂げた2人の総理経験者が、あえてここで都知事選に打って出ることの意味は何なのか。
 3・11に国の存亡を左右するほどの大事故を経験しながら、これまで原発は国政選挙の争点にすらならなかった。それは有権者にとって他により重要な関心事があったからなのか、それとも、誰がなっても原発を止めることなどできるはずがないという諦めからくるものなのか。今の東京には原発よりも優先課題があるはずだという意見もあろう。しかし、小泉氏の後押しを受けた細川氏が明確に原発ゼロを謳って都知事選に出馬したことで、好むとこのまざるとに関わらず、原発が初めて主要選挙の争点となったことだけはまちがいない。
 ゲストで政治学者の中野晃一上智大学教授も、細川・小泉連合のインパクトが「閉塞していた政治的な言論空間を広げる可能性がある」と期待を寄せる一人だ。90年代以降の長い政治的閉塞の時代を経て、大きな期待を背負って登場した民主党政権が惨めな挫折に終わったことで、有権者の間にもはや政治には何も期待できないとの思いが蔓延していた。そこにアベノミクスを引っさげて安倍首相が登場した。実は自民党の支持率は民主党に大敗した09年の衆院選の時点からほとんど回復していない。また、安倍氏自身の自民党内の支持基盤も実際は非常に脆弱だ。しかし、野党が四分五裂状態にある上に有権者の間で民主党政権失敗の後遺症が尾を引き、また、アベノミクスによって長年日本を苦しませてきたデフレ脱却に光明が見えたことで、高い支持率を得た安倍政権は一見向かうところ敵なしのように振る舞うことが可能だった。
 しかし、昨年末頃から都知事選で安倍氏を後継者に指命した小泉元首相が脱原発を訴え始め、安倍首相を名指して政策転換を迫るようになった。この呼びかけに安倍政権が下した答えは、原発を今後も日本の重要なベース電源と位置づけ、再稼働を進めることを謳った新しいエネルギー基本計画だった。既得権益や岩盤規制を、全く切り崩すことができなかったのだ。
 小泉氏にしてみれば、安倍首相への不満が募っていた。自らが身を賭してぶっ壊したはずの古い自民党とその支持基盤の再結集を図り、その政治資産を秘密保護法や靖国参拝に消費した。脱原発への政策転換によって日本を大きく変えるチャンスを与えられながら、一向に改革を進められない安倍政権はもはや支えるべき対象ではなかったのだろう。
 脱原発を掲げた小泉元首相の細川支持によって、野党陣営はもとより、自民党内にも一つの対立軸が形成された可能性が高い。細川氏が正式に出馬を表明した翌日の1月23日、脱原発を主張する河野太郎衆院議員が代表世話人を務める自民党のエネルギー政策議員連盟は、原発の新増設を認めないことや核燃料サイクルからの撤退を求める提言を発表している。
 もちろん、今回の都知事選が原発ゼロのワンイシュー選挙となった場合のリスクについてもわれわれは留意しておかなければならない。東京には防災対策、バリアフリーを含めたインフラ整備、高齢化対策、子育て支援など、取り組まなければならない問題が山積していることも確かだ。しかし、こうした施策は誰が知事になったとしても取り組まなければならない問題であり、各候補とも推進を約束しているが、原発については候補者間の温度差が明快だ。
 この都知事選が、細川氏が提唱する脱原発を通じた省エネ・再エネ化を進め、高度成長期以来の成長一辺倒を志向する社会から、より成熟した豊かを求める社会へと転換する契機となるのかどうかはわからない。しかし、都知事選の結果がどうあろうとも、有権者の間でやや諦めにも似た後ろ向きの姿勢が蔓延していた日本の政治に、新しい息吹が吹き込まれたことだけは間違いないだろう。むしろ問題は、七十路を超え既に引退をしていたはずの2人にしか、それをもたらすことができなかったことなのかもしれない。
 安倍政権の政治基盤の脆弱さを露呈した細川・小泉連合の持つ政治的な意味と、それが今後の日本の政治、社会へ与える影響などについて中野氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
政治権力による放送の私物化を許してはならない

(第668回 放送日2014年02月01日 PART1:58分 PART2:68分
ゲスト:永田 浩三氏(武蔵大学社会学部教授・ 元NHKプロデューサー)

  5回目の金曜日に特別企画を無料放送する5金スペシャル。今回はNHK新会長の発言問題を取り上げる。2001年の「ETV番組改編問題」の渦中にいた元NHKプロデューサーの永田浩三氏(現在は武蔵大学社会学部教授)をゲストに迎えて、なぜ時の政権による放送局への介入がそれほど重大な問題なのかを議論した。
 安倍政権が送り込んできた新しい経営委員らの後押しを受けてNHKの新会長に就任した籾井勝人氏は、その就任記者会見の場で従軍慰安婦や靖国、秘密保護法などに対する持論を披歴した。確かに、籾井氏の歴史認識については初歩的な誤解や誤認も多く、NHKの会長としての資質に疑問が呈されるのは避けられないかもしれない。
 しかし、籾井発言を単なる「NHK会長の歴史認識のあり方」の問題として位置づけるのは、事の本質を欠いている。籾井氏は歴史認識以外にも重要な発言をしている。「政府が右というのに左というわけにはいかない」と発言しているのだ。これはNHKは政府の意向に沿った放送をせざるを得ないとの考えを表明したものに他ならない。
 NHK会長はNHK経営委員会が任命し、経営委員は内閣が国会の同意を得て任命する。予算は国会の承認を必要とし、法律に基づいて徴収される受信料で運営されている。だからといって、NHKがその時々の政治権力の意向に左右されていいはずがない。そこにこの問題の本質がある。
 そもそも籾井新会長の就任会見で従軍慰安婦問題が議題にあがったのには伏線がある。NHKは2001年、当時官房副長官だった安倍晋三氏(現首相)ら自民党の国会議員から従軍慰安婦を扱った番組について「中立公正な立場から放送する」ことを求められ、その意向を受けた役員が制作現場に直接介入し、正規の社内手続きを経ていったんは放送が決まっていた番組の内容を大幅に改編させられる事態を経験している。番組内容が当初の説明とあまりにもかけ離れていたことに対し、取材に協力した市民団体がNHKと関連制作会社に損害賠償を求める裁判を起こした。そして、その裁判の過程で、介入の事実が明らかになっていたのだ。
 当時、その番組のプロデューサーだった永田氏は「安倍氏らはNHK幹部から放送内容の克明な説明を受けた上で、『公正中立な放送をしろ』と言ったことは認めている」ことを指摘した上で、NHKの幹部らが政治家の意見を圧力と受け止め、部下である永田氏らにそれに従うよう命じていたことは明らかだと、当時を振り返る。
   ところが第2次安倍政権は、ETV番組改変事件から教訓を学ぶどころか、あからさまな放送への政治介入を始めた。NHK会長を選出する経営委員会に安倍首相の応援団を自認する委員らを送り込み、続投の意向を見せていた松本正之前会長を引きずり降ろしたうえで、代わりに送り込まれてきた新会長が籾井氏だった。松本前会長については、NHKの「リベラルすぎる」報道姿勢をトップの松本氏が放置しているとして、安倍氏周辺では不満の声が上がっていたという。
 確かに、思想的に右であろうが左であろうが、NHK会長に極端に偏った思想の持ち主がつくこと自体はあまり好ましいことではないかもしれないが、それは今回の問題の本質ではない。むしろ、それ以前の問題として、時の政権が事実上NHKの会長人事に介入するばかりか、予算を人質にとって放送内容に口出しをすることを可能にしている現在の放送法にこそ問題の本質がある。この先、さまざまな政権が誕生するだろうが、そのたびにNHKの報道内容が右に左にとぶれていていいはずがない。
 NHKに限ったことではない。日本では放送免許を政府が認可する仕組みとなっている。先進国では異例なことだ。理由は簡単だ。放送の重要な役割の一つが、時の権力をチェックすることにあるが、時の権力から免許をいただく立場にある放送局にそれができるはずがない。
 われわれはETV事件や今回の政治介入に限らず、過去に繰り返しその弊害が表面化しているにもかかわらず、近代国家としてはあまりにも初歩的な欠陥をいつまでたっても解決できていない。放送局自身も政府に従属的な立場を強いられながらも、その分さまざまな特権を享受していることや、新聞とテレビが系列化している日本では新聞自身が放送について利害当事者となっているために、新聞が放送行政の問題点を中立的な立場から報道できなくなっていることなどが背景にある。もちろん、世論に強い影響力を持つメディアに対する支配的な立場を手放したくない時の権力が、あの手この手を使ってこの構造を守ろうとしてきたことは言うまでもない。
 しかし、メディア、とりわけNHKを語るときに引き合いに出される「公共性」が、時の政府の意向に左右されていいはずはない。メディアや放送が代表している公共性とは、極めて大きなものでなければならないはずだ。
 行政への特権的なアクセスを認められた記者クラブに対する政府施設の無料貸し出し、多くの先進国が禁止、もしくは厳しい制限をかけている新聞と放送の資本相乗りを認めるクロスオーナーシップ、本来は独禁法で禁止されている販売店に対する販売価格の強制を認める再販価格維持制度と、国有地の格安払い下げ等々、これまで政府はメディアをアメとムチで巧みに操ってきた。そして、われわれ市民はそうした特別扱いを公共性の名のもとに容認してきた。しかし、であるならば、われわれには放送局がきちんと公共責任を果たせるような法律や制度を求める責任があるのではないだろうか。
 日本が公共放送のお手本とするイギリスのBBCでは、政治介入を防ぐための手立てが多重的に講じられている。フォークランド紛争の際に、サッチャー政権からイギリス軍を「我が軍」と呼ぶように求められてもそれをはねつけ、あくまで「イギリス軍」と呼び続けたBBCは、NHKと同様にBBCトラストと呼ばれる経営委員会によって運営されている。このBBCトラストの委員は大臣の助言のもと女王が任命するが、その過程では公募制を取り、委員になる人物の能力や資格の明確化や選任プロセスの文書化と透明化、選任プロセスへの外部監査など厳しい外部チェックを受けることで、党派性や偏りを排除し、適性に疑問のある委員の選出を防ぐような手立てがとられている。同じ経営委員会でも、時の政権の意向に沿う形で密室の中で意味不明の基準に基づいて委員が選ばれている日本との違いはあまりに顕著だ。
 実はイギリスでBBCトラストの委員の公共性、中立性、そして適性を外部的に審査する公職任命コミッショナーはBBCトラストの委員のみならず、政府のあらゆる審議会や委員会の委員の人選も監査の対象としている。日本ではほとんどすべての政府系の委員会や審議会が、時の政権や官僚の御用委員会と化していることは今更指摘するまでもないが、この問題もまた、NHKの経営委員会問題とも根っこは同じなのだ。
 2001年のETV番組改編事件を見るまでもなく、これまで放送局はことごとく権力の介入に甘んじてきた。権力にとっては世論を左右する放送に対する影響力はあまりに美味しい権限だ。制度がそれを可能にする以上、そうならない方が不思議と言っていいだろう。しかし、ここにきて安倍政権がこれまで以上に露骨な形で放送への介入を行ってくれたおかげで、国民の公共的な利益を守る立場にあるはずの放送が、実は時の権力に完全に隷属してしまっている実態が、期せずして明らかになった。この際、イギリスの公職任命コミッショナー制度などを参考に、放送行政のあり方、引いては委員会、審議会のあり方を抜本的に見直すべき時がきているのではないだろうか。
 NHKに代表される時の政治権力とわれわれが守るべき公共性との関係などについて、ゲストの永田浩三氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

利権の復活を目論む詐術を見抜け

(第669回 放送日 2014年02月08日 PART1:56分 PART2:51分)
ゲスト:古賀 茂明氏(元経産官僚・古賀茂明政策ラボ代表)

  2月9日に投開票を控えた東京都知事選で、原発が争点としてふさわしいかどうかをめぐりさまざまな意見が交わされている。そもそも原発がない東京で原発が選挙の争点になるのはおかしいという意見がある一方で、電力の最大の消費地である東京がそのエネルギー源をどうすべきかが争点になるのは当然との意見もある。元経産官僚で政治と官僚機構の関係に詳しい古賀茂明氏は、一度は壊れかけた利権が安倍政権の下で続々と復活を遂げていることを指摘した上で、日本を代表する利権である原発の是非は、日本の政治が再び既得権益に蹂躙される利権政治に戻るかどうかがかかっているという意味で、重要な争点になるという。
 日本が福島第一原発の事故を真摯に受け止め、原因や問題点を十分に精査した上で、原発再稼働のメリットとリスクを厳しく比較衡量し、中立的な立場から再稼働を論じているのであれば、まだわかる。しかし、実際は「世界一厳しい安全基準」や「原子力規制委の独立性」といった、おおよそ現実とかけ離れた嘘で国民を騙し、無理矢理再稼働に持って行こうとしているのが現実だと古賀氏は言う。
 どうやら原発そのものをどうこうする以前に、日本の利権構造を根底から変えていかない限り問題は解決しそうにない。ところが安倍政権になってから、予算や規制で既得権を守る一部の政治家とそれを表面上補佐するように装いながら天下り先の確保に走る行政官僚、そしてその利権にぶら下がる利権団体と産業界という巨大な利権共同体が軒並み復活してきていると古賀氏は指摘する。
 古賀氏によれば、安倍政権はその利権構造を守るために国民を誘導したり欺く手口が、より高度になってきている。かつては霞ヶ関文学と呼ばれる官僚詐術的な言葉が国民の代表である国会をいかに操縦するかがポイントだった。ところが現在は、官僚と政治家が協力して、非常に高度な世論誘導をやるようになっているというのだ。
 巧みに世論を誘導しながら裏では既得権益や利権を温存し、しかも自分たちが改革派であるかのように装うことを可能にするほどまでに高度化した権力の「詐術」にわれわれはどう立ち向かえばいいのか。このまま騙され続けた場合、それは日本の将来にどのような結果をもたらすのか。われわれはどうすればその詐術に騙されなくなるのか。ゲストの古賀茂明氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

自民党が原発をやめられない理由

(第670回 放送日 2014年02月15日 PART1:45分 PART2:43分)
ゲスト:河野 太郎氏(衆議院議員)

  安倍政権は一体全体どんな展望があって、再び原発推進に舵を切ろうとしているのだろうか。
 東京都知事選で自民党が推す舛添要一氏が脱原発を主張していた宇都宮・細川両候補に勝利したことで、安倍政権は懸案だった原発再稼働へ向けて動き出した。事実上原発推進を謳ったエネルギー基本計画の策定作業も、速やかに進めるという。
 当初、政府は2030年代末までに原発ゼロを謳った民主党政権のエネルギー基本計画を破棄し、原発を重要なベース電源と位置づけた新たなエネルギー基本計画を1月中に閣議決定する予定だった。しかし、原発ゼロを掲げる小泉純一郎元首相の後押しを受けた細川護煕元首相の都知事選出馬で、にわかに原発問題が注目を集め始めたと見るや、選挙後まで閣議決定を先延ばしにしてまで、原発が都知事選の争点となることを避けてきた経緯がある。
 選挙から一夜明けた10日の予算委員会で早速、安倍首相はエネルギーの「ベストミックス」を目指したエネルギー基本計画の策定を進める意向を示した。ベストミックスというのは経産省が考え出した霞ヶ関文学で、要するにこれからも原発を継続することの意思表明に他ならない。
 政権中枢を含め原発推進が主流を占める自民党内にあって、一貫して脱原発を提唱し続けている衆議院議員の河野太郎氏は、そもそも現在のエネルギー基本計画の原案では、自民党の選挙公約に違反していることを指摘する。自民党は政権に返り咲いた2012年の衆院選で原発をあくまで「過渡期の電源」と位置づけ、できるだけそれを減らしていくことを約束していた。今になって原発を「重要なベース電源」とするのは公約違反になるというわけだ。
 河野氏が代表を務める自民党脱原発派のエネルギー政策議員連盟は、政府のエネルギー基本計画の原案に対抗する形で、原発の新増設・更新は行わず、核燃料サイクルも廃止して「40年廃炉」を徹底することで緩やかに脱原発を実現するための提言を策定し、政府と自民党に提出している。
 しかし、河野氏は自民党内では実際に脱原発の声をあげられる議員の数は党所属国会議員409人中せいぜい50人前後ではないか。電力会社やその関連会社、電気事業連合会と経団連、そして電力会社に依存する企業群や関連団体などから成る「原子力ムラ」は、脱原発を主張する議員に対して、激しいロビー活動を仕掛けている。多くの若手議員から、「原子力村から脅された」となどの相談を受けているが、本心では原発をやめるべきだと考えている議員の多くが、こうしたロビー活動のために身動きが取れなくなっている実態があると指摘する。
 原子力ムラは政治家にとって命綱となる選挙を、物心両面で支えている。パーティ券の購入や政治献金などを通じた政治活動の支援も、電力会社本体はもとより、関連会社、下請け、関連団体などを通じて、幅広く行っている。原発の再稼働を容認しないと発言した途端に、議員の集票や資金集めに支障が出てくるといっても過言ではないほどの影響力があると河野氏は言う。特にやる気のある新人や若手議員は選挙での支持基盤が脆弱なため、電力会社から「次の選挙では支援しない」と言われれば、政治生命の危機に陥るような議員が大勢いるのが実情だというのだ。
 そのような与党内の党内事情と同時に、もう一つ日本が原発をやめられない明確な理由があると河野氏は指摘する。使用済み核燃料の最終処分場を持たず、また核兵器を持たない日本は、原発から出るプルトニウムなどの核のゴミを処理する方法がない。そのため、日本の原発政策は一度発電に使った使用済み核燃料を再処理して再び燃料として再利用する「核燃料サイクル」と呼ばれる遠大な計画がその根底にある。それがないと、日本の原発政策は経済的にも国際的にも正当化できなくなってしまうのだ。
 ところが実際には核燃料サイクル事業は高速増殖炉「もんじゅ」の相次ぐ事故やトラブルで何兆円もの国費を投入しながら、まったく動いていないばかりか、2050年までは実現できないとの見通しを政府自身が出す体たらくにある。
 問題は日本が核燃料サイクル事業を放棄した瞬間に、電力会社が資産として計上している膨大な量の使用済み核燃料がすべてゴミになってしまい、電力会社の経営状況が悪化してしまうことだ。東京電力などは債務超過に陥り、経営が破綻してしまう。
 また、中間貯蔵を条件に青森県六ヵ所村に保管してある使用済核燃料も、燃料の再処理をしないのであれば、各電力会社がそれぞれ自分の出したゴミを引き取らなければならなくなってしまう。元々、そういう条件で青森県に置かせて貰っているのだ。しかし、日本中の原発に併設された使用済み核燃料プールは、既に70%以上が満杯状態にあり、どこもそれを引き取るだけの余裕はない。また、原発の近くに使用済み核燃料を保管することのリスクがいかに大きいかは、今回福島第一原発事故の際に、稼働していなかった4号機がどうなったかを見れば明らかだ。
 河野氏が指摘するように、日本が原発をやめられない理由は実は非常に単純明快だが、問題は日本という国にこの問題を解決するガバナビリティ、つまり自らを統治する能力がないようなのだ。民主党政権もこの2つの問題に明確な解を出せなかったために、脱原発を目指しながら、最終的に策定した計画は「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」のようなやや意味不明なものになってしまった。民主党よりも更に物心両面で原子力ムラへの依存度の高い自民党では、「やめたければ原発をやめられる国」になれる見込みが、ほとんど持てそうもないと言っていいだろう。
 河野氏が率いるエネルギー政策議員連盟は今回政府と自民党に提出した提言のなかで、最終処分場問題の解決には明解な答えを出せる状態にないことを前提に、(1)核燃料サイクルを廃止し使用済み核燃料はゴミとして扱う、(2)それが理由で経営が悪化する電力会社に対しては国が送電網を買い上げることで公的支援を注入する(そうすることで自動的に発送電分離が進む)、(3)各原発が六ヵ所村から引き取った使用済み核燃料は最終処分場問題が解決するまでの間、サイト内にドライキャスク(乾式)貯蔵法によって保管することで、地震や津波などで使用済み燃料プールが損傷して大惨事が起きるような危険な状態を回避すること、などを政府に申し入れている。
 現在政府が公表している新しいエネルギー基本計画はあくまで原案であり、自民党内や国会での議論はこれからだ。河野氏は選挙公約に違反している部分については、党内議論の過程で徹底的に反対し、変えさせていきたいと抱負を述べるが、果たして自民党にそれを受け入れる能力があるか。注目したい。
 本心で原発を推進したいのならいざ知らず、実はやめたいのにやめられないのだとしたら、やめられる状態を作っていくしかない。なぜ自民党は原発をやめられないのか、どんな党内事情があるのか、やめるためにはどうすればいいのかなどを、ゲストの河野太郎氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.65(651~660回収録)

DVDを購入
CDを購入

そろそろ異常気象の原因を真剣に考えてみないか

(第651回 放送日 2013年10月05日 PART1:72分 PART2:51分)
ゲスト:江守 正多氏(国立環境研究所気候変動リスク評価研究室長)

  今や常に世界中のどこかが、熱波や干ばつ、豪雨や洪水、台風、などに見舞われている。世界の気候がいよいよおかしくなっているように思えてならない。
 ご多分に漏れず日本でも、猛暑による熱中症で大勢の人が救急搬送されるのが当たり前になった。その一方で、熱帯のスコールと見紛うばかりのゲリラ豪雨が日常化、竜巻が観測されるようになった。天気予報でよく耳にしてきた「観測史上最高の~」という言い回しは、「これまでに経験したことのない~」に取って代わられつつあり、異常気象が異常でなくなってきている。
 世界に目を転じると、異常気象は更に大きな被害をもたらしている。今年は欧州・ロシアが大雨と洪水被害に見舞われ、ドイツ、チェコなどではそれぞれ2万人が避難を強いられた。アメリカでは昨年10月にハリケーン「サンディ」が東海岸一帯を襲い、ニューヨークでは高潮による洪水、それに伴う停電などで40人以上が死亡して被害総額190億ドルもの損害を出した。
 被害自体は大きく報道されるが、なぜか異常気象の原因に触れる報道や議論は少ない。国立環境研究所気候変動リスク評価研究室長の江守正多氏によると、そもそも気候の変化とは、大気や海流の変動といった「内部変動」と、自然由来の太陽活動の変動や火山の噴火活動である「自然起源の外部要因」、そして人為的な活動による温室効果ガスの排出や開発による陸地面の変化、ダム建設による水流の変化など「人間活動起源の外部要因」が影響し合って生じている。近年の異常気象は、これらの要因の中でも「人間活動起源の外部要因」が大きく影響している可能性が高いという。
 9月27日に公表されたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第5次評価報告書も「気候システムの温暖化については疑う余地がなく、人間活動が20世紀半ば以降に観測された温暖化の主要な要因であった可能性が極めて高い」と、人間活動に由来する外部要因が地球環境に与える影響の深刻さを指摘した。
 異常気象がこれだけ私たちの日常生活に大きな影響を与えているにもかかわらず、議論がその原因に至らないのはなぜか。それは温暖化をめぐる議論はなかなか冷静な議論が難しいからだと江守氏は指摘する。
 そもそも地球温暖化自体は100年あるいはそれ以上にわたる長期のスパンで影響が顕在化する問題だが、人々が数年先の事を考えて行動する余裕すらなくなってきている昨今、100年先の事まで心配するのは容易ではない。しかも、その問題に真剣に対応しようとすれば、ライフスタイルを変えたり経済活動に対する制約を受け入れるなど、大きな痛みを甘受しなければならない。そして、更に厄介なことに、世界中の科学者たちの英知を結集させたIPCCでも、地球温暖化が人間由来であることは95%の確率でしか断言できていない。まだ5%の確率で人間由来ではない可能性が残されていると、IPCC自身が認めているのだ。
 そのような状況であるが故に、地球温暖化をめぐる議論は、科学的な根拠のない感情的な議論に陥ったり、もっぱら経済効率を優先する立場だけを主張してみたり、あるいは環境保護を絶対視する議論が交錯し、神学論争に終始してしまうことが多いと江守氏は言う。
 しかし、神学論争をしている間にも、大気中の二酸化炭素濃度は増え続け、過去80万年で最も高い水準に達している。地球温暖化はある均衡点を超えた段階(tipping point)から突如として激しい 気候の変動が起きるclimate surprise(気候サプライズ)の存在は、以前から指摘されてきた。昨今の異常気象の頻発はいよいよ地球がそのtipping pointに近づいていることを示唆しているのではないのか。
 今あらためて、われわれは地球温暖化の問題をどう捉えればいいのか。ゲストの江守正多氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

小沢一郎に次の一手はあるか

(第652回 放送日 2013年10月12日 PART1:71分 PART2:78分)
ゲスト:小沢 一郎氏(衆議院議員・生活の党代表)

  10月15日から始まる臨時国会で、秋の政治シーズンが幕を開ける。来春の消費税増税や福島第一原発の汚染水問題への対応はもとより、日本版NSC(国家安全保障会議)の設置法や特定秘密保護法案の審議、そして集団的自衛権の行使を可能にする解釈改憲等々、日本の将来を左右すると言っても過言ではない重大な案件が目白押しだ。しかし、先の参院選で大敗を喫した民主党を筆頭に野党は精彩を欠き、今ひとつ盛り上がりが感じられないのも否めない。
 過去20年あまり、良きにつけ悪しきにつけ、常に日本の政治を動かしてきた小沢一郎氏は、現在のこの政治状況をどう見ているのだろうか。
 ある時は自民党幹事長として欲しいままの権勢を誇り、またある時は連立与党を率いて自民党を権力の座から引きずり下ろした。さらには、ねじれ国会の下で自民党の連立パートナーとして政権を翻弄したかと思えば民主党に転じ、同党による戦後初の本格的政権交代の立役者となるなど、この四半世紀、日本の政治の表舞台には常に小沢氏がいた。
 その小沢氏が今、政治家人生最大の試練を迎えている。
 首相就任を目前に秘書が逮捕され、党首降板を余儀なくされた。その上、自身も不透明な検察審査会の議決によって強制起訴を受け、一時的とはいえ刑事被告人の立場に甘んじることとなった。その間、民主党の政権運営は混乱を極め、党は小沢氏を守るどころかその排除に廻った。結果的に小沢氏は同志とともに党を割る道を選ぶ。そうして迎えた2つの国政選挙で、小沢氏は同志の大半を失い、今や僅か9人の議員のみを抱える小政党の党首の座に甘んじている身だ。
 その間、小沢氏が見切りをつけた自民党は確実に議席を増やし、今や自公政権は捻れを解消して、衆参両院の過半数を制するまでに党勢を回復している。
 小沢氏が暴れ回ったこの20年はいったい何だったのか。そして、果たして小沢氏に次の一手はあるのか。  今回がマル激初登場となる小沢氏は、将来について驚くほどに楽観的な見方を示した。09年の総選挙で自分たちの投票によって政権交代を成し遂げた経験を一度味わった日本の有権者たちは、現政権に満足できなければ、必ずやその力を再び行使するだろうと言う。今は有権者の間に民主党政権に対する幻滅の記憶が鮮明な上に、野党が四分五裂状態にあるため、とても政権交代が可能には感じられないかもしれないが、きちんとした受け皿さえ作れば、再び政権交代は可能になると、小沢氏は自信たっぷりに言い切るのだ。  そして、民意を無視した集団的自衛権の行使や憲法改正などを推し進める自民党政権が相手なら、その受け皿作りは十分に可能だとも言う。
 しかし、小沢氏は自分がその旗振り役を演じることには否定的だ。自分が前面に出ると、まとまる話もまとまらなくなるかからだと、満面の笑顔を浮かべながら言うのだ。果たしてこれは小沢氏の本音なのか。
 小沢氏は日本的なコンセンサス型意思決定方式とは一線を画し、政治家自身が自分の責任においてはっきりとした意思決定をする政治手法が日本では嫌われることは十分に承知していると言う。小沢氏が再び日本の政治の檜舞台に立つ日は来るのか。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、小沢氏と議論した。

誰がためにオリンピックはある

(第653回 放送日 2013年10月19日 PART1:71分 PART2:55分)
ゲスト:小川 勝氏(スポーツライター)

  2020年に東京で約半世紀ぶりにオリンピックが開催される。安倍首相が東電福島第一原発事故の汚染水について「アンダーコントロール」と大見得を切って東京招致を成功させた政府は、早速「2020年オリンピック・パラリンピック東京大会推進室」を設置し、国を挙げてこれを盛り上げていく姿勢を見せている。
 オリンピックといえばまず、メダルが期待される競技や日の丸を背負って活躍する選手がもたらす感動への期待が膨らむところだが、わが国での開催となると、競技以外の面でも少し考えなければならないことがありそうだ。
 東京オリンピック招致委員会は東京大会の開催に約3,412億円の予算を見込んでいる。このうち約4分の1にあたる790億円をテレビ放映権料から、協賛企業からのスポンサーフィーで約1,155億円と、総予算の約6割が企業からの出資となる。
 著書『オリンピックと商業主義』の著者でオリンピックの実態に詳しいスポーツライターの小川勝氏は、オリンピックが回を重ねるごとに企業スポンサーへの依存度を高め、もはやオリンピックがスポンサー収入や放映権料抜きには運営できなくなっている実態を指摘する。
 実際、公式スポンサーが導入された76年のモントリオール大会以降、オリンピックの規模は膨らみ続け、その間大会の予算もモントリオール大会の約4,161億円からロンドン大会の約1兆1,350億円と3倍近くに増え、参加国と参加人数も92国・地域―6,043人から204国・地域―約1万500人へとほぼ倍増している。
 19世紀末にクーベルタン男爵がオリンピックを提唱して以来、ナチスドイツによる国威発揚の道具となったベルリン大会や、冷戦の陰で東西のボイコット合戦に発展したモスクワ、ロサンゼルス大会など様々な変遷を経て、今日オリンピックは世界最大のイベントであると同時に、世界的大企業にとって世界最強のマーケティングツールとしての不動の地位を築いたかに見える。そして、それだけ世界が注目する大舞台となったからこそ、そこで繰り広げられるドラマが多くの人に感動を与えるのも事実だろう。
 もちろん商業マネーの力があったからこそ、自力では地球の裏側まで選手を派遣する経済力の無い国の選手たちがオリンピックに参加できるようになった。その資金がアスリートや競技団体を潤して競技のレベル向上やスポーツの振興に役立ってきたことも事実だ。IOCが各国のオリンピック委員会や国際競技連盟に支払う分配金を通じて、世界のスポーツの発展に大きく寄与してきたことはまちがいない。
 しかし、その一方で、大きく膨らんだ商業マネーはしばしば競技の現場やアスリートに過重な負担を強いる。オリンピックの開催時期がアメリカやヨーロッパのメジャースポーツのシーズンを避けるために北半球での猛暑の時期に追いやられたり、大国のテレビ中継に都合のいい時間に合わせるために競技のスケジュールが選手にとっては過酷な時間帯に設定されるなど、商業マネーの負の側面はこれまでにも多く指摘されてきた。しかも、近年、さらに大会規模が膨らんだ結果、企業スポンサーへの依存度はますます増している。そして、企業への依存度が増せば増すほど、大会の運営もアスリート自身も、より大きく企業側の都合や意向に振り回されることは避けられない。 
 華やかな五輪報道の陰でそうした舞台裏の事情はあまり報じられることがない。そのため、ともすればわれわれはもっぱらアスリートの活躍ぶりに熱狂し感動することに終始してしまいがちだが、アスリートたちにとっては、金額が大きくなればなるほど重圧は増してくる。期待されながらメダルを逃したトップアスリートたちは、一様に「すみません」とうなだれるが、彼らはいったい誰に対して何を謝っているのだろうか。誰のためのオリンピックなのかを問い直す必要もあるのではないか。
 1964年、初のアジアでの開催となった東京オリンピックは、先の大戦からの日本の復興と経済成長を象徴づける大会となった。2020年の東京大会では、われわれは世界にどのような価値を発信しようとしているのか。いたずらに商業主義に流されるだけでなく、何か意味のある「祭典」にするために、今われわれに何が必要なのかを、ゲストの小川氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

公文書管理ができない国に秘密権限を与えていいのか

(第654回 放送日 2013年10月26日 PART1:56分 PART2:61分)
ゲスト:瀬畑 源氏(都留文科大学非常勤講師)

  政府は昨日(10月25日)、「特定秘密保護法案」を閣議決定し、衆議院に提出した。安倍政権は本法案をNSC設置法案と並ぶ最重要法案と位置づけ、12月6日まで開かれる今国会中の成立を本気で目指しているようだ。
 特定秘密保護法案とは、安全保障上特に重要とされる機密情報を漏らした公務員を罰することを主目的としているが、何らかの形で機密情報を入手した一般市民も処罰の対象となることから、国民の知る権利を制限する恐れがあるとして、一部から厳しい批判に遭っている。
 同法案の最大の問題点は、秘密の基準が不透明なために、時の政府によってこれが恣意的に運用されたり、政府にとって都合の悪い情報を隠すために濫用されるリスクへの手当てが明らかに不十分なことだ。
 秘密指定の濫用を防ぐためには、どのような情報であれば秘密に指定することが許されるかを定めた明確な基準が規定されていることと、事後にその基準が守られているかをチェックする仕組みが担保されていることが不可欠となる。後でばれないことが分かっていれば、時の統治権力が秘密権限を濫用し、自分たちにとって都合の悪い情報を隠蔽しようとすることは避けられない。
 今回閣議決定された法案では、特定秘密に指定できる情報の基準は別途定めることになっているため、基準の妥当性についてはその策定を待つしかない。しかし、いずれにしても、どれだけしっかりとした基準が作られても、それが守られているかどうかを確認する手段がなければ、意味がない。そこでカギとなるのが公文書管理法との兼ね合いだ。
 行政が保有する文書は基本的にすべて2011年4月に施行された公文書管理法のもとで、すべてファイル化され、保存されなければならないことになっている。しかし、特定秘密保護法によって保護される「特定秘密」は、保護期間中はこの法律の縛りを免除されることになる。そして、本来であれば、その保護期間が切れた段階で、直ちに公文書として登録され保存されることになる。その段階で、秘密指定の権限が濫用されていないかどうかの確認が、初めて可能となるわけだ。
 問題は、今回の特定秘密保護法案では、一旦秘密に指定された文書が、秘密解除後にきちんと公文書管理法に基づいて公開されることを法律が担保しているかどうかだ。秘密にされ、存在すら伏せられていた文書が、公文書として公開されることなくそのまま廃棄されてしまえば、秘密は闇から闇へと葬られることが可能となる。そのような便利な制度を、時の権力が濫用しないわけがない。
 都留文科大学非常勤講師で公文書管理法に詳しいゲストの瀬畑源氏は、公文書管理法では公文書を廃棄する際には内閣総理大臣の許可が必要になるため、秘密指定を受けた文書が廃棄される場合も同様の基準が適用されるはずだと言う。しかし、元々存在すら伏せられていた文書がそのまま廃棄されても、誰にもわからないことから、濫用のリスクが否定できないことも指摘する。
 そもそも特定秘密保護法案では、秘密指定の延長が事実上無限に可能となっている。30年を超えるものについては内閣の承認が必要との条件はついているが、秘密指定された情報の存否すら明らかにしないとの方針なので、秘密指定が延長された事実も、われわれは知ることができない。
 また、現実問題として首相が廃棄する文書の内容の一つひとつを把握できるはずがない。となると、秘密指定を受けた文書が公文書として保存されないまま廃棄される可能性は排除できない。
 これは秘密保護法の問題であると同時に、日本の公文書管理のあり方そのものに問題の本質がある。民主政治の根幹にも関わる公文書管理の問題をこれまで放置してきたことのつけが、秘密保護法案の登場で、突如として大きく顕在化したとみることもできる。
 そもそも情報は誰のものなのか。なぜ欧米では常識となっている公文書管理法が2011年まで日本にはなかったのか。官僚はなぜ情報を私物化しようとするのか。
 日本政府の公文書管理の現状を見ると、政府がどうしても特定秘密保護法案を欲しがるか真意が透けて見える。そのような政府に、公文書の存在すらも秘密にする権限を与えて本当に大丈夫なのか。日本の民主主義は秘密を民主的に管理できるところまで成熟しているのか。ゲストの瀬畑源氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

食品表示の偽装はなぜ問題なのか

(第655回 放送日 2013年11月02日 PART1:56分 PART2:44分)
ゲスト:中村 啓一氏(元農水省食品表示Gメン)

  阪急阪神ホテルズによるメニューの表示偽装問題がメディアを賑わしている。確かに「フレッシュジュース」、「信州そば」、「手作りチョコ」などの表記からわれわれが受ける印象と商品の実態に大きな開きがあったことは問題かもしれない。偽装は不当な利益を貪る行為の誹りは免れないし、食品表示に対する消費者の信頼を揺るがしかねない。
 しかし、今回の偽装問題は過去にあった賞味期限切れの食材や無認可の化学加工剤を使っていたケースのような、食の安全に直接関わる問題ではない。言うなればブランドの偽装だ。それが、ここまで大きく消費者の関心を引く背景には、食品表示全般に対する根深い不信感があるのではないか。
 かつて農林水産省の食品表示Gメンとして数々の食品偽装を監視・摘発してきたゲストの中村啓一氏は、一連のメニュー偽装は、法律に基づく食品表示の偽装とはやや次元が異なるとの考えを示す。JAS法などに基づく食品表示のルールは、消費者に食の安全性などに関する判断材料を提供するためのもので、対面販売やレストランのメニューの表示のような、グルメ的嗜好を満たすものとは異なる。
 例えば、一度冷凍したマグロを解凍して「鮮魚」として売る行為は偽装に当たるのか、信州そばとは長野県産のそば粉を使っているという意味なのか等々、メニュー表示については不明瞭な部分も多く、法律によってどこから先が違法になるのかが、明確に定められているわけではない。
 しかし、中村氏はどんな形であれ食品表示の偽装が、本物を生産・製造している生産者に損害を与えるという意味では許されるべきではないと言う。食品偽装は、偽装をする事業者が不当な利益を得る一方で、消費者を騙す行為だが、同時に、偽装ではない本物のブランド品を製造する生産者にも損害を与える点が見落とされがちだ。消費者のグルメ的嗜好を欺くメニュー偽装の場合も、消費者に対する裏切りであると同時に、本物のフレッシュジュースや信州そばの生産者にとっては、偽物を本物のように扱われたためにブランドに傷が付いたり、本物が売れなくなったりしたら大きな損害となる。
 中村氏によると、食品表示に対する消費者の意識は2001年に国産牛の感染が確認されたBSE問題が大きな契機だったという。それまでは食材の産地などは、例えば松阪牛、黒毛和牛などといったあくまでも高級そうなブランドイメージとして認識されていたが、BSE問題をきっかけにして食品表示が「食の安全」とリンクして考えられるようになったのだそうだ。
 その後、雪印食品による牛肉偽装事件や、全農チキンフーズによる鶏肉産地偽装事件、ミートホープによる牛ミンチ偽装事件、不二家による賞味期限や製造日の偽装問題、「一色うなぎ」を騙ったうなぎの産地偽装事件、事故米不正流通事件など食品表示の偽装問題が相次ぎ、消費者の食品表示に対する不信感が高まった。
 食品の偽装が発覚すると、偽装をした企業や小売店は信用を失い業績が悪化する。多くの場合、倒産したり、店をたたむことになるが、それだけのリスクを冒してでも偽装は後を絶たない。なぜ食品表示の偽装はなくならないのか。中村氏は3つの原因を指摘する。まず取引先からの単価削減要求を飲まざるを得ないケースで、これは高価値のブランド産地食品などを原価の安い食品で代替させたり、製造原価を抑えるために賞味期限の切れた食材をあえて使用したりするという。次いで無理をしてでも商品数をそろえて納期に間に合わせなければならないケースでは食品の産地などを偽装して商品数の帳尻を合わせるなどの不正が行われやすい。そして3つ目は最初から偽装による不正利益を目的とするケースで、うなぎの産地偽装や事故米不正流通事件などはこれに相当する。偽装は必ずしも最初から悪質なものばかりではないということのようだが、中村氏によると、最初はやむにやまれぬ理由で偽装をしてしまった場合でも、その後、「旨味を知って、より悪質になっていったケースも多い」そうだ。
 今年6月に食品衛生法やJAS法、健康増進法などにバラバラに規定されていた食品表示を一つの法体系に束ねた食品表示法が成立し、2年間の猶予期間を経て2015年までに施行されることになっている。一連のメニュー偽装で明らかになったグルメ嗜好な消費者の利益を守ることももちろん重要だが、新しい食品表示法を真に食品の安全に寄与するものにしていくための議論は急務だ。そのためには、どのような情報開示を法律で規定すべきなのか、消費者側に求められる姿勢とはどのようなものか、消費者が本当に必要な情報を得られるシステムとはどのようなものなのか。食品偽装の実情を知り尽くしたゲストの中村啓一氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

われわれは遠隔操作ウイルス事件を正しく裁けるか

(第656回 放送日 2013年11月09日 PART1:84分 PART2:58分)
ゲスト:松浦 幹太氏(東京大学生産技術研究所准教授)

  昨年の6月から9月にかけて、掲示版や自治体のウェブサイトなどに殺人を予告する書き込みなどが行われた事件では、逮捕された4人の被疑者のパソコンがIPアドレスを辿って遠隔操作されていたことが後に明らかになり、誤認逮捕だったことがわかった。その後、犯人と思しき人物から報道機関などに犯行の謎解きを意図するかのようなメールが相次いで届き、警察はほどなく一連の事件の真犯人として、片山祐輔氏を逮捕する。ところが、片山氏は犯行を全面的に否認し、片山氏の使用していたパソコンからも遠隔操作ウイルスが見つかったことで、果たして片山氏が本当に犯人なのか、それとも片山氏もまた誤認逮捕された4人と同様に遠隔操作の被害者だったのかが、大きな関心を呼んでいる。
 この事件は「遠隔操作ウイルス事件」と呼ばれ、来年早々にも公判が始まる予定だが、公判では片山氏が犯人であるか否かをめぐって、高度なコンピュータ・プログラミングやネットセキュリティに関する証拠が提出され、争われることになる。誤認逮捕された4人については、彼らのパソコンから遠隔操作ウイルスが見つかったことで、彼らが実は被害者だったことが証明された。ところが、片山氏の場合、遠隔操作ウイルスが見つかったことが、氏が犯人だったことの証拠とされているのだ。
 今回の事件では犯人と思しき人物から届いた一連のメールに書かれていた行動と、片山氏が実際にとった行動が逐一一致していた。従来の常識からすれば、これだけ行動が一致すれば、片山氏が犯人であることに疑いの余地はないところだが、片山氏のパソコンが乗っ取られていたとすれば、がらりと話は変わってくる。真犯人は乗っ取った片山氏のパソコンを通じて片山氏の行動を逐一察知することで、あたかも片山氏が犯人であるかのようなストーリーを仕立て上げることも可能だからだ。
 恐らく公判では、情報セキュリティの専門家らが証人に立ち、片山氏のパソコンから見つかった遠隔操作ウイルスが、片山氏自身が作成したものなのか、それとも何者かが片山氏のパソコンを乗っ取っていたことの証拠なのかが大きな争点となるだろう。もし片山氏のパソコンが乗っ取られていたことが証明されれば、その犯人は片山氏の行動に合わせてその他の状況証拠を仕込むことが可能だったことも裏付けられるからだ。
 しかし、いざ裁判となった時、情報コンピュータプログラミングやセキュリティの専門家らの証言を、果たして裁判官が正しく理解し、正当な裁きをすることができるのだろうか。専門的な知識を持たない人間が、理解不足ゆえに犯人ではない人間を犯人だと断定してしまったり、あるいはその逆のことが起きる恐れはないのだろうか。
 これはコンピュータ犯罪に限ったことではない。DNA鑑定や高度な測定器などを用いた鑑定技術が刑事司法にも導入され、犯人を特定する能力は飛躍的に上がっている。しかし、仮に鑑定そのものが正確無比であっても、鑑定される証拠の採取やその評価は人間が行うことになる。そもそも何を鑑定すべきかの判断も人間が決めていることなのだ。
 ところが、一旦、高度技術を用いた鑑定が行われると、公判で鑑定の結果に抗うのが難しくなる傾向があることは否めない。それは裁判官や裁判員はもとより、弁護側や検察官までもが、鑑定に用いられた技術の意味を十分正確に理解できていないことに起因する面があるからだ。
 既に死刑が確定している和歌山カレー事件では、事件から15年が経った今、唯一の物証とされたヒ素の鑑定結果に重大な疑問が呈されている。鑑定に用いられた大型放射光施設SPring-8の解析結果は正確だったかもしれないが、そこから得られたデータの評価方法に不備があった可能性が指摘されている。それを受けて和歌山カレー事件は、現在再審請求中だ。
 事実関係を正確に理解するためには高度なコンピュータ技術の知識が不可欠となる遠隔操作ウイルス事件も、同様のリスクを孕んでいないだろうか。高度な知識を持つ技術者のみが理解できるデータや言語を用いて片山氏の犯人性の是非について一定の決着が見られたとしても、果たしてそれを裁判官が正しく理解し、判断できるだろうか。仮にその判断が間違っていたり、おかしかった場合、メディアはそれを正しく指摘できるだろうか。これはコンピュータ技術への関心の有無に関わりなく、犯人ではない人間を犯人にしてしまうかどうかが懸かった、民主主義にとってはもっとも基本的な問題なのだ。
 東大生産技術研究所准教授で、情報セキュリティの専門家であるゲストの松浦幹太氏は「サイバー空間もリアル世界と同じで、ひとつの事柄だけで物事を判断できるわけではない。実世界では様々な情報を総合して判断が下される。サイバー空間でもそれは同じだ」と話し、デジタルな証拠も、従来の物証と同じく犯罪を構成するひとつの要素に過ぎないことを十分に踏まえる必要性を訴える。
 遠隔操作ウイルス事件に代表される高度技術の関与する犯罪や裁判とわれわれがどう向き合うべきか、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司がゲストの松浦幹太氏と議論した。

安倍政権は危険な火遊びをしていないか

(第657回 放送日 2013年11月16日 PART1:47分 PART2:38分
ゲスト:柳澤 協二氏(国際地政学研究所理事長)

  特定秘密保護法、日本版NSC、そして集団的自衛権のための解釈改憲と、安倍政権になって以来、日本外交の根幹に関わる政策変更が立て続けに行われようとしている。いずれも、国会などで十分な議論を経たとはとても言えない状態で強い拙速感があるが、与党が両院の過半数を占める以上、実現の可能性が非常に高くなっているのが実情だ。
 しかし、安倍政権はそのことの意味を正確に理解できているのだろうか。
 政府は、中国などの周辺国の脅威が増しているため、アメリカとの連携を一層緊密にする必要があると主張し、一連の政策変更の正当性を主張しているようだが、元防衛研究所所長で第1次安倍内閣で内閣官房副長官補を務めたゲストの柳澤協二氏は、いずれの政策変更も日本の安全保障に寄与するとは思えないと、その必要性を疑問視する。さらに柳澤氏は、NSC設置に加えて、特定秘密保護法や集団的自衛権の容認などを通じて、安倍政権が何を目指しているかが分からないと、その動機を訝しがる。
 今回は宮台真司氏に代わってコメントした東京外国語大学大学院教授の伊勢崎賢治氏も、アフガニスタンの武装解除を現地で指揮した経験から、集団的自衛権の容認を目指す安倍政権の姿勢は「日本は経済大国なのに戦争をしない国という国際的な評価を覆すことになる」として強い懸念を示す。世界の経済大国は、ほとんどが戦争によってその地位と富を手に入れてきた。日本は戦後、平和憲法の下で、アメリカに国防を任せるという特殊な事情によってではあるが経済繁栄を果たしてきた。諸外国はこうした日本の歴史を肯定的に評価しているというのだ。イラクに自衛隊が派遣された際も日本だからこそ信頼された面も大きいという。
 結局のところ安倍政権は歴史に名を残す何かをやりたいといった功名心や、日本が普通に武力行使をできる国にしたいという単純な動機から、憲法改正や集団的自衛権の行使を目指し、それを可能にするためのツールとして、日本版NSCや特定秘密保護法の制定を目論んでいるとしか思えない。
 安倍政権は日本をどこに連れて行こうとしているのか。彼らはそのことの意味やメリットとディメリットを十分に比較衡量した上で政策判断を下しているのか。戦後のレジュームチェンジを目指す安倍政権が、まさに戦後日本が築いてきた平和国家としてのブランドを投げ捨てることになるかも知れないリスクについて、柳澤協二氏、伊勢崎賢治氏とともにジャーナリストの神保哲生が議論した。

その食品の中身を知ってますか?

(第658回 放送日2013年11月23日 PART1:54分 PART2:46分
ゲスト:小薮 浩二郎氏(食品評論家) 

  ブラックタイガーが車エビと表記されていたり、冷凍モノをフレッシュと表記するなどいわゆる「メニュー偽装」が大きく取り上げられ、一部ではホテル会社社長の引責辞任にまで発展している。そして、いよいよ政府が対応に乗り出すという。
 政府は「食品表示等問題関係府省庁等会議」なる会議を発足させ、すでにホテル、百貨店、旅館などの各業界団体に対し、再発防止策の策定を要請しているという。さらに菅義偉内閣官房長官も「政府が一丸となって取り組む姿勢を示すことで、各社の自主的な取り組みを一層促進することを狙っている」などと、今回の問題に対する政府の見解を述べた。
 法律で求められていないとは言え、メニューの偽装は消費者に対する裏切り行為であり、許されるべきではない。それに、長年本物のブランドの価値を守ってきた生産者の努力を踏みにじる行為でもある。それが発覚した以上は何らかの対応が必要なのはわからなくはない。
 しかし、それにしても昨今の騒ぎようは、食品表示の現実を考えると、少々バランスを欠いているとの思いを禁じ得ない。
 現行の食品表示制度の下では、合法的な表示があっても、実際にはその食品に何が含まれているかがさっぱりわからないのが現実なのだ。
 一般に売られている食品、食材は食品衛生法などの法律によって原則としてその食品等に関する情報を表示しなければならないとされていて、基準に合う表示のない食品等を販売したり、販売のために陳列したり、また営業上使用することはできないことになっている。食品表示は、消費者が食品の正確な情報を入手する上で重要な情報を提供している。誰しも自分が食べる食品が何から作られて、どんなものが含まれているのかは大いに気になるところだろう。なかでも食品添加物は化学合成された物質を含むものも多く、長期的な摂取が健康にもたらす影響を気にする消費者も多いはずだ。
 しかし、現行の食品表示制度は、食品の中身、とりわけどのような添加物が使われているかについての情報を、消費者に提供できているとは到底言えない内容だ。長年食品添加物の研究開発に携わってきたゲストの小薮浩二郎氏は「日本の食品行政は消費者よりも業界に目が向いている」ために、食品表示制度が消費者が本当に必要とする情報を提供できていないと指摘する。
 現在の法律では食品添加物は原則物質名で表示することになっているが、例外として「乳化剤」などの一括表示が認められていて、具体的な食品添加物の名称が分からなくなっていると小薮氏は言う。ちなみに乳化剤というのは「グリセリン脂肪酸エステル」「ソルビタン脂肪酸エステル」「ショ糖脂肪酸エステル」など指定添加物(合成化合物)では10数品目の化学物質の総称なのだが、それぞれが更に数種類の物質を含んでいて総数ははるかに多くなる。そしてそれを複数使用していても、一言「乳化剤」と表示すればいいのだそうだ。
 かつては「天然添加物」と「合成添加物」に類別されていた添加物が、いつの間にか「天然香料」、「一般飲食物添加物」、「既存添加物」、「指定添加物」のように、一般の消費者には意味が理解できないような内容に変更されていたそうだ。
 他にも本来、保存料を添加した場合はそれを表記することになっているが、その添加物に栄養強化目的の機能があれば、表示が免除されるなど、どうも食品表示の実態は、一般の消費者が期待しているものと、ずいぶんと乖離したものになっているように思えてならない。
 政府は食品添加物の安全性は確認されているという立場を取っているが、医薬品などと異なり、食品添加物には治験などヒトでの臨床試験が義務づけられているわけではない。ほとんどの食品添加物の安全性はマウス実験で確認されているのみで、メーカーが申請して指定を受けるという仕組みになっている。小籔氏によると一度指定されれば指定後の人体への影響などの追跡調査などはまず行われないうえに、使用する際の添加物の純度に関する基準も無く、化学的な不純物がどれだけ含まれているのかは事実上よく分からない状態だという。
 添加物が広範、かつ大量に使われている現在、その内容を細かくかつ正確に表示することは現実的ではないかもしれない。しかし、一方で、食品添加物が大量に使われるようになった背景に、表示義務が甘いという側面があったことは否めない。
 小薮氏は消費者がもう少し食品表示に対する知識をつける必要性を強調する。われわれはビタミンという表示をみると体によさそうなイメージを持ってしまいがちだが、加工食品に使われているビタミンはコストのかかる天然由来のものはほとんどなく、化学合成されたものがほとんどだと言う。果たしてわれわれはそのことをどれだけ意識していただろうか。
 小籔氏は添加物が気になる消費者は食品表示の意味やその抜け穴の実態を知ると同時に、必ずと言ってもいいほど多くの添加物が多く含まれる加工食品を極力避けるような食生活を心がけるべきだろうと話す。
 メニュー偽装で騒ぐのもいいが、そもそも偽装されていない食品の表示は正確で妥当なのか。われわれは食品表示の意味をどれほど理解できているか。ゲストの小薮浩二郎氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
秘密保護法が露わにした日本の未熟な民主主義とアメリカへの隷属

(第659回 放送日 2013年11月30日 PART1:104分 PART2:47分)

  5回目の金曜日に特別企画を無料放送する恒例の5金スペシャル。特定秘密保護法案の国会審議が佳境を迎えるなかでお送りする今回は、法案をめぐる一連の議論が露わにした日本の課題を再考した上で、国家機密にまつわる映画を通して秘密法制と民主主義の関係を議論した。
 秘密保護法案については、秘密指定権限が明確に決められていないことからくる濫用のリスクや外部チェック不在の問題など多くの課題が指摘されている。秘密法制は一旦施行されてしまえば濫用や問題点が外から見えなくなる特性があるため、制度設計には十分過ぎるほどの慎重さが求められるのは言うまでもない。しかし、安倍政権は11月26日に特定秘密保護法案の衆院通過を強行し、参院では僅か1週間あまりの審議で何が何でも同法案を12月6日の会期末までに成立させるつもりのようだ。
 政府が保有する情報の中で、国の安全保障に関わる情報の中にはどうしても一定期間秘密にしなければならないものがある事は理解できる。また、法律によって明確に秘密が定義されていないために政府が裁量で自由に秘密指定をしている現状も、決して望ましい状態とは言えない。特定秘密保護法はやり方次第では、政府が秘密に指定できる権限を明確に定義することで、保護されるべき秘密は保護しつつも、これまでのような無節操な秘密指定権限の濫用を防ぐ効果が期待できる、市民社会にとっても歓迎すべき法制度になるはずのものだった。
 ところが、政府から出てきた法案はまったく逆行していた。政府の秘密指定権限を事実上無制限に拡大し、しかも権限の濫用を外部からチェックする機能も盛り込まれていない。民主主義の国としては到底受け入れられない恥ずかしい内容の法案だった。
 「秘密保護法制が必要だ」となった時、政府に任せておくとなぜこのようにあり得ないような法案ができあがってしまうのだろうか。日本には保護されるべき秘密は確実に保護した上で、秘密指定権限の濫用を避けるための最小化措置や外部監査機能をしっかりと盛り込んだ法律を作るだけの民主主義国としての実力がないということなのだろうか。
 国民に主権がある日本では、政府が保有する情報は基本的にはすべて国民のものだ。しかし、日本にはそもそも政府が保有する公文書を厳正に管理して、国民の求めに応じて適宜情報公開する仕組みが十分に整っていない。公文書管理法や情報公開法などが一応は存在するが、いずれも不十分な内容だ。また、憲法で表現の自由が保障されているが、これまでジャーナリズムを担ってきたマスメディアは記者クラブや再販など政府から様々な制度的特権を享受する中で、十分に国民の知る権利を行使してきたとは言いがたい。そうした民主主義のツールの一つひとつをお座なりにしてきたことのつけが、今回の秘密保護法制の議論で吹き出しているようにも見える。
 番組前半では、ここまでビデオニュースが行ってきた取材、関係者へのインタビュー、講演の映像を交えながら、特定秘密保護法案の仕組みや問題点などを改めて再確認した。
 そして番組後半では、映画『密約 外務省機密漏洩事件』に描かれた沖縄返還をめぐる日米密約問題と、国家機密だったアメリカの対ベトナム政策の報告書がニューヨークタイムズにすっぱ抜かれた「ペンタゴン・ペーパー事件」を題材としたアメリカ映画『The Pentagon Papers』を取り上げ、国家秘密が暴かれた後の日米両国の反応の違いなどを議論した。
 ペンタゴンペーパーの内容が報じられ、ベトナム戦争の実態や政府の嘘が露呈したアメリカでは、歴代政権の対ベトナム政策が批判に晒され、インドシナからの撤退へとつながっていった。機密文書の公開という国益を損ねかねない行動が、「国益」の意味を変えてしまったからだった。一方、日本では毎日新聞の西山太吉記者が国家的な陰謀と言っても過言ではない日米密約の存在を暴いたにもかかわらず、西山氏の取材手法ばかりに批判が集中し、政府が国民を欺いていたという事実はほとんど問題とならなかった。この違いはどこから来るものなのか。
 秘密保護法制をめぐる一連の議論を通じて見えてきた日本の政治と社会の現状を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
 今週は5金(その月の5回目の金曜日)に当たるため、恒例通り特別番組を無料で放送します。ニュース・コメンタリーはお休みします。

TPPの知財分野も国民の知る権利に関わる重要な問題

(第660回 放送日 2013年12月07日 PART1:48分 PART2:40分)
ゲスト:福井 健策氏(弁護士)

  国内では国民の知る権利を脅かす特定秘密保護法案が、多くの反対を押し切る形で強行に可決・成立したばかりだが、もう一つ国民の知る権利に関わる重要な交渉が、法案可決の翌日からシンガポールで行われている。12月7日からシンガポールで開かれるTPPの閣僚会合だ。
 日本ではTPPといえばとかく農業分野が取り上げられることが多いが、弁護士で知的財産権や著作権が専門の福井健策氏は、知財分野こそがTPPの本丸だと指摘する。特にTPP妥結に強い意欲を持つアメリカにとって知財は、農産物や自動車分野を遙かに凌ぐ12兆円もの市場規模持つドル箱分野だからだ。
 TPPの交渉が進むにつれ知財分野への関心は徐々に高まってきていた。そうした中で、11月13日にウィキリークスが、知的財産権分野における交渉の中身を露わにする秘密文書を公表した。TPP交渉は秘密保持のもとで進められているので、なかなかその実態がつかめないが、今回流出した文書は8月のブルネイ会合時点のもので、知財分野での交渉項目とその過程、各国の態度などが記されている。TPP知財交渉は最も調整が難航していると伝えられている分野で、その動向をつかむ上でも今回の流出文書は重要な判断材料になる。
 ウィキリークスが明らかにした知財分野の交渉の現状を見ると、予想通り知財大国のアメリカがかなりの無理難題を主張、他の国がこれに是々非々で対応する形となっているようだ。著作権の保護期間延長や著作権侵害の非親告罪化をはじめ、キャッシュなど電子的な一時的記録も複製権に含める、短いフレーズの音や匂いにも商標権を与えるなどは、アメリカの他にも支持する国があり、アメリカの要求に沿った形で妥結する可能性が高いと福井氏は言う。
 特に日本に影響が大きいものとしては、著作権侵害の非親告罪化があげられる。著作権違反が親告罪とされている日本では、著作権侵害は権利者が訴え出ることが必要だが、非親告罪化すれば、権利者からの訴えがなくても当局による取り締まりが可能になる。これが実施されてしまうと、権利者が一定程度まで容認している日本のコミケ文化などの二次利用文化は軒並みつぶれてしまうことが危惧されてもいる。
 また、現状ではアメリカが孤立した形になっている真正品の並行輸入禁止や法定損害賠償金・懲罰的賠償金の導入などあり得ないようなアメリカの要求についても、今後農業やその他の分野とのバーター取引などによって通ってしまう可能性もあるので注意が必要だと福井氏は言う。
 ウィキリークスの編集長を務めるジュリアン・アサンジ氏は「TPPによる知的財産保護の枠組みは個人の自由と表現の自由を踏みにじるものだ。あなた方が読む時、書くとき、出版する時、考える時、聴く時、踊る時、歌う時あるいは発明する時……TPPはあなたをターゲットにする」と発言している。今後長きにわたりわれわれの言論や表現の自由を縛る可能性が十分にある法律や制度の交渉が、密室で行われ、われわれはその実態も進捗も知ることができないでいる。
 11月にウィキリークスが公表した知財交渉の秘密文書は何を示しているのか、日本にとって知財分野において守るべき国益とは何なのか、今後の交渉の見通しはどうなのかなどを、ゲストの福井健策氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.64(641~650回収録)

DVDを購入
CDを購入

日本の右翼はどこへ行ったのか

(第641回 放送日 2013年07月27日 PART1:76分 PART2:62分)
ゲスト:鈴木 邦男氏(一水会顧問)

  安倍自民党が参院選に勝利し、公明党との連立ながら自民党としては2007年以来となる衆参両院での過半数支配を回復した。文字通り、自民党のカムバックだ。内外の論調としては安倍政権の経済政策「アベノミクス」が信任されたとの受け止め方が大勢を占める一方で、今後の日本の右傾化を警戒する向きも多い。現政権の政策に反対する人たちを「左翼」と呼び、憲法改正を叫んで憚らない安倍首相自身の相次ぐ国家主義的言動もさることながら、安倍政権を支持する層の中に強い右翼的な傾向が見られるからだ。
 しかし、ゲストで右翼団体「一水会」顧問の鈴木邦男氏は安倍氏を支持する団体の中でも、反韓デモを繰り返すなどの行動が目に付く在特会(在日特権を許さない市民の会)などの団体は右翼ではないと一蹴する。「右翼は排外主義は取らない。かつて日本の右翼が孫文を支援したことからもそれは明らかだ」「日本人だろうが、外国人だろうが、義のために行動するのが右翼だ」と鈴木氏は言う。
 そもそも日本は本当に右傾化しているのだろうか。確かに今の日本は経済格差が広がり、若者の多くが雇用不安を抱える中で、現状への不満が鬱積している。更に、社会保障制度のゆがみや財政赤字問題など将来に向けた展望もなかなか開けない状態にあるのは確かだ。こうした不満のはけ口が弱者に向けられ、排外主義への共感に結びついている。真の意味での右翼が活動を活発化させているわけではない、と鈴木氏は言う。
 しかし、現状に不満を持つ人がソーシャルメディアなどを使って感情に訴えるような情報を発信すると、多くの賛同者が集まる。投稿した本人もまるで自分の主張が信認を得たかのような錯覚に陥り、更に投稿をエスカレートさせる。このような負の連鎖がネット上で拡大し、あたかも日本全体で右翼運動が活発化しているかのようなのような誤解を生んでいると、鈴木氏は指摘する。
 右翼とは何か。保守思想とは。鈴木氏は「右翼は喜怒哀楽の感情を超えて義のために行動する」と言うが、その右翼はどこに行ったのか。右翼思想や保守思想、愛国や憂国の理念とはどのようなものなのか。長年にわたり日本の右翼運動を率いてきたゲストの鈴木邦男氏とともに、哲学者の萱野稔人、社会学者の宮台真司が議論した。(本日の司会は出張中の神保哲生に代わり萱野稔人が担当します。)

ネット選挙解禁で見えてきた日本の政治の本当の問題

(第642回 放送日 2013年08月03日 PART1:48分 PART2:50分)
ゲスト:西田 亮介氏(立命館大学大学院特別招聘准教授)

 「ネット選挙が実現すれば政治は変わる」といったバラ色幻想は捨てなければならなそうだ。  先の参議院選挙はインターネットを使った選挙運動、いわゆるネット選挙が解禁されてから初の国政選挙だった。選挙期間中、各政党・候補者らは解禁の利点を取り込むべく、ホームページやブログで日々の選挙活動を掲載し、フェイスブックやツイッター、ラインなどのソーシャルネットワークを使って情報を発信するなど、ネット上でも活発な選挙運動が展開されていた。ネット選挙は、総じて政治への関心が低いと言われる若年層の政治参加が進むとか、政党・候補者と有権者間の双方向の議論が進むことで政治の質が大きく変わることなどが期待されていた。
 確かにネット選挙にいち早く対応してきた自民党がネット選挙戦でも優位に立っていたことは間違いない。しかし、結論としては、今回の選挙を見る限り、ネット選挙が選挙や政治の質を変えるということはなかった。
 立命館大学大学院特別招聘准教授でネット選挙に詳しいゲストの西田亮介氏は、各政党や候補はネット選挙が解禁される以前に選挙で行われていたことと同じことをネット上でやるだけだったと指摘する。要するにネットという新しいツールを手にしたものの、結局はネット上で政党名や候補者名を連呼したり、旧態依然たる街頭演説の動画をアップロードしたり、演説が予定される場所をツイートしたりするなどが「ネット選挙運動」の大半を占め、ネット特有の双方向性やソーシャル機能を活かした選挙運動というものはほとんど見られなかったというのだ。
 そもそも「ネット選挙解禁で政治が変わる、というのは過剰な期待だ」と西田氏は釘を刺す。日本の選挙には依然として古色蒼然たる公職選挙法による理不尽かつ過剰な規制が多く、選挙期間中に候補者が有権者とまともな政策論争を交わすことはほとんど不可能に近い。また、いざ議員に選ばれても国会で党議拘束がかかるため、各政党の公認候補は政党の公式な選挙公約を代弁し続けるしかない。そのような制度のもとでは有権者側にも政策論争を交わす習慣が根付いていないし、候補者側にもあえてネットを通じた双方向の政策論議を活発化させる動機は働きにくい。これらをネット導入だけで改革できるというのは楽観的に過ぎるというわけだ。
 今回の選挙で大がかりなネット対策を実施した自民党も、ネット上では政党や候補者のPRに徹し、むしろ政策の中身は議論しないという旧来型の選挙活動を展開した。原発問題やTPPのような論争の対象になり兼ねない微妙な政策については、むしろ議論を沈静化させる目的でネットを利用していた。今回の選挙戦を見る限り、「ネット解禁で政策主導の選挙を」というのは夢物語に過ぎないと言わざるを得ない。
 しかし、今回ネット選挙が解禁されたことで、「政治の透明化が進んだことは評価すべき点だ」と西田氏は強調する。過去の選挙運動と異なり、今回の選挙で各政党や候補がどこでどのような発言をしていたかは、すべてネット上のログ(履歴)に残る。とかく不透明な部分が多かった政治の実態がネット選挙の解禁によって透明度を増した結果、選挙後も政治に関心を持ち続ける一般市民が増える効果は期待できるだろう。
 他の法律や制度を残したままネットだけを解禁したとしても、当然その効果は限られる。米大統領選に見られるようなネットを通じた双方向で多様な選挙戦は、日本ではそう簡単には実現しそうにない。しかし、ネット選挙の解禁によって、少なくとも日本の選挙制度や公職選挙法の異常さが浮き彫りになる効果はありそうだ。
 参院選でのネット選挙活動の分析を通じて、今回のネット選挙で明らかになった日本の政治文化や政治への市民参加の本質的な問題点を、ゲストの西田亮介氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

TPPについて今、真剣に考えておかなければならないこと

(第643回 放送日 2013年08月10日 PART1:62分 PART2:63分)
ゲスト:高安 雄一氏(大東文化大学経済学部教授)

 政府が推し進める施策に反対し、これを阻止しようと真剣に考えているならば、反対の根拠をよほどしっかりしたものにしておく必要がある。いい加減な反対論はいとも簡単に論破され、反対運動は腰砕けに終わってしまうだろう。たとえ民主主義といえども、人材、資金、情報の三大リソースを独占的に抱える政府に太刀打ちするのは、それほど大変なことなのだ。
政府が推し進めるTPPへの反対運動も、下手をするとその轍を踏む恐れがある。なぜならが、昨今、ネット上などで「TPPの問題点」として指摘されていることのかなりの部分が、実はまったく根拠のないデマだったり、明らかな誤解や理解不足に基づいているからだ、と指摘するのが、今週のゲストで韓国経済が専門の高安雄一大東文化大学教授だ。
 高安氏は巷でTPPの問題点として指摘されているISDS条項やラチェット条項などのいわゆる「毒素条項」について、流布されている批判のかなりの部分が、事実に基づかないまったく間違った誤情報だと言う。こうした毒素条項は、アメリカが過去に結んできたNAFTA(北米自由貿易協定)や米韓FTA(自由貿易協定)などの協定に含まれていることから、TPPにも同様の条文が入ることが予想されている。しかし、日本ではそうした条文の解釈が、米韓FTA交渉の過程で韓国の野党が政治的な理由から、ためにする議論をする目的で引っ張り出した、何の根拠もない解釈をそのまま流用されていると、高安氏は言うのだ。
 NAFTAや米韓FTAを根拠にTPPを批判をするのであれば、「まず参照する貿易交渉の条文をきちんと読むことが大事だ」と高安氏は言う。高安氏によると、米韓FTAをめぐる交渉の過程で、韓国では野党と一部のマスコミが反米的な立場から声高に反対論を展開したが、その際に使われた不正確な条文の解釈に対し、韓国政府は逐一その間違いを正し、反論を政府のホームページに掲載してきたという。その600ページにも及ぶ反論をしっかりと読めば、これまで米韓FTAやTPPに関して言われてきた問題点の多くが、「気を引く反対論だけが引用されていて、それに対する回答や反論部分が抜け落ちている」ものであることは容易に理解できるはずだと、高安氏は言う。
 TPPに代表される自由貿易協定には、毒素条項などの個別の条文をめぐる議論を超えた、より深い次元で、真剣に議論し意見集約を図らなければならない重大な論点がいくつかある。それは、例えば、仮に自由貿易で経済全体が成長したとしても、その恩恵を享受できる人が一部のセクターに限られるために、国内で経済格差が広がる可能性がある問題だったり、数としては自由貿易によって不幸になる人の方が多くなる可能性があることも含まれるだろう。また、経済的にはプラスが多いとされる自由貿易が、社会全体にもたらす様々な影響をわれわれは受容する用意が本当にできているのかどうかという議論も必要だ。関税をゼロにし、国家間のヒト、モノ、カネの流れを自由にした時、社会はどのように変質するのか。そこで失う社会的共通資本の価値は、GDPをベースとした損得勘定の中には含まれていない。
 それは例えば、NAFTAによってメキシコの国としてのGDPの伸びは加速したが、その一方でメキシコ国内で小規模農家の離農・廃業が相次ぎ、失業率も上昇したことが参考になるかもしれない。NAFTAの実施によってメキシコの農村社会は大きく変質し、行き場を失った離農者が大量にアメリカに流入した結果、アメリカの不法移民問題や移民排斥問題が深刻化する結果を招いた。アメリカ政府が移民問題に対応するためのコストは、アメリカがNAFTAから受けた恩恵の数値には当然含まれていない。自由貿易の評価は単にGDP成長率のような無機質な指標だけでなく、より長期的な時間軸の上で、多面的に行う必要があるのではないか。
 しかし、そのためにも、まずは現在多くの批判が集まっているTPPの毒素条項などに関する誤謬を排し、TPPの中身を正しく理解する必要がある。TPP の毒素条項に対する誤解を正した上で、その向こうにある本来議論しなければならないTPPをめぐる本当の争点とは何なのかを、ゲストの高安氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

オリバー・ストーンが語る「アメリカ暗黒の歴史」

(第644回 放送日 2013年03月30日 PART1:64分 PART2:46分)
ゲスト:春名 幹男氏(ジャーナリスト)

  毎年この時期になると、広島、長崎への原爆投下に関する新たな事実が判明し、68年前たってもなお、原爆については明らかになっていないことがたくさん残っていることを痛感させられる。
 しかし、今年の8月は例年とはやや違う展開があった。アメリカの戦争への関与を批判する作品を作り続けてきたアメリカの映画監督オリバー・ストーンが、アメリカの原爆投下にまつわる「嘘」を厳しく批判するドキュメンタリー映画「もうひとつのアメリカ史」を制作し、8月6日に広島、そして9日には長崎の原爆祈念式典にそれぞれ参列したのだ。
 ストーン氏が歴史家のピーター・カズニックと共同で制作した「もうひとつのアメリカ史」という歴史ドキュメンタリーは、いわばアメリカの暗黒の歴史を描いている。そして、その中でも彼が最も今回の来日で強調したことは、アメリカが日本に原爆を落とした本当の理由は、定説となっている日本に早期の降伏を促すためではなく、あくまでソ連を牽制する目的だったということだった。
 「原爆を落とさなくても日本の降伏はソ連の参戦で確定的だった。しかし、アメリカは旧ソビエトの南下を防ぐためあえて原爆を落としたのだ」とストーン氏は言う。
 ストーン氏はアメリカが原爆投下に至る過程が、1944年の民主党大会に始まったと指摘している。ルーズベルト大統領の死後、大統領に就任することになるミズーリ州選出の上院議員ハリー・トルーマンを副大統領候補に選んだこの党大会が、結果的に「歴史の分水嶺」になったとストーン氏は語る。
 この党大会では当初、ルーズベルト政権で2期副大統領を務めていたヘンリー・ウォレスが副大統領候補に指名されることが確実視されていた。しかし、ウォレスが再度副大統領に選ばれれば、病状が深刻な状態に陥っていたルーズベルト大統領が任期中に死亡した場合、ソ連に対して友好的な姿勢を公言していたウォレスが大統領になってしまう。それだけは避けたいと考えたアメリカ政界の保守派たちは、当時無名の上院議員だったトルーマンを担ぎ、熾烈な多数派工作でウォレス再選の阻止に成功したのだという。
 ルーズベルトの死後、大統領に昇格したトルーマンは、自分を副大統領に押し立ててくれた保守派の重鎮たちを重用した。日本への原爆投下は、バーンズ国務長官ら反共色の強いトルーマンの取り巻きたちの強い意向によって強行された、もっぱらソ連への牽制を目的としたものだったというのが、ストーン氏が原爆投下の起源を44年の民主党大会に見出す理由なのだ。
 ストーン氏らが原爆にこだわる理由は、単にその非人道性にあるわけではない。それは、原爆をめぐる嘘や欺瞞が、現在アメリカが抱える問題をほとんどに反映されていると彼らが感じているからだ。そして、冷戦の終結でソ連という対外的な脅威の対象を失ったアメリカは、テロとの戦いを口実にサイバー戦争でも覇権を握ろうと躍起になっている。
 ストーン氏らが8月12日に外国特派員協会で行った講演を参照しながら、彼らの歴史観が描くアメリカのもう一つの歴史を検証し、深々とそのアメリカと一蓮托生の関係に嵌っていくことの意味をゲストの春名氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

エジプトの騒乱に見る近代の終わりの始まり

(第645回 放送日 2013年08月24日 PART1:52分 PART2:57分)
ゲスト:山本 達也氏(清泉女子大学准教授)

  エジプトの反政府デモは、治安部隊が武力鎮圧に出たことで、死者の数が700人とも900人とも言われる最悪の事態となってしまった。アラブの春で一度は民主的な政権の樹立に成功したはずのエジプトが、なぜこのような事態に陥ってしまったのか。
 2010年にチュニジア「ジャスミン革命」に端を発した「アラブの春」は、ほどなくエジプトに波及し、2011年2月に30年続いたムバラク大統領による独裁政権が崩壊した。民主的な選挙でモルシ政権が樹立されたが、好転しない暮らしぶりに不満を募らせた一部の市民が反政府デモに起ち上がり、軍部が7月3日に憲法を停止しモルシ大統領を解任。これに反発したモルシ支持派が抗議デモ、治安部隊と衝突を繰り返している。
 エジプト国民の不満はどこにあるのか。中東情勢に詳しい国際政治学者の山本達也氏は、石油資源の枯渇によって原油輸出が減少したために、国民の生活を支えていた政府援助が途絶えてしまったことが大きな要因だと指摘する。エジプトは原油輸出で得た外貨を貧困層向けの食料補助金に回していた。これによって人々の生活は維持されていたのだが、原油生産がピークを過ぎて減少に転じたことに加えて、人口が急増して国内消費が増加した結果、原油の輸出が困難になり、福祉政策に充当する外貨が不足して民衆の生活が困窮してきたという。つまり生活の不安定化が騒乱の根底にあるというのだ。そしてこうした背景の上に、アラブ社会、イスラム世界、アフリカの事情が絡み合っているのが実相だと解説する。
 さらに山本氏は今回のエジプトの騒乱に「近代国家が今後直面するであろう問題」を見い出す。エジプトでは政権に対する長年の不満がフェイスブックなどのSNSを動員のツールとして噴き出し、抗議デモによって政権を追い落とすことに成功した。市民が不満を表明すれば政治を変えられるという成功体験の味を覚えてしまったのだ。しかし、これは近代国家システムを支えている代議制の否定であり、引いては民主主義の否定をも意味する。
 一方で、エジプトでは市民の不満の元となっている経済情勢が、好転する見通しが立たない。特に、エジプトは僅かなコストで大量の石油を採掘できた時代が終わり、今後原油輸出からの収入が期待できなくなった上に、近年の騒乱によって第二の収入の柱だった観光収入も激減している。これではどんな政権ができても、たちまち市民の不安が爆発し、デモを繰り返すことになりかねないと山本氏は言う。
 しかし、このジレンマはエジプトに限ったことではない。低いエネルギーコストを前提に構築されている現在の世界の秩序の中にあって、エネルギーコストの上昇は先進国にとっても成長の大きな足枷となる。一方で、先進国においてもSNSなどの普及で、市民が政府に対する批判や不満の表明を容易に行えるようになった。このような状況の下で、既存の近代国家の様々なシステムを今後も維持していけるかどうかが問われるのはエジプトばかりでなく、日本を含む他の国々も同じだと山本氏は分析する。
 古代文明発祥の地でもあるエジプトの現在の騒乱の意味するところは何なのか。既存の民主的統治システムは低成長とSNSが合わさった今の時代に、有効な政治を行うことが可能なのか。エジプトの騒乱から見えてくる問題についてゲストの山本達也氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
霊魂と肉体: あの世とこの世を分かつもの

(第646回 放送日 2013年08月31日PART1:39分 PART2:44分)
ゲスト:矢作 直樹氏(東大病院救急部・集中治療部部長)

  5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。今回のテーマは「憑依(ひょうい)」。
 8月はお盆にお墓参りや迎え火、送り火などで、ご先祖様に思いをめぐらす時期だ。また、8月の6日、9日は広島、長崎の原爆の日、15日は終戦記念日、そして12日は500人以上が犠牲になった日航機墜落事故の日でもある。このように「生と死」を意識する機会の多い8月の5金スペシャルは、人の生と死についてこれまでとはやや異なる視点から考えてみたい。
 東大病院の救急救命医として大勢の生死の狭間にある患者を診てきた矢作氏は、「人には見える部分と見えない部分がある」と言う。実際にわれわれが見たり触れたりすることができる肉体と、目には見えないが恐らく肉体よりも大きな存在である霊体のことだ。霊や魂などの領域は、一般には心霊や超常現象などと呼ばれ、非科学的なものとして一蹴されることが多い。しかし、自身が医師でもある矢作氏は、人間の霊性の理解なくして人間を正しく理解することはできないと言い切る。
 われわれはとても限られているものだけを見ている可能性がある。目に見える現象部分に働きかける西洋医学や科学には一定の意味はあるが、それだけでは根本的な治癒には至らない場合多いのではないかと、矢作氏は問いかける。矢作氏自身が、西洋医学とは別にスピリチュアルヒーリングを行っている理由もそこにあるという。
 矢作氏は救急救命医として勤務する中で、実際に別人の霊に乗り移られた患者を何人も診てきたという。搬送されてきた患者に、医学的な疾患だけではない何かが憑いた状態になっていることが多いと言うのだ。「憑依かどうかは見れば大体分かる」と言う矢作氏は、霊魂や霊性というものは一種の波動のようなものであり、目に見えないけれども、確実にそこに在るものだと解説する。そして憑依は、他者の霊と別の人間の波動が一致した時に起こるものだという。
 人間とは何なのか。あの世とこの世の境目とは。生、死、そして霊とは。普段はあまり考える機会のないこうしたテーマを、ゲストの矢作とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

東電に任せてる場合ですか

(第647回 放送日 2013年09月07日 PART1:69分 PART2:52分
ゲスト:田中 三彦氏(元国会事故調委員・科学ジャーナリスト)

  今日のテーマは福島第一原発の汚染水問題と4号機問題、そして日本のみならず地球全体の未来に大きな影響を及ぼしかねないその2つの問題を、これだけ失態が続く東京電力にこのまま委ねていて本当にいいのだろうかを考えたい。
 今回、露呈した汚染水の漏出は早くから懸念されていた。事故を起こした福島第一原発は、当時の野田首相が宣言した「冷温停止状態」にあるとされているが、現在も大量の冷却水を循環させてメルトスルーした核燃料と貯蔵燃料を冷却し続けることで辛うじて小康状態を保っているに過ぎない。東京電力はホースの総距離が4キロにも及ぶ建て付けの循環冷却のシステムを何とか作り上げたが、循環の過程で原子炉建屋の地下のコンクリートの隙間などから大量の地下水が流れ込んでいるため、毎日300~400トンの汚染水が新たに発生する状態が続いている。循環システムとは名ばかりで、核燃料を冷やした汚染水が、地下水との間を水が自由に行き来している状態なのだ。
 東電の計画では2020年の初頭には核燃料の取り出しを行うことになっているが、これはまったく根拠のない希望的なものと言っていい。元国会事故調委員の田中三彦氏も、最低30年は冷やし続けなければならないだろうとの見方を示す。30年間、毎日400トンの汚染水を出し続けるとどうなるか。原発敷地内に林立する1000トンの汚染水タンクは3日に1つのペースで増えていくのだ。
 原子力規制委員会の田中俊一委員長は2日の外国特派員協会の会見で、「汚染水は基準値以下にピュリファイ(浄化)して、海に放出せざるを得ないのではないか」との見解を示している。しかし、田中氏はこの発言を問題視する。海洋に投棄する計画はその主体である東電でさえまだ言及していない。地元の漁業関係者などが、容認するはずがないからだ。規制委は本来、東電がそのような計画を持ち出してきた時、その妥当性や安全性を検証すべき立場にあるはずだ。それを、東電がそのような計画を発表もしないうちに、規制する側の委員長が、最初からそれを容認する発言をしてしまった。「これではまるで東電の意向の代弁者ではないか」と田中氏は言う。
 政府は「凍土遮水壁方式」なる方法で地下水の流れ込みを遮断する計画を明らかにしているが、地下水の流れ込みが無くなれば、今度は逆に原発からの汚染水が地下水層に流出する恐れが出てくる。今は地下水が流れ込んできているおかげで、冷却に使われた汚染水が地下水層に入り込まず、それがそのまま海に流れていく事態が回避できているとの指摘もある。場当たり的に何をやっても、結局はいたちごっこに過ぎないのではないかとの懸念はぬぐえない。
 汚染水問題に加えて、福島第一原発には更に重大な問題が残されている。地震と水素爆発で建屋がズタズタに破壊された4号機の使用済み核燃料プールの問題だ。震災とその後の爆発で大きなダメージを受けた4号機の建屋5階の燃料貯蔵プールには、現在1533本の燃料体が残されたままだ。今、ここで再び大きな地震によって建屋が倒壊したり、プールが損傷を受けて、冷却水が失われたりすれば、最悪の場合使用済み燃料に再臨界が起きて、福島はおろか東日本の広範囲に甚大な放射能被害をもたらす可能性が排除できない。
 このまま損傷を受けた建屋の5階に1500本を超える燃料体を放置するわけにはいないのは事実だが、実はそれをクレーンによって運び出す作業が11月から東電の手で始まることになっている。これを東電に任せていていいのかと問われた原子力規制委の田中委員長は、新たにクレーンを設置してあるので、従来の核燃料の取り出しと大きな違いはないとの認識を示している。
 しかし、これに対しても田中氏は、そこら中に破損した建屋や機械の残骸やガレキが残る中で、1533体もの核燃料を安全に取り出すことが「従来通りの作業のはずがない」と指摘する。そして、もしクレーンが核燃料を落下させ、核燃料が飛び出したりするようなことになれば、全く収拾がつかない最悪の事態もあり得ると言う。
 どうやらわれわれは、日本のみならず、地球自体の命運を東京電力という、これまでたびたび失態を繰り返し、情報の隠蔽などでも繰り返し問題になっている事実上の破綻企業に、委ねてしまっているようなのだが、本当にこれでいいのだろうか。
 汚染水問題の実状や4号機の問題に潜むリスクを改めて再評価した上で、今後の福島第一原発への対応や原子力行政の在り方などについて、ゲストの田中三彦氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

解釈改憲で集団的自衛権は行使できない

(第648回 放送日2013年09月14日 PART1:53分 PART2:68分
ゲスト:阪田 雅裕氏(元内閣法制局長官)

  安倍政権は日本が集団的自衛権を行使できるよう憲法第9条の解釈を変更したい意向を明確に打ち出している。憲法を改正するのではなく、何とか解釈の変更によってこれを行使できるようにしたいというのだ。
 安倍首相は第一次安倍政権下の2007年に「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」、通称、安保法制懇を立ち上げて、集団的自衛権に関する研究を指示した。これを受けて同懇談会は、集団的自衛権を容認すべきとの報告書をとりまとめたが、その時は首相の突然の辞任によって、解釈改憲の野望は頓挫していた。
 しかし、首相に返り咲いた安倍氏は、あきらめていなかった。かねてから集団的自衛権の行使に前向きな発言を繰り返してきた元駐フランス大使の小松一郎氏を内閣法制局長官に抜擢した。そのうえ首相の意向を反映した有識者を集めた懇談会を立ち上げて、解釈改憲による集団的自衛権の行使についての議論を進めるよう指示するなど、今回はどうやら本気のようだ。
 集団的自衛権については、内閣における法の番人たる内閣法制局が一貫して、現行の憲法は集団的自衛権の行使は認められないとの解釈を明確に打ち出していた。集団的自衛権とは同盟国などに対する武力攻撃を、自国に対するものと見なして反撃する権利を指すものだが、ゲストの元内閣法制局長官の阪田雅裕氏は、歴代の内閣で議論が積み重ねられてきた結果、現行の憲法、とりわけ9条第2項によって、これは認められないとの結論に達していると説明する。
 何とかしてこの解釈を変えたい安倍首相は当面、有識者会議に対して、公海における米艦艇の防護やPKO活動における武器使用など、限定的な集団的自衛権の行使が可能かどうかを検討するよう指示している。これは一見、非常に限定的かつ控えめなものに見えるが、阪田氏は限定的にせよ一旦、集団的自衛権の行使が認められれば、その時から日本は自衛権の行使、つまり武力の使用について、少なくとも憲法上の制約はもはや存在しなくなると指摘する。これは日本が自衛権を行使できるのは日本自身が外敵の侵略を受けた場合に限るとしてきた「個別的自衛権」の範疇を大きく超えることを意味する。
 阪田氏の主張は一貫している。現行の憲法では集団的自衛権が行使できないことは明白だ。だから、時の政権がどうしても集団的自衛権を行使できるようにしたいのであれば、憲法解釈の変更などという姑息な手段を使わずに、堂々と憲法の改正を国民に問うべきだ。それができないから、無理な解釈改憲で憲法を歪めるというようなことはすべきではない、という。
 「政権を批判する意図はない。私自身は従来の内閣法制局の立場を繰り返しているに過ぎない」と穏やかな口調で淡々と語る阪田氏とともに、日本が解釈改憲によって集団的自衛権の行使を可能にすることの意味を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

私が原発再稼働に反対する理由

(第649回 放送日 2013年09月21日 PART1:36分 PART2:34分)
ゲスト:泉田 裕彦氏(新潟県知事)

  9月16日に関西電力大飯原発4号機が定期点検のために停止し、日本は昨年5月以来となる稼働中原発がゼロの状態になった。
 しかし、安倍政権は原子力規制委員会が示した新規制基準に適合すれば、止まっている原発を順次再稼働する方針を明確に示しており、規制委員会には既に4つの電力会社から6つの原発の再稼働申請があがっている。福島第一原発事故の事後処理にも七転八倒しながら試行錯誤のただ中にあり、そもそもメルトダウンに至った真の原因もはっきりとしない中、日本は今、原発再稼働の是非に対する決断を迫られているのだ。
 そうした中にあって、地元の原発の再稼働に明確に反対し、頑として譲らない姿勢を見せている首長がいる。新潟県の泉田裕彦知事だ。
 泉田氏は、原子力規制委員会が示した新規制基準では「福島原発事故の教訓が活かされているのか疑わしい」とこれを厳しく批判した上で、県内にある東京電力柏崎刈羽原発の再稼働に、より厳しい安全基準の適用を求めて譲らない姿勢を見せている。
 これにはそれなりの理由がある。泉田氏は知事として遭遇した2004年の新潟中越地震や07年の新潟中越沖地震の経験を踏まえて、東京電力に対して当時の安全基準では義務づけられていなかった免震重要棟の設置を求めた。今回の事故で福島第一原発に免震重要棟が設置されていたのはその成果だった。
 「東日本大震災で免震重要棟がなければ、もしかすると東京には人が住めなくなっていたかも知れない。それを防いだという自負はある」と泉田氏は話す。
 今回特に泉田氏が強く求めているものの中には、実現可能な避難計画の作成と、強い地震にも耐えうる原子炉と一体化したフィルターベントの設置などが含まれているが。フィルターベントの問題は07年の新潟中越沖地震の際に柏崎刈羽原発3号機が火災を起こした経験に基づく。避難計画は新潟県が今年3月に僅か400人で実際に計画に基づいた訓練を行ってみたところ、周辺の道路が大渋滞してスムーズに避難ができなかったという実体験に基づいている。柏崎刈羽原発は5キロ圏だけで約2万人が在住しているという。
 「県民の命と財産を護るのが知事の仕事」と語り、自分はそのために必要になる当たり前のことをやっているだけだと言う泉田氏だが、これらの問題点を原子力規制委員会に質して、防災指針の策定に地元自治体の意見を取り入れる仕組み作りを要請したところ、規制委からは「新規制基準に直接関係ない」との回答が返ってきたという。
 いみじくも原発立地自治体の長として明確に再稼働に反対の意思を表明していた東海村の村上達也村長が、今週退任し、孤軍奮闘になった感のある泉田氏を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が新潟県庁に訪ね、再稼働問題に揺れる原発政策のあり方を議論した。

誰のための県民健康管理調査なのか

(第650回 放送日 2013年09月28日 PART1:61分 PART2:47分)
ゲスト:日野 行介氏(毎日新聞東京社会部記者)

  福島第一原発の事故で放射性物質が広範囲に拡散したことを受けて、福島県では人体への影響を調べる県民健康管理調査を2011年の6月から実施してきた。
 さる8月20日には、子どもへの甲状腺検査の結果、新たに6人から甲状腺がんが見つかり、甲状腺ガンと診断された人の数は合計で18人となった。悪性疑いの症例を含めると、既に44人が甲状腺がんかその疑いのある疾病に該当するという。
 通常、子どもの甲状腺がんの罹患率は100万人に1人ないし2人と言われている。これまでに福島県の甲状腺1次検査を受診した子どもは21万3千人あまりであることを考えると、甲状腺がんの認定者数18人は桁外れに多いと言わざるを得ない。しかも、疑い例の数を考慮すると罹患数は今後も増えることが予想される。しかし、県民健康管理調査の結果を評価する検討会は、頑なに福島原発事故との関連性を認めようとしない。
 県民健康管理調査は、福島第一原発事故による被ばく実態の調査と、県民の健康状態の把握、県民の不安解消を目的に2011年6月から全福島県民を対象に開始された。甲状腺検査は、放射能被ばくの実態把握と継続的な経過観察のため、2011年現在で18歳以下だった子どもを対象に行っている詳細調査の一つだ。
 しかし、この県民健康管理調査は当初から様々な問題を指摘されてきた。検査については放射線レベルの設定値や検査手法、検査項目の妥当性が度々疑問視され、調査を評価する検討会についても、偏ったメンバー構成や不透明な運営による不信感がメディアのみならず、福島県民の間にも広がっていた。
 その不信を決定的にしたのが、検討会が事前に秘密会なる意見すりあわせの場を設けた上で、福島県の描くシナリオに沿った運営を行っているという毎日新聞のスクープ記事だった。この問題を報道した毎日新聞の日野行介記者は「検討会は県民に対して大丈夫です、という情報を届けることが主眼で、安全安心の結論がまず先にあり、そのための情報のコントロールをどうするか、がすべての出発点だった」と、検討会のそもそもの在り方を厳しく批判する。
 福島原発事故は3基の原発がほぼ同時にメルトダウンし、大量の放射能が外部に流出するという、未曾有の原子力災害だ。そして、不幸にも被曝をしてしまった福島県内と周辺の人々にとって、被曝が自分や家族の健康に与える影響は何にも増して深刻かつ重要な情報であることは言うまでもない。
 しかし、この県民健康管理調査は、当初からその目的の中に「不安の解消」が含まれていたことからもわかるように、事実を正確に記録し、それを被害者に誠実に伝え、不幸にも被曝してしまった場合、その健康への影響を最低限に抑えるために必要な措置を取るための重要な機会を提供するはずだった。
 しかし、なぜか福島県も、またその検査を主導した有識者たちからなる検討会も、調査が明らかにする情報をコントロールし、悪い情報を隠蔽することに奔走してきた。秘密のリハーサルまで開いて何とか事故の影響を小さく見せ、被害の実態が外から見えないように彼らを駆り立てるものは一体何なのか。
 この問題を取材してきた日野氏は、県職員や県立医大の医療関係者など健康管理調査を実施している当事者たちが、真に県民の健康に関心があるのか疑わしいとまで言う。われわれは原発事故以降、できる限り真実を隠蔽し、情報をコントロールしようとする姿勢を至るところで目撃してきた。これは決して福島県の県民健康調査特有の現象ではなさそうだ。 
 権力を手にしたその瞬間からまず情報を隠そうとするのが人間の常だとするならば、われわれはそれにどのように立ち向かえばいいのか。毎日新聞の日野記者とともに、県民健康調査から見えてくる、利益相反に甘く情報公開に後ろ向きな日本の実情を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.63(631~640回収録)

DVDを購入
CDを購入

日本の農業は本当にそんなに弱いのか

(第631回 放送日 2013年05月18日 PART1:71分 PART2:66分)
ゲスト:昆 吉則氏(雑誌『農業経営者』編集長)

  日本のTPP参加をめぐり、国内における論争の最大の争点となっているのが、農業の扱いだ。巷の議論では、日本の農業は競争力がないので、TPP参加によって関税が撤廃されることになれば壊滅的な打撃を受けることは必至というところだろうか。農水省などは日本がTPPに参加した場合、最大で約3兆円の打撃を受けることになるという試算まで公表している。日本の農業生産額が年間約8兆円であることを考えれば、確かにこれは壊滅的な打撃以外の何ものでもない。
 それにしても、日本の農業は本当にそんなに弱いのか。
 農業の現場を数多く取材し、農政問題にも詳しい雑誌『農業経営者』の昆吉則編集長は、日本人の農業に対する考え方の根底に戦後一貫して言われてきた「農家は弱者である」という先入観があり、農業には常に保護が必要とのイメージがつきまとうが、それは必ずしも現実を反映していないと、データを示しながら指摘する。むしろ問題は、農家が弱者であるという前提があってこそ成立するさまざまな利権があるために、それを維持する目的で一部の農家を弱い状態のまま維持し、保護を続ける本末転倒の政策がずっと続いているというのだ。
 例えば、農水省が5年おきに実施している調査「農業センサス」の2010年版によると、日本の農家の約60%が、年間販売額100万円以下の、いわゆる零細な農家であるとされている。確かにこれでは保護が必要だと言いたくもなるデータだが、昆氏が同じデータを基に販売額ベースで再計算してみると、100万円以下の農家の売り上げは全体の6%程度に過ぎず、逆に年間1000万円以上売り上げている農家の売り上げが全販売額の6割を占めていることがわかったという。つまり、一見6割の農家のために保護策が実施されているかのように見えて、その実は市場の6%の売り上げしか占めていない生産者のために、様々な保護策がとられているのが、今日の日本の農政の実態だと昆氏は言うのだ。
 なぜ日本の農政はこのように歪められてしまったのか。昆氏は「農業問題は、すなわち農業関係者問題である」と喝破する。日本の総農家戸数は約252万8千戸(2010年現在)だが、そのうち、農業を主たる生業としている生業農家は約36万戸に過ぎない。これに対して農業に関係する中央・地方の公務員や団体職員の数を足し合わせると38万5千人以上にも上るという。まじめに農業を行っている農家よりも、農業が弱いから保護しなければならないというフィクションを捏造した上で、自分たちが作り出した農業利権に群がる関係者の数の方が多いというのが、日本の農業の実情なのだ。彼らは日本の農業が保護や助成の対象となり続けるためにも、これからも日本の農業が弱いものであり続けてくれなければ困るのだ。
 それでも昆氏はTPPという黒船に直面した今こそ、日本の農業にとって千載一遇のチャンスであると語る。日本は政治的な理由、とりわけ選挙での農業票の存在ゆえに、自らの力で農業利権にメスを入れることが長らくできなかった。そのため、まじめに農業を行おうとしている主業農家や経営の合理化や大規模化を通じて競争力のある農業ビジネスを営もうとしている若い農業従事者たちに、これまで十分にチャンスを与えることができない面が少なからずあった。しかし、TPPという外圧に瀕した今、そのようなことは言っていられなくなった。今こそ、後継者のいない農家から農耕地を借り受けたり、作業を請け負ったりしながら生業農家が規模を拡大させ、作業の効率化を図ることで、海外と競争していける農業を育てていくことが可能になっていると、昆氏は言う。
 十把一絡げに「農業は弱い」で括ってきたわれわれの農業に対する誤謬を排し、その背後にある農政の病理や日本の農業の本当の実情、そして実力について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、ゲストの昆氏と議論した。

社会のセーフティネットをどうする

(第632回 放送日 2013年05月25日 PART1:65分 PART2:44分)
ゲスト:森川 清氏(弁護士)

   われわれは社会のセーフティネットをどうすべきか。
 先週政府は生活保護法改正案を閣議決定し、今国会で法改正に向けた審議が始まる。しかし、法改正の中身を見る限り、生活保護費の不正受給防止など、締め付け側に主眼を置いた改正のように見える。
 確かに、生活保護の受給者数が215万人と過去最多を更新し、財政負担も3.8兆円にのぼる中、野放図に生活保護費をばらまく余裕はない。不正の防止も必要だろう。しかし、生活保護は社会の最後のセーフティネットだ。今われわれに必要なのは、最後のセーフティネットにこれだけ多くの人が頼らざるを得ない状況をどう改善するか、一時的にセーフティネットに救われた人たちをいかに社会復帰させていくかなど、セーフティネットをどうするかの本質的な議論ではないか。
 昨年来、名の知れた芸能人の親族が生活保護費を受給していたことが発覚してメディアで大きく報じられたことで、国民は生活保護制度への不信感を募らせ、受給者に対してもより厳しい目線を投げかけるようになっているのはわかる。
 しかし、生活保護費全体のうち不正受給が占める割合は0.4%程度だ。その一方で、日本の生活保護制度は世界でも類を見ないほど捕捉率、つまり政府や自治体が把握できている生活保護を必要としている世帯の比率が低く、本当に生活保護費の支援が必要な困窮者の2割程度しか生活保護を受けられていないのが実情なのだ。また生活保護の申請手続きの窓口となる市町村の担当部署では、あれこれ理由を付けて事実上申請を受け付けない「水際作戦」が日常化しているという。生活保護を受けられなかった困窮者が餓死したり、自殺したりするケースも相次いで報告されている。生活保護制度自体が根底から揺らいでいるのだ。
 弁護士で、生活困窮者の支援活動に取り組んでいるゲストの森川清氏は「今回の改正によって受給申請のハードルがより高くなる」とまずは改正案の問題点を指摘する。今回の改正案では、生活保護を申請する際にこれまで以上にさまざまな書類が求められるようになるが、現行法の下でも水際作戦の一貫で「申請書を渡さない」「書類を受け取らない」などの行為が横行する中、更に提出しなければならない書類が多くなれば、より生活保護を申請しにくくなることは想像に難くない。森川氏は違法な「水際作戦」を助長しかねないと危惧する。
 また、森川氏は近親者による扶養義務の強化にも懸念を持つ。日本では民法上、直系血族や同居の親族、兄弟姉妹、夫婦に互いの扶養義務を規定している。ただ現行の生活保護制度の下では、この規定は厳格には運用されていない。生活困窮者にはそれぞれに複雑な家庭の事情があることを勘案しての対応だ。これが今回の改正案では、近親者による扶養が義務化され、申請者本人だけでなく、近親者の収入や資産状況なども調査される可能性があるという。ますます生活困窮者はサービスの申請をためらうだろう。また、これに合わせて自治体などの調査権限強化につながりかねないことも懸念されるという。
 生活困窮者向けの対策には、入りやすく(利用が容易)、出やすい(自立につながる)制度が必要だ。しかし、今の日本の支援体制は、利用しにくく、利用してもなかなか自立につながらないという課題を抱えている。そのため今回の法改正にあたり、生活保護法とセットで生活困窮者自立支援法案というものが提案されている。自立を促す制度は重要だが、森川氏は生活保護制度にこれだけの不備がある中では、自立を支援する制度も効果が期待できないばかりか、生活保護を受けにくくするための隠れ蓑に使われかねないことが危惧されるという。
 保護が必要な人にはサービスは行き渡らず、国民は一部の不正に目くじらを立てて、行政は権限強化を狙うと同時に費用を削減しようとばかりする。こういう状況にあって日本のセーフティネットはどうなってしまうのか。持続可能な社会が必要としているのはどのような理念と施策なのか。生活保護法改正案の問題点から見えてくるわれわれ自身の問題、社会が抱える矛盾などについて、ゲストの森川清氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
今、アフリカ映画が熱い

(第633回 放送日 2013年06月01日 PART1:45分 PART2:45分)
ゲスト:吉田 未穂氏(シネマアフリカ代表)

  5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。5金ではこれまで何度となく映画を特集してきたが、今回は初めてアフリカ映画を取り上げる。
 奇しくも6月1日から3日までの3日間、横浜でアフリカ開発会議(TICAD)が開かれている。1993年に日本政府の肝いりでスタートしたこの会議は、その後も5年毎に日本で開催されており、今回で5回目だ。安倍首相はアフリカ各国の首脳が勢揃いした開会式で、政府開発援助(ODA)約1.4兆円を含む最大で3兆円超の官民支援を表明するなど、54カ国10億人規模のアフリカ市場を意識して、日本の関与を強める構えだ。そこで今回の5金では、アフリカ映画を日本に紹介する市民団体「シネマアフリカ」代表でアフリカに造詣が深い吉田未穂氏とともに、アフリカ映画から見える「今のアフリカ」を考える。
 まず取り上げたのはナイジェリア映画の『恋するケータイ in ラゴス』(原題:PHONE SWAP)。ナイジェリアはいまや世界有数の映画国家になりつつある。制作本数だけでみると年間2400本を超えて既に世界ナンバーワンとも言われている。そんな活況を前に関係者はナイジェリア映画界のことを、ハリウッドをもじった「ノリウッド(Nollywood)」と呼ぶほどだ。『恋するケータイin ラゴス』では、男女二人が携帯電話を取り違えるという設定のもとで、ナイジェリアの都市部と地方の格差・落差が浮き彫りになるコメディ映画だ。われわれはアフリカを考える時、ある種のステレオタイプな状況を思い浮かべがちだ。貧困や虐殺、環境破壊などいずれも現在進行形の問題だが、アフリカはそれだけではない。ナイジェリアの首都ラゴスの中心部には高層ビルが建ち、空港は近代的な機能を備えている。街ゆく人はおしゃれに着飾り、スーツに身を包んだビジネスパーソンも行き交う。この作品は当たり前のことだが、われわれには、なかなか馴染みのないアフリカの現実を映している。
 次に取り上げたのは『アフリカ・パラダイス』(原題:AFRICA PARADIS)。アフリカとヨーロッパの立場をそっくり入れ替えた世界が描かれる作品だ。時は2033年。「アフリカ合衆国」が世界一の超大国となり、ヨーロッパは没落してフランスの失業率は60%以上に達し、人々はアフリカへの移住を夢見ている。一方、裕福なアフリカでは白人はずるくて怠け者だという悪評が定着していて、ヨーロッパからの移民政策をめぐっては容認派と反対派が対立する。作品で白人が直面する困難は、現在のアフリカが抱える悩みそのものだ。現状では、知識階級に属するアフリカ人も国内では働き口がなく、かといって国外に出ても活路は乏しく劣悪な立場に甘んじるしかない。日本国内のアフリカン事情にも詳しい吉田氏は「日本にもそんなアフリカ人が沢山暮らしている」と話す。また、アフリカ映画は複雑で難しいテーマでも、コメディタッチで明るいトーンで描かれる作品が多いという。吉田氏はアフリカの人々は自分たちのあまりにも長く辛い苦渋に対して、「笑うしかなかった」という背景があると指摘する。
 われわれはアフリカを考える時、知らず知らずのうちに、アフリカは常に弱者であり、それを「支援してあげている」という上からの目線や態度で受け止める傾向がある。そのため、西洋諸国の描くアフリカは、どうしてもそのようなものに陥りがちだ。そして、自分たちが作り上げた先入観やステレオタイプによって、更にそのイメージが固定化していく。アフリカ人の手で作られた映画には、ありのままのアフリカが描かれているかもしれない。映画を通じて見えてくる肌感覚のアフリカについて、ゲストの吉田氏とともにジャーナリストの神保哲生と宮台真司が議論した。

これがTPP交渉の内幕だ

(第634回 放送日 2013年06月08日 PART1:47分 PART2:59分)
ゲスト:内田聖子氏(NPO法人・アジア太平洋資料センター事務局長)

  TPP交渉は秘密協議だ。だから、会議の内容は外部からはうかがい知れない。ましてや、まだ交渉への参加を正式に認められていない日本は、ここまでの交渉で合意に達している内容すら教えてもらうことができない。
 しかし、その交渉にアメリカのNGOの一員として参加した日本人がいる。アジア太平洋資料センターの内田聖子氏だ。内田氏はアメリカのNPO法人「パブリック・シチズン」の一員として、TPP交渉の場となったシンガポール会議とペルー会議にステークホールダー(利害当事者)の立場で参加してきたという。内田氏が見たTPP交渉の実態を聞いた。
 内田氏はTPP交渉について、「協議は事実上、米多国籍企業によるバーゲニング(交渉)の場となっている」と話す。会合にはステークホルダーと呼ばれる企業・団体が大挙して押し寄せ、会場に企業ブースなどを設けては、各国の交渉担当者と情報交換し、時にはその尻をたたいて企業側の利益を実現させようとしている。一般的にTPPは国家間の貿易協定と理解されているが、その実情は政府がエージェントとなって企業間の利害の調整を図る契約交渉の場と化しているという。
 さらに、内田氏は、日本と米国の事前協議が全く不可解だという。TPPに加わるためには既に参加している各国の同意が必要なため、日本では米国との事前協議もこれを満たすためのものと理解されているが、内田氏は「実態は全く違い、日本はTPP交渉への参加という足下を見られて、事前協議で不利な交渉を強いられている」と指摘する。
 さらに、日米両政府は事前協議の合意を受けてそれぞれ合意文書なるものを公表しているが、日本版の文書と米国版とは全く違う代物だという。日本版では、農業分野など両国にセンシティブな分野が存在することを確認したなどと、例外無き完全自由化ではないことが強調されているが、米国版には農業分野のことなどは記述されていない。その一方で、今後取り組むべき日本側の非関税障壁として具体的に「保険」「知的財産権」「政府調達」などが列挙されている。米国側の合意文書を見る限り、日本は事前協議において様々な分野で大幅な譲歩を余儀なくされたと判断せざるを得ない。しかもこの事前協議はTPP交渉と並行して今後も続けられていく可能性が高い。これでは事前協議という生やさしいものではなく、TPPを隠れ蓑にした日米貿易交渉そのものではないのか。
 どうもTPPというものの実態は、これまでわれわれが政府などから知らされてきたものとは大きく違うようだ。しかし、それでも日本はこのままTPPに参加するのか。事実を正確に知らされないまま、参加だけが既成事実化しているような現状で、日本は本当に大丈夫なのか。ベールに包まれたTPP交渉の実態を解き明かしながら、多国籍企業の暗躍、日米並行協議の危険性、自由貿易の行き着く先などについて、ゲストの内田聖子氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

止まらない八ッ場、止まらないニッポン

(第635回 放送日 2013年06月15日 PART1:53分 PART2:57分)
ゲスト:中澤 秀雄氏(中央大学法学部教授)

  民主党政権が高らかに「中止」を掲げながら結局は実現しなかった群馬県の八ッ場ダムの本体関連工事の入札が、5月17日、あまり大きく注目されることもなく公告された。7月には業者を選定し、年内にも着工する予定だという。
 八ッ場ダムは民主党政権下で無駄な公共事業の代表例に位置づけられ、民主党のスローガンだった「コンクリートから人へ」の象徴だった。前原誠司国交大臣は一度は八ッ場ダムの建設中止を宣言したが、地元からの強い反対に遭いほどなくそれを撤回。八ッ場ダムの建設工事の継続は民主党政権下の2011年に決定されていた。
 しかし、とは言え、60年以上も前に計画されながら、地元の強い反対運動に遭い、国が反対派を切り崩しながらようやく事業決定に漕ぎ着けた頃にはもう、当初の目的だった利水や治水などの需要はほぼ消滅していた。今回の工事再開の決定は、ダムが必要だからではなく、ここまで話がこじれてしまった以上、無駄であろうが何だろうが、もはやダムを作る以外に選択肢がないという状態に追い込まれた結果だった。
 しかしそれにしても日本という国は、国が一旦やると決めた事業は、何があってもやり遂げられるようになっている。それが今だに変わらない。山本リンダの歌ではないが、止めようにも、どうにも止まらないのだ。長良川河口堰もそうだったし、諫早の干拓事業もそうだった。ある意味で原発もそうだ。
 本来必要のないところに堤高131メートル、幅336メートルのコンクリートの壁がそびえ立ち、自然や遺跡など文化遺産も豊かな吾妻渓谷がダム湖の底に沈む時、総額で5000億円超の税金が浪費され、とてつもない生態系の破壊が起きる。しかし、それがわかっていても、八ッ場ダムの工事は今また再開されようとしている。
 ダム計画が地域社会をずたずたに切り裂いてきた様を子どもの頃から見てきた地元「やまきぼし旅館」の五代目主人樋田省三さんは、「計画に当たっちゃったら、もう、残念でしたと言うしかない。絶対撤回しないから。彼ら(国)は」と、あきらめ顔で語る。樋田さんの旅館もダムの水没予定地にあるが、ダムができるのかできないのか、移転させられるのかどうなのかが決まらないために、建物の改修さえ行えない状態が今も続いているという。
 大規模公共事業が地域社会に与える影響を研究している中央大学教授の中澤秀雄氏は「国側の担当者は2,3年で代わるが住民は一生逃げられない。結局、国策に疲れて受け入れざるを得なくなった」と八ッ場ダム問題の背景を指摘する。
 しかし、それにしてもなぜ日本の公共事業は、その正当性や妥当性を失った後も、止まらないのだろうか。国策だの国家意思だのと言われるが、それは一体誰が決めているものなのか。
 ダムのような大規模公共事業の計画を立てるのは霞ヶ関の中央官僚だ。彼らは霞ヶ関の役所の中で鉛筆を舐めながら、日本全体の水需要などを計算して、彼らなりに良かれと思った事業を提案する。そして国が持つあらゆる手段を使って、それを実現しようとする。それを実現することが彼らの仕事であり、そしてまたそれが日本の国益に適っていると彼らは考える。そして、国は政治学者ホッブスが怪物リバイアサンに喩えるほど強大な権力を持つ。それが駆使されれば、どんなに地元の反対があろうが、どんなに馬鹿げた事業であろうが、最後は押し切られることは必至だ。そしてそれは誰にとっても不幸なことでもある。
 中澤教授は「国」対「地元」の構図が続く限り、その勝負は見えている。国がリバイアサンとしての力をフルに発揮してその意思を貫徹しようとすることは避けられないが、公共事業の主体を国から地方に移管すれば、国が地元の意思を踏みにじってまで事業を無理矢理実現するようなことは起きにくくなるだろうと言う。問題は今その権限を持つ中央官僚と、公共事業推進の自民党政権で、そのような権限の移譲が起きるとは考えにくいことだ。
 中澤氏は「地方には地方の知恵がある。まずは政策決定の課程に地域の意見をどう組み込んでいくか、その仕組み作りが重要だ」と話す。中澤氏が関わった新潟県の旧・巻町(現在は新潟市と合併)での原発建設をめぐる住民投票では、7人の地域住民がキーパーソンになって準備して住民投票を実現した結果、原発建設の阻止に繋がっていったという。
 しかし、日本では巻町のような事例はまだ少ない。なぜ、国策は一旦走り出したら止まらないのか。われわれは、一体いつまで亡霊のような国家意思に振り回され続けるのか。八ッ場ダム問題と原発立地地域の矛盾を取り上げながら、ゲストの中澤秀雄氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

たかがアベノミクス、されどアベノミクス

(第636回 放送日 2013年06月22日 PART1:54分 PART2:50分)
ゲスト:櫻川 昌哉氏(慶應大学経済学部教授)

 自民党は20日、参院選に向けた公約集を発表したが、看板のアベノミクスの実績を最前面に打ち出しているのが目につく内容となっている。
 確かに安倍政権の誕生後、日経平均株価は約36%、ドル円相場も約13%の円安が実現し、日本経済は11年ぶりに復活の兆しを見せている。慶応大学教授で金融・財政論が専門の櫻川昌哉氏は「偶然の要因にも恵まれたが、アベノミクスの滑り出しは上々だ」と、ひとまずアベノミクスは市場の期待感を醸成することには成功していると分析する。
 しかし、アベノミクスの最終的な評価を下すのはまだ時期尚早だと、櫻川氏は言う。ここまでは安倍政権並びにその意向を受けた黒田日銀による金融緩和への強い決意を、市場は歓迎したように見える。しかし、櫻川氏はアベノミクスの真価は二本目の矢である「財政政策」、第三の矢である「成長戦略」によって決まると言う。本来、大胆な金融緩和に対しては強い財政規律が求められるが、今週発表になった自民党の選挙公約や先の13兆の補正予算に見られるように、安倍政権は金融緩和とセットで積極的な財政出動の政策路線を選択しているように見える。「日銀による大幅な金融緩和策と積極的な財政出動というポリシーミックスでは、どのみちバブルが起きるだろう」と櫻川氏は指摘する。
 櫻川氏はアベノミクスの成否を握るカギは、金融緩和によって市中に投入された資金が、銀行を通じて企業の設備投資などに回るかどうかだという。「いまの日本の銀行には土地担保融資以外の資金投資のノウハウはない」ため、銀行融資による資金調達には限界がある。むしろ今日本が改革すべきは、株式市場を通じて資金が回るような仕組みを整備することだというのだ。
 海外では銀行融資よりもファンドによる直接投資が盛んだ。担保と引き替えにお金を貸す銀行の融資と比べて、ファンドマネージャーたちは資金を投入するだけではなく、豊富なノウハウを元に投資先企業にコンサルティングを行い、経営の効率化を求める。邦銀にはここまでの機能も能力もない。しかし、その一方で日本の企業はファンドそのものを嫌悪し、社外の者から経営に口出しされることも好まない風土が根強い。相も変わらず日本中が、同じ日に株主総会を開くようなことをまだやっている。株式市場改革や金融市場を改革することで、アベノミクスによって市中に投入された資金が、成長を促す方向に回っていくことが必要だが、政治の世界でもメディアでもそういう提案はほとんど聞かれない。結局最後は政府や政治の問題ではなく、民間企業がこれをどう活かすかに掛かっていると言ってもいいだろう。
 90年代のバブル崩壊以来、日本の金融システムと企業風土はほとんど変わっていない。変えようとする試みが何度かあったが、そのたびに日本の大手企業や大手マスコミはそれを批判し排除してきた。中には株主の権利を主張する投資家が、「国策捜査」の標的にされることもあった。日本のその部分が変わらないままでは、どんな経済政策を採用しても、最終的にはそれが成長を生み出す方向に作用することは難しいだろうと櫻川氏は言う。
 アベノミクスの効果はどこまで持続するのか。大幅金融緩和と積極財政運営の行き着く先はどこか。日本経済、長期停滞の要因はどこにあるのか。日本の経済政策の検証や経済学者による論争の背景、経済学が持つ特異性などについて、ゲストの櫻川昌哉氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

護憲的改憲のススメ

(第637回 放送日 2013年06月29日 PART1:44分 PART2:55分
ゲスト:小林 節氏(慶応大学法学部教授・弁護士)

  日本はこの7月、憲法改正を公約に掲げる政権与党に対して、衆参両院の過半数を与えるかどうかが問われる国政選挙を迎えようとしている。安倍首相自身も今週の記者会見で堂々と憲法改正を訴えているが、これに対して特に大きな反発は見られない。かつて閣僚が「憲法改正」を口にしただけで辞任に追い込まれた頃と比べると、まさに隔世の感がある。
 憲法の改正については米軍の占領下で制定されたという事実やその後の歴史的な経緯もあり、いやがうえでも多くの政治的文脈がつきまとう。しかし、主権者である国民が真に憲法の改正を望んでいるのであれば、それを否定する理由はない。それを否定すること自体が憲法の精神に反すると言うこともできるだろう。
 「すわ憲法改正か」という事態を迎えるにあたり、改憲に対するアレルギーが強かった時代に肩身の狭い思いをしながら憲法改正を主張してきたいわゆる改憲派にとっては、ようやく長年の夢が叶おうかという状況に歓喜しているかと思いきや、どうも事はそう簡単ではないようだ。長年、代表的な改憲論者として知られてきた慶応大学小林節教授も、現在自民党が進めようとしている憲法改正は改憲ではなく壊憲、つまり憲法を破壊する行為だとして、これに真っ向から異を唱えている。
 小林氏は自民党の憲法改正草案は、そもそも憲法が何であるかが理解されないまま書かれていると、これを一蹴する。それは、安倍政権が他の条文に先んじて改正をもくろむ憲法96条の改正案にしても然り、憲法を通じて国や国旗を敬ったり、人権に公の秩序を害しない限りなどの条件が付けられていたり、家族が仲良くしなければならないなどの道徳的な義務が国民に課せられていたり、自民党案は、政府が国民に何かを命じるものになっている。憲法は国民が政府を縛るためのものという立憲主義の基本中の基本が理解されていない、と小林氏は指摘する。
 しかし自らを「護憲的改憲派」と位置づける小林氏は、今回の自民党の提案によって、憲法改正に対する国民的な論議が提起された点は評価する。自民党案そのものは論外としても、やはり現行憲法は手直しが必要な部分が少なからずあると考えているからだ。
 特に憲法9条に関しては、現在のように拡大解釈を続けることで、現状と憲法の条文の間に大きな乖離が生じてしまっている状態を放置すべきではないと、小林氏は言う。具体的には現行の9条が、「侵略戦争を否定する一方で、自衛のための武力行使までも禁じているわけではないことは国際法の観点からも明らか」であることから、まず自衛隊をはっきりと「自衛軍」と位置づけた上で、むしろそれに国連決議など海外派遣の際の厳しい条件を課すことが、平和憲法の精神を全うする上でより適切だと小林氏は語る。
 改めて指摘するまでもなく、憲法は他の法律と異なり、国民からの政府への命令である。立憲主義の日本では国民自らが憲法について考え、権力による運用を監視していく責務がある。今回の改憲論議に落とし穴はないか、日本人の民度は自分たちの憲法を書けるところまで達しているのかなどを、護憲的改憲派の論客・小林節氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

われわれはビッグデータの暴走を制御できるのか

(第638回 放送日2013年07月06日 PART1:64分 PART2:76分
ゲスト:菅原 出氏(国際政治アナリスト)

  元CIA職員のエドワード・スノーデン氏が内部告発したアメリカ政府による諜報活動の実態は、世界に「そこまでやるのか」の驚きをもたらすと同時に、まさにビッグデータ時代にどのような情報収集が可能になってしまったかを如実に示すものとなった。
 スノーデン氏が持ち出した極秘データの全貌はまだ明らかになっていないが、6月6日以降、英紙ガーディアンなどを通じて出てきた情報を総合すると、アメリカ国防総省内の情報機関NSA(国家安全保障局)が米通信大手ベライゾン社などから国内外の電話の通話記録を入手していたほか、グーグル、ヤフー、フェイスブック、マイクロソフトなどのインターネット事業者に対してもユーザーのログデータの提供を求めていたという。
 米政府はいずれの活動も、米国内に潜むスパイやテロリストの容疑者を監視することが目的であり、外国情報活動監視法(Foreign Intelligence Surveillance Act=FISA)に基づき外国情報活動 監視裁判所(Foreign Intelligence Surveillance Court=FISC)と呼ばれる秘密裁判所の令状に基づいているため、法的には問題がないと主張している。
 しかし、今回明らかになった「プリズム」などの情報収集・市民監視システムは、国家による個人情報の収集管理が秘密裏に進められている点などが、ジョージ・オーウェルの未来小説『1984年』に登場する支配者ビッグ・ブラザーを彷彿とさせる。コンピュータ技術や通信技術が急速に進歩したことで、膨大なデータや通話記録を丸ごと収集・保存し、それを瞬時に分類・分析することが可能になった。
 そうした技術がテロの防止や犯罪の取り締まりに有効に活用されること自体は歓迎すべきことかもしれないが、大量に集められた個人のデータが悪用・濫用されるリスクはきちんと管理されているのだろうか。個人のプライバシー侵害に対するリスクの管理や、伝統的に護られてきた通信の秘密などの権利は、ビッグデータ時代にも保障されているのだろうか。更に言うならば、高度な専門性を要求される最先端の技術分野において、市民社会にその安全性を確認する能力が備わっているのだろうか。
 日々何気なく使っているSNSサービスには学歴や生年月日、趣味や旅行記録、家族写真などの個人情報が溢れているが、仮に公開範囲を限定したところで、サーバーには着々と情報が蓄積されている。グーグルドライブやドロップボックスを倉庫代わりに利用している人も多いだろう。また、普段、何気なくインターネットを利用していても、インターネット上のサービスプロバイダーには全ユーザーの閲覧履歴が蓄積されている。実際、アマゾンなどで最前面に出てくる「おすすめ商品」は、その分析の成果に他ならない。あらためて思い返せば、旅行の予約、本の購入、好きな食べ物、気になるニュース、行きたい場所の地図等々、われわれは自分の人生に関するほぼすべての足跡を自ら進んでネット上に残している場合が多いのではないか。そして今回、政府がそれを一網打尽に集めることが可能であり、実際にそのようなことが行われていることが、スノーデン氏の告発によって明らかになったのではないか。
 ビッグデータやクラウド時代を迎え、インターネットや情報通信はますます利便性を高めている。しかし、その一方で、そこに落とし穴はないのか。われわれは無批判に技術の恩恵に浴しているだけで、本当に大丈夫なのか。伝統的なリバイアサン的統治権力が、ビッグデータなどの新しい武器を手にした時、市民社会はこれに太刀打ちできるのか。真の敵はどこにいるのか。アメリカの諜報活動に詳しい菅原出氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

この選挙は何を私たちに問うているのか

(第639回 放送日 2013年07月13日 PART1:46分 PART2:49分)
ゲスト:小林 良彰氏(慶応大学法学部教授)

  どうも選挙に盛り上がりが感じられない。本来であれば、憲政史上初めて憲法改正を公約に掲げた政権党が審判を受ける選挙であり、長年日本の政治にとって足枷だった衆参の捻じれが解消されるかどうかも問われている、重大な選挙のはずなのに、だ。
 世論調査などでも、高い支持率に支えられた政権与党の有利が伝えられている。ある意味、無風選挙なのかもしれない。
 しかし、それで本当にいいのか。
 計量政治学が専門で、有権者の投票行動の分析に詳しいゲストの小林良彰慶応大学教授は「今回与党は手堅く組織票を固める戦術で動いており、非常に静かな選挙戦だ」と指摘する。特に風が吹いていない今回の選挙では、タレントなどに頼るのではなく、自分たちの支持母体をしっかりと固めた方が有利だということのようだ。
 結局、過去の選挙結果をみてみると、その時々の景気動向が選挙結果を大きく左右しているのがわかる。2006年以降、日本の政治がなかなか安定せず、政権のトップが毎年のようにすげ替えられていたことと、その間、日本の景気がずっと振るわなかったことは、決して偶然の一致ではない。  しかし、果たしてそれだけでいいのか。小林氏は有権者はとかく景気や経済状況など目先の「生活争点」に目が奪われがちだと指摘する。実際は生活争点には政党間でさほど大きな対立がない。どの党も景気は良い方がいいに決まっている。
 むしろ重要なのは、明確に賛否が分かれる政策「社会争点」の方だ。それは、例えば憲法改正や外交政策、エネルギー政策など、確かに賛否が明確に分かれる政策でもある。目先の景気ばかりに有権者の目が奪われると、本当に有権者の選択が大きく物を言う「社会争点」が見えにくくなる。今回の参院選がまさにそんな選挙だと小林氏は言う。
 例えば与党自民党は、憲法改正を選挙公約に掲げている。そして、自民党憲法案に含まれる義務規定や人権に対する制約などの問題点は、この番組でも度々報じてきた通りだ。エネルギー政策においても原発再稼働を認めるのか、この先も原発に依存するのか、明確な賛否の分岐点がある。しかし、今回の参院選ではこれら重要な社会争点は生活争点の陰に隠れ、大きな議論の対象になっていない。 
 景気がいいことに気を良くして、安易に政権与党に白紙委任状を手渡せば、選挙後これらの社会争点が表面化してくることは必至だ。白紙委任状を受け取った勢力が、自分たちのやりたいようになるのは当然だろう。その時になって、現政権の経済政策を評価しただけであって、憲法改正まで認めたわけではないと泣き言を言ってもはじまらないのだ。既に与党は衆院で325議席を持ち、3分の2以上の勢力を保有している。これで参院も与党が過半数を握れば、民意があらゆる政策を与党のペースで決めることを認めたということになる。
 このままの静かな選挙でいいのか。小林氏は、静かな選挙をまねいているのは、野党にも大きな責任があると苦言を呈する。野党が憲法や原発などの重要な社会争点で、与党との間で明確な対立軸を打ち出せてないからだ。しかし、どこが政権の座につこうが、選挙後は憲法改正をはじめ、社会保障制度改革や原発、財政再建、そして規制緩和などに取り組まなければならない。今、そうした社会争点について各政党の主張を聞かれて、きちんと答えられる人がどれほどいるだろうか。
 われわれは今回の参院選で何を選ぼうとしているのか。自らの投票行動が、この先の日本にどんな結果をもたらすかを、真剣に検討しただろうか。まかり間違ってても、気がついた時は手遅れだったというような事態だけは避けなければならない。この選挙が何を私たちに問うているかを、ゲストの小林良彰氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

なぜ原発が選挙の争点にならないのか

(第640回 放送日 2013年07月20 PART1:59分 PART2:57分)
ゲスト:武田 徹氏(ジャーナリスト)

  参議院通常選挙が21日に投票日を迎えるが、特に目立った政策論争もなく、ほぼ無風のなかで与党の優勢が伝えられている。各党とも公約を並べ懸命に支持を訴えてはいるが、なぜかどれも有権者に大きくは響いていないように見える。特に原発の問題は、有権者にとって社会保障や景気対策と比べて、遙かに優先順位の低い問題になっていることが、慶応大学の小林良彰教授の調査で明らかになっている。
 原発が選挙戦の争点になっていないことを見透かしたように、電力各社は今週相次いで原発の再稼働を申請しているが、日本はまだこれから原発をどうするかについての選択はしていない。民主党政権の下で、2030年代末までの原発ゼロを目指すことが一旦は決定したが、その後安倍政権になってその政策は白紙撤回されている。しかし、自民党は今回の選挙で、「安全と判断された原発の再稼働については、地元自治体の理解が得られるよう最大限の努力する」と当面の方針を示しているだけで、これから原発をどうしていくかについての明確な道筋は示していない。ちなみに、2012年12月の衆院選における自民党の公約は、「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立を目指す」だった。
 そもそも景気のような「生活争点」については、どの党も景気がいいことが望ましいのが当たり前なため、選挙の争点にはなり難いはずだ。各党の政策にも明確な対立軸は見られない。むしろ原発政策のような「社会争点」こそが、「原発推進」と「脱原発」のような形で対立軸が明確になり、有権者にとっては政党を選ぶ判断材料になりやすい。にもかかわらず、原発が選挙の争点にならないのはなぜか。
 ジャーナリストで原発をめぐるメディアや世論の動向に詳しい武田徹氏は、原発が選挙の争点にならない理由として、原発論争が「絶対推進」と「絶対反対」の二項対立の図式に陥った結果、どちらも実際にはあり得ない選択肢しか提示できなくなっていることをあげる。結果的に、原発に対して明確な意思表示をしていない自民党が有利に選挙戦を進め、他のほぼすべての政党が明確に原発に反対しながら、いずれも自民党の後塵を拝する形になっている。「このままでは、原発をどうするのか議論が深まらないまま、“何となく原発大国”への道が復活してしまう」最悪のシナリオになりかねないと武田氏は現状を危惧する。
 武田氏はこの両者のかみ合わない議論の不毛さを、囚人のジレンマに喩えて解説する。囚人のジレンマとは、2人の人間が捕まった時、相手が先に自分を裏切るのではないかと疑心暗鬼に陥り、結局両方とも我先にと自白をしてしまうことを言う。双方が相手を信じ、どちらも最後まで自白をしなければ、2人とも無罪放免になるのに、という設定だ。最良の結果を望むなら、お互いが協力解を導き出すだろうという相互信頼が不可欠だ。そうなれば、推進側はこれまで固執してきた安全神話を捨て、より踏み込んだ安全対策や情報公開ができるようになるかもしれないし、反対派の方もただちにすべての原発を止めることを求めるのではなく、原発を漸減していく中で代替エネルギーに移行していくような妥協が成立できるはずだ。
 しかし、現実の原発をめぐる対立では根深い相互不信の結果、お互いにとって一番避けたい事態に陥っているのではないかと武田氏は言う。それはつまり、反対派が全ての原発の即時停止を求め、そこには一切妥協の余地がない姿勢で反対運動に邁進するのに対し、推進派は反対派につけ込まれないようにするために、不毛な安全神話を掲げながら、十分な安全対策を取らないまま、原発推進の道を突っ走るというものだ。
 福島の事故で、日本は原発の「残余のリスク」の大きさを十分に思い知ったはずだ。また、地震大国日本にとって、原発が更にリスクの高いものであることにも、異論を差し挟む余地はないはずだ。できるならば原発はないに越したことはないと思う人が日本人の大半を占めることも、各種世論調査からわかっている。
 しかし、同時にこれまで国策として推進してきた原発をゼロにするためには、それに依存する地元経済の問題や、代替エネルギー源をどうするのか、再生可能エネルギーへの移行期間に電気代の高騰をいかにして防ぐか、国際協調や対米関係など、多くの解決しなければならない難問が横たわっている。そうした問題への解決策を何一つ提示せずに、単に脱原発を叫んでいるだけでは、原発ゼロなど到底実現できないばかりか、下手をすると原発推進に手を貸すことにさえなりかねない。
 原発が選挙の争点にならない最大の理由は、原発の賛成、反対で議論が止まったまま、そうした数々の具体的な問題にどう対処していくかまで議論が至っていないところにあるのではないか。福島原発事故をきっかけに脱原発に舵を切ったドイツは原発の残余のリスクを科学的視点からだけではなく、倫理・哲学的な面からも徹底的に議論して合意形成をはかってきた。そして、何よりもドイツでは1990年代から電力の自由化を進め、それと並行して再生可能エネルギーを推進してきた。ドイツが脱原発に舵を切れたのは、単に原発反対の世論に押されたのではなく、脱原発を選ぶことで実際に生じる様々な問題に対する解決策が見えたからだったのだ。
 われわれは原発をめぐる不毛な二項対立の構図を残したまま、「なんとなく原発大国」への道を選んでしまうのか。今回の選挙では原発について現実的な脱原発のシナリオを提示している政党や候補者はいないのか。われわれはそれをきちんと見極めた上で投票する用意があるか。ゲストの武田徹氏とともに、ジャーナリストの神保哲生を社会学者の宮台真司が議論した。