2015年04月18日公開

放送法の中立公平はいかに担保されるべきか

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ゲスト

1980年神奈川県生まれ。2003年東京大学法学部卒業。同大学法学政治学研究科助手、首都大学東京都市教養学部准教授を経て16年より現職。著書に『憲法の急所─権利論を組み立てる』、『自衛隊と憲法─これからの改憲論議のために』など。

著書

概要

 自民党の情報通信戦略調査会が4月17日、NHKとテレビ朝日の幹部を党本部に呼びつけ、聴取を行った。
 NHKは「クローズアップ現代」のやらせ問題について、テレビ朝日は元経済産業官僚の古賀茂明氏が、「報道ステーション」で政権批判をしたことについて、それぞれ事情を聞くためだという。
 確かに放送局は放送法によって、中立公平な報道を求められている。しかし、放送法が定める中立公平の意味やそれがどのように行使されるべきかについては、政府内にも自民党内にも明らかに混乱があるように見える。
 放送法の定める中立公平や不偏不党はあくまで、異なる意見のある問題には異なる視点から報じることを求めているものであって、政府や与党を批判してはいけないという意味は一切含まれていない。また、放送法では「異なる視点」をどのように担保していくかについても、各放送局の裁量に委ねられている。なぜならば、放送法はその第3条において、何人に対しても放送への介入を禁じているからだ。
 放送法は同法が定める中立公正原則や不偏不党原則などを口実に放送局に介入することは、政府であろうが自民党であろうが、認めていないのだ。
 ところが、現実には当の放送局は放送法によって政府からの自立が保障されているいるにもかかわらず、なぜか政府や政権与党からの圧力に対して極端に弱腰である。
 その背後にあるのは、日本独特の放送免許制度だ。日本では政府が放送局に対して直接放送免許を付与している。報道機能を持つ放送局にとって政府は、最も優先的に監視しなければならない対象であることは言うまでのない。しかし、同時、放送局にとって政府は、免許の付与を通じて自分たちの生殺与奪を握る権限を有している存在となっているのだ。
 この矛盾を解消しないかぎり、いかに放送法に放送局の自立を保障する条文があろうとも、それがまともに機能するはずがない。
 放送が世論に絶大な影響力を持つ以上、無責任な報道や不正確な報道は放置されるべきではない。しかし、それを正す権能を政府や政治権力に与えることで、言論の自由が脅かされる事態は、無責任な放送を放置する以上に問題が多い。
 言論の自由に敏感な欧米諸国ではこの難問を解決する手段として、放送免許の付与権限を時の政治権力から一定の独立性を保障された独立行政委員会に委ねているところが多い。また、放送局による極端な政治的偏った報道や公序良俗に反する放送があった場合も、これを正す権限は政府ではなく、政府から独立した有識者会議や独立行政委員会などに与えるなどの工夫が見られる。
 そもそも放送法が求める中立公正や不偏不党どはどのようなものなのか。表現の自由を定めた憲法第21条に抵触せずに、放送局に中立公平な報道を求めるためには、どのような方法が適切であり、また可能なのか。
 ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、憲法学者の木村草太と議論した。

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